神奈川県

2016年8月 4日 (木)

南武線浜川崎支線

今日は川崎にどうしても見たいものがあり、目的地の近くを走る南武線浜川崎支線に乗車し、新たに設置された小田栄駅なども見てきた。 8千歩、6km。
 
 
 
①南武線浜川崎支線・・・・・・・・・・尻手(しって)駅で本線と分かれ、終点の浜川崎駅まで向かう、5駅(両端の駅を含む)、4.1kmを、2両連結の205系ワンマンカーにて運行されている。
 
・・・・・・・・・・・・・知ってるかい「尻手駅」、、、、、川崎の隣駅で、昭和2年(1927)に南武鉄道(現:南武線)の駅として開業した。、、、、3番線から浜川崎行きの電車に乗る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・尻手の次は「八丁畷(はっちょうなわて)」、、、、大正5年(1916)、京浜電気鉄道(現:京急本線)の駅として開業。 昭和5年(1930)に南武鉄道の駅が旅客営業を開始した。 地上に京急、高架に南武線のホームがある。 南武線の駅は京急が管理しており、京急のホーム経由で南武線のホームに出る。 また、南武線のホームは1面1線で、上下線で共用している。、、、、、都会から来た私には、判りづらい駅である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・京急の改札を通り、正面の地上ホームは京急、階段を上ると高架上に南武線のホームが1面のみ存在する。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ホーム上に置かれている簡易ICカード改札機
 
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・・・・・・・・・・・・・・尻手側を見ると、鶴見方面から東海道貨物線が浜川崎方面へ 並走する。、、、、、タイミングよく、EF210に牽かれて貨物列車が通過!
 
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・・・・・・・・・・・・・・八丁畷駅の次は「川崎新町駅」、残念だが写真撮れず通過。 その次は「小田栄駅」。、、、、、、初めて来た駅。 それもののはず、今年の3月26日に開業した新しい駅である。 現在は仮乗降場扱いである。、、、、、、相対式ホーム2面2線の地上駅であるが、ホームは踏切を挟んで対角に配置されている。 まずは、浜川崎方面行き駅舎。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・こちらは、尻手方面行き小田栄駅
 
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・・・・・・・・・・・・・・・そして、終点の「浜川崎駅」。 浜川崎駅には、東海道本線(貨物支線)・南武線(浜川崎支線)・鶴見線の3路線が乗り入れている。 ただし、旅客営業を行っているのは南武線と鶴見線で、東海道本線は貨物専用である。 また、南武線と鶴見線は乗り換え可能であるが、駅舎・ホームはチョイと離れている。、、、、、南武線の浜川崎駅は、昭和5年(1930)に開業した。 ホームは2番線のみを使用している。(1番線は貨物が通過するのみ)
 
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・・・・・・・・・・・・・・・道路を挟み、反対側に鶴見線の浜川崎駅がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・駅構内では、昭和52年(1977)12月20日に誕生したEF65-2091号機(当初はEF65-1091号機)が、40年近く経過した現在も活躍中。 
 
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②地図から消えた建築・・・・・・・・・・・今日の散歩は、私(雅万歩)がゼネコンに入社し、現場監督の一人として、初めて手掛けた建物が壊されると知り、“最後の別れ”、一目見ておくつもりで、川崎新町駅に近い思い出の地に飛んできた。、、、、、残念無念、遅かりし! 建物はすでに取り壊され、更地となっていた。、、、、、昭和44年(1969)から約1年半、この建物の敷地で寝起きし、新人の現場監督として努めた、私には思いで多い建物であった。、、、、、建物は、某県警の独身寮として一昨年まで使用され、今年民間に払い下げられマンションに変わるそうだ。、、、、、私が係わった地図に残る仕事の一つが消えた!
 
・・・・・・・・・・・・・・綺麗に取り壊され整地され、40数年前、私が初めてここへ来た時と同じ光景が再びよみがえった!
 
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・・・・・・・・・・・・・今日現在、Googleマップのストリートビューで見ることができる、幻となった建物。
 
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2016年5月16日 (月)

六郷橋

京浜急行六郷土手駅から、六郷橋を渡り京急川崎駅まで、1万歩、7kmの散歩です。



①六郷土手駅
・・・・・・・・・・・京浜電気鉄道の六郷堤駅として、明治39年(1906)に開業。 昭和46年(1971)に六郷川橋梁の架け替え工事に合わせ、相対式2面2線の高架駅となる。 ホームの南端は多摩川に架かる六郷川橋梁 の直前まで伸びている。、、、、、23区最南端の駅である。 私の住む浅草橋より、チョイとは暖かいかも?

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②北野神社
・・・・・・・・・・六郷土手駅と六郷橋北詰の間にある北野天神。 創建年代不詳。、、、、、徳川八代将軍吉宗が乗った馬が暴走したとき、北野天神のご加護のおかげで、落馬を免れたとされたことから「止め天神」と呼ばれている。 以来「落馬止め」が転じて「落ちない」につながり、合格祈願、学業成就、五穀豊穣、雷除けなど、「落ちない」ことに関しご利益が期待できるらしい。、、、、昭和20年(1945)の空襲により社殿は焼失し、昭和58年(1683)に再興した。

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・・・・・・・・・・・・・・・『河原橋』と彫られた踏み石が境内に残されている。 「河原橋」は、六郷の渡しに行くのにどうしても渡らなければならなかった橋で、その橋の踏石。 両側がよしやぶで、人目につかない河原橋は村の若い男女が、人知れず忍び会う橋でもあった。、、、、星も隠れた、曇天の暗い場所、もし2組のカップルが同時刻に忍び合い、相手を間違えたら、幸か、不幸か? これも江戸時代のロマンスか?

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③六郷橋
・・・・・・・・・六郷川(多摩川)には、江戸時代初期:家康が架橋を命じた「六郷大橋」があった。橋の長さは200m程あり、まさに大橋であったが、貞享5年(1688)の大洪水で橋が流失してからは、幕府も再架橋を断念していた。 明治期には木造の左内橋が架けられた。 その後、近代化が求められ、大正9年(1920)に着工し、大正14年(1925)にタイドアーチ式の旧六郷橋が完成した。 昭和60年(1985)、旧六郷橋は現六郷橋に架け替えられた。

・・・・・・・・・・・・・・昭和50年代の旧六郷橋、川崎側から奥の大田区側を望む。(平成15年10月17日 国土交通省川崎国道事務所:発行のパンフレット「旧六郷橋 親柱物語」より) 

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・・・・・・・・・・・・・・北詰(大田区側)の宮本台緑地公園に旧橋の橋門と親柱が当時のまま保存されている。

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・・・・・・・・・・・・・現在の六郷橋、、、、、、北詰(大田区東六郷)と南詰(川崎市川崎区本町)を結び多摩川(六郷川)に架かる、国道15号(第一京浜国道)の橋である。旧橋と対照して新六郷橋とも呼ばれる。、、、、、昭和54年(1979)に着工し、段階的に工事を進め、昭和59年(1984)に旧橋の上流側に新橋の一部が完成する。 その後も工事は続き、昭和62年(1987)に橋梁部分は完成した。 引き続き、工事はランプウェーの構築、周辺整備などが行われ、最終的に現在の姿になったのは、平成9年(1997)である。 総工費は約125億円と言われている。、、、、、、六郷橋は、長さ443.7m、幅34.4m。、、、、橋は、上下線分離され2本架けられている。

・・・・・・・・・・・・・大田区側から撮影

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・・・・・・・・・・・・・橋上から撮影

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・・・・・・・・・・・・・川崎市側から撮影

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④六郷橋駅跡
・・・・・・・・・・六郷橋の南詰(川崎市側)の橋下を京急大師線が走っている。 大師線が六郷橋上り線(東京方面行き)の下を通過する位置に、駅の跡が残されている。、、、、、、かつて京浜急行の前身である大師電気鉄道は、明治32年(1899)に川崎駅(初代)~大師駅間を開業した。 明治35年(1902)には、(初代)川崎駅~(2代)川崎駅(現:京急川崎駅)まで線路を延長し、川崎駅(初代)は六郷橋駅と名称変更した。 大正14年(1925)、旧六郷橋が架橋され大師線は立体交差となり、これより大正15年(1926)線路も変更されて、2代目の六郷橋駅が開業した。 2代目の六郷橋駅は戦時中に営業を休業し、昭和24年(1949)に廃止となった。、、、、2代目の六郷橋駅跡は六郷橋上り線側の人道から見下ろすことができる。 ホーム幅は狭く、長さも2両編成分ほどと短い。

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・・・・・・・・・・・・・・付近を通過する、現在の大師線。、、、、、3両編成でゆっくりと通過していく。

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⑤川崎市役所本館
・・・・・・・・・・・川崎駅に近い宮本町に建つ、市役所本館だが、耐震性能が低く今年度中に取り壊されることとなった。 すでに、建物は閉鎖されている。、、、、、時計台が印象的な、タイル張りのシンプルなデザインの鉄骨鉄筋コンクリート造、4階建ての庁舎。 設計は元田稔、施工は直喜鋳鋼鉄工所、昭和12年(1937)竣工。、、、、、内部も見たくなったが、警備が厳重で、忍び込むことは断念した。

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⑥砂子の里資料館
・・・・・・・・・・川崎駅に近い川崎市川崎区砂子(いさご)に、元参議院議員の斎藤文夫氏が、コレクションした浮世絵を展示する、旧東海道沿いにある私立美術館がある。 平成13年(2001)にオープンしたなまこ壁の建物は、江戸町屋風のデザインである。、、、、、ただいま、三代目歌川豊国の作で、東海道53次の宿場に名所と歌舞伎役者をコラボした浮世絵をが展示されている。、、、、、大変貴重な浮世絵だそうで、若い娘は一人もおらず、十人ほどのお年寄りが鑑賞していた。 私も仲間に入れてもらい鑑賞。

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⑦京急川崎駅
、・・・・・・・・・・・明治35年(1902)川崎駅として開業した。 昭和41年(1966)には、高架駅となり、本線は2階、大師線は1階となる。

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2015年9月21日 (月)

東急大井町線(二子玉川~溝の口)

大井町線踏破の最後、二子玉川駅から溝の口駅まで、1万歩、8Kmの散歩です。

①二子玉川駅・・・・・・・・・・明治40年(1907)、玉川電気鉄道の玉川駅として開業したが、現在は二子玉川駅になり、田園都市線と大井町線が乗り入れる、若い人に人気の駅。 二子玉川~溝の口間は、複々線化されて田園都市線と大井町線の両線が走っている。、、、、、昭和41年(1966)に田園都市線が高架駅となり、以後、改良工事も行われ、現在は島式ホーム2面4線の高架駅となり、両側の1・4番線を田園都市線、中央の2・3番線を大井町線が使用している。 

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・・・・・・・・・・・・・長編成の電車が発着するため、駅敷地のスペースもなく、ホームの半分は多摩川の河川敷にはみ出している。

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・・・・・・・・・・・・・ホームの溝の口寄りに立つと、多摩川をこえた先に、お客の姿までは見えないが、隣の二子新地駅のホームが見える。 

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②二子橋
・・・・・・・・・・・二子橋は片側1車線、人道は下流側のみの道路橋であるが、昭和41年(1966)までは、橋の中央に単線の線路がひかれた鉄道道路併用橋であった。 東京都側は多摩川通りに接続し、神奈川県側は大山街道に接続している。、、、、、、大正14年(1925)に竣工した、橋長440m、幅員11mの橋。 戦後の高度成長期まで、11m幅の中央に電車が走り、左右に1車線の車が走り、その隙間を人が歩き、、、、、渡るのが怖かったかも?

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・・・・・・・・・・・・・現在は下流側に東急の二子橋梁が架かっている。 ホームが川の上にあるのが判る。

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・・・・・・・・・・・・・・上流側には、昭和49年(1974)に竣工した新二子橋がみえる。

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・・・・・・・・・・・・・橋を渡り、大山街道の入口に、二子橋の親柱が残されてた。

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③二子新地駅
・・・・・・・・・・昭和2年(1927)、玉川電気鉄道溝ノ口線の「二子」停留所として開業。 昭和10年(1935)に「二子新地前」に改称し、 昭和41年(1966)には、相対式ホーム2面4線を有する高架駅となった。 その後、駅名も「二子新地」と改称し“前”がなくなった。、、、、と言うことは、三業地として“男の歓楽街”が消えてしまったのである。 残念、無念、坊主の邪念!、、、、、でも、“新地”とは、何となく艶っぽい言葉の響き、いい駅名だね!

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・・・・・・・・・・・・・蛇足だが、、、、当時の駅名「ふたこしんちまえ」を車内放送すると、お客には 「つぎは、ふたこしんちまえ~」というアナウンスが、「次は、双子、死んじめぇ~」と聞こえたそうで、不評だったそうだ。、、、、ナルホド、ナットク、ホットドック! ホントか? 


④二子神社
・・・・・・・・・・駅の北に天照皇大神が鎮座する二子神社がある。 神社は寛永18年(1641)創建といわれている。 江戸時代の社殿は拝殿二間に三間、本社三間四方、南向きに建っていたと風土記に書かれているらしい。、、、、、現社殿は、昭和18年(1943)に建てられた。

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・・・・・・・・・・・・・・境内には、バクハツする彫刻家:岡本太郎(1911~1996)の、母で作家:岡本かの子(1889~1939)の碑がある。 制作はもちろん岡本太郎。

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⑤光明寺
・・・・・・・・・・・真宗大谷派の光明寺は、創建年代不詳だが、寛永18年(1641)に百姓と共に、二子村の現在地に移ってきたといわれている。、、、、、、現本堂は、浄土真宗地方本堂の様式をとどめ、街中の寺院であるが落着いた佇まいをみせている。

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⑥高津駅
・・・・・・・・・・手前の二子新地駅と同様に、昭和2年(1927)の開業。、、、、、相対式ホーム2面4線を有する高架駅。

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⑦大山街道
・・・・・・・・おもに江戸時代、関東各地から相模国大山にある大山阿夫利神社への参詣者が通った古道の総称で、「大山街道」と呼ぶ。 その一つが、「青山通り大山道」で、矢倉沢往還とも呼ばれる。 赤坂(東京都)をスタートし、渋谷、三軒茶屋、二子の渡し(多摩川)、溝口(川崎市)、長津田、海老名、厚木、伊勢原市、を経て大山へ至る道。、、、、、、二子新地から溝の口間の、大山街道を歩いてみた。 二子神社光明寺なども街道沿いの寺社である。

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・・・・・・・・・・・・・・・江戸時代からの薬屋。昭和35年(1960)まで店として使われた蔵。

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・・・・・・・・・・・・・・・大山道の道標

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・・・・・・・・・・・・・・街道が横切る二ヶ領用水

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・・・・・・・・・・・・・・

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⑧溝口神社
・・・・・・・・・・溝の口駅の北側に位置する神社は、創建年代不詳ながら赤城神社と称して溝の口村の鎮守社だった。 明治維新後、伊勢皇大神宮よりから分霊を勧請して祭神を天照皇大神に改めて、溝口神社と改称、村社となった。、、、、、群馬の“赤城山”では、チョイとマイナーで、お札・お守り・おみくじの売れ行きも良くないので、次回サミットが開かれる“伊勢”から人気ある皇大神宮を呼び寄せ、売り上げ拡大を狙ったわけだな! (勝手に、勘ぐってみたりして、ゴメン!)

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⑨溝の口駅
・・・・・・・・・・・・ここも、昭和2年(1927)、玉川電気鉄道溝ノ口線の溝ノ口駅として開業した。 島式ホーム2面4線を有する高架駅で、大井町線の終着駅である。 

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・・・・・・・・・・・・・・大井町線の終着:溝の口駅には車止めは無く、線路は田園都市線に入って行く。

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●・・・・・・・・・・・・これにて、大井町線の全18駅踏破を達成! 

2014年5月29日 (木)

丸子橋

横須賀線武蔵小杉駅で下車し、丸子橋を渡り東急目黒線田園調布駅まで、1万歩、7kmの散歩です。


①JR武蔵小杉駅
・・・・・・・・・・現:南武線、川崎駅~登戸間の開通は昭和2年(1927)で、開通後8ヶ月程遅れて、現在地に「グラウンド前停留場」が開設され、昭和19年(1944)には武蔵小杉駅に改称した。 また、大正15年(1926)から、近くを通過していた東横線が、昭和20年(1945)に武蔵小杉駅を開設した。 さらに、昭和55年(1980)には近くを通過していた貨物専用の品鶴線に、横須賀線が運転され、平成22年(2010)に武蔵小杉駅が開業した。・・・・・・・・・・南武線沿線には、東芝、富士通、日本電気などの事業所・工場が並び、かつて私も度々訪れたことはあるが、最近は工場がマンションに変わり、急激に町の雰囲気が変化した。 久しぶりに、下車して“ビックリ、シャックリ、ギックリ腰”だ!

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②京浜伏見稲荷神社
・・・・・・・・・・・・・武蔵小杉駅から400m程北東に歩くと、数軒のラブホテルが並ぶ裏通りに、大きな朱塗りの鳥居が見える。 『なんじゃコリャ?』あまりのケバさに、再び“ビックリ、シャックリ、ギックリ腰”。・・・・・・・・・・昭和26年(1951)、初代宮司が京都伏見稲荷の神示により創建したそうだ。 祭神は、五成(いなり)大明神、宇迦之御魂神、大己貴命、大国主命、猿田彦神、天宇受売神、大宮能売神などなど、多くの神様です。 御利益は、商売繁盛、五穀豊穣、縁結び、恋愛成就、技芸上達などなど、なんでもOKです。・・・・・・・・・境内には108体の狐がいる。(108匹ワンちゃんなら知ってるのだが?) この狐が、これまた厚化粧してお出迎え、朝っぱらから変なものを見た感じだ。

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③丸子橋
・・・・・・・・・東京都大田区田園調布本町と神奈川県川崎市中原区上丸子八幡町を結び、多摩川に架かる橋。(橋の上の道路は中原街道)・・・・・・・・現橋は、長さ406m、幅25m、構造は鋼ローゼ(2連)+3径間連続PC箱桁橋、事業費は142億円、平成12年(2000)完成。

・・・・・・・・・・・・・・右岸(川崎市)から

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・・・・・・・・・・・・・・左岸(大田区)から

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・・・・・・・・・大田区側の橋詰に、昭和9年(1934)に約50万円程で架けられた旧橋の親柱が残されている。(橋の開通は翌昭和10年)

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④多摩川浅間神社
・・・・・・・・・丸子橋を渡ると、左側の台地状の古墳の上に浅間神社がある。 創建は文治年間(1185~1190=鎌倉時代)と伝えられている。 源頼朝が豊島郡滝野川に出陣した時、夫の身を案じた北条政子が後を追って来たが、あいにく、わらじの傷が痛み、この地で傷の治療をすることにして逗留した。 この際、現社殿の建つ丘の上へ登ると富士山が鮮やかに見えたので、夫の武運長久を祈り、身につけていた正観世音像をこの丘に建てたという。 これが、浅間神社の始まり。・・・・・・・・鎌倉からわざわざ大田区まで夫の後を追ってこられたら、ジャマくさい女房だ! 我が家では夫婦喧嘩になるかも?

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・・・・・・・・・・・・・・社務所の屋上から対岸(川崎市)を眺めると、右に東急東横線多摩川橋梁、左に丸子橋が見える。

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⑤多摩川駅
・・・・・・・・・・・・・東横線と東急多摩川線の2路線の乗換駅である。 大正12年(1923)、目黒蒲田電鉄の目黒~丸子(現:沼部)駅間開通と同時に多摩川駅として開業。 大正15年(1926)には丸子多摩川駅に改称。 さらに、昭和6年(1931)に近くの「多摩川園遊園地」にあやかり多摩川園前駅に改称。 さらにさらに、昭和52年(1977)、多摩川園駅に改称。 まだまだ、平成12年(2000)には再び多摩川駅に改称。・・・・・・・・私の幼き頃(昭和30年代)には、多摩川べりに二子多摩川園、多摩川園などの遊園地があった。何度か連れてきてもらったが、思い出は思い出せない!

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⑥田園調布駅
・・・・・・・・・・高級住宅街の代名詞『田園調布』。 駅舎は、これまた有名な洋館風の建物。・・・・・・・・・大正12年(1923)の開業。 平成7年(1995)にホームの地下化が完成した。・・・・・・・・・洋館風の旧駅舎はマンサード屋根(屋根の勾配が上部はゆるく、軒に近い方で急に折れ曲がった屋根)が特徴的で、ヨーロッパの田舎の民家みたいだ。 設計は神宮外苑絵画館、上高地帝国ホテル、伊豆川奈ホテルなどを手掛けた矢部金太郎。  駅の地下化により平成12年(2000)に復元された。 なんと言っても田園調布のシンボルだ、いいね!

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2013年12月11日 (水)

山手

私の用事を兼ね、夫婦で横浜山手の西洋館を見て、元町で買い物をして来た。 1万1千歩、8km。

①山手の西洋館・・・・・・・・・・中華街・元町からは南側の高台に、フェリス、横浜雙葉など女学生に人気ある学校や、外国人居留地としての名残の西洋館が並ぶ山手地区を歩いてきた。・・・・・・・・・・山手の西洋館9カ所では、『世界のクリスマス2013』と名付け、各西洋館別に9か国の大使館の後援、デザイナー、家具メーカなどの協賛により、寝室・食堂から浴室までクリスマスの装飾で飾り付けられムード満点であった。 平日であり、横浜散策と食事会を兼ねた中高年のおばさんグループが多く、私たち若い夫婦(?)にとっては、ムードを壊す“おしゃべり鳥”で、チョイト迷惑な存在であった。

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・・・・・・・・・・・・ブラフ18番館・・・・・・・JR根岸線石川町駅ホーム南端から見えるトンネルの上に建つ西洋館の一つである。・・・・・・・・・・・建物は関東大震災後に外国人住宅として山手町に建てられた。 戦後はカトリック山手教会の司祭館として、平成3年(1991)まで使用された。 その後、横浜市が建物を「イタリア山庭園」へ移築した。

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・・・・・・・・・・・・外交官の家・・・・・・・・・・・・ブラフ18番館と同じ公園内にある外交官の家は、ニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使などをつとめた明治政府の外交官:内田定槌の邸宅であった。 建物は渋谷区南平台に明治43年(1910)に建てられた。 設計はアメリカ人建築家として来日し活躍したJ.M.ガーディナー。 建物は木造2階建て、屋根は天然スレート葺き、外壁は下見板張り。・・・・・・・・・平成9年(1997)、横浜市は建物の寄付を受け、現在の公園内に移築した。 国の重要文化財。

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・・・・・・・・・・・・ベーリック・ホール・・・・・・・・・・・べーリック・ホール(旧ベリック邸)は、イギリス人貿易商:B.R.ベリックの邸宅として、アメリカ人建築家:J.H.モーガンの設計で、昭和5年(1930)に建てられた。 戦後は宗教法人カトリック・マリア会に寄付され、平成12年(2000)まで、インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていた。・・・・・・・・・この建物は庭園と合わせ、横浜市で整備し平成14年(2002)から公開されている。

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・・・・・・・・・・・・エリスマン邸・・・・・・・・・エリスマン邸は、生糸貿易商社の支配人であった、スイス生まれのフリッツ・エリスマンの邸宅として、建築家:アントニン・レーモンドの設計により、大正15年(1926)に山手の現在地の近くに建てられた。木造2階建て、屋根はスレート葺、階上は下見板張り、階下は竪羽目張りの洋館。・・・・・・・・・昭和57年(1982)マンション建築のため、建物は解体され、平成2年(1990)現在の元町公園内に移築された。

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・・・・・・・・・・・・・横浜市イギリス館・・・・・・・・・・・イギリス館は、昭和12年(1937)に上海の大英工部総署の設計により、鉄筋コンクリート2階建てで、英国総領事公邸として現在地に建てられた。・・・・・・・・・昭和44年(1969)に横浜市が取得し一般公開している。

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②カトリック山手教会・・・・・・・・・・・文久2年(1862=江戸時代末期)に我が国初のキリスト教教会堂が居留地に木造で建てられた。これが、山手教会の始まりである。 明治39年(1906)に現在地に移転し、煉瓦造りの教会が建てられたが、関東大震災で倒壊した。 その後、昭和8年(1933)、チェコの建築家:J.J.スワガーの設計により、現在の聖堂が鉄筋コンクリート造で再建された。・・・・・・・・・・重厚な正面のデザイン、鐘塔の鋭いとんがり屋根など、中世のゴシック風建築である。 内部は明るく、清らかな印象を受ける造り。 

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③横浜山手聖公会 ・・・・・・・・・文久3年(1863)、横浜居留地(現:中区山下町)に初代クライストチャーチの聖堂が完成した。 明治34年(1901)には、山手の現在地に建築家:コンドルの設計による聖堂が建てられたが、こちらも関東大震災で崩壊した。 現在の3代目となる聖堂は、昭和6年(1931)に建築家:J.H.モーガンの設計により建てられた。昭和20年(1945)の大空襲では聖堂内部を焼失したが、修復工事を行い現在に至っている。

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④横浜地方気象台・・・・・・・・・・気象台として明治29年(1896)に設立されたが、関東大震災によって建物は全て焼失したため、昭和2年(1927)に現在の鉄筋コンクリート造、3階建ての建物となった。 シンプルなデザインの建物だが、アールデコ風の造形が、玄関まわり、階段の天井・手摺など、建物のところどころに散見される。

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・・・・・・・・・・・・現在の気象台としての業務の多くは、隣の新館で行われている。計測器・パソコンが並ぶ現業室も拝見。 

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●・・・・・・・・・・・・・・散歩は「山手本通り」と呼ばれる道に面した建物を歩いたのだが、、、、、、『世界のクリスマス2013』が開かれている西洋館は、“おしゃべり鳥”がアッチャコッチャで3~4羽かたまっては鳴いていた。 “静かに祈りを”の教会、“気象の勉強を”の気象台、“保存のため拝観料を”の資料館などは、“おしゃべり鳥”が一羽も居らず不思議な社会現象がみられたね!  解るかな!?

2013年1月16日 (水)

鶴見線

JR鶴見線の浜川崎駅から鶴見駅まで歩いてみた。1万8千歩、12km。

鶴見線・・・・・・・大正15年(1926)、鶴見臨港鉄道により、浜川崎駅~弁天橋駅間が開業し、以後戦前までに順次、京浜工業地帯に路線を延伸した。 昭和18年(1943)には、戦時買収により国有化され「鶴見線」となる。 現在は、鶴見駅から浜川崎駅・扇町駅までの本線、浅野駅から分岐して海芝浦駅までの支線、安善駅から分岐して大川駅までの支線、がある。・・・・・・・・・今日は、一昨日の雪も解けず足下が危ないので、浜川崎駅から鶴見駅までを歩き、浜川崎駅~扇町駅間と2本の支線は“おあずけ”とした。

①浜川崎駅・・・・・・・・・東海道本線(貨物支線)・南武線(浜川崎支線)・鶴見線の3路線が乗り入れている駅(無人駅)。旅客営業を行っているのは南武線と鶴見線のみで、両路線のホームは道路を挟み別々であるため、乗換に不便だ。・・・・・・・・南武線と鶴見線の旅客営業は共に昭和5年(1930)から。・・・・・・・・跨線橋の出口の一方はJFEスチール(旧日本鋼管)専用出口で企業駅のようだ!

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・・・・・・・・・・・・浜川崎駅の先(扇町方)はJFEの工場に入るように進む、、、、、

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②武蔵白石駅・・・・・・・・・・大川支線の始点・分岐駅だが、大川駅へ向かう電車は手前の安善駅に停車し、武蔵白石駅は通過する。昭和6年(1931)開業の無人駅。・・・・・・・・・駅舎は小さく可愛らしい造りだ!

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・・・・・・・・・・・・安善方から来る大川支線へ行く電車は、、、、、

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・・・・・・・・・・・・武蔵白石駅ホームの後ろ(写真右側)を通過して行く、、、、

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・・・・・・・・・・・・・武蔵白石駅と安善駅の間に在日米軍鶴見貯油施設の留置線がある

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・・・・・・・・・・・・安善湯・・・・・・・安善駅手前には、旧浅野セメント、旧東亜港湾建設の社宅があり、その近くの銭湯。 おそらく社宅の人が利用したのだろう、昭和初期の建築と思われるアールデコ風鉄筋コンクリート造の銭湯だ!

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③安善駅・・・・・・・安田財閥創業者:次郎が鶴見線の前身である鶴見臨港鉄道を支援したことにちなみ駅名に付けられた。昭和5年(1930)開業の無人駅。・・・・・・・・なお、鶴見臨港鉄道は浅野総一郎、大川平三郎、白石元治郎らが発起人となり創立したので、駅名に個人名が残されている。

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・・・・・・・・・・・・安善駅前に、鉄筋コンクリート造2階建ての住宅が並んでいる。 きっと、社宅の跡だ! 今は櫛の歯が抜けた状態だが、建築当時は駅前にズラリ並んでいたであろう。 駅前角のタバコ屋も鉄筋コンクリート造だ!

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・・・・・・・・・・・浅野駅手前の運河

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④浅野駅・・・・・・・・・・扇町駅方面と海芝浦駅方面の線路が駅の手前で分岐し、ホームが三角の形状となっている。大正15年(1926)開業の無人駅。

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・・・・・・・・・・・・右は海芝浦方面、左は扇町方面

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⑤弁天橋駅・・・・・・・・・・・大正15年(1926)、鶴見臨港鉄道線が浜川崎駅から開業し、その終着駅として開業した。開業当時は貨物駅で、昭和5年(1930)に旅客営業が始まった。 ・・・・・・・・・・・ここも、駅前にはJFE(旧日本鋼管)がある。

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・・・・・・・・・・・・弁天橋駅と隣りの鶴見小野駅の間に鶴見線の車庫がある。

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・・・・・・・・・・・・産業道路の下を走る鶴見線

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⑥鶴見小野駅・・・・・・・・昭和11年(1936)開業の無人駅。

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・・・・・・・・・・・・・鶴見川を渡ってきた鶴見線

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・・・・・・・・・・・・・護岸で犬の散歩中、かわいいのでパチリ! 鶴見線とは無関係だ!

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⑦国道駅・・・・・・・・・・昭和の匂いを残す、相対式ホーム2面2線の高架駅。昭和5年(1930)開業の無人駅だが、今日はタマタマ駅員がいた。・・・・・・・・・・ホームと線路をまたぐアーチ型の鋼材、高架下の高いカーブした天井空間、木製の改札、、、、見るもの、在るもの、全て“昭和レトロ”だ。・・・・・・・・開業当時には「臨港デパート」と称するアーケードの店舗が並んでいた。・・・・・・・・・この高架下に立つと、石原裕次郎、宍戸錠、浅丘ルリ子など、往年の日活スターに出会うようだ。

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・・・・・・・・・・・国道(第一京浜)を渡り鶴見駅に近づくと、「蛇族 まむしや 戸山生命堂」が目に入った。 “なんだ、コリャ! 男(お床)の薬屋か?”。 廃業したようだ、興味半分、怖さ半分、気味が悪いが、できれば営業中に来てみたかった。 隣りは「ごはん」屋さん。

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・・・・・・・・・・・JR東海道線を跨線橋で越えると、総持寺の入り口前に出る。鶴見線の高架橋の下に、鶴見臨港バスの営業車があり、ここには現在は廃止となった“本山(ほんざん)駅”があった。・・・・・・・・・バスの車庫には、ホームに上がる階段跡が残っている。

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⑧鶴見駅・・・・・・・・・・・・鶴見臨港鉄道線の鶴見駅が現在地に開業したのは昭和9年(1934)。・・・・・・・・・鶴見線部分の駅舎(西口駅ビル)は、鶴見線の前身・鶴見臨港鉄道が建設したもので、開業と同時期に竣工したと思われる。 建物は現在も同社が所有している、そのためか、鶴見線の部分は古さを感じ、昨今のJRの建物とは異質である。・・・・・・・1階は「京急ストア」が入居。

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2012年12月20日 (木)

京急大師線

京浜急行大師線の小島新田駅まで行き、そこから京急川崎駅まで歩いた。1万8千歩、13km。

京急大師線(だいしせん)は、明治32年(1899)に川崎大師への参詣路線として、大師電気鉄道(現;京浜急行電鉄)により川崎駅(後の六郷橋駅)~大師駅(現:川崎大師駅)間が建設され開業した。その後は、大師駅から先を延伸し、昭和20年(1945)の終戦の直前までの間に、東京湾側の工業地帯をとおり桜本駅まで開通させた。戦後は、営業路線を順次縮小し、昭和45年(1970)には小島新田駅~桜本駅間を正式に廃業し、現在の京急川崎駅~小島新田駅間となった。

①小島新田駅・・・・・・・・・1面2線の島式ホームによる地上駅。・・・・・・・・大師線の地下化工事中で、駅の周囲は仮囲いで覆われている。・・・・・・・・川崎市では、ほぼ全面地下化して、川崎市を縦断する地下鉄にする予定だが、“金”が無いようだ! 当分、地下鉄は走りそうもない。

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・・・・・・・・・・・・駅手前に踏切から

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②川崎貨物駅・・・・・・・・・小島新田駅の先に在る、陸橋の下にひろがる広い貨物駅。・・・・・・・・・・・広すぎるので、今日はチラリ拝見!

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③荏原製作所江川社宅・・・・・・・・・大師線の脇に建つ社宅。私の推定では、昭和30年後半の建物のようだ!・・・・・・・・・・高度成長期に合わせ、建てられたのであろう。社宅らしい社宅だ!

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④産業道路駅・・・・・・・・・・・昭和19年(1944)東京急行電鉄(大東急)の駅として開業。・・・・・・・・・駅前を通る、片側3車線の産業道路を横断する踏切を撤去するため、地下化工事が実施され、再来年(平成26年)頃には地下駅となる予定だ。

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・・・・・・・・・・・工事現場の仮囲いに、貼られていた昭和37年(1962)の産業道路駅

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⑤東門前駅・・・・・・・・・産業道路駅と同時開業。川崎大師への参拝は、こちらの駅から行くルートもある。 大師までの商店街は“昭和”の匂いがプンプンするね。

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・・・・・・・・・・・駅近くの商店街で発見!・・・・・・廃屋となった耳鼻咽喉科。・・・・・その名も「昭和マーケット」。・・・・・お年寄りが目立つ「昭和通り商店街」。

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⑥瀋秀園・・・・・・・・・・・・瀋秀園(しんしゅうえん)は、川崎市と姉妹都市の中国瀋陽市から寄贈された中国式庭園で、昭和62年(1987)に開園した。・・・・・・・・川崎大師の南側に位置する、大師公園の一角に在る。・・・・・・・・・・・チョイト、中国に行った気分を味わえるね!

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⑦川崎大師・・・・・・・・・・正式名は、金剛山金乗院平間寺(へいけんじ)。真言宗智山派の大本山である。川崎大師は通称で、高尾山薬王院、成田山新勝寺とともに関東三本山のひとつ。・・・・・・・・・只今、初詣の準備中。これから、書き入れだ!

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・・・・・・・・・・・参道のお店からは、掛け声が飛び交う。・・・・・・・・つられて、飴を買うことにした。家族用に“きな粉飴”、自分用に“せき止め”、夫婦用に“呆気封じ飴”の3点セット?

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⑧川崎大師駅・・・・・・・・・明治32年(1899)、大師電気鉄道の大師駅として開業した。京浜急行電鉄の創業の駅であり、駅前には京浜急行の“発祥之地”記念碑が建てられている。・・・・・・・・・・大師さんの御利益で大きな会社に成長したのか?

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⑨鈴木町駅・・・・・・・・・・昭和4年(1929)、駅舎は味の素川崎工場の正門前にあり「味の素前」駅として開業した。 昭和19年(1944)、味の素の創業者・鈴木三郎助にちなみ、この地域一帯が「鈴木町」に地名変更があり、あわせて「鈴木町」駅と改称した。・・・・・・・・線路は工場敷地内に敷かれているような感じだ!

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⑩川崎河港水門・・・・・・・・・・第一次世界大戦による好景気により、不足した工場用地の拡大を図る運河・港湾を整備する計画の一環として川崎河港水門が造られた。大正15年(1926)着工、昭和3年(1928)完成。国の登録有形文化財・・・・・・・・・良い状態で残っているね!・・・・・・・・水門の周りの、草、ボウボウの空地も味の素の所有地だ!

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⑪港町駅・・・・・・・・・・昭和7年(1932)、「コロムビア前」駅として開業し、昭和19年(1944)、港町駅に改称した。・・・・・・・・・旧駅名の由来は日本コロンビア川崎工場の最寄駅だったからだ。工場は平成19年(2007)に閉鎖した。・・・・・・・・・現在は、川崎競馬の最寄駅と云う感じ、工場跡地はマンションに変身中。・・・・・・・・・・いい駅名だね! なんとなく、美空ひばりを思い出し、♪♪ 長い旅路の 航海終えて 船が港に 泊る夜 海の苦労を グラスの酒に みんな忘れる マドロス酒場 ああ港町 十三番地 ♪♪

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⑫六郷橋駅跡・・・・・・・・・・明治32年(1899)、大師電気鉄道が、(初代)川崎駅~大師駅間を開業した時の駅の跡が残っている。明治35(1902)、(初代)川崎駅~現・京急川崎駅まで線路が延長され、(初代)川崎駅は六郷橋駅と名称を変更した。・・・・・・・・・駅跡は六郷橋の下にあり、橋上の人道から見下ろすことができる。 今の時代から見ると、狭い、小さなホームだった。

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⑬京急ストアー・・・・・・・・京急川崎駅に隣り合わせの「京急ストアー川崎店」が、建物の老朽化と、駅前整備により移転した。・・・・・・・・昭和40年頃の建物で、私が若いとき、川崎にチョイト住んでいたので利用させてもらった、寂しいね。

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⑭京急川崎駅、・・・・・・・・・・・明治35年(1902)川崎駅として開業した。昭和41年(1966)には、高架駅となり、本線は2階、大師線は1階となる。

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