杉並区

2017年4月24日 (月)

南台

地下鉄丸ノ内線の終点方南町駅(杉並区)から、中野区の南端の町「南台」をぶらつき、隣の渋谷区本町5丁目まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
方南町駅 ・・・・・・・・・・・丸ノ内線分岐線の終点は「方南町(ほうなんちょう)駅」。 駅のある杉並区の町名は「方南(ほうなん)」。、、、、駅周辺の一帯は和田村と称し、字(あざ)として“方南”、“向方南”などが見られた。 地名“方南”の由来は不明であるが、昭和7年(1932)の杉並区発足時には、字方南と周辺の字を併せて「方南町」となった。 この町名も昭和41年(1966)に実施された住居表示では、“町”をはずして「方南」となる。、、、、“ほうなんですか?” “ほうなんです。”
 
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・・・・・・・・・・・・駅前の有名な立ち食いそば屋のある東口から地上に出た。 アーケード下の薄暗い出入口である。
 
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②南台・・・・・・・・・・方南町駅を出て東に100mも歩けば、そこは中野区南台の町。 「南台(みなみだい)」とは、中野区の南の台地の意である。 昭和42年(1967)の住居表示変更以前は、“前原”、“多田”、“雑色”などの、由緒ある地名であったが、古きを捨て、新しき陳腐なネーミングを採用した。
 
・・・・・・・・・・・・南台5丁目、小高い丘の上に2棟46戸程の集合住宅:東京都住宅供給公社雑色住宅が建っている。 昭和37年(1962)頃(?)の建築。、、、、名前の“雑色”はかつての地名である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・南台5丁目を流れる神田川 に、昭和34年(1959)に架けられた向田橋。、、、、向田橋は中野区に架かる最上流の橋。 “向田”も付近の旧地名である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・南台3丁目の多田神社。 神社は、寛治6年(1092)源義家が大宮八幡宮(杉並区大宮2丁目)に参詣のおり、当地に先祖多田満仲(=源満仲。 平安中期の武将。 多田源氏の祖)を奉祀したことに始まるそうだ。、、、、、神社のある地は、かつて“雑色”と呼ばれ、多田神社は雑色の鎮守として現在もあがめられている。 ちなみに、“雑色”とは、皇室の文書や道具類を納める倉を管理したり、皇室行事の実施を担当する役所で働いていた人々のことである。 現在の宮内庁職員。
 
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・・・・・・・・・・・・・・南台3の南台小学校は、旧多田小学校と旧新山小学校が、今年4月に統合して誕生した学校である。 校舎は旧多田小学校を使用。、、、、、ここでも、歴史ある“多田”、“新山”の旧地名が消える!
 
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・・・・・・・・・・・・・・中野通りを挟み南台3丁目から300m程伸びる南台商店街。 大きな店舗はないが、東京オリンピックの年(1964)からスタートした元気そうな商店街。、、、、そろそろ、店を開ける時間だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・中野通りに面し南台2丁目にある、昭和44年(1969)に建てられた都営南台2丁目アパート。 外壁にタイルで書かれたアパート名が時代を思わせる。 管理戸数は1棟56戸。、、、、、今日は、チョイト、中に入れてもらった。、、、、、7階から見る新宿。 見晴らしは抜群、新宿の超高層が一望できる!
 
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・・・・・・・・・・・・・南台1丁目にある国立校:東京大学教育学部附属中等教育学校。 前身は昭和23年(1948)に発足した東大附属学校。 平成12年(2000)から、中・高一貫教育の中等教育学に変わった。、、、、ここには、ソーセージ枠なるものがある。、、、、ソーセージ(双生児)枠とは、中等教育における双生児研究を実践するため、毎年1組~10組程度の双生児が入学している。 1学年定数120名(男子60名、女子60名)のうち男女それぞれ20名以内が双生児枠。、、、、、ぜひ、天才双生児を育成し、ザ・ピーナッツを復活して欲しいね。
 
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③幡ヶ谷氷川神社・・・・・・・・・・・・南台から隣の渋谷区本町に入り、氷川神社にお立ち寄り。、、、、氷川神社の創建年代は不詳だが、永禄年間(1558~1570)の小田原北条家文書に記載されていることから戦国時代には創建されていたそうだ。 幡ヶ谷村の鎮守社。
 
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●・・・・・・・・・・・氷川神社の近く「本町五丁目」バス停から、渋谷区のコミュニティバスで笹塚駅に出て帰宅。、、、、バスを待つ人もなく、ゴミ箱と椅子が並ぶ、静かなバス停。
 
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2017年4月19日 (水)

高円寺~鷺ノ宮

JR中央線高円寺駅から道なりに北上し、西武新宿線都立家政駅まで行き、余裕で隣の鷺ノ宮駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①高円寺駅・・・・・・・・・・かつて、故・高円宮殿下が住んでいた町で、阿波踊り発祥の地として高円寺 は全国に知られている。 町の中心:高円寺駅北側には、いじらしくいとおしい女子高生が多く、「純情商店街」と言われている。 (以上、嘘八百!)、、、、大正11年(1922)7月15日、国鉄の駅として開業した。(これホント)
 
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②高円寺純情商店街・・・・・・・・・・・・・・戦前から北口で栄えた旧「高円寺銀座商店街」。 駅前に広がる約200店舗で構成される商店街である。、、、、、現在はねじめ正一の小説のタイトルから「高円寺純情商店街」の愛称で親しまれている。、、、、、通勤時間帯は駅に向かう人がゾロゾロ・セカセカ。
 
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③高円寺庚申通り商店街・・・・・・・・・・・純情商店街に続く一本道の商店街。 商店街中程には庚申塔が残っている、歴史のある商店街。
 
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・・・・・・・・・・・・・・杉並区と中野区の境となる早稲田通りに商店街の北の端がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・商店街中程の庚申塔。 庚申塔は正徳6年(1716)高円寺村の講中10人が、悪病退散、村民安全祈願のため建立した。 庚申塔は、昭和 20年(1945)の東京大空襲で戦火をかぶり一部破損したが、昭和37年(1962)に現状の如く修復された。、、、、なにやら秋の味覚を連想させる立派な庚申塔、負けた!
 
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④荒牧医院・・・・・・・・・・・・高円寺庚申通り商店街を通り抜けると、早稲田通りの向かいに、薄水色の下見板張り2階建てのかわいらしい建物が見える。、、、、大正末期に現在地で内科・外科・小児科・皮膚科の診療を開始した医院で、現在は子孫が受け継ぎ開業している。、、、、、建物は、耳鼻咽喉科と皮膚科の2棟ある。 耳鼻咽喉科の建物は開業時の建物で100年近く経過している。 その脇に早稲田通りに面して、皮膚科の建物が建っている、こちらは戦後の建物。
 
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⑤天平・・・・・・・・・・中野区大和町3、昭和の匂いプンプンの民生食堂「天平」。 「民生食堂」とは、戦前の「外食券食堂」がルーツで、昭和16年(1941)に米の配給制開始に伴い、食堂が完全登録制となり、「米穀通帳」を役所に提示し「外食券」を発行して貰い、その券で食事する食堂を「外食券食堂」と呼んだ。 戦後になると、闇ゴメなどが出回り食糧事情も変わり、外食券不要で雑炊だけを提供する「雑炊食堂」が現れた。 昭和26年(1951)には外食券制度がついに廃止となり、それまでの「外食券食堂」が、都指定の「民生食堂」へと変わったそうだ。 「民生食堂」は、都の補助もあり安価に食事ができる「大衆食堂」である。、、、、店は11時から営業とのこと。
 
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⑥川北橋・・・・・・・・・・・中野区大和町と中野区若宮を結び、妙正寺川に昭和42年(1967)に架けられた橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・橋の北詰にある更生教会(中野区若宮2)のモミの木は、昭和64年(1989)の暮、「銀座ミキモト」のクリスマスツリーとして店頭を飾ったものである。 大きく立派に育ち、今は教会のツリーとして毎年点灯されているそうだ。
 
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⑦庚申大神・・・・・・・・・・・若宮2丁目の庚申塔。 「享保十乙巳年十月吉日」(1725)と彫られている。
 
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⑧都立鷺宮高等学校・・・・・・・・・・若宮3にある都立鷺宮高等学校の前身は、東京府立高等家政女学校で、最寄り駅である西武新宿線都立家政駅から徒歩3分の距離。 西武新宿線鷺ノ宮駅~野方駅間は1km弱の短い距離であるが、その途中に都立家政駅が設けられた。 校名を冠した駅である。、、、、、学校は明治45年(1912)7月4日に豊多摩郡立農業学校の附設実業女学校として創立。 大正15年(1926)に東京府立中野家政女学校と改称し、昭和4年(1929)に東京府立高等家政女学校と改称した。 昭和13年(1938)4月1日、中野区桃園町から現在地に移転した。 都立家政駅が開業したのは、移転の前年昭和12年(1937)12月25日で、学校の移転を先取りしての開業であった。、、、、、ということで、鷺宮高等学校は駅名の謂れとなった学校。 また、校名が変わっても、古い駅名を存続させている西武鉄道もあっぱれ・かっぽれ! 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・こちらは、都立家政駅。 念のため、開業時は“府立家政駅”と称した。
 
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・・・・・・・・・・・・・漫画家「ちばてつや」が考案した、都立家政のマスコット・キャラクター「かせいチャン」。 そのブロンズが都立家政駅の隣の信用金庫前にある。、、、、かわいいね。
 
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鷺ノ宮駅・・・・・・・・・・・都立家政駅からチョイト足をのばして、隣の鷺ノ宮駅まで歩いた。、、、、昭和2年(1927)4月16日に開業した、単式ホーム1面1線(上り)と島式ホーム1面2線(下り)を併せ持つ地上駅。 
 
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2016年12月15日 (木)

荻窪~新高円寺

3日前、西巣鴨の善養寺で拝見した江戸三閻魔の続きとして、杉並区松ノ木の華徳院に行くことにした。 荻窪駅から丸ノ内線沿いに歩いて新高円寺駅まで1万1千歩、8kmの散歩です。
 
 
 
①JR荻窪駅南口・・・・・・・・・・明治24年(1891)12月21日に、甲武鉄道の駅として開業。 この時の出入口は現在の南口付近にあった一か所のみである。 現在は、新宿寄りホーム下の東口改札と、三鷹寄りの橋上に西口改札がある。 東口は地下改札を抜けると南北の出入口に分かれる。、、、、、今日は丸ノ内線新高円寺駅方向に歩くことを決めていたため、出口の選択に躊躇することはなかった。
 
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②旧荻窪郵便局電話事務室・・・・・・・・・・・荻窪駅南口近く、昭和7年(1932)に建てられた旧逓信省の建築です。(15年程前に改装した。) 現在はスーパーが入居している。 丸みあるコーナー部分の入口、縦長の窓が並ぶ壁面などは、設計した逓信省技師:山田守の作品の特徴が残っている。 山田守(1894/4/19~1966/6/13)は逓信省の建築を多く手掛け残した、モダニズム建築の大家。 手がけた作品の代表的なものとして、旧千住郵便局電話事務室、東海大学代々木校舎、日本武道館、京都タワーなど。 さらに永代橋、聖橋などの橋梁のデザインも担当した。、、、、、、できることなら、建築当初のオリジナルの姿に戻してほしいね。
 
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③西郊ロッジング・・・・・・・・・・・・西郊(せいこう)ロッジングは、ドーム屋根を持つ洋室の新館(昭和13年築)と、和室の本館(昭和6年築)がつながった造りの建物である。 表現主義風のこの時代らしい建物 現在、新館はアパートとして人気があるそうだ。本館は旅館として営業している。、、、、建物は国の登録有形文化財。
 
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④成宗須賀神社・・・・・・・・・・・・杉並区成田東5丁目に鎮座する、旧成宗村本村の鎮守さまで、祭神は素盞嗚尊。 神社は、天慶4年(941)に創建され、慶長4年(1599)に再建されたと伝えられている。 しかし、安政年間に記録を焼失したため詳かではないらしい。 どっちにしても、古くからの神社である。 現社殿は昭和33年(1958)に新築した。、、、、、すでに、神社には大祓いの茅の輪が用意され、年末だ! 早速、茅の輪くぐりをし、一等7億円のご利益期待!
 
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⑤プラウドシティ阿佐ヶ谷・・・・・・・・・・・・成田東にあった元公団の阿佐ヶ谷住宅 の跡地に建ったマンション。、、、、、『首都圏における第一種低層住居専用地域の新築分譲マンションで 最大級の規模を誇ります。  〈5街区・全575邸〉を設け、中低層の9棟とテラスハウスをレイアウト。  そして、全体を包み込むように樹々が連なる風景は陽光と開放感に満ちた新しい気品を漂わせることでしょう。  この杜の暮らしは界隈の自然と人をつなぎ、さらに人と人のつながりを育む人・自然・地域の美しい関係の理想へ導きます。』との売り言葉で、今月から分譲するようだ。、、、、、、旧阿佐ヶ谷住宅のような、開放的な雰囲気が創られるといいね。
 
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⑥成田東の二寺・・・・・・・・・・・・五日市街道へ向かう道の途中の二寺
 
・・・・・・・・・・・・・・天桂寺、、、、、、、月光山天桂寺は曹洞宗の寺で、聖観音像を本尊とする。 開創は慶長年間(1596~1614)と言われている。、、、、、天桂寺は安政3年(1856)に暴風雨にあい、建物はすべて倒壊した。 それから約60年後、大正12年(1923)に現在の本堂が建てられた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・海雲寺、、、、、、天桂寺と道路を挟み向かい合わせにある海運寺。 海運寺は、江月山と号する曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦如来坐像。 慶長16年(1611)に江戸八丁堀(現:中央区八丁堀)の地を拝領して開創された。 その後、寛永12年(1635)に浅草八軒寺町(現:台東区寿町)に移転し、明治43年(1910)に区画整理により現在地に移転した。 現本堂は明治20年(1887)に建立され、山門は江戸城内の紅葉山から移転した。
 
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⑦華徳院・・・・・・・・・・・丸ノ内線新高円寺駅の近く、五日市街道に面して天台宗の華徳院(けとくいん)がある。 華徳院は、下野国佐野に創建され、天正年間に武蔵国霞ヶ関に移転、慶長年間に浅草蔵前に再転し、寛永寺末となる。 江戸時代には、新宿太宗寺、巣鴨善養寺とともに江戸三閻魔として有名であった。、、、、その閻魔は、運慶蘇生の作といわれた丈六仏の本尊・閻魔王像を中に、右には本尊と同木でやはり運慶の作といわれた奪衣婆像、左には聖徳太子作といわれた本地化馬地蔵尊が祀られ、「蔵前の閻魔堂」と呼ばれていた。 『ナニ! 蔵前の閻魔堂、マサカ?』 そのマサカが、やっぱし!であった。  つまり、「蔵前の閻魔堂」とは、我が家の近く、私の住む台東区浅草橋2丁目にあったのだ。 我が家から直線距離で200m程の処である。 関東大震災で堂、仏像の全てを焼失し、焼け跡には新たに閻魔王を迎え堂を建てたが、それも昭和20年の戦火により焼失してしまった。  華徳院は、昭和3年、杉並区の現在地に移転した。、、、、、つまりは、華徳院の江戸三閻魔は姿形もなく、実在していたのは、我が家の近く浅草橋であったとさ。、、、、“灯台下暗し”とか、“提灯持ち足下暗し”とか、“秘事は睫(まつげ)”という話である。
 
・・・・・・・・・・・・・・杉並区松ノ木にある華徳院。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・台東区浅草橋2丁目、玩具会館の植え込みにある閻魔堂跡の碑。
 
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⑧新高円寺駅・・・・・・・・・・・・閻魔さま見に来て、閻魔さまに騙されて帰る、今日の散歩である。、、、、、、新高円寺駅は、昭和36年(1961)11月1日に帝都高速度交通営団(営団地下鉄)荻窪線の駅として開業した。 相対式ホーム2面2線の地下駅。
 
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2016年10月24日 (月)

阿佐谷北・天沼

JR中央線阿佐ヶ谷駅の北側の町「阿佐谷北2丁目」から、隣の「天沼1丁目」、「天沼2丁目」、「天沼3丁目」をクネクネ歩き荻窪駅まで、9千歩、6kmの散歩です。
 
 
①阿佐ヶ谷駅から北へ・・・・・・・・・阿佐ヶ谷駅 から、通勤客に逆行し、北に向かい歩き始める。
 
・・・・・・・・・・・・・・私の住む浅草橋駅と比べると、改札は広く、明るい駅。 駅に向かう皆さんは、紳士・淑女に見える。 特に女性は美人に見える。、、、、、目の錯覚か?
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前のビルの1階は通り抜けできる。 雨の日はうれしいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・朝の商店街は通勤する人の一方通行。
 
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②法仙庵・・・・・・・・・・・商店街の先にある、釈迦如来を本尊とする曹洞宗の寺。 寺の初めは、文久年間(1861~1863)、阿佐谷村名主らが発起人となり、散在していた家墓を集め、村共有の地に地割を平等にして作った共同墓地である。 そして、墓地管理のため慶應年間(1865~1868)に実山見道尼を初代庵主として請じて、開創した。、、、、、本堂は戦災で焼失したため昭和31年(1956)に再建された。、、、、寺の成り立ちを知ると、確かに墓地の管理事務所のようにも見える。
 
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③天徳泉・・・・・・・・・・・・阿佐谷北2、チョイと古そうなビルの銭湯があった。 窓枠にスチールサッシを使用しているなど、どうやら昭和40年前後の建物のようだ。 チョイと、パチリ撮影したが、『おや?なんじゃ?』、、、、、3階部分に住居と思われる部屋がある。 中央には玄関ドアがある。 訪問客は、庇の上から玄関に向かうのか? 
 
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④FJ邸・・・・・・・・・・・・・阿佐谷北2の個人住宅。 裏通りからチョイと奥に入ると、かわいらしい下見板張りの洋風の建物があった。、、、、、アプローチもいい雰囲気だ!
 
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⑤天沼一丁目の石塔・・・・・・・・・・ 天沼1-37の十字路角に、宝永元年(1704)銘・元文5年(1740)銘の庚申塔、享保15年(1730)銘の地蔵塔、宝暦9年(1759年)銘・享和3年(1803)銘の百番観音供養塔がある。 いずれも天沼村の村民が、現世での幸運と来世での往生安楽を願って造立したもの。
 
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⑥天沼二丁目の2社・・・・・・・・・・・・天沼2丁目にある、熊野神社、八幡神社に寄ってきた。 
 
・・・・・・・・・・・・・天沼熊野神社は、伊邪那美命を祭神とする神社。 神社の創建年代は不詳であるが、神護景雲2年(768)の創建とも元寇3年(1333)の創建ともいわれている。 かつて、十二所権現と呼ばれていたが、明治維新後熊野神社に改称した。、、、、、社殿は、平成7年(1994)に、木曽檜による木造、流造りで建て替えられた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・天沼八幡神社は、応神天皇を祭神とする神社。 神社は、旧天沼村字中谷戸の鎮守社として天正年間(1573~1591)に創建した。、、、、、現在の社殿は、昭和52年(1977)に改築されました。
 
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教会通り・・・・・・・・荻窪駅から天沼教会に続く教会通り。
 
・・・・・・・・・・・・・教会通りで60年以上続く、クリーニング店の老舗:東京社
 
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・・・・・・・・・・・・・教会通りを荻窪駅に向かい、帰宅する。
 
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2016年9月 5日 (月)

方南町~高円寺

東京メトロ丸ノ内線(分岐線)の方南町駅から、JR中央線高円寺駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。
 
 
方南町駅 ・・・・・・・・・・丸ノ内線は、昭和29年(1954)に池袋~御茶ノ水間 (6.4 km)を開業し、以後、東京、西銀座、霞が関と延伸し、昭和34年(1959)には新宿まで開業した。 昭和37年(1962)には、さらに荻窪まで延伸開業した。 支線の中野坂上~中野富士見町間の開業は昭和36年(1961)である。 そして最後に中野富士見町~方南町が昭和37年(1962)3月23日に開業し、現在の丸ノ内線の全線が完成した。、、、、、方南町駅は3両編成の列車が停まる頭端式ホーム1面2線の終端駅。 現在、6両編成が停車できるようにホームの改良工事が行われ、来年より6両編成で運行される予定である。、、、、、出入口は方南町交差点に1か所、ホーム東端の方南通りに1か所、共に狭い計2ケ所だけである。
 
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②善福寺川・・・・・・・・・・・善福寺川を堀之内橋で渡り、堀ノ内1丁目から2丁目に入る。、、、、、この辺りは河岸が整備され、“五十年に一度の大雨”にも耐えられるようだ。 流れる水も澄み、水鳥なども見られた。、、、、、堀之内橋は平成22年(2010)竣工のPC桁橋。
 
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③堀之内熊野神社・・・・・・・・熊野神社は旧堀之内村の鎮守さまで、大屋津姫命・五十猛命・抓津姫命の3柱が祀られている。 文永4年(1267)に、紀州の熊野三山を勧請したのが始まり。、、、、本殿は安政4年(1857)に建造された総欅造り。 幣殿は大正12年(1923)の造営。 石の鳥居は文化5年(1808)の銘があり、200年程前の建立。
 
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・・・・・・・・・・・・・・昨日は例大祭で、神輿があった。、、、、、この神輿、大正12年9月1日、関東大震災の当日、浅草で買って、猛火の中、無事運び終えた。 以来、「火伏の神輿」と言うそうだ。、、、、、、車の無い時代、よくぞ、大混乱の中、浅草からここ堀之内まで運んだものだ、運んだ人に感服するね!
 
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④妙法寺・・・・・・・・・街路灯に『歩礼愛待 参道商店会』と標した道に出た。 はじめて歩く道だ、人通りの少ない商店街らしくない商店街を道なりに歩くと、「堀ノ内厄除け祖師」:妙法寺の正面に出た。、、、、『なんだ、妙法寺の参道か!』、いつも妙法寺へは脇道から来るので知らなかった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・妙法寺には、昨年も立ち寄っているので、今日はチョイと境内の奥を拝見するか、、、、、、、
 
・・・・・・・・・・・・・・山門(天明7年(1787)建立)をくぐり、祖師堂(文化8年(1811)建立)で手を合わせ、回廊を抜けると、奥に本堂(文政2年(1819)建立)がある。 本堂まで参拝する人は少ないようだ、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・・本堂の奥に文政11年(1828)建立の日朝堂がある。 眼病平癒、学業増進、入学祈願をお願いする堂である。、、、、、私は、学問より、すれ違う美人を見失うことのないように視力向上をお願いし、手を合わせてきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・日朝堂の脇に、 私が大好きな“佐和子”の碑があった。 『恍惚の人』のあの作家:有吉佐和子の碑である。、、、、、有吉佐和子は妙法寺のすぐ近くに住んでいた。 妙法寺をこよなく愛し、境内を通って帰宅されることも多かったといわれている。 なお、当人はキリスト教の信者であった。
 
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カトリック高円寺教会 ・・・・・・・・・・・教会は昭和3年(1928)東京で10番目の教会として、300人弱の信徒により誕生した。 当時、教会の周りは一面畑で、のんびりしたところであったそうだ。 昭和6年(1931)に地下聖堂として建てられたが、戦災で焼失し、昭和24年(1949)地下聖堂の上に現在の聖堂がたてられたそうだ。 聖堂の下(地下)にも出入り口があるのはそのためらしい。、、、、、、東日本大震災の後、改修工事が行われたが、シンプルで落ち着いた感じの素朴な教会イメージは変わっていない。
 
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⑥高円寺氷川神社・・・・・・・・・・・高円寺駅の南東100m程の位置に氷川神社はある。 創建年代は不詳であるが、鎌倉時代の創建か(?)
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内には、戦後、馬橋4丁目にあった陸軍気象部に祀られていた気象神社を当社に遷座し、祀っている。、、、、、気象庁の予報も神頼みかな?
 
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⑦高円寺駅・・・・・・・・・・・・・大正11年(1922)7月15日に国鉄の駅として開業。 
 
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2016年6月30日 (木)

石神井公園~荻窪

今日も降りそうな天気。 “近場の散歩にしよう!”と思い家を出て、山手線に乗ったら池袋に着いた。 “池袋まできたから、チョイと足を延して江古田あたりを歩いてみるか!” 西武線の池袋駅で、5番線の普通電車に乗るのを、発車まぎわの3番線の急行に飛び乗ってしまった。 気づいた時は、すでに遅し、急行は石神井公園まで止まらない。、、、、と言うことで、今日の散歩は、西武線石神井公園駅から中央線荻窪駅まで歩いてきた。



①石神井公園駅
・・・・・・・・・・大正4年(1915)4月15日に、石神井駅として開業し、昭和8年(1933)に石神井公園駅と改称した。 開業時は島式ホーム1面2線の地上駅であったが、その後、島式ホーム2面3線に変更し、平成20年(2008)頃から高架化工事が始まり、平成24年(2012)には島式ホーム2面4線の高架駅が完成した。、、、、、ホームを覆う屋根は大きく、明るい。 また屋根を支える支柱も少なく、広さを感じる。 コンコースは天井も高く、大きな空間がつくられている。

・・・・・・・・・・・・・・・あまり立派過ぎて、田んぼの中の新幹線駅のようだ!

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・・・・・・・・・・・・・上り(池袋方面)ホームは通勤通学客が電車待ち、下り(所沢方面)はガラガラ。

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・・・・・・・・・・・・・・大きなコンコースを見ると、この空間に我が家が何軒分か考えてしまう。

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・・・・・・・・・・・・・・駅前広場に建つ、高さ約3mの「石神井火車站之碑」(しゃくじいかしゃたんのひ)、、、、、大正4年(1915)の武蔵野鉄道石神井駅(現:石神井公園駅)の開業を記念し、大正9年に造立された石碑。 碑文は漢文・漢詩でつづられ、駅周辺の石神井城・三宝寺池・長命寺などの歴史や見所が記されてる。

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②和田稲荷神社
・・・・・・・・・石神井公園駅の南150m程の処に鎮座するお稲荷さん。 創立年代不詳。、、、、、かなり昔は伝五郎稲荷として知られ、旧字和田地区の鎮守であったそうだ。 渡辺伝五郎が伏見から遷し、祀ったそうだ。、、、、、“渡辺”姓は多く、良い奴もいるが、悪い奴もいて、私はあんまり好きになれない苗字だ!

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③石神井公園
・・・・・・・・・・園内には、石神井池、三宝寺池がある。 三宝寺池は古くからある池で、武蔵野台地からの地下水が湧き出ていたらしい。 昭和34年(1959)に市民が散策できる公園として整備されたそうだ。 ボートに乗れる石神井池は、三宝寺池一帯が風致地区に指定された際、三宝寺池とともに武蔵野の景観を保護する目的で、昭和8年(1933)に人工的に作られたそうだ。、、、、私の70年の歴史の中では、数回しか訪れたことがないマイナーな公園。 でも、ここ数年、ワニ出没事件、矢ガモ事件、露出狂女性徘徊事件などで、知名度は高くなっている。 、、、、、今日は、公園の東側をチラット拝見。

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④禅定院
・・・・・・・・・・・石神井公園の南隣に、真言宗智山派の禅定院がある。 今から約600年前、願行上人によって開かれた寺と伝えられているそうだ。、、、、、、現在、寺の近くにある石神井小学校の前身:豊島小学校は、明治7年(1874)区内初の公立小学校としてこの寺に創立された。、、、、、現在の本堂は昭和53年(1978)に建てられた。

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⑤下石神井天祖神社
・・・・・・・・・・禅定院の前で石神井川を渡り、下石神井6丁目に入ると下石神井小の前に天祖神社がある。、、、、、創建年代は不詳であるが、江戸時代の風土記には、存在が記されている。、、、、、、古い神社かも? 

・・・・・・・・・・・・・・石神井川

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・・・・・・・・・・・・・・下石神井天祖神社、、、、、、現社殿は明治18年(1885)の建築。
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・・・・・・・・・・・・・・・境内には安政年間(1854~1860)の燈籠や享保二年(1717)の延命地蔵などの石像物がある。

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⑥下石神井の町
・・・・・・・・・・・田畑が都市化によって新興住宅地に変わったと思われる。
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⑦井草四丁目交差点
・・・・・・・・・・新青梅街道と千川通り、さらに1本の区道が交わる6差路。、、、、、、私の散歩は、この交差点を横断し、練馬区から杉並区に入る。
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⑧西武新宿線
・・・・・・・・・・上井草では、西武新宿線の踏切を越える。、、、、、細い道路だが、交通量も多く、“開かずの踏切”となっている。、、、、、私の気持ちは踏切を残して欲しいのだが、住民の安全対策を考えると、そろそろ高架化/地下化に着手する時期かも?

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⑨今川・桃井の町
・・・・・・・・・・・杉並区今川と桃井の町を抜け、荻窪駅方面に向かう。
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・・・・・・・・・・・・・・・環八通りの四面道交差点を越えると、天沼教会 のある天沼の町。

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⑩荻窪駅北口
・・・・・・・・・・・・・荻窪駅 は、明治24年(1891)12月21日、甲武鉄道の駅として開業した、開業時は北口はまだなく、南口のみであった。 その後、明治39年(1906)に甲武鉄道は国有化されたが、まだ北口は設置されていない。 昭和2年(1927)に北口が新設された。、、、、、北口は青梅街道に面しているが、出入口部分は小さいため目立つことのない地味な出入口である。

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2016年5月 1日 (日)

荻窪~井荻

JR荻窪駅から、北へ歩いて、西武新宿線井荻駅まで、1万歩、7kmの散歩です。



①荻窪駅
・・・・・・・・・・・・明治24年(1891)、甲武鉄道の駅として開業。 15年後に甲武鉄道が国有化され、複線化された。 昭和7年(1932)には中央線・総武線の直通運転も開始。、、、、、現在は、島式ホーム2面4線の地上駅。 ホームの東西両端に改札があり、東側は地下の改札を出ると地下鉄丸ノ内線改札とつながっている。 西側は跨線橋上に改札がある。、、、、、今日は西側の改札を通り、駅の北側に出た。

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②教会通り
・・・・・・・・・・・・・たびたび利用する駅だが、私は周辺の地理に薄暗く、駅を出たが右に行こうか? 左に行こうか? とりあえず、駅前の青梅街道を横断してみることにした。

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・・・・・・・・・・・・・・横断した歩道橋の前で、「教会通り」の文字が目に飛び込んできた。 『ナヌ~~ 教会通りだと。 宗教建築の好きの我の心を揺さぶるネーミング。 行かずばなるまい!』 今日の散歩は決まった!

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・・・・・・・・・・・・・・旗のイラストで、蔓が商店街形を示し、下が青梅街道側の入口、先に教会が描かれている。

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・・・・・・・・・・・・・・青梅街道より、北の方向へ約300m、天沼教会まで続く商店街である。 どうやら、古くからの地元の商店街らしく、大きな店舗、コンビニ、チェーン店のような店舗はなく、家族経営の店が多そうだ。 幅員4m程の狭い通りが、折れ曲がって伸びていく。

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③東京衛生病院
・・・・・・・・・・・・・・教会通りの終点に大きな病院が見えた、「東京衛生病院」である。  病院の案内図を見ると、大きな敷地の中に、天沼教会を取り囲むように、病院と付属のクリニックなどの建物が配されている。、、、、、この病院は昭和4年(1929)、現在の杉並区天沼3丁目で、わずか20床から出発し、現在は10の診療科を備えた病床数186床の総合病院である。、、、、、運営はセブンスデー・アドベンチスト教団の医療法人アドベンチスト会。 国内にはセブンスデー・アドベンチスト教団が経営する系列の病院として神戸アドベンチスト病院と沖縄のアドベンチストメディカルセンターがあるそうだ。

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④天沼教会
・・・・・・・・・・・・・東京衛生病院の隣に、セブンスデー・アドベンチスト教団(プロテスタント系)の天沼教会がある。 この教会は、大正6年(1917)に、武蔵野の空気が残る雑木林の中に燦然と建てられたそうだ。、、、、、、現在の会堂は昭和58年(1983)に竣工した。 4年後の平成元年(1989)には、ドイツのシュッケ社製による18ストップの大きなパイプオルガンが設置され、聖歌隊による讃美歌と合わせ聞くことができるようになった。、、、、、質素で、スマートな教会だった。

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⑤妙正寺から井荻駅
・・・・・・・・・・この間は、昨年4月に歩いたルートの逆

・・・・・・・・・・・・・・妙正寺、、、、、、法光山妙正寺は、日蓮宗の寺で十界諸尊を本尊とし、ほかに大黒天・鬼子母神・三十番神・弁財天などの諸像が祀られている。 像の多い、チョイと欲ばりな寺院。、、、、文和元年(1352)、中山法華経寺(千葉県)の日祐上人が、妙正寺のほとりに堂を建て諸像を勧請したのが始まり。、、、、天保元年(1830)に本堂は古文書類と共に焼失したが、天保3年(1832)に再建され、昭和6年(1931)に改築して今日に至っている。

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・・・・・・・・・・・・・・妙正寺公園、、、、、、、妙正寺の北側に在る公園で、園内の池は妙正寺川の水源である。 妙正寺川は新宿区下落合1付近で神田川に合流する一級河川。

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・・・・・・・・・・・・・・中瀬天祖神社、、、、、、、、中瀬天祖神社は、妙正寺公園の北隣にある神社です。 創建年代は不詳。 妙正寺が十羅刹堂として創建したといわれている。 明治維新後に天祖神社と改称したらしい。

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・・・・・・・・・・・・・井荻駅、、、、、、、井荻駅(いおぎえき)は、昭和2年(1927)に開業した、西武鉄道新宿線の駅である。 現在は相対式ホーム2面3線の地上駅。

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2016年4月18日 (月)

阿佐ヶ谷~鷺ノ宮

JR中央線の阿佐ヶ谷駅から西武新宿線の鷺ノ宮駅まで、1万歩、7kmの散歩です。



阿佐ヶ谷駅
・・・・・・・・・・・国鉄の駅として、大正11年(1922)に開業。 2面4線の高架駅。、、、、、今日は北口から出て、北の方角に歩くことにした。

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②世尊院
・・・・・・・・・・阿佐ヶ谷駅の北250m程にある世尊院は、永享元年(1429)頃の創建と言われている。 それまで阿佐ヶ谷の地にあった宝仙寺が中野に移転し、宝仙寺の子寺であった世尊院が宝仙寺の跡地に残されたそうだ。 本尊は立派な不動明王立像らしい。、、、、現本堂は昭和10年(1935)に再建された。

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・・・・・・・・・・・・・・道路を挟み山門前に世尊院観音堂がある。 こちらには、室町時代の作と言われる木造聖観音菩薩立像が祀られている。

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阿佐ヶ谷神明宮
・・・・・・・・・・世尊院の隣に鎮座するは、建久元年(1190)頃の創建と伝える、天照大神を主祭神に祀る神明宮。、、、、、、広い境内の奥、小鳥の声が聞こえる森の中に、立派な拝殿・本殿が平成21年(2009)に造られた。

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④KU邸
・・・・・・・・・・・・阿佐谷北の住宅。 洋風の下見板張りの外壁、上げ下げ窓など、昭和初期の建物と独断で推定した。

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⑤阿佐谷北6丁目
・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・杉並区阿佐谷北5丁目から北側に走る早稲田通りを越える。

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・・・・・・・・・・・・・・阿佐谷北6丁目に入る、裏道は静かな住宅街だ。 私の住む浅草橋では得ることのできない住環境が、うらやましいね!

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・・・・・・・・・・・・・・・正面に白鷺一丁目第3アパートが見えてきた、、これより先は中野区白鷺の町になる。 このあたりが、杉並区と中野区の区界。

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⑥白鷺一丁目第3アパート
・・・・・・・・・・・妙正寺川の右岸に位置する、昭和34年(1959)から建設された都営アパートが建て替えられた。 ここには、低層の都営住宅が19棟並んで立っていたが、妙正寺川の氾濫を防止するため、都営住宅の敷地を半分ほど利用し、地下に貯水量約35,000立方メートルの貯水池、上は多目的のグランドを整備した。 残る半分に高層(12階建て、5棟)の住宅を建て、戸数約800戸(建て替え前は418戸)の規模の団地となった。 工事は平成19年(2007)から平成22年(2010)まで行われた。

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⑦第2鷺の宮アパート
・・・・・・・・・・・白鷺一丁目第3アパートの北側に、こちらも都営住宅「第2鷺の宮アパート」が建っている。 昭和39年(1964)に建設された5階建て、5棟の団地。 こちらは、4号棟、5号棟の2棟が取り壊されていた。

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・・・・・・・・・・・・・・・50年近く、このアパートで生活した人も居たであろう、思いで多い建物が壊されていく寂しさ、見てると泣けてくるね。、、、、、住んでいた人、建設した人を想うと、ほんとに、目が潤んで、ウルウル。

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⑧鷺の宮住宅
・・・・・・・・・・・・第2鷺の宮アパートの西隣には、『へ』の字型の屋根が特徴的な鷺の宮住宅のテラスハウス(境界壁を共有する複数の戸建て住宅が連続している形式の低層集合住宅)が7棟(20戸)並んでいる。 このテラスハウスは、東京文化会館などを手掛けた建築家:前川國男(1905~1986)の設計である。、、、、、、昭和33年(1958)に建てられた貴重な建築である。 建設時は公団の住宅であったが、現在は企業・民間に譲渡され、寮・住宅となっている。 そのためか、北側(玄関側)は建築時の姿を残してはいるが、南側(庭側)には部屋を増築した棟が多く、南面は雑然とした景観となっている。 チョイト残念だ!、、、、、【文科省へ】早く、文化財に指定しないと、高層マンションに変わってしまうかも? 

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⑨鷺宮八幡神社
・・・・・・・・・鷺ノ宮駅の南側の高台に、康平7年(1064=鎌倉時代)、源頼が東国征伐の後、鎌倉街道に面した当地に源氏の隆昌を祈願して創建したと伝えられている。、、、、、、この地には鷺が多く生息していたことから、鷺宮八幡、鷺宮大明神と称された。、、、、、現在の本殿・幣殿・拝殿は昭和35年(1960)に改築された。

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⑩鷺ノ宮駅
・・・・・・・・・・昭和2年(1927)に開業した西武新宿線の駅。 単式ホーム1面1線(上り)と島式ホーム1面2線(下り)を併せ持つ地上駅。 駅舎は橋上である。

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2016年1月22日 (金)

阿佐ヶ谷~荻窪

阿佐ヶ谷駅から中央線の南側をブラブラして荻窪駅まで、1万歩、7kmの散歩です。


①阿佐ヶ谷駅
・・・・・・・・・・・JR中央線で新宿駅から5つ目、我が家(浅草橋)から中央・総武緩行線で乗り換えなしの30分、私には生活圏内の駅であるがなじみの薄い駅である。、、、、、、大正11年(1922)に開業し、昭和41年(1966)に高架複々線化工事が完了した。

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②川端通り
・・・・・・・・・・・・阿佐ヶ谷駅南口前のロータリーから西へ向かい「川端通り」が伸びている。 庶民的な飲み屋・スナック・料理屋が並び夜は楽しそうな街である。 ここには、かつて小川が流れ、この名のいわれとなったようだ。 飲食店の先には、その名残らしき暗渠化された細い道が、クネクネと曲がり伸びている。

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③IS邸
・・・・・・・・・・・阿佐ヶ谷南3丁目に残る、昭和初期に建てられたと思われる住宅。

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④青梅街道
・・・・・・・・・・『ドキ! パトカーだ! ヤバイ!』と一瞬身構えて、『あわてるな!』と自分に言い聞かせ、『まだ、何もしでかしていないぞ!』と小声で言い放ち、『ご苦労様です』と歩道橋を渡りわざとらしく挨拶して通り過ぎる。

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・・・・・・・・・・・・・・本当に何も悪い事はしていないのだが、パトカーは嫌だ! 『三十六計逃げるに如かず』と速足で裏道に入り、遠ざかる。、、、、気が付くと、杉並区成田東5丁目なり。、、、、この辺りは静かな住宅街となっている。

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⑤シャレール荻窪
・・・・・・・・・・・・・杉並区荻窪3丁目、善福寺川の東に大きな公団の「荻窪団地」(昭和33年竣工、21棟、875戸)があった。 荻窪団地は老朽化により取り壊され、平成23年(2011)に「シャレール荻窪」という“しゃれーた”名前に変わり、16棟、全411戸から成る都市再生機構の賃貸住宅に生まれ変わった。、、、、、、洒落た名前に、モダンな建物、若い夫婦の多い、新しいコンセプトの現代版公団(UR)団地、いつまでもこの状態が続くことを願う!

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角川庭園・幻戯山房
・・・・・・・・シャレール荻窪の北側、住宅街の中に角川書店の創設者:角川源義(1917~1975)の旧邸宅が残されている。 昭和30年(1955)竣工の木造2階建の数寄屋造りの住宅で、設計は建築家:加倉井昭夫(1909~1988)。 建物は国の登録有形文化財に指定されている。、、、、、、邸宅は杉並区に寄贈され、句会・茶会などに利用されているそうだ。

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大田黒公園
・・・・・・・・・・・・・音楽評論家:大田黒元雄(1893~1979)の屋敷跡と仕事部屋があった洋館を杉並区が公園に整備し、公開している。、、、、、広い屋敷跡は、門をくぐると、イチョウ並木が伸び、芝を張った庭園は明るく開放的で、その一隅に仕事部屋のある瀟洒な洋館風建物がある。 建物は、記念館として遺品などが展示されてる。、、、、、私には羨ましいほどの住環境だ!

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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あとは、荻窪駅から帰宅。

2015年12月20日 (日)

高円寺

青空の下、北風が後方から吹き付け、チョイと寒さを感じ、マフラーを巻き直したくなる日だ。 荻窪方面でも歩いてみようかと家を出たが、電車に乗っているうちに、「高円寺」(寺)に行ってみようと、「高円寺」(駅)で下車し、駅南側の「高円寺」(町)周辺を歩いてきた。 1万歩、7㎞。


①高円寺駅
・・・・・・・・・・新宿駅~立川駅間に甲武鉄道が開業したのは、明治22年(1889)で、明治39年(1906)に国有化された。 高円寺駅は大正11年(1922)に開業。 昭和41年には現在の高架駅となる。、、、、、駅で地図を見て、高円寺に行く前に長仙寺に寄ってみることにして。 今日は南口に出た。、、、、、東京駅で、八重洲口に出て丸の内口に行くには、大変! 我が浅草橋駅も、西口に出て東口に行くには駅の端から端まで歩くので、チョイとしんどいね! 高円寺駅は、改札が1か所で、右へ曲がれば南口、左へ曲がれば北口、駅の中を通り抜けできるので、違う出入口に出てもすぐに反対側の出口に行ける、便利でいいね!、、、、、「私 北向き あなたは 南 ともに 寝返り 仲直り」

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長仙寺
・・・・・・・・・・・杉並区高円寺南3にある真言宗豊山派長仙寺は、宝永元年(1704)に創建された。 戦災で堂宇を全焼し、昭和44年(1969)に鉄筋コンクリート造の寝殿造りの現本堂と庫裡を再建した。 昭和56年(1981)には八脚門が建てられた。、、、、、高円寺駅まで、直線距離で50m程、駅前商店街の一画にある。 しかし、樹木が茂る静かな広い境内は、門前に飲食店が並んでいることを忘れさせる。、、、、、呑めない私は、スグ忘れるが、酒好きは寺を忘れて酒を忘れず。、、、、、、「寺で 念仏 おわれば 呑み屋 家で 待つ神 知らぬが仏」 

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③高円寺
・・・・・・・・・駅名となった、正真正銘の高円寺。弘治元年(1555)に開山した、曹洞宗の寺院である。 将軍徳川家光が鷹狩りの際、度々立ち寄り、お茶の接待をした徳川家ゆかりの寺。 本尊は観音菩薩で、「桃園観音」と呼ばれている。(チョイと艶っぽい名で、ぜひ一度、拝んでみたいね。)、、、、、寺は寛保2年(1742)、弘化4年(1847)、明治33年(1900)、昭和20年(1945)と4度罹災し、現在の本堂は昭和28年(1953)に宮大工・中村青雲により再建された。(只今、本堂は瓦の葺き替え工事中。)

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・・・・・・・・・・・・・境内の開運子育地蔵堂。 堂内を覗くと、“子作り”地蔵堂かと思った。、、、、、高円寺駅北側の高円寺庚申通り商店街にも、似たような御神体が祀られている。、、、、、、、ナイショで、小型のレプリカを持ってる信心深い人もいるようだ。

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・・・・・・・・・・・・・・高円寺参道の南側に桃園川緑道がある。 桃園川は、杉並区天沼3の天沼弁天沼公園を水源として、杉並区、中野区を通り、北新宿付近で神田川に合流していた。 戦後、近隣の宅地化がすすみ、桃園川も昭和40年代までにすべて暗渠化された。 その上に、杉並区、中野区が緑道を整備し、現在は約2.3kmの緑あふれる遊歩道となっている。、、、、、その「桃園」の名は、江戸時代、高円寺の境内に桃の木が多くあり、将軍が「桃園」と呼ぶように命じたそうだ。(その後、桃園は中野に移された。)

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④カトリック高円寺教会
・・・・・・・・・・・教会は昭和3年(1928)東京で10番目の教会として誕生した。昭和6年(1931)に地下聖堂として建てられたが、戦災で焼失し、昭和24年(1949)地下聖堂の上に現在の聖堂がたてられたそうだ。 聖堂の下にも出入り口があるのはそのためらしい。、、、、、、シンプルで落ち着いた感じのする教会だ!、、、、、、今日は日曜礼拝で、多くの信者が集まっていた。 遠慮して、チョットだけパチリ!

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・・・・・・・・・・・・・・・3年前に撮った写真。

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⑤真盛寺
・・・・・・・・・青梅街道と環七通りが交差する杉並区梅里1に、天台真盛宗の東京別院で、本山は滋賀県大津:西教寺である、天羅山養善院真盛寺(しんせいじ)がある。 寛永8年(1631)に現在の文京区湯島に創建され、その後、谷中、本所に移り、大正11年(1922)に現在地に移転した。 江戸日本橋の越後屋(現:三越)の菩提寺である。 境内は広く、庭は綺麗に手入れされ、静寂と威厳と平穏を感ずる。

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・・・・・・・・・・・・・・墓地へ、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・ここの墓地は、公営の霊園のように区画も広く、まさに仏の安住地である。 その一画には、三井組の大番頭で、三井財閥の中興の祖である三野村利左衛門の墓、そして三越社員墓所などもある。

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⑥堀の内三丁目アパート
・・・・・・・・杉並区堀ノ内3、環七通りに面して1棟だけポツリと建つ、昭和44年(1969)完成の14階建て(291戸)都営住宅。 屏風のように、視界を遮り、威圧するようだ。

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⑦妙法寺
・・・・・・・・・・・堀の内3の、元和(1615~1623=徳川秀忠の時代)の頃、真言宗の尼寺であったが、日蓮宗に改宗した。 元禄12年(1699)には身延山久遠寺の直末となり、日蓮大聖人の像があらゆる災難除けに霊験あらたかであることから、「堀ノ内やくよけ祖師」と呼ばれている。、、、、、、「厄払い 神社に行こうか お寺に行こか できることなら尼寺へ」

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・・・・・・・・・・・・・妙法寺の鉄門・・・・・・・・・・この鉄門(国の重要文化財)は、鹿鳴館、岩崎邸、ニコライ堂などを設計した、英国人建築家:ジョサイア・コンドルの設計により明治11年(1878)に完成したものである。 寺に和洋折衷のデザインによる門とは、奇異ではあるが、モダンな組み合わせ。 門柱の左右には漢詩もある。

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●・・・・・・・・・・・・・・今日は、各寺に賽銭をはずみ、懇ろに手を合わせ、年末ジャンボの一等当選と、家内安全をお願いしてきた。、、、、、、「神よ 仏よ ジャンボ 当てて 願い かなって ポックリと!」 (早死にしたくないので、2等の1000万円でもいいね。)