中野区

2019年5月15日 (水)

あなたのやさしさが 恐かった

朝一の8時半に、中野の病院で眼科検診。 本日最初の患者です。 右目の炎症は完治し、『次回は一年後の来年5月に検査しましょう』と、嬉しいお言葉を頂戴して病院を出る。 心晴ればれ、天気も上々、帰りは中央線大久保駅まで歩いてきた。 1万1千歩。




●6年後に完成? ・・・・・朝8時、青空の中野駅前。 これから電車に乗る人、電車から降りてきた人、互いに入り交じり駅前は人の渦。、、、、駅前の混雑解消、利便性向上を狙い、駅西側(区役所、サンプラザ前)で南北連絡通路新設、中野駅西口改札新設、5階建ての駅ビル建設などの工事が始まっている。 完成は令和7年.(2026)らしい。 この間の、令和4年頃、中野区役所(写真:中央)が現在地の北側に新築移転し、令和5年頃に中野サンプラザ(写真:右端)は解体されるそうだ。

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●東中野方面に向かいスタコラサ! ・・・・・・・診察を終え、早稲田通りを東へ歩く。 中野駅前付近では、飲み屋街の細い裏通り、新井薬師への参道など、歩いてみたい道もあるが、今日は無視。 しばらく早稲田通りを歩き、途中から住宅街の裏道を歩くと、打越天神北野神社にでた。

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・・・・・・・・・・・・・・打越天神北野神社は、中野区中野5丁目にある北野神社。 神社の創建年代は不詳。 「打越」とは、昭和初期までのこの辺りの一帯で呼ばれていた地名。 また、現在の中野5丁目の東側は昭和41年(1966)まで、この神社を由来として天神町と呼ばれていたそうだ。、、、、境内は盆踊りできる広さがあるが、樹木は少なく、社殿・神輿庫の他はなにもない境内で、チョイト味気ない!

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・・・・・・・・・・・・・・東中野3丁目で明大付属中野中・高等学校前に出た。 学校前の中央線に架かる跨線橋から、嬉しそうに電車を眺める。、、、、私も70歳を過ぎ、電車・線路を見ると撮りたくなる、鉄オタの変な親爺になってしまった!

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●都会の美しい煙突! ・・・・・・・・・・東中野駅前を通る山手通り、その地下には首都高中央環状線の山手トンネルが走っている。 山手トンネルは渋谷・新宿・池袋を結ぶ11kmの路線であり、周辺環境への配慮からトンネル構造が採用された。 そのため、沿線に7箇所の地下換気所と高さ45mの換気塔を14本が、山手通りの中央分離帯に建設された。 東中野2丁目では、その内の2本の換気塔を見ることができる。 塔は、「圧迫感の低減」「周辺景観との調和」「時の移り変わりに配慮」されたデザインが採用された。 一辺が3mの六角形平面で出隅部に面違いを設け、さらに外壁面には斜めリブを設け、光と影の変化を与えた、高さ45mの塔である。 この塔は、2008年度グッドデザイン賞を受賞。、、、、都会にあって、その景観と調和したデザインで、私も大いに気に入っている塔である。

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●中野の鎮守さま
・・・・・東中野1丁目に中野氷川神社がある。 当社は、長元3年(1030)源頼信が平忠常討伐の際に武蔵国一宮・大宮氷川神社より勧請し祠を建立したことに始まる。 文明9年(1477)には、太田道灌が豊島泰経・泰明兄弟討伐の際に当社で戦勝祈願し、凱旋後社殿を造営した。 旧中野村の総鎮守社である。、、、、現社殿は、鉄筋コンクリート造/権現造りで、50年前の昭和44年(1969)に総工費5000万円で竣工した。、、、、境内には歴史を語る、安政6年(1859)の敷石供養塔をはじめ、力石、鍋屋勘右衛門寄進の石鳥居などが、木立のなかに点在している。

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●やさしさが恐かった ・・・・・・・・・・・・・中野氷川神社の前から、大久保通りを東に進むと神田川にかかる「末広橋」がある。 橋の際にある遊歩道横の公園の植え込みの中に、1970年代の名曲:かぐや姫の「神田川」(作詞:喜多條忠、作曲:南こうせつ)の歌詞碑がある。、、、、「昭和」の匂い漂う唄。 唄われた「二人で行った横丁の風呂屋」は、この末広橋からもう少し下流の西早稲田3丁目にあったそうだ。 「三畳一間の小さな下宿」は何処だ!、、、、「若かったあの頃 何も恐くなかった ただあなたのやさしさが 恐かった」、いい文句だ! 私も、女房に一度言ってみたいね!

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●韓国の大久保駅 ・・・・・・・・・・・・明治28年(1895)5月5日、甲武鉄道の駅として開業。 島式ホーム1面2線の高架駅で、出入口は南口と北口の2カ所ある。、、、、大久保は日本の中の韓国で、駅周辺には韓国料理店が多い。 タイ料理屋、アジア系料理店も多いね! あっ、ラーメン屋も多いね!

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2019年4月15日 (月)

十三仏の寺

西武新宿線鷺ノ宮駅で下車し、中野区白鷺1丁目の町を重点に歩いてきた。 帰りは高円寺駅から帰宅。 1万歩。




●見つめ合えないホーム ・・・・・・鷺ノ宮駅(さぎのみやえき)は、昭和2年(1927)4月16日に西武村山線(現:西武新宿線)高田馬場~東村山間の開業と同時にできた駅。 ホームは地上で、上りが片面ホーム、下りが島式ホームの変則2面3線構造である。 改札口は1ヶ所で橋上駅舎内にある。、、、、、この駅では、上り線が外側にあるため、乗客の多くは下り線ホームに背を向けている。 互いのホームで見つめ合い、恋が芽生えることもなさそうだ!

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・・・・・・・・・・・・・・・駅の脇の踏切りは、いつまでも開かず、ストレス溜まる、イライラ!、、、、、誰が、遮断機を切断するのか、チョイト興味津々!

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●交通安全を願う地蔵尊 ・・・・・・・鷺ノ宮駅の踏切脇(中杉通りに面し)、小さな堂があり中には交通安全厄除地蔵尊が祀られている。 この地蔵尊は、日本で最初の交通の地蔵尊で昭和12年(1937)に建立されたそうだ。、、、、、地蔵尊の脇には、数体の石仏と庚申塔などが建っている。これらは近くに流れる妙正寺川を改修した時に近隣から集められたそうだ。、、、、、一般歩行者向け標語 「危ないよ スマホじゃなくて 周り見て」、助平親爺向け標語 「危ないよ 若い娘じゃなくて 周り見て」

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・地蔵堂の奥に妙正寺川改修記念塔がある。 かつては、のどかな小川だった妙正寺川は鉄道の開通により、市街地化による氾濫・沿岸住民の浸水被害などが甚大となった。 改修工事を待ち望んでいた沿岸住民の願いが達成された、昭和43年(1968)の工事完工を記念してここに塔が建てられた。、、、、、前時代的なデザインの記念塔だ!

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●いろいろな石仏が居ます! ・・・・・・鷺ノ宮駅の南側小高い処に、真言宗豊山派寺院の福蔵院がある。 白鷺山正幡寺と号す。 本尊は不動明王の坐像。福蔵院は、僧頼珍が大永元年(1521)に創建したと言われてる。 江戸時代には、隣接する鷺宮八幡神社の別当寺を務めていた。、、、、、大寺院ではないが境内は広く緑も多く、気持ちの和らぐ寺である。、、、、、地名の「白鷺(しらさぎ)」は鷺宮八幡神社とは関係なく、当福蔵院の山号「白鷺山(はくろさん)」から来ている。 昭和7年(1932)住居表示変更の時、住民等は〝南鷺宮〟など〝鷺〟か〝宮〟かの字を残したいと考えていたところ、偶然福蔵院の山号に気づいた者がいて「しらさぎ」と読み替えて採用したそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・・・山門の脇に十三仏が並んでいる。、、、、、案内板の説明によると、、、これは、不動明王(初七日)、釈迦如来(二七日)、文殊菩薩(三七日)、普賢菩薩(四七日)、地蔵菩薩(五七日)、弥勒菩薩(六七日)、薬師如来(七七日)、観世音菩薩(百箇日)、勢至菩薩(一周忌)、阿弥陀如来(三回忌)、阿閦如来(七回忌)、大日如来(十三回忌)、虚空蔵菩薩(三十三回忌)のことである。 この13の仏菩薩は、死後の忌日を司るもので、冥界で生前の審判を受ける死者の救済を願って祀られた。 このように自他の供養が纏めて修められることから、室町時代以降、民間で広く信仰された。 銘によれば8体は、寛文6年(1666)の大日如来像を最古として、貞享2年(1685)の普賢菩薩像に至る19年間に造立された。残る5体は破損したものと見られ、現存するものは100余年後の寛政8年(1796)に真言講中の27人によって再建されたものだ、このように13体揃った石像は都内でも珍しく、他の石仏と同様、江戸時代後期の日常生活に深く根付いていた庶民信仰の現れといえる。、、、、、私も手を合わせてきた。 

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・・・・・・・・・・・・・・・福蔵院本堂の裏側にも参道らしき道がある。 その途中、崖地に穴を掘られた石室があり、2体の不動尊が安置されている。 「垢離不動尊」と書かれている。 垢離は“こり”と読み、“水ごり”の“こり”で、神仏に祈願する前に海水や冷水を浴びて心身の穢れを落とし清めること。、、、、、チョイト赤く塗られたお不動さん。 剣を持つ右手が重く、肩こりか?

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・・・・・・・・・・・・・・・福蔵院山門の向かいの側に小堂がある、ここには「こぶとり地蔵」が祀られている。 最近は瘤(こぶ)のある人を見る機会は減ったようだが、私の幼い頃(終後)には顔に瘤のある人が結構いたように記憶している。 昔は衛生観念も悪く、いい薬もない、医療も進んでいないなどで、いろんな病気に罹っても、治す機会も少なく、そのままにして瘤となってしまったようだ。 そんな時代に、最高の治療は神頼みだった。 各地に残る「瘤取り地蔵」の一つ。、、、、、現在の「こぶとり地蔵」は「小太り地蔵」と書いて、「ライザップ」と読むのかも? 菊池亜美の進化を見たら、効果あり! 森永卓郎の失敗見たら、ヤッパリね!

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●本当に、鷺はいたのか? ・・・・・・福蔵院(旧別当寺)西隣に鷺宮八幡神社がある。 康平7年(1064=鎌倉時代)、源頼が東国征伐の後、鎌倉街道に面した当地に源氏の隆昌を祈願して創建したと伝えられている。 この地には鷺が多く生息していたことから、鷺宮八幡、鷺宮大明神と称された。 現在の本殿・幣殿・拝殿は昭和35年(1960)に改築。、、、、、この付近は老樹林の鬱蒼とした森で、神社はその中に鎮座していたそうだ。 昔は電車も走っておらず、この辺りはド田舎だったと思われる。

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●重文に指定したいね! ・・・・・鷺宮八幡神社から南へ500m程歩くと、屋根が“へ”の字型になっている2階建て集合住宅が並ぶ、「鷺の宮住宅」がある。 ここの建物は、「テラスハウス」(境界壁を共有する複数の戸建て住宅が連続している形式の低層集合住宅)と呼ばれ、7棟(20戸)が並んでいる。 このテラスハウスは、東京文化会館などを手掛けた建築家:前川國男(1905~1986)の設計で、昭和33年(1958)に建てられた貴重な建築だ。 建設時は公団の住宅であったが、現在は企業・民間に譲渡され、寮・住宅となっている。 そのため、北側(玄関側)は建築時の姿を残してはいるが、南側(庭側)には部屋を増築した棟が多く、南面は雑然とした景観となっている。 チョイト残念だ!、、、、、テラスハウスとして有名だった杉並区成田東の公団阿佐ヶ谷住宅の350戸は数年前に取り壊されので、現存するここ「鷺の宮住宅」はより貴重なものとなった。 私が文科大臣なら、取り壊されないうちに、重要文化財に指定するのだが、ますます残念!

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●シンデレラ親爺 ・・・・・白鷺の町を歩きすぎた! 帰宅時間が近づき、シンデレラ親爺は、急ぎ足でハアハア息切らし、食欲旺盛でペコペコ腹空かし、高円寺駅に向かう!

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2019年4月12日 (金)

暴れん坊将軍の御膳所

3月19日に「雅万歩」を作成・掲載・管理する、ブログ作成ツール「ココログ」(ニフティー提供)が更新されました。 以来、「ココログ」に大量のトラブルが発生し、提供元では今だソフトの修正が完了しておりません。 「雅万歩」も投稿しにくい状態が続いております。 これまでと同じような表示に戻るまでには、まだ相当の時間を要すると思います。、、、、、しばらく、我慢してください。

今日の散歩は、西武池袋線桜台駅で下車し、練馬区豊玉北をぶらついて、中野区江古田3丁目まで歩いてきた。 1万歩。




●桜並木が地名になった ・・・・・・70余年の東京暮らしで私がこれまで一度も下車したことのない駅が桜台駅である。 今日は駅名の“桜”に魅せられ、下車して見た。、、、、、桜台駅は、昭和11年(1936)7月10日1936に武蔵野鉄道武蔵野線の駅として開業。 昭和20年(1945)に戦時中につき営業を休止する。 昭和23年(1948)4月1日営業再開。 現在は、島式ホーム1面2線を有する高架駅。 駅は住宅街の中に無理矢理・強引に造ったような駅で、駅前広場はなく、広い道路に面しているわけでもない。 “表通りから裏道に入ると駅がある”、そんな感じだ!、、、、、昭和9年(1934)に昭和天皇誕生記念で石神井川沿いに桜が植えられ、大正4年(1915)に大正天皇即位の御大礼記念に千川上水堤に桜が植えられ、駅周辺に桜並木があることと、石神井川南岸の台地であることから、「桜台」の駅名が創られたそうだ。 

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・・・・・・・・・・・・・・・駅から50m程で「千川通り」(江戸川橋~目白~保谷~清瀬市)に出る、通りには「桜の碑」がある。、、、、、この付近の千川通りの脇に、かつて千川上水が流れていた。 千川上水は、元禄9年(1696)江戸下町方面の飲み水として玉川上水より分水された上水道。 開通から10年後の宝永4年(1707)には近隣20ヶ村の願いで、灌漑用水として利用することが許され、用水の管理は工事を完成させた功により代々千川家に任されたそうだ。 千川上水沿いには桜が植えられ並木となる。、、、、、これが駅名「桜台」の謂れとなり、昭和38年(1963)には地名「桜台」ともなった。、、、、、“平成最後の桜”も散り始めた。

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●観てみたい博物館 ・・・・・・豊玉陸橋をの下で「環七通り」と「目白通り」を横断し豊玉北3丁目に足が入ると、「唐澤博物館」が目に入る。、、、、、「唐澤博物館」には、10年ほど前に来たことがあるが、入館できなかった。 ここは来館者が少ないようで、11時すぎないと開かない、私の時計は9時『今日もダメだ!』 またの機会とする。、、、、、ところで、「唐澤博物館」とは、教育学・教育史研究家の唐澤富太郎(1911~2004 )が長い歳月をかけて収集した、日本の子どもの教育と遊びに関する数万点におよぶ研究資料の中から、特に選りすぐった7000点余りを展示する個人博物館。 何だかよく判らんが、「百聞は一見に如かず」見てみたいものだ。

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●終末期の施設、全て揃っています ・・・・・・江古田の森公園(えごたのもりこうえん)は、中野区江古田にある中野区立の公園である。 三方を江古田川に囲まれた小高い丘がある、樹木や芝生の豊富な公園。 当地は長く国立療養所中野病院があったところで、主に結核患者の養生所であった。当病院は1993年に新宿区の国立国際医療センターへ移転統合し、跡地が公園として整備されたものである。、、、、、現在公園の周囲には、私のカウントで、病院(4軒)、老人ホーム(5軒)、教会(2軒)、修道院(2軒)などが立ち並んでいる。、、、、、なんだか、身も心も終末期の準備が出来そうだ。 アッ、寺と墓地も近くにあった!

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●氷川神社と別当寺 ・・・・・・・・・・江古田3丁目に江古田村の鎮守である氷川神社がある。 祭神は素盞雄尊。 鎮座の年代は不明。 口碑によると寛正元年(1460)に村人が素戔嗚の武徳を慕い、この地に小祠を建てたのが始めらしい。 当初は牛頭天王社といい、元禄9年(1696)に氷川社に改めた。、、、、、現在の拝殿は昭和7年(1932)に建築したもの。 

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・・・・・・・・・・・・・・・氷川神社の東に別当寺であった、真言宗豊山派寺院の東福寺がある。 東福寺の創建年代は不詳だが、天正年間(1573~1593)江古田村の村民が開基となり、村内御嶽山に創建したと言われている。 江戸時代には3代将軍家光が鷹狩りの際に休息し、8代将軍吉宗は御膳所に指定した。 境内に御膳所跡の碑が建てられている。、、、、、昭和42年(1967)に本堂は鉄筋コンクリート造に改築された。(現在、本堂改修工事中) 歴史ある寺だけど、歴史ある建物は残っていないようだ。 【ナイショの話】寺の北側に61戸が入る大きなマンションがある。 ここは、三波春夫御殿跡で没後、息子の豊和が財産保全のため建てたそうだ。 賢いね!

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・・・・・・・・・・・・・・・東福寺から南西に250m程、氷川神社参道の入口付近に地蔵尊と馬頭観音が祀られている。 ここは「お経塚」と云うそうだ。 昔、東福寺が火事に遭った時、燃えた経典などを埋めて塚を作り供養したところなのでその名となった。 大正の頃、この土地を均した時、地中から人骨と一緒に、茶筒形をした金属製のものを掘り出した。 恐らく経筒だったのだろうと考えられているが、何時の間にか無くなり、誰も中を改めた者がなく、その確証はないそうだ。 人骨はこの地の片隅に埋めて、その上に地蔵の石像が建てられた。

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●お帰りの時刻です ・・・・・・・東福寺前のバス停「江古田三丁目」から中野に向かい帰宅。

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2019年2月20日 (水)

目薬より効く、目の薬師

中野の病院に行った帰り、新井薬師に参り、西武新宿線の新井薬師前駅まで、9千歩の散歩です。
 
 
 
●眼科の帰りは薬師へ ・・・・・・・・・・・目に炎症があり点眼治療していたが、本日の検診で治ったようだ、『薬はもう点さなくていいです。 3ヶ月後に、また、いらしてください』との言葉を頂戴して、病院をあとにする。、、、、さて、これから何処へ行こうか? 眼科に来た帰りなので、『目の薬師』と言われてる「新井薬師」に行くことにした。 その前に、「旧豊多摩監獄表門」にも寄って行こう!
 
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●一人でニヤニヤ ・・・・・・・中野区新井の町に、住宅の敷地の角に立てられた、鉄道の三灯式信号機があった。 電球は点いていない。 だいぶ古そうだ、鉄道オタクの住人が立てたのか?、、、、、鉄道オタクはこういう鉄道関連の機器・備品を集める人が多いね。 鉄道に関心がない家族にとっては、無用の長物、ガラクタ、邪魔物、と言われ嫌われる。、、、、私も、旅先で拾ってきた、線路の敷き石、犬釘などを眺めて、『これは〇〇駅』の物と悦に入り、ニヤニヤ。
 
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●檻の中の監獄 ・・・・・・・・・・・中野区新井3の「平和の森公園」の一画に、法務省矯正研修所があり、その敷地内に「旧豊多摩監獄表門」が残されている。 4年ぶりに見に来たら、フェンスで立ちふさがれ近寄れない。 アリャ!コリャ!どうした!監獄ロック!オット・マチガエ、監獄フェンス!、、、、この場所には明治43年(1910)から昭和58年(1983)の廃庁まで、「豊多摩監獄」、「豊多摩刑務所」、「中野刑務所」と改称しながら、73年の歴史を刻んだ施設があった。 その表門が残されている。 煉瓦造りの表門は高さ約9m、幅18m、奥行き13m。 当時の司法省の技師:後藤慶二の設計で大正4年(1915)に完成し、震災・戦災を免れてきた建築である。、、、、法務省の研修所は移転し、跡地を中野区が購入した。 区は跡地に小学校を建てる計画があるそうだ。 昨年、区は文化財的観点の高い表門を、現地保存して都の文化財指定を目指す方針を明らかにしたそうだ。、、、、檻の中の監獄が整備され再び見られるのを楽しみにしよう!
 
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・・・・・・・・・・・・・平成27年(2015)撮影の旧豊多摩監獄表門
 
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●刑務所でお勤めしたお稲荷さん ・・・・・・・・・・・プレスリーの気分で監獄ロックのリズムにのって、新井薬師に向かう手前に新井天神北野神社がある。、、、、新井天神北野神社の祭神は菅原道真。 創建は不明だが、天正年間(1573~1592)に新井薬師梅照院の開祖行春が、村人とともに小祠を改めて天満宮としたのが始まり。、、、、天神様なのにウメの木は少なく、チョイト寂しいね。
 
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・・・・・・・・・・・・・参道の横に、寶樹稲荷神社がある。 このお稲荷さんは、江戸時代後期の文化14年(1817)に市ヶ谷の板倉勝政の屋敷内に祀られた。 その後、明治8年(1875)に板倉屋敷跡は市ヶ谷囚獄となり、当神社はそのまま残されていた。 大正4年(1915)には、監獄が豊多摩監獄に移転した際に当稲荷も共に遷ってきた。 その後、法務省矯正研修所と変わっても、敷地内に残り鎮座していたが、研修所の移転により、当神社は平成27年(2015)に現在の北野神社に遷座された。、、、、長きにわたり監獄・刑務所で過ごしたお稲荷さん、お勤めご苦労さんです!
 
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●目薬より効くか? ・・・・・・・・・・一般に「新井薬師」として知られている新井山梅照院薬王寺は、中野区最大の寺院である。 足立区の西新井大師と同じ真言宗豊山派の寺院。、、、、、梅照院の本尊は、薬師如来と如意輪観音のニ仏一体の黄金仏で、高さ一寸八分(約5.5cm)の像と言われている。 この本尊は弘法大師作と言われ、鎌倉時代の武将:新田家代々の守護仏であった。 ところが、鎌倉時代から南北朝にかけての戦乱のさなかに、ある日の夕方、像を納めたお城の仏間から忽然と光が放たれ、それとともに像は消え失せた。 その後、相模国から行春という僧が、清水の湧きいずるこの地こそ、真言密教の行にふさわしい土地と感じ、新井の里を訪れて草庵を結んだ。 不思議なことに、草庵の庭の梅の古木から光が発せられる現象が夜毎に起こり、天正14年(1586)、その梅の木の穴から新田家ゆかりの像が発見された。 行春はこの像を安置するために、新たに堂を建立した。 これが、梅照院の始まりである。、、、、、魔訶不思議な出来事とともに出現した薬師如来は、その後、広く、深く信仰されるようになる。 特に、二代将軍秀忠公の第五子和子の方(東福門院)が患った 悪質な眼病が、祈願して快癒したことなどから「目の薬師」と呼ばれ、 あるいは第五世玄鏡が元和3年(1617)に如来の啓示によって、秀れた小児薬を調整したことなどから「子育て薬師」とも呼ばれて、多くの人々に篤く信仰されている。、、、、、、私も、目の炎症が治ったので、賽銭を奮発し、手を合わせてきた。
 
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●地下駅になる! ・・・・・・・・・梅照院から東へ500m程、西武新宿線の新井薬師前駅がある。 昭和2年(1927)4月16日に高田馬場~東村山間の路線開業と同時に駅も開業した。、、、、現在工事が進められている、中井~野方間の連続立体交差事業では島式ホーム1面2線の地下駅となる予定。 工事は2020年度完成予定。 遅れなければいいのだが、安全第一で!
 
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2019年1月23日 (水)

裏道歩いて東中野へ

今日は眼科の受診日、中野の病院で朝一番の診察を受け、帰りは中央線の南側を東中野駅まで歩いてきた。
 
 
 

●名残惜しい診察・・・・・・・・・・・どこの病院でも、眼科の診察では、細隙灯(さいげきとう)顕微鏡という拡大鏡を使い、帯状の光を目に当てて、結膜、角膜、前房水、虹彩、瞳孔、水晶体などを目視し、検査してくれる。 この検査、先生と患者が顕微鏡を挟んで、30cm程の距離で対面するので、若い女医さんの時はドキドキ。 目は先生の顔・胸元にチラチラ。 先生から、『チャント真直ぐ正面を見て!』と叱責を受ける。 『ハイ』と正面を向き、心は目と違うソッポに向いている。 診察が終わると、もっと診てもらいたかったと、名残惜しく退室することになる。  毎度のこと!

 
 
 
●現代的なキャンパス・・・・・・・・・・病院の前には、帝京平成大学中野キャンパスと明治大学中野キャンパスが並んでいる。、、、、雅万歩が学んだ50年前の明治大学とは、大学の雰囲気も変わり、親しみやすい建物である。(ココ中野キャンパスは平成25年(2013)に開校した)
 
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●稲荷が守る会館・・・・・・・・中野駅南側、マルイの裏にある、大正時代に建築されたという町会の「桃園会館」。 町内の集会場で、町で使用しないときにいは、貸しだしているそうだ。、、、、桃園地域は中野駅南口を中心に、8町会、1自治会で構成されている地域。 地域の歴史は古く、五代将軍綱吉は約30万坪(100ha)に及ぶ野犬を保護するための施設「お囲い御用屋敷」をこの地に作った。 後に。将軍吉宗が犬囲いの跡地を「お立て場(休息所)」とし、紅白の桃を植え「桃園(とうえん)」と称えたことに由来する。、、、、、会館の脇にはお稲荷さんが祀られている。
 
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●裏道が好きなの!・・・・・・・・・・・今日も、裏道を歩く、“お天道様をまともにみられない男”。 ただただ、裏道が好きなだけ、雅万歩はけして刑務所帰りではありません。
 
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●明るくなった駅・・・・・・・・・裏道から東中野駅西口前に出た。、、、、東中野駅 は、明治39年(1906)6月14日、甲武鉄道の柏木駅として開業デビューした。 大正6年(1917)、東中野駅に改称する。 現在は、都営大江戸線の駅も開業し、乗り換え駅となった。、、、西口には駅ビルもでき、明るい駅に変わった。
 
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2019年1月16日 (水)

副都心の裏をブラブラ

東日本橋駅から橋本行の電車に乗る。 相変わらず行先の当てもない散歩、『さて、何処で降りようか?』 いつものように車内で、『あの娘が降りる駅で降りよう』と決めた。 電車が新宿を過ぎた、『アレ、降りない? このまま、終点まで行かれたら散歩する時間が無くなる、どうしよう』と、チョイト考える。 電車は新宿の次の初台駅に停まる。 ドアが閉まる間際に、あの娘が降りた。 『アッ、失敗、一緒に降りられない!』、、、、ということで、初台の次の幡ヶ谷駅で下車し、気ままにブラブラ、適当にアッチャコッチャ、行きついた先の駅は東京メトロ丸ノ内線中野新橋駅。 気ままな散歩です。
 
 
 
●上ってみたい階段・・・・・・・・幡ヶ谷駅は、甲州街道の地下にある京王新線の駅。 大正2年(1913)11月11日に京王電気軌道の駅として開業。 昭和53年(1978)の京王新線開通に伴い、それまでの京王線の地上駅から、現在地の地下駅に移設された。、、、、ホームは相対式2面2線の構造で、地下2階にある。 改札口は地下1階に1ヶ所のみある。 地上の出口は甲州街道の南北両側に、北口と南口がある。、、、、平成20年(2008)にホームの初台駅寄りに、非常階段が設置された。 普段は閉鎖されているので、利用不可。
 
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●公園になった駅・・・・・・・・幡ヶ谷1丁目にある区立幡ヶ谷駅前公園は、京王線が地上を走っていた頃の幡ヶ谷駅跡である。 大正2年(1913)11月11日に駅が開業してから、昭和53年(1978)京王新線開通に伴い現在地に移設されるまで、ここに幡ヶ谷駅があった。、、、、、公園の隣りと向かい側には細長く駐車場がある。 この下に京王線が走っている。(京王新線は甲州街道の下) 京王線は幡ヶ谷駅のチョイ先で、地上に顔を出し隣の笹塚駅に向かう。
 
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●総延長500mの商店街・・・・・・・幡ヶ谷駅の東50m程にある「六号通商店街」を北に歩くと、水道道路に出る。  水道道路を横断し、「六号坂通り商店街」を歩く。 両商店街の総延長500m強。
 
・・・・・・・・・・・・・「六号通商店街」の“六号”とは、かつて水路(水道道路)に架けられていた橋を新宿側から順に、一号橋・二号橋・三号橋、と名付け、その六番目の橋を指す。 水道道路の南側に、甲州街道と水道道路を結ぶ六号通商店街はある。、、、、まだ通勤時間で、シャッターが降りている店が多い。
 
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・・・・・・・・・・・・・水道道路 は、明大前から新宿副都心にあった淀橋浄水場へ、玉川上水の水を引き込んだ水路の跡に造られた一直線の道路である。 道路の東側正面には、新宿副都心が見える。 また、この道路の南側に、ズラリと建ち並ぶ都営住宅は“お見事!” 1.5km以上の距離に30棟程は建っていると思う。
 
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・・・・・・・・・・・・・・水道道路を横断し、六号通商店街の向かいに「六号坂通り商店街」が続く。、、、、長くのびる商店街の端には、ちゃんと「六号坂」がある。
 
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●昔の仲間だ!・・・・・・・・渋谷区本町5丁目で、大きな工事現場が目にとまる。 アッ、雅万歩がよく知っているゼネコンの現場。 かつての仲間が、消防庁の職員用住宅を建てていた。、、、現場を遠目で見て、立ち去ろうとしたら、現場の所長が出ててきた。 チョイト挨拶し、『ガンバって!』、、、、ア~~、若けりゃ、もう一度現場に戻って仕事がしたい!
 
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●左右反転の副都心・・・・・・・・渋谷区から中野区南台に入りと、「南台いちょう公園」がある。 グランドを通して、新宿副都心のビル群が見える。、、、、普段は新宿駅側から眺めることが多いので、左右反転した今日は、副都心の裏側を見ているようだ。
 
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●道場?・・・・・・・・中野区弥生町の裏道に入ると、玄関の一部がなまこ壁の木造の建物があった。 接骨院の看板があるが気になる。 誰もいないので、チョイト周囲から拝見すると、どうやら柔道の道場だったようだ。 内部の壁には名札が掛けられていた。 味のある建物だ!、、、、接骨院は奥の別棟で開いているようだ。
 
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●繋がりのある2社1寺・・・・・・・・・・・弥生町の中央を通るバス通りをブラブラすると、2社1寺に遭遇。 チョイト、参ってくる。
 
・・・・・・・・・・・・・まずは神明氷川神社で、文明元年(1468)太田道灌が江戸城鎮護のため武蔵大宮氷川神社より勧請し、当地周辺(雑色村)の鎮守社だった。、、、、只今、正月の提灯などを片付けていた。 もう、初詣の参拝客はないからね!
 
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・・・・・・・・・・・・・次は、真言宗豊山派の寺院、正蔵院。 寺は円通山海章寺と号す。 天文元年(1532)に創建された。 神明氷川神社の別当寺。、、、、、ここの御詠歌は、「あなうれし 行くも帰るも 留まるも 我は大師と 二人連れなり」  そこで、雅万歩の毎日は、「ああうれし 寝るも起きるも お食事も 我は家内と 二人連れなり」 (これホント) 
 
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・・・・・・・・・・・・・さてドン尻は、中野新橋駅に近い藤神稲荷神社。 先の神明氷川神社の境外末社として古くから鎮座していたと言われてるが、創建年代は不詳。
 
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●中野の新橋・・・・・・・・・昭和36年(1961)2月8日、帝都高速度交通営団荻窪線開通に伴い、途中駅として開業。 相対式ホーム2面2線の地下駅。 駅名は、近くを流れる神田川 に架かる橋の旧名称「新橋」に由来する。、、、、、駅の近くには、昭和36年頃、40軒以上の料亭があり、花街として栄えていたそうだ。 
 
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2018年12月26日 (水)

野方で石仏巡り

本人は自覚していないのだが目に炎症があり、10月から中野の東京警察病院で診てもらってる。 今日は、今年最後の通院日。 朝、いの一番の診察で、『順調に良くなっています。点眼薬を続けてください』と言われ、9時には解放された。 警察病院から野方駅まで、裏道を気ままに歩いてきた。
 
 
 
●市川雷蔵が学んだ学校・・・・・・・・・・・・警察病院は以前飯田橋に所在していたが、平成20年(2008)に中野の警視庁警察学校跡地に移転したきた。 私の眼科の受診は飯田橋時代からで、通院歴も20数年になる。、、、、ところで、この警察病院の敷地内に「警視庁警察学校跡」の碑があるのは知っているが、「陸軍中野学校跡」の碑があるのは、うかつにも知らなかった。 今日、探して見つけてきた。
 
・・・・・・・・・・・・・・現在は、中野四季の森公園を中心に、警察病院、中野セントラルパーク東棟・南棟、早大・明大・帝京平成大のキャンパス、野方署がある「中野四季の都市(まち)」。、、、、ここには、明治30年(1987)頃から陸軍の諸施設が置かれた。 昭和14年(1939)には陸軍中野学校が開設された。 戦後になると警察大学校と警視庁警察学校が置かれ、平成13年まで使用された。、、、、、約17haの広さがある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・中野四季の都市の一画に東京警察病院があり、その敷地内を正面玄関前から入り、チョイト怖そうな警備員の立つ駐車場を抜け、只今増築工事中の建設現場の横を抜け、早稲田大学側の塀際を歩き、植栽の中に目を凝らすと、アッター。 ありました「陸軍中野学校跡」の碑が!
 
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・・・・・・・・・・・・・・この地に日本のスパイ養成所があったことは公には内緒の話、でも巷ではうわさ話が広がっていたそうだ。 碑を見ていると、映画「陸軍中野学校」が思い起された。 主演の市川雷蔵は、私に似た色男で、陸軍中野学校で諜報活動を学ぶ青年将校を演じてた。、、、、、正月は、DVDを買って、もう一度映画「陸軍中野学校」を見ることにするか。
 
 
 
●都会の石仏巡りだ!・・・・・・・・・・・・警察病院から、中野区野方の町を北に歩き、野方駅に向かう。 駅までは、石仏を巡りながら、いつもと同じように裏道・路地をあるくことにした。
 
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・・・・・・・・・・・・・野方1丁目の住宅街の中に、田中千禾夫(チカオ) ・田中澄江両劇作家夫妻の旧居跡がある。 その向かいには、赤い前掛けがかわいい小さな地蔵尊が二体、祀られている。 幼い子がここで交通事故(大型車が通れる道幅でもないが)? それとも水子供養? ??? 
 
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・・・・・・・・・・・・『大型・普通自動車の通行できません』、『ちかんに注意』と立て看板の並ぶ道を行く。、、、、夜は怖い道!
 
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・・・・・・・・・・・・・野方2丁目、住宅街の中に、「南向地蔵」の祠がある。 右に元禄2年(1689)の子育て地蔵、左に貞享4年(1687)庚申塔が置かれている。 この二体の石仏は以前は付近の別な処にあったが、周囲の交通が激しくなり、現在地に移転したそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・野方2丁目の小さな祠は「三谷稲荷」。 三谷はこの辺りの旧称。 江戸時代に創祀したと言われている稲荷社らしい。、、、、嘘か、真実か、稲荷のみぞ知る。
 
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・・・・・・・・・・・・・南向地蔵から北へ200m程の処に「北向地蔵」があった。 南北の地蔵さまが背を向き合わせて祀られているのだ!、、、、左の馬頭観世音には、享和二年戌(1802)の銘がある。 いずれも、古そうだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・昭和41年(1966)に架けられた三谷橋(さんやばし)で妙正寺川を渡り、野方3丁目に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・野方3丁目のバス通りに出ると、街角に「がんかけ地蔵」が祀られている。 地蔵だけではない、道標、庚申塔、二十三夜碑もある、豪華3点セットだ。 地蔵尊は延享元年(1744)に建立された。 庚申塔は享保21年(1736)、二十三夜碑は昭和2年(1927)に建てられた。、、、、二十三夜とは、十五夜と同じように月齢を意味し、二十三夜の夜、村人、業者、女性のみ、など、特定の人々が集まり飲食を共にすること。 講の組織と同じである。
 
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●狭いホームの野方駅・・・・・・・・石仏巡りから、西武新宿線の脇に出た。 線路沿いを歩き野方駅に向かう。
 
・・・・・・・・・・・・・西武新宿線中井~野方間は只今連続立体交差事業により、新宿線を地下化し、7か所の踏切りをなくす計画である。 この事業で、沼袋、新井薬師前の2駅は地下駅になるが、野方駅は現在のまま。、、、、地下化は、もぐらないと工事の進捗が判らず、現場を見てもあまり面白くないね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・野方駅に到着。 昭和2年(1927)4月16日に開業した野方駅は、島式ホーム1面2線の地上駅で、橋上駅舎を有する。、、、、幅の狭いホームで特急が通過する時、軽い私は風で飛ばされそうだ。 『気をつけよう 狭いホームに 軽い俺』
 
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2018年11月28日 (水)

高円寺の高円寺

今月初めの眼科の定期診断で、右目に小さな炎症が見つかった。 早期発見早期治療で只今、点眼薬で治療中。 今日の診察では、もうしばらく点眼薬を続けるように云われた。、、、、「目は心の窓」、「目は口ほどに物を言う」、、、私の輝く瞳で、受付の女性を見つめてみたが、私の気持ちが通じないようだ、無反応。 「コリャ、間違いなく、目が侵されている」と、自覚した。
 
診察の後、中野の病院から高円寺駅まで歩いてきた。 8千歩。 
 
 
 
●落ち着いた都市(まち)・・・・・・・・・・・「中野四季の都市(なかのしきのまち)」は、平成20年(2008)頃から警察大学校の跡地 にできた再開発地域である。、、、、ここには、中央の公園を囲むように、オフィスビル、明治・帝京平成・早稲田の各大学キャンパス、警察病院、中学校などが建ち並んでいる。、、、、一番高い建物はオフィスビルの22階、病院、大学などは10数階建てで、公園も広く、超高層ビルに囲まれた威圧感はない。
 
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●電車がGO!・・・・・・・・・中野駅の西側に架かる跨線橋を渡り、中央線の北側から南側に移る。 中央線の快速・特快・特急、中央総武線の緩行、東京メトロ東西線が、しきりなしに走り抜ける鉄道ファンには楽しい処。
 
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●家光は駅名の名付け親?・・・・・・・・・・・・JR高円寺駅の南東に高円寺がある。 宿鳳山高円寺は、弘治元年(1555)に開山した曹洞宗の寺院である。 本尊は観音菩薩で、寺の周辺に桃の木が多くあったことから「桃園観音」と呼ばれている。(チョイと艶っぽい名で、ぜひ一度、拝んでみたい) 将軍徳川家光が鷹狩りの際、度々立ち寄り、お茶の接待をした徳川家ゆかりの寺でもある。 山門、本堂の瓦に三つ葉葵の紋が見られる。 また、高円寺のある地は、かつて小沢村と呼ばれていたが、家光によって高円寺村と改めさせられたそうだ。 寺の高円寺が地名となり、駅名となった。、、、、、高円寺は寛保2年(1742)、弘化4年(1847)、明治33年(1900)、昭和20年(1945)と4度罹災した。 現在の本堂は昭和28年(1953)に、木彫りの名人でもある気仙沼の宮大工:中村青雲により再建された。
 
・・・・・・・・・・・・・・・山門を入ると、両側に楓の木が並ぶ。 チョイト紅葉には早かったようだ!  小さい写真は、三年前(12月20日)に訪れた時の紅葉。
 
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・・・・・・・・・・・・・扁額と中村青雲の彫刻が迎える本堂。 本尊の桃園観音はこの中に! ぜひとも、拝観したいが無理だな。
 
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・・・・・・・・・・・・・本堂の手前には地蔵堂がある。 中央に「桃園子育地蔵尊」、右に三匹のサルと小さな子供の石仏、左に子づくり道具の石仏。、、、、手を合わせたが、はて(?)何を願っていいのやら。
 
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・・・・・・・・・・・・・本堂の隣りに稲荷社。 ここの石造の鳥居は、門柱に龍の細工が施されている「双龍鳥居」である。 双龍鳥居は同じ杉並区の馬橋稲荷神社と品川区の品川神社にもあるが、珍しい鳥居だ。
 
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●御朱印で客寄せ?・・・・・・・・・・・高円寺駅の南東100m程の位置に、高円寺が別当寺であった氷川神社がある。 創建年代は不詳であるが、高円寺が開かれたと同時期の鎌倉時代の創建か(?)、、、、、戦災で社殿は焼失し、現社殿は昭和46年(1971)に再建された。 鉄筋コンクリート造の社殿はシンプルでモダンな感じがするが、正面のガラス戸などは埃にまみれ汚れが目立つ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内社の一つに、馬橋4丁目の陸軍気象部に祀られていた気象神社が、戦後、昭和23年(1948)に氷川神社の境内に遷座された。 全国唯一の神社である。 気象予報士を目指す受験生、脱雨男・脱雨女を願う人で、結構、参拝する人が多いようだ。、、、、、神社の絵馬は、天気占いの下駄型である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・チョイト、聞きかじった話、、、、、氷川神社の御朱印は押されるハンコのデザインが、毎月、季節に合わせた絵柄に替わるそうだ。 また、気象神社の御朱印は、その日の天気によりハンコのデザインを、お日さま、傘、雪だるまなどに替えているそうだ。、、、、、私は御朱印をお受けしていないので問題ないが、受けている人は毎月参拝したくなるね。 出来たら、一年分(12ヵ月)御朱印を授かったら、パーフェクト賞で巫女さんとの握手券を貰えるといいね!      (写真はなし、ゴメン!)
 
 
 
●エライコッチャ・エライコッチャ・電車が着たぞ!・・・・・・・・・・大正11年(1922)に開業した高円寺駅。 駅の名物は「高円寺阿波おどり」で、発車メロディはお囃子をアレンジした曲である。 
 
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2018年10月31日 (水)

取り壊される中野駅前住宅

「ポスナーシュロスマン症候群」と云う、聞きなれない眼病を20年程前に患った。 この病気は、発作的な目の炎症により、眼圧が高度に上昇する病気で、ほっておくと緑内障になるそうだ。 以来、年に一回の眼科の定期検診を受けている。 今日は、朝から中野の東京警察病院に行ってきた。 眼底・眼圧・視野・細隙燈顕微鏡・視力・眼底三次元画像解析と、盛りだくさんの検査を受け、担当のドクターの診察を受けてきた。 ドクターは若い女医さんから中年の男性医師に変わり、チョッピリ淋しい。 折角病院に来たのだから手土産として、一部に炎症があるので点眼薬を1ヵ月分処方してくれ、『ひと月後にまたお会いしましょう』、、、、、、と、云うことで午前の散歩時間の大半は病院で費やしてしまった。
 
帰りに、中野駅南口前の「中野駅前住宅」を訪ねてきた。
 
 
 
●シンボルが無くなる・・・・・・・・・・中野駅の北側・南側とも再開発の話がいつまでも続いている。 北側の中野警察学校の跡地 の再開発は終わり、今度は、駅北口前の中野サンプラザ、中野区役所のある一画の再開発かも。 今年、中野区長は区のシンボルである中野サンプラザの解体について『2024年度前後』と表明した。 跡地には「一万人アリーナ」を建設するそうだ。、、、、、高齢化の進む時代、私が区長なら「一万人大銭湯」を提案するね、区民に喜ばれると思うよ。
 
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●駅南側も再開発・・・・・・・・・・中野駅の南側では、駅前のマルイの西側で計画されている中野駅西口地区の再開発と、南口前の駅前ロータリー中野駅前住宅を含む中野駅南口地区の再開発がある。 
 
・・・・・・・・・・・・中野駅南口は、北口と比べると大きな施設もなく、商店街・飲食街とも規模も小さく、元気がない。 再開発では、ロータリーの再整備が計画されている。
 
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●ホームから見える団地・・・・・・・・・・中野駅の南側(中野区中野2)に、昭和26~27年(1951~1952)に建てられた鉄筋コンクリート造4階建ての賃貸住宅:東京都住宅供給公社中野駅前住宅がある。 建設時には、敷地面積約10,200㎡に鉄筋コンクリート造4階建て7棟248戸の規模であった。 現在は、一部取り壊され規模も縮小された。、、、、、中野駅ホームからも、古色蒼然とした年季の入った団地が目の前に見える。、、、、、、完成時には、戦後の復興を象徴するモダンな集合住宅として注目を集めたらしい。 6畳と4畳半のタタミの部屋に小さな台所とトイレ、玄関にベランダと備わっていたが、風呂は無かった。 その後、ベランダ側に風呂場が増築された。、、、、既に築後70年近くなり、取り壊しが進められている。 7棟あった建物も、5号棟はすでに取り壊され、また入居者のいない階段は合板で封鎖されている。 現在は、もちろん入居者募集は行っていない。
 
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2018年10月22日 (月)

練馬の南蔵院

一昨日、散歩(氷川台~豊島園)から帰り『雅万歩』を書いていたら、練馬駅近くに南蔵院と云う大きな寺があることを知った。 今日はこの寺を訪ねてみることにした、大江戸線練馬駅から西武新宿線鷺ノ宮駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
●秋がきたかよ ステテコシャンシャン・・・・・・・・・大江戸線練馬駅で下車し、駅前の大鳥神社に朝の御挨拶をし、練馬区役所の裏を抜け、南蔵院のある練馬区中村1丁目へ向かう。、、、、、秋晴れの下、気分よろしく、スタコラ・スタコラ・ステテコ・シャンシャン
 
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●万能薬「白龍丸」の販売元・・・・・・・・・南蔵院は、真言宗豊山派のお寺で瑠璃光山医王寺と号し、良弁塚に納経をした良弁僧都が延文2年(1357)に中興したお寺です。 江戸時代には12石8斗の御朱印領を拝領していた。、、、、、お寺では 古くから万病に効く「白龍丸」を頒布し、明治10年頃に売薬法で禁止されるまで全国的に広まり、お寺の経済的基礎ともなったそうだ。 恋の病、金欠病、夫婦病に効くなら、私もぜひ試してみたかった! 
 
・・・・・・・・・・・・・・南蔵院通りに面する山門
 
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・・・・・・・・・・・・・・山門脇で慈母観音像のお出迎え。 アリガタヤ!
 
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・・・・・・・・・・・・文禄年中(1592~1596)火災にあい堂塔伽藍、諸記録をほとんど焼失した。 宝暦3年(1753)には寺内の設備を整え、現在の本堂も完成した。 御本尊の薬師如来は秘仏で、33年毎に御開帳されるそうだ。、、、、、明治9年(1876)には、本堂を利用して豊玉小学校が開設された。
 
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・・・・・・・・・・・・本堂の右には、同年に建てられた庫裏がある。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・本堂の左には、宝永4年(1707)に再建された薬師堂
 
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・・・・・・・・・・・・・・薬師堂の前には、宝暦3年(1753)に建立された閻魔堂がある。 チョイト、中を覗いてみた、、、照明のない薄暗い堂内に、剥げ落ちた閻魔大王がいた。 閻魔大王の後ろの壁には病気平癒祈願成就によって奉納された15cmほどの木彫の地蔵尊がズラリ千躰程並べてあると言われている。、、、、、『本当に千躰あるのか(?) ウソだろう。 閻魔の嘘つき!』 
 
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・・・・・・・・・・・・・江戸時代中期に建てられた鐘楼門。 三間一戸、入母屋造りで赤く塗られている。 門の左右には仁王像、上階には正徳5年(1715)銘の梵鐘がある。 
 
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・・・・・・・・・・・・・この他に、赤門長屋門がある。 また、なぜか北海道開拓時代の建物を思い出させる、木造の集会場
 
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・・・・・・・・・・・・・・昭和7年(1932)首のない地蔵様が中村の道端にあった。 近所の住人が地蔵の首を酒代の形に持っていたので、継ぎ合わせたところピッタリと合った。 この不思議な仏縁から、「首継地蔵尊」と呼ばれている。、、、、、バラバラ事件の被害者となった地蔵さま、首が繋がり一安心。、、、、、首継地蔵尊は昭和60年頃(1985)までは、中村の八幡神社に祀られていたが、その後南蔵院に移された。
 
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●大根のない畑・・・・・・・・・・南蔵院を後にして西へ歩く。 ここは“練馬”だ、畑の大根を探しながら歩く。、、、、、住宅地の中に小さな畑を見つけた。 期待はずれで、大根畑ではなかった。 しばらくすると、向かいを歩くお姉さんの足もとに“大根”を発見!(失礼)
 
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●バラバラ事件の現場?・・・・・・・・・中村南3丁目に八幡神社がある。 この神社は旧中村の産土神で江戸時代からの総鎮守。 祭神は応神天皇。 社殿は江戸時代のものと言われているが“?”。、、、、八幡神社の別当は南蔵院であった。 神社の地は、南蔵院の末寺・西光寺(現:廃寺)の旧地である。 首継地蔵尊は、南蔵院に移されるまで当社の一画に祀られていた。 ここで、首と胴体がバラされたのか? はたまた、ここで、首と胴体が継がれたのか? どちらにしても殺人事件である。
 
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●子連れ地蔵尊・・・・・・・中野区上鷺宮1丁目の中杉通り沿いに、北向きに建っている子連れの上鷺宮願かけ地蔵尊。 大きい舟型地蔵尊は、高さ約1.5m で正徳5年(1715)の銘がある。 小さい舟型地蔵尊は80cmほどの高さで、造立年は不明。、、、、、この2体の地蔵に祈願をする人は、白装束で夜中にお参りし、一心に祈願しながら子どもの地蔵を倒すのだ。 そうすると親の地蔵は子どもを起こして貰いたいため、願い事を聞き届けてくれる。 願い事が叶ったら、祈願した人は、自分が倒した地蔵を起こしに行くのだそうだ。、、、、、このような風変わりで、面白い信仰は、人家もまばらだった昭和30年頃(1955)まで続いたそうだ。 今の時代、こんなことしたら、付近の防犯カメラに撮られ、器物損壊で捕まり、ニュースに出演し、恥ずかしい思いをするだけ。
 
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●閻魔と地蔵がコラボして天罰・・・・・・・・・・新青梅街道を渡り、西武新宿線鷺ノ宮駅 まで歩き帰ることにした。 歩きながら頭上に違和感を感じ、右手が頭を撫でる。 『アレ? 帽子がない! お気に入りのハンチングがない!』 カバンの中、ポケットを探すが、何処にも無い。 『ガァ~~ン! 南蔵院か、八幡神社か、置き忘れたようだ』 どうやら、今日は閻魔大王、首継地蔵尊に悪態をつき、天罰が当たった。 『あきらめきれずに あきらめた 去らば高価な ハンチング』、、、、、電車に乗っても、ハンチングのことが忘れられず、寂しく帰宅。
 
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