目黒区

2018年5月11日 (金)

東急目黒線 (洗足~田園調布)

先日の東急目黒線 (目黒~洗足)の続き、今日は洗足駅から田園調布駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①洗足駅・・・・・・・・・・・今日の散歩は洗足駅から。
 
・・・・・・・・・・・・・電車は洗足駅に進入する。
 
180511081607006
 
180511081615008
 
180511081657010
 
・・・・・・・・・・・・・・改札口にはこれから出勤する人も、、、、、
 
180511082127019
 
 
②洗足~大岡山間・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・かつての線路敷きに沿い細長く造られたスーパー。、、、、、電車はスーパーの下を走っている。
 
180511082830020
 
・・・・・・・・・・・・・目黒線は環七通り「北千束五差路交差点」の下を抜け大岡山駅へ向かう。 写真:手前が環七通り、中央が目黒線線路敷き跡で奥が大岡山方向。
 
180511083056021
 
・・・・・・・・・・・・・環七通りを過ぎると、洗足と大岡山両駅の中間と思われる付近で目黒線は地上(掘割)に顔をだす。
 
180511084133034
 
180511084839050
 
・・・・・・・・・・・・・目黒線に乗り入れる都営三田線の6300形車両。
 
180511084440039
 
 
大岡山駅 ・・・・・・・・・・大正12年(1923)3月11日1923、目黒蒲田電鉄線(現:目黒線)の開通と同時に大岡山駅も開業した。 昭和2年(1927)7月6日には、目黒蒲田電鉄大井町線も開業する。 平成9年(1997)に駅は地下化され、方向別ホームとなる。 平成19年(2007)11月3日より、駅直上にツタの絡まる135床の総合病院「東急病院」が移転してきた。 電車の中で気分が悪くなっても、駅の病院なら救急車を呼ぶ必要もないね。、、、、、大岡山駅は大田区北千束にあるが、駅の西側は東京工業大学のキャンパスで目黒区である。 この目黒区側の町名が「大岡山」。 またまた、ややっこしい話!
 
・・・・・・・・・・・・・目黒方面から来ると、尻から入る東急病院(大岡山駅)。、、、、そ~~だ、東急病院には肛門外科があるから、痔も治してくれるかも?
 
180511084940054
 
・・・・・・・・・・・・・ツタの絡まるステーション&ホスピタル。 
 
180511085959065
 
180511085700058
 
 
④大岡山~奥沢間・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・大岡山駅を出た目黒線は、南北を東京工業大学 のキャンパスに挟まれて走る。、、、、、東工大は私が入りたかった大学だが、先方が拒否したため断念した。 憧れの大学をチョイト覗いてきた! 
 
180511090235067
 
・・・・・・・・・・・・・目黒線と大井町線は、東工大の付近で地下(大岡山駅)から顔を出す。 両サイドの2線が目黒線、中央の2線が大井町線。
 
180511091921088
 
180511091021073
 
・・・・・・・・・・・・・大井町線は目黒線を越えて、自由が丘方面に向かう。
 
180511092121098
 
・・・・・・・・・・・・・大井町線緑が丘駅の高架下に東工大ゲートがある。、、、、キャンパス内を歩いてきた私もここから出る。
 
1805110924100103
 
・・・・・・・・・・・・・・緑が丘駅 は東急大井町線の駅。
 
1805110929250109
 
・・・・・・・・・・・・・・緑が丘駅から目黒線に戻り、再び線路沿いに歩く。、、、、、東急の車両が来た! 3000形だ! 平成12年(2000)から走った電車だ!
 
1805110933010120
 
・・・・・・・・・・・・・次に目に入ったのは、今や、見ることが少なくなった線路わきの梯子(ハシゴ)。 竹製ではなくFRP(繊維強化プラスチック)の梯子だった。 昔は竹製で、架線の保守点検に使用されていたが、今は保線車両の設備が向上し線路わきに梯子を用意しておく必要性が少なくなったそうだ。、、、、竹製ではないが、この光景は貴重。 
 
1805110932260115
 
 
⑤奥沢駅・・・・・・・・・・・目黒線で唯一世田谷区にある駅。 大正12年(1923)3月11日に開業。 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線を有する地上駅。 ホームの北側には、目黒線の車両基地(元住吉検車区奥沢車庫)がある。   上り・下りホームはそれぞれ独立し、改札もそれぞれ独立している。   (写真:右側は車庫、左側はホーム)
 
1805110944220138
 
1805110941240132
 
・・・・・・・・・・・・・・目黒線に乗り入れてる埼玉高速鉄道の2000系電車に御対面。
 
1805110945390142
 
・・・・・・・・・・・・・日吉方面改札。 目黒方面改札。 そしてホーム。
 
1805110949260149
 
1805110950360153
 
1805110950160151
 
 
⑥奥沢~田園調布間・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・世田谷区奥沢の町を抜ける目黒線。
 
1805110953240155
 
1805110955310157
 
1805110956470165
 
1805110956590166
 
・・・・・・・・・・・・・・東急東横線の下にもぐり込む目黒線。、、、、、、東横線上下線の間に割り込むように、目黒線は東横線の下をとおり田園調布駅に向かう。
 
1805111000450171
 
1805111003320175
 
・・・・・・・・・・・・・目黒線は東横線の下。、、、、、東横線上下線の間隔が徐々に広がっていく。 田園調布駅で目黒線が、この間に出て4線が並ぶ。
 
1805111003400177
 
 
⑦田園調布駅・・・・・・・・・・・・駅の手前から再び大田区に入る。、、、、、、田園調布駅も、大正12年(1923)3月11日、目黒蒲田電鉄の目黒~丸子(現・沼部)間開通と同時に開業した。 開業当時の駅名は調布駅。 大正15年(1926)、田園調布駅に改称。、、、、、、現在は、平成の時代に始まった地下化で、島式ホーム2面4線の地下駅。
 
・・・・・・・・・・・・東横線が渋谷方面から田園調布駅(写真:中央奥)に向かう線路敷き。 上下線の間に目黒線のトンネル(市松模様の緑の下)が割り込んで上ってくる。
 
1805111005320186
 
・・・・・・・・・・・・・・地下化され駅舎も新しくなった。
 
1805111012270195
 
1805111015250200
 
1805111016420201
 
・・・・・・・・・・・・・・田園調布駅と言えば、駅のシンボルとして復元された旧駅舎がある。、、、、、旧駅舎の屋根の形は、マンサード・ルーフという欧州中世期の民家をモデルとしたものらしい。 神宮外苑の絵画館や上高地帝国ホテル、伊豆の川奈ホテルなどを設計した矢部金太郎の設計である。
 
1805111010220189_2
 
 
 
●・・・・・・・・・・・・・・・これにて、目黒線(目黒~田園調布)を踏破した。

2018年5月 6日 (日)

東急目黒線 (目黒~洗足)

今日の散歩は、東急目黒線に沿いに目黒駅から洗足駅まで、9千歩の歩きです。
 
・・・・・・・・・・・目黒線とは、、、、、大正12年(1923)3月11日に東急電鉄の母体となった目黒蒲田電鉄の目黒線として、目黒~丸子(現:沼部)間が開業した。 同年11月1日には丸子~蒲田間が開通し目蒲線に改称した。 目蒲線の時代の主要駅は、目黒・武蔵小山・洗足・大岡山・田園調布・多摩川・沼部・下丸子・蒲田であった。 平成12年(2000)8月6日に目蒲線は、目黒寄りの目黒線と、蒲田寄り多摩川線に分割され消滅した。 目黒線は目黒~田園調布間の6.5kmとなる。 平成18年(2006)7月2日には、目黒不動前~洗足間の地下化が完成。
 
 
 
①東急 目黒駅・・・・・・・・・・大正12年、2面3線頭端式の地上駅として開業した。 昭和28年(1953)には駅ビルができたが、平成9年(1997)には現在の構造となった。 駅上の地上17階建ての「JR東急目黒ビル」は平成14年(2002)の竣工。、、、、私が記憶している目蒲線の目黒駅は地下に東急ストアーがあった薄汚れた駅ビルの時代。 今では、駅前に立っても、昭和の面影なし。
 
・・・・・・・・・・・・・・JR東急目黒ビルの地下にホームがある。 目黒線には、東京メトロ南北線と都営三田線が乗り入れ、JRを含め4線のターミナル。、、、、、駅前道路の向かいにはJR目黒駅 西口がある。
 
180506081633025_2
 
180506081445022
 
・・・・・・・・・・・・・・改札はビルの地下。
 
180506081105016
 
・・・・・・・・・・・・・・1面2線の地下ホーム。
 
180506080615006
 
 
②目黒~不動前間・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・目黒駅を出た目黒線は、杉野学園 東側の坂の地下を抜け地上に顔を出す。
 
180506082407031
 
180506082751032
 
180506082935039
 
・・・・・・・・・・・・・目黒線は、目黒川を越え、山手通りを越える。
 
180506083208043
 
180506083348044
 
180506083831052
 
 
③不動前駅・・・・・・・・・ちょうど一週間前、当駅で下車し夫婦で目黒不動尊に参拝した。、、、、、大正12年(1923)3月11日、「目黒不動前駅」として開業し、同年の10月には「不動前駅」に改称した。 平成11年(1999)11月10日、目黒~洗足駅間の連続立体交差事業に伴い高架駅となる。、、、、表通りからチョイト引っ込んだ静かな駅だ。
 
180506084201056
 
 
④不動前~武蔵小山間・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・線路の南側の坂を上る。
 
180506084638069
・・・・・・・・・・・・・・住宅の横を入ると、跨線人道橋があった。 線路が見えないようアクリル板で目隠しされていたが、執念でチョイトの隙間を見つけ、かろうじて不動前駅のホームが見えた!、、、、、これから先、目黒線は地下化されトンネルに入ってしまう。 じばし、線路は見納めとなる。
 
180506085213070
 
180506085334073
 
・・・・・・・・・・・・・線路敷きは「不動前緑道公園」と称し、隣りの武蔵小山駅の直前まで続く。、、、、、普段の散歩なら、延々と続き変化の少ない“この手の公園”は嫌い、脇道にそれるのであるが、今日は我慢して歩いてきた。、、、、歩く足の下に電車が走っていると思うと、上からドリルで穴でも開けて見たくなるね。
 
180506090112075
 
180506090205076
 
180506090419078
 
 
⑤武蔵小山駅・・・・・・・・・・大正12年(1923)3月11日、小山(こやま)駅として開業。 翌年、武蔵小山(むさしこやま)駅に改称。 平成18年(2006)には地下化された。、、、、、島式ホーム2面4線の地下駅で、緩行と急行の接続がある。、、、、、駅名は、東北本線の「小山(おやま)」と間違えないように、地名の「小山」に旧国名「武蔵」を冠した。
 
・・・・・・・・・・・・・・平成22年(2010)9月、駅ビルがオープンし、駅前ロータリーもでき、明るい駅前である。
 
180506092053094
 
180506091842092
 
180506091717089
 
・・・・・・・・・・・・・・駅前では41階建て(高さ:約145m)のタワーマンション2棟が建設中。
 
180506091024081
 
・・・・・・・・・・・・・・駅前には、有名な武蔵小山商店街もある。、、、、、私の住む浅草橋より住みやすそう、生活しやすそう、負けた!
 
180506091920093
 
 
⑥武蔵小山~西小山間・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・この間は「武蔵小山緑道公園」と名を変えて、再び退屈な公園が続く。、、、、公園の出入口部分の柵、自転車が入れるギリギリの幅しかなく、バイクなどは通れないようだ。 車椅子はどうする?
 
180506092429097
 
180506092454098
 
1805060932590107
 
・・・・・・・・・・・・・・公園にあった目黒線の案内板に、昭和初期から戦後にかけ製造された旧型車両。 昭和60年代に目黒線をチョッピリ走った東急5000系「ステンレスガエル」もあった。
 
1805060931300106_2
 
1805060931220105_2
 
 
⑦西小山駅・・・・・・・・・・・西小山駅は昭和3年(1928)8月1日に開業した。 この駅も平成18年(2006)に地下化され、その後、駅ビル、駅前広場が完成した。、、、、同じような駅が続くね!
 
1805060941100117
 
1805060940310116
 
 
⑧西小山~洗足間・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・またまた緑道公園、名は「西小山緑道公園」。 飽きた!
 
1805060946520118
 
1805060947000119
 
・・・・・・・・・・・・・目黒線と云うが、目黒駅から西小山緑道公園までは、駅も線路敷きも品川区内に属している。 この先、大岡山付近は大田区、奥沢駅付近は世田谷区、田園調布駅付近は再び大田区である。 つまり、目黒区内にあるのは、洗足駅と大岡山の東工大キャンパス付近だけ。 これで、“目黒”線とは?
 
・・・・・・・・・・・・・・洗足駅の手前150m程の地点で、やっと緑道公園の終わりとなった。 掘割の線路敷きを囲う柵の隙間から線路が見えた! チョイ先には跨線橋もある、不動前から地下にもぐった目黒線が見えるはずだ!、、、、、橋の上、線路脇から電車に手を振り、車窓から手を振り返される、ほほえましい光景がここでは見られない、残念、無念!
 
1805060951430120
 
1805061002510135
 
1805060954110121
 
・・・・・・・・・・・・・電車の姿が見えないと、よけい見たくなるもので、いろいろ場所・姿勢・角度を変えて撮った写真。
 
1805060957530126
 
1805061000010129
 
1805061001390133
 
 
⑨洗足駅・・・・・・・・・・・・・洗足駅は大正12年(1923)3月11日に開業。 昭和40年(1965)には環七通りとの立体交差のため地下化された。 相対式ホーム2面2線の地下駅。、、、、、、駅名は、この地が開業以前より田園都市株式会社が分譲した「洗足田園都市」と言う分譲地だった事に由来する。 その「洗足」は洗足池の伝説にちなむが、駅から池までは1km程の距離がある。 池上線の「洗足池駅 」と駅名が似ているのは、開業当時は目黒線は目黒蒲田電鉄、池上線が池上電気鉄道で同業他社だった名残からだ。、、、、、ついでに、「洗足」駅と「洗足池」駅の中間地点に「北千束」駅(大井町線)がある。 さらに、ややっこしくすると、町名の「洗足」は目黒区、町名の「千束」は太田区。 そして、町名の「千束」の中に、「洗足池」がある。 自分の頭の中で整理してね!
 
1805061004570136
 
1805061006350140
 
1805061009390147

2018年4月29日 (日)

目黒不動 (瀧泉寺)

GWが始まった! 私は一年中がGWなので、どうでもいいや! 今日は、午後から妻と目黒不動に行ってきた。 帰りは、雅叙園に寄って“ひと休み”。 
 
 
 
①不動前駅・・・・・・・・・浅草橋の我が家からは、都営浅草線に乗り三田駅で、都営三田線に乗換る。 三田線は東急目黒線に乗り入れており、目黒駅の次が不動前駅。 我が家から、約30分で到着、結構近いものだ!、、、、、不動前駅は目黒不動の最寄り駅であるが、JR目黒駅と同様で、目黒区ではなく品川区に位置する。 品川駅は港区にある。 ついでに、新宿駅の半分は渋谷区にある。 以上、有名な話。、、、、、不動前駅は、大正12年(1923) 3月11日に目黒不動前駅として開業し、同年10月には不動前駅に改称した。 また、路線の分割により、平成12年(2000)に、目蒲線から目黒線に改称した。 駅名は“不動前”であるが、“前”とは名ばかりで、実際は700m以上離れており、チョイト遠い。
 
180429130105006
 
180429130437013
 
 
②かむろ坂・・・・・・・・・・山手通りのかむろ坂下交差点から西に向かって約500m程上る坂。 勾配はきつくなく、両側の桜並木が美しい(今年は既に散った)坂である。、、、、、“かむろ坂”は「禿坂」と書く。 “禿(かむろ)”とは、“ハゲ”ではなく、江戸時代、遊郭に住み花魁などの身の回りを世話する見習い幼女を言う。 延宝7年、白井権八が品川で処刑され、そのあとを慕って遊女小紫が自害した時、その幼女(かむろ)もあとを追って桐ヶ谷の二ツ池に身をなげたと言われている。 その後、この一帯の丘陵を禿山と呼び、これに通じる坂を禿坂とよんでいる。、、、、「禿坂」を“ハゲ坂”と読むと、坂の雰囲気がガラリ変わるね。
 
180429131126016
 
180429131635024
 
 
③瀧泉寺・・・・・・・・・・かむろ坂から北へ向かい目黒区下目黒に、天台宗の寺院:泰叡山(たいえいざん)瀧泉寺(りゅうせんじ)がある。 瀧泉寺は大同3年(808)に慈覚大師が開創した、関東最古の不動霊場である。 目黒不動明王を本尊とし、一般には目黒不動尊の通称で呼ばれている。 もちろん、この地の地名「目黒」の出どこである。、、、、、江戸時代には三代将軍徳川家光の帰依により堂塔伽藍の造営が行われ、それ以後幕府の厚い保護を受け、江戸五色不動の一つとなった。
 
・・・・・・・・・・・・・仁王門は、三間の朱塗りの楼門で、昭和37年(1962)に鉄筋コンクリート造で再建された。
 
180429133528043
 
・・・・・・・・・・・・・境内は仁王門のある平地と本堂のある台地の2段構えで、本堂に向かう階段横に、開祖:慈覚大師が持っていた独鈷を投げたら滝泉が湧き出し、「独鈷の滝」と名付けられた池。 中に「水かけ不動」が立っている。、、、、風の強い日は、風向きに注意して水をかけないと、水が我が身に戻って来る。 ズボンを濡らすと、漏らしたように見られてチョイト恥ずかしいからね。 
 
180429133101032
 
・・・・・・・・・・・・・独鈷の滝の横には、「垢離堂」と呼ばれる小堂があり、中には「青龍大権現」がいる。、、、、、堂の中は埃っぽいようだPM2.5の影響か?
 
180429132934029
 
180429133004030_2
 
・・・・・・・・・・・・・境内中央の階段(男坂)を上り本堂へ向かう。
 
180429133704045
 
・・・・・・・・・・・・・階段上で鳥居をくぐると、昭和56年(1981)に再建された入母屋造に千鳥破風をもつ鉄筋コンクリート造の本堂が出迎えてくれる。
 
180429133805048_2
 
180429134645064
 
・・・・・・・・・・・・・肝心要の目黒不動明王は秘仏で12年の眠りに入っている。 酉年に目覚め開帳されるそうだ。、、、、、本堂天井の龍の絵は日本画家:川端龍子の作。
 
180429134225056
 
・・・・・・・・・・・・・本堂の裏側に銅製の大日如来坐像がある。 天和3年(1683)の作。、、、、、人気があるのか、こちらも手を合わせる人が絶えないようだ。 
 
180429134410060_2
 
・・・・・・・・・・・・・境内からチョイとはずれて、裏の墓地に行くと、江戸時代中期の儒者で、サツマイモ(甘藷)の栽培を普及させた青木昆陽(1698~1769)の墓がある。 墓石には「甘藷先生墓」と刻まれ、昆陽が生前に立てさせたものと言われている。
 
180429135447069
 
 
④雅叙園・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・山手通りを横断し、目黒川を越え、雅叙園に向かう。
 
180429140100072
 
180429140709078
 
・・・・・・・・・・・・・『チョイト疲れたから休憩しよう!』と入った雅叙園。 今日も結婚式が多く、振袖の外人さん、遠くに白のウエディングドレスも見える。 建築士の私の興味は建物より花嫁、年とれば知識より色気。、、、、、夫婦の会話も結婚式が話題となって、しばしコーヒータイム。
 
180429140959082
 
180429141635087
 
1804291512340108
 
1804291506090103
 
 
カトリック目黒教会(聖アンセルモ聖堂) ・・・・・・・・・・・雅叙園から教会の前に出る。 この教会は、旧帝国ホテル建設の際、フランク・ロイド・ライトの助手として活躍したアントニン・レーモンドが、戦後はじめて手がけた作品である。 打放しコンクリートによる折版構造の壁で、隙間から外の光が差し込み、神聖な空間を創りだしている。 昭和31(1956)竣工。、、、、、、今日は、短時間で聖堂を拝見。
 
1804291525110129
 
1804291524260128
 
 
⑥目黒駅前・・・・・・・・・・駅に到着、お不動さまのご利益を期待して帰る。
 
1804291528440131

2017年6月 5日 (月)

馬込~学芸大学

都営浅草線馬込駅から、東急池上線長原駅、東急大井町線北千束駅、東急目黒線洗足駅を巡り、東急東横線学芸大学駅まで、1万4千歩の散歩です。
 
 
 
①馬込駅・・・・・・・・・・・・都営浅草線の駅で、我が家のある浅草橋からは乗り換えなしで約28分である。 今日も行先を決めず浅草線に飛び乗った。 どこで降りよか思案橋、決めるに決まらず、まごまご馬込。、、、、と言うことで、散歩は馬込駅からスタート。
 
1706050811080
 
1706050816230
 
・・・・・・・・・・・・・・駅前には洒落た造りの本格的な喫茶店:「楡本店」がある。 玄関上には「CAFFE 1953 NIRE(楡)」と書かれ、昭和28年(1953)創業の老舗である。 時刻は8時15分、まだ開店前。、、、、、店の前の坂を右に上っていくことにした。
 
1706050816420
 
1706050817100
 
 
②北馬込の町・・・・・・・・・・・馬込駅(国道1号)の西側の一帯で、町の北側は品川区中延・旗の台と接している。
 
・・・・・・・・・・・・・馬込駅の西側の高台にある二車線の通りには、街路灯に「馬込三本木通商店街」と記された旗がなびいている。 “商店街”? なんとなく、辺りを見回してみるが、特に核となる店舗はないようだ、蕎麦屋、ラーメン屋などそれらしき店がポツン、ポツンとある程度。
 
1706050822030_2
 
・・・・・・・・・・・・・・商店街の通りに面し、曹洞宗の金光山宗福寺はがある。 江戸時代初期頃の開山らしい。
 
1706050826510
 
1706050830330
 
・・・・・・・・・・・・・・境内には、昭和10年(1935)、10歳の女の子が乱暴され殺害されたことを不憫に思った人達が、その霊を祀った「登志子地蔵」が建立されている。 この事件では、犯人逮捕に向けて宗福寺に捜査本部が設置された。
 
1706050829040
 
・・・・・・・・・・・・・・・大田区北馬込と品川区中延・旗の台の境を西へ歩く。 約400m程は道幅が広くなっている。
 
1706050847000_3
 
・・・・・・・・・・・・・・幅広の道は、「北馬込本通り協和会」なる商店街に続き道幅も狭くなる。 商店街は環七通りにぶつかり終わる。 
 
1706050850510
 
1706050853200
 
 
長原駅 ・・・・・・・・・・・長原駅は東急池上線の駅で、昭和2年(1927)8月に池上電気鉄道長原駅として開業した。  昭和40年(1965)から、環七通りの踏切解消のため地下化工事に着手し、昭和48年(1973)11月30日に工事は竣工した。、、、、、地下化されたため、商店街の中の駅は見つけにくい処にある。
 
1706050858320
 
1706050902140
 
 
④北千束駅・・・・・・・・・・・長原駅から北西に650m程行くと東急大井町線の北千束駅がある。 この辺りは、東急の各線が集まっており、東西南北どちらに歩いても東急の駅に出るようだ。、、、、、、昭和3年(1928)10月10日、目黒蒲田電鉄の大井町線池月駅として開業。 昭和5年(1930)には洗足公園駅に改称し、昭和11年(1936)1月1日に北千束駅に改称した。、、、、、乗降客も少なく、昔ながらのホーム上屋、昭和3年架橋の駅前ガード(池月架道橋)などが現在も利用され、昭和の匂いが残る駅である。
 
1706050925160
 
1706050915330
 
1706050917430
 
1706050923150
 
1706050924400
 
 
 
●・・・・・・・・・・・・ここ北千束駅から学芸大学駅までは、16年3月31日にも歩いているので、こちらを見てね。  以下は、今まで歩いていない処のみ紹介。
 
 
 
⑤曲がった家・・・・・・・・・・目黒区碑文谷で見つけた、ナンジャコレ!、、、、家の床は傾いていないようだ。
 
1706051015460_2
 
 
⑥円融寺・・・・・・・・・・・天台宗の経王山円融寺は、仁寿3年(853)に現在地(目黒区碑文谷1)に創建した。 天台宗に始まったが、日蓮上人の高弟が日蓮宗に改め、弘安6年(1283)妙光山法華寺に改号し、日蓮宗の名刹寺院として栄えた。 江戸時代には幕府の弾圧を受け、元禄11年(1698)天台宗に改宗、天保5年(1831)経王山円融寺となる。、、、、、現在も大きな寺で、今日は“さわり”だけ、チョイトね!
 
・・・・・・・・・・・・・・・山門、、、、、、この山門は、昭和26年(1951)に品川御殿山の原邸から移築されたもので、天保4年(1833)に元播磨国美嚢郡三木和田の寺の山門として工匠黒田重兵衛常久、瓦匠勝清の手によって作られたものである。 明治33年(1900年)に、原邸に移されていた。
 
1706051025080
 
・・・・・・・・・・・・・・仁王門、、、、、、 参道をすすむと、大きな仁王門がある。 門は檜と欅を用いた簡素な構成の造り。 建立時期は不詳であるが、永禄2年(1559)に仁王像が作成されており、ほぼ同時期(足利時代)と考えられる。 平成19年(2007)に茅葺きだった屋根を銅葺きに改めた。
 
1706051023580
 
・・・・・・・・・・・・・・・釈迦堂、、、、、、、室町初期の建立といわれ、都区内最古の木造建築とである。 明治44年(1911)に旧国宝に指定され、昭和25年(1950)に国の重要文化財に指定されました。 本来の屋根は茅葺きであったが、昭和27年(1952)に銅葺きに改められた。
 
1706051023070

2016年10月29日 (土)

祐天寺~目黒

東急東横線祐天寺駅からJR山手線目黒駅まで、1万2千歩、8kmの散歩です。
 
 
①祐天寺駅・・・・・・・・・・・・大正15年(1926)、東京横浜電鉄が丸子多摩川駅~神奈川駅間を開業する。 昭和2年(1927)8月28日、渋谷駅~丸子多摩川駅が開通し、東横線として渋谷駅~神奈川駅間の直通運転が始まる。 祐天寺駅はその東横線開通時に同時開業した。、、、、開業時は木造駅舎の地上駅であったが、昭和45年(1970)に相対式ホーム2面2線で高架化された。
 
・・・・・・・・・・・・・現在、ホーム幅を狭め、中央に通過線1線を増設し、2面3線に改良中。
 
Dsc05806
 
・・・・・・・・・・・・・・高架下の西口。 まだ、東西に行き来はできない。 
 
Dsc05812
 
・・・・・・・・・・・・・・今月から解体工事が始まる祐天寺駅ビル。 解体後、東口が整備され東西に行き来ができるようになる。
 
Dsc05816
 
 
②C57117号動輪・・・・・・・・・・・・祐天寺駅から東へ150m程歩くと、幼稚園に曲がる角に、蒸気機関車の動輪と腕木式信号機などが残されている。、、、、C57117号は、昭和14年(1939)10月23日、三菱重工業神戸造船所で造られた。 戦前は広島県の糸崎に配置され山陽路で活躍し、戦後は熊本・宮崎などに配置された。 昭和48年(1973)の宮崎植樹祭時では、日本最後の国鉄蒸気機関車が牽引するお召し列車を仕立てた名機である。、、、、、その機関車の動輪が保存されている。 保存は、近くでカレーショップ「ナイアガラ」を営業する、大の鉄道ファンであるマスターが個人として、初めて動輪の払い下げを受けたそうだ。
 
Dsc05825
 
 
祐天寺 ・・・・・・・・・・・・寺の住所は、祐天寺駅前の目黒区祐天寺にあるかと思いきや、門前の駒沢通りを越えたため、目黒区中目黒5丁目となっている。、、、、祐天寺(寺)あっての祐天寺(町)、寺の敷地を目黒区祐天寺1丁目の飛地としてでも、祐天寺に入れたくなるね。、、、、、祐天寺は、祐天上人の高弟祐海上人が、祐天上人を開山と仰いで享保3年(1718)に創建、享保8年(1723)明顕山祐天寺と号した、阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の寺院である。
 
Dsc05830
 
Dsc05835
 
Dsc05847
 
・・・・・・・・・・・・・寺は、数年前から大林組の施工で、諸堂の大修理が行われている。 まだ、工事中。 仕事を邪魔しないように、手だけ合わせて、散歩を続けることにした。
 
Dsc05846
 
 
④中目黒5丁目・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・祐天寺裏交差点の「谷戸前地域安全センター」。 平成19年(2007)以前までは“谷戸前交番”と呼ばれていた。、、、、、戦後の建物か? 古そうだ! 写真では判らないが、裏側のドア、窓は木製。 
 
Dsc05849
 
・・・・・・・・・・・・・・富士山を模した看板建築。 店の名は「フジミ
 
Dsc05854
 
・・・・・・・・・・・・・・「なべころ坂緑地公園」の角に、 「藤の庚申」 と称する古い庚申塔がある。 昔はここに藤の大木があったそうで、「藤の庚申」と名付けられたそうだ。、、、、、左側の駒型の碑は1m以上もあり、 合掌六臂の青面金剛と日月、二鶏、三猿の図柄が彫られている。 貞亨元年(1684)の銘が刻まれている。 右側の小さな板碑型のものは元禄元年(1688)の造立。 この前の道は古くから庚申道と呼ばれているそうだ。 この付近には庚申塔が多く残されている。、、、、新しい提灯、供養の花、誰だか守る人がいるようだ。
 
Dsc05883
 
 
⑤油面地蔵通り・・・・・・・・・・・目黒区目黒4丁目と中町1の境界に、「油面(あぶらめん)地蔵通り」という約600mぐらいの商店街がある。 商店街の中ほどには、油面子育地蔵尊が鎮座している。、、、、、油面(あぶらめん)の由来は、江戸時代この付近では菜種が栽培され、菜種から作られた油を燈明用に増上寺・祐天寺などに納めていた。 その見返りに租税が免除された。 よって、「油免」転じ「油面」となったそうだ。、、、、、元気がなくなってきた商店街のようだ、チョイと脂っこい料理でスタミナつけて頑張って欲しいね。
 
Dsc05866
 
Dsc05867
 
・・・・・・・・・・・・・地蔵さんは、元は目黒通りの油面交番の近くにあったそうだ。 今は、商店街の中ほど、ベーカリーの隣にある。 地蔵さんは「高地蔵」と呼ばれ、土手の上に高く祀られていたので、このような名がつけられたそうだ。 地蔵尊を載せる台石には「是より右ゆうてん寺」、「是より左九ほんぶつ」の文字が彫られ、道標でもあった。 子育て・眼病にも霊験あらたかとして、お参りする人もいるそうだ。
 
Dsc05869
 
Dsc05875
 
 
⑥長泉院現代彫刻美術館・・・・・・・・・・・・浄土宗長泉院の13代住職であった故・渡辺泰裕初代館長が、少しでも多くの人に彫刻の素晴らしさにふれ、楽しんでもらいたいと寺院の敷地内に開館した現代彫刻の美術館。 入館無料で、誰でも気軽に自由に展示を見ることができる。、、、、広い空間に、丁寧に展示され、寺の境内とは思えない。、、、、、美術館の建物は昭和57年(1982)に堀響一の設計で完成した。
 
Dsc05912
 
Dsc05907
 
Dsc05909
 
Dsc05901
 
Dsc05900
 
 
⑦庚申塔・・・・・・・・・・美術館から目黒駅に向かう途中、3件の庚申塔があった。
 
・・・・・・・・・・・・・現代彫刻美術館を出て、南へ50m程歩くと「馬喰坂上の庚申塔群」がある。 擁壁の上に4基の庚申塔が建てられている。 案内板には、向かって右から 宝永7年(1710)駒型碑   延宝8年(1680)板碑型碑   宝永3年(1706)駒型碑   寛保2年(1742)駒型碑で、彫りの説明も書かれていた。、、、、、、目線より高く、そんなとこまで見えないよ!
 
Dsc05893
 
Dsc05892
 
・・・・・・・・・・・・・・次は、目黒2丁目、目黒区民センター前、町会事務所の隣にズラリと並ぶ「田道庚申塔群」。、、、、造立年代は延宝5年(1677)から正徳3年(1713)にかけてのもので、田道庚申講中の名もはっきりと刻まれている。 「田道」は「でんどう」と読み、明治22年以前の中目黒村の小字の一つ。
 
Dsc05930
 
Dsc05926
 
・・・・・・・・・・・・・・次は、目黒川に架かる田道橋の南詰にある「ひいらぎ庚申」。 橋を渡った正面に赤い小さな堂がある。 中に、道標を兼ねた庚申塔が祀られている。
 
Dsc05934
 
 
⑧富士見坂・・・・・・・・・・あちらこちらにある「富士見坂」。 ここも、そのうちの一つだが、国土交通省が設置した「関東の富士見100景(東京富士見坂)」の標識がある。 つまりは、国交省認定の富士見坂である。、、、、、場所は、目黒1丁目2番と3番の境を東に上る坂。 長さ150m、平均斜度7度、積雪時は自己責任でスキーも可能。、、、、、下から上る、肺活量の少ない私には、きつい、つらい坂である。
 
Dsc05955
 
Dsc05957
 
Dsc05961
 
 
 
●・・・・・・・・・・・・・・・・・・坂で疲れた! 目黒駅から帰宅。
 
Dsc05973
 

2016年9月 3日 (土)

洗足~中延

東急目黒線洗足駅から、昭和大学をとおり都営浅草線中延駅まで、9千歩、7kmの散歩です。
 
 
①洗足駅・・・・・・・・・・大正12年(1923)に開業した目黒線(旧目蒲線)の駅。 開業時の旧目蒲線は地上を走っていたが、昭和40年(1965)に地下化され、掘割の底を走る目黒線となった。、、、、駅は、深さ約7mの位置に相対式ホーム2面2線を有する。、、、、、駅名の「洗足」は、近く(?)の洗足池にちなんだものである。 東急池上線の「洗足池」駅は池のすぐ前にあり納得できるが、こちら目黒線の「洗足」は池から約1kmも離れている。 類似した駅名であるが、開業当時は目黒線は目黒蒲田電鉄、池上線は池上電気鉄道で、それぞれ別会社であった。(納得!)
 
Dsc01853
 
Dsc01847
 
Dsc01846
 
Dsc01860
 
 
②厳島神社・・・・・・・・・・・洗足駅前をから線路沿いに北東方向に歩くと、すぐに厳島神社が目に入ってくる。 町角の公園ほどの境内に、鯉と亀が遊ぶ池があり、赤い橋が架かり、奥に社殿がある。 池には湧き水が豊富に流れ込んでいた。、、、、、、以前にも来たことがある神社だが、由緒はいまだ不明なり。
 
Dsc01862
 
Dsc01863
 
・・・・・・・・・・・・・・・厳島神社の東側には、静かな落ち着いた住宅街がある。
 
Dsc01865
 
Dsc01869
 
 
③小山八幡神社・・・・・・・・・長元3年(1030)頃の創建。古い!、、、、、境内は小高い丘(小山)にあり、この付近の地名(品川区小山)の由来となっている。、、、、、今日・明日は例大祭、朝から準備で忙しそうだ。
 
Dsc01874
 
Dsc01870
 
Dsc01878
 
・・・・・・・・・・・・・境内から眺める品川区荏原の町
 
Dsc01880
 
 
④摩耶寺・・・・・・・・・・・・小山八幡神社の参道脇にある、日蓮宗の摩耶寺。 創建年代は不詳。 かつて、小山八幡神社の別当寺であった。 特徴的な反りのある屋根の本堂は昭和53年(1978)に完成したもの。、、、、、釈迦の生母:摩耶夫人の像を所蔵しているそうだ。 機会あれば、チョイと拝見したくなるね!
 
Dsc01885
 
 
昭和大学 ・・・・・・・・・・・昭和3年(1928)に「昭和医学専門学校」として設置され、現在は医学部・歯学部・薬学部・保健医療学部の4学部よりなる医系総合大学。 旗の台キャンパスは大学の本部が置かれているキャンパスである。、、、、改修工事中のキャンパスをぐるり回ってきた。 「解剖実験室」なる部屋が見えたが、怖そうなので、覗くことはできなかった。 
 
Dsc01900
 
Dsc01895
 
・・・・・・・・・・・・・・・大学の前には、付属の昭和大学病院ある。 裏側見ると、軍艦の艦橋に立っている感じだ!、、、、地上11階/地下3階の病院で、平成9年(1997)に竣工した。
 
Dsc01904
 
 
⑥都営浅草線中延駅・・・・・・・・・・・昭和43年(1968)11月15日、都営1号線の中延駅として開業。 その後、都営1号線は浅草線に改称。 近くに、東急大井町線の中延駅があり、乗り換え客が多い。
 
Dsc01941
 

2016年3月31日 (木)

北千束~学芸大学

東急大井町線北千束駅から、住宅地をクネクネ歩き、東急東横線学芸大学駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。



北千束駅
・・・・・・・・・・昭和3年(1928)に開業した北千束駅は、傾斜地に立地しているため、駅出入口はホーム下の小さな口を開けている改札口1ヵ所のみである。 一日の乗降人員は7000人弱で、大井町線では最も乗降客が少ない駅である。、、、、、今日は久しぶりに下車してみた。

・・・・・・・・・・・・・・・乗降客の少ない駅は、のんびりした雰囲気だ。

20160331_002_1024x681_2

・・・・・・・・・・・・・・・木造のホーム上屋が時間を止めている。 昭和が残る駅。

20160331_006_1024x680
20160331_007_1024x672

・・・・・・・・・・・・・・・ホーム下に出てくる、たった一か所の出入口。 自動改札機も3機だけ!

20160331_014_1024x680
20160331_013_1024x681

・・・・・・・・・・・・・・隣の大岡山駅へ向かう電車。

20160331_020_1024x680



北千束の町
・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・アップ、ダウンの多い町だ!

20160331_026_1024x671

・・・・・・・・・・・・・・よそ者が先へ進むのを阻む看板だ! 私も、坂を上がって行き止まりでは、チョイと辛いので他の道を歩くことにした。、、、、、“後で気がつく てんかん病み”だった、看板は車向けであった。

20160331_027_1024x680_2

・・・・・・・・・・・・・・北千束1丁目と2丁目の境、広い道路に出たと思ったら、目黒線を地下化した線路跡である。、、、、、跡地は公園にするのか?

20160331_029_1024x680

・・・・・・・・・・・・・・またまた広い道路に出た、環七通りである。 道路を横断し、大田区から目黒区へ入った。
20160331_033_1024x679


③洗足・南の住宅
・・・・・・・・・・・・目黒区洗足・南の住宅地を歩いた。

・・・・・・・・・・・・・私の住む浅草橋では、見られない住宅地。 当たり前田のクラッカー!

20160331_038_1024x680

・・・・・・・・・・・・・・住宅の庭には桜が咲き、歩きながら上を見上げてしまう。

20160331_039_1024x680

・・・・・・・・・・・・・・おや、こちらは山小屋風。 いいね!

20160331_041_1024x680

・・・・・・・・・・・・・・こちらは目黒区の区営南1丁目アパート。 いいところに在るね!

20160331_054_1024x680

・・・・・・・・・・・・・・・立派な門構えに桜の木、お大尽さまのお屋敷か?

20160331_057_1024x679

・・・・・・・・・・・・・・何だか建材メーカのCMに出てきそうな住宅もある。

20160331_066_1024x680


④碑文谷八幡宮
・・・・・・・・・・・・碑文谷八幡宮の創建年代は不詳であるが、鎌倉時代に、源頼朝の家臣である畠山重忠のまたの家臣:宮野左近が、重忠の守本尊を当地(目黒区碑文谷3丁目)に勧請して創建した。、、、、、現:社殿は延宝2年(1674)に造替したものを明治5年(1872)に再建し、明治20年(1887)に改築したものである。

・・・・・・・・・・・・・・参道の一の鳥居から二の鳥居までの間は、桜の花が鮮やかに出迎えてくれた。

20160331_077_1024x680
20160331_075_1024x680

・・・・・・・・・・・・・・旧碑文谷村の鎮守で、祭神は誉田別尊(応神天皇)。

20160331_073_1024x680
20160331_071_1024x680


⑤カトリック碑文谷教会
・・・・・・・・・・・・カトリックの男子修道会であるサレジオ会によって、昭和29年(1954)に目黒区碑文谷1丁目に建立されたロマネスク様式の教会。 別名:サレジオ教会と呼ばれている。、、、、奥行き47m、幅16m、高さ36mの荘厳な教会。 内部は壁・天井一面にフレスコ画が描かれている。この絵はイタリア人:フェラーリ修道士が7年にわたり心血を注いだ労作だ!、、、、、安土桃山時代の華麗な障壁画を見ているようだ!

20160331_100_680x1024
20160331_092_1024x669
20160331_097_1024x680
20160331_089_1024x677
20160331_085_1024x680
20160331_082_1024x680



学芸大学駅
・・・・・・・・・・大学の無い「学芸大学」駅。 そろそろ駅名を変更するかと思いきや、隣の都立大学駅とともに駅名を変更する話はなさそうだ。、、、、、駅前は整備された広い通りがなく、ゴチャゴチャ感のある下町の駅と似ている。

20160331_113_1024x680

2015年11月12日 (木)

中目黒~学芸大学

東急東横線の中目黒駅から学芸大学駅まで、1万1千歩、8Kmの散歩です。


①中目黒駅
・・・・・・・・・・昭和2年(1927)に相対式2面2線の高架駅として開業した。 昭和39年(1964)には、日比谷線が乗り入れ島式2面4線となった。、、、、、日比谷線は日吉まで乗り入れてたが、現在は全て中目黒止まりである。 かわって、副都心線が乗り入れてる。、、、、、駅改札は高架下で、出入口は山手通りに面している。 

20151112_012_1024x683
20151112_011_1024x683_2
20151112_009_1024x683

②目黒銀座商店街
・・・・・・・・・・東横線の南側50m程にほぼ並行して、「目黒銀座商店街」がある。 元気そうな商店街だ。 すれちがう可愛い娘がいそぎ駅へ向かう。、、、、ところで、鋭い疑問が頭の中でわいた。 ここは“中目黒駅”まで50mの距離であるが、なぜ“中目黒銀座商店街”と言わないのだ??? 地図みて納得! 商店街のある町は上目黒2丁目であった。 つまり、所在地:「上目黒」に、至近駅:「中目黒」(JRで最も近い駅は恵比寿)を冠した商店街名をつけられず、当たり障りのない“目黒”にしたのだろうね。

20151112_029_1024x683
20151112_027_1024x683
20151112_021_1024x681

③天祖神社
・・・・・・・・・・商店街から駒沢通りに出る手前に天祖神社(上目黒2)がある。 天祖神社とは、天照大神を祀り伊勢神宮を総本社とする神社で全国で約4400社ある。 ここもその内の一社。、、、、、創建年代不詳、調べられないほど、なにしろ古いのだ!、、、、、現社殿は昭和8年(1933)に新築されたものである。

20151112_035_1024x683

・・・・・・・・・・・・・境内には、宝永5年(1708)と、道標をかねている享保元年(1716)の2基の庚申塔が建立されています。 道標には「是より末町さき四辻、大道九品仏道、右せたかい道、左ふとう道」とあるそうで、九品仏 への道、世田谷城への道(せたかい道)、目黒不動 への道(ふとう道)を案内している。

20151112_037_1024x683


④祐天寺
・・・・・・・・・・・祐天寺(ゆうてんじ)は、中目黒5丁目にある浄土宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来である。 寺は、小石川伝通院・増上寺の大僧正を勤めた祐天上人の高弟祐海上人が、祐天上人を開山と仰いで享保3年(1718)に創建した。、、、、、祐天上人は、徳川吉宗・大岡越前神忠相の時代に、町火消し制度を考案したので、火消し・消防と縁の深いお寺とされている。

・・・・・・・・・・・・・・駒沢通りに面する表門をくぐり、境内に入る。

20151112_073_1024x683

・・・・・・・・・・・・・・仁王門がお出迎え、、、、、仁王門の左奥に阿弥陀堂があるが、只今、大林組の手で大修理中のため、拝見することはできなかった。

20151112_072_1024x683

・・・・・・・・・・・・・・奥では本堂が待っている。

20151112_058_1024x683
20151112_064_1024x683

・・・・・・・・・・・・江戸消防記念会が寄進した、火消しの纏の図柄を配した賽銭箱が私を待っていた。

20151112_060_1024x683

・・・・・・・・・・・・・鐘楼

20151112_078_1024x683

⑤さわら庚申
・・・・・・・・・目黒区中町2丁目、駒沢通りの祐天寺2丁目交差点の近くにある「さわら庚申」。 近くにさわらの木があったことからこの名がついたそうだ。、、、、、、堂の中に、3基の庚申塔があり、庚申塔は道標を兼ねて、道案内が彫られているそうだが、私には読めなかった。 

20151112_090_683x1024

⑥十日森稲荷神社
・・・・・・・・・・・・十日森(とうかもり)稲荷神社は、もと五本木の旧家の屋敷神を移したと伝えられている。 旧上目黒村五本木組の鎮守であった。、、、、、十日森の由来については、稲荷神を祀った森から“稲荷(とうか)”森が変じて“十日森”となったという、こじつけ的な説があるらしい。、、、、、現在の本殿は明治17年(1884)の建築で、拝殿は昭和32年(1957)に建てられた。

20151112_099_1024x683
20151112_106_1024x683

⑦学芸大学駅
・・・・・・・・・・駅名の由来となった東京学芸大学は昭和39年(1964)に小金井市へ移転しているが、駅から800m程西に行った世田谷区下馬に東京学芸大学附属高等学校がある。 チョイと、こじつけだね! 隣の都立大学駅も、都立大が多摩へ移転し、名称も首都大学に変わった。、、、、、、昭和2年(1927)に碑文谷駅として開業したが、その後、「青山師範駅」、「第一師範駅」、「 学芸大学駅」と変わってきた。、、、、、昭和40年(1965)に島式ホーム1面2線の高架駅となる。

20151112_123_1024x683
20151112_130_1024x683

2015年8月12日 (水)

東急大井町線(大岡山~九品仏)

東急大井町線の大岡山駅から九品仏駅まで、1万歩、7㎞の散歩です。 (前回の大岡山駅まではコチラ


東京工業大学
・・・・・・・・・・大岡山駅前にキャンパスが広がる東京工業大学は、震災後の駒場での仮住まいから、大正13年(1924)年に現在の大岡山に移り、昭和4年(1929)に「東京工業大学」と称した。 一方、目黒蒲田電鉄線(現:目黒線)は大正12年(1923)に開業し、昭和2年(1927)には大井町線も開業した。、、、、、、大岡山のキャンパスは、移転当初から目蒲線の南北に敷地が確保され、北地区には全学科の教室・工場・実験室を配し、南地区には学校本部・共通学科の建物が配された。 現在のキャンパスの利用法と同じようだ。、、、、、今日は、大井町線を追っかけキャンパスの北地区を通り抜けてきた。

・・・・・・・・・・・・・大岡山駅前の正門を入ると、ケーキのような三角形の図書館がある。

20150812_009_1024x683
20150812_014_1024x683

・・・・・・・・・・・・・・図書館の西側の坂を上り、キャンパス内の南北地区を結ぶ跨線橋から眺めると、、、、、、跨線橋の下で目黒線と大井町線が大岡山地下ホームに出入りし、その先は横浜方面に直進する目黒線と、その上を右に曲がり二子玉川方面に向かう大井町線の分岐ポイントが見える。

20150812_028_1024x683
20150812_019_1024x664
20150812_046_1024x685

・・・・・・・・・・・・・・キャンパス北地区では、緑豊かな木立の中に実験棟が点在する。

20150812_047_1024x682
20150812_050_683x1024
20150812_054_1024x683

・・・・・・・・・・・・・・キャンパスの出入口は、緑ヶ丘駅の高架下に直結する。

20150812_053_1024x683

②緑が丘駅
・・・・・・・・・・昭和4年(1929)の大岡山~自由ケ丘間の開業に合わせ、「中丸山駅」として開業した。 昭和8年(1933)には、緑ヶ丘駅(現:緑が丘駅)に改称。、、、、、、現在の駅舎は相対式ホーム2面2線のホーム下に改築された近代的な駅だが、以前は交差点角に向かい四半分の円形型に出て、勾配の緩い薄い屋根を細い円柱4本が支える昭和モダンな駅であった。、、、、、、山手の静かな駅で、“絵”になったね!

20150812_062_1024x682
20150812_059_1024x682

③海軍村
・・・・・・・・・・緑が丘駅から大井町線沿いに世田谷区奥沢2丁目を歩くと、海軍村の案内が目に入った。 地元の町並み保存の団体が活動しているようだ。 『海軍村』とは、、、、、、大正12年(1923)、関東大震災後、田園調布の開発に触発され、奥沢村でも耕地整備の対象となった。 震災後の郊外への転居ラッシュなどもあり、地元、世田谷区では人口増加もあり、さらに、当時の海軍将校にとっては、横須賀の基地・目黒の海軍研究所・霞が関の海軍省などに便利なこともあり、ココ奥沢に海軍軍人らが殺到した。 多いときには30世帯程が住み、「海軍村」が誕生した。 また、大井町線の線路を挟んで反対側には、洋行帰りの人が集まり「ドイツ村」も誕生したそうだ。

・・・・・・・・・・・・・・案内板の貼り紙を見て、現存する住宅3軒を探してみた。

20150812_127_1024x683

・・・・・・・・・・・・・・・MU邸、、、、、当時植えられたシュロの木が洋風住宅のワン・ポイントとなっている。

20150812_104_1024x683
20150812_099_1024x684

・・・・・・・・・・・・・K邸、、、、、、読書空間と称し、まちづくりに場となっているが、今日は門が閉められ入れなかった。 門の隙間から、玄関部分をチョイと撮影。

20150812_133_1024x683
20150812_112_683x1024

・・・・・・・・・・・・・MS邸、、、、、、、白いポーチに葡萄棚が印象的だ。
20150812_128_1024x682

・・・・・・・・・・・・・・MS邸の近くには海軍村跡の碑がある

20150812_130_682x1024

・・・・・・・・・・・・・海軍村の近くに建つ住宅

20150812_090_1024x682
20150812_094_1024x683
20150812_097_684x1024
20150812_107_1024x683

・・・・・・・・・・・・・ここまで来たら、、、、、と思い「ドイツ村」を探してみたが、発見できず。 それらしき場所に、かすかに、チョイと“ドイツ風かな?”と思われる分譲住宅が建っていた。 

20150812_082_1024x683

④自由が丘駅
・・・・・・・・・・・1階地上ホームに大井町線が、2階高架ホームに東横線が入る乗換駅。  昭和2年(1927)、東横線の九品仏前駅として開業。 昭和4年(1929)、自由ヶ丘駅(現:自由が丘駅)に改称。また、同年には現在の大井町線が開通した。、、、、、、なんと言っても、山手のセレブを相手にする高級志向の店舗が並ぶ街。 私には、浅草・上野の空気が肌に合うね! 早々と駅から離れた!

20150812_180_1024x682
20150812_157_1024x683

20150812_144_1024x681
20150812_173_1024x684

・・・・・・・・・・・・・・・遊歩道の両側には、シャレた、お高そうな、お店が並んでいる。

20150812_142_1024x682

⑤九品仏駅
・・・・・・・・・・・昭和4年(1929)に開業。 駅名は駅北側にある、九品仏浄真寺にちなみ命名された。、、、、、この駅の名物は、なんと言っても構内が狭く、ホームの両端は踏切で、ホームの長さは4両分しか確保されていないため、5両編成の大井町線は5号車(溝の口より)はドアが開かない駅となっている。 

・・・・・・・・・・・・・・駅舎は踏切の上下線の間にある。 改札はここのみ1か所。

20150812_212_1024x683
20150812_215_1024x683

・・・・・・・・・・・・・・お手洗いは島式ホームの中央に鎮座している。 これも狭いため、致し方ないか、、、、、チョイと気の弱い人は、利用しにくいトイレだね。

20150812_218_1024x681

・・・・・・・・・・・・・・・溝の口側のホーム端部。

20150812_221_1024x683

2015年7月13日 (月)

目黒~恵比寿

JR目黒駅から恵比寿駅まで、爽やかな青空の下をブラリ散歩ができず、ギンギンの猛暑の中を汗がダラリ・ベッチョリ散歩。 気温35℃、熱中症がヤバイ、途中で散歩も切り上げ! 9千歩、7㎞。


①JR目黒駅
・・・・・・・・・・・まだ官営の鉄道は新橋発着の東海道線だけの明治18年(1885)3月1日、私鉄:日本鉄道の品川線(品川~赤羽)が開通した。 このとき、設置された駅は両端の品川、赤羽と、途中に渋谷、新宿、板橋の3駅であった。 開通から、半月遅れて3月16日、途中駅として目黒、目白の2駅が開業した。 ちなみに巨大ターミナルである池袋駅の開業は、なんと18年後の明治36年(1903)である。 当時は池袋より、目白、目黒のほうが集客力があったのか?

・・・・・・・・・・・・・・東口、西口

20150713_002_1024x683
20150713_008_1024x683

・・・・・・・・・・・・・・朝からガンガン照り、通勤のサラリーマンは、アジ~ィ、アジ~ィ!

20150713_013_1024x683

・・・・・・・・・・・・・・跨線橋:上大崎新橋から眺める目黒駅。 五反田~目黒間の線路の勾配はきつく、多少とも勾配を緩和するため、五反田駅は高架ホームで線路をかさ上げし、目黒駅は深い切通しの底にホームが設けられている。

20150713_026_679x1024

・・・・・・・・・・・・・・上大崎新橋から眺める恵比寿駅方向。

20150713_036_682x1024

②日本基督教団白金教会
・・・・・・・・・大正7年(1918)白金伝道教会として始まる。 大正13年(1924)現在地(上大崎2)に会堂を建設、昭和51年(1976)現在の会堂を建設。

20150713_038_683x1024

・・・・・・・・・・・・・内部は“シンプル・イズ・ベスト”の教会だ! 写真は3年前撮影。

2012_0520_095446_1024x680

③白金桟道橋
・・・・・・・・・・・・上大崎2丁目に、古レールを構造材として利用した、長さ:24.4m、幅:2mの跨線橋がある。 山手線部分(写真:右側)は単純な垂直に組んだ橋脚で、山手貨物線(埼京線、湘南新宿ライン)部分(写真:左側)は掘割りの深さもあり、橋脚部分はアーチ形状に組まれている。 昭和元年(1926)に建設された。

20150713_050_1024x659

20150713_052_1024x682_2
20150713_041_1024x683

④長者丸踏切・目黒道架道橋
・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・白金桟道橋から恵比寿方向を眺めると、山手貨物線の上を山手線が走る光景が見える。

20150713_044_1024x683

・・・・・・・・・・・・・交差地点は、現在はボックス形のトンネルになっているが、昭和の時代には、山手線が鋼製のガータ橋を渡り越えていた。
20150713_105_1024x683
20150713_111_1024x683

・・・・・・・・・・・・・トンネルの目黒寄りに、山手貨物線に長者丸踏切があり、山手線には目黒道架道橋がある。
20150713_088_1024x683
20150713_087_1024x683

・・・・・・・・・・・・・「長者丸」とは、かつて、長者が住んでいた、この付近の地名である。 昭和42年(1967)の住居表示改正で、「品川区上大崎長者丸」から「品川区上大崎2丁目」と変更され消滅した。 現在は大崎2丁目の高級住宅街の中の交番・マンションにその名が残されている。 

20150713_095_1024x683
20150713_099_1024x683

・・・・・・・・・・・・・交差点の恵比寿側に「大丸跨線橋」がある。 ここから交差地点を見た景色。

20150713_151_1024x683_2
20150713_156_1024x663


⑤土浦邸
・・・・・・・・・・・・・・上大崎2丁目に、モダニズム建築家として活躍した土浦亀城(1897~1996)の自邸がある。 土浦亀城は、東京帝大を卒業し、旧帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトの手伝いをし、その後大倉土木(現:大成建設)に勤め、作品として強羅ホテル(1938)、銀座シネパトス(1952)などがある。、、、、、、自邸は昭和10年(1935)に竣工した。 白い四角形の組み合わせ、インターナショナルスタイルを木造で表現した、実験住宅である。、、、、、、住宅地に建つ白亜の小住宅は、昭和初期の建物とは思えない“新しさ”が残っている。  

20150713_134_673x1024
20150713_130_1024x684

⑥目黒区三田の境界石
・・・・・・・・・・・三田2丁目に私を引き付ける裏道があった。 すり鉢状の地形の底に下る道だ。

20150713_164_683x1024

・・・・・・・・・・・・・中程を過ぎたあたりで、住宅の間に路地を発見。 路地の先には階段がある。 この雰囲気好きだね!

20150713_168_683x1024

・・・・・・・・・・・・上から2段目に、『陸軍』と読める境界石が埋められていた。

20150713_169_1024x683

・・・・・・・・・・・・・階段を上がりきると、2車線程の裏道に出た。 写真:ブロック塀の右端と街路灯のポールの間に階段の手摺が見える。

20150713_171_1024x682

・・・・・・・・・・・・・調べてみたら、、、、、三田2丁目の北側には現在:防衛庁技術研究所がある。 また、三田2丁目を挟んで南側には白金自然教育園がある。 その2か所を結ぶ、裏道が階段上の裏道である。 現:防衛庁技術研究所のところに目黒火薬製造所(明治13年(1880)に完成)があり、白金自然教育園には火薬庫があったそうだ。 どうやら、この裏道は、2地点を結ぶ火薬運搬用の軍用軌道跡らしい。 境界石は、軌道沿いに埋められたものであろう。



⑦共立電機
・・・・・・・・・・・恵比寿駅 近い、渋谷区恵比寿南2で、チョイと古そうな建物発見。 こちらも、調べてみたら、昭和38年(1963)建築の鉄筋コンクリート4階建ての工場事務所。 現在はアパレル企業に貸してるみたい。

20150713_177_1024x683

より以前の記事一覧