目黒区

2016年10月29日 (土)

祐天寺~目黒

東急東横線祐天寺駅からJR山手線目黒駅まで、1万2千歩、8kmの散歩です。
 
 
①祐天寺駅・・・・・・・・・・・・大正15年(1926)、東京横浜電鉄が丸子多摩川駅~神奈川駅間を開業する。 昭和2年(1927)8月28日、渋谷駅~丸子多摩川駅が開通し、東横線として渋谷駅~神奈川駅間の直通運転が始まる。 祐天寺駅はその東横線開通時に同時開業した。、、、、開業時は木造駅舎の地上駅であったが、昭和45年(1970)に相対式ホーム2面2線で高架化された。
 
・・・・・・・・・・・・・現在、ホーム幅を狭め、中央に通過線1線を増設し、2面3線に改良中。
 
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・・・・・・・・・・・・・・高架下の西口。 まだ、東西に行き来はできない。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・今月から解体工事が始まる祐天寺駅ビル。 解体後、東口が整備され東西に行き来ができるようになる。
 
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②C57117号動輪・・・・・・・・・・・・祐天寺駅から東へ150m程歩くと、幼稚園に曲がる角に、蒸気機関車の動輪と腕木式信号機などが残されている。、、、、C57117号は、昭和14年(1939)10月23日、三菱重工業神戸造船所で造られた。 戦前は広島県の糸崎に配置され山陽路で活躍し、戦後は熊本・宮崎などに配置された。 昭和48年(1973)の宮崎植樹祭時では、日本最後の国鉄蒸気機関車が牽引するお召し列車を仕立てた名機である。、、、、、その機関車の動輪が保存されている。 保存は、近くでカレーショップ「ナイアガラ」を営業する、大の鉄道ファンであるマスターが個人として、初めて動輪の払い下げを受けたそうだ。
 
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祐天寺 ・・・・・・・・・・・・寺の住所は、祐天寺駅前の目黒区祐天寺にあるかと思いきや、門前の駒沢通りを越えたため、目黒区中目黒5丁目となっている。、、、、祐天寺(寺)あっての祐天寺(町)、寺の敷地を目黒区祐天寺1丁目の飛地としてでも、祐天寺に入れたくなるね。、、、、、祐天寺は、祐天上人の高弟祐海上人が、祐天上人を開山と仰いで享保3年(1718)に創建、享保8年(1723)明顕山祐天寺と号した、阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の寺院である。
 
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・・・・・・・・・・・・・寺は、数年前から大林組の施工で、諸堂の大修理が行われている。 まだ、工事中。 仕事を邪魔しないように、手だけ合わせて、散歩を続けることにした。
 
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④中目黒5丁目・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・祐天寺裏交差点の「谷戸前地域安全センター」。 平成19年(2007)以前までは“谷戸前交番”と呼ばれていた。、、、、、戦後の建物か? 古そうだ! 写真では判らないが、裏側のドア、窓は木製。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・富士山を模した看板建築。 店の名は「フジミ
 
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・・・・・・・・・・・・・・「なべころ坂緑地公園」の角に、 「藤の庚申」 と称する古い庚申塔がある。 昔はここに藤の大木があったそうで、「藤の庚申」と名付けられたそうだ。、、、、、左側の駒型の碑は1m以上もあり、 合掌六臂の青面金剛と日月、二鶏、三猿の図柄が彫られている。 貞亨元年(1684)の銘が刻まれている。 右側の小さな板碑型のものは元禄元年(1688)の造立。 この前の道は古くから庚申道と呼ばれているそうだ。 この付近には庚申塔が多く残されている。、、、、新しい提灯、供養の花、誰だか守る人がいるようだ。
 
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⑤油面地蔵通り・・・・・・・・・・・目黒区目黒4丁目と中町1の境界に、「油面(あぶらめん)地蔵通り」という約600mぐらいの商店街がある。 商店街の中ほどには、油面子育地蔵尊が鎮座している。、、、、、油面(あぶらめん)の由来は、江戸時代この付近では菜種が栽培され、菜種から作られた油を燈明用に増上寺・祐天寺などに納めていた。 その見返りに租税が免除された。 よって、「油免」転じ「油面」となったそうだ。、、、、、元気がなくなってきた商店街のようだ、チョイと脂っこい料理でスタミナつけて頑張って欲しいね。
 
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・・・・・・・・・・・・・地蔵さんは、元は目黒通りの油面交番の近くにあったそうだ。 今は、商店街の中ほど、ベーカリーの隣にある。 地蔵さんは「高地蔵」と呼ばれ、土手の上に高く祀られていたので、このような名がつけられたそうだ。 地蔵尊を載せる台石には「是より右ゆうてん寺」、「是より左九ほんぶつ」の文字が彫られ、道標でもあった。 子育て・眼病にも霊験あらたかとして、お参りする人もいるそうだ。
 
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⑥長泉院現代彫刻美術館・・・・・・・・・・・・浄土宗長泉院の13代住職であった故・渡辺泰裕初代館長が、少しでも多くの人に彫刻の素晴らしさにふれ、楽しんでもらいたいと寺院の敷地内に開館した現代彫刻の美術館。 入館無料で、誰でも気軽に自由に展示を見ることができる。、、、、広い空間に、丁寧に展示され、寺の境内とは思えない。、、、、、美術館の建物は昭和57年(1982)に堀響一の設計で完成した。
 
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⑦庚申塔・・・・・・・・・・美術館から目黒駅に向かう途中、3件の庚申塔があった。
 
・・・・・・・・・・・・・現代彫刻美術館を出て、南へ50m程歩くと「馬喰坂上の庚申塔群」がある。 擁壁の上に4基の庚申塔が建てられている。 案内板には、向かって右から 宝永7年(1710)駒型碑   延宝8年(1680)板碑型碑   宝永3年(1706)駒型碑   寛保2年(1742)駒型碑で、彫りの説明も書かれていた。、、、、、、目線より高く、そんなとこまで見えないよ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・次は、目黒2丁目、目黒区民センター前、町会事務所の隣にズラリと並ぶ「田道庚申塔群」。、、、、造立年代は延宝5年(1677)から正徳3年(1713)にかけてのもので、田道庚申講中の名もはっきりと刻まれている。 「田道」は「でんどう」と読み、明治22年以前の中目黒村の小字の一つ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・次は、目黒川に架かる田道橋の南詰にある「ひいらぎ庚申」。 橋を渡った正面に赤い小さな堂がある。 中に、道標を兼ねた庚申塔が祀られている。
 
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⑧富士見坂・・・・・・・・・・あちらこちらにある「富士見坂」。 ここも、そのうちの一つだが、国土交通省が設置した「関東の富士見100景(東京富士見坂)」の標識がある。 つまりは、国交省認定の富士見坂である。、、、、、場所は、目黒1丁目2番と3番の境を東に上る坂。 長さ150m、平均斜度7度、積雪時は自己責任でスキーも可能。、、、、、下から上る、肺活量の少ない私には、きつい、つらい坂である。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・坂で疲れた! 目黒駅から帰宅。
 
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2016年9月 3日 (土)

洗足~中延

東急目黒線洗足駅から、昭和大学をとおり都営浅草線中延駅まで、9千歩、7kmの散歩です。
 
 
①洗足駅・・・・・・・・・・大正12年(1923)に開業した目黒線(旧目蒲線)の駅。 開業時の旧目蒲線は地上を走っていたが、昭和40年(1965)に地下化され、掘割の底を走る目黒線となった。、、、、駅は、深さ約7mの位置に相対式ホーム2面2線を有する。、、、、、駅名の「洗足」は、近く(?)の洗足池にちなんだものである。 東急池上線の「洗足池」駅は池のすぐ前にあり納得できるが、こちら目黒線の「洗足」は池から約1kmも離れている。 類似した駅名であるが、開業当時は目黒線は目黒蒲田電鉄、池上線は池上電気鉄道で、それぞれ別会社であった。(納得!)
 
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②厳島神社・・・・・・・・・・・洗足駅前をから線路沿いに北東方向に歩くと、すぐに厳島神社が目に入ってくる。 町角の公園ほどの境内に、鯉と亀が遊ぶ池があり、赤い橋が架かり、奥に社殿がある。 池には湧き水が豊富に流れ込んでいた。、、、、、、以前にも来たことがある神社だが、由緒はいまだ不明なり。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・厳島神社の東側には、静かな落ち着いた住宅街がある。
 
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③小山八幡神社・・・・・・・・・長元3年(1030)頃の創建。古い!、、、、、境内は小高い丘(小山)にあり、この付近の地名(品川区小山)の由来となっている。、、、、、今日・明日は例大祭、朝から準備で忙しそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・境内から眺める品川区荏原の町
 
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④摩耶寺・・・・・・・・・・・・小山八幡神社の参道脇にある、日蓮宗の摩耶寺。 創建年代は不詳。 かつて、小山八幡神社の別当寺であった。 特徴的な反りのある屋根の本堂は昭和53年(1978)に完成したもの。、、、、、釈迦の生母:摩耶夫人の像を所蔵しているそうだ。 機会あれば、チョイと拝見したくなるね!
 
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昭和大学 ・・・・・・・・・・・昭和3年(1928)に「昭和医学専門学校」として設置され、現在は医学部・歯学部・薬学部・保健医療学部の4学部よりなる医系総合大学。 旗の台キャンパスは大学の本部が置かれているキャンパスである。、、、、改修工事中のキャンパスをぐるり回ってきた。 「解剖実験室」なる部屋が見えたが、怖そうなので、覗くことはできなかった。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・大学の前には、付属の昭和大学病院ある。 裏側見ると、軍艦の艦橋に立っている感じだ!、、、、地上11階/地下3階の病院で、平成9年(1997)に竣工した。
 
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⑥都営浅草線中延駅・・・・・・・・・・・昭和43年(1968)11月15日、都営1号線の中延駅として開業。 その後、都営1号線は浅草線に改称。 近くに、東急大井町線の中延駅があり、乗り換え客が多い。
 
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2016年3月31日 (木)

北千束~学芸大学

東急大井町線北千束駅から、住宅地をクネクネ歩き、東急東横線学芸大学駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。



北千束駅
・・・・・・・・・・昭和3年(1928)に開業した北千束駅は、傾斜地に立地しているため、駅出入口はホーム下の小さな口を開けている改札口1ヵ所のみである。 一日の乗降人員は7000人弱で、大井町線では最も乗降客が少ない駅である。、、、、、今日は久しぶりに下車してみた。

・・・・・・・・・・・・・・・乗降客の少ない駅は、のんびりした雰囲気だ。

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・・・・・・・・・・・・・・・木造のホーム上屋が時間を止めている。 昭和が残る駅。

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・・・・・・・・・・・・・・・ホーム下に出てくる、たった一か所の出入口。 自動改札機も3機だけ!

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・・・・・・・・・・・・・・隣の大岡山駅へ向かう電車。

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北千束の町
・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・アップ、ダウンの多い町だ!

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・・・・・・・・・・・・・・よそ者が先へ進むのを阻む看板だ! 私も、坂を上がって行き止まりでは、チョイと辛いので他の道を歩くことにした。、、、、、“後で気がつく てんかん病み”だった、看板は車向けであった。

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・・・・・・・・・・・・・・北千束1丁目と2丁目の境、広い道路に出たと思ったら、目黒線を地下化した線路跡である。、、、、、跡地は公園にするのか?

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・・・・・・・・・・・・・・またまた広い道路に出た、環七通りである。 道路を横断し、大田区から目黒区へ入った。
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③洗足・南の住宅
・・・・・・・・・・・・目黒区洗足・南の住宅地を歩いた。

・・・・・・・・・・・・・私の住む浅草橋では、見られない住宅地。 当たり前田のクラッカー!

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・・・・・・・・・・・・・・住宅の庭には桜が咲き、歩きながら上を見上げてしまう。

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・・・・・・・・・・・・・・おや、こちらは山小屋風。 いいね!

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・・・・・・・・・・・・・・こちらは目黒区の区営南1丁目アパート。 いいところに在るね!

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・・・・・・・・・・・・・・・立派な門構えに桜の木、お大尽さまのお屋敷か?

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・・・・・・・・・・・・・・何だか建材メーカのCMに出てきそうな住宅もある。

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④碑文谷八幡宮
・・・・・・・・・・・・碑文谷八幡宮の創建年代は不詳であるが、鎌倉時代に、源頼朝の家臣である畠山重忠のまたの家臣:宮野左近が、重忠の守本尊を当地(目黒区碑文谷3丁目)に勧請して創建した。、、、、、現:社殿は延宝2年(1674)に造替したものを明治5年(1872)に再建し、明治20年(1887)に改築したものである。

・・・・・・・・・・・・・・参道の一の鳥居から二の鳥居までの間は、桜の花が鮮やかに出迎えてくれた。

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・・・・・・・・・・・・・・旧碑文谷村の鎮守で、祭神は誉田別尊(応神天皇)。

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⑤カトリック碑文谷教会
・・・・・・・・・・・・カトリックの男子修道会であるサレジオ会によって、昭和29年(1954)に目黒区碑文谷1丁目に建立されたロマネスク様式の教会。 別名:サレジオ教会と呼ばれている。、、、、奥行き47m、幅16m、高さ36mの荘厳な教会。 内部は壁・天井一面にフレスコ画が描かれている。この絵はイタリア人:フェラーリ修道士が7年にわたり心血を注いだ労作だ!、、、、、安土桃山時代の華麗な障壁画を見ているようだ!

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学芸大学駅
・・・・・・・・・・大学の無い「学芸大学」駅。 そろそろ駅名を変更するかと思いきや、隣の都立大学駅とともに駅名を変更する話はなさそうだ。、、、、、駅前は整備された広い通りがなく、ゴチャゴチャ感のある下町の駅と似ている。

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2015年11月12日 (木)

中目黒~学芸大学

東急東横線の中目黒駅から学芸大学駅まで、1万1千歩、8Kmの散歩です。


①中目黒駅
・・・・・・・・・・昭和2年(1927)に相対式2面2線の高架駅として開業した。 昭和39年(1964)には、日比谷線が乗り入れ島式2面4線となった。、、、、、日比谷線は日吉まで乗り入れてたが、現在は全て中目黒止まりである。 かわって、副都心線が乗り入れてる。、、、、、駅改札は高架下で、出入口は山手通りに面している。 

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②目黒銀座商店街
・・・・・・・・・・東横線の南側50m程にほぼ並行して、「目黒銀座商店街」がある。 元気そうな商店街だ。 すれちがう可愛い娘がいそぎ駅へ向かう。、、、、ところで、鋭い疑問が頭の中でわいた。 ここは“中目黒駅”まで50mの距離であるが、なぜ“中目黒銀座商店街”と言わないのだ??? 地図みて納得! 商店街のある町は上目黒2丁目であった。 つまり、所在地:「上目黒」に、至近駅:「中目黒」(JRで最も近い駅は恵比寿)を冠した商店街名をつけられず、当たり障りのない“目黒”にしたのだろうね。

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③天祖神社
・・・・・・・・・・商店街から駒沢通りに出る手前に天祖神社(上目黒2)がある。 天祖神社とは、天照大神を祀り伊勢神宮を総本社とする神社で全国で約4400社ある。 ここもその内の一社。、、、、、創建年代不詳、調べられないほど、なにしろ古いのだ!、、、、、現社殿は昭和8年(1933)に新築されたものである。

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・・・・・・・・・・・・・境内には、宝永5年(1708)と、道標をかねている享保元年(1716)の2基の庚申塔が建立されています。 道標には「是より末町さき四辻、大道九品仏道、右せたかい道、左ふとう道」とあるそうで、九品仏 への道、世田谷城への道(せたかい道)、目黒不動 への道(ふとう道)を案内している。

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④祐天寺
・・・・・・・・・・・祐天寺(ゆうてんじ)は、中目黒5丁目にある浄土宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来である。 寺は、小石川伝通院・増上寺の大僧正を勤めた祐天上人の高弟祐海上人が、祐天上人を開山と仰いで享保3年(1718)に創建した。、、、、、祐天上人は、徳川吉宗・大岡越前神忠相の時代に、町火消し制度を考案したので、火消し・消防と縁の深いお寺とされている。

・・・・・・・・・・・・・・駒沢通りに面する表門をくぐり、境内に入る。

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・・・・・・・・・・・・・・仁王門がお出迎え、、、、、仁王門の左奥に阿弥陀堂があるが、只今、大林組の手で大修理中のため、拝見することはできなかった。

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・・・・・・・・・・・・・・奥では本堂が待っている。

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・・・・・・・・・・・・江戸消防記念会が寄進した、火消しの纏の図柄を配した賽銭箱が私を待っていた。

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・・・・・・・・・・・・・鐘楼

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⑤さわら庚申
・・・・・・・・・目黒区中町2丁目、駒沢通りの祐天寺2丁目交差点の近くにある「さわら庚申」。 近くにさわらの木があったことからこの名がついたそうだ。、、、、、、堂の中に、3基の庚申塔があり、庚申塔は道標を兼ねて、道案内が彫られているそうだが、私には読めなかった。 

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⑥十日森稲荷神社
・・・・・・・・・・・・十日森(とうかもり)稲荷神社は、もと五本木の旧家の屋敷神を移したと伝えられている。 旧上目黒村五本木組の鎮守であった。、、、、、十日森の由来については、稲荷神を祀った森から“稲荷(とうか)”森が変じて“十日森”となったという、こじつけ的な説があるらしい。、、、、、現在の本殿は明治17年(1884)の建築で、拝殿は昭和32年(1957)に建てられた。

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⑦学芸大学駅
・・・・・・・・・・駅名の由来となった東京学芸大学は昭和39年(1964)に小金井市へ移転しているが、駅から800m程西に行った世田谷区下馬に東京学芸大学附属高等学校がある。 チョイと、こじつけだね! 隣の都立大学駅も、都立大が多摩へ移転し、名称も首都大学に変わった。、、、、、、昭和2年(1927)に碑文谷駅として開業したが、その後、「青山師範駅」、「第一師範駅」、「 学芸大学駅」と変わってきた。、、、、、昭和40年(1965)に島式ホーム1面2線の高架駅となる。

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2015年8月12日 (水)

東急大井町線(大岡山~九品仏)

東急大井町線の大岡山駅から九品仏駅まで、1万歩、7㎞の散歩です。 (前回の大岡山駅まではコチラ


東京工業大学
・・・・・・・・・・大岡山駅前にキャンパスが広がる東京工業大学は、震災後の駒場での仮住まいから、大正13年(1924)年に現在の大岡山に移り、昭和4年(1929)に「東京工業大学」と称した。 一方、目黒蒲田電鉄線(現:目黒線)は大正12年(1923)に開業し、昭和2年(1927)には大井町線も開業した。、、、、、、大岡山のキャンパスは、移転当初から目蒲線の南北に敷地が確保され、北地区には全学科の教室・工場・実験室を配し、南地区には学校本部・共通学科の建物が配された。 現在のキャンパスの利用法と同じようだ。、、、、、今日は、大井町線を追っかけキャンパスの北地区を通り抜けてきた。

・・・・・・・・・・・・・大岡山駅前の正門を入ると、ケーキのような三角形の図書館がある。

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・・・・・・・・・・・・・・図書館の西側の坂を上り、キャンパス内の南北地区を結ぶ跨線橋から眺めると、、、、、、跨線橋の下で目黒線と大井町線が大岡山地下ホームに出入りし、その先は横浜方面に直進する目黒線と、その上を右に曲がり二子玉川方面に向かう大井町線の分岐ポイントが見える。

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・・・・・・・・・・・・・・キャンパス北地区では、緑豊かな木立の中に実験棟が点在する。

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・・・・・・・・・・・・・・キャンパスの出入口は、緑ヶ丘駅の高架下に直結する。

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②緑が丘駅
・・・・・・・・・・昭和4年(1929)の大岡山~自由ケ丘間の開業に合わせ、「中丸山駅」として開業した。 昭和8年(1933)には、緑ヶ丘駅(現:緑が丘駅)に改称。、、、、、、現在の駅舎は相対式ホーム2面2線のホーム下に改築された近代的な駅だが、以前は交差点角に向かい四半分の円形型に出て、勾配の緩い薄い屋根を細い円柱4本が支える昭和モダンな駅であった。、、、、、、山手の静かな駅で、“絵”になったね!

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③海軍村
・・・・・・・・・・緑が丘駅から大井町線沿いに世田谷区奥沢2丁目を歩くと、海軍村の案内が目に入った。 地元の町並み保存の団体が活動しているようだ。 『海軍村』とは、、、、、、大正12年(1923)、関東大震災後、田園調布の開発に触発され、奥沢村でも耕地整備の対象となった。 震災後の郊外への転居ラッシュなどもあり、地元、世田谷区では人口増加もあり、さらに、当時の海軍将校にとっては、横須賀の基地・目黒の海軍研究所・霞が関の海軍省などに便利なこともあり、ココ奥沢に海軍軍人らが殺到した。 多いときには30世帯程が住み、「海軍村」が誕生した。 また、大井町線の線路を挟んで反対側には、洋行帰りの人が集まり「ドイツ村」も誕生したそうだ。

・・・・・・・・・・・・・・案内板の貼り紙を見て、現存する住宅3軒を探してみた。

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・・・・・・・・・・・・・・・MU邸、、、、、当時植えられたシュロの木が洋風住宅のワン・ポイントとなっている。

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・・・・・・・・・・・・・K邸、、、、、、読書空間と称し、まちづくりに場となっているが、今日は門が閉められ入れなかった。 門の隙間から、玄関部分をチョイと撮影。

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・・・・・・・・・・・・・MS邸、、、、、、、白いポーチに葡萄棚が印象的だ。
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・・・・・・・・・・・・・・MS邸の近くには海軍村跡の碑がある

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・・・・・・・・・・・・・海軍村の近くに建つ住宅

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・・・・・・・・・・・・・ここまで来たら、、、、、と思い「ドイツ村」を探してみたが、発見できず。 それらしき場所に、かすかに、チョイと“ドイツ風かな?”と思われる分譲住宅が建っていた。 

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④自由が丘駅
・・・・・・・・・・・1階地上ホームに大井町線が、2階高架ホームに東横線が入る乗換駅。  昭和2年(1927)、東横線の九品仏前駅として開業。 昭和4年(1929)、自由ヶ丘駅(現:自由が丘駅)に改称。また、同年には現在の大井町線が開通した。、、、、、、なんと言っても、山手のセレブを相手にする高級志向の店舗が並ぶ街。 私には、浅草・上野の空気が肌に合うね! 早々と駅から離れた!

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・・・・・・・・・・・・・・・遊歩道の両側には、シャレた、お高そうな、お店が並んでいる。

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⑤九品仏駅
・・・・・・・・・・・昭和4年(1929)に開業。 駅名は駅北側にある、九品仏浄真寺にちなみ命名された。、、、、、この駅の名物は、なんと言っても構内が狭く、ホームの両端は踏切で、ホームの長さは4両分しか確保されていないため、5両編成の大井町線は5号車(溝の口より)はドアが開かない駅となっている。 

・・・・・・・・・・・・・・駅舎は踏切の上下線の間にある。 改札はここのみ1か所。

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・・・・・・・・・・・・・・お手洗いは島式ホームの中央に鎮座している。 これも狭いため、致し方ないか、、、、、チョイと気の弱い人は、利用しにくいトイレだね。

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・・・・・・・・・・・・・・・溝の口側のホーム端部。

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2015年7月13日 (月)

目黒~恵比寿

JR目黒駅から恵比寿駅まで、爽やかな青空の下をブラリ散歩ができず、ギンギンの猛暑の中を汗がダラリ・ベッチョリ散歩。 気温35℃、熱中症がヤバイ、途中で散歩も切り上げ! 9千歩、7㎞。


①JR目黒駅
・・・・・・・・・・・まだ官営の鉄道は新橋発着の東海道線だけの明治18年(1885)3月1日、私鉄:日本鉄道の品川線(品川~赤羽)が開通した。 このとき、設置された駅は両端の品川、赤羽と、途中に渋谷、新宿、板橋の3駅であった。 開通から、半月遅れて3月16日、途中駅として目黒、目白の2駅が開業した。 ちなみに巨大ターミナルである池袋駅の開業は、なんと18年後の明治36年(1903)である。 当時は池袋より、目白、目黒のほうが集客力があったのか?

・・・・・・・・・・・・・・東口、西口

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・・・・・・・・・・・・・・朝からガンガン照り、通勤のサラリーマンは、アジ~ィ、アジ~ィ!

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・・・・・・・・・・・・・・跨線橋:上大崎新橋から眺める目黒駅。 五反田~目黒間の線路の勾配はきつく、多少とも勾配を緩和するため、五反田駅は高架ホームで線路をかさ上げし、目黒駅は深い切通しの底にホームが設けられている。

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・・・・・・・・・・・・・・上大崎新橋から眺める恵比寿駅方向。

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②日本基督教団白金教会
・・・・・・・・・大正7年(1918)白金伝道教会として始まる。 大正13年(1924)現在地(上大崎2)に会堂を建設、昭和51年(1976)現在の会堂を建設。

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・・・・・・・・・・・・・内部は“シンプル・イズ・ベスト”の教会だ! 写真は3年前撮影。

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③白金桟道橋
・・・・・・・・・・・・上大崎2丁目に、古レールを構造材として利用した、長さ:24.4m、幅:2mの跨線橋がある。 山手線部分(写真:右側)は単純な垂直に組んだ橋脚で、山手貨物線(埼京線、湘南新宿ライン)部分(写真:左側)は掘割りの深さもあり、橋脚部分はアーチ形状に組まれている。 昭和元年(1926)に建設された。

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④長者丸踏切・目黒道架道橋
・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・白金桟道橋から恵比寿方向を眺めると、山手貨物線の上を山手線が走る光景が見える。

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・・・・・・・・・・・・・交差地点は、現在はボックス形のトンネルになっているが、昭和の時代には、山手線が鋼製のガータ橋を渡り越えていた。
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・・・・・・・・・・・・・トンネルの目黒寄りに、山手貨物線に長者丸踏切があり、山手線には目黒道架道橋がある。
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・・・・・・・・・・・・・「長者丸」とは、かつて、長者が住んでいた、この付近の地名である。 昭和42年(1967)の住居表示改正で、「品川区上大崎長者丸」から「品川区上大崎2丁目」と変更され消滅した。 現在は大崎2丁目の高級住宅街の中の交番・マンションにその名が残されている。 

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・・・・・・・・・・・・・交差点の恵比寿側に「大丸跨線橋」がある。 ここから交差地点を見た景色。

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⑤土浦邸
・・・・・・・・・・・・・・上大崎2丁目に、モダニズム建築家として活躍した土浦亀城(1897~1996)の自邸がある。 土浦亀城は、東京帝大を卒業し、旧帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトの手伝いをし、その後大倉土木(現:大成建設)に勤め、作品として強羅ホテル(1938)、銀座シネパトス(1952)などがある。、、、、、、自邸は昭和10年(1935)に竣工した。 白い四角形の組み合わせ、インターナショナルスタイルを木造で表現した、実験住宅である。、、、、、、住宅地に建つ白亜の小住宅は、昭和初期の建物とは思えない“新しさ”が残っている。  

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⑥目黒区三田の境界石
・・・・・・・・・・・三田2丁目に私を引き付ける裏道があった。 すり鉢状の地形の底に下る道だ。

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・・・・・・・・・・・・・中程を過ぎたあたりで、住宅の間に路地を発見。 路地の先には階段がある。 この雰囲気好きだね!

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・・・・・・・・・・・・上から2段目に、『陸軍』と読める境界石が埋められていた。

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・・・・・・・・・・・・・階段を上がりきると、2車線程の裏道に出た。 写真:ブロック塀の右端と街路灯のポールの間に階段の手摺が見える。

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・・・・・・・・・・・・・調べてみたら、、、、、三田2丁目の北側には現在:防衛庁技術研究所がある。 また、三田2丁目を挟んで南側には白金自然教育園がある。 その2か所を結ぶ、裏道が階段上の裏道である。 現:防衛庁技術研究所のところに目黒火薬製造所(明治13年(1880)に完成)があり、白金自然教育園には火薬庫があったそうだ。 どうやら、この裏道は、2地点を結ぶ火薬運搬用の軍用軌道跡らしい。 境界石は、軌道沿いに埋められたものであろう。



⑦共立電機
・・・・・・・・・・・恵比寿駅 近い、渋谷区恵比寿南2で、チョイと古そうな建物発見。 こちらも、調べてみたら、昭和38年(1963)建築の鉄筋コンクリート4階建ての工場事務所。 現在はアパレル企業に貸してるみたい。

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2015年2月27日 (金)

五反田~目黒

五反田駅から山手線の外側をお隣の目黒駅まで、9千歩、8kmの散歩です。


①五反田駅
・・・・・・・・・・・・五反田駅は、JR山手線、東急池上線 、都営地下鉄浅草線の3線が発着する品川区内の駅。 明治44年(1911)に官設鉄道の駅(現:山手線)が開業し、昭和3年(1928)に池上電気鉄道(現:池上線)が開業、そして昭和43年(1968)に都営地下鉄(現:浅草線)が開業した。・・・・・・・・・・JR五反田駅は、私にとって思い出のない駅である。 脳味噌をかきまわして、無理やり思い出を探すと出てくるのは、駅近くの桐ケ谷斎場での葬儀のことばかり、、、、、

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海喜館・・・・・・・・・・・五反田駅近く、目黒川脇にある日本旅館だが、数年前に倒産し廃業した。 夜のとばりが下りた頃、芸者を呼んでチントンシャンする料亭旅館か、その道のベテランを連れ込む宿か、、、、、てなことを、勝手に想像していたが、実際は修学旅行、社員研修などで利用されていたらしい。 建物は廃屋に近い無残な状態となっているが、玄関周りなどは綺麗に清掃されている。 外の看板には3桁の市内局番が表示されている。 東京の市内局番が4桁になったのは平成3年(1991)、今から20年以上前のこと!・・・・・・・・「海喜館」が怪奇館にならないように!

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③公営住宅
・・・・・・・・・・・・・写真:手前は都営西五反田3丁目アパート(平成11年(1999)建設)、奥は品川区民住宅ファミュー西五反田(平成16年(2004)開設、400戸、家賃8万円~16万円)、どちらも駅に近いし、立派だし、便利がいいし、綺麗だし、、、、、今晩の味噌汁は鰹だし!

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④名前の判らぬ坂
・・・・・・・・・・・東急目黒線が目黒川を越える際から目黒駅方向に向かう坂で、目黒川側から上りとなる。 かなり長く、急な勾配で、チョイと上りはつらい!  この道は「ドレメ通り」の愛称で呼ばれ、坂を上がると両側は杉野学園の校舎など関連施設が両側に並んでいる。 

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⑤杉野学園
・・・・・・・・・・・ドレメ通りの両側に、ドレスメーカー学院・杉野服飾大学・同短期大学部・学生寮など15棟ぐらいの建物がズラリ並んでいる。 学園はどうも“女の園”に見え、気の弱い私は内部に入れず、もっぱら外観だけ遠くからパチリ! 

・・・・・・・・・・・・・本校舎・・・・・・・・・・教務部・学生部などの事務室がある学園の中枢的な建物で、服飾造形科の教室もある。 地階には購買部もあるらしい。 建物の年代不詳。

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・・・・・・・・・・・・・第3校舎・・・・・・・・・・杉野服飾大学の校舎。 チョイと女子学生の出入りが多く、怪しき親爺と思われたかな?

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・・・・・・・・・・・・・衣裳博物館・・・・・・・・・・昭和32年(1957)に日本で初めてのコスチューム・ミュージアムとして完成した。 世界各地の歴史的な西洋衣裳、民族衣裳、日本衣裳などがテーマごとに展示されているそうだ、私は今だ入館したことがない。

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・・・・・・・・・・・・・・杉野記念館・・・・・・・・・・創立者:杉野繁一・芳子夫妻の旧宅。 昭和13年(1938)完成に建てられ、現在は記念館として公開されている。

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カトリック目黒教会(聖アンセルモ教会)
・・・・・・・・・・この教会は、旧帝国ホテル建設の際、フランク・ロイド・ライトの助手として活躍したアントニン・レーモンドが、戦後はじめて手がけた作品である。 打放しコンクリートによる折版構造の壁で、隙間から外の光が差し込み、神聖な空間を創りだしている。 昭和31(1956)竣工、白石建設の施工。・・・・・・・・・今日は、ここまで来る途中、可愛い娘に目がいったり、“ながらスマホ”の姐さんが転ぶことを期待したり、坂を下る車のブレーキが利かなくなるのを期待したり、、、、いろいろ良からぬことを想い、神の前で“ごめんなさい”して、少々の献金をしてきた。

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このあと・・・・・・・・・・・・・・・・・私の散歩は、目黒駅前から雅叙園(焼肉は叙々苑)に通じる行人坂を下り、大円寺東電下目黒変電所によって目黒通りに出た! 既に、神に誓った言葉は忘れ、キョロキョロ、良からぬことを想い散歩は続く!

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⑦急な階段
・・・・・・・・・・・目黒通り「権之助坂商店街」の脇に、細い急な階段を発見! 下りてみたくなるね。 もちろん、下りました。 

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・・・・・・・・・・・・・階段を下りると、そこは日出高等学校裏の路地だった。 私好みの路地だ!

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⑧富士見坂
・・・・・・・・・・・・目黒区目黒1丁目から品川区上大崎2丁目に上る、これまた急な坂。 以前来たときは、名前は不明であったが、今日は富士見坂と表示されていた。 勾配15%、長さ200m程の坂で、スキーのゲレンデを上っているような感じとなる。 私の呼吸はゼイゼイ、パクパク、足はヨタヨタ与太郎、若い娘に負けてオイ(老い)コラコラ。

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・・・・・・・・・・・・・坂の上の“雲”も見えず、“富士”も見えず。 

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このあと・・・・・・・・・・・・・・目黒駅に出て帰宅。

2015年1月26日 (月)

中延~西小山

散歩に行ってくると言って家を出たが、行先が定まらず、とりあえず地下鉄浅草橋駅のホームに立ち、先に来た電車に乗ることにした。 島式ホームで1番線は羽田空港行、2番線は高砂行、どちらが先に来るか? 発車時刻から推測すると2番線の高砂行だな、乗ったらどこで降りようか思案中、、、、、、ナント、先に来たのは、1番線で西馬込行だった。 乗ったら、『本日は電車が遅れて、申し訳ございません』の車内放送、、、、、納得! さて、どこで下車しようか?、、、、、、車内の路線図を見て、『どこにしようかな』、目が止まったのは「中延」。 これで決まり!

都営浅草線中延駅から、東急旗の台駅、東急目黒線洗足駅に寄って、目黒線西小山駅まで、1万歩、7㎞の散歩です。・・・・・・・・(中延駅から旗の台駅までは、2014/2/19歩いてた)


①東急大井町線 中延駅
・・・・・・・・・・昭和2年(1927)、目黒蒲田電鉄大井町線の駅として開業。 都営浅草線の中延駅までは50m、東急の高架駅から都営の地下駅に走って乗り換える人が多い。

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②大井町線 中延4丁目ガード
・・・・・・・・・・桁下2.1mは、チョイと低いが、車も人もOKだ! ガード下から見上げると電車の床下が丸見え!

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③洋服直し 理想郷
・・・・・・・・・・・旗の台4丁目商店街に残る昭和初期の建物。 建物は昭和30年ころまでは和菓子屋「青柳」として使用されていた。 その後、仕立て屋となったようで、「理想郷」という名前がシャレている。・・・・・・・・・・この建物が建つ一画は戦災で焼けなかったそうで、現在も裏手には木造平屋の建物が数件残っている。  (写真の色合いが暗いのは、カメラの設定を間違えたため、悪しからず)

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④旗の台駅
・・・・・・・・・・・・東急大井町線と池上線が立体交差する乗換駅、大井町線は高架で、池上線はのんびり地上を走る。

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⑤旗の台6の住宅街
・・・・・・・・・・旗の台駅前の「稲荷通り」を抜け、中原街道を横切ると、旗の台6丁目の住宅街となる。 骨董的な古い建物はなく、比較的新しい住宅が多い。 田園調布のような高級感はなく、中産階級向けのお手頃住宅かも。

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⑥洗足駅
・・・・・・・・・・大正12年(1923)に開業した目黒線(旧目蒲線)の駅。 昭和40年(1965)に地下化された。

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・・・・・・・・・・・・・・目黒方面から洗足駅に来る電車は、駅手前で地下から顔をだし切通し区間を走り、再び地下にもぐり洗足駅に入る。・・・・・・・・・・金網越しにチラリと見える電車を、嬉しそうに写真に撮る親爺も、そろそろ卒業しないと孫に馬鹿にされるかも。

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・・・・・・・・・・・・・地下化された線路の上は、“緑道”として開放されている。 お隣の西小山駅へ続く。 歩きやすく、ベンチも多く、お年寄りには優しい緑道である。

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⑦厳島神社
・・・・・・・・・・・洗足駅の北東に厳島神社がある。 ここでは、弁財天も祀っているようで、「弁天神社」とも書かれていた。 境内には由緒書きらしきものは見当たらず、謎の多い小さな神社だ。 朱塗りの橋の下には池があり鯉がいる。

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⑧西小山駅
・・・・・・・・・・・・昭和3年(1928)に開業した。 開業時の駅舎は地下化工事のため平成11年(1999)に取り壊された、残念! 現駅舎は平成20年(2008)に駅ビルとして完成した。

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2013年10月10日 (木)

恵比寿~目黒

山手線恵比寿駅から、隣の目黒駅まで、祐天寺経由で、1万3千歩、9kmの散歩です。

①恵比寿駅・・・・・・・・・・・明治34年(1901)、ビール出荷のための貨物駅として開業し、明治39年(1906)10月30日から日本鉄道にて旅客営業を開始した。 二日後の39年(1906)11月1日より国有化された。

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・・・・・・・・・・・・・駅近くのビル工事現場に貼られていた、昭和30年代の恵比寿駅の写真。 上の写真とほぼ同じアングルだと思うよ! かつては、盛土上のホームが駅舎の上に見えていた、今は駅ビルに覆われ見えなくなった。

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②村直工業・・・・・・・・・恵比寿南に、サッシなどは入れ替えられているが、戦前の住宅を事務所にしたような会社があった。・・・・・・・・・・玄関は個人住宅風の造りだ、2階には一部ステンドグラスもある。 建築年代が気になるね!

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③中目黒アトラスタワー・・・・・・・・・・・・中目黒の周辺を歩いていると、やたら目に入ってくる中目黒駅前の高級分譲高層マンション。 平成21年(2009)竣工、鉄筋コンクリート造、地上45階建て、総戸数う495戸、間取り:1R~3LDK、賃料:156,000円~800,000円。・・・・・・・・・もはや、町の景観の一部となっており、はたして周辺住民が好感を持って受け入れた建物なのか疑問だ!

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④船入場調整池・・・・・・・・・中目黒1丁目で川幅が広くなる目黒川の右岸に、船入場調整池がある。 目黒川の増水に備え、地下調整池が造られ、その上は公園となっている。・・・・・・・・ここ「船入場」には、昭和初期に水運のための川を切り開き、船をここまで入れたそうだ。

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⑤正覚寺・・・・・・・・・・船入場調整池、目黒区総合庁舎とは道路を挟み向かい側に、元和5年(1619)創建の日蓮宗の寺、実相山正覚寺がある。・・・・・・・・・境内は広く、近代的な檀信徒会館なども立派に整備され、儲かっていそうな寺だ。(失礼!)

・・・・・・・・・・・・・・山門

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・・・・・・・・・・・・・・本堂

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・・・・・・・・・・・・・・鬼子母神堂・・・・・・・・本堂より立派に見えるな!

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⑥中目黒八幡神社・・・・・・・・・・・創建年代は不詳の目黒村の鎮守さま。山手通りからは、南に入った小高い所に位置し、石段を少々上がったところにある。本殿・弊殿・拝殿の権現造りの現在の社殿は、昭和9年(1934)に建てられた。・・・・・・・・・神社は既に七五三の準備が整ったようだ! 

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⑦祐天寺・・・・・・・・・・・・東急東横線の駅名「祐天寺」の祐天寺です。・・・・・・・・徳川吉宗の時代、増上寺36代住持の祐天が亡くなり、弟子の祐海は目黒の朽ちていた善久院を百両で購入し住職となって、祐天の廟所と常念仏堂を建立する。 これが、祐天寺の始まり、時は享保8年(1723)のことである。・・・・・・・・・・賽銭箱には、各区各組の纏の図柄が描かれている。これは、祐天が増上寺住持のおり、寺内に火消しの制を設け、これがのちの江戸町火消の原型となったところから、火消し・消防と縁の深い寺とされているためだ。・・・・・・・・・駅名になる寺だけあって、大きい、広い、立派!

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・・・・・・・・・・・・・・本堂と賽銭箱

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・・・・・・・・・・・・・・・仁王門・・・・・・・・・創建時の建築

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・・・・・・・・・・・・・・阿弥陀堂・・・・・・・・・創建時のまま残る貴重なお堂

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・・・・・・・・・・・・・梵鐘・・・・・・・・・今でも、正午の時の鐘として撞かれている。

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⑧カーサ中目黒・・・・・・・・・・早稲田の和世陀(ドラード早稲田)を設計した梵寿綱の作品。総戸数13戸の小柄なマンションで、昭和49年(1974)に竣工した。・・・・・・・・あの独特のクセのあるデザインが一部に見られるが、全体的にはおとなしいようだ!

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・・・・・・・・・・・・・・・駐車場の壁面

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・駐車場からの上がり口、チョイト怪しげなアプローチだ!

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⑨親爺殺しの坂・・・・・・・・・・目黒1丁目2番と3番の間にある坂。どうやら名前はついていないようだ。 勾配15%、長さ200m程の坂で、スキーのゲレンデを上っているような感じとなる。・・・・・・・・・今日は気温28℃で、上りきったら、汗グシャグシャ、心臓ドキドキ、息ゼイゼイ、若い娘に負けてオイ(老い)コラコラ。 私が坂の名を付ける「親爺殺しの坂」。

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2013年8月 4日 (日)

大岡山~都立大学

東急目黒線大岡山駅から東急東横線都立大学駅まで、1万1千歩、8km、夫婦での散歩です。

①大岡山駅・・・・・・・・・・・・大正12年(1923)、 目黒蒲田電鉄線(元:目蒲線→現:目黒線)の駅として開業。昭和2年(1927)には、目黒蒲田電鉄大井町線も開業した。・・・・・・・・・平成9年(1997)地下化工事が完成し、2面4線の方向別ホームとなる。平成19年(2007)には駅直上に東急病院が移転開業する。・・・・・・・・・東急病院は135床の総合病院で、駅上に開業した。 病院に列車の振動が伝わらないように、レールの下にばねを入れたそうだ。 5階建ての病院は外部をツタで蔽い、省エネ・緑化に貢献している。・・・・・・・・・・・私が高校生の頃は地上ホーム・木造駅舎で、まさに田舎の駅だった。

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②東京工業大学・・・・・・・・・・・東京工業大学は、明治14年(1881)の東京職工学校の開設に始まる。 明治15年(1882)には東京市浅草区蔵前東片町(現:蔵前1丁目の榊神社の場所)の浅草文庫の地で、校舎新築に着手した。 明治23年(1890)に、東京工業学校と改称する。 関東大震災では壊滅的な被害をこうむり、現キャンパスの大岡山への移転を決定する。 昭和4年(1929)には旧制の東京工業大学となり、昭和24年(1949)に新制大学となる。・・・・・・・・・私の大学受験では、第一志望校であったが、大学側が拒否したため“縁”は遠のいた。 その後、我が娘が蔵前の旧東工大跡地に建つ中学に入学し、高校は東工大附属の工業高校に進学し、再び“縁”ができたと思いきや、、、、、大学は娘が拒否し、美系の大学へ行ってしまった。・・・・・・・・・家内は、娘の附属高校の入学式/卒業式で大岡山キャンパスには足を運んでおり、構内を興味深く見ていた。

・・・・・・・・・・・・本館・・・・・・・・・昭和6年(1931)着工、昭和9年(1934)竣工の本館は、鉄骨鉄筋コンクリート造3階建てで、大岡山キャンパスの中心となる堂々とした建物だ。

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・・・・・・・・・・・・・・昭和15年(1940)の本館全景(東工大HPより)・・・・・・・現在は前面に桜の樹が茂って、全景を一目で見ることは難しい。中央の時計塔はシンボル的であり、敷地の高低差も活かされた設計だ!

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・・・・・・・・・・・・・西1号館(旧分析化学教室)・・・・・・・・昭和6年(1931)竣工の鉄筋コンクリート造2階建ての実験施設。 本館から芝生のスロープを下がったところに建つタイル貼りの外壁の建物。 本館から眺めると、木々の間から搭屋と煙突が見られる。

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・・・・・・・・・・・・・創立70周年記念講堂・・・・・・・・・昭和25年(1951)の創立70周年を記念して、昭和33年(1958)に谷口吉郎の設計、清水建設の施工で竣工した講堂。 建物は本館前の斜面に、スロープを活かした設計で建てられた。 設計した谷口吉郎は、昭和4年から昭和34年までの30年間、東工大建築学科で教鞭をとっていた、近代の代表的な建築家。文化勲章受章。

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・・・・・・・・・・・・・東工大の学生は日曜も芝生で読書? やはり、頭がいいのかな?

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・・・・・・・・・・・・・博物館・百年記念館・・・・・・・・・・東工大正門脇に建つ百年記念館は、昭和62年(1987)にオープンした、大学の業績の保存と展示を行う4階建ての施設。設計は当時大学の教授であった篠原一男。

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・・・・・・・・・・・・・附属図書館・・・・・・・・・・・平成23年(2011)に竣工した附属図書館。 鋭い鋭角三角形の建物で、2階・3階が閲覧室となっている。 本館を見渡す丘と図書館前の広場の地下に収蔵庫が在る。

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・・・・・・・・・・・・東工大に咲いていた!

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③カトリック碑文谷教会・・・・・・・・・・・・目黒区碑文谷に、昭和29年(1954)、サレジオ会によって建立されたロマネスク様式の教会。 別名:サレジオ教会と呼ばれている。 内部は壁・天井一面にフレスコ画が描かれている。この絵はイタリア人:フェラーリ修道士が7年にわたり心血を注いだ労作だ!・・・・・・・・・・安土桃山時代の華麗な障壁画を見ているようだ!・・・・・・・・・・有名人の結婚式も多い教会だ! 納得!

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