大田区

2017年6月 5日 (月)

馬込~学芸大学

都営浅草線馬込駅から、東急池上線長原駅、東急大井町線北千束駅、東急目黒線洗足駅を巡り、東急東横線学芸大学駅まで、1万4千歩の散歩です。
 
 
 
①馬込駅・・・・・・・・・・・・都営浅草線の駅で、我が家のある浅草橋からは乗り換えなしで約28分である。 今日も行先を決めず浅草線に飛び乗った。 どこで降りよか思案橋、決めるに決まらず、まごまご馬込。、、、、と言うことで、散歩は馬込駅からスタート。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前には洒落た造りの本格的な喫茶店:「楡本店」がある。 玄関上には「CAFFE 1953 NIRE(楡)」と書かれ、昭和28年(1953)創業の老舗である。 時刻は8時15分、まだ開店前。、、、、、店の前の坂を右に上っていくことにした。
 
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②北馬込の町・・・・・・・・・・・馬込駅(国道1号)の西側の一帯で、町の北側は品川区中延・旗の台と接している。
 
・・・・・・・・・・・・・馬込駅の西側の高台にある二車線の通りには、街路灯に「馬込三本木通商店街」と記された旗がなびいている。 “商店街”? なんとなく、辺りを見回してみるが、特に核となる店舗はないようだ、蕎麦屋、ラーメン屋などそれらしき店がポツン、ポツンとある程度。
 
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・・・・・・・・・・・・・・商店街の通りに面し、曹洞宗の金光山宗福寺はがある。 江戸時代初期頃の開山らしい。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内には、昭和10年(1935)、10歳の女の子が乱暴され殺害されたことを不憫に思った人達が、その霊を祀った「登志子地蔵」が建立されている。 この事件では、犯人逮捕に向けて宗福寺に捜査本部が設置された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・大田区北馬込と品川区中延・旗の台の境を西へ歩く。 約400m程は道幅が広くなっている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・幅広の道は、「北馬込本通り協和会」なる商店街に続き道幅も狭くなる。 商店街は環七通りにぶつかり終わる。 
 
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長原駅 ・・・・・・・・・・・長原駅は東急池上線の駅で、昭和2年(1927)8月に池上電気鉄道長原駅として開業した。  昭和40年(1965)から、環七通りの踏切解消のため地下化工事に着手し、昭和48年(1973)11月30日に工事は竣工した。、、、、、地下化されたため、商店街の中の駅は見つけにくい処にある。
 
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④北千束駅・・・・・・・・・・・長原駅から北西に650m程行くと東急大井町線の北千束駅がある。 この辺りは、東急の各線が集まっており、東西南北どちらに歩いても東急の駅に出るようだ。、、、、、、昭和3年(1928)10月10日、目黒蒲田電鉄の大井町線池月駅として開業。 昭和5年(1930)には洗足公園駅に改称し、昭和11年(1936)1月1日に北千束駅に改称した。、、、、、乗降客も少なく、昔ながらのホーム上屋、昭和3年架橋の駅前ガード(池月架道橋)などが現在も利用され、昭和の匂いが残る駅である。
 
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●・・・・・・・・・・・・ここ北千束駅から学芸大学駅までは、16年3月31日にも歩いているので、こちらを見てね。  以下は、今まで歩いていない処のみ紹介。
 
 
 
⑤曲がった家・・・・・・・・・・目黒区碑文谷で見つけた、ナンジャコレ!、、、、家の床は傾いていないようだ。
 
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⑥円融寺・・・・・・・・・・・天台宗の経王山円融寺は、仁寿3年(853)に現在地(目黒区碑文谷1)に創建した。 天台宗に始まったが、日蓮上人の高弟が日蓮宗に改め、弘安6年(1283)妙光山法華寺に改号し、日蓮宗の名刹寺院として栄えた。 江戸時代には幕府の弾圧を受け、元禄11年(1698)天台宗に改宗、天保5年(1831)経王山円融寺となる。、、、、、現在も大きな寺で、今日は“さわり”だけ、チョイトね!
 
・・・・・・・・・・・・・・・山門、、、、、、この山門は、昭和26年(1951)に品川御殿山の原邸から移築されたもので、天保4年(1833)に元播磨国美嚢郡三木和田の寺の山門として工匠黒田重兵衛常久、瓦匠勝清の手によって作られたものである。 明治33年(1900年)に、原邸に移されていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・仁王門、、、、、、 参道をすすむと、大きな仁王門がある。 門は檜と欅を用いた簡素な構成の造り。 建立時期は不詳であるが、永禄2年(1559)に仁王像が作成されており、ほぼ同時期(足利時代)と考えられる。 平成19年(2007)に茅葺きだった屋根を銅葺きに改めた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・釈迦堂、、、、、、、室町初期の建立といわれ、都区内最古の木造建築とである。 明治44年(1911)に旧国宝に指定され、昭和25年(1950)に国の重要文化財に指定されました。 本来の屋根は茅葺きであったが、昭和27年(1952)に銅葺きに改められた。
 
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2017年5月22日 (月)

森ヶ崎

羽田空港へ向かう東京モノレールの昭和島駅で下車し、「大森南」(旧森ヶ崎)の町を歩いてきた。 1万2千歩の散歩です。

 
 
 
昭和島駅 ・・・・・・・・・元はモノレールの車両基地の停車場として、職員専用の駅であったが、昭和60年(1985)から一般の乗客も利用できる駅として開業した。、、、、島式ホーム2面4線を有し、快速が普通を追い抜く駅である。 細長い島式ホームはホームドアが無いと、チョイト怖いね!
 
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②呑川水門・・・・・・・・・・呑川(どんかわ)水門は、門扉型の単葉ローラーゲート、幅6mの水門で昭和41年(1966)度に竣工した。
 
・・・・・・・・・・・・昭和島から京浜運河を越えて呑川水門に行く。 右岸は昭和島。左岸は大森東地区。
 
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・・・・・・・・・・・・昭和島から見る対岸の呑川水門。
 
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・・・・・・・・・・・・・・小さな水門だが、高潮を防ぐための大切な水門である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・呑川水門は旧呑川にあり、現在は水門の上流側100m程が船溜まりとして使用されている。 都は水門を廃止するため防潮堤の整備を進めている。
 
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③首都高羽田線・・・・・・・・・・・モノレールと並走している首都高羽田線が、昭和島から運河を越えて大森南の森ヶ崎水再生センター西施設にすり寄ってくる。、、、、、写真対岸が昭和島、右側に首都高が走り、見えないが首都高の陰にモノレールが並走する。 手前側は“森ヶ崎海岸”と呼ばれている岸。
 
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・・・・・・・・・・・・・・左側に首都高、中央は森ヶ崎海岸公園の遊歩道、右側には森ヶ崎水再生センター西施設がある。 現在の首都高羽田線本線はこの辺りで、水中にもぐりトンネルで羽田の空港島にでる。 写真に写っている首都高は、羽田可動橋で海老取川を渡り空港島に向かう道路であるが、この部分は現在使用されていない。 
 
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・・・・・・・・・・・・・その使用されていない羽田可動橋。、、、、、海老取川沿いには鉄工所などがあり、大型船の航路を確保する必要があり、可動橋(旋回橋構造)として造られたものである。、、、、平成2年(1990)4月から羽田可動橋は使用開始となり、平成10年(1998)4月に交通量の減少に伴い使用が停止された。 水底をトンネルで抜ける本線は使用されている。、、、、、、現在は開きっぱなしの可動橋。 いずれ本線が混んできたら再び利用するそうだ。 これまで、わずか8年しか使用されていない可動橋の運命や、是いかに?
 
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④森ヶ崎水再生センター・・・・・・・・・大田・品川・目黒・世田谷区の大部分、渋谷・杉並区の一部の汚水を処理する国内最大の水再生センター。 敷地面積は415,309m3あり、昭和島の東施設と大森南の西施設の二つに分かれている。、、、、、今日は西施設をチラッと見てきた。、、、、、西施設の屋上はテニスコートなどもある「森ヶ崎公園」として一般に公開されているが、誰もいなかった。 午前中は利用する人もいないのかも?
 
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⑤森ケ崎観音法浄院・・・・・・・・・・水再生センターの近く、大田区大森南5丁目に森ケ崎観音として親しまれている法浄院がある。、、、、、、大正の頃までは現在より北方の海岸近くの葦原の中に建っていた波除観音堂であった。 昭和初期に地元の人々によって移築されて二間四面の観音堂となった。 昭和13年(1938)8月24日、森ケ崎上空にて、旅客機と練習機が接触し85名の死者をだす大事故が起り、その慰霊の為の地蔵尊及び位牌が当観音堂に安置されたそうだ。、、、、、、「森ヶ崎」とは、現在の「大田区大森南」(1~5丁目)の旧地名である。 
 
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⑥大森寺・・・・・・・・・・・観音堂の近くにある、日蓮宗の寺。 歴史は浅く、明治38年(1905)に森ヶ崎教会所として創建された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・大森寺の境内に、明治34年(1901)に発見された、森ヶ崎鉱泉源泉碑がある。、、、、源泉が発見されると、周辺に鉱泉宿ができ、東京近郊の保養地、臨海行楽地として栄えたが、太平洋戦争を契機に転廃業したそうだ。、、、、、、現在のスパリゾートのような処だったみたいだ。 私の知る「平和島温泉」の先駆けであったのか? 
 
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⑦錆色の町・・・・・・・・・・・大森南(森ヶ崎)で見た色
 
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⑧浦守稲荷神社・・・・・・・・・・・・神社のたつ現在地:大森村前ノ浦の鎮守として元禄年間(1688~1704)に創建されたそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・神社の近くには、前の浦商店街の街路灯が並んでいた。 しかし、数軒の店しか見ることはできず、、、、、私も眼が悪くなったかな?
 
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・・・・・・・・・・・・近くの、京浜急行バス「前の浦」バス停から帰ることにした。
 
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2017年4月12日 (水)

南馬込

都営浅草線西馬込駅で下車し、南馬込1丁目・5丁目の付近をキョロキョロ、ウロウロ、ブラブラ歩き馬込駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①西馬込駅・・・・・・・・・・・・都営浅草線の起点駅で、昭和43年(1968)11月15日に開業した。 下車したホームは地下3階にあり、地上に出るには地下4階の連絡通路に下り、そこから改札口のある地上まで階段・エスカレータを上ることになる。 地上に出るまで、無駄に歩かされているような気分になる駅である。、、、、、駅の先には馬込車両基地 があり鉄道オタクには聖地の一つである。
 
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②夢告観音・・・・・・・・・・・・西馬込駅東口(上の写真)を出て、第二京浜から横道に入ると観音像が祀られている。 観音さまは、元々この場所にあったわけではなく、付近を転々とした末、現在地に落ち着いたらしい。 いずれにせよ、明治以降、民間の信仰が非常に厚かった観音様のようです。、、、、謎の多い観音さまのようだ。
 
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③湯殿神社・・・・・・・・・・・・・大田区南馬込5丁目にある湯殿神社は、創建年代不詳であるが、江戸時代には羽黒権現と呼ばれていたらしい。、、、、、神社の位置は、旧馬込村領主梶原助五郎(=戦国時代の武将で、後に北条氏の家臣となる)の居城「馬込城」の西端となるそうだ。、、、、、別当寺は近くの長遠寺。
 
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・・・・・・・・・・・・・・神社の参道脇には、どこからか移設したと思われる、宝暦12年(1762)の造立の青面金剛庚申供養塔、寛文6年(1667)造立の如意輪観世音菩薩、造立年不明の地蔵菩薩像が2体並んでいる。
 
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④萬福寺・・・・・・・・・・・・南馬込1丁目にある、切妻造り茅葺きの山門が印象的な、慈眼山無量院と号す曹洞宗の寺院。、、、、、建久年間(1190~99)大井村の地に密教寺院として創建された。 開基は梶原平三景時であったと伝えられている。 元応2年(1320)火災にあい、第六代の梶原掃部助景嗣が居城とともに馬込(現在地:南馬込1)へ移転した。 天文3年(1534)鎌倉の禅僧明堂文竜が曹洞宗に改め中興し、現在の萬福寺へと続いている。、、、、、本尊の阿弥陀三尊を清めた湯水は眼病に効くと伝承されて信仰を集めてきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・本堂は平成17年(2005)に新築。、、、、、、桜の花が風に舞っていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・本堂の後ろには、チョイト、ガンダーラ風の古そうな納骨堂がある。、、、、中を覗いてみたいが、興味半分では罰があたりそうなので、ヤメタ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・墓地の中央付近には、鎌倉幕府で権勢を振るい頼朝の死後に追放された梶原景時の墓がある。、、、、、また、明治・大正の天才女流奇術師:松旭斎天勝の墓もある。
 
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⑤河原家住宅・・・・・・・・・・旧馬込小学校の玄関と教場部分を移築して和風住宅に改造した。 その後時計台も移築した住宅。 国の登録有形文化財。、、、、、塀があり、平屋の住宅部分は見えず、時計台が屋根の上に見える。
 
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⑥長遠寺・・・・・・・・・・・・馬込小学校前の長遠寺(ちょうおんじ)は、海岳山大乗院長遠寺といい、真言宗智山派の寺院。 烏羽天皇の天仁元年(1108)に創建された。 後柏原天皇の文亀2年(1502)現在の地に移り、元禄年間徳川綱吉の時代に諸堂が復興され壇林寺格となる。
 
・・・・・・・・・・・・・・・花が散り始めた枝垂れ桜が出迎えてくれる山門
 
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・・・・・・・・・・・・・・文久元年(1861)に再建された現本堂。、、、、、屋根の青銅が美しい!
 
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⑦馬込八幡神社・・・・・・・・・・・長遠寺に隣に、同時が別当寺であった馬込八幡神社がある。、、、、、境内に記された由緒では、『 時は鎌倉時代の建久四年(1193)馬込の松原(現在の北馬込二丁目付近)にいた、源頼朝の家臣の渡辺対馬守正久が、京都石清水八幡宮の分霊を勧請し、翌年の秋に遷宮を行ったといわれています。  そして、その後荒廃したものを江戸時代の文化十三年(1816)馬込村の名主だった高山幸右衛門らが再興して馬込全域の総鎮守となりました。』とある。、、、、、社殿は昭和36年(1961)に建てられた、鉄筋コンクリート造、八幡造りの建物。 また、境内には石造りの御霊社もある。
 
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⑧四重の立体交差・・・・・・・・・・・・・第二京浜と東海道新幹線が交差する、馬込橋の地点は四重の立体交差である。、、、、まず、品鶴貨物線(現横須賀線)と第二京浜が交差していた。 (ここに架かる跨線橋が馬込橋である。) 次に、第二京浜の下を都営地下鉄が走ることになり、貨物線の下を地下で抜けた。 そして最後は、貨物線の頭上を東海道新幹線が走ることになった。 下から、都営地下鉄(現:浅草線)、品鶴貨物線(現:横須賀線)、第二京浜、東海道新幹線が四重に交差する地点となった。、、、、昭和39年(1964)3月に行われた、新幹線陸橋の架設工事では、全長86.4m、約580tonのアーチ橋をあらかじめ造っておき、交通量の少なくなった夜間に、引き出す工法が採用された。 当時は物凄い工事で、新聞・テレビで報道されたのを覚えている。
 
・・・・・・・・・・・・・・横須賀線(高架下)、第二京浜、新幹線の交差点である馬込橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・引き出し工法で架橋した新幹線陸橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・新幹線高架下を走る横須賀線(品鶴貨物線)。
 
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馬込駅 ・・・・・・・・・・日本で初めてできた幹線道路の立体交差が、昭和15年(1940)に完成した、環状七号線と第二京浜国道の交差点である松原橋。、、、、、、馬込駅の出入口はこの橋の下にある。
 
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2017年1月 7日 (土)

大森~西馬込

JR大森駅から都営浅草線西馬込駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
大森駅 ・・・・・・・・・・・チョイ寒の大森駅で下車し、『男、一匹、どこへ行く?』 『俺の行く先は、前を歩く娘だけが知っている。』、、、、てな、ことで、山王口(西口)に出て、駅前の池上通りを南の蒲田方面へ足を進める。
 
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②新井道架道橋・・・・・・・・・・・大森駅から南へ150m程のところに新井道架道橋がある。 上を走るのは、もちろん京浜東北線と東海道本線。、、、、架道橋があるのはすり鉢状に低くなっている処で、かつてここに新井川(現在は暗渠化されている)が流れていた。 架道橋は当初、木造であったが、明治11年(1878)に鉄製の橋に架け替えられ、現在は明治45年(1912)に架けられた3代目のプレートガーター桁橋(高さ2.4m)である。
 
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③大森柳本通り商店街・・・・・・・・・・池上通り沿いに「ウィロード山王」と掲げたアーケードのある長い商店街。 まだ朝、開いてる店は少なく、駅に向かって歩く人ばかり。
 
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・・・・・・・・・・・・・・商店街の中ほどで、「新井宿義民六人衆霊地参道」の文字が目に入る。、、、、、『いつぞや来たことがある寺だ! 商店街はつまらないので、こっちに行こう!』と、私の足は参道を進むことに、、、、
 
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④善慶寺・熊野神社・・・・・・・・・・善慶寺(山王3)に向かう“参道”と言っても、ただの裏道。 正面に善慶寺の山門が見える。
 
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・・・・・・・・・・・・日蓮宗寺院の法光山善慶寺は、天正年間(1573~92)に開創し、正応4年(1291)に善慶寺が創建された。 以来身延山末であったが、昭和16年(1941)に日蓮門下三派合同により顕本法華宗より今日の日蓮宗に包括された。 日蓮宗の古刹ということだ。、、、、、、江戸時代までは、山門奥にある山王熊野神社、及び新井宿春日神社の別当寺。、、、、、現本堂は昭和5年(1930)に建てられた。
 
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・・・・・・・・・・・・・本堂左手奥に、山王熊野神社の鳥居が見える。 写真の左側は墓地で、ここに新井宿義民六人衆の墓がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・新井宿義民六人衆の墓とは(?)、、、、東京都教育委員会の掲示には以下のように記されている。  『江戸時代の荏原郡新井宿村は、家康の関東入府から幕末にいたるまで、旗本木原氏の知行地であった。四代兵三郎重弘の時代、延宝元年(1673)の旱魃、翌年の多摩川の氾濫による洪水や長雨などの天災で農民の困窮は甚だしく、過酷な年貢収奪に耐えかねた村民は、十九ヶ条の訴状を提出して年貢の減免を願い出た。この訴えは黙殺されたため、重立百姓六人は、将軍家綱に起訴(おっそ)しようとしたが、決行直前の延宝5年(1677)正月2日密告により捕えられ、神田橋門外にあった木原内匠邸(現:千代田区内神田1)で処刑されたといわれている。   新井宿義民六人衆による起訴事件は、村人の中に語り継がれ、延宝8年(1679)義民と縁故筋にあたる間宮藤八郎が、両親の墓を建てると称して六人の法号を刻んで密かに造立したのがこの墓石である。正面に父母の、裏面に六人の法名が刻み込まれており、台石の四方に花立と水入が取りつけられ、その間をくり抜いて連結し、一箇所に水を注げば四方に行き渡るように工夫されている。』、、、、、、簡単にまとめると、“直訴に失敗した6人の墓”ということか。
 
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・・・・・・・・・・・・・墓の後ろから、鳥居をくぐり急な階段を上り、山王の高台にある熊野神社に詣でる。
 
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・・・・・・・・・・・・・熊野神社の近くから眺める、、、、、オ~ゥ! 見晴らしがいいね。
 
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⑤環七通り・・・・・・・・・山王の高台を下り、環七通りを越えると大田区南馬込の町に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・暖かな気候のせいか、ウメが咲いている。、、、、、歩きながら口ずさむ
、♪♪梅は咲いたか 桜はまだかいな 柳なよなよ風次第 山吹きゃ浮気で 色ばっかり ションガイナ♪♪
 
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⑥龍子記念館・・・・・・・・・・・・裏道を歩き大田区中央4丁目の出て来た先に、昭和38年(1963)、川端龍子画伯の喜寿を記念し、画伯自身の設計によって設立された記念館がある。 チョイと寄って行こうかと前まで行ったら、残念、只今特別展準備のため休館中であった。、、、、、、建物は昭和37年(1962)に建設。
 
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⑦黒鶴稲荷神社・・・・・・・・・・・龍子記念館の西200m程に黒鶴稲荷神社がある。 神社の創建年代等は不詳であるが、桐ヶ谷村の鎮守社だった。 三代将軍家光の頃、当地付近の領主が境内で黒鶴を捕え、徳川将軍家に献じたところ、大いにこれを賞されたことから黒鶴稲荷と呼ばれるようになった。、、、、社殿は明治7年(1874)に竣工。
 
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⑧西馬込駅・・・・・・・・・都営浅草線の駅で、線路はホームの先の車両基地まで伸びている。、、、、昭和43年(1968)11月15日、都営1号線の駅として開業。
 
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2016年10月13日 (木)

立会川~大森

朝方は、雨粒がポツリポツリと落ちてきそうな空模様。 昼までには、スカッと爽やかコカ・コーラのような、秋晴れを期待して家を出た。 歩けど、歩けど、青空は期待できず。 
京浜急行立会川(たちあいがわ)駅から、JR大森駅まで、9千歩、7kmの散歩です。 
 
 
立会川駅・・・・・・・・・・・明治37年(1904)5月8日に開業。 現在は、相対式ホーム2面2線の高架駅である。、、、、、駅名の立会川は、目黒区・品川区を流れる二級河川で、立会川駅前を流れて東京湾の勝島運河に注いでいる。 昭和後期には、汚れて、臭い川となったが、JR東日本が総武快速線馬喰町駅付近のトンネルの湧き水を立会川まで引き、放水したことで水質は大幅に改善しボラが生息する川となった。
 
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立会川 ・・・・・・・・・・・駅から下流の勝島運河まで、晴天になることを期待しながら歩いてみた。
 
・・・・・・・・・・・・・・駅前から旧東海道まで伸び、30店舗程で構成する商店街「立会川繁栄会」。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・商店街の店舗裏を流れる立会川。 ボラも住み、水はきれいだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・勝島運河の手前に架かり、旧東海道が通る濱川橋。、、、、、この橋は別名「涙橋」と呼ばれたそうだ。 慶長4年(1651)に鈴ケ森刑場が設けられ、処刑される罪人は市中引き回しの後、刑場に護送されてきた。 この時、親族らがひそかに見送りに来てこの橋でともに涙を流しながら、別れたという事から涙橋と呼ばれるようになった。、、、、、現在の橋は、昭和9年(1934)12月に竣工したコンクリート桁橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・濱川橋の南詰に、江戸時代初期の創建といわれる、この地の鎮守:天祖神社がある。、、、、綺麗に均整のとれた社殿は、昭和40年(1965)に改築されたもの。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・立会川が注ぐ勝島運河。 運河ほ端は立会川で、船はこれより先に進めないため、船溜まりとなっている。 約2kmの護岸には季節の花が咲き新名所となっている。、、、、、いまは、コスモスが咲き迎えてくれた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・運河の際にある新浜川公園(品川区東大井2)に、昨年、浜川砲台が復元された。、、、、、現在の立会川駅近くには、かつて土佐高知藩の下屋敷があり、立会川河口左岸には、ペリー再来航後の安政初年に砲台が設置された。 こんかい復元されたのは、「30ポンド6貫目ホーイッスル砲」と呼ばれる、全長 3メートル、車輪の直径 1.8メートルの大砲である。、、、、、盗まれないようにか、発砲されないようにか、コンクリートの台座にチェーンで固定され、南京錠が取り付けられている。
 
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③品川歴史館・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・曇天の勝島運河に別れを告げ、再び立会川駅前を通り、第一京浜国道、東海道線を横切り、裏道を西へ向かったら池上通りに出た。
 
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・・・・・・・・・・・・・・大井6丁目、池上通りに面して、品川歴史館がある。 天気も悪そうだから、チョイと館内を散歩することにした。、、、、、ただいま、特別展 「品川産業事始」が開催され、グッドタイミング! 300円の入館料を払い中へ。、、、、品川区の主要企業:第一三共、ニコン、明電舎、JR、日本ペイントなどが誕生・発展した産業史を多くの資料で紹介している。 (撮影禁止のため、写真なし)、、、、、おもしろい特別展で、時間を忘れた! 帰りには、アート紙、150頁程の重たい図録を2冊購入してしまった。
 
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大森駅 ・・・・・・・・・・品川歴史館から大森駅北口までは徒歩10分。 
 
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2016年9月26日 (月)

大鳥居~東六郷

京急空港線大鳥居駅から京急本線雑色駅近くの東六郷まで、1万歩、7kmの散歩です。
 
 
①大鳥居駅・・・・・・・・・・明治35年(1902)6月28日、穴守線(蒲田~穴守)の開通と同時に開業した。 駅名は、近くにあった穴守稲荷神社 の大鳥居に由来する。 昭和60年(1985)から空港線(旧穴守線)の地下化工事が始まり、平成9年(1997)に環八と産業道路の交わる大鳥居交差点の真下に大鳥居駅ホームが地下化された。
 
・・・・・・・・・・・・・ホームの先は、両側とも地上に出るので、光が差し込んでいる。
 
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・・・・・・・・・・・・・駅出入口は大鳥居交差点に、対角状の2か所に設けられている。、、、、今日は、駅から西に向かって歩くことにしたが、前を行く女性について歩いていたら南に向かっていた、アレ???
 
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②産業道路に面して並ぶ1社2寺・・・・・・・・・・大鳥居交差点から産業道路を南下し、大師橋の北詰に並ぶ寺社。
 
・・・・・・・・・・・・・・まずは、真言宗智山派寺院の自性院、、、、、、自性院は、慈性(平治元年(1159)寂)が開基となり創建したと伝えられ、恵麻法師(永禄2年(1559)寂)が中興した。、、、、、安政5年(1858)には、火事により諸堂を焼失した。 その後復興につとめ、明治42年(1909)に本堂を建立した。、、、、、境内の牛頭天王堂(ごずてんのうどう)は、外陣は入母屋造り銅板葺、向拝に軒唐破風を付け、その下に弁財天の彫刻が施され、各軒廻りに斗供をもつ。内陣は切妻造り銅板葺。 文久元年(1861)、大森の弁天神社の社殿として建てられたが、昭和4年(1929)に移築し、牛頭天王堂として転用した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・自性院の隣の羽田神社、、、、、、羽田神社は、小田原北条氏が当地附近を治めていた頃に領主が牛頭天王社を祀ったことに始まる。 江戸時代には、旧羽田村(本羽田)・旧羽田猟師町(羽田)の鎮守となっていた。 明治維新の神仏分離により、八雲神社と改称、明治40年(1907)に羽田神社と改称した。、、、、社殿は昭和63年(1988)に鉄筋コンクリート造で建て替えられた。 ちなみに施工は東亜建設工業。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・境内は巫女さんによって綺麗に清掃されていた。、、、、間もなく七五三詣でもはじまり、忙しくなりそうだ。 私も、巫女さんの衣装で、手伝ってあげるかな。
 
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・・・・・・・・・・・・・羽田神社の南隣は、真言宗智山派寺院の正蔵院、、、、、喜修山了仲寺と号す。 創建年代は不詳であるが、室町時代以前の創建と言われている。、、、、本尊は不動明王で、「羽田不動尊」として海上安全、大漁満足を祈願するそうだ。
 
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③大師橋・・・・・・・・・・・・・多摩川に架かり、北側の大田区羽田2丁目、南側の川崎市川崎区大師河原1丁目を結ぶ橋。 橋上には産業道路を通す。 平成3年(1991)から着工し、平成19年(2007)に上り下り2本の斜張橋が完成した。、、、、、今日は渡らず、さわりだけ。
 
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④荻中の町・・・・・・・・・・・京急空港線糀谷駅と大鳥居駅間の南側、多摩川の北側に、「萩中(はぎなか)」の町がある。 
 
・・・・・・・・・・・・・・周辺は羽田の下町。
 
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・・・・・・・・・・・・・・萩中の町に、規模の小さい都営アパートが点在する。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・町の中央、東西に、色あせた旗がなびく地域密着型商店街「萩中通り商店街」がある。、、、、、高齢者を対象とした店が並び、デイサービスのステーションがあり、店じまいしシャッターの下りた店舗があり、目に入る光景は典型的な下町の商店街。 チョイと歩いてみた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・町の中心(?) 萩中神社、、、、、創建年代は不詳だが、神明社と称し江戸時代後期には既に鎮座していたそうだ。 地元の人のみぞ知る古社か?
 
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⑤七辻・・・・・・・・・萩中通り商店街を西へ向かい、萩中の町を抜けるところに、なんと! 7本の道路が交差する「七辻」がある。 南蒲田2丁目、萩中1丁目、東六郷1丁目、南六郷1丁目の接するところである。 しかも、この交差点には信号機が無い! 互いに譲りあい、事故の無い交差点らしい、素晴らしいね。、、、、写真から7本の道路が判りますか? 白線を追うと判りやすいです。
 
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●・・・・・・・・・・・・蒲田駅行きのバス停があった。 お時間も、チョウドよろしいようで、今日の散歩はここまで。
 
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2016年7月11日 (月)

青物横丁~大森

京浜急行本線の青物横丁駅から、JR大森駅までの散歩です。



①青物横丁駅
・・・・・・・・・・・青物横丁駅は京浜急行で品川駅から三駅目、日本で唯一、駅名に“横丁”が付く駅である。 駅近くに、小さな店舗が集まった場末のスーパー“青物横丁”存在するようなイメージの駅名がいいね!、、、、駅名は、江戸時代に農民が、現駅の東隣にある品川寺門前付近で、青物を持ち寄り市場を開いたことに由来する。 当時は「青物横町」と呼ばれていた。 現在は駅の東側に並行する旧東海道を中心に「青物横丁商店街」と命名した広域の商店街があるが、江戸時代の市場とは無関係。、、、、、明治37年(1904)5月8日、「青物横町」駅として開業した。(“横町”が“横丁”となった時期は不明) 昭和53年(1978)から始められた高架化工事は、平成2年(1990)12月までに高架化され、新駅舎は平成3年(1991)12月に完成し使用を開始した。 さらに、平成9年(1997)には、ホームを延長し12両の停車も可能となった。 長~い、相対式ホーム2面2線の高架駅。

・・・・・・・・・・・・・短い編成の電車は品川寄りに停車するため、横浜寄りで待っていたら、大慌て!、、、『電車が来たぞ、いそげ!』

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・・・・・・・・・・・・・・高架下の駅出入口。、、、、今日の散歩は、旧東海道とは駅を挟み、反対側(西側)を歩くことにした。

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海晏寺
・・・・・・・・・・・青物横丁駅を出て、西側に並行する第一京浜国道を横断すると海晏寺(かいあんじ)がある。 曹洞宗の寺院で、建長3年(1251)の開山。、、、、岩倉具視や松平慶永など著名人の墓もある。

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③旧仙台坂
・・・・・・・・・・・海晏寺を挟み、南側に「旧仙台坂」、北側に「仙台坂」がある。、、、、まずは、南の旧仙台坂について、、、、教育委員会の設置した案内標識には、『江戸時代(1603~1867)に、この坂の中程から上にかけて仙台藩伊達陸奥守の下屋敷があったことから、東大井四丁目と南品川五丁目の間のこの坂は仙台坂と呼ばれていました。 しかし、現在は青物横丁に抜ける坂道が拡幅され交通量が増加したために、その坂の方を一般的には仙台坂と呼ぶようになり、こちらは旧仙台坂と言われるようになりました。』と標されている。、、、、、この坂は、別名「くらやみ坂」と呼ばれていた。、、、、、近年、坂の中央に造られた車道用のトンネルは「仙台坂トンネル」と名付けられている。 ややこしいね!

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④仙台坂
・・・・・・・・・・・次は、海晏寺の北側、池上通りの仙台坂。、、、、、旧仙台坂と仙台坂は、ともに坂上で交差しているため、大井町方面から下ると、どちらも第一京浜に出る。 そうなると、道路幅の広い池上通りの方が交通量が増え、坂名が交通量の多い現:仙台坂に移転してしまった。、、、、、つまりは、旧仙台坂が本家本元で、仙台坂は後の名義借りである。

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⑤八木合名会社仙台味噌醸造所
・・・・・・・・・・・仙台坂と旧仙台坂の上った交差点(品川区東大井4)に、伊達藩の味噌蔵を引き継いだ味噌屋が在る。、、、、この地は、江戸時代、伊達藩の江戸下屋敷であった。 伊達藩では備蓄食料確保の観点から寛永2年以来味噌蔵をもち、醸造を始めた。 当時の江戸の味噌は甘く、東北武士の口に合わなかったため、三千名を超える江戸在勤の士卒に与える味噌は必需品であった。 幕末になると、自給自足のためばかりではなく、余ったものを一般にも販売するようになり、半ば商売となった。 江戸市民は仙台の殿様のお屋敷で出来る味噌というので、仙台味噌と呼ぶようになった。、、、、、味噌蔵は明治時代に八木久兵衛に払い下げ、今日に至っている。

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⑥見晴らし通り
・・・・・・・・・・・仙台坂上の交差点から、JR東海道線と京急本線が並行する間に、東大井3丁目と6丁目の境で大森方向に伸びる裏道がある。、、、、、古くからある道のひとつで、人家の少ない時代には品川の海や遠く富士山も見える見晴らしのよい道であったため、いつとはなしに「見晴らし通り」と呼ばれるようになったそうだ。、、、、、今は、人家が軒を連ね、富士山は見えず、さりとて、商店街の賑わいも見えず、見えるは踏んではいけない犬の糞。

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⑦大福生寺
・・・・・・・・・・・見晴らし通りの南端に、天台宗の大福生寺がある。 海賞山地蔵院と号し、明治14年(1881)に宇賀神寶海和尚が目黒不動瀧泉寺を退き、 隠居の寺として日本橋蛎殻町(水天宮の近所)に一寺を建立し、その後、明治25年(1892)に現在地へ移転した。、、、、、昭和20年(1945)5月太平洋戦争大空襲で寺を全焼し、昭和25年(1950)本堂復興、昭和58年(1983)護摩堂を建立する。、、、、、建物は戦後の建築で面白くないが、さほど広くない庭だが綺麗に掃除され心地よい寺だ!

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⑧大森駅前住宅
・・・・・・・・・・・大森駅の近く、昭和45年(1970)に竣工した東京都住宅供給公社が販売したマンション。 鉄骨鉄筋コンクリート造、地上13階建て、総戸数759戸。、、、、、駅に近く、歩く人を圧倒する感じだ。 ちなみに、2LDKで3000万円以上らしい。、、、、私には、買う気はないが、買う金もない、“COWはイギリスの雄牛だよ”。

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⑨大森駅歩道橋
・・・・・・・・・・・大森駅北口橋上駅舎に通じる、昭和60年(1985)に完成した跨線歩道橋。 この歩道橋により、駅の北側で、線路を跨いで東西を行き来することが可能となった。、、、、、屋根もあり、エスカレータもある、“やさし・うれし”の歩道橋。

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2016年7月 6日 (水)

西馬込~荏原町

都営浅草線に乗り、終点の西馬込駅で下車。 行くへ定めず、駅から北西の「上池台」の町を抜け、池上線長原駅の手前で環七通りを横断し、大井町線荏原町駅までの散歩です。



①西馬込駅
・・・・・・・・・昭和43年(1968)、都営1号線(現:浅草線)の駅として開業。 ホームは第二京浜(国道1号)の地下にあり、相対式2面2線の終着駅だが、車止めは無い。 線路はこの先の車両基地:「馬込車両検修場 」へと続く。

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・・・・・・・・・・・・・東へ歩くか、西へ向かうか、それとも南か、北か、西馬込商店会の旗が下がる道を西に向かうことにした。

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②馬込給水塔
・・・・・・・・・・・西馬込商店会の先の坂を上ると、西馬込2丁目の高台に二つの給水塔がある。、、、、、大田区・品川区の給水状況を改善するため、戦後、多摩川浄水場・長沢浄水場より水を引き、配水できるように馬込の高台に造られた給水塔。 高さは28m、直径32m、容量9,000m3、鉄筋コンクリート造の、白い屋根の第一給水塔は昭和26年(1951)に完成、黒い屋根の第二給水塔は昭和29年(1954)に完成した。、、、、、建設時は、東洋一の規模を誇る給水塔であった。 現在は無人で管理され、立ち入り禁止となっている。 本当に、水が溜まっているか、中を覗いてみたいね!

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③六郎坂
・・・・・・・・・・給水塔の近く:仲池上一丁目にある坂道。 坂の由来が書かれた標識がある、『おや!有名な坂か?』  標識には、『江戸時代後期、池上村のために尽くした海老沢六郎左衛門の屋敷が坂に沿ってあったことに由来します。 仲池上、上池台付近は耕地整理によりできた坂道が多いのですが、これは古くからある坂道です。・・・・・・』と記されていた。  『なんだ、六郎の家の前にあった坂、たったそれだけの話か!』

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④林昌寺
・・・・・・・・・・六郎坂を下ると、池上本門寺 の僧:福寿院日迨が、上池上の地に閑居し、草庵を結んだのが寺のはじまりと言われている、日蓮宗の林昌寺がある。 文亀3年(1503)の開創で、500年の歴史をもつ古刹。

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⑤子安八幡神社
・・・・・・・・・・林昌寺の北側:大田区仲池上にある八幡神社。 子安八幡神社は、池上本門寺の開基ともなった当地の領主池上宗仲が、鶴岡八幡宮の分霊を勧請して康元元年(1256)に創建した。 その後、池上本門寺の伽藍造立に際し、天正9年(1581)に現在地へ遷座された。、、、、、天保14年(1843)造の旧社殿は大正14年(1925)に惜しくも焼失し、昭和2年(1927)9月に鉄筋コンクリート造にて現社殿が再建された。 同じ鉄筋コンクリート造の神田明神は昭和9年(1934)に竣工したので、それより古い神社である。 チョイと塗装の劣化が目立ち、痛々しく感じるね。、、、、社殿はかなりの高台にあり、片肺が小さくなった私には、辛い急な階段をである。

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⑥長慶寺
・・・・・・・・・・・・新幹線のガードを抜けて、東雪谷五丁目交差点に、日蓮宗の長慶寺がある。 開創年代は不詳だが、慶長3年(1598)以前に草創されたらしい。 はじめ荏原郡碑文谷村(目黒区碑文谷)にあったが、後に現在地へ移転した。

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⑦上池台
・・・・・・・・・・上池台3丁目、4丁目を環七通りの方向(北東)に向かう。 やたら、坂の多い町だ!、、、、、車は少なく歩きやすいが、アップ・ダウンが多すぎる!

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⑧カトリック聖ヨハネ洗足教会
・・・・・・・・・・上池台4丁目、環七通りに面し、カトリック教会があった。 教会には幼稚園が併設され、数名の御婦人が聖堂前でウロウロしていた。 何やら変な親爺が聖堂前に現れたと思われたであろう、チョイと怪しまれたかも? 聖堂の内部を見たく、教会の扉を開いた瞬間! ウワ~~、ゴメンゴメン、ユルシテチョー。 100名ぐらいの御婦人が聖堂に集まっていた。 驚きと恥ずかしさのあまり、あわてて扉を閉め、聖堂前の御婦人に向け笑い顔でとりつくろい、無言で立ち去ってきた!、、、、、と言うことで、内部の写真は撮れず、聖堂の正面も撮れず、側面と裏をパチリ!、、、、、調べてみたら、昭和25年(1950)に建てられた、高さ11m、ゴシック様式の木造建築である。、、、、残念であったが、日を改めて、また来ることにしよう。

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⑨階段と斜路が混在する坂
・・・・・・・・・・・北馬込1丁目18と19の界にある坂。 階段と斜路が混在する坂道で、『歩きにくいね!』と、叫びたくなるのは私だけではあるまい。

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・・・・・・・・・・・・この坂を上がり直進すると、東急大井町線 荏原町駅の脇に出た!

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⑩荏原町駅・
・・・・・・・・・昭和2年(1927)7月6日、大井町線の開業と同時に駅も開業した。 ちょうど今日は、駅の89歳の誕生日であった。、、、、、相対式2面2線のホームを有する荏原町駅は品川区中延にある。

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2016年5月16日 (月)

六郷橋

京浜急行六郷土手駅から、六郷橋を渡り京急川崎駅まで、1万歩、7kmの散歩です。



①六郷土手駅
・・・・・・・・・・・京浜電気鉄道の六郷堤駅として、明治39年(1906)に開業。 昭和46年(1971)に六郷川橋梁の架け替え工事に合わせ、相対式2面2線の高架駅となる。 ホームの南端は多摩川に架かる六郷川橋梁 の直前まで伸びている。、、、、、23区最南端の駅である。 私の住む浅草橋より、チョイとは暖かいかも?

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②北野神社
・・・・・・・・・・六郷土手駅と六郷橋北詰の間にある北野天神。 創建年代不詳。、、、、、徳川八代将軍吉宗が乗った馬が暴走したとき、北野天神のご加護のおかげで、落馬を免れたとされたことから「止め天神」と呼ばれている。 以来「落馬止め」が転じて「落ちない」につながり、合格祈願、学業成就、五穀豊穣、雷除けなど、「落ちない」ことに関しご利益が期待できるらしい。、、、、昭和20年(1945)の空襲により社殿は焼失し、昭和58年(1683)に再興した。

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・・・・・・・・・・・・・・・『河原橋』と彫られた踏み石が境内に残されている。 「河原橋」は、六郷の渡しに行くのにどうしても渡らなければならなかった橋で、その橋の踏石。 両側がよしやぶで、人目につかない河原橋は村の若い男女が、人知れず忍び会う橋でもあった。、、、、星も隠れた、曇天の暗い場所、もし2組のカップルが同時刻に忍び合い、相手を間違えたら、幸か、不幸か? これも江戸時代のロマンスか?

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③六郷橋
・・・・・・・・・六郷川(多摩川)には、江戸時代初期:家康が架橋を命じた「六郷大橋」があった。橋の長さは200m程あり、まさに大橋であったが、貞享5年(1688)の大洪水で橋が流失してからは、幕府も再架橋を断念していた。 明治期には木造の左内橋が架けられた。 その後、近代化が求められ、大正9年(1920)に着工し、大正14年(1925)にタイドアーチ式の旧六郷橋が完成した。 昭和60年(1985)、旧六郷橋は現六郷橋に架け替えられた。

・・・・・・・・・・・・・・昭和50年代の旧六郷橋、川崎側から奥の大田区側を望む。(平成15年10月17日 国土交通省川崎国道事務所:発行のパンフレット「旧六郷橋 親柱物語」より) 

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・・・・・・・・・・・・・・北詰(大田区側)の宮本台緑地公園に旧橋の橋門と親柱が当時のまま保存されている。

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・・・・・・・・・・・・・現在の六郷橋、、、、、、北詰(大田区東六郷)と南詰(川崎市川崎区本町)を結び多摩川(六郷川)に架かる、国道15号(第一京浜国道)の橋である。旧橋と対照して新六郷橋とも呼ばれる。、、、、、昭和54年(1979)に着工し、段階的に工事を進め、昭和59年(1984)に旧橋の上流側に新橋の一部が完成する。 その後も工事は続き、昭和62年(1987)に橋梁部分は完成した。 引き続き、工事はランプウェーの構築、周辺整備などが行われ、最終的に現在の姿になったのは、平成9年(1997)である。 総工費は約125億円と言われている。、、、、、、六郷橋は、長さ443.7m、幅34.4m。、、、、橋は、上下線分離され2本架けられている。

・・・・・・・・・・・・・大田区側から撮影

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・・・・・・・・・・・・・橋上から撮影

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・・・・・・・・・・・・・川崎市側から撮影

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④六郷橋駅跡
・・・・・・・・・・六郷橋の南詰(川崎市側)の橋下を京急大師線が走っている。 大師線が六郷橋上り線(東京方面行き)の下を通過する位置に、駅の跡が残されている。、、、、、、かつて京浜急行の前身である大師電気鉄道は、明治32年(1899)に川崎駅(初代)~大師駅間を開業した。 明治35年(1902)には、(初代)川崎駅~(2代)川崎駅(現:京急川崎駅)まで線路を延長し、川崎駅(初代)は六郷橋駅と名称変更した。 大正14年(1925)、旧六郷橋が架橋され大師線は立体交差となり、これより大正15年(1926)線路も変更されて、2代目の六郷橋駅が開業した。 2代目の六郷橋駅は戦時中に営業を休業し、昭和24年(1949)に廃止となった。、、、、2代目の六郷橋駅跡は六郷橋上り線側の人道から見下ろすことができる。 ホーム幅は狭く、長さも2両編成分ほどと短い。

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・・・・・・・・・・・・・・付近を通過する、現在の大師線。、、、、、3両編成でゆっくりと通過していく。

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⑤川崎市役所本館
・・・・・・・・・・・川崎駅に近い宮本町に建つ、市役所本館だが、耐震性能が低く今年度中に取り壊されることとなった。 すでに、建物は閉鎖されている。、、、、、時計台が印象的な、タイル張りのシンプルなデザインの鉄骨鉄筋コンクリート造、4階建ての庁舎。 設計は元田稔、施工は直喜鋳鋼鉄工所、昭和12年(1937)竣工。、、、、、内部も見たくなったが、警備が厳重で、忍び込むことは断念した。

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⑥砂子の里資料館
・・・・・・・・・・川崎駅に近い川崎市川崎区砂子(いさご)に、元参議院議員の斎藤文夫氏が、コレクションした浮世絵を展示する、旧東海道沿いにある私立美術館がある。 平成13年(2001)にオープンしたなまこ壁の建物は、江戸町屋風のデザインである。、、、、、ただいま、三代目歌川豊国の作で、東海道53次の宿場に名所と歌舞伎役者をコラボした浮世絵をが展示されている。、、、、、大変貴重な浮世絵だそうで、若い娘は一人もおらず、十人ほどのお年寄りが鑑賞していた。 私も仲間に入れてもらい鑑賞。

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⑦京急川崎駅
、・・・・・・・・・・・明治35年(1902)川崎駅として開業した。 昭和41年(1966)には、高架駅となり、本線は2階、大師線は1階となる。

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2016年5月 7日 (土)

大森~大井町

大森駅で下車し『どっちに行こうか?』、迷う男はホームで土器のブロンズを見たら、大森貝塚に行きたくなった。 今日の散歩は、大森から大井町駅まで、1万1千歩、8kmです。



①大森駅
・・・・・・・・・・・このブログにたびたび登場した大森駅。 明治9年(1876)に開業した、島式ホーム1面2線の駅である。 ホーム中央付近には、縄文式土器形のブロンズ像を飾った「日本考古学発祥の地」碑がある。、、、、、碑の側面には、『・・・・・アメリカの動物学者モース博士が1877(明治10年)横浜より新橋に向かう汽車の窓から 大森貝塚を発見し, これが契機となって日本の考古学が発達しました。・・・・・』と、標されている。

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・・・・・・・・・・・・・ホームの東京寄りに、橋上改札の北口がある。 きょうはGWに続く土曜日、まだ連休中のサラリーマンもいるようで、駅はすいている。

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②大森貝塚
・・・・・・・・・・・モース博士が発掘した処と言われている、大森貝塚の跡は2カ所現存する。 一つは、大田区のビル横を入った線路際の「大森貝墟」の碑が建つ処。 もう一つは、「大森貝墟」から約250m北に行った品川区の公園内にある線路際の「大森貝塚」碑の処。、、、、、、モース博士の発掘した位置の詳細が残されてなかったため、大田区と品川区で、こっちが“本家”、こちらは“元祖”の騒動となったが、現在では、証拠の古文書などもみつかり、品川区側がモース博士の発掘場所らしい。

・・・・・・・・・・・・大森貝墟の碑、、、、、、池上通り山王口交差点前、NTTデータ大森山王ビルの横を入って、階段を下ると、線路際に「大森貝墟」と彫った碑が線路側に向いて建てられている。、、、、、、車窓から一瞬見えるが、字まで読めない! 観光列車なら碑の前で速度を落とし、車内アナウンスでもあるのだが、京浜東北線だから無理だ!

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・・・・・・・・・・・・大森貝塚の碑、、、、、、池上通りをチョイと北上すると品川区に入る。 そこに大森貝塚遺跡庭園がある。 こちらも、庭園の奥に進むと、線路際に「大森貝塚」と彫った碑がある。、、、、、、庭園は、中央には霧が発生する広場があり、その周囲を回廊が囲み、横にモース博士の胸像が置かれ、縄文時代をイメージするように造られている。

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③桐畑地下道
・・・・・・・・・・・・・・大森貝塚遺跡庭園の北側に、JR東海道線・京浜東北線の地下を抜ける桐畑地下道がある。 以前、この地点には「桐畑踏切」があったが、事故も発生し危険なため平成5年(1993)に地下道に改装された。、、、、、、地下道中央の壁には、貝塚から出土した実物の貝殻を使用し、貝塚の断面が復元されている。 線路の真下の貝塚だ!
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④鹿島神社
・・・・・・・・大井6丁目に鎮座し、かつて大井村の鎮守であった鹿島神社。 安和2年(969=平安時代)に、南品川の常行三昧寺(現:常行寺)の僧が、現在地に隣の来迎寺と共に創建した。 常陸の鹿島明神を勧請したと伝えられている。、、、、、、現在の社殿は昭和6年(1931)に竣工した。 綺麗な屋根勾配の神社である。

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⑤来迎院
・・・・・・・・・・大井6丁目、天台宗寺院の来迎院は安和2年(969)に、鹿島神社と共に創建した。 もとは、鹿島神社の別当である。
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・・・・・・・・・・・・・・寺の前の道路工事により、境内は分断されたため、江戸時代の石仏が道路を挟み門前に祀られている。 

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⑥大井の建物
・・・・・・・・・・・いずれの建物も戦前の建築と思われる、、、

・・・・・・・・・・・・・・飯野装芸、、、、、、、、池上通りに面して建つ大井5丁目の表具、表装店。 木造3階建て+木造2階建て、モルタル塗り。 一見、鉄筋コンクリート風の造り。 おそらく戦前の建物だろう?

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・・・・・・・・・・・・・YO邸、、、、、、、、ハーフチェンバー様式の木造2階建て住宅(大井7)。 戦前に建てられたものか? 玄関には、円柱とステンドグラスが、チラリと見える。

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・・・・・・・・・・・・・・KI邸・・・・・・・・・・・・木造1階建て、昭和初期(?)の住宅(大井7)。 玄関部分は、寺のような彫り物で飾られている。

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・・・・・・・・・・・・・・HA邸、、、、、、、大井3丁目に建つ歴史のありそうな住宅。 

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⑦大井町駅
・・・・・・・・・・・大正3年(1914)、京浜線(後に京浜東北線)の運行開始と同時に旅客駅として開業した。、、、、、昭和2年(1927)には目黒蒲田電鉄(現:東急)大井町線が開業。平成14年(2002)東京臨海高速鉄道りんかい線の大井町駅が開業。、、、、、1面2線の島式ホーム、脇には東海道線の上下2本の線路がある。ホームの上は駅ビル「アトレ」。、、、、、、、そうだ! 私はまだ大井町駅から“りんかい線”に乗ったことがない。 ぜひ、死ぬまでに、ここから乗ってみよう! 神に誓って、帰宅する。
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