品川区

2019年3月 5日 (火)

源氏ゆかりの中延

都営浅草線中延駅から、東急大井町線北千束駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
●遅刻するぞ、走れ! ・・・・・・・・・・・・都営浅草線に乗り、中延(なかのぶ)駅で下車した。 今日はここから大井町線の南側を歩いてみることにした。、、、、中延駅は昭和43年(1968)11月15日に、都営1号線の駅として開業。 島式ホーム1面2線で、第二京浜(=国道1号)の地下2階にある。 
 
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・・・・・・・・・・・・・浅草線中延駅と大井町線中延駅の乗り換えは、一度地上に出て80m程歩くことになる。 朝、大井町線から浅草線に乗り換える人は多く、中には走って浅草線に向かう人もいる。、、、、、昭和2年(1927)7月6日、目黒蒲田電鉄(現:東急)大井町線の駅として開業した高架駅。
 
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●源氏ゆかりの地 ・・・・・・・・・・大井町線中延駅の南200m程に、品川区立源氏前(げんじまえ)小学校がある。  昭和3年(1928)に、「東京府荏原郡源氏前尋常小学校」として開校した、歴史ある小学校。 去年は創立90周年であった。、、、、ところで、“源氏前”(げんじまえ)とは珍しい名だが、その謂れは、、、、、武蔵国荏原郡中延の地に大字として、旗台、源氏前、牧野、清水頭、平塚の地名があった。 これらは、みな源氏ゆかりの地である。 平安の昔、源頼義、義家親子が勅命を受け、「みちのく」を治めるために出陣した処である。 旗台には、陣屋を構え、根城を築いて源氏の白旗をはためかした。 源氏前は源氏の陣屋前であった。、、、付近には、「源氏前公園」、「源氏前図書館」などとして、古い地名が残されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・“源氏前”に来たついでに、チョイト先の「旗の台」にある「旗岡八幡神社」に立ち寄った。、、、、、巫女さんは源氏名を持っているのかな? 日が落ちると近くのお店で、『〇〇という名で出ています』なんて言われちゃうかも?(失礼!)、、、、神社前の通りは鎌倉道である。 
 
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・・・・・・・・・・・・・旗岡八幡神社から、大井町線荏原町駅、荏原町商店街の鎌倉道を、チョッピリ歩いてみた。、、、、旗岡八幡神社の隣りは別当寺であった日蓮宗の法連寺。、、、、法連寺の山門前の踏切りを越えると荏原町駅
 
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・・・・・・・・・・・・・・鎌倉道は駅前から「荏原町商店街」となり、鎌倉の方角に伸びる。、、、、商店街の中程に庚申堂があり、その脇に「天明三年銘 石造道標」がある。 この道標には、「右うの木(鵜ノ木)光明寺道、左池かみ道(池上道)」と刻まれている。 天明3年(1783)は江戸時代中期。
 
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・・・・・・・・・・・・・商店街を抜けたあたり(中延5-12)に、もう一つ道標がある。 こちらは、「天保二年銘 石造道標」。、、、、、道標の四面には、東品川道、西せんぞくおくさわ(千束・奥沢)道、南いけかみ(池上)道、北めぐろ(目黒)道と刻まれている。 天保2年(1831)は江戸時代後期。
 
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●旗の台の町 ・・・・・・・・・・・旗の台の裏道を歩く。、、、、住宅が建て込んでいる、チョイト下町的な住宅街を歩く。 途中で度々方向を見失い、慌てて地図を確認。、、、、荏原五中の前では、ハナモクレンが咲き始め、いよいよ春到来。
 
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・・・・・・・・・・・・・・旗の台駅の西側で、東急池上線を横切る。、、、、ステンレスの車体に緑の濃淡2色でデザインした車両が印象的だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・裏通りから、旗の台駅前と中原街道を結ぶ「稲荷通り」商店街に出た。、、、、チョイト、お稲荷さんに御挨拶。 正式には「旗の台伏見稲荷神社」という。 大正15年(1926)の創建で、お稲荷さんとしては比較的には新しいものである。 太平洋戦争の折に、この旗の台伏見稲荷神社に出征祈願をし、戦地に赴いた120人は、全員が生還したそうだ。 また、お稲荷さんの鎮座する旗の台南町は、この地域が激しい空襲を受けたにも関わらず、安泰であったという。 あれも、これも、お稲荷さんの御加護である。
 
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●時間が止まった駅 ・・・・・・・・・・・・中原街道、環七通りを横断し、東急大井町線の北千束駅 (大田区北千束2)に到着。、、、北千束駅は一日の乗降客が7千人程で、大井町線の中では最も小さな駅である。 
 
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2019年2月 8日 (金)

まだ昭和の残る西品川

山手線大崎駅の南側200m程の処に百反坂(百反通り)がある。 この坂の南側に「西品川2丁・3丁目」の町が広がっている。 今日は、大崎駅で下車し、西品川2丁目・3丁目をぶらついて、都営浅草線戸越駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
●大きくなった駅 ・・・・・・・・・・・大崎駅は、明治34年(1901)2月25日、駅周辺の工業地帯化により、日本鉄道品川線(現:山手線)に追加開業した。 現在は、JR東日本の山手線・湘南新宿ラインと東京臨海高速鉄道のりんかい線が乗り入れている。 島式ホーム4面8線の地上駅で、駅舎は橋上である。、、、、朝の大崎駅は、乗る人まばら、降りる人多すぎ。 駅周辺は再開発により、ドでかいビルが林立し、何が何だかサッパリ判らん! 江戸っ子の私は完全に田舎者となった。
 
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●車はOK、人はNO ・・・・・・・・大崎駅の南東側で、山手線と湘南新宿ライン・りんかい線が分かれる。 その分岐点の線路下に「百反隧道」(昭和40年代の完成と思われる)がある。、、、、この隧道は地上の線路下を掘り下げ、山手線の内側と外側を結んでいる。 車は内外を行き来できるが、歩行者は通行できない。 歩行者は少し品川寄りにとある「百反歩道橋」(跨線橋)を利用し、山手線の内外を行き来する。 チョイト不便で、おかしな形状のトンネルだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・こちらが、「百反歩道橋」、、、、歩道橋の下は、湘南新宿ライン、りんかい線と山手線車両基地への分岐線が走る。 また、歩道橋の横には、新幹線、横須賀線の高架橋が並行している。 さらに、歩道橋の脇を山手線が走る。 鉄道ファンには泣きたくなるほど嬉しい位置にある。、、、、、しかし、嬉しかったのは10年程前までだ! 数年前に、歩道橋が架け替えられ、目線の位置にアクリル板が取り付けられてしまった。 くもりガラスを通して見ているようで写真は綺麗に撮れず、年寄りの老後の楽しみを奪われ、ガッカリ!
 
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・・・・・・・・・・・・・ものはついでに、歩道橋の西側に伸びる「百反通り」とは、、、、、品川区大崎4丁目から西品川3丁目までの道路の愛称名。 古くは「百段坂」と呼ばれる階段状の坂だったが、後に道路改修工事が行われ、荷車も通れるような坂道に改良された。 “段”が“反”に変わり、坂を貫く通りとして百反通りと呼ばれるようになった。 延長1100m。
 
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●昭和の匂いが残る町 ・・・・・・・・古き、良き時代の建物が残る、「西品川2丁目・3丁目」の町をブラブラ。
 
・・・・・・・・・・・・・東海道新幹線沿い(西品川3)を歩く。、、、、半世紀前の鋼鉄製の高架橋が続く。
 
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・・・・・・・・・・・・・・コリャ、懐かしい、砂利の裏道。 こういう裏道で、放課後になると5・6人で、ベー独楽、メンコ、缶蹴り、ビー玉などをして遊んだことを思い出すね! (西品川3)
 
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・・・・・・・・・・・・こちらは、ステキな蔵。 以前は質屋さんだったのか? (西品川3)
 
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・・・・・・・・・・・・・大正六年銘道標。 正面「オホヰ道」、右「オホサキテイシャバ道」、左「ヘビクボ道」と彫られている。 この道標は住宅地の裏通りにある、大正6年(1917)当時は、この裏道が道標に頼る野中の道であったそうだ。  (西品川3)、、、、、“テイシャバ”、いい響きだ、まさに“大正”!
 
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・・・・・・・・・・・・・私が小さかった頃は、あちらこちにあったような木造住宅。 今や、懐かしく思える建物だ!  (西品川2)
 
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・・・・・・・・・・・・・・チョイと広い道に出た。 この道は、アノ有名な「戸越銀座商店街」に通じる道だ! (西品川2)、、、、、商店街はまだ開いてないので、再び裏道を歩くことにした。
 
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・・・・・・・・・・・・・西品川の街は階段・坂の多い町。 上って、下りて、また上り。
 
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・・・・・・・・・・・・・坂の上には、元明天皇の時代和銅2年(709)藤原伊勢人の勧請に依り創建された貴船神社がある。、、、、歴史は古そうだが、社殿は戦後建て替えられた。 (西品川3)
 
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・・・・・・・・・・・・・・貴船神社境内には、文政11年(1828)銘の道標がある。 道標は品川宿の近くにあったものを移設した。 正面に「西めくろ」、左右に「左北品川 右南品川」と彫られている。 (西品川3)
 
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・・・・・・・・・・・・・神社の北側の裏道を歩くと、チョイト洋風の応接間らしき部屋のある住宅を発見! (西品川3)
 
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・・・・・・・・・・・・・・おなじ裏道に残る医院の建物。 医院は閉院し、建物は使用されてないようだ。 四角い連窓の窓、雰囲気あるね。、、、、、戦後、このような建物の医院が、あちらにも、こちらにも、先生は白衣の髭親爺。 細面、色白、美人の看護助手の奥さんは白の割烹着で、診察終わると、細い手で粉薬を調合し、小分けし、白い紙に折り包み、封筒に入れてくれた。、、、、最後は、『おだいじに』の一言。 これで、治った気分! (西品川3)
 
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・・・・・・・・・・・・・・西品川の町を行ったり来たり、こんどは庚申塔を発見。 「品川三丁目石造庚申供養塔」で、延享4年(1747)の造立。、、、、お堂は新しいようだ、どなたか建てたか知らんが、まだ、庚申信仰は続いているのかな? (西品川3)
 
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・・・・・・・・・・・・・細い細い裏通り、チャンと住宅の玄関もある。 玄関先の掃除も行き届いて綺麗だ! (西品川3)
 
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●店はまだ開店前! ・・・・・・・・・・・・・「戸越銀座商店街」に出てきた。 まだ、半分ほどの店はシャッターが下りている。 この商店街を歩き、国道1号(第二京浜)に出る。
 
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・・・・・・・・・・・・・国道1号の地下に都営浅草線の戸越駅がある。、、、戸越駅は、昭和43年(1968)11月15日都営1号線(現:浅草線)の駅として開業。 島式ホーム1面2線の地下駅。、、、、今日はここまで! 
 
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2018年11月10日 (土)

大森の閻魔大王

大森の密厳院に閻魔大王が居ると聞き、ぜひお会いしたくなった。 チョイト事前の情報を整理していたら、その寺には八百屋お七の地蔵さまも居ると判り、こちらにもお会いしてみたくなった。 お寺は大森海岸駅の近く、ならば、お七が火炙りになった鈴ヶ森にも寄ってみよう。、、、、、、そう云うことで、京浜急行立会川駅から平和島駅まで、9千歩の散歩です。
 
 
 
●通過します!・・・・・・・・特急電車は遠慮もなく、猛スピードで通過していく、ベンチに座ったお客は動かない。 チョイト悲しくなる立会川駅。、、、、、明治37年(1904)5月8日に開業。 
 
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●神社のM&A・・・・・・・・・・・立会川駅から南へ100mたらず、この地の鎮守:天祖・諏訪神社がある。天祖神社の祭神は天照大神と豊受大神で、諏訪神社は、建御名方刀美神と小碓命を祭神とし、両社を併せて古くは神明宮・諏訪社と称し、かつては東京湾に面し、立会川を挟んで並んで祀られていた。 天祖神社の創建は、西暦1100年から1190年頃に遡ると謂われている。 諏訪神社は、江戸時代初期の寛永8年(1631)以前の創建と思われる。 両社は昭和40年(1965)に合祀され天祖・諏訪神社と称されるようになった。、、、、綺麗に均整のとれた社殿は、昭和40年(1965)に改築された。
 
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●家康も歩いた旧街道・・・・・・・・北品川~鮫洲辺りまでは商店が並び、『旧東海道』として賑わいのある道だが、、、、しかし、立会川を越えると商店は少なく、会社・マンションなどが目立つ。 何か、面白いものはないか、左右に首振り歩く。 何もない!
 
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・・・・・・・・・・・・・・看板建築の建物があった! 味わい深い建物である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・こちらは、海運稲荷神社。 海運業の商家が商売繁盛を願い祀ったのかな?
 
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●南無妙法蓮華経・・・・・・・・・旧東海道が第一京浜国道にぶつかる品川区南大井に鈴ヶ森刑場跡がある。 鈴ヶ森刑場は、日光街道の小塚原刑場、中仙道の板橋刑場とともに3大刑場といわれた。 徳川幕府の南の処刑場である。、、、、この近くにある鈴ヶ森八幡社(磐井神社)に鈴石(振ると音がする酸化鉄の一種)があったため、いつの頃からか「鈴ヶ森」と呼ばれるようになった。、、、、刑場は、慶安4年(1651)に開設された。 間口40間(74m)×奥行9間(16m)という広さがあり、閉鎖される明治4年までの220年の間に10万人から20万人もの罪人が処刑されたといわれている。、、、、、刑場は東海道に面し、江戸への入口にある。 当時は浪人による犯罪も増え、彼らに警告を与える意味でこの場所を選んだと言われている。、、、、刑場に隣接する日蓮宗の寺院:鈴森山大経寺が無縁受刑者の回向供養を専らとし、現在に至る。
 
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・・・・・・・・・・・・・磔台火炙台の石が残されている。 花と線香があげられていた。 
 
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・・・・・・・・・・・・・四角い石に四角い穴があいた磔台(はりつけだい)、、、、、説明文によると、丸橋忠弥を始め罪人がこの台の上で処刑された。 真中の穴に丈余の角柱が立てられその上部に縛りつけて刺殺したのである。、、、、、、十字架のようなものに縛られ、下から槍で刺される、磔は痛そうだ、刑の執行も見たくない!
 
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・・・・・・・・・・・・丸い石に丸い穴があいた火炙台(ひあぶりだい)、、、、、説明文によると、八百屋お七を始め火炙の処刑者は皆この石上で生きたまま焼き殺された。 真中の穴に鉄柱を立て足下に薪をつみ縛りつけて処刑されたのである。、、、、、想像を絶する怖さ、懇ろに手を合わせてきた!
 
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●・・・・・・鈴ヶ森刑場跡付近で、第一京浜国道(国道15号)を横断し、京急大森海岸駅前を抜け、大田区大森北の町に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・大森北のカトリック大森教会にお立ち寄り。 大正時代に創立し、昭和初期は高さ17mの鐘楼を持つゴシック式の素晴らしい建物の教会であった。 昭和20年(1945)の空襲で教会は焼け落ち、昭和47年に現在の聖堂が完成した。
 
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●閻魔さんも八百屋さんも・・・・・・・・大田区大森北3丁目、本日の散歩の目的地:密厳院がある。 真言宗智山派寺院の密厳院は、八幡山祈念寺と号し、文安5年(1448)に法印雲誉が創建したといわれています。、、、、、モダンな本堂が建てられた。
 
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・・・・・・・・・・・・・顎髭のある閻魔大王は本堂の御本尊の脇に祀られていた。 像は江戸時代の物で、約115cmとのこと。 本堂新築の折りに閻魔大王像も修復されたそうで、ピカピカの綺麗な姿をしていた。 チョイト、迫力不足だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・境内にある石造地蔵菩薩立像(お七地蔵)は、高さ1.6m。 天和2年(1682)、恋故に放火の罪に問われ、鈴ヶ森刑場で火炙りの刑に処せられた八百屋お七の霊を供養するために、お七の住んでいた小石川の念仏講の人々が、三回忌にあたる貞享2年(1685)に建てたもの。(写真:中央)、、、、、地蔵さんではお七の容姿が想像できない。 美人だったのか気になるところ。
 
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●・・・・・・・・・・・・・浄土真宗本願寺派寺院の最徳寺は、明光山と号す。 寺は、文暦元年(1234)鎌倉において藤原氏の一族永頓開基、権少僧都永順が開山したと言われている。徳川家康の関東入国後に当地へ移転した。
 
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●稲荷すし詰め・・・・・・・・・・最徳寺から平和島駅まで、約600mほどの道沿いに数社の稲荷がある。 稲荷、稲荷、稲荷、と続く。
 
・・・・・・・・・・・・・その1、、、、、東貫森稲荷神社
 
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・・・・・・・・・・・・・・その2、、、、、穀豊稲荷神社、、、、町内会館と同居?
 
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・・・・・・・・・・・・・・その3、、、、、、甘酒稲荷神社、、、、咳に効く神で、治ると甘酒を献じる。
 
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●神社・寺が多すぎた!・・・・・・・・平和島駅 に到着。 今日は、なぜか疲れた! 気力なし!
 
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2018年9月28日 (金)

島津山、池田山の麓を歩く

台風の影響か、連日の雨空で散歩もできず、家でゴロゴロ、ウジウジ、ダラダラ、ぐうたら親爺であった。 今日は久しぶりの秋空、品川駅の西側に位置する島津山(清泉女子大のある山)、池田山(池田山公園のある山)の山裾の路地・裏道を歩き都営三田線白金台駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
●鉄道創業の駅・・・・・・・・・・我が国の鉄道は、明治5年(1872)10月15日に新橋~横浜間で開業したと、「歴史」の教科書に書かれている。 ところがドッコイ、その約4か月前の明治5年6月12日(旧暦5月7日)に品川~横浜間で先行開業(仮開業)していた。 なぜか?答えは簡単、新橋~品川間の工事が遅れてたからである。 つまり、品川駅は日本で最初に開業した鉄道駅である。 この頃の品川駅は、ホームの東側に東京湾の波が打ち寄せる相対式ホーム2面2線の小さな駅であった。、、、、、近い将来(2027年)には、中央リニア新幹線の創業駅にもなる予定だ!
 
・・・・・・・・・・・・・品川駅高輪口の駅前ロータリーに「品川駅創業記念碑」がある。 創業時のダイヤは、横浜発8時・品川着8時35分、品川発9時・横浜着9時35分、横浜発16時・品川着16時35分、品川発17時・横浜着17時35分の上下各2本であった。 運賃は大人・下等で50銭也 (現在の貨幣価値に換算すると5,000円ぐらいに相当するらしい)。 現在、品川~桜木町の運賃は388円、安くなったのか? 
 
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・・・・・・・・・・・・・現在の品川駅は一日乗降客数(JR東・JR東海・京急の合計)が100万人を超えるマンモス駅である。 朝の通勤時は、海側(港南口)に建ち並ぶ超高層ビル群に通勤客が流れて行く。 高輪口に向かう通勤客は1割ぐらいかな。
 
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●毛利家により移転させられた・・・・・・・・・京急品川駅の向かい(品川プリンスホテル前)に高山稲荷神社がある。 神社は室町時代頃の創建といわれ、当時は現在の品川プリンスホテルの地に小高い丘陵があり、その頂に高山稲荷神社があったそうだ。 神社までは二百数十段の階段を上ることから、“高山”稲荷神社と称されたらしい。、、、、、明治時代に入り、毛利公爵が当地に邸宅を構えることになり、毛利家より替地の寄進があり、神社は現在地へ移転することとなった。、、、、、、毛利家跡地には、昭和53年(1978)に品川プリンスホテルが開業した。、、、、、、現在の高山稲荷神社は、第一京浜に面した小さな境内に祀られている。 行き交う人は多いが、手を合わせる人は少ないかも?
 
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●かつてホテル、今は?・・・・・・・・・・・・品川プリンスホテルの裏側(西側)に回り込むように、第一京浜から西に折れた高輪4丁目の坂の中程に、昭和2年(1927)頃に建てられた、旧ホテル品川の建物がある。、、、、、昭和62年(1987)に休館するまではホテルとして営業していたが、現在は会社の寮か? 個人の所有か?、、、、、何やら、ホテル時代の思い出物語がドラマとなりそうな建物だ!
 
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●島津山は高級マンションが並ぶ・・・・・・・・・・現:清泉女子大本館は旧島津公爵邸(島津山)の洋館である。 この洋館は旧岩崎邸 を手掛けたジョサイア・コンドルの設計である。 島津公爵邸も名建築と聞いているが、なにせ“女子大”だ。 手続きを踏んで行かないと、チョックラ見学に来ましたとはいかないので、まだ見たことがない建物の一つである。、、、、、島津山周辺は起伏の多い地で、「島津山」、「Shimaduyama」の名を冠した高級マンションが並んでいる。 外交官向けのマンションもあるようだ。、、、、今日は“女子大の”北東側の裏道・路地を怪しまれながら歩いてきた。
 
・・・・・・・・・・・・・・港区高輪4丁目の裏道、、、、、、清泉女子大の方向に上り坂を行く。
 
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・・・・・・・・・・・・・・これより品川区北品川6丁目に属す坂を下る。、、、、、下ると、かつて谷底であったと思われる「北品川6」と「東五反田3」の境界となる裏道に出た。
 
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・・・・・・・・・・・・・引き続き、品川区東五反田3丁目の階段坂を上る。 坂の上は、清泉女子大の北側に位置する裏道である。 その先には、再び階段坂があり、下ることになる。、、、、、今日もアップ・ダウンが激しい散歩となった。
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・・・・・・・・・・・・上記の道に北側で並行するもう一本の裏道。、、、、、こちらは、坂が多く、曲がりも多く、路地も多く、安アパートの多い、高級住宅街の異次元空間である。
 
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●伊豆長八の鏝絵があった神社・・・・・・・・・・島津山を回り桜田通り(国道1号)に出た。 出た処は、品川区東五反田3丁目、桜田通りに面し袖ヶ崎神社がある。、、、、、平安時代、保延3年(1137)に、伏見稲荷大明神を勧請したと伝えられている。 神社は、何度かの火災で社殿を焼いているが、延享2年(1745)の火災では、仙台藩伊達家が新社殿を寄進した。 また細川豊前守が、金箔塗りの神狐1対を奉納したとの記録もある。 幕末の嘉永2年(1849)に建築された土蔵造りの社殿には、名工伊豆長八の描いた「八岐の大蛇」の鏝絵があったが、戦災で消失した。、、、、現神社は桜田通りの拡張で境内が整備された。、、、、、長八の鏝絵はあきらめて、アイドルの写真を飾ったら、若者の参拝が増えるかも、試してみては?
 
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●池田山の麓・・・・・・・・・・桜田通りを横断し、東五反田4丁目から、再び、裏道を歩く。 港区白金台2丁目に入った。、、、、、この辺りは、池田山公園の北東になる。 裏道には一般住宅・アパートが並んでいる。 洗濯ものも見える、私には親しみやすい雰囲気の町だ。
 
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●白金の屠殺場・・・・・・・・・・港区白金台3丁目に、「元禄今里地蔵」と彫られた碑のお堂がある。 堂の中には、小さな地蔵様:「今里地蔵尊」が祀られてる。 元禄に建立されたようだ。、、、、、「今里」はこの辺りの旧地名である。 この辺りの地名は、現在のカッコいい「白金台」の前は「芝白金今里町」、さらに昔は「今里村」であった。、、、、、明治時代には、牛肉を食べる文化が入り、時の政府がココ「今里」に屠殺場をつくった。 そして、町の肉屋は競って、ココの屠殺場から肉を仕入れるようになったのである。 現在、老舗の肉屋「今半」など、店名に「今」の字がつくのは、ココ「今里」との繋がりを示しているのだ。、、、、、なお屠殺場の痕跡は、現在は、何も残っていない。
 
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●戦後まで残っていた用水路・・・・・・・・・・・今里地蔵から150m程北に歩くと、港区立白金台幼稚園がある。 その脇に三田用水の遺構が残されている。、、、、、、「三田用水」とは、玉川上水を現在の下北沢で分水し、渋谷・三田・目黒・大崎・高輪付近まで給水する上水路である。 三田用水は昭和49年(1974)まで利用されていた。
 
・・・・・・・・・・・・・・用水路の断面(U字型)がそのまま残された遺構が階段の脇にある。、、、、、この辺りは標高が低く、築堤で用水を流した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・白金台幼稚園の前には用水路上に架かっていた橋の遺構と思われるコンクリート構造物がある。
 
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●共同使用の白金台駅・・・・・・・・・・東京地下鉄(東京メトロ)南北線と都交通局(都営地下鉄)三田線の共同使用駅である。 平成12年(2000)9月26日に開業した。、、、、シロガネーゼの町であり、その先入感が強いのか、電車を待つ女性が美人に見えた! ただし、一部例外もアリ!
 
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2018年5月19日 (土)

西馬込~洗足池

朝食時は曇り、家を出ると雨粒が落ちてきた。 地下鉄浅草線に乗り、『何処で降りようか? 何処へ行こうか? 雨は止んだか?』、考え迷い悶々と、とうとう終点の西馬込まで来てしまった。 こうなりゃ足の向くまま気の向くままに歩き、着いた処は池上線洗足池駅。 1万歩の散歩です。
 
 
 
西馬込駅 ・・・・・・・・・・昭和43年(1968)11月15日に、都営1号線(現:浅草線)の駅として開業した、相対式2面2線の終着駅だが車止めは無い。 駅の先、500m程にある車両基地へ線路は続く。、、、、、今日は週末、通勤客は少なく、ホームも電車もガラガラ。、、、、、地上に出たら、雨は降っていない。 ヨシ、歩くぞ!
 
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②馬込給水塔・・・・・・・・・・馬込駅から西へ500m程歩くと、住宅街の中の高台に2基のドーム型屋根の給水塔が見える。 多摩川浄水場、長沢浄水場より水を引き、 大田区・品川区に配水している。 2基のうち南側、白いドーム屋根が第一給水塔で、昭和26年(1951)に完成。 北側、黒いドーム屋根の第二給水塔は、昭和29年(1954)に完成した。 2基とも、鉄筋コンクリート造り、高さ:28m、直径:32m、容量:9,000m3。、、、、戦後生まれのどっしりと構えた給水塔で安定感がある。
 
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③六郎坂・・・・・・・・・・・大田区仲池上一丁目10番と13番の間を北へ上る坂道。 六郎坂(ろくろうざか)の名は、江戸時代後期、池上村のために尽くした海老沢六郎左衛門の屋敷が坂に沿ってあったことに由来する。、、、、、坂の上は海抜20m程で、見晴らしは良いね!
 
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④林昌寺・・・・・・・・・・・仲池上1丁目にある、日蓮宗の寺院。 山号は長松山。 旧本山は池上本門寺。 開創は文亀3年(1503)といわれ、500年の歴史を誇る古刹。、、、、、本堂は昭和32年(1957)に再建されたが、山門は震災・戦災を免れ明治35年(1902)の建設。、、、、、山門まわりの緑に招かれチョイト手を合わせていたら、住職が出てこられ隣の子安八幡神社の別当であったことなど寺の歴史をチョイトお話いただいた。
 
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⑤子安八幡神社・・・・・・・・・林昌寺に隣接する子安八幡神社は、鶴岡八幡宮の分霊を勧請して康元元年(1256)に創建、池上本門寺の伽藍造立に際して天正9年(1581)当地へ遷座した。、、、、天保14年(1843)造の旧社殿は大正14年(1925)7月30日に惜しくも焼失し、昭和2年(1927)9月に鉄筋コンクリート造の現社殿が再建された。、、、、神社は林昌寺とともに、小高い台地の突端にあり、参道は急な石段である。 足踏み外し、階段を転げ、運悪くポックリ、隣りの寺で「南妙法蓮華経」、と云うことのないように注意!
 
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・・・・・・・・・・・・・境内から眺める北西(大田区雪谷)方向
 
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⑥上池台の町・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・子安八幡神社から下ると、目の前に新幹線が走る。 ここは仲池上1丁目、線路の向こうは上池台5丁目。
 
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・・・・・・・・・・・・・・人通りの少ない町? 今日は週末だからか? (上池台3)
 
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・・・・・・・・・・・・・・揃いの街路灯、商店街か? 活気なし。 (上池台3)
 
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・・・・・・・・・・・・・・洗足池駅に近づくと、こちは本物の商店街「洗足池 ファミリーロード」が駅まで続く。 (上池台2)
 
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⑦東京で一番低い桁高(?)のガード下・・・・・・・・・・・・洗足池駅前の中原街道を五反田方向に50m程歩くとモスバーガーがある。 その横を見ると、線路下に通り抜けられそうな砂利道がある。 ただし桁下1.3m程のガードで、頭をかなり下げて歩かないと枕木にぶつかる高さ。 奥の階段を上がると住宅地。、、、、電車が通過する時、ガード下に入るのはチョイト怖いね!
 
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⑧洗足池駅・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)8月28日、池上電気鉄道洗足池駅として開業した。 ホームは高架相対式2面2線構造で、駅の規模は小さく、ホーム上屋は木造、高架下通路は狭く、昭和の匂いプンプンの駅だ!、、、、、駅前には中原街道を挟み、ボート遊びのできる洗足池がある。
 
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●長~い腰掛け・・・・・・・・・帰りは洗足池駅から池上線に乗ったので、チョックラ途中の旗の台駅 で降りた。 目的は、旗の台駅池上線ホームに残る、木製の長い腰掛けを写真に収めておくため。、、、、、かつては待合室でよく見かけた、10人以上が座れる、あの長い腰掛けが残っている。 座りやすく絶妙なカーブで作られている椅子は、多くの人の尻の温もりを吸収して黒光りしている。 重要文化財として保存してもらいたいね!
 
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2018年5月 6日 (日)

東急目黒線 (目黒~洗足)

今日の散歩は、東急目黒線に沿いに目黒駅から洗足駅まで、9千歩の歩きです。
 
・・・・・・・・・・・目黒線とは、、、、、大正12年(1923)3月11日に東急電鉄の母体となった目黒蒲田電鉄の目黒線として、目黒~丸子(現:沼部)間が開業した。 同年11月1日には丸子~蒲田間が開通し目蒲線に改称した。 目蒲線の時代の主要駅は、目黒・武蔵小山・洗足・大岡山・田園調布・多摩川・沼部・下丸子・蒲田であった。 平成12年(2000)8月6日に目蒲線は、目黒寄りの目黒線と、蒲田寄り多摩川線に分割され消滅した。 目黒線は目黒~田園調布間の6.5kmとなる。 平成18年(2006)7月2日には、目黒不動前~洗足間の地下化が完成。
 
 
 
①東急 目黒駅・・・・・・・・・・大正12年、2面3線頭端式の地上駅として開業した。 昭和28年(1953)には駅ビルができたが、平成9年(1997)には現在の構造となった。 駅上の地上17階建ての「JR東急目黒ビル」は平成14年(2002)の竣工。、、、、私が記憶している目蒲線の目黒駅は地下に東急ストアーがあった薄汚れた駅ビルの時代。 今では、駅前に立っても、昭和の面影なし。
 
・・・・・・・・・・・・・・JR東急目黒ビルの地下にホームがある。 目黒線には、東京メトロ南北線と都営三田線が乗り入れ、JRを含め4線のターミナル。、、、、、駅前道路の向かいにはJR目黒駅 西口がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・改札はビルの地下。
 
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・・・・・・・・・・・・・・1面2線の地下ホーム。
 
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②目黒~不動前間・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・目黒駅を出た目黒線は、杉野学園 東側の坂の地下を抜け地上に顔を出す。
 
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・・・・・・・・・・・・・目黒線は、目黒川を越え、山手通りを越える。
 
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③不動前駅・・・・・・・・・ちょうど一週間前、当駅で下車し夫婦で目黒不動尊に参拝した。、、、、、大正12年(1923)3月11日、「目黒不動前駅」として開業し、同年の10月には「不動前駅」に改称した。 平成11年(1999)11月10日、目黒~洗足駅間の連続立体交差事業に伴い高架駅となる。、、、、表通りからチョイト引っ込んだ静かな駅だ。
 
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④不動前~武蔵小山間・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・線路の南側の坂を上る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・住宅の横を入ると、跨線人道橋があった。 線路が見えないようアクリル板で目隠しされていたが、執念でチョイトの隙間を見つけ、かろうじて不動前駅のホームが見えた!、、、、、これから先、目黒線は地下化されトンネルに入ってしまう。 じばし、線路は見納めとなる。
 
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・・・・・・・・・・・・・線路敷きは「不動前緑道公園」と称し、隣りの武蔵小山駅の直前まで続く。、、、、、普段の散歩なら、延々と続き変化の少ない“この手の公園”は嫌い、脇道にそれるのであるが、今日は我慢して歩いてきた。、、、、歩く足の下に電車が走っていると思うと、上からドリルで穴でも開けて見たくなるね。
 
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⑤武蔵小山駅・・・・・・・・・・大正12年(1923)3月11日、小山(こやま)駅として開業。 翌年、武蔵小山(むさしこやま)駅に改称。 平成18年(2006)には地下化された。、、、、、島式ホーム2面4線の地下駅で、緩行と急行の接続がある。、、、、、駅名は、東北本線の「小山(おやま)」と間違えないように、地名の「小山」に旧国名「武蔵」を冠した。
 
・・・・・・・・・・・・・・平成22年(2010)9月、駅ビルがオープンし、駅前ロータリーもでき、明るい駅前である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前では41階建て(高さ:約145m)のタワーマンション2棟が建設中。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前には、有名な武蔵小山商店街もある。、、、、、私の住む浅草橋より住みやすそう、生活しやすそう、負けた!
 
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⑥武蔵小山~西小山間・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・この間は「武蔵小山緑道公園」と名を変えて、再び退屈な公園が続く。、、、、公園の出入口部分の柵、自転車が入れるギリギリの幅しかなく、バイクなどは通れないようだ。 車椅子はどうする?
 
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・・・・・・・・・・・・・・公園にあった目黒線の案内板に、昭和初期から戦後にかけ製造された旧型車両。 昭和60年代に目黒線をチョッピリ走った東急5000系「ステンレスガエル」もあった。
 
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⑦西小山駅・・・・・・・・・・・西小山駅は昭和3年(1928)8月1日に開業した。 この駅も平成18年(2006)に地下化され、その後、駅ビル、駅前広場が完成した。、、、、同じような駅が続くね!
 
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⑧西小山~洗足間・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・またまた緑道公園、名は「西小山緑道公園」。 飽きた!
 
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・・・・・・・・・・・・・目黒線と云うが、目黒駅から西小山緑道公園までは、駅も線路敷きも品川区内に属している。 この先、大岡山付近は大田区、奥沢駅付近は世田谷区、田園調布駅付近は再び大田区である。 つまり、目黒区内にあるのは、洗足駅と大岡山の東工大キャンパス付近だけ。 これで、“目黒”線とは?
 
・・・・・・・・・・・・・・洗足駅の手前150m程の地点で、やっと緑道公園の終わりとなった。 掘割の線路敷きを囲う柵の隙間から線路が見えた! チョイ先には跨線橋もある、不動前から地下にもぐった目黒線が見えるはずだ!、、、、、橋の上、線路脇から電車に手を振り、車窓から手を振り返される、ほほえましい光景がここでは見られない、残念、無念!
 
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・・・・・・・・・・・・・電車の姿が見えないと、よけい見たくなるもので、いろいろ場所・姿勢・角度を変えて撮った写真。
 
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⑨洗足駅・・・・・・・・・・・・・洗足駅は大正12年(1923)3月11日に開業。 昭和40年(1965)には環七通りとの立体交差のため地下化された。 相対式ホーム2面2線の地下駅。、、、、、、駅名は、この地が開業以前より田園都市株式会社が分譲した「洗足田園都市」と言う分譲地だった事に由来する。 その「洗足」は洗足池の伝説にちなむが、駅から池までは1km程の距離がある。 池上線の「洗足池駅 」と駅名が似ているのは、開業当時は目黒線は目黒蒲田電鉄、池上線が池上電気鉄道で同業他社だった名残からだ。、、、、、ついでに、「洗足」駅と「洗足池」駅の中間地点に「北千束」駅(大井町線)がある。 さらに、ややっこしくすると、町名の「洗足」は目黒区、町名の「千束」は太田区。 そして、町名の「千束」の中に、「洗足池」がある。 自分の頭の中で整理してね!
 
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2018年4月29日 (日)

目黒不動 (瀧泉寺)

GWが始まった! 私は一年中がGWなので、どうでもいいや! 今日は、午後から妻と目黒不動に行ってきた。 帰りは、雅叙園に寄って“ひと休み”。 
 
 
 
①不動前駅・・・・・・・・・浅草橋の我が家からは、都営浅草線に乗り三田駅で、都営三田線に乗換る。 三田線は東急目黒線に乗り入れており、目黒駅の次が不動前駅。 我が家から、約30分で到着、結構近いものだ!、、、、、不動前駅は目黒不動の最寄り駅であるが、JR目黒駅と同様で、目黒区ではなく品川区に位置する。 品川駅は港区にある。 ついでに、新宿駅の半分は渋谷区にある。 以上、有名な話。、、、、、不動前駅は、大正12年(1923) 3月11日に目黒不動前駅として開業し、同年10月には不動前駅に改称した。 また、路線の分割により、平成12年(2000)に、目蒲線から目黒線に改称した。 駅名は“不動前”であるが、“前”とは名ばかりで、実際は700m以上離れており、チョイト遠い。
 
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②かむろ坂・・・・・・・・・・山手通りのかむろ坂下交差点から西に向かって約500m程上る坂。 勾配はきつくなく、両側の桜並木が美しい(今年は既に散った)坂である。、、、、、“かむろ坂”は「禿坂」と書く。 “禿(かむろ)”とは、“ハゲ”ではなく、江戸時代、遊郭に住み花魁などの身の回りを世話する見習い幼女を言う。 延宝7年、白井権八が品川で処刑され、そのあとを慕って遊女小紫が自害した時、その幼女(かむろ)もあとを追って桐ヶ谷の二ツ池に身をなげたと言われている。 その後、この一帯の丘陵を禿山と呼び、これに通じる坂を禿坂とよんでいる。、、、、「禿坂」を“ハゲ坂”と読むと、坂の雰囲気がガラリ変わるね。
 
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③瀧泉寺・・・・・・・・・・かむろ坂から北へ向かい目黒区下目黒に、天台宗の寺院:泰叡山(たいえいざん)瀧泉寺(りゅうせんじ)がある。 瀧泉寺は大同3年(808)に慈覚大師が開創した、関東最古の不動霊場である。 目黒不動明王を本尊とし、一般には目黒不動尊の通称で呼ばれている。 もちろん、この地の地名「目黒」の出どこである。、、、、、江戸時代には三代将軍徳川家光の帰依により堂塔伽藍の造営が行われ、それ以後幕府の厚い保護を受け、江戸五色不動の一つとなった。
 
・・・・・・・・・・・・・仁王門は、三間の朱塗りの楼門で、昭和37年(1962)に鉄筋コンクリート造で再建された。
 
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・・・・・・・・・・・・・境内は仁王門のある平地と本堂のある台地の2段構えで、本堂に向かう階段横に、開祖:慈覚大師が持っていた独鈷を投げたら滝泉が湧き出し、「独鈷の滝」と名付けられた池。 中に「水かけ不動」が立っている。、、、、風の強い日は、風向きに注意して水をかけないと、水が我が身に戻って来る。 ズボンを濡らすと、漏らしたように見られてチョイト恥ずかしいからね。 
 
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・・・・・・・・・・・・・独鈷の滝の横には、「垢離堂」と呼ばれる小堂があり、中には「青龍大権現」がいる。、、、、、堂の中は埃っぽいようだPM2.5の影響か?
 
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・・・・・・・・・・・・・境内中央の階段(男坂)を上り本堂へ向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・階段上で鳥居をくぐると、昭和56年(1981)に再建された入母屋造に千鳥破風をもつ鉄筋コンクリート造の本堂が出迎えてくれる。
 
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・・・・・・・・・・・・・肝心要の目黒不動明王は秘仏で12年の眠りに入っている。 酉年に目覚め開帳されるそうだ。、、、、、本堂天井の龍の絵は日本画家:川端龍子の作。
 
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・・・・・・・・・・・・・本堂の裏側に銅製の大日如来坐像がある。 天和3年(1683)の作。、、、、、人気があるのか、こちらも手を合わせる人が絶えないようだ。 
 
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・・・・・・・・・・・・・境内からチョイとはずれて、裏の墓地に行くと、江戸時代中期の儒者で、サツマイモ(甘藷)の栽培を普及させた青木昆陽(1698~1769)の墓がある。 墓石には「甘藷先生墓」と刻まれ、昆陽が生前に立てさせたものと言われている。
 
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④雅叙園・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・山手通りを横断し、目黒川を越え、雅叙園に向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・『チョイト疲れたから休憩しよう!』と入った雅叙園。 今日も結婚式が多く、振袖の外人さん、遠くに白のウエディングドレスも見える。 建築士の私の興味は建物より花嫁、年とれば知識より色気。、、、、、夫婦の会話も結婚式が話題となって、しばしコーヒータイム。
 
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カトリック目黒教会(聖アンセルモ聖堂) ・・・・・・・・・・・雅叙園から教会の前に出る。 この教会は、旧帝国ホテル建設の際、フランク・ロイド・ライトの助手として活躍したアントニン・レーモンドが、戦後はじめて手がけた作品である。 打放しコンクリートによる折版構造の壁で、隙間から外の光が差し込み、神聖な空間を創りだしている。 昭和31(1956)竣工。、、、、、、今日は、短時間で聖堂を拝見。
 
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⑥目黒駅前・・・・・・・・・・駅に到着、お不動さまのご利益を期待して帰る。
 
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2018年3月 6日 (火)

立会川~西大井

京浜急行「立会川」駅から、西に向かいJR湘南新宿ライン「西大井」駅まで、9千歩の散歩です。
 
 
 
立会川駅 ・・・・・・・・・・・明治37年(1904)5月8日に開業した古い駅。 平成2年(1990)頃に高架駅となったが、大型商業施設ができることもなく、町工場の最寄り駅として周辺には下町の雰囲気がいまだに残っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・駅から第一京浜国道に抜ける小さな商店街。
 
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②立会川・・・・・・・・・・駅名の由来とな「立会川」は、駅の脇を流れる小さな川である。 立会川は目黒区の碑文谷池付近を水源として、今は暗渠で荏原町駅、西大井駅、大井町駅と流れ下り、南大井の町を流れる処で、暗渠から顔を出す。、、、、平成14年(2002)から、JR東日本は総武快速線が走る総武トンネル(東京~馬喰町)の湧水を東海道線沿いにパイプで運び、月見橋の下流(大井町駅から600m程南の地点)で放流し、水質浄化に取り組んでいる。、、、、川底のゴミも無くなり、綺麗な水が流れている。
 
・・・・・・・・・・・・・立会川駅付近、、、、、以前は黒い水に異臭が漂う川であったが、今はゴミもなく、水も綺麗になった。
 
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・・・・・・・・・・・・・上流では水鳥が遊ぶ川に変わった。
 
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・・・・・・・・・・・・・暗渠の出口、湧水の放流地点。、、、、後ろは東芝病院。
 
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・・・・・・・・・・・・・・これより上流は暗渠化され、上部は「立会道路」として遊歩道となっている。
 
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③大福生寺・・・・・・・・東大井3丁目、小高い処に小さな天台宗の寺院、大福生寺がある。 大福生寺は、宇賀神實海大僧正が目黒不動瀧泉寺を退き、隠居の寺として明治14年(1881)に日本橋蠣殻町に建立し、初代住職となった。 その後、明治25年(1892)に現在地へ移転した。 昭和20年(1945)太平洋戦争で寺を全焼し、昭和25年(1950)本堂復興、昭和58年(1983)護摩堂を建立する。、、、、、建物は戦後の建築で面白くないが、さほど広くない境内だが、いつも綺麗に掃除され心地よい寺だ!
 
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④関道地下道・・・・・・・・東海道線の下を抜け、大井4丁目と南大井5丁目を結ぶ、歩行者専用の「関道地下道」。 昭和42年(1967)の竣工。、、、、、、地上を走る東海道線の踏切をなくすために地下道にしたのであろう? まさに地下にもぐるようなアプローチ。 自転車の人は、チョイと階段を持ち運ぶのが辛いね! 女性は夜道が怖いかも?
 
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⑤西光寺・・・・・・・・・・関道地下道を抜けた大井4丁目に、浄土真宗本願寺派寺院の西光寺がある。 もとは、麻布善福寺末であった。 弘安9年(1268=鎌倉時代)に開創し、後浄土真宗に改宗した。、、、、、本堂前、コケの生えた桜の古木が、堂々と枝振りを披露してる。
 
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・・・・・・・・・・・・・境内の石像。 最前列の左:明暦元年(1655)の延命地蔵菩薩、右から二番目:阿弥陀如来像を彫った寛文13年(1673)の供養塔、右端は寛文9年(1669)の阿弥陀如来像を彫った舟形の塔。
 
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⑥伊藤博文別邸跡・・・・・・・・・池上通りを横断し大井3丁目に入ると、裏通りに「伊藤博文別邸跡」と記した案内板があった。 千円札のお爺さんだ!、、、、、初代内閣総理大臣であった伊藤は、明治40年(1907)、明治天皇から功績に報い、皇居であった建物と移築費として2万1千円が下賜された。 その金で、ここ大井村に5千坪の土地を買い、移築し恩賜館と命名した。 その後、伊藤の家族もこの地に住んだが、伊藤没後は、恩賜館は明治神宮に献納された。 恩賜館は現在の明治記念館である。、、、、敷地は、日本光学などの所有となり、現在は大規模なマンションが建っている。 案内板はその片隅にあった。 
 
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⑦光学通り・・・・・・・・・「光学通り」とは、大井町駅からニコン(株)の前をとおり西大井まで伸びる通り。 ニコンの旧社名:日本光学工業に由来する。、、、通りの両側に本社・工場などが並び、まさにニコンの門前通りであった。
 
・・・・・・・・・・・・・かつて、101号館と呼んでいた昭和8年(1933)竣工の建物などは取り壊され現在マンション工事中。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ニコンの大井製作所。 本社は品川に移転した。
 
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・・・・・・・・・・・・ニコンの前に残っている「元禄八年銘道標」、、、、、大井村の念仏講の人たちが建てた道標。 正面に「南無阿弥陀仏」、右側に「従是奥澤九品佛道」、左側に「従是池上本門寺道」と彫られている。 元禄8年(1695)建立。
 
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⑧伊藤博文墓所・・・・・・・・・光学通りを直進し、湘南新宿ラインの踏切を越えた処に伊藤博文の墓所がある。 しかり、柵で囲われ、墓守か(?)、守ている人もいるようだ。 柵の隙間からパチリ!
 
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⑨西大井駅・・・・・・・・・駅は、通称「品鶴線(ひんかくせん)」(愛称:湘南新宿ライン)と呼ばれる、東海道本線の支線上にあり。 路線は昭和4年(1929)に貨物線として開設した。 昭和39年(1964)には頭上に新幹線が高架で走り、昭和55年(1980)には横須賀線が走るようになったが、当時、駅はまだ開業しておらず、「西大井駅」の開業は昭和61年(1986)4月2日である。、、、、、私の住む浅草橋駅よりも大きく立派な駅、しかも駅前にはマクドナルドもある。(浅草橋にはあったが、数年前に撤退した) だけど、乗降客数は少なく、都区内の駅ではワーストテンに入るそうだ。
 
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2018年1月30日 (火)

中延~戸越

今朝の気温1℃。 予報では、日中の最高気温は7℃と、お天気お姉さんが解説していた。 チョイト寒そうだと思ったが、男のやせ我慢で北風吹く中散歩に出た。 外はやはり寒い、寒い、大寒い。、、、、浅草線中延駅で下車し、気の向くまま歩いたら、最後は戸越駅に出た。 8千歩のぶらり散歩です。
 
 
 
①中延駅・・・・・・・・・昭和43年(1968)に、第二京浜国道の下に都営1号線(現:浅草線)の中延(なかのぶ)駅が開業した。 国道わきの小さな出入口をでて、50m程歩くと東急大井町線の中延駅がある。 こちらは、昭和2年(1927)、目黒蒲田電鉄(現:東急大井町線)の高架駅として開業した。 朝の中延駅は東急から都営に乗換て、新橋・銀座方面に向かう通勤客も多い。
 
・・・・・・・・・・・・・・浅草線中延駅、、、、、1面2線の島式ホームの地下駅。
 
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・・・・・・・・・・・・大井町線中延駅、、、、、高架駅、、、、気のせいか、心の迷いか、私の住む浅草橋に降りてくる通勤客と、この駅から乗る通勤客とは、人種が違うようだ。 皆、足は長く、細い、カッコイイ! 
 
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東急大井町線 ・・・・・・・・中延の隣り駅:荏原町まで線路沿いに歩く。、、、、しかし、今日は寒い。 歩きながら手の甲を擦り、寒さに耐える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・荏原町駅、、、、、、昭和2年(1927)7月6日の目黒蒲田電鉄(現:大井町線)の開業と同時に荏原町駅も開業した。
 
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③法蓮寺・・・・・・・・・荏原町駅の北側駅前に日蓮宗寺院の法蓮寺がある。 法蓮寺は、文永年間(1260年代)に当地の領主荏原義宗が、子息徳次郎を出家させ、自邸を捨て法連寺と旗岡八幡神社を創建したと伝えられている。 江戸時代には、別当を勤めていた旗岡八幡神社が徳川家の祈願所となった。、、、、昭和41年に現在の鉄筋コンクリート造の本堂が再建された。、、、、、余談だが、大井町線荏原町駅は、その昔、法連寺が土地を提供し駅名を「法連寺駅」とする案があった。 しかし既に東横線に「妙蓮寺駅」があり、間違いやすいので案は没となったそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・本堂横で、寒さに耐え開いたウメ
 
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④旗岡八幡神社・・・・・・・・法連寺の隣りに、法連寺と同時に創建された旗岡八幡神社がある。、、、、、、社殿は、昭和20年(1945)空襲により焼失し、狩野探玄の筆という天井画も失われた。 現社殿は、鉄筋コンクリート造、八幡造りで、昭和39年(1964)に再建された。、、、、、神社は長元3年(1030)平忠常の乱を平定すべく、朝命を奉じた甲斐守・源頼信公が下総へ赴く際この地に宿営した祈、霊威を感得して源氏の氏神たる八幡大神を奉斎し戦勝を祈願したのがその発祥とされている。 高台に陣を布き、源氏の白旗を立て大いに武威を誇ったことから、この地が「旗岡」あるいは「旗の台」と呼ばれたそうだ。 現在の地名「旗の台」の謂れである。
 
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⑤ギャラリー竹内・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・今日は歩いていても、寒い、寒い。 裏道は日も当たらずなお寒い。
 
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・・・・・・・・・・・・・・裏道右に、左に、また右に、自分でも方向は判らず、「延山小」の前に出た。 ふと見ると、「ギャラリー竹内 ご自由にお入りください」と書いてある。  暖かな室内に入れてもらい、現代アートをチョイト拝見。、、、、、Tetsuro OHNOという作家の作品を中心に見せてもらった。 正直、私には判らん作品もあったが、心、穏やかになり辞す。
 
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荏原中延駅 ・・・・・・・・・東急池上線の駅で、昭和2年(1927)8月28日に開業した。 現在の駅は、平成元年(1989)3月19日に地下化され、駅舎も新しくなった。、、、、、今日は3か所目の“中延”駅。 浅草線中延駅からスタートして、大きく西に向かい、いつの間にかスタート地点に近い処へ戻ってきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・池上線は、荏原中延駅の地下化により、周辺の線路跡は一部公園となった。 細長い公園である。 公園の中を歩き、浅草線戸越駅へ向かう。
 
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⑦戸越駅・・・・・・・・・・・浅草線中延駅の北隣(日本橋寄り)が戸越駅である。 この駅も第二京浜(国道1号)の地下に造られている。 昭和43年(1968)11月15日、都営1号線(現:浅草線)の駅として開業。 島式ホーム1面2線を有する地下駅。、、、、、外観はパッとしないデザインの駅。
 
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2017年12月13日 (水)

鮫洲

夕暮れ時に、孫との約束で京浜急行のプラレール(=プラスチック製の鉄道おもちゃ)を買いに、京急グッズを扱うショップがある鮫洲駅に行ってきた。 ついでに隣の立会川駅までプチ散歩。
 
 
 
①鮫洲駅・・・・・・・・・6両編成分の長さしかない島式ホーム1面2線の両外側に通過線を2線を有する高架駅。 優等列車は全て通過、停まるのは普通だけ。、、、、、小さな駅だが、歴史は古く、明治37年(1904)5月8日に開業した。、、、、、なんで、こんな寂しい駅にショップがあるのか? 品川・蒲田・川崎などの大きな駅にある方が集客力があるのでは? チョイとぼやきたくなる駅。
 
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②代書屋・・・・・・・・・・・“鮫洲”、“府中”と言えば、東京に住む御年配は自動車運転免許試験場を思い出す人もいるだろう。 コンピュータが普及する以前は、免許の取得には試験場に行くことになっていた。 当時、駅前には“代書屋”が並び、呼び込みのおばちゃんが大声で客を捕まえていた。 写真を撮って、申請書類をタイプで打って、ハイ幾らであった。、、、、、その代書屋が駅前に一軒、静かに営業している。 客はいない、呼び込みのおばちゃんもいない。
 
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③鮫洲八幡神社・・・・・・・・・・鮫洲駅に隣接する、この辺りの総鎮守さま。 創立年代は不明だが、寛文年間(1661~1673)には、すでにあったらしい。 鉄筋コンクリート造の現社殿は八幡造で、昭和47(1972)年5月に造営された。
 
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④旧東海道・・・・・・・・・品川から西へ伸びる散策路:旧東海道だが、北品川~青物横丁あたりまでは、寺社も点在し、商店も多く賑やかな道である。 鮫洲から先は店もまばらで、寺社も少なく、散歩にはチョイと寂しいね。
 
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勝島運河 ・・・・・・・・・鮫洲駅と立会川駅の間に位置する勝島運河。 運河と言っても、船舶は立会川寄りで行き止まりとなり大きな船溜まりとなっている。 
 
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⑥立会川駅・・・・・・・・・・駅前の明かりに足を止めるサラリーマンもいそうだ。
 
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