埼玉県

2017年4月17日 (月)

鹿浜

日暮里・舎人ライナー西新井大師西駅から、ほぼ真西にある芝川水門まで行き、再び西新井大師西駅まで戻る、1万2千歩の散歩です。
 
 
 
①西新井大師西駅・・・・・・・・・・・平成20年(2008)3月30日、日暮里・舎人ライナーの開通と同時に開業した駅。、、、、、駅名となっている西新井大師までは、東へ直線距離で約1km、許容範囲を超えた無理な命名だ。 お年寄りが当駅で降りてお参りに行くと、大師の門前で行き倒れるかも(?) 後悔しないように、東武大師線、東武バスを利用し、無理のない参拝をしよう。
 
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②江北六丁目団地・・・・・・・・・・西新井大師西駅西口に隣接する、昭和46年(1971)に建てられた総戸数860戸(29棟)の旧住宅公団の団地。 近年、リニューアルしたようで外装はきれいだが、全棟5階建て鉄筋コンクリート造の団地は、団地ファンが喜びそうだ。 This is “昭和40年代の団地”。
 
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③押部八幡神社・・・・・・・・・鹿浜7丁目にある、誉田別尊(応神天皇)を祭神とする旧鹿浜村小名押部の鎮守社。 神社の創建は徳川時代中期と伝えられている。 大正12年(1923)の関東大震災で社殿が破損したが、直ちに再建し現在に至る。
 
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④阿弥陀院・・・・・・・八幡神社の隣に、天明2年(1782)の創建と言われている真言宗智山派の阿弥陀院がある。 本尊は阿弥陀如来像。、、、、、昭和40年(1965)に、鉄筋コンクリート造で本堂および庫裡の改築が行われたそうだ。
 
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⑤焼き芋・・・・・・・・・・おいおい、20℃を超えたこの暑さ、焼き芋屋さんがいる。 ちゃんと、窯に火が入っている。、、、、、芋屋さんは運転席で地図を広げ、マーケットを分析中。 売れそうな、寒い場所へ移動するのか?
 
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・・・・・・・・・・・・・・・ギョ! 芋屋さんの車の先に、ナント! 機関車が! これは、偶然か? 神の御導きか?
 
 
⑥C5075機関車・・・・・・・・・・ここは、北鹿浜公園。 公園の中に、一見して、可哀そう、痛々しい、見すぼらしい、重病の機関車が展示されていた。、、、、この蒸気機関車はC5075(中距離用小型テンダ機関車)といい、昭和4年(1929)に川崎重工兵庫工場で製造され、昭和46年(1971)まで、豊岡・奈良・亀山などの機関区に所属し200万kmも走り続けた強者である。、、、、、柵の貼り紙には、今年から2年間かけボランティアの支援を得て、補修と塗装が行われる旨、記されていた。 しっかりと修理されることを期待し、よろしく!
 
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⑦芝川・・・・・・・・・・・・・C5075機関車から500m程西へ向かうと今日の散歩の目的地「芝川」に出た。 芝川は、桶川市が源流で、上尾を抜け、見沼田圃を抜け、川口市に入り、芝川水門で荒川に注ぐ一級河川。、、、、、写真:右側は足立区鹿浜、左側は川口市領家
 
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・・・・・・・・・・・・・・振り返り、川下には赤い建物「新芝川排水機場」と左に「芝川水門」が見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・芝川水門、、、、、、大雨などによる洪水が発生した場合、荒川の水位が高くなると芝川へ逆流が発生してしまう。それを防ぐために作られたのが芝川水門である。 普段はゲートが上がっていて、船は行き来できる。、、、、ゲート2門の水門は、昭和46年(1971)に完成した。、、、、現在は、耐震補強中である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・新芝川排水機場、、、、、、水門の隣には芝川増水時に水をポンプで荒川に排水するために昭和53年(1978)に設置された新芝川排水機場。 その排水口に新芝川排水機場樋管(樋門)があります。
 
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⑧都市農業公園・・・・・・・・・・・・芝川水門の近くに、足立区立の都市農業公園がある。 園内の一画に、江戸時代後期の農家(和井田家)、旧浅野家長屋門(俗称「谷久門」)が移築保存されている。、、、、、足立区内にあった、昔の農家で、東京にあるとは思えない農村の風景を楽しむことができる。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この後、西新井大師西駅に戻り、帰宅。

2017年4月 6日 (木)

戸田橋

JR埼京線戸田公園駅から、荒川に架かる戸田橋を渡り、埼京線浮間舟渡駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①戸田公園駅・・・・・・・・・・・東北新幹線の建設では、埼玉県南部の人口密集地を抜けるため、新幹線高架橋と並行して通勤新線を建設し住民の説得にあたったのが埼京線である。 昭和60年(1985)9月30日、その埼京線と同時開業した駅の一つが戸田公園駅。、、、、島式ホーム1面2線と、両外側に1線づつ通過線がある高架駅。 下り線の外側には新幹線の高架橋が並行する。
 
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・・・・・・・・・・・・・・このまま電車に乗って終点まで行きたくなった!
 
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②地蔵堂・・・・・・・・・・・・・荒川の左岸:戸田市川岸1丁目に地蔵堂がある。 堂は江戸時代の絵図にも記載されている、戸田市内最古の木造建造物だそうだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・地蔵堂の近くにある水神宮(すいじんぐう)。、、、、正面の石碑には寛政8年(1796)の銘がある。 この地の氏神さまらしい。
 
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・・・・・・・・・・・・・・地蔵堂の近くにもう一つ古そうなものがあった。、、、、今も現役のポスト
 
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③戸田の渡し跡・・・・・・・・・・水神宮向かいの荒川土手に「中山道戸田渡船場跡」の碑がある。、、、、、、荒川には江戸防衛の意から橋は架けられず、人々はここを越えるには船による渡しに頼らざる得なかった。 これが中山道「戸田の渡し」である。、、、、この渡しは、天正年中(1575~1591)よりあったとされ、その重要性は近世を通じて変わらなかった。 明治8年(1875)には木橋の戸田橋がついに完成し、「戸田の渡し」が廃止となった。
 
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④戸田橋親柱・・・・・・・・・・・戸田橋の北詰(戸田市川岸3)の戸田橋親水公園に3代目戸田橋の親柱が保存されている。、、、、、、3代目戸田橋は、昭和4年(1929)に着工し、総工費101万9000円を投じ、昭和7年(1932)12月24日に竣工した、長さ545m、幅11m、当時の橋梁技術の粋を集めた近代的な鉄製トラス橋で、完成当時は日本一斬新でモダンなデザインが話題を呼んだ。 橋の設計は増田淳(千住大橋白鬚橋などを設計)、橋の施工は横河橋梁(現、横河ブリッジ)、架設は鴻池組である。
 
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・・・・・・・・・・・・・親柱の銘板「埼玉縣」には、後に米軍憲兵によって付けられたといわれている弾痕が3箇所ある。 一か所は、「埼玉縣」の“玉”の字の中央に、パチンコ玉程のくぼみを見ることができる。、、、、、“玉”を弾で傷つけ、おっ魂げた!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・3代目戸田橋 (雑誌「工事画報」昭和8年1月号より )
 
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⑤戸田公園・・・・・・・・・・駅名ともなっている戸田公園は、荒川の水を引き込んだ戸田オリンピックボートコースをはじめ、荒川の河川敷に広がる野球用のグラウンドなどの総称である。 戸田競艇場もボートコースの西端にある。、、、、、ボートコースは約2.5kmの長さ、長すぎるので、端っこだけ見てきた! 2020年東京オリンピックもここを利用すればいいのにね!
 
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⑥戸田橋・・・・・・・・・・・・現在の戸田橋は、埼玉県戸田市と東京都板橋区の間で荒川に架かるかかる橋で、国道17号(中山道)を通す。 新幹線・埼京線荒川橋梁が下流側に並行して架かる。、、、、、明治8年(1875)に最初の木橋の戸田橋が架けられ、大正元年(1912)に2代目の戸田橋(木橋)が架けられ、3代目は昭和7年(1932)に鋼製のカンチレバートラス橋が架けられた。、、、、、現橋(4代目)は、昭和53年(1978)竣工した、長さ519m、幅21mの鋼連続箱桁橋である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・上流側を望む。
 
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⑦浮間公園・・・・・・・・・・・浮間舟渡駅の正面に広がる、東側の北区と西側の板橋区にまたがる約4万m²の公園。、、、、元は荒川が流れていたところで、大正から昭和にかけての河川改修で一部が池になった。 昭和42年(1967)に浮間公園が設けられた。、、、、、只今、満開! 早々と、昼前から桜色に染まった人もいた。
 
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浮間舟渡駅 ・・・・・・・・・・北区浮間と板橋区舟渡の2区にまたがる駅。 
 
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2017年3月 3日 (金)

松原団地

東武鉄道伊勢崎線『松原団地駅』の駅名が今月末までで、4月1日からは『獨協大学前』となる。 それに伴い、記念乗車券が3月1日から発売されている。 欲しくなり、『買いに行こう!』、散歩を兼ね松原団地駅まで行ってきた。 松原団地、獨協大学にもお立ち寄り。 1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①松原団地駅・・・・・・・・・・・戦後、昭和30年代から昭和40年代は、高度成長期とも重なり、首都圏の住宅不足を解消するため、大規模団地の建設が各所で行われた。 その一つで、東洋最大規模のマンモス団地と呼ばれたのが、住宅公団が手掛けた「松原団地」である。 団地の入居に合わせて、松原団地駅は昭和37年(1962)12月1日に、新田~草加間に開業した。、、、、昭和39年(1964)には、団地の南側に隣接して獨協大学が開校し、学生も乗降する駅となる。 さらに昭和63年(1988)からは、それまでの地上駅から高架駅に変わる。、、、島式ホーム1面2線の高架駅で、停車するのは緩行線である。 優等列車は両外側を通過する。、、、、「松原団地」と表示された駅名の見納めである。 こんど来たときは「獨協大学前」だ。
 
・・・・・・・・・・・・・・・松原団地側の西口
 
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・・・・・・・・・・・・・・旧日光街道側の東口
 
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・・・・・・・・・・・・・・緩行線しか止まらぬホーム。
 
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●駅名変更・・・・・・・・・・・駅名となった「松原団地」は、現在、都市再生機構(UR)による全面的な建て替えが進められている。 また、市街地の整備も進められ、平成2年(2014)3月に旧日光街道の「草加松原」が国指定の名勝地“おくのほそ道の風景地”となったことを受け、草加商工会議所を中心に駅名変更の声が高まっていた。 そこで駅名変更により地域のイメージアップとともに、観光地としてのPRにもつなげる狙いで、「獨協大学前〈草加松原〉」駅に改称される。、、、、名称変更に要する費用(約3億円)は獨協大学が全額負担する予定らしい。(大学のPRになるからね!)、、、、駅名変更を記念し、3000セット限定で価格は500円也の記念乗車券が発売された。 松原団地駅で記念乗車券を入手し、顔もほころび、ニコニコ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・駅に貼られたポスター
 
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●松原団地と獨協大学の位置・・・・・・・・・・昭和54年(1979)の空中写真
 
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②松原団地・・・・・・・・・・松原団地は東側(駅側)から、A・B・C・Dの4地区に区分され、A地区は建て替え済み、B地区は建築中、C地区は今年取り壊し予定、国道4号側のD地区はおそらく来年取り壊されるであろう。、、、、、第1期の入居募集は昭和37年(1962)から翌年に架け実施され、780戸の募集に対して、約1万件の応募があったそうだ。、、、、全住居は約6000戸あったそうで、1DKが約1400戸、2DKが約2200戸、3DKが約1700戸、テラスハウスが約660戸の内訳である。 各戸とも狭い、当時の造りであったようだ。、、、、、建て替えは、民間のデベロッパも参加して進められている。 すでにA地区は約1,500戸の分譲・賃貸住宅で事業は完了しており、住友不動産が分譲するマンションはB地区。 残りのC・D地区は未定で、戸建ても含め約3,000戸が建設される予定。、、、、、新しい住居は広いく、便利で使い勝手がよさそうだ、若い人が多く、保育園はママどうしのおしゃべりの場。 D地区にまだ住んでいるお年寄りは、チョイト淋しそうだった。
 
・・・・・・・・・・・・・・建て替えの済んだ地区。 まだ汚れの無い、綺麗な建物だが、なんとなく薄っぺらな感じがするね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・B地区は工事中。
 
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・・・・・・・・・・・・・・C地区は取り壊しが始まっている。、、、、建てた人、住んだ人、生まれた人、皆、思いである建物だ。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・通る人影もない道、遊ぶ子供もいない公園、いったい何人がいるのか? ゴーストタウンのような静けさのD地区。、、、、テラスハウスを含む、D地区の一画を“昭和の遺産”として保存できないものか?
 
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③獨協大学・・・・・・・・・・・明治16年(1883)、西周、品川弥二郎、加藤弘之らによって東京の麴町区に設置された獨逸學協會學校を起源とする。 獨逸學協會學校では、現在の法科大学院と同等の教育を実施していた専攻科を明治28年(1895)まで設置していた。 昭和39年(1964)、第2次吉田内閣で文部大臣を務めた天野貞祐を初代学長に迎え大学を設立した。、、、、大学は現在、草加市に所在し、語学・経済学・法学などの4学部4研究科を置く、人文科学・社会科学系総合大学である。、、、、チョイト、構内を見学。
 
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・・・・・・・・・・・・・・キャンパス中央にある天野貞祐記念館を拝見。、、、、地上5階建て、高さ33m、延床面積約29,500㎡の建物は、「日本建築家協会優秀建築選2008」、「2013年度草加市まちなみ景観賞」などを受賞した、学内最大の複合施設であり、外観はドイツの国会議事堂をモデルとしている。、、、、私は、ドイツに行ったこともなく、国会議事堂とは? プラネタリウムかと思った!
 
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・・・・・・・・・・・・・エントランス部分、、、、、明るく、広い、学生はどこに?
 
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・・・・・・・・・・・・・・図書室、、、、、ここも空いてるね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・「獨協歴史ギャラリー」には、大学の歩みを知る資料がズラリ! その一画には、天野貞祐の書斎が復元されれていた。
 
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2016年10月20日 (木)

八潮~谷塚

つくばエクスプレス八潮駅から、東武スカイツリーライン(伊勢崎線)谷塚駅まで、1万3千歩、8kmの散歩です。
 
 
八潮駅 ・・・・・・・・・つくばエキスプレスに乗ると、浅草から八潮までは12分で着く。 浅草橋の我が家からだと約30分である、早い! 今日も特段の思いがあるわけではないが、八潮駅で下車してみた。、、、下車はしたけど、『どちらへ向かう?』、駅でしばし作戦タイム。 持参のタブレットで、地図をにらみ、近そうな東武伊勢崎線の谷塚駅まで歩くことにした。
 
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②西へ向かう・・・・・・・・・・・・「西はどっちと ききたいけれど 来る人 婆さん ばかりなり」
 
・・・・・・・・・・・・・・首都高6号三郷線の下を抜け、新興住宅街の八潮の町へ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境橋付近の「葛西用水」に出た。、、、、雑草が茂り、川面は見えず、やぶ蚊の多そうな水路である。、、、、、江戸時代初頭の万治3年(1660)に江戸幕府が天領開発の一環として、灌漑用水路の開発を始めた。 利根川から引いた水で埼玉県東部を潤す農業用水として、埼玉県羽生市から東京都足立区東和まで伸びている。 完成までに100年を要したそうだ。、、、、、橋や堰を見ていると、農業用水として活用されていた時代が偲ばれる。
 
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③大曽根八幡神社・・・・・・・・・・・境橋の西(八潮市大曽根)に八幡神社はある。 八幡神社の創建は文亀2年(1502)と言われている。 譽田別命を祭神として境内に稲荷神社・天神社・古峯神社を祀る。、、、、、 現社殿は明治28年(1895)の再建で、本殿は総欅一間社流れ造り、向拝正面を唐破風、上部を千鳥破風、桂間の壁面は神話を題材とした浮彫りをはめこむ手の込んだ造りである。
 
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④都営花畑第4アパート・・・・・・・・・・大曽根八幡神社から西へ歩くと足立区花畑8丁目になった。  『アレ? 足立区?』、、、、八潮市と草加市の境に、強引に割り込んだような形で足立区の土地がある。 地図を見ると東京23区の北の端:足立区、その足立区の北の端が花畑8丁目、さらに8丁目の北の端を含み8丁目の半分ほどを花畑第4アパートが占めている。、、、、、この“端”に気付いた私は、都営アパートの北の端が見たくなり、花畑第4アパートの北の端の棟を探してみた。
 
・・・・・・・・・・・・・八潮市の方から歩いてくると、綾瀬川の対岸に花畑第4アパートが見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・綾瀬川は桑袋大橋(くわぶくろおおはし)で越える。、、、、平成2年(1989)3月の竣工。
 
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・・・・・・・・・・・・・・花畑第4アパートは、昭和46年(1971年)の建設、総戸数1004戸(22棟)の綾瀬川沿いにある大きな団地。 団地内には数件の商店があるが、周辺には大規模なスーパーなどはない。 最寄りの駅は東武伊勢崎線の谷塚駅、バスで10分、歩くと1時間。、、、、大袈裟に言うと、年寄りには、駅まで遠く、活気がない、陸の孤島である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・さてさて、私の求めていた、都営住宅の北の端はどれだ!、、、、まず、案内図で確認すると、22号棟が北の端である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・22号棟に到着。、、、、、来てみれば、なんの変りもない、ごく普通の建物である。 『あたり前田のクラッカー!』、、、、公式には確認できないが、この建物が最北端の都営住宅かも(?) 探した私も感動した(?)
 
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⑤草加市瀬崎・・・・・・・・・・花畑第4アパートを後にして、我が足は西に向かう。 アパートの敷地を抜けると、そこは草加市瀬崎である。 1丁目から7丁目まである広い町だが、我が足を止めるようなものもなく、谷塚駅に向けスタコラ・サッサ・ホイ・サッサ。、、、、、写真は順に、草加市記念体育館、追手風部屋、西往寺、富士浅間神社
 
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⑥谷塚駅・・・・・・・・・・・・・・谷塚に到着、やー疲れた!
 
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2016年10月 4日 (火)

八潮~水元公園

台風襲来前の真夏日、熱中症に要注意、予想最高気温33℃、いろいろ言われたが暑い一日であった。、、、、暑い 暑いと 叫べば 暑い 彼岸 過ぎたよ 馬鹿陽気
 
つくばエクスプレス八潮駅から、葛飾区の水元公園まで、1万歩、8kmの散歩です。
 
 
 
八潮駅 ・・・・・・・・・・・埼玉県の東南、草加市と三郷市に挟まれた知名度の低い「八潮市」。 市内唯一の鉄道駅が八潮駅。、、、、、平成17年(2005)8月24日、つくばエクスプレスの開通と同時に開業した、島式ホーム2面4線の高架駅である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・【由来】 「八潮」の地名は昭和31年(1956)、条村と幡村と止村が合併し八潮村が誕生した。 市に昇格したのは昭和47年(1972)の昭和の大合併の時である。、、、、駅前に鉄塔があるのは気になるが、村も50年過ぎると立派な市に変身したようだ。
 
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潮止橋 ・・・・・・・・・・中川に架かり、八潮市と三郷市を結ぶ県道が通る潮止橋(しおどめはし)。 橋名は上流にかつて潮止村があったことによる。、、、、、交通量の多い県道で、よそ見してると自転車に轢かれるかも。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・橋から中川の上流を見る。
 
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③大瀬氷川神社・・・・・・・・・・・潮止橋を渡ると、大瀬氷川神社が県道横に見える。 創建年代は不詳。 「大瀬」の地は、葛飾区水元・三郷市戸ケ崎などとの水運拠点として古くから栄えたらしい。 神社は大瀬の鎮守として祀られ、明治42年(1909)に浅間神社を合祀し、大正9年(1920)には中川河川改修のため現在地へ遷座した。 祭神は櫛稲田姫命、須佐之男命。、、、、、大正12年(1923)の関東大震災では、移築して間もない社殿が右に傾き、鳥居や石灯籠が倒壊し、数年がかりで氏子一同力を合わせて復興したそうだ。 
 
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④二郷半領用水逃樋/二郷半領不動堀樋・・・・・・・・・・大瀬氷川神社を過ぎると、県道は三郷市の戸ケ崎交差点に出る。 ここから、交差する県道54号線(草加~千葉県:松戸)を南に向かうと、葛飾区水元公園の手前で第二大場川を越える。 ここに、煉瓦造の樋管が2か所にある。 二郷半領(にごうはんりょう)は地名。
 
・・・・・・・・・・・・・・二郷半領用水逃樋 (にごうはんりょうようすいにげひ)、、、、、、、この樋管は明治43年(1910)の大洪水で大破した木製樋管を、煉瓦造りで復旧したものである。、、、、逃樋の建設工事は、明治45年(1912)1月12日に起工し、同年3月31日に竣工した。 県の直轄工事であったが、担当は北葛飾郡技手の金子峯吉。 建設費は7,818円。   樋管長は19.1m。、、、、、現在、上部には県道が通り、樋管の周囲は雑草が茂り、チョイと見えにくい位置にある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・二郷半領不動堀樋 (にごうはんりょうようふどうほりひ)、、、、、逆流防止用として建設された樋管である。、、、、こちらも、県直轄工事だが、逃樋と同じ金子峯吉が担当し、建設費約11,014円で、大正3年(1914)4月1日に着工し、同年5月30日に竣工している。 樋管の長さ22.4m。
 
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⑤閘門橋・・・・・・・・・葛飾区水元公園の北の端、大場川に架かる閘門橋(こうもんばし)は、明治43年(1910)に完成した、煉瓦造りのアーチ橋(上流側:4連、下流側:6連)である。 長さ30m、高さ5.5mで、上流側と下流側ではアーチの連数が異なる珍しい形式の煉瓦水門。 都内唯一の煉瓦アーチ橋で、土木遺産に選定されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・上流側、、、、、一文字ずつ竣工年を刻んだ石の銘板が、壁面に埋め込まれている。(写真では読みづらいかも)
 
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・・・・・・・・・・・・・・下流側、、、、、、、中央アーチ部には、堰板を落とし込む二人の男のブロンズ像が設置されている。
 
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⑥水元公園・・・・・・・・・・・・葛飾区の北に位置する都立水元公園。 一部は埼玉県三郷市にもまたがっている。 93万m2以上ある、広い公園。 もともとは古利根川の河川敷であったものを公園とした。、、、、、平日の午前中だから(?)、子連れも、犬も、アベックも少ない、多いのは釣り人だけだ。 都内の公園とは思えない静けさ。癒されるね。
 
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●・・・・・・・・・・・水元公園の近くにバス停を見つけた! 時刻表では、20分おきに1時間3本ある。 次のバスまで3分。 ちょうどよい、これで金町駅へ出よう。、、、、待つこと15分、まだ来ない、イライラ。 ♪♪田舎のバスは おんぼろ車 ・・・・♪♪、歌えど歌えどまだ来ない、イライラが溜まり、オシッコも溜まる。、、、、、地元のおじさんが、私の背後から、『そこで待っててもバスは来ないよ! 土日だけだ!』  なに! 時刻表の端に、『土曜、日曜、祝日 運転』の文字が見えた、ビックリ、ガックリ、ポックリ!、、、、、礼を述べ、運行しているバス停を教えてもらい、さらに10分待って帰宅の途へ、、、、、
 
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2016年3月30日 (水)

谷塚~六町

春の陽気に誘われて今日の散歩は、東武伊勢崎線の谷塚駅から、町名が春らしい足立区「花畑(はなはた)」を抜けて、六町駅まで、1万2千歩、9kmの歩きです。



①谷塚駅
・・・・・・・・・・・・谷塚(やつか)駅は、埼玉県草加市にある東武伊勢崎線の駅。 南隣の駅:竹ノ塚(東京都足立区)と谷塚駅のほぼ中間が埼玉と東京の境である。、、、、、駅は大正14年(1925)に開業した。 昭和63年(1988)に高架工事が完了し、1面4線の高架駅となった。、、、、、駅名:谷塚は旧村名に由来するそうだ。

・・・・・・・・・・・・・・朝、谷塚駅で下車する人は少ないようだ。

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・・・・・・・・・・・・・・ペチャとしたかまぼこ型の屋根が、なぜかレトロな風味を醸し出している高架下の駅東口。

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・・・・・・・・・・・・・・・駅前のロータリー、、、、、200m程先に旧日光街道が通っている。

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②富士浅間神社
・・・・・・・・・・・駅前を真っ直ぐ進むと、旧日光街道に面して境内の広い富士浅間神社がある。 神社は木花開耶姫命を祀っている。 創建年代は不詳であるが、他所に祀られていた当神社を明暦年間(1655~1657)に、現在地へ遷座したといわれている。、、、、、鳥居の前は旧日光街道で交通量も多く、建物の痛みもひどいようだ。

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・・・・・・・・・・・・・・ここにも、あった! 几号水準点 (きごうすいじゅんてん)、、、、、、境内に設置された教育委員会による案内板には以下のように書かれていた。 『慶応元年(1865)銘のある手洗石に刻まれている「不」の記号は、「高低測量几号」といい、水準点を示します。 内務省地理寮が明治9年(1876)8月から一年間、イギリスから招聘した測量技師の指導のもと、東京塩釜間の水準測量を実施したとき、一の鳥居際(現在、瀬崎町の東日本銀行草加支店近く)の境内末社、下浅間神社の脇に置かれていた手洗石に、この記号が刻まれました。 当時、測量の水準点を新たに設置することはせず、主に既存の石造物を利用していました。市域でも二箇所が確認されています。この水準点が刻まれた時の標高は、3.953mです。測量の基準となったのは霊巌島(現:中央区新川)で、そこの平均潮位を0.000mとしました。その後、明治17年(1884)に、測量部門はドイツ仕込みの陸軍省参謀本部測量局に吸収され、内務省の測量結果は使われることはありませんでした。 以後、手洗石も明治40年代(1907~1912)と昭和7年(1932)に移動し、記号にも剥落が見られますが、この几号は、測量史上の貴重な資料であるといえます。』

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・・・・・・・・・・・・・・「手洗石」は拝殿横にあったが、私には几号を見つけることができず、諦めかけた。 ちょうどそのとき、地元の世話役と思われる方に尋ねることができ、かすかに読み取れる慶応元年の「慶」の字と、几号の“不”の字に似た形状を見つけることができる。、、、、、、まだチョンマゲ時代の手洗石に彫られた几号水準点と感動のご対面。 今日はついてるね!

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・・・・・・・・・・・・・・・神社境内には大正5年(1916)に地元の浅古清右ヱ門が発起人となり、自ら200円を出し、その他30数名が2円~10円を出して造った富士塚がある。、、、、、、往時に近い形で残る貴重な富士塚らしい。、、、、残念であるが、登山禁止。

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③花畑大橋
・・・・・・・・・・毛長川は埼玉県川口市・草加市と東京都足立区の境を流れ、綾瀬川に合流する一級河川。 毛長川に架かり、草加市瀬崎と足立区花畑を結ぶ橋が花畑大橋である。、、、、、“花畑大橋”と聞くと、何となく近代的で大きな橋をイメージするが、現実は厳しく、長さ31m程で中規模の橋。 デザインはシンプルでどこにでもある橋。 昭和58年(1983)竣工。、、、、、都県境が川の上ではなく、埼玉県側の川岸に在るため、この橋は、東京都の管理下にある。 それ故、橋名は足立区側の地名から名づけられた。 普通なら、両岸の地名から“花咲(崎)橋”とか、“足臭(草)橋”などと命名するのだが。

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④花畑団地
・・・・・・・・・・花畑大橋を渡ると、橋の南端(足立区花畑)の両側に大きな花畑団地が広がっている。、、、、、、団地は東京オリンピックが開催された昭和39年(1964)から入居が開始され。 78号棟までは全て5階建ての集合住宅であったが、昭和49年(1974)に8階建ての79・80号棟が建てられた。 東京ドーム約4.7個分(約22ha)の広大な敷地に80棟(2,725戸)の集合住宅が並ぶ、都内でも最大級の大規模団地となった。、、、、しかし、この団地も老朽化が進み、平成22年(2010)から、建物のリノベーション、リホーム、バリアフリー化、公園・施設の整備、植栽の手入れなど団地の再生が進められている。、、、、、暗い、薄汚れた団地のイメージも大きく変わったようだ。 民間のアパート、マンションでは考えられない、ゆとりある緑の空間はいいものだ!

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⑤花畑の町
・・・・・・・・・・・送電線の下を歩き六町駅に向かう。、、、、、かなりの数のモンシロチョウが飛びまわり、春を感じさせる光景も見られた。

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六町駅
・・・・・・・・・・・・・つくばエクスプレス六町(ろくちょう)駅から、秋葉原までは16分程、ナントマ~早いこと! 陸の孤島のようだった足立区北部も大きく変化したようだ。

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2015年11月13日 (金)

東十条~川口元郷

京浜東北線の東十条駅から、新神谷橋、鹿浜橋を渡り、芝川水門をとおり、埼玉高速鉄道の川口元郷駅まで、1万4千歩、10㎞の散歩です。


東十条駅北口
・・・・・・・・・・2つの島式ホームで中線1本を挟む2面3線の地上駅。 改札口はホーム両端の階段上にある、南口、北口の2か所の橋上駅。 北口は改札を出ると橋上で東西に分かれ、西は武蔵野台地の崖上にでる、東は下十条運転区への数本の引込線を越えて東十条商店街にでる。、、、、、昭和6年(1931)、下十条駅として開業。

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・・・・・・・・・・・・・都心に向かう乗客もまばらだが、到着する電車は満員状態。 JR東日本の乗降客数ランキングでは、一日20,000人程で、170位ぐらい。

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・・・・・・・・・・・・・・北口改札脇に構内売店がある。 私の住む浅草橋は、乗降客数約53,000人で88位だが、駅構内には売店・そば屋は無い、負けた!

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・・・・・・・・・・・・・・北口、東十条商店街側の出入口。

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・・・・・・・・・・・・・東十条商店街を駅へ向かうサラリーマン。

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②環七通り
・・・・・・・・・板橋方面からは東十条駅の北側でJRを越え、新神谷橋で隅田川を越えて足立区に入り、鹿浜橋で荒川を越え、西新井、北綾瀬、亀有方面に向かう。

・・・・・・・・・・・・・北区神谷付近の宮堀交差点。 環七通りは神谷陸橋で北本通りを越える。、、、、、、陸橋で通過する車はいいが、歩道橋で横断する年寄りは階段がイヤだね!

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・・・・・・・・・・・・・・隅田川最上流のから2番目の橋:新神谷橋 を渡る。  昭和40年(1965)に開通した橋長153.1mのプレートガーダー橋。

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・・・・・・・・・・・・・・隅田川の上流を望む

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・・・・・・・・・・・・・・環七通りは新神谷橋から足立区に入る

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・・・・・・・・・・・・・・続いて、鹿浜橋を渡り荒川を越える。、、、、、鹿浜橋は昭和40年(1965)に開通、長さ451.3mの橋。

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③都市農業公園
・・・・・・・・・・・・・・鹿浜橋を渡り、荒川の左岸のスーパー堤防上を上流側に300m程歩くと、芝川が荒川に注ぐ河口付近に、田・畑・花壇のある足立区立の都市農業公園がある。 公園は平成7年(1995)に開園し、「自然と遊ぶ、自然に学ぶ、自然共に生きる」をテーマに、農業体験教室、ハーブ教室など植物に関する講習会にも参加し、学ぶことができる。

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・・・・・・・・・・・・・・園内には、江戸時代後期の農家:和井田家旧浅野家長屋門が移築保存されている。、、、、、、、周囲には、田・畑が作られ、タイムスリップできる楽しい処だ!  

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④芝川水門
・・・・・・・・・・・・・都市農業公園とは芝川を挟み対岸に、芝川水門と新芝川排水機場がある。 芝川は埼玉県桶川市から上尾市を経由して川口市へと流れる一級河川で、芝川水門から荒川へ注ぎ込んでいる。、、、、、、写真は、昨年8月に荒川の対岸:北区志茂から撮影した。 水色の水門が芝川水門、左のレンガ色の建物が新芝川排水機場。

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・・・・・・・・・・・・・・芝川水門、、、、、、普段は、新芝川・芝川から荒川に注ぎ込む流れであるが、大雨等による洪水が発生した場合、荒川の水位が高くなり芝川へ逆流してしまう恐れがある。 そこで、造られたのが芝川水門である。、、、、、昭和46年(1971)に大林組の施工で竣工した、高さ13.9m、幅20.0mのゲートが2門備えられた水門。 ゲートの開閉には40分かかるそうだ。、、、、、、、現在、水門は耐震補強工事中、完成は平成29年を予定。 

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・・・・・・・・・・・・・・新芝川排水機場、、、、、、芝川水門を閉じると芝川の水位が上がり、そのままだと芝川が氾濫するため、排水機(ポンプ)で強制排水し荒川に流す設備。 最大毎秒50m3(1分間に25mプール6個分の水量)の排水ができるそうだ。 昭和52年(1977)に完成した。

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⑤GardenCafe IMUZIO
・・・・・・・・・・・川口市領家5に、機械・鋳造などを製造していた(株)大泉工場がある。 同社は、時代の変化で平成20年(2008)に製造業を終了し、倉庫業、ロケーションレンタル業、OKS FACTORY/GARDEN事業に移行した。 その工場跡地が整備され、IMUZIO GARDENとして、憩いの場として整備・利用されている。、、、、、、きれいな園内にはポップコーン工場もあり、いい匂いがする。 チョイと昼食前で辛いね!

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・・・・・・・・・・・・・敷地の一角に、昭和13年(1938)に建てられた、石造2階建の洋館が残されている。 内部は現在非公開だが、多数の素敵なステンドグラスが使われていたり、貴重な調度品も残っているようだ。、、、、、、内部を拝見したかったが、突然の訪問でダメ!

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⑥元郷圦ノ口庚申塔
・・・・・・・・・・・川口元郷駅の近くに、文政11年(1828)に建立された庚申塔がある。 

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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・埼玉高速鉄道の川口元郷駅 から電車に乗り、帰ろ~~。

2015年11月 3日 (火)

西川口~鳩ヶ谷

王子で下車するつもりで京浜東北線に乗ったが、私の前に座っている女性が、心地よい電車の揺れで日暮里を過ぎるとコックリコックリ。 『どこまで行くのか知らないが、寝てると乗り過ごすよ』と、注意してあげたいけど、「いらぬ節介 ありがた迷惑 口も手もだす エロじじい」と思われるのも嫌だから、「見猿 聞か猿 言わ猿」でいたら、自分が王子で降りるのを忘れた。、、、、、車窓からは青空が見える、『よし、先日は川口で降りたから、今日は西川口で降りよう!』、、、、、今度は、失敗せずに西川口で下車した。、、、、、ちなみに、コックリの女性は、西川口より先に行った。

西川口駅から鳩ヶ谷駅まで、1万3千歩、10㎞の散歩となった。


①西川口駅
・・・・・・・・・・・・昭和29年(1954)に、国鉄最初の橋上駅舎として開業した、島式ホーム1面2線を有する地上駅。 平成19年(2007)には東口に駅ビルがオープンした。

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②合格通り商店会
・・・・・・・・・・・西川口駅東口正面から真っ直ぐに伸びる商店街で、駅前の“メインストリート”である。 商店街のホームページによると、、、、、昭和51年(1976)に西川口東口商店振興会として発足し、平成18年(2006)に「合格通り商店会」に名称変更した。 前年の平成17年(2005)には、花の街づくり運動で「内閣総理大臣賞」受賞。 平成20年(2012)、駅前に合格の鐘設置、合格稲荷設置。、、、、、先に商店街名が「合格通り」に変わり、後付けで「合格」の鐘・稲荷の設置とは、それでも“合格”の言われ、判らないね?、、、、鐘・稲荷ともに駅前に在るらしいが、私は気づかなかった。

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・・・・・・・・・・・・・・商店街の裏通りには、スナック・居酒屋などが並んでる。

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③青木中央通り
・・・・・・・・・合格通り商店街に続いて、「青木中央通り」が川口オートレース場に伸びている。 この通りは、両側の歩道に、美しく鉢植えの花も飾られている。

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④上青木浄水場給水塔
・・・・・・・・・・・・・・オートレース場前に在る、川口市で、戦後、最初に井戸が掘られ市内に給水を始めた浄水場が上青木浄水場である。 浄水場なので、場内には入れず塀ごしに、高く立ち上がっている給水塔。 塔の上から、景色を見てみたいね! 

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⑤川口オートレース場
・・・・・・・・・門の前で、開門を待つファンが並んでる。、、、、、“入場無料”だ、散歩をやめて勝負するほうが面白かったか?

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・・・・・・・・・・・・・・平成23年(2011)撮影の川口オートレース場

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⑥竪川樋門・竪川排水樋門
・・・・・・・・・・・オートレース場の北側を流れる竪川(たてかわ)が芝川に合流する直前に通過する二つの樋門が道路を挟み対角に並んでいる。 マイナーな川に、マイナーな樋門は、昭和54年(1979)に設置された。、、、、私のコメントも『あっ、そ!』で終わり。

・・・・・・・・・・・・・・・竪川上流から流れ下り、樋門の直前で分岐し、手前は竪川排水樋門に向かう、右側は竪川樋門に向かう。

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・・・・・・・・・・・・・・竪川排水樋門
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・・・・・・・・・・・・・・・竪川樋門
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⑦宗信寺
・・・・・・・・・・・・川口市上青木にある、日蓮宗の長陽山宗信寺。 鎌倉時代の正応4年(1291)に現在地に創建された富士山光妙寺を前身とする寺。 その後、江戸時代前期に、池上本門寺(現:大田区)の日豊上人を中興の祖として招き、現在地に宗信寺が建立された。 

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⑧上青木氷川神社
・・・・・・・・・・宗信寺の前には、上青木氷川神社がある。 素戔嗚尊(すさのおのみこと)を御祭神として、室町時代中期文明2年の創建で武蔵国の古社。 

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⑨安楽寺
・・・・・・・・・・・・新義真言宗智山派に属し、金剛山と号する。 創建年代不詳だが、聖観世音菩薩を本尊とし、中興開山は寛永15年(1638)である。 

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・・・・・・・・・・・・・境内の大日堂は門徒寺であった養福寺の堂であったが、廃寺となり堂だけが残されたため当寺へ移された。、、、、、、シブイ! 深みのある大日堂だ。

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⑩新芝川
・・・・・・・・・・上青木5丁目から新芝川を越えて、川口市里(さと)に入る。、、、、荒川の水を元郷の近くで取水し、埼玉高速鉄道のトンネルを利用し浦和美園駅に送り、新芝川に流し浄化しているそうだ。 だから、この辺りの水はきれいになっている。 自然がよみがえるのはいいね!

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⑪鳩ヶ谷駅
・・・・・・・・・・鳩ヶ谷駅は、川口市大字里にあり、国道122号(岩槻街道)の地下にある埼玉高速鉄道線の駅。 平成13年(2001)に開業。 開業時は鳩ヶ谷市の駅であったが、平成23年(2011)の鳩ヶ谷市と川口市の合併より川口市の駅となった。 島式ホーム1面2線の地下駅。、、、、私より後に生まれて、先に消滅した、いまはなき「鳩ヶ谷市」。 

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2015年10月20日 (火)

草加~八潮

東武伊勢崎線草加駅から、迷子にならぬようにスマホの地図を片手に、つくばエキスプレス八潮駅まで、1万2千歩、9㎞の散歩です。 


①草加駅
・・・・・・・・・・・明治32年(1899)に開業した古参の駅。、、、、、、、浅草橋から都営地下鉄浅草線で4駅目の押上まで行き、東武に乗り換え急行で4駅目が草加。 我が家(浅草橋)の玄関から約40分で、草加駅前に到着できる。 東武鉄道が押上から東京メトロ半蔵門線に乗り入れ、草加は行きやすく、さほど遠くない駅となり、私の散歩圏内の駅である。

・・・・・・・・・・・・・・春日部方面に向かう下りホームは空いている、都心に向かう上りホームには行列もできている。、、、、、『お勤めご苦労さま!』

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・・・・・・・・・・・・・草加駅東口。 駅前ロータリーは広く、スッキリしている。
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②草加の町
・・・・・・・・・観光スポットの草加宿は駅の北側で、私は草加駅から東南の方角に位置する八潮駅に向かう。 立ち寄る観光スポットもない新興住宅地(草加市手代町)を、八潮を目指してひたすら歩く。、、、、、そうか(草加)! そうだね! 観るものないよ 八潮 八潮へ 歩くだけ

・・・・・・・・・・・・・・かつての用水は暗渠化し住宅が立ち並ぶ。

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・・・・・・・・・・・・・・住宅の庭には秋の色が、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・市内を流れる小さな川、、、、、一言、『汚い川だ!』

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・・・・・・・・・・・・・若夫婦向けの住宅が建ち並ぶ、、、、

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③宮代橋
・・・・・・・・・・草加市と八潮市の市境を流れる綾瀬川に架かる幅の狭い人道橋。 橋を渡り八潮市に入る。、、、、、、小粒の橋だが、地元では重要な橋のようだ。 草加市では交差点名とバス停名に、八潮市ではバス停名に使用されていた。

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④柳之宮橋
・・・・・・・・・・・・宮代橋の下流側に架かり、県道「草加三郷線」をとおす橋。 県道の拡幅など大規模な整備が行われ、柳之宮橋も架け替えられることになった。、、、、、、交通量対策だけでなく、洪水対策も兼ね、橋桁は現在よりもだいぶ高くなるそうだ。

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⑤蓮花寺
・・・・・・・・・・・柳之宮橋の東200m程のところに、真言宗豊山派の蓮花寺(れんげじ)がある。 寺は寛文9年(1669)以前に創建された。、、、、、、本堂は昭和の建築か(?)、村の分校のような建物で古さは感じられない。、、、、、本堂手前には薬師堂もある。 呆け封じに御利益があるそうだ。 賽銭を奮発し、しっかり手を合わせて来た。 参拝を終え県道に出たら、寺の名を忘れ、賽銭に100円硬貨を何枚入れたか忘れてた。 即効性があり、早速呆けた??? 

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⑥八幡村道路元標
・・・・・・・・・・・県道を進み、八幡図書館(八潮市中央3)の道路わきに「八幡村道路元標」があった。 この地(旧南埼玉郡八幡村)は、上馬場村、中馬場村、大原村、大曽根村、浮塚村、西袋村、柳之宮村、南後谷村の8村が合併して、明治22年(1889)に誕生した旧八幡村役場の跡地だったそうだ。、、、、、道路元標は、大正8年(1919)に公布された道路法施行令にて、市町村単位での道路の起点・終点および町村の位置を示す指標として、道路元標の設置が義務付けられた。(現在は、道路元標の設置・保守義務はない) 

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⑦中馬場諏訪神社
・・・・・・・・・・・・八幡図書館の東隣に、中馬場諏訪神社がある。 創建年代不詳だが、延徳3年(1491)に当地の鎮守として祀られたと言われている。、、、、、、当神社は、「お諏訪様」と称して村人から親しまれ、中馬場(現:八潮市中央3付近)の鎮守であった。 さらに、古くから安産守護の神として信仰されている。 明治時代までは、境内の一角に「屋形」と呼ばれる小屋があり、ここで妊婦が出産していたといわれている。

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八潮駅
・・・・・・・・・・・平成17年(2005)のつくばエキスプレスの開通と同時に開業した八潮駅は、島式ホーム2面4線の高架駅。

・・・・・・・・・・・・・・駅の北、若柳交差点から“市役所通り”を南下し、首都高三郷線をくぐると駅前に出る。

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・・・・・・・・・・・・・八潮駅からは、普通で南千住駅まで11分。 南千住から我が家の在る浅草橋までは都バスで、飛ばして15分。 合計30分で我が家に到着、早いね。

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2015年5月28日 (木)

花畑運河

昨日の早朝、私の足に激痛が走った。 『イデデ イデデ(いてて 痛てて) イデデーオ!』、浜村美智子「バナナ・ボート」を唄う余裕はない!、、、、、、布団を掛けずに寝ていたので、足がつったのだ!(こむら返りである) 気持ちは七転八倒、足は痛くて動かせず、叫ぶ声は泣き声と笑い声の合成音、、、、、痛みは一日中続き、散歩は休みにした。 寝っ転がって、地図を開き、23区の北のはずれに「運河」を発見。 普段、歩いているのに、なんで、今まで気づかなかったのか、「花畑運河」である。 綺麗でメルヘンチックな名は、物語を想像してしまう。・・・・・・・・・・・・・早速、今朝の散歩で歩いてきた。 つくばエクスプレス八潮駅 (埼玉県八潮市)から、六町駅 (足立区)まで、1万4千歩、10㎞。



①八潮駅の南側
・・・・・・・・・駅の南側は、機械油の匂いが漂う工場、ぺんぺん草の生える空き地が多く、コンビニ・商店がない町だ!

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②垳川排水機場
・・・・・・・・・・埼玉県八潮市と東京都足立区の境の一部をなす垳(がけ)川が、中川に接する位置に昭和54年(1979)に造られた埼玉県垳川排水機場。 垳川はかつての綾瀬川本流であったが、江戸時代に綾瀬川・中川から切り離され、河川としての機能を失い、単なる川状の溜池となった。 しかし、増水時には水害防止のため排水する必要があり、県では垳川排水機場を設け、5台のポンプで1秒間に40立方メートルの水を中川に排水する能力を有している。・・・・・・・・・“垳”の文字は和製漢字で、現在は八潮市のこの地だけに使用されているそうだ。 この地の地名で使用されなくなると、この世から消える運命となる漢字である。 しっかりと地名を守ろう!

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③中川
・・・・・・・・・・・・・足立区、葛飾区、江戸川区と流れ、旧江戸川と合流し東京湾に注ぐ一級河川。

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・・・・・・・・・・・・・・・・この辺りの対岸は、八潮市と葛飾区である。 その境となる大場川水門が見える。

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④花畑運河
・・・・・・・・・・・・・美しく、メルヘンチックな名の運河。 「花畑川」とも呼ばれる。 この運河は、昭和6年(1931)に、足立区東部において「中川」と「綾瀬川」を結び開削された。・・・・・・・・・明治43年(1910)の荒川大洪水で東京が壊滅的打撃を被り、翌明治44年(1911)から荒川放水路(現:荒川)の建設事業が開始された。 この荒川放水路の工事により、中川は分断され、木下川水門小名木川閘門が設けられた。 当時、中川は東京市民の糞尿を肥料として北の穀倉地帯へ送り出す水運の経路となっており、水門が設けられ“糞づまり状態(渋滞)”となったのである。 そこで、大正14年(1925)から「花畑運河」の計画が立てられ、着工となり、完成した。、、、、、“糞づまり”が、運河に変わった、運がいい話!・・・・・・・・・・ところで、現在の運河は糞尿の水運も無くなり、舟も通らぬ、単なる川となった。、、、、、その名に恥じぬ、美しい、親しみある川に変わってほしいね!・・・・・・・・・・全長1.4㎞、両端に水門があり、運河には5か所に橋が架かっている。

・・・・・・・・・・・・・中川側から、まずは水門の外側に架かる、白い塗装の花見人道橋(平成23年(2011)完成)と、錆びたガードレールの花見橋(昭和6年(1931)完成)。

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・・・・・・・・・・・・・花見橋の隣りに、六ッ木水門がある。 幅員7.5mのローラーゲート式で、こちらは常時開放されている。 平成11年(1999)竣工。

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・・・・・・・・・・・・・六ッ木水門から真っ直ぐ伸びる運河、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・次に架かるのは桜木橋(昭和24年(1949)完成、平成17年(2005)改修)。
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・・・・・・・・・・・・・釣りする人もいる運河。 何が釣れるか? 食べるのか?

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・・・・・・・・・・・・・運河の中間地点には、富士見歩道橋(昭和58年(1983)完成)が架かる。

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・・・・・・・・・・・・・歩道橋から見る中川方向。 

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・・・・・・・・・・・・・歩道橋から見る綾瀬川方向。 

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・・・・・・・・・・・・・次なる橋は、雪見橋(昭和13年(1938)完成)、平成23年(2011)改修)。
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・・・・・・・・・・・・・最後は月見橋(昭和6年(1931)完成)が、花畑水門の手前に架かる。

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・・・・・・・・・・・・・花畑水門は綾瀬川との合流点に設置された水門。 幅員7.5mのローラーゲート式で、昭和42年(1967)完成。 頭上には、首都高6号三郷線が走る。

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・・・・・・・・・・・・・運河が接続する綾瀬川。 チョイと汚いね!

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