千葉県

2017年5月23日 (火)

京成幕張~幕張本郷

京成幕張駅から幕張本郷駅まで、1時間程ブラついてきた。

 
 
①京成幕張駅・・・・・・・・・大正10年(1921)7月17日に開業した。 現在は1面2線の島式ホームの地上駅で、ホームから千葉方を見ると大きく右にカーブしているので、乗降の際はホームと電車の間が広く注意が必要。、、、、、JR幕張駅の近くにあるが、駅どうしでは接続していない。 どうも乗り換える人は少なそうだ!
 
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②幕張車両センター・・・・・・・・・・JRの車両センターが幕張と幕張本郷間にある。 南側に京成千葉線の上下線が、その北側に総武緩行線の上下線、さらにその北側に総武快速線の上り線と並ぶ、そして車両センターの線路群が並び、最も北側に総武快速線の下り線がある。 つまり、車両センターは総武快速線の上下線に挟まれている。、、、、、車両センターを横断する跨線橋の上にから眺め、一人楽しんでいる親爺は時の過ぎるのを忘れていた。 これから暑くなる季節、熱中症に要注意!
 
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③宝幢寺・・・・・・・・・・・・・京成千葉線の脇に、真言宗豊山派の補陀落山宝幢寺(ほうどうじ)がある。 宝幢寺は、大同元年(806)に創建し、近隣に末寺を擁する本寺格の寺院だったと言われている。 明治5年馬加村(現:幕張町の一部となった旧地名)内にあった末寺5ヶ寺を合併した。、、、、、、現在は広い境内に、本堂、山門、寺務所の建物があるが、本堂前には緑がなく、広々とした駐車場になっている。 いずれ、コインパーキングでもやるのか?
 
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④子守神社・・・・・・・・・・“子守神社”とかいて、“こまもりじんじゃ”と読む、“こもりじんじゃ”とは言わない。、、、、神社は、線路から外れ、宝幢寺の西側の裏道にある。 祭神は、素盞嗚命・稲田姫命・大己貴命で、安産子育ての神さまとして崇敬され、下総国幕張の総鎮守であった。、、、、、千葉家中興の祖:千葉介平常胤の四男、大須賀四郎平胤信が、父よりこの幕張の地を譲り受け、源頼朝の命により富士の御狩場に赴く際に子守神社で祈願し、良い成果が得られた。 その御礼として社殿を造営し、胤信の次男、中須賀神太夫平正胤をその社司神家とし、武運長久、五穀豊穣、郷中家内安全並びに氏子家内安全諸祈願をさせたそうだ。
 
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⑤大須賀山・・・・・・・・・・・幕張町1丁目、旧千葉街道に面して、大須賀山と称するこんもりとした小高い丘がある。 ここには、馬加康胤(まくはりやすたね)の首塚がある。、、、、、、馬加康胤は、千葉康胤(ちばやすたね)とも名のり、室町時代に千葉氏宗家を滅ぼし19代の当主となった武将。 現在の幕張町に居を構え、“馬加”(まくわり)と称した。、、、、、“幕張”は後の代の当て字である。
 
・・・・・・・・・・・・子守神社から浜田川を越えて幕張町1丁目に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・旧千葉街道に面して、大須賀山と称するこんもりとした小高い丘がある。、、、、、階段を上ってみよう!
 
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・・・・・・・・・・・・階段を上がると、草茫々の墓地だ! その一番手前に、文政11年(1828)に関脇となった荒馬紋蔵(あらうまもんぞう)の墓がある。、、、、今の関取の名も知らない、私には荒馬なんぞ、知るよしもない。 知識不足でゴメン!
 
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・・・・・・・・・・・・・周囲には誰ぞの墓が並ぶ、、、、、墓石の新しいものもある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・墓を抜け、草が茂る丘をさらに登ると、、、、見えた! 馬加康胤(まくはりやすたね)の首塚だ!、、、、、馬加康胤は、千葉康胤(ちばやすたね)とも名のり、室町時代に千葉氏宗家を滅ぼし19代の当主となった武将。 現在の幕張町に居を構えていた。
 
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・・・・・・・・・・・塚の上に五輪塔がある。 チョイト、心霊スポットのようで、夜は怖い! 女性の夜の入山禁止はもちろんだが、昼でも美人一人での入山は禁止にしたいね。
 
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●・・・・・・・・・・・静かな住宅街を抜け、京葉道路を横切ると幕張本郷駅。 暑い!暑い!と叫びながら、チョイと休憩のつもりが、『暑いから、もう歩くの止めた! 今日はここまで!』
 
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2017年4月 5日 (水)

矢切~市川

本格的に春の陽気でポッカ・ポッカのポッカレモン。 今朝は、北総線矢切駅で下車し、総武本線市川駅まで散歩した。 1万1千歩。
 
 
 
矢切駅 ・・・・・・・・・駅前に立って顔を右・左、東西南北、歩きつくした駅だ。 さてさて、どっちへ歩くか思案橋。 決めた、『歩いたことがなさそうな裏道をとおり、市川駅方面に向かうことにしよう!』
 
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・・・・・・・・・・・・・・・駅裏の住宅地を歩くことに、、、、、、
 
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中原寺 ・・・・・・・・・・・『アレ・アレ、この寺は2、3度来たことがある。 こんな処に出てしまったか!』 今日は素通りして、失礼します!
 
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③じゅん菜池緑地・・・・・・・・・・中原寺の先で左折すると「じゅん菜池緑地」があった。 『ア~~ どっちへ歩いても知った処に出てしまう! モ~~、どうでもイイヤ!』、、、、、『春の陽気だ、緑地の中を歩こう!』、、、、、、、国府台と国分の台地間に細長く入り込んだ古くからの沼がある。 この沼は「国分沼」と言われていたが、沼にはじゅん菜がたくさん生えていたことから、いつしか「じゅん菜池」と呼ばれるようになった。 しかし、昭和初期に沼が干上がり、じゅん菜は絶滅した。 昭和54年(1979)に、現在のじゅん菜池緑地へと整備され、市川市の憩いの場となった。
 
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④下総国分尼寺跡・・・・・・・・・・・・国分の台地の住宅地を歩き、和洋国府台女子中の裏に出ると、国分尼寺の跡が公園となって残されている。、、、、、国分尼寺は、国分寺と同じように、聖武天皇が天平13年(741)に発した「国分寺建立の詔」によって、「法華滅罪之寺」として各国々に建立されたものである。 南北の直線上に講堂を北にして金堂が南にある伽藍配置であった。 昭和42年夏に行われた発掘調査では、金堂と講堂の基壇が発見されている。 公園は芝で覆われ、基壇の中央付近に「金堂跡」、「講堂跡」と刻んだ石が置かれているだけ。 芝の上に寝て目をつむり、遠く古のロマンでも想像するのもいいかも!、、、、、この地から東南400m程の処に下総国分寺跡 がある。 『男女は離しておかないと、修行の邪魔。 離れていても、夜な夜なデートした僧と尼もいたかもね?』
 
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⑤国分の台地・・・・・・・・・・下総国分尼寺跡から、裏道を南へ、国分の台地の端と思われる見晴らしの良い処に出た。、、、、市川駅前のタワーマンションが中央に、和洋女子大の校舎が右端に見える。
 
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⑥芳澤ガーデンギャラリー・・・・・・・・・1000坪の敷地と庭園で、四季折々の自然を楽しむことができるガーデンギャラリー。 平成14年(2002)に芳澤月恵氏から寄贈された敷地を活用しオープンした。、、、、、、ギャラリーは、鉄筋コンクリート造、平屋建ての明るい建物である。、、、、、、今日は、市民のデッサン展が行われていたので、チョコット拝見!
 
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⑦真間川の桜を見て、お帰り・・・・・・・・・・
 
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2017年3月28日 (火)

千葉都市モノレール

パソコン同好会の帰り、総武本線稲毛駅から千葉都市モノレールの作草部駅まで歩き、モノレールで千葉駅へ出て帰宅。・・・・・・・・・この散歩ルートは昨年も歩いた。 今日は、千葉都市モノレールの穴川駅と作草部駅をチョピット紹介!
 
 
 
●千葉都市モノレール・・・・・・・・・・昭和63年(1988)3月28日に最初の区間として、スポーツセンター~千城台間が開業し、平成3年(1991)6月12日に千葉~スポーツセンター間が開業した懸垂式モノレール。、、、、、今日はチョウド、29年目の誕生日だ、おめでとう!
 
穴川駅、、、、、大股を広げ道路に覆いかぶさる駅は、都市の美観を損ね、いつ見ても好きになれない!、、、、、道路の頭上にある改札口は、広々とし、誰もいない! 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・穴川駅に向かう1000形車両。、、、、、開業時から活躍してきた車両である。、、、、、車体には交通安全標語、企業名のラッピングが施されている。 標語・企業名にはケチをつけないが、コテコテにラッピングした車体が道路の頭上を走る“千葉のセンス”には首をかしげる!
 
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・・・・・・・・・・・・・・穴川駅から出てくる新型車両0形「URBAN FLYER 0-type」。、、、、、こちらは車体に標語もなく、すっきりしたデザインの車両である。 ウン、これなら納得!
 
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・・・・・・・・・・・・・・穴川駅からスポーツセンター駅方向を望む。、、、、、見るたびに、都市の美観を考えてしまう光景。
 
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・・・・・・・・・・・・・・穴川駅の横(道路際)にあった立札と石碑。、、、、、駅の前でも痴漢が出没する処(?) 隣には、広い森の中に直径120m程の貝塚がある、「園生貝塚」の入口を示す碑がある。、、、、、森の中は危ないよ!
 
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作草部駅・・・・・・・・・・・・作草部駅(さくさべえき)も、道路上に大股を広げる駅。
 
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・・・・・・・・・・・・・・『オウ! さっき穴川駅で見た1000形だ!』
 
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●千葉駅・・・・・・・・・・・・・モノレールの千葉駅で下車。
 
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・・・・・・・・・・・・・・『アンレ・マー なんと、モノレールの駅からJR千葉駅の3階改札に直結している! オッたまげたことだ!』
 
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・・・・・・・・・・・・・・垢抜けた千葉駅、これで対埼玉戦に勝つかも(?) とりあえず駅正面を見てみよう!、、、、、今までの1階改札口は無くなり、エスカレーターで3階へ直行だ!
 
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●・・・・・・・・・・・地方の駅がリニューアルし、超明るく、便利で、楽しそうな駅に変わる、今日この頃、我が「浅草橋駅」だけは80年以上大きな変化なし、、、、いまだエスカレーターのない駅、駅売店もない駅、もちろんショッピングセンターなどありゃしない。 地元住人としては、泣くに泣けない悲しい駅だ!
 
 
●・・・・・・・・・・・付録:千葉の春
 
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2017年3月 7日 (火)

本八幡

総武本線本八幡駅から、市川駅方向(西側)に歩くつもりが、気づいたときには北に向かい天神様の境内である。 ならば、東に向かい下総中山駅(東側)まで歩くことにした。 「東菅野」の町の裏道は直線ではなくグニャグニャ曲がり、こちらでも気づけば八幡様の境内。 ということは、本八幡駅の周辺から離れることなく、駅の北をさまよい歩いていただけだ。、、、、、本八幡駅から本八幡駅まで、1万歩の散歩。
 
 
 
本八幡駅・・・・・・・・・・・駅の北にある葛飾八幡宮に由来する駅名であることは察しがつく。 葛飾八幡宮、本八幡駅のある一帯の地名は「八幡」で、「本八幡」(もとやわた)の地名はない。 “本”はどこから持ってきたのか?、、、、答えは、、、、昭和10年(1935)に総武本線の駅として、市川~下総中山間に本八幡駅が開業した。 この時、近くを走る京成本線には既に「八幡」駅があり、重複を避けるために“本”を冠し「本八幡」駅となった。 なお、京成の「八幡」駅は大正4年(1915)に葛飾八幡宮の前に開業したが、昭和17年に廃止され、現「京成八幡」駅に統合された。、、、、、今の世であれば、“新”とか、“南”とかを冠し、“新八幡”、“南八幡”となっていたであろう。 
 
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②カトリック市川教会・・・・・・・・・・・・・本八幡駅から千葉街道に出て、裏道を歩くとチョイト歴史のありそうな協会が目に入った。、、、、終戦直後の昭和20年(1945)9月、小教区として独立し、設立された。 現聖堂は昭和24年(1949)(?)に献堂されたようだ。、、、、さほど大きな教会ではないが、終戦直後の物資・食料が不足する中、多くの信者が力を併せ聖堂を建てたようだ。、、、、最近、外壁などを改修したようだが、全体的には質素な造りで、目を見張るものはない。 カトリック本所教会 とは、建設時期、規模、内外装ともに似ている。
 
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③白幡天神社・・・・・・・・・・・市川市菅野の地に鎮座する天神様。 境内は2,000坪あり、今の時期は梅が咲き競っている。 桜、椿、ツツジ、萩など、四季の花が咲くそうだ。 広い境内は竹箒の跡も美しく丁寧に掃き清められ、足跡をつけて歩くのが申し訳ない気持ちであった。、、、、私の好きな馬酔木も咲いていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・今よりおよそ800年前の治承4年(1180)に、源頼朝が下総に入った際、当地に源氏の御印である白旗を掲げたことが社名の由来である。 その後、天正12年(1584)に、本殿が再建されたが、現在の本殿は明治13年(1880)の造営で、拝殿・幣殿は、昭和36年(1961)に造営された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内に永井荷風と幸田露伴の文学碑がある。 両氏はともに晩年に白幡天神社近くに移り住み、作品の中でも白幡天神社が登場してくる。、、、幸田露伴文学之碑には娘の幸田文の著作「菅野の記」に白幡天神社の描写があることが示されている。 また、幸田露伴の葬儀は白幡天神社で執り行われたそうだ。
 
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④不動院・・・・・・・・・・・白幡天神社の東、250m程離れたところ(市川市東菅野1)に真言宗豊山派の山王山不動院がある。 『この寺以前きたことがある』ので、本堂に手を合わせ境内を横切る。、、、、、本堂は平成19年(2007)の完成。
 
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⑤東菅野・八幡の裏道・・・・・・・・・・不動院を過ぎ、裏道は曲がりくねり、方向感覚に強い私も、『アレ? さっき通った道だ!』、『アレ? いつか来た道だ!』、、、、黒松の似合う住宅の間をウロウロ。 そして、『アレ! 葛飾八幡宮 の裏だ!』、、、、、『ヤレヤレ! 本八幡駅に戻るか!』、お帰りです。
 
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2017年2月14日 (火)

船橋競馬場駅~船橋駅

稲毛に行った帰り京成本線の船橋競馬場駅で下車し、JR総武本線船橋駅まで歩いてきた。
 
 
 
①船橋競馬場駅・・・・・・・・・・昭和2年(1927)に花輪駅の名で開業した。 昭和25年(1950)、船橋競馬場前駅に改称。 昭和30年(1955)には船橋ヘルスセンターが開業し、昭和38年(1963)にセンター競馬場前に改称。 昭和52年(1977)にヘルスセンターは閉鎖し、昭和62年(1987)4月1日に船橋競馬場駅にまたまた改称。、、、現在は、島式ホーム2面4線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 駅前には千葉街道が通り、その南側に競馬場と「ららぽーと」がある。 競馬開催日には賑わいの増す駅。 ちなみに、今日は静かな駅であった。、、、、私が子供の頃、何回か、ヘルスセンターや、隣の谷津遊園に海水浴に来たことを覚えてる。 当時は、埋め立ても進んでおらず、ヘルスセンター、遊園地から海に入ることができた時代である。
 
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・・・・・・・・・・・・・京成本線の北側(山側)を歩いてみる。、、、、チョイと寂れた道だが、かつて商店であったと思われる建物が並んでいる。 旧街道のようだ?
 
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②東光寺・・・・・・・・・・・船橋市宮本5、大神宮の近くにある真言宗豊山派の東光寺。 創建年代は不詳ながら、江戸時代末期には存在していた寺である。
 
・・・・・・・・・・・・・街道に面した山門を入ると、正面に本堂が見える。、、、、本堂は鉄筋コンクリート造の建物だが、山号、寺号も掲げられておらず、正面の鉄の扉は閉ざされ、賽銭箱すらない。 ここ、本当に本堂?? 首をかしげたくなる。
 
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・・・・・・・・・・・・・誰もいない静かな境内には、庚申塔、石仏が点在し、石仏マニアには嬉しい寺だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東光寺の西側に船橋大神宮 がある。 今日は、鳥居の前を素通りしてきた。
 
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③今井写真館・・・・・・・・・・・・・京成本線大神宮下駅の前に建つ大正時代の西洋館を思わせるクラシックな建物。 老舗の写真館で、昭和62年(1987)に、現在のスタイルに改築したそうだ! 細部まで洋館風造りこんだ建物、『いい仕事してますね! 一生ものです、大事に使ってください。』
 
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④船橋橋・・・・・・・・・船橋市中央部を流れ下る海老川の最下流に架かる橋が船橋橋(ふなばしはし)である。、、、、私のようなよそ者は、船橋橋と“橋”が続くと間違えかと思った。 この橋が“船橋”で、地名の由来となったと思ったのだ! 間違えに気付いた、地名“船橋”の地にあるから“船橋”橋なのである。、、、、では地名「船橋」の由来は?、、、、日本武尊の東征の際、地元民が小舟を並べて橋をつくり、渡したということから、船橋の地名となったそうだ。、、、、、船橋橋は昭和61年(1986)3月の完成である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・船橋橋から見る海老川の上・下流
 
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⑤市内の三寺・・・・・・・・・・・・・海老川を越え、本町3丁目に入ると寺院が並ぶ寺町である。 今日は、円蔵院覚王寺不動院 と回り、船橋駅に出た。
 
・・・・・・・・・・・・・円蔵院、、、、、、真言宗豊山派の寺院。 「えんが地蔵尊」が祀られている。
 
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・・・・・・・・・・・・・覚王寺、、、、、、こちらも真言宗豊山派の寺院。
 
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・・・・・・・・・・・・・・不動院、、、、、、、これまた真言宗豊山派の海應山不動院がある。、、、、山門前には大仏さまがお出迎え。
 
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2017年1月10日 (火)

千葉縣護國神社

稲毛に行った帰り、稲毛駅から千葉大キャンパス、千葉縣護国神社を抜けて、千葉駅まで散歩してきた。
 
 
 
①稲毛駅・・・・・・・・・・・2015年JR東日本管内の一日平均乗車人員の統計資料によると、稲毛駅は50,535人で管内93位である。 そして、私の住む浅草橋駅は53,954人で89位。 『稲毛に勝った!』と、喜びたいが、チョイと気持ちは複雑である。 稲毛駅には、キオスクがある、コンビニがある、飲食店がある、駅ビルがある。 浅草橋には、キオスクはないが自販機がある、コンビニもないが駅の外にある、飲食店については駅構内に立ち食いソバすらない、駅ビルはもちろんない、完敗である。、、、、もうすこし言わせてもらうと、我が浅草橋駅には書店がない。 読書の嫌いな人が多いのか? 本を買いたければ、秋葉原、日本橋、浅草へ行かないと買えないのだ。(愚痴になってきた!)
 
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②千葉大西千葉キャンパス・・・・・・・・・・・戦後、 千葉医科大学・千葉師範学校・千葉農業専門学校など7校を包括して、新制の国立大学として発足した。 現在は10学部、10,000人以上の学生を擁する総合大学である。、、、、ここ西千葉キャンパスは、戦前は陸軍の敷地で、戦中・戦後は東京大学の敷地であった。 現在でも、隣接する敷地に東京大学生産技術研究所がある。、、、、、、現在の西千葉キャンパスには、文学部、教育学部、法政経学部、理学部、工学部の5学部がある。 広いキャンパス内には70棟以上の建物があるが、戦後の建物ばかりだ。
 
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③西千葉稲荷大明神・・・・・・・・・・・西千葉駅の駅前ロータリーに赤い旗がなびき、お稲荷さんがコンコンと手招きしている。 ここらはその昔(江戸時代)、佐倉藩の刑場跡だったそうだ。 大明神の由緒書きによると、『江戸時代に与助と言う20代の若者が、ウナギを卸しているとある年長の女将さんと恋仲になり、それが発覚して西千葉の刑場で処刑をされることが決まった。刑場への道中、歯の強い男が与助の縄を歯で噛み切って、与助は江戸へと逃亡を図り、その後与助は小さな旅館で真面目に働き、その店は良く繁盛した。その後家族にも恵まれていたのであるが、与助の頭には自分が逃亡してきた西千葉で、他の処刑された人々への思いが募り、ある日西千葉へ出向き、小さな石を積み上げて供養した』のがはじまり。、、、、、、それにしても、駅前ロータリーの一等地に鎮座するとは、いい場所を確保したお稲荷さんだ!
 
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④千葉縣護国神社・・・・・・・・・・・戊辰戦争から太平洋戦争に至るまで、国事に殉じた千葉県出身・由縁ある英霊を祀る神社。 合祀祭神は現在五万七千余柱。 (靖国神社の千葉県版と云うことだ!)、、、、、、、明治11年(1878)1月27日に初代県令の発起により、「千葉縣招魂社」として創建され、明治維新で亡くなった佐倉藩士16人の霊が祀られた。 昭和14年(1939)、招魂社の制度がを護国神社に改められ「千葉縣護國神社」と改称した。 元の鎮座地は千葉県庁公園内で、明治22年(1889年)に千葉神社境内に遷座し、さらに、昭和12年(1937)より亥鼻山への遷座がすすめられた。 昭和18年(1943)に新社殿が竣工したが、昭和20年(1945)の戦災で社殿を焼失した。 昭和42年(1967)に現在地(千葉市中央区弁天3)に遷座した。、、、、、、鉄筋コンクリート、切妻造り、妻入りの現社殿は昭和42年の建築。 スケール感ある、直線的なデザインで、出雲大社の現代版のような雰囲気がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・社殿では、結婚式のPR用か(?)、写真撮影中。、、、、、私もモデルをやってみたくなった!
 
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・・・・・・・・・・・・・・神社に隣接する、千葉公園の一画には千葉県忠霊塔が建っている。 千葉県忠霊塔は、日清戦争以降の戦没者を追悼するとともに、恒久平和を祈念して県が建設し、管理しています。 昭和29年(1954)4月8日竣工。、、、、、毎年8月15日には、戦没者を追悼し、平和を祈念するため、知事をはじめ関係者の拝礼が実施されているそうだ。、、、、、忠霊塔の周辺にはいくつかの慰霊碑なども建てられていた。、、、、、邪魔する人もいない静かな場所で、慰霊碑に手を合わせて来た。
 
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⑤千葉駅・・・・・・・・・・・千葉駅の勝手口とも云うような北口から駅に入る。
 
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2016年12月23日 (金)

矢切~市川

北総線矢切駅から総武本線市川駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。 
 
 
 
①矢切駅・・・・・・・・・・・・今日も電車に乗ってから、『どこで降りようか?』と迷ってしまった。 浅草橋からは地下鉄浅草線のに乗ったので気づかなかったが、押上を過ぎ地上に出るや、『オウ~、まぶしい、晴天だ!』。 『ヨシ、緑多い江戸川あたりを歩いてみよう。』と、云うことで矢切駅で降りた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前で北の松戸方面に歩くか、南の市川方面に歩くか、また迷う。 どちらも、今年歩いた道なので、裏道を通って市川方面に歩くこととした。
 
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②中原寺・・・・・・・・・・・・矢切駅横の道を歩くと中原寺(ちゅうげんじ)に出た。 アッ!この寺も来たことあるぞ、去年歩いた道でした。 、、、、、国府台5丁目にある、浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺で、江戸時代末には無住の寺となったそうだ。 戦後、現在地にて再興した寺である。
 
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③国立国際医療研究センター・国府台病院・・・・・・・・・・・・明治時代に創設された「国府台衛戍病院」、昭和になると「国府台陸軍病院」と改称し、戦後は「国立国府台病院」となり、平成20年からは国立国際医療研究センター・国府台病院となった。 さすが、国立の病院だけに敷地は広く、裏から入り、正面玄関前に出るまで、数多くの建物の外周をなめるように歩き、15分程要してしまった。
 
・・・・・・・・・・・・・国府台の台地の上の裏道を歩きを国府台病院の裏に出た。
 
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・・・・・・・・・・・・・・病院の広大な敷地の裏手(北側)には職員住宅のような建物が数棟並んでいる。 なんだか拝見したくなり、構内にお邪魔する。
 
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・・・・・・・・・・・・・・木立の影に旧建物の診療棟か?
 
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・・・・・・・・・・・・・今度は「肝炎・免疫研究センター」なる建物が、、、、こりゃ!近代的な建物だが、何の研究してるのやら、さっぱり判らん!
 
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・・・・・・・・・・・・・・こちらは、新しい病棟のようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東側の奥、広い空き地の向こうにも職員住宅のような建物が数棟並んでいる。 昭和40年代頃の建物か?
 
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・・・・・・・・・・・・・・南側には寮のような建物がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・やっと、正面玄関のある新しい建物の前に出た。、、、、、広い敷地にビックリ。 ちなみに、写真を撮った地点もまだ病院の敷地内。
 
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④千葉商科大学・・・・・・・・・・・国府台病院から松戸街道を南へ400m程の所に千葉商科大学のキャンパスがある。 昭和25年(1950)に設置された単科大学であるが、現在は商経学部、政策情報学部、サービス創造学部、人間社会学部、国際教養学部などがある。、、、、、 こちらも構内をチョイと拝見! 古い建物はないが、キャンパスらしい造りである。
 
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⑤国府台県営住宅・・・・・・・・・・・千葉商科大学のキャンパスの隣に建つ千葉県の県営住宅。 団地には1号棟から7号棟まであり、7号棟だけは3棟で構成されている。 その7号棟は、2階建て準耐火構造で昭和35年(1960)に建てられた。 残る棟は中層耐火構造である。、、、、、7号棟だけがチョイと変わった構造であるのはなぜか不明(?) 千葉県では団地内の建物をすべて解体し、建て替えることになった。
 
・・・・・・・・・・・・・写真右側は中層耐火構造の建物、左側は7号棟で準耐火構造。
 
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・・・・・・・・・・・・・・7号棟は2階建てで、間取りは4.5+4.5+3、家賃は19,400円程。 既に、大部分は立ち退いたようだである。、、、、こちらも、昭和モダンの建物だったのかも? 
 
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・・・・・・・・・・・・・・7号棟南側を見ると、浴室と3帖の部屋が増築されている。
 
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⑥弘法寺・・・・・・・市川市真間にある日蓮宗の本山で真間山弘法寺(ぐほうじ)。 行基が真間の手児奈(=てこな。 山部赤人などの万葉歌人に詠まれた伝説の美女の名。美人ゆえ手児奈をめぐり争いがたえず入水自殺する。)の霊を供養するために建立した求法寺がはじまりだ。平安時代には、空海が伽藍を構えて弘法寺と改称し、その後、天台宗に改宗した。鎌倉時代には、日蓮の布教を受けて、時の住職が問答にやぶれ、日蓮宗に改宗する。、、、、、ころころと改称・改宗した寺だ! 
 
・・・・・・・・・・・・・・本殿は平成の建築。
 
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・・・・・・・・・・・・・・祖師堂、、、、、平成22年の建築
 
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・・・・・・・・・・・・・・大黒堂
 
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・・・・・・・・・・・・・・仁王門、、、、、寺は明治時代に大火により焼失したが、その際、残ったのが仁王門である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・仁王門前に立つと、正面にJR市川駅に向かう参道(大門通り)と、駅前の二つの超高層住宅を見ることができる。
 
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・・・・・・・・・・・・仁王門前の石段を下ると、左側に手児奈霊神堂が見える。 伝説の美女を祀る霊堂。、、、、、“美女”を祀っているのに、お姿は見えずガッカリである。 できることなら、生き仏として見てみたいね。
 
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⑦市川駅へ・・・・・・・・・・・・真間川を渡り、京成本線の踏切を越えると、JR市川駅に到着。
 
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2016年11月22日 (火)

船橋大神宮(意富比神社)

JR総武本線東船橋駅から船橋大神宮経由で船橋駅までプチ散歩。
 
 
①東船橋駅・・・・・・・・・・・島式ホーム1面2線の地上駅で、橋上駅舎となっている。 半地下式に線路の両側の道路面の方が高い。、、、、、、駅は昭和56年(1981)に開業した。 総武本線の中では比較的新しい駅である。 駅前にはゆったりとしたロータリーがあるが、大きな商業施設はなく、賑わいはない。
 
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②船橋大神宮・・・・・・・・・・・船橋大神宮は通称で、正式には意富比神社(おおひじんじゃ)と呼ばれ、船橋市最大の神社。 景行天皇40年に日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国平定の折に、船橋に立ち寄って天照皇大神を奉祀して創建したらしい。 延喜式に記載されている古社である。 天照皇大神を主祭神とし、万幡豊秋津姫命・天手力雄命を配祀する。 さらに、徳川家康、秀忠も合祀している。、、、、、、今日は、まだ七五三詣でが続いていたため、拝殿前にはテントが張られ建物は見ることができなかった。 残念!
 
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③意富比神社の摂社・・・・・・・・・・・・大神宮拝殿は七五三のお客様を相手に商売中なので、隣に建てられた摂社の常磐神社を見てきた。 元和8年(1622)、徳川秀忠が常磐神社を造営する。 当時は、意富比神社と常磐神社は、「関東一宮」として並び称されていた。 しかし常磐神社は戊辰の戦火にて焼失し、とりあえず九尺四方の小さな社が建てられていた。、、、、、昨年11月、東照宮もどきの新しい社殿が建てられた。 今日は公開されていたのでチョイと拝見してきた。
 
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④灯明台・・・・・・・・・明治13年(1880)、船橋大神宮の境内に建てられた灯台。 この灯台は、高台に建てられた木造3階建てである。 ここに灯台があるのは、神社が海に近かった証である。 地図を見ると、今は埋め立て地の先まで3km以上ある。、、、、、私が子供頃の昭和30年代までは“ららぽーと”の位置に“船橋ヘルスセンター”があり、海水浴場もあった。 私も、ヘルスセンターで遊んだ記憶が残っている。
 
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⑤船橋大神宮の飛地境内社・・・・・・・・・・大神宮の境内には6社ほどの境内社がある。 この他に、管理神社として船橋市、市川市などに45社ほどあり。 さらに、飛地境内社として、船橋市内に20社以上の神社が点在している。 今日は、飛地境内社の一部も見て来たのでチョイと紹介する。
 
・・・・・・・・・・・・・・東船橋駅近くの道祖神社。 由緒などは?
 
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・・・・・・・・・・・・・・東船橋1丁目の日枝神社。、、、、毎年恒例の祭例では、屋台も出て、園芸大会もあり、昔ながらの祭りの雰囲気を残しているそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・日枝神社裏側の裏道に残る道祖神。
 
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・・・・・・・・・・・・・・船橋市宮本6丁目の裏道に、石の鳥居が立ち、その後ろに町内の自治会館がある。 会館の軒下を抜けると、奥に小さな社がある。 これぞ熊野神社である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・船橋市本町4丁目、裏道の行き止まりの正面に、ナント! 船橋東照宮がある。 現在は小さな祠が残るのみであり、「日本一小さい東照宮」の異名を持つ。 この東照宮は、慶長17年(1612)に家康の命を受け、伊奈忠政が建てたとされる船橋御殿の跡地に船橋大神宮の富氏が貞享年間(1684~1687)に建立したものであると言われている。 現在の建物は安政4年(1857)に再建されたものである。
 
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・・・・・・・・・・・・・・もう一つ、飛地境内社に寄ってきた。 こちらも船橋市本町4丁目にある御蔵稲荷神社。 神社は、当地にあった御蔵の鎮守であった稲荷祠を、地元民が維持管理してきた社。
 
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⑥旧兼坂医院・・・・・・・・・・大神宮の裏手(北側)に、大正5年(1916)に建てられた医院がある。 下見板に玄関の朱色の三角破風が印象的な建物である。
 
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JR船橋駅 ・・・・・・・・・・・・明治27年(1894)、私鉄:総武鉄道の駅として開業した。 大正12年(1923)、現:東武鉄道野田線も開業する。、、、、、昭和45年(1970)に高架駅となり、現在は快速線・緩行線の島式ホーム2面4線を有する駅。
 
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2016年11月16日 (水)

下総中山~西船橋

JR総武本線下総中山駅から、真間川沿いに歩き原木の妙行寺に参り、西船橋駅まで、1万歩、7kmの散歩です。

 
下総中山駅 ・・・・・・・・・・・・・駅前から北へ法華経寺まで参道が続く門前の駅である。 駅は明治28年(1895)4月12日、私鉄:総武鉄道の中山駅として開業したが、明治40年(1907)に国営化された。、、、、、昭和47年(1972)に高架化され改札口は高架下になった。、、、、、駅の南口は裏口のようで、ロータリーもなく、高架橋に並行して裏道があるだけ、商店街もないようだ。 チョイと寂しいね!

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②意地に負けた由緒ある小栗原・・・・・・・・・中山法華経寺は市川市中山にある。 「中山」の名がつく、京成中山(京成本線)、下総中山(総武本線)、原木中山(東西線)の各駅は、ナント船橋市にある。 しかも、そろって住所は、船橋市本中山でる。、、、、地図を見ると、市川市に細長い馬の首が突っ込んだような形で船橋市がある。 馬の耳に「京成中山」が、目に「下総中山」、口に「原木中山」の駅があるようだ。、、、、この一帯の中央ある小栗原小学校前に地名を解説した案内があった。 そこには、現在の「本中山」は「小栗原」と呼ばれ、平安時代からの由緒ある地名であった。 しかし、中山法華経寺の門前町に由来する市川市の「中山」が一般に通用しており、昭和49年(1974)に小栗原を船橋市「本中山」としたそうだ。、、、、つまりは、由緒ある「小栗原」の地名を捨てて、市川市に対抗し意地で「本中山」と命名したそうだ。 昔の名の方が良かったね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・小栗原橋、、、、、、国府台付近で江戸川から分岐し、原木で東京湾に注ぐ一級河川の真間川に架かり、本中山3丁目と4丁目を結ぶ橋。 昭和55年(1980)竣工。、、、、由緒ある「小栗原」の名を遺す橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・・小栗原の名を冠した小栗原住宅。、、、、昭和47年(1972)に建てられたマンション。 11階建、総戸数:374戸(3棟)の団地で、大成建設、熊谷組の施工、日本勤労者住宅協会の分譲。、、、、けなげに小栗原の名を遺す市営住宅かと思った。
 
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④原木日枝神社・・・・・・・・・・・・京葉道路を南に横切り、市川市原木(ばらき)に入った。 住宅の間に畑が点在する町に素朴な神社があった。 原木日枝神社は、安永2年(1773)に創建し、祭神は大山咋命である。、、、、狛犬は歴史がありそうだ。 江戸時代の作?
 
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⑤妙行寺・・・・・・・・・・・・市川市原木に、境内の広い大きな寺院があった。 天文7年(1538)に開創した、日蓮宗系の寺で原木山妙行寺である。 寺の案内には、『日本一の祈祷霊場、日本一のお題目修行道場の原木山で唱題行を始めてみませんか? 唱題行はお題目(南無妙法蓮華経)を太鼓に合せて唱え、身体健全、家内安全他を祈願する修行です。』と、書かれていた。、、、、、山門、本堂、祖師堂、荒行堂など、たくさんの建物が境内に建っているが、すべて明治以降の建物と思われる。
 
・・・・・・・・・・・・・・シンプルな総門と見事な彫刻で重厚な山門
 
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・・・・・・・・・・・・・・堂々とした大きな屋根の本堂
 
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・・・・・・・・・・・・・本堂の裏手奥には、コンクリート造の荒行堂多宝塔
 
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・・・・・・・・・・・・・・・御祈祷場の後ろには庭園が広がる。
 
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⑥京葉道路・・・・・・・・・・・原木ICで、京葉道路を横断し、西船橋駅に向かう。、、、、歩く人には横断する場所が限定される、この高速道は邪魔だね!
 
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西船橋駅 ・・・・・・・・・・・総武本線緩行線、武蔵野線、京葉線、東京メトロ東西線、東葉高速鉄道と5線が乗り入れる大ターミナルである。 でも、総武快速線は止まらない、もちろん特急も止まらない駅。 西船橋を利用する乗降客は一日65万人程で、日本国内でも屈指の乗降客数である。、、、、、駅前には、デパートがない、大型商業施設がない、映画館がない、あるのはラブホテルばかり、チョイと昔はストリップがあった。、、、、、交通の要所だが、生活の要所になれない、不思議な駅だ!
 
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2016年11月 8日 (火)

ハチブドウ酒の別荘

稲毛駅近くで行われているパソコン同好会の帰り、久しぶりに稲毛浅間神社、旧神谷伝兵衛稲毛別荘に行ってみた。
 
 
JR稲毛駅・・・・・・・・・私が知る、戦後の稲毛駅は、田畑の広がる田舎町にあり、ここからも稲毛海水浴場に行くことができた。 それが、昭和56年(1981)から、総武快速線が停車する駅となり、今では千葉市内では3番目に乗車人員の多い駅となった。(ちなみに、1番は千葉駅、2番は海浜幕張駅)、、、、、駅前のバス停からは四方八方の団地に向かうバスが頻繁に出ている。 私が住む浅草橋駅では見られない光景である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・【念のため】 眉毛に鼻毛に胸毛、みんな“げ”、純毛に羽毛に陰毛、みんな“もう”。 では「稲毛」は、“いなげ”と読みます、まちがっても“いなもう”と読まないで。
 
 
京成稲毛駅・・・・・・・・・・・JR稲毛駅から徒歩10分、かつては、稲毛海岸に近い駅で、駅前の道路は浅間神社前を海水浴場へ向かう通りであった。 ちなみに、当駅から千葉寄りに、「浜海岸」、「千葉海岸」と名付けられた駅が続いていた。 今は、海岸も無くなり駅名は「みどり台」、「西登戸」と改名された。
 
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稲毛浅間神社 ・・・・・・・・・・・稲毛浅間神社に手を合わせ、地続きの松林の綺麗な稲毛公園を抜け、 旧神谷伝兵衛稲毛別荘に向かう。
 
・・・・・・・・・・・・・おや、誰もいない、チョイと寂しいね。、、、、、若い巫女さん10人程ズラリ並べて、参拝客が来たら一斉に、『いらっしゃいませ!』と声をかけてくれたら、チョコチョコ寄らせてもらうのだがね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・参拝終えて、松林を抜ける。
 
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④旧神谷伝兵衛稲毛別荘・・・・・・・・・大正7年(1918)に建てられた、“デンキブラン”、“浅草神谷バー”、“牛久シャトー”でお馴染みの実業家神谷尾伝兵衛の別荘。 現在は千葉市で保存されている国の登録有形文化財。、、、、、外観は庭に面し5連のアーチのベランダがあり、伝兵衛はデンキブランを右手に、ハチブドウ酒を左手に、眼前に広がる海を眺めていたかもね。、、、、鉄筋コンクリート造、地上2階/地下1階、設計者:不明
 
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・・・・・・・・・・・・・・1階はピカピカに光る寄木の床の洋室。  
 
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・・・・・・・・・・・・・・・階段はケヤキの一枚板が25段。、、、、妖艶なる女性が、降りてきそうな期待をもたせる階段である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・2階は、本格的な書院造の主室と、和室、控えの間などがある。 天井、欄間、床柱など、随所にブドウに関連したデザインを取り入れている。
 
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⑤千葉市民ギャラリー・いなげ・・・・・・・・・旧神谷伝兵衛稲毛別荘の敷地内に、市民ギャラリーが隣接している。 ここでは、企画展、市民の作品展が、常時開かれている。
 
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・・・・・・・・・・・・・1階では、個人の作品展をチョイと拝見。 画家:矢崎武夫さんは、65歳でリタイヤし、海外を歩き作品を描いているそうだ。、、、、、うらやましい、雅万歩もそろそろ海外に足をのばすかな。
 
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・・・・・・・・・・・・・2階でも、市民の作品展が開かれていた。 こちらも、チョックラ拝見。
 
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