中野区

2017年6月20日 (火)

東中野~江古田

JR東中野駅で下車し、北へ向かうか南にするか、それとも、西へ歩くか東へ行くか? 困った、迷った、悩んだときは、現世の観音様に決めてもらう。 ちょうど駅から可愛い娘が出て来た、『あの娘の行く方向に歩こう!』。 決まった!駅から北西に向かうことにした。 西武新宿線の新井薬師前駅、大江戸線の新江古田駅を抜けて、西武池袋線江古田駅まで、1万2千歩の散歩です。
 
 
 
①東中野駅・・・・・・・・・明治39年(1906)6月14日、甲武鉄道の柏木駅として開業し、大正6年(1917)1月1日より東中野と改称した。、、、、、駅は山手通りに面し、平成9年(1997)には都営大江戸線の駅も開業し、乗り換え駅となった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・チョイと古い時代の東中野駅
 
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②東中野ギンザ通り・・・・・・・・・・東中野駅前から北西方向に約600mの長さで伸びる商店街。、、、、、、私が歩く、午前8時過ぎ、狭い道は駅へ向かう人が速足で通り過ぎる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・商店街の中程に朝顔の苗が置かれ、「御自由にお持ち帰り下さい」と。、、、、、つい、手が出て苗を3つ貰ってきた。 開花するのが楽しみだ!
 
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③正見寺・・・・・・・・・・ギンザ通りを抜けると早稲田通りに出る。 ここ(中野区上高田1)に、浄土真宗本願寺派寺院の正見寺がある。 正見寺は、滋賀県栗田郡駒井城主・駒井掃部介高植、次代右近大夫宗高が菩提のため、応永年間(1394~1427)に建立された。 その後、寺は赤坂・四谷と移転し、明治42年(1909)に現在の中野に再移転した。 昭和20年、戦災により堂宇は灰塵に帰し、昭和46年(1971)に本堂を鉄筋コンクリート造で再建し現在に至る。 正見寺には、明和時代(1765年前後)の江戸三美人のNo.1といわれた“笠森お仙”の墓がある。 、、、、私は、現在の美人と遭遇することに期待し寺の脇の道。 誰が名付けたか、「上高田中通り」を行く。 
 
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④上高田4丁目の寺院・・・・・・・・・・・上高田4丁目の高台に、功運寺・願正寺・境妙寺・宝泉寺などの寺院が並んでいる。、、、これらの寺院には以前来たので、詳細はこちらで。
 
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・・・・・・・・・・・・・・寺院が集まる処から約200m北に、桜ヶ池不動院という寺がある。 その名の通り、小さな池があり脇のお堂に不動明王像が安置されたている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・さらに、不動院の裏には素戔鳴尊を祭神とする上高田氷川神社がある。 上高田一円の鎮守として享徳2年(1453)に創建した。 現社殿は大正15年(1926)に造営された。
 
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⑤西武新宿線踏切・・・・・・・・・・・・西武新宿線新井薬師前駅の東側で、踏切を越える。、、、、、、西武新宿線中井駅~野方駅間は、連続立体交差工事の真っ最中。
 
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・・・・・・・・・・・・・・工事用の車両などにぶつけられたのか、踏切の脇には、チョイと石の角が欠けた痛々しい庚申塔がある。、、、、祠に入れるなど、しっかり祀ってあげて欲しいね。
 
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・・・・・・・・・・・・・踏切の北側で道は分かれる。 右は哲学堂公園・新宿区落合方面、左は江古田方面。 私は、左へ向かうことにした。
 
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⑥キク薬局・・・・・・・・・・新井薬師前駅の北側(中野区松が丘1)に、2009年頃に廃業したらしい、仕舞屋から廃屋となってしまった薬局がある。 二階は歯科だった。、、、、、2階に並ぶ窓がモダンな感じの建物だが、1階の窓はボロボロ。 猫の通り抜けも自由!
 
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⑦中野通り・・・・・・・・・・・・笹塚から中野駅をとおり、江古田で新青梅街道にぶつかる中野通り。、、、、、我が脚は、松が丘1丁目から、中野通りを横断し、松が谷2丁目に入る。
 
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⑧妙正寺川・・・・・・・・・・・・杉並区妙正寺から中野区江古田地区を流れ新宿区下落合で神田川に合流する妙正寺川。 我が脚は、江古田橋で妙正寺川を越える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・大雨の度に氾濫していた妙正寺川は、流域・護岸も整備され、深い川底が見える。、、、、、、、水は綺麗になった。 念のため遊泳禁止。
 
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⑨東福寺・・・・・・・・・・妙正寺川を越えて江古田3丁目に、真言宗豊山派の東福寺がある。 東福寺の創建年代は不詳だが、天正年間(1573~1593)に江古田村の村民が開基となり、創建した。 江戸時代には3代将軍家光が鷹狩りの休息所(御膳所)として指定されていた。、、、、、現本堂は昭和42年(1967)に鉄筋コンクリート造で建てられた。、、、、境内は広く、本堂は高台にある。 
 
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⑩江古田駅・・・・・・・・・・・・「江古田」の町は中野区にある。 大江戸線「新江古田駅」は中野区の北端「江原町」にある。 そして、西武池袋線の「江古田駅」は練馬区旭丘に位置する。 つまり、江古田の町には鉄道の駅は無い! ついでに、東電江古田変電所、日大江古田キャンパス、江古田斎場など、有名処の施設は練馬区に位置する。
 
・・・・・・・・・・・・・・大江戸線新江古田駅
 
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・・・・・・・・・・・・・西武池袋線江古田駅
 
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2017年5月 5日 (金)

浅草橋~東中野

浅草橋の我が家から、総武・中央線沿いに飯田橋まで行き、そこから地下鉄東西線の神楽坂、早稲田をとおり、馬場下交差点からは学習院女子大、百人町アパートを抜けて東中野駅までの散歩です。、、、、GWのすいた都心を歩いてきた。
 
 
 
●am7:50・・・・・・・・・・・・浅草橋駅西口をスタートする。、、、、秋葉原の隣だが、人影も少ない寂しい駅である。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・両国~浅草橋~秋葉原~お茶の水間は昭和7年の開業で、この間の高架部分、架道橋は当時のままである。 耐震工事のため高架下の建物は壊され、スッポンポンの状態で、チョイト悲しい姿をさらしている!
 
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●am8:00・・・・・・・・・・・・秋葉原駅昭和通り口を通過。
 
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●am8:20・・・・・・・・・・・・昌平橋交差点を通過。、、、、、、神田川 に架かる昌平橋は関東大震災のあった大正12年(1923)に、震災直前に完成した。 そのため、昭和 5年(1930)に修復工事が行われた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・交差点の頭上には総武線の松住町架道橋が架かる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・また昌平橋からは、神田川の川幅いっぱいに大股を広げた総武線神田川橋梁が見える。 お股の奥には丸ノ内線神田川橋梁聖橋(工事中)が見える。
 
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●am8:25・・・・・・・・・・・・昌平坂を上る。、、、、、、別名「相生坂」とも言う、湯島聖堂前の昌平坂を上り丸ノ内線お茶の水駅に出る。、、、、、急な坂ではないがダラダラ上る坂は、手術で肺活量が小さくなった私にはキツイ!ゼイゼイ・ハアハア、美人を見るとドキドキ・ビクビク。
 
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●am8:40・・・・・・・・・・・・引き続き、お茶の水坂を下る。、、、、、、お茶の水と水道橋の間で、神田川の北側(文京区、外堀通り)にある坂。、、、、、、今日の外堀通りは行きかう車も少なく、神田川沿いの緑を眺め歩くのは、気分爽快。
 
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・・・・・・・・・・・・・坂を下ると水道橋交差点に出る。 右に後楽園遊園地、左に水道橋駅
 
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●am9:00・・・・・・・・・・・・飯田橋交差点を通過。、、、、ここからは、地下鉄東西線のルート沿いに歩く。
 
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●am9:20・・・・・・・・・・・・神楽坂駅を通過。、、、、飯田橋からは、熊谷組本社牛込消防署を通り、裏道を歩いて坂上(新宿区矢来町)にでる。
 
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●am9:40・・・・・・・・・・・・早稲田町の龍善寺を通過。、、、、早稲田通りに面してたつズングリ・ムックリの寺院が、真宗大谷派の龍善寺。 寛永15年(1638)千駄ヶ谷に天台宗寺院として創建し、その後、寛文7年(1667)早稲田に移転した。、、、、なんだか、チベットの寺院を模したような建物で好きになれないね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・道路を挟み龍善寺の隣、小さな祠に落馬地蔵が祀られている。 寛永3年(1626)、三代将軍徳川家光が鷹狩をしに高田馬場へ向かう途中、ここで急に馬がいななき、立ち上がったため落馬した。 馬の名手だった家光が落馬するには、何かあったのだろうと、村人が調べると、近くを流れる川の橋の下から1体の地蔵菩薩の石像が現れた。 そのことを、家光に報告すると「尊いお地蔵様を粗末にしたからだ」と家光は「落馬地蔵」と名付けお堂を作ってお祀りするように命じた。、、、、家光が命じたわりには、粗末な祠に祀られているね。 隣の龍善寺に堂を寄進してもらうといいね。
 
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●am9:50・・・・・・・・・・・・早稲田駅を通過し、穴八幡宮鳥居前から東西線にサヨナラして、諏訪通りに入る。
 
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●am10:10・・・・・・・・・・・・穴八幡から諏訪通りに入ると、これまた嫌いなダラダラの上り坂。 早稲田大学、戸山公園の前をとおり、長い煉瓦塀が伸びる学習院女子大前に出る。 坂道は終わり諏訪神社前を抜けると、前方に山手線のガードが見えた。
 
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●am10:20・・・・・・・・・・・・諏訪通りの先で西武新宿線・埼京線・山手線の上下6線が走るガードをくぐり山手線の外に出る。、、、、これで、秋葉原から高田馬場まで山手線を横断したしたことになる。 御苦労!
 
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●am10:30・・・・・・・・・・・・百人町の都営アパートを内を突き抜ける。 ここを抜けると神田川に出て、川沿いに歩けば東中野駅。
 
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●am10:50・・・・・・・・・・・・東中野駅へ到着。 今日の散歩はここまでとする。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・今日のルートの総延長は9.6km程、歩数は1万6千歩。、、、ア~ア、疲れた!
 

2017年4月24日 (月)

南台

地下鉄丸ノ内線の終点方南町駅(杉並区)から、中野区の南端の町「南台」をぶらつき、隣の渋谷区本町5丁目まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
方南町駅 ・・・・・・・・・・・丸ノ内線分岐線の終点は「方南町(ほうなんちょう)駅」。 駅のある杉並区の町名は「方南(ほうなん)」。、、、、駅周辺の一帯は和田村と称し、字(あざ)として“方南”、“向方南”などが見られた。 地名“方南”の由来は不明であるが、昭和7年(1932)の杉並区発足時には、字方南と周辺の字を併せて「方南町」となった。 この町名も昭和41年(1966)に実施された住居表示では、“町”をはずして「方南」となる。、、、、“ほうなんですか?” “ほうなんです。”
 
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・・・・・・・・・・・・駅前の有名な立ち食いそば屋のある東口から地上に出た。 アーケード下の薄暗い出入口である。
 
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②南台・・・・・・・・・・方南町駅を出て東に100mも歩けば、そこは中野区南台の町。 「南台(みなみだい)」とは、中野区の南の台地の意である。 昭和42年(1967)の住居表示変更以前は、“前原”、“多田”、“雑色”などの、由緒ある地名であったが、古きを捨て、新しき陳腐なネーミングを採用した。
 
・・・・・・・・・・・・南台5丁目、小高い丘の上に2棟46戸程の集合住宅:東京都住宅供給公社雑色住宅が建っている。 昭和37年(1962)頃(?)の建築。、、、、名前の“雑色”はかつての地名である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・南台5丁目を流れる神田川 に、昭和34年(1959)に架けられた向田橋。、、、、向田橋は中野区に架かる最上流の橋。 “向田”も付近の旧地名である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・南台3丁目の多田神社。 神社は、寛治6年(1092)源義家が大宮八幡宮(杉並区大宮2丁目)に参詣のおり、当地に先祖多田満仲(=源満仲。 平安中期の武将。 多田源氏の祖)を奉祀したことに始まるそうだ。、、、、、神社のある地は、かつて“雑色”と呼ばれ、多田神社は雑色の鎮守として現在もあがめられている。 ちなみに、“雑色”とは、皇室の文書や道具類を納める倉を管理したり、皇室行事の実施を担当する役所で働いていた人々のことである。 現在の宮内庁職員。
 
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・・・・・・・・・・・・・・南台3の南台小学校は、旧多田小学校と旧新山小学校が、今年4月に統合して誕生した学校である。 校舎は旧多田小学校を使用。、、、、、ここでも、歴史ある“多田”、“新山”の旧地名が消える!
 
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・・・・・・・・・・・・・・中野通りを挟み南台3丁目から300m程伸びる南台商店街。 大きな店舗はないが、東京オリンピックの年(1964)からスタートした元気そうな商店街。、、、、そろそろ、店を開ける時間だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・中野通りに面し南台2丁目にある、昭和44年(1969)に建てられた都営南台2丁目アパート。 外壁にタイルで書かれたアパート名が時代を思わせる。 管理戸数は1棟56戸。、、、、、今日は、チョイト、中に入れてもらった。、、、、、7階から見る新宿。 見晴らしは抜群、新宿の超高層が一望できる!
 
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・・・・・・・・・・・・・南台1丁目にある国立校:東京大学教育学部附属中等教育学校。 前身は昭和23年(1948)に発足した東大附属学校。 平成12年(2000)から、中・高一貫教育の中等教育学に変わった。、、、、ここには、ソーセージ枠なるものがある。、、、、ソーセージ(双生児)枠とは、中等教育における双生児研究を実践するため、毎年1組~10組程度の双生児が入学している。 1学年定数120名(男子60名、女子60名)のうち男女それぞれ20名以内が双生児枠。、、、、、ぜひ、天才双生児を育成し、ザ・ピーナッツを復活して欲しいね。
 
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③幡ヶ谷氷川神社・・・・・・・・・・・・南台から隣の渋谷区本町に入り、氷川神社にお立ち寄り。、、、、氷川神社の創建年代は不詳だが、永禄年間(1558~1570)の小田原北条家文書に記載されていることから戦国時代には創建されていたそうだ。 幡ヶ谷村の鎮守社。
 
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●・・・・・・・・・・・氷川神社の近く「本町五丁目」バス停から、渋谷区のコミュニティバスで笹塚駅に出て帰宅。、、、、バスを待つ人もなく、ゴミ箱と椅子が並ぶ、静かなバス停。
 
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2017年4月19日 (水)

高円寺~鷺ノ宮

JR中央線高円寺駅から道なりに北上し、西武新宿線都立家政駅まで行き、余裕で隣の鷺ノ宮駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①高円寺駅・・・・・・・・・・かつて、故・高円宮殿下が住んでいた町で、阿波踊り発祥の地として高円寺 は全国に知られている。 町の中心:高円寺駅北側には、いじらしくいとおしい女子高生が多く、「純情商店街」と言われている。 (以上、嘘八百!)、、、、大正11年(1922)7月15日、国鉄の駅として開業した。(これホント)
 
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②高円寺純情商店街・・・・・・・・・・・・・・戦前から北口で栄えた旧「高円寺銀座商店街」。 駅前に広がる約200店舗で構成される商店街である。、、、、、現在はねじめ正一の小説のタイトルから「高円寺純情商店街」の愛称で親しまれている。、、、、、通勤時間帯は駅に向かう人がゾロゾロ・セカセカ。
 
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③高円寺庚申通り商店街・・・・・・・・・・・純情商店街に続く一本道の商店街。 商店街中程には庚申塔が残っている、歴史のある商店街。
 
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・・・・・・・・・・・・・・杉並区と中野区の境となる早稲田通りに商店街の北の端がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・商店街中程の庚申塔。 庚申塔は正徳6年(1716)高円寺村の講中10人が、悪病退散、村民安全祈願のため建立した。 庚申塔は、昭和 20年(1945)の東京大空襲で戦火をかぶり一部破損したが、昭和37年(1962)に現状の如く修復された。、、、、なにやら秋の味覚を連想させる立派な庚申塔、負けた!
 
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④荒牧医院・・・・・・・・・・・・高円寺庚申通り商店街を通り抜けると、早稲田通りの向かいに、薄水色の下見板張り2階建てのかわいらしい建物が見える。、、、、大正末期に現在地で内科・外科・小児科・皮膚科の診療を開始した医院で、現在は子孫が受け継ぎ開業している。、、、、、建物は、耳鼻咽喉科と皮膚科の2棟ある。 耳鼻咽喉科の建物は開業時の建物で100年近く経過している。 その脇に早稲田通りに面して、皮膚科の建物が建っている、こちらは戦後の建物。
 
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⑤天平・・・・・・・・・・中野区大和町3、昭和の匂いプンプンの民生食堂「天平」。 「民生食堂」とは、戦前の「外食券食堂」がルーツで、昭和16年(1941)に米の配給制開始に伴い、食堂が完全登録制となり、「米穀通帳」を役所に提示し「外食券」を発行して貰い、その券で食事する食堂を「外食券食堂」と呼んだ。 戦後になると、闇ゴメなどが出回り食糧事情も変わり、外食券不要で雑炊だけを提供する「雑炊食堂」が現れた。 昭和26年(1951)には外食券制度がついに廃止となり、それまでの「外食券食堂」が、都指定の「民生食堂」へと変わったそうだ。 「民生食堂」は、都の補助もあり安価に食事ができる「大衆食堂」である。、、、、店は11時から営業とのこと。
 
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⑥川北橋・・・・・・・・・・・中野区大和町と中野区若宮を結び、妙正寺川に昭和42年(1967)に架けられた橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・橋の北詰にある更生教会(中野区若宮2)のモミの木は、昭和64年(1989)の暮、「銀座ミキモト」のクリスマスツリーとして店頭を飾ったものである。 大きく立派に育ち、今は教会のツリーとして毎年点灯されているそうだ。
 
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⑦庚申大神・・・・・・・・・・・若宮2丁目の庚申塔。 「享保十乙巳年十月吉日」(1725)と彫られている。
 
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⑧都立鷺宮高等学校・・・・・・・・・・若宮3にある都立鷺宮高等学校の前身は、東京府立高等家政女学校で、最寄り駅である西武新宿線都立家政駅から徒歩3分の距離。 西武新宿線鷺ノ宮駅~野方駅間は1km弱の短い距離であるが、その途中に都立家政駅が設けられた。 校名を冠した駅である。、、、、、学校は明治45年(1912)7月4日に豊多摩郡立農業学校の附設実業女学校として創立。 大正15年(1926)に東京府立中野家政女学校と改称し、昭和4年(1929)に東京府立高等家政女学校と改称した。 昭和13年(1938)4月1日、中野区桃園町から現在地に移転した。 都立家政駅が開業したのは、移転の前年昭和12年(1937)12月25日で、学校の移転を先取りしての開業であった。、、、、、ということで、鷺宮高等学校は駅名の謂れとなった学校。 また、校名が変わっても、古い駅名を存続させている西武鉄道もあっぱれ・かっぽれ! 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・こちらは、都立家政駅。 念のため、開業時は“府立家政駅”と称した。
 
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・・・・・・・・・・・・・漫画家「ちばてつや」が考案した、都立家政のマスコット・キャラクター「かせいチャン」。 そのブロンズが都立家政駅の隣の信用金庫前にある。、、、、かわいいね。
 
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鷺ノ宮駅・・・・・・・・・・・都立家政駅からチョイト足をのばして、隣の鷺ノ宮駅まで歩いた。、、、、昭和2年(1927)4月16日に開業した、単式ホーム1面1線(上り)と島式ホーム1面2線(下り)を併せ持つ地上駅。 
 
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2017年4月 4日 (火)

江古田~沼袋

千葉鉄道聯隊で活躍していた「E18機関車」が見たくなり西武池袋線の江古田駅から、西武新宿線の沼袋駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
江古田駅 ・・・・・・・・・大正11年(1922)11月1日、“1”並びの日に開業した駅。 旧制武蔵高等学校(現:武蔵大学)の設立に合わせて「武蔵高等学校用仮停留所」として開業し、翌年、駅名を「江古田」に改称し本営業を開始した。、、、、、駅名は「えこた」と読む、地名としては「えごた」の読みが正解である。 ただし、駅が所在する練馬区には“江古田”はなく、隣の中野区に地名が残っている。 ついでに、大江戸線の「新江古田」駅(練馬区・中野区の区境にある)では“しんえごた”と称している。
 
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●・・・・・・・・・・・『江古田まで来たので武蔵大キャンパスでも覗いてみるか。』と思い、武蔵野稲荷神社の境内を抜けて大学前の通りに出たら、『ナンジャ・コリャ!』学生がゾロゾロ、『ソ~~カ、越谷の手前だ! 新入生のオリエンテーションだ!』 今日は立ち寄るのを諦めた。
 
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②鉄道聯隊E18機関車・・・・・・・・・・・練馬区豊玉北1丁目の「エリエイ」という鉄道関連図書出版社に置かれている。、、、、、この機関車は、鉄道聯隊で使われた機関車で、大正10年(1921)にドイツ・オーレンシュタイン&コッペル社にて製造された。 軌間600ミリのE型タンク機関車である。、、、、このE型タンク機関車は、小回りの利く機関車として、軽便鉄道・森林鉄道、工場構内などで多く使用された。 大正10年(1921)、陸軍はこのE型機関車を25両発注し、「E1」~「E25」機関車とした。 昭和20年(1945)までは、千葉の鉄道第一聯隊または津田沼の鉄道第二聯隊の演習線で活躍した。 戦後、聯隊はなくなり、E18は砂利運搬用に西武鉄道に引きとられた。 数年間使用された後は、西武鉄道関連の工場・倉庫に放置され、ボロボロの状態となった。 平成5年(1993)、こちらの会社に移され、大井川鉄道新金谷工場で外観の修復が行われた。 平成24年(2012)から、現在の状態で保存されている。、、、、ボロボロの身体となったE18の再活躍は難しいと思うが、玄関前に大切に保存してもらい、延命しているようだ。
 
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③江古田の森公園・・・・・・・・・・・・・中野区江古田にある中野区立の公園である。 樹木や芝生の広場などがある広い公園は、住民の憩いの場であるようだ。 敷地は、大正8年(1911)にできた国立療養所中野病院があったところで、主に結核患者の養生所であった。 その病院も平成4年(1993)に新宿区の国立国際医療センターへ移転した。 跡地は中野区により公園として整備された。 公園に隣接し、「江古田の森」という老人ホーム、東京警察病院看護学校、総合東京病院など、医療・介護関連施設が集まっている。
 
・・・・・・・・・・・・・・公園は春、、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・・・公園の中央に福祉センター:「江古田の森」がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・道路を挟み向かいの東京警察病院看護学校は、本日が親子揃っての入学式。、、、、いずれ私が病院で世話になる娘がいるかもね?
 
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・・・・・・・・・・・・・・・こちらは総合東京病院、デカい病院だ!、、、、、病院の診察券を蒐集するのが趣味の私も、ここの診察券は持ってないね! 
 
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④カトリック徳田教会・・・・・・・・・・総合東京病院(中野区)とは江古田川を挟み練馬区側の豊玉中1丁目にカトリック徳田教会(とくでんきょうかい)がある。、、、、、こちらの教会は、明治42年(1909)にパリ外国宣教会から日本に派遣されたヨゼフ・フロジャック神父の歩みと共に活動してきた。 神父は、昭和初期、中野区江古田にあった結核療養所の入院患者が、退院を強いられ行き場を失っていたのを見て、一軒の家を借りて収容された。 その後、この家の周りに、患者を支える社会福祉法人慈生会、ベタニア修道女会、徳田教会などがつくられていった。 昭和28年(1953)には、神父の尽力により、現在の聖堂・司祭館が造られた。 その後、神父は昭和34年(1959)に他界した。、、、、、「徳田」(とくでん)は豊玉にあった旧地名である。
 
・・・・・・・・・・・・・・・正面から拝見、中世の教会のような後ろ姿も拝見。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・鐘楼に向かい左側が聖堂、右側は司祭館。
 
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・・・・・・・・・・・・・・聖堂の内部も拝見!
 
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⑤沼袋駅・・・・・・・・・・・西武新宿線の沼袋駅(ぬまぶくろえき)から帰宅する。、、、、、沼袋駅は隣の新井薬師駅とともに地下化工事が進められている。 工事はまだまだこれから、只今はヤードの整備中、完成まではあと数年はかかる?
 
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2017年3月 4日 (土)

中野新橋~新宿

地下鉄丸ノ内線中野新橋駅からJR新宿駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
①中野新橋駅・・・・・・・・・・・昭和36年(1961)2月8日に、営団地下鉄荻窪線の開通に伴い、途中駅として開業。 相対式ホーム2面2線を有する地下駅。、、、、駅名は近くを流れる神田川に架かる橋の旧名称「新橋」に由来する。 駅名として、そのまま採用すると、銀座線・JRの新橋駅(港区)と同じになり混乱するため、“中野”を冠して「中野新橋」とした。、、、、、一日の平均乗降人員は2万人弱で、東京メトロ全130駅中124位とワーストテンにランクインする駅。 その駅が、新しく建て替えられモダンな駅舎に生まれ変わった。 綺麗な駅舎となり、町のイメージアップにつながるといいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・工事中の頃(平成26年2月)の駅舎
 
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②中野新橋・・・・・・・・・花街の風情を今に伝える赤く塗られた欄干の橋。 この橋はかつて「新橋」と称し、この付近は関東大震災後に発展した花街であった。 しかし、昭和50年代の賑わいをピークに、小唄・三味線の音は聞こえなくなり、花街は消えた。、、、、、平成23年(2011)の神田川改修工事により橋も新しくなり、橋名は駅名と同じ「中野新橋」に改名した。、、、、、橋の際には、昭和36年(1961)に架け替えられた「新橋」の擬宝珠が残されている。 どうせなら、若い芸者を残して欲しかったね!
 
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③本郷氷川神社・・・・・・・・・・・中野区本町4丁目にある、素盞鳴尊命を祭神とする氷川神社。  ここの氷川神社は、文明元年(1469)、太田道潅が江戸城築城の際に鎮護のため大宮氷川神社より勸請し創建したそうだ。 旧本郷村の鎮守さま。、、、、、昭和20年(1945)戦災により社殿が焼失、現在の社殿は昭和30年(1955)の再建である。、、、、、境内に「東京五輪記念碑」があった、なぜここに? 意味不明? どうでもいいか!
 
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④福寿院・・・・・・・・・・・・中野区本町3丁目、眺めの良い台地に新義真言宗の寺、福寿院がある。 本尊は弘法大師の作と伝えられている薬師如来坐像。 大師が諸国巡錫中久しく当院に泊り、自作の薬師如来像を当院に置いて行ったそうだ。、、、、元応元年(1319)の創建。、、、、本堂は昭和51年(1976)に建てられた。 広く明るい境内であるが、華やかさに欠け、もう少し庭木を増やすなどして彩を添えたらいいね、チョイト残念だ。
 
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⑤象小屋の跡・・・・・・・・・・・中野区本町2丁目の中央を東西に横切る裏通りの朝日が丘公園に、「象小屋(象廐=きさや)の跡」と記した案内板があった。、、、、江戸時代、象はまだ珍しい動物であった頃の出来事。 ここ中野に来た象は、享保13年(1728)中国人貿易商鄭大威が将軍吉宗に献上するためベトナムから連れて来たもので、将軍吉宗が上覧したあと、暫らくは浜御殿で飼われていた。 その後、中野村の源助に下げ渡され、源助は成願寺に近いこの辺りに象小屋を建てて飼育を続けたが、寛保2年(1742)病死した。 皮と象牙は将軍家に献上されたが、象牙は源助に、皮は成願寺に下げ渡されました。 この牙は宝仙寺(現:中野区中央2)に保存され、戦災に遭ったが一部は今も残っている。、、、、と、言うことで、ここに小屋があったとサ! 
 
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⑥成願寺・・・・・・・・・・・・本町2丁目、山手通りに面し竜宮城のような大きな山門がある。 ここが、曹洞宗の成願寺である。 永享10年(1438)小田原最乗寺で教えを受けた中野長者の鈴木九郎が出家して、西新宿の十二社(現:西新宿熊野神社)の敷地内に創建した。 中世には正観寺と称していたが、江戸時代初期に長者屋敷跡(当地)へ移転し、成願寺と改称した。、、、、、山門をくぐると、菜々緒の乙姫が出迎えてくれると嬉しいのだが! 期待過剰!
 
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・・・・・・・・・・・・・・本堂横に、百体観音堂がある。、、、、百体観音とは西国33ヶ所、坂東33ヶ所、秩父34ヶ所を合わせた100霊場の本尊をいうそうだ。 百観音の信仰は江戸初期より盛んになったが、一般庶民が諸国の霊場を自由に旅することは極めて難しく、殆ど不可能であった。 そこで百体の観音像を一か所に安置し、そこへ参ると100霊場を巡礼するのと同じ功徳が得られるとされた。、、、、、観音と縁の深いこの寺には、江戸中期より百体観音があったが、先の大戦で空爆により焼き尽くされてしまった。 現在の百体観音は昭和50年(1975)に再建された。、、、、、堂内には、正面中央大きな観世音菩薩をに配し、左右に小さな諸国の観音を祀っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・墓地の中ほどに、蓮池藩52,600石の鍋島家墓所がある。 蓮池藩(佐賀市東部)は鍋島勝茂の4男直澄が、蓮池に分封されたのを藩祖とする。2世直之の子千熊を寛文9年(1669)に葬ったことに始まる。、、、、鍋島の歴史を知らず、墓石の文字は読めず、どの墓が、誰の墓か、判らん! 不勉強で失礼!
 
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⑦西新宿を抜け新宿駅へ・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・遠く新宿の超高層ビルが見える
 
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・・・・・・・・・・・・・このあたりは、かつての十二社。 以前は料亭かな?
 
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・・・・・・・・・・・・・ビルの谷間から都庁が見えた。 駅は近いぞ!
 
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・・・・・・・・・・・・・10年前までは仕事で通ったビルも見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・新宿駅到着。 
 
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2016年11月14日 (月)

小竹向原~落合南長崎

地下鉄有楽町線に乗り、『さて、どこで降りようか?』。 今だ、下車したことがない「小竹向原(こたけむかいはら)」で下車してみた。 いつものように、裏道を気ままに歩き、江古田をとおり、都営大江戸線「落合南長崎」駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。
 
 
①小竹向原駅・・・・・・・・・・・都心から、和光市、森林公園方面に向かう有楽町線と、小手指、飯能方面に向かう西武・有楽町線の分岐駅である。 池袋駅からは3駅目で練馬区の中では、最も都心寄りの駅である。、、、、、昭和58年(1983)6月24日、有楽町線営団成増駅~池袋駅間の開通時に同時営業した。 同年10月1日には、西武有楽町線の小竹向原駅~新桜台駅間も開通した。、、、、、島式ホーム2面4線の地下駅である。 駅舎は練馬区立小竹小学校敷地の直下にあり、出入り口はせせこましい裏通りにある。 そのため、商店街、バス停などは何もない。 駅からタクシーに乗りたければ、近くの環七通りまで歩かないと乗れないね!、、、、、駅名「小竹向原」は、駅が所在する練馬区小竹町と板橋区向原を合成して命名された。
 
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②練馬区小竹町・・・・・・・・・・・町の北側は有楽町線の小竹向原駅がある、南側は西武池袋線の江古田駅がある。 両駅に挟まれ、武蔵野音大、日大芸術学部に隣接する、静かな中級住宅街。、、、、コンビニ、商店、スーパーなどはなさそうで、チョイと不便かも?
 
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江古田駅 ・・・・・・・・・・小竹町をさまよい歩き、出てきたところは日大芸術学部の前、『なんだ、ここに出るのか。 何度か来て、見て、知ってるぞ!』
 
・・・・・・・・・・・・・まずは、日大芸術学部に御挨拶。、、、、どこぞの新興の高等学校のような校舎。 もう少し芸術的な校舎にして欲しいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・続いて、江古田駅に御挨拶。
 
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・・・・・・・・・・・・・・江古田駅北口前の浅間神社。、、、、、拝殿前のケヤキは樹高:27m、幹の太さ:3.1mの大木である。 拝殿後ろには、「江古田の富士」と言われる富士塚もある。
 
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④寛政の地蔵尊・・・・・・・・・・・・中野区江原町3丁目、マンションの角にひっそりと佇むお地蔵様。 寛政年間にこの地で疫病がはやり、その祈願のために建立された。、、、、、疫病魔払いの御利益があるそうだ。 私のボケ防止は期待できないかな?
 
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⑤江原屋敷森緑地・・・・・・・・・・大江戸線新江古田駅近にある、屋敷一軒分ほどの小さな緑地。 ちょうどモミジが色づき始め綺麗だったのでパチリ!
 
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⑥末日聖徒イエス・キリスト教会・・・・・・・・・・・・目白通りを江古田から目白方面に向かうと、中野区と新宿区の区境近くで、右手奥に教会が見えた。 教会が『チョイと、兄さん見ていきな。』と呼んでいるようで、私の足は教会に向かった。、、、、、、建物を眺めていたら、二人の若くてカッコいい米国人宣教師がちょうど教会に入るところで、私にも『どうぞ』と入れてくれ、教会の説明をしてもらった。
 
・・・・・・・・・・・・・建物の外観からは、カトリック教会のような、荘厳さ、威厳、重厚感、芸術性などは感じられない、いたってシンプルで質素な建物である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・内部は、これまた質素な造りである。 カトリック教会のように、正面の十字架、周囲のステンドグラス、壁に飾られた聖徒の画/像など、何もない。
 
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・・・・・・・・・・・・・・宣教師の話で、印象的だったのは『イエス・キリストは現世に生きている』ということだった。 私は、末日聖徒イエス・キリスト教(=モルモン教)では、宣教師・信者は、互いに経験・体験を語り・聞き、キリストの教えを学び、実践することで『幸せ』を得ることだと勝手に理解した。
 
 
 
●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・教会を出て、近くの大江戸線「落合南長崎駅」から帰宅。

2016年9月 5日 (月)

方南町~高円寺

東京メトロ丸ノ内線(分岐線)の方南町駅から、JR中央線高円寺駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。
 
 
方南町駅 ・・・・・・・・・・丸ノ内線は、昭和29年(1954)に池袋~御茶ノ水間 (6.4 km)を開業し、以後、東京、西銀座、霞が関と延伸し、昭和34年(1959)には新宿まで開業した。 昭和37年(1962)には、さらに荻窪まで延伸開業した。 支線の中野坂上~中野富士見町間の開業は昭和36年(1961)である。 そして最後に中野富士見町~方南町が昭和37年(1962)3月23日に開業し、現在の丸ノ内線の全線が完成した。、、、、、方南町駅は3両編成の列車が停まる頭端式ホーム1面2線の終端駅。 現在、6両編成が停車できるようにホームの改良工事が行われ、来年より6両編成で運行される予定である。、、、、、出入口は方南町交差点に1か所、ホーム東端の方南通りに1か所、共に狭い計2ケ所だけである。
 
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②善福寺川・・・・・・・・・・・善福寺川を堀之内橋で渡り、堀ノ内1丁目から2丁目に入る。、、、、、この辺りは河岸が整備され、“五十年に一度の大雨”にも耐えられるようだ。 流れる水も澄み、水鳥なども見られた。、、、、、堀之内橋は平成22年(2010)竣工のPC桁橋。
 
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③堀之内熊野神社・・・・・・・・熊野神社は旧堀之内村の鎮守さまで、大屋津姫命・五十猛命・抓津姫命の3柱が祀られている。 文永4年(1267)に、紀州の熊野三山を勧請したのが始まり。、、、、本殿は安政4年(1857)に建造された総欅造り。 幣殿は大正12年(1923)の造営。 石の鳥居は文化5年(1808)の銘があり、200年程前の建立。
 
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・・・・・・・・・・・・・・昨日は例大祭で、神輿があった。、、、、、この神輿、大正12年9月1日、関東大震災の当日、浅草で買って、猛火の中、無事運び終えた。 以来、「火伏の神輿」と言うそうだ。、、、、、、車の無い時代、よくぞ、大混乱の中、浅草からここ堀之内まで運んだものだ、運んだ人に感服するね!
 
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④妙法寺・・・・・・・・・街路灯に『歩礼愛待 参道商店会』と標した道に出た。 はじめて歩く道だ、人通りの少ない商店街らしくない商店街を道なりに歩くと、「堀ノ内厄除け祖師」:妙法寺の正面に出た。、、、、『なんだ、妙法寺の参道か!』、いつも妙法寺へは脇道から来るので知らなかった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・妙法寺には、昨年も立ち寄っているので、今日はチョイと境内の奥を拝見するか、、、、、、、
 
・・・・・・・・・・・・・・山門(天明7年(1787)建立)をくぐり、祖師堂(文化8年(1811)建立)で手を合わせ、回廊を抜けると、奥に本堂(文政2年(1819)建立)がある。 本堂まで参拝する人は少ないようだ、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・・本堂の奥に文政11年(1828)建立の日朝堂がある。 眼病平癒、学業増進、入学祈願をお願いする堂である。、、、、、私は、学問より、すれ違う美人を見失うことのないように視力向上をお願いし、手を合わせてきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・日朝堂の脇に、 私が大好きな“佐和子”の碑があった。 『恍惚の人』のあの作家:有吉佐和子の碑である。、、、、、有吉佐和子は妙法寺のすぐ近くに住んでいた。 妙法寺をこよなく愛し、境内を通って帰宅されることも多かったといわれている。 なお、当人はキリスト教の信者であった。
 
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カトリック高円寺教会 ・・・・・・・・・・・教会は昭和3年(1928)東京で10番目の教会として、300人弱の信徒により誕生した。 当時、教会の周りは一面畑で、のんびりしたところであったそうだ。 昭和6年(1931)に地下聖堂として建てられたが、戦災で焼失し、昭和24年(1949)地下聖堂の上に現在の聖堂がたてられたそうだ。 聖堂の下(地下)にも出入り口があるのはそのためらしい。、、、、、、東日本大震災の後、改修工事が行われたが、シンプルで落ち着いた感じの素朴な教会イメージは変わっていない。
 
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⑥高円寺氷川神社・・・・・・・・・・・高円寺駅の南東100m程の位置に氷川神社はある。 創建年代は不詳であるが、鎌倉時代の創建か(?)
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内には、戦後、馬橋4丁目にあった陸軍気象部に祀られていた気象神社を当社に遷座し、祀っている。、、、、、気象庁の予報も神頼みかな?
 
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⑦高円寺駅・・・・・・・・・・・・・大正11年(1922)7月15日に国鉄の駅として開業。 
 
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2016年5月 5日 (木)

中野~西新宿

JR中野駅から、地下鉄丸ノ内線西新宿駅まで、1万歩、8kmの散歩です。



①中野駅前住宅
・・・・・・・・・・・・中野駅1番線ホーム新宿寄りに立つと、目の前に古色蒼然としたアパートが見える。 昭和26年(1951)に建てられた、鉄筋コンクリート造4階建て、7棟248戸からなる東京都住宅供給公社の団地。 建築当初は、6畳と4畳半の二間、台所、トイレ、玄関(風呂無し)という間取りで、戦後のモダン住宅として注目されたそうだ。、、、、、敷地面積約1万㎡は、再開発計画「中野2丁目再開発」の核となるのか? できれば、同潤会アパートを思い出すようなこの団地、このまま残して欲しいね。

・・・・・・・・・・・・・・・ホームから見る中野駅前住宅

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・・・・・・・・・・・・・・シブイ、案内図。

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・・・・・・・・・・・・・・外壁の汚れにも年季が入り、昭和モダンの住宅が

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・・・・・・・・・・・・・・・南側は、ベランダの一部をつぶし、増築したようだ。

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・・・・・・・・・・・・・・階段入口の周りに、チョイとばかりタイルを貼って、ワンポイント。

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・・・・・・・・・・・・・・・団地の前は駅ホーム、通勤・通学に便利な一等地。

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②C11-368
・・・・・・・・・駅に隣接する中野電車区の南側に中野紅葉山公園がある。 ここに保存されている「C11-368」機関車は、私と同い年の、昭和21年(1946)生まれ。 私より早い引退で、昭和47年(1972)に石巻線で引退した。、、、、、案内板によると、『C−11は代表的なタンク機関車で、昭和7年C−10の改良型として都市近郊や支線の旅客用に誕生しましたが、やがて貨物用・入換用にと用途をひろげ、15年間で400機近く製造されました。 C−11−368は昭和21年製作で、第4次製造に含まれる車輛です。標準型と異なり炭車上部が斜でなくなったリサイドタンクやキャブ下側の線が変更されたりしています。 ここへ来るまでは延べ113万kmを走破し昭和47年7月まで、石巻線(宮城県石巻〜女川間)で活躍していた機関車です。』 

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③三味線橋
・・・・・・・・・・・紅葉山公園から南へ200m程歩くと、小さな橋の跡が残っている。 ここに流れたいた桃園川は、数十年前に暗渠化され遊歩道となった。 遊歩道に残る三味線橋の親柱と青海波文様の欄干。 親柱には、「昭和三十五年三月成」と標されていた。、、、、いつも橋の近くで三味線の音色がしていたから、「三味線橋」となったそうだ。 浅草橋の我が家でも、昭和の末期まで、向かいの御主人が弾く三味線の音が聞えたものである。 よき時代の風情が消えていく、残念!

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④白玉稲荷神社
・・・・・・・・・・・中野区中央3-23-15に在る神社。 創建時期不明。 謂れは知らず!、、、、、中野坂上交差点に近い中野区中央2-8-24に同名の神社があり、何か曰く因縁がありそうだ!、、、、、“白玉ぜんざい”を連想させる、美味しそうな神社だ!

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⑤明徳稲荷神社
・・・・・・・・・・白玉稲荷神社から東へ250m程いった処に鎮座するお稲荷さん。 当地(かつて中野村)の名主堀江家の屋敷神として江戸時代に創建され、大正時代に堀江家から譲り受けて明徳稲荷神社となったといわれてる。

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⑥山政醤油醸造所のレンガ塀
・・・・・・・・・・・・・・中野の宝仙寺横の小さな公園にある、フランス積みのレンガ塀。 青梅街道沿いに、明治初期に創業した山政醤油醸造所のレンガ塀(明治32年(1899)建造)を移築したものである。、、、、中野の青梅街道沿い一帯は、中野の商工業の中心地として賑わっていた。 味噌・醤油・蕎麦粉が、当時の地場産業だったそうだ!

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⑦宝仙寺
・・・・・・・・・・中野区でも屈指の広い境内を持つ、真言宗豊山派の寺で、寛治年間(1087-1093)に源義家によって現在地に創建された。 堂宇は戦災で被災し、本堂、御影堂、三重塔などは戦後再建された。、、、、、付属の宝仙学園は幼稚園から短大まで備えて、教育を行っている。

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・・・・・・・・・・・・・・石臼塚、、、、、、、昔、近くの神田川には蕎麦粉を引く水車がかなりの数設置されていた。しかし機械化により水車は無くなり、蕎麦粉を引いた石臼も不要となり放置された状態になった。 それを見た宝仙寺住職が供養のため石臼を集め塚をこしらえたそうだ!、、、、、中野に、これほど多くの水車があったとは!

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・・・・・・・・・・・・・石臼塚の隣には、中野町(現:中野区)役場跡の碑がある。

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⑧中野坂上交差点に
・・・・・・・・・交差点の3角に建つ超高層ビル

・・・・・・・・・・・・・・中央1丁目には、住友中野坂上ビル。、、、、、、オフィスが主体のビルであるが、上層部(21F~24F)は都心型賃貸マンションとして居住エリアになっている。 高さ:103m(地上24階、地下2階)、平成11年(1999)竣工。

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・・・・・・・・・・・・・・本町1丁目には、ハーモニースクエア。、、、、、、オフィスビルであるハーモニータワーを中心に、住居棟であるハーモニーテラス・ハーモニーハイツといったオフィスと住居とが一体となったスタイルのビル群。 高さ:125m(地上28階、地下2階)、平成9年(1997)竣工。

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・・・・・・・・・・・・・・本町2丁目には、中野サンブライトツインビル。、、、、、、富士ゼロックスの拠点の一つであり、また債権回収や企業再生などを手がける整理回収機構本社もおかれている。 高さ:134m(地上30階)、平成8年(1996)竣工。

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⑨中本一稲荷神社
・・・・・・・・・・中野坂上から青梅街道沿いに下りてくると、淀橋の手前に朱塗りの鳥居と急な石段が見える。 15段ほど登ると、チョイトした高台に神社は祀られている。 創建年代は不明だが、300年の歴史ある神社らしい、ほんとかな~~? 社殿は昭和31年(1956)の再建。 神社の名「中本一(なかほんいち)」は、当神社のある旧地名が「中野本町通り一丁目」であった。 なんだ、つまらん!

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淀橋
・・・・・・・・・・・・中野坂上の方から来ると、この橋までが中野区、橋を渡ると新宿区。 下を流れるは神田川。 川で溺れれば、土左衛門になって我が家(浅草橋)まで自然に運んでくれる、宅急便のような便利な川だ!

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●・・・・・・・・・・・・・・・・・橋を渡れば西新宿。

2016年4月18日 (月)

阿佐ヶ谷~鷺ノ宮

JR中央線の阿佐ヶ谷駅から西武新宿線の鷺ノ宮駅まで、1万歩、7kmの散歩です。



阿佐ヶ谷駅
・・・・・・・・・・・国鉄の駅として、大正11年(1922)に開業。 2面4線の高架駅。、、、、、今日は北口から出て、北の方角に歩くことにした。

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②世尊院
・・・・・・・・・・阿佐ヶ谷駅の北250m程にある世尊院は、永享元年(1429)頃の創建と言われている。 それまで阿佐ヶ谷の地にあった宝仙寺が中野に移転し、宝仙寺の子寺であった世尊院が宝仙寺の跡地に残されたそうだ。 本尊は立派な不動明王立像らしい。、、、、現本堂は昭和10年(1935)に再建された。

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・・・・・・・・・・・・・・道路を挟み山門前に世尊院観音堂がある。 こちらには、室町時代の作と言われる木造聖観音菩薩立像が祀られている。

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阿佐ヶ谷神明宮
・・・・・・・・・・世尊院の隣に鎮座するは、建久元年(1190)頃の創建と伝える、天照大神を主祭神に祀る神明宮。、、、、、、広い境内の奥、小鳥の声が聞こえる森の中に、立派な拝殿・本殿が平成21年(2009)に造られた。

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④KU邸
・・・・・・・・・・・・阿佐谷北の住宅。 洋風の下見板張りの外壁、上げ下げ窓など、昭和初期の建物と独断で推定した。

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⑤阿佐谷北6丁目
・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・杉並区阿佐谷北5丁目から北側に走る早稲田通りを越える。

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・・・・・・・・・・・・・・阿佐谷北6丁目に入る、裏道は静かな住宅街だ。 私の住む浅草橋では得ることのできない住環境が、うらやましいね!

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・・・・・・・・・・・・・・・正面に白鷺一丁目第3アパートが見えてきた、、これより先は中野区白鷺の町になる。 このあたりが、杉並区と中野区の区界。

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⑥白鷺一丁目第3アパート
・・・・・・・・・・・妙正寺川の右岸に位置する、昭和34年(1959)から建設された都営アパートが建て替えられた。 ここには、低層の都営住宅が19棟並んで立っていたが、妙正寺川の氾濫を防止するため、都営住宅の敷地を半分ほど利用し、地下に貯水量約35,000立方メートルの貯水池、上は多目的のグランドを整備した。 残る半分に高層(12階建て、5棟)の住宅を建て、戸数約800戸(建て替え前は418戸)の規模の団地となった。 工事は平成19年(2007)から平成22年(2010)まで行われた。

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⑦第2鷺の宮アパート
・・・・・・・・・・・白鷺一丁目第3アパートの北側に、こちらも都営住宅「第2鷺の宮アパート」が建っている。 昭和39年(1964)に建設された5階建て、5棟の団地。 こちらは、4号棟、5号棟の2棟が取り壊されていた。

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・・・・・・・・・・・・・・・50年近く、このアパートで生活した人も居たであろう、思いで多い建物が壊されていく寂しさ、見てると泣けてくるね。、、、、、住んでいた人、建設した人を想うと、ほんとに、目が潤んで、ウルウル。

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⑧鷺の宮住宅
・・・・・・・・・・・・第2鷺の宮アパートの西隣には、『へ』の字型の屋根が特徴的な鷺の宮住宅のテラスハウス(境界壁を共有する複数の戸建て住宅が連続している形式の低層集合住宅)が7棟(20戸)並んでいる。 このテラスハウスは、東京文化会館などを手掛けた建築家:前川國男(1905~1986)の設計である。、、、、、、昭和33年(1958)に建てられた貴重な建築である。 建設時は公団の住宅であったが、現在は企業・民間に譲渡され、寮・住宅となっている。 そのためか、北側(玄関側)は建築時の姿を残してはいるが、南側(庭側)には部屋を増築した棟が多く、南面は雑然とした景観となっている。 チョイト残念だ!、、、、、【文科省へ】早く、文化財に指定しないと、高層マンションに変わってしまうかも? 

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⑨鷺宮八幡神社
・・・・・・・・・鷺ノ宮駅の南側の高台に、康平7年(1064=鎌倉時代)、源頼が東国征伐の後、鎌倉街道に面した当地に源氏の隆昌を祈願して創建したと伝えられている。、、、、、、この地には鷺が多く生息していたことから、鷺宮八幡、鷺宮大明神と称された。、、、、、現在の本殿・幣殿・拝殿は昭和35年(1960)に改築された。

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⑩鷺ノ宮駅
・・・・・・・・・・昭和2年(1927)に開業した西武新宿線の駅。 単式ホーム1面1線(上り)と島式ホーム1面2線(下り)を併せ持つ地上駅。 駅舎は橋上である。

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