渋谷区

2017年4月24日 (月)

南台

地下鉄丸ノ内線の終点方南町駅(杉並区)から、中野区の南端の町「南台」をぶらつき、隣の渋谷区本町5丁目まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
方南町駅 ・・・・・・・・・・・丸ノ内線分岐線の終点は「方南町(ほうなんちょう)駅」。 駅のある杉並区の町名は「方南(ほうなん)」。、、、、駅周辺の一帯は和田村と称し、字(あざ)として“方南”、“向方南”などが見られた。 地名“方南”の由来は不明であるが、昭和7年(1932)の杉並区発足時には、字方南と周辺の字を併せて「方南町」となった。 この町名も昭和41年(1966)に実施された住居表示では、“町”をはずして「方南」となる。、、、、“ほうなんですか?” “ほうなんです。”
 
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・・・・・・・・・・・・駅前の有名な立ち食いそば屋のある東口から地上に出た。 アーケード下の薄暗い出入口である。
 
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②南台・・・・・・・・・・方南町駅を出て東に100mも歩けば、そこは中野区南台の町。 「南台(みなみだい)」とは、中野区の南の台地の意である。 昭和42年(1967)の住居表示変更以前は、“前原”、“多田”、“雑色”などの、由緒ある地名であったが、古きを捨て、新しき陳腐なネーミングを採用した。
 
・・・・・・・・・・・・南台5丁目、小高い丘の上に2棟46戸程の集合住宅:東京都住宅供給公社雑色住宅が建っている。 昭和37年(1962)頃(?)の建築。、、、、名前の“雑色”はかつての地名である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・南台5丁目を流れる神田川 に、昭和34年(1959)に架けられた向田橋。、、、、向田橋は中野区に架かる最上流の橋。 “向田”も付近の旧地名である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・南台3丁目の多田神社。 神社は、寛治6年(1092)源義家が大宮八幡宮(杉並区大宮2丁目)に参詣のおり、当地に先祖多田満仲(=源満仲。 平安中期の武将。 多田源氏の祖)を奉祀したことに始まるそうだ。、、、、、神社のある地は、かつて“雑色”と呼ばれ、多田神社は雑色の鎮守として現在もあがめられている。 ちなみに、“雑色”とは、皇室の文書や道具類を納める倉を管理したり、皇室行事の実施を担当する役所で働いていた人々のことである。 現在の宮内庁職員。
 
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・・・・・・・・・・・・・・南台3の南台小学校は、旧多田小学校と旧新山小学校が、今年4月に統合して誕生した学校である。 校舎は旧多田小学校を使用。、、、、、ここでも、歴史ある“多田”、“新山”の旧地名が消える!
 
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・・・・・・・・・・・・・・中野通りを挟み南台3丁目から300m程伸びる南台商店街。 大きな店舗はないが、東京オリンピックの年(1964)からスタートした元気そうな商店街。、、、、そろそろ、店を開ける時間だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・中野通りに面し南台2丁目にある、昭和44年(1969)に建てられた都営南台2丁目アパート。 外壁にタイルで書かれたアパート名が時代を思わせる。 管理戸数は1棟56戸。、、、、、今日は、チョイト、中に入れてもらった。、、、、、7階から見る新宿。 見晴らしは抜群、新宿の超高層が一望できる!
 
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・・・・・・・・・・・・・南台1丁目にある国立校:東京大学教育学部附属中等教育学校。 前身は昭和23年(1948)に発足した東大附属学校。 平成12年(2000)から、中・高一貫教育の中等教育学に変わった。、、、、ここには、ソーセージ枠なるものがある。、、、、ソーセージ(双生児)枠とは、中等教育における双生児研究を実践するため、毎年1組~10組程度の双生児が入学している。 1学年定数120名(男子60名、女子60名)のうち男女それぞれ20名以内が双生児枠。、、、、、ぜひ、天才双生児を育成し、ザ・ピーナッツを復活して欲しいね。
 
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③幡ヶ谷氷川神社・・・・・・・・・・・・南台から隣の渋谷区本町に入り、氷川神社にお立ち寄り。、、、、氷川神社の創建年代は不詳だが、永禄年間(1558~1570)の小田原北条家文書に記載されていることから戦国時代には創建されていたそうだ。 幡ヶ谷村の鎮守社。
 
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●・・・・・・・・・・・氷川神社の近く「本町五丁目」バス停から、渋谷区のコミュニティバスで笹塚駅に出て帰宅。、、、、バスを待つ人もなく、ゴミ箱と椅子が並ぶ、静かなバス停。
 
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2017年3月16日 (木)

信濃町~渋谷

信濃町駅から神宮前を抜けて渋谷駅まで、1万2千歩の散歩です。
 
 
①信濃町駅・・・・・・・・・・・明治27年(1894)10月9日の甲武鉄道新宿~牛込(現:飯田橋駅の西側)間開通と同時に開業した。 島式ホーム1面2線の地上駅で、ホーム上部に駅ビルがある。 改札口は駅ビル1階にあり、外苑東通りに面している。、、、、、駅ビルは平成5年(1993)に竣工した地上6階・地下2階建て、設計は岡田新一(岡田新一設計事務所)。、、、、、写真:駅ビルの裏側に某宗教団体の本部があり、駅ビルと向かい合って慶應大学附属病院があり、乗降客の多い駅である。 ついでに、写真を撮った位置には、かつて滝沢馬琴(1767~1848、南総里見八犬伝の著者)が住んでいた、四谷組同心屋敷があった。 馬琴はここで、最後の12年間を暮らした。 
 
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②聖徳記念絵画館・・・・・・・・・・神宮外苑のシンボル的な建物で、幕末から明治時代までの明治天皇の生涯の事績を描いた歴史的・文化的にも貴重な80点の絵画を展示している。、、、、、大正8年(1919)に着工し、大正15年(1926)10月22日に竣工した、鉄筋コンクリート2階建て、ドームの頂上までの高さは約32m、幅約112m、奥行約34mの建物である。 設計は公募にて大蔵省臨時建築部技手・小林正紹(まさつぐ)の案が採用され、施工は大倉土木(現:大成建設)が請けた。 外観は花崗岩貼りで、中央にドームを戴く左右対称のデザインでまとめられている。 左右対称のデザインは国会議事堂などと同じように大正時代の流行であった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・内部には、大理石、モザイクタイル、石膏彫刻が多用され荘厳な雰囲気が漂っている。 (内部は撮影禁止のため、6年前の写真を借用)
 
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・・・・・・・・・・・・・絵画館の真後ろには、中央に楠の大木が植えられた、葬場殿趾の円壇がある。、、、、これは、明治天皇の葬儀がこの場所(当時の青山練兵場)で行われた際、棺が置かれた葬場殿の址である。、、、、なんと、ここは重要文化財であった。 なんで、ここが? 答えは簡単! 重要文化財の本体は絵画館であって、この円壇はその付属として位置づけられているそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・絵画館前の植え込みの中に「樺太国境画定標石」のレプリカが残されている。、、、、、日露戦争に勝利した日本は、その後の明治38年(1905)、ポーツマス条約により樺太の北緯50度以南を日本が領有することとなった。 翌明治39年から明治41年にかけて国境に17基敷設された標石のレプリカで、当時の樺太庁が作成し外苑に寄贈したものである。、、、、、菊の紋が標された本物の標石は、今、どうなっているのか?
 
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③明治神宮野球場・・・・・・・・・・大正15年(1926)に開場した、六大学野球の聖地。 私も母校の応援に行ったのを思い出すが、優勝して飲み会をしたという記憶はない! この頃(学生時代)は、野球より、女の子に興味があったから、応援にかこつけた、ナンパだった。
 
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④高徳寺・・・・・・・・・・・都立青山高校に近い港区北青山(熊野通り)にある浄土宗の寺院。 若い人が多いアパレル関連の会社が並ぶ通りから少し入ると、正面に本堂が、右に河内山宗俊の碑(墓もある)が、左に積み重なった石仏の山が見える、まさに都会の癒しスポットと云うような寺である。、、、、、高徳寺は、晃誉上人居的和尚(元和9年(1623)寂)が開山となり、天正7年(1579)に創建した。、、、、今流のおしゃれな通りに、歴史の香りが、チョイト、ミス・マッチ。
 
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⑤熊野神社・・・・・・・・・渋谷区神宮前、キラー通りに近い処に、青山の鎮守さま熊野神社がある。 元和5年(1619)に徳川頼宣によって勧請。 徳川頼宣の邸内(現:赤坂御所)に奉斎されていた御宮を、正保元年(1644)に現在地に移した。、、、、境内には、5階建ての賃貸ビルを所有しており、商売繁盛の御利益を自ら享受しているようだ。
 
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⑥東郷神社・・・・・・・・・・・・・・神社が続く、原宿の竹下通り裏に鎮座する東郷神社。 日露戦争で連合艦隊を率いてバルチック艦隊を破った、東郷平八郎を祀り、昭和15年(1940)に御鎮座祭がおこなわれた神社。、、、、社殿は昭和39年(1964)に再建された、鉄筋コンクリート造。、、、、ここは、“勝利の神様”。 勝負の前に手を合わせ、必勝パターンで! ただし、賽銭はチョイト奮発すること。
 
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⑦長泉寺・・・・・・・・明治通り沿いにある、曹洞宗の長泉寺。 寺は、かつて隠田に古刹寺院があり、観音堂のみ残っていたところ、上渋谷村の名主田左膳義直が、観音堂の本尊を自宅に遷し草庵として天文15年に僧春的を招聘、文禄元年には青松寺七世瑞翁(慶長9年寂)がこの草庵を譲受、慈雲山長泉寺と号し開山したといいます。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・長泉寺には、なんと! 山手線の土手を背にして2百体以上の石仏が並んでいる。 お寺近くに祀られていた地蔵尊、観音様が、土地の造成などで、ここに集められたらしい。、、、、、玄関先にでも飾るインテリアとして石仏一体欲しいね! こんだけあれば、一体ぐらい無くなっても、、、、『コラ! 罰当たりが!』
 
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2016年11月18日 (金)

明治神宮

明治神宮と周辺をブラブラ、代々木駅からお隣の原宿駅まで、1万2千歩、8kmの散歩です。
 
 
①代々木駅・・・・・・・・・・明治27年(1894)10月9日、甲武鉄道新宿~牛込間が開業した、この時にはまだ代々木駅はなく、明治39年(1906)9月23日に甲武鉄道(現:中央線)の駅として開業した。 しかし直後の同年10月1日には国有化された。 この時点では、山手線は通過していた。 山手線が代々木駅に停車するのは明治42年(1909)12月16日からである。、、、、、2面2線の相対式ホームに挟まれて1面2線の島式ホームがあり、全3面4線の高架駅。 ホームの北端から、隣新宿駅の成田エクスプレスと東武線直通特急が発着する5・6番線ホームまでは150m程しか離れていない。 いずれ、両駅はくっついて「代々宿」駅となるかも?
 
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②青山街道・・・・・・・・・・代々木駅西口の駅前交番の横を千駄ヶ谷駅方向に向かうと、山手線が走る煉瓦造りの「青山街道架道橋」(大正10年(1921)頃の竣工)がある、その先に山手貨物線の「青山街道踏切」がある。 山手“貨物線”と言っても実態は、埼京線、湘南新宿ライン、成田エクスプレスなどが頻繁に走る線である。 カン・カン・カン・カンと警報がよく鳴る、チョイとうるさい線。、、、、ところで「青山街道」とは、青山学院大の通学路? 調べてみた、、、、、大山詣でに利用する、大山街道の一部。 赤坂御門を起点とし、青山、渋谷、三軒茶屋を経て、大山に向かう街道。 西に向かっては厚木街道、東に向かっては青山街道とも呼ばれていたそうだ。
 
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③裏参道架道橋・・・・・・・・・・・その名のとおり、明治神宮裏参道の手前に位置する架道橋。 山手線と山手貨物線の4本を通す架道橋。 大正10年(1921)頃の竣工と思われる。
 
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④神社本庁・・・・・・・・・・・明治神宮裏参道前に黄色く染まったイチョウが並ぶ、その木立の後ろに神社本庁がある。 神社本庁は、伊勢神宮を本宗とし、日本各地の神社を包括する日本で最大の宗教法人。 日本全国約8万社の神社をメンバーとする宗教法人で、都道府県ごとに神社庁を置いている。 神社本庁では、包括下の神社の管理・指導、神社神道の宣揚・神社祭祀の執行・信者の教化育成・本宗である伊勢神宮の奉賛・神職の養成・冊子の発行頒布を通じた広報活動などを行っている。 ちなみに、全国の神社で得られる神宮大麻(天照大御神の札)の初穂料については、収入の半分が神社本庁、残り半分が伊勢神宮の収入となり、神社本庁だけで年間35億円ぐらいあるそうだ。(スゲェ~!)
 
・・・・・・・・・・・・・・・神社本庁前のイチョウ。 黄葉が美しい!
 
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・・・・・・・・・・・・・・神社本庁は静かに初穂料の勘定でもしているのかな?
 
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⑤明治神宮・・・・・・・・・・明治神宮は、明治天皇と昭憲皇太后を祭神とする神宮である。 大正9年(1920)11月1日に鎮座祭が行われた。 この地にはかつて近江彦根藩井伊家の下屋敷のあった場所で、明治維新後に井伊家から政府に対して献上されたものである。、、、、秋の彩を求め森の中を歩いてきた。
 
・・・・・・・・・・・・・・北参道
 
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・・・・・・・・・・・・・・大正10年(1921年)に竣工した、鉄筋コンクリート造の宝物殿(国の重要文化財)は工事中。
 
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・・・・・・・・・・・・・・秋の境内
 
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・・・・・・・・・・・・・・社殿、、、、、本殿は大東亜戦争末期の昭和20年(1945)、空襲によって焼失した。 その後全国から復興資金が寄せられ、仮殿が翌昭和21年(1946)に建設された。 現在の本殿はその後、国内外からの寄付などによって造営が進められたもので、昭和33年(1958)に還座祭が行われた。(本殿は撮影禁止)、、、、、自撮り棒を持つ観光客を避けて撮影する難しさを体験!
 
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・・・・・・・・・・・・・・木造の明神鳥居では日本一を誇る大鳥居。、、、、高さ12m、柱の径1.2m、昭和50年(1975)竣工。
 
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・・・・・・・・・・・・・・南参道を歩き、山手線を跨ぐ神宮橋に出た。、、、、、、神宮橋は、大正9年(1920)に鉄骨を使用したコンクリート桁の陸橋として完成した。 その後、劣化により、昭和57年(1982)に、現在の橋に架け替えられた。
 
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⑥国立代々木競技場・・・・・・・・・・ご存じ、“世界の丹下健三”の設計による東京オリンピックの競技会場。 昭和39年(1964)9月、オリンピック開催の39日前に竣工した。 オリンピックでは、第一体育館(当時:本館)が水泳競技、第二体育館(当時:別館)はバスケットボールが実施された。、、、、、、、今日は、両体育館を一回りしてきた。 まだまだ使える、素晴らしい建築である!
 
・・・・・・・・・・・・・・第一体育館、、、、、、、13,291名を収容できる巨大空間を2本の主柱と2本のワイヤーで創っている。 吊り屋根式構造で、曲線のシルエットが美しい体育館。 清水建設の施工。 地上7階/地下1階建て。
 
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・・・・・・・・・・・・・・第二体育館、、、、、、、こちらは、3,202名収容の空間を、円形の外周に建つ1本の主柱から、円形にワイヤーが張られ屋根を造っている。 大林組の施工。 地上1階/地下1階建て。、、、、、観客が少なく、チョイと寂しいバスケットの試合が行われていた。
 
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⑦岸記念体育館・・・・・・・・・第二代大日本体育協会会長岸清一の遺言により100万円が寄付されて昭和15年(1940)にお茶の水に建設された。 その後、オリンピック開催に合わせ、昭和39年(1964)に代々木競技場の隣に移転した。 日本スポーツ界の総本山みたいなところだ! 2020年オリンピックを機に、再び大きなビルに移転するそうだ。 なんだか、オリンピックごとに、大きくなるような気がするね。、、、、、、その昔、お茶の水にあったころは木造2階建ての会館で通学時には総武線の車窓から見えた。私は、“岸首相はこんなところにも影響力があるんだ”と思い込んでいた。(はずかしながら!) 体育協会の“岸”さんは、岸首相とは無関係で、島根県出身の弁護士、法学博士、貴族院議員、昭和8年(1933)に没した。
 
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⑧五輪橋・・・・・・・・・神宮橋の隣に架かる跨線橋。 昭和39年(1964)の東京オリンピック の水泳競技メイン会場である、国立代々木競技場と表参道を、神宮橋を迂回せずに直線的に結ぶため造られた。、、、、オリンピックの7か月前、昭和39年(1964)3月に竣工。
 
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原宿駅 ・・・・・・・・・・・・原宿駅の改良工事が予定されているが、現駅舎はどうなることか?
 
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2016年9月25日 (日)

代々木上原~参宮橋

小田急線代々木上原駅から参宮橋駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。
 
 
①代々木上原駅・・・・・・・・・昭和2年(1927)4月1日、小田原線(新宿~小田原)の開通と同時に代々幡上原駅として開業し、昭和16年(1941)10月15日に代々木上原駅に改称した。 昭和52年(1977)10月、島式ホーム2面4線の高架駅となり、翌年には地下鉄千代田線との相互直通運転が始まる。、、、、開通時、駅付近の地名は「東京府豊多摩郡代々幡村大字上原」であった、現在の駅舎の住所は「東京都渋谷区西原」、高架橋の南側は「渋谷区上原」である。 “代々木上原”の地名は無い!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・高架下は、飲食店を中心とした商業施設が設けられている。 朝は、まだシャッターが下り営業前の店ばかり。
 
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②上原1丁目・・・・・・・・・・駅の南側、上原の町は、起伏が激しい土地で、急な坂や丘が多く、曲がりくねった道路、行き止まり、狭い一方通行と、迷路のような道が多い。 1丁目の南側には井ノ頭通りがあり、道路の向こうは上原2丁目、セレブの町と聞いた。、、、、、今日は1丁目をブラブラ。
 
・・・・・・・・・・・・・・駅前の坂の上に建つ住宅:N邸。、、、木造2階建ての小柄な住宅、下見板張りの外壁に窓は、昭和初期の建物か?
 
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・・・・・・・・・・・・・・IG邸、、、、、塀の外から眺める洋館風建物。
 
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・・・・・・・・・・・・・坂の多い町で、数か所の擁壁には煉瓦の廃材が使用されていた。 関東大震災で壊れた構造物の再利用か(?)、、、、デザインとして見ると、面白いものだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・美容院の脇を入り、畳屋の脇に出た。、、、、、昔だったら、髪結いの姉さんと畳屋の若旦那が、夜ごと通った細い路。
 
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・・・・・・・・・・・・・曲がりくねって、井ノ頭通りに出た。、、、、通りの向こうは上原2丁目、セレブの町は次回の楽しみにして、今日は横断せずに上原1丁目に戻る。
 
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③小田急線跨線橋・・・・・・・・・・・・・・上原1丁目、住宅地の裏道、正面に跨線橋が見えた。、、、、あそこに行けば、小田急線が見えるとワクワク・ドキドキ・シメシメ、足も速くなる!
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・・・・・・・・・・・・・そこは、小田急本線の間に、地下鉄千代田線が顔を出すところ。、、、、電車を見て満足するのは、2歳の孫(小鉄)とほぼ同レベルの鉄道オタク。
 
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代々木八幡宮 ・・・・・・・・・・・代々木八幡駅の北側に、小高い丘がある。 この丘の上に代々木八幡宮がある。 建暦2年(1212=鎌倉時代)に源氏の守り神である鶴岡八幡宮の分霊をまつり創建した村社。、、、、、チョイとした階段を上り、玉石を敷き詰めた参道を歩き、拝殿に向かう、このアプローチは厳かな気持ちになり、いい雰囲気を醸しだしている。、、、、、境内では、氏子の方々が提灯をだし、祭礼の準備中。 
 
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⑤福泉寺・・・・・・・・・・代々木八幡宮とは地続きで、かつて代々木八幡宮の別当寺であった天台宗の福泉寺。 創建年代は不詳であるが、建暦2年(1212)に代々木八幡宮を創建したとき、同時に庵を創建したそうだ。 江戸中期に天台宗として中興されたといわれている。、、、、参道には、1700年代(江戸時代)の庚申塔が並んでいる。 また境内では、苔の衣を身に着けた多くの地蔵さんが迎えてくれる。、、、、本堂は、戦災で焼失し、昭和34年(1959)に再建された。
 
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参宮橋駅 ・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)4月1日に開業した、相対式ホーム2面2線の地上駅。
 
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2016年7月29日 (金)

千駄ヶ谷~原宿

梅雨が明け、いよいよ猛暑の季節が到来した。 今朝から気温は上がり32℃。 散歩も、ダラダラと流れる汗との戦いになった。  猛暑との戦いの初戦は、JR中央線千駄ヶ谷駅から、山手線原宿駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。
 
 
①千駄ヶ谷駅・・・・・・・・・・千駄ヶ谷駅は、明治37年(1904)に甲武鉄道の駅として追加開業した。 ホームは盛土上に、島式1面2線の構造であるが、東京オリンピックの時に、新宿方面行きの臨時ホームが設けられた。、、、、、2020年のオリンピックを迎えるため、現在は使用されていない臨時ホームを新宿方面行きの専用ホームにし、改札口/コンコースは拡張し、ゆとりある駅にする改良工事に着手した。
 
・・・・・・・・・・・・・・首都高4号線の高架下、たった一カ所の改札口(出入口)は、高速に拘束され、狭い空間のせせこましい駅。
 
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・・・・・・・・・・・・・・現在、使われていない臨時ホーム。 昭和39年(1964)に造られたホームは、屋根もなくボロボロ。 このホームが新宿方面行きの専用ホームに改良される。、、、、、、ホームの後ろには並行して首都高4号線が走っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・かつて、臨時ホームに出る、2カ所の階段。、、、、もちろん!改良し、新しくなる階段にはエスカレータも併設される。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・現在の島式ホームは、御茶ノ水方面行き専用ホームとして残る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・ホーム中央の水飲み場は、近くの日本将棋連盟本部に因み、王将の駒がデザインされている。、、、、、余談だが、「餃子の王将」の本社は京都、千駄ヶ谷駅とは無関係。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・次の写真は、信濃町駅から千駄ヶ谷駅に向かう電車の先頭車両から撮った。 写真左(神宮外苑側)に待避線のようなものが見える。 明治27年(1894)、この付近から神宮外苑(かつて青山練兵場という軍事施設)方向にカーブして、新宿と青山軍用停車場を結ぶ甲武鉄道の線路が敷かれた。 大正になり、線路は廃止されたそうだ。、、、、、私が生まれる以前の、チョイと昔の話です。
 
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②国立競技場・・・・・・・・・・・国立競技場の跡地であり、国立競技場の建設地を見てきた。 綺麗に取り壊したね!、、、、、現在、計画している新国立競技場は、大成建設・梓設計・隈研吾建築都市設計事務所 共同企業体の案で、総工費1,490億円、本年末着工、2019年11月竣工、6万人以上を収容する予定。、、、、、、いろいろあったが、こうなりゃ早く完成した競技場を見てみたいね!
 
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③鳩森八幡神社・・・・・・・・・・・貞観2年(860、=平安時代初期)の創建、1000年以上の歴史を有する古社。 大昔、この地の林の中にはめでたいことが起こる前兆の瑞雲がたびたび現れていた。 ある日、空より白雲が降りてきたので不思議に思った村人が林の中に入っていくと、突然白鳩が数多、西に向かって飛び去った。 この霊なる出来事から、神様が宿る小さな祠を営み「鳩森」と名付けたそうだ。、、、、、社殿は平成5年(1993)に建て替えられた。、、、、、、只今、社殿正面参道の整備工事中につき、正面から参拝・撮影できず、チョイと残念!
 
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・・・・・・・・・・・・・境内の富士塚は寛政元年(1789)築造。 山はかなり高く、足元は石がゴツゴツし、私も貴重な富士登山を体験した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・境内にある将棋堂は、神社前にある日本将棋連盟から、昭和61年(1986)に奉納された大駒を納めた六角堂。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・将棋堂を紹介したついでに、こちらは神社前に建つ「日本将棋連盟」本部。、、、、、おや!女流棋士かと思いきや顔も見られず、残念! 最近は美人棋士も多く、テレビ対局も楽しく観戦でき、大いに結構。
 
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・・・・・・・・・・・・・・鳩森八幡神社境内の外側に回ると、朱色の派手な祠に、享保8年(1723、江戸中期)に建立された青面金剛神像庚申塔が祀られている。 祠の中には草鞋がいっぱい掛けられて、コリャなんだ?、、、、、この祠は平成17年(2005)につくられ、美脚の神様として知られているそうだ。 本当かいな?、、、、美脚フェッチの私は、じっくり手を合わせてきた。、、、、、ちなみに、草鞋はご近所で一足二千円で売っているそうだ。
 
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④千駄ヶ谷2丁目・3丁目・・・・・・・・・・ファッション・アパレルの企業のオフィスが集まった小洒落た町。 定年退職した私でも聞いたことのある社名の企業もあったが、99%は私の知らない横文字、カタカナの企業名ばかりだ。 建物はプチ・モダンな低層ビルが多く、半分はマンションの中にある。 ヒゲ面で、ヨレヨレシャツの男性と、ダブダブのシャツを着た女性が、忙しそうに働き、暇そうにタバコをふかし、チョイとカッコをつけた町である。
 
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⑤宮廷ホーム・・・・・・・・・・・・原宿駅の北側に150m程行くと、皇室専用の宮廷ホーム(原宿駅側部乗降場)がある。 このホームは天皇陛下専用の「お召し列車」が発着する乗降場である。 大正14年(1925)、病弱な大正天皇のため、人目につかず乗降できるよう設置された。 昭和天皇は御用邸への移動、地方訪問などで頻繁に利用されたが、今上天皇は新幹線の利用が多く使用頻度は低い。 、、、、、、一生に一度でいいから、ここからお召し列車に乗って草津温泉でも行ってみたいね!
 
・・・・・・・・・・・・・・普段、門は閉じられ内部へ入ることはできない。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・門の中は、大きな屋根の車寄せか?、、、、、最近利用していないからか、雑草が伸びてるね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・原宿駅ホームから眺める宮廷ホーム。
 
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⑥原宿駅・・・・・・・・・・・原宿駅の開業は明治39年(1906)、初代の駅舎は大正12年(1923)の震災で立て直されることになり、現駅舎は大正13年(1924)に建てられた二代目の駅舎で、東京最古の現存する駅舎。 鉄道省技師の長谷川馨の設計による、尖塔付きの屋根に白い外壁という、イギリス調のデザインの木造駅舎。、、、、、ウシャ~~、駅周辺は若い娘がイッパイ。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・原宿駅にもある臨時ホーム。、、、、、こちらは、正月の明治神宮初詣客向けのもので、昭和15年(1940)から使用されている。 山手線外回り電車の初詣客を明治神宮側から乗降させるための専用ホームとなる。 この間、普段使用している島式ホームはう内回り電車の専用ホームとなる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・JR東日本によると、2020年の東京オリンピックに向けて、千駄ヶ谷駅と同様に、臨時ホームを有効利用する駅改良工事に着手する。 臨時ホームを新宿・池袋方面行きの外回り専用ホームとして常設化し、現在の島式ホームは渋谷方面行きの内回り専用ホームとなる。 また、駅舎についても渋谷寄りに新駅舎を建設することとなった。、、、、、、現在の木造駅舎はシンボルとして残して欲しいね。

2015年10月 6日 (火)

渋谷~恵比寿

渋谷駅から高輪方面に歩き始めた、途中で寄った神社・史料館・学校と、行った先々で話し相手ができて先へ進めず、結局恵比寿駅までのプチ散歩となった。 8千歩、6㎞。



①渋谷駅大改造
・・・・・・・・・・・昨年7月31日に起工式が行われた渋谷駅の大改造工事が始まった。、、、、、まずは、旧東横線渋谷駅と東急百貨店の一部の跡地に、地下7階、地上46階の「渋谷駅街区東棟」建設。 JRは東横線跡地を利用し、山手線と埼京線ののホームを並列させ2面4線にする。 さらに大改造は現在の東横百貨店を取り壊し、跡地に「渋谷駅街区中央棟・西棟」も造る予定だ。 完成はオリンピック以降となる予定。、、、、、久しぶりに渋谷駅で下車した私には、駅前は仮通路で囲まれ、どこに出るやら、サッパリわからん!

・・・・・・・・・・・・・東横線渋谷駅は取り壊された。 小さい写真は平成12年、同位置から撮影。

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・・・・・・・・・・・・・道路上に残されている東横線の跨道橋。 まもなく撤去される。

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・・・・・・・・・・・・・・駅前(旧東急文化会館跡地)に建つ、地上34階建ての「ヒカリエ」。 造られている「渋谷駅街区東棟」は、このビルより45m程さらに高くなる。

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・・・・・・・・・・・・・ものはついでに、昭和31年(1956)開業の旧東急文化会館。 懐かしいプラネタリュウムのドーム屋根。  (写真:ヒカリエhpより)

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②金王八幡宮
・・・・・・・・・渋谷駅から国学院大の方に向かう途中の渋谷3丁目に、寛治6年(1092)、渋谷の地に渋谷城を築いた渋谷氏の祖となった河崎基家によって創建された金王八幡宮(こんのうはちまんぐう)がある。 当初は渋谷八幡と称していたが、社名の「金王」は、基家の子:重家の嫡男常光がこの神社に祈願して金剛夜叉明王の化身として生まれたことにより金王丸と称したことに由来しているそうだ。、、、、、現在の社殿は、慶長17年(1612)、春日局によって造営された。 権現造りで、彫刻・彩色の美しい社殿だ!

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③豊栄稲荷神社
・・・・・・・・・金王八幡宮とは道路を挟んで隣同士の神社。 昭和36年(1961)に、渋谷駅近くにあった田中稲荷神社(渋谷氏によって創建されたという。)と道玄坂にあった豊澤稲荷神社が合祀されて建立された神社。 現社殿は昭和47年(1972)の造営。

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④氷川神社
・・・・・・・・・・国学院大学前には氷川神社がある。 創建は古く、渋谷で最古の神社である。 日本武尊東征の時代で、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)と素盞鳴尊(すさのおのみこと)が祀られており、恋愛成就の神社である。 私もしっかりと手を合わせ、御利益を期待する。、、、、、、現社殿は昭和13年(1938)の造営で、一昨年に大改修工事を行い屋根の銅板などが張り替えられた。

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⑤銅板建築の魚屋さん
・・・・・・・・・・・・金王八幡宮参道脇に建つ魚屋。 この付近では、古い建物になった。

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⑥S邸
・・・・・・・・・・・氷川神社の近くに建つ住宅。 こちらも、古くなってきた。

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塙保己一史料館・・・・・・・・・・氷川神社の近くにある。 塙保己一(はなわほきいち):江戸時代の盲目の国文学者が編纂した『群書類従』の版木(17,244枚)を管理・保存する目的で建設された建物。 昭和2年(1927)、清水組(現:清水建設)の設計・施工で建てられたRC造2階建の建物で、正面中央に円形の玄関ポーチが在り、左右に翼を広げるデザインだ。 所蔵する版木と共に、建物も国の登録有形文化財。

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⑧広尾小学校
・・・・・・・・渋谷区東3丁目に建つ、関東大震災の復興小学校。  鉄筋コンクリート造3階建ての校舎は、昭和7年(1932)の竣工。 玄関廻りには多くの装飾が施されている。 校舎には、消防車が併設されていたことから、屋上には火の見櫓としての塔屋が備えられている。 校舎は国の登録有形文化財。

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2015年10月 1日 (木)

水道道路 (笹塚~明大前)

昨日は「水道道路」を新宿から十号通り商店街(笹塚)まで歩いたので、今日はその続きで和泉の給水所まで歩いてきた。 笹塚から明大前まで、1万2千歩、9㎞の散歩。


①水道道路
・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・朝、十号通り商店街から駅に向かうサラリーマンがゾロゾロと、、、、、商店街を抜けると水道道路に出る。

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・・・・・・・・・・・・・水路跡の都営住宅・・・・・・・・・「水道道路」の南側には、40番台の棟番号を標した都営住宅が並んでいる。、、、、、、『いったい、何棟あるのだ?』 チョイと気になり、暇なので、地図上で水道道路に面して建つ都営住宅を数えてみたら25棟程あった。 思ったより少ないね!

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・・・・・・・・・・・・・・全体的に周辺道路より高い位置にある水道道路に接続するため、階段、スロープが各所にある。

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・・・・・・・・・・・・・・道路沿いの建物は、1階から水道道路に出て、地下からご近所に煮物の御裾分け、、、、
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・・・・・・・・・・・・・水道道路は渋谷区から杉並区に入り泉南交差点(杉並区和泉1丁目)で、「環七通り」と交差する。 交差点の先は1車線の一方通行道路となる。(写真中央の細い道) 新宿方面から来ると直進できない。、、、、、、この交差点付近に十五号橋が架かっていたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・環七通りを越えて、泉南交差点の細い道(水道道路)の入口に立つ、、、、、、次の写真は、環七通りを挟んで水道道路の新宿方面を望み、その次の写真は180度振り返ってパチリ。 まるで終戦直後、悪ガキが遊んでいたような裏道の景色に一変する。

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・・・・・・・・・・・・・・チョイと、子供の頃を思い出すタイムスリップした水道道路である。、、、、、この道を30m道路に拡張する都市計画があり、建物を新築できず、戦後の雰囲気が残っているらしい。(地元の理髪店の店主が話してくれた。)

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・・・・・・・・・・・・・・水道道路をさらに進むと、「和泉明店街」と称する商店街に出る。 これまた、昭和の商店街だ。、、、、、、この付近に十六号橋があったそうだ。
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・・・・・・・・・・・・商店街を抜けた先は道路沿いに細長い公園が続く。、、、、、空き地には、フェンスが設けられ、所有者名が記されていた。

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・・・・・・・・・・・・・総延長約4.5kmの水道道路(=東京都道431号角筈和泉町線)の終点:和泉二丁目交差点に到着。

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・・・・・・・・・・・・・交差点横に和泉給水所のタンクと、玉川上水公園が出迎えてくれる。

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②LA PORTA IZUMI
・・・・・・・・・・・杉並区和泉1丁目に外部のデザインが変わった、奇妙奇天烈な5階建てのマンションがある。 平成2年(1990)の建築で、設計はドラード早稲田を手掛けた梵寿鋼(ぼんじゅこう)。、、、、、設計者の梵寿鋼の本名は田中俊郎で、「日本のガウディ」の異名を持っている。、、、、、前を通ったので、チョイと立ち寄ってきた。

・・・・・・・・・・・・建物の横に、天翔るペガサスが迎え。 金髪をなびかせ、妖しく身をくねらせた女性が、入口に誘うマンション。、、、、、、、電柱・電線が邪魔だ!

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・・・・・・・・・・・・・誘われ玄関に立つと、吹き抜けにはステンドグラスに浮き出た女性像と、他の3面は穴の開いたイボイボの面が不思議な空間を創る。

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・・・・・・・・・・・・・・足元の階段は、蛸の足、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・マンションの入口は、、、、、なんじゃ! コレ!

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2015年9月30日 (水)

水道道路 (新宿~笹塚)

かつての淀橋浄水場から明大前の和泉給水所まで、「水道道路」と呼ばれる直線道路がある。 今日の散歩は、この道を新宿(淀橋)側から、途中の笹塚まで歩いてみた。 1万3千歩、10km。


水道道路
・・・・・・・・一般的には、明治以降の生活様式の近代化と、都市への人口集中に伴い、上水道への需要が高まってきた。 一方で水源地の不足、河川の汚染などにより原水の確保が難しくなってきた。 そこで各地では水源地・浄水場・配水拠点の整備が行われ、各施設間には、新たな水路が確保された。 現在、この水路跡に造られた道路を、「水道道路」と呼び、多くは一直線の道路である。、、、、、お江戸の「玉川上水」もその内の一つで、、、、、明治31年(1898)に淀橋浄水場が新設された。 その時、現在の和泉給水所地点から玉川上水を分岐させ、「玉川上水新水路」として、淀橋浄水場まで定規で引いたような一直線の水路が開削され、水を供給した。 関東大震災では、盛土が崩壊し、決壊するなどしたため、その後、新水路に代わるものとして、昭和12年(1937)に甲州街道に導水管を埋設して、新水路は廃止された。


①淀橋浄水場跡
・・・・・・・・・・・浄水場が存在した当時のまま残っている遺構は、六角堂のほかにはないようだ。

・・・・・・・・・・・・・浄水場跡地に建つ超高層ビル。、、、、、見方によっては、浄水場跡を標す巨大な記念碑かな?

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・・・・・・・・・・・・・旧淀橋浄水場六角堂、、、、、、明治39年(1906)から始まった沈澱池の増設工事で発生した残土を積み上げできた富士見台と呼ばれる築山に、浄水場の見学者用に建てられた四阿(あずまや)。 浄水場唯一の遺構で、新宿中央公園に現存する。

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・・・・・・・・・・・・・・旧淀橋浄水場蝶型弁、、、、、、超高層ビルの一つ新宿住友ビル(三角ビル)の敷地内に残されている、旧淀橋浄水場で使用された、蝶型の止水弁がついた排水バルブ。 この弁は、関東大震災により玉川上水新水路が決壊したときに施設改良工事の一環として昭和12年(1937)に設置された。

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・・・・・・・・・・・・・・昭和23年(1948)の淀橋浄水場の航空写真。

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②水道道路
・・・・・・・・今日歩いた「水道道路」は、西新宿交差点を起点とし、和泉二丁目交差点を終点とする、ストレートな直線で結ばれた都道431号角筈和泉町線である。、、、、、、用水の時代には、水路は盛土上につくられ、周囲より多少高い位置にあったと思われる。 水路には、16の橋と、3つのトンネルが造られ、水路を横切る交通路を確保した。 橋には淀橋側から順に、一号橋、二号橋、三号橋と付けられていた。 その名残は随所にみられる。

・・・・・・・・・・・・・起点の西新宿交差点。 50m先の議事堂南交差点を左折すると、あとは道なりに和泉二丁目交差点へ向かうだけだ。

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・・・・・・・・・・・・角筈区民センター前交差点、このあたりに二号橋が架かっていた。 首都高下の西新宿四丁目交差点には三号橋が架かっていた。

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・・・・・・・・・・・・・・西新宿四丁目交差点をこえた、渋谷区本町付近からは「水道道路」の道路面だけが周囲の道路面より高く、盛土上に道路が造られたことが判る。 写真のビルは水道道路に面した部分が一階だが、その下に地階がある。 後ろから見ると地階の駐車場には、脇の斜路のような道路から入る。

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・・・・・・・・・・・・・・新宿を望む水道道路。

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・・・・・・・・・・・・・本町1丁目には、用水の下をくぐって抜けた本村隧道が現存している。 大正9年(1920)の竣工。 円柱のデザインが、いかにも時代を感じさせるね。 

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・・・・・・・・・・・・・この付近では、「水道道路」と周囲の道路の高低差がかなりある。

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・・・・・・・・・・・・・本村隧道に続き、本町1丁目と幡ヶ谷2丁目の境に位置する本町隧道。 昭和50年(1975)に新しく造ったようだ。 すぐ隣に、旧本村隧道とおもわれる、コンクリートで塞いだ隧道跡らしきものが残されている。

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・・・・・・・・・・・・・水路跡の都営住宅・・・・・・・・・「水道道路」の南側沿いに、幡ヶ谷から笹塚まで約2.3kmにおよび、何十棟かの都営住宅が建ち並んでいる。 5・6階建て程度で、昭和40年代の建築だ!、、、、、、まさに、水路跡を活用しての団地づくり。 続~く、続~く、どこまでも続~く、長~い団地。 

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・・・・・・・・・・・・・・“○号橋”をわたる通りには“○号通り”の呼称がつけられ、バス停、公園、商店街には、その名が残っている。

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③清岸寺・・・・・・・・・・・・寛永元年に創建されたと言われている、浄土宗の清岸寺が幡ヶ谷2丁目にある。 寺の本堂は空襲で被災し焼けた。 現本堂は、明治32年(1899)に千葉県岩井町で建てられた、岩井御殿と呼ばれていた建物で、戦後に清岸寺が譲り受け本堂とした。 明治期の高級住宅の面影を残す貴重な建築である。

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●・・・・・・・・・・今日の「水道道路」散歩は、十号通りまで、、、、、このあと、笹塚駅に出て、お帰りです。

2015年7月13日 (月)

目黒~恵比寿

JR目黒駅から恵比寿駅まで、爽やかな青空の下をブラリ散歩ができず、ギンギンの猛暑の中を汗がダラリ・ベッチョリ散歩。 気温35℃、熱中症がヤバイ、途中で散歩も切り上げ! 9千歩、7㎞。


①JR目黒駅
・・・・・・・・・・・まだ官営の鉄道は新橋発着の東海道線だけの明治18年(1885)3月1日、私鉄:日本鉄道の品川線(品川~赤羽)が開通した。 このとき、設置された駅は両端の品川、赤羽と、途中に渋谷、新宿、板橋の3駅であった。 開通から、半月遅れて3月16日、途中駅として目黒、目白の2駅が開業した。 ちなみに巨大ターミナルである池袋駅の開業は、なんと18年後の明治36年(1903)である。 当時は池袋より、目白、目黒のほうが集客力があったのか?

・・・・・・・・・・・・・・東口、西口

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・・・・・・・・・・・・・・朝からガンガン照り、通勤のサラリーマンは、アジ~ィ、アジ~ィ!

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・・・・・・・・・・・・・・跨線橋:上大崎新橋から眺める目黒駅。 五反田~目黒間の線路の勾配はきつく、多少とも勾配を緩和するため、五反田駅は高架ホームで線路をかさ上げし、目黒駅は深い切通しの底にホームが設けられている。

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・・・・・・・・・・・・・・上大崎新橋から眺める恵比寿駅方向。

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②日本基督教団白金教会
・・・・・・・・・大正7年(1918)白金伝道教会として始まる。 大正13年(1924)現在地(上大崎2)に会堂を建設、昭和51年(1976)現在の会堂を建設。

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・・・・・・・・・・・・・内部は“シンプル・イズ・ベスト”の教会だ! 写真は3年前撮影。

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③白金桟道橋
・・・・・・・・・・・・上大崎2丁目に、古レールを構造材として利用した、長さ:24.4m、幅:2mの跨線橋がある。 山手線部分(写真:右側)は単純な垂直に組んだ橋脚で、山手貨物線(埼京線、湘南新宿ライン)部分(写真:左側)は掘割りの深さもあり、橋脚部分はアーチ形状に組まれている。 昭和元年(1926)に建設された。

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④長者丸踏切・目黒道架道橋
・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・白金桟道橋から恵比寿方向を眺めると、山手貨物線の上を山手線が走る光景が見える。

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・・・・・・・・・・・・・交差地点は、現在はボックス形のトンネルになっているが、昭和の時代には、山手線が鋼製のガータ橋を渡り越えていた。
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・・・・・・・・・・・・・トンネルの目黒寄りに、山手貨物線に長者丸踏切があり、山手線には目黒道架道橋がある。
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・・・・・・・・・・・・・「長者丸」とは、かつて、長者が住んでいた、この付近の地名である。 昭和42年(1967)の住居表示改正で、「品川区上大崎長者丸」から「品川区上大崎2丁目」と変更され消滅した。 現在は大崎2丁目の高級住宅街の中の交番・マンションにその名が残されている。 

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・・・・・・・・・・・・・交差点の恵比寿側に「大丸跨線橋」がある。 ここから交差地点を見た景色。

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⑤土浦邸
・・・・・・・・・・・・・・上大崎2丁目に、モダニズム建築家として活躍した土浦亀城(1897~1996)の自邸がある。 土浦亀城は、東京帝大を卒業し、旧帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトの手伝いをし、その後大倉土木(現:大成建設)に勤め、作品として強羅ホテル(1938)、銀座シネパトス(1952)などがある。、、、、、、自邸は昭和10年(1935)に竣工した。 白い四角形の組み合わせ、インターナショナルスタイルを木造で表現した、実験住宅である。、、、、、、住宅地に建つ白亜の小住宅は、昭和初期の建物とは思えない“新しさ”が残っている。  

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⑥目黒区三田の境界石
・・・・・・・・・・・三田2丁目に私を引き付ける裏道があった。 すり鉢状の地形の底に下る道だ。

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・・・・・・・・・・・・・中程を過ぎたあたりで、住宅の間に路地を発見。 路地の先には階段がある。 この雰囲気好きだね!

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・・・・・・・・・・・・上から2段目に、『陸軍』と読める境界石が埋められていた。

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・・・・・・・・・・・・・階段を上がりきると、2車線程の裏道に出た。 写真:ブロック塀の右端と街路灯のポールの間に階段の手摺が見える。

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・・・・・・・・・・・・・調べてみたら、、、、、三田2丁目の北側には現在:防衛庁技術研究所がある。 また、三田2丁目を挟んで南側には白金自然教育園がある。 その2か所を結ぶ、裏道が階段上の裏道である。 現:防衛庁技術研究所のところに目黒火薬製造所(明治13年(1880)に完成)があり、白金自然教育園には火薬庫があったそうだ。 どうやら、この裏道は、2地点を結ぶ火薬運搬用の軍用軌道跡らしい。 境界石は、軌道沿いに埋められたものであろう。



⑦共立電機
・・・・・・・・・・・恵比寿駅 近い、渋谷区恵比寿南2で、チョイと古そうな建物発見。 こちらも、調べてみたら、昭和38年(1963)建築の鉄筋コンクリート4階建ての工場事務所。 現在はアパレル企業に貸してるみたい。

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2015年3月 8日 (日)

乃木坂~渋谷

『連日の雨天、曇天、わるかばってん、の天気、、、、、晴天、好天、青天、蒼天、よかばってん、の天気を求め、お天道様にお祈りしよう。』と、朝、我が家の屋上に出てみたら、ビショビショ、こりゃだめだ!

昼から雨はあがりそうなので、夫婦で国立新美術館に「ルーヴル美術館展」を見に行った。帰りは渋谷まで歩き、1万歩、7㎞の散歩となった。


①国立新美術館
・・・・・・・・・・・・・・地下鉄千代田線乃木坂駅近くに、平成19年(2007)に開館した、コレクションを持たない国立の美術館。 建物は東京大学生産技術研究所跡地に建設され、設計は黒川紀章・日本設計共同体、地上階は鉄骨造4階建、約5万㎡の床面積を有している。 緑豊かな広場に建ち、明るく波打つガラス張りの外観は、訪れる人を癒す力がある。 

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・・・・・・・・・・・・・「ルーヴル美術館展」は同館所有の約80点程の風俗画(人々の日常を描いた絵。 風俗業を描いた絵ではないので、誤解なきように。)で、16世紀から19世紀のヨーロッパの情景が紹介されている。 レンブラント、フェルメール、ティツイアーノなどの作品が一堂にに会していた。 パチリは禁止。

・・・・・・・・・・・・・国立新美術館別館・・・・・・・・・・・美術館玄関前に小さな3階建ての建物がある。 この建物が別館。 昭和3年(1928)に竣工した旧歩兵第三連隊兵舎であり、戦後は東京大学生産技術研究所として使われていた。 研究所が駒場に移転し、取壊し予定であったが、保存を望む声に配慮し、ほんの一部分だけが「別館」として残された。

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②谷内六郎の壁画
・・・・・・・「週刊新潮は明日発売で~~す」の表紙を描かれていた谷内六郎さんのモザイク壁画がある表参道交差点角の山陽堂書店。  現在の壁画は昭和50年(1975)に完成した「傘の穴は一番星」である。 初代の壁画は、新潮社社長の発案で、昭和38年(1963)に完成した黄色い背景の空に赤い風船が描かれていた。 私が学生の頃からある建物で、もう50年が経過した。 壁画は色あせもせず大切にされているが、私は身体にガタがきて、物忘れもそろそろだし、夜尿症もそろそろ始まるかも、、、、、歳とったね!

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③渋谷駅大改造がスタート
・・・・・・・・・・東京メトロ、JR、京王、東急の4社の路線・ホームが立体的に複雑に絡み合う駅の改造工事が始まっている。 完成は当分先のことだが、楽しみだ。

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