大田区

2019年9月14日 (土)

駄菓子屋を覗いた大鳥居

京浜急行空港線大鳥居駅から、多摩川の六郷水門を見て、京急本線の雑色駅まで、9千歩の散歩です。




●霧雨の寒い駅 ・・・・・・久しぶりに多摩川の六郷水門が見たくなり、京浜急行空港線の大鳥居駅下車して歩くことにした。 我が家(浅草橋)を出る時は降っていなかったが、大鳥居駅は霧雨の中で、半袖の私には肌寒いスタートとなった。、、、、かつての地上駅は、環状8号線と産業道路が交わる大鳥居交差点のところにあったため、踏切渋滞を解消するために平成9年(2021)11月に地下駅となった。 相対式2面2線のホームは地下1階にあり、駅舎(改札口・出口)は交差点を挟み西口・東口の2ヶ所となった。、、、、駅名の大鳥居は、穴守稲荷神社の大鳥居が付近にあったことに由来する。 現在は空港島の端、天空橋駅付近に移設されている。

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・・・・・・・・・・・・・・大鳥居駅の西側、線路が地下にもぐる部分。 “線路が地上に出る部分”とも言う!(好みで、お好きな方を)

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●機関車で喜ぶ親爺 ・・・・・・大鳥居駅の南にある萩中公園(大田区萩中3)、ここに鉄道ファンが嬉しがるものが静態保存されている。、、、、9:00開園の公園に、子供より先に大人の一番乗り!

・・・・・・・・・・・・・・蒸気機関車:大正3年(1914)に英国マンチェスターのベーヤ―・ピーコック社で製造された蒸気機関車。 昭 和41年(1966)9月まで、東武鉄道に最後の蒸気機関車として走っていたもので、大田区が譲り受けた。

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・・・・・・・・・・・・・・尼ヶ崎駅、玉造駅などで、駅構内での車両の入換え、トロの牽引をしていた軌道モーターカー、昭和30年(1955)加藤製作所製。

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・・・・・・・・・・・・・・都電荒川線7008号車:都内唯一の路面電車である都電荒川線の主力車両として平成24年(2012)12月まで運行し、親しまれていた車両。 都から譲渡されたもの。

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●寺の隣りは駄菓子屋さん ・・・・・・・・萩中公園の南(本羽田3)には、いくつかの寺院が集まっている。 その内の2寺。
・・・・・・・・・・・・・・日蓮宗の長照寺は羽田山と号す。 長照寺は、池上本門寺第12世惺(1550~98)が大師橋付近に創建したと云われている。 明治11年(1878)の大洪水で諸堂宇を流失し、翌年現在地に移転再興した。 震災・戦災で被災し、現堂宇は昭和39年(1964)に建立。、、、、山門だけは戦火を免れ、修復され現在に至っている。 大きな境内の寺だが、事務所・諸堂が大きく、墓地も大きく、本堂前の庭は小さい。

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・・・・・・・・・・・・・・長照寺の西側には、浄土真宗本願寺派の放光山海岸寺がある。 海岸寺の創建年代は不詳。 震災後の昭和3年(1928)築地本願寺寺中から当地へ移転した。、、、、こじんまりした寺で、木々は庭師によりよく手入れされている。 茶室のような寺。 

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・・・・・・・・・・・・・・海岸寺の南隣に小さな駄菓子屋を発見。 店主のおかみさんと駄菓子屋談議で、チョイト昔を懐かしむ。、、、、煙を愛する大人向けにタバコも販売していた。

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●あと100年もすれば世界遺産登録されるかも? ・・・・・・・木造の骨組みが残る戦前の金属加工工場。 内部にはクレーンも取り付けられているが、そのクレーンは木造で支えられている。、、、、現在は車の整備工場として使用。 先日の台風で屋根の一部が壊されたが、建物が世界遺産登録されるのを待っているそうだ!(オーナー談)

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●煉瓦造りの水門は町のシンボル ・・・・・・・多摩川の土手に出た、チョイトばかり上流側に歩く。

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・・・・・・・・・・・・・・昭和に入り、六郷地区の住宅化が進むにつれ 生活用水が増し大雨時には排水しきれずに浸水する事態が起こった。 そこで、地元六郷町が国と東京府の補助金を受けて昭和6年(1931)にこの六郷水門を設けた。 水門は、下水道が普及するまで六郷用水の末流をはじめ、六郷や池上、矢口、羽田の一部地域の雨水、汚水を排除していた。、、、、水門に架かる橋の高欄には、「郷」の字を、「口」の字が9個で囲む六郷町の町章を用いている。 船溜まりは、かつて舟運にも利用され、雑色運河とよばれた水路下流の様子を今に伝えている。、、、、昭和47年(1972)、新たにポンプの圧力によって強制的に排水できる施設が東京都下水道局によって設置され、さらに下水道の整備もすすみ、六郷水門はその機能を保ちつつ使われる事はなくなった。、、、、水門は地元のシンボルとして、多摩川と共に公園のように整備されている。

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・・・・・・・・・・・・・・この六郷水門船溜まりの先から、真直ぐ「水門通り商店街」が京急本線の雑色駅まで続く。、、、、全長600mぐらいある長~い商店街、大きな店舗はないが活気はありそうだ。 

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●モダンな駅だ! ・・・・・・・雑色駅は明治34年(1901)2月1日、京浜電気鉄道の駅として六郷橋~官設大森間の開通と同時に開業。 平成22年(2010)から平成24年(2012)に、上下線のホームを高架線へ切り替える。 現在は、私が住む浅草橋駅よりモダンでカッコイイ高架駅である。 負けた!、、、、駅名の雑色は当時の地名:雑色村から名付けられたが、“雑色”の名は駅名に残るだけとなった。 

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2019年7月20日 (土)

大田区の下町

梅雨寒から一転し、湿度100%・気温28℃、ムシムシ・ベトベト・ジメジメのスッキリしない空模様。 散歩には、汗拭きタオルと扇子を忘れずに! 、、、、 今日は、京急空港線の糀谷駅で下車し、第一京浜(国道15号)と産業道路(国道131号)に挟まれた大田区の“下町”を歩き、京急本線の大森町駅まで、1万歩の散歩です。




●近代的な駅に変身! ・・・・・・・糀谷駅(こうじやえき)は、明治35年(1902)6月28日に京浜電気鉄道の穴守線(=羽田支線)として蒲田~稲荷橋間 (3.6km) の開通と同時に開業した。 平成22年(2010)、高架化工事の進捗により、それまで地上を走っていた上り線が高架となる。 その2年後、下り線も高架となり、平成29年(2017)に全ての高架化事業が完了した。 駅前にはロータリーもでき、高層ビルも建ち、シャレた近代的な駅に生まれ変わった。

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・・・・・・・・・・・・・・昔ながらの駅前商店街(写真1枚目)。 高架化工事中は写真:左端の「丼丸」の左隣りに仮の改札口があった(写真2枚目、平成24年撮影)。 また、撮影している足下に踏切があった(写真3枚目、平成24年撮影)。 

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・・・・・・・・・・・・・・糀谷駅を出た羽田空港行の電車は、急勾配を下り一気に地下に潜って産業道路と環八通りの交差点の直下に位置する大鳥居駅の地下ホームへ進入する。

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●大田区の“下町” ・・・・・・・・・・・・・・・海側にどんどん広がる大田区は平成5年(1993)に世田谷区を抜いて、東京23区で最も面積の広い区となった。 山側の田園調布は一度は住んでみたい高級住宅地、海側の羽田に近い処は町工場の多い下町、その先の羽田空港と東京湾の中にある中央防波堤埋立地は未来都市、いずれも全て大田区である。、、、、今日の散歩はその下町の一角、西糀谷、北糀谷、大森中の町をブラブラ。
・・・・・・・・・・・・・・西糀谷の裏道で見つけた板塀の一種で大和塀の住宅。 大和塀は、板を一枚おきにずらして張り、凸凹を造ることで、目隠し効果を得ると同時に、通風をよくする先人の知恵。、、、、チョイト曲がりくねった裏道は、昔、子供の遊び場だった。

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・・・・・・・・・・・・・・西糀谷の西仲天祖神社。 神社の創建年代は不詳。 祭神は、太陽を信仰し発展した神霊であるといわれている天照皇大神と、一般的に商業・工業方面で霊威を発揮するといわれている豊受姫大神の二神、以上最強のペアである。

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・・・・・・・・・・・・・・なんと!レトロな外観の床屋さん、看板の文字が消えかかっていますが「ハセガワ理容所」と読める。 丁寧な仕事をしてくれそうな床屋さんだ!

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・・・・・・・・・・・・・・白無垢の袋を着せられ姿の見えないブドウ、酔い覚ましの効用があるカリン、収穫はまだか?

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・・・・・・・・・・・・・・複数の神社・公園で櫓を組んでいるのが見られた。 今日・明日は納涼盆踊りが、日本全国で始まる日かも?、、、、我が家のある浅草橋でも、「柳橋 納涼盆おどり」が昨日から明日までの3日間行われている。 我が妻も毎年参加していたが、今年は五十肩(還暦過ぎても五十肩?)で参加できず、残念!

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・・・・・・・・・・・・・・西糀谷から呑川を越えると北糀谷。 平成9年(1997)に架けられて北糀谷橋を渡る。、、、、呑川は、昭和の時代は黒く濁った臭い川だった。 都・大田区では、河床の清掃、都営浅草線の湧水放流などで、呑川の水質浄化に取り組んでおり、平成7年頃から環境基準を達成し、現在は魚も戻ってきた。 

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・・・・・・・・・・・・・・北糀谷の小学校、校庭の隅にたつ“あの人”の像。 像の前には生徒が栽培する鉢が並んでいる。

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・・・・・・・・・・・・・・大森中3丁目に鎮座する三輪神社。 この地は古く堀之内と呼ばれた処で、北条時頼の時代(1247~1259)の陣屋跡といわれている。 三輪神社は、享徳年間(1452~1456)に土地開拓の神として、大国主命を祀り第六天社と呼び、村人の崇敬を集めたのが創始と云われている。 昭和20年(1945)空襲で被災し、その後昭和27年(1952)に社殿を新築した。

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・・・・・・・・・・・・・・三輪神社の近くに、もう一社。 かつての村の鎮守であった前方八幡神社。 創建年代は建武年間(1334~1336)らしい。 大田区の下町には神社が多く、歴史ある土地を物語っている。

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・・・・・・・・・・・・・・大林寺は大森中にある日蓮宗の寺。 創建年代は不詳、旧真言宗薬王院として創建、薬王院の住職だった日円が、法華宗日位と法論した結果、長享2年(1488)に日蓮宗に改めた。、、、、山門横にある池上道道標は、享保14年(1729)に、大森村の日蓮徒で組織された甲子講の人々が建てたもので、東海道から分かれて池上本門寺に至る大森中宿の池上道の追分にあったもの。 高さ1.6mの大きな道標である。、、、、大林寺参道正面にある八百屋さんは安さで評判の店らしい。 チョイト、店名が気にかかる。

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●垢抜けした駅! ・・・・・昭和24年(1947)までは近くに「大森山谷駅」という駅があったが廃止され、昭和27年(1952)12月25日に「大森町駅」として追加開業した。  高架化工事に伴い、平成22年(2010)から上下線別にホームを高架に切り替えられた。、、、、旧駅を知っている人には、『これが今の大町駅なのか・・・』と叫ばれそうな、垢抜けしたデザインだ!

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2019年6月 6日 (木)

“新田”は人名だった!

一昨日、東京から北の草加市「新田駅」から歩いてきた。 今日は東京の南、東急多摩川線「武蔵新田駅」を目指し蒲田駅から歩いてみた。 1万2千歩



●逆走は危険! ・・・・・JR蒲田駅とは“L”字形に接続する東急の蒲田駅。 現在は、「東急プラザ」の3階に頭端式5面4線構造のホームを有する高架駅である。、、、、大正11年(1922)10月6日、池上電気鉄道線(現:池上線)が蒲田から池上駅まで開通。 大正12(1923)11月1日には、目黒蒲田電鉄目蒲線(現:東急多摩川線)が蒲田から沼部駅まで開通。 東急の蒲田駅には池上線と東急多摩川線の2路線が乗り入れてるが、後者は会社名である「東急」を冠し「東急多摩川線」が正式な路線名である。、、、、頭端式ホームは電車の始発駅であり、人生の旅立ちを感じる雰囲気がいいね! 夜の頭端式ホームでは、終着駅を感じ、人生の終わりに頭を巡らせ、線路に飛び込まないで!

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・・・・・・・・・・・・・・朝、ラッシュ時の蒲田駅は、電車が到着するたびにJRに乗り換える人が流れ出てくる。 人の流れは一方通行状態で、流れに逆らうと“高齢者の逆走”で事故のもと。

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・・・・・・・・・・・・・・高架沿いの飲食店街を抜けて行く。 どの店も、まだ閉まっている!

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●隣の矢口渡駅に向かう ・・・・・・東急多摩川線の南側を歩き、隣り駅:矢口渡駅へ、スタコラ・サッサ!

・・・・・・・・・・・・・・東急多摩川線(写真:手前)と池上線(写真:奥)が蒲田駅に到着する直前に並行して通過する蓮沼4号踏切

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・・・・・・・・・・・・・・2社にお立ち寄り!、、、、まずは、大田区東矢口にある若宮八幡神社です。若宮八幡神社は、この地(旧小林村)が開村した際に村の鎮守として、鶴岡八幡宮を勧請したそうだ。、、、、次は、大田区多摩川の多摩川諏訪神社。 600年前の創建と言われている。 丈夫そうな鉄筋コンクリート造の朱塗りの社殿は戦後の建築。

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・・・・・・・・・・・・・・矢口渡駅前に通じる「矢口の渡商店街」の一隅に、「放光地蔵尊」と称する小祠がある。、、、、この地では、昭和20年(1945)4月15日夜半、B29の爆撃を受け無数の焼夷弾と爆弾が投下されて矢口渡駅から多摩川の土手に至るまで焼野原となり多数の焼死者が出た。 当時、地蔵を祀るこの家の主:鈴木三郎は一人焼跡の遺骨を拾い集めて供養をした。 何の罪もないこれ等戦災横死者の霊を慰めたく、このお地蔵さまの建立を思いつき、昭和32年に「放光地蔵」と名づけて末の世までも平和である事を願ったそうだ。 合掌

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●トイレはありません! ・・・・・・多摩川に架かり国道1号(第二京浜)を通す多摩川大橋まで800m程の距離に、東急多摩川線の停車場:矢口渡駅(やぐちのわたしえき)がある。 駅は大正12年(1923)11月1日の目蒲線全通時に開業した。、、、、ホームは相対式2面2線の地上駅。 上下線のホームは完全分離され、それぞれに改札・駅舎がある。、、、、トイレは2番線(多摩川方面行)にしかないので、1番線(蒲田方面行)で漏れそうな人は、ライフリーを着用すると安心!

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・・・・・・・・・・・・・・【注】 江戸川にあるのは「矢切の渡し」、ここ多摩川は「矢口の渡し」。 「矢口の渡し」は、昭和24年(1949)まで存在した。



●次は武蔵新田駅に向かう ・・・・・・次の隣り駅:武蔵新田駅へ、スタコラ・サッサ・ホイ・サッサ!

・・・・・・・・・・・・・・矢口渡駅から200m程歩き、国道1号(第二京浜)を横断する。、、、、思ったほど混んでない国道、わざわざ歩道橋を渡らなくても、横断歩道を歩けばよかった!

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・・・・・・・・・・・・・・国道を越え、大田区矢口2丁目、浄土宗寺院の願海山延命寺に、お立ち寄り。 弘安年間(1278~1298)蓮花寺と号して創建された。 永緑年間(1558~1570)に現在地に再興し、延命寺と改称した。 現本堂は昭和33年(1958)に再建されたものである。

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・・・・・・・・・・・・・・延命寺の西、町角の祠は「今泉北向庚申」 正面に青面金剛・三猿を刻み、右面に「文化五戊辰十二月吉日」と刻む。 文化5年(1808)から約200年、往来する人の安全を見守ってきたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・「むさしにった」商店街のゲート横に祠があり、阿弥陀如来尊石像と庚申塔が祀られている。 庚申塔は元文5年(1740)の建立。、、、、商店街の守り本尊?

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・・・・・・・・・・・・・・「むさしにった」商店街の中程に新田神社がある。 正平13年(1358)創祀。 新田義興は、正平13年畠山国清等の奸計により、矢口の渡に於て討たれ憤死した。 このことがあってから、矢口の渡に夜々「光り物」が表はれ、往来の人を悩ましたので、村老等が墳墓を築き、社祠を興し、新田大明神として奉斎したのが始まりである。、、、、ナイショの話だが、新田義興は畠山の腹心:竹沢右京亮が潜入させた美女のハニートラップ(甘い罠)を受けたそうだ。 私も一生に一回ぐらいハニートラップを経験してみたかった。、、、、旧社殿は、昭和20年(1945)の空襲で焼かれてしまった。 そこで明治神宮で仮社殿として建てられていた「本殿並びに幣殿」(神明造)を特別に下付され、それを昭和35年(1960)に復元奉建し、新たに「拝殿」(流れ造)を新築した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内にある「うなる狛犬」とは、、、、、謀略を企てた足利基氏家臣の畠山一族の者、またその血縁者末裔が新田神社付近に来ると、きまって雨が降り、この狛犬がうなったと云われている。 しかし残念ながら昭和20年の戦災で一体が壊れてしまった。、、、、AIロボの犬みたいだ、泥棒除けに一匹いたらいいね!

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●“新田”の由来は人名だった! ・・・・・東武伊勢崎線の新田駅に続き、今日は“新田”がらみの駅を訪れたのだが、伊勢崎線の「新田」は“しんでん”と読み開墾地、ここ東急多摩川線の「武蔵新田」は“にった”と読み人名だ。 駅名「武蔵新田」の“新田”は、駅近くにある新田神社に由来し、他の地にある新田と書いて「にった」や「しんでん」と呼ぶ駅が存在していることから、旧国名を冠して「武蔵新田」としたそうだ。、、、、大正12年(1923)11月1日、新田駅として開業。 大正13年(1924)4月1日、武蔵新田駅に改称。 相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、当駅も「矢口渡駅」と同様で、上下線で駅舎・改札が別となっており、さらにトイレも2番線にあるのみ。

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・・・・・・・・・・・・・・駅の北側は環八通りが東急多摩川線と20m程の間隔で並行にとおり、駅前の町並みが途切れている。

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2019年4月16日 (火)

嶺の御嶽山はナンジャラホイ

久しぶりに東急池上線の御嶽山駅に行ってみたくなった。 今日の散歩は蒲田から池上線に乗り御嶽山駅で下車し、都営浅草線の西馬込駅までの1万歩。


●富士山が見える御嶽山 ・・・・・・・・23区中最も面積の広い大田区にあって、その西側で東海道新幹線と池上線が交差する位置に御嶽山駅(おんたけさんえき)がある。 駅は大正12年(1923)5月に、池上電気鉄道御嶽山前駅として開業した。 相対式ホーム2面2線の地上駅。、、、、、駅名の「御嶽山」とは山の名前ではなく、駅の近くにある「御嶽神社」のこと。 ならば、駅名を“御嶽さん”にしたほうがいいね。

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・・・・・・・・・・・・・・御嶽山駅の改札は上りホームと下りホーム、それぞれ別に設置されている。 改札内に入ると、ホーム間の移動はできない。 トイレは五反田方面行ホームにしかないため、蒲田方面行ホームで“行きたくなったら”大変なことになる、『男は我慢、女は愛嬌』でごまかすか!

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・・・・・・・・・・・・・・五反田方面行ホームは中央が狭く1m程の幅。 電車が来ると、『黄色い線の内側までお下がりください』、『壁にぶつかりました!』

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・・・・・・・・・・・・・・ホームの蒲田寄りの端には金網がはられている。 金網の隙間からホームの真下に、掘割内を走る東海道新幹線、横須賀線、湘南新宿ラインを見ることができる。 ナント、御嶽山から富士山が見える!

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●嶺の御嶽神社 ・・・・・御嶽山駅まで来たら駅の北に鎮座する「御嶽神社」に御挨拶。 御嶽神社の創祀は、嶺村(現在地の旧村名)ができた天文4年(1535)頃と云われている。 当時は小社で、祠に近いものであったそうだ。 天保年間(1830~1844、江戸時代後期)に木曾御嶽山で修業した一山行者(いっさんぎょうじゃ、相模国津久井村出身の僧)が来社して、神のお告げを聞き、ここに木曾御嶽神社の分社を祀った。 以来信者が激増し、天保2年(1831)に現在の大きな社殿を建立し御霊を遷座した。 信者の中には江戸の豪商なども多くあり、かなりの寄進がされたようだ。 関東一円から木曾御嶽山を信仰する信者たちが多数訪れ、その勢いは江戸、明治、大正、昭和へと続く。 「嶺の御嶽神社に三度参拝すれば、木曾御嶽山へ一回行ったのと同じ」と言われているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・社殿は天保二年(1831)の建築で、周囲の木彫も同時代に、藤原篤意(とくおき)によって制作された。本殿の背面、側面には浦島太郎・養老の滝・司馬温公甕割り・など和漢の物語、故事に因んだ彫刻が施され、柱間/縦約160cm、横約130cmの刻面を有する。、、、、、彫が深く細かな表現の見事な社殿彫刻である。 できれば、艶っぽい女性が彫られていると、もっと注目されると思うね。

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・・・・・・・・・・・・・・・境内には明治時代に建てられた、木造鉄板葺、切妻造りの水行堂がある。 御嶽神社の信徒が水行をするための建物である。 花頭窓など仏教的様式が取り入れられ神社としては興味ある建築様式だ。 

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●注連飾りをかけた狛犬 ・・・・・・御嶽山駅から東へ、久が原の住宅地を歩き、久が原1丁目の「道々橋八幡神社」(どどばしはちまんじんじゃ)に出た。 神社の創建年代等は不詳ながら正保年間(1644~1647)に創建、道々橋村の鎮守社だった。 現在の社殿は昭和35年(1960)の建造。

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●坂を上って下りて息切らし ・・・・・・道々橋八幡神社から、久根橋を渡り呑川を越える。 仲池上の住宅地では坂を上り、西馬込では坂を下り、息は切れハアハア、ゼイゼイ。 可愛い娘を見ると、ピタリと息は止まる、アラ不思議? そんなこんなで西馬込駅到着!
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2019年4月 5日 (金)

女狐に会いたかった!

JR蒲田駅から歩きはじめて、池上線の蓮沼駅・池上駅を通り、第二京浜(国道1号)沿いの池上署の前まで、1万歩の散歩です。 特に池上署を訪ねる用件は無し、誤解なきように。 池上署からはバスで大森へ出て帰宅。




●115年の歴史ある駅 ・・・・・・・・・・明治37年(1904)4月11日、国有鉄道東海道本線の蒲田駅が開業。 大正3年(1914)12月20日からは、京浜線(現:京浜東北線の前身)が運行され、東海道線の列車は停車しなくなる。 大正11年(1922)に池上電気鉄道線(現:東急池上線)が、大正12年(1913)に目黒蒲田電鉄目蒲線(現:東急多摩川線)がそれぞれ開通。、、、、、JR蒲田駅は島式ホーム2面3線の地上駅で、橋上駅舎を有する。 一日の乗降客数は約30万人で、JR東日本の中では20位ぐらいである。(私が住む浅草橋駅は約11万人、90位。完敗!)、、、、、朝のホームは、上り、下りも人・人・人。 混雑時は「蒲田行進曲」より、「トルコ行進曲」の方が、人の流れがスムーズかもね?

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●変身する学校 ・・・・・・・蒲田と言えば、電車の車窓から見えた「日本テレビ技術専門学校」が、名を変え「日本電子工学院」と思っているのは、かなり古い人だ!(ゴメン、自分のことです) 40年程前から「日本工学院専門学校」と、大学もできて「東京工科大学」に変身! そのモダンな校舎が駅前にそびえる。、、、、、ところで、この学校の前身は、戦後の昭和22年(1947)に絵画科と洋裁科で開校した「創美学園」である。 絵からテレビに、そして今はITも、医療も、デザインも、時代と共に大変身!

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●女狐を期待し、賽銭はずむ ・・・・・・小さな呑み屋が並ぶ西蒲田の裏通りを歩いていると、「女塚神社」(おなづかじんじゃ)があった。 名前に魅せられ早速参拝。 女塚神社の創建年代は不詳だが、新田義興公憤死の時、侍女少将局が忠節を尽くし共に害した。 村民は憐れみ此の地に祀った(現社殿の横に女塚古墳がある)と言われている。 新田義興が戦死した矢口渡の戦いが正平13年(1358)であることから、南北朝時代の創建と推定しているそうだ。 この辺りの旧地名は女塚村で、女塚小学校(現:おなづか小学校)などに名が残っている。、、、、、社殿の脇には境内社の女塚稲荷大明神がある。 朝っぱらから女狐でも出て、惑わされるかと期待して賽銭を奮発。

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●蒲田の匂いが続く町 ・・・・・・・・西蒲田の町を、右に左に気ままに歩いているうち、蓮沼駅に出た。 大正11年(1922)10月、池上電気鉄道の駅として開業した、相対式ホーム2面2線の地上駅。 改札は上下ホームにそれぞれ設置されている。、、、、、蒲田駅から直線距離で650m程で、駅周辺は蒲田駅前の商店街、呑み屋街の雰囲気が流れ、続いている感じだ!

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●サクラ咲く神社 ・・・・・・・・蓮沼駅の北150m程に蓮沼熊野神社がある。 神社の創建年代は不詳だが、隣接するもと別当寺の蓮華寺の創建年代とほぼ同時期の寛弘年中(1004~1011)と推定される。 社殿は昭和42年(1967)に鉄筋コンクリート造/権現造で竣工した。

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・・・・・・・・・・・・・・・蓮沼熊野神社の隣りには、もと別当寺であった真言宗智山派寺院の福田山蓮沼院蓮花寺がある。 山門は綺麗に手入れされているが閉じられていたので、チョイト立ち入ると怒られそうなのでヤメタ!

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●只今、工事中です!・・・・・・・池上駅は、2020年の完成を目指して、只今、駅舎の改良工事を進めている。 改札口を橋上化し、南口を新設する。 駅ビルは5階建てとし、保育園、公共施設などの生活支援施設や、店舗が入る予定。 外観は、池上本門寺を中心とした門前町の歴史性をデザインにするそうだ! 乞うご期待!

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●罵倒したい馬頭観音 ・・・・・・池上駅から、裏道をブラブラすると、池上3丁目で馬頭観音菩薩塔に遭遇。 案内板がない、供養塔か?道標か? 訳の判らん塔だ、どうでもいいか!

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・・・・・・・・・・・・・・・50m程歩くと、裏道に「池上七福神」の文字が見えた。 階段の上には「馬頭観世音」と書いた札と、荒れたお堂がある。 しかし、鉄の柵で立入禁止。 何じゃ?、貼られた紙には『お参りご苦労様です 現在、馬頭観音堂の改修工事のため、大黒様は、養源寺でお預かりして、恵比寿様と並んで、安置されております。』 要は、ここは馬頭観音堂という処で、内部はもぬけの殻らしい。、、、、、馬頭観音はどこにあるのだ? 大黒様は夜逃げしたのか? なんだか、訳が判らん!

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●池上署から帰る ・・・・・・馬頭観音堂は第二京浜に面した池上署の真裏であった。 お巡りさんに、馬頭観音の所在を尋ねたら教えてくれたかも?、、、、、そろそろ帰宅時間となり、池上署前からバスに乗ることにした。

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2019年3月 5日 (火)

源氏ゆかりの中延

都営浅草線中延駅から、東急大井町線北千束駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
●遅刻するぞ、走れ! ・・・・・・・・・・・・都営浅草線に乗り、中延(なかのぶ)駅で下車した。 今日はここから大井町線の南側を歩いてみることにした。、、、、中延駅は昭和43年(1968)11月15日に、都営1号線の駅として開業。 島式ホーム1面2線で、第二京浜(=国道1号)の地下2階にある。 
 
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・・・・・・・・・・・・・浅草線中延駅と大井町線中延駅の乗り換えは、一度地上に出て80m程歩くことになる。 朝、大井町線から浅草線に乗り換える人は多く、中には走って浅草線に向かう人もいる。、、、、、昭和2年(1927)7月6日、目黒蒲田電鉄(現:東急)大井町線の駅として開業した高架駅。
 
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●源氏ゆかりの地 ・・・・・・・・・・大井町線中延駅の南200m程に、品川区立源氏前(げんじまえ)小学校がある。  昭和3年(1928)に、「東京府荏原郡源氏前尋常小学校」として開校した、歴史ある小学校。 去年は創立90周年であった。、、、、ところで、“源氏前”(げんじまえ)とは珍しい名だが、その謂れは、、、、、武蔵国荏原郡中延の地に大字として、旗台、源氏前、牧野、清水頭、平塚の地名があった。 これらは、みな源氏ゆかりの地である。 平安の昔、源頼義、義家親子が勅命を受け、「みちのく」を治めるために出陣した処である。 旗台には、陣屋を構え、根城を築いて源氏の白旗をはためかした。 源氏前は源氏の陣屋前であった。、、、付近には、「源氏前公園」、「源氏前図書館」などとして、古い地名が残されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・“源氏前”に来たついでに、チョイト先の「旗の台」にある「旗岡八幡神社」に立ち寄った。、、、、、巫女さんは源氏名を持っているのかな? 日が落ちると近くのお店で、『〇〇という名で出ています』なんて言われちゃうかも?(失礼!)、、、、神社前の通りは鎌倉道である。 
 
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・・・・・・・・・・・・・旗岡八幡神社から、大井町線荏原町駅、荏原町商店街の鎌倉道を、チョッピリ歩いてみた。、、、、旗岡八幡神社の隣りは別当寺であった日蓮宗の法連寺。、、、、法連寺の山門前の踏切りを越えると荏原町駅
 
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・・・・・・・・・・・・・・鎌倉道は駅前から「荏原町商店街」となり、鎌倉の方角に伸びる。、、、、商店街の中程に庚申堂があり、その脇に「天明三年銘 石造道標」がある。 この道標には、「右うの木(鵜ノ木)光明寺道、左池かみ道(池上道)」と刻まれている。 天明3年(1783)は江戸時代中期。
 
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・・・・・・・・・・・・・商店街を抜けたあたり(中延5-12)に、もう一つ道標がある。 こちらは、「天保二年銘 石造道標」。、、、、、道標の四面には、東品川道、西せんぞくおくさわ(千束・奥沢)道、南いけかみ(池上)道、北めぐろ(目黒)道と刻まれている。 天保2年(1831)は江戸時代後期。
 
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●旗の台の町 ・・・・・・・・・・・旗の台の裏道を歩く。、、、、住宅が建て込んでいる、チョイト下町的な住宅街を歩く。 途中で度々方向を見失い、慌てて地図を確認。、、、、荏原五中の前では、ハナモクレンが咲き始め、いよいよ春到来。
 
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・・・・・・・・・・・・・・旗の台駅の西側で、東急池上線を横切る。、、、、ステンレスの車体に緑の濃淡2色でデザインした車両が印象的だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・裏通りから、旗の台駅前と中原街道を結ぶ「稲荷通り」商店街に出た。、、、、チョイト、お稲荷さんに御挨拶。 正式には「旗の台伏見稲荷神社」という。 大正15年(1926)の創建で、お稲荷さんとしては比較的には新しいものである。 太平洋戦争の折に、この旗の台伏見稲荷神社に出征祈願をし、戦地に赴いた120人は、全員が生還したそうだ。 また、お稲荷さんの鎮座する旗の台南町は、この地域が激しい空襲を受けたにも関わらず、安泰であったという。 あれも、これも、お稲荷さんの御加護である。
 
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●時間が止まった駅 ・・・・・・・・・・・・中原街道、環七通りを横断し、東急大井町線の北千束駅 (大田区北千束2)に到着。、、、北千束駅は一日の乗降客が7千人程で、大井町線の中では最も小さな駅である。 
 
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2019年2月14日 (木)

梅屋敷がなくなった梅屋敷

立春も過ぎ、梅だよりも聞こえる時期になった。 今日の散歩は、“梅”に魅かれて、「梅屋敷」がなくなった「梅屋敷」に行ってきた。 京浜急行本線の梅屋敷駅で下車し、「梅屋敷跡」を歩き、大田区蒲田2丁目界隈をブラブラし、京浜東北線蒲田駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
●広々とした明るい駅 ・・・・・・・・京浜急行電鉄本線で、京浜蒲田駅の一駅手前(品川寄り)にある梅屋敷駅。 駅の歴史は古く明治34年(1901)2月1日の開業である。 平成24年(2012)10月には、上下線の高架化工事が完了し、ホーム長113m(6両編成対応)の相対式ホーム2面の高架駅となった。、、、一日の乗降客も少なく(約1万5千人)、普通列車のみ停車する、のんびりした駅である。、、、、駅名は、近くにあった「梅屋敷」に因み命名。 
 
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・・・・・・・・・・・・・高架化工事中(2013年)の写真:地上ホームから高架ホームに変わり、高架下(地上)の線路は撤去された。 (現在の改札口前付近)
 
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●天皇も行幸した公園 ・・・・・・・・・・・梅屋敷駅から、駅の脇を通る第一京浜に出て、南に300m程歩くと「聖蹟蒲田梅屋敷公園」がある。 特別大きい公園ではないが、ここが駅名となった「梅屋敷」の跡地で、現在は区立公園として整備されている。 名にちなみ梅の木が、100株ほど植えられ、只今開花中!、、、、、文政年間(1818~1830)、大森付近で食あたりの常備薬「和中散」を商っていた忠左衛門の倅久三郎は、自宅の庭続きに、近在の梅樹を移植して梅林を作り、これが東海道の両側に面していたことから有名になり、休み茶屋も設けて旅人の便を図った。 そして、梅の名所として、「梅屋敷」と呼ばれるようになった。、、、、明治以降も、明治天皇や大正天皇の行幸・皇后の行啓などがあって梅の名所としては変わらず、京浜電鉄に「梅屋敷」という駅までできた。 しかし、その京浜電鉄の敷設や京浜国道の拡幅や、による地所の縮小などで、次第に往時の姿を失って行った。 昭和13年(1938)には、東京市に寄付され公園となり、戦後は区の小公園に転用された。、、、、明治天皇はことのほか当地の梅が好きだったようで、30年間に9回も行幸されたそうだ。
 
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●・・・・・・・・・・・・東に京浜急行と第一京浜、西は東邦医大通り、北は梅屋敷の商店街、南は呑川に囲まれた、大田区蒲田2丁目をブラブラ。
 
・・・・・・・・・・・・梅屋敷公園の西側、京浜急行の高架橋の西側に小さな神社「椿神社」がある。、、、、、創祀は不祥。 百日咳の治癒に神験新たかな神社として、古くから地元で祀られてきた。 祭神の猿田彦神は「道案内の神」であり、道祖神と習合して村の境を守る“関の神”となったことから、転じて“咳の神”として信仰されるようになったそうだ。(ひどい駄ジャレだ!) この地域には、風邪を引き咳が出るとか、喉の病気に罹ると、この神社の境内の小堂に掛かっている麻糸を首に巻き、治ると麻紐を倍にして額堂に奉納して感謝する。 また足の病気には草鞋を奉納したりして平癒を祈願することが行われてきた。、、、、、足の水虫にも治るのか? 試してみるか?
 
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・・・・・・・・・・・・・椿神社から西へ150m程、日蓮宗の寺院、性光山円頓寺がある。、、、後北条氏の有力家臣で、六郷領の代官的存在の行方家累代の館跡だった。天正18年(1590)秀吉の小田原攻めで時の当主弾正直清が討死、その弟で出家して池上大坊本行寺の住持だった日芸上人が、文禄元年(1592)直清とその一族の菩提を弔うため、ここに一寺を開創した。、、、、住職は、今朝(袈裟)は寒いので、褞袍を掛けてお休みか? 山門は閉じられ境内には入れず。
 
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・・・・・・・・・・・・・円頓寺の100m程西側には薭田神社(ひえだじんじゃ)がある。、、、、薭田神社は、延喜式内の古社である。 和銅2年(709)僧行基が天照、八幡、春日の三神体を造り、薭田神社を創建、後日蓮上人が開眼したと伝えられている。 昔から栄林寺が別当寺であった。 明治維新後分離、郷社に列格した。、、、神社正面の石鳥居は、寛政12年(1800)に北蒲田村の氏子により寄進されたもの。
 
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・・・・・・・・・・・・・薭田神社の北側には、別当であった栄林寺があるが、こちらも寒さのせいか? 山門は閉じられていた。、、、日蓮宗寺院の栄林寺は、千如院日好(寛永3年(1626)寂)が開山した。
 
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・・・・・・・・・・・・・裏道を歩き、区営住宅らしき集合住宅で見つけた座りにくい「どうぞのいす」。、、、、コンクリート製で背もたれと座面が直角。 痔持ちの人には向かない椅子、冷え性の人にも無理かな、身体の大きな人は座面が浅く座りにくいね。 利用者は誰? せっかく作ったのだから、利用しやすい椅子にして。 
 
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・・・・・・・・・・・・・オヤ、また、寺がある。 寺社の多い町だ!、、、、日蓮宗寺院の宝光山妙典寺。 永徳元年(1381)、天台宗妙田寺として創建した。 池上本門寺の上人が、日蓮宗に改宗の上、妙典寺として改号しました。、、、、ここは山門が開いていた。
 
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●元気な商店街 ・・・・・・・・・・・・・蒲田2丁目の寺社巡りしてしまい、再び梅屋敷駅前に出てきた。 駅前を東西に伸びる「梅屋敷 梅交会商店街」(ぷらもーる梅屋敷)を歩き、蒲田駅に向かう。、、、、、全長555m、約140余店を有する元気な商店街。
 
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●チョイト疲れた! ・・・・・・・・この先、蒲田1丁目(ブログは省略)を歩き、蒲田駅に出て帰る。
 
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2018年12月 2日 (日)

久が原は日蓮宗の寺ばかり

毎日が日曜日の私は曜日を意識することが少なくなった。 今朝、地下鉄浅草橋駅で、人の少ないホームに立って、『今日は日曜日』と気づいた。 銀座・泉岳寺方面行の電車も今日は乗客が少ない、『座れるぞ』咄嗟の判断で、散歩の行先方向を急遽変更し西馬込行電車に飛び乗った。 下車駅が定まらぬまま、終点の西馬込に着いてしまった。 こうなれば、あとは足まかせの散歩にした。、、、、、西馬込駅から西へ歩き、東急池上線久が原駅まで、1万歩の散歩となった。
 
 
 
●終点だ、しかたない降りよう・・・・・・・・・またまた来てしまった西馬込駅 。 終点に近づくと車内はガラガラ。 電車は印旛日本医大行となって折り返す。 駅前には通勤客の姿はなく閑散としている。
 
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●お金持ちの坂・・・・・・・・・・・太田区仲池上2丁目2番と5番の境を西へ下るかなりの急坂、その名は大尽坂。 昭和初期に行われた耕地整理によってできた坂道であるといわれている。 坂名は、その昔大尽(だいじん、=金持ち)がこのあたりに住んでいたということで名づけられたそうだ。 この大尽が誰であったかについては不明である。、、、、今の世でも、坂の周辺はお金持ちが住んでいるような住宅街だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・坂の上に昭和初期頃に建てられたと思う住宅がある。、、、、かなり広いお屋敷のようだ、母屋が見えない。
 
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・・・・・・・・・・・・・坂の下に庚申塔がある。 正面には、「南無妙法蓮華経 庚申  享保三戌歳十二月吉辰」と彫り、右側に「池上めぐろ江道」、左側には「せんそくほりの内江道」とある。 池上本門寺目黒不動尊、堀の内(杉並区)の妙法寺への参詣道を示した庚申塔である。 享保三年(1718)は暴れん坊将軍:徳川吉宗の時代。
 
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●水が綺麗になった川、臭わない!・・・・・・・世田谷区桜新町を水源とし大岡山の東工大を流れてきた呑川(のみかわ)を、久が原の八幡橋(昭和35年竣工)で越える。 呑川は八幡橋から池上本門寺前、蒲田駅、羽田空港へと流れ下る。
 
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●側室のパワーか?・・・・・・・・吞川に架かる道々橋(どどばし)の南側(久が原2)に日蓮宗の長照山樹林寺がある。 開創の年代は不明だが、寛永5年(1628)頃に創建されたと言われている。、、、、、、寺伝によれば、当時この道々橋村の周辺各村には、1ヶ寺以上の寺があったが、なぜか道々橋村には寺が1ヶ寺も無かった。 村の人達は、村内に寺の建立されることを熱願していたが、資力が無く、これを実現できないでいた。 たまたま土地の綿屋の娘が江戸城に奉公し、将軍の側室付きの腰元となった。 この側室が、腰元の親の願いを聞き、その奇得を感じて、道々橋の村内に樹林寺を創建したと言われている。、、、さすが“側室”の力、『殿、道々村に寺を建ててくりゃれ』と、殿のほっぺにチュー。 『良きに計らえ』と、抱き寄せる。 これにて、1ヶ寺が建ったのか?(私の邪推)
 
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●半径200mに3社3寺・・・・・・・・・・・・「久が原」1丁目、2丁目、3丁目の境である「出世観音前交差点」を中心に半径200m程の円内に、寺社が複数あった。 樹林寺もその一つ、他に道々橋八幡神社、久が原西部八幡神社、末廣稲荷神社、久が原出世観音、安祥寺がある。、、、、全部手を合わせてきたので、堂々一挙公開。
 
・・・・・・・・・・・・・まずは、久が原1丁目の道々橋八幡神社。 神社の創建年代等は不詳ながら正保年間(1644~1647)に創建、道々橋村の鎮守社だった。 現在の社殿は昭和35年(1960)の建造。、、、、、狛犬の首に注連飾りをかけている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・次は、久が原4丁目の久が原西部八幡神社。 神社は、天平神護元年(765)に、久が原の高所に創建した。 久ヶ原村には元々一つの八幡社しかなかったが、江戸時代初め村が馬込領と六郷領に分断された時、八幡社も二つに分けることになり、元の八幡社が東部八幡となり、西部八幡は独立して現在地に新たに造営された。、、、、現在の社殿は昭和53年(1978)に建てられたものである。
 
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・・・・・・・・・・・・・三番目は、久が原2丁目にある小社:末廣稲荷神社。 周囲を雑木に囲まれ、社は見えないので判り辛い。 
 
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・・・・・・・・・・・・・四番目は、久が原2丁目のパワースポットである久が原出世観音。 閑静な住宅街の中、野村證券の寮の隣りにあり、両サイド塀になった狭い参道を入った奥に、堂がある。、、、、、伊藤博文の恋人(築地の大料亭の先代)が建てた観音堂だそうで、政財界の方も手を合わせに来るそうだ。 私も、御利益を期待して線香をあげてきた。、、、、堂の内部は見えるが、観音様は正月三が日のみ一般公開されるそうだ。 
 
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・・・・・・・・・・・・・さてさて五番目は、久が原4丁目の長久山安祥寺。、、、、本門寺周辺はどの寺も日蓮宗、ここもそうだ! 寛永6年(1629)の創建。 建物は戦災で焼失し、全て戦後再建した。
 
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・・・・・・・・・・・・・最後に、“おまけ”で出世観音前交差点の角にある庚申堂。 一つは板状駒型の青面金剛像。 「元禄十三庚辰十二月吉日」の銘がある。 もう一つは、板碑型の庚申塔で、「元禄五壬申年十一月十五日」の銘がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・もう一つ“おまけ”の庚申堂があった。 久が原三丁目交差点にある小祠。 板状駒型の青面金剛で「享保廿乙卯天十一月吉日」の銘。 もう一つは、同じく板状駒型の青面金剛で「元禄十四辛巳十二月八日 久ヶ原村」の銘。
 
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●トイレがない、漏れちゃう!・・・・・・・・ワンマン運転で3両編成の電車が走る、東急池上線の久が原駅。 大正12年(1923)5月4日蒲田から延伸してきた池上電気鉄道が、池上~雪ヶ谷間を開業させた時にできた。 開業当初は「末広駅」と名乗っていたが、その後「東調布駅」、「久ヶ原駅」を経て、昭和41年(1966)に現在名となった。 ホームは地上相対式2面2線の構造で、上下ホームは完全分離されていて行き来ができない。、、、、、トイレは2番線五反田方面ホームにしかないので、1番線ホームで行きたくなったら、次の千鳥町駅まで我慢する。 我慢できないときは、さて、どうする? 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・・久が原駅にもある長~い腰掛け。 かつては、多くの駅のホームや待合室でよく見かけた10人以上が座れる、あの長い腰掛けが残っている。 腰掛けの断面は座りやすく絶妙なカーブで作られ、懐かしい座り心地を感じるのは私だけではないと思うね!
 
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2018年11月14日 (水)

東糀谷の双子の水門

京浜急行空港線の大鳥居駅で下車し、南前堀水門、北前堀水門を見て、大鳥居駅に戻る、9千歩の散歩。
 
 
 
●オオ、鳥居がない!・・・・・・・・・・・環八通り(都道311号)と産業道路(国道131号)が交差する「大鳥居交差点」の真下に、十文字を斜めに切るように大鳥居駅の地下ホームがある。、、、、、大鳥居駅は、明治35年(1902)6月28日、蒲田~稲荷橋間開通と同時に開業。駅名は、当時、穴守稲荷の大きな鳥居が現在の駅付近にあったことに由来する。 大鳥居駅からなくなった大鳥居 は、現在、天空橋駅付近(羽田空港島の多摩川寄り)に移設されている。、、、、、大鳥居駅の地下化は、昭和60年(1985)に着工し、平成9年(1997)11月23日に地下ホームとなり営業を開始した。 まさに大鳥居交差点(駅ホーム)の部分だけを地下化したような構造で、地下ホームに立つとホーム両端の先には地上へ向かい線路が伸びている。
 
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・・・・・・・・・・・・・出入口は東西に1か所。
 
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●双子の水門!・・・・・・・・・・・羽田空港の西側を流れる海老取運河に接続する二つの用排水路に同じような水門がある。 その名は、「南前堀水門」と「北前堀水門」。 両水門は東京湾の高潮災害から地域を守るために造られた。 南前堀は大田区東糀谷6丁目と羽田旭町の境に、北前堀は南前堀から300m程北側に寄った東糀谷6丁目の町にある。 二つの用排水路とも、現在は末端部200~300m程が船溜まりとした利用され残されている。 その先は、これまた同じように用排水路は埋められ、それぞれ「南前堀緑地」、「北前堀緑地」として公園となっている。、、、、両水門の形式・大きさ・竣工年度も同じである。 形式は単葉ローラーゲート式、水門の大きさは幅6mX高さ5.5m、昭和41年(1966)完成。
 
・・・・・・・・・・・・・南前堀水門、、、、、用排水路は首都高速・横羽線の高架下で、水門は海老取運河に面している。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・水門の内側には、首都高下に船泊がある。(現在は係船禁止のようだ) 水門から300m程で水路も埋め立てられていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・その先には、水路を埋め立てた「南前堀緑地」が約400m続く。
 
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・・・・・・・・・・・・・・緑地の端部(水門から最も離れた処)に、煉瓦造りの南前堀排水場跡がある。、、、、、案内板には、「この排水場は糀谷地域の地盤が低いので、満潮の時海水が逆流しないように水門を設け、雨水や生活排水を堀へポンプで排水するために造られたものです。特に台風など大雨の降った時には街を水害から守るため、おおいに活躍しました。 排水場は東京都で建設し、昭和十八年より大田区が引継ぎましたが、下水道の普及により、昭和五十六年に廃止し、同年に堀も埋立て、緑地として区民に利用されることになりました。」、、、、、、昭和初期の建物と思われるが、“資料館”などにすれば、まだまだ使えそうだ。 素敵な建物でこのままではもったいない! 
 
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・・・・・・・・・・・・・・北前堀水門、、、、、こちらの水門は海老取運河から約100m、用排水路を入った位置にある。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・水門の内側には100m程が、船溜まりとして使われている。
 
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・・・・・・・・・・・・・船溜まりの先は、水路を埋め立て「北前堀緑地」が約600m続く。 こちらの緑地の端部にも、北前堀排水場があったが取り壊された。
 
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・・・・・・・・・・・・・緑地の中程には、水路を埋め立て後、昭和59年(1984)に架けられた北前橋がある。 一般道の下を、緑地の散策が安全にできる心配りだ。
 
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●ここでも建て替え・・・・・・・・・・南前堀水門の西側に「東糀谷六丁目アパート」がある。 昭和45年~46年(1970~1971)に建てられた、全7棟(783戸)のチョットした団地である。、、、、築後50年程になる団地で、高層棟もあるが、5階建ての中層棟から建て替えの話があるそうだ。 最近、彼方此方で、都営住宅の建て替えが多いね! より高層化して、実入りを増やし、オリンピックの財源にするつもりか?
 
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・・・・・・・・・・・・・羽田空港寄りの棟の10階からの眺望。 手前は羽田中学校、その先に海老取運河、対岸は羽田空港。、、、、なかなか、いい景色だ! 
 
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2018年11月10日 (土)

大森の閻魔大王

大森の密厳院に閻魔大王が居ると聞き、ぜひお会いしたくなった。 チョイト事前の情報を整理していたら、その寺には八百屋お七の地蔵さまも居ると判り、こちらにもお会いしてみたくなった。 お寺は大森海岸駅の近く、ならば、お七が火炙りになった鈴ヶ森にも寄ってみよう。、、、、、、そう云うことで、京浜急行立会川駅から平和島駅まで、9千歩の散歩です。
 
 
 
●通過します!・・・・・・・・特急電車は遠慮もなく、猛スピードで通過していく、ベンチに座ったお客は動かない。 チョイト悲しくなる立会川駅。、、、、、明治37年(1904)5月8日に開業。 
 
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●神社のM&A・・・・・・・・・・・立会川駅から南へ100mたらず、この地の鎮守:天祖・諏訪神社がある。天祖神社の祭神は天照大神と豊受大神で、諏訪神社は、建御名方刀美神と小碓命を祭神とし、両社を併せて古くは神明宮・諏訪社と称し、かつては東京湾に面し、立会川を挟んで並んで祀られていた。 天祖神社の創建は、西暦1100年から1190年頃に遡ると謂われている。 諏訪神社は、江戸時代初期の寛永8年(1631)以前の創建と思われる。 両社は昭和40年(1965)に合祀され天祖・諏訪神社と称されるようになった。、、、、綺麗に均整のとれた社殿は、昭和40年(1965)に改築された。
 
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●家康も歩いた旧街道・・・・・・・・北品川~鮫洲辺りまでは商店が並び、『旧東海道』として賑わいのある道だが、、、、しかし、立会川を越えると商店は少なく、会社・マンションなどが目立つ。 何か、面白いものはないか、左右に首振り歩く。 何もない!
 
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・・・・・・・・・・・・・・看板建築の建物があった! 味わい深い建物である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・こちらは、海運稲荷神社。 海運業の商家が商売繁盛を願い祀ったのかな?
 
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●南無妙法蓮華経・・・・・・・・・旧東海道が第一京浜国道にぶつかる品川区南大井に鈴ヶ森刑場跡がある。 鈴ヶ森刑場は、日光街道の小塚原刑場、中仙道の板橋刑場とともに3大刑場といわれた。 徳川幕府の南の処刑場である。、、、、この近くにある鈴ヶ森八幡社(磐井神社)に鈴石(振ると音がする酸化鉄の一種)があったため、いつの頃からか「鈴ヶ森」と呼ばれるようになった。、、、、刑場は、慶安4年(1651)に開設された。 間口40間(74m)×奥行9間(16m)という広さがあり、閉鎖される明治4年までの220年の間に10万人から20万人もの罪人が処刑されたといわれている。、、、、、刑場は東海道に面し、江戸への入口にある。 当時は浪人による犯罪も増え、彼らに警告を与える意味でこの場所を選んだと言われている。、、、、刑場に隣接する日蓮宗の寺院:鈴森山大経寺が無縁受刑者の回向供養を専らとし、現在に至る。
 
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・・・・・・・・・・・・・磔台火炙台の石が残されている。 花と線香があげられていた。 
 
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・・・・・・・・・・・・・四角い石に四角い穴があいた磔台(はりつけだい)、、、、、説明文によると、丸橋忠弥を始め罪人がこの台の上で処刑された。 真中の穴に丈余の角柱が立てられその上部に縛りつけて刺殺したのである。、、、、、、十字架のようなものに縛られ、下から槍で刺される、磔は痛そうだ、刑の執行も見たくない!
 
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・・・・・・・・・・・・丸い石に丸い穴があいた火炙台(ひあぶりだい)、、、、、説明文によると、八百屋お七を始め火炙の処刑者は皆この石上で生きたまま焼き殺された。 真中の穴に鉄柱を立て足下に薪をつみ縛りつけて処刑されたのである。、、、、、想像を絶する怖さ、懇ろに手を合わせてきた!
 
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●・・・・・・鈴ヶ森刑場跡付近で、第一京浜国道(国道15号)を横断し、京急大森海岸駅前を抜け、大田区大森北の町に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・大森北のカトリック大森教会にお立ち寄り。 大正時代に創立し、昭和初期は高さ17mの鐘楼を持つゴシック式の素晴らしい建物の教会であった。 昭和20年(1945)の空襲で教会は焼け落ち、昭和47年に現在の聖堂が完成した。
 
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●閻魔さんも八百屋さんも・・・・・・・・大田区大森北3丁目、本日の散歩の目的地:密厳院がある。 真言宗智山派寺院の密厳院は、八幡山祈念寺と号し、文安5年(1448)に法印雲誉が創建したといわれています。、、、、、モダンな本堂が建てられた。
 
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・・・・・・・・・・・・・顎髭のある閻魔大王は本堂の御本尊の脇に祀られていた。 像は江戸時代の物で、約115cmとのこと。 本堂新築の折りに閻魔大王像も修復されたそうで、ピカピカの綺麗な姿をしていた。 チョイト、迫力不足だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・境内にある石造地蔵菩薩立像(お七地蔵)は、高さ1.6m。 天和2年(1682)、恋故に放火の罪に問われ、鈴ヶ森刑場で火炙りの刑に処せられた八百屋お七の霊を供養するために、お七の住んでいた小石川の念仏講の人々が、三回忌にあたる貞享2年(1685)に建てたもの。(写真:中央)、、、、、地蔵さんではお七の容姿が想像できない。 美人だったのか気になるところ。
 
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●・・・・・・・・・・・・・浄土真宗本願寺派寺院の最徳寺は、明光山と号す。 寺は、文暦元年(1234)鎌倉において藤原氏の一族永頓開基、権少僧都永順が開山したと言われている。徳川家康の関東入国後に当地へ移転した。
 
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●稲荷すし詰め・・・・・・・・・・最徳寺から平和島駅まで、約600mほどの道沿いに数社の稲荷がある。 稲荷、稲荷、稲荷、と続く。
 
・・・・・・・・・・・・・その1、、、、、東貫森稲荷神社
 
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・・・・・・・・・・・・・・その2、、、、、穀豊稲荷神社、、、、町内会館と同居?
 
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・・・・・・・・・・・・・・その3、、、、、、甘酒稲荷神社、、、、咳に効く神で、治ると甘酒を献じる。
 
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●神社・寺が多すぎた!・・・・・・・・平和島駅 に到着。 今日は、なぜか疲れた! 気力なし!
 
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