荒川区

2019年5月17日 (金)

お鼻ピクピク花電車

上野から並行して北上する京浜東北線(近距離電車)と東北本線(中・長距離列車)は、西日暮里駅を過ぎると両線の間の距離を広げ、京浜東北線は田端駅・上中里駅を通り王子駅に向かう、東北本線は尾久駅を通り王子駅付近で京浜東北線と交差し再び並走する。 この両線が広がった間には、北区上中里2丁目と同区栄町の町がある。 またJRの尾久車両センターもある。 今日は上中里駅周辺の東北本線を横断する、地下通路、踏切、跨線橋を見てきた。 上中里駅で下車し、上中里2丁目・栄町を歩き尾久駅へ。 尾久駅からは都電荒川線の小台停留場まで歩いてきた。 9千歩。




●電車ギュウギュウ、駅ガラガラ! ・・・・・上中里駅は京浜東北線の駅で、昭和8年(1933)7月1日に開業した、島式ホーム1面2線の地上駅。 出入口(改札)はホーム南端の橋上駅舎に一か所あるのみ。 当駅は23区内のJR駅の中で利用客数が、越中島駅(京葉線)に次いで少なくワースト2。 乗降客数は一日平均1万5千人程。 駅は武蔵野台地の斜面部分にあり、駅の南西側は台地上に出る、北東側は駅外の跨線橋を渡り台地の下にでる。、、、、今日は台地下の上中里2丁目の町を歩く。

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●幹線道路から外れた静かな町 ・・・・・・上中里2丁目を歩く

・・・・・・・・・・・・・・跨線橋を渡り終えると線路脇の道路沿いに上中里庚申堂がある。 祠に入った庚申塔以外にも、寛文5年(1655)の年代が読めるものなど、数基の庚申塔がある。

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・・・・・・・・・・・・・・駅から細い裏道を歩く学生らしき人の列が、目に入る。 外人も多い。 これは何だ? しばらくすると、最近ニュースで名が知れた大学の建物へ入っていく。 納得、留学生だった!

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・・・・・・・・・・・・・・どこも、一車線一方通行の道。 車も少なく静かな町。

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●見晴らしバツグン跨線橋! ・・・・・・東北本線(中・長距離列車)の線路を横断する地下道・踏切・跨線橋。 王子寄りから順に・・・・

・・・・・・・・・・・・・・まずは、栄町にある広町地下通路。 後述する梶原踏切から王子駅側に250m程寄った処に地下通路はある。 鉄筋コンクリート造の出入口で、通路幅も狭い。 通路の両出入口は線路脇にあり、どちらも人通りの少ないと思われる場所にある。 夜は痴漢・強盗にご用心。、、、、名称「広町」の由来は不明。 地下通路の完成年度も?

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・・・・・・・・・・・・・・・次は、一般車両の横断も可能な梶原踏切。 通勤時間帯は、都内にある踏み切り同様、開かずの踏み切りとなるので、すぐ横に、両端のエレベータで上下し、人が渡ることのできる跨線橋「上中里さわやか橋」がある。 お年寄りは跨線橋を利用して横断しよう!、、、、跨線橋からは尾久車両センターも見渡すことができる。 京浜東北線の頭上を走る東北新幹線も遠望できる。 鉄道オタクには、嬉しい跨線橋。

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・・・・・・・・・・・・・・・3番目は、尾久車両センターを横切る長~~い地下道、その名は「尾久構内架道橋」。 “地下道”なのに“架道橋”とは是如何に? 鉄道用語で、線路の下を抜ける通路をガードと呼び、「架道橋=ガード」である。、、、、尾久構内架道橋は上中里2-5付近から車両センターの下にもぐり、尾久駅の脇に出る、全長約150mのお地下通路。 通路の途中には、施錠されているが車両センターの構内に出られる鉄扉がある。

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・・・・・・・・・・・・・・尾久駅は昭和4年(1929)6月20日開業した。 駅の所在地は北区昭和町、地名の尾久(西尾久、東尾久)は荒川区にある。 読みも、駅名は“おく”、地名は“おぐ”。 ややっこしい~

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●お鼻ピクピク花電車 ・・・・・・荒川区西尾久5丁目の町を抜け、都電荒川線小台停留場付近に出た。 軌道の両側にはバラが見事に咲いている。、、、、香りも期待し、鼻をピクピクしてみたが、鼻づまりなのか匂わない。 バラの匂いが漂うと、より嬉しかったが、チョイト残念だ!、、、、今日は都電に乗って帰る!

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2019年3月29日 (金)

南千住は火の用心!

今日の散歩は、我が家(浅草橋)から20分程の南千住までバスで行き、そこから何処に向かうかは着いてから決めることにした。 南千住駅前に降り立つと、空はどんより、空気は冷たい、コリャあまり遠くへ行かない方がよさそうだ!

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「とりあえず、駅前の回向院(両国回向院の別院)によって、鼠小僧・高橋お伝の墓に手を合わせるか」と思いきや、、、、、回向院前に消防車が到着。 一台、また一台、、、アレレ?コリャ一大事か、二台寺か? 火は見えぬが、回向院が火事か? 私の野次馬根性にも火が点いた、“それ! 見に行け!”

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三台・四台・五台と到着、回向院横の商店街「南千住仲通り」に入って行くぞ! 火事場は回向院裏か? ご近所の住人も出てきた!

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回向院裏に回ってみると、ご近所のおばさんが「線路際の鰻屋さんよ」と教えてくれる。 路地を通り抜け、火事場へ急ぐ。 オヤ、まだ規制のロープが張られていない。 見やすく、消火の邪魔にならない位置で状況を確認すると、、、、現場は、常磐線脇の鰻屋さん。 うなぎ焼かずに家焼いた! でも、ボヤ程度で済んだようだ、大事にならず良かった!

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寒い中で消火作業を見ていたら、自分も放水したくなった。 どうやらボヤは鎮火しそうだ、後は消防署に任せて、散歩を始めるか!

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●106年前に開業 ・・・・・・南千住5丁目から日光街道(国道4号)を越えて南千住1丁目に入る。  大正2年(1913)4月1日に王子電気軌道の停留場として開業した、都電荒川線の三ノ輪橋停留場。

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●300年以上前に移転
・・・・・・南千住1丁目、日光街道に面し参道のある曹洞宗寺院の真正寺。 四ツ谷天龍寺を開山した特賜心翁永伝禅師大和尚(寛文14年(1674)寂)の隠居寺として湯島に開山、寛文元年(1661)当地へ移転した。、、、、、赤い花に誘われて参る。

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●1200年以上前の開創 ・・・・・・・真正寺の北隣りには補陀山円通寺がある。 円通寺は延暦10年(791)坂上田村麻呂によって開かれたと伝えられる。 江戸時代には、下谷広徳寺、入谷鬼子母神真源寺とともに「下谷の三寺」とよばれていた。 秩父・坂東・西国霊場の100体程の観音像を安置した堂があったので、寺は百観音と呼ばれていた。、、、、、派手やかな鉄筋コンクリリート造の本堂は、屋根の上に七重の塔が聳え、その正面に巨大な黄金の観音像が立っている。 昭和59年(1984)の建立。

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・・・・・・・・・・・・・・・明治維新の折、慶応4年(1868)に行われた上野戦争で亡くなった彰義隊の隊員を、現在の上野公園の西郷隆盛像があるあたりでこの寺の住職が火葬を行った。 そのため、この寺には火葬を行った場所の近くにあった上野寛永寺の総門(黒門)が移築され、亡くなった彰義隊の隊員の墓もある。、、、、、遺骸266体が埋葬されているそうだ、意外に多いね!

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・・・・・・・・・・・・・・・・円通寺の境内に几号水準点がある。 門を入り左隅に、正面に「百くわんおん 」裏に「明和元年(1771)」と彫った石塔がある。 その台座部分に几号(“不”の字に似た形)が彫られている。 几号の下半分以上が埋まり、“ここに在ることを知る人にのみ”見つけることができる。(他言無用!)、、、、、几号水準点とは

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●19年前に開業 ・・・・・・荒川一中前停留場は、平成12年(2000)11月11日に、沿線住民の請願により開業した。、、、、、私は、停留場の踏切りを渡り、明治通りを越えて三河島駅に向かう。


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2019年2月19日 (火)

処理場だけど臭わない!

南千住駅前から散歩を始める。 都電荒川線の北側、南千住6丁目、三河島再処理センター界隈を歩き、京成本線町屋駅まで、1万歩です。
 
 
 
●裏道のお稲荷さん ・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・我が家(浅草橋)から都バスで南千住駅前まで、乗り放題・無料の敬老パスを利用。 正しくは、都営交通の敬老パス一年間約2万円也を購入すると、都営交通と都内の民営路線バスが乗り放題。 パスを見せれば乗れるので、“無料”という感覚で好きなだけ乗れるのが嬉しいね。
 
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・・・・・・・・・・・・早速、駅前の裏道を探索。 この辺りは、昔ながらのアパートが多い。
 
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・・・・・・・・・・・・・通りすがり、御利益ありそうなお稲荷さんがある。 ブロック塀に囲まれ、朱い鳥居が見えた。、、、金福稲荷神社(荒川区南千住5)である。 貞和3年(1347)足利時代に「金子福寿稲荷」として創建されたそうだ。 
 
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●小塚原の神社 ・・・・・・・・日光街道(国道4号)を越えて、南千住6丁目の素盞雄神社(すさのおじんじゃ)に参る。、、、、素盞雄神社は、当地に神石がに出現したことから、素戔雄命(牛頭天王)、事代主命の2神を祀り、延暦14年(795)創建したと伝えられている。 近郷の旧小塚原町、旧箕輪町、旧通新町、旧三河島村、旧町屋村などの鎮守社。 神社のある地の旧名は「小塚原」(刑場があった処)で、この地名も当社の小高い塚より起ったと言われている。
 
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・・・・・・・・・・・・・地名「小塚原」の起りとなった小塚。 境内の小塚は、御祭神の素戔雄命、事代主命が光を放ち降臨した処である。 小塚の中の奇岩を「瑞光石」と称している。 元治元年(1864)には富士塚を築き浅間神社を祀っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・賽銭箱のそばにあった「お賽銭は神様へのお供えもの」。 はっきり書いたね! 神様は金喰い虫か?
 
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●二股大根が見たい! ・・・・・・・・・素盞雄神社から西へ500m程のところに、若宮八幡宮がる。 ここは若宮八幡宮の名のとおり、御祭神は仁徳天皇。 又婦人の病に効験があり、祈願して直った時は二股大根を描いた絵馬を奉納するそうだ。(今の世でも続いているのか? 二股大根を見てみたい!)、、、、社殿は平成14年(2002)に新造営された。
 
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●羊毛工場が球場に! ・・・・・・・・・・・若宮八幡宮の前、荒川工業高校の西側の塀として、千住製絨所の塀の一部が保存されている。、、、、製絨所(せいじゅうしょ)は明治12年(1879)に、隅田川沿いの当地(8,300余坪)で創業した官営の羊毛工場である。 明治21年(1888)には陸軍省管轄となる。 戦後、昭和37年(1962)、敷地の一部に下町の球場と親しまれた「東京スタジアム」が建設され、大毎オリオンズ(現:千葉ロッテ)の本拠地となる。 10年後、球場は赤字経営のため休場となり、昭和52年(1977)に取り壊された。 跡地には都の施設が建てられた。
 
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●This is 下町 ・・・・・・・・・・・・南千住6丁目と、隣りの荒川1丁目界隈。、、、、、トタン張りの家、、、、昭和初期創業の蕎麦屋、、、、スクラッチタイルの家、、、、地元産の煉瓦の壁(?)、、、、路地の奥、、、、新築の住宅と高層マンション、、、、、どれもこれも下町の風景
 
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●都電 ・・・・・・・・・・・・・・・荒川二丁目停留所付近にて
 
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●我が糞尿を処理してる、感謝! ・・・・・・・・・荒川二丁目停留所前に、三河島水再生センター(旧称:三河島汚水処分場)がある。 大正11年(1922)に稼動を開始した日本で最初の近代的な下水処理場である。 旧喞筒(ポンプ)場施設が国の重要文化財に指定されている。、、、、、、敷地面積は197,878平方メートルであり、1日あたり700,000立方メートルの下水処理能力を持つ。 現在の処理区域は、荒川区・台東区の全域、文京区・豊島区の大部分、千代田区・新宿区・北区の一部で、計3,936haの下水処理を担っている。 と云うことは、台東区の住人である我が雅万歩のウンチも70余年間の長きにわたり、ここで処理してくれたのだ、感謝・感激!、、、、、処理方式としては標準活性汚泥法を採用。 処理水は隅田川に放流するほか、一部を東尾久浄化センターへ送っている。 汚泥は砂町水再生センターへ圧送している。 (「圧送している」というと、ここ荒川から、江東区砂町まで圧送用のパイプが地下に埋設してあるということか? 見てみたい!)
 
・・・・・・・・・・・・広大な敷地に各処理施設があるが、大部分は建物の中で、屋上は公園として一般に開放している。 施設内は事前予約で見学できるそうだ。 私のように、ブラリ立ち寄った人はダメ!、、、、、写真:処理場全体の案内図。 旧三河島汚水処理場喞筒場施設。 北反応槽。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・沈殿池、南反応槽などの屋上は、「荒川自然公園」となっている。 テニスコートも複数面あり、かなり広い。、、、、処理場の上だけど、臭くないね!
 
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●降ってきた! ・・・・・・・・・・・荒川自然公園(三河島水再生センター)を出ると、町屋駅までは至近。、、、、、1931年(昭和6年(1931)12月19日、京成電気軌道(現:京成電鉄)の町屋駅が開業。 島式ホーム1面2線の高架駅。、、、ちょうど、ポッリ・ポッリと降ってきた。 濡れないうちに、帰ろう! 
 
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2018年9月17日 (月)

奥の細い道

南千住駅前から芭蕉が歩いた「奥の細道」(旧日光街道)沿いの裏道(“奥の細い道”)を歩いて北千住駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
●旅立ちの地・・・・・・・・・・・芭蕉の「奥の細道」旅立ちの地は南千住(荒川区)か、北千住(足立区)か? 隅田川(大川)を挟み、矢立初めの句:「行く春や 鳥啼き魚の 目は泪」を詠んだ千住宿の地の争いである。 荒川・足立のどちらの区も、矢立の地を主張し今だ決着はついていない。 新たな資料でも出てこないと解決しないだろうね。 まあ~、どうでもいいか。、、、、、私の散歩は南千住駅からスタート。
 
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・・・・・・・・・・・・・ところで、南千住の裏道に初期のマッキントッシュのパソコン:「iMac(アイマック)」が捨てられていた。 1990年代の後半に発売されたもので、当時の価格は18万円前後であった。 このパソコンは、現在のアップル社の「iMac」の元祖である。 知る人ぞ知る、懐かしい顔のパソコンだ!、、、、、、フト、頭をよぎる、『骨董品としての価値が出てくるかも? 拾って帰るか? チョイと重そうだな、あきらめよう!』 
 
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南北を結ぶ、新旧の橋・・・・・・・・・「南北を結ぶ、新旧の橋」と云うと、何だか朝鮮半島にある橋のようだが、南北の千住を結ぶ千住大橋 のことである。 現在の千住大橋は下り方向(日光方向行)が旧橋で、上り方向(都心方向行)が新橋で構成されている。、、、、、旧橋は昭和2年(1927)に完成した日本最古のタイドアーチ橋で、震災復興橋としても有名である。 新橋は、旧橋に並行して昭和48年(1973)に完成した3径間連続鋼箱桁橋で味も素っ気ない。 新橋は旧橋より一段高い位置にあり、新橋からは旧橋のアーチ部しか見えない。、、、、、今日は下流側の新橋を渡り北千住に入った。
 
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・・・・・・・・・・・・・・下流には常磐線の橋梁が架かっている。
 
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●市の守護神・・・・・・・・・・・・本日定休日の東京都中央卸売市場足立市場の敷地内に鎮座する。 延徳年間(1489~91)より浮島金毘羅宮として崇敬されてきたが、昭和20年(1945)足立市場の開設以来、市場の守護神と尊崇された。 干潮稲荷神社を昭和41年(1966)に合祀し、干潮金刀比羅神社(かんちょうことひらじんじゃ)と改稱する。、、、、御利益は航海安全、豊漁祈願、水難守護、商売繁盛、五穀豊穣など、多種多様である。 いずれ、安産祈願、子宝成就も含まれるかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・市場の正門脇に、足立区側の旧日光街道千住宿跡としてに芭蕉像があ建てられている。、、、、、荒川区と足立区、どちらが実物に似ているのか? 知るは仏のみ。
 
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●「奥の細道」の“奥の細い道”・・・・・・・・・・・奥の細道(旧日光街道)から、京成本線の高架沿いに路地を入ると、その先は千住河原町の“奥の細い道”(雅万歩が勝手に名付けた)となる。 折れて、折れて、歩く路地、また折れて、また折れて、お股は擦れて、あ痛(い)てって、まだまだ折れて歩く路地。 (写真は順に、各折れ曲がり地点です。)
 
・・・・・・・・・・・・・ここから、高架橋沿いに入って行く
 
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・・・・・・・・・・・・・・・チョイトした駐車場の脇に出て、再び路地に入る。 自動車は無理。
 
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・・・・・・・・・・・・・・横の路地では、不審人物の侵入を猫が見張っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・奥の細い道は、さらに続く
 
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・・・・・・・・・・・・・・・車の通れそうな道に出た。 “奥の細い道”も終わり。
 
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・・・・・・・・・・・・・・路地の裏の美しいフヨウ。
 
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●いくつかの一つ・・・・・・・・・・北千住周辺には、いくつかの“氷川神社”(氷川神社の数では都内随一らしい)がある。 その内の一つ仲町氷川神社は、足立区千住仲町にある氷川神社。 元は、牛田にあった氷川神社を元和2年(1616、江戸時代初期)に現在地へ遷座したそうで、それ以前は、延喜年間(901~923、平安時代)から牛田に鎮座していたそうだ。 由緒ある神社。
 
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・・・・・・・・・・・・・拝殿と本殿の間には、純金ではないと思うが、灯籠が新調されたようだ。 
 
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・・・・・・・・・・・・・拝殿の周囲には、チョイト古そうで、細工も素晴らしい鋳鉄製の柵が設けられている。
 
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●千住1丁目の建築・・・・・・・・・・まずは、三角屋根の玄関、下見板の壁、縦長の上げ下げ窓が、いかにも昭和の街の歯医者さん市川歯科医院。 歯が痛い人は、ぜひ診察を受けて、開業しています!
 
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・・・・・・・・・・・・・次の一軒は、路地裏の喫茶店「」。 建物に大倉屋質店と標されているように、質屋の蔵を改装した店舗。 この蔵が造られたのは、関東大震災後の昭和初期らしい。
 
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●遊女を供養する閻魔さま・・・・・・・・・・北千住駅の近い、真言宗豊山派の氷川山地蔵院金蔵寺。 この寺は建武2年(1335)の創建と伝えられ、御本尊は閻魔大王である。、、、、、本堂の閻魔さまは7月15日・16日の地獄の釜開きの縁日に会えるそうだ。 今日は閻魔さまも夏休みらしい。
 
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・・・・・・・・・・・・・寺の山門脇に2基の供養塔が並んでいる、左側の南無阿弥陀仏を刻んだものが千住遊女供養塔である。 千住宿の多くの飯盛旅籠に勤めそこで亡くなった遊女が当時 「投げ込み寺」であったここ金蔵寺に葬られたそうだ。 供養塔は、その薄幸な生涯を哀れみ供養するため建てられたものです。 石には、多くの遊女の戒名が彫られていた。、、、、右側の無縁塔と彫られた塔は天保餓死者供養塔。 歴史上有名な天保の大飢饉の犠牲者を祀っている。 この地では828人が亡くなったそうだ。
 
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●閻魔さまに振られ閻魔さまと密会・・・・・・・・・・・・金蔵寺の閻魔さまには振られたので、すぐ近くの勝専寺の閻魔さまとないしょで会ってきた。、、、、浄土宗寺院の勝専寺は、三宮神山大鷲院と号し、文応元年(1260)に草創されたといわれている。 勝専寺の本尊:木造千手観音立像は千住の地名起源とされている。 寺の本堂は明治39年(1906)の建設でコンクリート造で化粧煉瓦で覆われている珍しい建物である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・山門脇の閻魔堂に閻魔さまは住んでいる。 こちらの閻魔さまの御開帳は正月15・16日と7月15・16日である。 今日は、のぞき窓からパチリ撮影。
 
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●今日の散歩はココまで・・・・・・・・・・・・北千住駅から帰宅する。
 
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2018年7月11日 (水)

尾久三業地

南千住駅から三ノ輪橋に出て、都電で宮ノ前停留所にて下車、西尾久2丁目の町を行ったり来たり、最後は田端駅から帰宅。 9千歩の散歩です。
 
 
 
●・・・・・・・・・・・・南千住駅前、松尾芭蕉像から散歩はスタート。
 
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①公春院・・・・・・・・・・南千住1丁目の浄土宗寺院:公春院は、満海山千日寺と号し、浅草聖徳寺の末寺として、寛文10年(1670)に創建した。、、、、大正12年(1923)の関東大震災では、火災は免れたものの本堂、観音堂ともに傾き、昭和14年(1939)に現本堂が落成した。、、、、、かつて、公春院の境内に入ってすぐ左の角に大きな松があったそうだ。 昭和9年(1934)に枯死したため伐採され、残念ながら今はその跡はない。 明治42年(1909)頃撮影の写真が残っているだけだが、その大きさは、周囲はおよそ4m、高さ14mで樹齢は優に500年を超すものであったと言われている。 寺域について争いが立ったとき、このお寺の古いことの証拠になったため「証拠の松」といわれていた。
 
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三ノ輪橋停留場・・・・・・・・・・・現在は「梅澤写真会館」となった、昭和2年(1927)に竣工した旧王子電気軌道の本社ビル。 関東大震災後の東京では、鉄筋コンクリート造、3階建てのモダンなビルだった。 正面1階の通り抜けの奥に都電荒川線の“三ノ輪橋停留場”がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・『冷房の効いた電車にチョックラ乗ってみよう!』、、、、、、乗ってから、『行先の宛てもなく、どこで降りようか?』 
 
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③宮ノ前停留場・・・・・・・・・・・名が気にいった『宮ノ前』停留場で降りることにした。、、、、、“宮”とは尾久八幡神社を指す。
 
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④尾久八幡神社・・・・・・・・・・停留場の真ん前(西尾久3)にある、尾久八幡神社の創建年代は不詳だが、当地周辺が鶴岡八幡宮に寄進された正和元年(1312)頃に分霊を勧請したと、推定されている。 境内の広い、都心では大きな神社。、、、、、かつては神社の周囲に石神井用水を引き込んだ「八幡堀」が流れ、農業に活用された他、舟が入り込み交易も盛んであったといわれている。
 
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⑤碩運寺・・・・・・・・・・・・都電の線路を挟み尾久八幡神社の向かい(西尾久2)にある、曹洞宗の寺院:碩運寺(せきうんじ)は、慶長元年(1596)に創建したといわれている。 大正年間に本所石原町から当地へ移転した。、、、、、、大正3年(1914)に寺内に温泉が湧き、「不老閣」の営業を開始した。 ラジウム鉱泉で、周辺には保生館、清遊館、大河亭、小泉園などの旅館も開業し、都電の開通と相まって寺の周辺は温泉街として賑わい、商店街も形成したそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ところが、ギッチョン・チョン、これが始まりで、周辺の温泉旅館、商店街の発展は、尾久三業地(現:西尾久、料亭・芸者置屋・待合のあった所)発展の幕開けとなり、色街へと変わって行く。
 
・・・・・・・・・・・・・・昭和11年(1936)2月、陸軍将校のクーデターである2.26事件が起きる。 世の中は大きく変わって行くことになる。 その年の5月18日、尾久三業地の待合「満佐喜」で殺人事件が起きた。 粋で鯔背な格好の40歳代の遊び人:名は石田吉蔵(糞まじめな私とは似ていないようだ。)と、30代の玄人美人が宿泊した。 翌朝、女は外出したが、男は起きてこず、女中が部屋に確認に行くと、蒲団の中で死んでいた。 男の一物が切り取られ、太股には血で「定、吉二人」と書かれていた。 こうして、猟奇的殺人事件の幕が開いた。、、、、、これぞ有名な阿部定事件である。、、、、、この後、事件の顛末は、皆さん自分で調べて!
 
・・・・・・・・・・・・・・戦後、尾久三業地は周辺の工業化で地下水を汲み上げすぎて温泉は出なくなり、廃業していった。 (私も知らなかった戦前・戦後の話てある。)
 
 
⑥西尾久2丁目の三業地跡(?)・・・・・・・・・・現在は、三業地(碩運寺の南から東京女子医大東医療センターの西あたり?)の跡はなく、何処に何があったやら? 
 
・・・・・・・・・・・・・・女子医大通り
 
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・・・・・・・・・・・・・・女子医大通りから西の裏通りを歩いてみるが、、、、、もちろん、待合「満佐喜」はない。 色街の面影は皆無であった。
 
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⑦八幡堀跡・・・・・・・・・・・・・尾久八幡神社の周囲、碩運寺の前などに、江戸時代から大正時代まで、八幡堀という石神井川用水が流れていたそうだ。 その水路は今は無くなったが、町の裏道にタイルが埋め込まれ水路跡が標されている。 また水路跡の道が「すいろみち」として整備されている。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この後、明治通りを横切り、田端駅から帰宅。 
 
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2018年7月 9日 (月)

田端~鶯谷

山手線田端駅にて下車し、道灌山、谷中を歩き鶯谷駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①田端駅南口・・・・・・・・・・・・田端駅の西側は高台(道灌山)となって、崖下にホームがある構造となっている。 現在の田端駅は、北側の跨線橋:田端大橋 に面するメインの北口と、道灌山の崖にへばりつく小さな南口がある。、、、、、明治29年(1896)4月に日本鉄道の駅として開業した当時は、現在の南口付近から崖下に下った処に駅があったそうだ。(開業当時は北側の田端大橋はまだなかった。)、、、、、崖上のかわいらしい小さな駅舎で、売店、トイレなどは無い! 
 
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・・・・・・・・・・・・・・ホームから見上げる南口
 
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②道灌山・・・・・・・・・・・荒川区西端の西日暮里4丁目の台地は道灌山と呼ばれている。 上野から赤羽に続く山手台地の上にあり、太田道灌によって出城が造られた処と言われている。 眺望は良く、崖下には東北本線・東北新幹線などを見ることができる。 かつては、千葉県市川市の国府台あたりまで望むことができたそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・“道灌山”と言えば、東京大学合格者数日本一の名門:開成学園をイメージする人も多いはず、私もその一人。、、、、、古くは(明治・大正?)、東京の名門と言えば、“麻布・開成・京華”と言われたそうだ。 麻布・開成はナットク! 京華(けいか)は知らない? 京華は歴史ある学校で、私の母校だ、現在は二校にチョイト引き離されたが、今後に期待。(話がソレタ)、、、、、開成の「ペンは剣よりも強し」をデザイン化した校章はいいね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・開成中学校の隣りには、向陵稲荷神社がある。 開成中学校の敷地は、かって「ひぐらし公園」であった、そこに佐竹右京太夫の屋敷社であった稲荷神社が祀られ町の鎮守として崇められたそうだ。 その後、現在地にチョイト移動した。、、、、、開成中学と開成高校はこの神社前の坂:向陵稲荷坂の両側に位置する。
 
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③西日暮里の寺院・・・・・・・・・荒川区西日暮里3丁目のいくつかの寺院に寄ってきた。
 
・・・・・・・・・・・・・まずは、青雲寺、、、、、、、JR西日暮里駅の西側に位置する、臨済宗妙心寺派のの寺院。、、、、、重層造の本堂は昭和35年(1960)に建てられた。、、、、、本堂横には江戸時代の戯作者:滝沢馬琴筆塚の碑がある。 小さな字でゴチャゴチャ書いてあるので読めなかった。 今度、来るときは、ハズキルーぺを持ってこよう!
 
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・・・・・・・・・・・・・次は、ピンクの塀に囲まれた修性院、、、、、、日蓮宗の運啓山修性院は、天正元年(1573)豊島郡田中村(現:練馬区南田中)に創建、寛文3年(1663)に現在地に移転した。 谷中七福神の布袋尊が祀られている。、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・次は、法華宗の法光寺、、、、、、法光寺は、寛永3年(1626)赤坂一ツ木に創建、後用地となって承応2年(1653)四谷南寺町に移り、その9年後に又々用地となって市谷本村へ移転し、明治維新後現在地へ移転した。 度々の移転、これも仏の仕業か?
 
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・・・・・・・・・・・・・さてさて次は、南泉寺、、、、、、、臨済宗妙心寺派の瑞応山南泉寺は、元和2年(1616)に創建、将軍家光・家綱に仕えた老女岡野の遺言により貞享3年(1686)寺領30石の朱印状を拝領した。、、、、、境内は手入れが行き届いており、全体に美しさを感じる寺である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・南泉寺の「おまねぎ堂」、、、、、境内の隅にある祠、額には「おまねぎ」と書かれている。  庚申塚か、地蔵尊か、ナンジャ?、、、、扉は閉められているが、格子の隙間から覗いて、ビックリ、ニッコリ、コリャ楽し! 解説不用、一目瞭然! そうです、アレとアレとアレです。、、、、、、知識ある人の話では、これらは「お招き様」「お客神様」などと呼ばれ、江戸時代、商売繁盛を願い花街の遊女たちの信仰の対象であった。 おまけに、家内安全、夫婦和合、子宝成就などのご利益もあるね。 私も遅まきながら手を合わせてきた。
 
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④富士見坂・・・・・・・・・・・修性院と法光寺の間にある坂。 その名のごとく富士山が見える坂であったが、平成25年(2013)頃、高層ビルが建てられその姿は見えなくなった。、、、、しかし、煉瓦塀の細い坂道は、いまだ富士山が見えるような雰囲気を残している。
 
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⑤岡倉天心邸跡・・・・・・・・・・・・西日暮里から歩き「谷中ぎんざ」を横切り台東区谷中5丁目に入った。、、、、、我が国近代美術の先駆け岡倉天心邸の跡地は「岡倉天心記念公園」となり、園内の岡倉天心史蹟記念六角堂(昭和41年竣工)には平櫛田中作の金ぴかの天心座像が安置されている。、、、、、、純金の像みたいだが、本物なら公園の一角に監視なしで置いとかないだろう!
 
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⑥観音寺築地塀・・・・・・・・・・岡倉天心記念公園から、裏道(蛍坂)を歩き観音寺横に出る。、、、、、観音寺は明和9年(1772)の火災で灰燼に帰した後、文政年間(1818~1831)頃に再興された。 寺の築地塀は境内南面を画する延長37.6mの練り塀で、瓦と粘土を交互に積み重ねて造り、江戸寺町の面影を残している。 国の登録有形文化財。
 
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谷中霊園・・・・・・・・・谷中霊園を抜けて鶯谷駅に向かう。、、、、墓地のいくつかを紹介する。
 
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・・・・・・・・・・・・・・新国劇を創設した大正から昭和にかけて活躍した澤田正二郞(1892~1929)の墓。、、、、、私は澤田正二郎:本人を見たことがない。 私の知る新国劇と言えば、島田正吾・辰巳柳太郎の時代である。
 
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・・・・・・・・・・・・・お墓に機関車がある、コレは誰だ? 信州伊那郡の出身で、明治時代の実業家:今村清之助(1849~1902)の墓である。、、、、角丸証券の創設者。 明治の恐慌後、欧米を視察し帰国してからは、両毛鉄道をはじめ、九州・関西・参宮・山陽などの諸鉄道事業の発起に関わり、諸々の鉄道会社の重役となり、大株主となって、日本鉄道界の王者に君臨した。、、、、、石が新しいので、機関車は最近つくられたようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・おでん屋の娘(?)「高橋お傳」(1850~1879)の墓。、、、、“明治の毒婦”と呼ばれた、古着屋吉蔵殺しの犯人。 
 
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・・・・・・・・・・・・・谷中霊園にあって場違いな感じの墓は、あのニコライ堂で有名な、日本正教会創建者:ニコライ(1836~1912)の墓である。
 
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⑧鶯谷駅北口・・・・・・・・・・ラブホテル街を抜けて鶯谷駅に到着。 明治45年(1912)、東北本線の駅として開業した歴史ある駅。 
 
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2018年6月29日 (金)

熱中症の南千住

朝8時、東京の気温は28.6℃、これから散歩に出るにはチョイト厳しいかな(?)。 熱中症で行き倒れになると恥ずかしいしので躊躇した。 涼しい処を歩けばいいか! 勝手に決め込んで、浅草・合羽橋あたりをブラつく予定で家を出た。 歩きはじめると、暑い、汗も出てくる、コリャ、下手すると熱中症になるな。 イヤな予感がする。 急遽、屋根があり冷房している、樋口一葉の「一葉記念館」に行くことに予定を変更した。 
 
 
・・・・・・・・・・・・蔵前からバスに乗り東浅草(一葉記念館最寄りのバス停)で下車した。 降りたら、まだ8時20分。 行っても開いてないぞ、失敗・失敗!、、、、、『 後で気がつくてんかん病み 』(念のため、“てんかん”は病名で差別用語ではないとのこと)
 
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・・・・・・・・・・・・・・再び、次のバスに乗りとりあえず終点の南千住駅に到着。(念のため、“敬老パス”を持っているので、都内のバスは乗り放題)
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前で、西に行こうか東に行くか、それとも北か南か(?) 迷い、迷って、駅の東口へ。、、、、、鮮やかなスカイブルーの空には夏の雲、気温は30℃超、散歩する人影はない。
 
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・・・・・・・・・・・・・日陰を求め、常磐線の高架沿いに北千住方向に歩く。、、、、、、駅前のコンビニで買った飲料水「ソルティライチ」も半分程となる。 この飲料水、熱中症対策に効果があるそうだ、飲みやすくてGood!
 
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・・・・・・・・・・・・・・アジサイの花は茶色に変わり、梅雨の終わりを告げていた。、、、、、帰宅したら、東京は本日梅雨明けしたことを知った。
 
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・・・・・・・・・・・・・道を遮る護岸の上に、「隅田川橋りょう」の文字が見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・護岸沿いに歩き、山王清兵衛とばれ歯神:清兵衛を祀った日枝神社 の裏にでた。、、、、、清兵衛は歯の治療中なのかシートで覆われ工事中。
 
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・・・・・・・・・・・・千住大橋新橋(上り線)の下に出たので、チョイト螺旋階段で橋に上がってみた。、、、、、新橋は昭和48年(1973)に竣工した3径間連続鋼箱桁橋。 橋長は南千住交差点の陸橋部にも連続するため502.5mである。
 
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・・・・・・・・・・・・・新橋から見る常磐線隅田川橋梁
 
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・・・・・・・・・・・・・新橋の隣りには、昭和2年(1927)竣工の千住大橋旧橋(下り線)がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・千住大橋南詰にある屋敷神のような小さな南千住熊野神社。 熊野神社は、源義家が永承5年(1050)に勧請したと伝えられている。、、、、千住大橋を架けた文禄3年(1594)、伊奈備前守が当社に成就を祈願し、残りの材木で社殿修理を行なったことから、橋の架け替えに際しては祈願と社殿修理が慣例となっているらしい。 チャッカリした神社だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・8月頃咲くサルスベリの花が、もう咲いている。、、、、、サルスベリは熱中症になり、狂ったか(?)
 
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・・・・・・・・・・・・・そろそろ熱中症が発症する頃だ、頭の天辺は暑い、汗はダラダラ、ペットボトルはから。 ヤバイ!、、、、、、荒川区の郷土資料館「荒川ふるさと文花館」に避難することにした。 入館料100円の資料館で、もちろん冷房完備、休憩無料である。 郷土の歴史資料を見ながら、館内を散歩。(念のため、館内は撮影禁止) 冷えた麦茶などのサービスがあるといいのだが、無理だね!
 
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・・・・・・・・・・・・・熱中症の心配も和らぎ隣の素盞雄神社 (すさのおじんじゃ)に手を合わせて帰ることにした。
 
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・・・・・・・・・・・・・南千住駅に戻ってきた。 ここからバスで浅草橋の我が家まで帰宅。、、、、、今日は“熱中症”に振り回され、8千歩の散歩だった。
 
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2018年5月17日 (木)

町屋1丁目

荒川区役所前でバスを降り、区役所の北側 「荒川2丁目」と、町屋斎場の北側 「町屋1丁目」を中心にブラリブラリと散歩をしてきた。 帰りは京成町屋駅から帰宅。 9千歩。
 
 
 
①荒川区役所・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・「荒川区役所前」バス停で降りる。 三河島カトリック教会 の建物の前だが、今日は教会に寄らず、明治通りを横断し区役所の建物に向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・・昭和43年(1968)に建てられた地上7階/地下1階建ての荒川区役所本庁舎がある。 大成建設の設計・施工。 平成23年(2011)に耐震補強工事も終えた。、、、、、建物正面は明治通り側に向き、今の時期はツツジが彩を添えている。
 
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②「皇太子殿下御降誕記念」国旗掲揚塔・・・・・・・・・・・「荒川二丁目」停留所近くの、交番(現:荒川区峡田安全安心ステーション)脇に残る、昭和10年(1935)に建立された「皇太子殿下御降誕記念」のアールデコ風国旗掲揚塔。 「皇太子」とは今上天皇のことで、今上天皇が誕生したのは昭和8年12月23日である。 昭和8年は日本が国際連盟を脱退した年でもある。 地元商工会結成10周年記念に建てた、当時は国民の祝賀ムードも最高潮となったのであろう。
 
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③都電荒川線・・・・・・・・・・・・「荒川二丁目」停留場付近にて、、、、、線路の両側にはバラの花が綺麗に咲いている。
 
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●・・・・・・・・・・・都電荒川七丁目停留場から北へ200m程、京成本線高架橋をくぐるとスグ前が町屋斎場。
 
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④町屋斎場・・・・・・・・・・・町屋斎場(荒川区町屋1)は民営の火葬場・斎場。 平成6年(1994)に斎場棟や休憩室も含め全面改築された近代的な斎場である。、、、、、もう50年程前になるが、我が祖父母の火葬の時は、当時は寺社建築の様式を反映した木造の建物であった。 待合室の屋根越しに、焼いている白い煙が煙突から出るのが見え、その光景は強烈な印象となり残っている。、、、、、ここは史跡でもあり、『 町屋火葬場は江戸五三昧の歴史を伝える。江戸五三昧とは、千駄木(駒込)・桐ヶ谷(荏原)・渋谷(代々幡)・炮烙新田(葛西)・小塚原(千住)にあった火葬場をいう。小塚原の火葬場は寛文九年(1669)に下谷・浅草あたりの各寺院から移されたもので、火葬寺・火屋などともよばれた。明治二十年、周辺の市街化により廃止、二年後に町屋に移転した。一方、火葬場の増設許可が下り、同二十年、東京博善社が日暮里火葬場を新設。その後、同火葬場は町屋火葬場の隣地に移ることになり、同三十七年の移転とともに、町屋火葬場と合併した。』と標されている。
 
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⑤町屋1丁目の町・・・・・・・・・・・町屋斎場の北側に広がる町。 町中の道路は整理されておらず迷路状態。 住宅兼工場の町工場が多い町。 「朝鮮会館」なる建物もあり朝鮮系の人も居るようだ。 韓国系の人も居るだろう。 高齢者も多そう、デイサービスの送迎車が行ったり来たり。
 
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⑥町屋の一本松跡・・・・・・・・・・・公園「一本松グリーンスポット」(町屋1-9)の一角に、「町屋の一本松」の跡がある。 「一本松」は第二次世界大戦によって枯れてしまい、現在は二代目の松が跡を継いでいる。、、、、町屋の一本松は、元禄6年(1693)に町屋村と三河島村との境に植えられたそうだ。 一本松の根元には、寛文8年(1668)9月吉日銘の庚申塔が残されている。、、、、今の町の姿からは想像しにくいが、この辺りは江戸の町からはずれた農村だったであろう。
 
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⑦京成電鉄 町屋駅 ・・・・・・・・・・・町屋1丁目の町を巡り、京成電鉄 町屋駅に着いた。、、、、、昭和6年(1931)12月19日、京成電気軌道(現:京成電鉄)の町屋駅が開業した。 島式ホーム1面2線を有する高架駅である。、、、、都電荒川線の町屋駅前停留場は高架ホームから見下ろすことができる。 東京メトロの町屋駅はチョイトしか見えない!(地下鉄だからね。)、、、、、都電の停留場は大正2年(1913)に稲荷前停留場として開業した。 東京メトロの町屋駅は昭和44年(1969)の開業である。
 
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2018年5月 1日 (火)

目黄不動 (永久寺)

今日は5月1日、いみじくも『目の日』(?)である、英語で『May Day』と書く。 江戸五色不動巡りも今日が最後の6番目で、目黄不動の永久寺(台東区三ノ輪)へ行ってきた。
我が家のある浅草橋は台東区の南端、目黄不動の三ノ輪は北端で、台東区を南北に縦断し、さらに帰りは日暮里に出たので、1万3千歩の散歩となった。 
 
 
 
①浅草橋から浅草へ・・・・・・・・・・我が家から三ノ輪に出るには、江戸通り・国際通りを歩けば、最短時間、最短距離で到達できる。 今日もこのルートで三ノ輪へ向かうことにした。
 
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②感應稲荷神社・・・・・・・・・・・国際通りに面し、浅草ビューホテルの南側にある稲荷神社。 感應(かんのう)稲荷神社の創建年代は不詳であるが、武蔵野国豊島郡江戸郷芝崎(現:千代田区大手町)に鎮座していたが、二度の遷座を経て、明暦3年(1657)に現在地(台東区西浅草3)に鎮座された。、、、、、かなり小さな神社で、わざわざいくほどの神社ではない! 行ってガッカリ、見てガッカリ、腰はギックリ、最後はポックリ。
 
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③西徳寺・・・・・・・・・・・お酉さまの鷲神社の斜め前、国際通りに面して真宗佛光寺派寺院の光照山西徳寺がある。、、、、、西徳寺は、当時新興都市であった江戸の出張所として、京都五條坊門にあつた寺跡を移し寛永5年(1628)金助町(本郷付近)に創建された。 ところが、その後わずか50年の間に3回の火災に見舞われてしまう。 その中には八百屋お七で有名な「振り袖火事」も含まれているが、そのたびごとの再建で、すっかり疲弊してしまう。 そこで、疲れた住職・檀信徒が協議の上、当時まだ江戸郊外であった現在地(台東区竜泉1)に移転した。時は天和3年(1683)のことであった。 しばらく落ち着いていたが、大正12年の震災では、堂宇は全滅し廃墟と化した。 こうした困難の中、再び檀信徒一同立ち上がり、直ちに本堂再建に向かい昭和5年(1930)5月に、現在の本堂が鉄筋コンクリート造で再建された。 参詣席は当時としては珍しい椅子式である。
 
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飛不動 ・・・・・・・・・・・鷲神社の北には、パイロット、キャビンアテンダント(CA)など、空を飛ぶ人に愛されている飛不動正宝院がある。 正宝院は、享禄3年(1530)の創建といわれる修験寺院。 当寺の住職が大和国大峰山に不動尊像を持って修行に行ったところ、不動尊は一夜にして当地へ飛びかえり、人々に御利益を授けたことから、江戸時代初期には「飛不動」と称された。、、、、、飛行機が怖い私。 飛行機に乗ると、スチワーデスが観音さまに見え、私にはお不動さまより、スチワーデスに守られているように思える。 美人であればあるほど御利益ありそうだ。、、、、ところで、平成10年(1998)で、スチワーデスの呼称は廃止され、CAに変わってしまった。 昔の呼称の方が良かった、スチワーデスが好きだ!
 
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⑤目黄不動(永久寺)・・・・・・・・・・国際通りが昭和通り(日光街道)にぶつかる大関横丁交差点。 交差点の地下は東京メトロ日比谷線三ノ輪駅。 この交差点から30m程東によると養光山永久寺がある。、、、、、永久寺は現在天台宗の寺であるが、真言宗の寺として開創したが衰退し、再興して禅宗の寺「白岩寺」と改めたが再び衰退。 寛文7年(1667)に中興し永久寺と称した。 元禄年間には日蓮宗の蓮台寺と改宗したが、後に天台宗に改め養光山永久寺として再び中興した。 なんとも節操がない、信念がない、変遷の多い寺だ。、、、、、、境内はさほど広くはなく、モダンな本堂の建物が道路際まで建てられている。 山門と呼ぶような門はなく、住宅のような構えで通り過ごしてしまうかも。 本堂も、見えるところに賽銭箱などもなく、どこで手を合わせるのか、判りまちぇ~~ん?
 
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・・・・・・・・・・・・・本堂の横に不動堂があった! 小さな穴から中を覗くと、目黄不動尊が安置されていた。、、、、、見たかぎりでは、お不動さまは黄疸ではないようだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・これで、江戸五色不動の五色・六寺は全て巡った。 満願成就で、ジャンボが当たる! 私も、まもなく億万長者になるであろう。
 
・・・・・・・・・・・・・・ちなみに、江戸五色不動で巡った寺は、、、、、目青不動 (教学院:世田谷区太子堂)、目白不動 (金乗院:豊島区高田)、目赤不動 (南谷寺:文京区本駒込)、目黒不動 (瀧泉寺:目黒区下目黒)、目黄不動(永久寺:台東区三ノ輪)、目黄不動(最勝寺:江戸川区平井)の6寺。
 
 
⑥日暮里駅まで歩く・・・・・・・・・・・・暑い、暑い、散歩だった!
 
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2018年4月 6日 (金)

浅草橋~梅島

今日は、散歩をはじめた原点に立ち戻り、“健康のため”速足で、チョイト遠くまで歩いてきた。 浅草橋の我が家から、国際通り、日光街道、墨堤通りを通り、東武伊勢崎線の梅島駅まで、1万7千歩の散歩です。
 
 
 
● a.m.7:36・・・・・・・・・いつものように浅草橋駅から出発。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・浅草橋は、お江戸日本橋と浅草観音様のちょうど中間に位置し、秋葉原の隣りでもあり、成田・羽田の空港には乗り換えなしの電車で一本、スカイツリーも地下鉄で4駅目、東京・上野駅までは15分新幹線に乗るのも便利、外人さんが好きな“下町”のド真ん中、など、地の利に恵まれている。 浅草橋駅周辺は只今ホテル建設が盛んで、駅の裏道を入る我が家の近くでも建設中。、、、、帽子好きのおばさんが経営する〇パホテル、店名に地名を並べたがる〇横イン、道順が判りにくいルー〇イン、など、ビジネスホテルがめじろ押し。、、、、ちなみに浅草橋駅から東武浅草駅まで、この間ビジネスホテル・旅館は30軒以上ある。 数えてみたが途中でやめた!
 
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● a.m.7:46・・・・・・・・・蔵前一丁目交差点を通過。、、、、交差点の南西角に「天文台跡」の案内板がある。 この付近に、江戸時代後期、幕府の天文・暦術・測量・地誌編纂・洋書翻訳などを行う施設として、天文台がおかれていたそうだ。 現在はスモーカの喫煙所である。
 
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● a.m.7:48・・・・・・・・・蔵前一丁目交差点の北側100m程の処で、国道6号(水戸街道、江戸通り)から都道462号(国際通り)が分岐する。 写真:右に向かう国道6号、左に進む都道462号。
 
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● a.m.8:08・・・・・・・・・国際通りと雷門通りがT字型に交差する、雷門一丁目交差点を通過。 正面に見えるスカイツリーも、今日は私の頭の中と同じで、薄ぼんやりしている。
 
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● a.m.8:16・・・・・・・・・国際通りの名となった「国際劇場」の跡地に建った「浅草ビューホテル 」。 国際劇場は昭和57年(1982)に閉鎖された。 既に30数年が過ぎ、劇場を知るのは高齢者となった。 ビューホテルも建てられてから今年で33年、既に浅草のシンボル的建物として定着している。、、、、SKDのラインダンス、もう一度、生で見たいね!
 
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・・・・・・・・・・・・浅草ビューホテル前の植え込みには、サツキだかツツジだか判らんけれど咲いていた。
 
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● a.m.8:33・・・・・・・・・11月「酉の市」で賑わう鷲神社 (おおとりじんじゃ)前を頭を下げて通り過ぎる。
 
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・・・・・・・・・・・・・鷲神社前の国際通りのサクラは、只今満開。 薄緑の葉も光を透し、いいね!
 
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● a.m.8:44・・・・・・・・・東京メトロ三ノ輪駅の頭上で、国際通りは昭和通りにぶつかる。 ここで国際通りは終わる。、、、、、これより、昭和通り(国道6号、日光街道)を歩く。
 
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● a.m.8:55・・・・・・・・・三ノ輪駅北側の浄閑寺(じょうかんじ)に立ち寄る。 吉原遊廓で亡くなった遊女がここ浄閑寺に投げ込まれた。 その遊女を弔う新吉原総霊塔がある。 チョイト、懇ろに手を合わせて行く。、、、、、「生まれては苦界 死しては浄閑寺」の花又花酔の句。
 
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・・・・・・・・・・・・・寺では法事が行われているようだ、我、静かに立ち去る。
 
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● a.m.9:10・・・・・・・・・荒川区内で広い氏子域をもつ素盞雄神社 (すさのおじんじゃ)の前を素通りするかと思ったが、花の彩に誘われてチョイト参拝して来た。
 
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● a.m.9:17・・・・・・・・・千住大橋を渡り足立区に入る。、、、、、昭和2年(1927)に竣工した、隅田川に架かる復興橋のひとつ。 現在は東側(下流側)に新橋が並行して架けられ、上下線が分離している。
 
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● a.m.9:25・・・・・・・・・京成本線千住大橋駅 を通過。
 
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● a.m.9:25・・・・・・・・・千住宮元町交差点にて、日光街道から墨堤通り(都道461号)に入る。
 
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● a.m.9:53・・・・・・・・・千住桜木交差点にて、墨堤通りは尾竹橋通りにぶつかり、ハイ・ココまでヨ~~。
 
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● a.m.9:57~10:04・・・・・・・・・西新井橋 で荒川を越える。、、、、ビニール袋が風に舞う橋上では、か弱い私も飛ばされるようであった。 
 
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● a.m.10:10・・・・・・・・・西新井橋北詰にて、尾竹橋通りから外れ、裏道を東武伊勢崎線の梅島駅へ向かう。、、、、、本当は、西新井駅まで行きたかったが、ここからまだ45分以上かかると見込まれ断念した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・梅島駅に向かい、ひたすら歩く、歩く、歩く。
 
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● a.m.10:33・・・・・・・・・梅島駅 に到着。 1万7千歩の散歩もここで終わり。
 
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