文京区

2018年4月11日 (水)

お茶の水坂・皀角坂

朝から春の嵐。 外は“吹き飛ばされそうな風”ではなく、工事現場の看板が“吹き飛ばされた風”、歩く女性のスカートが“巻き上がる風”である。 嵐の中、私は後楽園の循環器内科クリニックに検診に行ってきた。 
行きに「お茶の水坂」、帰りに「皀角坂」を歩いてきた。
 
 
 
①お茶の水坂・・・・・・・・・『“お茶の水”とは、将軍に献上した神田川の水を指している』、これ、嘘っぱち! この付近の神田川は江戸時代:元和年間(1615-1626)に、本郷台地に外堀として掘られた川である。 堀ができる以前には、ここ本郷台地には神田川はなかった。 当時、本郷台地の一角(現:元町公園付近、本郷1丁目)にあった高林寺(現:向丘2丁目)の境内に湧き水があり“お茶の水”として将軍(徳川家光)に献上したことから、「お茶の水」の地名となった。 これ、ホント!、、、、、その神田川北岸に沿い、お茶の水に上る坂なので「お茶の水坂」と、江戸時代に命名された。
 
・・・・・・・・・・・・・現在の坂は、外堀通りの一部で坂上には東京医科歯科大学病院、順天堂大学病院などがズラリと並んでいる。、、、、、昨年は、私が東京医科歯科大学病院へ、我が母が順天堂大学病院に救急搬送され、我が家御用達のありがたい病院である。 ちなみに、私も母も既に完治し、ピンピンの元気。
 
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・・・・・・・・・・・・・坂の途中に、関東大震災の復興公園「元町公園 」がある。 昭和5年(1930)の開園当時の姿がほぼそのまま残る貴重な公園である。 
 
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・・・・・・・・・・・・・神田川側には神田上水懸樋(掛樋)跡 の碑がある。、、、、、江戸時代、神田川に木製の樋(とい)「懸樋(かけひ)」を架け、川の上に神田上水を通し、江戸市中に給水した地点である。、、、、、神田川の水面からかなり高い位置に架けられていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・お茶の水坂の下は水道橋交差点。 橋の上から神田川を見ると、左岸(北岸)に神田川分水路の合流口が開いている。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・後楽園のお庭の隣りのクリニックで受診し、 検査項目、全て異常なし、『あたり前田のクラッカー』。 受付嬢と、2か月後の再会を約し帰途に就く。
 
 
 
②小石川橋通りガード・・・・・・・・水道橋と飯田橋の駅間、神田川から日本橋川が分岐する処に小石川通り架道橋(三崎町3)が架かる。 明治37年(1904)に甲武鉄道が、ドイツの橋梁メーカー「HARKORT」社に発注し、輸入した橋梁だ。日本に現存する同社の橋梁としては唯一の上路ワーレントラス橋である。桁には銘板が残っている。、、、、、煉瓦の橋台、石積みの盛土にも当時の匂いが残っている。、、、、、現在は、南側に中央快速線用の複線が増設されており、南側からは見えない。 緩行線が走る北側の複線部が当時からの架道橋である。
 
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③三崎稲荷神社・・・・・・・・・神社は水道橋駅の南側にある。 三崎稲荷神社は、寿永元年(1182)豊島郡三崎村鎮守として創建し、慶長8年(1603)・万治2年(1659)・万延元年(1860)と移転を続け、明治38年(1905)に現在地に移転した。 祭神は、宇迦之御魂神、素盞嗚尊、大市姫神、大物主神の四神。、、、、境内にある大きな銀杏の木からパワーが出ており、交通安全・旅行安全などの御利益があるそうだ。 私も手を合わせてきた。
 
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④皀角坂・・・・・・・・・・水道橋駅前から神田川の南側をお茶の水に向かい上る坂。 お茶の水坂の向かい側に位置するこの坂は、「皀角坂」と書き、「さいかちざか」と読む。 「サイカチ」は野山にはえる落葉高木で、枝にとげが多く、葉は羽状形で、花も実も豆に似ている木。 江戸時代にはサイカチの木が多くあったそうだ、現在は坂上に3本植えられている。 
 
・・・・・・・・・・・・・・坂の上り口。 水道橋駅前の東洋高等学校の横を上る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・線路脇を上るので、鉄道ファンの私には嬉しい坂だ。、、、、この写真を撮った地点が、皀角坂側の神田上水懸樋跡である。
 
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・・・・・・・・・・・・・坂の中程のビルに、松尾芭蕉の作と言われている「皂角子の実はそのままの落葉哉」の句碑。
 
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・・・・・・・・・・・・・坂の上に標識がある。 「皀角」を“サイカチ”と読める人を尊敬したくなる難しい坂名だ!
 
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・・・・・・・・・・・・さらに、サイカチの木を知っている人は神様みたいな人だ! 知らない人は写真をよく見て、丸い可愛い若葉、手裏剣が刺さったようなトゲトゲ。
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・・・・・・・・・・・・・・坂上にもう一つ標識がある。 歩道に頭を出した、ユーモラスな標識。 裏面には「昭和五十年一月 駿河台西町会 中島萬」と彫られている。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・お茶の水駅前をとおり、秋葉原駅を抜け、浅草橋へ歩く。

2018年4月 3日 (火)

浅草橋~大塚

我が家(浅草橋)から、湯島、本郷、春日、小石川と、ひたすら歩いて大塚駅まで、1万4千歩の散歩です。
 
 
 
● a.m.7:22・・・・・・・・・・・我が家のある浅草橋駅をあとにする。、、、、この時間に勤務先へ向かう人がもういる。 早出かな?
 
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● a.m.7:29・・・・・・・・・・・我が母校:旧台東区立柳北小学校の前を通過。 現在は蔵前小学校の仮校舎として使用中。
 
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・・・・・・・・・・・・・旧柳北小学校の隣り、都立忍岡高等学校の裏門脇に「蓬莱園跡」の碑がある。、、、、、ここ、旧柳北小学校、忍岡高校のある一帯は、かつて平戸藩松浦氏の屋敷跡で、蓬莱園と称する庭園があった。 約2,600坪の庭園は“今は無く”、高校校庭に一本の大イチョウを残すだけである。
 
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● a.m.7:32・・・・・・・・・・・浅草橋で唯一の大使館。 それは、コンゴ民主共和国大使館。、、、、、時々、近くのスーパーで大使館員が買い物しています。 浅草橋も国際的な町に変貌している。
 
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● a.m.7:36~7:53・・・・・・・・・・・「鳥越一丁目」交差点より、蔵前橋通りを歩き、昭和通り、JR京浜東北線・山手線、中央通りと交差し西に向かう。
 
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● a.m.7:55・・・・・・・・・・・蔵前橋通りは、妻恋坂交差点から清水坂下交差点まで、新妻恋坂を上ることになる。 この坂は昭和4年(1929)に震災復興道路として通じた蔵前橋通りの坂で、昔からある北側に並行する妻恋坂にちなみ命名された。、、、、ここから、ダラダラ上るのは辛いので、私は並行する妻恋坂を上る。
 
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● a.m.8:01・・・・・・・・・・・妻恋坂にある、妻恋神社に手を合わせて行く。
 
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● a.m.8:02・・・・・・・・・・・妻恋坂を上ると、清水坂にT字にぶつかる。 清水坂の下が新妻恋坂である。、、、、チョイト、ややっこしいね! どうでもいいか!
 
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● a.m.8:07・・・・・・・・・・・蔵前橋通りが本郷通りに合流する「サッカーミュージアム入口」交差点。、、、、ここより本郷通りを歩く。 (写真は右端から手前に本郷通り、中央左寄りから上ってた蔵前橋通り)
 
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● a.m.8:16・・・・・・・・・・・本郷三丁目交差点を通過。 ここから春日通りを歩く。
 
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● a.m.8:23・・・・・・・・・・・春日通りからチョイト脇にそれ、明治19年(1886)に創立した弓町本郷教会に立ち寄って行く。 現教会は昭和元年(1926)に竣工した。
 
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● a.m.8:28・・・・・・・・・・・寄り道ついでに、丸ノ内線が本郷三丁目駅から後楽園駅に向かう時、地上に顔を出す処をトンネルの上からチョイト撮影。 (写真奥が後楽園駅)
 
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● a.m.8:33・・・・・・・・・・・真砂坂を下る。、、、、、この坂の名は「東富坂」で、「真砂坂(まさござか)」は別名らしい。 明治41年(1908)に命名するとき、坂下の春日町交差点を挟み、東に上る坂を「東富坂」、西に上る坂を「富坂」としたそうだ。、、、、、私には、坂上にあった停留場「真砂町」を通る都電で通学していた時期もあった。 学生時代の思い出もあり、真砂坂の方がシックリくるね。
 
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● a.m.8:34・・・・・・・・・・・春日町交差点を通過。
 
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● a.m.8:38・・・・・・・・・・・私は、まだ若い老人なので、「アテント」、「ライフリー」などは利用していない。 しかし散歩していると、緊急のお呼びがかかる。 ここいらで、スッキリと身繕いをしようと、文京区役所に寄ってきた。、、、、出た! スッキリ、サッパリ、気分爽快!
 
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● a.m.8:52・・・・・・・・・・・文京区役所からは、北西方向に都道436号(小石川西巣鴨線)をひたすら歩けば大塚駅である。、、、、、眼病治癒の「こんにゃく閻魔」として知られる源覚寺(小石川2)では、チョックラ手を合わせて行こう! コンニャクは持参していないので、お賽銭をチョッピリ。
 
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● a.m.9:01・・・・・・・・・・・小石川の岡埜栄泉(おかのえいせん)前を通過。、、、、、東京に岡埜栄泉は30数店あるそうだ。 どこも、名物は豆大福で、老舗と言われているが、何処が本店やら、本家やら、元祖は何処だ! 長い年月の暖簾分けで、サッパリ判らん!
 
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● a.m.9:15・・・・・・・・・・・共同印刷本社前を通過。、、、、昭和10年(1935)に建設された建物も劣化し、そろそろ建て替えの話が出ているようだ。
 
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● a.m.9:18・・・・・・・・・・・小石川消防署前を通過。、、、、、門柱の上にのっている望楼は、旧大塚消防署(小石川消防署の前身で、昭和初期の名建築であった)の望楼をデザインしている。
 
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● a.m.9:42・・・・・・・・・・・文京区から豊島区に移り、大塚駅も近づいてきた。
 
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● a.m.10:00・・・・・・・・・・・大塚駅前の天祖神社に寄ってみることにした。、、、、南口の商店街に紛れている天祖神社は大塚の氏神様。 氏子のエリアは意外に広く、南大塚、北大塚、巣鴨、西巣鴨、上池袋1丁目、東池袋2~5丁目がその範囲。、、、、、参拝客は絶えず、商売繁盛か?
 
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● a.m.10:19・・・・・・・・・・・大塚駅に到着。 ここまで14,000歩、靴もそろそろ買い替えなければならなくなってきた。
 
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2018年2月11日 (日)

神田明神・湯島天神

今冬にしては暖かな日となり、昼から夫婦で神田明神・湯島天神・上野松坂屋(お買い物)と巡ってきた。 散歩にしては、甘酒、クリームあんみつをチョイト胃に入れ、ダイエット高架なし。
 
 
 
①神田明神・・・・・・・・・・江戸の神社では知名度抜群の神田明神だが、江戸時代に建てられた神社の建物は大正12年(1923)の関東大震災で焼失し、現在の建物は震災後に建てられたものである。 昭和9年(1934)に竣工した鉄骨鉄筋コンクリート造の現社殿は、伝統様式のデザインを引き継ぎ、鉄骨鉄筋コンクリートで造られた初期の建物として国の登録有形文化財に指定されている。、、、、、銭形平次も目を見はる江戸風の豪華絢爛たる造りで、八五郎はビックリしたと思うよ!
 
・・・・・・・・・・・・まずは、鳥居の横の天野屋で甘酒飲んで一休み。
 
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・・・・・・・・・・・・・今日は建国記念日、お年寄りには紀元節、その祝日ゆえの賑わいか(?)この大勢の参拝客に驚いた。、、、、、拝殿前には行列が、、、、、私達も並んでお参り。
 
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・・・・・・・・・・・・・・おや、拝殿では新婚カップルが記念撮影。 おめでとう!
 
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・・・・・・・・・・・・・ところで、神田明神を設計したのは建築家:大江新太郎(1875~1935)と佐藤功一(1878~1941)、施工したのは木田保造(1885~1940)率いる「木田組」(後の木田建業)。 この木田保造は、単なる施工会社の社長というより、自ら設計・施工を手掛けた建築家であったらしい。 木田保造が手掛けた建物として、函館の金森倉庫、百十三銀行本店、東京の第一生命、京華女子中高等学校、昭和第一高等学校、上智大一号館などが現存している。
 
 
 
②湯島天神・・・・・・・・・・なんじゃ・なんじゃ・こりゃ・こりゃ、こりゃなんじゃ? 天神さまも、満員御礼状態。、、、、、そうか! 今日は「梅まつり」だった。 受験生も多い。
 
・・・・・・・・・・・・・・参道には屋台も出て御祭り気分。
 
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・・・・・・・・・・・・・湯島天神は、雄略天皇2年(458)、雄略天皇の勅命により天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社として創建された。 南北朝時代の正平10年(1355)、住民の請願により菅原道真を勧請して合祀したそうだ。、、、、、旧社殿は明治18年に改築されたものであったが、老朽化が進んでいたため、平成7年(1995)に権現造の現社殿が再建された。、、、、また、平成12年(2000)には、「湯島神社」から「湯島天満宮」に名称を改称したのだが、私の頭の中では、「湯島天神」のままである。
 
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・・・・・・・・・・・・・梅まつりに受験生。 天神さまに願いが叶といいね。
 
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・・・・・・・・・・・・・ここでも、結婚式が行われていた。 今日は大安(?)、まあ何でもいいか。 
 
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●・・・・・・・・・・・・・この後は、クリームあんみつで一休み。 松坂屋で買い物に付き合わされて、帰宅する。 

2017年10月18日 (水)

文京シビックセンター

循環器内科の診察日。 いつものように、後楽園のクリニックで診察を受け、帰りはチョイト寄り道を! 文京シビックセンターに寄ってきた。 8千歩のミニ散歩。
 
 
 
後楽森ビル・・・・・・・・・・文京区後楽の住宅金融支援機構ビルと、トヨタ自動車東京本社ビルに挟まれ、私が通うクリニックが入っている地上19階/地下5階建ての「後楽森ビル」がある。 森ビルの北側は水戸徳川家の上屋敷であった名勝「後楽園 」。
 
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小石川砲兵工廠・・・・・・・・・・・・庭園の「後楽園」を中心として、南側は外堀通り、東側は白山通り、北側は春日通り、西側は後楽1丁目と2丁目の境の道路に囲まれた広いエリアが旧陸軍の「小石川砲兵工廠」の跡地である。 現在の後楽園遊園地、ドーム、講道館、文京シビックセンター、中央大学理工学部、小石川運動場、トヨタ自動車本社ビル、などなど、みんな小石川砲兵工廠の敷地内である。、、、、、今日はこの辺りをぶらついてきた。
 
・・・・・・・・・・・・・・東京都戦没者霊園、、、、、、、砲兵工廠の中にあった陸軍工科学校の跡地に戦後造られた、満州事変~大東亜戦争までの東京の英霊:16万柱を祀る霊園。
 
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・・・・・・・・・・・・・戦没者霊園の東隣に礫川公園がある。、、、、、公園は小石川台地の東端に造られており、東京メトロ丸ノ内線「後楽園駅」の出入口も公園に接している。 昭和39年(1964)、東京都が公園を造成し、翌年、区に移管されました。 公園は、東から西に上る高低を活かし、3段のひな壇形式に造られている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・礫川公園のひな壇の階段脇に、知る人ぞのみ知る煉瓦作りのトンネル、旧東京砲兵工廠射撃場がある。 写真(上):左端の階段のさらに左側の斜面に、明治16年から18年頃に造られたと思われるトンネル射撃場の出入口がある。  写真(下):トンネルは雑草の茂る奥に、入ることができないよう柵で囲われている。 トンネルは約280mあり、戦後は小石川トンネル射撃場と名前を変え、ライフル射撃の練習場としてオリンピックの予選なども開かれたが、平成11年(1999)に閉鎖された。  現在は国有未利用工作物として関東財務局東京財務事務所が管理している。 
 
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●文京シビックセンター・・・・・・・・・・文京区役所の本庁舎が入居する文京シビックセンターは、文京公会堂の跡地に平成11年(1999)に竣工。 地上28階/地下4階、高さ142m。 設計:日建設計、施工:清水建設・戸田建設・五洋建設・浅沼組・岩田建設・日本建設。 23区の区役所として建物高さは高い建物である。 ついでに、お値段の高さは、建築費389億円で、高いか?安いか?
 
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・・・・・・・・・・・・・チョイと25階の展望室に上ってみることにした。 高所恐怖症の私には人一倍の勇気を振り絞りエレベータに乗った。 足下は見ないように、クワバラ・クワバラ・ナムアミダブツ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・まずは、浅草橋の方向を見る。、、、、『我が家は見えないな~~、もう少し大きな家を建てればよかった。』、ひとり言
 
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・・・・・・・・・・・・・・下を見ると、地下鉄が顔を出してきた!
 
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・・・・・・・・・・・・・・スカイツリーの押上方向。 手前は本郷。
 
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・・・・・・・・・・・・・・中央に小石川植物園が見える。 この方角が北。
 
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・・・・・・・・・・・・・・池袋方面、左に見える道路は春日通り。
 
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・・・・・・・・・・・・・新宿方面、左下の緑は後楽園、右手前の建物は中央大学理工学部。
 
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2017年8月23日 (水)

水道橋~浅草橋

今日は午後から循環器内科の定期検診日。 水道橋のクリニックへ行き、帰りは浅草橋の我が家まで、猛暑の中、汗ダラダラで歩いてきた。
 
 
 
①後楽森ビル・・・・・・・・・・・・・庭園の後楽園を背にして、外堀通りに面する後楽森ビル(写真中央)。 地上19階、地下5階のビルは平成12年(2000)3月に竣工した。 このビルの地下部分は、東京都下水道局後楽ポンプ所として利用されている。 ポンプ場の上空の部分の権利を森ビルが借り受け、賃貸ビルとしたものである。、、、、、私の通う循環器内科クリニックはこのビルの中にある。 通い始めて十数年、吾輩の血圧・血糖・コレステロールなどの各種数値はもとより、他の病院・医院の受診・手術履歴も含め、院長先生のコンピュータに極秘情報として記録され管理されている。 わが命をコントロールしている、きわめて大事なクリニックである。 北朝鮮のICBMがここに落ちてこないように願うばかりだ。
 
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神田川・・・・・・・・・・・外堀通りとJR中央線の間を流れ下る神田川。 この川に舟を浮かべ、漕がずとも寝ていれば我が家のある浅草橋に流れ下ることができるのだが、今の時代では実現は無理だ!
 
・・・・・・・・・・・・・・後楽橋の際にある千代田清掃事務所三崎町中継所では、「はしけ」と呼ばれるごみ運搬船に、千代田区と文京区で収集されたゴミが積み替えられている。 「はしけ」一隻でごみ収集車15~20台分のゴミを運べるそうだ、バツグンの輸送効率、都心を走り抜ける収集車の低減にも役立つ。 「はしけ」は神田川を下り隅田川から東京湾の中央防波堤外側埋地処分場にゴミを運び、ゴミは埋立処分される。、、、、、私の幼き頃(終戦直後)は、秋葉原などにも中継所があり、神田川、隅田川は数多くのごみ運搬船、汚わい船が行き来していた。 私も、その川でハゼを釣って遊んでいた子供の一人である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・白山通りが走る水道橋から、お茶の水方向の川筋を眺めると、左岸に神田川分水路の口が見える。、、、、、分水路とは、地下に作られた人工の川で、道路で言うとバイパスのような役割がある。 つまり、台風などで増えた水量を吸収し、洪水を防ぐ目的で造られている。 神田川も洪水対策として、上流側から高田馬場分水路、江戸川橋分水路、水道橋分水路、お茶の水分水路と続いている。 写真の分水路の口は、水道橋分水路の出口で、お茶の水分水路の入り口である。 口の上部の道路際に「お茶の水分水路」の碑がある。、、、、暗いけど、探検気分で、一度は入ってみてみたいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・「お茶の水分水路」の碑の隣に、もう一つ碑がある。 それが「神田上水懸樋(掛樋)跡」の碑である。 水道橋からお茶の水方向に上る、お茶の水坂 の途中である。、、、、、 坂の途中、神田川をまたぐように架かっていた江戸時代、神田川に木製の樋(とい)を架け、神田上水を通し、神田、日本橋方面に給水していた掛桶(かけひ)と呼ばれるものがあった。 掛桶は明治34年(1901)まで、その役割を果たしていたそうだ。、、、、、掛桶の模型が近くの東京都水道歴史館にあったので、ラッキー、撮ってきた!
 
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③東京都水道歴史館・・・・・・・・・水道歴史館は、東京都水道局本郷給水所の施設上部に造られた人工地盤上に建てられた水道局のPR施設である。 人工地盤上には公苑も造られており、木々が茂り、小川が流れ、穏やかな空間を創り出している。、、、、、猛暑の中を歩き、チョイと熱中症が心配になった。 冷房の効いた歴史館で一休み。
 
・・・・・・・・・・・・江戸から東京まで、400年間の水道の歴史を語る施設である。 江戸時代の玉川上水に始まり、現代の高度浄水施設までをパネル・模型・資料で知ることができる。、、、、、親切に音声ガイダンスも貸してくれる。 外国語でも聞こえるので、チャンネルを間違えると、チンプンカンプンとなる。、、、、、夏休みの宿題「自由研究」で訪れている親子も多い。 この時期らしいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・水道歴史館の裏側は、本郷給水所公苑として、人工地盤上に和風庭園と洋風庭園が造られ公開されている。、、、、、あまりにも日差しが強く、木陰で休む人が一人、二人ほど。
 
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④御茶ノ水駅バリアフリー整備工事・・・・・・・・・・・非常に狭い構内に、いかにしてバリアフリー化するか難しい問題である。 その答えは、現在のホーム上に人工地盤を造り、そこをコンコースとして、階段、エスカレータを整備するらしい。 計画では、2018年度内にバリアフリー関連整備を終え、2020年までに駅舎・駅前広場などの工事を終える予定らしい。、、、、、只今、人工地盤構築中。 難しい工事だ、事故を起こさないように“安全第一”。
 
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⑤東京都下水道局和泉町ポンプ所・・・・・・・・・・・・・秋葉原の電気街を抜け、昭和通りを越え、浅草橋方面に向かうと千代田区神田和泉町に入る。 その一角に、大正11年(1922)に建てられた鉄筋コンクリート造2階建て、外装は煉瓦風タイルを貼り付け新しくなっているが、元の形状を保った小さな建物がある。 現在は無人となった和泉町ポンプ所である。、、、、、、建物を囲う煉瓦塀は、古い煉瓦がそのまま残っている。、、、、、私の幼き頃と建物の雰囲気は変わっていない。 当時は、周辺に焼け野原もあり、夕方近くになると薄暗く、妖怪でも出そうなチョイト怖い建物だった。 
 
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●・・・・・・・・・・・・タップリ汗をかき、濡れた服で我が家に到着。 約2時間の散歩でした。

2017年5月 5日 (金)

浅草橋~東中野

浅草橋の我が家から、総武・中央線沿いに飯田橋まで行き、そこから地下鉄東西線の神楽坂、早稲田をとおり、馬場下交差点からは学習院女子大、百人町アパートを抜けて東中野駅までの散歩です。、、、、GWのすいた都心を歩いてきた。
 
 
 
●am7:50・・・・・・・・・・・・浅草橋駅西口をスタートする。、、、、秋葉原の隣だが、人影も少ない寂しい駅である。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・両国~浅草橋~秋葉原~お茶の水間は昭和7年の開業で、この間の高架部分、架道橋は当時のままである。 耐震工事のため高架下の建物は壊され、スッポンポンの状態で、チョイト悲しい姿をさらしている!
 
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●am8:00・・・・・・・・・・・・秋葉原駅昭和通り口を通過。
 
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●am8:20・・・・・・・・・・・・昌平橋交差点を通過。、、、、、、神田川 に架かる昌平橋は関東大震災のあった大正12年(1923)に、震災直前に完成した。 そのため、昭和 5年(1930)に修復工事が行われた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・交差点の頭上には総武線の松住町架道橋が架かる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・また昌平橋からは、神田川の川幅いっぱいに大股を広げた総武線神田川橋梁が見える。 お股の奥には丸ノ内線神田川橋梁聖橋(工事中)が見える。
 
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●am8:25・・・・・・・・・・・・昌平坂を上る。、、、、、、別名「相生坂」とも言う、湯島聖堂前の昌平坂を上り丸ノ内線お茶の水駅に出る。、、、、、急な坂ではないがダラダラ上る坂は、手術で肺活量が小さくなった私にはキツイ!ゼイゼイ・ハアハア、美人を見るとドキドキ・ビクビク。
 
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●am8:40・・・・・・・・・・・・引き続き、お茶の水坂を下る。、、、、、、お茶の水と水道橋の間で、神田川の北側(文京区、外堀通り)にある坂。、、、、、、今日の外堀通りは行きかう車も少なく、神田川沿いの緑を眺め歩くのは、気分爽快。
 
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・・・・・・・・・・・・・坂を下ると水道橋交差点に出る。 右に後楽園遊園地、左に水道橋駅
 
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●am9:00・・・・・・・・・・・・飯田橋交差点を通過。、、、、ここからは、地下鉄東西線のルート沿いに歩く。
 
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●am9:20・・・・・・・・・・・・神楽坂駅を通過。、、、、飯田橋からは、熊谷組本社牛込消防署を通り、裏道を歩いて坂上(新宿区矢来町)にでる。
 
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●am9:40・・・・・・・・・・・・早稲田町の龍善寺を通過。、、、、早稲田通りに面してたつズングリ・ムックリの寺院が、真宗大谷派の龍善寺。 寛永15年(1638)千駄ヶ谷に天台宗寺院として創建し、その後、寛文7年(1667)早稲田に移転した。、、、、なんだか、チベットの寺院を模したような建物で好きになれないね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・道路を挟み龍善寺の隣、小さな祠に落馬地蔵が祀られている。 寛永3年(1626)、三代将軍徳川家光が鷹狩をしに高田馬場へ向かう途中、ここで急に馬がいななき、立ち上がったため落馬した。 馬の名手だった家光が落馬するには、何かあったのだろうと、村人が調べると、近くを流れる川の橋の下から1体の地蔵菩薩の石像が現れた。 そのことを、家光に報告すると「尊いお地蔵様を粗末にしたからだ」と家光は「落馬地蔵」と名付けお堂を作ってお祀りするように命じた。、、、、家光が命じたわりには、粗末な祠に祀られているね。 隣の龍善寺に堂を寄進してもらうといいね。
 
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●am9:50・・・・・・・・・・・・早稲田駅を通過し、穴八幡宮鳥居前から東西線にサヨナラして、諏訪通りに入る。
 
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●am10:10・・・・・・・・・・・・穴八幡から諏訪通りに入ると、これまた嫌いなダラダラの上り坂。 早稲田大学、戸山公園の前をとおり、長い煉瓦塀が伸びる学習院女子大前に出る。 坂道は終わり諏訪神社前を抜けると、前方に山手線のガードが見えた。
 
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●am10:20・・・・・・・・・・・・諏訪通りの先で西武新宿線・埼京線・山手線の上下6線が走るガードをくぐり山手線の外に出る。、、、、これで、秋葉原から高田馬場まで山手線を横断したしたことになる。 御苦労!
 
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●am10:30・・・・・・・・・・・・百人町の都営アパートを内を突き抜ける。 ここを抜けると神田川に出て、川沿いに歩けば東中野駅。
 
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●am10:50・・・・・・・・・・・・東中野駅へ到着。 今日の散歩はここまでとする。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・今日のルートの総延長は9.6km程、歩数は1万6千歩。、、、ア~ア、疲れた!
 

2017年4月26日 (水)

後楽園

今日は循環器内科の定期検診日。 庭園「後楽園」の南側にあるクリニック。 検診後は庭園に寄り、さらに地下鉄「後楽園」駅周辺を歩いてきた。
 
 
 
①後楽橋・・・・・・・・・・後楽園の場外馬券売り場へ通う人はよくご存じの橋。 競馬新聞を片手に水道橋駅から馬券売り場(黄色いビル)に直結する人道橋「後楽園ブリッジ」の隣に並行して架かる橋。、、、、神田川に架かり、千代田区三崎町2・3丁目と文京区後楽1丁目を結ぶ橋。 関東大震災の復興橋の一つで、昭和2年(1927)11月2日に架設され、長さ21.0m、幅22.56mの鉄製のアーチを描く橋桁が特徴的な橋。 建設時の工事費は13万7千円也。、、、、名の由来はズバリ“後楽園”。
 
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②トヨタ自動車東京本社ビル・・・・・・・・・・私が診察を受けるクリニックが入居する「後楽森ビル」(19階建て)と並ぶ、地上19階/地下5階建て、高さ89mの高層ビル。 設計は日建設計、施工は大林組+竹中工務店+清水建設、昭和57年(1982)の竣工。
 
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・・・・・・・・・・・・・・小石川後楽園の南側に隣接しているため景観に配慮した設計となっている。 敷地周囲には公開空地があり、緑豊かな散策路となっている。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・後楽園の築地塀に接する北側の空地は、隣の森ビル、住宅金融支援機構のビルへと続く、長い散策路が実現している。、、、、、二人で歩くにはいい処。
 
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・・・・・・・・・・・・・・振り返ると築地塀は後楽園の入口へ延びる。 つつじ(?)が花の散策路を作り誘導してくれる。
 
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③小石川後楽園・・・・・・・・・・寛永6年(1629)に水戸徳川家の中屋敷として造られたもので、水戸黄門(光圀)の代に完成した。 石造りの太鼓橋、杭州の西湖を模した堤、など中国趣味豊かな庭園である。、、、、、現後楽園(庭園)は、明治時代に組織された東京砲兵工廠の敷地の中央に位置していた。 砲兵工廠は、南の外堀通り、東の白山通り、北の春日通り、そして西は春日通の富坂上と外堀通りの飯田橋職安前を結ぶ線、で囲われた広大な敷地である。 そこには、現在の後楽園遊園地、球場、文京区役所、中央大学理工学部、小石川運動場なども含まれる。、、、、実際に当時の地図を見ると、現在の庭園部分は砲兵工廠敷地の中央にそのまま残され、周囲に各種建物が配されていた。 それゆえ、江戸時代の名園は破壊されることなく、今日見ることができるのである。
 
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・・・・・・・・・・・・・・チョイと余談だが、10年ほど前までは、写真中央の建物の5階に私のデスクがあった。 毎日、名園を眺めながら一生懸命タバコを吸っていたね!
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・・・・・・・・・・・・・・園内に今日の散歩で見たかったものが二つある。、、、、一つは、昭和10年(1935)に建立された「陸軍造兵廠 東京工廠跡 記念碑」である。 特異な形は、砲兵工廠の敷地をかたどっている。 まさに、小石川後楽園が工廠の跡であることを示している。
 
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・・・・・・・・・・・・・・二つ目は、園内に残る工廠時代の弾丸製造機械の一部。 どうやって、使用しものか、私には判らん。 案内板などは一切なく、静かに置かれている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・庭園を出て、地下鉄後楽園駅の方に向かう築地塀には、江戸城外堀の石垣を再利用して組まれている。 石には、築いた大名を表す刻印を見ることができる。
 
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④東京都戦没者霊苑・・・・・・・・・・春日通に面し、中央大学理工学部と礫川公園の間に、東京都関係戦没者16万人の霊を祀る霊苑がある。 この地も砲兵工廠の跡地の一部である。 ここには小石川陸軍工科学校があった。 霊苑の設計は建築家:相田武文による。、、、、、、昭和6年(1931)の満州事変から終戦までの戦没者に、手を合わせてきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・苑内には遺品を展示する施設もある。、、、、どうもダメだ、遺品を見ると目が潤む。
 
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・・・・・・・・・・・・・・苑内の片隅に、「諸工伝習所跡記念碑 陸軍砲兵工科 工科学校跡」と刻まれた碑が、訪れる人もなく静かにたっている。、、、、、明治5年 (1872)に諸工伝習所を創立し、その後陸軍砲兵工科学校陸軍工科学校陸軍兵器学校と名はかわったが、昭和20年(1945)までの73年間陸軍技術の教育が行われていたところ。、、、、、諸工伝習所創立100周年にあたる昭和47年(1972)に、卒業生が碑を建立したものである。、、、、、私の父は、ここにあった陸軍工科学校の卒業生の一人である。 今日は、亡き父にかわり、母校に訪れてみた。
 
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●・・・・・・・・・・・小石川の砲兵工廠跡として、現存する建物はないが、広大な敷地がその後どのように変わっていったか、地図を見ながらチョイト勉強するかな。

2017年1月 6日 (金)

西日暮里~駒込

西日暮里駅から、裏通りを気ままに歩き駒込駅まで、坂と寺社巡りとなった、1万2千歩の散歩です。
 
 
 
①西日暮里駅・・・・・・・・・・・・昭和46年(1971)4月20日に開業した、山手線の駅としては最も新しい駅である。 接続する地下鉄千代田線の西日暮里駅は、昭和44年(1969)12月20日の開業である。 JRは田端~日暮里間に、千代田線との乗換駅として開業したため、隣駅との駅間距離も500m程で短い。 一般の改札口はガード下の小さな出入口のみで、地下には千代田線との連絡用の大きな乗り換え改札がある。 JRと地下鉄の“乗り換え客のための乗換駅”である。 その乗り換え客に、100m程離れた日暮里舎人ライナーからの乗り換え客も合流し、朝の駅は人の流れが絶えることはない。
 
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②ひぐらし坂と向陵稲荷坂・・・・・・・・・・西日暮里駅の西側に名門受験校開成学園がある。 その開成高校のキャンパスを挟むように、東側には「ひぐらし坂」、西側には「向陵稲荷坂」がある。
 
・・・・・・・・・・・・ひぐらし坂、、、、、駅前歩道橋に続き開成高校の東側を上っていく坂。 坂の名は、平成2年(1990)、「ひぐらしの里」に因み、地元から要望によって、愛称として命名されたそうだ。 ナン~~ダ、ソレダケ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・向陵稲荷坂(こうりょういなりざか)、、、、、、開成高校校舎と開成中学校舎の間を上る坂。 この一帯は古く道灌山であった。 坂の途中には向陵稲荷(佐竹右京大夫の屋敷に祀られていた)があり、坂の由来となる。 
 
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③道灌山・・・・・・・・・・・開成高校の北側(ひぐらし坂を上った処)からは、JRの線路を見下ろすことができる。 日暮里4丁目の道灌山だ。 この山には、かつて秋田藩主佐竹右京大夫の屋敷があった。 屋敷の見晴台からは、筑波山、国府台(市川市)などを望むことができたそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・道灌山から荒川区西日暮里4と北区田端1の区境を下る道灌山坂がある。 この坂も、地元の要望で平成18年(2006)に名付けられたそうだ。、、、、、地元の要望で命名してくれるなら、我が家の前の通りは「雅万歩横丁」と名付けてもらえないか(?) 区長に会ったら聞いてみよう。
 
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④与楽寺・・・・・・・・・・北区田端1丁目に入り、真言宗豊山派の宝珠山地蔵院与楽寺に寄った。 与楽寺の創建年代は不詳であるが、弘法大師が寺院をこの地に建立したのが始まりだと言われ、慶安元年(1648)には寺領20石の御朱印状を拝領し、京都仁和寺の関東末寺の取締役寺を務めていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・只今、山門は基礎工事中で無い。 その姿の見えない山門前の坂を与楽寺坂という。 今はアパートとなり、面影は残っていないが、この坂の上に芥川龍之介が住んでいた。
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⑤田端八幡神社~吉祥寺・・・・・・・・・・・・与楽寺から裏道を抜けると、田端八幡神社に出た。 これより、田端八幡神社、隣の東覚寺、不忍通りを越えて文京区本駒込3の天祖神社、吉祥寺までは、平成14年6月に歩いていた。 今日はダイジェスト版で!
 
・・・・・・・・・・・・・田端八幡神社、、、、、、、平成4年(1992)に再建され、翌年5月に遷座祭が行われた社殿。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東覚寺、、、、、、、昔は田端八幡神社の別当寺であった東覚寺。 今は、谷中七福神の福禄寿を祀り、商売繁盛を実践しているのか(?) 今日も七福神巡りの団体さんが参拝してる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・天祖神社、、、、、、本駒込の天祖神社。 空襲により消失した社殿も、昭和29年(1954)新築し現在に至る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・吉祥寺、、、、、、中央線の吉祥寺駅周辺には吉祥寺という寺はない。 ここ本駒込の吉祥寺門前の住人が五日市街道沿いを開発・移住したことにより、かつての地を偲び吉祥寺と命名したそうだ。
 
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⑥神明都電車庫跡公園・・・・・・・・・・本駒込4の勤労福祉会館と都営住宅に隣接する公園。 かつて、ここには都電の神明町車庫があった、その跡地である。 公園内には、都電6000形一両と、貨物車の乙2号一両が、雨ざらし状態で保存されている。、、、、、、都電6000形は290両が製造され、台数としては一番多い車両である。 保存されている6063号電車は、昭和24年(1949)3月に造られ青山車庫に配属され、その後、大久保車庫、南千住車庫を経て、昭和42年(1967)9月に神明町車庫に配属された。 3年後の、昭和45年(1970)12月に荒川車庫へ転属し、昭和53年(1978)4月に廃車となった。 きっと、私も南千住車庫の時代に乗ったことがある車両だろう。、、、、、、乙2号は、昭和16年(1941)に造られ、荒川車庫で資材運搬などで使われ、昭和46年(1971)3月に廃車となった。、、、、、、どちらの車両とも、チョイと痛々しい姿となっている。 もう少し手入れして欲しいね!
 
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⑦駒込富士神社・・・・・・・・・・・・吉祥寺から駒込駅へ向かう途中に、駒込富士神社がある。 富士神社は、天正2年(1574)本郷村名主木村万右衛門、同牛久保隼人の二人が、駿河の富士浅間社を勧請して、本郷村(元富士神社地、現:東大本郷キャンパス)に創建した。 寛永6年(1629)、本郷の地が加賀藩前田家の上屋敷に充てられ、前方後円墳のあった当地に移転した。 現社殿は昭和37年(1962)頃の再建である。、、、、、古墳が富士塚に変わったのか(?) 社殿は塚の上だ。、、、、、神社は氏子を持たず、富士講組織で成り立っていたそうだ。
 
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駒込駅 ・・・・・・・・・・今日は荒川区の西日暮里駅で下車し、北区、文京区を歩き、豊島区の駒込駅から帰宅。 
 
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2016年12月25日 (日)

浅草橋~水道橋

我が家(浅草橋)から蔵前橋通り沿いに歩いて水道橋駅まで、1万2千歩の散歩です。
 
 
 
①甚内神社・・・・・・・・・・我が家から1分半の至近距離にある、浅草橋3丁目、裏通りの小さな社の甚内神社(じんないじんじゃ)。 神社の由緒は、、、「甚内霊神」の名で江戸時代初期に創建された。 「甚内」は武田家の家臣高坂弾正の子で、主家滅亡後、祖父に伴われ諸国を行脚するうち宮本武蔵に見出されて剣を学び奥義を極めた。 武田家再興をはかり、開府早々の江戸市中の治安を乱したため、瘧(おこり、=マラリア)に苦しんでいたところを幕府に捕えられた。 鳥越の刑場で処刑されるとき「我瘧病にあらずば何を召し捕れん。我ながく魂魄を留、瘧に悩む人もし我を念ぜば平癒なさしめん」といったことから、病の治癒を祈る人々の信仰を集めたという。、、、、、、今でも、8月の甚内の命日には、有志の方から子供に菓子が配られている。 地域にピッタリと密着した神社である。
 
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②鳥越神社・・・・・・・・・・こちらは浅草橋の町とは蔵前橋通りを挟み向かい合わせる鳥越2丁目にある、「鳥越の夜祭」で全国的に有名な神社。、、、、白雉2年(651)、日本武尊を祀って白鳥明神と称したのに始まる。 前九年の役征圧のため源頼義、義家父子がこの地を通った際、白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知り大川(隅田川)を渡ることができた。 それを白鳥明神の加護とたたえ、鳥越大明神の社号を奉った。 江戸時代までは2万坪の広大な敷地を有していたが、徳川幕府にほとんどの土地を取り上げられたそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・神社前の蔵前橋通り。 この通りは、関東大震災後に、造られた文京区湯島から江戸川区小岩に伸びる通りである。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・道筋の植え込みには、早くもスイセンが咲いていた。
 
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③櫻稲荷神社・・・・・・・・・台東区台東2丁目、蔵前橋通りから入る細い参道に朱塗りの鳥居がある。 これぞ、知る人は知る、知らん人は知らん、「櫻稲荷神社」だ! 神社は大名の藤堂家邸内に鎮座していた稲荷神社で、関東大震災後に地元の岡本悟一氏が奉受して桜稲荷神社としたといいます。 昭和27年(1952)には京都伏見稲荷神社より分霊を勧請、鎮座した。、、、、、この細い路地に、“よくぞ祀ったお稲荷さん”と云うわけだ!
 
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④神田キリスト教会・・・・・・・・・・・・ 蔵前橋通りと中央通りが交差する末広町交差点。 その南東側(旧:松富町)で私は育ち、南西側に教会はある。、、、、、、私の知る戦後の教会の姿はなく、現教会は平成3年(1991)に建て替えられた。、、、、、秋葉原、電気街の裏通りにある神田キリスト教会は、日本聖公会の教会で、明治10年(1877)に献堂された。 その後、震災、戦災を経て現在に行っている。、、、、、今日は、教会の方に昔の教会を撮った写真がないか聞いてみたが、残念ながら見ることはできなかった。
 
・・・・・・・・・・・・・玄関にはクリスマスリースが飾られ、今日はクリスマス礼拝の日。
 
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・・・・・・・・・・・・・・チョイと、聖堂を拝見。 三角の天井が奥行の深さをを演出し、心落ち着く空間である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・平成9年(1997)に設置されたオランダライル社製のパイプオルガン(2段鍵盤+ペダル、20ストップ)を演奏してくれた。 このオルガンは、北ドイツ・バロック様式で作られた楽器らしい。 (私には、チンプンカンプン?)
 
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⑤明神下 神田川・・・・・・・・・・・江戸末期の文化2年(1805)創業の、うなぎ蒲焼の老舗。 太い丸太の門柱と長く伸びる黒板塀。 純和風の二階建ての建物は、昭和27年(1952)の再建と言われている。、、、、、、本日は休業日だが、約200年続いた味がしみ込んでいるのか、前を通ったら鰻を焼く匂いがする。 ご飯を持ってきたら店の前で食事ができるかもね。
 
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神田明神・・・・・・・・・・例年、企業の初詣で賑わう神社。 今年も迎える準備は着々と進んでいるようだ、巫女さんも忙しそうで写真を撮るのに応えてくれそうもない。 今日は建物だけで、我慢・ガマン。
 
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⑦霊雲寺・・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・清水坂を上り、妻恋神社に手を合わせ、霊雲寺に向かう。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・文京区湯島2丁目、霊雲寺(れいうんじ)は真言宗霊雲寺派総本山の寺。 本尊は胎蔵界・金剛界大日如来。 元禄4年(1691)徳川幕府の永代祈願所として、江戸城から見て鬼門にあたる北東の当地に創建された。、、、、、、、震災・戦災で堂宇を焼失し、現本堂は昭和51年(1976)に建てられた。 湯島にあっては広い境内で、いずれ鐘楼なども再建されるようだ。
 
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⑧水道橋のガード・・・・・・・・・・・水道橋駅東口、白山通りに架かる二つの架道橋。
 
・・・・・・・・・・・・・まずは、緩行線が走る新水道橋架道橋。  明治37年(1904)に開通した、甲武鉄道発注のHarkort製(ドイツの橋梁メーカ)プレートガーダーの橋。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・新水道橋架道橋(緩行用、左側)に並行する、水道橋架道橋(急行用、右側)。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・水道橋架道橋は水道橋駅南側の快速が走る鉄橋で、東京歯科大の横、ガード下にはおにぎり屋さんなどの店舗もある。 形式は、複線下路カンチレバープレートガーダーラーメン脚一体高架橋。 8径間で橋長151.18m。
 
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⑨水道橋駅・・・・・・・・・・・駅名の由来は神田上水の掛樋(すなわち、水道の通る橋)が近くにあったことによる。 明治39年(1906)9月24日、甲武鉄道の駅として開業した。、、、、、古い駅でホーム上屋には古レールを再利用した架構を見ることができる。、、、、、、55年程前の私は、ここから都電に乗り換え白山の学校に通った。 それから35年後には勤務する会社が水道橋駅の近くとなった。 今は、世話になる内科クリニックが水道橋にある、いつもでも縁の切れない駅である。
 
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2016年11月25日 (金)

東大の黄葉

東大 の黄葉を見に本郷キャンパスに行ってきた。 JRお茶の水駅から千代田線千駄木駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。
 
 
・・・・・・・・・・・・・東大構内に入る門は多いが、赤門の南側(本郷通りからは、赤門の右手の裏通り)にある懐徳門を入ると、両側に煉瓦の塊が置かれている。 一つは医学部薬局の基礎、もう一つは前田侯爵邸懐徳館の基礎で、共に建物は現存せず、構内整備の中で基礎部分が発掘されたものである。 前田侯爵邸に使われた煉瓦(次の1枚目の写真)は日本煉瓦製造会社製の機械で整形された煉瓦である。 医学部薬局に使われた煉瓦(2枚目の写真)は、小菅収監製の手作りで整形した煉瓦である。 比べてみると、侯爵邸の煉瓦は形が整っているようだ。 小菅収監(刑務所)のは、チョイと不揃いだが“味”のある煉瓦。、、、、小菅収監製の煉瓦には桜の刻印がある。 作った人には桜の刺青があったかも。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ご存じ、旧加賀藩主前田家上屋敷の御守殿門(通称:赤門)。 文政10年(1827)に前田家が第11代将軍徳川家斉の第21女:溶姫を迎える際に造られた切妻造りの薬医門である。 左右の番所は唐破風造り。 国の重要文化財なり。、、、、東大では有名な門なので、正門と間違える人もいる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・懐徳館(かいとくかん)、、、、、旧前田家の邸宅で、明治天皇の行幸に際し、和館と洋館が建設されたが、東京大空襲で焼失した。 現在の建物は、昭和26年(1951)に再建した和館である。、、、、、一般には非公開の建物、私は東大卒ではないので、知らずに入ってしまった。 ゴメン!
 
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・・・・・・・・・・・・史料編纂所・社会科学研究所・・・・・・総合図書館(昭和3年(1928)の建築、設計:内田祥三)の増築部として建てられた。 図書館の正面は北側で、現在改修中。 史料編纂所の出入口は西側に造られている。、、、、チョイと内部も拝見。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・史料編纂所の半地下に「明治新聞雑誌文庫」と標した入口がある。、、、、、明治期の日本で刊行された新聞雑誌最大のコレクションを有する、明治初期から戦前期にかけての新聞・雑誌、資料を中心とした資料収集、調査、整理を進めているそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・本日の散歩の目的地、正門前の黄葉。 正門から安田講堂に向かいイエローロードは、お見事!
 
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・・・・・・・・・・・・・農学部のある弥生キャンパスも黄葉の盛り。 落ち葉を踏みしめ校舎へ向かう学生、イチョウは滑るから要注意!
 
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・・・・・・・・・・・・・・黄葉の中、忠犬ハチ公とじゃれあい喜ぶ上野英三郎博士。、、、、ハチ公没後80年にあたる平成27年(2015)3月8日に、除幕式が行われた、農学部正門横の「上野英三郎博士とハチ公」像。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・黄葉を堪能し、千駄木駅から帰る。

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