中川

2015年5月10日 (日)

中川 (船堀~西葛西)

一昨日の続きで、都営新宿線船堀駅から中川沿いに歩き、荒川との合流点まで行き、東京メトロ東西線西葛西駅まで、1万4千歩、10㎞の散歩です。



①船堀駅
・・・・・・・・・・・・今日のスタートはここから、、、、、

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②新川
・・・・・・・・・・・・新川は、都営新宿線と東京メトロ東西線の中程を東西に流れ、中川と旧江戸川を結ぶ運河である。・・・・・・・・・徳川家康が江戸に入府し、利根川から江戸に向け水運を活発化させる整備事業として、日本橋茅場町から隅田川をチョイと上って、小名木川に入り、小松川閘門を通り新川に入り、浦安の北側で旧江戸川に入り、またまた川を上り行徳に至る水運路を整備した。(江戸時代には、現在の荒川・中川は無かった。)、、、、、家康は古くからあった隅田川、旧中川、旧江戸川を小名木川、新川の運河で結び、行徳の塩、利根川周辺の味噌、醤油、東北地方の年貢米など、江戸へ輸送する大動脈を構築したのである。・・・・・・・・・現在は、江戸川区の地盤沈下が進み、新川の両端にあった水門は閉鎖し、東水門(旧江戸川)から導水して西水門(中川)から排水することで水位を低下させ一定に保つようにした。 新川は運河としては使用されなくなった。・・・・・・・・・・・今日は、新川の西寄り宇喜田橋から中川へ向かう。

・・・・・・・・・・・・・・宇喜田橋・・・・・・・・船堀駅から船堀街道を南へ来ると、新川に架かる宇喜田橋がある。 初代の宇喜田橋は昭和4年に架設された賃取橋であった。 2代目は昭和15年木造で架橋された。 現在は3代目で、昭和32年に架設された中路鋼床版箱桁橋で、日本初の鋼床版橋である。 設計・架設は横河橋梁製作所。

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・・・・・・・・・・・・・・2代目の宇喜田橋。 昭和32年の宇喜田橋架け替え工事の頃の写真。

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・・・・・・・・・・・・・・宇喜田橋の西には擬宝珠橋(ぎぼしばし)が架かる。 この橋は人道橋で、木材を鋼板で補強した橋梁桁を使用している。 平成20年(2008)完成、橋長23.9m。

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・・・・・・・・・・・・・・つづいて、擬宝珠橋と似た櫓橋(やぐらはし)が架かる。 こちらも、平成20年(2008)完成の人道橋。 三径間単純木橋。

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・・・・・・・・・・・・・・排水機場前に、西水門橋がある。 平成18年(2006)に完成した橋。 デザインは水門に合わせたのか、明治調の雰囲気を出しトラス強調している。

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・・・・・・・・・・・・・・水門橋の背後に、昭和43年度に竣工した新川排水機場がある。 新川の水を中川へ排水するため、毎秒12トンの排水の能力を備えた施設である。 この排水機場がないと、大雨などで新川が溢れ周辺は浸水で、スイボツ、オダブツ、ナムアミダブツである。

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・・・・・・・・・・・・・・排水機場の内部。 (東京都江東治水事務所のhpより)

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・・・・・・・・・・・・・・排水機場の北側は新川西水門広場として公園になって、高さ15m程の火の見やぐらがモニュメントとして建てられている。

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③新川排水機場前の中川
・・・・・・・・・・・・上流には都営新宿線荒川中川橋梁が見える、下流は川筋がチョイとカーブしていて葛西橋が見えない!

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④安楽寺
・・・・・・・・・・北葛西1丁目に、安楽死できそうな名前の寺がある、江戸時代初期に創建されたと思われる浄土宗の安楽寺。 寺は昭和28年(1953)の火災で鐘楼門を残して、その他の堂宇を焼失した。 鐘楼門は江戸時代の建造で2階建て、鐘は昭和47年の鋳造。 また、本堂は昭和48年(1973)に再建。

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⑤葛西橋
・・・・・・・・・・・荒川の右岸ん(江東区東砂)と中川の左岸(江戸川区西葛西)にかかる橋で、葛西橋通りを通す。 旧葛西橋は昭和3年(1928)に架けられたが昭和25年(1950)に崩壊し、その後現在の橋ができるまで、木製の橋が架けられていた。 現橋は、昭和38年(1963)に完成した、長さ727.4mのゲルバー橋。・・・・・・・・・私の幼き頃は、シジミ採り、ハゼ釣りのメッカで、都電29系統が神田須田町から浅草橋・錦糸町をとおり葛西橋(江東区側)まで運転されていた。 29系統は昭和47年(1972)11月11日で営業終了した。

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・・・・・・・・・・・・・・・・首都高環状線の股座に、荒川に架かるゲルバー桁(吊り構造のように持ち上げている桁。)が見える。

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⑥橋梁ではない?
・・・・・・・・荒川と中川を隔てる土手上をとおる首都高環状線の清新町出入口につながる部分が中川を越える。 これ、橋梁ではないのか、、、、、中川の橋梁一覧には記載なし。

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⑦荒川中川橋梁
・・・・・・・・・・・首都高出入口へつながる部分のすぐ隣に、東京メトロ東西線の荒川中川橋梁がある。 全長1,236mで、長~~いワーレントラス橋である。 中川に架かる部分では両側に道路橋があり、全容が撮影できないのは残念。

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⑧清砂大橋
・・・・・・・・・・・・中川の最下流に架かる橋が、この清砂大橋(きよすなおおはし)である。 江東区新砂と江戸川区清新町を結ぶ。 平成8年(1996)に着工し、8年後の平成16年(2004)に開通した、全長1317.2mの長~~い、長~~い橋。

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⑨荒川への合流点
・・・・・・・・・荒川と中川を隔てた土手もここでなくなり、中川は荒川に合流し、下流は“荒川”である。 首都高環状線は合流点のチョイト先で中川側にすり寄り、湾岸道路に向かう。
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⑩西葛西駅
・・・・・・・・・・東西線の東陽町~西船橋間は、昭和44年(1969)に開業したが、西葛西駅は10年後の昭和54年(1979)に開業した。 相対式ホーム2面2線の高架駅。       
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・京成本線中川橋梁から、下流へ向かい歩き、今日、最下流の合流点に到達した。 今度、機会あれば上流に向かい歩いてみよう!

2015年5月 8日 (金)

中川 (新小岩~船堀)

総武線新小岩駅から、中川沿いに都営地下鉄新宿線船堀駅まで、1万4千歩、10㎞の散歩です。



①新小岩駅
・・・・・・・・・・・新小岩駅の元々は、大正15年(1926)に設置された新小岩信号所が始まりである。 昭和3年(1928)に駅に昇格した。 今では、快速も止まる駅だが、駅舎はゼロメートル地帯にあり、大雨などでは冠水も心配されている。 また、南北の自由通路がないため、駅南北の行き来がチョイと不便で、駅前の雰囲気もチョイと違うようだ。 JR・葛飾区では、南北自由通路の整備 、駅高架下に改札口の一本化を、平成30年(2018)に完成させるべく工事に着手している。 南口付近では、まだ工事している様子が見えていないが、着々と工事は進んでいるようだ。

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②JR総武線荒川中川橋梁
・・・・・・・・・・・3日前の続きで、JR総武線荒川中川橋梁から中川沿いに下ることにした。 まづは、左岸の堤防上に立ってみると、荒川と中川の2本の川を越える橋梁なので、さすがに長~~い!

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・・・・・・・・・・・・・・・まだ朝の空気で、靄っている中を、中川は静かに流れている、、、、、

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小松川大橋
・・・・・・・・・・・国道14号(京葉道路)を通す全長約500m程の橋で、下り線と上り線が方向別に架橋された。 下りの小松川大橋が昭和44年(1969)に開通し、上りは昭和47年(1972)に開通した。

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④荒川大橋
・・・・・・・・・・・・・・荒川の上は、日本で造られた5番目の斜張橋となっているが、中川の左岸堤防上からの撮影は難しく、残念だが写っていない。 中川の上は斜張橋にはなっていない。 昭和45年(1970)の完成。

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・・・・・・・・・・・・・・中川の部分では、首都高7号線と首都高環状線を結ぶ、「小松川JCT」が建設中である。 

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・・・・・・・・・・・・・・・首都高速道路会社のHPにあった、「小松川JCT」の完成予想図。 図の上部に小松川JCTがあり、右の荒川と左の中川を隔てる土手上に首都高環状線が走り、左側にカーブし首都高7号線の千葉本面と接続する。 図の下の橋は小松川大橋。

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⑤ゼロメートル地帯
・・・・・・・・・・・・・写真は小松川大橋付近で撮影。 右側の江戸川区松島・東小松川地区の道路面と、左側の中川の水面、、、、、一目瞭然、水面の方が高い!

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・・・・・・・・・・・・・・・首都高7号線の下の堤防には、こんな表示が、、、、、「A.P.±0m 干潮位」は大潮の時の干潮位の高さである。 つまり、この辺りの地盤面は干潮の時でも水没するのだ。 さらに、写真:黄色の自動車の上にある赤い表示は、昭和34年(1959)の伊勢湾台風が襲ってきた場合の予想潮位である。 一般住宅では、完全に2階部分まで水没する!

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⑥仲台院
・・・・・・・・・・西小松川町に浄土宗寺院の仲台院がある。 仲台院は、鎌倉光明寺の学僧應誉良道上人が創建し、八代将軍徳川吉宗の代より将軍御膳所となっていたそうだ。

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⑦西小松川天祖神社
・・・・・・・・・・こちらは、西小松川にある天祖神社。 神社は下総国千葉家より康正二丙年(1456、=室町時代)に神職が当所に引き移り創建した。 旧西小松川村の鎮守さま。 現社殿は、慶応3年(1867)に建てられ、昭和30年(1955)に増築された。 さらに、平成13年(2002)には、土台を新たに造り、かさ上げされた。 広い境内には、社務所などもなく、寂しそうに社殿だけが建っている。

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⑧江戸川競艇場
・・・・・・・・・・昭和30年(1955)に開場した競艇場。 名称は“江戸川”競艇場だが、中川の左岸にあり、レースは中川で行われている。・・・・・・・・・午前9時、多くのファンが既にギャンブルモードに突入している! 私も仲間に入りたいが、ルールは判らず、賭ける資金もなく、ファンの熱気だけを体感。

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⑨船堀橋
・・・・・・・・・・・荒川・中川を跨ぎ、昭和46年(1971)に完成した、長さ524.1mの船堀橋(ふなぼりばし)は、橋上には新大橋通りが通っている。

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⑩都営新宿線荒川中川橋梁
・・・・・・・・・・・橋長699.3mの長い鉄道橋。 昭和58年(1983)完成。  橋の上は通常の軌道と同じバラスト道床となっている。 荒川上のトラスの外側には遮音壁を設置し騒音対策も行っている。 中川上はコンクリート桁。

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⑪船堀駅
・・・・・・・・・・都営新宿線の駅で、昭和58年(1983)に開業。 相対式ホーム2面2線の高架駅。 

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2015年5月 5日 (火)

中川 (立石~新小岩)

一昨日歩いた中川沿いの散歩の続き。 今日は京成押上線立石駅から総武線新小岩駅まで、1万4千歩、10㎞の散歩です。



①立石駅付近
・・・・・・・・・・・・立石駅 で下車し、まずは本奥戸橋へ向かう、、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・踏切の脇にある、江戸時代中期に創建されたらしい立石諏訪神社を通り抜け、、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・奥戸街道に出て、喜多向観音に朝の御挨拶をして行こう。、、、、、江戸時代、近くの寺の尼さんが、浅草寺に千日詣での願かけし、大願成就の日、枕元に観音様の姿が現れたそうだ。 そのお礼に建てたのが、この観音様。 世のため人のため喜び多く参拝する人の願いは叶うそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・観音様の近く奥戸橋際には、地蔵尊・馬頭観音・道しるべの3点セットがある。

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②本奥戸橋
・・・・・・・・・・・・・一昨日、渡った奥戸橋の下流に位置する本奥戸橋。 昭和7年に開通し、昭和62年(1987)に現在のトラス橋に架け替えられた。

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・・・・・・・・・・・・・・上流側(奥戸橋方向)を眺める

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・・・・・・・・・・・・・・下流側(平和橋方向)を眺める

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③奥戸1丁目付近の中川
・・・・・・・・・・・・本奥戸橋と平和橋の中程(森永乳業東京工場前)で、中川は奥戸1丁目に向かい“U”字型に出っ張っている。 ここから、中川を見ると、、、、、「中川は右から左へ流れる。 質草は右から左へ流れ去る。」

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平和橋
・・・・・・・・・・・・千住新橋北詰から、小菅・堀切菖蒲園・新小岩と抜け、千葉街道までを結ぶ「平和橋通り」が中川を越える橋。 昭和35年(1960)架橋。

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・・・・・・・・・・・・・親柱には鳩の飾りがあるが、なぜここに平和橋なのか由来が判らぬ?、、、、、何となく「広島」を連想してしまうね!

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・・・・・・・・・・・・・橋から上流を眺める、、、、、
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⑤平和橋水管橋
・・・・・・・・・・・・・・平和橋の下流側に水管橋が並行して架かっている。 管の中は工業用水と言うことだが、、、、
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⑥王子白髭神社
・・・・・・・・・・東四つ木1丁目の木根川小学校裏の、裏道の行き止まりに王子白髭神社がある。 清和天皇の第七皇子貞辰親王(さだときしんのう) が東国遊行の途中、元慶元年(937)、この地で亡くなった。 たまたま近くの浄光寺に留錫中の比叡山の和尚が親王の遺骸を葬り、王子権現として慰霊を行い、以後浄光寺がその塚を管理してきた。 明治時代になり、荒川の開削工事が行われ、神社は浄光寺(木根川薬師)とともに現在地に移転した。

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⑦上平井橋
・・・・・・・・・・・昭和30年代に架け替えられた、下路曲弦ワーレントラス橋。 中川はこの橋の下流で綾瀬川と合流する。・・・・・・・・・「平井橋」と「中平井橋」は荒川によってチョン切られた墨田区側の旧中川に架けられている。

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・・・・・・・・・・・・・・上平井橋から見た上流側

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⑧上平井橋の下流
・・・・・・・・・・かつしかハープ橋 の主塔橋脚右側から綾瀬川が合流して、中川は左側の上平井水門へ流れていく。
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⑨上平井水門
・・・・・・・・・・・上平井水門は、台風などで高潮や津波が発生し川の水位が上昇した際に、遡上による水害を防ぐ役割で、昭和45年(1970)に約23億円で造られた。

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⑩平井大橋
・・・・・・・・・・・荒川・中川に架かる橋長484mの鋼ゲルバー箱桁橋。昭和42年(1967)に開通した蔵前橋通りを通す。

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⑪JR総武線荒川中川橋梁
・・・・・・・・・・・・平井~新小岩間で、荒川と中川を渡るトラス橋。 上流側から、越中島貨物線(単線)、総武快速線(複線)、総武緩行線(複線)の3橋が並行して架けられている。
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日はここまで、中川の続きは、またの機会に!

2015年5月 3日 (日)

中川 (高砂~立石)

京成本線高砂駅から中川沿いに歩いて押上線立石駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。

中川・・・・・・・・・・・中川(なかがわ)の最上流は埼玉県羽生で、春日部、三郷、八潮と流れ、大場川水門 付近から東京に入る。 葛飾区を東西に二分するように、区の中央を北から流れ下り、京成本線高砂駅の近くで中川と新中川(旧中川放水路)に分かれる。 中川は、ここから葛飾区内を尻を振り振り悩ましく蛇行し、四ツ木と新小岩の中程の上平井水門 で綾瀬川と合流する。 その後は、荒川に寄り添い並流し、東京湾に流れ込む。



①高砂駅
付近・・・・・・・・・・・・散歩のスタート、行先は未定だが、まずは高砂駅 の北側へ、、、、、、私好みの塀のある裏道があった、、、、、、オ!下町の住宅街だ、、、、、、新金貨物線の踏切を越える

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・・・・・・・・・・・・・・線路を越えると、そこは青龍神社だった。、、、、、神社の創建年代詳だが、榛名神社から雨乞いの神様を勧請した。、、、、、、暑い日差しの下、釣りを楽しむ人もいる。、、、、、、、『獲れた、デカイ!』子供の声、なんと亀である。 お父さん、慌ててスマホでパチリ!

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・・・・・・・・・・・・・・青龍神社の裏手、中川の左岸土手に上がると、、、、、、対岸に東京慈恵会医大葛飾医療センター が、下流には京成電鉄中川橋梁が見える。、、、、、『今日の散歩は中川沿いに歩いてみよう!』、やっと散歩の行先が決まった!
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②京成電鉄中川橋梁
・・・・・・・・・・青砥~高砂間の中川に架かる橋梁。昭和48年頃に現在の橋梁に架け替えられた。

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③高砂橋
・・・・・・・・・・・京成電鉄中川橋梁の下流に、葛飾区青戸と高砂を結ぶ高砂橋が架かっている。 旧橋は昭和7年(1932)に架けられたが、平成15年(2003)に現橋に架け替えられた。 橋の長さ約187mあり、シンプルな2径間連続斜張橋(塔から斜めに張ったケーブルを橋桁に直接つなぎ支える構造の橋)である。

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④中川と新中川の分岐
・・・・・・・・・高砂橋から下流の分岐点を撮影、、、、、写真右奥へ流れる中川、左へ流れる新中川(旧中川放水路)。・・・・・・・・・新中川は、昭和22年(1947)のカスリーン台風により東京の東部地域が浸水し、再発を防ぐため、昭和24年(1949)に中川放水路(新中川)の開削に着手し、昭和38年(1963)に完成した。 

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⑤青砥橋
・・・・・・・・・・・昭和60年(1985)に竣工した、橋上には環七が通っている。

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・・・・・・・・・・・・・・・橋上からは、屋並みの奥に青砥駅が見え、蛇行する中川が見える。

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⑥諏訪野八幡神社
・・・・・・・・・・・・青砥橋を渡り高砂1丁目に、創建年代不詳の諏訪野八幡神社がある。 鮮やかな朱塗りの鳥居には、ドッキリ、ビックリ、シャックリして、ポックリ死にそう! 婆さんが真紅のルージュを塗った、ケバイ化粧という感じだな。

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⑦おみごとなツツジ
・・・・・・・・・・川筋に咲き並ぶツツジ、、、、、

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⑧奥戸橋
・・・・・・・・・・・・・立石と奥戸を結び、昭和47年に完成した、地元の人のみ知るような、比較的に交通量の少ない、地味な奥戸橋。 奥戸地区には、奥戸街道沿いに「本奥戸橋」、「奥戸新橋 」があり、こちらは交通量も多い。

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・・・・・・・・・・・・・・・橋上から上流側を見ると、S字に蛇行している。
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・・・・・・・・・・・・・・下流を見ると、川筋は直角に右へ折れている。

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⑨熊野神社
・・・・・・・・・奥戸橋を渡り立石8丁目に入ると熊野神社がある。 社伝によると、創建は平安時代中期の長保年間(999~1003)と言われている。 私は見たことがないが、神社の御神体は「神代の石剣」で極めて珍しいものと記されている。、、、、、「珍しいものなら、拝観料をとって公開したいいのに」と私は思うが、「公開したら後悔するかも?」、御神体は謎を多くし隠しておくとありがたみが増すからね。

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