大田区

2018年5月19日 (土)

西馬込~洗足池

朝食時は曇り、家を出ると雨粒が落ちてきた。 地下鉄浅草線に乗り、『何処で降りようか? 何処へ行こうか? 雨は止んだか?』、考え迷い悶々と、とうとう終点の西馬込まで来てしまった。 こうなりゃ足の向くまま気の向くままに歩き、着いた処は池上線洗足池駅。 1万歩の散歩です。
 
 
 
西馬込駅 ・・・・・・・・・・昭和43年(1968)11月15日に、都営1号線(現:浅草線)の駅として開業した、相対式2面2線の終着駅だが車止めは無い。 駅の先、500m程にある車両基地へ線路は続く。、、、、、今日は週末、通勤客は少なく、ホームも電車もガラガラ。、、、、、地上に出たら、雨は降っていない。 ヨシ、歩くぞ!
 
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②馬込給水塔・・・・・・・・・・馬込駅から西へ500m程歩くと、住宅街の中の高台に2基のドーム型屋根の給水塔が見える。 多摩川浄水場、長沢浄水場より水を引き、 大田区・品川区に配水している。 2基のうち南側、白いドーム屋根が第一給水塔で、昭和26年(1951)に完成。 北側、黒いドーム屋根の第二給水塔は、昭和29年(1954)に完成した。 2基とも、鉄筋コンクリート造り、高さ:28m、直径:32m、容量:9,000m3。、、、、戦後生まれのどっしりと構えた給水塔で安定感がある。
 
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③六郎坂・・・・・・・・・・・大田区仲池上一丁目10番と13番の間を北へ上る坂道。 六郎坂(ろくろうざか)の名は、江戸時代後期、池上村のために尽くした海老沢六郎左衛門の屋敷が坂に沿ってあったことに由来する。、、、、、坂の上は海抜20m程で、見晴らしは良いね!
 
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④林昌寺・・・・・・・・・・・仲池上1丁目にある、日蓮宗の寺院。 山号は長松山。 旧本山は池上本門寺。 開創は文亀3年(1503)といわれ、500年の歴史を誇る古刹。、、、、、本堂は昭和32年(1957)に再建されたが、山門は震災・戦災を免れ明治35年(1902)の建設。、、、、、山門まわりの緑に招かれチョイト手を合わせていたら、住職が出てこられ隣の子安八幡神社の別当であったことなど寺の歴史をチョイトお話いただいた。
 
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⑤子安八幡神社・・・・・・・・・林昌寺に隣接する子安八幡神社は、鶴岡八幡宮の分霊を勧請して康元元年(1256)に創建、池上本門寺の伽藍造立に際して天正9年(1581)当地へ遷座した。、、、、天保14年(1843)造の旧社殿は大正14年(1925)7月30日に惜しくも焼失し、昭和2年(1927)9月に鉄筋コンクリート造の現社殿が再建された。、、、、神社は林昌寺とともに、小高い台地の突端にあり、参道は急な石段である。 足踏み外し、階段を転げ、運悪くポックリ、隣りの寺で「南妙法蓮華経」、と云うことのないように注意!
 
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・・・・・・・・・・・・・境内から眺める北西(大田区雪谷)方向
 
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⑥上池台の町・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・子安八幡神社から下ると、目の前に新幹線が走る。 ここは仲池上1丁目、線路の向こうは上池台5丁目。
 
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・・・・・・・・・・・・・・人通りの少ない町? 今日は週末だからか? (上池台3)
 
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・・・・・・・・・・・・・・揃いの街路灯、商店街か? 活気なし。 (上池台3)
 
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・・・・・・・・・・・・・・洗足池駅に近づくと、こちは本物の商店街「洗足池 ファミリーロード」が駅まで続く。 (上池台2)
 
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⑦東京で一番低い桁高(?)のガード下・・・・・・・・・・・・洗足池駅前の中原街道を五反田方向に50m程歩くとモスバーガーがある。 その横を見ると、線路下に通り抜けられそうな砂利道がある。 ただし桁下1.3m程のガードで、頭をかなり下げて歩かないと枕木にぶつかる高さ。 奥の階段を上がると住宅地。、、、、電車が通過する時、ガード下に入るのはチョイト怖いね!
 
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⑧洗足池駅・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)8月28日、池上電気鉄道洗足池駅として開業した。 ホームは高架相対式2面2線構造で、駅の規模は小さく、ホーム上屋は木造、高架下通路は狭く、昭和の匂いプンプンの駅だ!、、、、、駅前には中原街道を挟み、ボート遊びのできる洗足池がある。
 
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●長~い腰掛け・・・・・・・・・帰りは洗足池駅から池上線に乗ったので、チョックラ途中の旗の台駅 で降りた。 目的は、旗の台駅池上線ホームに残る、木製の長い腰掛けを写真に収めておくため。、、、、、かつては待合室でよく見かけた、10人以上が座れる、あの長い腰掛けが残っている。 座りやすく絶妙なカーブで作られている椅子は、多くの人の尻の温もりを吸収して黒光りしている。 重要文化財として保存してもらいたいね!
 
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2018年5月11日 (金)

東急目黒線 (洗足~田園調布)

先日の東急目黒線 (目黒~洗足)の続き、今日は洗足駅から田園調布駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①洗足駅・・・・・・・・・・・今日の散歩は洗足駅から。
 
・・・・・・・・・・・・・電車は洗足駅に進入する。
 
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・・・・・・・・・・・・・・改札口にはこれから出勤する人も、、、、、
 
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②洗足~大岡山間・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・かつての線路敷きに沿い細長く造られたスーパー。、、、、、電車はスーパーの下を走っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・目黒線は環七通り「北千束五差路交差点」の下を抜け大岡山駅へ向かう。 写真:手前が環七通り、中央が目黒線線路敷き跡で奥が大岡山方向。
 
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・・・・・・・・・・・・・環七通りを過ぎると、洗足と大岡山両駅の中間と思われる付近で目黒線は地上(掘割)に顔をだす。
 
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・・・・・・・・・・・・・目黒線に乗り入れる都営三田線の6300形車両。
 
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大岡山駅 ・・・・・・・・・・大正12年(1923)3月11日1923、目黒蒲田電鉄線(現:目黒線)の開通と同時に大岡山駅も開業した。 昭和2年(1927)7月6日には、目黒蒲田電鉄大井町線も開業する。 平成9年(1997)に駅は地下化され、方向別ホームとなる。 平成19年(2007)11月3日より、駅直上にツタの絡まる135床の総合病院「東急病院」が移転してきた。 電車の中で気分が悪くなっても、駅の病院なら救急車を呼ぶ必要もないね。、、、、、大岡山駅は大田区北千束にあるが、駅の西側は東京工業大学のキャンパスで目黒区である。 この目黒区側の町名が「大岡山」。 またまた、ややっこしい話!
 
・・・・・・・・・・・・・目黒方面から来ると、尻から入る東急病院(大岡山駅)。、、、、そ~~だ、東急病院には肛門外科があるから、痔も治してくれるかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・ツタの絡まるステーション&ホスピタル。 
 
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④大岡山~奥沢間・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・大岡山駅を出た目黒線は、南北を東京工業大学 のキャンパスに挟まれて走る。、、、、、東工大は私が入りたかった大学だが、先方が拒否したため断念した。 憧れの大学をチョイト覗いてきた! 
 
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・・・・・・・・・・・・・目黒線と大井町線は、東工大の付近で地下(大岡山駅)から顔を出す。 両サイドの2線が目黒線、中央の2線が大井町線。
 
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・・・・・・・・・・・・・大井町線は目黒線を越えて、自由が丘方面に向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・大井町線緑が丘駅の高架下に東工大ゲートがある。、、、、キャンパス内を歩いてきた私もここから出る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・緑が丘駅 は東急大井町線の駅。
 
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・・・・・・・・・・・・・・緑が丘駅から目黒線に戻り、再び線路沿いに歩く。、、、、、東急の車両が来た! 3000形だ! 平成12年(2000)から走った電車だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・次に目に入ったのは、今や、見ることが少なくなった線路わきの梯子(ハシゴ)。 竹製ではなくFRP(繊維強化プラスチック)の梯子だった。 昔は竹製で、架線の保守点検に使用されていたが、今は保線車両の設備が向上し線路わきに梯子を用意しておく必要性が少なくなったそうだ。、、、、竹製ではないが、この光景は貴重。 
 
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⑤奥沢駅・・・・・・・・・・・目黒線で唯一世田谷区にある駅。 大正12年(1923)3月11日に開業。 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線を有する地上駅。 ホームの北側には、目黒線の車両基地(元住吉検車区奥沢車庫)がある。   上り・下りホームはそれぞれ独立し、改札もそれぞれ独立している。   (写真:右側は車庫、左側はホーム)
 
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・・・・・・・・・・・・・・目黒線に乗り入れてる埼玉高速鉄道の2000系電車に御対面。
 
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・・・・・・・・・・・・・日吉方面改札。 目黒方面改札。 そしてホーム。
 
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⑥奥沢~田園調布間・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・世田谷区奥沢の町を抜ける目黒線。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東急東横線の下にもぐり込む目黒線。、、、、、、東横線上下線の間に割り込むように、目黒線は東横線の下をとおり田園調布駅に向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・目黒線は東横線の下。、、、、、東横線上下線の間隔が徐々に広がっていく。 田園調布駅で目黒線が、この間に出て4線が並ぶ。
 
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⑦田園調布駅・・・・・・・・・・・・駅の手前から再び大田区に入る。、、、、、、田園調布駅も、大正12年(1923)3月11日、目黒蒲田電鉄の目黒~丸子(現・沼部)間開通と同時に開業した。 開業当時の駅名は調布駅。 大正15年(1926)、田園調布駅に改称。、、、、、、現在は、平成の時代に始まった地下化で、島式ホーム2面4線の地下駅。
 
・・・・・・・・・・・・東横線が渋谷方面から田園調布駅(写真:中央奥)に向かう線路敷き。 上下線の間に目黒線のトンネル(市松模様の緑の下)が割り込んで上ってくる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・地下化され駅舎も新しくなった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・田園調布駅と言えば、駅のシンボルとして復元された旧駅舎がある。、、、、、旧駅舎の屋根の形は、マンサード・ルーフという欧州中世期の民家をモデルとしたものらしい。 神宮外苑の絵画館や上高地帝国ホテル、伊豆の川奈ホテルなどを設計した矢部金太郎の設計である。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・これにて、目黒線(目黒~田園調布)を踏破した。

2018年5月 2日 (水)

呑川

大森・大井町方向に歩くつもりで、京急蒲田駅で下車した。 京急蒲田駅の下を流れる呑川を見たら、『凄く汚い川。 ナンジャ、コリャ!』、思わず声が出てしまう。 この汚い水はいったい何処から流れているのか? 急遽、本日の散歩は呑川をさかのぼることにした。 京急蒲田から東急池上線池上駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
京急蒲田駅 ・・・・・・・・・・明治34年(1901)2月1日に、JR蒲田駅に先立ちて蒲田駅として開業した。 大正14年(1925)に京浜蒲田駅に、昭和62年(1987)に京急蒲田駅に改称した。 現在の高架駅は平成24年(2012)10月21日に完成。、、、、、線路の構造は複雑で説明しにくいが、概ね3階が横浜方面、2階が品川方面、空港方面は2階・3階のお好きな階へ、となっている。 1階は改札階である。、、、、高架化事業は2012年のグッドデザイン賞を受賞した。
 
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②京浜蒲田柳通り・・・・・・・・・京急蒲田駅からJR蒲田駅の方に向かう「あすと」商店街の北側に、「京浜蒲田柳通り」と称する飲食店がある。 この街は、かつての花街で戦後は赤線地帯でもあったDEEPな場所だったそうだ。(私の知らない昔の話) 現在は、居酒屋、スナック、中華料理屋などが並ぶ、場末の呑み屋街という感じ。 朝の散歩なので、夜の雰囲気が判らず、チョッピリ残念!、、、、、昭和の駅名“京浜蒲田”が残る街、いいね!
 
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③呑川・・・・・・・・・・田園都市線桜新町駅(世田谷区)付近を水源として、世田谷区、目黒区と暗渠で流れ下り、東京工業大学付近(大岡山駅付近)で顔を出し、大田区石川町、雪ヶ谷、久が原、池上、蒲田、糀谷と流れ、東京湾に注ぐ二級河川。 「呑川」は「のみかわ」と読み、「どんかわ」とは読まない。(恥ずかしながら、私は今でも「どんかわ」と呼んでいる。)
 
・・・・・・・・・・・・・「柳通り」を抜けると、呑川に架かる柳橋があった。 我が家(浅草橋)の近くにも柳橋があるので、チョイト愛着が湧き、じっくり観察。、、、、、昭和58年に架橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・・橋上から川面を見ると、『凄く汚い川。 ナンジャ、コリャ!』、思わず声が出てしまう。、、、、、過去には真っ黒でメタンガスも発生していた川が、今日は緑に染まっている。 黒が緑に変わった分、綺麗になったのだが、“緑”はまだ水質が悪い証拠。、、、、、ここで、上流を見てみたくなり、今日の散歩はこの川筋を歩いてみることに行先を変更した。
 
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・・・・・・・・・・・・・京急蒲田駅とJR蒲田駅の中間、あやめ橋付近では、護岸にこいのぼりが“泳いでいた”と言いたいのだが、汚い川に“吊るされていた”。 チョイト可哀そうだね。
 
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・・・・・・・・・・・・・JR東海道線の橋梁。 私もJRの線路下の地下道を抜ける。
 
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・・・・・・・・・・・・・西蒲田4丁目付近の呑川。 チョイト澄んだ色になってきたようだ、気のせいかコンビニで売っている緑茶の色に近づいた? でも、まだ、この水の綺麗とは言えないね。
 
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・・・・・・・・・・・・・西蒲田1丁目の太平橋付近では、川底に堆積した汚濁物質が、水面上に浮上するのを抑制する装置(ジェットリーマ)の新型を導入して実証実験中。、、、、、大田区でも水質浄化に一生懸命取り組んでいるようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・京急蒲田から1.8km上流の若宮橋(大田区中央8)付近で、コイを発見! しかも3匹、よくぞこの環境下で生き延びている力強いコイだ。、、、、、近くに、豆腐の容器が流れている、誰かエサとして豆腐を与えたかな?
 
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・・・・・・・・・・・・・日蓮橋(大田区中央8)付近まで来ると、川筋の正面に池上本門寺の高台が見える。 また、川の両岸にも緑が増え、緑道らしくなってきた。 水質もよくなってきたみたいだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・京急蒲田から2.4km上った、池上通りがとおる堤方橋(つつみかたはし)付近では川床も見えるようになる。 コイの数も増え、カメも出没してきた。 川を覗く人も登場!
 
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・・・・・・・・・・・・・池上本門寺の参道がとおる霊山橋(りょうざんばし)まで来た! 水量は少なく、深い川底が見える。、、、、、呑川沿いの散歩はココまでとする。
 
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●・・・・・・・・・・呑川の水質浄化に向け、平成7年(1995)より、都下水道局落合水再生センターで高度処理された再生水(日量約86,400トン)の一部(36,300トン)を呑川に導水している。 また、平成17年(2005)には、都交通局と連携し、都営地下鉄浅草線の馬込駅や西馬込駅付近のトンネル内に湧出する日量約81トンの地下水も呑川に導水しているそうだ。、、、、川床の清掃にも取り組んでいるそうで、確かに歩いてみた限りでは、川に自転車、TVなど捨てられた跡は見られなかった。、、、、早く、綺麗な川に戻って欲しいね!
 
 
④萬屋酒店・・・・・・・・・・・本門寺参道沿いの酒屋さん。 明治8年(1875)に棟梁:加藤甚五郎により建てられた、出桁造りの町屋建築である。 国の登録有形文化財。、、、、、参拝客向けか、甘酒が売られてる。
 
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⑤お土産・・・・・・・・・池上名物「久寿餅」を買って帰る。
 
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池上駅 ・・・・・・・・東急池上線の池上駅が改良工事に着手した。 今までの平屋の駅舎は無くなり、鉄骨造5階建の駅舎・駅ビルとなる。 2020年9月末の開業予定。 新駅舎になると、これまでの構内踏切、木造小屋組みのホーム上屋など、古き時代の面影を残すものは消えて行く、鉄道を愛する私は残念だ。
 
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2018年4月 9日 (月)

六郷土手~京急蒲田

しばらくご無沙汰している京急本線の雑色(ぞうしき)駅で降りてみようと家を出た。 電車が雑色駅に着く寸前、気が変わって多摩川橋梁が見たくなり、一つ先の六郷土手駅で降りることにした。 六郷土手駅から、第一京浜(国道15号)の東側を歩き、京急蒲田駅まで、8千歩の散歩です。
 
 
 
①六郷土手駅・・・・・・・・・・明治39年(1906)10月1日1906、京浜電気鉄道の六郷堤駅として開業。 その後、時期不明だが現在の六郷土手駅に改称した。 昭和20年には空襲で全焼し、戦後になって駅が再建された。 昭和47年頃の六郷川鉄橋(現:六郷川橋梁)架け替えに伴い駅は高架化された。 ホームは相対式2面2線で、改札は高架下に設置されている。、、、、、駅はその名のごとく六郷川(多摩川)の土手上にある。
 
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・・・・・・・・・・・・・六郷土手駅のホームの先は京急六郷川橋梁に続いている。 写真背景のビルは多摩川の対岸:川崎に建つ建物である。
 
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②京急六郷川橋梁・東海道本線六郷川橋梁・・・・・・・・・多摩川土手に上がると、対岸に川崎を望み、右に東海道本線六郷川橋梁、左に京急六郷川橋梁が架かる。
 
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・・・・・・・・・・・・・東海道本線六郷川橋梁、、、、、明治4年(1871)、日本初の鉄道の橋梁として初代の木造橋が架けられた。 その後、明治10年(1877)に二代目となる鉄製トラス橋、明治45年(1912)には三代目の橋梁に架け替えられた。 現橋梁は四代目で、京浜東北線多摩川橋が昭和42年(1967)、東海道本線六郷川橋梁が昭和46年(1971)に竣工したもので、いずれも全長520m、流水部のみ3連の連続トラス構造で、河川敷を渡る部分はコンクリート製の連続桁構造である。、、、、、河川敷部分が広く、トラス部分は川崎寄りの遥か彼方である。
 
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・・・・・・・・・・・・・京急六郷川橋梁、、、、、、、京急の電車が初めて六郷川を渡ったのは、明治34年(1901)2月1日である。 このときは、単線の仮の木橋であった。 明治39年(1906)には、複線の木橋が架けられた。 明治42年(1909)に六郷川鉄橋の建設に着手し、2年後の4月1日に、6連のトラス橋、上路プレートガーダー、全長515.897mの堂々とした鉄橋が完成した。、、、、昭和47年(1972)3月31日に、現橋である京急六郷川橋梁が完成した。 プレートガーダー桁なしの8連トラス橋、全長550.56mである。、、、、、トラス橋が見事に連なり壮観である。
 
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六郷橋・・・・・・・・・・・京急六郷川橋梁の下流側に、第一京浜(国道15号)が走る六郷橋が架かっている。、、、、旧六郷橋を段階的に拡幅するために、昭和54年(1979)に着工し、平成9年(1997)に全ての工事が完了し、現在の六郷橋となった。 長さ443.7m、幅34.4m。 橋の幅は倍以上となり、車道も片側3車線に増加した。 総工費は約125億円とのこと。
 
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・・・・・・・・・・・・・・六郷橋の北詰(大田区)に旧橋の橋門・親柱が残されている。
 
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④六郷神社・・・・・・・・・・六郷土手駅と雑色駅のほぼ中間に、第一京浜に面し六郷神社がある。(東六郷3)、、、、、天喜5年(1057)源頼義、義家の父子が、この地の大杉の梢高く源氏の 白旗をかかげて軍勢をつのり、石清水八幡に武運長久を祈ったところ、士気大いに奮い、 前九年の役に勝利をおさめたので、凱旋後、その分霊を勧請したのが、六郷神社の創建と言われている。 文治5年(1189)源頼朝もまた奥州征定の時、祖先の吉例にならい、白旗を立てて戦いでの勝利を祈願したので、建久2年(1191)梶原景時に命じて社殿を造営した。、、、、、現本殿は享保4年(1719)建立、拝殿は昭和62年(1987)に総檜権現造で建て替えられた。 また、現存する神門前の石造神橋は、梶原景時が寄進した。、、、、境内の広い、大きな神社である。 本殿奥に付属の幼稚園があり、園児を送ってきたママが境内を自転車で乗り回すのはチョイトいただけないね!
 
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・・・・・・・・・・・・・境内に、明治7年(1874)に架けられた旧六郷橋木橋の親柱が残されている。
 
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⑤七辻・・・・・・・・・・・・大田区南六郷1と南蒲田2が接する位置に、7本の道路が交差する「七辻」と呼ばれる交差点がある。 交差する道路の道幅はさほど広くはないが、それなりに交通量は多いようだ。 しかし信号機はない! ドライバーの譲り合いの精神により信号機は不要なのかも?
 
・・・・・・・・・・・・・パノラマ撮影した交差点 7本の道路判るかな?
 
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・・・・・・・・・・・・・・七辻の上空写真
 
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⑥京急蒲田駅・・・・・・・・・・明治34年(1901)2月1日に、蒲田駅として開業。 大正14年(1925)に京浜蒲田駅に改称。 昭和62年(1987)に京急蒲田駅に改称。 平成13年(2001)に高架化工事に着手し、平成22年(2010)に上り線の高架化完成、平成24年(2012)10月21日には下り線の高架化も完成した。 ちなみに、10月21日は吾輩(雅万歩)の誕生日である。 おめでたい日だ!、、、、、駅は2階・3階に島式ホーム2面6線を有する高架駅。 本線と空港線の分岐点である。 分岐駅だが、この駅で乗り換える時、電車はチョイトややっこしい停車をするので、戸惑うね! 『どう、ややっこしいか?』説明するのもややっこしいので、気になる人は自分で体験してみてね。
 
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2017年10月31日 (火)

池上本門寺

今朝は、おっかなびっくり目を覚まし、鼻血が出ていないことをまず確認。 『出血いていないようだ、さすが天下の東京医科歯科大だ!』、と感謝。、、、、安心して散歩できそうなので、久しぶりに池上本門寺に行ってきた。 1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①西馬込駅・・・・・・・・・・・ほぼ49年前の昭和43年(1968)11月15日に、都営1号線(現:浅草線)の駅として開業した。 ホームは第二京浜(国道1号)の地下にあり、相対式2面2線の終着駅だが、車止めは無い。 線路は500m程先の本門寺崖下にある車両基地:「馬込車両検修場 」へと続く。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ホームは国道1号の地下にある。
 
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②池上本門寺・・・・・・・・・・・弘安5年(1282)9月、病身の日蓮は身延山を出て、湯治のために常陸(茨城県)へ向かう。 途中、武蔵国池上郷(東京都大田区池上)の池上宗仲の館に立ち寄る。 この地で、日蓮は生涯最後の数日間を過ごすこととなる。 池上氏館の背後の山上に建立された一宇を日蓮が開堂供養し、長栄山本門寺と命名したのが池上本門寺の起源という。 日蓮聖人はその後大坊本行寺で入滅し、池上宗仲は69,384坪を寄進して現在の池上本門寺の礎を築いた。、、、、、慶長年間には徳川家康から寺領100石をうけた他、加藤清正や紀伊徳川家等諸侯の祈願寺となった。、、、、、大田区の中央にそびえる池上の山上に本門寺はある。 山城のような処で、見晴らしがよい。
 
・・・・・・・・・・・・・元禄年間(1688~1704)の建立と言われる「総門」と、96段の石段坂「此経難持坂」が表参道正面に見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・息を切らして階段を上ると、昭和52年(1977)に再建された、鉄筋コンクリート造の「仁王門」が見える。  高さ17.2m。
 
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・・・・・・・・・・・・・仁王門の奥に、昭和39年(1964)に再建された鉄筋コンクリート造の「大堂」(祖師堂)がある。 棟高27.27m。、、、、、浅草寺に似ているね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・「経堂」は空襲による焼失をまぬがれた、天明4年(1784)の建物。 内部には回転する八角形の書架があり、一切経が収められていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・仁王門の右手に、高さ31.8m、空襲による焼失をまぬがれた「五重塔」がある。 江戸幕府2代将軍徳川秀忠の乳母である岡部局の発願により、慶長13年(1608)に建立された。、、、、空襲で被災した本門寺にあっては貴重な建物で、重要文化財に指定されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・大堂の後ろ、道路(紅葉坂)を挟み、昭和44年(1969)に建てられた、鉄筋コンクリート造、棟高14.4mの「本殿」がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・本殿の左手奥に「日蓮聖人御廟所」がある。、、、、かつて、御真骨堂があったそうだが、空襲で焼失したそうだ。 今は、御灰骨を奉安しているそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・今日の散歩では、一番時間を費やしたのが墓地探しである。 広い墓地の中を行ったり来たり、何か所かの墓を巡ってきた。
 
・・・・・・・・・・・・・加藤清正室と前田利家室の層塔。、、、、層塔は、生前に自身のために逆修供養した塔。、、、、、本物のカラスがとまっている塔が前田利家室の層塔。
 
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・・・・・・・・・・・・・・まずは、幸田露伴の墓。、、、、小説『五重塔』を書いた露伴の墓は五重塔の脇にあった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・肥後熊本細川家の側室の宝塔。、、、、並びたつ二名の宝塔。
 
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・・・・・・・・・・・・・・出羽米沢藩上杉家の墓。、、、、、上杉家四代綱憲室の墓。、、、、、私は、墓の主がどんな人物か知らない。 ゴメン!
 
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・・・・・・・・・・・・・・戦後、ニュース、新聞で御存じの人も多いはず、政界を賑わしたあの政治家、大野伴睦の墓がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・伴睦の墓の近くには仲良しであった、ロッキード事件の児玉誉士夫が眠っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・そしてもう一人、伴睦が後援者であり、プロレスコミッショナーを努め、葬儀委員長であった、あの力道山の墓もお近くにある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・戦後、映画界の貴公子として色男を演じた八代目市川雷蔵の墓が本門寺にあるはずだ。 『眠狂四郎』、『陸軍中野学校』など、観た人も多いはず。 華奢な躰で美女と濡れ場のシーンは忘れられないね、いつか自分もと、羨ましかった。、、、、、あっちゃ、こっちゃ、行きつ戻りつ、墓を探してみたが見つけることはできなかった、残念!
 
 
③池上駅・・・・・・・・・・大正11年(1922)、池上電気鉄道が当駅と蒲田駅間で開通したとき同時に開業した。 開業時は、寺社詣でが観光の目玉であった時代、本門寺への参拝客を運び、おおいに賑わったであろう!
 
・・・・・・・・・・・まずは駅前参道で、お土産に“くず餅”を買って。
 
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・・・・・・・・・・・・・・昔、懐かしい木造駅舎に向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・みんな仲良く一つのベンチにすわり、いいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・電車が来た!
 
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2017年6月 5日 (月)

馬込~学芸大学

都営浅草線馬込駅から、東急池上線長原駅、東急大井町線北千束駅、東急目黒線洗足駅を巡り、東急東横線学芸大学駅まで、1万4千歩の散歩です。
 
 
 
①馬込駅・・・・・・・・・・・・都営浅草線の駅で、我が家のある浅草橋からは乗り換えなしで約28分である。 今日も行先を決めず浅草線に飛び乗った。 どこで降りよか思案橋、決めるに決まらず、まごまご馬込。、、、、と言うことで、散歩は馬込駅からスタート。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前には洒落た造りの本格的な喫茶店:「楡本店」がある。 玄関上には「CAFFE 1953 NIRE(楡)」と書かれ、昭和28年(1953)創業の老舗である。 時刻は8時15分、まだ開店前。、、、、、店の前の坂を右に上っていくことにした。
 
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②北馬込の町・・・・・・・・・・・馬込駅(国道1号)の西側の一帯で、町の北側は品川区中延・旗の台と接している。
 
・・・・・・・・・・・・・馬込駅の西側の高台にある二車線の通りには、街路灯に「馬込三本木通商店街」と記された旗がなびいている。 “商店街”? なんとなく、辺りを見回してみるが、特に核となる店舗はないようだ、蕎麦屋、ラーメン屋などそれらしき店がポツン、ポツンとある程度。
 
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・・・・・・・・・・・・・・商店街の通りに面し、曹洞宗の金光山宗福寺はがある。 江戸時代初期頃の開山らしい。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内には、昭和10年(1935)、10歳の女の子が乱暴され殺害されたことを不憫に思った人達が、その霊を祀った「登志子地蔵」が建立されている。 この事件では、犯人逮捕に向けて宗福寺に捜査本部が設置された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・大田区北馬込と品川区中延・旗の台の境を西へ歩く。 約400m程は道幅が広くなっている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・幅広の道は、「北馬込本通り協和会」なる商店街に続き道幅も狭くなる。 商店街は環七通りにぶつかり終わる。 
 
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長原駅 ・・・・・・・・・・・長原駅は東急池上線の駅で、昭和2年(1927)8月に池上電気鉄道長原駅として開業した。  昭和40年(1965)から、環七通りの踏切解消のため地下化工事に着手し、昭和48年(1973)11月30日に工事は竣工した。、、、、、地下化されたため、商店街の中の駅は見つけにくい処にある。
 
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④北千束駅・・・・・・・・・・・長原駅から北西に650m程行くと東急大井町線の北千束駅がある。 この辺りは、東急の各線が集まっており、東西南北どちらに歩いても東急の駅に出るようだ。、、、、、、昭和3年(1928)10月10日、目黒蒲田電鉄の大井町線池月駅として開業。 昭和5年(1930)には洗足公園駅に改称し、昭和11年(1936)1月1日に北千束駅に改称した。、、、、、乗降客も少なく、昔ながらのホーム上屋、昭和3年架橋の駅前ガード(池月架道橋)などが現在も利用され、昭和の匂いが残る駅である。
 
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●・・・・・・・・・・・・ここ北千束駅から学芸大学駅までは、16年3月31日にも歩いているので、こちらを見てね。  以下は、今まで歩いていない処のみ紹介。
 
 
 
⑤曲がった家・・・・・・・・・・目黒区碑文谷で見つけた、ナンジャコレ!、、、、家の床は傾いていないようだ。
 
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⑥円融寺・・・・・・・・・・・天台宗の経王山円融寺は、仁寿3年(853)に現在地(目黒区碑文谷1)に創建した。 天台宗に始まったが、日蓮上人の高弟が日蓮宗に改め、弘安6年(1283)妙光山法華寺に改号し、日蓮宗の名刹寺院として栄えた。 江戸時代には幕府の弾圧を受け、元禄11年(1698)天台宗に改宗、天保5年(1831)経王山円融寺となる。、、、、、現在も大きな寺で、今日は“さわり”だけ、チョイトね!
 
・・・・・・・・・・・・・・・山門、、、、、、この山門は、昭和26年(1951)に品川御殿山の原邸から移築されたもので、天保4年(1833)に元播磨国美嚢郡三木和田の寺の山門として工匠黒田重兵衛常久、瓦匠勝清の手によって作られたものである。 明治33年(1900年)に、原邸に移されていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・仁王門、、、、、、 参道をすすむと、大きな仁王門がある。 門は檜と欅を用いた簡素な構成の造り。 建立時期は不詳であるが、永禄2年(1559)に仁王像が作成されており、ほぼ同時期(足利時代)と考えられる。 平成19年(2007)に茅葺きだった屋根を銅葺きに改めた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・釈迦堂、、、、、、、室町初期の建立といわれ、都区内最古の木造建築とである。 明治44年(1911)に旧国宝に指定され、昭和25年(1950)に国の重要文化財に指定されました。 本来の屋根は茅葺きであったが、昭和27年(1952)に銅葺きに改められた。
 
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2017年5月22日 (月)

森ヶ崎

羽田空港へ向かう東京モノレールの昭和島駅で下車し、「大森南」(旧森ヶ崎)の町を歩いてきた。 1万2千歩の散歩です。

 
 
 
昭和島駅 ・・・・・・・・・元はモノレールの車両基地の停車場として、職員専用の駅であったが、昭和60年(1985)から一般の乗客も利用できる駅として開業した。、、、、島式ホーム2面4線を有し、快速が普通を追い抜く駅である。 細長い島式ホームはホームドアが無いと、チョイト怖いね!
 
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②呑川水門・・・・・・・・・・呑川(どんかわ)水門は、門扉型の単葉ローラーゲート、幅6mの水門で昭和41年(1966)度に竣工した。
 
・・・・・・・・・・・・昭和島から京浜運河を越えて呑川水門に行く。 右岸は昭和島。左岸は大森東地区。
 
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・・・・・・・・・・・・昭和島から見る対岸の呑川水門。
 
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・・・・・・・・・・・・・・小さな水門だが、高潮を防ぐための大切な水門である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・呑川水門は旧呑川にあり、現在は水門の上流側100m程が船溜まりとして使用されている。 都は水門を廃止するため防潮堤の整備を進めている。
 
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③首都高羽田線・・・・・・・・・・・モノレールと並走している首都高羽田線が、昭和島から運河を越えて大森南の森ヶ崎水再生センター西施設にすり寄ってくる。、、、、、写真対岸が昭和島、右側に首都高が走り、見えないが首都高の陰にモノレールが並走する。 手前側は“森ヶ崎海岸”と呼ばれている岸。
 
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・・・・・・・・・・・・・・左側に首都高、中央は森ヶ崎海岸公園の遊歩道、右側には森ヶ崎水再生センター西施設がある。 現在の首都高羽田線本線はこの辺りで、水中にもぐりトンネルで羽田の空港島にでる。 写真に写っている首都高は、羽田可動橋で海老取川を渡り空港島に向かう道路であるが、この部分は現在使用されていない。 
 
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・・・・・・・・・・・・・その使用されていない羽田可動橋。、、、、、海老取川沿いには鉄工所などがあり、大型船の航路を確保する必要があり、可動橋(旋回橋構造)として造られたものである。、、、、平成2年(1990)4月から羽田可動橋は使用開始となり、平成10年(1998)4月に交通量の減少に伴い使用が停止された。 水底をトンネルで抜ける本線は使用されている。、、、、、、現在は開きっぱなしの可動橋。 いずれ本線が混んできたら再び利用するそうだ。 これまで、わずか8年しか使用されていない可動橋の運命や、是いかに?
 
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④森ヶ崎水再生センター・・・・・・・・・大田・品川・目黒・世田谷区の大部分、渋谷・杉並区の一部の汚水を処理する国内最大の水再生センター。 敷地面積は415,309m3あり、昭和島の東施設と大森南の西施設の二つに分かれている。、、、、、今日は西施設をチラッと見てきた。、、、、、西施設の屋上はテニスコートなどもある「森ヶ崎公園」として一般に公開されているが、誰もいなかった。 午前中は利用する人もいないのかも?
 
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⑤森ケ崎観音法浄院・・・・・・・・・・水再生センターの近く、大田区大森南5丁目に森ケ崎観音として親しまれている法浄院がある。、、、、、、大正の頃までは現在より北方の海岸近くの葦原の中に建っていた波除観音堂であった。 昭和初期に地元の人々によって移築されて二間四面の観音堂となった。 昭和13年(1938)8月24日、森ケ崎上空にて、旅客機と練習機が接触し85名の死者をだす大事故が起り、その慰霊の為の地蔵尊及び位牌が当観音堂に安置されたそうだ。、、、、、、「森ヶ崎」とは、現在の「大田区大森南」(1~5丁目)の旧地名である。 
 
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⑥大森寺・・・・・・・・・・・観音堂の近くにある、日蓮宗の寺。 歴史は浅く、明治38年(1905)に森ヶ崎教会所として創建された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・大森寺の境内に、明治34年(1901)に発見された、森ヶ崎鉱泉源泉碑がある。、、、、源泉が発見されると、周辺に鉱泉宿ができ、東京近郊の保養地、臨海行楽地として栄えたが、太平洋戦争を契機に転廃業したそうだ。、、、、、、現在のスパリゾートのような処だったみたいだ。 私の知る「平和島温泉」の先駆けであったのか? 
 
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⑦錆色の町・・・・・・・・・・・大森南(森ヶ崎)で見た色
 
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⑧浦守稲荷神社・・・・・・・・・・・・神社のたつ現在地:大森村前ノ浦の鎮守として元禄年間(1688~1704)に創建されたそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・神社の近くには、前の浦商店街の街路灯が並んでいた。 しかし、数軒の店しか見ることはできず、、、、、私も眼が悪くなったかな?
 
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・・・・・・・・・・・・近くの、京浜急行バス「前の浦」バス停から帰ることにした。
 
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2017年4月12日 (水)

南馬込

都営浅草線西馬込駅で下車し、南馬込1丁目・5丁目の付近をキョロキョロ、ウロウロ、ブラブラ歩き馬込駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①西馬込駅・・・・・・・・・・・・都営浅草線の起点駅で、昭和43年(1968)11月15日に開業した。 下車したホームは地下3階にあり、地上に出るには地下4階の連絡通路に下り、そこから改札口のある地上まで階段・エスカレータを上ることになる。 地上に出るまで、無駄に歩かされているような気分になる駅である。、、、、、駅の先には馬込車両基地 があり鉄道オタクには聖地の一つである。
 
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②夢告観音・・・・・・・・・・・・西馬込駅東口(上の写真)を出て、第二京浜から横道に入ると観音像が祀られている。 観音さまは、元々この場所にあったわけではなく、付近を転々とした末、現在地に落ち着いたらしい。 いずれにせよ、明治以降、民間の信仰が非常に厚かった観音様のようです。、、、、謎の多い観音さまのようだ。
 
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③湯殿神社・・・・・・・・・・・・・大田区南馬込5丁目にある湯殿神社は、創建年代不詳であるが、江戸時代には羽黒権現と呼ばれていたらしい。、、、、、神社の位置は、旧馬込村領主梶原助五郎(=戦国時代の武将で、後に北条氏の家臣となる)の居城「馬込城」の西端となるそうだ。、、、、、別当寺は近くの長遠寺。
 
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・・・・・・・・・・・・・・神社の参道脇には、どこからか移設したと思われる、宝暦12年(1762)の造立の青面金剛庚申供養塔、寛文6年(1667)造立の如意輪観世音菩薩、造立年不明の地蔵菩薩像が2体並んでいる。
 
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④萬福寺・・・・・・・・・・・・南馬込1丁目にある、切妻造り茅葺きの山門が印象的な、慈眼山無量院と号す曹洞宗の寺院。、、、、、建久年間(1190~99)大井村の地に密教寺院として創建された。 開基は梶原平三景時であったと伝えられている。 元応2年(1320)火災にあい、第六代の梶原掃部助景嗣が居城とともに馬込(現在地:南馬込1)へ移転した。 天文3年(1534)鎌倉の禅僧明堂文竜が曹洞宗に改め中興し、現在の萬福寺へと続いている。、、、、、本尊の阿弥陀三尊を清めた湯水は眼病に効くと伝承されて信仰を集めてきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・本堂は平成17年(2005)に新築。、、、、、、桜の花が風に舞っていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・本堂の後ろには、チョイト、ガンダーラ風の古そうな納骨堂がある。、、、、中を覗いてみたいが、興味半分では罰があたりそうなので、ヤメタ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・墓地の中央付近には、鎌倉幕府で権勢を振るい頼朝の死後に追放された梶原景時の墓がある。、、、、、また、明治・大正の天才女流奇術師:松旭斎天勝の墓もある。
 
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⑤河原家住宅・・・・・・・・・・旧馬込小学校の玄関と教場部分を移築して和風住宅に改造した。 その後時計台も移築した住宅。 国の登録有形文化財。、、、、、塀があり、平屋の住宅部分は見えず、時計台が屋根の上に見える。
 
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⑥長遠寺・・・・・・・・・・・・馬込小学校前の長遠寺(ちょうおんじ)は、海岳山大乗院長遠寺といい、真言宗智山派の寺院。 烏羽天皇の天仁元年(1108)に創建された。 後柏原天皇の文亀2年(1502)現在の地に移り、元禄年間徳川綱吉の時代に諸堂が復興され壇林寺格となる。
 
・・・・・・・・・・・・・・・花が散り始めた枝垂れ桜が出迎えてくれる山門
 
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・・・・・・・・・・・・・・文久元年(1861)に再建された現本堂。、、、、、屋根の青銅が美しい!
 
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⑦馬込八幡神社・・・・・・・・・・・長遠寺に隣に、同時が別当寺であった馬込八幡神社がある。、、、、、境内に記された由緒では、『 時は鎌倉時代の建久四年(1193)馬込の松原(現在の北馬込二丁目付近)にいた、源頼朝の家臣の渡辺対馬守正久が、京都石清水八幡宮の分霊を勧請し、翌年の秋に遷宮を行ったといわれています。  そして、その後荒廃したものを江戸時代の文化十三年(1816)馬込村の名主だった高山幸右衛門らが再興して馬込全域の総鎮守となりました。』とある。、、、、、社殿は昭和36年(1961)に建てられた、鉄筋コンクリート造、八幡造りの建物。 また、境内には石造りの御霊社もある。
 
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⑧四重の立体交差・・・・・・・・・・・・・第二京浜と東海道新幹線が交差する、馬込橋の地点は四重の立体交差である。、、、、まず、品鶴貨物線(現横須賀線)と第二京浜が交差していた。 (ここに架かる跨線橋が馬込橋である。) 次に、第二京浜の下を都営地下鉄が走ることになり、貨物線の下を地下で抜けた。 そして最後は、貨物線の頭上を東海道新幹線が走ることになった。 下から、都営地下鉄(現:浅草線)、品鶴貨物線(現:横須賀線)、第二京浜、東海道新幹線が四重に交差する地点となった。、、、、昭和39年(1964)3月に行われた、新幹線陸橋の架設工事では、全長86.4m、約580tonのアーチ橋をあらかじめ造っておき、交通量の少なくなった夜間に、引き出す工法が採用された。 当時は物凄い工事で、新聞・テレビで報道されたのを覚えている。
 
・・・・・・・・・・・・・・横須賀線(高架下)、第二京浜、新幹線の交差点である馬込橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・引き出し工法で架橋した新幹線陸橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・新幹線高架下を走る横須賀線(品鶴貨物線)。
 
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馬込駅 ・・・・・・・・・・日本で初めてできた幹線道路の立体交差が、昭和15年(1940)に完成した、環状七号線と第二京浜国道の交差点である松原橋。、、、、、、馬込駅の出入口はこの橋の下にある。
 
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2017年1月 7日 (土)

大森~西馬込

JR大森駅から都営浅草線西馬込駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
大森駅 ・・・・・・・・・・・チョイ寒の大森駅で下車し、『男、一匹、どこへ行く?』 『俺の行く先は、前を歩く娘だけが知っている。』、、、、てな、ことで、山王口(西口)に出て、駅前の池上通りを南の蒲田方面へ足を進める。
 
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②新井道架道橋・・・・・・・・・・・大森駅から南へ150m程のところに新井道架道橋がある。 上を走るのは、もちろん京浜東北線と東海道本線。、、、、架道橋があるのはすり鉢状に低くなっている処で、かつてここに新井川(現在は暗渠化されている)が流れていた。 架道橋は当初、木造であったが、明治11年(1878)に鉄製の橋に架け替えられ、現在は明治45年(1912)に架けられた3代目のプレートガーター桁橋(高さ2.4m)である。
 
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③大森柳本通り商店街・・・・・・・・・・池上通り沿いに「ウィロード山王」と掲げたアーケードのある長い商店街。 まだ朝、開いてる店は少なく、駅に向かって歩く人ばかり。
 
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・・・・・・・・・・・・・・商店街の中ほどで、「新井宿義民六人衆霊地参道」の文字が目に入る。、、、、、『いつぞや来たことがある寺だ! 商店街はつまらないので、こっちに行こう!』と、私の足は参道を進むことに、、、、
 
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④善慶寺・熊野神社・・・・・・・・・・善慶寺(山王3)に向かう“参道”と言っても、ただの裏道。 正面に善慶寺の山門が見える。
 
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・・・・・・・・・・・・日蓮宗寺院の法光山善慶寺は、天正年間(1573~92)に開創し、正応4年(1291)に善慶寺が創建された。 以来身延山末であったが、昭和16年(1941)に日蓮門下三派合同により顕本法華宗より今日の日蓮宗に包括された。 日蓮宗の古刹ということだ。、、、、、、江戸時代までは、山門奥にある山王熊野神社、及び新井宿春日神社の別当寺。、、、、、現本堂は昭和5年(1930)に建てられた。
 
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・・・・・・・・・・・・・本堂左手奥に、山王熊野神社の鳥居が見える。 写真の左側は墓地で、ここに新井宿義民六人衆の墓がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・新井宿義民六人衆の墓とは(?)、、、、東京都教育委員会の掲示には以下のように記されている。  『江戸時代の荏原郡新井宿村は、家康の関東入府から幕末にいたるまで、旗本木原氏の知行地であった。四代兵三郎重弘の時代、延宝元年(1673)の旱魃、翌年の多摩川の氾濫による洪水や長雨などの天災で農民の困窮は甚だしく、過酷な年貢収奪に耐えかねた村民は、十九ヶ条の訴状を提出して年貢の減免を願い出た。この訴えは黙殺されたため、重立百姓六人は、将軍家綱に起訴(おっそ)しようとしたが、決行直前の延宝5年(1677)正月2日密告により捕えられ、神田橋門外にあった木原内匠邸(現:千代田区内神田1)で処刑されたといわれている。   新井宿義民六人衆による起訴事件は、村人の中に語り継がれ、延宝8年(1679)義民と縁故筋にあたる間宮藤八郎が、両親の墓を建てると称して六人の法号を刻んで密かに造立したのがこの墓石である。正面に父母の、裏面に六人の法名が刻み込まれており、台石の四方に花立と水入が取りつけられ、その間をくり抜いて連結し、一箇所に水を注げば四方に行き渡るように工夫されている。』、、、、、、簡単にまとめると、“直訴に失敗した6人の墓”ということか。
 
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・・・・・・・・・・・・・墓の後ろから、鳥居をくぐり急な階段を上り、山王の高台にある熊野神社に詣でる。
 
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・・・・・・・・・・・・・熊野神社の近くから眺める、、、、、オ~ゥ! 見晴らしがいいね。
 
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⑤環七通り・・・・・・・・・山王の高台を下り、環七通りを越えると大田区南馬込の町に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・暖かな気候のせいか、ウメが咲いている。、、、、、歩きながら口ずさむ
、♪♪梅は咲いたか 桜はまだかいな 柳なよなよ風次第 山吹きゃ浮気で 色ばっかり ションガイナ♪♪
 
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⑥龍子記念館・・・・・・・・・・・・裏道を歩き大田区中央4丁目の出て来た先に、昭和38年(1963)、川端龍子画伯の喜寿を記念し、画伯自身の設計によって設立された記念館がある。 チョイと寄って行こうかと前まで行ったら、残念、只今特別展準備のため休館中であった。、、、、、、建物は昭和37年(1962)に建設。
 
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⑦黒鶴稲荷神社・・・・・・・・・・・龍子記念館の西200m程に黒鶴稲荷神社がある。 神社の創建年代等は不詳であるが、桐ヶ谷村の鎮守社だった。 三代将軍家光の頃、当地付近の領主が境内で黒鶴を捕え、徳川将軍家に献じたところ、大いにこれを賞されたことから黒鶴稲荷と呼ばれるようになった。、、、、社殿は明治7年(1874)に竣工。
 
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⑧西馬込駅・・・・・・・・・都営浅草線の駅で、線路はホームの先の車両基地まで伸びている。、、、、昭和43年(1968)11月15日、都営1号線の駅として開業。
 
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2016年10月13日 (木)

立会川~大森

朝方は、雨粒がポツリポツリと落ちてきそうな空模様。 昼までには、スカッと爽やかコカ・コーラのような、秋晴れを期待して家を出た。 歩けど、歩けど、青空は期待できず。 
京浜急行立会川(たちあいがわ)駅から、JR大森駅まで、9千歩、7kmの散歩です。 
 
 
立会川駅・・・・・・・・・・・明治37年(1904)5月8日に開業。 現在は、相対式ホーム2面2線の高架駅である。、、、、、駅名の立会川は、目黒区・品川区を流れる二級河川で、立会川駅前を流れて東京湾の勝島運河に注いでいる。 昭和後期には、汚れて、臭い川となったが、JR東日本が総武快速線馬喰町駅付近のトンネルの湧き水を立会川まで引き、放水したことで水質は大幅に改善しボラが生息する川となった。
 
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立会川 ・・・・・・・・・・・駅から下流の勝島運河まで、晴天になることを期待しながら歩いてみた。
 
・・・・・・・・・・・・・・駅前から旧東海道まで伸び、30店舗程で構成する商店街「立会川繁栄会」。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・商店街の店舗裏を流れる立会川。 ボラも住み、水はきれいだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・勝島運河の手前に架かり、旧東海道が通る濱川橋。、、、、、この橋は別名「涙橋」と呼ばれたそうだ。 慶長4年(1651)に鈴ケ森刑場が設けられ、処刑される罪人は市中引き回しの後、刑場に護送されてきた。 この時、親族らがひそかに見送りに来てこの橋でともに涙を流しながら、別れたという事から涙橋と呼ばれるようになった。、、、、、現在の橋は、昭和9年(1934)12月に竣工したコンクリート桁橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・濱川橋の南詰に、江戸時代初期の創建といわれる、この地の鎮守:天祖神社がある。、、、、綺麗に均整のとれた社殿は、昭和40年(1965)に改築されたもの。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・立会川が注ぐ勝島運河。 運河ほ端は立会川で、船はこれより先に進めないため、船溜まりとなっている。 約2kmの護岸には季節の花が咲き新名所となっている。、、、、、いまは、コスモスが咲き迎えてくれた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・運河の際にある新浜川公園(品川区東大井2)に、昨年、浜川砲台が復元された。、、、、、現在の立会川駅近くには、かつて土佐高知藩の下屋敷があり、立会川河口左岸には、ペリー再来航後の安政初年に砲台が設置された。 こんかい復元されたのは、「30ポンド6貫目ホーイッスル砲」と呼ばれる、全長 3メートル、車輪の直径 1.8メートルの大砲である。、、、、、盗まれないようにか、発砲されないようにか、コンクリートの台座にチェーンで固定され、南京錠が取り付けられている。
 
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③品川歴史館・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・曇天の勝島運河に別れを告げ、再び立会川駅前を通り、第一京浜国道、東海道線を横切り、裏道を西へ向かったら池上通りに出た。
 
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・・・・・・・・・・・・・・大井6丁目、池上通りに面して、品川歴史館がある。 天気も悪そうだから、チョイと館内を散歩することにした。、、、、、ただいま、特別展 「品川産業事始」が開催され、グッドタイミング! 300円の入館料を払い中へ。、、、、品川区の主要企業:第一三共、ニコン、明電舎、JR、日本ペイントなどが誕生・発展した産業史を多くの資料で紹介している。 (撮影禁止のため、写真なし)、、、、、おもしろい特別展で、時間を忘れた! 帰りには、アート紙、150頁程の重たい図録を2冊購入してしまった。
 
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大森駅 ・・・・・・・・・・品川歴史館から大森駅北口までは徒歩10分。 
 
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