千代田区

2017年8月23日 (水)

水道橋~浅草橋

今日は午後から循環器内科の定期検診日。 水道橋のクリニックへ行き、帰りは浅草橋の我が家まで、猛暑の中、汗ダラダラで歩いてきた。
 
 
 
①後楽森ビル・・・・・・・・・・・・・庭園の後楽園を背にして、外堀通りに面する後楽森ビル(写真中央)。 地上19階、地下5階のビルは平成12年(2000)3月に竣工した。 このビルの地下部分は、東京都下水道局後楽ポンプ所として利用されている。 ポンプ場の上空の部分の権利を森ビルが借り受け、賃貸ビルとしたものである。、、、、、私の通う循環器内科クリニックはこのビルの中にある。 通い始めて十数年、吾輩の血圧・血糖・コレステロールなどの各種数値はもとより、他の病院・医院の受診・手術履歴も含め、院長先生のコンピュータに極秘情報として記録され管理されている。 わが命をコントロールしている、きわめて大事なクリニックである。 北朝鮮のICBMがここに落ちてこないように願うばかりだ。
 
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神田川・・・・・・・・・・・外堀通りとJR中央線の間を流れ下る神田川。 この川に舟を浮かべ、漕がずとも寝ていれば我が家のある浅草橋に流れ下ることができるのだが、今の時代では実現は無理だ!
 
・・・・・・・・・・・・・・後楽橋の際にある千代田清掃事務所三崎町中継所では、「はしけ」と呼ばれるごみ運搬船に、千代田区と文京区で収集されたゴミが積み替えられている。 「はしけ」一隻でごみ収集車15~20台分のゴミを運べるそうだ、バツグンの輸送効率、都心を走り抜ける収集車の低減にも役立つ。 「はしけ」は神田川を下り隅田川から東京湾の中央防波堤外側埋地処分場にゴミを運び、ゴミは埋立処分される。、、、、、私の幼き頃(終戦直後)は、秋葉原などにも中継所があり、神田川、隅田川は数多くのごみ運搬船、汚わい船が行き来していた。 私も、その川でハゼを釣って遊んでいた子供の一人である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・白山通りが走る水道橋から、お茶の水方向の川筋を眺めると、左岸に神田川分水路の口が見える。、、、、、分水路とは、地下に作られた人工の川で、道路で言うとバイパスのような役割がある。 つまり、台風などで増えた水量を吸収し、洪水を防ぐ目的で造られている。 神田川も洪水対策として、上流側から高田馬場分水路、江戸川橋分水路、水道橋分水路、お茶の水分水路と続いている。 写真の分水路の口は、水道橋分水路の出口で、お茶の水分水路の入り口である。 口の上部の道路際に「お茶の水分水路」の碑がある。、、、、暗いけど、探検気分で、一度は入ってみてみたいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・「お茶の水分水路」の碑の隣に、もう一つ碑がある。 それが「神田上水懸樋(掛樋)跡」の碑である。 水道橋からお茶の水方向に上る、お茶の水坂 の途中である。、、、、、 坂の途中、神田川をまたぐように架かっていた江戸時代、神田川に木製の樋(とい)を架け、神田上水を通し、神田、日本橋方面に給水していた掛桶(かけひ)と呼ばれるものがあった。 掛桶は明治34年(1901)まで、その役割を果たしていたそうだ。、、、、、掛桶の模型が近くの東京都水道歴史館にあったので、ラッキー、撮ってきた!
 
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③東京都水道歴史館・・・・・・・・・水道歴史館は、東京都水道局本郷給水所の施設上部に造られた人工地盤上に建てられた水道局のPR施設である。 人工地盤上には公苑も造られており、木々が茂り、小川が流れ、穏やかな空間を創り出している。、、、、、猛暑の中を歩き、チョイと熱中症が心配になった。 冷房の効いた歴史館で一休み。
 
・・・・・・・・・・・・江戸から東京まで、400年間の水道の歴史を語る施設である。 江戸時代の玉川上水に始まり、現代の高度浄水施設までをパネル・模型・資料で知ることができる。、、、、、親切に音声ガイダンスも貸してくれる。 外国語でも聞こえるので、チャンネルを間違えると、チンプンカンプンとなる。、、、、、夏休みの宿題「自由研究」で訪れている親子も多い。 この時期らしいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・水道歴史館の裏側は、本郷給水所公苑として、人工地盤上に和風庭園と洋風庭園が造られ公開されている。、、、、、あまりにも日差しが強く、木陰で休む人が一人、二人ほど。
 
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④御茶ノ水駅バリアフリー整備工事・・・・・・・・・・・非常に狭い構内に、いかにしてバリアフリー化するか難しい問題である。 その答えは、現在のホーム上に人工地盤を造り、そこをコンコースとして、階段、エスカレータを整備するらしい。 計画では、2018年度内にバリアフリー関連整備を終え、2020年までに駅舎・駅前広場などの工事を終える予定らしい。、、、、、只今、人工地盤構築中。 難しい工事だ、事故を起こさないように“安全第一”。
 
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⑤東京都下水道局和泉町ポンプ所・・・・・・・・・・・・・秋葉原の電気街を抜け、昭和通りを越え、浅草橋方面に向かうと千代田区神田和泉町に入る。 その一角に、大正11年(1922)に建てられた鉄筋コンクリート造2階建て、外装は煉瓦風タイルを貼り付け新しくなっているが、元の形状を保った小さな建物がある。 現在は無人となった和泉町ポンプ所である。、、、、、、建物を囲う煉瓦塀は、古い煉瓦がそのまま残っている。、、、、、私の幼き頃と建物の雰囲気は変わっていない。 当時は、周辺に焼け野原もあり、夕方近くになると薄暗く、妖怪でも出そうなチョイト怖い建物だった。 
 
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●・・・・・・・・・・・・タップリ汗をかき、濡れた服で我が家に到着。 約2時間の散歩でした。

2017年5月 5日 (金)

浅草橋~東中野

浅草橋の我が家から、総武・中央線沿いに飯田橋まで行き、そこから地下鉄東西線の神楽坂、早稲田をとおり、馬場下交差点からは学習院女子大、百人町アパートを抜けて東中野駅までの散歩です。、、、、GWのすいた都心を歩いてきた。
 
 
 
●am7:50・・・・・・・・・・・・浅草橋駅西口をスタートする。、、、、秋葉原の隣だが、人影も少ない寂しい駅である。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・両国~浅草橋~秋葉原~お茶の水間は昭和7年の開業で、この間の高架部分、架道橋は当時のままである。 耐震工事のため高架下の建物は壊され、スッポンポンの状態で、チョイト悲しい姿をさらしている!
 
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●am8:00・・・・・・・・・・・・秋葉原駅昭和通り口を通過。
 
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●am8:20・・・・・・・・・・・・昌平橋交差点を通過。、、、、、、神田川 に架かる昌平橋は関東大震災のあった大正12年(1923)に、震災直前に完成した。 そのため、昭和 5年(1930)に修復工事が行われた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・交差点の頭上には総武線の松住町架道橋が架かる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・また昌平橋からは、神田川の川幅いっぱいに大股を広げた総武線神田川橋梁が見える。 お股の奥には丸ノ内線神田川橋梁聖橋(工事中)が見える。
 
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●am8:25・・・・・・・・・・・・昌平坂を上る。、、、、、、別名「相生坂」とも言う、湯島聖堂前の昌平坂を上り丸ノ内線お茶の水駅に出る。、、、、、急な坂ではないがダラダラ上る坂は、手術で肺活量が小さくなった私にはキツイ!ゼイゼイ・ハアハア、美人を見るとドキドキ・ビクビク。
 
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●am8:40・・・・・・・・・・・・引き続き、お茶の水坂を下る。、、、、、、お茶の水と水道橋の間で、神田川の北側(文京区、外堀通り)にある坂。、、、、、、今日の外堀通りは行きかう車も少なく、神田川沿いの緑を眺め歩くのは、気分爽快。
 
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・・・・・・・・・・・・・坂を下ると水道橋交差点に出る。 右に後楽園遊園地、左に水道橋駅
 
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●am9:00・・・・・・・・・・・・飯田橋交差点を通過。、、、、ここからは、地下鉄東西線のルート沿いに歩く。
 
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●am9:20・・・・・・・・・・・・神楽坂駅を通過。、、、、飯田橋からは、熊谷組本社牛込消防署を通り、裏道を歩いて坂上(新宿区矢来町)にでる。
 
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●am9:40・・・・・・・・・・・・早稲田町の龍善寺を通過。、、、、早稲田通りに面してたつズングリ・ムックリの寺院が、真宗大谷派の龍善寺。 寛永15年(1638)千駄ヶ谷に天台宗寺院として創建し、その後、寛文7年(1667)早稲田に移転した。、、、、なんだか、チベットの寺院を模したような建物で好きになれないね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・道路を挟み龍善寺の隣、小さな祠に落馬地蔵が祀られている。 寛永3年(1626)、三代将軍徳川家光が鷹狩をしに高田馬場へ向かう途中、ここで急に馬がいななき、立ち上がったため落馬した。 馬の名手だった家光が落馬するには、何かあったのだろうと、村人が調べると、近くを流れる川の橋の下から1体の地蔵菩薩の石像が現れた。 そのことを、家光に報告すると「尊いお地蔵様を粗末にしたからだ」と家光は「落馬地蔵」と名付けお堂を作ってお祀りするように命じた。、、、、家光が命じたわりには、粗末な祠に祀られているね。 隣の龍善寺に堂を寄進してもらうといいね。
 
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●am9:50・・・・・・・・・・・・早稲田駅を通過し、穴八幡宮鳥居前から東西線にサヨナラして、諏訪通りに入る。
 
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●am10:10・・・・・・・・・・・・穴八幡から諏訪通りに入ると、これまた嫌いなダラダラの上り坂。 早稲田大学、戸山公園の前をとおり、長い煉瓦塀が伸びる学習院女子大前に出る。 坂道は終わり諏訪神社前を抜けると、前方に山手線のガードが見えた。
 
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●am10:20・・・・・・・・・・・・諏訪通りの先で西武新宿線・埼京線・山手線の上下6線が走るガードをくぐり山手線の外に出る。、、、、これで、秋葉原から高田馬場まで山手線を横断したしたことになる。 御苦労!
 
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●am10:30・・・・・・・・・・・・百人町の都営アパートを内を突き抜ける。 ここを抜けると神田川に出て、川沿いに歩けば東中野駅。
 
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●am10:50・・・・・・・・・・・・東中野駅へ到着。 今日の散歩はここまでとする。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・今日のルートの総延長は9.6km程、歩数は1万6千歩。、、、ア~ア、疲れた!
 

2017年4月26日 (水)

後楽園

今日は循環器内科の定期検診日。 庭園「後楽園」の南側にあるクリニック。 検診後は庭園に寄り、さらに地下鉄「後楽園」駅周辺を歩いてきた。
 
 
 
①後楽橋・・・・・・・・・・後楽園の場外馬券売り場へ通う人はよくご存じの橋。 競馬新聞を片手に水道橋駅から馬券売り場(黄色いビル)に直結する人道橋「後楽園ブリッジ」の隣に並行して架かる橋。、、、、神田川に架かり、千代田区三崎町2・3丁目と文京区後楽1丁目を結ぶ橋。 関東大震災の復興橋の一つで、昭和2年(1927)11月2日に架設され、長さ21.0m、幅22.56mの鉄製のアーチを描く橋桁が特徴的な橋。 建設時の工事費は13万7千円也。、、、、名の由来はズバリ“後楽園”。
 
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②トヨタ自動車東京本社ビル・・・・・・・・・・私が診察を受けるクリニックが入居する「後楽森ビル」(19階建て)と並ぶ、地上19階/地下5階建て、高さ89mの高層ビル。 設計は日建設計、施工は大林組+竹中工務店+清水建設、昭和57年(1982)の竣工。
 
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・・・・・・・・・・・・・・小石川後楽園の南側に隣接しているため景観に配慮した設計となっている。 敷地周囲には公開空地があり、緑豊かな散策路となっている。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・後楽園の築地塀に接する北側の空地は、隣の森ビル、住宅金融支援機構のビルへと続く、長い散策路が実現している。、、、、、二人で歩くにはいい処。
 
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・・・・・・・・・・・・・・振り返ると築地塀は後楽園の入口へ延びる。 つつじ(?)が花の散策路を作り誘導してくれる。
 
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③小石川後楽園・・・・・・・・・・寛永6年(1629)に水戸徳川家の中屋敷として造られたもので、水戸黄門(光圀)の代に完成した。 石造りの太鼓橋、杭州の西湖を模した堤、など中国趣味豊かな庭園である。、、、、、現後楽園(庭園)は、明治時代に組織された東京砲兵工廠の敷地の中央に位置していた。 砲兵工廠は、南の外堀通り、東の白山通り、北の春日通り、そして西は春日通の富坂上と外堀通りの飯田橋職安前を結ぶ線、で囲われた広大な敷地である。 そこには、現在の後楽園遊園地、球場、文京区役所、中央大学理工学部、小石川運動場なども含まれる。、、、、実際に当時の地図を見ると、現在の庭園部分は砲兵工廠敷地の中央にそのまま残され、周囲に各種建物が配されていた。 それゆえ、江戸時代の名園は破壊されることなく、今日見ることができるのである。
 
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・・・・・・・・・・・・・・チョイと余談だが、10年ほど前までは、写真中央の建物の5階に私のデスクがあった。 毎日、名園を眺めながら一生懸命タバコを吸っていたね!
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・・・・・・・・・・・・・・園内に今日の散歩で見たかったものが二つある。、、、、一つは、昭和10年(1935)に建立された「陸軍造兵廠 東京工廠跡 記念碑」である。 特異な形は、砲兵工廠の敷地をかたどっている。 まさに、小石川後楽園が工廠の跡であることを示している。
 
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・・・・・・・・・・・・・・二つ目は、園内に残る工廠時代の弾丸製造機械の一部。 どうやって、使用しものか、私には判らん。 案内板などは一切なく、静かに置かれている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・庭園を出て、地下鉄後楽園駅の方に向かう築地塀には、江戸城外堀の石垣を再利用して組まれている。 石には、築いた大名を表す刻印を見ることができる。
 
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④東京都戦没者霊苑・・・・・・・・・・春日通に面し、中央大学理工学部と礫川公園の間に、東京都関係戦没者16万人の霊を祀る霊苑がある。 この地も砲兵工廠の跡地の一部である。 ここには小石川陸軍工科学校があった。 霊苑の設計は建築家:相田武文による。、、、、、、昭和6年(1931)の満州事変から終戦までの戦没者に、手を合わせてきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・苑内には遺品を展示する施設もある。、、、、どうもダメだ、遺品を見ると目が潤む。
 
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・・・・・・・・・・・・・・苑内の片隅に、「諸工伝習所跡記念碑 陸軍砲兵工科 工科学校跡」と刻まれた碑が、訪れる人もなく静かにたっている。、、、、、明治5年 (1872)に諸工伝習所を創立し、その後陸軍砲兵工科学校陸軍工科学校陸軍兵器学校と名はかわったが、昭和20年(1945)までの73年間陸軍技術の教育が行われていたところ。、、、、、諸工伝習所創立100周年にあたる昭和47年(1972)に、卒業生が碑を建立したものである。、、、、、私の父は、ここにあった陸軍工科学校の卒業生の一人である。 今日は、亡き父にかわり、母校に訪れてみた。
 
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●・・・・・・・・・・・小石川の砲兵工廠跡として、現存する建物はないが、広大な敷地がその後どのように変わっていったか、地図を見ながらチョイト勉強するかな。

2017年3月23日 (木)

靖国通り

気象庁は21日、東京で桜が開花したと発表した。 平年より5日早い開花宣言である。 気象庁は間違えることはないと思うが、念のため私が自分の目で確かめるべく、今日の散歩では、靖国神社の標本木開花状況を確認に行くこととした。、、、、、浅草橋の我が家から、靖国通りを歩き靖国神社へ、帰りは市ヶ谷駅から帰宅。 1万2千歩の散歩です。
 
 
①浅草橋交差点・・・・・・・・・・「浅草橋」の町と駅は台東区側に、神田川に架かる「浅草橋」の両岸は台東区と中央区、「浅草橋交差点」は中央区側にある。 毎度のややっこしい説明である。、、、、、浅草橋交差点には、都電12系統(新宿駅~両国駅)、29系統(葛西橋~須田町)の浅草橋停留所があった。 中学生の私は、ここから都電通学をしていた。、、、、、、交差点角の旗店(写真左端)は、私が高校生の頃、夏・冬休みの間、数年間バイトで世話になった店である。 、、、、写真右端には、昭和初期に建てられたイーグルビル がある。
 
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②東神田交差点・・・・・・・・・・・50年ほど前、ここには豊島町停留所があった。 角に建つのは、平成3年(1991)に竣工した龍角散ビル。、、、、、交差点角に植えられた桜は散り始めていた。
 
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③岩本町交差点・・・・・・・・・12系統、29系統の都電は、浅草橋、豊島町と停まり、次は岩本町停留所である。 今は、都営新宿線の岩本町駅が地下にある。、、、、、私の勤務先のオフィスが交差点の角のビルにあり、短い期間であったが徒歩通勤できた時期もあった。
 
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④須田町交差点・・・・・・・・29系統はここ須田町停留所が終点。 通学する私は、ここで10系統(渋谷駅~須田町)、12系統に乗り換える。、、、、、、写真左端のビルが建つ前は、フルーツパーラーも営業していた高級果物屋「万惣」があった。 戦前からモダンなビルで営業し、ホットケーキ、フルーツパフェは絶品であった。 その万惣は東日本大震災によって変わったビルの耐震基準を満たせず建て替えが検討されたが、経営が難しく廃業することとなった。 私は6歳ぐらいまで、祖母とよく万惣にきた思いでの店だった、残念!
 
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・・・・・・・・・・・・・・万惣とは180度反対側の交差点角に、鷹岡東京支店のビルがある。 こちらは、昭和10年(1935)に建てられた建物で、千代田区景観まちづくり重要物件に指定されている。
 
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⑤淡路町交差点・・・・・・・・・10系統、12系統とも須田町の次は淡路町停留所。、、、、、淡路町交差点を北へ向かうと「神田志乃多寿司 」がある。 明治35年(1902)創業の老舗である。、、、、、我が家では、月に1回は食する食事メニューの定番。
 
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・・・・・・・・・・・・・もう一つ、味の老舗、蕎麦の「神田まつや」(創業明治17年)。 こちらは、自分で行って、食べれば判る! 現在の建物は大正14年(1925)の築。
 
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⑥小川町交差点・・・・・・・・・・・・ここには、小川町停留所があった。、、、、かつて、近くの美土代町にYMCAの本部ビル(写真:中央左側の大きなビルの付近)があり、そこの地下にプールがあった。 中学生の私が利用しに行って驚き、恥ずかしく、胸ドキドキしたことを忘れることはできない。 昭和37年頃の話だが、当時はまだ衛生状態が悪く病気に注意している時代。 YMCAのプールは男性専用で、主にアメリカ人が利用し泳ぐ人は皆“ふるチン”だった。 私も用意してきた海パンを着用せずに利用したが、泳ぎの練習にはならず、恥ずかしさのみ残った。(あそこも、ちいさかったからね) 2度と行くことはなかったね!
 
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⑦駿河台下交差点・・・・・・・・・・ここも、その名と同じ駿河台下停留所があった。、、、、“三省堂前”と命名しても違和感のない停留所。 神保町から駿河台下までは本屋が並び、昭和30年代は学習参考書を買いに、昭和40年代は建築関連の図書を求め、昭和60年代はエロ本を求め裏通りの書店に、平成になると本も読まず本屋巡りは遠退いた!
 
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・・・・・・・・・・・・・・駿河台下から見る我が母校明治大学リバティータワー。 平成10年(1998)に完成した、地上23階/地下3階、高さ約120mの校舎。 私が学んだ頃は、こんな建物はなくドーム屋根の古びた記念館であった。 
 
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⑧神保町交差点・・・・・・・・・・・神保町停留所があった。 ここで、通学時の私は、18系統(志村坂上~神田橋)か35系統(巣鴨車庫~田村町一)に乗り換え、指ガ谷町(現:地下鉄三田線白山の近く)に向かった。、、、、、交差点角の廣文館書店は戦前からある書店だが、置いてある書籍は学習書ではなく、旅行・グルメ・雑誌が主であった。 今時の学生は『傾向と対策』、『赤尾の豆単』など買わないのか?
 
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⑨専大前交差点・・・・・・・・・・都電10系統、12系統は専修大前停留所と呼んでいた。、、、、、ここの交差点角にみずほ銀行のビルがある。 このビルは、私が勤務していたゼネコンが建て、東京支店が入居していたビルで、仕事の関係でしばしば訪れ勝手知ったるビルだった。 今はよそ者である。、、、、、その向かいに、知る人ぞ良く知るアダルト向けのH書店がある。 今はDVDの時代だが、私が入店していた頃は、ビニールのかかった“ビニ本”の時代。 雨の日、店先で傘をなくし、店内で会社の人に会い、互いに秘密を知った良き時代であった。
 
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⑩九段下交差点・・・・・・・・・交差点名と同じ、九段下停留所があった。 軍人会館九段会館はこちらで下車、ただし東日本大震災以降は閉館中。、、、、、、今日は、武道館で東洋大学の学位授与式・卒業式。 袴姿の卒業生がゾロゾロ、後ろからPTAもゾロゾロ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ご存じ九段坂。 歌うは三橋美智也。 「雨の九段坂」(作詩:矢野亮  作曲:佐伯としを 昭和36年)  ♪♪ あえぐ洋傘(こうもり)かしげて仰ぐ 雨に煙った大鳥居 母は来ましたやっと来ました 可愛いお前が住むお社へ  一目なりとも逢いたさに ♪♪
 
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⑪九段上交差点・・・・・・・・・・九段下からキツイ勾配の九段坂を上がりきると、九段上停留所があった。、、、、、、私が学卒で入社したゼネコンの本社はここ九段上で、私の勤務地として20年以上かよった処である。 私が勤めていた頃、写真右角にあった、寿司屋、喫茶店、タバコ屋みんな無くなった。、、、、、写真、左右に向かうのが靖国通り、正面は内堀通りで、須田町から来た10系統(須田町~渋谷駅)の都電は交差点を曲がり、写真中央へ向かった。
 
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⑫靖国神社南門交差点・・・・・・・・・・靖国神社中門鳥居脇の南門前、ここには九段三丁目停留所があった。 本殿に最も近い停留所である。、、、、、交差点角に、地元の方が植えた枝垂れ桜も開花した。
 
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・・・・・・・・・・・・・私の今日のミッションは“桜の開花宣言した標本木”を確認することである。
さっそく確認。、、、、、能楽堂の隣の標本木には、5輪などとケチなこと言わず、50輪ぐらいは咲いていた。 気象庁の発表は間違いなし!
 
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・・・・・・・・・・・・・・本殿に御挨拶。
 
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⑬一口坂交差点・・・・・・・・・・・靖国神社の西の端に近い、ここの交差点に一口坂停留所があった。、、、、、、かつて、飯田橋駅近くで小学一年生ぐらいの迷子の子を見つけ、『家はどこ?』と聞いたら、『一口坂』と返事され、人の良い私はタクシーで一口坂交差点まで送った。 タクシーを降り親に連絡させようとしたら、『自分で帰れるから』と一人でスタコラサッサと行ってしまった。 無事帰り着いたか、タクシー代を損したか、後味の悪い善意の経験を思い出すね!
 
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⑭市ヶ谷・・・・・・・・・現在のJR市ヶ谷駅の正面ではなく、外堀通りとぶつかった地点に、市谷見附停留所があった。 堀を挟んでJR駅の反対側になるので、チョイ不便!、、、、、今日の私の散歩も市ヶ谷駅までとする。
 
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2016年12月25日 (日)

浅草橋~水道橋

我が家(浅草橋)から蔵前橋通り沿いに歩いて水道橋駅まで、1万2千歩の散歩です。
 
 
 
①甚内神社・・・・・・・・・・我が家から1分半の至近距離にある、浅草橋3丁目、裏通りの小さな社の甚内神社(じんないじんじゃ)。 神社の由緒は、、、「甚内霊神」の名で江戸時代初期に創建された。 「甚内」は武田家の家臣高坂弾正の子で、主家滅亡後、祖父に伴われ諸国を行脚するうち宮本武蔵に見出されて剣を学び奥義を極めた。 武田家再興をはかり、開府早々の江戸市中の治安を乱したため、瘧(おこり、=マラリア)に苦しんでいたところを幕府に捕えられた。 鳥越の刑場で処刑されるとき「我瘧病にあらずば何を召し捕れん。我ながく魂魄を留、瘧に悩む人もし我を念ぜば平癒なさしめん」といったことから、病の治癒を祈る人々の信仰を集めたという。、、、、、、今でも、8月の甚内の命日には、有志の方から子供に菓子が配られている。 地域にピッタリと密着した神社である。
 
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②鳥越神社・・・・・・・・・・こちらは浅草橋の町とは蔵前橋通りを挟み向かい合わせる鳥越2丁目にある、「鳥越の夜祭」で全国的に有名な神社。、、、、白雉2年(651)、日本武尊を祀って白鳥明神と称したのに始まる。 前九年の役征圧のため源頼義、義家父子がこの地を通った際、白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知り大川(隅田川)を渡ることができた。 それを白鳥明神の加護とたたえ、鳥越大明神の社号を奉った。 江戸時代までは2万坪の広大な敷地を有していたが、徳川幕府にほとんどの土地を取り上げられたそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・神社前の蔵前橋通り。 この通りは、関東大震災後に、造られた文京区湯島から江戸川区小岩に伸びる通りである。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・道筋の植え込みには、早くもスイセンが咲いていた。
 
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③櫻稲荷神社・・・・・・・・・台東区台東2丁目、蔵前橋通りから入る細い参道に朱塗りの鳥居がある。 これぞ、知る人は知る、知らん人は知らん、「櫻稲荷神社」だ! 神社は大名の藤堂家邸内に鎮座していた稲荷神社で、関東大震災後に地元の岡本悟一氏が奉受して桜稲荷神社としたといいます。 昭和27年(1952)には京都伏見稲荷神社より分霊を勧請、鎮座した。、、、、、この細い路地に、“よくぞ祀ったお稲荷さん”と云うわけだ!
 
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④神田キリスト教会・・・・・・・・・・・・ 蔵前橋通りと中央通りが交差する末広町交差点。 その南東側(旧:松富町)で私は育ち、南西側に教会はある。、、、、、、私の知る戦後の教会の姿はなく、現教会は平成3年(1991)に建て替えられた。、、、、、秋葉原、電気街の裏通りにある神田キリスト教会は、日本聖公会の教会で、明治10年(1877)に献堂された。 その後、震災、戦災を経て現在に行っている。、、、、、今日は、教会の方に昔の教会を撮った写真がないか聞いてみたが、残念ながら見ることはできなかった。
 
・・・・・・・・・・・・・玄関にはクリスマスリースが飾られ、今日はクリスマス礼拝の日。
 
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・・・・・・・・・・・・・・チョイと、聖堂を拝見。 三角の天井が奥行の深さをを演出し、心落ち着く空間である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・平成9年(1997)に設置されたオランダライル社製のパイプオルガン(2段鍵盤+ペダル、20ストップ)を演奏してくれた。 このオルガンは、北ドイツ・バロック様式で作られた楽器らしい。 (私には、チンプンカンプン?)
 
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⑤明神下 神田川・・・・・・・・・・・江戸末期の文化2年(1805)創業の、うなぎ蒲焼の老舗。 太い丸太の門柱と長く伸びる黒板塀。 純和風の二階建ての建物は、昭和27年(1952)の再建と言われている。、、、、、、本日は休業日だが、約200年続いた味がしみ込んでいるのか、前を通ったら鰻を焼く匂いがする。 ご飯を持ってきたら店の前で食事ができるかもね。
 
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神田明神・・・・・・・・・・例年、企業の初詣で賑わう神社。 今年も迎える準備は着々と進んでいるようだ、巫女さんも忙しそうで写真を撮るのに応えてくれそうもない。 今日は建物だけで、我慢・ガマン。
 
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⑦霊雲寺・・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・清水坂を上り、妻恋神社に手を合わせ、霊雲寺に向かう。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・文京区湯島2丁目、霊雲寺(れいうんじ)は真言宗霊雲寺派総本山の寺。 本尊は胎蔵界・金剛界大日如来。 元禄4年(1691)徳川幕府の永代祈願所として、江戸城から見て鬼門にあたる北東の当地に創建された。、、、、、、、震災・戦災で堂宇を焼失し、現本堂は昭和51年(1976)に建てられた。 湯島にあっては広い境内で、いずれ鐘楼なども再建されるようだ。
 
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⑧水道橋のガード・・・・・・・・・・・水道橋駅東口、白山通りに架かる二つの架道橋。
 
・・・・・・・・・・・・・まずは、緩行線が走る新水道橋架道橋。  明治37年(1904)に開通した、甲武鉄道発注のHarkort製(ドイツの橋梁メーカ)プレートガーダーの橋。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・新水道橋架道橋(緩行用、左側)に並行する、水道橋架道橋(急行用、右側)。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・水道橋架道橋は水道橋駅南側の快速が走る鉄橋で、東京歯科大の横、ガード下にはおにぎり屋さんなどの店舗もある。 形式は、複線下路カンチレバープレートガーダーラーメン脚一体高架橋。 8径間で橋長151.18m。
 
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⑨水道橋駅・・・・・・・・・・・駅名の由来は神田上水の掛樋(すなわち、水道の通る橋)が近くにあったことによる。 明治39年(1906)9月24日、甲武鉄道の駅として開業した。、、、、、古い駅でホーム上屋には古レールを再利用した架構を見ることができる。、、、、、、55年程前の私は、ここから都電に乗り換え白山の学校に通った。 それから35年後には勤務する会社が水道橋駅の近くとなった。 今は、世話になる内科クリニックが水道橋にある、いつもでも縁の切れない駅である。
 
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2016年11月 6日 (日)

浅草橋~神田

浅草橋の我が家の玄関から神田駅東口まで、直線距離でチョウド1.5km。 この間を約2時間かけて裏通りの裏まで歩いてきた。 1万歩、7km。
 
 
①雅万歩出生地・・・・・・・・・・今は浅草橋1丁目と2丁目の一部となったが、昭和39年(1964)の住居表示変更までは、新福井町と呼ばれていた。 “新”のない“福井町”は元和4年(1618)からあった越前福井藩邸跡にできた町にちなんで享保15年(1730)に名付けられた。 “新福井町”は、明治5年(1872)、出羽秋田城主佐竹家らの邸地跡に誕生したが、福井町に隣接してできた新しい町という意味で名付けられたそうだ。、、、、、今だに、「雅万歩出生之地」の碑を建てる話は出てない。 銅像でもいいのだが。
 
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・・・・・・・・・・・・・・その新福井町にあり、かつては「福井ビル」と呼ばれた建物。 昭和初期頃に建てられたと思われる。、、、、、戦後のまだ焼け跡が残る頃は、このビルと我が母校「柳北小学校 」(3階建て)、それと浅草橋駅前の「福井中学校」(現存せず)が、近隣の道案内の目印となっていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・福井中学は越前福井藩の江戸藩邸跡地に、昭和22年(1947)に建設された学校。 平成3年(1991)、少子化により廃校。 建物は現存せず。 (2010年撮影)
 
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②第一佐ェ門橋架道橋・・・・・・・・・JR総武線浅草橋駅の西側(秋葉原寄り)に架かる架道橋。 昭和7年(1932)、両国~お茶の水間の開通時に架橋。
 
・・・・・・・・・・・・・・・架道橋の東側に、高架上に浅草橋駅のホームがせり出している。
 
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・・・・・・・・・・・・・・架道橋の西側は、秋葉原駅まで高架橋が一直線で伸びる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・架道橋は下の道路中央から、東側半分が台東区浅草橋に、西側半分が千代田区東神田に属す。、、、、“浅草橋”と“神田”が接する地点。
 
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③旧豊島町・・・・・・・・・・浅草橋駅から神田川に架かる左衛門橋 を渡り靖国通りに出る。 靖国通りを150m程西に進むと、東神田2丁目交差点(旧豊島町交差点)で、かつては都電の豊島町停留所があった。 いまは、角に“ゴホンと言えば”龍角散ビルがある。 ベネチアン・ゴールドの花崗岩を外装に使用した贅沢なビルで、大成建設の設計・施工により平成3年(1991)に竣工した。、、、、、元禄16年(1703)、湯島(現:文京区湯島一丁目周辺)の北側にあった町屋が地震による火事で類焼し、翌17年、被災した湯島の人々の新たな居住地が、もともと武家屋敷であったこのあたりに定められた。そのときに誕生したのが、名の由来は不詳だが「豊島町」である。 龍角散の「藤井薬種店」も、江戸時代から当地で商いをしていたそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・龍角散ビルとは靖国通りを挟み対称的な位置に「東京都立一橋高等学校」がある。、、、、、戦後の昭和25年(1950)、都立今川高等学校と都立神田高等学校を統合し、現在地に開校した。 校名の“一橋”とは、かなり距離も離れており、なぜ“一橋”の名を冠したか謎だ!、、、、、かつて三遊亭歌奴(三代目)も中退した名門の進学校。
 
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④お玉ヶ池・・・・・・・・・・・・・お玉ヶ池は、現在の千代田区岩本町2丁目にあった池。、、、、、江戸期にあった池の近隣の茶屋にいた看板娘の名前「お玉」に由来するらしい。 あるとき「人柄も、品形もおなじさまなる男二人」が彼女に心を通わせ、悩んだお玉は池に身を投じ、なきがらは池の畔に葬むられた。 人々は、彼女の死を哀れに思い、それまで桜ヶ池と呼ばれていたこの池を「お玉ヶ池」と呼ぶようになった。、、、、池のほとりには、お玉稲荷を祀った。 また、北辰一刀流の道場「玄武館」があり、千葉周作は「お玉ヶ池の先生」と呼ばれた。
 
・・・・・・・・・・・・・お玉ヶ池種痘所跡、、、、、、東京大学医学部の前身で、安政5年5月7日(1858/6/17)、お玉ヶ池にあった勘定奉行の邸内に、蘭学者:伊東玄朴らが共同出資して創設したもので、半年で焼失、種痘所は神田和泉町に移った。、、、、東大医学部発祥の地である。、、、、、岩本町2-7の排水溝の前に碑が立っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・看板娘のお玉にあやかったのか銭湯:「お玉湯」がある。 古くから営業している銭湯だが、今はビルの中に入りモダンな銭湯となっている。、、、、まだ、シャッターが下り営業前。、、、、、お玉と一緒に入れるなら、風呂が沸くまで待つのだがね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・お玉湯の向かいに、昭和の初めに東京金物同業組合が総本宮南宮大社(岐阜県)の分霊(祭神:金山彦命、金山姫命)を組合事務所に奉斎し創建した金山神社がある。 先の大戦の災禍にあったものの、昭和29年(1954)11月8日に再建された。
 
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⑤神田北乗物町・・・・・・・・・・・現在の千代田区は、戦前の麹町区と神田区が合併して形成された。 その旧神田区に属した町は、「神田」の名が消えることを避けるため、住居表示実施の際、「神田○○町、○神田」と称している。、、、、、、神田地区の一部では住居表示でも旧地名が残された町が神田駅西側に残されている。 神田北乗物町、神田紺屋町、神田富山町、神田東紺屋町、神田美倉町などである。 地図を見ると、いずれも小さな町で、丁番もたない単独の地名である。、、、、、古い名を遺す、いいね、さすが江戸っ子、神田っ子!
 
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⑥神田の建物・・・・・・・・・・・・・まだまだ多くの大正・昭和の建築が残っている。 今日はその一部を紹介。
 
・・・・・・・・・・・・・・・昭和22年(1947)創業の老舗の江戸前うなぎ屋「神田きくかわ」。 外観・店内ともに赴きある雰囲気の建物は年代物か?、、、、、注文してから、蒸す、焼く、そして食べる鰻は絶品。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・神田多町に市場があった時代の風情を残す「松本家」の建物。 国登録有形文化財。 昭和6年(1931)に建築された、神田多町問屋街に残る震災復興町家で、神田に残る元青果物問屋の店舗兼住宅。、、、、木造3階建て切妻造り、正面は出桁造の構えで和風町屋の様式を残す建物。、、、、、どっしりした造りで、安定感があるね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・銅板建築も残ってる。
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・・・・・・・・・・・・・・木造モルタル塗りの5階建て建物。 裏から見ると4階建て?(神田鍛冶町3)
 
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・・・・・・・・・・・・・・こちらも、木造モルタル塗りの3階建て建物。 (神田鍛冶町3)
 
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⑦神田駅・・・・・・・・・・・中央通りに架かる駅前のガード。 年代が異なる橋脚が綺麗に並び、チョイと眺めていたら、駅を撮るのを忘れたしまった。 失敗、失敗、おっぱい、酸っぱい!
 
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2016年8月 6日 (土)

浅草橋~東京

連日の猛暑日、救急車のお世話になりたくないので、日中は我が家で暇つぶし。 日が落ちたら、チョイと歩いてみたくなり、我が家(浅草橋)から東京駅まで歩いてきた。 1万1千歩、8km。
 
 
・・・・・・・・・・・・・・土曜夕暮れの浅草橋、多くの問屋・商店はシャッターをおろし、歩く人もまばらで静かな町である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・JR浅草橋駅の高架下周辺の飲食店 も半数ほどは休業。
 
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・・・・・・・・・・・・・・浅草橋 の橋上から覗くと、納涼屋形船が出航の準備中。、、、、、、船内は若者ばかり、合コンか? 婚活か?
 
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・・・・・・・・・・・・・・浅草橋交差点(中央区)は国道14号(京葉道路の始点)
 
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・・・・・・・・・・・・・・日本橋横山町の問屋街に、昭和4年(1929)竣工の大原第5ビルがある。 清水組(現:清水建設)の設計施工により完成したビル。 “昭和レトロ”のビルには、まだ明りが灯っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・日本橋富沢町の結婚式場「ベストブライダル」、もとは大正15年(1926)に竣工した旧古河銀行元浜町支店(設計:中村與資平)である。、、、、、、電飾が輝き、一年中、クリスマスのような雰囲気の建物。
 
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・・・・・・・・・・・・・日本橋久松町では盆踊り大会。、、、、、今日は各地で盆踊りが催されているようだ。 日本橋蛎殻町でも催され、太鼓の音が踊りを盛り上げていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・ここまで来たら、新装開店した水天宮にチョイとご挨拶して行くか、、、、、正面の門は閉じられ外から一礼。
 
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・・・・・・・・・・・・・・人形町の店も半分は休みだが、明かりは人を誘うね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・江戸橋を渡り、日本橋1丁目に入ると、旧三菱倉庫江戸橋倉庫の外部回りを残し、オフィスビルに建て替えた「日本橋ダイヤビルディング」がある。、、、、、地上18階、高さ88.3mの高層ビルに、平成26年(2014)に生まれ変わった。 低層部(旧三菱倉庫の部分)は船の艦首を模したデザインである。
 
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・・・・・・・・・・・・・・明治44年(1911)に完成した、現:日本橋。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・新丸ビル隣、大正9年(1920)に竣工した日本工業倶楽部の外部回りを残し建てられた三菱UFJ信託銀行本店ビル。、、、、日本工業倶楽部の設計は横河民輔。正面屋上には、当時の日本経済の牽引役であった石炭と紡績を象徴した、ハンマーを持つ男性、糸巻を持つ女性の像が飾られている。 (昼間の写真は平成12年撮影)、、、、、今の時代にこの像を作ると、男性はフライパンを持ち、女性がハンマーを持つかもね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・東京駅丸の内駅舎に到着しました。 駅前広場はまだ工事中で仮囲いが景観の邪魔ですが、もうしばらくの辛抱を!、、、、、大正3年(1914)に建てられた駅舎は、辰野金吾の設計である。 その堂々たる姿は、多くの人々に愛され、平成13年(2025)には戦災で壊れた部分を含め、原形に修復された。
 
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2016年6月17日 (金)

竜閑川

浅草橋の我が家から小伝馬町に出て、竜閑川の跡を歩き大手町へ、ここでUターンして神田駅まで、1万歩、8kmの散歩です。

・・・・・・・・・・・・竜閑川(りゅうかんがわ)は、“龍閑”とも書き、中央区および千代田区にかつて存在した河川である。 竜閑川は、千代田区大手町付近の日本橋川より始まり、千代田区と中央区の区界に沿って北東に向かい、小伝馬町付近(龍閑児童公園)で浜町川に合流する。 ここで、竜閑川の流れは直角に折れ、浜町川として、浜町、人形町、箱崎を経て、隅田川へ流れ込む人工の堀であった。


①浅草橋・・・・・・・・・・・駅は台東区、橋は台東区と中央区を結び、交差点は中央区

・・・・・・・・・・・・・通勤時間の浅草橋駅、、、、、、高架下(ホーム下)は歩く人もまばらだが、江戸通りに面した東口からは、通勤客が吐き出されてくる。

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・・・・・・・・・・・・・・浅草橋の橋から、久しぶりに青空が見えた。

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・・・・・・・・・・・・・・浅草橋交差点、、、、、、、雲も綺麗だ!

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②龍閑児童公園
・・・・・・・・・・・・中央区は小伝馬町の「龍閑児童遊園」、千代田区は岩本町1丁目の「龍閑児童公園」。 どちらも同じ一つの公園である。 ここには、かつて竜閑川(りゅうかんがわ)があり、両区の界であった。 川は埋め立てられ、区界の上にできたのが龍閑児童公園であり、龍閑児童遊園である。

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・・・・・・・・・・・・・・中央区側(写真:右側)は庭園風に造り、千代田区側(写真:左側)は砂を敷いただけ。

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・・・・・・・・・・・・・・公園の裏手には人形町方面に伸びる裏道がある。 この道が、浜町川を埋め立てた道である。

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・・・・・・・・・・・・・・こちらは公園から大手町方向に伸びる道。 この道路の中央が中央区と千代田区の区界である。、、、、、、今日の散歩は、竜閑川を遡るように、この公園から上流側の龍閑橋までを歩いてみることにした。 この区間が「神田八丁堀」と言われている処である。 

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・・・・・・・・・・・・・・公園の隣には、“江戸七森”と言われてる神社内の一社:「竹森神社」がある。

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③千代田区岩本町・中央区小伝馬町付近の竜閑川跡
・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・・・竜閑川の跡は昭和通りと交差する、、、、、、竜閑川は戦後になって埋め立てられ、それまで、昭和通りには、地蔵橋が架かっていた。
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旧十思小学校
・・・・・・・・・・・日本橋小伝馬町に建つ旧十思小学校は、正面玄関の曲面、半円の柱型、アーチ状の窓などで構成され、表現主義建築の特徴を表している貴重な学校建築である。、、、、、少子化により、小学校は平成2年(1990)4月に人形町にあった東華小学校と統合し、東華小学校の校舎に日本橋小学校として新設された。 現在は、中央区の保育園、老人介護施設などが入居している。 

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⑤地蔵橋公園
・・・・・・・・・昭和通りを横断して、千代田区神田美倉町と中央区日本橋本町4丁目に来ると、またまた似た名前の公園が竜閑川跡の両側にある。 千代田区側は「地蔵橋西児童遊園」、中央区側は「地蔵橋公園」である。

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・・・・・・・・・・・・・・ここには、「竜閑川埋立記念」碑がある。、、、、、、埋立は、総延長600間(約1km)、幅7間(約13m)で、昭和23年(1948)4月1日に着手し、昭和25年(1950)3月7日に竣工した。 総工事費7000万円也。 埋立は、戦災の瓦礫・残土で行われ、都が実施した。 当時、安井誠一郎知事の時代である。 舛添要一でなくて良かった!

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⑥中央通りと交差する竜閑川跡
・・・・・・・・・・ここには今川橋が架かっていた。

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・・・・・・・・・・・・・・ビルの角に「今川橋跡」の碑がある。

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⑦丸石ビルディング
・・・・・・・・・・・霞が関ビルを設計した山下寿郎が手掛け、竹中工務店が施工し、昭和6年(1931)に竣工した、竜閑川に背を向けて建つオフィスビル。 鉄骨鉄筋コンクリート造6階建て、1階は石材を多用し、2階以上はスクラッチタイル貼り、随所にレリーフの装飾が施された、ロマネスク様式の、女性的で華麗なビル。 国登録有形文化財。、、、、、オーナーは懐かしの“石丸自転車”の会社。

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⑧山梨中央銀行東京支店
・・・・・・・・・・中央通りを挟み石丸ビルディングの斜め前に建つ銀行建築。 関東大震災の当時は、前身の第十銀行東京支店であったが、震災後の昭和4年(1929)に現建物が竣工した。

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⑨竹中ビルディング
・・・・・・・・・・山梨中央銀行の横を入ると、ネットに覆われた古いビルがある。 そろそろ、建て替えか? おそらく、戦前の建物と思われるが、年代は不詳。

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⑩日銀通りと交差する竜閑川跡
・・・・・・・・・・・中央通りからJR線寄りに一本入った通りが、日銀本店前に出る「日銀通り」です。 竜閑川跡の道が、日銀通りと交差る地点では、千代田区、中央区がそれぞれ道路の案内板を設置している。

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・・・・・・・・・・・・・中央区側の案内板

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・・・・・・・・・・・・・・千代田区側の案内板、、、、、、わざわざ“”を付けて、“ここからこっちが千代田区の日銀通り”と言っている、チョイとセコイね。 ちなみに、「日銀本店」は矢印の反対側にある。

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⑪今川小路
・・・・・・・・・・・・竜閑川跡はJR神田駅と東京駅の間を大手町方向に向かう。 JR中央線・山手線のガード下に、昭和レトロの面影残る居酒屋横丁“今川小路”がある。昭和26年頃から営業が始まり、最盛期には30軒程の店が軒を連ねていたが、今は数件残るのみ。

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⑫龍閑橋跡
・・・・・・・・・・・・竜閑川と外堀通りが交差する地点(中央区日本橋本石町4丁目と千代田区内神田3丁目)に、外堀通りに架けられていた龍閑橋の一部が残されている。、、、、、、大正14年(1925)7月に着工し、大正15年(1926)2月に竣工した龍閑橋は、日本で最初の鉄筋コンクリートのトラス橋であった。 橋長:10.4m、幅員:27.0mで、橋上には市電の軌道が敷かれていた。、、、、、なお、「龍閑」という名については、竜閑川の西端に、旧幕府坊主の「井上龍閑」の家があったことに由来する。

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⑬鎌倉橋
・・・・・・・・日本橋川に架かる復興橋のひとつで、大手町と内神田を結び、昭和4年(1929)に架橋された。長さ30m、幅22mのコンクリート橋。、、、、、、頭上には川幅と同じくらいの道路幅で首都高が走り、うっとおしく、邪魔だ!

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・・・・・・・・・・・・・・鎌倉橋から見る竜閑川の始点。、、、、、小さな水門が見えるあたり。

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2016年6月12日 (日)

飯田橋~早稲田

中央線飯田橋駅の改良工事をじっくり見て、目白通りと早稲田通りに挟まれた、五軒町、中里町、天神町を抜けて地下鉄東西線早稲田駅まで、1万歩、7kmの散歩です。



①飯田橋駅
・・・・・・・・・明治27年(1894)10月9日に甲武鉄道の牛込駅が現在の飯田橋駅よりも新宿寄りに開業した。 翌明治28年(1895)4月3日には、現飯田橋駅より東京寄りに飯田町駅が開業した。 そして、昭和3年(1928)11月15日、牛込と飯田町の両駅を統合して、現在地に飯田橋駅が誕生した。

・・・・・・・・・・・・現駅は、島式ホーム1面2線の高架駅で、駅舎は東西に出入口がある。 傾斜している地形上にあるため、目白通りに面する東口は高架下に出入口がある。

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・・・・・・・・・・・・・早稲田通りの牛込橋に面する西口は、橋上駅舎となっている。、、、、、私が、昭和40年代から通勤で利用した駅だが、いよいよ建て替えられることになった。

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・・・・・・・・・・・・・西口改札からホームまでは長い斜路が続く。

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・・・・・・・・・・・・・ホームは半径300mの急カーブに造られており、ホームと電車の間には約30㎝程の広い隙間ができ、乗降の際には要注意。、、、、、ちなみに、高齢の私の母も数年前に電車から降りる際、転んだホームである。、、、、、JRはこの急カーブを解消するため、ホームを牛込橋(現:西口)の橋下よりもさらに市ヶ谷寄りの地点まで、約200m移動する予定だ。 完成時期は?

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・・・・・・・・・・・・・現在は準備工事で、線路脇に西口の仮駅舎を建設中。、、、、、工事は、前田建設工業と鉄建建設のJV。

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②飯田橋
・・・・・・・・・飯田橋駅東口を出ると北側に、目白通りと外堀通りが交差しさらに大久保通りが伸びる「飯田橋交差点」がある。 その直前に、目白通りが外堀を渡る「飯田橋」が架かっている。、、、、飯田橋が初めて架けられたのは明治元年(1868)で、簡単な 木橋であった。 その後、明治23年(1890)には鋼製の橋に架け替えられた。、、、、現在の飯田橋は関東大震災の復興橋梁として昭和4年(1929)に架けられた。、、、、外堀は橋の際まで暗渠化され、交差点は拡張され、橋の上には歩道橋が造られ、橋の全容を見るのは難しい。、、、、、、蛇足:飯田橋は神田川に架かってない。 神田川は飯田橋の直前で直角に折れている。 神田川に架かるのは外堀通りで橋名は「船河原橋 」。

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③熊谷組
・・・・・・・・・・・大久保通り、築土八幡町交差点角に建つ、ゼネコン:熊谷組の本社。、、、、、私が大学を出てゼネコンに入社した昭和44年(1969)頃の熊谷組本社は、いかにも土建屋らしい、石造りの塀に囲まれ、前庭の広い洋風住宅のような事務所であったように記憶している。、、、、、現本社の建物は、オリンピックも終わり、ゼネコンが近代化に向け取り組み始めた、昭和49年(1974)に竣工した。

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・・・・・・・・・・・・・「熊谷組」と聞くと、映画『黒部の太陽』を思い出す。 三船敏郎、石原裕次郎が共演し、“世紀の難工事”と言われた黒部ダムとそこに通じるトンネル工事の苦闘を描いている。 昭和43年(1968)に公開された。、、、、、大学生時代に私が見た、“男の中の男”、男が惚れるカッコイイ男、熊谷組石岡班の班長を裕次郎が演じている。 建築科の学生だった私が、土木に憧れた瞬間。

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④築土八幡神社
・・・・・・・・・・・熊谷組の斜向かい、新宿区筑土八幡町にあり、応神天皇、神功皇后、仲哀天皇を祭神とする八幡神社。 創建年代は不詳であるが、嵯峨天皇の代(今から約1200年前)武蔵国豊島郡牛込の里に住んでいた翁がご神託により松の樹を祀ったことにはじまるらしい。 その後、伝教大師が筑紫の宇佐の宮土をもとめて礎とし神像を彫刻して祠に祀ったことから筑土八幡と名づけられたそうだ。、、、、境内は約2200㎡の広さであるが、社殿は昭和20年(1945)の戦災で焼失した。 現本殿は昭和38年(1963)に熊谷組より寄進されたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・社殿前に控える狛犬は、文化7年(1810)に奉納された。 

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⑤相生坂
・・・・・・・・・・築土八幡神社の北側:東五軒町は地盤が低くなっており、坂がいくつかある。 相生坂は、北から南に上り、東西2本の坂が並行している。、、、、、同名の坂が至近の位置にある珍しい坂。

・・・・・・・・・・・・・東側の相生坂、、、、、、、東側の相生坂は 新宿区白銀町と東五軒町の境界にある。

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・・・・・・・・・・・・・西側の相生坂、、、、、、、西側の相生坂は 新宿区赤城元町と東五軒町の境界にある。、、、、東側の坂とは、50m程の距離で並行する。

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⑥赤城神社
・・・・・・・・・・神社は正安2年(1300、=鎌倉時代)の創祀、群馬県赤城山麓大胡の豪族大胡氏が牛込に移住のさい、本国の鎮守であった赤城神社の分霊を祀ったもの。 最初は牛込早稲田村田島(現:早稲田鶴巻町)に鎮祭したが、弘治元年(1555、=戦国時代)に現在地に遷座した。 昭和20年4月の大空襲により、社殿などは一宇を残さず焼失した。、、、、、終戦後、昭和26年(1951)に本殿を復興し、最終的に拝殿、幣殿ができあがったのは、昭和34年(1959)であった。、、、、、さらに神社では、赤城神社再生プロジェクトを立ち上げ、平成22年(2010)の「本殿竣工例大祭」にて全ての工事を完了し、新しい姿となった。 境内の一部に分譲マンションを建て、その売却益で社殿を建設した。 このプロジェクトは新国立競技場を設計した建築家:隈研吾の設計による、杜と坂をイメージしたデザインと言われている。 施工は熊谷組である。

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・・・・・・・・・・・・・・境内社も新しく建てられた。 こちらも隈研吾のデザインか。

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・・・・・・・・・・・・・・・狛犬も新しいデザイン、チョイとマンガチックだ!
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⑦赤城下町
・・・・・・・・・・・・・・チョイと小高い位置にある赤城神社境内横の階段を下ると、新宿区赤城下町を東西に横切って、早稲田方面に伸びる道がある。 この道は、魚の骨のように、一本伸びており、そこから枝状に複数の道が分かれているが、ほとんどは行き止りである。 地図を見ると一目瞭然、面白い道だ!

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・・・・・・・・・・・・・枝分かれした路地の奥にある「あかぎ児童遊園」。 コンクリート造の象が二匹重なったすべり台、おもしろいデザインで気に入った!

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⑧渡邊坂
・・・・・・・・・・・山吹町交差点から 早稲田通りまで、比較的なだらかな坂道。 これと言った特徴もない、ごくありふれた坂。 なぜか、同姓だから、親しみを感じたようだ。、、、、、、江戸時代、坂の東側に旗本渡邊源蔵の屋敷があったのでこう呼ばれた。源蔵は五百石取りの御書院番で、寛文7年(1667)に市谷鷹匠町の屋敷と引換えにこの屋敷を拝領し、渡邊家は幕末までこの地にあった。
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2016年3月21日 (月)

浅草橋~飯田橋

我が家(浅草橋)から、靖国通り沿いに歩いて靖国神社へ、そして飯田橋駅から帰宅。 1万3千歩、10kmの散歩です。

浅草橋駅 ・・・・・・・・・・・・江戸通り(国道6号)に面する東口が浅草橋駅の正面玄関ならば、我が家から徒歩2分程の浅草橋駅西口(秋葉原寄り)は勝手口というところだ。、、、、、その勝手口に今月26日エレベータ設置工事が完了し、利用できることとなった。 総武緩行線に残るバリアフリー化未対応駅の最後の2駅(浅草橋、御茶ノ水)の一つが解消する。 メデタシ・メデタシ。、、、、このエレベータの設置にはJRも苦労したようだ。 昭和7年(1932)、総武線の両国~御茶ノ水間の開通と同時に開業した高架駅の浅草橋駅である。 ホームは高架の両側に張り出した位置にあり、ホームの直下は2車線程の道路となっている。 ホームに出る、エレベータを設けるためには、この問題を解決しないと設置できない。 JRの解決策は、西口改札内(高架部分の下)にエレベータを設置して、まずは1階改札から2階に上がり、2階には上下線のホーム下に張り出した部分にそれぞれエレベータを設けたのである。 (説明するのも、ややっこしいほど複雑な構造となている)、、、、、できたら、ぜひ一度、体験乗車(?)してみてください!

・・・・・・・・・・・・・駅の西口、、、、、道路側に出っ張った部分の円柱の上に、2階と3階ホームを結ぶエレベータがある。

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・・・・・・・・・・・・・改札口は2階の廊下下となる。

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・・・・・・・・・・・・・西口改札口の右奥に、1階と2階を結ぶエレベータが設置された。 これで2階まで上がり、それぞれ上下線ホームに出るエレベータに乗り換えることになる。

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②左衛門橋
・・・・・・・・・・・・浅草橋駅西口南側に、神田川に架かる左衛門橋(さえもんばし)がある。 この橋は、台東区浅草橋1丁目、中央区日本橋馬喰町2丁目、千代田区東神田2・3丁目の町境となっている。 まず、橋の上流側は千代田区、下流側は南詰が中央区、北詰が台東区である。 3区の境の交点は橋の中央らしい。、、、、、この橋は、明治8年(1875)に民間の有料橋(賃取橋)として架けられた。 昭和5年(1930)には、震災復興事業の一環として現在のような橋となったという。 現在の橋は、親柱によると平成12年(2000)に大規模改修を行った。、、、、、橋名は、橋の北詰(台東区側)に鶴岡藩の酒井左衛門尉の下屋敷があったことからこの名となった。、、、、私が小学生の頃(昭和30年代)までは、浅草橋駅付近の北詰には“左衛門橋通り商店街”があったが、商店街はいつのまにか名も実も消え去った。

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・・・・・・・・・・・・・北詰下流側に台東区が管理する公園があり、親柱の隣には台東区が設置した地名案内板がある。

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・・・・・・・・・・・・・・北詰上流側に千代田区が管理する公園があり、千代田区の地名案内板が立てられている。

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・・・・・・・・・・・・・・南詰下流側に中央区が管理する公衆便所があり、只今改築中、近々完成します。 綺麗なうちに、ぜひ、ご利用をお待ちしております。

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・・・・・・・・・・・・・・南詰上流側は千代田区が管理する小公園。 只今ホームレスが一部使用中。

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③和泉橋
・・・・・・・・・・神田川に架かり、橋上には昭和通りがある。 さらに頭上には首都高が通る。、、、、、寛永年間(1632~1644)には「いつミ殿橋」(神田川の北側に藤堂和泉守(いずみのかみ)の屋敷があつたことに由来)として架けられていたようだ。 明治25年(1892)には、鉄橋として架け替えられた。 現橋は昭和 5年(1930)に震災復興事業によりアーチ橋として架けられた。 装飾の少ない、味気ない、面白くない橋だ!

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④北原ビル
・・・・・・・・・和泉橋の際に、昭和2年(1927)に建てられた、旧北原プレス機械の建物。 鉄筋コンクリート造、地上5階/地下1階建てだが、4階以上は後の増築だろう? 施工は清水組(現:清水建設?)。、、、、、玄関上の丸窓がワンポイントのようだ!

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⑤柳森神社
・・・・・・・・・和泉橋と万世橋の中間、神田川の岸(柳原土手)に、長禄3年(1459)に創建した由緒ある柳森(やなぎもり)神社。、、、、、太田道潅が江戸城を築いた際、神社周辺に柳を植えて鬼門除けの柳の森とし、その鎮守が柳森神社と言うこと。 境内社の福寿社は福寿神の狸を祀っている。、、、、、、新橋の烏森(からすもり)神社、日本橋堀留の椙森(すぎのもり)神社とともに江戸三森と称されている。

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⑥神田まつや
・・・・・・・・・・・明治17年(1884)に創業した老舗の蕎麦屋さん。 建物は大正14年(1925)の建築。
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⑦麻雀kiya
・・・・・・・・・・・小川町の雀荘。 営業をやめて、10年以上が経過したかもしれない。 一昔前の雀荘として、ドアが雰囲気を残している!

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⑧神保町の建築
・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・文房堂(文房ビル)・・・・・・・・・・大正11年(1922)の旧本社ビルの外観を保存した彫刻のような建物は、神田すずらん通り(三省堂の裏通り)の象徴的な画材屋さん。 重厚な建物は、いくつかの景観賞も受賞している。

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・・・・・・・・・・・・・神田すずらん通り周辺には、まだ戦前の建物も残っている。

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・・・・・・・・・・・・・・神保町の表通りにも、、、、、、かつては、棟続きで長屋のように並んでいた大正14年(1925)の建物。 3階には丸窓の付いた屋根裏部屋があったそうだ。 メガネの三鈴堂眼鏡店は、明治12年(1879)創業の老舗眼鏡店。

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・・・・・・・・・・・・・一誠堂は、創業100年をこえる、神保町でも老舗中の老舗の古書店。 昭和6年(1931)に建てられたという店舗ビルは、靖国通り沿いの歩道から、一段高くなっている。

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・・・・・・・・・・・・・矢口書店・古賀書店は洋風ファサードをイメージした木造3階建て建築で、昭和3年(1928)に建てられた。

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⑨靖国神社
・・・・・・・・・・・桜の標本木を見に来たので、まずは、手を合わせるだけ。

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・・・・・・・・・・・・・・昨日の天気予報で、今日桜の開花宣言が出そうだと聞いて、桜の標本木を見てきた。 出ました、出ました、開花宣言が出ました!、、、、、標本木の周囲はテレビカメラがいっぱい、出ました、出ました、私がTVに出ました! 野次馬が桜の木を見上げている姿が、TBS、フジTVに映りました!、、、、帰宅すると、妻の口から、出ました、出ました、『パパ、フジTVに映っていたわよ!』 昼のニュースでは、TBSにも映っていました。 『NHKと日テレと朝日は、まだか?』 欲も出ました。

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・・・・・・・・・・・・・・・神門をくぐって左側(標本木の反対側)の灯篭の基壇部分には、明治時代の測量の基準点である、几号水準点 が標されている。 こちらは、ついでの、おまけで、見てきた。
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⑩桜
・・・・・・・・・・飯田橋駅前では、満開に近い桜が綺麗に咲いていた。

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