江戸川区

2018年4月 2日 (月)

一之江~新小岩

やっと、難病の風邪に打ち勝ち社会復帰し、朝から久しぶりに散歩。 今日は、足慣らしを兼ね、都営新宿線一之江駅から総武線新小岩駅まで、1万4千歩も散歩です。
 
 
 
一之江駅 ・・・・・・・・・・江戸川区の中央部に、昭和61年(1986)9月14日に開業した地下駅。、、、、駅名の“一之江”とは、“一番目の川”という意味らしい。 隣には「二之江」という町がある。 ところで、この“川”は何川だ? どうやら、江戸川・中川など大きな川を指しているのではなく、農業用水路を指しているようだ。 村人が開削した用水路で、一番最初の川を“一之江”と呼んだみたいだ。 用水路だから、今になって「どれが一番目?」と問われても特定できないようだ。
 
180402080914003
 
180402083310018_2
 
 
②中空のマンション・・・・・・・・・・一之江駅前にあるマンション、オヤ? 駅側の駐車場から見ると、1階から3階までの一部がポッカリ中空になっている。 その上の4階から7階までは、住宅がある。 あの穴は何だ!
 
180402081936007
 
180402083112017
 
・・・・・・・・・・・・・・気になったので、穴を見に行った。 確かに、中空となっており、下は自転車置き場となっていた。 『なぜ、3階まで中空となっているのか?』、掃除をしていたマンション管理の人に聞くと、『私にはワカリマセン、古い住人の方に聞いてください。』 そこで、ちょうど居合わせた古い住人に聞いてみた。 『ア、この穴は、南側に建つ住宅の方が風通しを良くしたいと言われ、あけたそうですよ!』、、、、、マンション建設に対する住民のエゴか? 権利か? それとも法令に従って、何か別の根拠があるのか? 真実が知りたくなった。 もったいない空間だ。、、、、、なおマンションは鉄筋コンクリート造・7階建て、全36戸、平成8年(1996)完成。 
 
180402082925015_2
 
 
③昭和の雑居木造建築?・・・・・・・・・・環七通りを横断し、一之江4丁目の裏道を歩くと木造のアパートのような建物に、呑み屋の看板がイッパイ? 凄い、ナント、居酒屋「むつ美」、居酒屋「美月」、居酒屋「みっちゃん」、スナック「順子」と4店の看板が出ている。、、、、私が散歩した時刻は午前9時。 すべて店は閉まり確認できないが、“雑居ビル”ならぬ“雑居木造建築”である。
 
180402084653031
 
・・・・・・・・・・・・・・さらにビックリ、確認するため横の路地に行くと、そこに、この建物の2階にもう一軒:居酒屋「ひょうたん島」があるようだ。 奥に階段もある!
 
180402084731033
 
 
④妙音寺・薬王寺・・・・・・・・・・・一之江5丁目の妙音寺は真言宗豊山派の寺院で医王山不動院と号す。 建久元年(1190)の開山で、江戸川区でも有数の古刹である。、、、、、この寺には“片目の鮒”の伝説が残されている。 その説明、『むかし、ひとりの目の不自由な娘がいました。その娘は、目を治そうと、妙音寺の薬師如来に21日の願をかけ、食を断ってお祈りしました。 すると満願の日に、目が見えるようになりました。 娘はお礼にと薬師の池にたくさんの鮒を放ったところ、鮒は全て片目になったといわれています。』、、、、、、小さいが、静かな落ち着いた雰囲気の寺。
 
180402085544040_2
 
180402085815042
 
 
・・・・・・・・・・・・・この辺りは、昔から農業を営む家も多く立派な住宅も多い。
 
180402085231036
 
180402085327037
 
 
・・・・・・・・・・・・・・妙音寺から北へ約350m行くと、妙音寺の隠居寺であった真言宗豊山派の補弥落山薬王寺がある。 薬王寺は、文治2年(1186)祐宣法印が開山・創建した。
 
180402090859046
 
 
⑤抹香屋のタブ・・・・・・・・・薬王寺の北側、京葉道路と環七通りの交差点に「一之江抹香亭」と命名した地域の活動拠点がある。 ここは、旧東一之江村の旧家:抹香屋田澤家の跡地で、仏事で焼香にに使用する抹香(まっこう)づくりを生業としていた田澤家があった。田澤家では、抹香の原料としてタブノキの葉や皮を使用していた。、、、、、そのタブノキの大木が一本残されている。、、、、、満開のサクラもついでにパチリ。
 
180402092428060
 
180402092044056_2
 
180402092024055_2
 
 
⑥同潤会普通住宅・・・・・・・・・・・・・・同潤会は、関東大震災後、東京を中心に復興支援のため設立された団体である。 当時としては先進的な設計や装備で、鉄筋コンクリート造の同潤会アパートが都内各地で建設された。 一方、鉄筋コンクリート造のアパートは建設コストもかかるため、昭和に入ると木造の住宅を造ることになった。、、、、ここ、松江2-31に残る木造住宅は同潤会の普通住宅である。 建物は朽ち、現:同潤会通りの沿い多くが建てられたが、現存する建物は極一部だけ。
 
・・・・・・・・・・・・・松江2丁目から北上し菅原橋交差点に至る同潤会通り。 京葉道路、中央二丁目交差点近くのバス停は、その名もズバリ、「同潤会」。
 
180402094351067
 
180402094658070
 
180402094631069_2
 
・・・・・・・・・・・・そして、現存する普通住宅が京葉道路から入った裏道にある。 まぎれもなく、70年の風雨に耐えてきた木造の「同潤会アパートメント」。 空き家となったようだ。
 
180402094800073
 
180402094915076
 
180402095416088
 
・・・・・・・・・・・・・近くの京葉道路に面し、「同潤会病院」もある。
 
180402095721092
 
 
⑦菅原橋交差点・・・・・・・・・・・・江戸川区中央3丁目・4丁目、本一色1丁目・2丁目、松本3丁目の各町が接し、千葉街道が抜ける菅原橋交差点は、多差路の日本一(?)。 人によると10差路と云う人も、11差路と云う人もいる。 私の数えでは11差路が正解と思う。、、、、、各自で地図を見て、現地に行って、なん差路だか数えてチョウダイ。
 
1804021022541119_stitch_3
 
 
⑧新小岩駅・・・・・・・・・只今、新小岩駅は自由通路の工事中。 まだ完成しないね!
 
1804021042150135
 
1804021045400142

2018年1月29日 (月)

奥戸街道

一週間ぶりに気温も10℃程に上がるようで、散歩する気分となった。 久しぶりに朝から歩いてきた。 京成四ツ木駅で下車し、奥戸街道を歩き総武線小岩駅まで、1万3千歩の散歩です。
 
 
・・・・・・・・奥戸街道(おくどかいどう)は、葛飾区立石1丁目の平和橋通り「奥戸街道入口交差点」から、江戸川区西小岩2丁目の蔵前橋通り「六軒島交差点」までの約3.5kmの区間。 古くからの街道筋で、古代東海道の一部とも重なる。 街道名は愛称として名付けられたようで、昔から「奥戸街道」と呼ばれていたわけではないようだ。 それゆえ、道筋に宿場があったり、古い商家の家並みがあるわけでもない。
 
 
①奥戸街道入口交差点・・・・・・・・・・・京成押上線四ツ木駅と立石駅の中程で、平和橋通り(都道308号)が押上線と交差する。 この踏切:「四ツ木2号踏切」の20m程東側に「奥戸街道入口交差点」がある。、、、、写真:左端が押上線踏切、右奥に伸びる道が奥戸街道、手前右端から踏切を越える道が平和橋通り。
 
1801290832241_stitch
 
・・・・・・・・・・・・この交差点「奥戸街道入口」と表示されているが、「奥戸街道出口」 の表示は、今日の散歩で見つけることはできなかった。 残念!
 
1801290832310
 
・・・・・・・・・・・・四ツ木2号踏切は、只今高架化工事中。 あと数年でこの踏切も消えることになる。
 
1801290834020
 
 
②渋江公園・・・・・・・・・渋江公園、昨年の11月に立ち寄ったので、今日は通過する。
 
1801290839480
 
・・・・・・・・・・・・・・車道は雪も解けたが、歩道にはまだ点々と残り、歩行に注意!
 
1801290837270
 
1801290835470
 
 
③“昭和”のアパート・・・・・・・・・奥戸街道「京成立石駅前交差点」から南に入ると戦前に建てられたと推定するアパートが残っている。 ツタが絡まり見えにくいが、玄関のコンクリート造の門、スクラッチタイル張りの玄関まわり、両開きの玄関ドア、どれもこれも昭和の香り。
 
1801290858100
 
1801290857250
 
 
④喜多向観音・・・・・・・・・・・・・立石駅の南側:東立石4、奥戸街道に面し「喜多向観音菩薩」が祀られている。、、、、寛保元年(1741)、徳川八代将軍:吉宗の時代、近くの南蔵院 と言う寺の「妙本」という尼さんが金龍山浅草寺を深く信仰して千日詣の大願を起こした。 念願の日、枕頭に金色燦燦と輝ける観世音菩薩が現れ、「汝の願い正に叶う可し、喜び多く向わんと」と謂うや何処ともなく姿を消してしまった。 そのお礼に建てたのがこの喜多向観音と言われている。、、、、浅草の観音様の御威光が、ココ立石まで及んでいた。
 
1801290902170
 
1801290904270
 
 
⑤本奥戸橋・・・・・・・・・・・奥戸街道が中川を越える位置に架かる橋。昭和62年(1987)に架け替えられたトラス橋、長さ122.1m。、、、、、初代の橋は昭和7年(1932)に架けられた。
 
1801290910400
 
1801290919270
 
1801290916480
 
 
⑥地蔵尊、馬頭観音、道標の街道三点セット・・・・・・・・本奥戸橋の西詰(葛飾区立石8)に街道の三点セットである、地蔵尊、馬頭観音、道標がセットで祀られている。、、、、、地蔵尊は、貞亨2年(1685、江戸初期)に建立された。 当初は現在の橋際の堤防内にあわもち屋という家があり、その前に在ったと言われている。、、、、 馬頭観音は江戸時代中頃に、農耕、運搬に欠かせない馬の保護仏として祀られた。 建立は安政2年(1855、江戸大地震の年)。、、、、、 道標は、出羽三山の信者の講により、宝暦5年(1755)、旅人の役にたてようと建造したもの。 『右江戸みち、左おくとみち』と標されている。、、、、、バラバラに造られた3基が、現在は一つにまとまり、地元での信仰を得ている。 
 
1801290914430_2
 
1801290915510_2
 
1801290914250
 
 
⑦奥戸の二社・・・・・・・・・奥戸街道沿いの区立総合スポーツセンター(葛飾区奥戸2)に隣り合わせで二社ある。
 
・・・・・・・・・・・・・・奥戸水神社、、、、、スポーツセンターの西側に祀られている。 奥戸水神社の創建年代等は不詳だが、中川開削のとき、享保14年(1729)幕府の勘定吟味約井沢弥惣兵衛が河畔に祀ったと言われている。 小さな神社。
 
1801290930510
 
・・・・・・・・・・・・・・奥戸天祖神社、、、、、スポーツセンターの東側に祀られている。 奥戸天祖神社は、当地が葛西御厨であった頃に、伊勢皇大神を勧請し、また下総の香取・鹿島のニ神を勧請して三社明神と称し、奥戸村の鎮守とした。 
 
1801290939150
 
 
⑧妙厳寺・・・・・・・・・・・奥戸3丁目に真言宗豊山派の妙厳寺がある。 応永22年(1415)に創建され、永禄元年(1558)に中興された。 本尊は不動明王。、、、、、本堂は安政2年(1855)の大地震で倒壊し、明治14年()1871再建し、その後、昭和に改築された。 
 
1801290948050
 
・・・・・・・・・・・・・・妙厳寺の東で、奥戸街道は環七通りと交差し、さらに東に向かう。
 
1801290954190
 
 
⑨宝蔵院・・・・・・・・・・新中川に架かる奥戸新橋の西詰(奥戸8)に宝蔵院がある。 宝蔵院は室町時代に創建された真言宗豊山派の寺。 本堂は昭和59年(1984)に新築された。、、、、、境内は静かな佇まい、あちらこちらには、石仏、地蔵尊、祠が点在し、まるで山郷のお寺のようだ。 秋の彼岸花が見事に咲く寺としても有名らしい。 今日は、雪の残る境内を拝見してきた。 チョイト、デフォルメされズングリした男の一物にもしっかりと手を合わせてきたが、そろそろ御利益が無くなってきたようだ、コラ、役立たず!
 
1801291007250
 
1801291001530
 
1801291002160
 
1801291005090
 
1801291005580
 
 
⑩八剱神社・・・・・・・・・・宝蔵院の裏手にある八剱(やつるぎ)神社。 神社は天文5年(1536)三河国碧海郡西端村の郷士杉村小左衛門が当地を開拓するに当たり、守護神として勧請したものと伝えられている。 旧奥戸新田の鎮守。 社殿は、寛永6年(1629)、正保4年(1647)、安永7年(1778)、文久3年(1863)、明治41年(1908)に再建または修覆が行われ、現在の社殿は昭和47年(1972)10月の造営である。
 
1801290956520
 
1801290957470
 
 
⑪奥戸新橋・・・・・・・・・・新中川に架かる奥戸新橋は、昭和36年(1961)新中川掘削工事に伴い架橋された。 橋長144.6mのプレートガーダー桁橋。、、、、、新中川は掘削当時、中川放水路と呼んでいた。 私が中学生の時である、この掘削工事を見た記憶が残っている。 当時は田圃の中の掘削工事で、まだ重機は使われていなかったと記憶している。
 
1801291009450
 
1801291013090
 
1801291010450
 
 
⑫55号線架道橋・・・・・・・・・・奥戸街道は奥戸新橋で新中川を越えると、新金貨物線の55号線架道橋をくぐる。 この架道橋から東側は、江戸川区となる。
 
1801291015280
⑬奥戸街道分岐点・・・・・・・・・・・西小岩1丁目、蔵前橋通り「六軒島交差点」、ここが奥戸街道の出口である。 キョロキョロ探しても、どこにも「奥戸街道出口」とは記していない!、、、、、やはり、入口はあるが、出口のない街道であった。
・・・・・・・・・・・・・・六軒島交差点はY字型の交差点で、写真左が蔵前橋通り、右に入ると奥戸街道である。
1801291024170

2018年1月10日 (水)

一之江~平井

♪♪ 北風吹きぬく 寒い朝も 心ひとつで 暖かくなる 清らに咲いた 可憐な花を ・・・・・ ♪♪、自然に口ずさむ今日の寒さ。 都営新宿線一之江駅で下車し、松江を抜けて総武線平井駅まで、風に立ち向かって1万3千歩の散歩です。
 
 
 
一之江駅 ・・・・・・・・・・・散歩の行先も決めず乗った新宿線。 車内はすいている。 どこで降りようか? 決断できず、大島、東大島、船堀と駅が過ぎ、とりあえず次の一之江駅で下車することにした。
 
1801100825240
 
1801100831560
 
・・・・・・・・・・・・・さて、どっちに向かって歩くかな? 寒いので、とりあえず陽の当たる道を歩くことにした。
 
 
②一之江白鬚神社・・・・・・・・・・一之江駅から裏道を北西に200m程歩くと一之江白鬚神社がある。 神社は、江戸時代に東一之江村の名主宇田川源蔵の祖先と、伝左衛門とが祭神を勧請し創建したと言われている。
 
1801100841550
 
1801100843080
 
 
③感応寺・・・・・・・・・・・白鬚神社から、さらに曲がりくねった裏道を行くと、日蓮宗の感応寺の門前に出た。 感応寺は、元久2年(1205)に建立した真言宗寺院を、正応元年(1288)に日蓮聖人が改めて開山したと言われている。、、、、本堂、鐘楼堂、客殿、庫裡などすべての堂宇は、平成20年(2008)に再建したそうだ。 本堂は木造、 客殿・庫裡は、鉄筋コンクリート造で、一新された境内は明るい空間が創られている。
 
1801100846410
 
1801100847550
 
 
④長勝寺・・・・・・・・・感応寺の北(江戸川区一之江6)には、日蓮宗の中山法華経寺の末であった、利栄山善学院と号す長勝寺がある。 長勝寺は、寛永2年(1625)頃の開山である。、、、、、この付近は寺院が多く点在する。 長勝寺は広い境内が印象的な寺。
 
1801100858000
 
1801100857070
 
 
⑤都電の軌道遺跡・・・・・・・・・・長勝寺からは、荒川に架かる小松川橋を目指し今井街道を歩く。、、、、、その今井街道が一之江境川親水公園と交差する地点(堺橋)に、かつて今井街道に走っていた城東電車(後に都電26系統となる)の軌道遺跡が残っている。 遺跡と言っても、橋梁と線路の一部である。、、、、、26系統とは、東荒川(現:西小松川町あたり)から今井橋までの約3.2kmの区間で、城東電気軌道株式会社が大正14年(1925)に開通させた。 昭和17年(1942)、東京市に買収され市電となる。 昭和27年5月19日をもって廃止となる。 翌20日から、上野公園~今井橋間(今井街道)にトロリーバスが開通した。 昭和43年(1968)には、トロリーバスも廃止された。 
 
1801100908320
 
1801100905480
 
・・・・・・・・・・・・・・戦後、都電からトロリーバスにかわった。
 
20150119_124_2
 
・・・・・・・・・・・・・・トロリーバスが走っていた今井街道の今。
 
1801100910390
 
1801100929580
 
1801100939280
 
・・・・・・・・・・・・・・今井街道にトロリーバスが走っていた当時を偲び、街道沿いにはイラストが描かれている。
 
1801100916280
 
1801100937100
 
 
小松川大橋・・・・・・・・・・・・小松川大橋は京葉道路が荒川を越える橋で、上流側の「小松川橋」と下流側の「新小松川橋」の2橋で構成される。 全長495mの鋼ゲルバー箱桁橋、昭和44年(1969)に竣工。、、、、、老いてヨタヨタ、風に飛ばされそうだ! 荒川を渡り、平井駅まではあとチョイト。
 
1801101019100
 
1801101012450
 
1801101012351_stitch_2
 
 
⑦平井駅・・・・・・・・・・JR総武線平井駅。 只今、高架下の駅舎部分の改良工事中。 店舗部分のスペースが広がるそうだ。、、、、またまた、私の住む浅草橋駅よりカッコイイ駅に生まれ変わり、浅草橋はドンドン落ち込むね。 もう、浅草橋駅は総武線内で完敗だ!
 
1801101038540

2017年12月23日 (土)

清砂大橋・葛西橋

東西線南砂町駅から清砂大橋を渡り荒川を越えて江戸川区へ、引き続き上流の葛西橋を渡り再度荒川を越えて江東区へ、東砂三丁目からバスで帰宅。 1万2千歩の散歩。
 
 
 
南砂町駅 ・・・・・・・・・散歩の出発点はここ南砂町駅。 天皇誕生日の今日は、通勤客も少なく、人を避けることなく歩け楽だ。
 
1712230808580
 
1712230809130
 
1712230819180
 
・・・・・・・・・・・・・・駅から300m程東で東西線は地上に顔をだし高架となって荒川へ向かう。 私の足も東西線沿いに荒川へ向かう。
 
1712230829170
 
 
②清砂大橋西詰・・・・・・・・・・・清砂大橋西詰交差点(江東区新砂3)は、千代田区大手町から門前仲町・東陽町を抜ける「永代通り」の終点である。 これより東側は「清砂大橋通り」となり江戸川区東葛西まで続く。
 
1712230835520
 
・・・・・・・・・・・・・・交差点から車道は清砂大橋に続く。
 
1712230839070
 
 
③清砂大橋・・・・・・・・・・・西岸の江東区新砂と東岸の江戸川区清新町を結ぶ、荒川と中川に架かる橋長1317.2mの長い橋。 橋名は両岸の町名から一文字頂戴。、、、、、橋は平成8年(1996)に着工し、8年後の平成16年(2004)に開通した、3径間連続斜張橋(主塔間230m)である。
 
1712230844460
 
1712230848140
 
1712230856000
 
・・・・・・・・・・・・清砂大橋から見る下流側。 首都高湾岸線が走る荒川河口橋が望まれる。
 
1712230852000
 
・・・・・・・・・・・・・・清砂大橋から見る荒川(右側)と中川(左側)の合流点、頭上は首都高中央環状線が走る。
 
1712230859240
 
1712230900110
 
・・・・・・・・・・・・・清砂大橋の上流側約20m離れて東西線荒川橋梁が並行する。
 
1712230908380
 
1712230912490
 
 
④干潮時の水位以下・・・・・・・・・・清砂大橋の東詰(江戸川区西葛西)に鎮座する西葛西八幡神社。 神社の創建年代は不詳である、かつて地元の鎮守として祀られた。、、、、、神社のすぐ近くに背の高い中川の護岸がそそり立っている。 中川の川面は見えないが、川底に神社があるような気がするのは気のせいか。
 
1712230911340
・・・・・・・・・・・・・・葛西橋から見た中川(左側)と江戸川区(右側)、、、、、、この辺りは荒川・中川の干潮時の水位より低い位置に建っている。 堤防が決壊すると2階の高さまで水がくるそうだ。
 
1712230926330
 
 
葛西橋 ・・・・・・・・・現在の葛西橋は昭和38年(1963)に完成した、清洲橋をまねたようなデザイン(チョイと武骨で野暮ったい)の長さ727.4mのゲルバー橋で、荒川の右岸(江東区東砂)と中川の左岸(江戸川区西葛西)を結ぶ橋。
 
1712230947520
 
1712230931370
 
1712230945030
 
1712230943590
 
1712230940240
 
・・・・・・・・・・・・・現在の葛西橋から上流側約300mに、昭和3年(1928)に竣工した旧葛西橋が架けられていた。 その位置に立てられている区の案内板に旧葛西橋の写真がある。
 
1712230950590_2
 
 
⑥生田稲荷神社・・・・・・・・・・・東砂3丁目の生田稲荷神社。 境内の石碑には、『慶安年中(1648~1651)当地開発のさい、土地の鎮守とす。元禄初年(1688~1703)疫病のさい、里民当社に祈願し安全を得、特に産婦の安全を守護し、神徳を崇め遠近より参詣が多い。』と記されている。 安産に御利益があるようだ。
 
1712231016130
 
 
⑦東砂三丁目バス停・・・・・・・・・都営の敬老パスを持っているので、都営バス・地下鉄などに乗り放題。 ついつい安きに流れ、バスで帰ることにした。
 
1712231024410

2017年12月19日 (火)

一之江~行徳

都営新宿線一之江駅から、今井橋で旧江戸川を渡り欠真間の町を抜けて、東京メトロ東西線行徳駅まで、1万2千歩の散歩です。
 
 
 
①一之江駅・・・・・・・・・・都営新宿線の一之江(いちのえ)駅は昭和61年(1986)9月14日に開業した島式ホーム1面2線の地下駅。、、、、、一之江駅の周辺には、一之江、一之江町、二之江町、松江、瑞江、春江そして区名が江戸川と地名に“江”の字が多い。 この辺りは、もともと沼地・入り江で、戦後の昭和40年代ぐらいまでは、白鷺の舞うハス田が広がっていた。 今は、白鷺もハス田も見当たらないマンションが建ち並ぶ都会となった。
 
1712190822040
 
1712190822520
 
1712190835430
 
・・・・・・・・・・・・・駅前は、空中にはられた電線が無く、スッキリとした街になっている。、、、、、無電柱化は達成しているが、高圧鉄塔が残っている。 これがチョイと邪魔だね!
 
1712190837070
 
1712190841480
 
 
新中川 ・・・・・・・・・・葛飾区高砂にて旧中川分岐して直線的に南下し、瑞穂大橋の下流側で旧江戸川に合流する全長8km程の川である。 新中川は戦後に開削され、昭和38年(1963)に完成した「中川放水路」である。、、、、、今日は瑞江大橋を渡り、新中川を越える。
 
1712190848190
 
1712190846250
 
 
③今井橋・・・・・・・・旧江戸川に架かる今井橋。 現在の今井橋は昭和54年(1979)に完成した。 それまでの旧橋は現在の橋の50m程上流側に、昭和26年(1951)に完成した片側一車線のコンクリート橋であった。 戦後、上野公園からこの橋の西詰まで、都営のトロリーバスが運行していたが、昭和43年(1968)頃廃止となった。 “トロリーバス”とは、懐かしいね。、、、、、、今井橋は北岸の江戸川区江戸川地区と南岸の千葉県市川市(行徳)を結んでいる。
 
1712190905421_stitch_3
 
・・・・・・・・・・・・橋を渡り市川市に入ると、橋の際に「今井の渡し旧跡」の案内が立っている。、、、、、寛永8年(1631)に、この場所に渡しが許可されたそうだ。 以来、大正元年(1912)に初代の今井橋が架けられるまで、渡しが利用されていた。
 
1712190904300
 
・・・・・・・・・・・・・今井の渡し跡の近く(市川市相之川)に、渡し舟の水上安全を祈願した祠「相之川香取神社」がある。、、、、、ついでに、行徳駅から西へ600m程の処(市川市香取(かんどり))に香取神社がある。 こちらは、“かとりじんじゃ”ではなく、地名に由来し“かんどりじんじゃ”と読むそうだ。 香取市の香取神社とは無関係の神社。 あ~、ややっこしい!
 
1712190910350
 
 
④欠真間・・・・・・・・・・南行徳駅の北800m程の旧江戸川べりの地名。 「欠真間」は“かけまま”と読む、“けつまま”と読むと何となく汚いイメージだ。、、、、、市川駅の北、国府台の台地に連なる「真間」の地の土が台風などの自然災害でこの地に流れてきたと伝えられ「欠真間」と呼ばれるそうだ。
 
・・・・・・・・・・・・・江戸川・旧江戸川で囲まれた行徳・浦安地区は、土地が低く自然排水が殆ど不可能な処である。 雨が降ると、雨水などが溜まる一方で、勝手に川へ流れていかない土地であった。 そこで、行徳・浦安地区の川べりには30か所程の排水機場があり、雨水などを江戸川・旧江戸川に強制的に配水している。 その一つ、欠真間排水機場と、欠真間三号水門が旧江戸川べりにある。
 
1712190939090_6
 
1712190941050
 
・・・・・・・・・・・・・・住所は相之川であるが、欠真間に隣接する相之川日枝神社。、、、、、相之川日枝神社は、万治2年(1659)に創建したと伝えられ、明治6年(1873)に村社に列格した。
 
1712190943440
 
1712190945570
 
・・・・・・・・・・・・・行徳・浦安地区を東西に貫く江戸時代の農業用水路の跡が、南行徳小学校の塀に「内匠堀跡(たくみぼりあと)」として標されている。、、、、、、用水は現在の鎌ヶ谷市のほうから引かれていたそうだ。 用水路は大正時代に江戸川放水路が造られ分断され、そして現在は道路沿いに暗渠化された。 当時は舟も通行できたそうだ。、、、、小学校の塀は、波を打つ形状で煉瓦積風に造られている。 これが用水路跡か、サッパリ判らん? 
 
1712190950390
 
1712190951150
 
・・・・・・・・・・・・・浦安~本八幡間を、一時間に2~4本程度の頻度で運行している欠真間のバス停。 
 
1712190958050
 
 
⑤源心寺・・・・・・・・・・・・・市川市香取(かんどり)にある浄土宗の源心寺。 源心寺は、永正年間(1504~1521)この地に不動尊像を祀った安楽院という草庵の地に開山された。 慶長16年(1611)の創建。
 
・・・・・・・・・・・・・平成12年(2000)に再建された本堂。
 
1712191007530
 
・・・・・・・・・・・・・本堂2階から見る境内は広い。
 
1712191006020
 
・・・・・・・・・・・・・鐘楼の脇に控える閻魔大王の石像。 享保3年(1718)の作。、、、、、我が家のインテリアとして欲しくなった。 真夜中に忍び込んで頂戴しようかと思ったが、閻魔の罰が怖いのでやめておく。
 
1712191003020
 
 
⑥胡録神社・・・・・・・・・・・胡録神社は行徳の街(市川市湊新田)の鎮守様である。 江戸時代から、この辺りは天候に恵まれ製塩が盛んな地域であったことから、神に感謝する祭礼が盛大に行われていたそうだ。 その伝統が今も引き継がれているらしい。、、、、、今度機会あれば、祭礼を見てみたいものだ。
 
1712191019340
 
 
⑦行徳駅・・・・・・・・・・昭和44年(1969)3月29日に開業した、相対式ホーム2面2線の高架駅。、、、、、駅ができた当時は、周辺にハス池が多く残っている東京郊外の駅であった。 今は私の住む浅草橋より、生活しやすい感じがする住宅地。
 
1712191027080
 
1712191027210

2017年11月20日 (月)

古代東海道

「東海道」と言えば、東京駅から神戸駅までの「JR東海道線」か、江戸時代に整備された五街道の一つ東京日本橋から京都三条大橋までの「東海道」をイメージする。 どちらも、東京駅・日本橋から西に向かって伸びて行くのが「東海道」。、、、、、ところがギッチョン、大化の改新以後に街道が整備され、平安時代には平安京を起点に街道が整備された。 この頃の「東海道」は畿内から伸び武蔵国(東京都)・下総国(千葉県)を抜けて常陸国(茨木県)までであった。 つまり、京都から東京都心部、葛飾区、市川市を抜けて茨木県まで伸びていた。、、、、、今日の散歩は、その「古代東海道」の一部、京成小岩駅から立石駅までの区間を歩いてきた。 1万歩。
 
 
●・・・・・・・・「古代東海道」なる街道があったことを、私が知ったのは、今日散歩の途中で奥戸小学校前を通った時その案内板を見たからである。 70余年東京に住んでいて、初めて知った知識。、、、、、案内板の地図は南北が逆だが、鐘ヶ淵駅・四ツ木駅・立石駅・奥戸橋・三和橋・京成小岩駅と葛飾区の中を通っていた。
 
1711200917010
 
1711200916440
 
 
①京成小岩駅・・・・・・・・・・島式ホーム2面4線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 昭和7年5月15日に開業。 駅出入口は南北に2か所あるが、駅前の賑わいは期待薄!、、、、JR総武線の小岩駅とはかなり離れている、乗り換えは無理。
 
1711200809540
 
1711200814570
 
1711200823400
 
 
②愛国学園・・・・・・・・京成小岩駅近くに、私立の中・高等学校と、短大がある。 昭和13年(1938)設立の女子校である。 “愛国”とは、チョイト戦前の匂いがする校名だ!、、、、校舎の前の通りが古代東海道である。 
 
1711200828480
 
1711200829161
 
③立石大通踏切・・・・・・・・・葛飾区細田1丁目にある新金貨物線(新小岩~金町)の踏切。 踏切名は「立石大通踏切(たていしおおどおりふみきり)」で、この辺りでは古代東海道は立石大通りと呼ばれていたのかも?、、、、、貨物線は運転本数も少なく単線だ!
 
1711200858150
 
1711200859220
 
・・・・・・・・・・・・・この辺りでは、かつての古代東海道の拡張工事が行われていた。
 
1711200855360
 
 
④三和橋・・・・・・・・・三和橋(さんわばし)は、新中川に架かる橋のひとつで、東岸の葛飾区細田三丁目と西岸の細田二丁目を結んでいる。 橋長119.0mの3径間連続プレビーム合成桁橋。、、、、、旧三和橋は、昭和36年(1961)に架けられ、完成から約50年経過し劣化が進み、耐震性も低下したため、平成24年(2012)6月に現橋が完成した。、、、、古代東海道の頃は、もちろん橋はなかったが、新中川も無かった。 新中川は昭和38年(1963)に中川放水路として完成した新しい川である。
 
1711200904300
 
1711200906370
 
 
⑤奥戸小学校・・・・・・・・・・三和橋を渡ると奥戸の町に入る。 この学校前で、古代東海道を知ることができた。
 
1711200914030
 
 
⑥奥戸橋・・・・・・・・・・・奥戸小学校を過ぎると、中川に架かる奥戸橋を渡る。 高砂1丁目と立石8丁目を結ぶ、飾りの少ないガータ橋。 昭和47年(1972)11月竣工。、、、、古代人はこの川を泳いで渡ったのか? 
 
1711200932290
 
1711200928240
 
 
⑦南蔵院・・・・・・・・・・奥戸橋を渡り中川沿いに歩くと、真言宗豊山派寺院の南蔵院がある。 長保年間(999-1004)に創建したと伝えられ、境内からは、明治時代に破却されたものの古墳が出土しており、古くから栄えた一角にある。、、、、、古代東海道を知る寺院か?
 
1711200943140
 
 
⑧立石祠・・・・・・・・・・「立石」の地名は、立石八丁目にある立石様という石に由来する。 この立石様は、公園の中央にある祠の中心に鎮座している。 付近にかつて古墳があったことやその材質(房州石という凝灰石の一種)から、古墳の石室などと同様、千葉県鋸山付近より同地に持ち込まれたと推定されている。また、奈良・平安時代には立石付近を横断していた古代東海道の道標として転用されていたと考えられている。、、、、、立石様の石は、頭がかろうじて見える程度で全身は土の中。
 
1711200946360
 
1711200947190
 
1711200948540
 
 
⑨帝釈道の道標・・・・・・・・・立石祠の近く、中川の岸に、正面に大きく「帝釋天王」と彫られてた道標がある。  横側には「文政三(=1820年)庚辰歳四月」の文字が見て取れる。 このあたりで「帝釋天」といえば、柴又の寅さんがいる「題経寺」のことを指す。 ここは帝釈道の分岐点でもあった。
 
1711200953420
 
 
⑩西円寺/諏訪神社・・・・・・・・・・・新義真言宗寺院の西円寺は、永禄10年(1567)の創建。 江戸時代には立石諏訪神社の別当寺であった。、、、、、今日は経営する幼稚園の行事があるらしく、怪しい親爺は境内に近寄れなかった。
 
1711201004430
 
・・・・・・・・・・・・・立石諏訪神社の創建年代は不詳だが、元文4年(1799)の資料に記載のあることから江戸時代中期には創建されていたらしい。
 
1711201006230
 
 
⑪立石駅・・・・・・・・・立石駅を挟む、四つ木~青砥間の高架化工事に着手し、立石駅はいよいよ高架駅に変わる予定。 また、駅の両側の再開発も計画され、数年後には大変身するであろう。、、、、、古代東海道の散歩も、今日はここまで!
 
1711201015060
 
1711201024520

2017年9月22日 (金)

浅草橋~平井

今朝のNHK天気予報で、東京の天気は、午前中は曇り、正午からは小雨、夜は雨と受け止めた。 午前中は天気ももちそうなので、我が家から総武線沿いに歩いてみることにした。 浅草橋の我が家から平井駅まで、1万4千歩の散歩です。
 
 
①浅草橋を発つ・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・高架ホーム下の店舗、駅前の飲食店、どこも、まだ閉まっている。、、、、、高級ブランドの店、三つ星レストランなんてない。 あるのはビーズ屋さん、安売り雑貨屋さん、超B級飲食店ばかり。
 
1709220753200
 
1709220754150
 
・・・・・・・・・・・・・・朝8時、そろそろ駅から職場に向かう人も出てきた。
 
1709220755290
 
1709220757590
 
1709220804270
 
 
②両国橋を渡る・・・・・・・・・・“雨降る天気”は嘘のような“爽やかな晴れ”。 
 
1709220808480
 
1709220811250
 
1709220812430
 
 
③両国駅付近を通過・・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・今日は回向院 には立ち寄らず素通り。 
 
1709220818400
 
・・・・・・・・・・・・・・・両国駅の南側、京葉道路に面した両国3丁目22番は芥川龍之介が18歳まで育った処。 芥川は回向院の隣にあった小学校に通ったそうだ。
 
1709220821450
 
1709220822510
 
・・・・・・・・・・・・・・・江戸東京博物館前から北斎通りに入る。
 
1709220832130
 
 
北斎通りを行く ・・・・・・・・・・・・江戸東京博物館前から錦糸公園の先の錦糸橋(横十間川)までの通りを言う。 江戸東京博物館前から横川までは、かつての本所南割下水(ほんじょみなみわりげすい)と呼ばれた、道路の真ん中を掘り割った下水路であった。 割下水は昭和初期に暗渠化され、平成の世になり歩道などが整備され、平成6年(1994)から「北斎通り」と称した。
 
・・・・・・・・・・・・・・・すみだ北斎美術館(墨田区亀沢2)の敷地は、江戸時代に弘前藩津軽家の大名屋敷あった。 この近くには葛飾北斎が住んでいた、つまり北斎の地元にできた美術館である。、、、、、、妹島和世建築設計事務所の設計、大林組+東武谷内田建設の施工による、RC造地上4階/地下1階建ての美術館。、、、、、大変残念なことだが、私はまだ入館したことが無いので、コメントなし。
 
1709220838260_2
 
1709220837120
 
・・・・・・・・・・・・・・こちらも亀沢にある、日本相撲協会が直営の相撲神社で、「野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)」。 
 
1709220846110
 
・・・・・・・・・・・・・・「北斎通り」、名前は粋で、江戸趣味を感じさせるが、通りには古い建物は残っておらず、またシャレた店舗が並んでいるわけでもない。 鋼管、パイプなどを扱う会社が多く、恋人同士の散歩にはチョイと不向きである。
 
1709220846590
 
1709220848100
 
・・・・・・・・・・・・・・北斎通りは錦糸町駅手前で大横川親水公園と交差する。 東京スカイツリーの足下から、南に江東区木場方面に流れる大横川。 その一部を暗渠化し、整備されて親水公園となっている。
 
1709220903260
 
・・・・・・・・・・・・・錦糸町駅の北側を再開発した「アルカタワーズ」。 3棟の超高層オフィスビルと、ホテル、シンフォニーホール、商業施設ビル、高層住宅などで構成されている。 前を貫く道路は北斎通り。、、、、、、サラリーマン時代、私のデスクも一時期このビルの中にあった。 今は懐かしいビル。
 
1709220902220
 
・・・・・・・・・・・・・・津軽稲荷神社は、津軽藩下屋敷の屋敷神として祀られていた稲荷神を、明治43年(1910)に払い下げられ、錦糸町1丁目町会の守護神とした。
 
1709220905170
 
・・・・・・・・・・・・・・錦糸町駅北口前をしたすら東に向かう。
 
1709220914490
 
・・・・・・・・・・・・・・ 錦糸公園の奥に建つ「Olinas」の超高層ビル。 ここは、時計の旧精工舎の工場跡地である。
 
1709220917160
 
・・・・・・・・・・・・・・・錦糸公園の東側に残る、旧病院建築。 現在は、昭和19年(1944)に病院跡に移転した阪上製作所の社屋となっている。
 
1709220925260
 
・・・・・・・・・・・・・・・北斎通りは両国の江戸東京博物館前より東に真直ぐ伸びて、ここ横十間川に架かる錦糸橋までである。 これより江東区亀戸の町となる。
 
1709220930540
 
1709220934290
 
1709220933120
 
 
 
⑤亀戸駅前を行く・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・亀戸駅前を通り抜け、我が足は東へ向かう。
 
1709220948490
 
・・・・・・・・・・・・・・東武亀戸線 をチョイト見て、ついでに写真も撮って、先を急ぐ。
 
1709220955570
 
1709220959450
 
・・・・・・・・・・・・・・丸八通りを横切って、亀戸中央公園を抜けると、旧中川に出る。
 
1709221010460
 
1709221011520
 
 
⑥旧中川を越えれば平井駅・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・旧中川は江東新橋 で越える。 超えると、そこは江戸川区平井の町。 
 
1709221014300
 
1709221015030
 
1709221015420
 
・・・・・・・・・・・・・・蔵前橋通りから、チョイとそれると平井駅 に出る。 駅前に着くと、ちょうど、ポッリと落ちてきたが、まだ傘は必要なさそうだ、帰ることにした。
 
1709221023000
 
1709221027590
 
1709221030250

2017年8月12日 (土)

平井~八広

連日のスッキリしない天気、『今日も散歩はできず』と思いきや、午後には雨もやんだようだ。 3時過ぎに、チョックラ歩いてくることにした。 総武線平井駅から京成押上線八広駅まで、9千歩の散歩です。
 
 
 
平井駅 ・・・・・・・・・・明治32年(1899)4月28日、総武鉄道(私鉄)の駅として開業。 明治40年(1907)には、鉄道国有法により国有化された。 現在は、緩行電車だけが停車する1面2線の高架駅。、、、、、駅の開業は古いが、駅前には大規模商業施設もなく、集客力のあるものは何もない駅である。(私の住む、浅草橋に似ている) 総武本線に「平井」という駅があることも、一般に知られていないかも。
 
1708121523300
 
1708121528200
 
 
②燈明寺・・・・・・・・・・平井駅から北に向かい、蔵前橋通りを越えると、新義真言宗の明雅山明王院燈明寺がある。 本尊は不動明王である。、、、、、山門を入り右側には、昭和19年(1944)に完成した、高さ14.4m、幅17.1m、奥行27mの本堂(金堂)がある。 只今、改修中らしく、足場が組まれ、シートで覆われていた。
 
1708121534000
 
1708121540040
 
・・・・・・・・・・・・・・・山門を入った正面に聖天堂が見える。 妻沼聖天、浅草待乳山聖天とならぶ関東三聖天の一つとして知られている。 現在の建物は昭和36年(1961)に改築された。、、、、、、この聖天堂も、本堂も、“0m地帯”にあることを意識してか? コンクリート造による人工地盤の上に建っている。
 
1708121537490
 
 
③平井諏訪神社・・・・・・・・・・・・燈明寺の隣にある平井諏訪神社は、享保年間(1716~1736)に燈明寺の僧:恵祐法印が、自分の生まれた国である信州の諏訪大明神の神霊をここに祀ったのが始まりといわれている。 現社殿は昭和44年(1969)8月に、鉄筋コンクリート造で完成した。
 
1708121546260
 
1708121547570
 
・・・・・・・・・・・・・社殿の右隣には、諏訪神社の旧本殿を利用した稲荷社がある。 天保14年(1843)の建物で、外部に施された龍・唐獅子などの彩色彫刻が江戸後期の神社建築の過飾的な特色をよく伝えている。、、、、、貴重な建物で、江戸川区の登録文化財に指定されているそうだ。 国宝ではないので、たいしたことないかも?(失礼)
 
1708121551420_2
 
1708121554010
 
・・・・・・・・・・・・・・境内には、大正9年(1920)頃、旧下平井村の丸富講の人びとによって造られた「平井の富士塚」がある。 また、絵馬堂には丸富講が大正2年(1913)に奉納した図額もある。、、、、、「今上皇帝 御脳平癒 祈祷記念」と記されているが、“御脳平癒”とは? 頭が悪かったのか? IQが低い? さてさて?
 
1708121555390
 
1708121550210
 
 
④下平井の観世音菩薩像浅草道石造道標・・・・・・・・・・諏訪神社の裏手に、享保19年(1734)の建立の石像がある。 この石像は道標を兼ねており、正面に観音菩薩立像が刻まれ、銘文には「秩父□□□あさくさ道」「享保十九甲寅」「是より佐(ひだり)ぎやうとく道」とある。 道標の元の位置は神社前の道路を挟んで向かい側にあったそうだ。、、、、、300年近く、この付近に立っていた石像、観音様の顔は判別できず。 美容整形で修復したら? 
 
1708121557590
 
 
⑤平井橋・・・・・・・・・・燈明寺の西で、旧中川に架けられた平井橋を渡り、江戸川区から墨田区に入る。 橋は昭和55年(1980)の架橋。、、、、、、護岸は葦を植え自然景観に近く整備されている。 いいね!
 
1708121602400
 
1708121603320
 
 
⑥北向地蔵尊・・・・・・・・・墨田区立花6丁目にある祠。 祠の中には、石が削られ餓死寸前の老人が骨と皮だけになったような、2体の石像がある。 石像の周囲には、墓碑が置かれ、どれも明暦、寛文、延宝など江戸時代の銘が刻まれている。
 
1708121608040
 
1708121607310
 
 
⑦立花・八広の町・・・・・・・・・・・・立花5丁目・6丁目、八広2丁目・3丁目の裏道を歩く。

・・・・・・・・・・・・・・都営住宅「立花六丁目アパート」の裏を歩き、5丁目に入る。
 
1708121619390
 
・・・・・・・・・・・・・・小さな工場が多い立花5丁目を歩く。
 
1708121624040
 
1708121625020
 
1708121635200
 
・・・・・・・・・・・・・・八広の町は、吾輩の好きな、真直ぐな道がない迷路のような町。 
 
1708121637220
 
1708121644190
 
1708121646520
 
 
⑧三輪里稲荷神社・・・・・・・・・・八広3丁目の裏道の奥にある神社。 慶長19年(1614)出羽国湯殿山の大日坊長が大畑村(八広、東墨田、立花の一部)の総鎮守として羽黒大神の分霊を勧請し三輪里稲荷大明神として鎮座した。 通称の「こんにゃく稲荷」と呼ばれ、初午の日に授与される「こんにゃくの護符」は、のどや風邪などの病に効くといわれている。、、、、、政界用語では“こんにゃく”は100万円の札束を言う。 森〇学園元園長のおばさんも好きで、某政党の幹事長のところに持って行ったが、突き返されたそうだ。 吾輩なら一つと言わず、二つでも、三つでも貰うのだが、万病に効きそうな“こんにゃく”だからね!
 
1708121650190
 
1708121651150
 
 
⑨薬師道道標 ・・・・・・・・・・八広4丁目、「4丁目交番」横の植込みに道標がある。 表に「右やくしみち」、「左えどみち」とある。 木下川薬師 への道標で、高さ1m余のものだ。 伝承では、享保年間(1716~1735)に将軍吉宗の薬師参詣にあたって、村人に建てさせたものといわれている。、、、、、、将軍が迷子になるからかな?
 
1708121704180_2
 
 
⑩八広駅・・・・・・・・・・・大正12年(1923)7月11日に、荒川駅として開業。 平成6年(1994)、八広駅に改称。、、、、、駅名の八広の町は、昭和40年(1965)の住居表示実施に伴い近隣8地区が合併して成立したため、「八」の字を採り、その字体から「末広がり」の縁起を担いで命名したそうだ。、、、、、なんかテキトウな命名だ!
 
1708121710041
 
1708121711430
 
1708121722090

2017年7月10日 (月)

新川

江戸川区の中程、中川と旧江戸川を結ぶ運河であった新川(しんかわ)の東端から西端まで、全長約3kmを歩いてきた。、、、、、都営新宿線の一之江で下車し、東端の「新川東水門」へ行き、川沿いに歩き、西端の「新川排水機場」を見て、船堀駅から帰宅。 1万3千歩の散歩です。
 
・・・・・・・・・・・・・新川とは、、、、、、新宿線一之江駅と東西線葛西駅の中間地点辺りで、旧江戸川から分岐し、江戸川区を東西に横断し、新宿線船堀駅の西側で中川に注ぐ、江戸時代からの運河である。、、、、、最初は行徳塩田の塩を江戸に運ぶ水路として始まったが、寛永9年(1632)からは貨客船の「行徳船」が就航し、近郊の農村の野菜や成田参詣の客なども運ぶようになった。 その後、利根川を経由する航路が整備され、利根川流域の農作物、味噌・醤油などの加工品を、新川・小名木川を通って江戸に運ぶ、主要ルートとなった。 新川の水運は戦後まで続いたが、昭和50年代には、その役目も終え(1979)に新川は運河としては使用されなくなった。、、、、今では、川筋には1000本の桜並木を整備し、江戸時代の木橋や石積み護岸も再現し、両岸は遊歩道となっている。
 
 
①新川東水門・・・・・・・・・新川東水門は旧江戸川と新川の接続点に昭和40(1965)に設置された径間11m×2連のローラーゲート式水門。 旧江戸川の水位が大潮の満潮位を超えると閉鎖し、浸水を防ぐ役割を担っている。
 
・・・・・・・・・・・・・・旧江戸川が流れ下る、その右岸に新川東水門がある。
 
1707100854490
 
1707100851360
 
1707100848320_2
 
1707100844000
 
・・・・・・・・・・・・・・・新川東水門内は船溜まりになっていて、わずか数十メートルで水路は行き止まり。
 
1707100850390
 
1707100912400
 
・・・・・・・・・・・・・・・船溜まりの奥には新川東樋門が設けられ、旧江戸川から取水して新川に放流している。
 
1707100900090
 
 
②新川口橋・・・・・・・・・・・・・水門の隣に架かる新川口橋。 昭和45年(1970)に架けられ、橋の下は埋め戻され導水管が設置されている。、、、、、“橋”である必要性は無くなり、江戸川区の計画では、平成35年頃に撤去されようだ!(インターネットで知った極秘情報)
 
1707100858480_2
 
・・・・・・・・・・・・・・旧江戸川の水は橋の下と隣の公園の下を導水管で抜け新川に放流されている。、、、、、、今日も暑い一日が始まり、公園には誰もいない! いるのは、暇で散歩をしている親爺だけ!
 
1707100916250_2
 
・・・・・・・・・・・・・新川の東端、奥の小島の後ろに放流口がある。 川の中に島を配し、 親しみやすい川を演出している。
 
1707100922450_2
 
 
・・・・・・・・・・・・新川口橋付近から、新川を見る。 水鳥も遊んでいる。
 
1707100924050_2
 
1707100925040
 
 
③新川に架かる人道橋・・・・・・・・・・・新川には14本の橋が架けられているが、内7本は江戸情緒を感じさせるデザインの人道橋である。 東側から順に、人道橋全7本を“堂々一挙公開!”
 
・・・・・・・・・・・・・・宝橋、、、、、平成26年(2014)架設。
 
1707100927440
 
1707100928290_2
 
・・・・・・・・・・・・・・花見橋、、、、、、平成23年(2011)架設。 一見すると橋に見えない、川の上に大きな広場が造られたようだ! その名が示すように、花見のシーズンは両側に咲く「新川千本桜」を見ながらの桟敷席となるのかも?
 
1707100933390_4_2
 
・・・・・・・・・・・・・桜橋、、、、、、、新川のほぼ中間地点に架かる橋。 平成24年(2012)架設。 こちらも広場型の橋で、ゴザを敷いて100名の宴会も可能だ!
 
1707100950140
 
・・・・・・・・・・・・・小江戸橋、、、、、、、平成19年(2007)架設。 この付近では、川にヨシを植え、川の浄化と小魚の生育を意図しているのか?
 
1707100956400
 
1707100957320_2
 
1707100958010_4
 
・・・・・・・・・・・・・・忍者橋、、、、、、、唯一、黒塗りの橋。 平成11年(2009)架設。、、、、、ナント、ビックリ、ヤックリ、この橋の川底には巨大な駐車場があるのだ!(後述) 
 
1707101002550_2
 
1707101003310
 
・・・・・・・・・・・・・・擬宝珠橋、、、、、、、平成11年(2009)架設。 
 
1707101016050
 
1707101017360_2
 
・・・・・・・・・・・・・・櫓橋、、、、、、、こちらも平成11年(2009)架設。 
 
1707101019330
 
1707101020470
 
 
④新川大橋・・・・・・・・・・・花見橋の隣に架かり、都道318号環状七号線がとおる。 橋の下は直射日光を遮り、良き穴場のようだ。 多くの人が釣りを楽しんでいた。
 
1707100934410
 
1707100936560
 
 
⑤新川橋・・・・・・・・・・・・新川に架かる橋の中では、最も古く大正5年(1916)に開通した。
 
1707100943030
 
 
⑥三角橋・・・・・・・・・・・平成12年(2000)に開通した三角橋。 「三角」は、昔からの地名らしい。 現:新川橋のあたりには「三角渡し」もあったそうだ。
 
1707100949070
 
 
⑦新川さくら館・・・・・・・・・・・桜橋の北側に、新川の歴史を後世に伝えるとともに、お休み処や広場などを活用し交流を図る、地域の活動拠点が用意されている。、、、、、、うだるようなこの暑さ、“かき氷”を求めてチョイと立ち寄った。 ありゃ、誰もいない、ダメだコリャ!
 
1707100954000
 
 
⑧新渡橋・・・・・・・・・・・・小江戸橋と忍者橋の間に、平成12年(2000)に開通した新渡橋がある。
 
1707101000410_2
 
 
⑨新川地下駐車場・・・・・・・・・・・・新川は東西の両端を水門で閉鎖し、東水門から導水して西水門から排水することで水位を低下させ一定に保つようになった。 新川に船の通行も無くなり、川は親水河川として整備されてきた。 そして、その整備の極めつけは、80億円をかけ川底に造った地下駐車場である。 川筋に合わせチョイト曲がっているが、約200台収容可能な都の駐車場である。 豊洲市場とは比べ物にならないが、こちらは、ずさんな計画によるガラガラの駐車場。 
 
・・・・・・・・・・・・・・川沿いの宇喜田町に出入口がある。
 
1707101005480
 
・・・・・・・・・・・・・・全長484mの駐車場に、出入口近く、数台が駐車している程度。 あとは???
 
1707101007280_2
 
1707101007320
 
・・・・・・・・・・・・・・この川底に巨大な駐車場があることを知る人は少ないであろう。 ナイショにしておくか!
1707101003560
 
 
⑩宇喜田橋・・・・・・・・・・・擬宝珠橋の東側に、昭和32年(1957)に開通した宇喜田橋がある。 橋上には船堀街道が通る。
 
1707101015520
 
 
⑪西水門橋・・・・・・・・・・・・新川の西端、新川排水機場前に、西水門橋がある。 平成18年(2006)に完成した橋。 デザインは水門に合わせたのか、明治調の雰囲気を出しトラスを強調したデザインである。、、、、、橋の後ろの櫓は、新川整備の一環として、公園にモニュメントとして建てられた、高さ15m程の火の見やぐら。、、、、、橋名の「西水門」は、かつて、ここにも水門があったが、現在は排水機場に変わった。
 
1707101023200
 
1707101026480
 
 
⑫新川排水機場・・・・・・・・・・新川の最後は、中川との合流点に建つ新川排水機場。 昭和43年度(1968)に竣工した、ポンプ口径:1600mmを1台、1200mmを2台で、毎秒12トンの排水能力を有する。
 
1707101024450

2017年7月 6日 (木)

瑞江~一之江

都営新宿線瑞江駅から隣の一之江駅まで、寺社を巡り、1万歩の散歩です。
・・・・・・・・帰宅後調べてみたら、ほぼ同じルートを、2015/12/4に逆向きに歩いていた。 
 
 
 
瑞江駅 ・・・・・・・・・・・昭和61年(1986)9月14日、船堀~篠崎間開業に伴い開業。 島式ホーム1面2線の地下駅であるが、上下線の両外側、壁の向こうに通過線がそれぞれ1本ずつあるそうだ。、、、、、都民には火葬場のある駅として有名だ!
 
1707060822230
 
1707060831030
 
 
②豊田神社・・・・・・・・・・・『豊田佐吉を祭神として祀り、レクサスを供える神社』と言いたいが、「トヨタ」とは縁もゆかりもない江戸川区東瑞江の神社。 創建年代不詳。 現在の豊田神社がある一円の地は下鎌田村と称していた。 下鎌田村には香取社、神明社、山王社があり、香取山神明寺長寿院が別当寺となっていた。 明治初年廃仏毀釈により香取山神明寺長寿院が廃寺となり、その跡地に神明社の社殿を遷座し、天照大御神・経津主命の2神を祭神とした。
 
1707060849490
 
1707060844510
 
・・・・・・・・・・・・・・境内には「下鎌田の富士塚」として、大正5年に築造された標高3mの富士塚がある。、、、、、今の時代なら、シンデレラ城でも造れば氏子は増えるかもね。
 
1707060846580
 
 
③泉福寺・・・・・・・・・豊田神社から南東方向に300m程歩くと、東瑞江2丁目、曲がりくねった道の奥に浄土宗の泉福寺がある。 創建年代不詳。 京都の知恩院を総本山とし、東京芝の増上寺を大本山とする寺。(なんじゃ!総本山と大本山?)、、、、、、明治15年(1882)、落雷により本堂・庫裡とも一瞬にして灰となり、同17年、茅葺きの本堂を再建し、平成16年(2004)に現在の本堂が竣工した。、、、、、静かな場所に、緑豊かに佇む、癒される寺。
 
1707060910440
 
1707060907230
 
・・・・・・・・・・・・・・境内に、かわいらしいスイレンが咲いていた。、、、、、今年、我が家では5千円はたいてスイレン鉢を購入し、花は日本橋三越から買い、メダカも入れて、屋上で育てているが、今だ咲かない、頼むから咲いてくれ!
 
1707060908370
 
 
④山王神社・・・・・・・・・・江戸川3丁目にある中社。 鳥居、狛犬、社殿、水盤などすべて新築。 鳥居の扁額には「日枝神社・三峯神社」と併記している。
 
1707060917540
 
・・・・・・・・・・・・・・神社は鎌田川親水緑道の脇、住宅地の奥に鎮座する。 この付近は、緑道が整備されているからか、緑豊かで鎌倉の住宅街の裏道を思い出させるようだ。 (チョイと大袈裟に言ってしまった。)
 
1707060925270
 
1707060919580
 
1707060916250
 
 
⑤明福寺・・・・・・・・・・篠崎街道に面する浄土宗の明福寺。 嘉禄2年(1226)親鸞聖人が常陸国から上洛の途中、この地の人々が昇天に苦しんでいたので、雨乞いをにより雨を降らせて村人を救った。 その時の草庵が寺の始まりらしい。、、、、、前回来た時と同様に、今日も附属幼稚園の見送りに、境内には若いママがウヨウヨ。 恐怖を感じた私は、“長居は無用!”  そそくさと境内をあとにする。
 
1707060928050_2
 
 
⑥上今井八雲神社・・・・・・・・・・江戸川3丁目、篠崎街道に面し鎮座するのは上今井八雲神社。 神社の創建年代は不詳であるが、永禄7年(1564)に創建した香取神社(上今井香取神社)と並んで当地周辺で尊崇された。 昭和41年(1966)、上今井香取神社に合併された。、、、、、、神社の前は、対岸に行徳を見る旧江戸川が流れている。 昔は水路の神として、江戸川を航行する舟が安全を祈願した。
 
1707060938170_2
 
 
⑦金蔵寺・・・・・・・・・・・浄土宗寺院の寶徳山寿松院金蔵寺。 金蔵寺は、応永22年(1415)頃が創建され、享徳3年(1455)頃に中興した。 現在の本堂は昭和11年(1936)に上棟した。 江戸時代は末寺として、数ヶ寺を擁するチョイト大きな寺であった。
 
1707060945410_2
 
1707060943050
 
・・・・・・・・・・・・・金蔵寺から200m程離れた処に、名のない地蔵さんが祀られている。、、、、、お祀りしている近所の方に聞いたら、、、『お地蔵さんの立つこの場所に、昔、金蔵寺の本堂があり、住職の墓もあったそうだ。 そして、お地蔵さんの前の通りは現在の金蔵寺へつながり、ここに霊が通っていたそうだ。』 近所の方は、『古くからの人も減り、私が守らなければ・・・・』と言っていた。 (何か、判るような判らない話だ。 もうチョイと説明してもらわないと???)
 
1707061008410
 
1707060958480_2
 
 
一之江駅 ・・・・・・・・・瑞江の方から来ると、駅手前で新中川に出る。 ここに架かる瑞江大橋を渡り駅に向かう。、、、、、、駅は昭和61年(1986)9月14日に開業した島式ホーム1面2線の地下駅。
 
1707061017460
 
1707061024290

より以前の記事一覧