港区

2017年9月11日 (月)

北品川

JR品川駅港南口に出て、北品川のチョイト人通りの少ない処をブラブラし、大崎駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
品川駅港南口 ・・・・・・・・・・・新宿駅西口、東京駅丸の内などと並ぶオフィス街となり、朝は改札口から出てくる人の流れが途切れることはない。 私も流れに乗って、駅から再開発地区「品川インターシティ」を通り抜けてきた。、、、、、高所恐怖症の人は、超高層ビルでの執務は、どうしてるのか、怖くないのかな?
 
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②昭和の家並み・・・・・・・・・北品川1丁目、旧東海道品川宿の東側に屋形船などを係留している船溜まりがある。 その一画、十数軒程の板張りの住宅が、昭和の路地裏を守り残している。 石を敷いた路地には、草木も置かれ、タイムスリップした感じだ。
 
・・・・・・・・・・・・・・船溜まりの先、マンションの谷間に木造住宅が密集している。
 
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・・・・・・・・・・・・・半分は空き家となったようだ。、、、、、残して欲しいこの景色。
 
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・・・・・・・・・・・・・船溜まりに架かる北品川橋。 大正14年(1925)竣工。
 
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③開かずの踏切・・・・・・・・・・・北品川駅ホーム南端脇の踏切。
 
・・・・・・・・・・・・・・9時0分撮影。 この後、上下10本程の列車が通過。 途中で無理やり遮断機をくぐり、横断する人もいた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・9時10分撮影。 10分前と同じ人が何人いるでしょうか?、、、、、6人は判るはずです。
 
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・・・・・・・・・・・・・・慣れた人は、踏切脇で待機。
 
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④旧英国公使館跡・・・・・・・・・・・・・幕末に高杉晋作や伊藤博文・井上馨などの長州藩士により、品川の御殿山で当時完成間近であった英国大使館の焼討ちがあった。 この時の大使館(公使館)跡は、現在の「権現山公園」あたりである。
 
・・・・・・・・・・・・・・京急北品川駅前の品川女子学院校舎脇の道を入り、階段を上ると郵政官舎がある。 ここが旧英国公使館跡と言われているが、現在は遺構、案内板、碑石など跡を標すものは一切ない。 ちなみに、官舎の住人も知らなかった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・官舎の西隣にマンションがあり、さらにその隣に東海道線に沿って崖上の小さな公園がある。 公園からは、崖下の東海道線線路を挟み、向かい側に御殿山が見える。 これが権現山公園(北品川3-9)である。 公園は、もともと東海寺(3代将軍家光により創建された、臨済宗大徳寺派の寺院。)の境内で、現在の御殿山と連なる高台であった。 その御殿山を切りさくように鉄道(東海道線)が敷かれたのである。、、、、、只今、公園はJRの耐震工事で崖を修復中につき御殿山が見通しにくい。
 
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⑤目黒道架道橋・・・・・・・・・・・・・権現山公園のある高台から、南側の区立品川学園校舎を回るように下ると山手通りにでる。 通りの向かい側に東海寺が見えるが、今日は素通りし大崎駅へ向かう。、、、、、あとで、東海寺に寄ってくれば良かったと後悔することになった。
 
・・・・・・・・・・・・・東海道本線が山手通りを越える目黒道架道橋がある。、、、、、竣工時期不明だが、私の推測では昭和初期かな?
 
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・・・・・・・・・・・・・・橋をくぐると、橋脚の脇に「官営品川硝子製作所跡」の碑があった。、、、、、明治6年(1873)、日本で最初の西洋式硝子工場がここに設立された。 しかも、この地も東海寺境内である。、、、、、寺の境内で、ビール瓶などを御国が製造したそうだ。 明治はいい時代だった!
 
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⑤東海寺大山墓地・・・・・・・・・・目黒道架道橋の隅にもう一つ私を引き付けるものがあった。
 
・・・・・・・・・・・・・「東海寺大山墓地」の案内板。 なんと、沢庵和尚、賀茂真淵、井上勝、などの墓がここにある。、、、、、、あの素通りしてきた寺の墓だ、私の足は戻りたくない! 失敗、失敗、大失敗! 後悔先に立たず、食うかい歯で噛めず。
 
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・・・・・・・・・・・・・・とりあえず、今日は墓を見学することにした。、、、、、墓地は現在の東海寺とは離れて、品川駅の南で山手線(新幹線)と京浜東北線(東海道線)が分かれる、股裂き状態の位置(北品川4-11-8)にある。 ここも、昔から東海寺の境内だったそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・ 但馬国(現:兵庫県)出石町生まれ。 江戸時代初期の禅僧。 37歳で大徳寺の住持となる。 寛永6年(1629)、紫衣事件で幕府に抗弁書提出し、咎められ出羽上山藩に流罪となる。 二代将軍の秀忠の死により許されて京都へ帰る。 三代将軍の家光は江戸に東海寺を創建し沢庵を迎えいれた。 その沢庵和尚の墓。、、、、、墓石には大きなたくあん石!
 
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・・・・・・・・・・・・・・賀茂真淵の墓、、、、、江戸中期の国学者で、『万葉集』の研究を始め、国学・復古神道の普及に努めた。 弟子は300人以上いたそうだ。、、、、、鳥居もある立派な墓だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・日本の鉄道の父:井上勝の墓、、、、、、明治4年(1871)に初代の鉄道頭となり新橋~横浜間の鉄道を開通させた。 墓の横に東海道新幹線が通る。 墓は鉄道記念物に指定されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・私の散歩は下調べなしの“ぶっけ本番”である。 「後で気がつく癲癇病み」で、ここの墓地に『東京だョおっ母さん』の島倉千代子も眠っているそうだ。 手を合わせたかった、残念、無念、大失敗。 
 
 
 
・・・・・・・・・・・・大崎駅から帰宅。
 
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2017年7月 2日 (日)

増上寺

午前中に家族で選挙を済ませ、午後はチョックラ芝の増上寺に行ってきた。 増上寺・浜松町周辺を歩き、1万歩の散歩。
 
 
 
増上寺・・・・・・・・・・徳川家の菩提寺である、浄土宗寺院の三縁山広度院増上寺。 増上寺の創建年代等は不詳であるが、空海の弟子が麹町(千代田区)あたりに真言宗光明寺と称して建立したのが始まりらしい。 その後、明徳4年(1393、室町時代)に、浄土宗に改め、三縁山増上寺と改号した。、、、、天正18年(1590、豊臣秀吉の小田原征伐の年)に、家康が増上寺の前を通りかかったことが縁で、源誉存応上人と親しくなり、菩提寺となるきっかけとなった。、、、、その後、増上寺は麹町から日比谷に移転し、秀吉が死去した慶長3年(1598)に現在の芝へ移転した。 江戸時代には寛永寺と共に徳川将軍家の菩提所となり、寺領10745石の御朱印状を拝領、関東十八檀林(学問所)の筆頭となる。、、、、、、明治時代に移ると、新政府は明治6年(1873)の太政官布達により全国に公園を整備することとなった。 東京では、芝増上寺、上野寛永寺、浅草、深川、飛鳥山が、東京で最初の公園として指定された。(徳川の菩提寺が狙われたようだ?) 公園化が進み、さらに戦災で大きく被災し、戦後の混乱期には国土計画(プリンスホテル)と土地登記のトラブルも生じた。 現在は、地名は「芝公園」だが、かつての増上寺の境内には、東京タワーがあり、プリンスホテルがあり、公園らしき緑地が点在し、もちろん増上寺自体も残り、まとまりのない“公園”となっている。
 
 
①大門・・・・・・・・・・・増上寺の総門・表門にあたり、地名の由来になっている門。 現在のものは国道の通行整備のため、昭和12年(1937)に原型より大きく、コンクリート製に作り直されたものだ。 旧大門は慶長3年(1598)に、増上寺が芝に移転した際、それまで江戸城の大手門だった高麗門を、徳川家康より寺の表門として譲られたものである。 その旧大門は大正12年(1923)の関東大震災により倒壊の恐れが生じ、両国・回向院に移築されたが、昭和20年(1945)の空襲により焼失した。、、、、、戦後、このコンクリート製の大門の所有者が不明となり、増上寺では昭和49年(1974)頃から東京都に対し境内整備の一環として大門の譲与を求めていたが、都の所有物か、否か、結論が出なかった。 その後東京都が調査を行い、都の所有物であり都の財産台帳から誤って抹消されたものであると認めると同時に、大門の建物としての鑑定を行い資産的価値はないものとして増上寺に無償で譲与することを決定。 昨年(2016年)3月25日に東京都と増上寺の間で契約書を取り交わし、東京都から増上寺に返還された。、、、、戦後の混乱が70年経った今でも続いているようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大門の交差点横に、昭和7年(1932)に区が設置した鉄筋コンクリート造の半地下式の「大門際公衆便所」がある。 かれこれ10年程前に、和風のデザインに改修され清潔な公衆となっている。、、、、、、ちなみに、半地下式の公衆便所は、九段会館際、東京国立博物館などにもあったが、今はいくつ残っているのか?
 
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②三解脱門・・・・・・・・・増上寺の表の顔として、日比谷通りに面して建っている中門。 都内有数の古い建造物で、東日本最大級のこの門は只今、耐震工事中である。、、、、、、元和8年(1622)に再建された。 増上寺が江戸初期に大造営された当時の面影を残す唯一の建造物で、国の重要文化財に指定されている。 三解脱門とは三つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」を解脱する門を言う。、、、、、私が高校生の頃、この前を走る都電に乗って、毎週塾に通った思い出の門。 当時は、頭はおろかで、勉強をむさぼっていた割には、出来の悪さに自分にいかり、解脱していなかったようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・3年前に撮影した三解脱門。
 
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③旧方丈門(黒門)・・・・・・・・・・・慶安年間(1648~1652)、三代将軍家光の寄進で建立された。 この門は、御成門交差点付近にあった増上寺方丈の表門で、黒漆塗りの門である。 方丈は明治時代に北海道開拓使の仮学校や海軍施設が置かれ、その後芝公園となった。 それゆえ門は、鐘楼の脇に移築し、さらに昭和55年(1980)に増上寺の通用門として日比谷通りに面する、三解脱門の左隣に移築された。、、、、転々と移築され、黒く薄汚れたような、何となく可哀そうな門だ。
 
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④大殿(本堂)・・・・・・・・・・・旧本堂は戦災で焼失したため、昭和49年(1974)、浄土宗大本山の念仏の根本道場として、あらゆる儀式法要が行えるように設計され、再建された本堂。 本尊は阿弥陀如来(室町期製作)。、、、、首都圏では最大級の御堂で、間口48m、奥行45m、高さ23m。 石段を登りつめた2階に本堂、3階に道場、1階に檀信徒控室、地下に増上寺宝物展示室がある。
 
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⑤安国殿・・・・・・・・・・・戦災で焼失した大殿の代わりに仮本堂として使用していた建物を、昭和49年(1974)、再建された新大殿の北側に移転し、「安国殿」とした。 その安国殿は老朽化のため、平成23年(2011)に新しい安国殿が再建されました。、、、、まだ、新しい匂いも残っているようだ、堂内にはお守り・お札・羊羹・写真集などグッズが並んでいる。 売店かな???
 
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⑥鐘楼堂・・・・・・・・・・・最初の鐘楼堂は寛永10年(1633)に建立されたが焼失した。 現在の鐘楼堂は戦後の再建によるものであります。 鐘楼堂の大梵鐘は、延宝元年(1673)に鋳造したものである。 江戸三大名鐘の一つに数えられている。、、、、、現在も、朝と夕べ、二回撞くその鐘の音は、時を告げるだけではなく、人を惑わす百八の煩悩を浄化し、人々の心を深い安らぎへと導く六度の誘いでもある。、、、、、浅草橋の我が家までは、音も聞こえなず煩悩は浄化されないので、今だ、よからぬことを考えては日々を過ごし、迷い多く安らぐことがないね。
 
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⑦経蔵・・・・・・・・・・・徳川幕府の助成により、慶長10年(1605)に建立された経蔵は内部中央に八角形の輪蔵を配する、八間四面、土蔵造りの典型的な経蔵である。 こちらも、寺社建築を得意とする松井建設の手により、只今、耐震工事中。
 
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・・・・・・・・・・・・・・3年前に撮影した経蔵。
 
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⑧徳川将軍家墓所・・・・・・・・・・増上寺は上野寛永寺と共に徳川将軍家の菩提寺。 増上寺には、二代秀忠・六代家宣・七代家継・九代家重・十二代家慶・十四代家茂の6人の将軍のほか、崇源院(二代秀忠夫人)、皇女和宮さま(十四代家茂夫人)ら5人の正室、三代家光側室桂昌院(五代綱吉実母)はじめ5人の側室、及び、三代家光第三子甲府宰相綱重ほか歴代将軍の子女多数が埋葬されている。、、、、、旧徳川将軍家霊廟は御霊屋(おたまや)と呼ばれ、増上寺大殿を中央にして、その左右に並んでいた。 御霊屋はいずれも、日光東照宮のように荘重美麗な外観で観る人を圧倒していたようだ。 残念であるが、昭和20年(1945)の空襲で、ほぼ全ての建物が焼失した。 さらに、御霊屋跡はプリンスホテル、公園となり、墓所宝塔も一か所に集められてしまった。、、、、今日は宝塔が集められて改葬された現在の将軍家墓所の中を見てきた。
 
・・・・・・・・・・・・・現墓所の門。 元は六代家宣の宝塔前の中門であった。、、、、6人の将軍の墓(宝塔)が、この門の後ろに納められている。 
 
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・・・・・・・・・・・・・門の後ろには、正面右に二代秀忠夫婦、左に六代家宣夫婦の宝塔を配し、両サイドには家継・家重・家慶・家茂・静寛院和宮・将軍生母側室の塔が並ぶ。
 
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・・・・・・・・・・・・・秀忠夫婦の石塔。 秀忠の宝塔は焼失し、正室江与の石塔に合祀されている。、、、、、世が世ならば、台徳院霊廟と称する壮大な墓所が残されているのだが、徳川の世は遠く去り、大東亜戦争に負け、今は夫婦で小さな墓に眠る秀忠に、哀れさを感じた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・静寛院和宮の青銅製宝塔
 
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⑨台徳院霊廟・惣門・・・・・・・・・・台徳院霊廟は、二代徳川秀忠の霊廟建築である。 壮大な規模を持ち、江戸時代初期を代表する建造物群であったが、一部の建物を除き、戦災で焼失した。 惣門は数少ない罹災を免れた建築である。 寛永9年(1632)に造営された。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・芝公園にはまだまだ古いもがある、、、、、このあと、芝丸山古墳にのぼり、チョイと「芝」の町を歩き帰宅。

2017年5月 2日 (火)

浅草橋~泉岳寺

我が家(浅草橋)から、江戸通りを歩き「室町三丁目交差点」へ、ここで中央通りに入り、三越前、日本橋、銀座、大門、三田をとおり都営浅草線泉岳寺駅までの散歩です。 

 
 
 
●am7:40・・・・・・・・我が家をあとに、男一匹南に向かう。、、、、、GWなのに、駅前には通勤する人が、かなりいるね。 学生もいるようだ。 学校では、交代で生徒の半数は休みにしてあげれば、よろこばれるのに!(?)
 
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●am7:50・・・・・・・・総武快速線馬喰町駅を通過。 駅の周囲は、“御祭礼”の提灯がぶらさがる「横山町」の繊維問屋街。 提灯は、来週末に予定されている神田明神の祭礼。、、、、いよいよ、我が町(浅草橋)の周辺は“お祭りモード”となる。 神田明神、下谷神社、鳥越神社、蔵前神社、三社さま、と毎週のように続く。 
 
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●am8:10・・・・・・・・地下鉄日比谷線小伝馬町駅を通過。
 
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●am8:20・・・・・・・・江戸通りと中央通りが交差する「室町三丁目交差点」。、、、、中央通り沿いに、三井タワー、COREDOなどの、再開発事業が続いている。
 
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・・・・・・・・・・・・・ここ室町も神田明神の氏子で、三越でも“お祭りモード”。 提灯・神輿と飾られていた。
 
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●am8:35・・・・・・・・お江戸日本橋を通過。 、、、、、♪コチャエ、コチャエ♪
 
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●am9:00・・・・・・・・かつて京橋川に架かっていた京橋を通過。  京橋川は昭和34年(1959)に埋め立てられ東京高速道路となった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・京橋の高速道路脇に、リニューアルの終わった警察博物館がある。、、、、、GWに行く処のない人は、ここがお薦め。 入場無料ですいている、しかも、手口を見破られないように事前に犯罪の知識習得ができる。 予習を大切に!
 
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・・・・・・・・・・・・・・頭上を走る高速道路をくぐれば、そこは銀座一丁目
 
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●am9:10・・・・・・・・「銀座四丁目交差点」を通過。、、、、、、まだ、店は開いておらず、通る人も少ない、鳩も安心して銀ブラできる時間だ。
 
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●am9:12・・・・・・・・2週間程前の4月20日に開業、241のブランドが集結した銀座で最大の商業施設「GINZA SIX」を通過。 店が開くのを並んで待つ人もいる。
 
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●am9:30・・・・・・・・「新橋駅前ビル」を通過。、、、、玄関先には「狸広(たぬこう)」の像がお出迎え。 戦後、闇市の時代、駅前には「狸小路」なる呑み屋街があった。 その呑み屋街は昭和41年(1966)に、現在の駅前ビルに変わり。 ビルの中に入り「狸広場」となった。 「狸広」は広場のシンボルとしてつくられた。 大きな金玉袋が特徴か? 
 
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●am9:50・・・・・・・・都営浅草線大門駅を通過。、、、、銀座を過ぎると、中央通りは第一京浜となり品川方向に向かう。
 
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●am10:00・・・・・・・・古川に架かる金杉橋を通過。 ここでも、頭上に首都高が走る。 毎度々々、景観を邪魔する首都高だ!
 
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●am10:20・・・・・・・・三田駅の手前で日比谷通りが第一京浜に合流する。 そして、浅草線三田駅を通過。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・三田駅近く、ここでも、三菱自動車工業のビルの前に「江戸開城 西郷南洲 勝海舟 会見之地」の碑がある。 幕末、ここには薩摩藩蔵屋敷があり、明治政府代表の西郷隆盛と徳川幕府代表の勝海舟による会談が行われ、無血開城が取り決められた。
 
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●am10:30・・・・・・・・「札ノ辻交差点」から東京タワーを望み、笹川記念館前では母を背負う像を眺め、泉岳寺駅前で高輪大木戸跡をじっくり見る。、、、、、なんだか、旅費を値切った修学旅行みたい。
 
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●am10:35・・・・・・・・都営浅草線泉岳寺駅から帰宅する。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本日歩いたコースは総延長約9.0km、1万7千歩。 天気も良く、汗かく散歩であった。

2017年3月16日 (木)

信濃町~渋谷

信濃町駅から神宮前を抜けて渋谷駅まで、1万2千歩の散歩です。
 
 
①信濃町駅・・・・・・・・・・・明治27年(1894)10月9日の甲武鉄道新宿~牛込(現:飯田橋駅の西側)間開通と同時に開業した。 島式ホーム1面2線の地上駅で、ホーム上部に駅ビルがある。 改札口は駅ビル1階にあり、外苑東通りに面している。、、、、、駅ビルは平成5年(1993)に竣工した地上6階・地下2階建て、設計は岡田新一(岡田新一設計事務所)。、、、、、写真:駅ビルの裏側に某宗教団体の本部があり、駅ビルと向かい合って慶應大学附属病院があり、乗降客の多い駅である。 ついでに、写真を撮った位置には、かつて滝沢馬琴(1767~1848、南総里見八犬伝の著者)が住んでいた、四谷組同心屋敷があった。 馬琴はここで、最後の12年間を暮らした。 
 
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②聖徳記念絵画館・・・・・・・・・・神宮外苑のシンボル的な建物で、幕末から明治時代までの明治天皇の生涯の事績を描いた歴史的・文化的にも貴重な80点の絵画を展示している。、、、、、大正8年(1919)に着工し、大正15年(1926)10月22日に竣工した、鉄筋コンクリート2階建て、ドームの頂上までの高さは約32m、幅約112m、奥行約34mの建物である。 設計は公募にて大蔵省臨時建築部技手・小林正紹(まさつぐ)の案が採用され、施工は大倉土木(現:大成建設)が請けた。 外観は花崗岩貼りで、中央にドームを戴く左右対称のデザインでまとめられている。 左右対称のデザインは国会議事堂などと同じように大正時代の流行であった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・内部には、大理石、モザイクタイル、石膏彫刻が多用され荘厳な雰囲気が漂っている。 (内部は撮影禁止のため、6年前の写真を借用)
 
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・・・・・・・・・・・・・絵画館の真後ろには、中央に楠の大木が植えられた、葬場殿趾の円壇がある。、、、、これは、明治天皇の葬儀がこの場所(当時の青山練兵場)で行われた際、棺が置かれた葬場殿の址である。、、、、なんと、ここは重要文化財であった。 なんで、ここが? 答えは簡単! 重要文化財の本体は絵画館であって、この円壇はその付属として位置づけられているそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・絵画館前の植え込みの中に「樺太国境画定標石」のレプリカが残されている。、、、、、日露戦争に勝利した日本は、その後の明治38年(1905)、ポーツマス条約により樺太の北緯50度以南を日本が領有することとなった。 翌明治39年から明治41年にかけて国境に17基敷設された標石のレプリカで、当時の樺太庁が作成し外苑に寄贈したものである。、、、、、菊の紋が標された本物の標石は、今、どうなっているのか?
 
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③明治神宮野球場・・・・・・・・・・大正15年(1926)に開場した、六大学野球の聖地。 私も母校の応援に行ったのを思い出すが、優勝して飲み会をしたという記憶はない! この頃(学生時代)は、野球より、女の子に興味があったから、応援にかこつけた、ナンパだった。
 
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④高徳寺・・・・・・・・・・・都立青山高校に近い港区北青山(熊野通り)にある浄土宗の寺院。 若い人が多いアパレル関連の会社が並ぶ通りから少し入ると、正面に本堂が、右に河内山宗俊の碑(墓もある)が、左に積み重なった石仏の山が見える、まさに都会の癒しスポットと云うような寺である。、、、、、高徳寺は、晃誉上人居的和尚(元和9年(1623)寂)が開山となり、天正7年(1579)に創建した。、、、、今流のおしゃれな通りに、歴史の香りが、チョイト、ミス・マッチ。
 
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⑤熊野神社・・・・・・・・・渋谷区神宮前、キラー通りに近い処に、青山の鎮守さま熊野神社がある。 元和5年(1619)に徳川頼宣によって勧請。 徳川頼宣の邸内(現:赤坂御所)に奉斎されていた御宮を、正保元年(1644)に現在地に移した。、、、、境内には、5階建ての賃貸ビルを所有しており、商売繁盛の御利益を自ら享受しているようだ。
 
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⑥東郷神社・・・・・・・・・・・・・・神社が続く、原宿の竹下通り裏に鎮座する東郷神社。 日露戦争で連合艦隊を率いてバルチック艦隊を破った、東郷平八郎を祀り、昭和15年(1940)に御鎮座祭がおこなわれた神社。、、、、社殿は昭和39年(1964)に再建された、鉄筋コンクリート造。、、、、ここは、“勝利の神様”。 勝負の前に手を合わせ、必勝パターンで! ただし、賽銭はチョイト奮発すること。
 
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⑦長泉寺・・・・・・・・明治通り沿いにある、曹洞宗の長泉寺。 寺は、かつて隠田に古刹寺院があり、観音堂のみ残っていたところ、上渋谷村の名主田左膳義直が、観音堂の本尊を自宅に遷し草庵として天文15年に僧春的を招聘、文禄元年には青松寺七世瑞翁(慶長9年寂)がこの草庵を譲受、慈雲山長泉寺と号し開山したといいます。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・長泉寺には、なんと! 山手線の土手を背にして2百体以上の石仏が並んでいる。 お寺近くに祀られていた地蔵尊、観音様が、土地の造成などで、ここに集められたらしい。、、、、、玄関先にでも飾るインテリアとして石仏一体欲しいね! こんだけあれば、一体ぐらい無くなっても、、、、『コラ! 罰当たりが!』
 
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2017年3月10日 (金)

旧東京水産大学

JR品川駅で下車し、駅港南口の前に建つ超高層ビル群をチョイト眺めて、旧東京水産大学のキャンパスに寄ってきた。 1万1千歩の散歩。
 
 
 
①品川駅港南口・・・・・・・・・・・今は港南口、昔は東口である。 かつての東口は、海側の工場・倉庫に勤める人だけが利用する出入口で、まさに品川駅の裏口であった。 ホームから東口に出るには、延々と長い地下通路を歩き、駅構内を横断しないと出ることができなかった。 しかもこの地下通路は台風・大雨の時は冠水しドブ川を歩くようだった。 私も、50年程前、台風後の冠水状態が見たく、野次馬根性まる出しで駅に行ったことを覚えている。、、、、、平成10年(1998) 11月1日に、品川駅の高輪口 と港南口(旧東口)を結ぶ、東西連絡通路(レインボーロード)が完成し、駅も橋上駅舎となった。 以後、港南口周辺にはタワーマンションと超高層ビルの建設が始まり、巨大な副都心となった。 今では、朝の通勤時間帯には高輪口に出る人よりも、港南口に出る人の方が多いようだ。
 
・・・・・・・・・・・・・中央改札から出てくる人の多くは港南口(写真左側)へ向かう
 
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・・・・・・・・・・・・・・途切れることなく港南口から出てくる人
 
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②品川駅東口再開発地区・・・・・・・・・・品川駅港南口の南側一帯の再開発地区で、現在は「品川グランドコモンズ」と「品川インターシティ」のビル群である。
 
・・・・・・・・・・・・・・港南口のペデストリアンデッキから見る再開発地区。、、、、写真右側のビル群が「品川グランドコモンズ」、左側は「品川インターシティ」。
 
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・・・・・・・・・・・・・この地は旧国鉄の操車場跡で、昭和59年(1984)に民間に売却された。 平成2年(1990)頃、関係機関により再開発計画が作られ、ビル群の建設は平成10年(1998)頃までにほぼ完成した。、、、、各ビルは地上2階の位置で、駅から続く遊歩道により結ばれている。
 
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③楽水橋・・・・・・・・・・・・北品川駅方面から東京海洋大学品川キャンパスの裏門に向かうと、鶯色の楽水橋(らくすいばし)が架かる。 昭和44年(1969)に架け替えられた、「東京水産大学」の建造した橋。(現:管理は港区)、、、、、橋名は、東京水産大学同窓会名「楽水会」に由来したといわれている。 OBが寄付したのかな?
 
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・・・・・・・・・・・・・・橋を渡ると正面に大学キャンパスがある。、、、、流れる川は高浜運河。
 
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④旧東京水産大学・・・・・・・・・平成15年(2003)、越中島の東京商船大学 と統合し、現在は東京海洋大学の品川キャンパスとして海洋科学部が設置されている。、、、、今を遡る52年前、一人の受験生が願書を提出した大学である。 当時は、遠洋航海を学ぶ学部と缶詰など食品加工を学ぶ学部があり、船に乗る学生は眼鏡使用不可であった。 受験生はメガネを着用しており、『船に乗れず、缶詰工場で働くのはイヤだ!』と受験をあきらめた。 その受験生が私である。 今日は懐かしのキャンパスを拝見したが、当時の建物は何も残っていないのが、チョイト寂しい。
 
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・・・・・・・・・・・・・・雲鷹丸(うんようまる)、、、、、旧水産大学の前身、農商務省水産講習所の練習船。 水産事業の研究開発のため、明治42年(1909)に建造された、3本マストバーク型補助機関付き帆船。 長さ41.2m、幅8.7m、総トン数444トン、最大速力12.5ノットである。、、、、、、昭和37年(1962)に旧水産大学構内に復元・保存された。 国の登録有形文化財であるが、“陸の河童”状態で保存され、痛々しい状態だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・構内にある東京海洋大学マリンサイエンスミュージアム。 長い名だが、簡潔に言えば資料館である。 明治35年(1902)に大学の前身として農商務省水産講習所として発足して以来、水産大学、海洋大学に至るまでの、資料・標本などが展示されている。 建物は昭和46年(1971)に完成した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・隣の「鯨ギャラリー」には、体長17.1mのセミクジラの全身骨格が展示されている。、、、、でかすぎて、上手に撮れない!
 
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2017年3月 8日 (水)

元麻布一丁目

大江戸線麻布十番駅から、元麻布一丁目を一周するようなルートで歩き、麻布十番駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①麻布十番駅・・・・・・・・・・東京メトロ南北線と都営大江戸線が乗り入れる接続駅。 平成12年(2000)9月26日に南北線の目黒~溜池山王間が開通し、同時に駅も開業する。 同じ年の12月12日には大江戸線も全線開業し、麻布十番駅は接続駅となる。、、、、、大江戸線のホーム(島式1面2線)は、地下6階の深い位置にあり、年寄りは地上に出るまでがチョイト辛い。
 
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②十番稲荷神社・・・・・・・・・・麻布十番駅の出入口に隣り合わせる神社。 慶長年間(1597~1616)に創建の末広神社と、弘仁13年(822)に創建の竹長稲荷神社が、戦後、合併して十番稲荷神社となった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・階段を上がるのが面倒くさいので、地下鉄の出入口脇に、神社のカエルが置かれている。、、、、、文政4年(1821)の大火でこの付近がほとんど焼失したとき、ある屋敷のみが焼け残った。 これは邸内の池に住む大ガエルが水を拭きかけて猛火を退けたためだという評判が立った。 その故事に因んだ「カエル」のお守は、火防・やけどのお守、無事かえる・若がえる・何でもかえるお守として貴ばれているそうだ。、、、、地下鉄に乗る人、おりてきた人、結構、手を合わせる人が多い。 神社は賽銭でもうカエル(儲かる)。
 
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③タヌキもいた・・・・・・・・タヌキ:「他抜き」にかけて商売に励む、昭和3年(1928)創業の煎餅屋さん。
 
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④赤い靴の女の子・・・・・・・・・野口雨情:作詞の♪♪赤い靴 はいてた 女の子 異人さんに つれられて 行っちゃった♪♪の実在のモデル「きみちゃん」の像が、商店街の中央にある。、、、、、「きみちゃん」は、未婚の母の子として明治35年(1902)に生まれた。 3歳の時、母と共に北海道に入植したが、子供には厳しい環境であったため、母はきみちゃんを米国人宣教師に託した。 宣教師が帰国するとき、きみちゃんは結核を患い、船旅ができず麻布十番の鳥居坂教会の孤児院に預けられた。 その後、3年間の闘病生活の末、9歳という短い生涯を終えた。 北海道の母はきみちゃんが異国に行き、幸せな生活をしてると思い、知り合いの野口雨情に娘の話をした。 話に感動した雨情は、詩に綴り、童謡とした。 また、きみちゃんの死を知らず、母は昭和23年(1948)に他界した。 きみちゃんの真相が明らかになったのは、昭和48年(1973)、北海道テレビの記者であった菊池寛によるものだ。、、、、、きみちゃんのいた孤児院は、現在の十番稲荷神社がある場所にあった。 また、きみちゃんの墓は青山霊園にあるそうだ。
 
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⑤善福寺・・・・・・・・・・・・元麻布にある古刹は、天長元年(824)に空海によって開山した、浄土真宗本願寺派の麻布山善福寺。、、、、、、江戸時代の本堂は昭和20年(1945)の戦災で罹災し、昭和36年(1961)に東本願寺八尾別院大信寺の本堂を移築し、再建した。、、、、、移築した本堂は明和4年(1767)の建築である。 正面幅約28m、奥行約34m、入母屋屋根、桟瓦葺の、大きな建物である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・善福寺の後ろに建つタワーマンション「元麻布ヒルズ」の敷地は、昭和58年(1983)までは善福寺の境内であった。 一部土地を売っても、今でも広い境内が残っている。、、、、善福寺は元麻布の大地主? また、タワーマンションは森ビルが開発。
 
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・・・・・・・・・・・・・安政5年(1859)には日米修好通商条約に基づき、善福寺境内にアメリカ合衆国公使館が設置され、タウンゼント・ハリスらが在留した。 境内には、記念碑が建てられている。
 
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・・・・・・・・・・・・・墓地には、「愛の賛歌」の歌詞が刻まれた越路吹雪の碑福沢諭吉の墓などもある。
 
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⑥仙台坂・・・・・・・・・・港区南麻布1丁目と元麻布1丁目の境界を東から西に上る坂。、、、坂の南側(南麻布)一体に仙台藩伊達の下屋敷があったことに由来する。、、、、、道幅は広くなく、途中に韓国大使館などがありいつも警視庁が警戒し、車がつながっている坂。
 
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・・・・・・・・・・・・・仙台坂に面し南麻布にたつ韓国大使館。、、、、平成25年(2013)に建て替えられた7階建ての大使館。 工事費は約800億ウオン(71億2000万円ぐらい)らしい。 施工は、「お口の恋人」ロッテ建設。  
 
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・・・・・・・・・・・・・大使館前から見上げる元麻布ヒルズ。、、、、仙台坂に面した空き地は、森ビルが取得しているようだ。 またまた再開発が始まるか?
 
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・・・・・・・・・・・・・・仙台坂を上ると、大正6年(1917)に竣工した日本基督教団安藤記念教会が、関東大震災前の姿をとどめ残されている。、、、、、、ツタに覆われ、石積みの教会がわかりにくいが、しぶい味のある教会だ。 (内部の写真は2013年撮影)
 
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・・・・・・・・・・・・・・・教会の前には、元麻布氷川神社の鳥居が立っている。 天慶5年(942年)の創建と伝えられる古社であるが、東京大空襲で、本殿・社務所等が焼失、戦後に再建されている。
 
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⑦元麻布ヒルズ・・・・・・・・・・・・善福寺の裏の高台(元麻布1)に建つレジデンス。 地上29階建てのフォレストタワーを中心とした施設。総住戸数222戸。
 
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⑧旧松方正熊邸・・・・・・・・・・・・元麻布2丁目の「西町インターナショナルスクール」である。、、、、、明治期の政治家である松方正義の六男、松方正熊の邸宅として建てられた西洋館。 戦時中に松方家が疎開したことから、スウェーデン公使館に貸し出され、その後にルーマニア大使館やベネズエラ大使館としても一時期利用されていた。 昭和40年(1965)には松方家へと返還され、西町インターナショナルスクールの校舎として使われるようになった。 現在は教室として使用されておらず、「松方ハウス」として、事務室や校長室、図書館などで利用している。、、、、、大正10年(1921)に建てられた木造2階建て、設計は宣教師として来日したヴォーリズ。 施工は竹中工務店。
 
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⑨元麻布から六本木ヒルズを眺める・・・・・・・・・・・・・
 
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2016年12月 5日 (月)

泉岳寺~三田

とうとう今年も師走となった。 この時期になると、必ず思い出すのが忠臣蔵。 急に、本を読んでみたくなり大佛次郎の「赤穂浪士」を取り出し、映画を見たくなり東映:昭和31年(1956)制作:「赤穂浪士 天の巻 地の巻」のDVDを取り出し、歌謡浪曲を聴きたく三波春夫:「忠臣蔵全集」のCDを取り出し、私が大好きな話:『忠臣蔵』で暮れの一時をつぶすのである。、、、、討ち入りは元禄15年12月14日の出来事である。 以来、300年以上、日本人が愛してきた話だ。、、、、今日は、チョイと早いが泉岳寺へ行ってきた。 1万歩、7km。
 
 
①泉岳寺駅・・・・・・・・・・・・・昭和43年(1968)6月21日、都営地下鉄1号線の駅として開業。 同時に京浜急行線の品川~泉岳寺間も開業し、京急と相互乗り入れを開始。 同年11月15日、泉岳寺~西馬込駅間が開業し中間駅となる。、、、、、、島式ホーム2面4線の地下駅である。、、、、、現在、JR東日本が田町車両センター跡地を含む泉岳寺駅東側の再開発を行っており、田町~品川間に山手線の新駅が計画されている。 新駅と泉岳寺駅は近く、乗降客も増加することが予想され、駅の改良の話もあるそうだ。
 
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泉岳寺・・・・・・・・・・・・忠臣蔵の話が好きな私は、今年の春にも参拝しており、このブログにも度々登場する寺の一つである。
 
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・・・・・・・・・・・・・・山門の横に大石内蔵助の像がある。 この像は、浪曲の宗家:桃中軒雲右衛門の発願により鋳造されたものであるが、所有が転々としていたそうで、最終的に泉岳寺に寄進され、大正10年(1921)12月14日に除幕した。 内蔵助が当時の風俗である元禄羽織を身につけ、連番状を手にして東の空(江戸方向)をじっとにらんでいる姿を表したものです。、、、、、私の内蔵助のイメージは、片岡千恵蔵か、長谷川一夫がぴったし。
 
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・・・・・・・・・・・・・まずは、浅野内匠頭と正室・瑤泉院の墓に参る。、、、、、、この二人は、大川橋蔵と大川恵子(東映の大川コンビ、私の好みでもある)のイメージがぴったし。
 
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・・・・・・・・・・・・・内匠頭の墓の隣に四十七士の墓がある。 チョイと立派な内蔵助の墓を中心に、46名の同型の墓並ぶ。、、、、、さすがに、全員を映画俳優に重ね合わせるには無理がある。 堀部安兵衛には三船敏郎をイメージしたが、血圧130超えたら胡麻麦茶の方が適役かも? (念のため、あのコマーシャルの赤ひげ先生は三船敏郎ではなく増田雄一です。)
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内に残る首洗いの井戸。 吉良上野介の首級を、内匠頭の墓前に供える前に、この井戸で洗ったといわれている。、、、、首を備えた後、寺社奉行の指図に従い、本所吉良邸に首は返された。
 
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泉岳寺横の裏道 ・・・・・・・・・・・・泉岳寺山門の北側に高輪学園の校舎があり、その校舎沿いに自転車がやっと通れる幅の裏道がある。 まさに、私好みの裏道で、途中には墓地もある、井戸もある、石畳もある、全長約300m。 きょうも、通り抜けてきた。
 
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④赤穂義士切腹の地・・・・・・・・・高輪1丁目都営住宅の裏に、細川邸にあずけられた大石内蔵助、吉田忠左衛門、片岡源五右衛門、原惣右衛門ら、16名の赤穂義士が切腹した庭の一部が残されている。 切腹は、元禄16年2月4日に実施された。、、、、施錠された中に、数個の庭石が残され、異様な空気が漂っている不思議な場所である。
 
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⑤旧細川邸のシイ・・・・・・・・・・高輪図書館の南側に、旧細川邸のシイの木が残されている。 樹高10.8m、幹周り8.13m、枝張りは東に6.7m、西に2.7m、南に5.56m、北に5.8mあるそうだ。、、、、、昭和56年に大規模な外科手術をしたので、チョイと痛々しい姿になっている。、、、、、内蔵助もこのシイを見たのか?
 
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三田4丁目 ・・・・・・・・・・・・魚籃坂、魚籃寺、フレンズセンター(宣教師館)、クウェート大使館、聖坂と抜けて、三田三丁目交差点に出た。
 
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⑦慶應仲通り商店街・・・・・・・・・・・商店街は、桜田通り(三田通り)とJR田町駅前を結ぶ裏通りの商店街。 かつては、近くの慶応大学の関係者を顧客としていた商店街で、飲食店はもとより、本屋、学生服屋、コピー屋などもある。 今は、近隣のオフィスに通うサラリーマンが重要顧客であり、飲食店が多い。
 
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・・・・・・・・・・・・・・三田通りから入ってスグ、「茶の木稲荷」が祭ってある。 祭神は稲荷大神で、家内安全、商売の繁昌の御利益があるそうだ。 社殿を見ると、なんとなく神社自身が繁昌していないようだ、御利益は疑わしいね?
 
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・・・・・・・・・・・・・・田町駅に近い商店街の一画には、「水野監物邸跡」がある。、、、、、家康誕生の地である岡崎藩の水野家下屋敷跡。  この屋敷には、奥田貞右衛門、神崎与五郎ら9名の赤穂義士が預けられた。、、、、仲通りの商店街で、切腹させられたのかも?
 
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⑧三田駅・・・・・・・・・・・・・・昭和43年(1968)6月21日、都営地下鉄1号線(現:浅草線)の三田駅が開業した。 昭和48年(1973)11月27日には、都営地下鉄6号線(現:三田線)の三田駅も開業し、相互に連絡通路でつながっている。、、、、、浅草線は島式ホーム1面2線の地下駅で、地下2階にある。
 
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2016年6月27日 (月)

品川~高輪台

JR品川駅から、都営浅草線高輪台駅までの散歩です。 この間はストレートに歩くと、1km程の距離ですが、品川・高輪の両プリンスホテルを避けるように、港区の南端:高輪4丁目付近を抜けて大きく迂回して歩いてきた。



①JR品川駅
・・・・・・・・・・・JR東日本のホームだけでも8面(線路は15本)ある巨大な駅。 この他に、JR東海の新幹線ホーム、京急のホームもある。、、、、、品川駅は初代新橋駅(後に汐留駅)が開業する明治5年(1872)10月15日より約4か月前の明治5年6月12日(旧暦5月7日)に開業していた。 ただしこの時は、品川~新橋間の工事の遅れに伴う仮開業であり、鉄道の正式開業日:10月15日の新橋~横浜間の営業開始が歴史上、“鉄道の始まり”となっている。 この頃の新橋駅は、、、、、ホームの東側に東京湾の波が打ち寄せる、相対式ホーム2面2線の小さな駅であった。(この頃、私はまだ生まれておらず、写真を見ての話である。)

・・・・・・・・・・・・・通勤時間帯の改札口付近

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・・・・・・・・・・・・・・・東口に建ち並ぶ超高層ビル群を背景に、品川駅西口(高輪口)の低層の駅舎が可哀想に見える。

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・・・・・・・・・・・・・・西口正面の駐車場の陰に、品川駅創業記念碑 がある。 石碑には、『明治五年五月七日 品川駅創業記念碑 品川横濱間鉄道開業 伴睦 書』と標されている。

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高山稲荷神社
・・・・・・・・・・・・第一京浜に面し、品川プリンスホテル前に鎮座する“お稲荷さん”。 創建年代不詳であるが、おおよそ500年前に現在地の西側:旧毛利公爵邸(現:品川プリンスホテル)に創建されたらしい。 明治初期に現在地に移転し、現社殿は昭和6年(1931)に建て替えられた。 確かに古そうな神社だ!

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③つばめグリル
・・・・・・・・・・・・・高山稲荷神社の並びに営業する、ハンブルグステーキの「つばめグリル」品川店。 昭和5年(1930)に銀座で営業を始めた「つばめグリル」は、ハンブルグステーキ一筋に85年の歴史を持つ。、、、、、昭和40年頃の建築と思われる品川店は、クラシカルな雰囲気を漂わせている。

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④旧ホテル品川別館
・・・・・・・・・高輪4丁目、品川プリンス脇の坂道を上っていくと、昭和2年(1927)頃に建てられた、旧ホテル品川の建物がある。、、、、、昭和62年(1987)に休館するまではホテルとして営業していたが、現在は会社の寮か? 個人の所有か?

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・・・・・・・・・・・・石の門柱に負けない、木のポールの外灯が渋い!

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⑤高輪の建物
・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・一見すると花魁屋敷(?)、、、、米国証券法を専門とし、クロスボーダーM&A及び資本市場取引を中心に豊かな経験を有する米国の学者の住宅。

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・・・・・・・・・・・・・チョイとモダンな住宅風の建物は、ワイン・ハウス。

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・・・・・・・・・・・・・・モダンな住宅の横には、蔵があるオシャレな建築。

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⑥カトリック高輪教会
・・・・・・・・・グランドプリンスホテル新高輪の前のカトリック教会。、、、、、戦後、バチカンの要請でカナダの教会が日本で布教活動を始めた。昭和34年(1959)に建てられた木造の聖堂は老朽化し、平成元年(1989)に現在の聖堂に建て替えられた。、、、、、、設計は「船越徹+ARCOM」、施工は鹿島建設により、鉄筋コンクリート造一部鉄骨造で、地上3階/地下1階建て。、、、、、聖堂の屋根はアーチ状の鉄骨で組み立てられ、軽やかな印象の内部空間が造られている。 また、地下には、クリプト(納骨堂)が設けられているそうだ。、、、、、クラシカルな教会とは異なり、明るくモダンな教会である。

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⑦高輪台駅
・・・・・・・・・・・昭和43年(1968)11月15日に、都営地下鉄1号線(現:浅草線)の駅として開業した。 品川駅からは1km足らずの場所に位置するが、間にプリンスホテルのある高輪の高台があり、チョイと丘を越えてきたような雰囲気だ。、、、、駅のホーム部は単線による上下2本のシールドトンネルで設計され、ホームに立つとシールド特有の円形の壁面が見える。

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2016年6月 1日 (水)

西新橋

新橋駅の西側のチョイと古い建物を見ながらブラブラ歩いてきた。 1万2千歩、9km。



①新橋駅
・・・・・・・・・・・・明治5年(1872)10月14日、“汽笛一声 新橋を”蒸気機関車がでていった。 この時の新橋駅(初代)は、元の汐留の地に復元されている。 現在の新橋駅は、明治42年(1909)、烏森駅(からすもりえき)として開業した。 大正3年(1914)には煉瓦造りの本屋が竣工し、同年12月20日の東京駅開業とともに、2代目の新橋駅と改称した。(初代新橋駅は汐留駅と称した)

・・・・・・・・・・・・・・東口、、、、、東口は、「ゆりかもめ」に乗り換え、頻繁に東京ビックサイトに行ったこと思い出すね。

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・・・・・・・・・・・・・・烏森口、、、、、、忘年会・歓送迎会、何かと理由をつけて開く飲み会、思い出多い夜の出入口。

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・・・・・・・・・・・・・・日比谷口、、、、、SL広場前の出入口。 朝は顧客訪問前の待ち合わせ、昼は出張前の格安チケットの購入、夜は飲み会前の待ち合わせ、何かとサラリーマンが頻繁に利用する出入口。

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②新橋駅前のビル
・・・・・・・・・・・駅の東西、二つの駅前ビル。


・・・・・・・・・・・・・東口前の「新橋駅前ビル1号館・2号館」、、、、、、1号館と2号館の2棟からなる新橋駅前ビル。 戦後の闇市が並ぶ駅前を、東京都が主体となり建てたビルで、駅前再開発の走りである。 昭和41年(1966)竣工、設計:佐藤武夫設計事務所、施工:戸田建設。、、、、、地上9階建てのビルは、地下は呑み屋がズラリ、1階・2階は飲食・雑貨・診療所などが並ぶ、私がサラリーマンの頃は屋上がビアガーデンでどこぞの国のダンサーが踊っていた。 フラダンス? ベリーダンス? どうでもイイダンス。

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・・・・・・・・・・・・・西側には「ニユー新橋ビル」、、、、、、こちらのビルは、戦後最大規模の闇市があったエリアの再開発事業として建設された。 低層階の商業フロアには食堂、居酒屋や雀荘、パチンコ、マッサージ店まで非常に多くのテナントが入居して、サラリーマンにはネクタイ、Yシャツも買える、格安チケットもある、レンタルビデオもある、便利なビルであった(過去形)。、、、、、昭和46年(1971)竣工、11階建て、延床面積:58,675.34㎡、松田平田坂本設計事務所の設計、竹中工務店の施工。、、、、、SL広場、ニュー新橋ビル、隣の桜田公園などを含む約3万㎡の再開発が計画されており、只今準備中のようだ。、、、なお、SL広場のC11 292」蒸気機関車は残す方向で計画されているようです。ご安心を!

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③烏森神社
・・・・・・・・・・主祭神として倉稲魂命:天鈿女命:瓊々杵尊を祀る烏森神社は、天慶3年(940年)に創建された。、、、、現社殿は昭和46年(1971)に建立したが、築40年以上経過したいまでも、斬新な姿で都心の中にある。 このデザインが、不思議と夜景に合っているのだ。 

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④堀商店
・・・・・・・・・・・明治23年(1890年)に創業し今年(2016年)で126年目という、老舗の錠前屋さん。、、、、、鉄筋コンクリート造4階建ての建物は昭和7年(1932)に建てられた。 設計は公保敏夫、施工は安藤組(現:安藤ハザマ)。 スクラッチタイル張りの重厚なビルは、国登録の有形文化財。

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⑤内幸町橋高架橋
・・・・・・・・・・・・・新橋1丁目の第一ホテル東京前から千代田区内幸町
1丁目の新幸橋交差点まで続く、明治43年(1910)に完成した煉瓦造の高架橋。 高架橋は、竣工時に電車線と東海道本線の4線分であったが、現在は山手線・京浜東北線の4線で使用している。、、、、、、大きなアーチが特徴的である。 このアーチの基礎が深いため、店舗の床レベルは半地下として下がっている。

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・・・・・・・・・・・・・・高架橋の南端には幸橋架道橋が架かる。、、、、高架橋部分と同じく4線分ある、明治43年(1910)に竣工した。 しかし、両外側の2線分は、昭和31年(1956)に架け替えられたため、橋脚を見ると、チョイとデザインが異なっている。

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⑥崩壊寸前の丸万六号館
・・・・・・・・・西新橋1丁目、裏通りに丸万六号館という3階建てのビルがある。 2階から上にはネットが張られ、外壁は大きな亀裂が入り、どう見ても危険な状態である。 1階玄関部分を見ると、ドアも施錠されておらず使用されているようだ、、、、、何事も無いことを祈る。

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⑦西新橋2森ビル
・・・・・・・・・・・・・六本木ヒルズ、表参道ヒルズを手掛ける、大手デベロッパーの「森ビル」。 虎ノ門・新橋界隈には森ビルがいっぱい。 『そう、その森ビルの第2森ビルです』、、、、、、森ビル発祥の森家は、芝の田村町(現:港区西新橋)で米穀店を営み、副業として借家の経営も行っていた。 森家は昭和30年(1955)に森不動産(現:森ビルの前身)を設立し、翌年(1956)4月に「西新橋2森ビル」を竣工した。 「西新橋1森ビル」(現存せず)は、翌年の昭和32年(1957)11月に完成した。 これ以降、不動産オーナーとして、ビルの竣工順にナンバリングしたそうだ。、、、、つまりは、西新橋2森ビルこそ、デベロッパー「森ビル」が建てた最古の貸ビルである。、、、、、現在は空き家となっているが、ここに森ビルの記念館でも整備したらどうだろう。

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⑧大坂屋砂場
・・・・・・・・・・・・虎ノ門1丁目に、堂々たる風格で店を構える蕎麦屋:大坂屋砂場。 “砂場”の由来は、大坂城築城に際しての資材置き場のひとつ「砂場」にて店を開いたことに始まる。 大阪が発祥のはずだが江戸に進出して江戸で発展していった。 砂場のうち、巴町砂場と南千住砂場が現存している。 ここ大坂屋砂場は明治5年(1872)に現在地で店を構えた。 昔の家屋を残した砂場としてはここが一番古い。

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日本基督教団芝教会
・・・・・・・・・・都会のビルに埋もれた教会、昭和11年(1936)に竣工した当時は、周囲に高いビルはなく虎ノ門駅の辺りからも見えたそうだ。 正面のステンドグラスが特徴的なシンプルな感じの教会。、、、、教会の左右と後ろには、西松建設の本社があったが、どうやらこの地域の再開発が始まったようだ。 20年前までは、西松建設に度々訪問したことがあるが、当時の私は仕事に夢中で、仕事以外のものを見る余裕もなく、教会をじっくり眺めたことはなかった。

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⑩金刀比羅宮
・・・・・・・・・・虎ノ門の文科省近くに、金刀比羅宮はある。 讃岐丸亀藩主の京極高和が自領である讃岐の金刀比羅大神を、万治3年(1660)に三田の江戸藩邸に勧請、その後延宝7年(1679)に現在地の虎ノ門へ遷座した。、、、、、、社殿は権現造りで、第二次世界大戦により焼失したが、拝殿、幣殿の部分は昭和26年(1951)に再建された。ともに総尾州檜造り、銅板葺きである。日本最初の建築史家伊東忠太の設計校閲による建物で、我が国古来の建築技法が随所に用いられている。 なお、幣殿奥の本殿は、昭和58年(1983)に鉄筋コンクリート造にて復興された。

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・・・・・・・・・・・・・・銅の鳥居は、京極家江戸屋敷にあったもので、文政4年(1821)に造られた。

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2016年5月 3日 (火)

白金台

GWの真っただ中、混雑を避け、白金台の東京都庭園美術館へ夫婦で散歩してきた。 7千歩、5km。



①東京都庭園美術館
・・・・・・・・・今日の散歩は、庭園美術館(旧朝香宮邸)で開催している『メディチ家の至宝-ルネサンスのジュエリーと名画』を見ることにある。、、、、私はアール・デコ建築の代表格として旧朝香宮邸を見ること、妻はメディチ家のジュエリーに興味を示したようだ。、、、、朝香宮は、戦前は陸軍大将を務め、戦後は皇籍離脱しゴルフ三昧の生活を送り、昭和56年(1981)に死去した。 その朝香宮邸として昭和8年(1933)に、宮内省匠寮(権藤要吉)の設計、戸田組の施工で竣工した、アール・デコ様式の鉄筋コンクリート造2階建(一部3階)の建物。 正面玄関に飾っている女神像など、内部のガラス装飾は有名である。、、、、、この建物には、朝香宮が皇室離脱する昭和22年(1947)までここで暮らし、その後は、総理公邸、迎賓館(プリンスホテル所有)、プリンスホテル本社、庭園美術館(東京都所有)と、変遷した。、、、、、内部の写真撮影は禁止、展示品のお持ち帰りも禁止、残念、無念、諦めた。

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②旧渡辺甚吉邸
・・・・・・・庭園美術館に近い白金台4丁目に建つ洋館に立ち寄ってみた。、、、、美濃の大地主で十六銀行の初代頭取だった渡辺甚吉邸として建てられ、数年前までスリランカ大使公邸として使われていた。 いまは、白金甚夢(じんむ)迎賓館と呼ばれ、民営の結婚式場・レストランとなっている。、、、、、、チュードル様式の流れを汲む伝統的なハーフティンバースタイルの木造2階建ての建物は、昭和9年(1934)に竣工した。 設計は、後に大日本土木会長を務めた遠藤健三。 施工はエンド建築工務所。、、、、、歴史ある洋館で結婚式とは、いいね。 誰か招待してくれないか?

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THE TENDER HOUSE・・・・・・・・・・妻とくる散歩には“ひと休み”がつきものである。 今日の御休み処は「THE TENDER HOUSE」。、、、、、60過ぎの恋人同士が語らうには、場違いか?

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④旧伝染病研究所
・・・・・・・・・明治25年(1892)にドイツ留学から帰国した北里柴三郎が初代所長を務めた「大日本私立衛生会付属伝染病研究所」が、大正5年(1916)に東京帝国大学の付属研究所となる。 その伝染病研究所の建物として、昭和12年(1937)に竣工、設計は内田祥三、施工は大倉土木(現:大成建設)と大林組。 内田祥三の作品は、東大の本郷や駒場キャンパスに多く残っており、「内田ゴシック」と言われるデザインに特徴を持つ建物である。、、、、、現在は、東大白金キャンパスにある東京大学医科学研究所1号館。  ヒトゲノム、生体物理医学、何だか、私には解からん研究をしているそうだ。、、、、、最先端の研究をするには、ボロボロになった建物は、チョイと悲しいので、改修工事が行われる予定らしい。

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⑤旧国立公衆衛生院
・・・・・・・・・・・東京大学医科学研究所1号館と地続きで隣接する「旧国立公衆衛生院」。 こちらも内田祥三の設計で、大倉土木(現:大成建設)の施工により、昭和15年(1940)に建てられた、鉄骨鉄筋コンクリート造5階建て(一部8階)で、城塞のような美しさをみせる建物。、、、、、現在、所有する港区が保存・再利用に取り組んでいる。 早く、仮囲いをはずし、美しい全身を見せて欲しい。

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