2021年5月12日 (水)

上野池之端

今日は泌尿器科の診察日。 浅草橋の我が家から上野の病院へ、診察後は不忍池の西側歩き地下鉄千代田線の根津駅まで歩いてきた。 1万歩




● 9時の診察開始、一番に診てもらおうと、タップリ余裕をもって7時過ぎに我が家を出る。 病院までは徒歩40分程。

・・・・・・・・・・・・我が家から徒歩1分、廃校となった旧柳北小学校(大正15年竣工)、、、、校舎前の柳北公園と小学校跡地をまとめると、かなり広い敷地(共に区の管理地)である。 廃校となって20年が経過したが、なかなか恒久的な跡地利用が決まらない! 大規模商業施設でもできると嬉しいのだが、無理か!

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・・・・・・・・・・・・病院までの途中(台東区台東)に、「佐竹商店街」がある。 出羽国久保田(秋田)藩の上屋敷(藩主:佐竹氏)跡地に、明治31年(1898)結成・誕生した、日本で2番に古い商店街である。 ちなみに、一番古い商店街は金沢の「片町商店街」(明治27年結成)、、、、商店街の賑わいは薄れ、店じまいした店舗、マンションに変わった店舗が目立つ。

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・・・・・・・・・・・・佐竹商店街の中程、チョイト奥まって小さな「佐竹秋葉神社」が鎮座する。 佐竹秋葉神社は、秋田佐竹藩上屋敷跡地に明治22年秋葉神社の分霊を勧請して創建した。 火之迦具土大神(ほのかぐつちのおおかみ)を祭神とする秋葉山本宮秋葉神社(静岡県浜松市)を本社とする火防・火伏せの社である。 町の鎮守さま!

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・・・・・・・・・・・・8時前、東上野の永寿総合病院に到着、『早すぎた!』 コロナの予防で、8時30分頃までは院内に入れず、外で開くのを待つことになった。 病院裏の公園に行ってみると、ワクチン接種用のプレハブの会場が建てられていた。、、、、台東区は何故か接種時期が遅く、高齢者の接種予約は来週からである。 我が家には高齢者が3人居るが、97歳の我が母はかかりつけ医で接種してくれることになっており、電話連絡待ちの状態。 我が夫婦(高齢者)は、来週以降予約を取ってココの病院へ来ることになる。 自粛も疲れた、一刻も早く注射してもらい、自由に歩きまわりたいけど、予約を取るのが難しそうだ! おそらく一回目の接種は6月になるだろう、まだまだ続く自粛生活!

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● 不忍池の西側、東大池之端門の方向に歩く。

・・・・・・・・・・・・睡蓮の花が咲くのを楽しみに待つ不忍池。 

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・・・・・・・・・・・・岩崎邸庭園入口前に、真宗大谷派寺院の高承山教証寺がある。 教証寺(きょうしょうじ)は、徳川忠長に嫁いだ教証院殿(長姫)が、その子息久遠寿院殿(後の東叡山寛永寺二世)に従って、上野下の当地に教証院と号して起立、教証院殿の二十五回忌の寛文7年(1667)教証寺と改めた。、、、、土蔵造りの本堂には、欄間に龍図と天女図の漆喰彫刻が施されてる。 今の御時世、土蔵造りの本堂を維持するのは、職人の手配、維持費の確保とも、大変らしい。

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・・・・・・・・・・・・岩崎邸庭園の煉瓦塀が続く無縁坂。 無縁坂(むえんざか)は、台東区池之端から文京区湯島へ登る坂。 森鴎外の小説『雁』の舞台となった坂である。

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・・・・・・・・・・・・東大池之端門の脇に、境稲荷神社がある。、、、、境稲荷神社(さかいいなりじんじゃ)は、文明年間(1469~1487)足利九代将軍義尚公により創祀されたと伝えられている。 忍が岡(上野台地)と向が岡(本郷台地)の境に鎮座していることから境稲荷と称された。、、、、境内本殿裏の井戸は、かなり昔からの湧水であることが知られ江戸の地誌にも「弁慶鏡ヶ井」と在り名水らしい。(私は飲んだことないので?)

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・・・・・・・・・・・・東大病院に近い東大池之端門。 東大の“裏口”、“勝手口”と言うような門。

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・・・・・・・・・・・・池之端門から200m程歩くと、臨済宗妙心寺派の寺院「東淵寺」と言う、キリスト教会のようなモダンな造りの寺がある。 そこから北に向かう道は、途中に「台東区立忍岡小学校」があることより「忍小通り(しのぶしょうとおり)」と呼ばれている。

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・・・・・・・・・・・・忍小通りの中程に「七倉稲荷神社」がある。、、、、当神社は古く江戸幕府の米蔵のあった浅草蔵前に鎮座し、7つの倉の守護神として崇められこれが社号の由来となっている。 その頃の社伝によれば阿部豊後守が当社に祈願、その加護により隅田川馬上渡河の功を奏したと伝えられ霊験新たかな神社として江戸町民の振興篤かった。 明治維新後蔵前より池之端七軒町に遷り更に明治9年(1876)に現在地に遷座。 現社殿は平成元年(1989)の造営。

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● 忍小通りの北端は、地下鉄千代田線の根津駅の脇。、、、、根津駅は、昭和44年(1969)12月20日に開業した。 単式ホーム1面1線が上下2層になった地下駅で、1番線ホーム(大手町方面行き)の下に2番線ホーム(北千住方面行き)が設置されている。 改札口は1番線ホームのある地下1階の湯島寄り「不忍池方面改札」と、千駄木寄り「根津交差点方面改札」の2か所である。、、、、湯島寄りの出入口は肉屋さんの隣りで、大小三匹の豚が出迎えてくれる。

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2021年5月 9日 (日)

コロナ太り?

これまでは、ライザップのお世話になることもなく美しい体型であったが、コロナ禍、長期の自粛によりチョッピリ下腹が出てきたようだ、大変だ醜い体型に変化してきた。 『今なら間に合う 早めの対応』、、、、今日は7時に浅草橋の我が家を出て、国道6号(=水戸街道、浅草言問橋までは“江戸通り”)を葛飾区青戸まで歩いてきた。 約10km、1万8千歩



● 7時05分・・・・・・・・・・浅草橋駅前を出発。 朝食がまだ消化していないのか、それともコロナ太りか、チョッピリ胃がダブつき歩きづらい気がする???、、、、国道6号(江戸通り)は空き空き!

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● 7時15分・・・・・・・・・・“蔵前一丁目交差点通過”と言いたいが、交差点で『ラッキー』叫びたくなった。 財布を拾った、中には一万円と少々、キャシュカードもある、運転免許証もある。 免許証から落とし主は30歳前後の女性。 アレアレ・コリャ、落とし主は困るだろうと、警察にお届けに参上。 婦人警官もいるので、ここは男っぷりを見せ、報労金(謝礼)・所有権などを放棄して、落とし主に財布が戻ることを願い警察をあとにする。、、、、チョッピリ良いことをしたので、足取りも軽くなった!

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● 7時40分・・・・・・・・・・駒形堂を過ぎ、東武伊勢崎線「浅草駅」前通過。、、、、駒形堂の扉は開いてる!、、、、まだ駅前の人通りは少ないね!

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● 7時55分・・・・・・・・・・「言問橋西詰交差点」通過。 「江戸通り」の愛称はココまで、言問橋を渡り墨田区に入ると、単に国道6号(水戸街道)となる。、、、、言問橋で隅田川を越えると、向島の町。 すれ違う女性は向島美人、私もチョイト振り返る!

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● 8時30分・・・・・・・・・・8時を過ぎ青空が見えるようになってきた。 明治通りと交差する「東向島交差点」通過すると、引き続き東武伊勢崎線のガードを抜ける。、、、、久しぶりの散歩、チョイト足に疲れが出てきた。 ガンバレ、雅万歩!

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● 8時55分・・・・・・・・・・四つ木橋を渡り荒川を越える。 川向こうは葛飾区四つ木。、、、、大正11年(1922)、荒川放水路開削に伴い木製の四ツ木橋(旧橋)が架橋された。 現在の四つ木橋は、昭和27年(1952)に永久橋が開通した。 橋長:507.4mである。、、、、四つ木橋の下流側に、曳舟川通りを延長する形で新四ツ木橋が架かっている。 コチラは昭和48年(1973)の竣工。

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● 9時10分・・・・・・・・・・四つ木橋を渡り、葛飾区に入ると「四つ木駅 600m」の案内板が見えた。 足の疲れに自問自答し、『まだ歩ける、死ぬことはない!』と、先を目指す!

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● 9時20分・・・・・・・・・・「新田広小路交差点」通過

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● 9時40分・・・・・・・・・・京成本線:お花茶屋~青砥間のガードを通過。 ガードの先に「白鳥二丁目交差点」がある、ここで国道6号から外れ、京成線青砥駅へ向かうことにした。 足の退化を実感し、疲れた! 

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● 10時10分・・・・・・・・・・国道6号から外れ、青戸第一団地内を抜けて青砥駅に到着。、、、、コロナ感染には注意しなければならないが、コロナ太りにも要注意!

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2021年5月 3日 (月)

我慢は辛い!

感染力が強い「N501Y」が東京を襲いはじめ、先週から外出をひかえ、自宅軟禁状態が続く。 TVでは、ゴールデンウイークと重なり、観光地・繁華街の人出の増加情報が連日放送され、何となく“外出OK”の雰囲気だ。 しかしニュースは引き続き、今日の感染者数・重症者数が“過去最高”であったことなど報道し、不要不急の“外出自粛”を再認識させられる。 ところがさらに、ニュースの後に医療崩壊の特集番組が続き、医療の危機的状況を知ると、気持ちは決定的に“外出不可”となる。、、、、そんな毎日、散歩はできず、我慢は限界!

・・・・・・・と、思いながら、今朝7時に浅草橋の我が家から神田明神まで早朝の散歩。 往復で1万1千歩




● JR総武線の高架橋に沿って、浅草橋から隣りの秋葉原に向かって歩く。

・・・・・・・・・・・・朝7時、通勤通学客のいない浅草橋駅。 駅高架下の店は休み、どこも開いていない。 歩く人もなく、静かだ!

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・・・・・・・・・・・・JR総武線の両国~御茶ノ水間は昭和7年(1932)7月1日の開通。 また、浅草橋駅および浅草橋~秋葉原間の高架橋・架道橋は、同時期に完成した。、、、、秋葉原側の高架橋は、三階建ての建物が内部に造れる巨大なアーチ形状の構造となっていいる。

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・・・・・・・・・・・・高架橋の南側に区立の佐久間公園(千代田区神田佐久間町)がある。、、、、この公園の周辺には、江戸時代、町人地と武家の屋敷地とが混在していた。 「佐久間町」の名前の由来は、佐久間平八という材木商が住んでいたことに由来するとされている。、、、、佐久間公園はラジオ体操会発祥の地としても知られ、「国民保険体操のラジオ放送(のちのラジオ体操)」が開始されてまもなく、昭和5年(1930)に万世橋警察署の巡査が地域の住民を集め、全国に先がけてこの公園で早起きラジオ体操会を始めたそうだ。、、、、【蛇足】 ラジオ体操の発祥地は、ここ佐久間公園の他、文京区の大塚公園、足立区の千住本氷川神社にも、それらしき謂れを標した記念碑がある。(どこが本当の発祥地か? 知る人ぞ知る!)

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● 秋葉原駅前に到着。、、、、秋葉原駅は明治23年(1890)11月1日に日本鉄道の秋葉原貨物取扱所として開業。 明治39年(1906)に国有化され、大正14年(1925)11月1日に東北本線上野~東京間の高架線が開業し旅客営業が開始された。 昭和7年(1932)に総武本線、御茶ノ水~両国間が開業し、総武本線のホーム(3階)が山手線・京浜東北線のホーム(2階)の上にでき、立体交差する二重高架構造の駅となっている。、、、、昭和40年(1965)に設置された総武線ホーム(3階)と昭和通り口(1階)を結ぶ日本最長のエスカレータは有名で、知る人も多い。 また昭和60年頃(?、私の記憶で不確か)までは、総武線ホームと電気街口を結ぶエレベータもあった、こちらは知る人ぞ知る。

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・・・・・・・・・・・・時刻は8時、駅前の電気街には、まだ人影は少ない!

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・・・・・・・・・・・・メイド喫茶の多い電気街の中(千代田区外神田1)に、「講武稲荷神社」がある。、、、、講武稲荷神社は、安政4年(1857)の鎮座で、運慶作と伝えられる神体を祀っている。 この地は、住居表示改正以前は旅籠町(はたごちょう)と称していた。、、、、戦後、昭和40年頃(?)までは、神社の近くに「旅籠町交番」(昌平橋際、現存せず)があった。 この交番は、私(雅万歩)が4歳ぐらいの頃迷子になり、保護された思い出の交番である。 メイド喫茶に行って、ミルクでも飲むつもりだったのかも(?)

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● 秋葉原から昌平坂を上り、神田明神へ、、、、神田明神は、千代田区外神田に鎮座する神社で、正式名称は「神田神社」 神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内、旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神である。、、、、江戸時代の社殿は、大正12年(1923)の関東大震災で焼失。 その後、3年の歳月をかけて昭和9年(1934)に権現造で、日本初の鉄骨鉄筋コンクリート造・総朱漆塗で現在の社殿(国の登録有形文化財)が完成した。、、、、ここでも、早朝の神社は人影はまばら。 境内では、禰宜・巫女さんが、掃除や開店準備で忙しそうだ!、、、、拝殿では早速、お賽銭を奮発し新型コロナ感染症鎮静を祈願して、二礼二拍手一礼。

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● コロナに感染しないよう、早々と来た道を戻る。、、、、我が家にもどれば、再び自粛生活、我慢・我慢はチョイト辛い!

 

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