新宿区

2017年5月 5日 (金)

浅草橋~東中野

浅草橋の我が家から、総武・中央線沿いに飯田橋まで行き、そこから地下鉄東西線の神楽坂、早稲田をとおり、馬場下交差点からは学習院女子大、百人町アパートを抜けて東中野駅までの散歩です。、、、、GWのすいた都心を歩いてきた。
 
 
 
●am7:50・・・・・・・・・・・・浅草橋駅西口をスタートする。、、、、秋葉原の隣だが、人影も少ない寂しい駅である。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・両国~浅草橋~秋葉原~お茶の水間は昭和7年の開業で、この間の高架部分、架道橋は当時のままである。 耐震工事のため高架下の建物は壊され、スッポンポンの状態で、チョイト悲しい姿をさらしている!
 
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●am8:00・・・・・・・・・・・・秋葉原駅昭和通り口を通過。
 
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●am8:20・・・・・・・・・・・・昌平橋交差点を通過。、、、、、、神田川 に架かる昌平橋は関東大震災のあった大正12年(1923)に、震災直前に完成した。 そのため、昭和 5年(1930)に修復工事が行われた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・交差点の頭上には総武線の松住町架道橋が架かる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・また昌平橋からは、神田川の川幅いっぱいに大股を広げた総武線神田川橋梁が見える。 お股の奥には丸ノ内線神田川橋梁聖橋(工事中)が見える。
 
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●am8:25・・・・・・・・・・・・昌平坂を上る。、、、、、、別名「相生坂」とも言う、湯島聖堂前の昌平坂を上り丸ノ内線お茶の水駅に出る。、、、、、急な坂ではないがダラダラ上る坂は、手術で肺活量が小さくなった私にはキツイ!ゼイゼイ・ハアハア、美人を見るとドキドキ・ビクビク。
 
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●am8:40・・・・・・・・・・・・引き続き、お茶の水坂を下る。、、、、、、お茶の水と水道橋の間で、神田川の北側(文京区、外堀通り)にある坂。、、、、、、今日の外堀通りは行きかう車も少なく、神田川沿いの緑を眺め歩くのは、気分爽快。
 
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・・・・・・・・・・・・・坂を下ると水道橋交差点に出る。 右に後楽園遊園地、左に水道橋駅
 
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●am9:00・・・・・・・・・・・・飯田橋交差点を通過。、、、、ここからは、地下鉄東西線のルート沿いに歩く。
 
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●am9:20・・・・・・・・・・・・神楽坂駅を通過。、、、、飯田橋からは、熊谷組本社牛込消防署を通り、裏道を歩いて坂上(新宿区矢来町)にでる。
 
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●am9:40・・・・・・・・・・・・早稲田町の龍善寺を通過。、、、、早稲田通りに面してたつズングリ・ムックリの寺院が、真宗大谷派の龍善寺。 寛永15年(1638)千駄ヶ谷に天台宗寺院として創建し、その後、寛文7年(1667)早稲田に移転した。、、、、なんだか、チベットの寺院を模したような建物で好きになれないね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・道路を挟み龍善寺の隣、小さな祠に落馬地蔵が祀られている。 寛永3年(1626)、三代将軍徳川家光が鷹狩をしに高田馬場へ向かう途中、ここで急に馬がいななき、立ち上がったため落馬した。 馬の名手だった家光が落馬するには、何かあったのだろうと、村人が調べると、近くを流れる川の橋の下から1体の地蔵菩薩の石像が現れた。 そのことを、家光に報告すると「尊いお地蔵様を粗末にしたからだ」と家光は「落馬地蔵」と名付けお堂を作ってお祀りするように命じた。、、、、家光が命じたわりには、粗末な祠に祀られているね。 隣の龍善寺に堂を寄進してもらうといいね。
 
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●am9:50・・・・・・・・・・・・早稲田駅を通過し、穴八幡宮鳥居前から東西線にサヨナラして、諏訪通りに入る。
 
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●am10:10・・・・・・・・・・・・穴八幡から諏訪通りに入ると、これまた嫌いなダラダラの上り坂。 早稲田大学、戸山公園の前をとおり、長い煉瓦塀が伸びる学習院女子大前に出る。 坂道は終わり諏訪神社前を抜けると、前方に山手線のガードが見えた。
 
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●am10:20・・・・・・・・・・・・諏訪通りの先で西武新宿線・埼京線・山手線の上下6線が走るガードをくぐり山手線の外に出る。、、、、これで、秋葉原から高田馬場まで山手線を横断したしたことになる。 御苦労!
 
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●am10:30・・・・・・・・・・・・百人町の都営アパートを内を突き抜ける。 ここを抜けると神田川に出て、川沿いに歩けば東中野駅。
 
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●am10:50・・・・・・・・・・・・東中野駅へ到着。 今日の散歩はここまでとする。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・今日のルートの総延長は9.6km程、歩数は1万6千歩。、、、ア~ア、疲れた!
 

2017年3月22日 (水)

椎名町~下落合

西武池袋線の池袋駅の隣「椎名町駅」から、西武新宿線の高田馬場駅の隣「下落合駅」まで、直線距離で1.3km程のところを2時間かけ歩いてきた。 1万歩。
 
 
 
①椎名町駅・・・・・・・・・・・・大正4年(1915)4月15日、武蔵野鉄道(西武鉄道の前身)の池袋~飯能間が開通。 9年後の大正13年(1924)6月11日に、椎名町駅は開業した。 現在の駅は、相対式ホーム2面2線を有し、駅舎は橋上である。、、、、、今は消えた「椎名町(しいなまち)」とは、北側の西武池袋線、南側の目白通りに挟まれた、現在の豊島区目白4丁目・南長崎1丁目~6丁目のほぼ全域が該当する、かなり広い町域の町であった。 池袋線の椎名町駅・東長崎駅、大江戸線の落合南長崎駅は、かつての椎名町の境界線沿いにある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅に貼ってあった「昭和40年頃の椎名町駅」
 
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②長崎神社・・・・・・・・・・・・・・駅の北側に長崎神社はある。 神社の創建年代は不詳だが、長崎村の鎮守として信仰を集め、江戸時代の中期には十羅刹女社(じゅうらせつにょしゃ)と呼ばれていた。 明治7年(1874)、神仏分離令により十羅刹女神に代わり須佐之男命を合祀し、氷川神社、そして長崎神社と改称し、現在に至る。、、、、、つまりは、女神に男神を娶らせ、夫婦で稼げと言うことか!、、、、、、精緻な彫刻物を有する本殿は嘉永2年(1849)に、拝殿は明治32年(1999)に建立された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・「椎名町」と聞くと、「帝銀事件」を思い出す人もいるのでは、、、、、私はまだ2歳で、新聞も読めなかった頃の事件。、、、、昭和23年(1948)1月26日4時頃に、椎名町駅前の「帝国銀行椎名町支店」で起こった強盗殺人事件。 東京都のマークの付いた腕章を腕に付けた中年の男が現れ、集団赤痢が発生したから予防薬を飲まなければならないと言って、全員に青酸カリを飲ませ、12人を毒殺、現金16万円余りと1万7千円程の小切手を強奪した。 犯人は逮捕されたが、最後まで犯行を否認し、最高裁で死刑が確定した。 その後、刑は執行されず昭和62年八王子医療刑務所で死去した。 95歳であった。、、、、、当時の銀行の支店は質屋を改造した木造平屋の建物だったそうだ。 その支店があった場所は、長崎神社の横で、現在はマンションが建っているが、事件を思い出させるものは一切残ってない。、、、、、過去の暗いイメージを消し去るのか、町名も、事件の跡も無くなった。 
 
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③道歯科医院・・・・・・・・・・・・椎名町仲通り、ツタの枝が外壁を覆う廃屋となった歯科医院。 昭和初期の建築か?
 
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●・・・・・・・・・・・西武池袋線の踏切を越え、山手通りを南に向かう。
 
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④佐伯祐三アトリエ記念館・・・・・・・・・・目白通りを越え、中落合2丁目に入ると、聖母病院北側の細い路地の奥に、画家佐伯祐三(1898~1928)のアトリエが整備・保存されている。 記念館は、佐伯が創作活動をしていた地に、住居の一部とアトリエ部分が残され、敷地全体が公園として整備されている。 アトリエは大正10年(1921)の建築で、洋風下見板張り、北側の大きな窓が特徴的である。、、、、、大正7年(1918)に東京美術学校(現:藝大)に入学し、大正10年(1921)にはアトリエ付きの自宅が完成する。 大正13年(1924)にはフランスに留学。 昭和3年(1928)8月、30歳の若さで死去。 その後、妻の佐伯米子が昭和47年(1972)没するまで、アトリエで創作活動を続けた。
 
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⑤聖母病院・・・・・・・・・・・・・・カトリック神田教会 上智大学1号館などを手がけたスイス人マックス・ヒンデルの設計で、昭和4年(1929)に建てられた病院。 鉄筋コンクリート3階建て、うす茶色のタイル張りの外壁と建物の屋上中央の二つの塔が特徴敵な建物で、玄関前のヒマラヤ杉とも調和している。、、、、、、病院は「マリアの宣教者フランシスコ修道会」が、キリスト教の愛の精神に基づき運営している。、、、、、病院の中を、勝手に歩くこともできず、内部の見学は入院してからにする!
 
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⑥聖母病院聖堂・・・・・・・・・聖母病院の裏側に、平成22年(2010)に竣工した聖堂。 竹中工務店の設計・施工、鉄筋コンクリート造の建物で、“2011年グッドデザイン賞”を受賞した作品である。、、、、、、片流れの屋根、屏風折れの外壁、縦長のスリット状のステンドグラス(既存のものを再利用)、梁・柱のない内部など、印象的な祈りの空間を演出している。、、、、、内部は飾り気の少ない、シンプルなデザインで、落ち着いた祈りの場を創っている。
 
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⑦薬王院・・・・・・・・・・・聖母病院の南、下落合4丁目に、奈良の長谷寺(ボタン寺)の末寺で、真言宗豊山派瑠璃山薬王院がある。 鎌倉時代の創建といわれる。、、、、、ここの寺も、総本山長谷寺のように、ボタンが有名で見物にくる人も多いようだ。 まだ、ボタンは蕾ができたばかりで、チョイト早すぎる。、、、、裏山の枝垂桜もチョイト早すぎた!
 
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●・・・・・・・・・・・西武新宿線下落合駅から帰宅。
 
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2017年3月16日 (木)

信濃町~渋谷

信濃町駅から神宮前を抜けて渋谷駅まで、1万2千歩の散歩です。
 
 
①信濃町駅・・・・・・・・・・・明治27年(1894)10月9日の甲武鉄道新宿~牛込(現:飯田橋駅の西側)間開通と同時に開業した。 島式ホーム1面2線の地上駅で、ホーム上部に駅ビルがある。 改札口は駅ビル1階にあり、外苑東通りに面している。、、、、、駅ビルは平成5年(1993)に竣工した地上6階・地下2階建て、設計は岡田新一(岡田新一設計事務所)。、、、、、写真:駅ビルの裏側に某宗教団体の本部があり、駅ビルと向かい合って慶應大学附属病院があり、乗降客の多い駅である。 ついでに、写真を撮った位置には、かつて滝沢馬琴(1767~1848、南総里見八犬伝の著者)が住んでいた、四谷組同心屋敷があった。 馬琴はここで、最後の12年間を暮らした。 
 
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②聖徳記念絵画館・・・・・・・・・・神宮外苑のシンボル的な建物で、幕末から明治時代までの明治天皇の生涯の事績を描いた歴史的・文化的にも貴重な80点の絵画を展示している。、、、、、大正8年(1919)に着工し、大正15年(1926)10月22日に竣工した、鉄筋コンクリート2階建て、ドームの頂上までの高さは約32m、幅約112m、奥行約34mの建物である。 設計は公募にて大蔵省臨時建築部技手・小林正紹(まさつぐ)の案が採用され、施工は大倉土木(現:大成建設)が請けた。 外観は花崗岩貼りで、中央にドームを戴く左右対称のデザインでまとめられている。 左右対称のデザインは国会議事堂などと同じように大正時代の流行であった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・内部には、大理石、モザイクタイル、石膏彫刻が多用され荘厳な雰囲気が漂っている。 (内部は撮影禁止のため、6年前の写真を借用)
 
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・・・・・・・・・・・・・絵画館の真後ろには、中央に楠の大木が植えられた、葬場殿趾の円壇がある。、、、、これは、明治天皇の葬儀がこの場所(当時の青山練兵場)で行われた際、棺が置かれた葬場殿の址である。、、、、なんと、ここは重要文化財であった。 なんで、ここが? 答えは簡単! 重要文化財の本体は絵画館であって、この円壇はその付属として位置づけられているそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・絵画館前の植え込みの中に「樺太国境画定標石」のレプリカが残されている。、、、、、日露戦争に勝利した日本は、その後の明治38年(1905)、ポーツマス条約により樺太の北緯50度以南を日本が領有することとなった。 翌明治39年から明治41年にかけて国境に17基敷設された標石のレプリカで、当時の樺太庁が作成し外苑に寄贈したものである。、、、、、菊の紋が標された本物の標石は、今、どうなっているのか?
 
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③明治神宮野球場・・・・・・・・・・大正15年(1926)に開場した、六大学野球の聖地。 私も母校の応援に行ったのを思い出すが、優勝して飲み会をしたという記憶はない! この頃(学生時代)は、野球より、女の子に興味があったから、応援にかこつけた、ナンパだった。
 
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④高徳寺・・・・・・・・・・・都立青山高校に近い港区北青山(熊野通り)にある浄土宗の寺院。 若い人が多いアパレル関連の会社が並ぶ通りから少し入ると、正面に本堂が、右に河内山宗俊の碑(墓もある)が、左に積み重なった石仏の山が見える、まさに都会の癒しスポットと云うような寺である。、、、、、高徳寺は、晃誉上人居的和尚(元和9年(1623)寂)が開山となり、天正7年(1579)に創建した。、、、、今流のおしゃれな通りに、歴史の香りが、チョイト、ミス・マッチ。
 
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⑤熊野神社・・・・・・・・・渋谷区神宮前、キラー通りに近い処に、青山の鎮守さま熊野神社がある。 元和5年(1619)に徳川頼宣によって勧請。 徳川頼宣の邸内(現:赤坂御所)に奉斎されていた御宮を、正保元年(1644)に現在地に移した。、、、、境内には、5階建ての賃貸ビルを所有しており、商売繁盛の御利益を自ら享受しているようだ。
 
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⑥東郷神社・・・・・・・・・・・・・・神社が続く、原宿の竹下通り裏に鎮座する東郷神社。 日露戦争で連合艦隊を率いてバルチック艦隊を破った、東郷平八郎を祀り、昭和15年(1940)に御鎮座祭がおこなわれた神社。、、、、社殿は昭和39年(1964)に再建された、鉄筋コンクリート造。、、、、ここは、“勝利の神様”。 勝負の前に手を合わせ、必勝パターンで! ただし、賽銭はチョイト奮発すること。
 
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⑦長泉寺・・・・・・・・明治通り沿いにある、曹洞宗の長泉寺。 寺は、かつて隠田に古刹寺院があり、観音堂のみ残っていたところ、上渋谷村の名主田左膳義直が、観音堂の本尊を自宅に遷し草庵として天文15年に僧春的を招聘、文禄元年には青松寺七世瑞翁(慶長9年寂)がこの草庵を譲受、慈雲山長泉寺と号し開山したといいます。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・長泉寺には、なんと! 山手線の土手を背にして2百体以上の石仏が並んでいる。 お寺近くに祀られていた地蔵尊、観音様が、土地の造成などで、ここに集められたらしい。、、、、、玄関先にでも飾るインテリアとして石仏一体欲しいね! こんだけあれば、一体ぐらい無くなっても、、、、『コラ! 罰当たりが!』
 
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2017年3月 4日 (土)

中野新橋~新宿

地下鉄丸ノ内線中野新橋駅からJR新宿駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
①中野新橋駅・・・・・・・・・・・昭和36年(1961)2月8日に、営団地下鉄荻窪線の開通に伴い、途中駅として開業。 相対式ホーム2面2線を有する地下駅。、、、、駅名は近くを流れる神田川に架かる橋の旧名称「新橋」に由来する。 駅名として、そのまま採用すると、銀座線・JRの新橋駅(港区)と同じになり混乱するため、“中野”を冠して「中野新橋」とした。、、、、、一日の平均乗降人員は2万人弱で、東京メトロ全130駅中124位とワーストテンにランクインする駅。 その駅が、新しく建て替えられモダンな駅舎に生まれ変わった。 綺麗な駅舎となり、町のイメージアップにつながるといいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・工事中の頃(平成26年2月)の駅舎
 
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②中野新橋・・・・・・・・・花街の風情を今に伝える赤く塗られた欄干の橋。 この橋はかつて「新橋」と称し、この付近は関東大震災後に発展した花街であった。 しかし、昭和50年代の賑わいをピークに、小唄・三味線の音は聞こえなくなり、花街は消えた。、、、、、平成23年(2011)の神田川改修工事により橋も新しくなり、橋名は駅名と同じ「中野新橋」に改名した。、、、、、橋の際には、昭和36年(1961)に架け替えられた「新橋」の擬宝珠が残されている。 どうせなら、若い芸者を残して欲しかったね!
 
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③本郷氷川神社・・・・・・・・・・・中野区本町4丁目にある、素盞鳴尊命を祭神とする氷川神社。  ここの氷川神社は、文明元年(1469)、太田道潅が江戸城築城の際に鎮護のため大宮氷川神社より勸請し創建したそうだ。 旧本郷村の鎮守さま。、、、、、昭和20年(1945)戦災により社殿が焼失、現在の社殿は昭和30年(1955)の再建である。、、、、、境内に「東京五輪記念碑」があった、なぜここに? 意味不明? どうでもいいか!
 
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④福寿院・・・・・・・・・・・・中野区本町3丁目、眺めの良い台地に新義真言宗の寺、福寿院がある。 本尊は弘法大師の作と伝えられている薬師如来坐像。 大師が諸国巡錫中久しく当院に泊り、自作の薬師如来像を当院に置いて行ったそうだ。、、、、元応元年(1319)の創建。、、、、本堂は昭和51年(1976)に建てられた。 広く明るい境内であるが、華やかさに欠け、もう少し庭木を増やすなどして彩を添えたらいいね、チョイト残念だ。
 
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⑤象小屋の跡・・・・・・・・・・・中野区本町2丁目の中央を東西に横切る裏通りの朝日が丘公園に、「象小屋(象廐=きさや)の跡」と記した案内板があった。、、、、江戸時代、象はまだ珍しい動物であった頃の出来事。 ここ中野に来た象は、享保13年(1728)中国人貿易商鄭大威が将軍吉宗に献上するためベトナムから連れて来たもので、将軍吉宗が上覧したあと、暫らくは浜御殿で飼われていた。 その後、中野村の源助に下げ渡され、源助は成願寺に近いこの辺りに象小屋を建てて飼育を続けたが、寛保2年(1742)病死した。 皮と象牙は将軍家に献上されたが、象牙は源助に、皮は成願寺に下げ渡されました。 この牙は宝仙寺(現:中野区中央2)に保存され、戦災に遭ったが一部は今も残っている。、、、、と、言うことで、ここに小屋があったとサ! 
 
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⑥成願寺・・・・・・・・・・・・本町2丁目、山手通りに面し竜宮城のような大きな山門がある。 ここが、曹洞宗の成願寺である。 永享10年(1438)小田原最乗寺で教えを受けた中野長者の鈴木九郎が出家して、西新宿の十二社(現:西新宿熊野神社)の敷地内に創建した。 中世には正観寺と称していたが、江戸時代初期に長者屋敷跡(当地)へ移転し、成願寺と改称した。、、、、、山門をくぐると、菜々緒の乙姫が出迎えてくれると嬉しいのだが! 期待過剰!
 
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・・・・・・・・・・・・・・本堂横に、百体観音堂がある。、、、、百体観音とは西国33ヶ所、坂東33ヶ所、秩父34ヶ所を合わせた100霊場の本尊をいうそうだ。 百観音の信仰は江戸初期より盛んになったが、一般庶民が諸国の霊場を自由に旅することは極めて難しく、殆ど不可能であった。 そこで百体の観音像を一か所に安置し、そこへ参ると100霊場を巡礼するのと同じ功徳が得られるとされた。、、、、、観音と縁の深いこの寺には、江戸中期より百体観音があったが、先の大戦で空爆により焼き尽くされてしまった。 現在の百体観音は昭和50年(1975)に再建された。、、、、、堂内には、正面中央大きな観世音菩薩をに配し、左右に小さな諸国の観音を祀っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・墓地の中ほどに、蓮池藩52,600石の鍋島家墓所がある。 蓮池藩(佐賀市東部)は鍋島勝茂の4男直澄が、蓮池に分封されたのを藩祖とする。2世直之の子千熊を寛文9年(1669)に葬ったことに始まる。、、、、鍋島の歴史を知らず、墓石の文字は読めず、どの墓が、誰の墓か、判らん! 不勉強で失礼!
 
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⑦西新宿を抜け新宿駅へ・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・遠く新宿の超高層ビルが見える
 
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・・・・・・・・・・・・・このあたりは、かつての十二社。 以前は料亭かな?
 
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・・・・・・・・・・・・・ビルの谷間から都庁が見えた。 駅は近いぞ!
 
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・・・・・・・・・・・・・10年前までは仕事で通ったビルも見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・新宿駅到着。 
 
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2017年2月19日 (日)

新宿御苑

なんとく春近し、日差しも暖かそうに感じる、昼から夫婦でチョイと新宿御苑で、河津桜、梅、福寿草、水仙など冬の花を楽しんできた。
 
 
 
・・・・・・・・・・・・・もともとは江戸時代に信濃高遠藩内藤家の下屋敷のあった敷地である。 明治5年(1872)に農事試験場となり、 明治12年(1879)には新宿植物御苑となり宮内省が管理することとなった。 戦後は一般に公開され、現在は環境省管轄の公園である。、、、、、大名屋敷跡の一部といえども、現在の58haの敷地は“広い!”
 
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・・・・・・・・・・・・・・ゆっくり、のんびり、静かに、季節を感じ、花を愛でる
 
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  • ・・・・・・・・・・・・・・旧御涼亭(台湾閣)は、皇太子(後の昭和天皇)の御成婚記念として、台湾在住の邦人から、昭和2年(1927)に贈られた中国風建築。 木造平屋、基礎は鉄筋コンクリート造。、、、、設計した森山松之助(1869~1949)は統治時代台湾で活躍した建築家。 日本には、旧久邇宮邸(現:聖心女子大)、片倉館会館(長野県、重文)などが現存する。 取り壊された本所公会堂(両国公会堂 )も作品の一つであった。、、、、、チャイナドレスの美女が手摺にもたれ話しかけてくるような雰囲気の建物。
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    ・・・・・・・・・・・・・・天皇や皇族の休憩所として明治29年(1896)に建てられた旧洋館御休所。 19世紀アメリカで流行した、下見板と棒(スティック)による模様付けされた「スティックスタイル」の木造建築。 戦後は平成6年(1996)まで管理事務所として利用されてきた。 現在は大正13年(1924)当時の姿に戻され公開されている。、、、、、ちなみに、平成11年度の修復工事では、この建物に2億6千万円の工事費がつぎ込まれたそうだ。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・・御苑の守衛などが使用していた旧新宿門衛所旧大木戸門衛所。 いずれも昭和2年(1927)に建てられたもので、御苑の門衛所として周囲の景観とマッチした当時のデザインである。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・・平成23年(2011)に完成した新宿御苑の大温室。 設計は日本設計、施工は戸田建設。、、、、、温室のため南国の花が多く、高山植物は皆無だ! あたり前田のクラッカー。
     
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    2016年11月14日 (月)

    小竹向原~落合南長崎

    地下鉄有楽町線に乗り、『さて、どこで降りようか?』。 今だ、下車したことがない「小竹向原(こたけむかいはら)」で下車してみた。 いつものように、裏道を気ままに歩き、江古田をとおり、都営大江戸線「落合南長崎」駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。
     
     
    ①小竹向原駅・・・・・・・・・・・都心から、和光市、森林公園方面に向かう有楽町線と、小手指、飯能方面に向かう西武・有楽町線の分岐駅である。 池袋駅からは3駅目で練馬区の中では、最も都心寄りの駅である。、、、、、昭和58年(1983)6月24日、有楽町線営団成増駅~池袋駅間の開通時に同時営業した。 同年10月1日には、西武有楽町線の小竹向原駅~新桜台駅間も開通した。、、、、、島式ホーム2面4線の地下駅である。 駅舎は練馬区立小竹小学校敷地の直下にあり、出入り口はせせこましい裏通りにある。 そのため、商店街、バス停などは何もない。 駅からタクシーに乗りたければ、近くの環七通りまで歩かないと乗れないね!、、、、、駅名「小竹向原」は、駅が所在する練馬区小竹町と板橋区向原を合成して命名された。
     
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    ②練馬区小竹町・・・・・・・・・・・町の北側は有楽町線の小竹向原駅がある、南側は西武池袋線の江古田駅がある。 両駅に挟まれ、武蔵野音大、日大芸術学部に隣接する、静かな中級住宅街。、、、、コンビニ、商店、スーパーなどはなさそうで、チョイと不便かも?
     
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    江古田駅 ・・・・・・・・・・小竹町をさまよい歩き、出てきたところは日大芸術学部の前、『なんだ、ここに出るのか。 何度か来て、見て、知ってるぞ!』
     
    ・・・・・・・・・・・・・まずは、日大芸術学部に御挨拶。、、、、どこぞの新興の高等学校のような校舎。 もう少し芸術的な校舎にして欲しいね!
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・・続いて、江古田駅に御挨拶。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・江古田駅北口前の浅間神社。、、、、、拝殿前のケヤキは樹高:27m、幹の太さ:3.1mの大木である。 拝殿後ろには、「江古田の富士」と言われる富士塚もある。
     
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    ④寛政の地蔵尊・・・・・・・・・・・・中野区江原町3丁目、マンションの角にひっそりと佇むお地蔵様。 寛政年間にこの地で疫病がはやり、その祈願のために建立された。、、、、、疫病魔払いの御利益があるそうだ。 私のボケ防止は期待できないかな?
     
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    ⑤江原屋敷森緑地・・・・・・・・・・大江戸線新江古田駅近にある、屋敷一軒分ほどの小さな緑地。 ちょうどモミジが色づき始め綺麗だったのでパチリ!
     
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    ⑥末日聖徒イエス・キリスト教会・・・・・・・・・・・・目白通りを江古田から目白方面に向かうと、中野区と新宿区の区境近くで、右手奥に教会が見えた。 教会が『チョイと、兄さん見ていきな。』と呼んでいるようで、私の足は教会に向かった。、、、、、、建物を眺めていたら、二人の若くてカッコいい米国人宣教師がちょうど教会に入るところで、私にも『どうぞ』と入れてくれ、教会の説明をしてもらった。
     
    ・・・・・・・・・・・・・建物の外観からは、カトリック教会のような、荘厳さ、威厳、重厚感、芸術性などは感じられない、いたってシンプルで質素な建物である。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・・内部は、これまた質素な造りである。 カトリック教会のように、正面の十字架、周囲のステンドグラス、壁に飾られた聖徒の画/像など、何もない。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・宣教師の話で、印象的だったのは『イエス・キリストは現世に生きている』ということだった。 私は、末日聖徒イエス・キリスト教(=モルモン教)では、宣教師・信者は、互いに経験・体験を語り・聞き、キリストの教えを学び、実践することで『幸せ』を得ることだと勝手に理解した。
     
     
     
    ●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・教会を出て、近くの大江戸線「落合南長崎駅」から帰宅。

    2016年7月29日 (金)

    千駄ヶ谷~原宿

    梅雨が明け、いよいよ猛暑の季節が到来した。 今朝から気温は上がり32℃。 散歩も、ダラダラと流れる汗との戦いになった。  猛暑との戦いの初戦は、JR中央線千駄ヶ谷駅から、山手線原宿駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。
     
     
    ①千駄ヶ谷駅・・・・・・・・・・千駄ヶ谷駅は、明治37年(1904)に甲武鉄道の駅として追加開業した。 ホームは盛土上に、島式1面2線の構造であるが、東京オリンピックの時に、新宿方面行きの臨時ホームが設けられた。、、、、、2020年のオリンピックを迎えるため、現在は使用されていない臨時ホームを新宿方面行きの専用ホームにし、改札口/コンコースは拡張し、ゆとりある駅にする改良工事に着手した。
     
    ・・・・・・・・・・・・・・首都高4号線の高架下、たった一カ所の改札口(出入口)は、高速に拘束され、狭い空間のせせこましい駅。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・現在、使われていない臨時ホーム。 昭和39年(1964)に造られたホームは、屋根もなくボロボロ。 このホームが新宿方面行きの専用ホームに改良される。、、、、、、ホームの後ろには並行して首都高4号線が走っている。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・かつて、臨時ホームに出る、2カ所の階段。、、、、もちろん!改良し、新しくなる階段にはエスカレータも併設される。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・・現在の島式ホームは、御茶ノ水方面行き専用ホームとして残る。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・・ホーム中央の水飲み場は、近くの日本将棋連盟本部に因み、王将の駒がデザインされている。、、、、、余談だが、「餃子の王将」の本社は京都、千駄ヶ谷駅とは無関係。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・・次の写真は、信濃町駅から千駄ヶ谷駅に向かう電車の先頭車両から撮った。 写真左(神宮外苑側)に待避線のようなものが見える。 明治27年(1894)、この付近から神宮外苑(かつて青山練兵場という軍事施設)方向にカーブして、新宿と青山軍用停車場を結ぶ甲武鉄道の線路が敷かれた。 大正になり、線路は廃止されたそうだ。、、、、、私が生まれる以前の、チョイと昔の話です。
     
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    ②国立競技場・・・・・・・・・・・国立競技場の跡地であり、国立競技場の建設地を見てきた。 綺麗に取り壊したね!、、、、、現在、計画している新国立競技場は、大成建設・梓設計・隈研吾建築都市設計事務所 共同企業体の案で、総工費1,490億円、本年末着工、2019年11月竣工、6万人以上を収容する予定。、、、、、、いろいろあったが、こうなりゃ早く完成した競技場を見てみたいね!
     
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    ③鳩森八幡神社・・・・・・・・・・・貞観2年(860、=平安時代初期)の創建、1000年以上の歴史を有する古社。 大昔、この地の林の中にはめでたいことが起こる前兆の瑞雲がたびたび現れていた。 ある日、空より白雲が降りてきたので不思議に思った村人が林の中に入っていくと、突然白鳩が数多、西に向かって飛び去った。 この霊なる出来事から、神様が宿る小さな祠を営み「鳩森」と名付けたそうだ。、、、、、社殿は平成5年(1993)に建て替えられた。、、、、、、只今、社殿正面参道の整備工事中につき、正面から参拝・撮影できず、チョイと残念!
     
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    ・・・・・・・・・・・・・境内の富士塚は寛政元年(1789)築造。 山はかなり高く、足元は石がゴツゴツし、私も貴重な富士登山を体験した。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・・境内にある将棋堂は、神社前にある日本将棋連盟から、昭和61年(1986)に奉納された大駒を納めた六角堂。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・・将棋堂を紹介したついでに、こちらは神社前に建つ「日本将棋連盟」本部。、、、、、おや!女流棋士かと思いきや顔も見られず、残念! 最近は美人棋士も多く、テレビ対局も楽しく観戦でき、大いに結構。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・鳩森八幡神社境内の外側に回ると、朱色の派手な祠に、享保8年(1723、江戸中期)に建立された青面金剛神像庚申塔が祀られている。 祠の中には草鞋がいっぱい掛けられて、コリャなんだ?、、、、、この祠は平成17年(2005)につくられ、美脚の神様として知られているそうだ。 本当かいな?、、、、美脚フェッチの私は、じっくり手を合わせてきた。、、、、、ちなみに、草鞋はご近所で一足二千円で売っているそうだ。
     
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    ④千駄ヶ谷2丁目・3丁目・・・・・・・・・・ファッション・アパレルの企業のオフィスが集まった小洒落た町。 定年退職した私でも聞いたことのある社名の企業もあったが、99%は私の知らない横文字、カタカナの企業名ばかりだ。 建物はプチ・モダンな低層ビルが多く、半分はマンションの中にある。 ヒゲ面で、ヨレヨレシャツの男性と、ダブダブのシャツを着た女性が、忙しそうに働き、暇そうにタバコをふかし、チョイとカッコをつけた町である。
     
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    ⑤宮廷ホーム・・・・・・・・・・・・原宿駅の北側に150m程行くと、皇室専用の宮廷ホーム(原宿駅側部乗降場)がある。 このホームは天皇陛下専用の「お召し列車」が発着する乗降場である。 大正14年(1925)、病弱な大正天皇のため、人目につかず乗降できるよう設置された。 昭和天皇は御用邸への移動、地方訪問などで頻繁に利用されたが、今上天皇は新幹線の利用が多く使用頻度は低い。 、、、、、、一生に一度でいいから、ここからお召し列車に乗って草津温泉でも行ってみたいね!
     
    ・・・・・・・・・・・・・・普段、門は閉じられ内部へ入ることはできない。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・・門の中は、大きな屋根の車寄せか?、、、、、最近利用していないからか、雑草が伸びてるね。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・・原宿駅ホームから眺める宮廷ホーム。
     
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    ⑥原宿駅・・・・・・・・・・・原宿駅の開業は明治39年(1906)、初代の駅舎は大正12年(1923)の震災で立て直されることになり、現駅舎は大正13年(1924)に建てられた二代目の駅舎で、東京最古の現存する駅舎。 鉄道省技師の長谷川馨の設計による、尖塔付きの屋根に白い外壁という、イギリス調のデザインの木造駅舎。、、、、、ウシャ~~、駅周辺は若い娘がイッパイ。 
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・原宿駅にもある臨時ホーム。、、、、、こちらは、正月の明治神宮初詣客向けのもので、昭和15年(1940)から使用されている。 山手線外回り電車の初詣客を明治神宮側から乗降させるための専用ホームとなる。 この間、普段使用している島式ホームはう内回り電車の専用ホームとなる。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・JR東日本によると、2020年の東京オリンピックに向けて、千駄ヶ谷駅と同様に、臨時ホームを有効利用する駅改良工事に着手する。 臨時ホームを新宿・池袋方面行きの外回り専用ホームとして常設化し、現在の島式ホームは渋谷方面行きの内回り専用ホームとなる。 また、駅舎についても渋谷寄りに新駅舎を建設することとなった。、、、、、、現在の木造駅舎はシンボルとして残して欲しいね。

    2016年7月25日 (月)

    四谷の寺町

    JR中央線の北西側で、外苑東通りの東側、さらに新宿通りの南側の地域。 町名で言えば、新宿区「若葉」・「須賀町」・「左門町」を歩いてきた。 四ツ谷駅で下車し、適当に歩き、四ツ谷駅まで、1万1千歩、8kmの散歩。 
     
    ・・・・・・・・・・・・・この地域は、将軍:徳川家光の時代、寛永11年(1634)に江戸城外堀を造ることになり、現在の麹町地区にあった多くの寺が立ち退きを余儀なくされ、外堀の外である現在の新宿区須賀町・若葉二丁目を中心とした地域に集団移転したことにより寺町と成った。 現在の地図を広げてみると、たしかに寺の隣に寺、寺の前に寺、寺の裏に寺、寺と寺の隙間に民家がある感じ。
     
     
    ①四ツ谷駅・・・・・・・・・・明治27年(1894)10月9日、甲武鉄道の停車場として開業。 ホームは周囲の道路、駅舎よりも低い位置の外堀の中にある。、、、、ところで、町名・小学校名・警察・税務署は「四谷」で“ツ”なし、駅名だけが「四ツ谷」で“ツ”あり。
     
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    ②東京若葉キリスト教会・・・・・・・・・・・迎賓館前の若葉1丁目、東京若葉キリスト教会は明治34年(1901)、アメリカから来日した宣教師が布教活動を行った教会で、会堂は昭和23年(1948)、建築家ウィリアム・ヴォーリズ事務所により設計された。 木造2階建。、、、、数年前に改修工事が行われ綺麗になった。
     
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    ③R邸・・・・・・・・・・・若葉の住宅。 中華風建物をイメージさせる、反りのある屋根、窓の格子のデザインなど、、、、、昭和初期の建物か?
     
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    ④西念寺・・・・・・・・・・若葉2丁目、浄土宗西念寺は、専称山安養院と号し、文禄2年(1593)麹町清水谷に、服部半蔵正成によって開山した。 服部半蔵は徳川家康の重臣で、槍の名人、忍びの達人であった。(忍者ハットリ君の祖先かも?)  寛永11年(1634)に現在地へ移転した。、、、、、、昭和20年(1945)戦災にて被災し、昭和36年(1961)本堂を再建した。 葵の御紋を配した門扉が迎えてくれる寺。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・・境内には家康の家臣、「鬼の半蔵」といわれた服部半蔵の墓がある。、、、、半蔵の法名は「専称院殿易安誉西念大禅定門」で、寺の山号寺号はこの法名からとられた。
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    ⑤観音坂・・・・・・・・・・西念寺裏に位置し、南西に向けて下る、約85mの急坂。 案内標識には、「 西念寺と真成院の間を南に下る坂。 坂名は 真成院の潮踏観音に因む。 別名は西念寺坂・潮踏坂・潮干坂。 潮踏観音は,江戸時代以前に四谷周辺が潮踏の里と呼ばれたことに因む。 潮の干満につれ台石が湿ったり乾いたりするので 汐干観音とも呼ばれた。 」と標されている。
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    ・・・・・・・・・・・・・坂上には西念寺、坂下には真成院、坂の途中には蓮乗院信壽院と寺が並ぶ。
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    ・・・・・・・・・・・・・坂を下ると谷底に下りたことになる。
     
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    ⑥戒行寺坂・・・・・・・・・観音坂の反対側、今度は須賀町に向かい、かなり急な上り坂。 長さ120m程、平均斜度6度。 ここでも案内標識には、「須賀町 戒行寺(かいぎょうじ)の南脇を東に下る坂である。坂名はこの戒行寺に因むものである。  別名,油揚坂ともいわれる。これは,昔この坂の途中に豆腐屋があり良質の油揚をつくっていたため こうよばれたという。 」と、標されている。、、、、、こちらも、坂の中程には、一燈寺宗福寺戒行寺、坂上には西應寺勝興寺と左右に並ぶ。、、、、暇人の散歩なので、各お寺に立ち寄り手を合わせてきたが、『雅万歩』では私の好みで紹介する。
     
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    ⑦戒行寺・・・・・・・・・・・・・須賀町の日蓮宗寺院、戒行寺は、文禄4年(1595)麹町に戒行庵として創建された。 江戸期には身延山末頭5ヶ寺の一つとして繁栄、塔頭数ヶ院を擁していた。、、、、、、どこの寺も戦災で被災したらしく、こちらも比較的新しい本堂である。
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    ・・・・・・・・・・・・・・境内には、戒行寺に葬られた「鬼平犯科帳」の主人公長谷川平蔵の供養塔がある。、、、、、小説にあやかり、参拝客を増やすため、建てたようだ! 独断と偏見の考察。 
     
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    ⑧永心寺・・・・・・・・・・戒行寺坂を上がり、道なりに直進すると、須賀町に曹洞宗の蟠龍山永心寺がある。 慶長9年(1604)、麹町清水谷に起立したが、周辺の寺々と同じく、寛永11年(1634)に現在地に移った。、、、、、こちらの本堂は戦災に遭わなかったのか、築300年の本堂が、風格をおびて残されている。、、、、今日は施餓鬼で、檀家の人を迎える準備がなされていた。
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    ⑨須賀神社・・・・・・・・江戸時代初期から四谷の地(新宿区須賀町)に鎮座する総鎮守。 この須賀神社も、もとは今の赤坂、一ツ木村の鎮守で、清水谷に有った。 のちの寛永11年(1634)に外堀普請のため、現在地を替地として拝領し移転した。、、、、、戦災前の社殿は、15年の歳月をついやして文政11年(1828)に竣工したが、昭和20年(1945)5月の東京大空襲で、本殿並びに内陣と境内摂社を残した外一切の建物を失った。 現社殿は、昭和63年(1988)秋に着工、平成元年(1989)に完成した。 都内では数少ない金色燦然と輝き、荘厳華麗を極めた建築物である。
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    ・・・・・・・・・・・・・・・社殿内部には天保7年(1836)に完成した“三十六歌仙”の絵が、一人一枚に描かれ飾られている。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・・境内から眺める新宿区若葉1・2丁目。 手前下に見える屋根は妙行寺、中央奥に見える屋根は真英寺
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    ⑩本性寺・・・・・・・・・・・・永心寺の門前を西に向かい、外苑東通りに出る直前(須賀町)に、日蓮宗の本性寺がある。 本性寺は、本性庵として創建され、寛文10年(1670)に平等山本性寺と改号した。 境内には、江戸城本丸から移されたという北向毘沙門天堂が安置されています。
     
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    陽運寺/四谷於岩稲荷田宮神社 ・・・・・・・・・・・・四谷怪談にまつわる寺社
     
    ・・・・・・・・・・・・・陽運寺、、、、、、、新宿区左門町に日蓮宗の陽運寺がある。 四谷怪談の主人公「お岩さん」を、「御岩稲荷」として祀った寺。 寺では、お岩さんを、家庭を大事にした貞淑な妻として祀り、「えんむすび」の寺としてPRしている。
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    ・・・・・・・・・・・・・四谷於岩稲荷田宮神社、、、、、、、陽運寺の向かい側に四谷於岩稲荷田宮神社がある。 田宮神社は、江戸幕府の御家人田宮家の屋敷社であった。 “四谷怪談”の主人公田宮伊左衛門の妻:於岩を合祀し於岩稲荷田宮神社と称している。、、、、、両稲荷は「本家」と「元祖」の関係か?
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    ●・・・・・・・・・・・・・・・・今日の散歩は寺社巡りとなったが、私が立ち寄った寺社の4倍ぐらいはこの地域に在りそうだ。 まだまだ散歩する処は残っているね!
     

    2016年6月20日 (月)

    飯田橋~曙橋

    JR飯田橋駅から、神楽坂、牛込柳町をとおり、都営新宿線の曙橋駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。



    神楽坂
    ・・・・・・・・・・・・朝の忙しない時間帯、店舗はあいておらず、客もおらず、チョイとつまらない神楽坂!

    ・・・・・・・・・・・・・神楽坂下交差点(外堀通り)、勤務先へ、学校へ向かう人が速足で通る。

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    ・・・・・・・・・・・・・メインストリートの坂道には、まだ客の姿はない。

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    ・・・・・・・・・・・・・チョイと横道に入ると、伏見火防稲荷神社がある。 玉垣には、芸妓組合、料亭の名が彫られ、華やかなりし頃が偲ばれる。

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    ・・・・・・・・・・・・稲荷神社の並びに、見番「東京神楽坂組合」の建物がある。 現在は、4軒の料亭と22名の芸妓により構成されてらしい。、、、、、建物は、あの宰相:田中角栄が建てたそうだ。、、、、、、まだ、稽古の時間には早く、三味線の音も聞こえない。

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    ・・・・・・・・・・・・・路地を抜けて善國寺に向かう。

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    ②善國寺
    ・・・・・・・・・・・・神楽坂の中程に腰を据え、毘沙門天を祀る善國寺。 善國寺は、桃山時代末の文禄4年(1595)に麹町(千代田区)にて創建された。 寛政4年(1792)の類焼に際しては、火除地として召しあげられ、替地として現在地を拝領し、翌年移転した。 毘沙門天の信仰は江戸時代末期には、ますます盛んになり、江戸の三毘沙門の随一として『神楽坂毘沙門』の威光は大きなものとなった。 当初は、ほとんど武家屋敷だけであった神楽坂界隈も、善國寺の移転に伴い、周辺には除々に民家も増え、明治初期に花街も形成され、華やかな街になっていった。、、、、、明治・大正期には、泉鏡花、尾崎紅葉、北原白秋など多くの文人・墨客達がこの辺りを闊歩し、大いに賑わった。 しかし、昭和20年(1945)の東京大空襲で被災し、堂宇は灰燼に帰した。 昭和46年(1971)に、現在の威容を誇る本堂・毘沙門堂が完成した。、、、、、朱塗りの堂が花街に似合う寺だ。

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    ・・・・・・・・・・・・・・堂の前に安山岩に彫られた虎の石像がある。 毘沙門天信仰から「虎」にちなみ、嘉永元年(1848)に奉納された。 堂に向かって、右側(阿形の像)の台石正面に“不”の字に似た刻印があり、これが、明治初年のイギリス式測量で使用されたの几号水準点 である。

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    ③横寺町の裏道
    ・・・・・・・・・都営大江戸線の牛込神楽坂駅の北側に横寺町がある。 この町の裏道を歩いてみた。

    ・・・・・・・・・・・・・町の東側に、創建年代不詳の曹洞宗の龍門寺がある。、、、、、門の横で、身代わり地蔵尊が門衛さんの身代わりをしている小さな寺院。

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    ・・・・・・・・・・・・・・龍門寺の斜め前の裏道を入っていく。 なにやら、工房風の住宅を過ぎ、オヤ!行き止りか?

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    ・・・・・・・・・・・・・裏道は鉤の手に曲がり、車は無理だ!

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    ・・・・・・・・・・・・・出た処は矢来町である。

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    ④新潮社
    ・・・・・・・・・・・・大手出版社の一社。 私にはとっては、“週刊新潮の新潮社”。、、、、、、牛込中央通りを挟み、向かい合わせに、「本館」と「別館」が建っている。

    ・・・・・・・・・・・・・本館は昭和41年(1966)8月に竣工した。

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    ・・・・・・・・・・・・・・別館は昭和49年(1974)6月に竣工した。
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    ・・・・・・・・・・・・・・玄関前には、週刊新潮でおなじみであった谷内六郎の原画による、ガラスモザイクの壁画がある。、、、、、 姉弟が水飲み場に止まっている虫を遠くから見つめる画で、題名は「なかなかどかない」。、、、、、谷内六郎は、週刊新潮の創刊時から26年の間に1,300枚もの原画を描いてきたそうだ。 昭和の時代の抒情詩である。

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    ⑤矢来能楽堂
    ・・・・・・・・・・・新潮社別館の裏(矢来町60)に、国登録の有形文化財の矢来能楽堂がある。 昭和27年(1952)9月17日に再建された観世九皐会所有の、木造モルタル造りの建物。、、、、、内部には入れず、案内の写真で我慢して!

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    ⑥矢来公園
    ・・・・・・・・・・・・能楽堂から西に100m程行くと、矢来公園がある。、、、、、特に変わった公園ではなく、極、普通の公園である。、、、、、しかし、この公園は、若狭国小浜藩主の酒井忠勝が、寛永5年(1628)徳川家光からこの地を拝領して下屋敷とした場所である。 屋敷の周囲に竹矢来をめぐらせたことから、矢来町の名が付けられた、地名の出どこでもある。 さらに、蘭学者:杉田玄白はこの屋敷内で生まれた。

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    ⑦矢来町の裏道
    ・・・・・・・・・・・知る人ぞ知る、知らない人は知る必要のない裏道があった。

    ・・・・・・・・・・・・・矢来町の西の端の裏道、、、、写真中央を奥へ、、、、

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    ・・・・・・・・・・・・・アリャ!行き止り?、、、、チョイと右側を見ると「駐車禁止 ここは私有地です」と表示されている。 何だか住宅の駐車場のようだ???

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    ・・・・・・・・・・・・・・すると、親子連れが帰ってきたのか駐車場の中へ、、、、、家に入らず、前を左折して消えた!、、、、、ナンダ???

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    ・・・・・・・・・・・・・私も、恐る恐る進んで行ったら、急に視界は開け、細い階段が現れた、、、、階段の下は墓地の裏

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    ・・・・・・・・・・・・・墓地をぐるり一周するように、車が侵入する余地のない細い裏道が続く、、、、、道は折れ、また折れて、またまた折れて、、、、何じゃ、この道は、、、、、

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    ・・・・・・・・・・・・・やっと出てきた、新宿区榎町の宗柏寺横に出た。、、、、この寺の墓地を、ぐるりと回ったのだ!、、、、、、日蓮宗寺院の宗柏寺は、下総国中山法華経寺36世を勤めた大僧都興正院日意(元禄2年(1689)寂)が開山となり寛永8年(1631)当地に創建された。

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    ⑧外苑東通り
    ・・・・・・・・・・早稲田通り弁天町交差点から曙橋の手前まで、外苑東通りは、只今、幅員18mから25mに拡張工事中である。、、、、、私は、この道を歩き、曙橋から帰宅。

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    2016年6月12日 (日)

    飯田橋~早稲田

    中央線飯田橋駅の改良工事をじっくり見て、目白通りと早稲田通りに挟まれた、五軒町、中里町、天神町を抜けて地下鉄東西線早稲田駅まで、1万歩、7kmの散歩です。



    ①飯田橋駅
    ・・・・・・・・・明治27年(1894)10月9日に甲武鉄道の牛込駅が現在の飯田橋駅よりも新宿寄りに開業した。 翌明治28年(1895)4月3日には、現飯田橋駅より東京寄りに飯田町駅が開業した。 そして、昭和3年(1928)11月15日、牛込と飯田町の両駅を統合して、現在地に飯田橋駅が誕生した。

    ・・・・・・・・・・・・現駅は、島式ホーム1面2線の高架駅で、駅舎は東西に出入口がある。 傾斜している地形上にあるため、目白通りに面する東口は高架下に出入口がある。

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    ・・・・・・・・・・・・・早稲田通りの牛込橋に面する西口は、橋上駅舎となっている。、、、、、私が、昭和40年代から通勤で利用した駅だが、いよいよ建て替えられることになった。

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    ・・・・・・・・・・・・・西口改札からホームまでは長い斜路が続く。

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    ・・・・・・・・・・・・・ホームは半径300mの急カーブに造られており、ホームと電車の間には約30㎝程の広い隙間ができ、乗降の際には要注意。、、、、、ちなみに、高齢の私の母も数年前に電車から降りる際、転んだホームである。、、、、、JRはこの急カーブを解消するため、ホームを牛込橋(現:西口)の橋下よりもさらに市ヶ谷寄りの地点まで、約200m移動する予定だ。 完成時期は?

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    ・・・・・・・・・・・・・現在は準備工事で、線路脇に西口の仮駅舎を建設中。、、、、、工事は、前田建設工業と鉄建建設のJV。

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    ②飯田橋
    ・・・・・・・・・飯田橋駅東口を出ると北側に、目白通りと外堀通りが交差しさらに大久保通りが伸びる「飯田橋交差点」がある。 その直前に、目白通りが外堀を渡る「飯田橋」が架かっている。、、、、飯田橋が初めて架けられたのは明治元年(1868)で、簡単な 木橋であった。 その後、明治23年(1890)には鋼製の橋に架け替えられた。、、、、現在の飯田橋は関東大震災の復興橋梁として昭和4年(1929)に架けられた。、、、、外堀は橋の際まで暗渠化され、交差点は拡張され、橋の上には歩道橋が造られ、橋の全容を見るのは難しい。、、、、、、蛇足:飯田橋は神田川に架かってない。 神田川は飯田橋の直前で直角に折れている。 神田川に架かるのは外堀通りで橋名は「船河原橋 」。

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    ③熊谷組
    ・・・・・・・・・・・大久保通り、築土八幡町交差点角に建つ、ゼネコン:熊谷組の本社。、、、、、私が大学を出てゼネコンに入社した昭和44年(1969)頃の熊谷組本社は、いかにも土建屋らしい、石造りの塀に囲まれ、前庭の広い洋風住宅のような事務所であったように記憶している。、、、、、現本社の建物は、オリンピックも終わり、ゼネコンが近代化に向け取り組み始めた、昭和49年(1974)に竣工した。

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    ・・・・・・・・・・・・・「熊谷組」と聞くと、映画『黒部の太陽』を思い出す。 三船敏郎、石原裕次郎が共演し、“世紀の難工事”と言われた黒部ダムとそこに通じるトンネル工事の苦闘を描いている。 昭和43年(1968)に公開された。、、、、、大学生時代に私が見た、“男の中の男”、男が惚れるカッコイイ男、熊谷組石岡班の班長を裕次郎が演じている。 建築科の学生だった私が、土木に憧れた瞬間。

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    ④築土八幡神社
    ・・・・・・・・・・・熊谷組の斜向かい、新宿区筑土八幡町にあり、応神天皇、神功皇后、仲哀天皇を祭神とする八幡神社。 創建年代は不詳であるが、嵯峨天皇の代(今から約1200年前)武蔵国豊島郡牛込の里に住んでいた翁がご神託により松の樹を祀ったことにはじまるらしい。 その後、伝教大師が筑紫の宇佐の宮土をもとめて礎とし神像を彫刻して祠に祀ったことから筑土八幡と名づけられたそうだ。、、、、境内は約2200㎡の広さであるが、社殿は昭和20年(1945)の戦災で焼失した。 現本殿は昭和38年(1963)に熊谷組より寄進されたそうだ。

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    ・・・・・・・・・・・・・社殿前に控える狛犬は、文化7年(1810)に奉納された。 

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    ⑤相生坂
    ・・・・・・・・・・築土八幡神社の北側:東五軒町は地盤が低くなっており、坂がいくつかある。 相生坂は、北から南に上り、東西2本の坂が並行している。、、、、、同名の坂が至近の位置にある珍しい坂。

    ・・・・・・・・・・・・・東側の相生坂、、、、、、、東側の相生坂は 新宿区白銀町と東五軒町の境界にある。

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    ・・・・・・・・・・・・・西側の相生坂、、、、、、、西側の相生坂は 新宿区赤城元町と東五軒町の境界にある。、、、、東側の坂とは、50m程の距離で並行する。

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    ⑥赤城神社
    ・・・・・・・・・・神社は正安2年(1300、=鎌倉時代)の創祀、群馬県赤城山麓大胡の豪族大胡氏が牛込に移住のさい、本国の鎮守であった赤城神社の分霊を祀ったもの。 最初は牛込早稲田村田島(現:早稲田鶴巻町)に鎮祭したが、弘治元年(1555、=戦国時代)に現在地に遷座した。 昭和20年4月の大空襲により、社殿などは一宇を残さず焼失した。、、、、、終戦後、昭和26年(1951)に本殿を復興し、最終的に拝殿、幣殿ができあがったのは、昭和34年(1959)であった。、、、、、さらに神社では、赤城神社再生プロジェクトを立ち上げ、平成22年(2010)の「本殿竣工例大祭」にて全ての工事を完了し、新しい姿となった。 境内の一部に分譲マンションを建て、その売却益で社殿を建設した。 このプロジェクトは新国立競技場を設計した建築家:隈研吾の設計による、杜と坂をイメージしたデザインと言われている。 施工は熊谷組である。

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    ・・・・・・・・・・・・・・境内社も新しく建てられた。 こちらも隈研吾のデザインか。

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    ・・・・・・・・・・・・・・・狛犬も新しいデザイン、チョイとマンガチックだ!
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    ⑦赤城下町
    ・・・・・・・・・・・・・・チョイと小高い位置にある赤城神社境内横の階段を下ると、新宿区赤城下町を東西に横切って、早稲田方面に伸びる道がある。 この道は、魚の骨のように、一本伸びており、そこから枝状に複数の道が分かれているが、ほとんどは行き止りである。 地図を見ると一目瞭然、面白い道だ!

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    ・・・・・・・・・・・・・枝分かれした路地の奥にある「あかぎ児童遊園」。 コンクリート造の象が二匹重なったすべり台、おもしろいデザインで気に入った!

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    ⑧渡邊坂
    ・・・・・・・・・・・山吹町交差点から 早稲田通りまで、比較的なだらかな坂道。 これと言った特徴もない、ごくありふれた坂。 なぜか、同姓だから、親しみを感じたようだ。、、、、、、江戸時代、坂の東側に旗本渡邊源蔵の屋敷があったのでこう呼ばれた。源蔵は五百石取りの御書院番で、寛文7年(1667)に市谷鷹匠町の屋敷と引換えにこの屋敷を拝領し、渡邊家は幕末までこの地にあった。
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