世田谷区

2016年9月17日 (土)

世田谷代田~東北沢

連続する台風の影響で連日の雨模様。 明日から、また降り続くようだ。 今日は、朝から晴れていたので、早速散歩に出た。
小田急線世田谷代田駅から東北沢駅まで、1万歩、8kmの散歩です。
 
 
世田谷代田駅 ・・・・・・・・・・・・地上から約25m下がったところに、世田谷代田駅の仮設ホームがある。 ここは、工事完成後、急行線が通過する地下3層構造の最下層で、現在は上層の緩行線ホーム部分の工事が進められているため、仮設ホームを設け使用している。、、、、チョイと薄暗く、コンクリート肌がむき出しの駅は、完成を期待し何かワクワク感が漂い、若い頃の現場勤務を思い出した。
 
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②代田八幡神社・・・・・・・・・・・世田谷代田駅前を走る「環七通り」に面し代田八幡神社がある。 室町時代、小田原北条氏の家臣で世田谷一帯の領主であった吉良氏は、北条氏滅亡後、領主の座を追われた。 その家人七家によって天正19年(1591)、宇佐八幡宮(世田谷八幡宮)から八幡神を勧請し、創建したことには始まる。、、、、、社殿は戦災で焼失し、昭和33年(1958)に現社殿が再建された。、、、、環七に面する現在の鳥居は高さ:3.115m、柱間:2.39m、花崗岩の神明鳥居である。 この鳥居は天明5年(1785)に奉納されたもので、石工は北八丁堀松屋町助左衛門。 大正12年(1923)の関東大震災では傾いたため、その修理の時に正面を裏に向けてしまった、チョイと間抜けな話。 
 
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③円乗院・・・・・・・・・・世田谷区代田2丁目にある、代永山真勝寺円乗院と号する、真言宗豊山派の寺院。 寺の創建年代は不詳であるが、寛永初期頃(1625頃)までに代田村村民の菩提寺として創建された。、、、、、本堂は戦災で被災したため、現本堂は昭和29年(1954)に、台東区橋場総泉寺(秋田佐竹侯菩提寺)の旧本堂を移築した。 狩野探信筆の襖絵(文政8年)などがあり、江戸後期の建物と思われるそうだ。、、、、綺麗に整備されている境内は気持ちよいものだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・二間四方の観音堂には、十一面観音が安置されている。
 
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④ふれあいの水辺・・・・・・・・・・・世田谷区では、区内を流れている北沢川、烏山川、目黒川の約2.4kmを「ふれあいの水辺」と称し、緑道に整備した。、、、、、北沢川緑道として、環七通りの宮前橋交差点から、下代田橋(世田谷区代沢)までの約1.0kmは「北沢川文学の小路」と呼んでいるらしい。 川の周囲に歌人、作家、詩人が住んでいたそうだ。、、、、今日は、宮前橋から下流に約0.7km歩いてみた。
 
・・・・・・・・・・・・・北沢川は昭和初期頃までは農業用水として利用されていたが、その後、都市化が進み水質も悪化した。 昭和40年代には暗渠化され、平成19年度までに緑道として整備された。 緑道には、川であった頃の橋の欄干が残されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・緑道沿いに約150本の桜の木が植えられている。 満開になると花のトンネルとなり、見ごたえがありそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・61号鉄塔、、、、、これは北沢川に架かっていた鶴ヶ丘橋から見える丘の上の鉄塔で、昭和8年(1933)頃から、この塔の下に詩人:萩原朔太郎が住んでいたそうだ。 塔は昭和元年(1926)に建てられた。、、、、、丘の上の銀色に輝く塔は、当時、都市近郊に住む人のシンボル的なものであったそうだ。
 
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⑤森厳寺・・・・・・・・・・・・・緑道から、丘を上るように裏道を歩き、代沢3丁目の森巌寺(しんがんじ)の前に出た。 思い出した、ここは去年歩いたぞ! 、、、、、、慶長13年(1608)に徳川家康の二男:結城秀康の位牌所として建立された浄土宗の寺院である。
 
・・・・・・・・・・・・・・・山門前には「粟嶋の灸」の看板、常夜灯、道標が並びお出迎え。 江戸時代には、“灸”と“針供養”と“富士講”の寺として知られたそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・三つ葉葵の御威光により、長寿を願い、まずは本堂に手を合わせる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・淡島堂に祀られる淡島様は、江戸時代、女性や子供に関するありとあらゆるご利益を授ける守り神と崇められていた。 祭神は医療と医薬の神の少彦名神。、、、、現在の淡島堂は天保7年(1836)に建てられた。、、、、、堂の前に針塚がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・閻魔堂には、もちろん閻魔さまが住み、不動さまも居候。
 
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⑥北澤八幡神社・・・・・・・・・・・・森巌寺まで来たら、お隣の八幡神社に寄らずば罰があたる。、、、、、神社は、文明年間(1496~1487)に世田谷城主により勧請されたといわれている。 現社殿は昭和53年(1978)に鉄筋コンクリート造で改築された。 

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⑦下北沢付近・・・・・・・・下北沢駅付近を抜け、小田急線地上線路跡をチラリと見て、東北沢へ向かう。 、、、、、踏切も、線路も無くなった!

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⑧東北沢駅・・・・・・・・・・昭和2年(1927)4月1日に開業。、、、、現在工事している連続立体交差化(地下化)・複々線化工事区間の新宿寄りの駅。 ここでは、新宿寄りの地上から複々線の4線が地下駅に並行して入ってくる。 中央の2線が緩行線で、外側2本が急行線である。 しかし現在、緩行線は工事中で、外側2本の急行線を、緩行・急行が共用している。

・・・・・・・・・・・・・・地上の駅舎も只今工事中。、、、、シンプルでスマートな駅ができそうだ、乞うご期待!

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・・・・・・・・・・・・・・島式ホーム1面4線の地下駅を構築中である。 ホーム部はほぼ出来上がったが、緩行線が下北沢側で工事中であり、現在は緩行線部分にホームをせり出し、急行線を共用中。

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2016年8月13日 (土)

代田から代田まで

代田橋駅(京王線)から世田谷代田駅(小田急線)まで、1万1千歩、8kmの散歩です。
 
 
①代田橋駅・・・・・・・・・大正2年(1913)4月15日、京王電気軌道(笹塚~調布間)の開通と同時に開業した歴史ある駅。、、、、、、駅名の「代田橋」は、京王線の北側を並行する甲州街道が玉川上水を超える小さな橋のことで、駅の北側に位置に承応2年(1653)に架けられたそうだ。 現存するものは何もなく、名のみが残る。 
 
・・・・・・・・・・・・・線路を挟み南北の出入口から線路下へ潜っていく。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ちょうど線路の真下と思われる位置に、改札口と売店とトイレがある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・相対式ホーム2面2線の地上駅。
 
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②和田掘給水所・・・・・・・・・代田橋駅の南側に、東京都水道局の和田掘給水所がある。
 
・・・・・・・・・・・・・・数年前の給水所の航空写真では丸い形の1号配水池(昭和9年(1934)完成)と、四角い山の様な2号配水池(大正13年(1924)完成)が見える。、、、、、只今、配水池の老朽化による解体・整備工事と、給水所の外周を走る井ノ頭通りの直線化工事が行われている。 工事中に着き立ち入り禁止。
 
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・・・・・・・・・・・・現在の給水所は東村山・境・三郷の各浄水場からの送水を世田谷、渋谷、目黒、港の各区に配水している。、、、、、場内に入れないので、柵の隙間から丸い形の1号配水池をパチリ。
 
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③羽根木神社・・・・・・・・・・・和田堀給水所の南側に隣接する、宇迦能御魂神を祀った神社である。 神社の創建年代は不詳だが、神社周辺の邸内社として稲荷神を勧請し祀ったものが始まりらしい。、、、、、、社殿は戦災で焼失し、現社殿を昭和33年(1958)に新築した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・神社から300m程歩いた処に、「羽根木神社参道 この奥二丁」と標した案内が建っている。
 
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④羽根木のデザイナーズマンション・・・・・・・・・・・・世田谷区羽根木1丁目の住宅地を歩いていたら、シャレた一画があった。 同一のオーナにより建てられたデザイナーズマンションが並んでいる。、、、、、、住んでみたくなる、森の中のマンション群。
 
・・・・・・・・・・・・・羽根木の森、、、、、、、シャレた鉄骨造の建物が数棟建ち並んでいる、「羽根木の森」というデザイナーズマンション。 312坪の敷地に27本の大木があり、それを1本も木を切らずに建物を建てるという難題を解決した設計の建物らしい。 設計は建築家・坂茂。 平成9年(1997)の完成。、、、、、コテージ風に森の中に11戸の住宅が散っているようでもある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・亀甲新、、、、、、、、「羽根木の森」と地続きの、低層デザイナーズマンション「亀甲新(きっこうしん)」。 平成25年(2013)完成。、、、、、現代版の街道筋のような雰囲気を出している。
 
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・・・・・・・・・・・・・・羽根木インターナショナルガーデンハウス、、、、、、、、、道路を挟み亀甲新の前に建つデザイナーズマンション。 こちらも、敷地の既存の木々を残しながら、中庭を中心に全3棟(34戸)で構成されているテラスハウス形式の高級集合住宅。 平成19年(2007)の完成。
 
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⑤東松原駅・・・・・・・・・・昭和8年(1933)8月1日、帝都電鉄の駅として開業し、その後、小田急、東急と籍は変わったが、昭和23年(1948)京王帝都電鉄井の頭線の駅となった。、、、、島式ホーム1面2線の地上駅で、改札は橋上である。、、、、、住宅街の中に位置する東松原駅は、チョイと狭苦しいね!
 
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⑥代田の花・・・・・・・・・・・環七通りを越えると代田5丁目。 世田谷代田駅までスグ! 夏の花、芙蓉が咲いていた。、、、、、近頃、軒先にアサガオを植えている家が減ったような気がしているのは、私だけか? 今日の散歩では、アサガオを見ることはなく、芙蓉はよく見たね!
 
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⑦世田谷代田駅・・・・・・・・・・昭和2年(1927)4月1日に、小田急線の「世田ヶ谷中原駅」として開業し、昭和21年(1946)に「世田谷代田駅」に改称した。、、、、、只今、小田急線複々線化工事の真っ最中。 世田谷代田駅は、地上に駅舎が設置され、地下は3層構造で、緩行線が中間層、急行線が最下層に走る予定である。 現在は、仮ホームで最下層の急行線を緩行線も含めて使用している。、、、、、来年の複々線運用が待ち遠しいね!
 
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2016年8月12日 (金)

経堂~下高井戸

何年ぶりか、経堂(小田急線)で降りてみた。 知ってるようで、まるっきり知らない駅前に立ち、『東西南北いずれに向かう?』と自問自答。 答えは簡単、北から駅に向かってくる美人が多いので、私は北へ向かうことにした。 北へ、北へ歩き、下高井戸駅(京王線)まで、1万歩、8kmの散歩です。
 
 
①経堂駅・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)4月1日の小田原線(新宿~小田原)開通と同時に開業した。、、、、平成11年(1999)頃から高架化され、現在は島式ホーム2面5線を有する高架駅となっている。、、、、私が記憶している経堂駅は、駅前に「OXストアー」があり、線路脇は検車区となっていて車窓からはロマンスカーが見える地上駅だった。 スーパーは建て替えられ、検車区は無くなり、私が知る“経堂”は消えていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・私が住む浅草橋駅よりも、明るく、広く、 綺麗な改札口・出入口。 羨ましいね!
 
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②経堂すずらん通り・・・・・・・・・・“困ったときの神だのみ”ならぬ、“困ったときの美女だのみ”で、経堂駅前の「すずらん通り」を歩くことにした。 少し歩いてみたが、商店街は営業前でシャッターが下り、行き過ぎる美人も少ない!、、、、ヤメタ! 脇道に入ることにした。
 
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③赤堤住宅・・・・・・・・・・・すずらん通りからそれて、北に向かうと、世田谷区宮坂3丁目に東京都住宅供給公社の「赤堤住宅」があった。 「赤堤」と言えば、“高級住宅街地”として知れた処だが、その町中に、棟数:9棟、総戸数:141戸、ナント!昭和33年(1958)の建築、鉄筋コンクリート造/2~4階建ての団地である。、、、、、築60年に近い、この住宅は周囲のマンションとは、チョイと異質の温かみを感じる。、、、、、ちなみに、2K(29㎡)の間取りで家賃は61,500円程である。 独身者には安い物件かも?
 
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④赤堤の住宅・・・・・・・・世田谷区赤堤3丁目の高級住宅地にたつ高級住宅街。
 
・・・・・・・・・・・・・・緑の多い、静かな町。
 
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・・・・・・・・・・・・・・今年竣工した3階建て33戸のこの高級マンションは、中古でも億の物件だとか!
 
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・・・・・・・・・・・・・・こちらは、昨年竣工した、3階建て、13戸が入居するマンション。 外部には木製ルーバーが設けられ、シャレた感覚のデザイン。 ゆったりとした空間を創り出している設計である。
 
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⑤西福寺・・・・・・・・・・・赤堤3丁目にある、真言宗豊山派寺院の西福寺は、服部頼母増祐が開基となり、継尊法印を開山として、天正12年(1584)創建した。、、、、、、、緑の多い境内は、山里の寺にでも来たような錯覚を起こすかも?
 
・・・・・・・・・・・・・・門前の「西福寺通り」沿いに葵の紋が見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・門を入ると、奥深く参道が伸びる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・仁王門は正徳元年(1711)に建立されたが、老朽化のため、昭和43年(1968)に古い梁材を1本残し他はすべて新材で再建された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・本堂は、文化元年(1804)に建てられたもので、桁行8間、梁間6.5間、寄棟造、銅板葺(明治以前は茅葺であった)。
 
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日本大学文理学部 ・・・・・・・・・・・赤堤5丁目の裏道を歩いていると、日大文理学部の裏に出た。 ここまで来たら、チョイと寄っていくか! 一年ぶりの御対面だ!
 
・・・・・・・・・・・・・・文理学部一号館は、昭和12年(1937)に建てられた、文理学部では最も歴史のある建物。
 
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・・・・・・・・・・・・・キャンパス内の他の建物は、新しい建物ばかり、、、、、写真は、二号館、図書館
 
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⑦下高井戸駅前市場・・・・・・・・・・・・下高井戸駅前踏切の前に、昭和31年(1956)に建てられた昭和の雰囲気を残すアーケード市場。 地域密着型の商店街で、野菜や肉、魚などの生鮮品の店が並んでいる。 市場内部は通り抜けできるようになっており、駅からの帰りに寄っていくお客も多いと思われる。、、、、、“市場(いちば)”と呼んでいた頃の、懐かしさを感じることのできる商店街だ!
 
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⑧下高井戸駅(京王線)・・・・・・・・・・大正2年(1913)4月15日、京王電気軌道の下高井戸駅として開業した。 相対式ホーム2面2線の地上駅だが、改札は橋上である。、、、、、なお乗り換えの、東急世田谷線 下高井戸駅は、大正14年(1925)5月1日に開業した。
 
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2015年9月21日 (月)

東急大井町線(二子玉川~溝の口)

大井町線踏破の最後、二子玉川駅から溝の口駅まで、1万歩、8Kmの散歩です。

①二子玉川駅・・・・・・・・・・明治40年(1907)、玉川電気鉄道の玉川駅として開業したが、現在は二子玉川駅になり、田園都市線と大井町線が乗り入れる、若い人に人気の駅。 二子玉川~溝の口間は、複々線化されて田園都市線と大井町線の両線が走っている。、、、、、昭和41年(1966)に田園都市線が高架駅となり、以後、改良工事も行われ、現在は島式ホーム2面4線の高架駅となり、両側の1・4番線を田園都市線、中央の2・3番線を大井町線が使用している。 

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・・・・・・・・・・・・・長編成の電車が発着するため、駅敷地のスペースもなく、ホームの半分は多摩川の河川敷にはみ出している。

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・・・・・・・・・・・・・ホームの溝の口寄りに立つと、多摩川をこえた先に、お客の姿までは見えないが、隣の二子新地駅のホームが見える。 

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②二子橋
・・・・・・・・・・・二子橋は片側1車線、人道は下流側のみの道路橋であるが、昭和41年(1966)までは、橋の中央に単線の線路がひかれた鉄道道路併用橋であった。 東京都側は多摩川通りに接続し、神奈川県側は大山街道に接続している。、、、、、、大正14年(1925)に竣工した、橋長440m、幅員11mの橋。 戦後の高度成長期まで、11m幅の中央に電車が走り、左右に1車線の車が走り、その隙間を人が歩き、、、、、渡るのが怖かったかも?

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・・・・・・・・・・・・・現在は下流側に東急の二子橋梁が架かっている。 ホームが川の上にあるのが判る。

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・・・・・・・・・・・・・・上流側には、昭和49年(1974)に竣工した新二子橋がみえる。

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・・・・・・・・・・・・・橋を渡り、大山街道の入口に、二子橋の親柱が残されてた。

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③二子新地駅
・・・・・・・・・・昭和2年(1927)、玉川電気鉄道溝ノ口線の「二子」停留所として開業。 昭和10年(1935)に「二子新地前」に改称し、 昭和41年(1966)には、相対式ホーム2面4線を有する高架駅となった。 その後、駅名も「二子新地」と改称し“前”がなくなった。、、、、と言うことは、三業地として“男の歓楽街”が消えてしまったのである。 残念、無念、坊主の邪念!、、、、、でも、“新地”とは、何となく艶っぽい言葉の響き、いい駅名だね!

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・・・・・・・・・・・・・蛇足だが、、、、当時の駅名「ふたこしんちまえ」を車内放送すると、お客には 「つぎは、ふたこしんちまえ~」というアナウンスが、「次は、双子、死んじめぇ~」と聞こえたそうで、不評だったそうだ。、、、、ナルホド、ナットク、ホットドック! ホントか? 


④二子神社
・・・・・・・・・・駅の北に天照皇大神が鎮座する二子神社がある。 神社は寛永18年(1641)創建といわれている。 江戸時代の社殿は拝殿二間に三間、本社三間四方、南向きに建っていたと風土記に書かれているらしい。、、、、、現社殿は、昭和18年(1943)に建てられた。

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・・・・・・・・・・・・・・境内には、バクハツする彫刻家:岡本太郎(1911~1996)の、母で作家:岡本かの子(1889~1939)の碑がある。 制作はもちろん岡本太郎。

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⑤光明寺
・・・・・・・・・・・真宗大谷派の光明寺は、創建年代不詳だが、寛永18年(1641)に百姓と共に、二子村の現在地に移ってきたといわれている。、、、、、、現本堂は、浄土真宗地方本堂の様式をとどめ、街中の寺院であるが落着いた佇まいをみせている。

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⑥高津駅
・・・・・・・・・・手前の二子新地駅と同様に、昭和2年(1927)の開業。、、、、、相対式ホーム2面4線を有する高架駅。

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⑦大山街道
・・・・・・・・おもに江戸時代、関東各地から相模国大山にある大山阿夫利神社への参詣者が通った古道の総称で、「大山街道」と呼ぶ。 その一つが、「青山通り大山道」で、矢倉沢往還とも呼ばれる。 赤坂(東京都)をスタートし、渋谷、三軒茶屋、二子の渡し(多摩川)、溝口(川崎市)、長津田、海老名、厚木、伊勢原市、を経て大山へ至る道。、、、、、、二子新地から溝の口間の、大山街道を歩いてみた。 二子神社光明寺なども街道沿いの寺社である。

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・・・・・・・・・・・・・・・江戸時代からの薬屋。昭和35年(1960)まで店として使われた蔵。

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・・・・・・・・・・・・・・・大山道の道標

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・・・・・・・・・・・・・・街道が横切る二ヶ領用水

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・・・・・・・・・・・・・・

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⑧溝口神社
・・・・・・・・・・溝の口駅の北側に位置する神社は、創建年代不詳ながら赤城神社と称して溝の口村の鎮守社だった。 明治維新後、伊勢皇大神宮よりから分霊を勧請して祭神を天照皇大神に改めて、溝口神社と改称、村社となった。、、、、、群馬の“赤城山”では、チョイとマイナーで、お札・お守り・おみくじの売れ行きも良くないので、次回サミットが開かれる“伊勢”から人気ある皇大神宮を呼び寄せ、売り上げ拡大を狙ったわけだな! (勝手に、勘ぐってみたりして、ゴメン!)

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⑨溝の口駅
・・・・・・・・・・・・ここも、昭和2年(1927)、玉川電気鉄道溝ノ口線の溝ノ口駅として開業した。 島式ホーム2面4線を有する高架駅で、大井町線の終着駅である。 

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・・・・・・・・・・・・・・大井町線の終着:溝の口駅には車止めは無く、線路は田園都市線に入って行く。

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●・・・・・・・・・・・・これにて、大井町線の全18駅踏破を達成! 

2015年9月11日 (金)

東急大井町線(九品仏~二子玉川)

雨もあがり、久しぶりに朝から青空、東急大井町線の九品仏駅から二子玉川駅まで、1万2千歩、9㎞の散歩です。


①九品仏駅
・・・・・・・・・・・・今日は駅の北側にある浄真寺 に寄らず、南側の住宅街を歩いた。

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②線路沿いを歩く
・・・・・・・・・・線路の南側(尾山台3丁目)を歩く。、、、、自由が丘~二子玉川間が開通した昭和4年(1929)当時の尾山台3丁目は、田圃が広がり、民家もほとんど無かったようだ。、、、、、現在の線路の北側(等々力5)は、人も羨む高級住宅街である。(私も羨み、今日は歩かず。)

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③尾山台駅
・・・・・・・・・・大井町線の開通から1年遅れの昭和5年(1930)に、島式ホーム1面2線の地上駅として営業を開始した。 昭和39年(1964)に、現在の相対式ホーム2面2線に改築。 改札は方面別にそれぞれ一か所ずつある。、、、、、、東京都市大学(旧武蔵工業大学)世田谷キャンパスの最寄駅だが、学生の姿が少ないようだ。 まだ、夏休みボケで寝ているのか?

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・・・・・・・・・・・・・・・駅前から等々力駅の方を望む。、、、、、、、、等々力駅まで、線路は真っ直ぐ伸びている。 ちなみに駅間の距離は500mと短い。

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・・・・・・・・・・・・・等々力2丁目の住宅街、、、、、、静かな町のようだね。

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④等々力駅
・・・・・・・・・・・・昭和4年(1929)に開業した1面2線の地上駅。 上り線と下り線に挟まれて駅舎があり、改札を出ると必ず上下どちらかの踏切を渡らないと、道路に出られない。、、、、、、駅構内が狭く、九品仏駅と似ている。、、、、、、輸送力を増やし、混雑を緩和するため、等々力駅を地下駅にして急行通過線を増設する計画があるが、駅の地下化工事により近くの等々力渓谷の湧水が妨げられ、渓谷の自然が破壊されるとの懸念から、工事に反対する住民の声が上がった。 計画の実現は難しいようだ!

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⑤等々力渓谷
・・・・・・・・・・・・渓谷を流れる谷沢川(やざわがわ)は、世田谷区桜丘を水源とし、多摩川まで流れ下る、ナント!総延長3.7㎞の一級河川である。 谷沢川は等々力駅の西側から等々力渓谷公園として整備され多摩川へ向かう。、、、、、、今日は“さわり”の部分をチョイと歩いてみた。、、、、、、雨上がりのしっとりとした遊歩道を歩くと、心地よい風が肌を撫でてくれる。 二人で歩けば、しっとり濡れるかも?

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⑥雨上がり
・・・・・・・・・好みの傘はどれ?

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⑦上野毛1丁目の大井町線
・・・・・・・・・・
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⑧上野毛駅
・・・・・・・・・・・・昭和4年(1929)、目黒蒲田電鉄の二子玉川線の駅として開業。、、、、、、旧木造の駅舎は取り壊され、現在は平成23年(2011)に安藤忠雄の設計、鹿島建設+東急建設の施工で竣工した新駅舎となっている。 この駅舎は掘割を走る線路上に陸橋が架かり、橋上はバスも走る公道である。 この公道の両側に向かい合って「正面口」と「北口」という改札口がある。 それぞれの駅舎は公道をまたぐ大屋根でつながっている。 大屋根は大きな穴が開いており、青空も見える特徴的なものである。

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⑨五島美術館
・・・・・・・・・・・上野毛駅から歩いて数分、五島家の住宅の隣りに、五島美術館がある。 昭和35年(1960)に開館した、日本・東洋の古美術を中心に、『源氏物語絵巻』、『紫式部日記絵巻』などの国宝5件、重要文化財50件を含む約5000件の収蔵品を誇る美術館。 もちろん、東急を創設した実業家:五島慶太のコレクションである。、、、、、美術館の敷地は五島邸の敷地の一部(約6000坪)が提供された。 武蔵野の面影残す雑木林が庭園を特徴づけている。 本館の建物は、芸術院会員:吉田五十八(1894~1974)による設計。しました。 寝殿造の意匠を随所に取り入れた建物は、昭和36年(1961)、第二回建築業協会賞を受賞した。

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・・・・・・・・・・・・・・美術館の隣りには五島家の住宅がある。

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・・・・・・・・・・・・・美術館(左側)脇の掘割を大井町線は走る。 正面は「楽天クリムゾンハウスアネックス」ビル。

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⑩二子玉川駅
・・・・・・・・・・・明治40年(1907)に玉川電気鉄道(東急玉川線)玉川駅として開業。 戦後は、遊園地の復活に合わせ、「二子玉川園駅」と改称する。 昭和60年(1985)には遊園地が閉園したが、駅名はそのまま使用していた。 平成12年(2000)に、二子玉川とした。、、、、、大きな駅で、年寄りには疲れる駅だ!

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2015年9月 5日 (土)

九品仏

東急大井町線完全踏破を目指し、今日は九品仏駅から二子玉川駅まで歩くつもりで家を出た。 九品仏駅で下車し、駅名の由来となった浄真寺にチョイと立ち寄る。 参道にて、浅草神社の神職と称する方と親しくなり、境内を案内していただいた。 駅名になるほどの大きな広い寺を、堂宇は中に入り、庭の木々を1本ずつ、墓地は個々の墓の前で、親切・丁寧な説明をしていただいた。 お別れするまでタップリ2時間の拝観となり、後姿に頭を下げて、『今日の散歩はこれでおしまい!』と囁き、再び九品仏駅に戻り帰宅。 8千歩尾、6㎞の散歩。


九品仏駅
・・・・・・・・・・・・九品仏(くほんぶつ)駅は、二子玉川寄りの車両一両だけドアが開かない、ホームの短い駅である。 現在は全て大型車両(20m)5両にて運転されているが、昭和50年代に、大規模な東急車両の配転が行われ、一時、大型車両5両と、中型車両(18m)6両が混在した運転が行われた。 この時は、中型車両の2両がドアの開かない運転だった。

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・・・・・・・・・・・・・中延駅ホームの乗降位置に標されていた、『九品仏ではこの車両のドアは開きません』。

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②九品仏浄真寺
・・・・・・・・・・・・・正式には「九品山唯在念仏院浄真寺(じょうしんじ)」と言う、浄土宗の寺で京都知恩院の末寺。 浄真寺は、秀吉の小田原征伐後に廃城となった世田谷吉良氏の奥沢城の跡地に、延宝6年(1678、=徳川四代将軍家綱の時代)に開山した。 今でも、城跡と思わせる参道・総門の配置、土塁の遺構なども見られる。

・・・・・・・・・・・・・・九品仏駅から参道が伸ている。 奥沢城の時代の参道は、ポストの左側の細い道だけだったらしい。

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・・・・・・・・・・・・・・閻魔堂、、、、、、総門をくぐり右手に閻魔堂がある。 正面の大王の横に「葬頭河婆(そうずかば)=奪衣婆(だつえば)」も控えている。 堂の前には、亡者の生前の罪の重さを計る衣領樹(えりょうじゅ)と書いた木がある。、、、、、奪衣婆とコンビを組む懸衣翁(けんえおう)は、本日は修理のため留守だった。

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・・・・・・・・・・・・・仁王門、、、、、、寛政年間に建立された仁王門の上層には二十五菩薩が、下層には阿吽の仁王像が安置されている。 寺の伝統行事「お面かぶり」は、この二十五菩薩の面をかぶり、本堂(現世)と三仏堂(彼岸)の間に架けられる橋を渡り行き来するそうだ。 4年に1回行われる行事で、お面をかぶることができるのは、昔は“講”の人だったが、現在は檀家の人がかぶるそうだ。 ちなみに、かぶることのできる人は3万円払うらしい(?)。

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・・・・・・・・・・・・・綺麗に手入れされている庭。 聞いた話では、、、、現住職の奥様が、庭の石・樹木も整備されたらしい。 真偽の程は?

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・・・・・・・・・・・・・・本堂、、、、、、、元禄11年(1698)に、本堂(=龍護殿)の正面に向かいあう三仏堂と共に建てられた。 総欅造りの11間四面の堂。 昭和42年(1967)に修築し、かや茸屋根を銅茸にかえた。、、、、、、本堂には釈迦牟尼仏を中心に、善導大師、法然上人の像などが安置されている。 堂の奥の隅には、身体の悪いところを撫でると治る、ぴんずる尊者像がある。 私は像の身体じゅうを撫でてきた。

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・・・・・・・・・・・・・・三仏堂、、、、、、、本堂正面に向かい合う三つの堂(元禄11年~12年建立)には、それぞれ3体の丈六の阿弥陀如来9体があり、右から中品、上品、下品の位があるので九品仏といわれている。 本堂の現世に対して、三仏堂は浄土の彼岸をあらわしている。、、、、、関西の九品仏として、京都の木津川市(奈良若草山の北側)にある浄瑠璃寺を思い出した。

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・・・・・・・・・・・・・・三十三観音、、、、、、、案内してくれた方が「綺麗な観音様が祀られているから見て行きなさい」と教えてくれた観音堂。 “綺麗”、“観音様”と聞いては、見て行かずばなるまい! 小さな観音堂で、一人で扉を開け、一人でこもり、一人で合掌、仏の道に帰依したような気分で観音様を見つめてみた。、、、、、、『ウム~、なるほど綺麗だ!』、、、、、、堂を出て『チョイと色気が足りないね!』

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・・・・・・・・・・・・・墓地では、著名人の墓のいくつかを案内していただいた。 まずは、観世流家元の墓

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・・・・・・・・・・・・・俳優:実業家(洋食屋「紅花」のオーナー):ロッキー青木(1938~2008)の墓

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・・・・・・・・・・・・・五島慶太の墓、、、、、正面は五島家、その左側に五島慶太の墓

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・・・・・・・・・・・・・・クレージーキャッツの石橋エータロー(1927~1994)が眠る石橋家の墓

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・・・・・・・・・・・・・巨人軍名誉監督家の墓

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・・・・・・・・・・・・・山久運輸を創設した中村家の墓、、、、、真後ろに菊田一夫の墓がある。

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・・・・・・・・・・・・・「君の名は」、「放浪記」の菊田一夫(1908~1973)の墓

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●・・・・・・・・・・・・・・・・きっと、再び訪れたくなる、印象深い寺であった。

2015年8月12日 (水)

東急大井町線(大岡山~九品仏)

東急大井町線の大岡山駅から九品仏駅まで、1万歩、7㎞の散歩です。 (前回の大岡山駅まではコチラ


東京工業大学
・・・・・・・・・・大岡山駅前にキャンパスが広がる東京工業大学は、震災後の駒場での仮住まいから、大正13年(1924)年に現在の大岡山に移り、昭和4年(1929)に「東京工業大学」と称した。 一方、目黒蒲田電鉄線(現:目黒線)は大正12年(1923)に開業し、昭和2年(1927)には大井町線も開業した。、、、、、、大岡山のキャンパスは、移転当初から目蒲線の南北に敷地が確保され、北地区には全学科の教室・工場・実験室を配し、南地区には学校本部・共通学科の建物が配された。 現在のキャンパスの利用法と同じようだ。、、、、、今日は、大井町線を追っかけキャンパスの北地区を通り抜けてきた。

・・・・・・・・・・・・・大岡山駅前の正門を入ると、ケーキのような三角形の図書館がある。

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・・・・・・・・・・・・・・図書館の西側の坂を上り、キャンパス内の南北地区を結ぶ跨線橋から眺めると、、、、、、跨線橋の下で目黒線と大井町線が大岡山地下ホームに出入りし、その先は横浜方面に直進する目黒線と、その上を右に曲がり二子玉川方面に向かう大井町線の分岐ポイントが見える。

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・・・・・・・・・・・・・・キャンパス北地区では、緑豊かな木立の中に実験棟が点在する。

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・・・・・・・・・・・・・・キャンパスの出入口は、緑ヶ丘駅の高架下に直結する。

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②緑が丘駅
・・・・・・・・・・昭和4年(1929)の大岡山~自由ケ丘間の開業に合わせ、「中丸山駅」として開業した。 昭和8年(1933)には、緑ヶ丘駅(現:緑が丘駅)に改称。、、、、、、現在の駅舎は相対式ホーム2面2線のホーム下に改築された近代的な駅だが、以前は交差点角に向かい四半分の円形型に出て、勾配の緩い薄い屋根を細い円柱4本が支える昭和モダンな駅であった。、、、、、、山手の静かな駅で、“絵”になったね!

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③海軍村
・・・・・・・・・・緑が丘駅から大井町線沿いに世田谷区奥沢2丁目を歩くと、海軍村の案内が目に入った。 地元の町並み保存の団体が活動しているようだ。 『海軍村』とは、、、、、、大正12年(1923)、関東大震災後、田園調布の開発に触発され、奥沢村でも耕地整備の対象となった。 震災後の郊外への転居ラッシュなどもあり、地元、世田谷区では人口増加もあり、さらに、当時の海軍将校にとっては、横須賀の基地・目黒の海軍研究所・霞が関の海軍省などに便利なこともあり、ココ奥沢に海軍軍人らが殺到した。 多いときには30世帯程が住み、「海軍村」が誕生した。 また、大井町線の線路を挟んで反対側には、洋行帰りの人が集まり「ドイツ村」も誕生したそうだ。

・・・・・・・・・・・・・・案内板の貼り紙を見て、現存する住宅3軒を探してみた。

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・・・・・・・・・・・・・・・MU邸、、、、、当時植えられたシュロの木が洋風住宅のワン・ポイントとなっている。

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・・・・・・・・・・・・・K邸、、、、、、読書空間と称し、まちづくりに場となっているが、今日は門が閉められ入れなかった。 門の隙間から、玄関部分をチョイと撮影。

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・・・・・・・・・・・・・MS邸、、、、、、、白いポーチに葡萄棚が印象的だ。
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・・・・・・・・・・・・・・MS邸の近くには海軍村跡の碑がある

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・・・・・・・・・・・・・海軍村の近くに建つ住宅

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・・・・・・・・・・・・・ここまで来たら、、、、、と思い「ドイツ村」を探してみたが、発見できず。 それらしき場所に、かすかに、チョイと“ドイツ風かな?”と思われる分譲住宅が建っていた。 

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④自由が丘駅
・・・・・・・・・・・1階地上ホームに大井町線が、2階高架ホームに東横線が入る乗換駅。  昭和2年(1927)、東横線の九品仏前駅として開業。 昭和4年(1929)、自由ヶ丘駅(現:自由が丘駅)に改称。また、同年には現在の大井町線が開通した。、、、、、、なんと言っても、山手のセレブを相手にする高級志向の店舗が並ぶ街。 私には、浅草・上野の空気が肌に合うね! 早々と駅から離れた!

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・・・・・・・・・・・・・・・遊歩道の両側には、シャレた、お高そうな、お店が並んでいる。

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⑤九品仏駅
・・・・・・・・・・・昭和4年(1929)に開業。 駅名は駅北側にある、九品仏浄真寺にちなみ命名された。、、、、、この駅の名物は、なんと言っても構内が狭く、ホームの両端は踏切で、ホームの長さは4両分しか確保されていないため、5両編成の大井町線は5号車(溝の口より)はドアが開かない駅となっている。 

・・・・・・・・・・・・・・駅舎は踏切の上下線の間にある。 改札はここのみ1か所。

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・・・・・・・・・・・・・・お手洗いは島式ホームの中央に鎮座している。 これも狭いため、致し方ないか、、、、、チョイと気の弱い人は、利用しにくいトイレだね。

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・・・・・・・・・・・・・・・溝の口側のホーム端部。

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2015年6月10日 (水)

上北沢~下高井戸

京王線上北沢駅から下高井戸駅まで、1万歩、7㎞の散歩です。


①上北沢駅
・・・・・・・・・・・京王線は名が示すように、東京と八王子を結ぶ路線として、まずは、大正2年(1913)に笹塚~調布間が開通した。 この時、上北沢駅も同時に開業した。 京王線の駅の中では最古参である。、、、、、、平成元年頃には20,000人/日いた乗降客が、現在は14,000人/日程しかおらず、乗降客が減少している駅。 もちろん、普通電車しか停車しない駅。

・・・・・・・・・・・・・島式ホーム1面2線を有する地上駅である。 

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・・・・・・・・・・・・・・改札口はホーム下の地下にあり、出入口は線路わきの道路をはさんだ向かい側にある。(写真の中央が出入口)

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・・・・・・・・・・・・・・近くの踏切も、遮断機が頻繁に降りる“開かずの踏切”

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・・・・・・・・・・・・・・・通勤時間帯なのに人影の少ない駅前。

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②日本キリスト教団松沢教会
・・・・・・・・・世田谷区上北沢3丁目に、プロテスタント系「日本基督教団」の松沢教会がある。 この教会は、明治時代に設立され、現在の建物は戦後の建築であるが、周辺の緑豊かで静かな住宅街と調和し、「地域風景資産」に指定されている。

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③上北沢3丁目の町
・・・・・・・・・・・超高級住宅街と言うと、首をかしげるが、そこそこの高級住宅街で、緑豊かで静か、自販機・コンビニがなく、歩いてる人も気品があり、私の住む、典型的な下町「浅草橋」とは、共通点が少ないようだ!、、、、、すれ違う女性はみんなセレブに見えた? 老化したね!

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④N邸
・・・・・・・・・・・そんな、上北沢の南側(現:上北沢3)に建つ大正末期の木造住宅。 知らずに通らば、素通りしてしまう、古さを感じさせないモダンな住宅。 この地は関東大震災後の大正13年(1924)に、当時の松沢村の村長等が所有していた土地を分譲した宅地に建てられた。

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⑤上北沢一丁目第2アパート・
・・・・・・・・・・・上北沢の住宅地に建つ、総戸数200戸の都営住宅。 平成17年(2005)~平成18年(2006)の建築で、まだ綺麗だが、せっかく美しい住宅地に建てたのだから、周囲と合わせて汚れの目立たないタイル張りのモダンな外装にするなど、チョイとデザインに配慮して欲しかったね!、、、、、いかにも、相変わらずの“都営住宅”というデザインだ!

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⑥勝利八幡神社
・・・・・・・・・・・世田谷区桜上水3丁目にある勝利八幡神社(しょうりはちまんじんじゃ)は、万寿3年(1026)京都の石清水八幡宮を勧請、創建したと言われている。 現社殿は昭和43年(1968)に鉄筋コンクリート造にて建てられた。

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⑦密蔵院
・・・・・・・・・・・・勝利稲荷神社の南西(桜上水2)に、神社の別当を務めていた、真言宗豊山派寺院の密蔵院がある。 慶長3年(1598)の創建。、、、、、閉じられたいかめしい山門、延享元年(1744、=徳川吉宗の時代)建立の本堂、百体の観世音菩薩を祀る観音堂、どれも歴史あり重厚で、いいね!

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⑧日本大学文理学部
・・・・・・・・・・・・文理学部は、ズバリ、文系と理系の複合した学部で、人文科学、社会科学、自然科学の各分野にわたる18学科をようしている。 日本大学は明治22年(1889)に日本法律学校として創立し、昭和12年(1937)に現在の敷地に大学予科文科世田谷校舎(現在の文理学部)が設けられた。、、、、当時としては、東京の郊外と言う感じかな。

・・・・・・・・・・・・・1号館・・・・・・・・・・・文理学部では最も歴史のある建物で、昭和12年(1937)の建築。 キャンパスのシンボル的な建物で、内部は講義室、AV教室 などがある。 

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・・・・・・・・・・・・・その他・・・・・・・・・・1号館以外は、戦後の建築のようだ! ぐるりとキャンパスを回ってきた。
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⑨日大通りを下高井戸駅まで
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2015年5月21日 (木)

豪徳寺

小田急線の豪徳寺駅で下車、ここまで来たら、久しぶりに駅名の「豪徳寺」に行ってみよう。 寺に寄ってから梅ヶ丘駅まで歩き、1万歩、7kmの散歩となった。



①豪徳寺駅
・・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)、小田急線の全線同時開業時に豪徳寺駅も開業した。 今年で米寿を迎える駅だ!、、、、、、私が小田急線を利用し川崎市生田の明大工学部に通っていた昭和40年代、小田急線は複線で、路線の大半は地上を走っていた。 しかし豪徳寺駅付近では、東急世田谷線(当時は玉川線)と交差するため盛土と高架で越えていた。 当時の豪徳寺駅ホームからは、東急世田谷線が見えた、駅舎は高架下北側にあり、道路からは数段の階段を上った高台に改札口があった。、、、、、、その後、平成6年(1994)から世田谷代田~喜多見間の複々線化工事が始まり、平成14年(2002)に梅ヶ丘~豪徳寺間の高架化完成により工事は完了した。(なお現在は来年度の完成をめざし、代々木上原~梅ヶ丘間の複々線化工事実施中。)

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東急世田谷線
・・・・・・・・・・小田急線豪徳寺駅の西隣に、世田谷線山下駅がある。 両駅は接続駅であるが、名称は異なっている。 豪徳寺の寺までは線路沿いを歩いていく。 カラフルな路面電車が通り過ぎていく、、、、、見てワクワク、乗ってワイワイ、話してニコニコ、楽しい世田谷線。

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③豪徳寺
・・・・・・・・・・・豪徳寺(ごうとくじ)は曹洞宗の寺院で、文明12年(1480年、=室町時代)に世田谷城主吉良政忠が、伯母の菩提のために臨済宗弘徳院として創建したと伝えられている。 寛永10年(1633、=江戸時代初期)世田谷領が彦根藩領となり、豪徳寺が井伊家の菩提寺となった。 でかくて、静かな、いい寺だが、『チョイと団子で、休憩!』できるような“門前の茶屋”がないので寂しいね!

・・・・・・・・・・・・・参道・・・・・・・・・・大きな松が重なりトンネルをつくり迎える、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・山門・・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・・・仏殿・・・・・・・・・・・延宝5年(1677)に完成した黄檗様式(中華風の木組み、屋根の先の形式、丸窓、中華式の瓦などを用いた建築様式)の建物。  内部には、阿弥陀如来、釈迦如来、弥勒如来の三世を象徴する仏像が祀られている。 

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・・・・・・・・・・・・・・本堂・・・・・・・・・江戸時代に建てられた本堂は関東大震災によって焼失し、現本堂は昭和42年(1967)に鉄筋コンクリート造で建てられた。  本尊は釈迦如来である。

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・・・・・・・・・・・・・・鐘楼・・・・・・・・・・・鐘は延宝7年(1679、=江戸時代初期)の鋳造。

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・・・・・・・・・・・・・・三重塔・・・・・・・・・・・・平成18年(2006)に完成した、木造の三重塔。、、、、、今時のご時世、木造で建てるとは、余裕だね! いいね!

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・・・・・・・・・・・・・・招福猫児(まねぎねこ)・・・・・・・・・・・・豪徳寺は招き猫発祥の地と言われている。、、、、井伊直孝が猫により門内に招き入れられ、雷雨を避け、和尚の法談を聞くことができたことを大いに喜び、後に井伊家御菩提所としたという。、、、、、、招福殿の周りは、招き猫で満員状態!

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・・・・・・・・・・・・・・彦根藩主井伊家墓所・・・・・・・・・井伊家は、遠江国の武将で、戦国時代には今川の配下にあった。 初代井伊直政は十五歳で家康に仕え、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦においては、自ら先鋒を務め東軍の勝利に貢献した。 合戦後、直政は近江十八万石を与えられ初代藩主となった。 以後、井伊家は幕末まで家格は堅持され、寛永10年(1633)頃には、世田谷が井伊家の所領となった。 これを機に、領内の弘徳院(後に豪徳寺となる)が普提寺となった。 豪徳寺には、江戸で亡くなった藩主や家族が葬られた。 豪徳寺の墓地の一画に囲われたエリアがあり、ここには、藩主・家族だけではなく、藩士とその家族なども葬られ、井伊家関係者の墓石300基以上が建てられている。 凄い、壮観である!

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・・・・・・・・・・・・・・「花の生涯」の大老:井伊直弼の墓もある。、、、、、尾上松緑、淡島千景の大河ドラマを思い出すね!

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④国士舘大学
・・・・・・・・・・『国士舘大学』と言われると、スグに、『柔道』を連想してしまう。 学校の所在地、学部などは、とんと思い出せず、、、、私には、どこにあるか知らなかった。 豪徳寺の東:世田谷区梅丘4丁目にありました。、、、、なんだ、こんなところにあったのか!

・・・・・・・・・・・・・・梅ヶ丘校舎・・・・・・・・・・・本館はこの建物の南側にあるらしい。

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・・・・・・・・・・・・・・梅ヶ丘駅から大学へ向かう学生。

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⑤梅ヶ丘駅
・・・・・・・・・・・・昭和9年(1934)に、東京山手急行電鉄(未成線)と接続する計画で設けられた駅。 現在は、高架駅で国士舘大学・高校の最寄駅として、学生が目立つ駅である。

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2015年4月29日 (水)

蘆花恒春園

昼から妻を伴い、世田谷区の蘆花恒春園へ行ってきた。 9千歩、7㎞。



①芦花公園駅
・・・・・・・・・・・大正2年(1913)、京王電気軌道の笹塚~調布間が開通し、同時に上高井戸駅が開業した。 上高井戸駅は昭和12年(1937)に芦花公園(ろかこうえん)駅と改称。 開業時の駅所在地は豊多摩郡高井戸村上高井戸で、駅名は「上高井戸」とした。 しかし、のちに徳富蘆花の住居である蘆花恒春園が近くにあることから「芦花公園」と改称した。

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②つつじの盛り合わせ
・・・・・・・・・芦花公園駅近くの医院の花壇。 小さなスペースに、各種のつつじが競って開花していた。 色もとりどり、まさに“つつじの盛り合わせ”、お見事!

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③蘆花恒春園
・・・・・・・・・・・・・・徳冨蘆花(明治元年(1868)~昭和2年(1927))は、御存じ「不如帰」を書いた小説家だが、キリスト教の影響を受けトルストイに傾倒したり、私にはチョイとなじみにくい作家。 兄は徳富蘇峰で、旧宅「山王草堂 」は大田区にある。・・・・・・・・蘆花恒春園は、世田谷区粕谷にあった蘆花の旧宅(恒春園)を中心に、周辺の土地を含めて整備した都立公園。 蘆花の旧宅は、蘆花の没後、昭和12年(1937)に夫人が土地・建物などの一切を東京市に寄付したことにより実現した。

・・・・・・・・・・・・・母屋・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・・・梅花書屋・・・・・・・・・・この建物は、蘆花が明治42年(1909)に松沢町北沢(現:世田谷区)の売家を手に入れ移築した。 梅花書屋の名称は、この家に掲げられてある薩摩の書家鮫島白鶴翁の筆になる横額によるものであり、この額は蘆花の父徳富一敬から譲られたものである。

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・・・・・・・・・・・・・秋水書院・・・・・・・・・・・・・明治維新前の建物で、明治44年(1911)、蘆花が烏山に在った古屋を買い取り移築した。 この建物の建前の日は、ちょうど、世間を騒がせていた大逆事件の犯人とされた幸徳秋水以下12名の死刑執行の日であった。 蘆花夫婦はこの建物を「秋水書院」と名付けた。

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・・・・・・・・・・・・・・廊下・・・・・・・・・・・現在ある梅花書屋、 秋水書院、 母屋は廊下でつながっている。 廊下は秋水書院完成後に造られた。
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・・・・・・・・・・・・・・竹林・・・・・・・・・・・・竹の子も出てきた! 
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・・・・・・・・・・・・・・・蘆花記念館・・・・・・・・・・昭和36年(1961)に建てられた記念館には、蘆花の作品、原稿、遺品などが展示されている。

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・・・・・・・・・・・・・・徳富蘆花夫妻の墓所・・・・・・・・・・母屋の東側の園内にある徳富蘆花夫妻の墓所。

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④粕谷八幡神社
・・・・・・・・・・・蘆花恒春園の北側の一画にある八幡神社。 創建年代は不詳。 別当寺であった東覚院の創建が室町時代とも鎌倉時代とも言われ、粕谷村が開村してよりの鎮守社。 昭和34年(1959)、神社は放火により全焼したが、氏子、崇敬者の努力により、同年の年末に鉄筋コンクリート造の現社殿が完成した。 境内の古木は、盧花の作品「みみずのたはごと」に出てくる「別れの杉」として名高い。

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⑤八幡山駅
・・・・・・・・・・芦花公園駅の5年後、大正7年(1918)に京王電気軌道の松沢駅として開業した。 昭和12年(1937)八幡山駅に改称。 両外側に通過線(本線)を持つ、島式ホーム1面4線の高架駅、改札は高架下にある。・・・・・・・・八幡山とは、蘆花恒春園の八幡神社のある周辺のようだ、神社近くの地名は世田谷区八幡山である。 八幡山駅の住所は杉並区上高井戸なり。

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