江戸川区

2018年7月 7日 (土)

浅草橋~新小岩

7月に入り、暑い日、雨の日が続き、あいだの散歩日和の日は病院に御招待され、なかなか散歩できる日がなかった。 朝5時、ベッドの中で『今日は散歩できそうだ、歩くぞ! お通じを良くするぞ!』。 できるだけ長い距離を歩きたく、京葉道路をひたすら歩くことにした。
 
 
 
am7:55・・・・・・・土曜日のせいか、通勤する人は少なく、学生だけがパラパラ歩く浅草橋。、、、、、連日の雨によるのか(?) 神田川の水位も上昇している。
 
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am8:00・・・・・・・「浅草橋交差点 」は、靖国通り(都道302号)の終点であり、京葉道路(国道14号)の起点(公式には浅草橋交差点から300m程東の両国橋が起点)である。
 
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am8:00・・・・・・・両国橋 の西詰(中央区側)には、かつて江戸で最大の盛り場だった「両国広小路」の碑がある。 もともとは、明暦の大火(1657年)後、両国橋が架けられ、橋の両詰に「火除け地」として、広小路が整備された。 その後、西詰の広小路は、いつしか、見世物小屋、茶店などがひしめきあう、江戸一番の繁華街となった。 上野、浅草とともに江戸三大広小路の一つ。、、、、、新宿歌舞伎町のような繁華街として現在まで残っていれば、我が家から近く、私の人生感もチョットは変わっていたかも?
 
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am8:10・・・・・・・両国「回向院」前を通過。
 
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am8:10・・・・・・・回向院前から150m程東に向かうと、「横綱横丁」と称す横丁がある。 この横丁の入口の東側が、作家:芥川龍之介の生育の地であったそうだ。 芥川は明治25年(1892)、東京市京橋区入船町の牛乳搾取販売業耕牧舎を営む新原敏三・ふくの長男として生まれ、辰年辰の日辰の刻の生まれにより龍之介と命名されたと言われてる。 生後7ヶ月で生母ふくの病のため、当時本所区小泉町(ここが生育の地)に住んでいたふくの長兄、芥川道章に引き取られ、後13歳の時、芥川家の養子となったそうだ。、、、、、浅草橋の路地裏に雅万歩の誕生・生育の地の碑が建つのも夢ではないかも(?)
 
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am8:35・・・・・・・江戸時代庶民の信仰と行楽を兼ねた成田山新勝寺の参詣は、2・3泊の手頃な旅行コースとして人気があったそうだ。 江戸市中からの参詣コースとしては、現:水戸街道の葛飾区新宿から東に向かい小岩、市川、八幡へと進む道と、日本橋小網町から水路で隅田川を下り行徳から陸路を八幡へ向かう道の2ルートがあった。 明治時代になると、浅草橋から両国橋を渡り小岩、市川を経由して向かう道を千葉街道と称するようになり、これが現在の京葉道路となったそうだ。 この京葉道路にかかる旧江東橋は東関東の水運の大動脈として、江戸時代以降、東京の市民生活を支えてきた運河の一つ「大横川」に大正15年(1926)に架けられた。 現在の江東橋は平成7年(1995)に架け替えられたものである。 現:江東橋の西詰に、旧江東橋の親柱が残されている。、、、、、江東橋付近の大横川は暗渠化され川筋は親水公園に変わった。
 
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am8:45・・・・・・・錦糸町駅前を通過。、、、、、駅前のバス停横に「伊藤佐千夫牧舎兼住居跡」の案内と歌碑が建っている。 ここ錦糸町駅前に、明治22年(1889)から明治45年(1912)まで、明治の歌人:伊藤佐千夫の経営する牧舎と住居があったそうだ。、、、、現存していれば、新鮮な牛乳が飲める駅前のミルクスタンドとして繁昌したかも(?)
 
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am8:50・・・・・・・錦糸町駅の東350m程の処に、京葉道路に面し都営江東橋4丁目アパートがある。 昭和52年(1977)に完成した総戸数220戸の都営住宅。 施工は飛島建設。、、、、、この都営住宅の1階は都営バスの車庫となっている。 完成当時は斬新な構造の車庫で、内部にはターンテーブルも供えられているそうだ。、、、、、ここがバスの車庫となる以前は都電の車庫であった。 昭和47年(1972)の都電廃止で、都営住宅と都バスの車庫に生まれ変わった。
 
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am8:55・・・・・・・錦糸町と亀戸の間に流れる運河:横十間川に架かる橋が松代橋である。 現在の橋は昭和44年(1969)に架けられた1径間鋼製桁の橋である。 以前は、昭和5年(1930)に完成した鋼製桁の震災復興橋が架けられていた。 上流側にはJR横十間川橋梁が架かる。、、、、、橋名は西岸にあった旧町名に由来するらしい。
 
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am9:00・・・・・・・JR東日本の総武本線貨物支線である越中島支線の下を抜け、亀戸駅の南を通過する。
 
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am9:15・・・・・・・亀戸駅を過ぎ、亀戸6丁目に入ると、、、、、、私の親友が経営する不動産屋の前に来た。 チラリ、店先を覗くと親友御夫妻の姿が見える、まだお客が来ていないようだ。 チョイト寄って行こう!、、、、気持ちは短時間で失礼するつもりで寄ったが、『友有り、遠方より歩いて来たる。 亦た久しぶりや。』 お茶もいただき、私のバカ話は止まらず、小一時間話し込んでしまった。 お仕事の邪魔をしてしまい、失礼しました。
 
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am10:00・・・・・・・散歩を続ける。 向かうは東へ!
 
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am10:15・・・・・・・中川新橋を渡り旧中川を越える。 江東区亀戸と江戸川区平井を結ぶ橋。
 
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am10:25・・・・・・・江戸川区小松川の再開発地区に建ち並ぶマンション群を見ながら歩く。
 
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am10:30・・・・・・・荒川に架かる小松川大橋 を渡る。 この橋は下り線と上り線が方向別に架橋されている。 上流側(下り)が小松川橋、下流側(上り)が新小松川橋です。 下りの小松川橋が昭和44年(1969)に開通し、上りの新小松川橋は昭和47年(1972)に開通した。 全長500m程の橋である。、、、、、橋上は風が強く、帽子を押さえながら渡って来た。、、、、、荒川は川幅イッパイに流れ、河川敷も水の下である。 上流ではだいぶ降ったようだ。
 
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am10:40・・・・・・・小松川大橋を渡り、江戸川区松島の小松川署前を通過する。、、、、、ここまで、浅草橋交差点から7kmである。(日本橋からは9km)
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・京葉道路の散歩は小松川署の先で終了とした。 これより裏道を歩き新小岩駅に出て帰宅する。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・今日は1万6千歩の散歩でした。

2018年5月27日 (日)

瑞江~小岩

都営新宿線瑞江駅から北上して総武線小岩駅まで、熱中症に注意しながら、1万1千歩の散歩です。 
 
 
 
①瑞江駅・・・・・・・・・・・昭和61年(1986)9月14日、新宿線船堀~篠崎間の延伸時に同時開業した瑞江(みずえ)駅。 島式ホーム1面2線の地下駅で、駅直上の駅ビルに出入口がある。、、、、、今日は日曜日、みんなまだ“寝て曜日”、電車も空いている。
 
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②瑞江の町・・・・・・・・・明治にできた「瑞穂村」と「一之江村」が、大正時代に入って合併し、双方の村名から一字づつ採って拵えたのが「瑞江」の始まり。「瑞穂」とは「瑞々しい稲穂」で、穫れたてほやほやの稲穂を神に捧げるところから、目出度い言葉として、特に地名に用いられた。 戦後になるまでは、田畑の広がる農村だったらしい。 戦後は農地改良され、さらに、地下鉄が開通し急速に都市化された町。、、、、、駅周辺には歴史的な遺構・神社仏閣など、ないようだ。 また、所々には畑・ビニールハウスが点在する、農村の名残!、、、、、見るべき物なし! スタコラ・サッサと先を急ぐ。
 
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③春江町・・・・・・・・・・・瑞江から京葉道路の北側、春江町に入る。、、、、、この町も瑞江の続きで雰囲気も似た町である。
 
・・・・・・・・・・・・・なぜか住所は「瑞江」にある「春江小学校」。 昭和7年(1932)の創立。 平成27年(2015)に完成した現在の新校舎。
 
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・・・・・・・・・・・・・小学校の近くの天祖神社では、境内で町内会が主催する「もちつき大会」の準備中。 本日12時に餅を配るそうだ、この暑さの中、くれぐれも身体に注意して餅つきしてね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・京葉道路を越え、春江町2丁目から1丁目に入る。
 
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④春江町住宅・・・・・・・・・・京葉道路の北側に、この辺りでは大きな建物である東京都住宅供給公社の「春江町住宅」が見える。 昭和47年(1972)から翌年にかけ完成した、地上11階建ての建物3棟からなる住宅は、総戸数398戸の団地。
 
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・・・・・・・・・・・・・チョイト10階からの展望をパチリ! 遠く市川市を眺める、抜群の眺望。、、、、、ここに、観光地にある3分100円の望遠鏡を据えたら、儲かるかも?
 
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⑤鹿骨~小岩駅・・・・・・・・・・春江町から鹿骨(ししぼね)の町に入る、ここからは、昨年5月に歩いたルートとほぼ同じ処を歩いたので、写真だけ載せる。、、、、、散歩の前に過去のルートなどを調べて歩いているわけではないが、同じ人間が同じ処を歩くと、不思議と歩くルートも同じになるようだ。 犬のように電柱に小便を掛けながら散歩してるわけではないのだが?! 
 
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2018年4月27日 (金)

目黄不動 (最勝寺)

英語も話せない欧米帰りの青い目の不動、徹夜麻雀で大損した赤い目の不動、エレベータの中で屁をこえた人を白い目で見つめる不動、酒の飲みすぎで黄疸になり黄色い目の不動、乃木坂46のメンバーを黒い瞳で見つめる不動、みんな目の色変えて右往左往する不動。 こんなお不動さんに会ってみたいと、江戸五色不動巡りは続く、今日は目黄不動のいる江戸川区平井の最勝寺に行ってきた。
平井駅から、最勝寺、旧中川、亀戸中央公園とまわり、亀戸駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①平井駅・・・・・・・・・・通勤通学時間帯、到着するのは混んでいる電車ばかり、ホームには乗れない人もいる。
 
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・・・・・・・・・・・・・駅南口には、、とんかつ屋、コンビニ、カフェ、ベーカリーなど9店舗が並ぶ「シャポーロコ平井」が今年3月にオープンした。、、、、、こういう店がオープンすると、若い娘がよってきて、殺風景な駅も華やかになるのだ。 我が町の浅草橋駅より綺麗で、便利だ、負けた! 
 
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②行徳道・・・・・・・・・・・平井駅の北側、都道449号とJR総武本線が交差する地点と、最勝寺を結ぶ裏通りは「行徳道」と呼ばれた街道の一部がある。 私は、この道を歩き最勝寺に向かう。
 
・・・・・・・・・・・・・行徳道(ぎょうとくみち)は、中川 (旧中川 )の平井の渡しから 、四股(荒川の下となった、佐倉道と行徳道の交差点)をとおり、今井の渡しに達する街道。
 
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・・・・・・・・・・・・・・最勝寺の近くで、行徳道は荒川(念のため:::江戸時代には荒川は無かった)の下にもぐり、対岸の今井街道 に続く。 
 
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③最勝寺・・・・・・・・・・・荒川土手の際に位置する、天台宗の寺院、牛宝山明王院最勝寺。 寺伝によれば、貞観2年(860)に隅田川畔(現:墨田区東駒形)に草創された。 近世には、墨田区向島の牛島神社の別当を務めた。 ちなみに、牛島神社の創建は最勝寺と同じ貞観2年である。 大正2年(1912)、最勝寺は駒形橋の架橋工事による区画整理で、現在地である南葛飾郡下平井(現:江戸川区平井1-25)へ移転した。、、、、、、本堂の内陣は鉄筋で大金庫式に造られ、その中に本尊の釈迦如来(慈覺大師の作)を安置している。
 
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・・・・・・・・・・・・・最勝寺の目黄不動(めきふどう)は天平年間(729~766)に名僧:良弁が隅田川のほとりで作った、高さ127㎝程の像である。 像は、最勝寺の末寺:東栄寺の本尊として祀られていた。 江戸時代には、徳川将軍家の崇拝するところとなり、殊に家光の崇拝は篤く、仏教の大意に基づいて江戸府内に五色不動の霊場が設けられた。 この時、東栄寺の本尊も目黄不動と称され、江戸の町を守護する不動尊として広く信仰された。 明治時代に東栄寺は廃寺となり、本尊不動明王像は最勝寺に遷座された。 この時より、最勝寺は「明王院」と号するようになる。、、、、、現在、不動明王像は不動堂に安置されている。
 
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④平井白髭神社・・・・・・・・・・荒川沿いの最勝寺から、旧中川沿いの白髭神社(平井2-3)にやってきた。、、、、、平井白髭神社の創建年代は不詳だが、逆井村草創以来の鎮守で建治年間(1275~1278)の草創と言われている。 室町時代後期から太田道灌の家老土谷相模守が平井の当地周辺を所領し、代々氏子総代を勤めてきた。、、、、、社殿は昭和45年(1970)に鉄筋コンクリート造で改築した。 また、広い境内は盆踊りのためか、砂利敷きで樹木が少ない。
 
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⑤平井浅間神社・・・・・・・・・・・白髭神社の北、旧中川沿いに平井浅間神社がある。 この神社は、特別な社殿はなく、富士塚の頂上に石の小祠が祀られているだけだ。、、、、、平井浅間神社の創建は長享2年(1488)とも伝えられ、神社の富士塚は「逆井の富士」として知られている。、、、、、、社殿が無いためか、社務所が無い。 社務所が無いので、可愛いい巫女さんがいない、つまらない!、、、、、七五三詣で、安産祈願など受け付けていないのかな?
 
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⑥旧中川・・・・・・・・・・旧中川に架かる「ふれあい橋」を渡り、江東区亀戸の町に入る。、、、、、ふれあい橋は歩行者専用橋で、橋長:56m、1径間鋼製アーチ橋。平成6年(1994)に竣工した。
 
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⑦亀戸中央公園・・・・・・・・・・旧中川沿いで、総武本線を挟み東西に広がる約10万㎡の大きな公園。、、、、、、この地は、大正7年(1918)から始まり昭和49年(1974)の移転まで、日立製作所亀戸工場として使用されてきた。 その後、昭和55年(1980)に都立の亀戸中央公園として整備され開園した。、、、、、樹木数:2,950本、9,300株が緑豊かに茂る公園で、運動施設なども整備されている。 、、、、、、思い出した、近くには精工舎亀戸工場もあった。 戦前・戦後の工場地区である。
 
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⑧亀戸水神駅・・・・・・・・・・亀戸中央公園の近くに、亀戸線の亀戸水神駅がある。 チョイト駅前を通って行こう!、、、、、懐かしい昭和30年代の、インターナショナルオレンジの車体にミディアムイエローの帯を巻いた8000系リバイバルカラー車両 と御対面。
 
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⑨JR亀戸駅・・・・・・・・・・駅に到着、今日はココまで!
 
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2018年4月26日 (木)

京成曳舟~平井

今日も、夕暮れ時の散歩となった。 京成曳舟駅から、墨田区八広、東墨田の町を歩き、中平井橋で旧中川を越えて江戸川区に入り、平井駅まで、昨日の続きのような下町散歩です。 9千歩。 
 
 
 
①京成曳舟駅前・・・・・・・・・京成曳舟駅で下車した。 京成押上線高架化工事はほぼ終わり、駅前の核となるタワーマンションは入居済みである。 しかし、駅の南側は仮の駐車場となったまま、いまだ再開発工事に着手していない。、、、、、この駐車場出入口に、以前この地にあった工場の門柱だけが2本残っている。 門柱には、「興国ゴム工業株式会社 向島工場 東京都墨田区寺島町4-75」のプレートが埋め込まれ、その下に現住所のプレートが貼られている。 ソウダ!この地に「興国ゴム工業」の前身が誕生したのは、大正13年(1924)。 以来、平成まで(?)工場があったと思う。 「墨田区寺島町」の地名は昭和40年(1965)まで使用し、その後は「京島」となる。、、、、、“昭和の門柱”の運命や、今後いかに?
 
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②下町の裏道・・・・・・・・・・・今日も下町(墨田区八広)の裏道を歩いてきた。、、、、、チラチラ、緑が見える裏道。 狭い道、フォークリフトで丁寧に運ぶ!
 
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③明治通りに残る長屋・・・・・・・・・明治通り沿いに、木造の住宅兼店舗の長屋が何棟か残っている。 その内、京島交差点近くの2棟。
 
・・・・・・・・・・・・明治通りと四つ目通りが交差する京島交差点の角に建つ6軒(?)長屋。 再開発するのか、既に空き家となったようだ。 消えゆく昭和の長屋、残念!
 
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・・・・・・・・・・・・・・明治通りに面して建つ6軒長屋(京島3)。 この一画は戦災で焼けなかったところで、モルタル吹付外壁の長屋が残っている。 現存する6軒長屋の右側に、以前同じ外観の6軒長屋があった。 元は6軒長屋が2棟あったようだ。
 
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④昭和の質屋!・・・・・・・・・・・・八広2丁目の質屋さん。 家紋を染め抜いた紺ののれんが下がり、石造りの質蔵を控え、玄関の脇には暗くなってコッソリ訪れる客用の木戸もある、下町の質屋さん。、、、、着物を質入れし遊んだ、いなせな兄さんは、もう居ないね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・質屋の裏に茶乃小林園があった。 営業しているのかな?
 
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⑤墨田清掃工場・・・・・・・・・・墨田区八広の隣り町:東墨田に、巨大な墨田清掃工場がある。 333億円の費用と約3年半の建設期間を要し、平成10年(1998)に建てられた清掃工場。 焼却能力は600トン/日で、余熱を利用した発電では13,000kWの出力がある。、、、、、、高い煙突は、スカイツリーと並び町のシンボルか?
 
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・・・・・・・・・・・・・また、隣の健康施設「すみだスポーツ健康センター」へ、清掃工場の余熱供給も行われている。 プールはもちろん“温水”。
 
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⑥旧中川・・・・・・・・・・・清掃工場の脇に流れる旧中川。 旧中川は荒川によって、分断された昔の中川の下流側である。 この川は墨田区と江戸川区の区境でもある。、、、、、分断され、大きな池のようになった旧中川は住民の憩いの場を提供しているようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・旧中川に架かる中平井橋。 この橋を渡り、江戸川区に入る。、、、、長さ: 68m、幅:13m、平成20年(2008)竣工。
 
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⑦都営平井七丁目第3アパート・・・・・・・・・中平井橋を渡ると右手に、地上14階建ての大きな都営アパートがある。 昭和60年~61年に建てられ、450戸程が入居しているそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・都営アパートの隣りは、洗剤の「ライオン」の平井事業所。
 
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⑧夕暮れのスカイツリー・・・・・・・・・・旧中川の土手からスカイツリーを見る。
 
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⑨平井駅・・・・・・・・・・そろそろ皆さんご帰宅のようです。 私も帰宅する。
 
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2018年4月 2日 (月)

一之江~新小岩

やっと、難病の風邪に打ち勝ち社会復帰し、朝から久しぶりに散歩。 今日は、足慣らしを兼ね、都営新宿線一之江駅から総武線新小岩駅まで、1万4千歩も散歩です。
 
 
 
一之江駅 ・・・・・・・・・・江戸川区の中央部に、昭和61年(1986)9月14日に開業した地下駅。、、、、駅名の“一之江”とは、“一番目の川”という意味らしい。 隣には「二之江」という町がある。 ところで、この“川”は何川だ? どうやら、江戸川・中川など大きな川を指しているのではなく、農業用水路を指しているようだ。 村人が開削した用水路で、一番最初の川を“一之江”と呼んだみたいだ。 用水路だから、今になって「どれが一番目?」と問われても特定できないようだ。
 
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②中空のマンション・・・・・・・・・・一之江駅前にあるマンション、オヤ? 駅側の駐車場から見ると、1階から3階までの一部がポッカリ中空になっている。 その上の4階から7階までは、住宅がある。 あの穴は何だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・気になったので、穴を見に行った。 確かに、中空となっており、下は自転車置き場となっていた。 『なぜ、3階まで中空となっているのか?』、掃除をしていたマンション管理の人に聞くと、『私にはワカリマセン、古い住人の方に聞いてください。』 そこで、ちょうど居合わせた古い住人に聞いてみた。 『ア、この穴は、南側に建つ住宅の方が風通しを良くしたいと言われ、あけたそうですよ!』、、、、、マンション建設に対する住民のエゴか? 権利か? それとも法令に従って、何か別の根拠があるのか? 真実が知りたくなった。 もったいない空間だ。、、、、、なおマンションは鉄筋コンクリート造・7階建て、全36戸、平成8年(1996)完成。 
 
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③昭和の雑居木造建築?・・・・・・・・・・環七通りを横断し、一之江4丁目の裏道を歩くと木造のアパートのような建物に、呑み屋の看板がイッパイ? 凄い、ナント、居酒屋「むつ美」、居酒屋「美月」、居酒屋「みっちゃん」、スナック「順子」と4店の看板が出ている。、、、、私が散歩した時刻は午前9時。 すべて店は閉まり確認できないが、“雑居ビル”ならぬ“雑居木造建築”である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・さらにビックリ、確認するため横の路地に行くと、そこに、この建物の2階にもう一軒:居酒屋「ひょうたん島」があるようだ。 奥に階段もある!
 
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④妙音寺・薬王寺・・・・・・・・・・・一之江5丁目の妙音寺は真言宗豊山派の寺院で医王山不動院と号す。 建久元年(1190)の開山で、江戸川区でも有数の古刹である。、、、、、この寺には“片目の鮒”の伝説が残されている。 その説明、『むかし、ひとりの目の不自由な娘がいました。その娘は、目を治そうと、妙音寺の薬師如来に21日の願をかけ、食を断ってお祈りしました。 すると満願の日に、目が見えるようになりました。 娘はお礼にと薬師の池にたくさんの鮒を放ったところ、鮒は全て片目になったといわれています。』、、、、、、小さいが、静かな落ち着いた雰囲気の寺。
 
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・・・・・・・・・・・・・この辺りは、昔から農業を営む家も多く立派な住宅も多い。
 
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・・・・・・・・・・・・・・妙音寺から北へ約350m行くと、妙音寺の隠居寺であった真言宗豊山派の補弥落山薬王寺がある。 薬王寺は、文治2年(1186)祐宣法印が開山・創建した。
 
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⑤抹香屋のタブ・・・・・・・・・薬王寺の北側、京葉道路と環七通りの交差点に「一之江抹香亭」と命名した地域の活動拠点がある。 ここは、旧東一之江村の旧家:抹香屋田澤家の跡地で、仏事で焼香にに使用する抹香(まっこう)づくりを生業としていた田澤家があった。田澤家では、抹香の原料としてタブノキの葉や皮を使用していた。、、、、、そのタブノキの大木が一本残されている。、、、、、満開のサクラもついでにパチリ。
 
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⑥同潤会普通住宅・・・・・・・・・・・・・・同潤会は、関東大震災後、東京を中心に復興支援のため設立された団体である。 当時としては先進的な設計や装備で、鉄筋コンクリート造の同潤会アパートが都内各地で建設された。 一方、鉄筋コンクリート造のアパートは建設コストもかかるため、昭和に入ると木造の住宅を造ることになった。、、、、ここ、松江2-31に残る木造住宅は同潤会の普通住宅である。 建物は朽ち、現:同潤会通りの沿い多くが建てられたが、現存する建物は極一部だけ。
 
・・・・・・・・・・・・・松江2丁目から北上し菅原橋交差点に至る同潤会通り。 京葉道路、中央二丁目交差点近くのバス停は、その名もズバリ、「同潤会」。
 
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・・・・・・・・・・・・そして、現存する普通住宅が京葉道路から入った裏道にある。 まぎれもなく、70年の風雨に耐えてきた木造の「同潤会アパートメント」。 空き家となったようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・近くの京葉道路に面し、「同潤会病院」もある。
 
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⑦菅原橋交差点・・・・・・・・・・・・江戸川区中央3丁目・4丁目、本一色1丁目・2丁目、松本3丁目の各町が接し、千葉街道が抜ける菅原橋交差点は、多差路の日本一(?)。 人によると10差路と云う人も、11差路と云う人もいる。 私の数えでは11差路が正解と思う。、、、、、各自で地図を見て、現地に行って、なん差路だか数えてチョウダイ。
 
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⑧新小岩駅・・・・・・・・・只今、新小岩駅は自由通路の工事中。 まだ完成しないね!
 
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2018年1月29日 (月)

奥戸街道

一週間ぶりに気温も10℃程に上がるようで、散歩する気分となった。 久しぶりに朝から歩いてきた。 京成四ツ木駅で下車し、奥戸街道を歩き総武線小岩駅まで、1万3千歩の散歩です。
 
 
・・・・・・・・奥戸街道(おくどかいどう)は、葛飾区立石1丁目の平和橋通り「奥戸街道入口交差点」から、江戸川区西小岩2丁目の蔵前橋通り「六軒島交差点」までの約3.5kmの区間。 古くからの街道筋で、古代東海道の一部とも重なる。 街道名は愛称として名付けられたようで、昔から「奥戸街道」と呼ばれていたわけではないようだ。 それゆえ、道筋に宿場があったり、古い商家の家並みがあるわけでもない。
 
 
①奥戸街道入口交差点・・・・・・・・・・・京成押上線四ツ木駅と立石駅の中程で、平和橋通り(都道308号)が押上線と交差する。 この踏切:「四ツ木2号踏切」の20m程東側に「奥戸街道入口交差点」がある。、、、、写真:左端が押上線踏切、右奥に伸びる道が奥戸街道、手前右端から踏切を越える道が平和橋通り。
 
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・・・・・・・・・・・・この交差点「奥戸街道入口」と表示されているが、「奥戸街道出口」 の表示は、今日の散歩で見つけることはできなかった。 残念!
 
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・・・・・・・・・・・・四ツ木2号踏切は、只今高架化工事中。 あと数年でこの踏切も消えることになる。
 
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②渋江公園・・・・・・・・・渋江公園、昨年の11月に立ち寄ったので、今日は通過する。
 
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・・・・・・・・・・・・・・車道は雪も解けたが、歩道にはまだ点々と残り、歩行に注意!
 
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③“昭和”のアパート・・・・・・・・・奥戸街道「京成立石駅前交差点」から南に入ると戦前に建てられたと推定するアパートが残っている。 ツタが絡まり見えにくいが、玄関のコンクリート造の門、スクラッチタイル張りの玄関まわり、両開きの玄関ドア、どれもこれも昭和の香り。
 
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④喜多向観音・・・・・・・・・・・・・立石駅の南側:東立石4、奥戸街道に面し「喜多向観音菩薩」が祀られている。、、、、寛保元年(1741)、徳川八代将軍:吉宗の時代、近くの南蔵院 と言う寺の「妙本」という尼さんが金龍山浅草寺を深く信仰して千日詣の大願を起こした。 念願の日、枕頭に金色燦燦と輝ける観世音菩薩が現れ、「汝の願い正に叶う可し、喜び多く向わんと」と謂うや何処ともなく姿を消してしまった。 そのお礼に建てたのがこの喜多向観音と言われている。、、、、浅草の観音様の御威光が、ココ立石まで及んでいた。
 
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⑤本奥戸橋・・・・・・・・・・・奥戸街道が中川を越える位置に架かる橋。昭和62年(1987)に架け替えられたトラス橋、長さ122.1m。、、、、、初代の橋は昭和7年(1932)に架けられた。
 
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⑥地蔵尊、馬頭観音、道標の街道三点セット・・・・・・・・本奥戸橋の西詰(葛飾区立石8)に街道の三点セットである、地蔵尊、馬頭観音、道標がセットで祀られている。、、、、、地蔵尊は、貞亨2年(1685、江戸初期)に建立された。 当初は現在の橋際の堤防内にあわもち屋という家があり、その前に在ったと言われている。、、、、 馬頭観音は江戸時代中頃に、農耕、運搬に欠かせない馬の保護仏として祀られた。 建立は安政2年(1855、江戸大地震の年)。、、、、、 道標は、出羽三山の信者の講により、宝暦5年(1755)、旅人の役にたてようと建造したもの。 『右江戸みち、左おくとみち』と標されている。、、、、、バラバラに造られた3基が、現在は一つにまとまり、地元での信仰を得ている。 
 
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⑦奥戸の二社・・・・・・・・・奥戸街道沿いの区立総合スポーツセンター(葛飾区奥戸2)に隣り合わせで二社ある。
 
・・・・・・・・・・・・・・奥戸水神社、、、、、スポーツセンターの西側に祀られている。 奥戸水神社の創建年代等は不詳だが、中川開削のとき、享保14年(1729)幕府の勘定吟味約井沢弥惣兵衛が河畔に祀ったと言われている。 小さな神社。
 
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・・・・・・・・・・・・・・奥戸天祖神社、、、、、スポーツセンターの東側に祀られている。 奥戸天祖神社は、当地が葛西御厨であった頃に、伊勢皇大神を勧請し、また下総の香取・鹿島のニ神を勧請して三社明神と称し、奥戸村の鎮守とした。 
 
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⑧妙厳寺・・・・・・・・・・・奥戸3丁目に真言宗豊山派の妙厳寺がある。 応永22年(1415)に創建され、永禄元年(1558)に中興された。 本尊は不動明王。、、、、、本堂は安政2年(1855)の大地震で倒壊し、明治14年()1871再建し、その後、昭和に改築された。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・妙厳寺の東で、奥戸街道は環七通りと交差し、さらに東に向かう。
 
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⑨宝蔵院・・・・・・・・・・新中川に架かる奥戸新橋の西詰(奥戸8)に宝蔵院がある。 宝蔵院は室町時代に創建された真言宗豊山派の寺。 本堂は昭和59年(1984)に新築された。、、、、、境内は静かな佇まい、あちらこちらには、石仏、地蔵尊、祠が点在し、まるで山郷のお寺のようだ。 秋の彼岸花が見事に咲く寺としても有名らしい。 今日は、雪の残る境内を拝見してきた。 チョイト、デフォルメされズングリした男の一物にもしっかりと手を合わせてきたが、そろそろ御利益が無くなってきたようだ、コラ、役立たず!
 
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⑩八剱神社・・・・・・・・・・宝蔵院の裏手にある八剱(やつるぎ)神社。 神社は天文5年(1536)三河国碧海郡西端村の郷士杉村小左衛門が当地を開拓するに当たり、守護神として勧請したものと伝えられている。 旧奥戸新田の鎮守。 社殿は、寛永6年(1629)、正保4年(1647)、安永7年(1778)、文久3年(1863)、明治41年(1908)に再建または修覆が行われ、現在の社殿は昭和47年(1972)10月の造営である。
 
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⑪奥戸新橋・・・・・・・・・・新中川に架かる奥戸新橋は、昭和36年(1961)新中川掘削工事に伴い架橋された。 橋長144.6mのプレートガーダー桁橋。、、、、、新中川は掘削当時、中川放水路と呼んでいた。 私が中学生の時である、この掘削工事を見た記憶が残っている。 当時は田圃の中の掘削工事で、まだ重機は使われていなかったと記憶している。
 
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⑫55号線架道橋・・・・・・・・・・奥戸街道は奥戸新橋で新中川を越えると、新金貨物線の55号線架道橋をくぐる。 この架道橋から東側は、江戸川区となる。
 
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⑬奥戸街道分岐点・・・・・・・・・・・西小岩1丁目、蔵前橋通り「六軒島交差点」、ここが奥戸街道の出口である。 キョロキョロ探しても、どこにも「奥戸街道出口」とは記していない!、、、、、やはり、入口はあるが、出口のない街道であった。
・・・・・・・・・・・・・・六軒島交差点はY字型の交差点で、写真左が蔵前橋通り、右に入ると奥戸街道である。
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2018年1月10日 (水)

一之江~平井

♪♪ 北風吹きぬく 寒い朝も 心ひとつで 暖かくなる 清らに咲いた 可憐な花を ・・・・・ ♪♪、自然に口ずさむ今日の寒さ。 都営新宿線一之江駅で下車し、松江を抜けて総武線平井駅まで、風に立ち向かって1万3千歩の散歩です。
 
 
 
一之江駅 ・・・・・・・・・・・散歩の行先も決めず乗った新宿線。 車内はすいている。 どこで降りようか? 決断できず、大島、東大島、船堀と駅が過ぎ、とりあえず次の一之江駅で下車することにした。
 
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・・・・・・・・・・・・・さて、どっちに向かって歩くかな? 寒いので、とりあえず陽の当たる道を歩くことにした。
 
 
②一之江白鬚神社・・・・・・・・・・一之江駅から裏道を北西に200m程歩くと一之江白鬚神社がある。 神社は、江戸時代に東一之江村の名主宇田川源蔵の祖先と、伝左衛門とが祭神を勧請し創建したと言われている。
 
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③感応寺・・・・・・・・・・・白鬚神社から、さらに曲がりくねった裏道を行くと、日蓮宗の感応寺の門前に出た。 感応寺は、元久2年(1205)に建立した真言宗寺院を、正応元年(1288)に日蓮聖人が改めて開山したと言われている。、、、、本堂、鐘楼堂、客殿、庫裡などすべての堂宇は、平成20年(2008)に再建したそうだ。 本堂は木造、 客殿・庫裡は、鉄筋コンクリート造で、一新された境内は明るい空間が創られている。
 
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④長勝寺・・・・・・・・・感応寺の北(江戸川区一之江6)には、日蓮宗の中山法華経寺の末であった、利栄山善学院と号す長勝寺がある。 長勝寺は、寛永2年(1625)頃の開山である。、、、、、この付近は寺院が多く点在する。 長勝寺は広い境内が印象的な寺。
 
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⑤都電の軌道遺跡・・・・・・・・・・長勝寺からは、荒川に架かる小松川橋を目指し今井街道を歩く。、、、、、その今井街道が一之江境川親水公園と交差する地点(堺橋)に、かつて今井街道に走っていた城東電車(後に都電26系統となる)の軌道遺跡が残っている。 遺跡と言っても、橋梁と線路の一部である。、、、、、26系統とは、東荒川(現:西小松川町あたり)から今井橋までの約3.2kmの区間で、城東電気軌道株式会社が大正14年(1925)に開通させた。 昭和17年(1942)、東京市に買収され市電となる。 昭和27年5月19日をもって廃止となる。 翌20日から、上野公園~今井橋間(今井街道)にトロリーバスが開通した。 昭和43年(1968)には、トロリーバスも廃止された。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・戦後、都電からトロリーバスにかわった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・トロリーバスが走っていた今井街道の今。
 
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・・・・・・・・・・・・・・今井街道にトロリーバスが走っていた当時を偲び、街道沿いにはイラストが描かれている。
 
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小松川大橋・・・・・・・・・・・・小松川大橋は京葉道路が荒川を越える橋で、上流側の「小松川橋」と下流側の「新小松川橋」の2橋で構成される。 全長495mの鋼ゲルバー箱桁橋、昭和44年(1969)に竣工。、、、、、老いてヨタヨタ、風に飛ばされそうだ! 荒川を渡り、平井駅まではあとチョイト。
 
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⑦平井駅・・・・・・・・・・JR総武線平井駅。 只今、高架下の駅舎部分の改良工事中。 店舗部分のスペースが広がるそうだ。、、、、またまた、私の住む浅草橋駅よりカッコイイ駅に生まれ変わり、浅草橋はドンドン落ち込むね。 もう、浅草橋駅は総武線内で完敗だ!
 
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2017年12月23日 (土)

清砂大橋・葛西橋

東西線南砂町駅から清砂大橋を渡り荒川を越えて江戸川区へ、引き続き上流の葛西橋を渡り再度荒川を越えて江東区へ、東砂三丁目からバスで帰宅。 1万2千歩の散歩。
 
 
 
南砂町駅 ・・・・・・・・・散歩の出発点はここ南砂町駅。 天皇誕生日の今日は、通勤客も少なく、人を避けることなく歩け楽だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅から300m程東で東西線は地上に顔をだし高架となって荒川へ向かう。 私の足も東西線沿いに荒川へ向かう。
 
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②清砂大橋西詰・・・・・・・・・・・清砂大橋西詰交差点(江東区新砂3)は、千代田区大手町から門前仲町・東陽町を抜ける「永代通り」の終点である。 これより東側は「清砂大橋通り」となり江戸川区東葛西まで続く。
 
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・・・・・・・・・・・・・・交差点から車道は清砂大橋に続く。
 
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③清砂大橋・・・・・・・・・・・西岸の江東区新砂と東岸の江戸川区清新町を結ぶ、荒川と中川に架かる橋長1317.2mの長い橋。 橋名は両岸の町名から一文字頂戴。、、、、、橋は平成8年(1996)に着工し、8年後の平成16年(2004)に開通した、3径間連続斜張橋(主塔間230m)である。
 
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・・・・・・・・・・・・清砂大橋から見る下流側。 首都高湾岸線が走る荒川河口橋が望まれる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・清砂大橋から見る荒川(右側)と中川(左側)の合流点、頭上は首都高中央環状線が走る。
 
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・・・・・・・・・・・・・清砂大橋の上流側約20m離れて東西線荒川橋梁が並行する。
 
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④干潮時の水位以下・・・・・・・・・・清砂大橋の東詰(江戸川区西葛西)に鎮座する西葛西八幡神社。 神社の創建年代は不詳である、かつて地元の鎮守として祀られた。、、、、、神社のすぐ近くに背の高い中川の護岸がそそり立っている。 中川の川面は見えないが、川底に神社があるような気がするのは気のせいか。
 
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・・・・・・・・・・・・・・葛西橋から見た中川(左側)と江戸川区(右側)、、、、、、この辺りは荒川・中川の干潮時の水位より低い位置に建っている。 堤防が決壊すると2階の高さまで水がくるそうだ。
 
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葛西橋 ・・・・・・・・・現在の葛西橋は昭和38年(1963)に完成した、清洲橋をまねたようなデザイン(チョイと武骨で野暮ったい)の長さ727.4mのゲルバー橋で、荒川の右岸(江東区東砂)と中川の左岸(江戸川区西葛西)を結ぶ橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・現在の葛西橋から上流側約300mに、昭和3年(1928)に竣工した旧葛西橋が架けられていた。 その位置に立てられている区の案内板に旧葛西橋の写真がある。
 
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⑥生田稲荷神社・・・・・・・・・・・東砂3丁目の生田稲荷神社。 境内の石碑には、『慶安年中(1648~1651)当地開発のさい、土地の鎮守とす。元禄初年(1688~1703)疫病のさい、里民当社に祈願し安全を得、特に産婦の安全を守護し、神徳を崇め遠近より参詣が多い。』と記されている。 安産に御利益があるようだ。
 
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⑦東砂三丁目バス停・・・・・・・・・都営の敬老パスを持っているので、都営バス・地下鉄などに乗り放題。 ついつい安きに流れ、バスで帰ることにした。
 
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2017年12月19日 (火)

一之江~行徳

都営新宿線一之江駅から、今井橋で旧江戸川を渡り欠真間の町を抜けて、東京メトロ東西線行徳駅まで、1万2千歩の散歩です。
 
 
 
①一之江駅・・・・・・・・・・都営新宿線の一之江(いちのえ)駅は昭和61年(1986)9月14日に開業した島式ホーム1面2線の地下駅。、、、、、一之江駅の周辺には、一之江、一之江町、二之江町、松江、瑞江、春江そして区名が江戸川と地名に“江”の字が多い。 この辺りは、もともと沼地・入り江で、戦後の昭和40年代ぐらいまでは、白鷺の舞うハス田が広がっていた。 今は、白鷺もハス田も見当たらないマンションが建ち並ぶ都会となった。
 
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・・・・・・・・・・・・・駅前は、空中にはられた電線が無く、スッキリとした街になっている。、、、、、無電柱化は達成しているが、高圧鉄塔が残っている。 これがチョイと邪魔だね!
 
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新中川 ・・・・・・・・・・葛飾区高砂にて旧中川分岐して直線的に南下し、瑞穂大橋の下流側で旧江戸川に合流する全長8km程の川である。 新中川は戦後に開削され、昭和38年(1963)に完成した「中川放水路」である。、、、、、今日は瑞江大橋を渡り、新中川を越える。
 
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③今井橋・・・・・・・・旧江戸川に架かる今井橋。 現在の今井橋は昭和54年(1979)に完成した。 それまでの旧橋は現在の橋の50m程上流側に、昭和26年(1951)に完成した片側一車線のコンクリート橋であった。 戦後、上野公園からこの橋の西詰まで、都営のトロリーバスが運行していたが、昭和43年(1968)頃廃止となった。 “トロリーバス”とは、懐かしいね。、、、、、、今井橋は北岸の江戸川区江戸川地区と南岸の千葉県市川市(行徳)を結んでいる。
 
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・・・・・・・・・・・・橋を渡り市川市に入ると、橋の際に「今井の渡し旧跡」の案内が立っている。、、、、、寛永8年(1631)に、この場所に渡しが許可されたそうだ。 以来、大正元年(1912)に初代の今井橋が架けられるまで、渡しが利用されていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・今井の渡し跡の近く(市川市相之川)に、渡し舟の水上安全を祈願した祠「相之川香取神社」がある。、、、、、ついでに、行徳駅から西へ600m程の処(市川市香取(かんどり))に香取神社がある。 こちらは、“かとりじんじゃ”ではなく、地名に由来し“かんどりじんじゃ”と読むそうだ。 香取市の香取神社とは無関係の神社。 あ~、ややっこしい!
 
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④欠真間・・・・・・・・・・南行徳駅の北800m程の旧江戸川べりの地名。 「欠真間」は“かけまま”と読む、“けつまま”と読むと何となく汚いイメージだ。、、、、、市川駅の北、国府台の台地に連なる「真間」の地の土が台風などの自然災害でこの地に流れてきたと伝えられ「欠真間」と呼ばれるそうだ。
 
・・・・・・・・・・・・・江戸川・旧江戸川で囲まれた行徳・浦安地区は、土地が低く自然排水が殆ど不可能な処である。 雨が降ると、雨水などが溜まる一方で、勝手に川へ流れていかない土地であった。 そこで、行徳・浦安地区の川べりには30か所程の排水機場があり、雨水などを江戸川・旧江戸川に強制的に配水している。 その一つ、欠真間排水機場と、欠真間三号水門が旧江戸川べりにある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・住所は相之川であるが、欠真間に隣接する相之川日枝神社。、、、、、相之川日枝神社は、万治2年(1659)に創建したと伝えられ、明治6年(1873)に村社に列格した。
 
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・・・・・・・・・・・・・行徳・浦安地区を東西に貫く江戸時代の農業用水路の跡が、南行徳小学校の塀に「内匠堀跡(たくみぼりあと)」として標されている。、、、、、、用水は現在の鎌ヶ谷市のほうから引かれていたそうだ。 用水路は大正時代に江戸川放水路が造られ分断され、そして現在は道路沿いに暗渠化された。 当時は舟も通行できたそうだ。、、、、小学校の塀は、波を打つ形状で煉瓦積風に造られている。 これが用水路跡か、サッパリ判らん? 
 
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・・・・・・・・・・・・・浦安~本八幡間を、一時間に2~4本程度の頻度で運行している欠真間のバス停。 
 
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⑤源心寺・・・・・・・・・・・・・市川市香取(かんどり)にある浄土宗の源心寺。 源心寺は、永正年間(1504~1521)この地に不動尊像を祀った安楽院という草庵の地に開山された。 慶長16年(1611)の創建。
 
・・・・・・・・・・・・・平成12年(2000)に再建された本堂。
 
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・・・・・・・・・・・・・本堂2階から見る境内は広い。
 
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・・・・・・・・・・・・・鐘楼の脇に控える閻魔大王の石像。 享保3年(1718)の作。、、、、、我が家のインテリアとして欲しくなった。 真夜中に忍び込んで頂戴しようかと思ったが、閻魔の罰が怖いのでやめておく。
 
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⑥胡録神社・・・・・・・・・・・胡録神社は行徳の街(市川市湊新田)の鎮守様である。 江戸時代から、この辺りは天候に恵まれ製塩が盛んな地域であったことから、神に感謝する祭礼が盛大に行われていたそうだ。 その伝統が今も引き継がれているらしい。、、、、、今度機会あれば、祭礼を見てみたいものだ。
 
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⑦行徳駅・・・・・・・・・・昭和44年(1969)3月29日に開業した、相対式ホーム2面2線の高架駅。、、、、、駅ができた当時は、周辺にハス池が多く残っている東京郊外の駅であった。 今は私の住む浅草橋より、生活しやすい感じがする住宅地。
 
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2017年11月20日 (月)

古代東海道

「東海道」と言えば、東京駅から神戸駅までの「JR東海道線」か、江戸時代に整備された五街道の一つ東京日本橋から京都三条大橋までの「東海道」をイメージする。 どちらも、東京駅・日本橋から西に向かって伸びて行くのが「東海道」。、、、、、ところがギッチョン、大化の改新以後に街道が整備され、平安時代には平安京を起点に街道が整備された。 この頃の「東海道」は畿内から伸び武蔵国(東京都)・下総国(千葉県)を抜けて常陸国(茨木県)までであった。 つまり、京都から東京都心部、葛飾区、市川市を抜けて茨木県まで伸びていた。、、、、、今日の散歩は、その「古代東海道」の一部、京成小岩駅から立石駅までの区間を歩いてきた。 1万歩。
 
 
●・・・・・・・・「古代東海道」なる街道があったことを、私が知ったのは、今日散歩の途中で奥戸小学校前を通った時その案内板を見たからである。 70余年東京に住んでいて、初めて知った知識。、、、、、案内板の地図は南北が逆だが、鐘ヶ淵駅・四ツ木駅・立石駅・奥戸橋・三和橋・京成小岩駅と葛飾区の中を通っていた。
 
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①京成小岩駅・・・・・・・・・・島式ホーム2面4線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 昭和7年5月15日に開業。 駅出入口は南北に2か所あるが、駅前の賑わいは期待薄!、、、、JR総武線の小岩駅とはかなり離れている、乗り換えは無理。
 
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②愛国学園・・・・・・・・京成小岩駅近くに、私立の中・高等学校と、短大がある。 昭和13年(1938)設立の女子校である。 “愛国”とは、チョイト戦前の匂いがする校名だ!、、、、校舎の前の通りが古代東海道である。 
 
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③立石大通踏切・・・・・・・・・葛飾区細田1丁目にある新金貨物線(新小岩~金町)の踏切。 踏切名は「立石大通踏切(たていしおおどおりふみきり)」で、この辺りでは古代東海道は立石大通りと呼ばれていたのかも?、、、、、貨物線は運転本数も少なく単線だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・この辺りでは、かつての古代東海道の拡張工事が行われていた。
 
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④三和橋・・・・・・・・・三和橋(さんわばし)は、新中川に架かる橋のひとつで、東岸の葛飾区細田三丁目と西岸の細田二丁目を結んでいる。 橋長119.0mの3径間連続プレビーム合成桁橋。、、、、、旧三和橋は、昭和36年(1961)に架けられ、完成から約50年経過し劣化が進み、耐震性も低下したため、平成24年(2012)6月に現橋が完成した。、、、、古代東海道の頃は、もちろん橋はなかったが、新中川も無かった。 新中川は昭和38年(1963)に中川放水路として完成した新しい川である。
 
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⑤奥戸小学校・・・・・・・・・・三和橋を渡ると奥戸の町に入る。 この学校前で、古代東海道を知ることができた。
 
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⑥奥戸橋・・・・・・・・・・・奥戸小学校を過ぎると、中川に架かる奥戸橋を渡る。 高砂1丁目と立石8丁目を結ぶ、飾りの少ないガータ橋。 昭和47年(1972)11月竣工。、、、、古代人はこの川を泳いで渡ったのか? 
 
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⑦南蔵院・・・・・・・・・・奥戸橋を渡り中川沿いに歩くと、真言宗豊山派寺院の南蔵院がある。 長保年間(999-1004)に創建したと伝えられ、境内からは、明治時代に破却されたものの古墳が出土しており、古くから栄えた一角にある。、、、、、古代東海道を知る寺院か?
 
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⑧立石祠・・・・・・・・・・「立石」の地名は、立石八丁目にある立石様という石に由来する。 この立石様は、公園の中央にある祠の中心に鎮座している。 付近にかつて古墳があったことやその材質(房州石という凝灰石の一種)から、古墳の石室などと同様、千葉県鋸山付近より同地に持ち込まれたと推定されている。また、奈良・平安時代には立石付近を横断していた古代東海道の道標として転用されていたと考えられている。、、、、、立石様の石は、頭がかろうじて見える程度で全身は土の中。
 
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⑨帝釈道の道標・・・・・・・・・立石祠の近く、中川の岸に、正面に大きく「帝釋天王」と彫られてた道標がある。  横側には「文政三(=1820年)庚辰歳四月」の文字が見て取れる。 このあたりで「帝釋天」といえば、柴又の寅さんがいる「題経寺」のことを指す。 ここは帝釈道の分岐点でもあった。
 
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⑩西円寺/諏訪神社・・・・・・・・・・・新義真言宗寺院の西円寺は、永禄10年(1567)の創建。 江戸時代には立石諏訪神社の別当寺であった。、、、、、今日は経営する幼稚園の行事があるらしく、怪しい親爺は境内に近寄れなかった。
 
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・・・・・・・・・・・・・立石諏訪神社の創建年代は不詳だが、元文4年(1799)の資料に記載のあることから江戸時代中期には創建されていたらしい。
 
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⑪立石駅・・・・・・・・・立石駅を挟む、四つ木~青砥間の高架化工事に着手し、立石駅はいよいよ高架駅に変わる予定。 また、駅の両側の再開発も計画され、数年後には大変身するであろう。、、、、、古代東海道の散歩も、今日はここまで!
 
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