目黒区

2019年7月24日 (水)

宗派が変わった円融寺

「今日の散歩は何処にしようか?」と地図を見ていたら、「円融寺通り」の文字が目に入った。 決まり!今日は「円融寺通り」を歩くことにした。 もちろん、円融寺にも寄ることにした。 東急目黒線洗足駅から、東急バス清水バス停まで、1万歩の散歩。

・・・・・・・・・・・「円融寺」は、天台宗寺院で、経王山と号す。 仁寿3年(853)に慈覚大師が当地(目黒区碑文谷1)に創建した天台宗法服寺を起源とし、日蓮上人の高弟日源上人が日蓮宗に改め、弘安6年(1283)妙光山法華寺と改号した。 末寺75ヶ寺を擁し、日蓮宗の名刹寺院として栄えた。 しかし、不受不施派(法華経信者以外からは施しを受けず、施しもしないと主張した、日蓮宗の一派)の拠点であったことから江戸幕府の弾圧を受け、元禄11年(1698)に再び天台宗に改宗し、天保5年(1831)には経王山円融寺に改めた。、、、、天台宗から、日蓮宗へ、そして天台宗に戻り、次は何宗か?

・・・・・・・・・・・「円融寺通り」は、その名のごとく円融寺の近くをとおる通りの名である。 東急目黒線の洗足駅から南東に150m程にある「小山七丁目交差点」を起点に、洗足駅前、原町と抜け、碑文谷の円融寺の東250m程を北上し、目黒本町の町中を抜けて、目黒通りの「東急バス目黒車庫前交差点」までの2車線のバス道路である。、、、、通り名を知っているのは地元の人だけだと思うね! 




●池がない洗足駅 ・・・・・・・東急目黒線の洗足駅は大正12年(1923)3月11日に開業。 昭和40年(1965)には、環七通りとの立体交差のため地下化された。 深さ約7mの相対式ホーム2面2線を有する地下駅。、、、、目黒線の「洗足駅」と池上線の「洗足池駅」は、名が似ているが前身となるの会社が異なっていたため、直線距離で約1.1km離れている。 両駅を利用する時は、間違えないで!

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● 女子高が消えた円融寺通り ・・・・・・・まずは円融寺まで、円融寺通りを歩く。

・・・・・・・・・・・・・・まずは、南端の「小山七丁目交差点」 写真中央の通りが「円融寺通り」で、ここから駅前を通り洗足2丁目の交差点までは、「洗足 いちょう通り」と称している。、、、、本名は円融寺通りで、源氏名はいちょう通り?

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・・・・・・・・・・駅前の洗足いちょう通りは、シャレた店が多く(早朝なので、店はまだ開いていない)、駅に向かう若い娘もモデルみたい! この町には皇后さまの実家があるそうだ。 さすが私の住む浅草橋(台東区)とはチョイト違うね! 
  
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・・・・・・・・・・・・・・昭和40年代に建てられたマンション、現在でも“高級賃貸マンション”として入居者募集中。 この辺りは、やはり浅草橋とは違い高級住宅街なのか?

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・・・・・・・・・・・・・・江戸時代の面影を残す緑豊かな古民家と屋敷林が、原町2に「宮野古民家自然園」として残されている。 入園は10時から、まだ開いてないので、残念だがまたの機会とする。

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・・・・・・・・・・・・・・原町2のバス停「洗足学園前」  停留場名となった「洗足学園第一高等学校」は平成20年(2008)に閉校した。 跡地には大きなマンションが建っている。、、、、学校は、敬虔なクリスチャンでもあった創設者:前田若尾により大正13年(1924)に開校した私立女子高等学校であった。 歌手:由紀さおりは卒業生の一人である。 バス停は残れども、校舎は残らず、残念!

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・・・・・・・・・・・・・・円融寺通りから、西にある円融寺参道に向かう。 途中、住宅(原町2-13)の軒下に薬師寺と東塔・西塔、金閣寺、銀閣寺、平等院などの寺社の手作り模型が並んでいた。 その家の主:寿司屋を廃業された80歳の御主人が趣味で作ったものだ。 最近作、2カ月かけた作品「国家 令和元年」というものもあった。 今後は姫路城の築城に取り組むそうだ、お元気で!

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●23区最古の建築! ・・・・・・・円融寺通りから約300m西側によった碑文谷1-22に天台宗の円融寺(えんゆうじ)はある。 都心に在る寺とは思えない静けさと、綺麗に手入れされた境内で、癒される空間が創られている。

・・・・・・・・・・・・・・現在の山門は昭和26年(1951)に品川御殿山の原邸から移築されたものである。 この門は天保4年(1833)播磨の国の寺の山門として造られたもので、明治時代に原邸に移されたものだ。、、、、山門をくぐると、仁王門に向かい真直ぐに参道が伸びている。
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・・・・・・・・・・・・・・参道の先で、数段の階段を上ると仁王門がある。 簡素な造りの仁王門であるが、唐風に和風を取り入れ、虹梁、蟇股、懸魚などにも様々な装飾が加えられている。 建立時期は不明であるが、永禄2年(1559)に仁王像が作成されるのとほぼ同時期と考えられる。 茅葺きだった屋根は、平成19年(2007)に銅葺きに改められた。


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・・・・・・・・・・・・・・仁王門の先に入母屋造の釈迦堂が見える。 円融寺では山門、仁王門、釈迦堂、阿弥陀堂が一直線に並んだ伽藍配置となって、境内の奥行の深さを感じる。、、、、釈迦堂は室町初期の建立とされ、23区内最古の木造建築でる。 明治44年(1911)に国の古社寺保存法により国宝に指定され、昭和25年(1950)に国の重要文化財に指定されました。 本来の屋根は茅葺きでしたが、火災予防の見地から昭和27年(1952)に銅葺きに改められた。 全体に調和のとれた優美な姿の堂である。

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・・・・・・・・・・・・・・釈迦堂の後ろに阿弥陀堂(本堂)が控えている。 阿弥陀堂は、昭和50年(1975)の建立で、設計は佐々木嘉平、設計顧問に早稲田大学名誉教授工学博士・田辺泰をむかえ、平安朝阿弥陀堂様式に則って建設された。、、、、本尊の阿弥陀如来は、仏像彫刻家の第一人者:松本昇の作で、日野法界寺の国宝・阿弥陀如来の様式を模して作られたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・仁王門の横の梵鐘は、寛永20年(1643)に鋳造されたものである。 国重要美術品、、、、撞いてみたくなったが、撞木がない、ガ~~ン!

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・・・・・・・・・・・・・・この他、境内には、小さな五重塔のような石塔がある。 これは円融寺の前身である日蓮宗法華寺の開基日源上人(~1315)の供養塔。 また、法華寺と彫られた水鉢もある。、、、、天台宗に残る日蓮宗だ。

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●住みたくない家がある円融寺通り ・・・・・・また、円融寺通りに戻り歩くことに、、、、、

・・・・・・・・・・・・・・円融寺東門から出ると、アリャ・コリャ・ナンジャ?、、、、内部はどうなっていることやら???
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・円融寺通りの五差路角(目黒本町6-24)に法界塚なるものがある。 法界塚の名は16世紀末の古文書にも見られることから由緒あるものと考えられるが、塚自体は法華寺に関係する経塚とも古墳とも伝えられ、詳しいことは不明。 隣に建つ鬼子母神堂は、江戸時代に安藤氏が勧請したもので、明治末に品川区西小山の摩耶寺からこの地へ移された。

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・・・・・・・・・・・・・・円融寺通りもあと少し目黒本町1の町を抜ける。
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・・・・・・・・・・・・・・円融寺通りが目黒通りにぶつかる「東急バス目黒車庫前交差点」、、、、これにて、「円融寺通り」を踏破。

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・・・・・・・・・・・・・・目黒通り「清水バス停」からバスにて渋谷へ向かう。

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2019年7月 8日 (月)

井の頭線 (駒場東大前~渋谷)

今年の梅雨は、飽きもせずに連日の雨。 今朝は、ヤットコドッコイ、やっとのことで雨も上がった。 井の頭線沿線の散歩は、本日が最終日となった。 駒場東大前から渋谷まで、途中に神泉駅があるだけの、二駅間(1.4km)であるが見どころは多い。 1万歩。



●東大生の気分で! ・・・・・・・渋谷から井の頭線に乗り、二つ目の駒場東大前駅で下車。 チョイト、東大生になった気分で、学生と一緒に下車し東大口から出ると、二十歳代の学生の中に七十歳代の親爺一人、このギャップに気付き、恥ずかしい!

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●チョイト東大見学!・・・・・・東大口の正面には東大駒場キャンパスの正門が見える。 守衛さんに呼び止められないか? ドキドキしながら堂々と正門を通過。、、、、駒場キャンパス(教養学部)の正門は旧制第一高等学校正門として昭和13年(1938)頃に完成した。 門扉には、柏葉と橄欖(カンラン)を図案化した一高の校章が入れられている。 平成20年(2008)に門扉は復元された。

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・・・・・・・・・・・・・・正門を入ると正面に、国の登録文化財である旧制第一高等学校本館がある。 内田祥三、清水幸重の設計、銭高組の施工により、昭和8年(1933)完成。 現在は教養学部1号館として教室を使用している。、、、、キャンパスの象徴的建物。 私が受験生の頃の蛍雪時代(旺文社の受験雑誌)の表紙に載っていたかも?、、、、教室はゴク普通の教室だ!

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・・・・・・・・・・・・・・1号館の左側に教養学部900番教室がある。 旧制第一高等学校の講堂で、昭和13年(1938)に完成。設計は内田祥三、清水幸重。 施工は多田工務店。

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・・・・・・・・・・・・・・キャンパス西側の奥に研究者交流と外国人研究者宿泊のための施設がある。 この建物は昭和12年(1937)に完成した旧一高同窓会館。 設計は内田祥三、清水幸重。 施工は多田工務店。 平成16年(2004)に改築されて、現在はフランス料理のレストランもある、駒場ファカルティハウスと称している。

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・・・・・・・・・・・・・・1号館の右側には教養学部900番教室と対をなすように、東京大学駒場博物館がある。 旧制第一高等学校の書庫・閲覧室で、昭和10年(1935)に完成。設計は内田祥三、清水幸重。 施工は銭高組。、、、、閉まって入れません!

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・・・・・・・・・・・・・・博物館の北側には学教養学部101号館があり、旧制第一高等学校特設高等科の建物であった。 こちらも、内田祥三、清水幸重の設計で、多田工務店の施工により、昭和10年(1935)に完成。

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・・・・・・・・・・・・・・以上は古い建物の紹介。 これらの建物を囲むように、近代的な校舎が並んでいる。 

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●・・・・・・・・・・・・・東大駒場キャンパスの東側の門から出て、井の頭線沿いに神泉駅に向かう。 この辺りは、住宅も密集し学生向けのアパート、マンションがアッチニモ・コッチニモ!

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・・・・・・・・・・・・・・神泉駅に近づくと線路脇から、切通しの先に神泉トンネルが見える。 300m程のトンネルの渋谷寄りには神泉駅がある。 トンネルの上には住宅が建っている。

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●ホームはトンネルの中 ・・・・・・神泉トンネルの渋谷寄りにある神泉駅。 神泉駅は、昭和8年(1933)8月1日の帝都電鉄渋谷~井の頭公園間開業と同時にできた駅。 ホームは相対式2面2線で、そのほとんどがトンネルの中にある珍しい構造である。 かつての神泉駅はホームの長さが3両分しかなく、吉祥寺寄りの2両がはみ出して停車していた。 そこで神泉トンネルを削って5両分に延長する工事が平成7年(1995)に行われた。 現在は、神泉トンネルと渋谷寄りに駅ビルがつくられ、その中に5両分のホームがある。

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・・・・・・・・・・・・・・渋谷へ行く電車は、神泉駅を出るとスグに渋谷トンネル(渋谷隧道)に入り、円山町のラブホテル街、道玄坂の飲み屋街などを地下で抜けて渋谷駅に向かう。

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・・・・・・・・・・・・・・駅名の「神泉」は、この辺りの地形が谷間になっており、その谷の名「神泉谷」に由来する。、、、、江戸時代の本『江戸砂子』によると、「此処に湧水あり、昔空鉢仙人此谷にて不老不死の薬を練りたる霊水なる故斬く名付しと言ふ」とあって、古くから霊泉として知られていました。 江戸時代から明治20年ころまで、弘法湯として栄え、後の円山を中心とする盛り場の発祥地となりました。、、、、駅近くのコンビニの脇にポツンと立つ神泉湯石碑。 石碑には弘法様らしきが刻まれ、微笑んでいる。 

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●昔も今も、二人の街! ・・・・・渋谷トンネルの上の地には、湯治目的で神泉湯に人が集まり、さらに芸妓さんも住み、湯治場は花街となり、戦後はホテル街と変わってきた。 今でも料亭だった建物が残っている。 知る人ぞ知る「円山町」 円山町から道玄坂を歩き駅へ・・・・一度、夜行ってみたい、楽しそうな街!
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・・・・・・・・・・・・・・その町の中に、長禄元年(1457)に太田道潅が江戸城を建築した際、城内に京都の伏見稲荷を勧請したことに始まる、千代田稲荷神社がある。 その後、徳川家康が江戸城を拡張した慶長7年(1602)に城内から渋谷宮益に移し、「千代田稲荷」と称した。、、、、知る人ぞ知る、道玄坂のパワースポット。 道玄坂で焼肉食べて、神社でパワーを授かり、いざ、円山町はラブホへ出陣!

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●ゴールした! ・・・・・井の頭線沿線の散歩もいよいよゴール。 誰もが知ってる渋谷駅に到着。、、、、明治18年(1885)に日本鉄道の駅が開業(現:JR渋谷駅)。 明治40年(1907)には玉川電気鉄道玉川線(後の東急玉川線)が開業し、その後、東京市電(後の東京都電)、玉川電気鉄道天現寺橋線(後の東京都電天現寺橋線)、東京横浜電鉄(現:東急)東横線などが開業。 さらにその後、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄渋谷線(現:京王井の頭線)が開業した。、、、、いまは、地下鉄銀座線、半蔵門線、副都心線なども開通し、さらに、渋谷駅は大改造中。 何が何だか判らない駅だ!

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2019年7月 3日 (水)

井の頭線 (下北沢~駒場東大前)

雨の上がった午前中に散歩をすべく、朝7時過ぎに家を出た。 行先は井の頭線の下北沢駅、今日はココから歩きはじめ駒場東大前駅まで、1万1千歩の散歩です。




●すし詰めラッシュ ・・・・・井の頭線沿線の散歩、今日は下北沢駅から。 まずは、井の頭線の下北沢駅で下車。

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・・・・・・・・・・・・・・吉祥寺方面から渋谷に出る通勤客にとっては、中央線新宿経由で渋谷に出ると、乗換1回、所要28分、運賃216円。 井の頭線で渋谷に出ると、直行、30分、195円。 自宅・勤務先の事情もあるだろうが、井の頭線の利用に魅力を感じる人も多いはずだ。 それ故に、朝8時の井の頭線下北沢駅ホームに到着する渋谷行の電車は超満員、“乗せて! 押して! 詰め込んで!”のラッシュ。 一方、吉祥寺行は“楽々座れますね!”

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●落ち着かない町! ・・・・・・下北沢の隣り駅:池ノ上駅まではわずか600m。 チョイト、裏道、回り道、寄り道を!

・・・・・・・・・・・・・・地下化された小田急線の地上の旧線路跡。 広い空間が、まだ整備されず・・・

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・・・・・・・・・・・・・・駅周辺には、大きな劇場、小さな劇場、数えたことはないが、自分の知るだけでも10軒以上はある!

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・・・・・・・・・・・・・・踏切を一つ、また一つ、線路の先には池ノ上駅が見える!

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●駅名の由来は単純! ・・・・・下北沢駅から600m、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄の駅として開業した池ノ上駅。 駅名は“いけのうえ”と読む。 ノーなしは東急池上線の池上駅、間違えないで! 島式ホーム1面2線の地上駅で橋上駅舎を持つ。、、、、かつて駅の南方に細長い池があり、それから駅周辺の高台を「池の上」と呼ぶようになる。 その地名から駅名を「池ノ上」としたそうだ。
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●研究の成果を見たい! ・・・・・・池ノ上駅の西側、目黒区駒場に東大駒場リサーチキャンパスがある。 ここは、元々は駒場農学校(東大農学部の前身)の敷地だった。 関東大震災後は東大の工学部系の研究施設がつくられる。 現在は、先端科学技術研究センター、生産技術研究所、国際産学共同研究センターがつくられ、先端工学系の研究施設が集まるキャンパスとなっている。、、、、“駒場”の東大と言えば、誰もが東大教養学部の駒場キャンパスを思いだすが、そのキャンパスは「駒場東大前駅」の北側に広がっている。 ここは、教養学部のキャンパスとは駒場公園を挟んで西側にあるキャンパス。 東大でも一般にあまり知られていない、超最先端の研究をしている施設である。 セキュリティがシッカリしているので、内緒で機密情報をパクることは出来ません!、、、、文化財級の建物を除いて、研究室などがある近代的な建物は、京都駅を設計した原広司の設計である。、、、、

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 ・・・・・・・・・・・・・・最先端の研究をする施設群の中で、キャンパスの中央にシンボル的にたつのは「先端科学技術研究センター13号館」。 旧航空研究所本館で、登録有形文化財。 昭和4年(1929)完成。 設計は内田祥三、清水幸重。 施工は大倉土木(現:大成建設)。、、、、現在は、事務室と教室として使用されているようだ。

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・・・・・・・・・・・・・・13号館の真後ろたつ14号館。

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・・・・・・・・・・・・・・正門から入ると、13号館の右にたつ「試作工場」は、旧東京帝国大学航空研究所中央工場第1号館として昭和4年(1929)に建てられた。 鉄筋コンクリート造2階建て。 設計は内田祥三と清水幸重ほか、施工は大倉土木(現:大成建設)。

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・・・・・・・・・・・・・・13号館の左には、「旧:東京帝国大学航空研究所風洞部研究室」であった1号館がある。 設計:内田祥三、清水幸重など、施工は竹中工務店。
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●東西駒場駅の合作! ・・・・・・「駒場東大前駅」は、昭和40年(1965)7月11日に「駒場駅」と「東大前駅」を統合して開業した。 井の頭線で唯一戦後に開業した駅で、最も新しい駅である。 現:駒場東大前駅より吉祥寺寄りに駒場駅が、渋谷寄りに東大前駅があった。 両駅がその中間点に移動し、統合したものだ。

・・・・・・・・・・・・・・まず「駒場駅」について、、、、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄の「西駒場駅」として開業。 昭和12年(1937)に「駒場駅」に改称した。、、、、駒場駅は現:駒場小学校の前辺りにあった。 (写真1枚目の中央)上り側:京王電鉄の保線詰所のような小さい建物が建っている処。  (写真2枚目の中央)下り側:ホームのようなコンクリート構造物がある処。

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・・・・・・・・・・・・・・「東大前駅」について、、、、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄の東駒場駅が開業。 昭和10年(1935)には「一高前駅」に改称し、昭和26年(1951)に「東大前駅」に改称した。、、、、次の写真では、現駒場東大前駅の渋谷寄り東口階段を下り20m程渋谷側に寄ったあたりに、写真左端の看板がある処。 この付近ではコンクリートの中に鉄骨の一部が埋められたものを2m程の間隔に見ることができる。 当時の駅に関係する構造物の一部か?

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・・・・・・・・・・・・・・現在の駒場東大前駅は、島式ホーム1面2線の構造。 傾斜地にあるため、吉祥寺寄りは高架ホーム、渋谷寄りは通常の地平ホームとなっている。 改札口は、吉祥寺寄りホーム階下の西口と渋谷寄りの路盤上にある東口・東大口の2か所がある。

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2018年12月19日 (水)

挙式もできる目黒区役所

久しぶりに東急東横線中目黒駅で下車してみた。 駅前の商店街を歩き目黒区役所に立ち寄って、祐天寺にて手を合わせ学芸大学駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
●埼玉の電車も停まる駅・・・・・・・・・東横線と、東京メトロの日比谷線が乗り入れている中目黒駅は、東急が駅を管轄している。 1番線ホーム(横浜方面)に立つと、東京メトロ副都心線を介して相互直通運転している東武東上線、西武池袋線、横浜高速鉄道みなとみらい線などの車両が入線し、隣りの2番線ホームは日比谷線の終点で乗客は全員降りて、乗り換える客も多い。 ホームの上は、通勤・通学で朝から忙しそうだ。、、、、昭和2年(1927)8月28日、渋谷~丸子多摩川(現:多摩川)間の開業に合わせ、同時に中目黒駅も相対式2面2線の高架駅で開業した。(東横線の始まりである) 昭和39年(1964)、日比谷線が乗り入れ東横線日吉駅まで相互直通運転が始まる。 平成25年(2013)、副都心線がみなとみらい線・東横線に乗り入れ、相互直通運転が始まる。 この時から、日比谷線の乗り入れは終わり、中目黒駅は日比谷線の終着駅となる。、、、、女性憧れの東横線に、埼玉の電車:東上線・池袋線が乗り入れたので、東横線沿線の価値は下がったかな?
 
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●馬面から銀座のお姉さんに!・・・・・・・・・・東横線の南側に「目黒銀座」商店街がある。 朝、駅に向かう人がせわしなく通り過ぎて行く。 人を避けたた時、「目黒馬頭観音」の提灯が目にとまり、路地を入ると商店街の裏に小堂があった。、、、、大正時代の終わりごろ、乳牛牧場や馬力運送する業者がこの辺りに多かったことから、何名かが発起人となり牛馬の息災を護り、亡くなった動物の霊を弔うために建てたそうだ。 現社殿は昭和10年(1935)の建築。、、、、、昭和31年(1956)から“馬頭観音”改め、「目黒銀座観音」と改称したらしい。 観音さまの姿は拝見していないが、馬面の観音さまより、銀座のお姉さんをイメージする観音さまの方がいいね。 私も好きになれそうな名だ!
 
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●挙式もできる区役所・・・・・・・・目黒銀座をもう少し歩くと、目黒区役所に向かう道が目にとまる。 今度は、目黒区役所にお立ち寄り。、、、、、昭和42年(1967)の文化勲章受章者である建築家:村野藤吾(1891~1984)の作品の一つ旧千代田生命保険相互会社本社ビルで、現在は目黒区総合庁舎となっている。 区役所の建物を見てきた。、、、、地上6階/地下3階の本館と、地上9階、地下3階の別館で構成、延床面積 48,075m2の建物は、昭和41年(1966)の竣工。 外壁の白色アルミ鋳物製ルーバーが印象的な建物。 平成15年(2003)から区役所庁舎に生まれ変わり使用されている。、、、、民間の建物から役所の建物に変わり、建物の汚れも目立ち、チョイト使い方が荒い気もするが、致し方ないか!
 
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・・・・・・・・・・・・・・内部は住民への窓口が並ぶ。 一部、茶室、和室もある。 広いエントランスホールと螺旋階段に設計者:村野の特徴が現れている。 目黒区では、この庁舎を利用したウエディングの応募者を募っていた、私も若ければ・・・・?
 
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●移設された庚申塔・・・・・・・・・・・・・目黒区役所の近く、駒沢通りに面し、天照大神を祀っている上目黒天祖神社がある。 創建年代は不詳。 現社殿は昭和8年(1933)の造営。、、、、、境内には、2基の庚申塔がある。 ともに青面金剛と三猿が彫られたものだ。一方は宝永五年(1708)の年号、もう一方は享保元年(1716)の年号が刻まれており、享保の年号を持つ塔は道標にもなっていたという。 道標の銘には、道をまっすぐ行けば九品仏、右に行けば世田谷、左に行けば目黒不動と、標されている。 なお、庚申塔は、昭和15年、駒沢通りがオリンピックの準備で拡張された時に、ここ神社の境内に移された。
 
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●REITで儲けた寺・・・・・・・・・・・・・駒沢通りを南に歩くと、浄土宗の名刹:明顕山祐天寺 の前に出た。、、、、江戸中期祐天上人を開山とし弟子の祐海が創建した。 祐海は経営の才があり、寺の経済的基盤を固めることに努め、寺憲を作って、喜捨された金が100両になる毎に地所を購入するように定めた。 その後も祐全・祐東などの努力によって、寺運は発展し、その所有地は幕末には4町歩を越えた。 現在でも目黒区一の大地主らしい。 明治27年(1894)日清戦争の時、目黒火薬製造所が増産で出てくる弾丸の貯蔵に困り、寺に預けたものが爆発し、堂塔の大半を失ってしまった。 しかしそれでもなお多くの寺宝、文化財を今日に伝えている。 江戸時代から不動産投資(REIT)で儲けていたらしいね。、、、、山門前にはすでに門松が用意され、境内は初詣のため参道沿いに電球が用意されていた。 
 
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●どこを歩いても古道か?・・・・・・・・祐天寺から学芸大学駅へ向かう駒沢通り沿いに石仏・道標が3か所にあった。 この辺りは、どの道も古道なのか? あちら、こちら、石仏・石碑のたぐいが残されているようだ。、、、、、私の住む浅草橋には“古道”と呼ばれる道はないが、現江戸通り(水戸街道)は吉原へ通じる道だった。 出来れば“廓(くるわ)古道”とでも命名して欲しいね!
 
・・・・・・・・・・・・・中町2丁目、「祐天寺2丁目交差点」近くに「さわら庚申と道標」がある。 五叉路の一角に木を背にして小さいながら立派な堂があり、中には3基の庚申塔がある。 また、その右側に道標があり正面に“おく沢、ひもんや、いけかみ道”左面に“あさふ、あを山道”右面に“ごほん木、ふたご道”と彫られている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・五本木2丁目、ビルの角に石仏の観音像が祀られている。 この石仏は、もと上目黒にあったものを、再開発のため現在地に移転したそうだ。 この観音像は、目黒川にあった水車の無事やそこで働く人々の安全、また川で水死した子供の供養のために造られたといわれている。 ただそれが何時頃、誰によって造られたか不明。
 
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・・・・・・・・・・・・・・小堂内に庚申塔が4基、地蔵1基が納められ、その手前に念仏塔1基、堂の外にも庚申塔が建っている、ここは五本木2丁目の「五本木庚申塔群」。、、、貞享3年(1686)から文化8年(1810)にかけての年号や五本木庚申塔講中の氏名が刻まれている。 庚申塔群の前の道は、鎌倉古道であったそうだ。 やっぱり古道か!
 
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●シャレた名の稲荷・・・・・・・・・・・・・・・・中央町2丁目、駒沢通りに面して十日森稲荷神社の鳥居がある。、、、、、この神社は、もと五本木の旧家である島崎佐五衛門の邸内にあった屋敷神を移されたと伝えられ、旧上目黒村五本木組の鎮守であった。 五本木田圃の豊作守護神としてあがめ、信仰のもとにこの神社を祀ったと言われている。 蒼稲魂命を例神として今もこの地域の人々に深く崇敬されている。、、、、現本殿は明治17年(1884)に、拝殿は昭和32年(1957)の建築。、、、、社名の“十日森”は、“稲荷の森”を“稲荷(とうか)の森”と読んで転じたと言われている。
 
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●名を変えてきた駅・・・・・・・・・・学芸大学駅に着いた。、、、、駅名の由来となった東京学芸大学は昭和39年(1964)に小金井市へ移転したが、東京学芸大学附属高等学校は当駅を最寄り駅として現存している。、、、、、昭和2年(1927)8月28日の開業時は碑文谷駅と称していた。 その後、碑文谷駅→青山師範駅→第一師範駅→昭和27年(1952)7月1日学芸大学駅に改称してきた。、、、、島式ホーム1面2線の高架駅。
 
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2018年5月11日 (金)

東急目黒線 (洗足~田園調布)

先日の東急目黒線 (目黒~洗足)の続き、今日は洗足駅から田園調布駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①洗足駅・・・・・・・・・・・今日の散歩は洗足駅から。
 
・・・・・・・・・・・・・電車は洗足駅に進入する。
 
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・・・・・・・・・・・・・・改札口にはこれから出勤する人も、、、、、
 
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②洗足~大岡山間・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・かつての線路敷きに沿い細長く造られたスーパー。、、、、、電車はスーパーの下を走っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・目黒線は環七通り「北千束五差路交差点」の下を抜け大岡山駅へ向かう。 写真:手前が環七通り、中央が目黒線線路敷き跡で奥が大岡山方向。
 
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・・・・・・・・・・・・・環七通りを過ぎると、洗足と大岡山両駅の中間と思われる付近で目黒線は地上(掘割)に顔をだす。
 
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・・・・・・・・・・・・・目黒線に乗り入れる都営三田線の6300形車両。
 
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大岡山駅 ・・・・・・・・・・大正12年(1923)3月11日1923、目黒蒲田電鉄線(現:目黒線)の開通と同時に大岡山駅も開業した。 昭和2年(1927)7月6日には、目黒蒲田電鉄大井町線も開業する。 平成9年(1997)に駅は地下化され、方向別ホームとなる。 平成19年(2007)11月3日より、駅直上にツタの絡まる135床の総合病院「東急病院」が移転してきた。 電車の中で気分が悪くなっても、駅の病院なら救急車を呼ぶ必要もないね。、、、、、大岡山駅は大田区北千束にあるが、駅の西側は東京工業大学のキャンパスで目黒区である。 この目黒区側の町名が「大岡山」。 またまた、ややっこしい話!
 
・・・・・・・・・・・・・目黒方面から来ると、尻から入る東急病院(大岡山駅)。、、、、そ~~だ、東急病院には肛門外科があるから、痔も治してくれるかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・ツタの絡まるステーション&ホスピタル。 
 
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④大岡山~奥沢間・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・大岡山駅を出た目黒線は、南北を東京工業大学 のキャンパスに挟まれて走る。、、、、、東工大は私が入りたかった大学だが、先方が拒否したため断念した。 憧れの大学をチョイト覗いてきた! 
 
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・・・・・・・・・・・・・目黒線と大井町線は、東工大の付近で地下(大岡山駅)から顔を出す。 両サイドの2線が目黒線、中央の2線が大井町線。
 
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・・・・・・・・・・・・・大井町線は目黒線を越えて、自由が丘方面に向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・大井町線緑が丘駅の高架下に東工大ゲートがある。、、、、キャンパス内を歩いてきた私もここから出る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・緑が丘駅 は東急大井町線の駅。
 
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・・・・・・・・・・・・・・緑が丘駅から目黒線に戻り、再び線路沿いに歩く。、、、、、東急の車両が来た! 3000形だ! 平成12年(2000)から走った電車だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・次に目に入ったのは、今や、見ることが少なくなった線路わきの梯子(ハシゴ)。 竹製ではなくFRP(繊維強化プラスチック)の梯子だった。 昔は竹製で、架線の保守点検に使用されていたが、今は保線車両の設備が向上し線路わきに梯子を用意しておく必要性が少なくなったそうだ。、、、、竹製ではないが、この光景は貴重。 
 
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⑤奥沢駅・・・・・・・・・・・目黒線で唯一世田谷区にある駅。 大正12年(1923)3月11日に開業。 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線を有する地上駅。 ホームの北側には、目黒線の車両基地(元住吉検車区奥沢車庫)がある。   上り・下りホームはそれぞれ独立し、改札もそれぞれ独立している。   (写真:右側は車庫、左側はホーム)
 
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・・・・・・・・・・・・・・目黒線に乗り入れてる埼玉高速鉄道の2000系電車に御対面。
 
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・・・・・・・・・・・・・日吉方面改札。 目黒方面改札。 そしてホーム。
 
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⑥奥沢~田園調布間・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・世田谷区奥沢の町を抜ける目黒線。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東急東横線の下にもぐり込む目黒線。、、、、、、東横線上下線の間に割り込むように、目黒線は東横線の下をとおり田園調布駅に向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・目黒線は東横線の下。、、、、、東横線上下線の間隔が徐々に広がっていく。 田園調布駅で目黒線が、この間に出て4線が並ぶ。
 
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⑦田園調布駅・・・・・・・・・・・・駅の手前から再び大田区に入る。、、、、、、田園調布駅も、大正12年(1923)3月11日、目黒蒲田電鉄の目黒~丸子(現・沼部)間開通と同時に開業した。 開業当時の駅名は調布駅。 大正15年(1926)、田園調布駅に改称。、、、、、、現在は、平成の時代に始まった地下化で、島式ホーム2面4線の地下駅。
 
・・・・・・・・・・・・東横線が渋谷方面から田園調布駅(写真:中央奥)に向かう線路敷き。 上下線の間に目黒線のトンネル(市松模様の緑の下)が割り込んで上ってくる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・地下化され駅舎も新しくなった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・田園調布駅と言えば、駅のシンボルとして復元された旧駅舎がある。、、、、、旧駅舎の屋根の形は、マンサード・ルーフという欧州中世期の民家をモデルとしたものらしい。 神宮外苑の絵画館や上高地帝国ホテル、伊豆の川奈ホテルなどを設計した矢部金太郎の設計である。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・これにて、目黒線(目黒~田園調布)を踏破した。

2018年5月 6日 (日)

東急目黒線 (目黒~洗足)

今日の散歩は、東急目黒線に沿いに目黒駅から洗足駅まで、9千歩の歩きです。
 
・・・・・・・・・・・目黒線とは、、、、、大正12年(1923)3月11日に東急電鉄の母体となった目黒蒲田電鉄の目黒線として、目黒~丸子(現:沼部)間が開業した。 同年11月1日には丸子~蒲田間が開通し目蒲線に改称した。 目蒲線の時代の主要駅は、目黒・武蔵小山・洗足・大岡山・田園調布・多摩川・沼部・下丸子・蒲田であった。 平成12年(2000)8月6日に目蒲線は、目黒寄りの目黒線と、蒲田寄り多摩川線に分割され消滅した。 目黒線は目黒~田園調布間の6.5kmとなる。 平成18年(2006)7月2日には、目黒不動前~洗足間の地下化が完成。
 
 
 
①東急 目黒駅・・・・・・・・・・大正12年、2面3線頭端式の地上駅として開業した。 昭和28年(1953)には駅ビルができたが、平成9年(1997)には現在の構造となった。 駅上の地上17階建ての「JR東急目黒ビル」は平成14年(2002)の竣工。、、、、私が記憶している目蒲線の目黒駅は地下に東急ストアーがあった薄汚れた駅ビルの時代。 今では、駅前に立っても、昭和の面影なし。
 
・・・・・・・・・・・・・・JR東急目黒ビルの地下にホームがある。 目黒線には、東京メトロ南北線と都営三田線が乗り入れ、JRを含め4線のターミナル。、、、、、駅前道路の向かいにはJR目黒駅 西口がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・改札はビルの地下。
 
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・・・・・・・・・・・・・・1面2線の地下ホーム。
 
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②目黒~不動前間・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・目黒駅を出た目黒線は、杉野学園 東側の坂の地下を抜け地上に顔を出す。
 
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・・・・・・・・・・・・・目黒線は、目黒川を越え、山手通りを越える。
 
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③不動前駅・・・・・・・・・ちょうど一週間前、当駅で下車し夫婦で目黒不動尊に参拝した。、、、、、大正12年(1923)3月11日、「目黒不動前駅」として開業し、同年の10月には「不動前駅」に改称した。 平成11年(1999)11月10日、目黒~洗足駅間の連続立体交差事業に伴い高架駅となる。、、、、表通りからチョイト引っ込んだ静かな駅だ。
 
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④不動前~武蔵小山間・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・線路の南側の坂を上る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・住宅の横を入ると、跨線人道橋があった。 線路が見えないようアクリル板で目隠しされていたが、執念でチョイトの隙間を見つけ、かろうじて不動前駅のホームが見えた!、、、、、これから先、目黒線は地下化されトンネルに入ってしまう。 じばし、線路は見納めとなる。
 
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・・・・・・・・・・・・・線路敷きは「不動前緑道公園」と称し、隣りの武蔵小山駅の直前まで続く。、、、、、普段の散歩なら、延々と続き変化の少ない“この手の公園”は嫌い、脇道にそれるのであるが、今日は我慢して歩いてきた。、、、、歩く足の下に電車が走っていると思うと、上からドリルで穴でも開けて見たくなるね。
 
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⑤武蔵小山駅・・・・・・・・・・大正12年(1923)3月11日、小山(こやま)駅として開業。 翌年、武蔵小山(むさしこやま)駅に改称。 平成18年(2006)には地下化された。、、、、、島式ホーム2面4線の地下駅で、緩行と急行の接続がある。、、、、、駅名は、東北本線の「小山(おやま)」と間違えないように、地名の「小山」に旧国名「武蔵」を冠した。
 
・・・・・・・・・・・・・・平成22年(2010)9月、駅ビルがオープンし、駅前ロータリーもでき、明るい駅前である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前では41階建て(高さ:約145m)のタワーマンション2棟が建設中。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前には、有名な武蔵小山商店街もある。、、、、、私の住む浅草橋より住みやすそう、生活しやすそう、負けた!
 
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⑥武蔵小山~西小山間・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・この間は「武蔵小山緑道公園」と名を変えて、再び退屈な公園が続く。、、、、公園の出入口部分の柵、自転車が入れるギリギリの幅しかなく、バイクなどは通れないようだ。 車椅子はどうする?
 
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・・・・・・・・・・・・・・公園にあった目黒線の案内板に、昭和初期から戦後にかけ製造された旧型車両。 昭和60年代に目黒線をチョッピリ走った東急5000系「ステンレスガエル」もあった。
 
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⑦西小山駅・・・・・・・・・・・西小山駅は昭和3年(1928)8月1日に開業した。 この駅も平成18年(2006)に地下化され、その後、駅ビル、駅前広場が完成した。、、、、同じような駅が続くね!
 
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⑧西小山~洗足間・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・またまた緑道公園、名は「西小山緑道公園」。 飽きた!
 
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・・・・・・・・・・・・・目黒線と云うが、目黒駅から西小山緑道公園までは、駅も線路敷きも品川区内に属している。 この先、大岡山付近は大田区、奥沢駅付近は世田谷区、田園調布駅付近は再び大田区である。 つまり、目黒区内にあるのは、洗足駅と大岡山の東工大キャンパス付近だけ。 これで、“目黒”線とは?
 
・・・・・・・・・・・・・・洗足駅の手前150m程の地点で、やっと緑道公園の終わりとなった。 掘割の線路敷きを囲う柵の隙間から線路が見えた! チョイ先には跨線橋もある、不動前から地下にもぐった目黒線が見えるはずだ!、、、、、橋の上、線路脇から電車に手を振り、車窓から手を振り返される、ほほえましい光景がここでは見られない、残念、無念!
 
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・・・・・・・・・・・・・電車の姿が見えないと、よけい見たくなるもので、いろいろ場所・姿勢・角度を変えて撮った写真。
 
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⑨洗足駅・・・・・・・・・・・・・洗足駅は大正12年(1923)3月11日に開業。 昭和40年(1965)には環七通りとの立体交差のため地下化された。 相対式ホーム2面2線の地下駅。、、、、、、駅名は、この地が開業以前より田園都市株式会社が分譲した「洗足田園都市」と言う分譲地だった事に由来する。 その「洗足」は洗足池の伝説にちなむが、駅から池までは1km程の距離がある。 池上線の「洗足池駅 」と駅名が似ているのは、開業当時は目黒線は目黒蒲田電鉄、池上線が池上電気鉄道で同業他社だった名残からだ。、、、、、ついでに、「洗足」駅と「洗足池」駅の中間地点に「北千束」駅(大井町線)がある。 さらに、ややっこしくすると、町名の「洗足」は目黒区、町名の「千束」は太田区。 そして、町名の「千束」の中に、「洗足池」がある。 自分の頭の中で整理してね!
 
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2018年4月29日 (日)

目黒不動 (瀧泉寺)

GWが始まった! 私は一年中がGWなので、どうでもいいや! 今日は、午後から妻と目黒不動に行ってきた。 帰りは、雅叙園に寄って“ひと休み”。 
 
 
 
①不動前駅・・・・・・・・・浅草橋の我が家からは、都営浅草線に乗り三田駅で、都営三田線に乗換る。 三田線は東急目黒線に乗り入れており、目黒駅の次が不動前駅。 我が家から、約30分で到着、結構近いものだ!、、、、、不動前駅は目黒不動の最寄り駅であるが、JR目黒駅と同様で、目黒区ではなく品川区に位置する。 品川駅は港区にある。 ついでに、新宿駅の半分は渋谷区にある。 以上、有名な話。、、、、、不動前駅は、大正12年(1923) 3月11日に目黒不動前駅として開業し、同年10月には不動前駅に改称した。 また、路線の分割により、平成12年(2000)に、目蒲線から目黒線に改称した。 駅名は“不動前”であるが、“前”とは名ばかりで、実際は700m以上離れており、チョイト遠い。
 
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②かむろ坂・・・・・・・・・・山手通りのかむろ坂下交差点から西に向かって約500m程上る坂。 勾配はきつくなく、両側の桜並木が美しい(今年は既に散った)坂である。、、、、、“かむろ坂”は「禿坂」と書く。 “禿(かむろ)”とは、“ハゲ”ではなく、江戸時代、遊郭に住み花魁などの身の回りを世話する見習い幼女を言う。 延宝7年、白井権八が品川で処刑され、そのあとを慕って遊女小紫が自害した時、その幼女(かむろ)もあとを追って桐ヶ谷の二ツ池に身をなげたと言われている。 その後、この一帯の丘陵を禿山と呼び、これに通じる坂を禿坂とよんでいる。、、、、「禿坂」を“ハゲ坂”と読むと、坂の雰囲気がガラリ変わるね。
 
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③瀧泉寺・・・・・・・・・・かむろ坂から北へ向かい目黒区下目黒に、天台宗の寺院:泰叡山(たいえいざん)瀧泉寺(りゅうせんじ)がある。 瀧泉寺は大同3年(808)に慈覚大師が開創した、関東最古の不動霊場である。 目黒不動明王を本尊とし、一般には目黒不動尊の通称で呼ばれている。 もちろん、この地の地名「目黒」の出どこである。、、、、、江戸時代には三代将軍徳川家光の帰依により堂塔伽藍の造営が行われ、それ以後幕府の厚い保護を受け、江戸五色不動の一つとなった。
 
・・・・・・・・・・・・・仁王門は、三間の朱塗りの楼門で、昭和37年(1962)に鉄筋コンクリート造で再建された。
 
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・・・・・・・・・・・・・境内は仁王門のある平地と本堂のある台地の2段構えで、本堂に向かう階段横に、開祖:慈覚大師が持っていた独鈷を投げたら滝泉が湧き出し、「独鈷の滝」と名付けられた池。 中に「水かけ不動」が立っている。、、、、風の強い日は、風向きに注意して水をかけないと、水が我が身に戻って来る。 ズボンを濡らすと、漏らしたように見られてチョイト恥ずかしいからね。 
 
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・・・・・・・・・・・・・独鈷の滝の横には、「垢離堂」と呼ばれる小堂があり、中には「青龍大権現」がいる。、、、、、堂の中は埃っぽいようだPM2.5の影響か?
 
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・・・・・・・・・・・・・境内中央の階段(男坂)を上り本堂へ向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・階段上で鳥居をくぐると、昭和56年(1981)に再建された入母屋造に千鳥破風をもつ鉄筋コンクリート造の本堂が出迎えてくれる。
 
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・・・・・・・・・・・・・肝心要の目黒不動明王は秘仏で12年の眠りに入っている。 酉年に目覚め開帳されるそうだ。、、、、、本堂天井の龍の絵は日本画家:川端龍子の作。
 
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・・・・・・・・・・・・・本堂の裏側に銅製の大日如来坐像がある。 天和3年(1683)の作。、、、、、人気があるのか、こちらも手を合わせる人が絶えないようだ。 
 
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・・・・・・・・・・・・・境内からチョイとはずれて、裏の墓地に行くと、江戸時代中期の儒者で、サツマイモ(甘藷)の栽培を普及させた青木昆陽(1698~1769)の墓がある。 墓石には「甘藷先生墓」と刻まれ、昆陽が生前に立てさせたものと言われている。
 
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④雅叙園・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・山手通りを横断し、目黒川を越え、雅叙園に向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・『チョイト疲れたから休憩しよう!』と入った雅叙園。 今日も結婚式が多く、振袖の外人さん、遠くに白のウエディングドレスも見える。 建築士の私の興味は建物より花嫁、年とれば知識より色気。、、、、、夫婦の会話も結婚式が話題となって、しばしコーヒータイム。
 
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カトリック目黒教会(聖アンセルモ聖堂) ・・・・・・・・・・・雅叙園から教会の前に出る。 この教会は、旧帝国ホテル建設の際、フランク・ロイド・ライトの助手として活躍したアントニン・レーモンドが、戦後はじめて手がけた作品である。 打放しコンクリートによる折版構造の壁で、隙間から外の光が差し込み、神聖な空間を創りだしている。 昭和31(1956)竣工。、、、、、、今日は、短時間で聖堂を拝見。
 
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⑥目黒駅前・・・・・・・・・・駅に到着、お不動さまのご利益を期待して帰る。
 
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2017年6月 5日 (月)

馬込~学芸大学

都営浅草線馬込駅から、東急池上線長原駅、東急大井町線北千束駅、東急目黒線洗足駅を巡り、東急東横線学芸大学駅まで、1万4千歩の散歩です。
 
 
 
①馬込駅・・・・・・・・・・・・都営浅草線の駅で、我が家のある浅草橋からは乗り換えなしで約28分である。 今日も行先を決めず浅草線に飛び乗った。 どこで降りよか思案橋、決めるに決まらず、まごまご馬込。、、、、と言うことで、散歩は馬込駅からスタート。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前には洒落た造りの本格的な喫茶店:「楡本店」がある。 玄関上には「CAFFE 1953 NIRE(楡)」と書かれ、昭和28年(1953)創業の老舗である。 時刻は8時15分、まだ開店前。、、、、、店の前の坂を右に上っていくことにした。
 
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②北馬込の町・・・・・・・・・・・馬込駅(国道1号)の西側の一帯で、町の北側は品川区中延・旗の台と接している。
 
・・・・・・・・・・・・・馬込駅の西側の高台にある二車線の通りには、街路灯に「馬込三本木通商店街」と記された旗がなびいている。 “商店街”? なんとなく、辺りを見回してみるが、特に核となる店舗はないようだ、蕎麦屋、ラーメン屋などそれらしき店がポツン、ポツンとある程度。
 
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・・・・・・・・・・・・・・商店街の通りに面し、曹洞宗の金光山宗福寺はがある。 江戸時代初期頃の開山らしい。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内には、昭和10年(1935)、10歳の女の子が乱暴され殺害されたことを不憫に思った人達が、その霊を祀った「登志子地蔵」が建立されている。 この事件では、犯人逮捕に向けて宗福寺に捜査本部が設置された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・大田区北馬込と品川区中延・旗の台の境を西へ歩く。 約400m程は道幅が広くなっている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・幅広の道は、「北馬込本通り協和会」なる商店街に続き道幅も狭くなる。 商店街は環七通りにぶつかり終わる。 
 
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長原駅 ・・・・・・・・・・・長原駅は東急池上線の駅で、昭和2年(1927)8月に池上電気鉄道長原駅として開業した。  昭和40年(1965)から、環七通りの踏切解消のため地下化工事に着手し、昭和48年(1973)11月30日に工事は竣工した。、、、、、地下化されたため、商店街の中の駅は見つけにくい処にある。
 
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④北千束駅・・・・・・・・・・・長原駅から北西に650m程行くと東急大井町線の北千束駅がある。 この辺りは、東急の各線が集まっており、東西南北どちらに歩いても東急の駅に出るようだ。、、、、、、昭和3年(1928)10月10日、目黒蒲田電鉄の大井町線池月駅として開業。 昭和5年(1930)には洗足公園駅に改称し、昭和11年(1936)1月1日に北千束駅に改称した。、、、、、乗降客も少なく、昔ながらのホーム上屋、昭和3年架橋の駅前ガード(池月架道橋)などが現在も利用され、昭和の匂いが残る駅である。
 
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●・・・・・・・・・・・・ここ北千束駅から学芸大学駅までは、16年3月31日にも歩いているので、こちらを見てね。  以下は、今まで歩いていない処のみ紹介。
 
 
 
⑤曲がった家・・・・・・・・・・目黒区碑文谷で見つけた、ナンジャコレ!、、、、家の床は傾いていないようだ。
 
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⑥円融寺・・・・・・・・・・・天台宗の経王山円融寺は、仁寿3年(853)に現在地(目黒区碑文谷1)に創建した。 天台宗に始まったが、日蓮上人の高弟が日蓮宗に改め、弘安6年(1283)妙光山法華寺に改号し、日蓮宗の名刹寺院として栄えた。 江戸時代には幕府の弾圧を受け、元禄11年(1698)天台宗に改宗、天保5年(1831)経王山円融寺となる。、、、、、現在も大きな寺で、今日は“さわり”だけ、チョイトね!
 
・・・・・・・・・・・・・・・山門、、、、、、この山門は、昭和26年(1951)に品川御殿山の原邸から移築されたもので、天保4年(1833)に元播磨国美嚢郡三木和田の寺の山門として工匠黒田重兵衛常久、瓦匠勝清の手によって作られたものである。 明治33年(1900年)に、原邸に移されていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・仁王門、、、、、、 参道をすすむと、大きな仁王門がある。 門は檜と欅を用いた簡素な構成の造り。 建立時期は不詳であるが、永禄2年(1559)に仁王像が作成されており、ほぼ同時期(足利時代)と考えられる。 平成19年(2007)に茅葺きだった屋根を銅葺きに改めた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・釈迦堂、、、、、、、室町初期の建立といわれ、都区内最古の木造建築とである。 明治44年(1911)に旧国宝に指定され、昭和25年(1950)に国の重要文化財に指定されました。 本来の屋根は茅葺きであったが、昭和27年(1952)に銅葺きに改められた。
 
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2016年10月29日 (土)

祐天寺~目黒

東急東横線祐天寺駅からJR山手線目黒駅まで、1万2千歩、8kmの散歩です。
 
 
①祐天寺駅・・・・・・・・・・・・大正15年(1926)、東京横浜電鉄が丸子多摩川駅~神奈川駅間を開業する。 昭和2年(1927)8月28日、渋谷駅~丸子多摩川駅が開通し、東横線として渋谷駅~神奈川駅間の直通運転が始まる。 祐天寺駅はその東横線開通時に同時開業した。、、、、開業時は木造駅舎の地上駅であったが、昭和45年(1970)に相対式ホーム2面2線で高架化された。
 
・・・・・・・・・・・・・現在、ホーム幅を狭め、中央に通過線1線を増設し、2面3線に改良中。
 
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・・・・・・・・・・・・・・高架下の西口。 まだ、東西に行き来はできない。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・今月から解体工事が始まる祐天寺駅ビル。 解体後、東口が整備され東西に行き来ができるようになる。
 
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②C57117号動輪・・・・・・・・・・・・祐天寺駅から東へ150m程歩くと、幼稚園に曲がる角に、蒸気機関車の動輪と腕木式信号機などが残されている。、、、、C57117号は、昭和14年(1939)10月23日、三菱重工業神戸造船所で造られた。 戦前は広島県の糸崎に配置され山陽路で活躍し、戦後は熊本・宮崎などに配置された。 昭和48年(1973)の宮崎植樹祭時では、日本最後の国鉄蒸気機関車が牽引するお召し列車を仕立てた名機である。、、、、、その機関車の動輪が保存されている。 保存は、近くでカレーショップ「ナイアガラ」を営業する、大の鉄道ファンであるマスターが個人として、初めて動輪の払い下げを受けたそうだ。
 
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祐天寺 ・・・・・・・・・・・・寺の住所は、祐天寺駅前の目黒区祐天寺にあるかと思いきや、門前の駒沢通りを越えたため、目黒区中目黒5丁目となっている。、、、、祐天寺(寺)あっての祐天寺(町)、寺の敷地を目黒区祐天寺1丁目の飛地としてでも、祐天寺に入れたくなるね。、、、、、祐天寺は、祐天上人の高弟祐海上人が、祐天上人を開山と仰いで享保3年(1718)に創建、享保8年(1723)明顕山祐天寺と号した、阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の寺院である。
 
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・・・・・・・・・・・・・寺は、数年前から大林組の施工で、諸堂の大修理が行われている。 まだ、工事中。 仕事を邪魔しないように、手だけ合わせて、散歩を続けることにした。
 
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④中目黒5丁目・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・祐天寺裏交差点の「谷戸前地域安全センター」。 平成19年(2007)以前までは“谷戸前交番”と呼ばれていた。、、、、、戦後の建物か? 古そうだ! 写真では判らないが、裏側のドア、窓は木製。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・富士山を模した看板建築。 店の名は「フジミ
 
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・・・・・・・・・・・・・・「なべころ坂緑地公園」の角に、 「藤の庚申」 と称する古い庚申塔がある。 昔はここに藤の大木があったそうで、「藤の庚申」と名付けられたそうだ。、、、、、左側の駒型の碑は1m以上もあり、 合掌六臂の青面金剛と日月、二鶏、三猿の図柄が彫られている。 貞亨元年(1684)の銘が刻まれている。 右側の小さな板碑型のものは元禄元年(1688)の造立。 この前の道は古くから庚申道と呼ばれているそうだ。 この付近には庚申塔が多く残されている。、、、、新しい提灯、供養の花、誰だか守る人がいるようだ。
 
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⑤油面地蔵通り・・・・・・・・・・・目黒区目黒4丁目と中町1の境界に、「油面(あぶらめん)地蔵通り」という約600mぐらいの商店街がある。 商店街の中ほどには、油面子育地蔵尊が鎮座している。、、、、、油面(あぶらめん)の由来は、江戸時代この付近では菜種が栽培され、菜種から作られた油を燈明用に増上寺・祐天寺などに納めていた。 その見返りに租税が免除された。 よって、「油免」転じ「油面」となったそうだ。、、、、、元気がなくなってきた商店街のようだ、チョイと脂っこい料理でスタミナつけて頑張って欲しいね。
 
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・・・・・・・・・・・・・地蔵さんは、元は目黒通りの油面交番の近くにあったそうだ。 今は、商店街の中ほど、ベーカリーの隣にある。 地蔵さんは「高地蔵」と呼ばれ、土手の上に高く祀られていたので、このような名がつけられたそうだ。 地蔵尊を載せる台石には「是より右ゆうてん寺」、「是より左九ほんぶつ」の文字が彫られ、道標でもあった。 子育て・眼病にも霊験あらたかとして、お参りする人もいるそうだ。
 
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⑥長泉院現代彫刻美術館・・・・・・・・・・・・浄土宗長泉院の13代住職であった故・渡辺泰裕初代館長が、少しでも多くの人に彫刻の素晴らしさにふれ、楽しんでもらいたいと寺院の敷地内に開館した現代彫刻の美術館。 入館無料で、誰でも気軽に自由に展示を見ることができる。、、、、広い空間に、丁寧に展示され、寺の境内とは思えない。、、、、、美術館の建物は昭和57年(1982)に堀響一の設計で完成した。
 
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⑦庚申塔・・・・・・・・・・美術館から目黒駅に向かう途中、3件の庚申塔があった。
 
・・・・・・・・・・・・・現代彫刻美術館を出て、南へ50m程歩くと「馬喰坂上の庚申塔群」がある。 擁壁の上に4基の庚申塔が建てられている。 案内板には、向かって右から 宝永7年(1710)駒型碑   延宝8年(1680)板碑型碑   宝永3年(1706)駒型碑   寛保2年(1742)駒型碑で、彫りの説明も書かれていた。、、、、、、目線より高く、そんなとこまで見えないよ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・次は、目黒2丁目、目黒区民センター前、町会事務所の隣にズラリと並ぶ「田道庚申塔群」。、、、、造立年代は延宝5年(1677)から正徳3年(1713)にかけてのもので、田道庚申講中の名もはっきりと刻まれている。 「田道」は「でんどう」と読み、明治22年以前の中目黒村の小字の一つ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・次は、目黒川に架かる田道橋の南詰にある「ひいらぎ庚申」。 橋を渡った正面に赤い小さな堂がある。 中に、道標を兼ねた庚申塔が祀られている。
 
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⑧富士見坂・・・・・・・・・・あちらこちらにある「富士見坂」。 ここも、そのうちの一つだが、国土交通省が設置した「関東の富士見100景(東京富士見坂)」の標識がある。 つまりは、国交省認定の富士見坂である。、、、、、場所は、目黒1丁目2番と3番の境を東に上る坂。 長さ150m、平均斜度7度、積雪時は自己責任でスキーも可能。、、、、、下から上る、肺活量の少ない私には、きつい、つらい坂である。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・坂で疲れた! 目黒駅から帰宅。
 
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2016年9月 3日 (土)

洗足~中延

東急目黒線洗足駅から、昭和大学をとおり都営浅草線中延駅まで、9千歩、7kmの散歩です。
 
 
①洗足駅・・・・・・・・・・大正12年(1923)に開業した目黒線(旧目蒲線)の駅。 開業時の旧目蒲線は地上を走っていたが、昭和40年(1965)に地下化され、掘割の底を走る目黒線となった。、、、、駅は、深さ約7mの位置に相対式ホーム2面2線を有する。、、、、、駅名の「洗足」は、近く(?)の洗足池にちなんだものである。 東急池上線の「洗足池」駅は池のすぐ前にあり納得できるが、こちら目黒線の「洗足」は池から約1kmも離れている。 類似した駅名であるが、開業当時は目黒線は目黒蒲田電鉄、池上線は池上電気鉄道で、それぞれ別会社であった。(納得!)
 
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②厳島神社・・・・・・・・・・・洗足駅前をから線路沿いに北東方向に歩くと、すぐに厳島神社が目に入ってくる。 町角の公園ほどの境内に、鯉と亀が遊ぶ池があり、赤い橋が架かり、奥に社殿がある。 池には湧き水が豊富に流れ込んでいた。、、、、、、以前にも来たことがある神社だが、由緒はいまだ不明なり。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・厳島神社の東側には、静かな落ち着いた住宅街がある。
 
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③小山八幡神社・・・・・・・・・長元3年(1030)頃の創建。古い!、、、、、境内は小高い丘(小山)にあり、この付近の地名(品川区小山)の由来となっている。、、、、、今日・明日は例大祭、朝から準備で忙しそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・境内から眺める品川区荏原の町
 
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④摩耶寺・・・・・・・・・・・・小山八幡神社の参道脇にある、日蓮宗の摩耶寺。 創建年代は不詳。 かつて、小山八幡神社の別当寺であった。 特徴的な反りのある屋根の本堂は昭和53年(1978)に完成したもの。、、、、、釈迦の生母:摩耶夫人の像を所蔵しているそうだ。 機会あれば、チョイと拝見したくなるね!
 
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昭和大学 ・・・・・・・・・・・昭和3年(1928)に「昭和医学専門学校」として設置され、現在は医学部・歯学部・薬学部・保健医療学部の4学部よりなる医系総合大学。 旗の台キャンパスは大学の本部が置かれているキャンパスである。、、、、改修工事中のキャンパスをぐるり回ってきた。 「解剖実験室」なる部屋が見えたが、怖そうなので、覗くことはできなかった。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・大学の前には、付属の昭和大学病院ある。 裏側見ると、軍艦の艦橋に立っている感じだ!、、、、地上11階/地下3階の病院で、平成9年(1997)に竣工した。
 
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⑥都営浅草線中延駅・・・・・・・・・・・昭和43年(1968)11月15日、都営1号線の中延駅として開業。 その後、都営1号線は浅草線に改称。 近くに、東急大井町線の中延駅があり、乗り換え客が多い。
 
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