千葉県

2017年9月 3日 (日)

矢切市川

秋風が吹き始めたようだ! 爽やかな風の下、今日は夫婦で散歩。 北総線矢切駅で下車し、栗山の給水塔、里見公園、弘法寺、手児奈霊神堂を巡り総武本線市川駅まで歩いてきた。、、、、、私一人では、度々訪れている処で、道も熟知した散歩コース。 妻は、小学校の遠足依頼、50年ぶりに歩くコース。 私は、終始、ガイド役をつとめ、チョイと『お疲れさん』。
 
 
 
矢切駅から柳原水閘まで・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・矢切駅前にはコンビニがなく、水分補給用に自販機のお茶を購入し、散歩を始める。、、、、、約20年前に、何もない北総台地に鉄道とニュータウンができた北総線沿線では、『〇〇銀座商店街』と言うような駅前商店街が永久にできそうもないね。
 
1709031307350
 
・・・・・・・・・・・・・・・現在も松戸市・市川市へ配水している栗山配水塔(土木遺産)。 昭和12年(1937)竣工の塔は、空襲もまぬがれ当時の姿をそのまま保ち活躍中。、、、、、水道水には変わらぬが、この塔から配水される水は、一味違うかも?
 
1709031314520
 
・・・・・・・・・・・・・・配水塔裏の竹藪を江戸川に向かい下る。、、、、チョイとハイキング気分。
 
1709031320240
 
・・・・・・・・・・・・・・江戸時代の創建である日枝神社の階段下に出てきた。
 
1709031322180
 
・・・・・・・・・・・・・神社の隣は、 日蓮宗の本久寺。、、、、大きな寺ではないが、古くからある村の寺というような感じだ!
 
1709031326030
 
・・・・・・・・・・・・・民家の庭には、ザクロが色づいていた。
 
1709031331370
 
・・・・・・・・・・・・・江戸川土手(柳原排水機場)の前に、明治期に煉瓦で造られた樋門「柳原水閘(やなぎはらすいこう)」が保存されている。、、、、4連アーチの見事な樋門で、国の産業遺産であり、土木遺産でもある。
 
1709031335450
 
・・・・・・・・・・・・・・江戸川土手にあがり、土手上の道を二人で歩く。、、、、、日活青春映画の吉永小百合と浜田光夫の気分(?)
 
1709031344000
 
・・・・・・・・・・・・・・右手対岸は東京都葛飾区。はるか先にはスカイツリーも見える。
 
1709031347440
 
・・・・・・・・・・・・・・左手は、河川敷の畑の先に、栗山配水塔がたつ台地が見える。
 
1709031344200
 
・・・・・・・・・・・・・・歩く先には、市川駅前の超高層住宅も望める。 道端にはコオロギが出てきた。 今年はじめての御対面!
 
1709031347320
 
 
 
・・・・・・・・・・・・・江戸川土手を離れ、里見公園に向かう、チョイとその前に国府台天満宮にお立ち寄り。 天満宮は文明11年(1479)に、当地の鎮守として太田道灌が建立した。、、、、♪♪村の鎮守の神様の 今日はめでたい御祭日 ドンドンシャララ ドンシャララ♪♪と歌いたくなる神社。
 
1709031359530
 
・・・・・・・・・・・・・・里見公園の高台からみる江戸川。、、、、、東京が小さく見えるね。
 
1709031407591_stitch
 
・・・・・・・・・・・・・・里見公園は桜の名所だが、園内にはバラ苑もあるので、チョイト拝見!
 
1709031410210
 
 
弘法寺から市川駅まで・・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・和洋女子大前から国府台の台地に入ると、木内ギャラリーがある。、、、、ここは、木内重四郎という政治家の邸宅であった。 現在は、森の中に鹿島建設の社員寮が建っている。 その一角に、時計台のある西洋館を改修したギャラリーがある。 素晴らしい環境だ!
 
1709031436540
 
・・・・・・・・・・・・・・市川駅の北に位置する国府台台地の上にある、日蓮宗の真間山弘法寺(ままさんぐほうじ)。、、、、、山門前に立つと、台地の上から市川駅方向が良く見通せる。 いい眺めだ!
 
1709031450310
 
1709031451260
 
・・・・・・・・・・・・・・弘法寺から台地を下ると、、、、「手児奈」という美しい女性を祀った、手児奈霊堂がある。 美しい女性のため、賽銭を奮発し、懇ろに手を合わせてきた。
 
1709031454501
 
・・・・・・・・・・・・・・市川駅に到着。、、、、、駅で、大根、生姜、インゲン、ミョウガなどを買い、電車に乗って帰宅。 妻と歩くと、出先で野菜・惣菜などを購入することが多く、“男は恥ずかしいね!”  あっ、忘れてた、海苔の佃煮も買ったね!
 
1709031511500

2017年8月28日 (月)

秋山~市川

北総線秋山駅から総武本線市川駅まで、1万2千歩の散歩です。
 
 
 
①秋山駅・・・・・・・・・・・平成3年(1991)3月31日、北総線京成高砂駅~新鎌ヶ谷駅間(12.7km)の開業時に、同時に秋山駅も開業した。 掘割状の半地下式駅で、相対式ホーム2面2線を有し、駅出入口は地上に一ヵ所のみ。、、、、、開業から25年以上経過したが、いまだに駅前にコンビニが無い、もちろん喫茶店なんてあるはずがない。 駅前にあるのは、マンションの1階に歯科医院があるだけ!
 
1708280821180_2
 
1708280821460
 
1708280827290
 
1708280830420
 
 
②春日神社・・・・・・・・・・・秋山駅より南西へ徒歩10数分の距離にあり、奈良春日大社の大神を祀る神社。 創建年代不詳。 当地は下総国分寺・国分尼寺に近く、奈良から住みついた人々もいたようだ、故郷の春日明神の神護を得るため、一社を営み勧請鎮祭したのが当社であるとも言われている。、、、、、社殿は明治維新100年を記念し、昭和43年(1968)に改築された。
 
・・・・・・・・・・・・・・立派な門構えの住宅もある、松戸市秋山の住宅地の中に春日神社はある。
 
1708280837590
 
1708280840180
 
・・・・・・・・・・・・・・一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居、と続く。
 
1708280841120
 
1708280841480
 
1708280842510
 
・・・・・・・・・・・・・・ 明治26年(1893)10月9日建立の狛犬に守られた社殿。
 
1708280847520
 
 
③慶国寺・・・・・・・・・・・・春日神社一の鳥居の正面に、長秋山慶国寺の山門がある。 慶国寺は日蓮宗の寺で、文永元年(1262)真言宗玄海上人が宗祖日蓮聖人の教化により改宗し、名を日栄と賜わり寺号を改称したことに始まり、以来750年の歴史と伝統をもつ古寺。 残念ながら、明治5年(1872)の火災により古文書等の記録を消失してしまい詳しい寺伝は不明。
 
1708280855120
 
1708280854070
 
 
④秋山湧水・・・・・・・・・・・慶国寺と、西隣の聖徳大付女子高の間は、谷のようになっており、 雑木林の斜面地から湧きでている湧水池がある。 地元では、その名も「秋山湧水」と称し、ホタルが舞う湧水池を期待しているようだ。、、、、、崖下にある、フェンスで囲われた小さな水溜まりのような処。 雑草が茂り、水面もチョコットしか見えないが、どう見てもホタルは住んでいそうもない、ボーフラならいるかも?
 
1708280901020
 
1708280900410
 
 
厳島神社 ・・・・・・・・・・聖徳大付女子高脇の道を南に向かうと、松戸市秋山から市川市稲越町となる。 町の一角、千葉県立国分高等学校の北隣に小さな社の厳島神社がある。、、、、、どうやら、神社のあるこの地も湧水池があるようだ。 神社は湿った土地にあり、社に、鳥居に、手水に、傾いた簡易トイレがあるだけ。、、、、、原っぱの中に、朱塗りの鳥居が印象的に建っている。
 
1708280925370
 
 
⑥稲越町から市川駅へ・・・・・・・・・・県立国分高等学校前からバス通りを歩き、市川駅を目指す。
 
・・・・・・・・・・・・・県立国分高等学校。 数年前、創立50周年を迎えた学校だが、残念ながら、私の知る著名人の卒業生は一人もいない学校であった。
 
1708280932300
 
・・・・・・・・・・・・・・市川市曽谷の町に入ると、遥か前方に市川駅前の超高層住宅が2棟見えた! まだまだ、遠い!
 
1708280937070
 
・・・・・・・・・・・・・・農業用水路と思われる川に架かる小さな橋、その名は「曽谷春雨橋」。 下を流れる小川は春木川。、、、、、ともに粋な名前だが、実態は???
 
1708280943520
 
・・・・・・・・・・・・・・「曽谷春雨橋」付近から市川駅方向を眺める。
 
1708280944501
 
・・・・・・・・・・・・・・オ~~、厳重に管理された賽銭箱のある、六所神社 に出て来た。
 
1708281016360
 
・・・・・・・・・・・・・・・市川駅に到着。 後半はバス通りをひたすら歩くだけの疲れる散歩となった。 “5963”(ゴクロウサン)!
 
1708281030130

2017年8月17日 (木)

船橋市行田

雨、雨、雨、連日の雨。 『今日は?』と外を見ると、曇り空だが散歩できそうだ。 途中、降られぬことを祈り、「船橋高架水槽」を見に行田団地まで行ってきた。 9千歩。
 
 
 
①京成西船駅・・・・・・・・・・京成本線の駅で、JR総武本線西船橋駅の北方300m程の処にある。 大正5年(1916)12月30日に葛飾駅として開業し、昭和62年(1987)に京成西船駅に改称した。 優等列車は全て通過し、普通列車のみ停まってくれる駅。、、、、、、、国鉄(JR)総武本線の西船橋駅の開業は、京成西船駅開業から42年後、昭和33年(1958)11月10日である。 駅の大きさ、駅前の賑やかさ、乗降客の多さ、どれを比べても、横綱と序二段ほどの差があり西船橋駅の圧倒的な勝ち! 
 
1708170817570
 
1708170816130
 
1708170824080
 
 
②成瀬地蔵・・・・・・・・・・・西船駅から80歩ほど歩くと、踏切を越えた処(船橋市印内1)に成瀬地蔵(なるせじぞう)が祀られている。、、、、、旧葛飾町一帯は栗原郷であった。家康は側近の成瀬正成に慶長5年(1600)に栗原郷4000石を与えた。 のちに次男之成が、2代目の栗原藩主となったが39歳で病没。 その子之虎はわずか5歳で夭折。 寛永11年(1634)に断絶した。 この「成瀬地蔵」は、夭折した之虎の霊と、幼くして他界した地元の子らの霊を弔う為、貞享4年(1687)、印内村名主の田中徳左衛門、忠左衛門と女性だけの念仏講中によって寄進、建立されたものらしい。、、、、“女性だけの念仏講”とは“女子会 ”?
 
1708170827260_2
 
 
③正延寺・・・・・・・・・・・京成本線とJR武蔵野線が交差する西船3丁目に、真言宗豊山派の正延寺がある。、、、、、明治41年(1908)、延命院跡に正覚寺と延命院が合併した寺で、名前も一文字ずつ頂戴し「正延寺」と、わかりやすいね。 本尊・胎蔵界五智如来像は、正覚寺の地中より掘り起こされたという伝承をもつ秘仏で、平安時代の作と推定され、船橋市最古級の仏像で県文化財に指定されているそうだ。、、、、、現本堂は昭和49年(1974)に建立。
 
1708170840320
 
1708170831250
 
1708170837150
 
 
④印内八坂神社・光明寺・・・・・・・・・・・・JR武蔵野線沿いに歩くと、船橋市印内2丁目に、八坂神社がある。 神社の主神は須佐之男命だが、仏教の祇園精舎の守護神・牛頭天王を併せた祭神で“印内の天王様”と呼ばれている。、、、、神社の広い境内と地続きで、真言宗の光明寺がある。、、、、、八坂神社は、隣の光明寺が、約250年前にこの辺りで疫病が流行した際に、京都の八坂神社を勧請したのが起こりらしい。
 
1708170902390
 
・・・・・・・・・・・・・・境内中央に堂々と腰を据える八坂神社。
 
1708170909080
 
・・・・・・・・・・・・・・神社の境内隅に間借りしたような、チョイと寂しい雰囲気の光明寺。
 
1708170908060
 
 
⑤船橋高架水槽・・・・・・・・・・・・今日の散歩でぜひ見てみたかった高架水槽。
 
・・・・・・・・・・・・・・印内2丁目付近から、畑の先、住宅の先に見えた! 後ろには行田団地が並んでいる。
 
1708170915320
 
・・・・・・・・・・・・・・近づいてみるとクラゲのようだ、16本の足(支柱)を数えることができた。
 
1708170921220
 
・・・・・・・・・・・・・・・芝生上に高さ31m、直径16mの巨大なクラゲが立っている。 昭和36年(1961)に建設され、貯水量5000m3の水槽!
 
1708170931130
 
・・・・・・・・・・・・・・行田団地の上から見ても、足は16本だった。 現在は、平時の給水より、災害時に停電しても給水できる非常用として稼働しているそうだ。
 
1708170936420
 
 
⑥海軍無線電信所船橋送信所跡・・・・・・・・・・・・中山競馬場の東に、巨大な円を描いている海軍の無線電信施設の跡。 チョイと航空写真で見ると!、、、、、おそらく、誰もが見たことある写真だと思う。
 
Photo
 
・・・・・・・・・・・・・この施設は日露戦争後、聯合艦隊の行動範囲の拡大に伴い、現:船橋市行田に設置された海軍の無線電信施設である。 太平洋戦争時に真珠湾攻撃部隊に「ニイタカヤマノボレ1208」の電文を送信した施設。 ジーメンス社に発注し、大正2年(1913)に着工したが翌大正3年に第一次世界大戦が起こり日本がドイツに宣戦布告をしたことからジーメンス社の技術者が図面を焼却、帰国してしまい工事は困難を極めたが、大正4年(1915)4月には開所式が行われた。 戦後は、進駐軍が接収し昭和41年(1966)に返還されたが、昭和46年(1971)から翌年までに解体された。
 
・・・・・・・・・・・・・現在、送信所跡を物語れるものは、この巨大な円形(直径約800m)と、円の中心部(行田公園)に設置された記念碑だけである。
 
1708170950280
 
・・・・・・・・・・・・・・外周道路は円を描いているのだが、大きすぎて、カーブも緩やかである。
 
1708170933060
 
・・・・・・・・・・・・・円形の中に昭和51年(1976)に誕生した、住宅公団の総戸数1736戸の行田団地。 
 
1708170937030
 
1708170934300
 
1708170947320
 
 
 
・・・・・・・・・・・・・・霧雨か? チョイと降ってきたので、団地内のバス停から駅に向かうことにした。 散歩は此処まで!

2017年5月23日 (火)

京成幕張~幕張本郷

京成幕張駅から幕張本郷駅まで、1時間程ブラついてきた。

 
 
①京成幕張駅・・・・・・・・・大正10年(1921)7月17日に開業した。 現在は1面2線の島式ホームの地上駅で、ホームから千葉方を見ると大きく右にカーブしているので、乗降の際はホームと電車の間が広く注意が必要。、、、、、JR幕張駅の近くにあるが、駅どうしでは接続していない。 どうも乗り換える人は少なそうだ!
 
1705231440180
 
1705231437150
 
1705231437590
 
 
②幕張車両センター・・・・・・・・・・JRの車両センターが幕張と幕張本郷間にある。 南側に京成千葉線の上下線が、その北側に総武緩行線の上下線、さらにその北側に総武快速線の上り線と並ぶ、そして車両センターの線路群が並び、最も北側に総武快速線の下り線がある。 つまり、車両センターは総武快速線の上下線に挟まれている。、、、、、車両センターを横断する跨線橋の上にから眺め、一人楽しんでいる親爺は時の過ぎるのを忘れていた。 これから暑くなる季節、熱中症に要注意!
 
1705231500430_4
 
1705231501540
 
1705231502320_2
 
1705231457460
 
1705231447130
 
1705231450540
 
 
③宝幢寺・・・・・・・・・・・・・京成千葉線の脇に、真言宗豊山派の補陀落山宝幢寺(ほうどうじ)がある。 宝幢寺は、大同元年(806)に創建し、近隣に末寺を擁する本寺格の寺院だったと言われている。 明治5年馬加村(現:幕張町の一部となった旧地名)内にあった末寺5ヶ寺を合併した。、、、、、、現在は広い境内に、本堂、山門、寺務所の建物があるが、本堂前には緑がなく、広々とした駐車場になっている。 いずれ、コインパーキングでもやるのか?
 
1705231456350_3
 
 
④子守神社・・・・・・・・・・“子守神社”とかいて、“こまもりじんじゃ”と読む、“こもりじんじゃ”とは言わない。、、、、神社は、線路から外れ、宝幢寺の西側の裏道にある。 祭神は、素盞嗚命・稲田姫命・大己貴命で、安産子育ての神さまとして崇敬され、下総国幕張の総鎮守であった。、、、、、千葉家中興の祖:千葉介平常胤の四男、大須賀四郎平胤信が、父よりこの幕張の地を譲り受け、源頼朝の命により富士の御狩場に赴く際に子守神社で祈願し、良い成果が得られた。 その御礼として社殿を造営し、胤信の次男、中須賀神太夫平正胤をその社司神家とし、武運長久、五穀豊穣、郷中家内安全並びに氏子家内安全諸祈願をさせたそうだ。
 
1705231512500
 
1705231511200_4
 
 
⑤大須賀山・・・・・・・・・・・幕張町1丁目、旧千葉街道に面して、大須賀山と称するこんもりとした小高い丘がある。 ここには、馬加康胤(まくはりやすたね)の首塚がある。、、、、、、馬加康胤は、千葉康胤(ちばやすたね)とも名のり、室町時代に千葉氏宗家を滅ぼし19代の当主となった武将。 現在の幕張町に居を構え、“馬加”(まくわり)と称した。、、、、、“幕張”は後の代の当て字である。
 
・・・・・・・・・・・・子守神社から浜田川を越えて幕張町1丁目に入る。
 
1705231516040_2
 
・・・・・・・・・・・・・・旧千葉街道に面して、大須賀山と称するこんもりとした小高い丘がある。、、、、、階段を上ってみよう!
 
2013_0430_144924
 
・・・・・・・・・・・・階段を上がると、草茫々の墓地だ! その一番手前に、文政11年(1828)に関脇となった荒馬紋蔵(あらうまもんぞう)の墓がある。、、、、今の関取の名も知らない、私には荒馬なんぞ、知るよしもない。 知識不足でゴメン!
 
1705231521160_2_2
 
・・・・・・・・・・・・・周囲には誰ぞの墓が並ぶ、、、、、墓石の新しいものもある。
 
1705231522390_2
 
・・・・・・・・・・・・・・墓を抜け、草が茂る丘をさらに登ると、、、、見えた! 馬加康胤(まくはりやすたね)の首塚だ!、、、、、馬加康胤は、千葉康胤(ちばやすたね)とも名のり、室町時代に千葉氏宗家を滅ぼし19代の当主となった武将。 現在の幕張町に居を構えていた。
 
1705231524050_2_2
 
・・・・・・・・・・・塚の上に五輪塔がある。 チョイト、心霊スポットのようで、夜は怖い! 女性の夜の入山禁止はもちろんだが、昼でも美人一人での入山は禁止にしたいね。
 
1705231524450_2
 
 
●・・・・・・・・・・・静かな住宅街を抜け、京葉道路を横切ると幕張本郷駅。 暑い!暑い!と叫びながら、チョイと休憩のつもりが、『暑いから、もう歩くの止めた! 今日はここまで!』
 
1705231534540
 
1705231542330
 
1705231552540
 
1705231557070_2  

2017年4月 5日 (水)

矢切~市川

本格的に春の陽気でポッカ・ポッカのポッカレモン。 今朝は、北総線矢切駅で下車し、総武本線市川駅まで散歩した。 1万1千歩。
 
 
 
矢切駅 ・・・・・・・・・駅前に立って顔を右・左、東西南北、歩きつくした駅だ。 さてさて、どっちへ歩くか思案橋。 決めた、『歩いたことがなさそうな裏道をとおり、市川駅方面に向かうことにしよう!』
 
1704050836240
 
・・・・・・・・・・・・・・・駅裏の住宅地を歩くことに、、、、、、
 
1704050840090
 
 
中原寺 ・・・・・・・・・・・『アレ・アレ、この寺は2、3度来たことがある。 こんな処に出てしまったか!』 今日は素通りして、失礼します!
 
1704050848380
 
 
③じゅん菜池緑地・・・・・・・・・・中原寺の先で左折すると「じゅん菜池緑地」があった。 『ア~~ どっちへ歩いても知った処に出てしまう! モ~~、どうでもイイヤ!』、、、、、『春の陽気だ、緑地の中を歩こう!』、、、、、、、国府台と国分の台地間に細長く入り込んだ古くからの沼がある。 この沼は「国分沼」と言われていたが、沼にはじゅん菜がたくさん生えていたことから、いつしか「じゅん菜池」と呼ばれるようになった。 しかし、昭和初期に沼が干上がり、じゅん菜は絶滅した。 昭和54年(1979)に、現在のじゅん菜池緑地へと整備され、市川市の憩いの場となった。
 
1704050854000
 
1704050858370
 
1704050906190
 
1704050907340
 
 
④下総国分尼寺跡・・・・・・・・・・・・国分の台地の住宅地を歩き、和洋国府台女子中の裏に出ると、国分尼寺の跡が公園となって残されている。、、、、、国分尼寺は、国分寺と同じように、聖武天皇が天平13年(741)に発した「国分寺建立の詔」によって、「法華滅罪之寺」として各国々に建立されたものである。 南北の直線上に講堂を北にして金堂が南にある伽藍配置であった。 昭和42年夏に行われた発掘調査では、金堂と講堂の基壇が発見されている。 公園は芝で覆われ、基壇の中央付近に「金堂跡」、「講堂跡」と刻んだ石が置かれているだけ。 芝の上に寝て目をつむり、遠く古のロマンでも想像するのもいいかも!、、、、、この地から東南400m程の処に下総国分寺跡 がある。 『男女は離しておかないと、修行の邪魔。 離れていても、夜な夜なデートした僧と尼もいたかもね?』
 
1704050927360
 
 
⑤国分の台地・・・・・・・・・・下総国分尼寺跡から、裏道を南へ、国分の台地の端と思われる見晴らしの良い処に出た。、、、、市川駅前のタワーマンションが中央に、和洋女子大の校舎が右端に見える。
 
1704050936050
 
1704050938040
 
1704050939461_stitch
 
 
⑥芳澤ガーデンギャラリー・・・・・・・・・1000坪の敷地と庭園で、四季折々の自然を楽しむことができるガーデンギャラリー。 平成14年(2002)に芳澤月恵氏から寄贈された敷地を活用しオープンした。、、、、、、ギャラリーは、鉄筋コンクリート造、平屋建ての明るい建物である。、、、、、、今日は、市民のデッサン展が行われていたので、チョコット拝見!
 
1704050956070
 
1704051005420
 
1704050958010
 
1704050958260
 
1704051003450
 
1704050959320
 
 
⑦真間川の桜を見て、お帰り・・・・・・・・・・
 
1704051010410
 
1704051030320

2017年3月28日 (火)

千葉都市モノレール

パソコン同好会の帰り、総武本線稲毛駅から千葉都市モノレールの作草部駅まで歩き、モノレールで千葉駅へ出て帰宅。・・・・・・・・・この散歩ルートは昨年も歩いた。 今日は、千葉都市モノレールの穴川駅と作草部駅をチョピット紹介!
 
 
 
●千葉都市モノレール・・・・・・・・・・昭和63年(1988)3月28日に最初の区間として、スポーツセンター~千城台間が開業し、平成3年(1991)6月12日に千葉~スポーツセンター間が開業した懸垂式モノレール。、、、、、今日はチョウド、29年目の誕生日だ、おめでとう!
 
穴川駅、、、、、大股を広げ道路に覆いかぶさる駅は、都市の美観を損ね、いつ見ても好きになれない!、、、、、道路の頭上にある改札口は、広々とし、誰もいない! 
 
1703281433270
 
1703281446290
 
・・・・・・・・・・・・・・・穴川駅に向かう1000形車両。、、、、、開業時から活躍してきた車両である。、、、、、車体には交通安全標語、企業名のラッピングが施されている。 標語・企業名にはケチをつけないが、コテコテにラッピングした車体が道路の頭上を走る“千葉のセンス”には首をかしげる!
 
1703281434450
 
1703281447340
 
・・・・・・・・・・・・・・穴川駅から出てくる新型車両0形「URBAN FLYER 0-type」。、、、、、こちらは車体に標語もなく、すっきりしたデザインの車両である。 ウン、これなら納得!
 
1703281441590
 
・・・・・・・・・・・・・・穴川駅からスポーツセンター駅方向を望む。、、、、、見るたびに、都市の美観を考えてしまう光景。
 
1703281446030
 
・・・・・・・・・・・・・・穴川駅の横(道路際)にあった立札と石碑。、、、、、駅の前でも痴漢が出没する処(?) 隣には、広い森の中に直径120m程の貝塚がある、「園生貝塚」の入口を示す碑がある。、、、、、森の中は危ないよ!
 
1703281426090
 
 
作草部駅・・・・・・・・・・・・作草部駅(さくさべえき)も、道路上に大股を広げる駅。
 
1703281554170
 
1703281552100
 
1703281600380
 
・・・・・・・・・・・・・・『オウ! さっき穴川駅で見た1000形だ!』
 
1703281550390
 
 
●千葉駅・・・・・・・・・・・・・モノレールの千葉駅で下車。
 
1703281608080
 
・・・・・・・・・・・・・・『アンレ・マー なんと、モノレールの駅からJR千葉駅の3階改札に直結している! オッたまげたことだ!』
 
1703281612000
 
1703281622000
 
・・・・・・・・・・・・・・垢抜けた千葉駅、これで対埼玉戦に勝つかも(?) とりあえず駅正面を見てみよう!、、、、、今までの1階改札口は無くなり、エスカレーターで3階へ直行だ!
 
1703281617290
 
 
 
●・・・・・・・・・・・地方の駅がリニューアルし、超明るく、便利で、楽しそうな駅に変わる、今日この頃、我が「浅草橋駅」だけは80年以上大きな変化なし、、、、いまだエスカレーターのない駅、駅売店もない駅、もちろんショッピングセンターなどありゃしない。 地元住人としては、泣くに泣けない悲しい駅だ!
 
 
●・・・・・・・・・・・付録:千葉の春
 
1703281507320
 
1703281507570
 
1703281553050

2017年3月 7日 (火)

本八幡

総武本線本八幡駅から、市川駅方向(西側)に歩くつもりが、気づいたときには北に向かい天神様の境内である。 ならば、東に向かい下総中山駅(東側)まで歩くことにした。 「東菅野」の町の裏道は直線ではなくグニャグニャ曲がり、こちらでも気づけば八幡様の境内。 ということは、本八幡駅の周辺から離れることなく、駅の北をさまよい歩いていただけだ。、、、、、本八幡駅から本八幡駅まで、1万歩の散歩。
 
 
 
本八幡駅・・・・・・・・・・・駅の北にある葛飾八幡宮に由来する駅名であることは察しがつく。 葛飾八幡宮、本八幡駅のある一帯の地名は「八幡」で、「本八幡」(もとやわた)の地名はない。 “本”はどこから持ってきたのか?、、、、答えは、、、、昭和10年(1935)に総武本線の駅として、市川~下総中山間に本八幡駅が開業した。 この時、近くを走る京成本線には既に「八幡」駅があり、重複を避けるために“本”を冠し「本八幡」駅となった。 なお、京成の「八幡」駅は大正4年(1915)に葛飾八幡宮の前に開業したが、昭和17年に廃止され、現「京成八幡」駅に統合された。、、、、、今の世であれば、“新”とか、“南”とかを冠し、“新八幡”、“南八幡”となっていたであろう。 
 
1703070807040
 
1703070812280
 
 
②カトリック市川教会・・・・・・・・・・・・・本八幡駅から千葉街道に出て、裏道を歩くとチョイト歴史のありそうな協会が目に入った。、、、、終戦直後の昭和20年(1945)9月、小教区として独立し、設立された。 現聖堂は昭和24年(1949)(?)に献堂されたようだ。、、、、さほど大きな教会ではないが、終戦直後の物資・食料が不足する中、多くの信者が力を併せ聖堂を建てたようだ。、、、、最近、外壁などを改修したようだが、全体的には質素な造りで、目を見張るものはない。 カトリック本所教会 とは、建設時期、規模、内外装ともに似ている。
 
1703070847220
 
1703070845160
 
1703070853240
 
1703070842590
 
 
③白幡天神社・・・・・・・・・・・市川市菅野の地に鎮座する天神様。 境内は2,000坪あり、今の時期は梅が咲き競っている。 桜、椿、ツツジ、萩など、四季の花が咲くそうだ。 広い境内は竹箒の跡も美しく丁寧に掃き清められ、足跡をつけて歩くのが申し訳ない気持ちであった。、、、、私の好きな馬酔木も咲いていた。
 
1703070916290
 
1703070918580
 
1703070922220
 
1703070923300
 
1703070924400
 
・・・・・・・・・・・・・・・今よりおよそ800年前の治承4年(1180)に、源頼朝が下総に入った際、当地に源氏の御印である白旗を掲げたことが社名の由来である。 その後、天正12年(1584)に、本殿が再建されたが、現在の本殿は明治13年(1880)の造営で、拝殿・幣殿は、昭和36年(1961)に造営された。
 
1703070921150
 
・・・・・・・・・・・・・・境内に永井荷風と幸田露伴の文学碑がある。 両氏はともに晩年に白幡天神社近くに移り住み、作品の中でも白幡天神社が登場してくる。、、、幸田露伴文学之碑には娘の幸田文の著作「菅野の記」に白幡天神社の描写があることが示されている。 また、幸田露伴の葬儀は白幡天神社で執り行われたそうだ。
 
1703070918320
 
 
④不動院・・・・・・・・・・・白幡天神社の東、250m程離れたところ(市川市東菅野1)に真言宗豊山派の山王山不動院がある。 『この寺以前きたことがある』ので、本堂に手を合わせ境内を横切る。、、、、、本堂は平成19年(2007)の完成。
 
1703070936230
 
 
⑤東菅野・八幡の裏道・・・・・・・・・・不動院を過ぎ、裏道は曲がりくねり、方向感覚に強い私も、『アレ? さっき通った道だ!』、『アレ? いつか来た道だ!』、、、、黒松の似合う住宅の間をウロウロ。 そして、『アレ! 葛飾八幡宮 の裏だ!』、、、、、『ヤレヤレ! 本八幡駅に戻るか!』、お帰りです。
 
1703070903230
 
1703070942210
 
1703070956360
 
1703071013490
 
1703071018260
 

2017年2月14日 (火)

船橋競馬場駅~船橋駅

稲毛に行った帰り京成本線の船橋競馬場駅で下車し、JR総武本線船橋駅まで歩いてきた。
 
 
 
①船橋競馬場駅・・・・・・・・・・昭和2年(1927)に花輪駅の名で開業した。 昭和25年(1950)、船橋競馬場前駅に改称。 昭和30年(1955)には船橋ヘルスセンターが開業し、昭和38年(1963)にセンター競馬場前に改称。 昭和52年(1977)にヘルスセンターは閉鎖し、昭和62年(1987)4月1日に船橋競馬場駅にまたまた改称。、、、現在は、島式ホーム2面4線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 駅前には千葉街道が通り、その南側に競馬場と「ららぽーと」がある。 競馬開催日には賑わいの増す駅。 ちなみに、今日は静かな駅であった。、、、、私が子供の頃、何回か、ヘルスセンターや、隣の谷津遊園に海水浴に来たことを覚えてる。 当時は、埋め立ても進んでおらず、ヘルスセンター、遊園地から海に入ることができた時代である。
 
1702141432490
 
1702141435300
 
1702141434470
 
・・・・・・・・・・・・・京成本線の北側(山側)を歩いてみる。、、、、チョイと寂れた道だが、かつて商店であったと思われる建物が並んでいる。 旧街道のようだ?
 
1702141443370
 
1702141449590
 
 
②東光寺・・・・・・・・・・・船橋市宮本5、大神宮の近くにある真言宗豊山派の東光寺。 創建年代は不詳ながら、江戸時代末期には存在していた寺である。
 
・・・・・・・・・・・・・街道に面した山門を入ると、正面に本堂が見える。、、、、本堂は鉄筋コンクリート造の建物だが、山号、寺号も掲げられておらず、正面の鉄の扉は閉ざされ、賽銭箱すらない。 ここ、本当に本堂?? 首をかしげたくなる。
 
1702141456040
 
1702141452350
 
・・・・・・・・・・・・・誰もいない静かな境内には、庚申塔、石仏が点在し、石仏マニアには嬉しい寺だ。
 
1702141453220
 
1702141459100
 
・・・・・・・・・・・・・・東光寺の西側に船橋大神宮 がある。 今日は、鳥居の前を素通りしてきた。
 
1702141502060
 
 
③今井写真館・・・・・・・・・・・・・京成本線大神宮下駅の前に建つ大正時代の西洋館を思わせるクラシックな建物。 老舗の写真館で、昭和62年(1987)に、現在のスタイルに改築したそうだ! 細部まで洋館風造りこんだ建物、『いい仕事してますね! 一生ものです、大事に使ってください。』
 
1702141505240
 
 
④船橋橋・・・・・・・・・船橋市中央部を流れ下る海老川の最下流に架かる橋が船橋橋(ふなばしはし)である。、、、、私のようなよそ者は、船橋橋と“橋”が続くと間違えかと思った。 この橋が“船橋”で、地名の由来となったと思ったのだ! 間違えに気付いた、地名“船橋”の地にあるから“船橋”橋なのである。、、、、では地名「船橋」の由来は?、、、、日本武尊の東征の際、地元民が小舟を並べて橋をつくり、渡したということから、船橋の地名となったそうだ。、、、、、船橋橋は昭和61年(1986)3月の完成である。
 
1702141516450
 
・・・・・・・・・・・・・・船橋橋から見る海老川の上・下流
 
1702141513470
 
1702141515500
 
 
⑤市内の三寺・・・・・・・・・・・・・海老川を越え、本町3丁目に入ると寺院が並ぶ寺町である。 今日は、円蔵院覚王寺不動院 と回り、船橋駅に出た。
 
・・・・・・・・・・・・・円蔵院、、、、、、真言宗豊山派の寺院。 「えんが地蔵尊」が祀られている。
 
1702141530350
 
1702141531070
 
・・・・・・・・・・・・・覚王寺、、、、、、こちらも真言宗豊山派の寺院。
 
1702141537100
 
・・・・・・・・・・・・・・不動院、、、、、、、これまた真言宗豊山派の海應山不動院がある。、、、、山門前には大仏さまがお出迎え。
 
1702141540500
 

2017年1月10日 (火)

千葉縣護國神社

稲毛に行った帰り、稲毛駅から千葉大キャンパス、千葉縣護国神社を抜けて、千葉駅まで散歩してきた。
 
 
 
①稲毛駅・・・・・・・・・・・2015年JR東日本管内の一日平均乗車人員の統計資料によると、稲毛駅は50,535人で管内93位である。 そして、私の住む浅草橋駅は53,954人で89位。 『稲毛に勝った!』と、喜びたいが、チョイと気持ちは複雑である。 稲毛駅には、キオスクがある、コンビニがある、飲食店がある、駅ビルがある。 浅草橋には、キオスクはないが自販機がある、コンビニもないが駅の外にある、飲食店については駅構内に立ち食いソバすらない、駅ビルはもちろんない、完敗である。、、、、もうすこし言わせてもらうと、我が浅草橋駅には書店がない。 読書の嫌いな人が多いのか? 本を買いたければ、秋葉原、日本橋、浅草へ行かないと買えないのだ。(愚痴になってきた!)
 
Dsc06836
 
Dsc06837_1
 
 
②千葉大西千葉キャンパス・・・・・・・・・・・戦後、 千葉医科大学・千葉師範学校・千葉農業専門学校など7校を包括して、新制の国立大学として発足した。 現在は10学部、10,000人以上の学生を擁する総合大学である。、、、、ここ西千葉キャンパスは、戦前は陸軍の敷地で、戦中・戦後は東京大学の敷地であった。 現在でも、隣接する敷地に東京大学生産技術研究所がある。、、、、、、現在の西千葉キャンパスには、文学部、教育学部、法政経学部、理学部、工学部の5学部がある。 広いキャンパス内には70棟以上の建物があるが、戦後の建物ばかりだ。
 
Dsc06842
 
Dsc06867
 
Dsc06843
 
Dsc06855
 
Dsc06860
 
Dsc06861
 
 
③西千葉稲荷大明神・・・・・・・・・・・西千葉駅の駅前ロータリーに赤い旗がなびき、お稲荷さんがコンコンと手招きしている。 ここらはその昔(江戸時代)、佐倉藩の刑場跡だったそうだ。 大明神の由緒書きによると、『江戸時代に与助と言う20代の若者が、ウナギを卸しているとある年長の女将さんと恋仲になり、それが発覚して西千葉の刑場で処刑をされることが決まった。刑場への道中、歯の強い男が与助の縄を歯で噛み切って、与助は江戸へと逃亡を図り、その後与助は小さな旅館で真面目に働き、その店は良く繁盛した。その後家族にも恵まれていたのであるが、与助の頭には自分が逃亡してきた西千葉で、他の処刑された人々への思いが募り、ある日西千葉へ出向き、小さな石を積み上げて供養した』のがはじまり。、、、、、、それにしても、駅前ロータリーの一等地に鎮座するとは、いい場所を確保したお稲荷さんだ!
 
Dsc06841
 
Dsc06840
 
 
④千葉縣護国神社・・・・・・・・・・・戊辰戦争から太平洋戦争に至るまで、国事に殉じた千葉県出身・由縁ある英霊を祀る神社。 合祀祭神は現在五万七千余柱。 (靖国神社の千葉県版と云うことだ!)、、、、、、、明治11年(1878)1月27日に初代県令の発起により、「千葉縣招魂社」として創建され、明治維新で亡くなった佐倉藩士16人の霊が祀られた。 昭和14年(1939)、招魂社の制度がを護国神社に改められ「千葉縣護國神社」と改称した。 元の鎮座地は千葉県庁公園内で、明治22年(1889年)に千葉神社境内に遷座し、さらに、昭和12年(1937)より亥鼻山への遷座がすすめられた。 昭和18年(1943)に新社殿が竣工したが、昭和20年(1945)の戦災で社殿を焼失した。 昭和42年(1967)に現在地(千葉市中央区弁天3)に遷座した。、、、、、、鉄筋コンクリート、切妻造り、妻入りの現社殿は昭和42年の建築。 スケール感ある、直線的なデザインで、出雲大社の現代版のような雰囲気がある。
 
Dsc06910
 
Dsc06909
 
Dsc06902
 
Dsc06900
 
・・・・・・・・・・・・・・・社殿では、結婚式のPR用か(?)、写真撮影中。、、、、、私もモデルをやってみたくなった!
 
Dsc06894
 
・・・・・・・・・・・・・・神社に隣接する、千葉公園の一画には千葉県忠霊塔が建っている。 千葉県忠霊塔は、日清戦争以降の戦没者を追悼するとともに、恒久平和を祈念して県が建設し、管理しています。 昭和29年(1954)4月8日竣工。、、、、、毎年8月15日には、戦没者を追悼し、平和を祈念するため、知事をはじめ関係者の拝礼が実施されているそうだ。、、、、、忠霊塔の周辺にはいくつかの慰霊碑なども建てられていた。、、、、、邪魔する人もいない静かな場所で、慰霊碑に手を合わせて来た。
 
Dsc06887
 
Dsc06871
 
Dsc06874
 
Dsc06876
 
 
⑤千葉駅・・・・・・・・・・・千葉駅の勝手口とも云うような北口から駅に入る。
 
Dsc06912
 
Dsc06918
 

2016年12月23日 (金)

矢切~市川

北総線矢切駅から総武本線市川駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。 
 
 
 
①矢切駅・・・・・・・・・・・・今日も電車に乗ってから、『どこで降りようか?』と迷ってしまった。 浅草橋からは地下鉄浅草線のに乗ったので気づかなかったが、押上を過ぎ地上に出るや、『オウ~、まぶしい、晴天だ!』。 『ヨシ、緑多い江戸川あたりを歩いてみよう。』と、云うことで矢切駅で降りた。
 
Dsc00113
 
・・・・・・・・・・・・・・駅前で北の松戸方面に歩くか、南の市川方面に歩くか、また迷う。 どちらも、今年歩いた道なので、裏道を通って市川方面に歩くこととした。
 
Dsc00116
 
 
②中原寺・・・・・・・・・・・・矢切駅横の道を歩くと中原寺(ちゅうげんじ)に出た。 アッ!この寺も来たことあるぞ、去年歩いた道でした。 、、、、、国府台5丁目にある、浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺で、江戸時代末には無住の寺となったそうだ。 戦後、現在地にて再興した寺である。
 
Dsc00117
 
Dsc00119
 
 
③国立国際医療研究センター・国府台病院・・・・・・・・・・・・明治時代に創設された「国府台衛戍病院」、昭和になると「国府台陸軍病院」と改称し、戦後は「国立国府台病院」となり、平成20年からは国立国際医療研究センター・国府台病院となった。 さすが、国立の病院だけに敷地は広く、裏から入り、正面玄関前に出るまで、数多くの建物の外周をなめるように歩き、15分程要してしまった。
 
・・・・・・・・・・・・・国府台の台地の上の裏道を歩きを国府台病院の裏に出た。
 
Dsc00123
 
・・・・・・・・・・・・・・病院の広大な敷地の裏手(北側)には職員住宅のような建物が数棟並んでいる。 なんだか拝見したくなり、構内にお邪魔する。
 
Dsc00124
 
・・・・・・・・・・・・・・木立の影に旧建物の診療棟か?
 
Dsc00126
 
・・・・・・・・・・・・・今度は「肝炎・免疫研究センター」なる建物が、、、、こりゃ!近代的な建物だが、何の研究してるのやら、さっぱり判らん!
 
Dsc00127
 
・・・・・・・・・・・・・・こちらは、新しい病棟のようだ。
 
Dsc00129
 
・・・・・・・・・・・・・・東側の奥、広い空き地の向こうにも職員住宅のような建物が数棟並んでいる。 昭和40年代頃の建物か?
 
Dsc00133
 
Dsc00135
 
・・・・・・・・・・・・・・南側には寮のような建物がある。
 
Dsc00134
 
・・・・・・・・・・・・・やっと、正面玄関のある新しい建物の前に出た。、、、、、広い敷地にビックリ。 ちなみに、写真を撮った地点もまだ病院の敷地内。
 
Dsc00141
 
 
④千葉商科大学・・・・・・・・・・・国府台病院から松戸街道を南へ400m程の所に千葉商科大学のキャンパスがある。 昭和25年(1950)に設置された単科大学であるが、現在は商経学部、政策情報学部、サービス創造学部、人間社会学部、国際教養学部などがある。、、、、、 こちらも構内をチョイと拝見! 古い建物はないが、キャンパスらしい造りである。
 
Dsc00144
 
Dsc00146
 
Dsc00147
 
Dsc00153
 
Dsc00154
 
 
⑤国府台県営住宅・・・・・・・・・・・千葉商科大学のキャンパスの隣に建つ千葉県の県営住宅。 団地には1号棟から7号棟まであり、7号棟だけは3棟で構成されている。 その7号棟は、2階建て準耐火構造で昭和35年(1960)に建てられた。 残る棟は中層耐火構造である。、、、、、7号棟だけがチョイと変わった構造であるのはなぜか不明(?) 千葉県では団地内の建物をすべて解体し、建て替えることになった。
 
・・・・・・・・・・・・・写真右側は中層耐火構造の建物、左側は7号棟で準耐火構造。
 
Dsc00160
 
・・・・・・・・・・・・・・7号棟は2階建てで、間取りは4.5+4.5+3、家賃は19,400円程。 既に、大部分は立ち退いたようだである。、、、、こちらも、昭和モダンの建物だったのかも? 
 
Dsc00159
 
・・・・・・・・・・・・・・7号棟南側を見ると、浴室と3帖の部屋が増築されている。
 
Dsc00157
 
 
⑥弘法寺・・・・・・・市川市真間にある日蓮宗の本山で真間山弘法寺(ぐほうじ)。 行基が真間の手児奈(=てこな。 山部赤人などの万葉歌人に詠まれた伝説の美女の名。美人ゆえ手児奈をめぐり争いがたえず入水自殺する。)の霊を供養するために建立した求法寺がはじまりだ。平安時代には、空海が伽藍を構えて弘法寺と改称し、その後、天台宗に改宗した。鎌倉時代には、日蓮の布教を受けて、時の住職が問答にやぶれ、日蓮宗に改宗する。、、、、、ころころと改称・改宗した寺だ! 
 
・・・・・・・・・・・・・・本殿は平成の建築。
 
Dsc00169
 
・・・・・・・・・・・・・・祖師堂、、、、、平成22年の建築
 
Dsc00172
 
・・・・・・・・・・・・・・大黒堂
 
Dsc00166
 
・・・・・・・・・・・・・・仁王門、、、、、寺は明治時代に大火により焼失したが、その際、残ったのが仁王門である。
 
Dsc00180
 
Dsc00177
 
・・・・・・・・・・・・・・・仁王門前に立つと、正面にJR市川駅に向かう参道(大門通り)と、駅前の二つの超高層住宅を見ることができる。
 
Dsc00182
 
・・・・・・・・・・・・仁王門前の石段を下ると、左側に手児奈霊神堂が見える。 伝説の美女を祀る霊堂。、、、、、“美女”を祀っているのに、お姿は見えずガッカリである。 できることなら、生き仏として見てみたいね。
 
Dsc00186
 
 
⑦市川駅へ・・・・・・・・・・・・真間川を渡り、京成本線の踏切を越えると、JR市川駅に到着。
 
Dsc00192
 
Dsc00199
 
Dsc00203

より以前の記事一覧