荒川区

2018年5月17日 (木)

町屋1丁目

荒川区役所前でバスを降り、区役所の北側 「荒川2丁目」と、町屋斎場の北側 「町屋1丁目」を中心にブラリブラリと散歩をしてきた。 帰りは京成町屋駅から帰宅。 9千歩。
 
 
 
①荒川区役所・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・「荒川区役所前」バス停で降りる。 三河島カトリック教会 の建物の前だが、今日は教会に寄らず、明治通りを横断し区役所の建物に向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・・昭和43年(1968)に建てられた地上7階/地下1階建ての荒川区役所本庁舎がある。 大成建設の設計・施工。 平成23年(2011)に耐震補強工事も終えた。、、、、、建物正面は明治通り側に向き、今の時期はツツジが彩を添えている。
 
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②「皇太子殿下御降誕記念」国旗掲揚塔・・・・・・・・・・・「荒川二丁目」停留所近くの、交番(現:荒川区峡田安全安心ステーション)脇に残る、昭和10年(1935)に建立された「皇太子殿下御降誕記念」のアールデコ風国旗掲揚塔。 「皇太子」とは今上天皇のことで、今上天皇が誕生したのは昭和8年12月23日である。 昭和8年は日本が国際連盟を脱退した年でもある。 地元商工会結成10周年記念に建てた、当時は国民の祝賀ムードも最高潮となったのであろう。
 
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③都電荒川線・・・・・・・・・・・・「荒川二丁目」停留場付近にて、、、、、線路の両側にはバラの花が綺麗に咲いている。
 
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●・・・・・・・・・・・都電荒川七丁目停留場から北へ200m程、京成本線高架橋をくぐるとスグ前が町屋斎場。
 
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④町屋斎場・・・・・・・・・・・町屋斎場(荒川区町屋1)は民営の火葬場・斎場。 平成6年(1994)に斎場棟や休憩室も含め全面改築された近代的な斎場である。、、、、、もう50年程前になるが、我が祖父母の火葬の時は、当時は寺社建築の様式を反映した木造の建物であった。 待合室の屋根越しに、焼いている白い煙が煙突から出るのが見え、その光景は強烈な印象となり残っている。、、、、、ここは史跡でもあり、『 町屋火葬場は江戸五三昧の歴史を伝える。江戸五三昧とは、千駄木(駒込)・桐ヶ谷(荏原)・渋谷(代々幡)・炮烙新田(葛西)・小塚原(千住)にあった火葬場をいう。小塚原の火葬場は寛文九年(1669)に下谷・浅草あたりの各寺院から移されたもので、火葬寺・火屋などともよばれた。明治二十年、周辺の市街化により廃止、二年後に町屋に移転した。一方、火葬場の増設許可が下り、同二十年、東京博善社が日暮里火葬場を新設。その後、同火葬場は町屋火葬場の隣地に移ることになり、同三十七年の移転とともに、町屋火葬場と合併した。』と標されている。
 
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⑤町屋1丁目の町・・・・・・・・・・・町屋斎場の北側に広がる町。 町中の道路は整理されておらず迷路状態。 住宅兼工場の町工場が多い町。 「朝鮮会館」なる建物もあり朝鮮系の人も居るようだ。 韓国系の人も居るだろう。 高齢者も多そう、デイサービスの送迎車が行ったり来たり。
 
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⑥町屋の一本松跡・・・・・・・・・・・公園「一本松グリーンスポット」(町屋1-9)の一角に、「町屋の一本松」の跡がある。 「一本松」は第二次世界大戦によって枯れてしまい、現在は二代目の松が跡を継いでいる。、、、、町屋の一本松は、元禄6年(1693)に町屋村と三河島村との境に植えられたそうだ。 一本松の根元には、寛文8年(1668)9月吉日銘の庚申塔が残されている。、、、、今の町の姿からは想像しにくいが、この辺りは江戸の町からはずれた農村だったであろう。
 
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⑦京成電鉄 町屋駅 ・・・・・・・・・・・町屋1丁目の町を巡り、京成電鉄 町屋駅に着いた。、、、、、昭和6年(1931)12月19日、京成電気軌道(現:京成電鉄)の町屋駅が開業した。 島式ホーム1面2線を有する高架駅である。、、、、都電荒川線の町屋駅前停留場は高架ホームから見下ろすことができる。 東京メトロの町屋駅はチョイトしか見えない!(地下鉄だからね。)、、、、、都電の停留場は大正2年(1913)に稲荷前停留場として開業した。 東京メトロの町屋駅は昭和44年(1969)の開業である。
 
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2018年5月 1日 (火)

目黄不動 (永久寺)

今日は5月1日、いみじくも『目の日』(?)である、英語で『May Day』と書く。 江戸五色不動巡りも今日が最後の6番目で、目黄不動の永久寺(台東区三ノ輪)へ行ってきた。
我が家のある浅草橋は台東区の南端、目黄不動の三ノ輪は北端で、台東区を南北に縦断し、さらに帰りは日暮里に出たので、1万3千歩の散歩となった。 
 
 
 
①浅草橋から浅草へ・・・・・・・・・・我が家から三ノ輪に出るには、江戸通り・国際通りを歩けば、最短時間、最短距離で到達できる。 今日もこのルートで三ノ輪へ向かうことにした。
 
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②感應稲荷神社・・・・・・・・・・・国際通りに面し、浅草ビューホテルの南側にある稲荷神社。 感應(かんのう)稲荷神社の創建年代は不詳であるが、武蔵野国豊島郡江戸郷芝崎(現:千代田区大手町)に鎮座していたが、二度の遷座を経て、明暦3年(1657)に現在地(台東区西浅草3)に鎮座された。、、、、、かなり小さな神社で、わざわざいくほどの神社ではない! 行ってガッカリ、見てガッカリ、腰はギックリ、最後はポックリ。
 
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③西徳寺・・・・・・・・・・・お酉さまの鷲神社の斜め前、国際通りに面して真宗佛光寺派寺院の光照山西徳寺がある。、、、、、西徳寺は、当時新興都市であった江戸の出張所として、京都五條坊門にあつた寺跡を移し寛永5年(1628)金助町(本郷付近)に創建された。 ところが、その後わずか50年の間に3回の火災に見舞われてしまう。 その中には八百屋お七で有名な「振り袖火事」も含まれているが、そのたびごとの再建で、すっかり疲弊してしまう。 そこで、疲れた住職・檀信徒が協議の上、当時まだ江戸郊外であった現在地(台東区竜泉1)に移転した。時は天和3年(1683)のことであった。 しばらく落ち着いていたが、大正12年の震災では、堂宇は全滅し廃墟と化した。 こうした困難の中、再び檀信徒一同立ち上がり、直ちに本堂再建に向かい昭和5年(1930)5月に、現在の本堂が鉄筋コンクリート造で再建された。 参詣席は当時としては珍しい椅子式である。
 
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飛不動 ・・・・・・・・・・・鷲神社の北には、パイロット、キャビンアテンダント(CA)など、空を飛ぶ人に愛されている飛不動正宝院がある。 正宝院は、享禄3年(1530)の創建といわれる修験寺院。 当寺の住職が大和国大峰山に不動尊像を持って修行に行ったところ、不動尊は一夜にして当地へ飛びかえり、人々に御利益を授けたことから、江戸時代初期には「飛不動」と称された。、、、、、飛行機が怖い私。 飛行機に乗ると、スチワーデスが観音さまに見え、私にはお不動さまより、スチワーデスに守られているように思える。 美人であればあるほど御利益ありそうだ。、、、、ところで、平成10年(1998)で、スチワーデスの呼称は廃止され、CAに変わってしまった。 昔の呼称の方が良かった、スチワーデスが好きだ!
 
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⑤目黄不動(永久寺)・・・・・・・・・・国際通りが昭和通り(日光街道)にぶつかる大関横丁交差点。 交差点の地下は東京メトロ日比谷線三ノ輪駅。 この交差点から30m程東によると養光山永久寺がある。、、、、、永久寺は現在天台宗の寺であるが、真言宗の寺として開創したが衰退し、再興して禅宗の寺「白岩寺」と改めたが再び衰退。 寛文7年(1667)に中興し永久寺と称した。 元禄年間には日蓮宗の蓮台寺と改宗したが、後に天台宗に改め養光山永久寺として再び中興した。 なんとも節操がない、信念がない、変遷の多い寺だ。、、、、、、境内はさほど広くはなく、モダンな本堂の建物が道路際まで建てられている。 山門と呼ぶような門はなく、住宅のような構えで通り過ごしてしまうかも。 本堂も、見えるところに賽銭箱などもなく、どこで手を合わせるのか、判りまちぇ~~ん?
 
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・・・・・・・・・・・・・本堂の横に不動堂があった! 小さな穴から中を覗くと、目黄不動尊が安置されていた。、、、、、見たかぎりでは、お不動さまは黄疸ではないようだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・これで、江戸五色不動の五色・六寺は全て巡った。 満願成就で、ジャンボが当たる! 私も、まもなく億万長者になるであろう。
 
・・・・・・・・・・・・・・ちなみに、江戸五色不動で巡った寺は、、、、、目青不動 (教学院:世田谷区太子堂)、目白不動 (金乗院:豊島区高田)、目赤不動 (南谷寺:文京区本駒込)、目黒不動 (瀧泉寺:目黒区下目黒)、目黄不動(永久寺:台東区三ノ輪)、目黄不動(最勝寺:江戸川区平井)の6寺。
 
 
⑥日暮里駅まで歩く・・・・・・・・・・・・暑い、暑い、散歩だった!
 
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2018年4月 6日 (金)

浅草橋~梅島

今日は、散歩をはじめた原点に立ち戻り、“健康のため”速足で、チョイト遠くまで歩いてきた。 浅草橋の我が家から、国際通り、日光街道、墨堤通りを通り、東武伊勢崎線の梅島駅まで、1万7千歩の散歩です。
 
 
 
● a.m.7:36・・・・・・・・・いつものように浅草橋駅から出発。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・浅草橋は、お江戸日本橋と浅草観音様のちょうど中間に位置し、秋葉原の隣りでもあり、成田・羽田の空港には乗り換えなしの電車で一本、スカイツリーも地下鉄で4駅目、東京・上野駅までは15分新幹線に乗るのも便利、外人さんが好きな“下町”のド真ん中、など、地の利に恵まれている。 浅草橋駅周辺は只今ホテル建設が盛んで、駅の裏道を入る我が家の近くでも建設中。、、、、帽子好きのおばさんが経営する〇パホテル、店名に地名を並べたがる〇横イン、道順が判りにくいルー〇イン、など、ビジネスホテルがめじろ押し。、、、、ちなみに浅草橋駅から東武浅草駅まで、この間ビジネスホテル・旅館は30軒以上ある。 数えてみたが途中でやめた!
 
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● a.m.7:46・・・・・・・・・蔵前一丁目交差点を通過。、、、、交差点の南西角に「天文台跡」の案内板がある。 この付近に、江戸時代後期、幕府の天文・暦術・測量・地誌編纂・洋書翻訳などを行う施設として、天文台がおかれていたそうだ。 現在はスモーカの喫煙所である。
 
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● a.m.7:48・・・・・・・・・蔵前一丁目交差点の北側100m程の処で、国道6号(水戸街道、江戸通り)から都道462号(国際通り)が分岐する。 写真:右に向かう国道6号、左に進む都道462号。
 
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● a.m.8:08・・・・・・・・・国際通りと雷門通りがT字型に交差する、雷門一丁目交差点を通過。 正面に見えるスカイツリーも、今日は私の頭の中と同じで、薄ぼんやりしている。
 
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● a.m.8:16・・・・・・・・・国際通りの名となった「国際劇場」の跡地に建った「浅草ビューホテル 」。 国際劇場は昭和57年(1982)に閉鎖された。 既に30数年が過ぎ、劇場を知るのは高齢者となった。 ビューホテルも建てられてから今年で33年、既に浅草のシンボル的建物として定着している。、、、、SKDのラインダンス、もう一度、生で見たいね!
 
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・・・・・・・・・・・・浅草ビューホテル前の植え込みには、サツキだかツツジだか判らんけれど咲いていた。
 
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● a.m.8:33・・・・・・・・・11月「酉の市」で賑わう鷲神社 (おおとりじんじゃ)前を頭を下げて通り過ぎる。
 
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・・・・・・・・・・・・・鷲神社前の国際通りのサクラは、只今満開。 薄緑の葉も光を透し、いいね!
 
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● a.m.8:44・・・・・・・・・東京メトロ三ノ輪駅の頭上で、国際通りは昭和通りにぶつかる。 ここで国際通りは終わる。、、、、、これより、昭和通り(国道6号、日光街道)を歩く。
 
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● a.m.8:55・・・・・・・・・三ノ輪駅北側の浄閑寺(じょうかんじ)に立ち寄る。 吉原遊廓で亡くなった遊女がここ浄閑寺に投げ込まれた。 その遊女を弔う新吉原総霊塔がある。 チョイト、懇ろに手を合わせて行く。、、、、、「生まれては苦界 死しては浄閑寺」の花又花酔の句。
 
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・・・・・・・・・・・・・寺では法事が行われているようだ、我、静かに立ち去る。
 
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● a.m.9:10・・・・・・・・・荒川区内で広い氏子域をもつ素盞雄神社 (すさのおじんじゃ)の前を素通りするかと思ったが、花の彩に誘われてチョイト参拝して来た。
 
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● a.m.9:17・・・・・・・・・千住大橋を渡り足立区に入る。、、、、、昭和2年(1927)に竣工した、隅田川に架かる復興橋のひとつ。 現在は東側(下流側)に新橋が並行して架けられ、上下線が分離している。
 
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● a.m.9:25・・・・・・・・・京成本線千住大橋駅 を通過。
 
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● a.m.9:25・・・・・・・・・千住宮元町交差点にて、日光街道から墨堤通り(都道461号)に入る。
 
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● a.m.9:53・・・・・・・・・千住桜木交差点にて、墨堤通りは尾竹橋通りにぶつかり、ハイ・ココまでヨ~~。
 
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● a.m.9:57~10:04・・・・・・・・・西新井橋 で荒川を越える。、、、、ビニール袋が風に舞う橋上では、か弱い私も飛ばされるようであった。 
 
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● a.m.10:10・・・・・・・・・西新井橋北詰にて、尾竹橋通りから外れ、裏道を東武伊勢崎線の梅島駅へ向かう。、、、、、本当は、西新井駅まで行きたかったが、ここからまだ45分以上かかると見込まれ断念した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・梅島駅に向かい、ひたすら歩く、歩く、歩く。
 
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● a.m.10:33・・・・・・・・・梅島駅 に到着。 1万7千歩の散歩もここで終わり。
 
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2018年1月20日 (土)

南千住~三河島

JR常磐線南千住駅から隣の三河島駅まで、路地裏を歩いて、1万歩の散歩です。
 
 
 
①南千住駅・・・・・・・・・南千住駅は荒川区南千住にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京地下鉄(東京メトロ)・首都圏新都市鉄道(つくばエクスプレス)の駅である。 浅草橋(我が家)からは南千住駅行バスで20分ほど。、、、、明治29年(1896)、日本鉄道の駅として開業。 その後、国有化され常磐線の駅となる。 戦後は、昭和36年(1961)に営団地下鉄日比谷線の駅が開業。 さらに、平成17年(2005)につくばエクスプレスの駅も開業。、、、、3線の乗換駅であるが、利用客が少ない駅として有名(?)である。 JRの南千住駅は都区内のJR駅としては、利用客数ワースト10(一日約17,000人)にランクインする。  日比谷線の南千住駅は日比谷線全駅で最も利用客数(一日約29,000人)が少ない。 つくばエクスプレスの南千住駅は、全20駅中、少ない方から6番目の一日約10,000人である。 当然のこと、駅前の賑わいはなし!
 
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②南千住5丁目の裏道・・・・・・・・・まずは駅前の荒川区南千住5の裏道を歩く。 歩く人も少ない、駅前とは思えない静かな町である。 『侵入盗犯防止重点地区』の立て看板も色あせてきた。 治安が良くなってきたのか?
 
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・・・・・・・・・・・・・・日光街道(国道4号)に出た。 横断し、南千住6丁目に入る。
 
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南千住6丁目の裏道・・・・・・・・・日光街道を越え、かつて大毎オリオンズのフランチャイズ球場:東京球場があった南千住6丁目の裏道を歩く。 球場のあった跡地は、現在荒川総合スポーツセンターとして、また、大型スーパーとして利用されている。 ただし、球場跡地の東側周辺は、区画整理も進まず迷路のまま、昭和が残っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・懐かしさを感じる店の跡。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・軒下には、素盞雄神社 (南千住6)の『みんな氏子』のポスター)が貼られてた。 町会名が記されているが、今は自分が住む町会名を知らない人もいるそうだ。
 
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④南千住1丁目の裏道・・・・・・・・・日光街道に面する円通寺 の境内には、上野の山で戦った彰義隊士の墓がある。 その円通寺の裏手に、南千住1丁目の迷路がある。 「裏道」というより「路地」といった方がピッタリ。 まるで、他人の敷地内を歩いているようだが、私道である。 何だが、ドロボウになった気分で、自然に、足音も静かに腰をかがめ歩いていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・こっちの路地も入ってみよう! アパートがある、家々には自家用自転車がある、井戸端会議ができる、『これぞ下町!』
 
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⑤都電荒川線・・・・・・・・・・・荒川1丁目にて荒川線を越え明治通りに出る
 
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⑥三河島カトリック教会・・・・・・・・・・荒川区役所本庁舎前に、昭和46年(1971)に建てられた現教会。 チョイト、内部を拝見。、、、、、教会に、お御籤のようにして、自分で籠から取り出す『今日の言葉』があった。 私も一つ取り出してみた、『慈愛ある目は人の心を喜ばせ、よい便りは人を力づける。 (箴言15.30)』と書かれていた。 意味深いね!
 
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・・・・・・・・・・・・・昭和8年(1933)、町工場の多い三河島に初めて建てられた教会。
 
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三河島駅 ・・・・・・・・・・今日の散歩は、下町をグルグル、行ったり来たり。 南千住の隣り駅:三河島駅に到着。
 
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2018年1月12日 (金)

浅草橋~扇大橋

全国的に寒い一日。 私の住む台東区の気温は9時に2.7℃、12時で5.7℃。 今朝のNHKお天気お姉さんは、5カイロ推奨していた。 とにかく寒い。、、、、今日の散歩は、70歳を過ぎた若い身体で北風の中を歩いてきた。 我が家(浅草橋)から北へ向かい、入谷でチョイト西に折れ、尾久橋通りを直進し隅田川、荒川を越え、足立区の日暮里舎人ライナー扇大橋駅まで、1万5千歩、10kmの散歩です。
 
 
 
●a.m.7:40・・・・・・・・・・我が母校:旧台東区立柳北小学校前をスタートする。、、、、柳北(りゅうほく)小学校は、明治9年(1876)に第五中学区第十四番公立小学柳北女学校として設立され、明治41年(1908)には柳北尋常小学校と改称した。 関東大震災では校舎は焼けたが、その後いち早く大正15年(1926)に、浅草橋駅北側に復興小学校として建替えられた。 戦後は私も入学し、学校も多くの児童で教室が不足するほどであった。 しかし、平成13年(2001)に100年以上の歴史に幕をおろし閉校した。 現在は、建て替え中の蔵前小学校の仮校舎として使用されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・小学校前の通称:左衛門橋通り には、浅草消防署浅草橋出張所があり、昨年11月に私が、その一週間後に我が母がお世話になった救急車が待機している。 頼りになるありがたい消防署。 ただしこれ以上、救急車・消防車のお世話にはなりたくないものだ。
 
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●a.m.7:50・・・・・・・・・・蔵前橋通りを横断。 蔵前小学校の児童が、元気に登校してくる。 早やいな、始業時間は何時だ?
 
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●a.m.8:05・・・・・・・・・・蔵前橋通り、春日通りを越えて左衛門橋通りを北へ、元浅草1丁目に入る。 アレ?郵便ポストの向きがおかしくないか? 普通、車道に背を向けて設置されているはずだが。 ポストの埋め込み部分のコンクリートが新しく、まだ設置されて間もないようだ。 向きを間違えたのか、設置基準みたいなものが変更されたのか? どちらにしても違和感があるね。 
 
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●a.m.8:15・・・・・・・・・・浅草通りを越えて、東上野の坂東法恩寺前を通過。
 
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●a.m.8:35・・・・・・・・・・中入谷交差点を左折し、言問通りに入り地下鉄日比谷線入谷駅前を通過。
 
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●a.m.8:40・・・・・・・・・・入谷交差点近く、鬼子母神の隣りに、大正15年(1926)に完成した復興小学校:旧入谷尋常小学校(旧坂本小学校)がある。
 
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●a.m.8:50・・・・・・・・・・根岸3丁目の言問通りから、裏道の奥に明治期の外務大臣であった陸奥宗光旧別邸が見える。 陸奥宗光は明治20年頃に三井家からこの洋館を献上された。 現在は個人の住宅として利用されている。
 
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●a.m.8:52・・・・・・・・・・JR鶯谷駅前で言問通りから尾久橋通りに入る。
 
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●a.m.8:55・・・・・・・・・・荒川区東日暮里の一角に建つ建物。 2階建て?3階建て? 3階部分には外壁と窓枠はある、だが、窓にはガラスが入っていない、3階の天井も無い、窓を通して隣りの建物の外壁も見える。、、、、、不思議な建物だ! 
 
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●a.m.9:05・・・・・・・・・・我が家を出て1時間25分経過。 日暮里駅前を通過する。 寒いが、快調である。 これより日暮里舎人ライナーが上空を走る尾久橋通りを歩く。
 
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●a.m.9:10~9:30・・・・・・・・・・日暮里舎人ライナーは、西日暮里駅を挟み、常磐線京成本線常磐貨物線の線路を跨いで進む。、、、、、線路好きの私には嬉しい散歩道。
 
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●a.m.9:35・・・・・・・・・・尾久橋通りが明治通りと交差する田端新町一丁目交差点通過。
 
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●a.m.9:40・・・・・・・・・・赤土小学校前駅を通過。、、、、“〇〇小学校前”という駅名は、バス停などには多いが、鉄道の駅としては珍しいね。 JRの駅であるかな?(私には思い出せない)
 
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●a.m.9:50・・・・・・・・・・熊野前駅を通過。 都電荒川線への乗換駅。
 
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●a.m.10:05・・・・・・・・・・尾久橋で隅田川を越え足立区に入る。 橋を渡ると足立小台駅が待っている。
 
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●a.m.10:10・・・・・・・・・・尾久橋に続き、扇大橋を渡り荒川を越える。
 
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・・・・・・・・・・・・・橋上から振り返ると、富士山が見えた! 富士山が見ると、なぜか嬉しくなるのが日本人。 私は典型的な日本人かも?
 
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・・・・・・・・・・・・・・長い扇大橋を渡り終えたのは、a.m.10:20。
 
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●a.m.10:30・・・・・・・・・・寒さは和らいだがチョイと疲れたので、今日の散歩はココまでとして、扇大橋駅から帰宅することにした。
 
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2017年8月 2日 (水)

浅草橋~北千住

今朝の天気予報では、『今日は曇り一時雨、気温は低く30℃以下、熱中症の心配なし』。 『ヨシ、今日は健康の為、タップリ歩いてくる!』と、我が家(浅草橋)をでて、北に向かい北千住駅まで、1万5千歩の散歩です。
 
 
 
①左衛門橋通り・・・・・・・・・・・台東区内を南北に通る左衛門橋通り(さえもんばしどおり、正式名:台第52号線)は、神田川に架かる左衛門橋 (台東区浅草橋1丁目)から、台東区入谷1丁目までである。 我が家から100m程で、左衛門橋通りの「浅草橋地区センター」バス停に出られる。、、、、、ここから、今日の散歩はスタート!
 
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・・・・・・・・・・・・・・バス停の前には、我が母校「旧台東区立柳北小学」と「柳北公園」がある。、、、、、校舎も、公園も、関東大震災の復興事業として、昭和初期に整備された。 吾輩が小学生の頃は夕飯の時刻まで、毎日のように遊んだ公園だが、今は遊ぶ子供も少なく、園内の遊具なども片隅に寄せられてしまった。
 
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・・・・・・・・・・・・・蔵前橋通りを越え、台東区小島の町。  横に入ると、如意輪観音が祀られているが、由緒は?
 
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・・・・・・・・・・・・・・春日通りとの交差点では、夏休み中の登校日か? 学校に向かう子供たちがいた。、、、、、吾輩が小学生の頃は、この日は夏休みの宿題の途中経過を持っていく日で、何も出来ていない宿題帳を見せる、いや~な日だった。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・元浅草4丁目には、左衛門橋通りに面して、江戸時代初期(徳川家光の頃)に開山した、浄土宗の誓教寺 がある。 墓地には、フランスの印象派の画家に大きな影響を与えた、浮世絵師:葛飾北斎の墓がある。、、、、、チョイト、手を合わせて行く。
 
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・・・・・・・・・・・・・・地下鉄銀座線が道路下を通り、仏壇屋が並ぶ浅草通りを横断し、左衛門橋通りは台東区松が谷に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・左衛門橋通り沿いに多くの寺院が並んでいる。 その内の一か寺。、、、、、日蓮宗の妙音寺は、安立院日雄聖人(元和5年寂)が開山し、慶長15年(1611)に馬喰町に創建した。 明暦の大火により、馬喰町から現在地へ移転した。、、、境内には弁財天も祀られている。、、、、“弁財天”と聞くと、オールヌードで琵琶を演じる姿が頭に浮かび、なにやら胸がドキドキしてしまう。 ここでは、残念だが姿を拝見できなかった!
 
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・・・・・・・・・・・・・・妙音寺の先(東上野6)には、親鸞聖人の門弟が建保2年(1214)下総国横曽根に創建し、慶長7年(1602)に江戸へ移転した坂東報恩寺がある。江戸では三回移転し、文化3年(1806)に現在地へ移転した。、、、、、本堂は鉄筋コンクリート造だが、チョイと古いかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・・報恩寺から100m程北には、伊能忠敬の墓、幡随院長兵衛の墓、谷文晁の墓などがある、浄土宗増上寺の末寺:源空寺がある。 この寺も、明暦3年(1657)の大火に遭って類焼し、現在地に移転した。、、、、、本堂は最近、美しいフォルムの建物に替わった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・松が谷二丁目交差点で「かっぱ橋本通り 」を横切ると、秋葉神社 の鳥居が見える。 ここも、チョイと手を合わせて行くことにした。、、、、左衛門橋通りには寺社が多く軒を連ね、賽銭も底をつく。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・言問通りを越えると入谷に入り、入谷1丁目で左衛門橋通りも終わる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・入谷1丁目には、昭和4年(1929)に建てられた、明治33年(1900)創業の酒屋「水上酒本店」の建物がある。 木造3階建てのどっしりした建物である。
 
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②日光街道・・・・・・・・・・・・・左衛門橋通りは入谷で終わり、50m程西側に国道4号線(昭和通り、日光街道)が通っている。 我が脚は、引き続き日光街道に移り北上する。
 
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・・・・・・・・・・・・・・明治通りと交差する大関横丁交差点をとおり、常磐線のガードをくぐり、旧「王子電気軌道」本社ビルであった梅沢写真館の前を進む。、、、、チョイと雲行きが怪しくなってきたが、“雨降らば降れ 風吹かば吹け”の境地で先へ行く。
 
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・・・・・・・・・・・・・・荒川区南千住1にある、曹洞宗寺院の円通寺 には、吾輩がこよなく愛する明治時代の几号水準点があるのだが、今日は素通りすることにした。、、、、戊辰戦争の際に傷ついた寛永寺の黒門、彰義隊の志士の墓もある。 
 
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・・・・・・・・・・・・・『中山式の腹巻』、『中山式の快癒器』と聞いてピンときた人は、かなりの年配だろう。 戦後、雑誌、新聞などで盛んにPRされた健康器具である。 幼き頃から病弱であった創業者の中山武欧氏の発明で、医療器具として大いに売れたそうだ。 もちろん、現在も製造されている。 その製造・販売元がこちらの会社「中山式産業(株)」(荒川区南千住6)だ。、、、、、屋上の看板のロゴが、昔と変わらぬ字体で懐かしいね!、、、、会社のhpより、発売当初の快癒器の写真を拝借しました。
 
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・・・・・・・・・・・・・日光街道に面する素盞雄神社では、境内に面白いものがあった。、、、、、氏子61ヶ町の手ぬぐいに風鈴を添えた旗を境内に飾り、涼を呼んでいた。 粋でいいね、気に入った!
 
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・・・・・・・・・・・・・・隅田川に架かる千住大橋 が見えた! この橋を渡れば足立区、北千住駅は近い。 でも、その前に京成本線の千住大橋駅がある。 駅は高架下にあり、日光街道に面して高架下に店舗があるはず(?) アレ・レ・無い! シャッターが降りてる?
 
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・・・・・・・・・・・・・北千住駅に近づくと、小粒の雨が落ちてきた。 駅まで急ぐ。、、、、、ほぼ濡れずに駅に到着。
 
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2017年5月27日 (土)

南千住~町屋

今日は南千住駅から歩き始めたが、三ノ輪橋停留場で都電を見たら、乗ってみたくなる。 乗ったら今度は歩きたくなり、町屋駅前から町屋の町をブラブラ。 尾竹橋際にてコミュニティバスに乗り帰宅のすることに! 1万1千歩。

 
 
①南千住から三ノ輪橋へ・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・毎度のことだが、今日も駅前で東西南北いずれに向かうか悩む。 とりあえず西に向かうことにした。、、、、ひょっとすると、一雨くるかも? いやな、空模様だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・裏道に小さなかわいらしい千住基督教会があった。、、、、、大正3年(1914)にこの地に設立した教会。 戦時中は、建物も壊され教会は閉鎖していた。 昭和25年(1949)に再出発したそうだ。、、、、小さいがパイプオルガンを備えている。
 
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・・・・・・・・・・・・・おや、南千住一帯は来週(6/2・3・4)、千住大橋の近くに鎮座する素戔雄神社のお祭り「天王祭 」だ。 町中にはポスターが貼られている。 古い家には、除災・招福のお札が貼られている。、、、、、浅草橋駅裏の銀杏岡八幡神社 も来週お祭りだ、我が妻も町内の御神酒所の準備で忙しそう。 私はのんびり散歩をするだけ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・三ノ輪橋の日光街道に面する浄土宗の公春院は、寛文10年(1670)に創建した古寺である。、、、、、ここには、かつて、周囲約4m、高さ14m程の樹齢500年を超える「証拠の松」と言われた大木があった。 この松は、寺の境内にあり、寺の古さを示す証拠として名づけられたそうだ。 松は昭和9年(1934)に枯死したため伐採された。
 
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都電荒川線 ・・・・・・・・・・・専用軌道を走る荒川線の線路沿いには、バラの花が咲き誇っている。 
 
・・・・・・・・・・・・・・現在は梅澤写真館、、、、、、、昭和2年(1927)に完成した旧王子電気軌道の本社ビル。 関東大震災後の東京では、鉄筋コンクリート造、3階建てのモダンなビルだった。 正面1階をとおり抜けると奥に“三ノ輪”の停留場がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・三ノ輪橋停留場、、、、、沿線にはバラの手入れをする多くの人がいた、ありがとう!
 
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・・・・・・・・・・・・・・『あ~~乗りたいな!』と思ったら、乗ってしまった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・『二人が降りた! ヨシ、私も!』と、町屋駅前停留場で下車。
 
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③町屋2~6丁目・・・・・・・・・・・・・・都電荒川線町屋駅前停留場の北側一帯が町屋の町である。 その町の中央を南北にとおる尾竹橋がある。 今日は尾竹橋通りの西側をぶらついてきた。
 
・・・・・・・・・・・・・・・町屋2丁目、町屋駅前の飲食街のチョイト奥にある原稲荷神社は、天正18年(1590)、徳川家康の江戸入府にともなって、三河国(愛知県)の百姓が町屋に移住してきたときに創建されたと言われている。、、、、、素戔雄神社の天王祭では、神輿が泊まる御旅所となっている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・神社の北側の裏道に入る。 道は曲がりくねり、工場・住宅が密集する下町である。 昭和の木造アパートが多い。 中には朽ちた住宅もある。、、、、、曲がる裏道は、方向感覚を鈍らせ、『アレ? さっき歩いた道だ!』
 
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●・・・・・・・・・・・・ブラブラ歩き、隅田川に架か尾竹橋 るの南詰付近で、ちょうど荒川区のコミュニティバスが来た。 瞬間見えた「町屋駅前」の文字、『アツ、これに乗れば帰れる』。 躊躇せずに飛び乗って、帰宅する。

2017年5月16日 (火)

東尾久の通り

西日暮里駅から京成本線新三河島駅前をぬけて、都電荒川線東尾久三丁目停留場付近にでた。 ここから、「大門通り」と称する裏道を歩いて、尾久の原公園にぶつかる。 さらに「石門通り」を歩き日暮里舎人ライナー熊野前駅まで、1万2千歩の散歩です。
 
 
 
西日暮里駅 ・・・・・・・・・・・昭和44年(1969)12月20日、地下鉄千代田線の西日暮里駅が開業し、2年後の昭和46年(1971)4月20日に乗換駅として国鉄の西日暮里駅が開業した。 現在は、近くに日暮里舎人ライナーの西日暮里駅も開業しており、朝は乗換客で混雑する。
 
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②新三河島駅・・・・・・・・・・・JR西日暮里駅の東側を京成本線が走る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・京成本線は常盤貨物線 を高架で越え新三河島駅へ向かう。 ちなみに、踏切は貨物線の「日暮里八丁目三号踏切」。、、、、こんな名前覚えても、何の役にも立たず、ただただ鉄道オタクであるのみ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・新三河島駅 、、、、、昭和6年(1931)に開業した京成本線の駅。 都内の京成本線の駅では最も乗降客の少ない駅。 スグ、忘れられる駅。
 
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③尾久の原防災通り・・・・・・・・・・・・荒川区東尾久1(明治通り冠新道入口交差点)から北へ東尾久6(都立尾久の原公園前)まで伸びる約1.36kmの道路。
 
・・・・・・・・・・・・・・手前の明治通りから北へのびる防災通り。
 
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・・・・・・・・・・・・・・防災通りをチョイト歩くと、スーパーの前に「消防道路」の碑が立っている。、、、、、、防災通りは、戦時中に空襲による延焼防止を目的に建物を強制疎開させ造られた疎開道路である。 その跡地を整備し昭和48年(1973)に地元では「消防道路」となった。 平成24年(2012)に荒川区は「尾久の原 防災通り」と命名したそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・防災通りが都電と交差する手前に、天台宗の寺院:満光寺(まんこうじ)がある。 創建は南北朝末か室町時代と伝えられている。、、、、、歴史ある寺院だが、建物は新しい。 現本堂は昭和44年(1969)に建て替えられた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・都電荒川線を横切り、東尾久3丁目に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・東尾久6丁目の草陰に地蔵尊が寂しげに祀られていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・町屋4丁目では、荒川区唯一の美術館:「ぬりえ美術館」の前を通る。 館長:金子マサさんは、「きいちのぬりえ」で有名な蔦谷喜一さんの姪である。 館長は、ぬりえを文化として保存するために、平成14年(2002)に美術館を開館した。、、、、、残念であるが、本日は休館日。 一度入館してみたいものだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・防災通りの北の端は、大門小学校のチョイト先で都立尾久の原公園で終わる。、、、、、公園は、かつて旭電化工業(現:ADEKA)尾久工場があったところ。 昭和52年(1977)に東京都が跡地を買収し、跡地の東半分が公園として整備され平成5年(1993)に開園した。 広々とした明るい公園である。
 
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④都電荒川線・・・・・・・・・・町屋二丁目停留場、東尾久三丁目停留場付近でパチリ! 
 
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⑤大門通り・・・・・・・・・・・・尾久三丁目停留場の北側に「大門通り」があった。 “大門”と聞くと、吉原の大門を思い出し、“大門”=“花街”の連想しかできない私は、早速この町の銭湯のおばあさんに聞いてみた。、、、、、おばあさんの話では、昔から大門町(=大門村)と呼ぶ地名であったそうで、花街とは縁がないらしい。、、、、、、南の端(尾久三丁目停留場)から、北の端(ぬりえ美術館から尾久の原公園前までは防災通りと重複)まで歩いてきた。総延長約416m。 
 
・・・・・・・・・・・・・・・写真順に、、、、、、停留場前、大門通りの南端。、、、、、大門湯、、、、、チョイト古い医院の看板、診療科目に「気管食道科」。(奥には、新しい立派な医院がある)、、、、、道中程に祀られている子育地蔵尊。、、、、曲がりくねり進むと、ぬりえ美術館の前に出る。
 
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⑥石門通り・・・・・・・・尾久の原公園の西側100m程行くと、「石門通り」の北端(東尾久6-34)で、ここから南へ道は伸び、東尾久6-39が南端となる。 全長345mの道で、かつては商店街であったが、今日訪れてみると、商店街はなくなっていた。 “石門”は、近くの下尾久石尊という石を祀る社があり、その参道であったことに由来するらしい。
 
・・・・・・・・・・・・・・・写真順に、、、、、、石門通りの北端。、、、、、撤去されていた、かつての商工会の門柱。(2013年撮影)、、、、、ここにも子育地蔵尊が祀られている、、、、、、地蔵の後ろは北豊島高等学校、、、、、、商店街は無くなり、店は閉じられている、、、、、車歩分離した道路のカラータイルが続く、、、、、、石門通りの南端
 
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⑦熊野前駅・・・・・・・・・・・・平成20年(2008)に開業した、日暮里舎人ライナーの熊野前駅。、、、、、今日の散歩はここまで!
 
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2017年4月13日 (木)

土手通り

今日は、散歩の帰りに浅草に寄って買い物をする予定で家を出た。 『何処へ行こうか?』、とりあえず、我が家(浅草橋)から浅草を経由する南千住行のバスに乗り、バスの中で考えることにした。 バスが浅草を過ぎ、山谷堀公園が見え、「土手通り」を歩いてみたくなる、決定である。 泪橋でバスを降り、三ノ輪から待乳山聖天まで「土手通り」を歩いてきた。
 
 
●土手通りとは・・・・・・・台東区東浅草1丁目(馬道通りとの接続点)から台東区日本堤2丁目(三ノ輪二丁目交差点)までの直線道路(約1km)である。、、、、、「日本堤(にほんづつみ)」という土手があったことにちなんで命名された。
 
●日本堤とは・・・・・・・・現在は台東区北部の町名の一つであるが、元々は隅田川の氾濫による洪水を防ぐ目的で、元和6年(1621)に、江戸幕府によって築かれた堤防である。 幕府は、待乳山を崩した土で、今戸橋(現:待乳山聖天近く)から箕輪浄閑寺(現:荒川区三ノ輪)まで堤防:日本堤を築いた。 堤防の北側には、石神井川から分かれた音無川の下流となる山谷堀が流れていた。 また、明暦の大火(1657)以降、堤防の南側には“あの吉原”が人形町から移転してきた。 以後、日本堤は「吉原土手」とも呼ばれ、また、土手上は見晴らしがよく長さも6町余りあり、「土手八丁」とも言われた。、、、、、現在の「土手通り」は、この日本堤の取り壊された跡である。
 
 
浄閑寺 ・・・・・・・・・・・・日本堤の北の端(荒川区南千住2)に位置する、吉原遊女の投げ込み寺。、、、、“駆け込み寺”なら救われるが、“投げ込み寺”は屍となり葬られるだけ。、、、、花又花酔の川柳に「生れては苦界 死しては浄閑寺」とある。
 
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②日本堤の北端・・・・・・・・・・・・・浄閑寺前の三叉路が日本堤の北端である。 また、王子で石神井川から分かれた音無川は日暮里を経て浄閑寺の西側に流れ、ここから山谷堀となって隅田川に注いでいた。(現在は暗渠となっている)
 
・・・・・・・・・・・・・浄閑寺前(左端の手前陰に浄閑寺がある)の三叉路。 写真中央の道路が土手の跡。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・土手の跡をイメージされる勾配。 駐車している車が傾いている。 写真中央の居酒屋の前面道路と裏側の道路には高低差がある。 
 
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③三ノ輪二丁目交差点・・・・・・・・・道路幅も広くなり、ここから公式には「土手通り」。 交差するのは明治通り。
 
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④日本堤・・・・・・・・・・・・バス停は「日本堤」 、バス停の北側一帯の町名は「日本堤」 、土手の「日本堤」は昭和2年(1927)に取り壊された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・日本堤の町は、かつては革製品の加工工場が多かった処。 また あのドヤ街として名をはせた「山谷 」の一部も含んだ町である。、、、、、日本堤の中心的商店街「いろは会も頑張っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・“土手通り”と云えば、“土手の中江”と云われる、明治38年(1905)創業の桜鍋の店:「中江(なかえ)」をイメージ。 隣の「伊勢屋」は明治22年(1889)創業の天婦羅屋。 現在の建物は、それぞれ、大正末期から昭和初期に建てられたもの。、、、、、吉原へ出向く粋人は、桜鍋を食して元気倍増!、穴子で精力回復! 行きも帰りも良い良い。
 
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吉原 ・・・・・・・・・・・・行ったことのない人でも、行ってみたい“ご存じ吉原”。 その入口大門へ向かう、土手通りから入る参道(?)に“見返り柳”が立っている。 吉原から帰る客が、この柳のあたりで、後ろ髪を引かれる思いで遊郭を振り返ったといわれている。、、、、今の時代、遊郭はなくなり、あるのはソープランド。 遊び方も変わり、後ろ髪を引かれる人はいなくなったかも。
 
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・・・・・・・・・・・・・昭和21年GHQの命令で公娼制度は廃止され、吉原遊郭は“赤線”となった。 12年後の昭和33年2月28日売春防止法の施行により“赤線”も消えた。 、、、、その“赤線”当時の建物と思われる建物が数棟、「土手通り」裏に残っている。
 
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⑥旧待乳山小学校(現台東区立東浅草小学校)・・・・・・・・・・土手通りの吉原大門交差点近くに建つ旧待乳山(まつちやま)小学校は、明治6年の創立の小学校で、現在は近くの田中小学校と合併し東浅草小学校に変わっている。 ここの校舎は関東大震災後に建てられた復興小学校である。、、、、、東京市の設計、芝江初五郎の施工にて、昭和3年(1928)に竣工した鉄筋コンクリート3階建ての校舎である。、、、、山谷堀はこの校舎の近くを流れていたようだ。
 
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山谷堀公園 ・・・・・・・・・・旧待乳山小学校の近くから、山谷堀公園は始まり、待乳山聖天の裏まで続き、今戸橋跡で隅田公園にぶつかる。、、、、、あっち、こっちで散ったサクラを掃き寄せる光景が見られた。 この時期は、綺麗だが、大変だ!
 
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⑧土手通りはここまで・・・・・・・「土手通り」の公式の南端は台東区東浅草1丁目である。 写真手前から歩いてきた「土手通り」はここで終わり、右の「馬道通り」に続く。  直進すると山谷堀の最下流であった今戸橋に出る。
 
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2017年3月24日 (金)

三河島事故

昨夜、寝ながら読んだ本に「三河島事故」の話があり、事故現場には何も残されていないとの記述があった。 今朝、起きると気になり、チョイト事故現場に行ってみることにした。 常磐線南千住駅から、事故の跡を求めウロウロ。 結局、隣の三河島駅まで9千歩の散歩となった。
 
・・・・・・・・・・三河島事故、、、、、昭和37年(1962)5月3日(憲法記念日)の21時37分頃、田端発水戸行のD51牽引の貨物列車が三河島駅を過ぎたところにある、貨物線が本線に合流するポイントで、安全側線に衝突し脱線した。 そこに上野発取手行の下り電車が衝突。 さらに数分後、取手発上野行の上り電車が衝突した。 二重衝突である。 死者160人、重軽傷者383名を出した、日本の鉄道史上に残る大惨事となった。
 
 
①南千住から三河島方面を遠望・・・・・・・・・・事故後50年以上経過し、事故を語る人も少なく、町も変わっているが、現場には何か残っていないか? 行ってみよう!
 
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②盛土を走る常磐線・・・・・・・・・・三河島~南千住間は盛土で、線路際まで建物が迫っているところもある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・煉瓦造りの第3三の輪ガード
 
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・・・・・・・・・・・・・・この付近が事故現場と思われるところ。 線路際まで建物が迫っている、三河島事故の現場を標すものは何もない。、、、、、、線路は4本あり両外側の2本が貨物線、内側の2本が常盤線本線となっている。 貨物線は田端方面から三河島駅の先(南千住側)で本線に合流している。
 
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●・・・・・・・・・・・・事故の原因は、貨物列車の機関士の信号無視であった。、、、、その日は、早朝から地震の影響でダイヤが乱れていた。 定刻通り運行していた45両編成の貨物列車は貨物線から常磐線本線に合流するポイントに向かっていた。 そのころ、貨物列車より先にポイントを通過している予定の下り電車は、ダイヤの乱れで遅れていた。 下り電車を通すためポイントが切り替わっていなかったが、貨物列車の機関士は本線との合流地点手前の勾配上で停止すると再起動が難しいことから見切りで列車を進めてしまい、脱線を引き起こした。 そこに、遅れていた下り電車が突入しこちらも脱線した。 不幸なことに、約6分後、早いスピードで走ってきた上り電車が脱線した下り電車に激突し、大惨事となった。
 
 
③浄正寺・・・・・・・・・・・・三河島事故を記憶にとどめ慰霊する聖観音像が、三河島駅の北東(荒川3丁目)にある浄土宗の清国山快楽院浄正寺に建立され、現在も献花が絶えない。、、、、、昭和37年(1962)に発生した事故では、遺体収容所となったそうだ。
 
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●・・・・・・・・・・・事故の起きた昭和37年(1962)、私は16歳だった。 当時、新聞、TVのニュースで惨事が報道されていたことは記憶しているが、事の重大さ、悲惨さを痛感することはなかった。、、、、現場を見ず、報道の表面を読んだにすぎず、他人事として受け止めていたのかも。、、、、碑の側面に刻まれた詩:「三河島事故に捧ぐ   安らかに眠れとは 如何に悲しき言の葉か つま待つ家の帰り路を 知るよしもなき此の惨事 あゝ たれぞ知る此の惨事」、、、、、未だに身元が判明しない犠牲者が一人いるそうだ。
 
 
④三河島駅・・・・・・・・・・・島式ホーム1面2線の高架駅であるが、本線の両外側に一本づつ線路がある。 これが貨物線である。 
 
・・・・・・・・・・・・・事故現場からは、尾竹橋通りを挟み向かい側に駅がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・本線の外側(写真右側)にもう一本線路がある、これが貨物線。 貨物線は勾配がついている。 三河島駅の先(南千住側)で本線に合流する。 その合流点が事故現場。
 
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●・・・・・・・・・・・事故後、再発防止策として、自動列車停止装置(ATS)の設置を急ぎ、昭和41年(1966)までに国鉄前線に設置された。
 
●・・・・・・・・・・・「三河島」の地名は太田道灌の時代からある歴史ある地名だが、この事故が原因か(?)、昭和43年(1968)の住居表示にて消えた!、、、、現在は、駅名(JR、京成)として残るのみ。 これ、また、悲し!

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