杉並区

2017年11月16日 (木)

観泉寺

今夏に訪れた杉並区今川の観泉寺に、秋の色を求めて歩いてきた。 西荻窪から、荻窪八幡神社、観泉寺、妙正寺と1社2寺を巡って荻窪駅まで、1万2千歩の散歩です。
 
 
 
荻窪八幡神社 ・・・・・・・・・・杉並区上荻の荻窪八幡神社は、第59代・宇多天皇の寛平年間(889~898、平安時代前期)に創祀されたものと伝えられている。 旧上荻窪村の鎮守。、、、、、永承6年(1051)、源頼義が奥州の安倍貞任征伐の途中、当社で戦勝を祈願し、後の康平5年(1062)に凱旋の折、神恩に感謝して当社を厚く祀ったと言われている。 その後の文明9年(1477)に江戸城主であった太田道灌は石神井城主:豊島泰経を攻める際に、この故事にならって当神社に武運を祈願した。 この時植えた槇の樹一株が、500年経ったいまなお神社の境内にそびえる「道灌槇」で、御神木として崇められている。、、、、、、本殿は明治28年(1895)、拝殿は昭和11年(1936)に建てられた。
 
1711160851080
 
1711160849360
 
1711160847040
 
1711160846360_2
 
 
観泉寺 ・・・・・・・・・・・・こちらは、地名も杉並区今川にある、今川氏の菩提寺観泉寺。 夏に訪れたときは、緑豊かに手入れの行き届いた庭であった。 秋の色に染まった庭も見たく、今日の再訪となった。、、、、、慶長2年(1597)観音寺として創建。 正保2年(1645)今川13代直房(桶狭間で織田信長に敗れた今川義元の子孫)は、将軍家光の命をうけて京に上り、東照大権現の宮号宣下の使者を勤めました。 その功により井草村など三か村五百石の加増をうけ、当寺を菩提寺と定め、現在地に移して寺号を観泉寺と改め、祖父氏真を開基とし、信仰厚く伽藍建立に寄与した姉(観泉寺殿簾室慶公大姉)を中興とした。
 
・・・・・・・・・・・・・山門から本堂へ、、、、、東京の紅葉は京都みたいに、一斉に赤くならないようだ!
 
1711160935490
 
1711160914090
 
1711160934240
 
・・・・・・・・・・・・・横の鐘楼は無ゴ~~ン
 
1711160927310_2
 
・・・・・・・・・・・・・閻魔堂は、秋の陽射しを受け眩しそう。
1711160917070_2
 
・・・・・・・・・・・・・庭の樹々もチョイと色づいた。
 
1711160933420
 
・・・・・・・・・・・・・今川の御先祖さんは墓地で熟睡!
 
1711160921190
 
 
妙正寺 ・・・・・・・・・・・観泉寺から東へ向かい杉並区清水にある、日蓮宗の寺院:法光山妙正寺に参る。 妙正寺は十界諸尊を本尊とし、ほかに大黒天・鬼子母神・三十番神・弁財天などの諸像が祀られている、仏様の揃い踏み。、、、、、約六百年前の文和元年(1352)、中山法華経寺の第三世日祐上人が、妙正寺のほとりに堂を建て、法華経守護の天照大神・八幡大神・春日大神など三十番神を勧請したのが始まり。 正保3年(1646)に堂を再建し中興する。 慶安2年(1649)、三代将軍徳川家光が鷹狩りの折、神前に武運長久を祈願し、葵の紋幕と朱印地五石を寄進してからは、「御朱印寺」として一層有名になった。 なお、隣の妙正寺公園を源として、王子から隅田川に注ぐ川は妙正寺川である。、、、、、本堂は昭和6年(1931)に改築し、鐘楼は昭和38年(1963)に建て替えられた。
 
・・・・・・・・・・・・・・山門の脇には、紅葉ならぬ、桜がお出迎え。
 
1711160954510
 
1711160955350
 
・・・・・・・・・・・・・山門を抜ければ、スグ前に本堂
 
1711160958200
 
1711160959290
 
・・・・・・・・・・・・・・鐘楼をチョイと見上げて、ゴーン。
 
1711161009560
 
・・・・・・・・・・・・・・妙正寺の墓地に眠る、囲碁の本因坊:知伯。 本因坊知伯(ちはく)は、宝永7年(1710)に生まれ、享保18年(1733)に没した、江戸時代の囲碁棋士で、六世本因坊。、、、、知伯の本姓は井口であるが、妙正寺の墓地には井口姓の墓が多く、アッチャ、コッチャ、墓を覗き探すこと15分。 やっと見つけた、小さな墓石!
 
1711161006580

2017年9月19日 (火)

阿佐ヶ谷~下井草

JR中央線阿佐ヶ谷駅から西武新宿線下井草駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①阿佐ヶ谷駅・・・・・・・・・・大正11年(1922)7月15日に開業した駅。 現在は、急行線・緩行線それぞれに1面2線の島式ホームがある高架駅。、、、、、戦後、商店の集客目的での昭和29年(1964)から始まった、毎年8月に開催される「阿佐ヶ谷七夕まつり」が有名な駅。 隣り駅:高円寺の阿波踊りに対抗しているそうだ。 両駅とも競い合い、共に町が活性化しているようでいいね!
 
1709190810350
 
1709190815200
 
 
②阿佐ヶ谷スターロード・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・今日は北口に出て、線路沿いの「阿佐ヶ谷スターロード」を通り抜けてきた。
 
1709190818360
 
1709190816360
 
・・・・・・・・・・・・・・・「阿佐ヶ谷スターロード」は、阿佐ヶ谷駅北口からJRの高架に沿って荻窪側に600m程、細い道に小さな店が並ぶ商店街。 八百屋・鳥肉屋・カフェ・ブティックなどの個人商店もあるが、夜の居酒屋・バー・焼き鳥屋・小料理屋・赤提灯が目立つ商店街だ。 所々には、映画・演劇のポスターもペタペタ貼られている。、、、、、『This is “art”』と叫びそうな芸術家(?)が夜な夜な出没するような店が多い。 中央線沿線らしい街である。 私は名を知るだけだが、寺山修司ゆかりの地でもあるようだ。、、、、、、赤提灯が一斉にぽっと灯ったら、散歩してみたい街だ。
 
1709190821210
 
1709190827460
 
1709190828050
 
1709190831590
 
・・・・・・・・・・・・・・スターロードからチョイト入った住宅地に、個性派名画座と言うべき、小さな(48席)可愛い映画館がある。 館名の「ラピュタ阿佐ヶ谷」は、宮崎駿のアニメ「天空のラピュタ」から頂戴したそうだ。、、、、、、ちなみに、9月の上映は、“昭和の銀幕に輝くヒロイン 轟夕起子”、“一役入魂 映画俳優・三国連太郎”、“新東宝ピンク映画 ラスト・フィルム・ショー”である。、、、、、名画座となると学生時代を思い出し、懐かしくもあり、観てみたいね!
 
1709190823010_2
 
 
③天沼熊野神社・・・・・・・・・・・・・天沼熊野神社(杉並区天沼2)は、伊邪那美命を祭神とする神社。 神社は、神護景雲2年(768)の創建とも元寇3年(1333)の創建ともいわれている。 創建年代がはっきりしないほどの古社である。、、、、、社殿は、平成7年(1994)に、木曽檜による木造、流造りで建て替えられた。
 
1709190852080
 
1709190857330
 
 
④蓮華寺・・・・・・・・・・・・・天沼2丁目から日大二高の前をとおり、本天沼2丁目に入ると蓮華寺がある。 先日、中野区大和町の蓮華寺 (日蓮宗)に寄ったが、今日は杉並区の蓮華寺だ。、、、、、こちらは、真言宗室生寺派の天沼山蓮華寺である。 如意輪観世音菩薩(如意輪蓮華峰王)が本尊である。 開創は室町時代と伝えられているそうだ。 昭和37年(1962)に建立された本堂には不動明王坐像と昭和19年(1944)出羽湯殿山から請来した不動明王の立像が安置されている。、、、、、、同名の“蓮華寺”は、都内には、ここ杉並区本天沼の他に、中野区大和町(日蓮宗)、中野区江古田(日蓮宗)、文京区白山(日蓮宗)、台東区谷中(日蓮宗)、江戸川区江戸川(新義真言宗)、板橋区蓮根(真言宗智山派)、葛飾区鎌倉(本門仏立宗)、豊島区駒込(顕本法華宗)など、など、まだあるかも?
 
1709190916090
 
1709190913430
 
・・・・・・・・・・・・・・・蓮華寺の北、 天沼児童公園(本天沼2)の角に、享保2年(1717)の銘がある意安地蔵尊が祀られている。、、、、、この辺りは、戦前までは田畑の広がる農村であったかも?
 
1709190922530
 
 
⑤旧早稲田通り・・・・・・・・・・・下井草2丁目と3丁目の境に伸びる通りが旧早稲田通りである。 この通りは、本天沼二丁目交差点から下井草駅前をとおり、西武池袋線の保谷駅へと伸びている。、、、、、今日は本天沼二丁目交差点から下井草駅まで歩いてきた。
 
・・・・・・・・・・・・・松下橋妙正寺川を越える。 川の水は台風18号の影響もなかったようで、スッカラカンのチョロチョロ。
 
1709190940090
 
1709190939040
 
・・・・・・・・・・・・・・見るべきものもなく、ひたすら歩くと駅に着いた。
 
1709190946310
 
1709190959400
 
 
⑥下井草駅・・・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)4月16日に開業した西武新宿線の駅。 相対式2面2線の駅で、平成19年(2007)に現在の新駅舎が完成した。
 
1709191000420
 
1709191005470
 
1709191005140

2017年9月 7日 (木)

高円寺~鷺ノ宮

一雨降りそうな曇り空。 行先の当てもなく高円寺駅で下車し、気持ちは北に向かい歩きはじめる。 西武新宿線鷺ノ宮駅付近に来ると、ポツリポツリと降ってきた。 散歩は此処まで。 1万歩。
 
 
 
①高円寺駅・・・・・・・・・・・ホームに立って、『何処へ行くか?』考えるが、答えは毎度同じで、『とりあえず改札口を出てから考えよう』。 
 
1709070804090
 
・・・・・・・・・・・・・・・駅北口の「高円寺純情商店街 」の前に立ち、『この商店街は以前に歩いたし、純情な娘もいなかった、今日は別な道を歩こう!』、、、、ということで、線路わきから北東に伸びる、B級商店街を歩く。
 
1709070819010
 
1709070814330
 
1709070825260
 
 
②高円寺北の町・・・・・・・・・・商店街からはずれ、高円寺北3丁目・4丁目の裏道を歩く。
 
・・・・・・・・・・・・・裏道に入ると、昭和のアパート:「ときわ荘」があった。、、、、、『ん、どこかで聞いた名前だ!』、、、、、豊島区南長崎に手塚治虫、藤子不二雄らが住んでいたアパートも「トキワ荘」だ。 
 
1709070822390
 
・・・・・・・・・・・・・・こちらは、かわいらしい住宅。 木造平屋。
 
1709070830050
 
・・・・・・・・・・・・・・懐かしい洋間のある住宅。 大正から終戦まで、都会の住宅では玄関わきに客の応接用に小さな洋間の部屋をつくることが流行った。
 
1709070831420
 
・・・・・・・・・・・・・・高円寺北4丁目には、かつて気象庁の気象研究所があった。 研究所は昭和55年(1980)に筑波に移転し、跡地が昭和60年(1985)に馬橋公園として整備された。、、、、、大きな公園で、地元のお年寄りのオアシス。
 
1709070838430
 
1709070840450
 
・・・・・・・・・・・・・・公園の隣には、官舎と思われる集合住宅が3棟、ペンペン草の中に閉鎖され解体されるのを待っている。、、、、、建物が役割を終え、壊されるのを待つ光景は、住んでいた人の物語などを想像すると、悲しく寂しいものである。 
 
1709070836490
 
1709070838100
 
 
③Aさんの庭・・・・・・・・・・チョイとかわった名前:「Aさんの庭」の公園は、阿佐谷北5丁目にある小さな可愛い公園(約830㎡)で、平成22年(2010)に開園した。 「Aさん」とは特定した人物ではなく“皆さん”と言うことらしい。、、、、、ここにはかつて、昭和初期の杉並の文化・生活を今に伝える貴重な住宅があった。 庭にはバラが咲くかわいらしい住宅だったそうだが、平成21年(2009)2月、火災により住宅は焼失してしまった。 その跡地に、宮崎駿監督の公園デザインによる区立公園が整備された。、、、、、、トイレと防災倉庫を兼ねる建物の外観は、赤い素焼きの屋根瓦と茶色の外壁、そして白い窓枠により住宅風のデザインである。 また、周囲はかつてのバラが咲く庭を思い出させるように草花が彩っている。
 
1709070850250
 
1709070853510
 
 
④泉光山蓮華寺・・・・・・・・・・・早稲田通りを越えて、杉並区から中野区大和町に入ると、日蓮宗の大寺、泉光山蓮華寺がある。 朱塗りの山門をくぐり、鬱蒼とした樹林と自然の湧水池が創るに静かな境内が出迎えてくれる。、、、、、、蓮華寺は、増山弾正少弼正利の母で徳川家綱外祖母のむらさき(法名:泉光院殿妙澄日行)と、増山正利の妹女毛利刑部少弼室(法名:蓮華院殿妙通日香大姉)開基となり、万治元年(1658)関口台町(文京区)に創建、幕府より寺領20石を拝領した。 明治44年(1911)現在地へ移転した。
 
1709070914260
 
1709070909040
 
・・・・・・・・・・・・・・・本堂横に「山荘の碑」がある。、、、、、、“山荘”は山屋敷・切支丹屋敷ともいわれ、キリスト教徒を禁固した初代切支丹奉行井上政重の別邸(文京区茗荷谷)のことである。 徳川幕府はキリスト教を厳しく取り締まった。 切支丹屋敷は、寛永20年(1643)に密入国した布教者(伴天連)のうち、マルケスやキアラほかの棄教者を収容し、宗門改などの情報を集めたそうだ。 のちに一人で密入国したシドッティを収容、これを訊問した新井白石が「西洋紀聞」を書いたことは有名である。 シドッティは、鎖国の理由となった侵略説を否定、近代科学への目をひらかせるなど、白石に大きな影響をあたえた。、、、、、この碑は、屋敷が大江政晴のものとなったとき、獄死した人びとをいたんで建てられたわが国の文化史上重要なもので、後に蓮華寺に移された。、、、、日蓮宗の寺に、キリスト教徒の死を悼む石碑とは、“日本人の心”。
 
1709070912110
 
・・・・・・・・・・・・・・中野区には、日蓮宗の蓮華寺は2寺ある。 一つは江古田の星光山蓮華寺。 もう一つが、ここ泉光山蓮華寺。、、、、“星”と“泉”の一字違いである。 お間違えなきように!
 
 
⑤妙正寺川・・・・・・・・・中野区大和町4丁目で妙正寺川に出た。、、、、、杉並区妙正寺公園内で発し、高田馬場で神田川に合流する一級河川。 近年、浸水対策が積極的になされている川である。、、、、、、今日は水量も少なく、川はチョロチョロ。
 
1709070927140
 
1709070927290
 
・・・・・・・・・・・・・・ポッリポッリ、落ちてきた! 川沿いに鷺ノ宮駅へ向かう。
 
1709070932440
 
 
⑥鷺ノ宮駅・・・・・・・・・・・どうにか濡れる前に、西武新宿線の鷺ノ宮駅に到着。
 
1709070954440
 
1709070956490
 
1709070959290
 

2017年8月21日 (月)

西荻窪~上井草

中央線西荻窪駅から西武新宿線上井草駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
西荻窪駅 ・・・・・・・・・・・・・1922年(大正11年)7月15日に、同じ杉並区内の高円寺駅、阿佐ヶ谷駅と共に同日開業した。、、、、、昨年、西荻窪駅の乗降客数は一日平均45,500人程で、JR東日本管内では102位。 私の住む浅草橋駅は54,000人程で89位。 『勝った!』と叫びたいのだが、西荻窪駅は快速が停まる、エスカレーターがある、高架下に商店街がある、駅周辺には骨董品などを売る小さなショップも多い、近くには女子大もある。 浅草橋はいずれも無く、駅の魅力では残念ながら負けだ。
 
1708210812350
 
1708210816360
 
1708210822200
 
 
②丸山橋・・・・・・・・・・・西荻窪駅を出て裏道を北へ歩く。(気持ちは北へ、足は北東へ向かっていた)、、、、、善福寺川に架かる、昭和43年(1968)1月完成の丸山橋を渡り上荻4丁目の町に入る。 丸山橋は、上荻窪村字丸山に架かる橋なのでその名がつけられた。 この付近、終戦直後までは鬱蒼たる雑木林だったそうだ。 今は、その当時の面影はない。、、、、、善福寺川はコンクリートで囲われた深い川底を流れているが、水は清く、親水公園と整備したらいいと思う。 
 
1708210841310
 
1708210840220
 
1708210842270
 
 
③荻窪八幡神社・・・・・・・・・・・荻窪八幡神社は、第59代:宇多天皇の寛平年間(889~898)に創建された。 第70代後冷泉天皇の永承6年(1051)に、鎮守府将軍:源頼義が奥州東征の折この地に陣し戦捷を祈願した。 康平5年(1062)の凱旋では、八幡神を勧請し武将を拠らしめた。、、、、、神社の境内は約2,600坪の広さを有し、チョットした森となっている。 姿を拝めない本殿は明治28年(1895)、回廊に囲まれた拝殿は昭和11年(1936)に建てられた。 回廊と神門は昭和43年(1968)の造営である。、、、、、結婚式、七五三、これから祝い事で華やかな季節が来る。 私も、60数年前に七五三を行い、鳥居前で撮った可愛い写真が残っている。 しかし、戦後まもない当時は、写真館の幕に描いた鳥居の前で記念撮影したので、神社は???・・・いまだに謎の神社!
 
1708210859460
 
1708210905070
 
1708210904290
 
1708210903300
 
 
④桃井原っぱ公園・・・・・・・・・・・荻窪八幡神社前の青梅街道を挟み、向かい側に荻窪署、荻窪消防署、河北総合病院などの公共施設が並び、その裏側にはURの団地、そして広大な一面芝生の公園がある。 これぞ、大正14年(1925)に開設した中島飛行機(株)東京工場で、昭和41年(1966)からは日産自動車(株)荻窪工場となり、平成10年(1998)に工場移転した跡地である。、、、、跡地は、公共性の高い跡地利用を望む日産自動車の要請により、「防災公園街区整備事業」を活用し、ヘリコプターの発着できる防災公園として整備された。
 
1708210918501_stitch
 
・・・・・・・・・・・・・・原っぱ公園に隣接し、青梅街道に面する「日産プリンス東京販売荻窪店」の敷地の一角に「旧中島飛行機発動機発祥之地の碑」がある。 ここには、中島飛行機製作所東京工場に始まり、冨士精密工業、プリンス自動車工業、日産自動車荻窪工場と続いた工場跡地であったことをしるしている。
 
1708210850280
 
・・・・・・・・・・・・・・そして、隣にもう一つ、「日本ロケット発祥の地」の碑がある。 中島飛行機原動機工場は、国産第一号の飛行機用のエンジンをはじめ、零戦のエンジンも設計・製造した。 戦後、日産自動車荻窪工場となり、日本のロケット第一号も開発された。、、、、工場では、昭和28年(1953)東京大学生産技術研究所からの要請で、当時の富士精密工業荻窪工場内で少量の無煙火薬系推進薬を用いたロケットモータの地上燃焼実験を実施したのを始まりとして、昭和30年(1955)ペンシルロケット(直径1.8cm、長さ23cm、重さ200g)を完成させ、水平飛翔実験が行われた。 まさしく、我が国のロケット開発の始まりである。、、、、、碑の中にはペンシルロケットが埋め込まれているのだが、連日の雨模様でガラスが曇り殆ど見えない。
 
1708210852100  
 
 
⑤観泉寺・・・・・・・・・・・・荻窪駅と上井草駅を直線で結び、その中間地点(杉並区今川2丁目)に観泉寺はある。、、、、、宝珠山観泉寺といい、本尊は釈迦如来で、戦国時代の名門今川氏ゆかりの寺である。 慶長2年(1597)今の下井草二丁目付近に開山鉄叟雄鷟大和尚により創建され、観音寺といわれていた。 正保2年(1645)今川13代直房は、将軍家光の命をうけて京に上り、東照大権現の宮号宣下の使者を勤め、その功により井草村など三か村五百石の加増をうけた。 これを機に、当寺を菩提寺と定め、現在地に移して寺号を観泉寺と改め、祖父氏真を開基とし、信仰厚く伽藍建立に寄与した姉(観泉寺殿簾室慶公大姉)を中興とした。 その後万昌院 (現中野区)から祖父氏真の墓所を当寺に改葬した。
 
・・・・・・・・・・・・・・静かな参道を進み、突き当りの山門をくぐる。、、、、、誰もいない!
 
1708210929300
 
1708210934030
 
・・・・・・・・・・・・・私とあろうものが、大失敗! 迂闊であった! まだ修業が足りぬ! この寺を知らなんだ! ものすごい寺だ! 広大な寺域の寺ではないが、東京の住宅地にあっては大きな寺だ! 江戸時代に建てられた、歴史ある本堂・庫裡の前に立ち、360度ぐるりと見渡しても、目に入るのは、緑豊かに囲まれた手入れの行き届いた境内である。 すばらしい気に入った!、、、、、写真順に、本堂正面、本堂左側の庭、本堂とは反対側の山門、右に鐘楼
 
1708210942281_stitch
 
1708210942282_stitch
 
1708210942393_stitch
 
1708210943014_stitch
 
・・・・・・・・・・・・・本堂は宝暦12年(1763)に火事で全焼し、同年に庫裡、翌年に本堂が再建された。 この庫裡と本堂は区内最古の大型木造建築物。
 
1708210941020
 
1708210940000
 
・・・・・・・・・・・・・・樹々の中に見え隠れする閻魔堂鐘楼
 
1708210940260
 
1708210938210
 
・・・・・・・・・・・・・・きれいな芝と滝を配した石組みの庭は、特に有名と言うわけではないが、訪れる人を静かな気持ちにさせてくれる。
 
1708210949570
 
1708210949450
 
・・・・・・・・・・・・・・観泉寺には、今川家累代の墓所がある。 慶長20年(1615)12月28日の一周忌銘のある今川氏真、明治20年(1887)11月3日の没年銘のある範叙(26代)など一族の墓が、墓地の中程に低い塀で囲まれ、並び供養されている。、、、、、戦国の武将今川義元の息子氏真は、桶狭間の戦いで敗死した父の後を継いだ。 しかし桶狭間の敗戦は致命的で、今川氏の滅亡を招くこととなった。 その後、氏真は出家し、歌人として多くの歌を残している。 
 
1708210946320
 
1708210945360
 
・・・・・・・・・・・・・・・境内を歩き、春の枝垂桜、秋の紅葉狩りに有名な寺であることを知り、納得! ぜひ、秋になったら再訪したい! 夏の竹林も一見の価値あり!
 
1708210951240
 
1708210936030
 
1708210936470
 
・・・・・・・・・・・・・・観泉寺山門前の参道両脇に、石仏・地蔵が残されていた。
 
1708210930130
 
1708210930280
 
1708210934420
 
 
⑥上井草駅・・・・・・・・・西武新宿線の停車場。 昭和2年(1927)4月16日西武村山線(西武新宿線の前身)の高田馬場(仮)~東村山間の開業と同時にできた。 相対式ホーム2面2線の地上駅。 それぞれのホームは完全に独立していて、跨線橋がないため双方の行き来はできない。 それゆえ、駅舎は上下線それぞれ別になっている。 下り側が南口、上り側が北口で、駅事務室も双方にある。 
 
・・・・・・・・・・・・・下り側(1番線側)の南口
 
1708211012250
 
・・・・・・・・・・・・・・上り側(2番線側)の北口
 
1708211014560
 
・・・・・・・・・・・・・・・上下線ともホームの先端が踏切まで伸びて、電車が停まると、踏切にはみ出しそうだ。
 
1708211013350_2
 
・・・・・・・・・・・・・・木造のホーム上屋に、木製の長~~いベンチ。、、、、酔って寝た人もいたであろう、懐かしのベンチ。
 
1708211021340
 
1708211017230
 
・・・・・・・・・・・・・・電車が来た、帰るぞ!
 
1708211025161
 

2017年8月 5日 (土)

明大前~方南町

京王線明大前駅から丸ノ内線方南町駅まで、1万歩の散歩。
 
 
 
①明大前駅・・・・・・・・・・京王線と井の頭線が交差する明大前駅。、、、、、、大正2年(1913)4月15日、現在の築地本願寺和田堀廟所の近くにあった江戸幕府の煙硝蔵に由来し、火薬庫前駅(京王線)として開業した。 大正6年(1917)には松原駅に改称した。 昭和8年(1933)8月1日には、現在の井の頭線が開通し、西松原駅が開業した。 昭和10年(1935)には明治大学予科が駅の北に移転してきたので、京王線の松原駅、井の頭線の西松原駅が同時に、「明大前」と改称した。、、、、、京王線、井の頭線ともに相対式ホーム2面2線で、京王線は2階がホーム、井の頭線は地下1階がホームで、改札口は1階である。
 
・・・・・・・・・・・・2階の京王線ホーム。 オリンピック後の2022年頃には、島式ホーム2面4線に改良するそうだ。
 
1708050814150
 
1708050815410
 
・・・・・・・・・・・・・掘割式の地下1階は井の頭線ホーム。
 
1708050824350
 
1708050831400
 
・・・・・・・・・・・・・1階は改札口。 京王電鉄の広報紙にあった、昭和30年代前半頃の明大前駅、趣のある駅だ。
 
1708050820180
 
30_2
 
 
②東京山手急行電鉄遺構・・・・・・・・・・明治大学和泉キャンパス東側に、井の頭線が玉川上水の下をくぐる玉川上水橋がある。 この橋の下には、4線分の軌道が敷設される予定であった。 西側(写真では右側)2線が井の頭線用、東側2線が山手急行線用であったが、井の頭線のみレールが敷かれている。、、、、、、東京山手急行電鉄とは、昭和初期に設立された会社で、山手線の外側に約50kmの環状線を作る計画だった。 山手急行線は井の頭線とほぼ同時期に計画・工事されたが、世界恐慌のあおりで資金繰りも難しく、計画は頓挫し、会社は最終的には小田急電鉄に合併された。、、、、玉川上水橋は、井の頭線、山手急行線が並行して運行できるよう造られている。
 
1708050842410
 
・・・・・・・・・・・・・・ここに山手急行線をとおすときは、写真左側の斜面を削らなければならなかった。(右側は明治大学)、、、、玉川上水橋は造ったが、掘割を拡張するまでの資金は無かったのかも?
 
1708050846460
 
 
③龍光寺・・・・・・・・・・・井の頭線沿いに歩き、小さな蔵下橋を渡り、杉並区和泉3丁目の龍光寺に行く。
 
1708050851080
 
・・・・・・・・・・・・・龍光寺は真言宗室生寺派の寺院で、泉涌山医王院と号す。 寺は、承安2年(1172)に開創、明応2年(1493)頃の開山と言われている。 本尊は薬師如来立像で平安時代に造立された、古い仏さん。、、、、、、蝉が鳴き、陽の光はまぶしく、合掌する手にも汗がベッチョリ、でも気分は爽快、まさに夏の寺である。 
 
1708050918050
 
1708050919030
 
1708050913020
 
1708050910270
 
 
④和泉熊野神社・・・・・・・・・・・龍光寺の北隣にある熊野神社。 文永4年(1267)に紀州の熊野神社の分霊を祀ったのが創建である。 和泉村の鎮守様。 現在の社殿は文久3年(1863)の造営で、明治4年(1871)に修覆したもの。、、、、、、龍光寺は、もと和泉熊野神社の別当であった。、、、、、広い境内に、歴史ある社殿、でも、屋根に積もった枯れ葉と土埃はその証かな? 『チョイと誰か拭き掃除をしたら!』 (よけいなお世話で、スミマセン。)
 
1708050925000
 
1708050923560
 
・・・・・・・・・・・・・熊野神社から150m程北に和泉貴船神社がある。 貴船神社は和泉熊野神社の境外末社で、文永年間(1264〜1275)に創建された。 境内にある”御手洗の小池”はいかなる時でも涸れることがなかった湧水で、地名“和泉”の発祥地と言われている。
 
1708050928060_2
 
 
⑤杉並区和泉で・・・・・・・・・・
 
1708050932500
 
1708050935410
 
1708050938400
 
 
⑥大圓寺・・・・・・・・こちらも和泉3丁目にある寺院で、曹洞宗の泉谷山大圓寺。 釈迦如来坐像を本尊とする。、、、、慶長8年(1603)江戸赤坂溜池の辺りに徳川家康が開基となって建立された。 寛永18年(1641)正月、江戸の大火によって諸堂を類焼し、跡地は御用地として召し上げられ、その代地として伊皿子に寺地を拝領して移転した。 そのころから大渕寺の寺名を大圓寺に改めた。 延宝元年(1673)薩摩藩主島津光久の嫡子綱久が江戸で死去した際、当大圓寺で葬儀を行い、以来、島津家の江戸菩提寺となり、寺内に薩摩家代々の位牌堂が設けられている。 現在地には、明治41年(1908)に移転した。、、、、本堂正面には、島津の家紋(〇に十)が彫られ威光を誇示している。
 
1708050948040
 
1708050944270
 
1708050944500
 
 
方南町駅 ・・・・・・・・・・・・・東京メトロ丸ノ内線支線の終着駅。 3両編成の列車が停まる頭端式ホーム1面2線。 出入口はホーム西端の環七通りと方南通りとの交差地点に1か所、ホーム東端の方南通り沿いに1か所、共に狭い計2ケ所である。、、、、、ホームは6両編成が停車できるように延伸し、出入口はバリアフリー化に、2019年までに完了すべく、只今工事中。
 
1708051009380_2
 
1708051011100
 
1708051012190
 
1708051012360
 
 
 
●・・・・・・・・・・・今日は、蝉の声、夏の花、そして猛暑と、夏を充分に感じる散歩となった。

2017年4月24日 (月)

南台

地下鉄丸ノ内線の終点方南町駅(杉並区)から、中野区の南端の町「南台」をぶらつき、隣の渋谷区本町5丁目まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
方南町駅 ・・・・・・・・・・・丸ノ内線分岐線の終点は「方南町(ほうなんちょう)駅」。 駅のある杉並区の町名は「方南(ほうなん)」。、、、、駅周辺の一帯は和田村と称し、字(あざ)として“方南”、“向方南”などが見られた。 地名“方南”の由来は不明であるが、昭和7年(1932)の杉並区発足時には、字方南と周辺の字を併せて「方南町」となった。 この町名も昭和41年(1966)に実施された住居表示では、“町”をはずして「方南」となる。、、、、“ほうなんですか?” “ほうなんです。”
 
1704240824400
 
・・・・・・・・・・・・駅前の有名な立ち食いそば屋のある東口から地上に出た。 アーケード下の薄暗い出入口である。
 
1704240836150
 
1704240826040
 
 
②南台・・・・・・・・・・方南町駅を出て東に100mも歩けば、そこは中野区南台の町。 「南台(みなみだい)」とは、中野区の南の台地の意である。 昭和42年(1967)の住居表示変更以前は、“前原”、“多田”、“雑色”などの、由緒ある地名であったが、古きを捨て、新しき陳腐なネーミングを採用した。
 
・・・・・・・・・・・・南台5丁目、小高い丘の上に2棟46戸程の集合住宅:東京都住宅供給公社雑色住宅が建っている。 昭和37年(1962)頃(?)の建築。、、、、名前の“雑色”はかつての地名である。
 
1704240848250
 
1704240847060_2
 
・・・・・・・・・・・・・・南台5丁目を流れる神田川 に、昭和34年(1959)に架けられた向田橋。、、、、向田橋は中野区に架かる最上流の橋。 “向田”も付近の旧地名である。
 
1704240854560
 
1704240855550
 
・・・・・・・・・・・・・・南台3丁目の多田神社。 神社は、寛治6年(1092)源義家が大宮八幡宮(杉並区大宮2丁目)に参詣のおり、当地に先祖多田満仲(=源満仲。 平安中期の武将。 多田源氏の祖)を奉祀したことに始まるそうだ。、、、、、神社のある地は、かつて“雑色”と呼ばれ、多田神社は雑色の鎮守として現在もあがめられている。 ちなみに、“雑色”とは、皇室の文書や道具類を納める倉を管理したり、皇室行事の実施を担当する役所で働いていた人々のことである。 現在の宮内庁職員。
 
1704240904550_2
 
1704240910050
 
・・・・・・・・・・・・・・南台3の南台小学校は、旧多田小学校と旧新山小学校が、今年4月に統合して誕生した学校である。 校舎は旧多田小学校を使用。、、、、、ここでも、歴史ある“多田”、“新山”の旧地名が消える!
 
1704240919080
 
・・・・・・・・・・・・・・中野通りを挟み南台3丁目から300m程伸びる南台商店街。 大きな店舗はないが、東京オリンピックの年(1964)からスタートした元気そうな商店街。、、、、そろそろ、店を開ける時間だ!
 
1704240928500_2
 
1704240929420
 
1704240932240
 
・・・・・・・・・・・・・・中野通りに面し南台2丁目にある、昭和44年(1969)に建てられた都営南台2丁目アパート。 外壁にタイルで書かれたアパート名が時代を思わせる。 管理戸数は1棟56戸。、、、、、今日は、チョイト、中に入れてもらった。、、、、、7階から見る新宿。 見晴らしは抜群、新宿の超高層が一望できる!
 
1704240932590
 
1704240937011_stitch
 
・・・・・・・・・・・・・南台1丁目にある国立校:東京大学教育学部附属中等教育学校。 前身は昭和23年(1948)に発足した東大附属学校。 平成12年(2000)から、中・高一貫教育の中等教育学に変わった。、、、、ここには、ソーセージ枠なるものがある。、、、、ソーセージ(双生児)枠とは、中等教育における双生児研究を実践するため、毎年1組~10組程度の双生児が入学している。 1学年定数120名(男子60名、女子60名)のうち男女それぞれ20名以内が双生児枠。、、、、、ぜひ、天才双生児を育成し、ザ・ピーナッツを復活して欲しいね。
 
1704241009520
 
1704241010090
 
1704241017020
 
 
③幡ヶ谷氷川神社・・・・・・・・・・・・南台から隣の渋谷区本町に入り、氷川神社にお立ち寄り。、、、、氷川神社の創建年代は不詳だが、永禄年間(1558~1570)の小田原北条家文書に記載されていることから戦国時代には創建されていたそうだ。 幡ヶ谷村の鎮守社。
 
1704241022260
 
1704241021320
 
 
●・・・・・・・・・・・氷川神社の近く「本町五丁目」バス停から、渋谷区のコミュニティバスで笹塚駅に出て帰宅。、、、、バスを待つ人もなく、ゴミ箱と椅子が並ぶ、静かなバス停。
 
1704241026400

2017年4月19日 (水)

高円寺~鷺ノ宮

JR中央線高円寺駅から道なりに北上し、西武新宿線都立家政駅まで行き、余裕で隣の鷺ノ宮駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①高円寺駅・・・・・・・・・・かつて、故・高円宮殿下が住んでいた町で、阿波踊り発祥の地として高円寺 は全国に知られている。 町の中心:高円寺駅北側には、いじらしくいとおしい女子高生が多く、「純情商店街」と言われている。 (以上、嘘八百!)、、、、大正11年(1922)7月15日、国鉄の駅として開業した。(これホント)
 
1704190802471_2
 
1704190812120
 
 
②高円寺純情商店街・・・・・・・・・・・・・・戦前から北口で栄えた旧「高円寺銀座商店街」。 駅前に広がる約200店舗で構成される商店街である。、、、、、現在はねじめ正一の小説のタイトルから「高円寺純情商店街」の愛称で親しまれている。、、、、、通勤時間帯は駅に向かう人がゾロゾロ・セカセカ。
 
1704190813300
 
1704190818370
 
 
③高円寺庚申通り商店街・・・・・・・・・・・純情商店街に続く一本道の商店街。 商店街中程には庚申塔が残っている、歴史のある商店街。
 
1704190820270
 
・・・・・・・・・・・・・・杉並区と中野区の境となる早稲田通りに商店街の北の端がある。
 
1704190833360
 
・・・・・・・・・・・・・・商店街中程の庚申塔。 庚申塔は正徳6年(1716)高円寺村の講中10人が、悪病退散、村民安全祈願のため建立した。 庚申塔は、昭和 20年(1945)の東京大空襲で戦火をかぶり一部破損したが、昭和37年(1962)に現状の如く修復された。、、、、なにやら秋の味覚を連想させる立派な庚申塔、負けた!
 
1704190823300
 
1704190823550
 
 
④荒牧医院・・・・・・・・・・・・高円寺庚申通り商店街を通り抜けると、早稲田通りの向かいに、薄水色の下見板張り2階建てのかわいらしい建物が見える。、、、、大正末期に現在地で内科・外科・小児科・皮膚科の診療を開始した医院で、現在は子孫が受け継ぎ開業している。、、、、、建物は、耳鼻咽喉科と皮膚科の2棟ある。 耳鼻咽喉科の建物は開業時の建物で100年近く経過している。 その脇に早稲田通りに面して、皮膚科の建物が建っている、こちらは戦後の建物。
 
1704190828040
 
1704190826330
 
 
⑤天平・・・・・・・・・・中野区大和町3、昭和の匂いプンプンの民生食堂「天平」。 「民生食堂」とは、戦前の「外食券食堂」がルーツで、昭和16年(1941)に米の配給制開始に伴い、食堂が完全登録制となり、「米穀通帳」を役所に提示し「外食券」を発行して貰い、その券で食事する食堂を「外食券食堂」と呼んだ。 戦後になると、闇ゴメなどが出回り食糧事情も変わり、外食券不要で雑炊だけを提供する「雑炊食堂」が現れた。 昭和26年(1951)には外食券制度がついに廃止となり、それまでの「外食券食堂」が、都指定の「民生食堂」へと変わったそうだ。 「民生食堂」は、都の補助もあり安価に食事ができる「大衆食堂」である。、、、、店は11時から営業とのこと。
 
1704190855321
 
 
⑥川北橋・・・・・・・・・・・中野区大和町と中野区若宮を結び、妙正寺川に昭和42年(1967)に架けられた橋。
 
1704190911500_2
 
・・・・・・・・・・・・・橋の北詰にある更生教会(中野区若宮2)のモミの木は、昭和64年(1989)の暮、「銀座ミキモト」のクリスマスツリーとして店頭を飾ったものである。 大きく立派に育ち、今は教会のツリーとして毎年点灯されているそうだ。
 
1704190916190_2
 
 
⑦庚申大神・・・・・・・・・・・若宮2丁目の庚申塔。 「享保十乙巳年十月吉日」(1725)と彫られている。
 
1704190922360_2
 
1704190922080_2
 
 
⑧都立鷺宮高等学校・・・・・・・・・・若宮3にある都立鷺宮高等学校の前身は、東京府立高等家政女学校で、最寄り駅である西武新宿線都立家政駅から徒歩3分の距離。 西武新宿線鷺ノ宮駅~野方駅間は1km弱の短い距離であるが、その途中に都立家政駅が設けられた。 校名を冠した駅である。、、、、、学校は明治45年(1912)7月4日に豊多摩郡立農業学校の附設実業女学校として創立。 大正15年(1926)に東京府立中野家政女学校と改称し、昭和4年(1929)に東京府立高等家政女学校と改称した。 昭和13年(1938)4月1日、中野区桃園町から現在地に移転した。 都立家政駅が開業したのは、移転の前年昭和12年(1937)12月25日で、学校の移転を先取りしての開業であった。、、、、、ということで、鷺宮高等学校は駅名の謂れとなった学校。 また、校名が変わっても、古い駅名を存続させている西武鉄道もあっぱれ・かっぽれ! 
 
1704190937150
 
・・・・・・・・・・・・・・・こちらは、都立家政駅。 念のため、開業時は“府立家政駅”と称した。
 
1704190944240
 
1704190950380_4
 
・・・・・・・・・・・・・漫画家「ちばてつや」が考案した、都立家政のマスコット・キャラクター「かせいチャン」。 そのブロンズが都立家政駅の隣の信用金庫前にある。、、、、かわいいね。
 
1704190953050
 
 
鷺ノ宮駅・・・・・・・・・・・都立家政駅からチョイト足をのばして、隣の鷺ノ宮駅まで歩いた。、、、、昭和2年(1927)4月16日に開業した、単式ホーム1面1線(上り)と島式ホーム1面2線(下り)を併せ持つ地上駅。 
 
1704191008210
 
1704191019080
 
1704191019180
 

2016年12月15日 (木)

荻窪~新高円寺

3日前、西巣鴨の善養寺で拝見した江戸三閻魔の続きとして、杉並区松ノ木の華徳院に行くことにした。 荻窪駅から丸ノ内線沿いに歩いて新高円寺駅まで1万1千歩、8kmの散歩です。
 
 
 
①JR荻窪駅南口・・・・・・・・・・明治24年(1891)12月21日に、甲武鉄道の駅として開業。 この時の出入口は現在の南口付近にあった一か所のみである。 現在は、新宿寄りホーム下の東口改札と、三鷹寄りの橋上に西口改札がある。 東口は地下改札を抜けると南北の出入口に分かれる。、、、、、今日は丸ノ内線新高円寺駅方向に歩くことを決めていたため、出口の選択に躊躇することはなかった。
 
Dsc09474
 
Dsc09477
 
Dsc09485
 
 
②旧荻窪郵便局電話事務室・・・・・・・・・・・荻窪駅南口近く、昭和7年(1932)に建てられた旧逓信省の建築です。(15年程前に改装した。) 現在はスーパーが入居している。 丸みあるコーナー部分の入口、縦長の窓が並ぶ壁面などは、設計した逓信省技師:山田守の作品の特徴が残っている。 山田守(1894/4/19~1966/6/13)は逓信省の建築を多く手掛け残した、モダニズム建築の大家。 手がけた作品の代表的なものとして、旧千住郵便局電話事務室、東海大学代々木校舎、日本武道館、京都タワーなど。 さらに永代橋、聖橋などの橋梁のデザインも担当した。、、、、、、できることなら、建築当初のオリジナルの姿に戻してほしいね。
 
Dsc09492
 
 
③西郊ロッジング・・・・・・・・・・・・西郊(せいこう)ロッジングは、ドーム屋根を持つ洋室の新館(昭和13年築)と、和室の本館(昭和6年築)がつながった造りの建物である。 表現主義風のこの時代らしい建物 現在、新館はアパートとして人気があるそうだ。本館は旅館として営業している。、、、、建物は国の登録有形文化財。
 
Dsc09500
 
Dsc09501
 
 
④成宗須賀神社・・・・・・・・・・・・杉並区成田東5丁目に鎮座する、旧成宗村本村の鎮守さまで、祭神は素盞嗚尊。 神社は、天慶4年(941)に創建され、慶長4年(1599)に再建されたと伝えられている。 しかし、安政年間に記録を焼失したため詳かではないらしい。 どっちにしても、古くからの神社である。 現社殿は昭和33年(1958)に新築した。、、、、、すでに、神社には大祓いの茅の輪が用意され、年末だ! 早速、茅の輪くぐりをし、一等7億円のご利益期待!
 
Dsc09518
 
Dsc09514
 
 
⑤プラウドシティ阿佐ヶ谷・・・・・・・・・・・・成田東にあった元公団の阿佐ヶ谷住宅 の跡地に建ったマンション。、、、、、『首都圏における第一種低層住居専用地域の新築分譲マンションで 最大級の規模を誇ります。  〈5街区・全575邸〉を設け、中低層の9棟とテラスハウスをレイアウト。  そして、全体を包み込むように樹々が連なる風景は陽光と開放感に満ちた新しい気品を漂わせることでしょう。  この杜の暮らしは界隈の自然と人をつなぎ、さらに人と人のつながりを育む人・自然・地域の美しい関係の理想へ導きます。』との売り言葉で、今月から分譲するようだ。、、、、、、旧阿佐ヶ谷住宅のような、開放的な雰囲気が創られるといいね。
 
Dsc09526
 
Dsc09524
 
Dsc09523
 
 
⑥成田東の二寺・・・・・・・・・・・・五日市街道へ向かう道の途中の二寺
 
・・・・・・・・・・・・・・天桂寺、、、、、、、月光山天桂寺は曹洞宗の寺で、聖観音像を本尊とする。 開創は慶長年間(1596~1614)と言われている。、、、、、天桂寺は安政3年(1856)に暴風雨にあい、建物はすべて倒壊した。 それから約60年後、大正12年(1923)に現在の本堂が建てられた。
 
Dsc09534
 
・・・・・・・・・・・・・・海雲寺、、、、、、天桂寺と道路を挟み向かい合わせにある海運寺。 海運寺は、江月山と号する曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦如来坐像。 慶長16年(1611)に江戸八丁堀(現:中央区八丁堀)の地を拝領して開創された。 その後、寛永12年(1635)に浅草八軒寺町(現:台東区寿町)に移転し、明治43年(1910)に区画整理により現在地に移転した。 現本堂は明治20年(1887)に建立され、山門は江戸城内の紅葉山から移転した。
 
Dsc09539
 
Dsc09540
 
 
⑦華徳院・・・・・・・・・・・丸ノ内線新高円寺駅の近く、五日市街道に面して天台宗の華徳院(けとくいん)がある。 華徳院は、下野国佐野に創建され、天正年間に武蔵国霞ヶ関に移転、慶長年間に浅草蔵前に再転し、寛永寺末となる。 江戸時代には、新宿太宗寺、巣鴨善養寺とともに江戸三閻魔として有名であった。、、、、その閻魔は、運慶蘇生の作といわれた丈六仏の本尊・閻魔王像を中に、右には本尊と同木でやはり運慶の作といわれた奪衣婆像、左には聖徳太子作といわれた本地化馬地蔵尊が祀られ、「蔵前の閻魔堂」と呼ばれていた。 『ナニ! 蔵前の閻魔堂、マサカ?』 そのマサカが、やっぱし!であった。  つまり、「蔵前の閻魔堂」とは、我が家の近く、私の住む台東区浅草橋2丁目にあったのだ。 我が家から直線距離で200m程の処である。 関東大震災で堂、仏像の全てを焼失し、焼け跡には新たに閻魔王を迎え堂を建てたが、それも昭和20年の戦火により焼失してしまった。  華徳院は、昭和3年、杉並区の現在地に移転した。、、、、、つまりは、華徳院の江戸三閻魔は姿形もなく、実在していたのは、我が家の近く浅草橋であったとさ。、、、、“灯台下暗し”とか、“提灯持ち足下暗し”とか、“秘事は睫(まつげ)”という話である。
 
・・・・・・・・・・・・・・杉並区松ノ木にある華徳院。
 
Dsc09549
 
Dsc09550
 
・・・・・・・・・・・・・・・台東区浅草橋2丁目、玩具会館の植え込みにある閻魔堂跡の碑。
 
Dsc09564
 
 
⑧新高円寺駅・・・・・・・・・・・・閻魔さま見に来て、閻魔さまに騙されて帰る、今日の散歩である。、、、、、、新高円寺駅は、昭和36年(1961)11月1日に帝都高速度交通営団(営団地下鉄)荻窪線の駅として開業した。 相対式ホーム2面2線の地下駅。
 
Dsc09553
 
Dsc09558

2016年10月24日 (月)

阿佐谷北・天沼

JR中央線阿佐ヶ谷駅の北側の町「阿佐谷北2丁目」から、隣の「天沼1丁目」、「天沼2丁目」、「天沼3丁目」をクネクネ歩き荻窪駅まで、9千歩、6kmの散歩です。
 
 
①阿佐ヶ谷駅から北へ・・・・・・・・・阿佐ヶ谷駅 から、通勤客に逆行し、北に向かい歩き始める。
 
・・・・・・・・・・・・・・私の住む浅草橋駅と比べると、改札は広く、明るい駅。 駅に向かう皆さんは、紳士・淑女に見える。 特に女性は美人に見える。、、、、、目の錯覚か?
 
Dsc05529
 
Dsc05536
 
・・・・・・・・・・・・・・駅前のビルの1階は通り抜けできる。 雨の日はうれしいね!
 
Dsc05540
 
・・・・・・・・・・・・・・朝の商店街は通勤する人の一方通行。
 
Dsc05543
 
Dsc05547
 
 
②法仙庵・・・・・・・・・・・商店街の先にある、釈迦如来を本尊とする曹洞宗の寺。 寺の初めは、文久年間(1861~1863)、阿佐谷村名主らが発起人となり、散在していた家墓を集め、村共有の地に地割を平等にして作った共同墓地である。 そして、墓地管理のため慶應年間(1865~1868)に実山見道尼を初代庵主として請じて、開創した。、、、、、本堂は戦災で焼失したため昭和31年(1956)に再建された。、、、、寺の成り立ちを知ると、確かに墓地の管理事務所のようにも見える。
 
Dsc05546
 
 
③天徳泉・・・・・・・・・・・・阿佐谷北2、チョイと古そうなビルの銭湯があった。 窓枠にスチールサッシを使用しているなど、どうやら昭和40年前後の建物のようだ。 チョイと、パチリ撮影したが、『おや?なんじゃ?』、、、、、3階部分に住居と思われる部屋がある。 中央には玄関ドアがある。 訪問客は、庇の上から玄関に向かうのか? 
 
Dsc05558
 
 
④FJ邸・・・・・・・・・・・・・阿佐谷北2の個人住宅。 裏通りからチョイと奥に入ると、かわいらしい下見板張りの洋風の建物があった。、、、、、アプローチもいい雰囲気だ!
 
Dsc05577_2
 
Dsc05575
 
Dsc05572
 
 
⑤天沼一丁目の石塔・・・・・・・・・・ 天沼1-37の十字路角に、宝永元年(1704)銘・元文5年(1740)銘の庚申塔、享保15年(1730)銘の地蔵塔、宝暦9年(1759年)銘・享和3年(1803)銘の百番観音供養塔がある。 いずれも天沼村の村民が、現世での幸運と来世での往生安楽を願って造立したもの。
 
Dsc05594
 
Dsc05593
 
Dsc05590
 
 
⑥天沼二丁目の2社・・・・・・・・・・・・天沼2丁目にある、熊野神社、八幡神社に寄ってきた。 
 
・・・・・・・・・・・・・天沼熊野神社は、伊邪那美命を祭神とする神社。 神社の創建年代は不詳であるが、神護景雲2年(768)の創建とも元寇3年(1333)の創建ともいわれている。 かつて、十二所権現と呼ばれていたが、明治維新後熊野神社に改称した。、、、、、社殿は、平成7年(1994)に、木曽檜による木造、流造りで建て替えられた。
 
Dsc05600
 
Dsc05602
 
・・・・・・・・・・・・・・天沼八幡神社は、応神天皇を祭神とする神社。 神社は、旧天沼村字中谷戸の鎮守社として天正年間(1573~1591)に創建した。、、、、、現在の社殿は、昭和52年(1977)に改築されました。
 
Dsc05606_2
 
Dsc05609
 
 
教会通り・・・・・・・・荻窪駅から天沼教会に続く教会通り。
 
・・・・・・・・・・・・・教会通りで60年以上続く、クリーニング店の老舗:東京社
 
Dsc05622
 
・・・・・・・・・・・・・教会通りを荻窪駅に向かい、帰宅する。
 
Dsc05624
 
Dsc05629
 

2016年9月 5日 (月)

方南町~高円寺

東京メトロ丸ノ内線(分岐線)の方南町駅から、JR中央線高円寺駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。
 
 
方南町駅 ・・・・・・・・・・丸ノ内線は、昭和29年(1954)に池袋~御茶ノ水間 (6.4 km)を開業し、以後、東京、西銀座、霞が関と延伸し、昭和34年(1959)には新宿まで開業した。 昭和37年(1962)には、さらに荻窪まで延伸開業した。 支線の中野坂上~中野富士見町間の開業は昭和36年(1961)である。 そして最後に中野富士見町~方南町が昭和37年(1962)3月23日に開業し、現在の丸ノ内線の全線が完成した。、、、、、方南町駅は3両編成の列車が停まる頭端式ホーム1面2線の終端駅。 現在、6両編成が停車できるようにホームの改良工事が行われ、来年より6両編成で運行される予定である。、、、、、出入口は方南町交差点に1か所、ホーム東端の方南通りに1か所、共に狭い計2ケ所だけである。
 
Dsc01951
 
Dsc01949
 
Dsc01955
 
 
②善福寺川・・・・・・・・・・・善福寺川を堀之内橋で渡り、堀ノ内1丁目から2丁目に入る。、、、、、この辺りは河岸が整備され、“五十年に一度の大雨”にも耐えられるようだ。 流れる水も澄み、水鳥なども見られた。、、、、、堀之内橋は平成22年(2010)竣工のPC桁橋。
 
Dsc01991
 
Dsc01987
 
Dsc01993
 
Dsc01998
 
 
③堀之内熊野神社・・・・・・・・熊野神社は旧堀之内村の鎮守さまで、大屋津姫命・五十猛命・抓津姫命の3柱が祀られている。 文永4年(1267)に、紀州の熊野三山を勧請したのが始まり。、、、、本殿は安政4年(1857)に建造された総欅造り。 幣殿は大正12年(1923)の造営。 石の鳥居は文化5年(1808)の銘があり、200年程前の建立。
 
Dsc02008
 
Dsc02006
 
・・・・・・・・・・・・・・昨日は例大祭で、神輿があった。、、、、、この神輿、大正12年9月1日、関東大震災の当日、浅草で買って、猛火の中、無事運び終えた。 以来、「火伏の神輿」と言うそうだ。、、、、、、車の無い時代、よくぞ、大混乱の中、浅草からここ堀之内まで運んだものだ、運んだ人に感服するね!
 
Dsc02003
 
 
④妙法寺・・・・・・・・・街路灯に『歩礼愛待 参道商店会』と標した道に出た。 はじめて歩く道だ、人通りの少ない商店街らしくない商店街を道なりに歩くと、「堀ノ内厄除け祖師」:妙法寺の正面に出た。、、、、『なんだ、妙法寺の参道か!』、いつも妙法寺へは脇道から来るので知らなかった。
 
Dsc02013
 
Dsc02015
 
・・・・・・・・・・・・・・妙法寺には、昨年も立ち寄っているので、今日はチョイと境内の奥を拝見するか、、、、、、、
 
・・・・・・・・・・・・・・山門(天明7年(1787)建立)をくぐり、祖師堂(文化8年(1811)建立)で手を合わせ、回廊を抜けると、奥に本堂(文政2年(1819)建立)がある。 本堂まで参拝する人は少ないようだ、、、、
 
Dsc02016
 
Dsc02018
 
Dsc02019
 
Dsc02022
 
・・・・・・・・・・・・・・本堂の奥に文政11年(1828)建立の日朝堂がある。 眼病平癒、学業増進、入学祈願をお願いする堂である。、、、、、私は、学問より、すれ違う美人を見失うことのないように視力向上をお願いし、手を合わせてきた。
 
Dsc02024
 
・・・・・・・・・・・・・・日朝堂の脇に、 私が大好きな“佐和子”の碑があった。 『恍惚の人』のあの作家:有吉佐和子の碑である。、、、、、有吉佐和子は妙法寺のすぐ近くに住んでいた。 妙法寺をこよなく愛し、境内を通って帰宅されることも多かったといわれている。 なお、当人はキリスト教の信者であった。
 
Dsc02025
 
 
カトリック高円寺教会 ・・・・・・・・・・・教会は昭和3年(1928)東京で10番目の教会として、300人弱の信徒により誕生した。 当時、教会の周りは一面畑で、のんびりしたところであったそうだ。 昭和6年(1931)に地下聖堂として建てられたが、戦災で焼失し、昭和24年(1949)地下聖堂の上に現在の聖堂がたてられたそうだ。 聖堂の下(地下)にも出入り口があるのはそのためらしい。、、、、、、東日本大震災の後、改修工事が行われたが、シンプルで落ち着いた感じの素朴な教会イメージは変わっていない。
 
Dsc02052
 
Dsc02053
 
Dsc02051
 
Dsc02050
 
Dsc02049
 
 
⑥高円寺氷川神社・・・・・・・・・・・高円寺駅の南東100m程の位置に氷川神社はある。 創建年代は不詳であるが、鎌倉時代の創建か(?)
 
Dsc02055
 
・・・・・・・・・・・・・・境内には、戦後、馬橋4丁目にあった陸軍気象部に祀られていた気象神社を当社に遷座し、祀っている。、、、、、気象庁の予報も神頼みかな?
 
Dsc02058_2
 
 
⑦高円寺駅・・・・・・・・・・・・・大正11年(1922)7月15日に国鉄の駅として開業。 
 
Dsc02061