新宿区

2018年2月21日 (水)

哲学堂

昨日は、サーバーがパンク状態となり「雅万歩」のブログ・写真を整理し、当分は安定して利用できる容量が確保できた。 一安心。、、、整理中に、「野方の給水塔」の写真が目にとまり久しぶりに行ってみることにした。、、、大江戸線落合南長崎駅から、江古田の給水塔を見て、哲学堂公園に立ち寄り、西武新宿線新井薬師前駅まで、1万歩の散歩です。

 
 
 
①落合南長崎駅・・・・・・・・・「新目白通り」の地下に造られた島式ホーム1面2線の地下駅。 駅名のごとく、新宿区西落合と豊島区南長崎にある。 駅は平成9年12月19日、都営12号線(現:大江戸線)の駅として開業。 、、、、、建設時の仮駅名は「南長崎」(豊島区の地名)だったが、新宿区住民の要望で地名:落合(新宿区)を足して、「落合南長崎」として両区の手打ちとなったそうだ。
 
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②自性院・・・・・・・・・・・新青梅街道を落合南長崎駅から150m程西へ行くと、門柱の上に招き猫がいる真言宗豊山派の自性院。 弘法大師空海が日光山に参詣の途中で観音を供養したのが自性院の草創といわれている。、、、、、江古田ヶ原の戦(1469~1486)で、道に迷った大田道灌を寺に案内して危機を救い、戦いに大勝利をもたらした猫を供養して建てられたという「道灌招ぎ猫」と、その後江戸中期にすし職人が、ある貞女の誉れを後世に伝えたいと奉納した「猫面地蔵尊」の2体が境内の猫地蔵堂に祀られている。 節分の日だけに開帳されるそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・猫地蔵堂の内部をチョイト拝見。 秘仏は赤漆で塗られた厨子の中か? 周りにはネコ・グッズがいっぱい。 
 
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③野方給水塔・・・・・・・・・・東京23区北西部への配水を目的として、現在の江古田1丁目に、昭和3年(1928)に建設された。高さ34mの鉄筋コンクリート造構造物で、東側に階段室、頂部に換気塔を付け、水槽周壁上部にはアーチ形窓を配する。壁体内の漏水防止用鋼板に初期の溶接技術を用い、ドーム付円筒形水道塔としても最初期の事例である。、、、、国の登録有形文化財。
 
・・・・・・・・・・・・・昭和47年(1972)に給水所としては廃止され、給水塔周囲の跡地は中野区立「みずのとう公園」と「みずのとう幼稚園」になった。、、、、給水塔の正面に幼稚園があり、正面からの全景は撮影できない。
 
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・・・・・・・・・・・・・幼稚園越しに正面上部をパチリ! 空襲時の弾丸の傷跡が残されているのだが、全体的に劣化し、どれが弾丸の傷跡か?
 
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・・・・・・・・・・・・・公園から、給水塔の後ろ姿をパチリ! 公園の地下に災害対策用の給水槽が設置され、常に新鮮な飲料水100m3が用意されている。 
 
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星光山蓮華寺・・・・・・・・・・野方給水塔の西側に日蓮宗の蓮華寺がある。 創建年代不詳であるが、室町時代(南北朝時代)に橘樹郡星川村(横浜市保土ヶ谷区星川)に開山したと伝えられ、その後、江戸時代に現在地へ移転した。、、、、、中野区には日蓮宗の蓮華寺が二寺ある。 一つは、ここ中野区江古田の星光山蓮華寺。 もう一つ、中野区大和町の泉光山蓮華寺 。 ご丁寧に、山号まで似ている、“星”と“泉”の違いだけ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内には東洋大学学祖であり、哲学堂を創った井上円了の墓所がある。、、、、判じ物みたいな墓石で、「井上」の“井”の字の上に“円”形の石を置いて、“井の上円りょう”と言っているようだ。 駄ジャレか? 凡人には判らぬ哲学か?
 
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・・・・・・・・・・・・・・墓地の中に、将棋棋士で日本将棋連盟会長を務めた、永世棋聖(九段):米永邦雄(1943~2012)の墓所もあった。、、、、まだ新しい石で作られた駒の形の墓誌が、輝いている。
 
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⑤哲学堂公園・・・・・・・・・・井上円了の墓に手を合わせ、このまま立ち去るわけにはいかず、蓮華寺とは新青梅街道を挟み、向かい側にある哲学堂公園に寄ってきた。、、、、、哲学堂公園は、明治37年(1904)に哲学者で東洋大学の創立者:故井上円了によって精神修養の場として創設された、哲学世界を視覚的に表現し、哲学や社会教育の場として私財を投じて整備された全国に例を見ない個性的な公園。 昭和50年(1975)に中野区立公園となり、古建築物の修復、整備を重ね、また花の名所としても親しまれる公園となった。、、、、、庭内に「七十七場」という、「真理の追究」のポイントを設け哲学体験できる庭園となっているそうだ。 哲学の“て”の字も知らぬ私には何のことだかサッパリ判らん。 正直に言わせてもらうと、アッチ・コッチ・ドッチ・ソッチに立てられた名称・解説の立札が、庭園の景観を壊し邪魔に感じた。 
 
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⑥妙正寺川調節池・・・・・・・・・・哲学堂公園の南を流れる妙正寺川は、杉並区の妙正寺池を水源に持ち、途中で江古田川を合わせ、新宿区内で神田川(高田馬場分水路)に注ぐ、延長9.7kmを有する一級河川である。 この川は、市街化の進展に伴い、流域の保水能力が低下し水害の危険性が高まり、こうした状況に対応するため、都は1時間あたり50ミリ規模の降雨に対応する護岸や地下調節池などを整備している。 その調節池が哲学堂公園前に2か所ある。 新宿区側に位置する「妙正寺川第一調節池」と、中野区側に位置する「妙正寺川第二調節池」である。 両調節池は区境にて別けられたと思われる調節池で、第一と第二の調節池は接して造られている。、、、、、調節池とは、河川の水が増水したときに、水を調節池に流入させ一時的に貯留する施設。 
 
・・・・・・・・・・・・・第一、第二とも、妙正寺川から増水した水を呑込む口が開いている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・第一調節池はUR賃貸住宅の地下にも貯水するように造られていた。 地下は駐車場のように造られているが、もちろん車など一切の物が置かれていない。
 
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・・・・・・・・・・・・・第二調節池は、公園下に地下23mまで掘り下げた貯水池が造られて、100,000m3の貯水能力があるそうだ。
 
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⑦新井薬師前駅・・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)に開業した駅で、その名の通り新井薬師の最寄り駅である。 現在は相対式ホーム2面2線であるが、中井~野方間の連続立体交差事業により、平成32年(2020)度の完成を目指し、島式ホーム1面2線の地下駅となる予定である。
 
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2018年2月 7日 (水)

後楽園~市ヶ谷

本日は内科の診察日、後楽園のクリニックへ行った帰り、チョイト神楽坂・市ヶ谷方面に散歩してきた。
 
 
 
①飯田橋交差点・・・・・・・・・・町名の「飯田橋」(旧町名:飯田町)は神田川の南側に広がり千代田区に属す、中央線の飯田橋駅の大部分も千代田区に属す、飯田橋交差点は駅の北側で新宿区の最東端:下宮比町の中にある。、、、、「飯田橋」の町名は、開府前(天正18年(1590))に徳川家康が巡視のとき、案内役としてこの村の飯田喜兵衛が買って出て、江戸の事情を詳らかに説明したので、家康は大いに喜んで喜兵衛を第一号の名主と認め、「飯田町」を名乗るように命じたそうだ。 明治14年(1881)に外濠を跨ぐ橋が架けられ、飯田町に接する橋であることから「飯田橋」と命名された。  その後、飯田町の地名は薄れ、飯田橋に変わった。、、、神田川を覆うように頭上を首都高が走る。 広すぎて、真下に神田川が流れていることが気付きにくい交差点である。、、、、私の退職直前のオフィスはこの近くで約10年通った交差点だ。
 
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②ギンレイホール・・・・・・・・飯田橋駅の西、ちょうど神楽坂の入口付近に「ギンレイホール」がある。 昭和49年(1974)に名画座としてオープンし、現在も多くの映画ファンささえられ健闘している。、、、、神楽坂下に「佳作座」という映画館もあったが、こちらは昭和63年(1988)に閉館した。 今は懐かしく思い出す映画館である。
 
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③近代科学資料館・・・・・・・・・・神楽坂通りを横切って、東京理科大学の校舎群が並ぶ中を抜けると、坂の途中に近代科学資料館(新宿区若宮町)がある。 東京理科大学の創立110年を記念して、平成3年(1991)に坂の途中に復元された校舎である。、、、、、建物の外観は、明治39年(1906)に神楽坂に建設された東京物理学校(東京理大の前身)の木造2階建校舎を復元したもの。 二村冨久(二村化学工業創業者、昭和16年(1941)東京物理学校理化学部卒業)が建設費を寄贈し、建てられた校舎。、、、、、内部には、そろばん、計算尺、機械式計算機、電子計算機、蓄音機、パソコンなど、近代科学の発展を支えてきた、計算の道具類がズラリと並んでいた。、、、、私が、小学校で習ったソロバン、大学生の頃利用したヘンミの計算尺、タイガー計算機、バイトで初めて見たFACOMの電子計算機、社会人になって利用したPC98、マッキントッシュのパソコン、見るもの全て懐かしい。 
 
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④若宮八幡神社・・・・・・・・・・・近代科学資料館前の坂を上がり西に進むと若宮八幡神社(新宿区若宮町)がある。 神社は、源頼朝が文治5年(1189)奥州藤原征伐の際に当地で宿願、奥州平定後に鎌倉の若宮八幡宮を移して仁徳天皇を勧請して創祀した。 文明年間(1469~1487)には太田道灌が江戸城鎮護のため、当社を江戸城に相対させた形で再興させた。 旧社殿は戦災で全て焼失し、今は小さな神社である。
 
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⑤東京日仏学院・・・・・・・・・・市谷船河原町の逢坂(おうさか)の中程にある東京日仏学院はフランス語学校を中心に、図書室、映画館、ショップ、レストランを備えた、フランス政府の文化発信拠点。、、、、、建物は昭和26年(1951)に坂倉準三(1904~1969)の設計で竣工した。 坂倉準三はル・コルビュジエに師事し、モダニズム建築を実践した建築家である。
 
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⑥M邸・・・・・・・・・牛込のモダンなマンションが建ち並ぶ一画に、かなり、へんな形の建物がある。 アド街ック天国、アッコでおまかせなどで活躍する芸能人の豪邸。
 
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⑦裏千家東京道場・・・・・・・・・裏千家の関東の拠点として新宿区市谷加賀町のある道場。、、、、、お茶を嗜む人の建さんの場らしい。
 
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⑧N邸・・・・・・・・・・市谷甲良町に建つ、大正8年(1919)の洋風建築。 元は耳鼻咽喉科の医院、現在は閉院し住宅となっている。 手入れが良いので、古さを感じさせない、かわいらしく、チョイとメルヘンチックな建物。
 
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⑨北山伏町の洋館(A邸)・・・・・・・・市谷甲良町の北側、大久保通りからチョイト入った処に洋館がある。 大谷石を積んだ門柱の中に、洋館と日本家屋がチラッと見える。、、、、洋館は窓の建具などから戦前の建物と判断されるが詳細は不明。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これより、市ヶ谷駅に出て帰宅。 チョイト疲れた!

2017年10月 8日 (日)

千駄ヶ谷~渋谷

夫婦で散歩です。 今日は妻のリクエストに応える処を案内し、千駄ヶ谷から渋谷までの散歩です。
 
 
 
千駄ヶ谷駅 ・・・・・・・・・JR東日本では、東京オリンピック・パラリンピック開催時に多くの利用客が見込まれる、千駄ヶ谷、信濃町、原宿の各駅を、只今改良工事中。 千駄ヶ谷駅では、使用していない首都高側の臨時ホームを新宿方面の専用ホームに改良し、上下線のホームを別にする、改札口は新宿寄りに移設する。 さらに、改札口やコンコースを拡張して混雑緩和を図るほか、ホームドアを設置する。、、、、臨時ホームは撤去され、首都高と線路の間に空間ができている。 今後、ここに新たにホームが造られる予定。、、、、、JRは3駅の改良工事に約250億円掛けるそうだ、オリンピックは金が掛かるね!
 
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②東京体育館・・・・・・・・・・1953年(昭和28年)2月、東京都は渋谷区千駄ヶ谷にあった旧・葵会館の跡地に新しく都立体育館を建設すると発表。  昭和29年(1954)に総工費3億5千万円(当時の価格)にて旧東京体育館が完成した。 完成後は、アジア競技大会、東京オリンピックの会場としても使用された。 しかし、昭和61年(1986)に老朽化のため一時閉鎖し、平成2年(1990)に槇文彦の設計で現在の体育館がリニューアルオープンした。 収容人数は 10,000席(固定:6,000席、仮設:4,000席)である。、、、、2020年のオリンピックでも使用するそうだ。 既存施設の利用、大いに結構、コケコッコー。
 
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③新国立競技場・・・・・・・・・・・・只今、大成建設が頑張って一生懸命工事中。 スタンド部分の鉄骨が組みあがってきた。、、、、凄い数のクレーンが林立し、まさに“地図に残る仕事”。
 
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鳩森八幡神社/将棋会館・・・・・・・・・・今年の将棋ブームを反映し、将棋は指せず、積み将棋しかできない我が妻も、藤井四段は知っている。、、、、『ナントかの森神社と、近くの将棋会館を見に行こう!』と、リクエストを頂戴し、一名様ご案内!、、、、まずは、鳩森八幡神社へ。 そして、隣りの将棋会館へ。
 
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⑤瑞円寺・・・・・・・・・・・・・将棋会館から南東に100m程離れている、曹洞宗の瑞円寺は、高雲山金剛院と号す。 瑞円寺の創建年代は不詳であるが、徳川秀忠(1632年逝去)より寺領8石1斗の御朱印状を拝領したと言われている。、、、、瑞円寺は千駄ヶ谷の総鎮守:鳩森八幡神社の別当寺。、、、、、広い、よく整備された境内は、見事な梅林(時季はずれで緑の葉だけ)や、椿、つつじ、萩なども植えられている。、、、、、境内には享保5年(1720)の銘のある庚申塔が残されている。
 
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⑥神宮前の町・・・・・・・・・・・瑞円寺から、神宮前3丁目・4丁目の若者の町をぶらつく。 原宿の竹下通りから広がり・続く町で、10代~30代くらいの若者を対象に商売する町である。、、、、我が夫婦のごとく、60歳を超えた人は、お呼びでない! 『チョイと疲れたので一休みしよう!』と思ったが、甘味処は無い。 50年前の名曲喫茶、純喫茶も無い。 あるのは、ハンバーガー、クレープ、アイスクリームの店とオープンカフェ。 しかも、どこも騒々しい姉ちゃんと、ダメージパンツの兄ちゃんで満員。 さらに、チャイニーズ、コーリアの若者も交じり、コリャ・ダメだ!、、、、表参道も超満員。、、、、とうとうボヤキが出た、『こんなことなら二人で柴又の帝釈天か、巣鴨のお地蔵様へ行った方が落ち着けたね!』
 
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⑦渋谷到着・・・・・・・・・・・・とうとう一休みもせずに渋谷駅到着。 ここも、大規模再開発の真最中。、、、、、今日の散歩は、我が夫婦も『都会に住む 田舎者』となったことを感じ、老いたことを感じ、チョイと疲れ体力の衰えを感じた。
 
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2017年7月18日 (火)

新宿御苑前~若松河田

「江戸六地蔵」の一番、二番を見たら次は三番。 三番は新宿の太宗寺。 今日の散歩は、丸ノ内線新宿御苑前駅から大江戸線若松河田駅まで、1万歩。
 
 
 
①新宿御苑前駅・・・・・・・・・・・都会のデートスポット「新宿御苑」の最寄り駅。 昭和34年(1959)3月15日丸ノ内線霞ヶ関~新宿間延伸時に開業した。 ホームは相対式2面2線だが、完全な向かい合わせにはなっておらず、1番線(荻窪方面行)ホームは2番線(池袋方面行)ホームよりも新宿方に車両1両分ほどずれている。
 
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②太宗寺・・・・・・・・新宿御苑前駅の近く(新宿2)に、浄土宗の太宗寺(たいそうじ)がある。 慶長年間、甲州街道の道筋に「太宗」と称する僧の庵として造られた太宗庵を開創とし、徳川譜代内藤家6代の重頼が5代正勝を葬り、現在の倍ほどの寺領を寄進し霞関山本覚院太宗寺とし菩提寺に定めた。 山号は四谷大木戸を霞ヶ関といったという故事により、院号は正勝の法号、寺号は開山による。
 
・・・・・・・・・・・・・昭和20年(1945)の東京大空襲で被災し、現本堂は昭和37年(1962)に鉄筋コンクリート造で再建された。 設計は清水建築設計事務所(清水哲夫)、施工は清水建設。 HPシェルの屋根が特徴的な建物である。、、、、、、ラッパ型のシェルを組み合わせてようなモダンなデザインだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・今日の散歩の狙いである、江戸の出入口6箇所に地蔵菩薩像を祀った、江戸六地蔵の三番目が、甲州街道の入り口にあたるここ太宗寺に祀られている。、、、、太宗寺の地蔵は正徳2年(1712)に造立され、六地蔵の中では最も小さい、2.67mである。、、、、、サッパリした顔立ちで、イケメンだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・境内の閻魔堂には、高さ5.5mの閻魔大王(1814年頃製作)と、閻魔に仕え、三途の川を渡る亡者から衣服をはぎ取り、罪の軽重を計った奪衣婆(だつえば)の像(1870年製作、高さ2.4m)が安置されている。 閻魔堂はお盆の7月15日・16日に御開扉される。、、、、、、、、2体の像とも、恐ろしいくらい迫力あるね!
 
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・・・・・・・・・・・・・閻魔堂と向かい合わせに、境内には不動堂がある。 不動堂には三日月不動尊像が安置されているが、残念、見ることができない。、、、、、、不動堂の左隣には、塩かけ地蔵の小祠もある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・墓地には、内藤正勝の墓がある。 江戸時代に信州高遠の藩主をつとめた譜代大名内藤家の墓所。 墓塔は3基とも法篋院塔で、中央が5代内藤正勝(寛永6年造立)、右側が13代内藤頼直、左側が内藤家累代の墓塔(ともに明治時代の造立)である。
 
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③西向天神社・・・・・・・・・・・・新宿6丁目、抜け弁天通り南側、椎、楠、銀杏などの樹木が多く森をなしている高台に、西向天神社(にしむきてんじんじゃ)がある。 当社は、古来より東大久保村の鎮守社であった。 菅原道真を祀った京都の北野天満宮を勧請したものである。、、、、、菅原道真を祀る西を向いた天神さまが鎮座している。 天神は南に向けて建てるのが普通で、西向きに建てるのは非常に珍しい。 これは、道真が死んだ大宰府の方を見ているのだという。 、、、、、明治5年11月に村社となり、社地は1516坪であった。境内には現在でも石造物などの文化財が多く、境内の西隅には富士塚もある。 神社の別当寺は隣接する大聖院である。
 
・・・・・・・・・・・・・・社殿正面から見下ろす新宿
 
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・・・・・・・・・・・・・西を向く社殿。、、、、、天神さまは、どうやら、歌舞伎町の方に興味があるのでは?
 
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・・・・・・・・・・・・・・地続きで、隣には別当寺であった、天台寺門宗の古い小寺:梅松山大聖院がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・私がチョイと気になった、「新宿の女」の石碑がある。、、、、、宇多田ヒカルの母であり、平成25年(2013)に自殺した藤圭子が歌う「新宿の女」は、東京・新宿の盛り場を舞台とした、ご当地ソングのひとつ。、、、、、、「新宿の女」を作詞作曲した石坂まさをの作詞作曲家生活30周年を記念して平成11年(1999)に建てられた。 歌碑のある西向天神社は、デビュー時に「新宿の女」発売キャンペーンの出陣式(昭和44年9月25日)を行った場所とされる。 出陣式の神主代行を噺家の林家三平(先代)が務めた。 発売キャンペーンは、飲屋街を25時間ぶっ続けで流して回るという「新宿25時間キャンペーン」もので、藤圭子と石坂まさをの二人で行った。 また、当神社は石坂まさをの当時の住居から近かったことで選ばれた理由のようです。、、、、ちなみに、「圭子の夢は夜ひらく」の歌碑は新宿花園神社に建てられている。
 
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④抜弁天交差点に向かう・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・新宿6丁目の裏道に入ったら、グルリ回って元の場所に出た。、、、、、地図を見ずに、自分の好みで歩くと失敗だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・出てきた先に「法善寺」!、、、、、ここは新宿6丁目、大阪千日前とは違うが、ひょっとすると水掛不動があるかも? 「こいさん」が願掛けしているかも?、、、、、期待を膨らませ境内へ、普通の寺だった。 手を合わせ、先を急ぐ!
 
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・・・・・・・・・・・・・抜弁天交差点角には、真宗大谷派寺院の専福寺がある。寛永8年(1631)、市ヶ谷に創建し、正保2年(1645)現在地(新宿6)へ移転した。 本堂は戦後(昭和34年)の建築でガンダーラ風。

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・・・・・・・・・・・・前の通りは「抜弁天通り」、交差点は「抜弁天交差点」、、、、『抜弁天とはキット大きな社の神社』と思われてる人は多いはず。 残念・無念・チンねんゴメン、、、、抜弁天は、その昔八幡太郎源義家がこの辺りに宿陣、夢に厳島神社の祭神である市杵島比売神が現れて、白羽の矢と軍扇を与えた。 勝利して帰国の途次、神に感謝して社を奉ったのが神社の起こりだとか。、、、、、それにしても、小さな社で、ガッカリ。 

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⑤若松河田駅・・・・・・・・・・平成12年(2000)12月12日に開業した、大江戸線の地下駅。 島式ホーム1面2線。 
 
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2017年6月17日 (土)

新宿副都心 散歩は休み

昨日は午前中に墨田区の病院で癌早期発見の為のCT検査の予約をさせられ、午後は上野の病院で腎臓のCT検査の結果を聞いてきた。、、、、なんだか変かな?、、、、、とりあえず異常なしだから良しとしよう!

今日は、午後から新宿で飲み会。 飲めない私も、ウーロン茶で飲み会。、、、、散会後、久しぶりに副都心をブラブラ。

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2017年5月 5日 (金)

浅草橋~東中野

浅草橋の我が家から、総武・中央線沿いに飯田橋まで行き、そこから地下鉄東西線の神楽坂、早稲田をとおり、馬場下交差点からは学習院女子大、百人町アパートを抜けて東中野駅までの散歩です。、、、、GWのすいた都心を歩いてきた。
 
 
 
●am7:50・・・・・・・・・・・・浅草橋駅西口をスタートする。、、、、秋葉原の隣だが、人影も少ない寂しい駅である。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・両国~浅草橋~秋葉原~お茶の水間は昭和7年の開業で、この間の高架部分、架道橋は当時のままである。 耐震工事のため高架下の建物は壊され、スッポンポンの状態で、チョイト悲しい姿をさらしている!
 
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●am8:00・・・・・・・・・・・・秋葉原駅昭和通り口を通過。
 
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●am8:20・・・・・・・・・・・・昌平橋交差点を通過。、、、、、、神田川 に架かる昌平橋は関東大震災のあった大正12年(1923)に、震災直前に完成した。 そのため、昭和 5年(1930)に修復工事が行われた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・交差点の頭上には総武線の松住町架道橋が架かる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・また昌平橋からは、神田川の川幅いっぱいに大股を広げた総武線神田川橋梁が見える。 お股の奥には丸ノ内線神田川橋梁聖橋(工事中)が見える。
 
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●am8:25・・・・・・・・・・・・昌平坂を上る。、、、、、、別名「相生坂」とも言う、湯島聖堂前の昌平坂を上り丸ノ内線お茶の水駅に出る。、、、、、急な坂ではないがダラダラ上る坂は、手術で肺活量が小さくなった私にはキツイ!ゼイゼイ・ハアハア、美人を見るとドキドキ・ビクビク。
 
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●am8:40・・・・・・・・・・・・引き続き、お茶の水坂を下る。、、、、、、お茶の水と水道橋の間で、神田川の北側(文京区、外堀通り)にある坂。、、、、、、今日の外堀通りは行きかう車も少なく、神田川沿いの緑を眺め歩くのは、気分爽快。
 
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・・・・・・・・・・・・・坂を下ると水道橋交差点に出る。 右に後楽園遊園地、左に水道橋駅
 
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●am9:00・・・・・・・・・・・・飯田橋交差点を通過。、、、、ここからは、地下鉄東西線のルート沿いに歩く。
 
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●am9:20・・・・・・・・・・・・神楽坂駅を通過。、、、、飯田橋からは、熊谷組本社牛込消防署を通り、裏道を歩いて坂上(新宿区矢来町)にでる。
 
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●am9:40・・・・・・・・・・・・早稲田町の龍善寺を通過。、、、、早稲田通りに面してたつズングリ・ムックリの寺院が、真宗大谷派の龍善寺。 寛永15年(1638)千駄ヶ谷に天台宗寺院として創建し、その後、寛文7年(1667)早稲田に移転した。、、、、なんだか、チベットの寺院を模したような建物で好きになれないね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・道路を挟み龍善寺の隣、小さな祠に落馬地蔵が祀られている。 寛永3年(1626)、三代将軍徳川家光が鷹狩をしに高田馬場へ向かう途中、ここで急に馬がいななき、立ち上がったため落馬した。 馬の名手だった家光が落馬するには、何かあったのだろうと、村人が調べると、近くを流れる川の橋の下から1体の地蔵菩薩の石像が現れた。 そのことを、家光に報告すると「尊いお地蔵様を粗末にしたからだ」と家光は「落馬地蔵」と名付けお堂を作ってお祀りするように命じた。、、、、家光が命じたわりには、粗末な祠に祀られているね。 隣の龍善寺に堂を寄進してもらうといいね。
 
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●am9:50・・・・・・・・・・・・早稲田駅を通過し、穴八幡宮鳥居前から東西線にサヨナラして、諏訪通りに入る。
 
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●am10:10・・・・・・・・・・・・穴八幡から諏訪通りに入ると、これまた嫌いなダラダラの上り坂。 早稲田大学、戸山公園の前をとおり、長い煉瓦塀が伸びる学習院女子大前に出る。 坂道は終わり諏訪神社前を抜けると、前方に山手線のガードが見えた。
 
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●am10:20・・・・・・・・・・・・諏訪通りの先で西武新宿線・埼京線・山手線の上下6線が走るガードをくぐり山手線の外に出る。、、、、これで、秋葉原から高田馬場まで山手線を横断したしたことになる。 御苦労!
 
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●am10:30・・・・・・・・・・・・百人町の都営アパートを内を突き抜ける。 ここを抜けると神田川に出て、川沿いに歩けば東中野駅。
 
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●am10:50・・・・・・・・・・・・東中野駅へ到着。 今日の散歩はここまでとする。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・今日のルートの総延長は9.6km程、歩数は1万6千歩。、、、ア~ア、疲れた!
 

2017年3月22日 (水)

椎名町~下落合

西武池袋線の池袋駅の隣「椎名町駅」から、西武新宿線の高田馬場駅の隣「下落合駅」まで、直線距離で1.3km程のところを2時間かけ歩いてきた。 1万歩。
 
 
 
①椎名町駅・・・・・・・・・・・・大正4年(1915)4月15日、武蔵野鉄道(西武鉄道の前身)の池袋~飯能間が開通。 9年後の大正13年(1924)6月11日に、椎名町駅は開業した。 現在の駅は、相対式ホーム2面2線を有し、駅舎は橋上である。、、、、、今は消えた「椎名町(しいなまち)」とは、北側の西武池袋線、南側の目白通りに挟まれた、現在の豊島区目白4丁目・南長崎1丁目~6丁目のほぼ全域が該当する、かなり広い町域の町であった。 池袋線の椎名町駅・東長崎駅、大江戸線の落合南長崎駅は、かつての椎名町の境界線沿いにある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅に貼ってあった「昭和40年頃の椎名町駅」
 
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②長崎神社・・・・・・・・・・・・・・駅の北側に長崎神社はある。 神社の創建年代は不詳だが、長崎村の鎮守として信仰を集め、江戸時代の中期には十羅刹女社(じゅうらせつにょしゃ)と呼ばれていた。 明治7年(1874)、神仏分離令により十羅刹女神に代わり須佐之男命を合祀し、氷川神社、そして長崎神社と改称し、現在に至る。、、、、、つまりは、女神に男神を娶らせ、夫婦で稼げと言うことか!、、、、、、精緻な彫刻物を有する本殿は嘉永2年(1849)に、拝殿は明治32年(1999)に建立された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・「椎名町」と聞くと、「帝銀事件」を思い出す人もいるのでは、、、、、私はまだ2歳で、新聞も読めなかった頃の事件。、、、、昭和23年(1948)1月26日4時頃に、椎名町駅前の「帝国銀行椎名町支店」で起こった強盗殺人事件。 東京都のマークの付いた腕章を腕に付けた中年の男が現れ、集団赤痢が発生したから予防薬を飲まなければならないと言って、全員に青酸カリを飲ませ、12人を毒殺、現金16万円余りと1万7千円程の小切手を強奪した。 犯人は逮捕されたが、最後まで犯行を否認し、最高裁で死刑が確定した。 その後、刑は執行されず昭和62年八王子医療刑務所で死去した。 95歳であった。、、、、、当時の銀行の支店は質屋を改造した木造平屋の建物だったそうだ。 その支店があった場所は、長崎神社の横で、現在はマンションが建っているが、事件を思い出させるものは一切残ってない。、、、、、過去の暗いイメージを消し去るのか、町名も、事件の跡も無くなった。 
 
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③道歯科医院・・・・・・・・・・・・椎名町仲通り、ツタの枝が外壁を覆う廃屋となった歯科医院。 昭和初期の建築か?
 
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●・・・・・・・・・・・西武池袋線の踏切を越え、山手通りを南に向かう。
 
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④佐伯祐三アトリエ記念館・・・・・・・・・・目白通りを越え、中落合2丁目に入ると、聖母病院北側の細い路地の奥に、画家佐伯祐三(1898~1928)のアトリエが整備・保存されている。 記念館は、佐伯が創作活動をしていた地に、住居の一部とアトリエ部分が残され、敷地全体が公園として整備されている。 アトリエは大正10年(1921)の建築で、洋風下見板張り、北側の大きな窓が特徴的である。、、、、、大正7年(1918)に東京美術学校(現:藝大)に入学し、大正10年(1921)にはアトリエ付きの自宅が完成する。 大正13年(1924)にはフランスに留学。 昭和3年(1928)8月、30歳の若さで死去。 その後、妻の佐伯米子が昭和47年(1972)没するまで、アトリエで創作活動を続けた。
 
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⑤聖母病院・・・・・・・・・・・・・・カトリック神田教会 上智大学1号館などを手がけたスイス人マックス・ヒンデルの設計で、昭和4年(1929)に建てられた病院。 鉄筋コンクリート3階建て、うす茶色のタイル張りの外壁と建物の屋上中央の二つの塔が特徴敵な建物で、玄関前のヒマラヤ杉とも調和している。、、、、、、病院は「マリアの宣教者フランシスコ修道会」が、キリスト教の愛の精神に基づき運営している。、、、、、病院の中を、勝手に歩くこともできず、内部の見学は入院してからにする!
 
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⑥聖母病院聖堂・・・・・・・・・聖母病院の裏側に、平成22年(2010)に竣工した聖堂。 竹中工務店の設計・施工、鉄筋コンクリート造の建物で、“2011年グッドデザイン賞”を受賞した作品である。、、、、、、片流れの屋根、屏風折れの外壁、縦長のスリット状のステンドグラス(既存のものを再利用)、梁・柱のない内部など、印象的な祈りの空間を演出している。、、、、、内部は飾り気の少ない、シンプルなデザインで、落ち着いた祈りの場を創っている。
 
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⑦薬王院・・・・・・・・・・・聖母病院の南、下落合4丁目に、奈良の長谷寺(ボタン寺)の末寺で、真言宗豊山派瑠璃山薬王院がある。 鎌倉時代の創建といわれる。、、、、、ここの寺も、総本山長谷寺のように、ボタンが有名で見物にくる人も多いようだ。 まだ、ボタンは蕾ができたばかりで、チョイト早すぎる。、、、、裏山の枝垂桜もチョイト早すぎた!
 
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●・・・・・・・・・・・西武新宿線下落合駅から帰宅。
 
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2017年3月16日 (木)

信濃町~渋谷

信濃町駅から神宮前を抜けて渋谷駅まで、1万2千歩の散歩です。
 
 
①信濃町駅・・・・・・・・・・・明治27年(1894)10月9日の甲武鉄道新宿~牛込(現:飯田橋駅の西側)間開通と同時に開業した。 島式ホーム1面2線の地上駅で、ホーム上部に駅ビルがある。 改札口は駅ビル1階にあり、外苑東通りに面している。、、、、、駅ビルは平成5年(1993)に竣工した地上6階・地下2階建て、設計は岡田新一(岡田新一設計事務所)。、、、、、写真:駅ビルの裏側に某宗教団体の本部があり、駅ビルと向かい合って慶應大学附属病院があり、乗降客の多い駅である。 ついでに、写真を撮った位置には、かつて滝沢馬琴(1767~1848、南総里見八犬伝の著者)が住んでいた、四谷組同心屋敷があった。 馬琴はここで、最後の12年間を暮らした。 
 
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②聖徳記念絵画館・・・・・・・・・・神宮外苑のシンボル的な建物で、幕末から明治時代までの明治天皇の生涯の事績を描いた歴史的・文化的にも貴重な80点の絵画を展示している。、、、、、大正8年(1919)に着工し、大正15年(1926)10月22日に竣工した、鉄筋コンクリート2階建て、ドームの頂上までの高さは約32m、幅約112m、奥行約34mの建物である。 設計は公募にて大蔵省臨時建築部技手・小林正紹(まさつぐ)の案が採用され、施工は大倉土木(現:大成建設)が請けた。 外観は花崗岩貼りで、中央にドームを戴く左右対称のデザインでまとめられている。 左右対称のデザインは国会議事堂などと同じように大正時代の流行であった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・内部には、大理石、モザイクタイル、石膏彫刻が多用され荘厳な雰囲気が漂っている。 (内部は撮影禁止のため、6年前の写真を借用)
 
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・・・・・・・・・・・・・絵画館の真後ろには、中央に楠の大木が植えられた、葬場殿趾の円壇がある。、、、、これは、明治天皇の葬儀がこの場所(当時の青山練兵場)で行われた際、棺が置かれた葬場殿の址である。、、、、なんと、ここは重要文化財であった。 なんで、ここが? 答えは簡単! 重要文化財の本体は絵画館であって、この円壇はその付属として位置づけられているそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・絵画館前の植え込みの中に「樺太国境画定標石」のレプリカが残されている。、、、、、日露戦争に勝利した日本は、その後の明治38年(1905)、ポーツマス条約により樺太の北緯50度以南を日本が領有することとなった。 翌明治39年から明治41年にかけて国境に17基敷設された標石のレプリカで、当時の樺太庁が作成し外苑に寄贈したものである。、、、、、菊の紋が標された本物の標石は、今、どうなっているのか?
 
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③明治神宮野球場・・・・・・・・・・大正15年(1926)に開場した、六大学野球の聖地。 私も母校の応援に行ったのを思い出すが、優勝して飲み会をしたという記憶はない! この頃(学生時代)は、野球より、女の子に興味があったから、応援にかこつけた、ナンパだった。
 
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④高徳寺・・・・・・・・・・・都立青山高校に近い港区北青山(熊野通り)にある浄土宗の寺院。 若い人が多いアパレル関連の会社が並ぶ通りから少し入ると、正面に本堂が、右に河内山宗俊の碑(墓もある)が、左に積み重なった石仏の山が見える、まさに都会の癒しスポットと云うような寺である。、、、、、高徳寺は、晃誉上人居的和尚(元和9年(1623)寂)が開山となり、天正7年(1579)に創建した。、、、、今流のおしゃれな通りに、歴史の香りが、チョイト、ミス・マッチ。
 
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⑤熊野神社・・・・・・・・・渋谷区神宮前、キラー通りに近い処に、青山の鎮守さま熊野神社がある。 元和5年(1619)に徳川頼宣によって勧請。 徳川頼宣の邸内(現:赤坂御所)に奉斎されていた御宮を、正保元年(1644)に現在地に移した。、、、、境内には、5階建ての賃貸ビルを所有しており、商売繁盛の御利益を自ら享受しているようだ。
 
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⑥東郷神社・・・・・・・・・・・・・・神社が続く、原宿の竹下通り裏に鎮座する東郷神社。 日露戦争で連合艦隊を率いてバルチック艦隊を破った、東郷平八郎を祀り、昭和15年(1940)に御鎮座祭がおこなわれた神社。、、、、社殿は昭和39年(1964)に再建された、鉄筋コンクリート造。、、、、ここは、“勝利の神様”。 勝負の前に手を合わせ、必勝パターンで! ただし、賽銭はチョイト奮発すること。
 
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⑦長泉寺・・・・・・・・明治通り沿いにある、曹洞宗の長泉寺。 寺は、かつて隠田に古刹寺院があり、観音堂のみ残っていたところ、上渋谷村の名主田左膳義直が、観音堂の本尊を自宅に遷し草庵として天文15年に僧春的を招聘、文禄元年には青松寺七世瑞翁(慶長9年寂)がこの草庵を譲受、慈雲山長泉寺と号し開山したといいます。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・長泉寺には、なんと! 山手線の土手を背にして2百体以上の石仏が並んでいる。 お寺近くに祀られていた地蔵尊、観音様が、土地の造成などで、ここに集められたらしい。、、、、、玄関先にでも飾るインテリアとして石仏一体欲しいね! こんだけあれば、一体ぐらい無くなっても、、、、『コラ! 罰当たりが!』
 
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2017年3月 4日 (土)

中野新橋~新宿

地下鉄丸ノ内線中野新橋駅からJR新宿駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
①中野新橋駅・・・・・・・・・・・昭和36年(1961)2月8日に、営団地下鉄荻窪線の開通に伴い、途中駅として開業。 相対式ホーム2面2線を有する地下駅。、、、、駅名は近くを流れる神田川に架かる橋の旧名称「新橋」に由来する。 駅名として、そのまま採用すると、銀座線・JRの新橋駅(港区)と同じになり混乱するため、“中野”を冠して「中野新橋」とした。、、、、、一日の平均乗降人員は2万人弱で、東京メトロ全130駅中124位とワーストテンにランクインする駅。 その駅が、新しく建て替えられモダンな駅舎に生まれ変わった。 綺麗な駅舎となり、町のイメージアップにつながるといいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・工事中の頃(平成26年2月)の駅舎
 
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②中野新橋・・・・・・・・・花街の風情を今に伝える赤く塗られた欄干の橋。 この橋はかつて「新橋」と称し、この付近は関東大震災後に発展した花街であった。 しかし、昭和50年代の賑わいをピークに、小唄・三味線の音は聞こえなくなり、花街は消えた。、、、、、平成23年(2011)の神田川改修工事により橋も新しくなり、橋名は駅名と同じ「中野新橋」に改名した。、、、、、橋の際には、昭和36年(1961)に架け替えられた「新橋」の擬宝珠が残されている。 どうせなら、若い芸者を残して欲しかったね!
 
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③本郷氷川神社・・・・・・・・・・・中野区本町4丁目にある、素盞鳴尊命を祭神とする氷川神社。  ここの氷川神社は、文明元年(1469)、太田道潅が江戸城築城の際に鎮護のため大宮氷川神社より勸請し創建したそうだ。 旧本郷村の鎮守さま。、、、、、昭和20年(1945)戦災により社殿が焼失、現在の社殿は昭和30年(1955)の再建である。、、、、、境内に「東京五輪記念碑」があった、なぜここに? 意味不明? どうでもいいか!
 
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④福寿院・・・・・・・・・・・・中野区本町3丁目、眺めの良い台地に新義真言宗の寺、福寿院がある。 本尊は弘法大師の作と伝えられている薬師如来坐像。 大師が諸国巡錫中久しく当院に泊り、自作の薬師如来像を当院に置いて行ったそうだ。、、、、元応元年(1319)の創建。、、、、本堂は昭和51年(1976)に建てられた。 広く明るい境内であるが、華やかさに欠け、もう少し庭木を増やすなどして彩を添えたらいいね、チョイト残念だ。
 
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⑤象小屋の跡・・・・・・・・・・・中野区本町2丁目の中央を東西に横切る裏通りの朝日が丘公園に、「象小屋(象廐=きさや)の跡」と記した案内板があった。、、、、江戸時代、象はまだ珍しい動物であった頃の出来事。 ここ中野に来た象は、享保13年(1728)中国人貿易商鄭大威が将軍吉宗に献上するためベトナムから連れて来たもので、将軍吉宗が上覧したあと、暫らくは浜御殿で飼われていた。 その後、中野村の源助に下げ渡され、源助は成願寺に近いこの辺りに象小屋を建てて飼育を続けたが、寛保2年(1742)病死した。 皮と象牙は将軍家に献上されたが、象牙は源助に、皮は成願寺に下げ渡されました。 この牙は宝仙寺(現:中野区中央2)に保存され、戦災に遭ったが一部は今も残っている。、、、、と、言うことで、ここに小屋があったとサ! 
 
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⑥成願寺・・・・・・・・・・・・本町2丁目、山手通りに面し竜宮城のような大きな山門がある。 ここが、曹洞宗の成願寺である。 永享10年(1438)小田原最乗寺で教えを受けた中野長者の鈴木九郎が出家して、西新宿の十二社(現:西新宿熊野神社)の敷地内に創建した。 中世には正観寺と称していたが、江戸時代初期に長者屋敷跡(当地)へ移転し、成願寺と改称した。、、、、、山門をくぐると、菜々緒の乙姫が出迎えてくれると嬉しいのだが! 期待過剰!
 
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・・・・・・・・・・・・・・本堂横に、百体観音堂がある。、、、、百体観音とは西国33ヶ所、坂東33ヶ所、秩父34ヶ所を合わせた100霊場の本尊をいうそうだ。 百観音の信仰は江戸初期より盛んになったが、一般庶民が諸国の霊場を自由に旅することは極めて難しく、殆ど不可能であった。 そこで百体の観音像を一か所に安置し、そこへ参ると100霊場を巡礼するのと同じ功徳が得られるとされた。、、、、、観音と縁の深いこの寺には、江戸中期より百体観音があったが、先の大戦で空爆により焼き尽くされてしまった。 現在の百体観音は昭和50年(1975)に再建された。、、、、、堂内には、正面中央大きな観世音菩薩をに配し、左右に小さな諸国の観音を祀っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・墓地の中ほどに、蓮池藩52,600石の鍋島家墓所がある。 蓮池藩(佐賀市東部)は鍋島勝茂の4男直澄が、蓮池に分封されたのを藩祖とする。2世直之の子千熊を寛文9年(1669)に葬ったことに始まる。、、、、鍋島の歴史を知らず、墓石の文字は読めず、どの墓が、誰の墓か、判らん! 不勉強で失礼!
 
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⑦西新宿を抜け新宿駅へ・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・遠く新宿の超高層ビルが見える
 
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・・・・・・・・・・・・・このあたりは、かつての十二社。 以前は料亭かな?
 
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・・・・・・・・・・・・・ビルの谷間から都庁が見えた。 駅は近いぞ!
 
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・・・・・・・・・・・・・10年前までは仕事で通ったビルも見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・新宿駅到着。 
 
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2017年2月19日 (日)

新宿御苑

なんとく春近し、日差しも暖かそうに感じる、昼から夫婦でチョイと新宿御苑で、河津桜、梅、福寿草、水仙など冬の花を楽しんできた。
 
 
 
・・・・・・・・・・・・・もともとは江戸時代に信濃高遠藩内藤家の下屋敷のあった敷地である。 明治5年(1872)に農事試験場となり、 明治12年(1879)には新宿植物御苑となり宮内省が管理することとなった。 戦後は一般に公開され、現在は環境省管轄の公園である。、、、、、大名屋敷跡の一部といえども、現在の58haの敷地は“広い!”
 
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・・・・・・・・・・・・・・ゆっくり、のんびり、静かに、季節を感じ、花を愛でる
 
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  • ・・・・・・・・・・・・・・旧御涼亭(台湾閣)は、皇太子(後の昭和天皇)の御成婚記念として、台湾在住の邦人から、昭和2年(1927)に贈られた中国風建築。 木造平屋、基礎は鉄筋コンクリート造。、、、、設計した森山松之助(1869~1949)は統治時代台湾で活躍した建築家。 日本には、旧久邇宮邸(現:聖心女子大)、片倉館会館(長野県、重文)などが現存する。 取り壊された本所公会堂(両国公会堂 )も作品の一つであった。、、、、、チャイナドレスの美女が手摺にもたれ話しかけてくるような雰囲気の建物。
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    ・・・・・・・・・・・・・・天皇や皇族の休憩所として明治29年(1896)に建てられた旧洋館御休所。 19世紀アメリカで流行した、下見板と棒(スティック)による模様付けされた「スティックスタイル」の木造建築。 戦後は平成6年(1996)まで管理事務所として利用されてきた。 現在は大正13年(1924)当時の姿に戻され公開されている。、、、、、ちなみに、平成11年度の修復工事では、この建物に2億6千万円の工事費がつぎ込まれたそうだ。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・・御苑の守衛などが使用していた旧新宿門衛所旧大木戸門衛所。 いずれも昭和2年(1927)に建てられたもので、御苑の門衛所として周囲の景観とマッチした当時のデザインである。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・・平成23年(2011)に完成した新宿御苑の大温室。 設計は日本設計、施工は戸田建設。、、、、、温室のため南国の花が多く、高山植物は皆無だ! あたり前田のクラッカー。
     
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