武蔵一宮 女体神社
武蔵一宮である氷川女体神社と氷川神社を巡り、1万1千歩の散歩。
● 今朝、食事前に地図を見てると、JR東浦和駅の北3㎞程に“氷川女体神社”がある。 20年程前、JR川崎駅前(神奈川県)の“女体神社”に参ったことがある。 この時は、“女体”と称してもそれらしき謂れや関連する物も無く、極々普通の神社であった。 東浦和の“女体神社”も同様に普通の神社と変わりはないと思ったが、“女体”の文字の前に“武蔵一宮”と冠し、「武蔵一宮 氷川女体神社」と称してる。 起きがけの寝ぼけた状態で、助平爺の要らぬ妄想が始まり、ひょっとしたら、“御神体は女体かも?”、“拝殿前には撫で牛ならぬ、撫で女体があるかも?”、“御守りは女体を模したフィギュアかも?” 『ヨシ早速、武蔵一宮の氷川女体神社へ行ってみよう!』・・・・・と言うことで、早めの昼食後、一雨降りそうな曇り空の下、武蔵一宮氷川女体神社へ“Let's go!”
・・・・・・・・・・ JR東浦和駅前からバスに乗り、神社に近い朝日坂上バス停で下車。 歩いて数分、神社に向かう。 住宅地の坂を下ると「見沼代用水西線」と称する小川が流れ、そこに朱塗りの橋が架かり、正面に高台の境内に向かう階段と鳥居が見える。
● やってきました「武蔵一宮 氷川女体神社」へ。、、、、氷川女体神社の由緒は、社伝によると、第10代崇神天皇の時代に勧請をしたと伝えられている。 氷川女体神社の“女体”は、祭神である稲田姫命(いなだひめのみこと、女神)に由来し、日本書紀のなかでは、稲田姫命は須佐之男命(すさのおのみこと)がヤマタノオロチ退治の際に助けて妃にした姫とされている。 また、一説には、当社である氷川女体神社(女体社)と、大宮区高鼻町にある大宮氷川神社(祭神:須佐之男命・男体社)、見沼区中川にある中山神社(祭神:大己貴命・王子社)の三社を合わせて、“武蔵一宮”と称したと伝えられている。 この三社は、地図上では氷川女体神社から北西へ、中山神社、大宮氷川神社へ向かい、一直線上に並んでいる。 また中山神社はその中間に位置する。 氷川女体神社の拝殿には、武蔵国一宮の扁額が掲げられてる。 中世以来、武門の崇敬を集めており、鎌倉北条氏、岩槻太田氏、小田原北条氏などにゆかりある書物や宝物が多く所蔵され、徳川将軍家からも社領50石を寄進されたそうだ。、、、、現在の社殿は、寛文7年(1667)徳川幕府四代将軍家綱が忍城主阿部忠秋に命じて建立した。 本殿は三間社流れ造りで全面に朱の漆が塗られ、拝殿と相の間で結ばれており、形式的には権現造りに近い建造物です。
・・・・・・・・・・ 祭神は古の女神、生身の女神ではない! 撫で牛ならぬ撫で女体もなし! 御守りはフィギュアではなく普通の御札! せめて社務所の巫女さんは若い女性を期待したが、登場したのは60歳ほどの古の女性。 妄想の全ては幻想であった! 、、、、罰当たりな妄想は封印し『神さまゴメンナサイ!』 賽銭箱に100円硬貨数枚を投げ入れ、神聖な気持ちで二礼二拍手一礼する。
● 女体神社から、曼殊沙華の咲く見沼代用水西線沿いにしばらく歩き、“芝原”と言う所からバスに乗る。 乗ったバスは浦和駅行き。 ここまで来たら、ついでに大宮氷川神社に寄って行こう!
● 大宮駅から氷川神社の長い参道を歩き「武蔵一宮 氷川神社」に参る。、、、、氷川神社の祭神は男体である須佐之男命(すさのおのみこと)。 ここ大宮の氷川神社は関東一円(約280社)に広がり信仰される各地の“氷川神社”の中心的となる総本社である。 また、歴史も古く、地名“大宮”は氷川神社を指すものである。、、、、氷川神社は、孝昭天皇3年(紀元前473)に創建、日本武尊が東征の際には当社に祈願したと伝えられている。成務天皇(130~190)の代に出雲族の兄多毛比命が武蔵国造となり当社を奉崇し、出雲国斐伊川の名より氷川神社と称するようになったそうだ。、、、、現在の社殿の多くは紀元2600年(=昭和15年(1940))を記念して造替されたものである。 国の文化財と称する古い建物はないと思われる。
・・・・・・・・・・ 氷川神社に参った後は、参道沿いの“氷川だんご”にお立ち寄り!、、、、今日の散歩は、女体が団子に変わった!