新宿区

2019年7月29日 (月)

泣きたくなって笑った神社

今日梅雨明け宣言がでた、これからは散歩も熱中症との戦いだ! 今日の都心の気温は34℃の予報で、朝から暑い一日が始まっている。

今日の散歩は大久保駅・新大久保駅周辺の、小さいながらも有名で、チョイト変わった社寺を巡ってきた。 都営大江戸線東新宿駅で下車し、大久保のコリアタウン周辺をうろつき、JR高田馬場駅まで、1万3千歩の散歩です。




●新宿のベッドタウン! ・・・・・・東新宿駅は都営大江戸線と東京メトロ副都心線の地下駅。 平成12年(2000)12月12日の大江戸線全通時に開業。 大江戸線ホームは地下3階で、島式1面2線の構造。 平成20年(2008)に副都心線が地下5階・6階に乗り入れて乗換駅となった。 場所的には歌舞伎町の北東にあたり、周辺は歓楽街の趣がなく、おとなしい駅である。、、、、周辺にはマンションが多く、歌舞伎町裏(北側)のラブホテル街にも至近である。 コリャ、ベッドタウンだ!

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●福は内、鬼は内! ・・・・・・古来より大久保村の聖地といわれた場所にたてられた、福を招く稲荷神社と、紀州熊野の鬼王権現を祀る鬼王神社が、天保2年(1831)に合併し稲荷鬼王神社(新宿区歌舞伎町2)となった。 全国唯一の鬼の福授けの社として信仰を集め、「撫で守り」の授与で有名である。 皮膚病・その他病気平癒に御利益がある。 祭神は、稲荷神の宇迦之御魂神、鬼王権現の月夜見命・大物主命・天手力男命。 そして、大久保村が祀っていた神々(火産霊神など)も明治時代に合祀されている。、、、、神社では、節分の豆まきに、鬼を春の神とみなし「福は内、鬼は内」と唱える。

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・・・・・・・・・・・・・・境内社:恵比寿神社にお参りして、手水から柄杓で「かえる石」に水を掛け、次に「かえる石」をさすりながら、心の中で次の言葉を三度唱えると叶うそうだ。 交通安全や旅の安全を願う人は『無事かえる』 開運を願う人は『良き運にかえる』 金運を願う人は『金かえる』 縁結びを願う人は『待ち人かえる』 健康を願う人は『若がえる』 神を信ぜぬ人は『あきれかえる』(?)

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●塀の外は娑婆! ・・・・・稲荷鬼王神社から「職安通り」と呼ばれる大通りを西へ向かうと、西武新宿線・JR山手線のガード手前に曹洞宗長光寺(百人町1)がある。 長光寺は山号を玉宝山と称し、甲州武田家の遺臣により、天正10年(1582)の織田信長との合戦によって滅亡した武田家の菩提を弔うために、文禄3年(1594)に建立された。 本尊は釈迦如来。、、、、入口脇に「しあわせ薬師如来堂」がある。 皆さん、素通り、特別に歴史ある薬師如来ではないようだ! 

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・・・・・・・・・・・・・・・長光寺の墓地は本堂裏から、広い処で幅15m、長さ約130mぐらいで、北に伸びている細長い敷地である。 この墓地の北の端に「北向観音」に建立されている。 “北向”であるから塀の外に向かい立っている、ヘィ~~! 塀には「北向観世音菩薩  厄除の観音様です」と書かれ、賽銭箱も用意されてるが、塀の外を歩く人は蒸し暑いので、無視、無視(?)

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●大久保の新しい観光スポット? ・・・・・大久保駅南口の近くに、中華料理レストランと見間違うような派手な建物(百人町1)があった。 正面には「東京媽祖廟」と書かれている。 平成25年(2013)に完成した、“媽祖(まそ)”と呼ばれる台湾及び香港・マカオ・福建省など中国沿海部を中心に信仰を集める女神を祀る廟である。 簡単に言うと、道教の寺院で、横浜の関帝廟と同じようなものらしい。 媽祖を祀る媽祖廟は世界中に約2000寺院以上あり、約2億人以上の信仰があるそうだ。 特に媽祖信仰のあつい台湾では、900余りの媽祖廟が存在するそうだ。、、、、なんだか入ってみたくなった! 私には異次元の空間かも?
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・・・・・・・・・・・・・・2階は「関帝殿」と称し、関帝を中心に男の神様が祀られている。

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・・・・・・・・・・・・・・3階は「媽祖殿」と称し、媽祖を中心に女の神様が祀られている。

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・・・・・・・・・・・・・・4階は「観音殿」と称し、観音を中心に仏様が祀られている。

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●チョイト、パッチリ! ・・・・・・・大久保駅・新大久保駅周辺のコーリア・タウン、、、、早朝、ゾロゾロ専門学校に通う東南アジアの学生、、、、静かな朝は歌舞伎町のラブホテル街、、、、ラフなスタイルは中国の観光客、、、、韓流グッズをさがす観光客

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●当たらん! ・・・・・・・新大久保駅近く(百人町1)に皆中稲荷神社がある。 皆中(かいちゅう)稲荷神社は、天文2年(1533)に創建されたらしい。 寛永11年(1634)の江戸城拡張に伴い鉄砲隊百人組が当地に屋敷地を支給された。 “皆中”を「みなあたる」と読むことで縁起よいとされて、鉄砲組の信仰をえて、百人組出陣の儀が奉納されるようになったという。、、、、今は『ギャンブル神社』として知名度が高い。 私も何回かお参りしたが、宝くじはハズレ! 運が無いのか、食あたりにも当たらない! 

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●拝殿はアパートの2階? ・・・・・・皆中稲荷神社の次は、新大久保駅前をとおり大久保2丁目の裏道を歩く。 住宅街の中に、「これが夫婦木神社か?」と、信じられない、疑いたい、泣きたくなるが笑ってしまう神社があった。 パワースポット、夫婦木神社(めおとぎじんじゃ)、、、、祭神は、男神:伊邪那岐大神と女神:伊邪那美大神。 二神は夫婦でもあり、天照大神や素戔男尊など多くの子を作った夫婦神である。 創建の詳しい年代や経緯などは不明ですが、室町時代の後期、江戸城築城の際に太田道灌によって創建されたと伝えられている。 その後江戸時代には紀州藩の屋敷内に遷座した。 昭和40年(1965)には淡路島の伊弉諾神宮より分霊を勧請し、現在の夫婦木神社となりました。 住宅の二階にあるという珍しい神社である。 この住宅には、元々は皆中稲荷神社の神職の方が住んでいたそうだ。 神職の方が引越しした後、その場所に分霊を勧請した。 縁結びや夫婦円満、子授けや安産などに大きな御利益があるとされ、メディアでも度々取り上げている神社らしい。、、、、一度参拝すれば、メディアが取り上げる気持ちも、理解できるね。
・・・・・・・・・・・・・・静かな住宅街の奥に鎮座する夫婦木神社。 社務所は通りに面し開いている。 御朱印・お守りはコチラ!

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・・・・・・・・・・・・・・木製、朱塗りの鳥居は、お稲荷さんと間違えるかも。

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・・・・・・・・・・・・・・・拝殿はアパート(?)の2階。 階段途中の踊り場に置かれた青いポリバケツは手洗鉢。 水は飲まないでください!

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・・・・・・・・・・・・・・・朱塗りの階段を、2階に上り詰めたら、ハイここまでヨ! ドア1枚分の大きさの開口部があり、目の前に賽銭箱がある。、、、、ここは以前、神職の住んでいたアパートか(?) なんだか、不思議な自信が湧いてきた!

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・・・・・・・・・・・・・・4畳半程の部屋に神棚があった。 ここは神社なので、“二拝二拍一拝”する。、、、、神社の案内によると、神前結婚も可能なそうだ。 ぜひ多くのカップルが挙式をあげるといいですね。 幸せになれそうな神社です。

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●アニメの狐? ・・・・・夫婦木神社から戸山公園を抜け、山手線の内から外に出て、高田馬場4丁目の住宅地の奥へと歩く。 江戸幕府開府以来当地に鎮座する鉄砲稲荷神社がある。 由緒不明。 “鉄砲”とは危なっかしい名前の神社だが、ひょっとすると徳川鉄砲百人隊ゆかりの神社かな? アニメ調の狐は平成の時代の作品らしい。

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●タカダノババ、タカタノババ? ・・・・・・高田馬場駅は明治43年(1910)9月15日に国有鉄道山手線の駅として開業した。 昭和2年(1927)には、西武鉄道の駅も開業。 昭和39年(1964)には地下鉄東西線の駅も開業する。

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2019年5月15日 (水)

あなたのやさしさが 恐かった

朝一の8時半に、中野の病院で眼科検診。 本日最初の患者です。 右目の炎症は完治し、『次回は一年後の来年5月に検査しましょう』と、嬉しいお言葉を頂戴して病院を出る。 心晴ればれ、天気も上々、帰りは中央線大久保駅まで歩いてきた。 1万1千歩。




●6年後に完成? ・・・・・朝8時、青空の中野駅前。 これから電車に乗る人、電車から降りてきた人、互いに入り交じり駅前は人の渦。、、、、駅前の混雑解消、利便性向上を狙い、駅西側(区役所、サンプラザ前)で南北連絡通路新設、中野駅西口改札新設、5階建ての駅ビル建設などの工事が始まっている。 完成は令和7年.(2026)らしい。 この間の、令和4年頃、中野区役所(写真:中央)が現在地の北側に新築移転し、令和5年頃に中野サンプラザ(写真:右端)は解体されるそうだ。

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●東中野方面に向かいスタコラサ! ・・・・・・・診察を終え、早稲田通りを東へ歩く。 中野駅前付近では、飲み屋街の細い裏通り、新井薬師への参道など、歩いてみたい道もあるが、今日は無視。 しばらく早稲田通りを歩き、途中から住宅街の裏道を歩くと、打越天神北野神社にでた。

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・・・・・・・・・・・・・・打越天神北野神社は、中野区中野5丁目にある北野神社。 神社の創建年代は不詳。 「打越」とは、昭和初期までのこの辺りの一帯で呼ばれていた地名。 また、現在の中野5丁目の東側は昭和41年(1966)まで、この神社を由来として天神町と呼ばれていたそうだ。、、、、境内は盆踊りできる広さがあるが、樹木は少なく、社殿・神輿庫の他はなにもない境内で、チョイト味気ない!

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・・・・・・・・・・・・・・東中野3丁目で明大付属中野中・高等学校前に出た。 学校前の中央線に架かる跨線橋から、嬉しそうに電車を眺める。、、、、私も70歳を過ぎ、電車・線路を見ると撮りたくなる、鉄オタの変な親爺になってしまった!

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●都会の美しい煙突! ・・・・・・・・・・東中野駅前を通る山手通り、その地下には首都高中央環状線の山手トンネルが走っている。 山手トンネルは渋谷・新宿・池袋を結ぶ11kmの路線であり、周辺環境への配慮からトンネル構造が採用された。 そのため、沿線に7箇所の地下換気所と高さ45mの換気塔を14本が、山手通りの中央分離帯に建設された。 東中野2丁目では、その内の2本の換気塔を見ることができる。 塔は、「圧迫感の低減」「周辺景観との調和」「時の移り変わりに配慮」されたデザインが採用された。 一辺が3mの六角形平面で出隅部に面違いを設け、さらに外壁面には斜めリブを設け、光と影の変化を与えた、高さ45mの塔である。 この塔は、2008年度グッドデザイン賞を受賞。、、、、都会にあって、その景観と調和したデザインで、私も大いに気に入っている塔である。

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●中野の鎮守さま
・・・・・東中野1丁目に中野氷川神社がある。 当社は、長元3年(1030)源頼信が平忠常討伐の際に武蔵国一宮・大宮氷川神社より勧請し祠を建立したことに始まる。 文明9年(1477)には、太田道灌が豊島泰経・泰明兄弟討伐の際に当社で戦勝祈願し、凱旋後社殿を造営した。 旧中野村の総鎮守社である。、、、、現社殿は、鉄筋コンクリート造/権現造りで、50年前の昭和44年(1969)に総工費5000万円で竣工した。、、、、境内には歴史を語る、安政6年(1859)の敷石供養塔をはじめ、力石、鍋屋勘右衛門寄進の石鳥居などが、木立のなかに点在している。

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●やさしさが恐かった ・・・・・・・・・・・・・中野氷川神社の前から、大久保通りを東に進むと神田川にかかる「末広橋」がある。 橋の際にある遊歩道横の公園の植え込みの中に、1970年代の名曲:かぐや姫の「神田川」(作詞:喜多條忠、作曲:南こうせつ)の歌詞碑がある。、、、、「昭和」の匂い漂う唄。 唄われた「二人で行った横丁の風呂屋」は、この末広橋からもう少し下流の西早稲田3丁目にあったそうだ。 「三畳一間の小さな下宿」は何処だ!、、、、「若かったあの頃 何も恐くなかった ただあなたのやさしさが 恐かった」、いい文句だ! 私も、女房に一度言ってみたいね!

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●韓国の大久保駅 ・・・・・・・・・・・・明治28年(1895)5月5日、甲武鉄道の駅として開業。 島式ホーム1面2線の高架駅で、出入口は南口と北口の2カ所ある。、、、、大久保は日本の中の韓国で、駅周辺には韓国料理店が多い。 タイ料理屋、アジア系料理店も多いね! あっ、ラーメン屋も多いね!

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2018年10月 2日 (火)

静かに潜行するdeepな町

新宿区の一画に、周囲の町よりすり鉢状に低くなっている町がある。 町の中は坂が多く、裏道の所々には階段もある。 道は複雑に入り組み、小規模なアパート・マンションが雑然と建ち、行きかう人も少ない。 新宿にあって飲食店は少なく、アジア系外人・学生の住まいが多そうだ。  なにか大きな変化が町に起きそうな妖気が漂い、もっか静かに潜行している“deepな町”:新宿7丁目である。、、、、、この町を探訪してきた。 9千歩。
 
 
 
●新宿区新宿7丁目て、何処?・・・・・・・・・・新宿1丁目・2丁目・3丁目は新宿御苑の北側で、JR新宿駅の東側に広がり、伊勢丹・マルイのある繁華街を含んだ、いわゆる『内藤新宿』と呼ばれた処である。 一般に『新宿』と称してイメージする地区である。 新宿4丁目は「バスタ新宿」の東側に位置し、新宿高校の手前までの小さな一画の町。 新宿5丁目・6丁目は1丁目・2丁目のの北側(大久保側)で、靖国通りと抜弁天通りに挟まれたエリア。、、、、、さて「新宿7丁目」は、6丁目のさらに北側に位置し、南側の抜弁天通りと北側の大久保通りに挟まれ、西側は明治通りに面し、東側は若松町に隣接した、ほぼ長方形の町である。 以前は「東大久保2丁目」と呼ばれた町である。
 
・・・・・・・・・・・・・新宿7丁目(写真:左側)の南側を通る抜弁天通り、右側は新宿6丁目
 
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・・・・・・・・・・・・・西側には明治通り(中央)が通る。 右側が新宿7丁目、左側は大久保1丁目。
 
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・・・・・・・・・・・・・北側には大久保通り(手前)がとおり、向かいには都営戸山ハイツ(戸山2丁目)が建ち並ぶ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東側は写真:右側に新宿7丁目、左側は若松町が隣接する。
 
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●幻の新宿7丁目駅・・・・・・・・・・新宿7丁目と6丁目の境である抜弁天通りの地下に、都営大江戸線の東新宿駅がある。 駅は東京メトロ副都心線の東新宿駅と接続している。 平成12年(2000)12月12日、大江戸線全通時に開業。 開業前の駅名は仮称「新宿7丁目」であったが、開業時に「東新宿」となった。、、、、、都営のホームは地下18.3mの深さにあり、島式1面2線である。
 
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●名のある坂・・・・・・・・・新宿7丁目の、名のある坂を3か所紹介する。
 
・・・・・・・・・・・・・その1、、、、、抜弁天交差点の永福寺門前から下る「久左衛門坂(きゅうざえもんざか)」。 案内には、「徳川家康の江戸入府以前から大久保に居住していた島田家の草創久左衛門が新しく開いた坂道であったため、こう呼ばれるようになったという。」、、、、坂の両側は新宿7丁目のメインストリートのようで、揃いの街路灯が並び「新宿7丁目 商和会」と表示されている。 両側の店と言っても、薬局、スーパー、コンビニなどはなく、アジア系の飲食店が数軒、“商店街”とは言えない! 
 
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・・・・・・・・・・・・・その2、、、、、久左衛門坂の北側にある「梯子坂(はしござか)」。 この坂は、「久左衛門坂北方の裏通に在り、東へ登り十間許り、坂道急にして 恰も梯子を登るが如し、故に名付く」そうだ。 45段の階段で、上り口には銭湯:東宝湯がある。、、、、、冬の宵、丹前を身につけた若い夫婦が、肩を寄せ合い、銭湯から帰る後ろ姿が絵になりそうな坂だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・その3、、、、、新宿7丁目の北側で大久保通りに平行する「椎木坂(しいのきざか)」。 坂は大久保通りから下がって、大久保通りの下を水平に進み、大久保通りに向かって上がって行く。 どうやら、大久保通りの旧道だったらしい。 坂の案内では、「昔、戸山学校(現在の戸山ハイツ)の構内に椎の大木があり、この坂道を覆っていたため、こうよばれるようになったという。また、古くはこのあたりが砂利取場であったところから、砂利坂 とも呼ばれた。」とある。、、、、、道沿いの小さなマンションから出てくるのは、アジア系の外人さんが多いようだ。
 
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●次は、名も謂れも無い裏道・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・明治通りに平行する裏通りで、抜弁天通りから入り大久保通りまで、途中の横道がない、一本道。、、、、どちらが入口か?出口か? 判らんけれど、先へ進むだけ! 最後は木造住宅の間を鍵の手に曲がり、終わる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・椎木坂から分岐し、階段を下る。 その先は、階段で車は通れぬ裏道がある。 もちろん、無名の坂もあちらこちらに。
 
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●古刹2寺・・・・・・・・・・・両寺とも歴史ある寺のようだ。
 
・・・・・・・・・・・・・その1、、、、、、、慶安元年(1648)の創建と言われている、曹洞宗の永福寺。 山号は大久保山。 境内には山手七福神の福禄寿を祀る祠がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・その2、、、、、、、寛政年間(1789~1801)に東大久保縄手に創建され、鬼王稲荷神社(歌舞伎町2)付近への移転し、文政年間(1818~1830)に現在地に移転した、曹洞宗寺院の観音庵。 山号は昇龍山。 観音庵は徳川関東三筆の尼寺の筆頭として創建された。 天下太平を祈願した徳川家が、江戸の仏師に刻ませた如意輪観世音菩薩を勧請し、ご本尊としたため、徳川御本丸・西本丸・尾張徳川・大奥等の帰依殊のほか篤い、手厚い庇護を受けた。 しかし、明治維新により徳川家との縁は切れ、さらに昭和20年の空襲により本堂・庫裏・伽藍すべてを焼失した。、、、、、戦後、本堂が再建されたのは平成2年(1990)のことである。
 
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●昭和の裏道が、あっちゃ・こっちゃに残る町・・・・・・・・・・写真を見てね!
 
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●工事が大変だったでしょう・・・・・・・・町の周囲は、幹線道路で大きなマンション、オフィスビルが並んでいる。 しかし町の中央部は、ゴチャゴチャした裏道が交差する町。 そこには、小さなマンション、アパート、住宅が、無節操に建っている。 新宿7丁目はこう云う町だ。 しかしなぜか、こんな町の中に大きなマンション:「戸山マンション」がある。 建物は8階建て、総戸数110戸、建築時期は昭和45年(1970)、施工は飛島建設。 なんと今から40年以上前のことだ!、、、、、当時は今以上にゴチャゴチャした町で、資材搬入・安全管理・近隣対策など工事に苦労したと思うね! 
 
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●何か起きそうだ・・・・・・・・・そんなこんなの新宿7丁目、いつまでも現状のまま時が過ぎるとは思えない。  そろそろ、『再開発』、『町並み保存』、『道路拡張』などなど、いろいろ出てきそうだ!、、、、、しかし、私の生ある間には解決しそうもないね? 

2018年2月21日 (水)

哲学堂

昨日は、サーバーがパンク状態となり「雅万歩」のブログ・写真を整理し、当分は安定して利用できる容量が確保できた。 一安心。、、、整理中に、「野方の給水塔」の写真が目にとまり久しぶりに行ってみることにした。、、、大江戸線落合南長崎駅から、江古田の給水塔を見て、哲学堂公園に立ち寄り、西武新宿線新井薬師前駅まで、1万歩の散歩です。

 
 
 
①落合南長崎駅・・・・・・・・・「新目白通り」の地下に造られた島式ホーム1面2線の地下駅。 駅名のごとく、新宿区西落合と豊島区南長崎にある。 駅は平成9年12月19日、都営12号線(現:大江戸線)の駅として開業。 、、、、、建設時の仮駅名は「南長崎」(豊島区の地名)だったが、新宿区住民の要望で地名:落合(新宿区)を足して、「落合南長崎」として両区の手打ちとなったそうだ。
 
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②自性院・・・・・・・・・・・新青梅街道を落合南長崎駅から150m程西へ行くと、門柱の上に招き猫がいる真言宗豊山派の自性院。 弘法大師空海が日光山に参詣の途中で観音を供養したのが自性院の草創といわれている。、、、、、江古田ヶ原の戦(1469~1486)で、道に迷った大田道灌を寺に案内して危機を救い、戦いに大勝利をもたらした猫を供養して建てられたという「道灌招ぎ猫」と、その後江戸中期にすし職人が、ある貞女の誉れを後世に伝えたいと奉納した「猫面地蔵尊」の2体が境内の猫地蔵堂に祀られている。 節分の日だけに開帳されるそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・猫地蔵堂の内部をチョイト拝見。 秘仏は赤漆で塗られた厨子の中か? 周りにはネコ・グッズがいっぱい。 
 
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③野方給水塔・・・・・・・・・・東京23区北西部への配水を目的として、現在の江古田1丁目に、昭和3年(1928)に建設された。高さ34mの鉄筋コンクリート造構造物で、東側に階段室、頂部に換気塔を付け、水槽周壁上部にはアーチ形窓を配する。壁体内の漏水防止用鋼板に初期の溶接技術を用い、ドーム付円筒形水道塔としても最初期の事例である。、、、、国の登録有形文化財。
 
・・・・・・・・・・・・・昭和47年(1972)に給水所としては廃止され、給水塔周囲の跡地は中野区立「みずのとう公園」と「みずのとう幼稚園」になった。、、、、給水塔の正面に幼稚園があり、正面からの全景は撮影できない。
 
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・・・・・・・・・・・・・幼稚園越しに正面上部をパチリ! 空襲時の弾丸の傷跡が残されているのだが、全体的に劣化し、どれが弾丸の傷跡か?
 
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・・・・・・・・・・・・・公園から、給水塔の後ろ姿をパチリ! 公園の地下に災害対策用の給水槽が設置され、常に新鮮な飲料水100m3が用意されている。 
 
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星光山蓮華寺・・・・・・・・・・野方給水塔の西側に日蓮宗の蓮華寺がある。 創建年代不詳であるが、室町時代(南北朝時代)に橘樹郡星川村(横浜市保土ヶ谷区星川)に開山したと伝えられ、その後、江戸時代に現在地へ移転した。、、、、、中野区には日蓮宗の蓮華寺が二寺ある。 一つは、ここ中野区江古田の星光山蓮華寺。 もう一つ、中野区大和町の泉光山蓮華寺 。 ご丁寧に、山号まで似ている、“星”と“泉”の違いだけ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内には東洋大学学祖であり、哲学堂を創った井上円了の墓所がある。、、、、判じ物みたいな墓石で、「井上」の“井”の字の上に“円”形の石を置いて、“井の上円りょう”と言っているようだ。 駄ジャレか? 凡人には判らぬ哲学か?
 
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・・・・・・・・・・・・・・墓地の中に、将棋棋士で日本将棋連盟会長を務めた、永世棋聖(九段):米永邦雄(1943~2012)の墓所もあった。、、、、まだ新しい石で作られた駒の形の墓誌が、輝いている。
 
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⑤哲学堂公園・・・・・・・・・・井上円了の墓に手を合わせ、このまま立ち去るわけにはいかず、蓮華寺とは新青梅街道を挟み、向かい側にある哲学堂公園に寄ってきた。、、、、、哲学堂公園は、明治37年(1904)に哲学者で東洋大学の創立者:故井上円了によって精神修養の場として創設された、哲学世界を視覚的に表現し、哲学や社会教育の場として私財を投じて整備された全国に例を見ない個性的な公園。 昭和50年(1975)に中野区立公園となり、古建築物の修復、整備を重ね、また花の名所としても親しまれる公園となった。、、、、、庭内に「七十七場」という、「真理の追究」のポイントを設け哲学体験できる庭園となっているそうだ。 哲学の“て”の字も知らぬ私には何のことだかサッパリ判らん。 正直に言わせてもらうと、アッチ・コッチ・ドッチ・ソッチに立てられた名称・解説の立札が、庭園の景観を壊し邪魔に感じた。 
 
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⑥妙正寺川調節池・・・・・・・・・・哲学堂公園の南を流れる妙正寺川は、杉並区の妙正寺池を水源に持ち、途中で江古田川を合わせ、新宿区内で神田川(高田馬場分水路)に注ぐ、延長9.7kmを有する一級河川である。 この川は、市街化の進展に伴い、流域の保水能力が低下し水害の危険性が高まり、こうした状況に対応するため、都は1時間あたり50ミリ規模の降雨に対応する護岸や地下調節池などを整備している。 その調節池が哲学堂公園前に2か所ある。 新宿区側に位置する「妙正寺川第一調節池」と、中野区側に位置する「妙正寺川第二調節池」である。 両調節池は区境にて別けられたと思われる調節池で、第一と第二の調節池は接して造られている。、、、、、調節池とは、河川の水が増水したときに、水を調節池に流入させ一時的に貯留する施設。 
 
・・・・・・・・・・・・・第一、第二とも、妙正寺川から増水した水を呑込む口が開いている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・第一調節池はUR賃貸住宅の地下にも貯水するように造られていた。 地下は駐車場のように造られているが、もちろん車など一切の物が置かれていない。
 
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・・・・・・・・・・・・・第二調節池は、公園下に地下23mまで掘り下げた貯水池が造られて、100,000m3の貯水能力があるそうだ。
 
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⑦新井薬師前駅・・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)に開業した駅で、その名の通り新井薬師の最寄り駅である。 現在は相対式ホーム2面2線であるが、中井~野方間の連続立体交差事業により、平成32年(2020)度の完成を目指し、島式ホーム1面2線の地下駅となる予定である。
 
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2018年2月 7日 (水)

後楽園~市ヶ谷

本日は内科の診察日、後楽園のクリニックへ行った帰り、チョイト神楽坂・市ヶ谷方面に散歩してきた。
 
 
 
①飯田橋交差点・・・・・・・・・・町名の「飯田橋」(旧町名:飯田町)は神田川の南側に広がり千代田区に属す、中央線の飯田橋駅の大部分も千代田区に属す、飯田橋交差点は駅の北側で新宿区の最東端:下宮比町の中にある。、、、、「飯田橋」の町名は、開府前(天正18年(1590))に徳川家康が巡視のとき、案内役としてこの村の飯田喜兵衛が買って出て、江戸の事情を詳らかに説明したので、家康は大いに喜んで喜兵衛を第一号の名主と認め、「飯田町」を名乗るように命じたそうだ。 明治14年(1881)に外濠を跨ぐ橋が架けられ、飯田町に接する橋であることから「飯田橋」と命名された。  その後、飯田町の地名は薄れ、飯田橋に変わった。、、、神田川を覆うように頭上を首都高が走る。 広すぎて、真下に神田川が流れていることが気付きにくい交差点である。、、、、私の退職直前のオフィスはこの近くで約10年通った交差点だ。
 
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②ギンレイホール・・・・・・・・飯田橋駅の西、ちょうど神楽坂の入口付近に「ギンレイホール」がある。 昭和49年(1974)に名画座としてオープンし、現在も多くの映画ファンささえられ健闘している。、、、、神楽坂下に「佳作座」という映画館もあったが、こちらは昭和63年(1988)に閉館した。 今は懐かしく思い出す映画館である。
 
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③近代科学資料館・・・・・・・・・・神楽坂通りを横切って、東京理科大学の校舎群が並ぶ中を抜けると、坂の途中に近代科学資料館(新宿区若宮町)がある。 東京理科大学の創立110年を記念して、平成3年(1991)に坂の途中に復元された校舎である。、、、、、建物の外観は、明治39年(1906)に神楽坂に建設された東京物理学校(東京理大の前身)の木造2階建校舎を復元したもの。 二村冨久(二村化学工業創業者、昭和16年(1941)東京物理学校理化学部卒業)が建設費を寄贈し、建てられた校舎。、、、、、内部には、そろばん、計算尺、機械式計算機、電子計算機、蓄音機、パソコンなど、近代科学の発展を支えてきた、計算の道具類がズラリと並んでいた。、、、、私が、小学校で習ったソロバン、大学生の頃利用したヘンミの計算尺、タイガー計算機、バイトで初めて見たFACOMの電子計算機、社会人になって利用したPC98、マッキントッシュのパソコン、見るもの全て懐かしい。 
 
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④若宮八幡神社・・・・・・・・・・・近代科学資料館前の坂を上がり西に進むと若宮八幡神社(新宿区若宮町)がある。 神社は、源頼朝が文治5年(1189)奥州藤原征伐の際に当地で宿願、奥州平定後に鎌倉の若宮八幡宮を移して仁徳天皇を勧請して創祀した。 文明年間(1469~1487)には太田道灌が江戸城鎮護のため、当社を江戸城に相対させた形で再興させた。 旧社殿は戦災で全て焼失し、今は小さな神社である。
 
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⑤東京日仏学院・・・・・・・・・・市谷船河原町の逢坂(おうさか)の中程にある東京日仏学院はフランス語学校を中心に、図書室、映画館、ショップ、レストランを備えた、フランス政府の文化発信拠点。、、、、、建物は昭和26年(1951)に坂倉準三(1904~1969)の設計で竣工した。 坂倉準三はル・コルビュジエに師事し、モダニズム建築を実践した建築家である。
 
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⑥M邸・・・・・・・・・牛込のモダンなマンションが建ち並ぶ一画に、かなり、へんな形の建物がある。 アド街ック天国、アッコでおまかせなどで活躍する芸能人の豪邸。
 
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⑦裏千家東京道場・・・・・・・・・裏千家の関東の拠点として新宿区市谷加賀町のある道場。、、、、、お茶を嗜む人の建さんの場らしい。
 
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⑧N邸・・・・・・・・・・市谷甲良町に建つ、大正8年(1919)の洋風建築。 元は耳鼻咽喉科の医院、現在は閉院し住宅となっている。 手入れが良いので、古さを感じさせない、かわいらしく、チョイとメルヘンチックな建物。
 
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⑨北山伏町の洋館(A邸)・・・・・・・・市谷甲良町の北側、大久保通りからチョイト入った処に洋館がある。 大谷石を積んだ門柱の中に、洋館と日本家屋がチラッと見える。、、、、洋館は窓の建具などから戦前の建物と判断されるが詳細は不明。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これより、市ヶ谷駅に出て帰宅。 チョイト疲れた!

2017年10月 8日 (日)

千駄ヶ谷~渋谷

夫婦で散歩です。 今日は妻のリクエストに応える処を案内し、千駄ヶ谷から渋谷までの散歩です。
 
 
 
千駄ヶ谷駅 ・・・・・・・・・JR東日本では、東京オリンピック・パラリンピック開催時に多くの利用客が見込まれる、千駄ヶ谷、信濃町、原宿の各駅を、只今改良工事中。 千駄ヶ谷駅では、使用していない首都高側の臨時ホームを新宿方面の専用ホームに改良し、上下線のホームを別にする、改札口は新宿寄りに移設する。 さらに、改札口やコンコースを拡張して混雑緩和を図るほか、ホームドアを設置する。、、、、臨時ホームは撤去され、首都高と線路の間に空間ができている。 今後、ここに新たにホームが造られる予定。、、、、、JRは3駅の改良工事に約250億円掛けるそうだ、オリンピックは金が掛かるね!
 
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②東京体育館・・・・・・・・・・1953年(昭和28年)2月、東京都は渋谷区千駄ヶ谷にあった旧・葵会館の跡地に新しく都立体育館を建設すると発表。  昭和29年(1954)に総工費3億5千万円(当時の価格)にて旧東京体育館が完成した。 完成後は、アジア競技大会、東京オリンピックの会場としても使用された。 しかし、昭和61年(1986)に老朽化のため一時閉鎖し、平成2年(1990)に槇文彦の設計で現在の体育館がリニューアルオープンした。 収容人数は 10,000席(固定:6,000席、仮設:4,000席)である。、、、、2020年のオリンピックでも使用するそうだ。 既存施設の利用、大いに結構、コケコッコー。
 
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③新国立競技場・・・・・・・・・・・・只今、大成建設が頑張って一生懸命工事中。 スタンド部分の鉄骨が組みあがってきた。、、、、凄い数のクレーンが林立し、まさに“地図に残る仕事”。
 
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鳩森八幡神社/将棋会館・・・・・・・・・・今年の将棋ブームを反映し、将棋は指せず、積み将棋しかできない我が妻も、藤井四段は知っている。、、、、『ナントかの森神社と、近くの将棋会館を見に行こう!』と、リクエストを頂戴し、一名様ご案内!、、、、まずは、鳩森八幡神社へ。 そして、隣りの将棋会館へ。
 
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⑤瑞円寺・・・・・・・・・・・・・将棋会館から南東に100m程離れている、曹洞宗の瑞円寺は、高雲山金剛院と号す。 瑞円寺の創建年代は不詳であるが、徳川秀忠(1632年逝去)より寺領8石1斗の御朱印状を拝領したと言われている。、、、、瑞円寺は千駄ヶ谷の総鎮守:鳩森八幡神社の別当寺。、、、、、広い、よく整備された境内は、見事な梅林(時季はずれで緑の葉だけ)や、椿、つつじ、萩なども植えられている。、、、、、境内には享保5年(1720)の銘のある庚申塔が残されている。
 
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⑥神宮前の町・・・・・・・・・・・瑞円寺から、神宮前3丁目・4丁目の若者の町をぶらつく。 原宿の竹下通りから広がり・続く町で、10代~30代くらいの若者を対象に商売する町である。、、、、我が夫婦のごとく、60歳を超えた人は、お呼びでない! 『チョイと疲れたので一休みしよう!』と思ったが、甘味処は無い。 50年前の名曲喫茶、純喫茶も無い。 あるのは、ハンバーガー、クレープ、アイスクリームの店とオープンカフェ。 しかも、どこも騒々しい姉ちゃんと、ダメージパンツの兄ちゃんで満員。 さらに、チャイニーズ、コーリアの若者も交じり、コリャ・ダメだ!、、、、表参道も超満員。、、、、とうとうボヤキが出た、『こんなことなら二人で柴又の帝釈天か、巣鴨のお地蔵様へ行った方が落ち着けたね!』
 
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⑦渋谷到着・・・・・・・・・・・・とうとう一休みもせずに渋谷駅到着。 ここも、大規模再開発の真最中。、、、、、今日の散歩は、我が夫婦も『都会に住む 田舎者』となったことを感じ、老いたことを感じ、チョイと疲れ体力の衰えを感じた。
 
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2017年7月18日 (火)

新宿御苑前~若松河田

「江戸六地蔵」の一番、二番を見たら次は三番。 三番は新宿の太宗寺。 今日の散歩は、丸ノ内線新宿御苑前駅から大江戸線若松河田駅まで、1万歩。
 
 
 
①新宿御苑前駅・・・・・・・・・・・都会のデートスポット「新宿御苑」の最寄り駅。 昭和34年(1959)3月15日丸ノ内線霞ヶ関~新宿間延伸時に開業した。 ホームは相対式2面2線だが、完全な向かい合わせにはなっておらず、1番線(荻窪方面行)ホームは2番線(池袋方面行)ホームよりも新宿方に車両1両分ほどずれている。
 
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②太宗寺・・・・・・・・新宿御苑前駅の近く(新宿2)に、浄土宗の太宗寺(たいそうじ)がある。 慶長年間、甲州街道の道筋に「太宗」と称する僧の庵として造られた太宗庵を開創とし、徳川譜代内藤家6代の重頼が5代正勝を葬り、現在の倍ほどの寺領を寄進し霞関山本覚院太宗寺とし菩提寺に定めた。 山号は四谷大木戸を霞ヶ関といったという故事により、院号は正勝の法号、寺号は開山による。
 
・・・・・・・・・・・・・昭和20年(1945)の東京大空襲で被災し、現本堂は昭和37年(1962)に鉄筋コンクリート造で再建された。 設計は清水建築設計事務所(清水哲夫)、施工は清水建設。 HPシェルの屋根が特徴的な建物である。、、、、、、ラッパ型のシェルを組み合わせてようなモダンなデザインだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・今日の散歩の狙いである、江戸の出入口6箇所に地蔵菩薩像を祀った、江戸六地蔵の三番目が、甲州街道の入り口にあたるここ太宗寺に祀られている。、、、、太宗寺の地蔵は正徳2年(1712)に造立され、六地蔵の中では最も小さい、2.67mである。、、、、、サッパリした顔立ちで、イケメンだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・境内の閻魔堂には、高さ5.5mの閻魔大王(1814年頃製作)と、閻魔に仕え、三途の川を渡る亡者から衣服をはぎ取り、罪の軽重を計った奪衣婆(だつえば)の像(1870年製作、高さ2.4m)が安置されている。 閻魔堂はお盆の7月15日・16日に御開扉される。、、、、、、、、2体の像とも、恐ろしいくらい迫力あるね!
 
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・・・・・・・・・・・・・閻魔堂と向かい合わせに、境内には不動堂がある。 不動堂には三日月不動尊像が安置されているが、残念、見ることができない。、、、、、、不動堂の左隣には、塩かけ地蔵の小祠もある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・墓地には、内藤正勝の墓がある。 江戸時代に信州高遠の藩主をつとめた譜代大名内藤家の墓所。 墓塔は3基とも法篋院塔で、中央が5代内藤正勝(寛永6年造立)、右側が13代内藤頼直、左側が内藤家累代の墓塔(ともに明治時代の造立)である。
 
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③西向天神社・・・・・・・・・・・・新宿6丁目、抜け弁天通り南側、椎、楠、銀杏などの樹木が多く森をなしている高台に、西向天神社(にしむきてんじんじゃ)がある。 当社は、古来より東大久保村の鎮守社であった。 菅原道真を祀った京都の北野天満宮を勧請したものである。、、、、、菅原道真を祀る西を向いた天神さまが鎮座している。 天神は南に向けて建てるのが普通で、西向きに建てるのは非常に珍しい。 これは、道真が死んだ大宰府の方を見ているのだという。 、、、、、明治5年11月に村社となり、社地は1516坪であった。境内には現在でも石造物などの文化財が多く、境内の西隅には富士塚もある。 神社の別当寺は隣接する大聖院である。
 
・・・・・・・・・・・・・・社殿正面から見下ろす新宿
 
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・・・・・・・・・・・・・西を向く社殿。、、、、、天神さまは、どうやら、歌舞伎町の方に興味があるのでは?
 
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・・・・・・・・・・・・・・地続きで、隣には別当寺であった、天台寺門宗の古い小寺:梅松山大聖院がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・私がチョイと気になった、「新宿の女」の石碑がある。、、、、、宇多田ヒカルの母であり、平成25年(2013)に自殺した藤圭子が歌う「新宿の女」は、東京・新宿の盛り場を舞台とした、ご当地ソングのひとつ。、、、、、、「新宿の女」を作詞作曲した石坂まさをの作詞作曲家生活30周年を記念して平成11年(1999)に建てられた。 歌碑のある西向天神社は、デビュー時に「新宿の女」発売キャンペーンの出陣式(昭和44年9月25日)を行った場所とされる。 出陣式の神主代行を噺家の林家三平(先代)が務めた。 発売キャンペーンは、飲屋街を25時間ぶっ続けで流して回るという「新宿25時間キャンペーン」もので、藤圭子と石坂まさをの二人で行った。 また、当神社は石坂まさをの当時の住居から近かったことで選ばれた理由のようです。、、、、ちなみに、「圭子の夢は夜ひらく」の歌碑は新宿花園神社に建てられている。
 
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④抜弁天交差点に向かう・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・新宿6丁目の裏道に入ったら、グルリ回って元の場所に出た。、、、、、地図を見ずに、自分の好みで歩くと失敗だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・出てきた先に「法善寺」!、、、、、ここは新宿6丁目、大阪千日前とは違うが、ひょっとすると水掛不動があるかも? 「こいさん」が願掛けしているかも?、、、、、期待を膨らませ境内へ、普通の寺だった。 手を合わせ、先を急ぐ!
 
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・・・・・・・・・・・・・抜弁天交差点角には、真宗大谷派寺院の専福寺がある。寛永8年(1631)、市ヶ谷に創建し、正保2年(1645)現在地(新宿6)へ移転した。 本堂は戦後(昭和34年)の建築でガンダーラ風。

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・・・・・・・・・・・・前の通りは「抜弁天通り」、交差点は「抜弁天交差点」、、、、『抜弁天とはキット大きな社の神社』と思われてる人は多いはず。 残念・無念・チンねんゴメン、、、、抜弁天は、その昔八幡太郎源義家がこの辺りに宿陣、夢に厳島神社の祭神である市杵島比売神が現れて、白羽の矢と軍扇を与えた。 勝利して帰国の途次、神に感謝して社を奉ったのが神社の起こりだとか。、、、、、それにしても、小さな社で、ガッカリ。 

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⑤若松河田駅・・・・・・・・・・平成12年(2000)12月12日に開業した、大江戸線の地下駅。 島式ホーム1面2線。 
 
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2017年6月17日 (土)

新宿副都心 散歩は休み

昨日は午前中に墨田区の病院で癌早期発見の為のCT検査の予約をさせられ、午後は上野の病院で腎臓のCT検査の結果を聞いてきた。、、、、なんだか変かな?、、、、、とりあえず異常なしだから良しとしよう!

今日は、午後から新宿で飲み会。 飲めない私も、ウーロン茶で飲み会。、、、、散会後、久しぶりに副都心をブラブラ。

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2017年5月 5日 (金)

浅草橋~東中野

浅草橋の我が家から、総武・中央線沿いに飯田橋まで行き、そこから地下鉄東西線の神楽坂、早稲田をとおり、馬場下交差点からは学習院女子大、百人町アパートを抜けて東中野駅までの散歩です。、、、、GWのすいた都心を歩いてきた。
 
 
 
●am7:50・・・・・・・・・・・・浅草橋駅西口をスタートする。、、、、秋葉原の隣だが、人影も少ない寂しい駅である。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・両国~浅草橋~秋葉原~お茶の水間は昭和7年の開業で、この間の高架部分、架道橋は当時のままである。 耐震工事のため高架下の建物は壊され、スッポンポンの状態で、チョイト悲しい姿をさらしている!
 
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●am8:00・・・・・・・・・・・・秋葉原駅昭和通り口を通過。
 
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●am8:20・・・・・・・・・・・・昌平橋交差点を通過。、、、、、、神田川 に架かる昌平橋は関東大震災のあった大正12年(1923)に、震災直前に完成した。 そのため、昭和 5年(1930)に修復工事が行われた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・交差点の頭上には総武線の松住町架道橋が架かる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・また昌平橋からは、神田川の川幅いっぱいに大股を広げた総武線神田川橋梁が見える。 お股の奥には丸ノ内線神田川橋梁聖橋(工事中)が見える。
 
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●am8:25・・・・・・・・・・・・昌平坂を上る。、、、、、、別名「相生坂」とも言う、湯島聖堂前の昌平坂を上り丸ノ内線お茶の水駅に出る。、、、、、急な坂ではないがダラダラ上る坂は、手術で肺活量が小さくなった私にはキツイ!ゼイゼイ・ハアハア、美人を見るとドキドキ・ビクビク。
 
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●am8:40・・・・・・・・・・・・引き続き、お茶の水坂を下る。、、、、、、お茶の水と水道橋の間で、神田川の北側(文京区、外堀通り)にある坂。、、、、、、今日の外堀通りは行きかう車も少なく、神田川沿いの緑を眺め歩くのは、気分爽快。
 
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・・・・・・・・・・・・・坂を下ると水道橋交差点に出る。 右に後楽園遊園地、左に水道橋駅
 
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●am9:00・・・・・・・・・・・・飯田橋交差点を通過。、、、、ここからは、地下鉄東西線のルート沿いに歩く。
 
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●am9:20・・・・・・・・・・・・神楽坂駅を通過。、、、、飯田橋からは、熊谷組本社牛込消防署を通り、裏道を歩いて坂上(新宿区矢来町)にでる。
 
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●am9:40・・・・・・・・・・・・早稲田町の龍善寺を通過。、、、、早稲田通りに面してたつズングリ・ムックリの寺院が、真宗大谷派の龍善寺。 寛永15年(1638)千駄ヶ谷に天台宗寺院として創建し、その後、寛文7年(1667)早稲田に移転した。、、、、なんだか、チベットの寺院を模したような建物で好きになれないね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・道路を挟み龍善寺の隣、小さな祠に落馬地蔵が祀られている。 寛永3年(1626)、三代将軍徳川家光が鷹狩をしに高田馬場へ向かう途中、ここで急に馬がいななき、立ち上がったため落馬した。 馬の名手だった家光が落馬するには、何かあったのだろうと、村人が調べると、近くを流れる川の橋の下から1体の地蔵菩薩の石像が現れた。 そのことを、家光に報告すると「尊いお地蔵様を粗末にしたからだ」と家光は「落馬地蔵」と名付けお堂を作ってお祀りするように命じた。、、、、家光が命じたわりには、粗末な祠に祀られているね。 隣の龍善寺に堂を寄進してもらうといいね。
 
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●am9:50・・・・・・・・・・・・早稲田駅を通過し、穴八幡宮鳥居前から東西線にサヨナラして、諏訪通りに入る。
 
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●am10:10・・・・・・・・・・・・穴八幡から諏訪通りに入ると、これまた嫌いなダラダラの上り坂。 早稲田大学、戸山公園の前をとおり、長い煉瓦塀が伸びる学習院女子大前に出る。 坂道は終わり諏訪神社前を抜けると、前方に山手線のガードが見えた。
 
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●am10:20・・・・・・・・・・・・諏訪通りの先で西武新宿線・埼京線・山手線の上下6線が走るガードをくぐり山手線の外に出る。、、、、これで、秋葉原から高田馬場まで山手線を横断したしたことになる。 御苦労!
 
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●am10:30・・・・・・・・・・・・百人町の都営アパートを内を突き抜ける。 ここを抜けると神田川に出て、川沿いに歩けば東中野駅。
 
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●am10:50・・・・・・・・・・・・東中野駅へ到着。 今日の散歩はここまでとする。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・今日のルートの総延長は9.6km程、歩数は1万6千歩。、、、ア~ア、疲れた!
 

2017年3月22日 (水)

椎名町~下落合

西武池袋線の池袋駅の隣「椎名町駅」から、西武新宿線の高田馬場駅の隣「下落合駅」まで、直線距離で1.3km程のところを2時間かけ歩いてきた。 1万歩。
 
 
 
①椎名町駅・・・・・・・・・・・・大正4年(1915)4月15日、武蔵野鉄道(西武鉄道の前身)の池袋~飯能間が開通。 9年後の大正13年(1924)6月11日に、椎名町駅は開業した。 現在の駅は、相対式ホーム2面2線を有し、駅舎は橋上である。、、、、、今は消えた「椎名町(しいなまち)」とは、北側の西武池袋線、南側の目白通りに挟まれた、現在の豊島区目白4丁目・南長崎1丁目~6丁目のほぼ全域が該当する、かなり広い町域の町であった。 池袋線の椎名町駅・東長崎駅、大江戸線の落合南長崎駅は、かつての椎名町の境界線沿いにある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅に貼ってあった「昭和40年頃の椎名町駅」
 
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②長崎神社・・・・・・・・・・・・・・駅の北側に長崎神社はある。 神社の創建年代は不詳だが、長崎村の鎮守として信仰を集め、江戸時代の中期には十羅刹女社(じゅうらせつにょしゃ)と呼ばれていた。 明治7年(1874)、神仏分離令により十羅刹女神に代わり須佐之男命を合祀し、氷川神社、そして長崎神社と改称し、現在に至る。、、、、、つまりは、女神に男神を娶らせ、夫婦で稼げと言うことか!、、、、、、精緻な彫刻物を有する本殿は嘉永2年(1849)に、拝殿は明治32年(1999)に建立された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・「椎名町」と聞くと、「帝銀事件」を思い出す人もいるのでは、、、、、私はまだ2歳で、新聞も読めなかった頃の事件。、、、、昭和23年(1948)1月26日4時頃に、椎名町駅前の「帝国銀行椎名町支店」で起こった強盗殺人事件。 東京都のマークの付いた腕章を腕に付けた中年の男が現れ、集団赤痢が発生したから予防薬を飲まなければならないと言って、全員に青酸カリを飲ませ、12人を毒殺、現金16万円余りと1万7千円程の小切手を強奪した。 犯人は逮捕されたが、最後まで犯行を否認し、最高裁で死刑が確定した。 その後、刑は執行されず昭和62年八王子医療刑務所で死去した。 95歳であった。、、、、、当時の銀行の支店は質屋を改造した木造平屋の建物だったそうだ。 その支店があった場所は、長崎神社の横で、現在はマンションが建っているが、事件を思い出させるものは一切残ってない。、、、、、過去の暗いイメージを消し去るのか、町名も、事件の跡も無くなった。 
 
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③道歯科医院・・・・・・・・・・・・椎名町仲通り、ツタの枝が外壁を覆う廃屋となった歯科医院。 昭和初期の建築か?
 
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●・・・・・・・・・・・西武池袋線の踏切を越え、山手通りを南に向かう。
 
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④佐伯祐三アトリエ記念館・・・・・・・・・・目白通りを越え、中落合2丁目に入ると、聖母病院北側の細い路地の奥に、画家佐伯祐三(1898~1928)のアトリエが整備・保存されている。 記念館は、佐伯が創作活動をしていた地に、住居の一部とアトリエ部分が残され、敷地全体が公園として整備されている。 アトリエは大正10年(1921)の建築で、洋風下見板張り、北側の大きな窓が特徴的である。、、、、、大正7年(1918)に東京美術学校(現:藝大)に入学し、大正10年(1921)にはアトリエ付きの自宅が完成する。 大正13年(1924)にはフランスに留学。 昭和3年(1928)8月、30歳の若さで死去。 その後、妻の佐伯米子が昭和47年(1972)没するまで、アトリエで創作活動を続けた。
 
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⑤聖母病院・・・・・・・・・・・・・・カトリック神田教会 上智大学1号館などを手がけたスイス人マックス・ヒンデルの設計で、昭和4年(1929)に建てられた病院。 鉄筋コンクリート3階建て、うす茶色のタイル張りの外壁と建物の屋上中央の二つの塔が特徴敵な建物で、玄関前のヒマラヤ杉とも調和している。、、、、、、病院は「マリアの宣教者フランシスコ修道会」が、キリスト教の愛の精神に基づき運営している。、、、、、病院の中を、勝手に歩くこともできず、内部の見学は入院してからにする!
 
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⑥聖母病院聖堂・・・・・・・・・聖母病院の裏側に、平成22年(2010)に竣工した聖堂。 竹中工務店の設計・施工、鉄筋コンクリート造の建物で、“2011年グッドデザイン賞”を受賞した作品である。、、、、、、片流れの屋根、屏風折れの外壁、縦長のスリット状のステンドグラス(既存のものを再利用)、梁・柱のない内部など、印象的な祈りの空間を演出している。、、、、、内部は飾り気の少ない、シンプルなデザインで、落ち着いた祈りの場を創っている。
 
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⑦薬王院・・・・・・・・・・・聖母病院の南、下落合4丁目に、奈良の長谷寺(ボタン寺)の末寺で、真言宗豊山派瑠璃山薬王院がある。 鎌倉時代の創建といわれる。、、、、、ここの寺も、総本山長谷寺のように、ボタンが有名で見物にくる人も多いようだ。 まだ、ボタンは蕾ができたばかりで、チョイト早すぎる。、、、、裏山の枝垂桜もチョイト早すぎた!
 
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●・・・・・・・・・・・西武新宿線下落合駅から帰宅。
 
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