品川区

2017年9月13日 (水)

再び北品川

一昨日の散歩で、島倉千代子の墓を見ずに帰ったことが気になり、今日の散歩は再び墓地により東海寺に参拝することにした。 JR大崎駅から京急新馬場駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①大崎駅・・・・・・・・・・明治34年(1901)、日本鉄道品川線の駅として開業し、昭和の時代までは山手線だけが発着する普通の駅の一つであった。  それが、平成の世になると、埼京線、湘南新宿ライン、東京臨海高速鉄道のりんかい線が乗り入れ、駅前には大規模再開発で巨大なオフィスビルが立ち並んだ。 平成元年の乗降客数は一日約7万人であったが、平成27年には42万人程と急激に増加した。、、、、、都会に住む田舎者となった私は、今朝のラッシュ時に大崎駅に降りると、ホーム上は改札に向かう人で身動きできず。 エスカレータに乗って立ち止まると、後ろから怒鳴り殺されるような恐怖を感じた。
 
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②大崎駅から東海寺大山墓地へ・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・大崎駅を出て、西側のペデストリアンデッキを歩く。
 
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・・・・・・・・・・・・・・「音は聞こえど姿は見えず、ほんにお前は屁のような」、、、、、高架上を疾走する新幹線、その下の盛土を走る横須賀線、どちらも下の道からは見えない! 
 
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・・・・・・・・・・・・・・第一三共品川研究開発センターの脇を通り、目黒川に出る。、、、、、川は汚れ、黒ずんでいる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・墓地の入り口、山手通りに架かり、京浜東北線・東海道線が走る目黒道架道橋。 ここから、線路沿いに徒歩1分。
 
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③東海寺大山墓地・・・・・・・・・・・・所在地は品川区北品川4
 
・・・・・・・・・・・・・・・墓地の所々に、曼殊沙華が咲く大山墓地。 今日は、“お千代さん”の墓参りにきたのだが、さて、見つけることができるかな?
 
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・・・・・・・・・・・・・・墓地に入ると、一昨日来た井上勝の墓の方から私と同年代と思われる70歳前後の男性がこちらに来る。 私は墓地の管理人と思い頭を下げ、『おはようございます。』 先方からは、『おはようス、おたくもお千代さんの墓参りですか?』 その瞬間、声も出ず、『エッ、なぜ判るの!』 返事する間もなく、先方はすれ違って行ってしまった。 あの方は、カラオケ好きで、中高年熱烈ファンの一人だったかも?、、、、、、ここで、私の鋭い勘がはたらき、井上勝の墓へ向かう。
 
・・・・・・・・・・・・・・『ナント、俺はバカ、アホ、ドジのマヌケなんだ、尻の毛が抜け真っ赤っかだ。』、、、、、一昨日来た時に、井上勝の墓の前に、『こんなところに、ペットの慰霊碑を建立し、邪魔だな!』と思ったものが、“お千代さんの墓”だった。、、、、、歌手の墓石によくある、音符と歌詞を彫ったゴチャゴチャしたものではない、綺麗な黒の石で、高さも低い上品な造りの墓石に、綺麗な花が供えられてる。 「島倉千代子」の名は墓石の裏に小さく彫られていた。、、、、、、名が見えなかった、ペットの慰霊碑と間違えたのも無理はない、許す! 『間違えてゴメン、安らかにお眠りください』と、謝りながら合掌。
 
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・・・・・・・・・・・・・墓石の後ろから撮影すると、吾輩がいかに慌て者か?、、、、半円の石の裏に小さく「島倉千代子」の名が見える。 墓と向かい合わせで「鉄道記念物 井上勝 墓」の表示がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・話のついでに、、、、、島倉千代子の出身は、東京市品川区北品川で、地元である。 また、この墓は生前に建てられたそうだ。
 
・・・・・・・・・・・・・・もう一つ、ついでの話、東海寺は地元の寺であるから、島倉家の御先祖の墓も、場所は離れているが、この墓地にある。 その墓石には、施主として名が記されてた。
 
・・・・・・・・・・・・・・せっかく、再び参上した墓地なので、今日は一昨日紹介しなかった著名人の墓を御案内。 明治の実業家:西村勝三の墓、江戸時代の暦学者:渋川春海の墓、江戸時代の国学者:本居内遠(もとおり うちとよ)の墓、江戸中期の儒者にして文人:服部南郭先生の墓、肥後熊本藩細川家家臣と一族の墓石利休居士追遠塔など、など、、、、、古い墓がイッパイ。
 
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④東海寺・・・・・・・・・・・『今日は是非とも、お参りするぞ!』と、やってきた。、、、、臨済宗大徳寺派の東海寺は、寛永15年(1638)徳川家光が沢庵和尚を招聘して開山した。 寺領5千石、境内地4万7000坪を賜った別格本山格の寺院で、臨済宗大徳寺派の江戸触頭であった。 明治維新で廃寺となったものを、かつての塔頭玄性院が旧跡を引き継いで現在に至る。、、、、、明治通りに面し、超高層マンションの谷間に参道がある。 参道の奥、砂利を敷いただけの境内中央に木造の古学殿、鐘楼がある。 鐘楼は元禄5年(1692)に、名工と言われた幕府の御用鋳物師である椎名伊代守良寛によって造られたそうだ。
 
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⑤品川神社・・・・・・・・・・・新馬場駅前、第一京浜を挟み鳥居が見える小高い丘の上に鎮座する神社。(北品川3)、、、、、、文治3年(1185)、源頼朝が安房国州崎明神を勧請し、創建した。 寛永14年(1637)三代将軍徳川家光公により東海寺が建立され、品川神社がその鎮座と定められた。 元禄7年(1694)・嘉永3年(1850)の二度の社殿焼失の際には、時の将軍の命により再建が行われる等、徳川将軍家の庇護を受けました。 明治元年(1868)11月には明治天皇が新都・東京の安寧と国家の繁栄を祈願しるために、当社を含んだ都内の神社を「准勅祭神社」と定めた。 そして、大東亜戦争では、幸い神社は戦火を免れることができた。 しかし、社殿の老朽化は進み、昭和39年(1964)現社殿が鉄筋コンクリート造で再建された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・神社の社殿裏に、「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだ板垣退助の墓がある。 この地は、元は東海寺の塔頭:高源院があった所である。 高源院は関東大震災後、世田谷区烏山に移ったが、墓所は板垣の意向を汲み(?)現在地に残されたそうだ。、、、、、、墓所は薄暗くチョイとジメジメ、観光地とするには無理かな?
 
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⑥新馬場駅・・・・・・・・・・・明治37年(1904)、京浜電気鉄道の南馬場駅、北馬場駅として開業した。 北馬場駅は目黒川の北側(現:北品川)に、南馬場駅は川の南側(現:南品川)に、それぞれの駅が川を挟んで在った。 駅間の距離は200m程しかなく、昭和51年(1976)の高架化工事に合わせ統合し、“新馬場”駅が誕生した。、、、、改札口は旧北馬場駅、南馬場駅の駅舎位置にあり、ホームは目黒川の上にできている。、、、、、ホームは長く、有効長は200m程の長さである。
 
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2017年9月11日 (月)

北品川

JR品川駅港南口に出て、北品川のチョイト人通りの少ない処をブラブラし、大崎駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
品川駅港南口 ・・・・・・・・・・・新宿駅西口、東京駅丸の内などと並ぶオフィス街となり、朝は改札口から出てくる人の流れが途切れることはない。 私も流れに乗って、駅から再開発地区「品川インターシティ」を通り抜けてきた。、、、、、高所恐怖症の人は、超高層ビルでの執務は、どうしてるのか、怖くないのかな?
 
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②昭和の家並み・・・・・・・・・北品川1丁目、旧東海道品川宿の東側に屋形船などを係留している船溜まりがある。 その一画、十数軒程の板張りの住宅が、昭和の路地裏を守り残している。 石を敷いた路地には、草木も置かれ、タイムスリップした感じだ。
 
・・・・・・・・・・・・・・船溜まりの先、マンションの谷間に木造住宅が密集している。
 
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・・・・・・・・・・・・・半分は空き家となったようだ。、、、、、残して欲しいこの景色。
 
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・・・・・・・・・・・・・船溜まりに架かる北品川橋。 大正14年(1925)竣工。
 
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③開かずの踏切・・・・・・・・・・・北品川駅ホーム南端脇の踏切。
 
・・・・・・・・・・・・・・9時0分撮影。 この後、上下10本程の列車が通過。 途中で無理やり遮断機をくぐり、横断する人もいた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・9時10分撮影。 10分前と同じ人が何人いるでしょうか?、、、、、6人は判るはずです。
 
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・・・・・・・・・・・・・・慣れた人は、踏切脇で待機。
 
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④旧英国公使館跡・・・・・・・・・・・・・幕末に高杉晋作や伊藤博文・井上馨などの長州藩士により、品川の御殿山で当時完成間近であった英国大使館の焼討ちがあった。 この時の大使館(公使館)跡は、現在の「権現山公園」あたりである。
 
・・・・・・・・・・・・・・京急北品川駅前の品川女子学院校舎脇の道を入り、階段を上ると郵政官舎がある。 ここが旧英国公使館跡と言われているが、現在は遺構、案内板、碑石など跡を標すものは一切ない。 ちなみに、官舎の住人も知らなかった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・官舎の西隣にマンションがあり、さらにその隣に東海道線に沿って崖上の小さな公園がある。 公園からは、崖下の東海道線線路を挟み、向かい側に御殿山が見える。 これが権現山公園(北品川3-9)である。 公園は、もともと東海寺(3代将軍家光により創建された、臨済宗大徳寺派の寺院。)の境内で、現在の御殿山と連なる高台であった。 その御殿山を切りさくように鉄道(東海道線)が敷かれたのである。、、、、、只今、公園はJRの耐震工事で崖を修復中につき御殿山が見通しにくい。
 
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⑤目黒道架道橋・・・・・・・・・・・・・権現山公園のある高台から、南側の区立品川学園校舎を回るように下ると山手通りにでる。 通りの向かい側に東海寺が見えるが、今日は素通りし大崎駅へ向かう。、、、、、あとで、東海寺に寄ってくれば良かったと後悔することになった。
 
・・・・・・・・・・・・・東海道本線が山手通りを越える目黒道架道橋がある。、、、、、竣工時期不明だが、私の推測では昭和初期かな?
 
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・・・・・・・・・・・・・・橋をくぐると、橋脚の脇に「官営品川硝子製作所跡」の碑があった。、、、、、明治6年(1873)、日本で最初の西洋式硝子工場がここに設立された。 しかも、この地も東海寺境内である。、、、、、寺の境内で、ビール瓶などを御国が製造したそうだ。 明治はいい時代だった!
 
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⑤東海寺大山墓地・・・・・・・・・・目黒道架道橋の隅にもう一つ私を引き付けるものがあった。
 
・・・・・・・・・・・・・「東海寺大山墓地」の案内板。 なんと、沢庵和尚、賀茂真淵、井上勝、などの墓がここにある。、、、、、、あの素通りしてきた寺の墓だ、私の足は戻りたくない! 失敗、失敗、大失敗! 後悔先に立たず、食うかい歯で噛めず。
 
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・・・・・・・・・・・・・・とりあえず、今日は墓を見学することにした。、、、、、墓地は現在の東海寺とは離れて、品川駅の南で山手線(新幹線)と京浜東北線(東海道線)が分かれる、股裂き状態の位置(北品川4-11-8)にある。 ここも、昔から東海寺の境内だったそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・ 但馬国(現:兵庫県)出石町生まれ。 江戸時代初期の禅僧。 37歳で大徳寺の住持となる。 寛永6年(1629)、紫衣事件で幕府に抗弁書提出し、咎められ出羽上山藩に流罪となる。 二代将軍の秀忠の死により許されて京都へ帰る。 三代将軍の家光は江戸に東海寺を創建し沢庵を迎えいれた。 その沢庵和尚の墓。、、、、、墓石には大きなたくあん石!
 
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・・・・・・・・・・・・・・賀茂真淵の墓、、、、、江戸中期の国学者で、『万葉集』の研究を始め、国学・復古神道の普及に努めた。 弟子は300人以上いたそうだ。、、、、、鳥居もある立派な墓だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・日本の鉄道の父:井上勝の墓、、、、、、明治4年(1871)に初代の鉄道頭となり新橋~横浜間の鉄道を開通させた。 墓の横に東海道新幹線が通る。 墓は鉄道記念物に指定されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・私の散歩は下調べなしの“ぶっけ本番”である。 「後で気がつく癲癇病み」で、ここの墓地に『東京だョおっ母さん』の島倉千代子も眠っているそうだ。 手を合わせたかった、残念、無念、大失敗。 
 
 
 
・・・・・・・・・・・・大崎駅から帰宅。
 
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2017年7月15日 (土)

青物横丁~大井町

前回の散歩で、「江戸六地蔵」の二番目である東禅寺(台東区)の地蔵菩薩を見たので、今日は久しぶりに、一番目の品川寺(品川区)の地蔵菩薩を見に行った。 京急青物横丁駅で下車し、品川寺に参拝し、ゼームス坂周辺の裏道を歩き大井町駅から帰宅。、、、、、熱中症を避け日陰を歩いて、9千歩の散歩です。
 
 
 
①青物横丁駅・・・・・・・・・・明治37年(1904)5月8日に、駅名:青物横町として開業したが、いつの間にか青物横丁と変わってしまった。 駅名の青物横丁は、江戸時代に農民がこの地に青物(野菜・山菜)を持ち寄って市場を開いたことに由来する。、、、、ホームは高架相対式2面2線で、3階部分にある。 2階は改札口。、、、、かつて、駅名の“横丁”に“昭和”を感じ、駅周辺で“横丁”を探し歩いたことを覚えている。 残念ながら、見つけることはできなかった。
 
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②竹内医院・・・・・・・・・・・青物横丁駅近くに明治40年(1907)に建てられた、ノスタルジックな医院。 現在は3代目の院長で、祖父の代から続く医院の老舗。 平成21年(2009)に外科医院から耳鼻咽喉科へチェンジした。 診察室には最新設備が整っているそうです。、、、、、私はチョイト難聴なので、一度診察を受けてみたいが、我が家から遠すぎるね!
 
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③品川寺・・・・・・・・・・青物横丁駅の東隣に真言宗醍醐派の品川寺(ほんせんじ)がある。大同年間(806~810=平安時代初期)に創建された古刹。 江戸時代、寛文元年(1652)、4代将軍家綱より4,800坪の寺領を賜り、大伽藍を建立した。 その後、松平讃岐守・阿波守,太田備中守三家の外護のもと大名の祈願所として隆盛を極めた。 明治維新以降は、一時荒廃したものの、大正・昭和には諸堂、山門等の建立が続き復興がなされたという。、、、、、、山門の先は境内が広がり、右手奥に本堂(大正12年(1923)築)が建っている。 中華様式の影響があったのか、斬新なデザインの本堂である。
 
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・・・・・・・・・・・・・山門前で江戸六地蔵、第一番の地蔵菩薩が出迎えてくれる。、、、、、、江戸六地蔵とは、深川の地蔵坊正元が、宝永3年(1706)に発願し、江戸の出入口6箇所に地蔵菩薩像を造立した。 病気平癒を地蔵菩薩に祈願したところ無事治癒したため、京都の六地蔵に倣って造立したものである。 像高はいずれも2.7m前後である。 第一番から第五番までの5体は現存し、第六番(江東区永代寺、千葉街道沿い)は明治元年(1868)に廃仏毀釈により取り壊された。 第一番は品川寺(旧東海道沿い)、第二番は東禅寺(浅草、奥州街道沿い)、第三番は太宗寺(新宿、甲州街道沿い)、第四番は眞性寺(巣鴨、旧中山道沿い)、第五番は霊巌寺(深川、水戸街道沿い)である。、、、、、六地蔵の中で傘を被ってないのはここ品川寺の地蔵菩薩だけだ。 その為か、顔は雨だれのようなシミが出て、チョイと可哀そうだ。 誰ぞ、エステに連れていって欲しいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・境内には、幹周り5.35m、樹高25m、樹齢600年の大イチョウが、堂々と枝を伸ばしている。
 
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④海雲寺・・・・・・・・・・・品川寺の南側に、曹洞宗の龍吟山海雲寺がある。 この寺は、建長3年(1251=鎌倉時代)に近くの海晏寺内に建てた「庵瑞林」に始まるそうだ。 慶長元年(1596)に海晏寺の和尚により開山し、曹洞宗に改められ、寛文元年(1661=江戸時代)海雲寺になった。
 
・・・・・・・・・・・・・山門の右側、正面に本堂があり、山門を通し左側奥が荒神堂で千躰荒神を祀っている。江戸時代から「品川の荒神さん」として知られている。
 
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・・・・・・・千躰荒神王は火と水の神で、台所の神である。 3月と11月の27日、28日は「千躰荒神大祭」で御開帳があり、参拝してお札を授かると火除けとなるそうだ。 その荒神様が祀られている千躰荒神堂
 
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・・・・・・・・・・荒神堂の中には多くの扁額が奉納され、格天井には纏が描かれている。
 
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⑤第一京浜を越え、ゼームス坂へ・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・青物横丁交差点で第一京浜を横断し、大井町方向に歩く、、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・青物横丁交差点から上り坂で仙台坂上に向かう池上通り。 私は、写真右側、南品川5丁目の裏道を歩いてきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・行きつ戻りつ、裏道を歩き、出てきたところはゼームス坂。、、、、、、JR大井町駅から京急新馬場駅までむすぶゼームス坂は、もともと非常に急な坂だった。 明治時代、この坂下付近に住んでいたJ.M.ゼームスという英国人が私財を投じて緩やかな坂に改修した。 以来この坂はゼームス坂と呼ばれるようになる。 J.M.ゼームス(1839~1908)は、幕末にジャーデン=マディソン商会の長崎支社の社員として来日し、明治5年(1872)に海軍省に入り、測量調査や航海術の指導を行った。 生前から仏教に帰依し、その墓は山梨県身延町の久遠寺にあるそうだ。
 
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⑥品川電車区ボイラー室(旧大井町変電所)・・・・・・・・・JR東日本山手電車区の中にある赤煉瓦の建物は、近づくことが難しく、南品川6丁目の浅間台小学校横の小路から撮影。 この建物は、大正11年(1922)に竣工した旧大井町変電所。、、、、、、京浜東北線や湘南電車に乗っていれば必ず目に入ってくる建物で、存在は多くの人が知っているようだ。
 
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⑦JR大井町駅・・・・・・・・・・・京浜東北線大井町駅は東急の大井町線、東京臨海高速鉄道のりんかい線が乗り入れ、相互間の接続駅となっている。 明治34年(1901)3月15日に、国有鉄道東海道本線に大井聯絡所が開設された。 大正3年(1914)12月20日に、京浜線(京浜東北線の前身)の運行開始に伴い、大井聯絡所を駅に格上げし大井町駅誕生。
 
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2017年6月 5日 (月)

馬込~学芸大学

都営浅草線馬込駅から、東急池上線長原駅、東急大井町線北千束駅、東急目黒線洗足駅を巡り、東急東横線学芸大学駅まで、1万4千歩の散歩です。
 
 
 
①馬込駅・・・・・・・・・・・・都営浅草線の駅で、我が家のある浅草橋からは乗り換えなしで約28分である。 今日も行先を決めず浅草線に飛び乗った。 どこで降りよか思案橋、決めるに決まらず、まごまご馬込。、、、、と言うことで、散歩は馬込駅からスタート。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前には洒落た造りの本格的な喫茶店:「楡本店」がある。 玄関上には「CAFFE 1953 NIRE(楡)」と書かれ、昭和28年(1953)創業の老舗である。 時刻は8時15分、まだ開店前。、、、、、店の前の坂を右に上っていくことにした。
 
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②北馬込の町・・・・・・・・・・・馬込駅(国道1号)の西側の一帯で、町の北側は品川区中延・旗の台と接している。
 
・・・・・・・・・・・・・馬込駅の西側の高台にある二車線の通りには、街路灯に「馬込三本木通商店街」と記された旗がなびいている。 “商店街”? なんとなく、辺りを見回してみるが、特に核となる店舗はないようだ、蕎麦屋、ラーメン屋などそれらしき店がポツン、ポツンとある程度。
 
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・・・・・・・・・・・・・・商店街の通りに面し、曹洞宗の金光山宗福寺はがある。 江戸時代初期頃の開山らしい。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内には、昭和10年(1935)、10歳の女の子が乱暴され殺害されたことを不憫に思った人達が、その霊を祀った「登志子地蔵」が建立されている。 この事件では、犯人逮捕に向けて宗福寺に捜査本部が設置された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・大田区北馬込と品川区中延・旗の台の境を西へ歩く。 約400m程は道幅が広くなっている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・幅広の道は、「北馬込本通り協和会」なる商店街に続き道幅も狭くなる。 商店街は環七通りにぶつかり終わる。 
 
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長原駅 ・・・・・・・・・・・長原駅は東急池上線の駅で、昭和2年(1927)8月に池上電気鉄道長原駅として開業した。  昭和40年(1965)から、環七通りの踏切解消のため地下化工事に着手し、昭和48年(1973)11月30日に工事は竣工した。、、、、、地下化されたため、商店街の中の駅は見つけにくい処にある。
 
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④北千束駅・・・・・・・・・・・長原駅から北西に650m程行くと東急大井町線の北千束駅がある。 この辺りは、東急の各線が集まっており、東西南北どちらに歩いても東急の駅に出るようだ。、、、、、、昭和3年(1928)10月10日、目黒蒲田電鉄の大井町線池月駅として開業。 昭和5年(1930)には洗足公園駅に改称し、昭和11年(1936)1月1日に北千束駅に改称した。、、、、、乗降客も少なく、昔ながらのホーム上屋、昭和3年架橋の駅前ガード(池月架道橋)などが現在も利用され、昭和の匂いが残る駅である。
 
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●・・・・・・・・・・・・ここ北千束駅から学芸大学駅までは、16年3月31日にも歩いているので、こちらを見てね。  以下は、今まで歩いていない処のみ紹介。
 
 
 
⑤曲がった家・・・・・・・・・・目黒区碑文谷で見つけた、ナンジャコレ!、、、、家の床は傾いていないようだ。
 
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⑥円融寺・・・・・・・・・・・天台宗の経王山円融寺は、仁寿3年(853)に現在地(目黒区碑文谷1)に創建した。 天台宗に始まったが、日蓮上人の高弟が日蓮宗に改め、弘安6年(1283)妙光山法華寺に改号し、日蓮宗の名刹寺院として栄えた。 江戸時代には幕府の弾圧を受け、元禄11年(1698)天台宗に改宗、天保5年(1831)経王山円融寺となる。、、、、、現在も大きな寺で、今日は“さわり”だけ、チョイトね!
 
・・・・・・・・・・・・・・・山門、、、、、、この山門は、昭和26年(1951)に品川御殿山の原邸から移築されたもので、天保4年(1833)に元播磨国美嚢郡三木和田の寺の山門として工匠黒田重兵衛常久、瓦匠勝清の手によって作られたものである。 明治33年(1900年)に、原邸に移されていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・仁王門、、、、、、 参道をすすむと、大きな仁王門がある。 門は檜と欅を用いた簡素な構成の造り。 建立時期は不詳であるが、永禄2年(1559)に仁王像が作成されており、ほぼ同時期(足利時代)と考えられる。 平成19年(2007)に茅葺きだった屋根を銅葺きに改めた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・釈迦堂、、、、、、、室町初期の建立といわれ、都区内最古の木造建築とである。 明治44年(1911)に旧国宝に指定され、昭和25年(1950)に国の重要文化財に指定されました。 本来の屋根は茅葺きであったが、昭和27年(1952)に銅葺きに改められた。
 
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2017年4月 3日 (月)

二葉

JR大井町駅から、西側に広がる品川区二葉の町を1丁目から4丁目まで歩き、都営浅草線中延駅に出た。1万1千歩の散歩です。
 
 
・・・・・・・・・二葉の町名、、、、、、窪地であった現:二葉・豊町のある一帯は、江戸時代以前の戦乱の時代より、この辺りに陣を張るのに適していたので、「兵備窪」と呼ばれていたそうだ。 その「兵備窪」が外部の敵に恐れられる地となるよう「蛇窪」(へびくぼ)と称されるようになった。、、、、明治・大正時代までは、上蛇窪・下蛇窪などと称された。 昭和初期には、『“蛇”も“窪”も、暗いイメージの字』であることから、町にあった上神明天祖神社・下神明天祖神社にあやかり、「上神明町」・「下神明町」に改称された。、、、、、昭和16年(1941)、上・下神明町を、それぞれ南北に分け、北側同士、南側同士の町を合わせ、「二葉町」・「豊町」とした。 この時の新地名「二葉町」・「豊町」は、東京市からの提案で、さして深い意味はなかったそうだ。、、、、、そして昭和39年(1964)の新住居表示では、「二葉町」は「二葉」に変わった。
 
 
 
①上神明天祖神社・・・・・・・・・・・今日の散歩では最後に立ち寄った、中延駅に近い神社である。、、、、、品川区二葉4丁目にある天祖神社。 神社は、元享2年(1322)の大干ばつの時、雨乞祈願し神霊の冥助による降雨を感謝し、蛇窪村の鎮守として創建されたそうだ。 江戸時代には、蛇窪村は上蛇窪村と下蛇窪村は分村した。 この時、上神明天祖神社は上蛇窪村の鎮守となり、下蛇窪村には下神明天祖神社が創建された。、、、、、鉄筋コンクリート造の本殿・拝殿は平成の世に改修された。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・神社には境内末社として、厳島弁天社があり、白蛇大神が祀られている。、、、、、、岩の上に、数匹の白蛇が祠を守っている。 もちろん、作り物であるが、爬虫類が大嫌いの私は、写真を撮るのも怖い処だ!、、、、、社務所では、願いを書いて水に浮かべ溶けたら叶うと言われているおまじない的なものや、個性的な蛇の図柄の御守り・ストラップなども売られていた。 縁結びの御利益を期待し、若い女性が三々五々参拝に来ている。、、、、、、蛇に手を合わせるのは怖いので、若い娘を横目でチラリ・チラ・チラ見ながら足早に立ち去った。
 
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②下神明天祖神社・・・・・・・・・・東急大井町線の下神明駅の南側:二葉1丁目にある下神明天祖神社。、、、、、、江戸時代から鎮座していた天祖神社が、正保年間(1644~1647)に、下神明天祖神社(二葉1丁目)と上神明天祖神社(二葉4丁目)とに分かれたとされている。 こちらの神社は蛇に縁がなく、ゆっくり参拝できた。、、、、、社殿は昭和47年(1972)の建立。
 
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・・・・・・・・・・・・・・社殿前の狛犬は、品川区最大で体高1.4mある。 昭和8年(1933)、当時の荏原町の消防団の業績を記念して奉献されたものである。、、、、デカい! “犬”ではなく“獅子”だ!
 
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③東光寺・・・・・・・・・・下神明天祖神社の南に、天台宗寺院の東光寺がある。 東光寺の創建年代は不詳だが、戦国時代後期から江戸時代初期にかけて創建されたらしい。、、、、現在の本堂は、文化10年(1813)に再建されたものであるが、屋根、本堂前など手を加えられ再建時の姿はよく判らない。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・境内には東司という祠がある。 東司は寺院の便所のことで、この祠は不浄よけの神として「烏瑟沙摩大明王」(うすさまだいみょうおう)を祀っている。、、、、、『 「下」の病をせぬ様に 「下」のお世話にならぬ様に 「おまたぎ」をまたいで祈念して下さい 』と記されている。 60歳を超えたら、ぜひ、皆さん「おまたぎ」を!、、、、便所の神様なら、“金”“運”の御利益にすれば良かったかも?
 
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④昭和の路地裏・・・・・・・・・・・・・二葉1丁目の路地裏を歩いてみたら、昭和の下町が残っていた!、、、、、、木製の引き戸、丸い外灯、砂利道、、、、、感動!
 
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⑤横山外科・・・・・・・・・・・・・下神明天祖神社鳥居の近く(二葉2丁目)、チョイト古そうな洋風の建物の病院。 昭和レトロの雰囲気が出ている建物で、度々、ロケに使われるらしい。 敷地も広そうで、洋瓦で飾った塀が伸びている。、、、、、診療科目は内科・外科から産婦人科・性病科まで、『なんでもござれ』の地元に愛される病院のようだ!
 
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⑥下神明駅付近・・・・・・・・・・・東急大井町線下神明駅のまわりをブラリ!
 
・・・・・・・・・・・・・・・下神明駅、、、、、駅は西品川1丁目にあるが、そのの通り下神明天祖神社の北側に位置する。、、、、、大井町駅の次の駅だが、乗降客は少ない。
 
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・・・・・・・・・・・・・・下神明駅の近くを通過する東海道新幹線。 後ろには、大崎駅前の高層ビルが見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東急大井町線下神明駅のホーム先の鉄橋のほぼ真下で、東海道本線(品鶴線)と山手貨物線(大崎支線)が合流している。 この位置に、蛇窪信号場(へびくぼしんごうじょう)があった。 信号所は昭和40年(1965)に廃止。、、、、、写真は信号所の南側、住吉踏切から撮影した。
 
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⑦二葉鬼門除け地蔵・・・・・・・・・・・・二葉2丁目の交番の隣に、東光寺の鬼門除けとしてここに地蔵尊が置かれている。 東光寺のほぼ真北にあたる。 地蔵尊は、寛政4年(1792)下蛇窪村の男女講が寄進したものらしい。、、、、、交番の隣では、盗む者もいないね!
 
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⑧下蛇窪ガード・・・・・・・・・・・JR横須賀線西大井駅の隣に下蛇窪ガードがある。 “蛇窪”の名が残るものの一つである。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・今日は“蛇”の夢を見ないように、早々と熟睡することにした。

2016年12月28日 (水)

大井町~戸越

今朝、外の寒さを確かめず、TVの天気予報を見て『今日は晴天だ、チョイと散歩してくる。』と、言って家を出た。 一歩外に踏み出すと、その瞬間、ものすごい強風と、ものすごい寒気に襲われ、失敗した、家に居るべきであった。 男は有言実行。 悔いても“あとの祭り”。、、、、、京浜東北線に乗り、どこで降りようか? 寒いので、大井町駅で下車した。(下車した理由はない)、、、、、とにかく、駅から歩きはじめ都営浅草線の戸越駅まで、9千歩の散歩である。
 
 
 
大井町駅・・・・・・・・・駅の東側に出た。 ペデストリアンデッキの上は、デンキ屋と区民会館のビル陰で日は当たらず、北風は吹き抜け、寒い・寒いと言いたくないが、言えば気持ちもチョイと楽。
 
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・・・・・・・・・・・・・・橋の上からホームを見れば、通勤客で超満員。 「仕事納め」に「忘年会」、今日もサボると嫌われる。 掃除・挨拶適当に、夜は皆で飲み潰れ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東西南北いずれに歩く?、、、とりあえず、東急大井町線 の高架沿いに歩いてみよう。
 
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・・・・・・・・・・・・・大井町線高架橋の北側には、空き家となったJRの広町アパートが並ぶ。、、、、、、跡地再開発計画が頓挫し、いつまでも空き家のまま?
 
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下神明駅 ・・・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)に開業した高架下の薄暗い駅。 昭和11年(1936)に、戸越から下新明に駅名を改称した。 現駅名は、近くの下神明天祖神社に由来する。 一日の乗降客は、若干増えて、2015年度は約8,000人となった。 大井町線16駅の乗降客数で、ワースト2を誇る駅。(ちなみに、ワースト1は北千束駅の約7000人)
 
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③品川区総合庁舎・・・・・・・・・・・・言いたくないが、「寒い・寒いで、トイレがちかい」、しかも「歳をとると、お呼びが早い」。 下神明駅近くで呼び出しにあい近くの公園を尋ねたら、ナント、来た方向に戻り品川区役所前の中央公園を教えてくれた。 足早にトイレに飛び込み、一件落着。、、、、、公園前には、昭和40年代に建てられた庁舎(品川区広町2)が建っている。 他区の庁舎に比べると低層で、小振りだ。 建物の大小が区政の良し悪しを決めるわけでないから、仕事をしっかり続けてね。
 
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④苗木原踏切・・・・・・・・・・・・・湘南新宿ライン(大崎~西大井駅間)の踏切。 奥には新幹線の高架橋が見える。
 
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⑤年末の大掃除・・・・・・・・・・どこの町でも、日本全国大掃除。、、、、、、終戦直後の年末は、どこの家でも31日まで仕事をして、大掃除も年末ぎりぎりに行っていた。 町の角々にごみの山ができ、当時はごみ収集車などはなく、大八車に大きな箱を乗せてごみを集めていた、懐かしき光景を思い出す。、、、、、今では、家庭から出るごみは、ビニール袋に入れられ収集される。 資源ごみは別途に集められ、町会ごとに売られていく。 小さな子供のいる家庭では、家の前に絵本・おもちゃが出され、「ご自由にどうぞ」と貼り紙がある。
 
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⑥旧三井文庫第二倉庫・・・・・・・・・・・・戸越公園(豊町2)の斜め前、旧国文学研究資料館跡地に「文庫の森」公園がある。 この公園の敷地は、大正7年(1918)に三井家編纂室(=三井文庫:三井財閥の修史事業を行う)が日本橋から移転し、ここに膨大・貴重な資料が集められ戦前まで整理していた。 戦中は、資料の多くを疎開させ戦禍を免れ。 戦後、GHQにより三井本社は解散し、三井文庫も活動の停止し、敷地と建物は文部省に売却した。 三井文庫の所蔵史料は文部省史料館に寄託された。、、、、、、その三井文庫の倉庫が2棟あったが、現在は1棟が残され、外観をそのままに防災備蓄倉庫として活用されることになった。、、、、、倉庫は鉄筋コンクリート3階建て、大正7年(1918)竣工の第一倉庫(取り壊し)と、大正11年(1922)竣工の第二倉庫(現存)があった。 設計は東京帝国大学営繕課長の山口孝吉(1873~1937)である。 震災後、窓の数を減らし、開口部には人造石研ぎ出しの防火戸を増設し、防火対策を施した。
 
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⑦戸越八幡神社・・・・・・・・・・・・戸越2丁目、町の中央に戸越八幡神社がある。 大永6年(1526=戦国時代:千利休が生れた年)、諸国を行脚していた行永法師が村内の籔清水水源地で八幡様の御神体を見つけ草庵に祀り、その後、京都の石清水八幡宮の分霊を勧請して、共に祀ったのが創立の起源とされている。、、、、、、さほど広くはない境内であるが、鳥居から社殿まで石畳の参道は長く、両側には緑を植え込み綺麗に手入れがされている。、、、、、、現在の欅造りの社殿は、安政2年(1855=江戸時代)に入母屋造りで再建された。 震災・戦災を免れ、都内では古い建築の一つである。
 
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⑧戸越駅・・・・・・・・・・・・昭和43年(1968)11月15日、都営1号線(現浅草線)の駅として開業。 島式ホーム1面2線の地下駅である。、、、、、今日は歩かなかったが、駅北側には全国の「〇〇銀座」の草分けである戸越銀座商店街がある。
 
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2016年12月 9日 (金)

品川区八潮

京急立会川駅で下車し、東京モノレール大井競馬場前をとおり、東京貨物ターミナルの手前でドクターイエローをチラリと遠望し、八潮パークタウンの中をウロウロし、東京モノレールで帰る散歩。 9千歩、6km。 
 
・・・・・・・・品川区八潮(やしお)とは?、、、、、戦前に、東品川の沖で埋め立てが開始され、昭和54年(1979)に隣接する大田区と境界が確定した埋め立て地である。 面積は品川区の5分の1を占め、1丁目は東電の大井火力発電所と都の清掃工場、2丁目は海運各社のコンテナターミナル、3丁目は新幹線車両基地、4丁目は大井ふ頭中央海浜公園、5丁目はかつての八潮団地で現在は洒落て「八潮パークタウン」と称してる。、、、、地名の「八潮」は、歴史的な曰く因縁、地理的な命名でもなく、単に公募で決めたそうだ。 埼玉県の八潮市とは無関係の町。 
 
 
①立会川駅から大井競馬場前駅まで・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・優等列車の止まらない立会川駅 で下車する。、、、、、私の住む浅草橋駅より綺麗だ、負けてる!
 
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・・・・・・・・・・・・・・立会川の頭上を行く京浜急行本線。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・昭和6年(1631)に架けられた弁天橋を渡ると、天祖神社の境内に出る。、、、、、、本日の武運長久を願い、ついでに年末ジャンボ『一生に一回でいいから』一等が当たるよう願い、拍手も三回にした。
 
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・・・・・・・・・・・・・・立会川が注ぐ勝島運河にでた。 船溜まりのようになった運河は波もなく、鏡のような水面である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・八潮のコンテナターミナルに向かう道を歩く。 今日はレースがないのか、それとも時間が早いのか、大井競馬場のゲートは閉まっている。、、、、、、競馬・パチンコを止めて40年、勝負心はなくなったが、まだまだ賭場の雰囲気は好きだね。
 
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②大井競馬場前駅・・・・・・・・・昭和39年(1964)9月17日、東京オリンピック開催直前に、浜松町駅~羽田駅間にモノレールが開通した。 この時点では、モノレールは東京湾に沿い海面を走るようなもので、途中駅はなく、両端の2駅だけであった。 しかし、昭和40年(1965)5月27日からは、大井競馬場前駅がレース開催日に合わせ臨時開業し営業を始めた。 昭和42年(1967)からは、通年営業の常設駅となった。 そしていつのまにか、東京湾の沖も埋め立てが進み、モノレールは都会の中を走る交通機関となり、途中駅は9駅となった。、、、、、小さな、可愛い駅である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・京浜運河沿いに走るモノレール。
 
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③東海道新幹線車両基地・・・・・・・・・・車両基地の中央にコンテナターミナルに向かう陸橋が架かる。 陸橋の下には、ズラリ新幹線が見えるはずだが、まだ早朝のお勤めから戻っておらず、線路だけが見える。、、、、ドクターイエローが車両基地の留守番。
 
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④八潮パークタウン・・・・・・・・・・昭和56年(1981)に八潮団地の計画が決定し、昭和58年(1983)から入居が開始された。 すでに30年以上経過し、名前も「八潮パークタウン」である。、、、、、広さ40.8ha(東京ドーム8.7個分)で、東京ディズニーランドの5分の4、ミッキーマウスの方が広い。 練馬区の光が丘団地と比べると、186haで練馬の勝ち!、、、、、住んでる人は、約5,700世帯、約13,000人。 高齢化率も高いそうだ。、、、、、人が住む建物は、69号棟までと、数棟の寮などがある。、、、、、外見は綺麗に見える団地だが、外に出て語らう人、健康のため運動する人などは皆無。 チョイと、年寄りには寂しい終の棲家となるのかな?
 
・・・・・・・・・・・・・・タウン内の案内板を見ると、バス停が12か所もある。 それに比べると、公衆電話が13か所とは、チョイと少ないのでは、、、、、、皆さんスマホを持っているから少なくてもいいのかな?
 
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・・・・・・・・・・・・・・・遠望すると、高層住宅が並びカッコいい!
 
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・・・・・・・・・・・・・タウン内も緑が多く、綺麗だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・お年寄りにはバスが便利だけど、バス停まで歩くのが大変そうだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・タウン中央にある区立八潮学園は小中一貫校。、、、、9学年で、全校児童数は約800名。 一学年の平均は90名弱、少子化で廃校となる心配は、まだ無用かな!
 
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・・・・・・・・・・・・・・タウンは周囲を公園・緑道によって囲まれている。 サギ、カモなどの水鳥の遊ぶ姿が見られる。
 
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2016年10月13日 (木)

立会川~大森

朝方は、雨粒がポツリポツリと落ちてきそうな空模様。 昼までには、スカッと爽やかコカ・コーラのような、秋晴れを期待して家を出た。 歩けど、歩けど、青空は期待できず。 
京浜急行立会川(たちあいがわ)駅から、JR大森駅まで、9千歩、7kmの散歩です。 
 
 
立会川駅・・・・・・・・・・・明治37年(1904)5月8日に開業。 現在は、相対式ホーム2面2線の高架駅である。、、、、、駅名の立会川は、目黒区・品川区を流れる二級河川で、立会川駅前を流れて東京湾の勝島運河に注いでいる。 昭和後期には、汚れて、臭い川となったが、JR東日本が総武快速線馬喰町駅付近のトンネルの湧き水を立会川まで引き、放水したことで水質は大幅に改善しボラが生息する川となった。
 
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立会川 ・・・・・・・・・・・駅から下流の勝島運河まで、晴天になることを期待しながら歩いてみた。
 
・・・・・・・・・・・・・・駅前から旧東海道まで伸び、30店舗程で構成する商店街「立会川繁栄会」。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・商店街の店舗裏を流れる立会川。 ボラも住み、水はきれいだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・勝島運河の手前に架かり、旧東海道が通る濱川橋。、、、、、この橋は別名「涙橋」と呼ばれたそうだ。 慶長4年(1651)に鈴ケ森刑場が設けられ、処刑される罪人は市中引き回しの後、刑場に護送されてきた。 この時、親族らがひそかに見送りに来てこの橋でともに涙を流しながら、別れたという事から涙橋と呼ばれるようになった。、、、、、現在の橋は、昭和9年(1934)12月に竣工したコンクリート桁橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・濱川橋の南詰に、江戸時代初期の創建といわれる、この地の鎮守:天祖神社がある。、、、、綺麗に均整のとれた社殿は、昭和40年(1965)に改築されたもの。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・立会川が注ぐ勝島運河。 運河ほ端は立会川で、船はこれより先に進めないため、船溜まりとなっている。 約2kmの護岸には季節の花が咲き新名所となっている。、、、、、いまは、コスモスが咲き迎えてくれた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・運河の際にある新浜川公園(品川区東大井2)に、昨年、浜川砲台が復元された。、、、、、現在の立会川駅近くには、かつて土佐高知藩の下屋敷があり、立会川河口左岸には、ペリー再来航後の安政初年に砲台が設置された。 こんかい復元されたのは、「30ポンド6貫目ホーイッスル砲」と呼ばれる、全長 3メートル、車輪の直径 1.8メートルの大砲である。、、、、、盗まれないようにか、発砲されないようにか、コンクリートの台座にチェーンで固定され、南京錠が取り付けられている。
 
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③品川歴史館・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・曇天の勝島運河に別れを告げ、再び立会川駅前を通り、第一京浜国道、東海道線を横切り、裏道を西へ向かったら池上通りに出た。
 
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・・・・・・・・・・・・・・大井6丁目、池上通りに面して、品川歴史館がある。 天気も悪そうだから、チョイと館内を散歩することにした。、、、、、ただいま、特別展 「品川産業事始」が開催され、グッドタイミング! 300円の入館料を払い中へ。、、、、品川区の主要企業:第一三共、ニコン、明電舎、JR、日本ペイントなどが誕生・発展した産業史を多くの資料で紹介している。 (撮影禁止のため、写真なし)、、、、、おもしろい特別展で、時間を忘れた! 帰りには、アート紙、150頁程の重たい図録を2冊購入してしまった。
 
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大森駅 ・・・・・・・・・・品川歴史館から大森駅北口までは徒歩10分。 
 
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2016年9月 3日 (土)

洗足~中延

東急目黒線洗足駅から、昭和大学をとおり都営浅草線中延駅まで、9千歩、7kmの散歩です。
 
 
①洗足駅・・・・・・・・・・大正12年(1923)に開業した目黒線(旧目蒲線)の駅。 開業時の旧目蒲線は地上を走っていたが、昭和40年(1965)に地下化され、掘割の底を走る目黒線となった。、、、、駅は、深さ約7mの位置に相対式ホーム2面2線を有する。、、、、、駅名の「洗足」は、近く(?)の洗足池にちなんだものである。 東急池上線の「洗足池」駅は池のすぐ前にあり納得できるが、こちら目黒線の「洗足」は池から約1kmも離れている。 類似した駅名であるが、開業当時は目黒線は目黒蒲田電鉄、池上線は池上電気鉄道で、それぞれ別会社であった。(納得!)
 
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②厳島神社・・・・・・・・・・・洗足駅前をから線路沿いに北東方向に歩くと、すぐに厳島神社が目に入ってくる。 町角の公園ほどの境内に、鯉と亀が遊ぶ池があり、赤い橋が架かり、奥に社殿がある。 池には湧き水が豊富に流れ込んでいた。、、、、、、以前にも来たことがある神社だが、由緒はいまだ不明なり。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・厳島神社の東側には、静かな落ち着いた住宅街がある。
 
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③小山八幡神社・・・・・・・・・長元3年(1030)頃の創建。古い!、、、、、境内は小高い丘(小山)にあり、この付近の地名(品川区小山)の由来となっている。、、、、、今日・明日は例大祭、朝から準備で忙しそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・境内から眺める品川区荏原の町
 
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④摩耶寺・・・・・・・・・・・・小山八幡神社の参道脇にある、日蓮宗の摩耶寺。 創建年代は不詳。 かつて、小山八幡神社の別当寺であった。 特徴的な反りのある屋根の本堂は昭和53年(1978)に完成したもの。、、、、、釈迦の生母:摩耶夫人の像を所蔵しているそうだ。 機会あれば、チョイと拝見したくなるね!
 
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昭和大学 ・・・・・・・・・・・昭和3年(1928)に「昭和医学専門学校」として設置され、現在は医学部・歯学部・薬学部・保健医療学部の4学部よりなる医系総合大学。 旗の台キャンパスは大学の本部が置かれているキャンパスである。、、、、改修工事中のキャンパスをぐるり回ってきた。 「解剖実験室」なる部屋が見えたが、怖そうなので、覗くことはできなかった。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・大学の前には、付属の昭和大学病院ある。 裏側見ると、軍艦の艦橋に立っている感じだ!、、、、地上11階/地下3階の病院で、平成9年(1997)に竣工した。
 
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⑥都営浅草線中延駅・・・・・・・・・・・昭和43年(1968)11月15日、都営1号線の中延駅として開業。 その後、都営1号線は浅草線に改称。 近くに、東急大井町線の中延駅があり、乗り換え客が多い。
 
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2016年7月11日 (月)

青物横丁~大森

京浜急行本線の青物横丁駅から、JR大森駅までの散歩です。



①青物横丁駅
・・・・・・・・・・・青物横丁駅は京浜急行で品川駅から三駅目、日本で唯一、駅名に“横丁”が付く駅である。 駅近くに、小さな店舗が集まった場末のスーパー“青物横丁”存在するようなイメージの駅名がいいね!、、、、駅名は、江戸時代に農民が、現駅の東隣にある品川寺門前付近で、青物を持ち寄り市場を開いたことに由来する。 当時は「青物横町」と呼ばれていた。 現在は駅の東側に並行する旧東海道を中心に「青物横丁商店街」と命名した広域の商店街があるが、江戸時代の市場とは無関係。、、、、、明治37年(1904)5月8日、「青物横町」駅として開業した。(“横町”が“横丁”となった時期は不明) 昭和53年(1978)から始められた高架化工事は、平成2年(1990)12月までに高架化され、新駅舎は平成3年(1991)12月に完成し使用を開始した。 さらに、平成9年(1997)には、ホームを延長し12両の停車も可能となった。 長~い、相対式ホーム2面2線の高架駅。

・・・・・・・・・・・・・短い編成の電車は品川寄りに停車するため、横浜寄りで待っていたら、大慌て!、、、『電車が来たぞ、いそげ!』

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・・・・・・・・・・・・・・高架下の駅出入口。、、、、今日の散歩は、旧東海道とは駅を挟み、反対側(西側)を歩くことにした。

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海晏寺
・・・・・・・・・・・青物横丁駅を出て、西側に並行する第一京浜国道を横断すると海晏寺(かいあんじ)がある。 曹洞宗の寺院で、建長3年(1251)の開山。、、、、岩倉具視や松平慶永など著名人の墓もある。

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③旧仙台坂
・・・・・・・・・・・海晏寺を挟み、南側に「旧仙台坂」、北側に「仙台坂」がある。、、、、まずは、南の旧仙台坂について、、、、教育委員会の設置した案内標識には、『江戸時代(1603~1867)に、この坂の中程から上にかけて仙台藩伊達陸奥守の下屋敷があったことから、東大井四丁目と南品川五丁目の間のこの坂は仙台坂と呼ばれていました。 しかし、現在は青物横丁に抜ける坂道が拡幅され交通量が増加したために、その坂の方を一般的には仙台坂と呼ぶようになり、こちらは旧仙台坂と言われるようになりました。』と標されている。、、、、、この坂は、別名「くらやみ坂」と呼ばれていた。、、、、、近年、坂の中央に造られた車道用のトンネルは「仙台坂トンネル」と名付けられている。 ややこしいね!

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④仙台坂
・・・・・・・・・・・次は、海晏寺の北側、池上通りの仙台坂。、、、、、旧仙台坂と仙台坂は、ともに坂上で交差しているため、大井町方面から下ると、どちらも第一京浜に出る。 そうなると、道路幅の広い池上通りの方が交通量が増え、坂名が交通量の多い現:仙台坂に移転してしまった。、、、、、つまりは、旧仙台坂が本家本元で、仙台坂は後の名義借りである。

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⑤八木合名会社仙台味噌醸造所
・・・・・・・・・・・仙台坂と旧仙台坂の上った交差点(品川区東大井4)に、伊達藩の味噌蔵を引き継いだ味噌屋が在る。、、、、この地は、江戸時代、伊達藩の江戸下屋敷であった。 伊達藩では備蓄食料確保の観点から寛永2年以来味噌蔵をもち、醸造を始めた。 当時の江戸の味噌は甘く、東北武士の口に合わなかったため、三千名を超える江戸在勤の士卒に与える味噌は必需品であった。 幕末になると、自給自足のためばかりではなく、余ったものを一般にも販売するようになり、半ば商売となった。 江戸市民は仙台の殿様のお屋敷で出来る味噌というので、仙台味噌と呼ぶようになった。、、、、、味噌蔵は明治時代に八木久兵衛に払い下げ、今日に至っている。

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⑥見晴らし通り
・・・・・・・・・・・仙台坂上の交差点から、JR東海道線と京急本線が並行する間に、東大井3丁目と6丁目の境で大森方向に伸びる裏道がある。、、、、、古くからある道のひとつで、人家の少ない時代には品川の海や遠く富士山も見える見晴らしのよい道であったため、いつとはなしに「見晴らし通り」と呼ばれるようになったそうだ。、、、、、今は、人家が軒を連ね、富士山は見えず、さりとて、商店街の賑わいも見えず、見えるは踏んではいけない犬の糞。

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⑦大福生寺
・・・・・・・・・・・見晴らし通りの南端に、天台宗の大福生寺がある。 海賞山地蔵院と号し、明治14年(1881)に宇賀神寶海和尚が目黒不動瀧泉寺を退き、 隠居の寺として日本橋蛎殻町(水天宮の近所)に一寺を建立し、その後、明治25年(1892)に現在地へ移転した。、、、、、昭和20年(1945)5月太平洋戦争大空襲で寺を全焼し、昭和25年(1950)本堂復興、昭和58年(1983)護摩堂を建立する。、、、、、建物は戦後の建築で面白くないが、さほど広くない庭だが綺麗に掃除され心地よい寺だ!

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⑧大森駅前住宅
・・・・・・・・・・・大森駅の近く、昭和45年(1970)に竣工した東京都住宅供給公社が販売したマンション。 鉄骨鉄筋コンクリート造、地上13階建て、総戸数759戸。、、、、、駅に近く、歩く人を圧倒する感じだ。 ちなみに、2LDKで3000万円以上らしい。、、、、私には、買う気はないが、買う金もない、“COWはイギリスの雄牛だよ”。

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⑨大森駅歩道橋
・・・・・・・・・・・大森駅北口橋上駅舎に通じる、昭和60年(1985)に完成した跨線歩道橋。 この歩道橋により、駅の北側で、線路を跨いで東西を行き来することが可能となった。、、、、、屋根もあり、エスカレータもある、“やさし・うれし”の歩道橋。

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