2025年3月11日 (火)

花卉の町:鹿骨

今朝の散歩は、江戸川区鹿骨から、新堀・春江・瑞江と歩いてきた。 8千歩



● 相変わらず散歩の行先は決まっていないが、JR総武線の新小岩駅から散歩をはじめる予定で家を出た。 新小岩駅前には多くのバスが停まっており、行先が特定していない私は、チョイト、バスに乗ってみたくなり、適当に発車しそうなバスに飛び乗った。(都の敬老パスを持っているので、都内のバスは載り放題!)、、、、『どこ行きだ? 瑞江駅行きか、どこで降りようか?』車中で自問自答。 新小岩駅と瑞江駅の間に新中川が流れてる、このバスはどこかで新中川を越えるはずだ、『よし、新中川を越えた処で降りよう!』
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● バスを降りたのは、新中川を越えて最初のバス停「鹿骨五丁目」、初めて降りた! 『さて、どっちへ向かって歩こうか?』 乗ってきたバスは瑞江駅行きなので、とりあえずバスが向かった方向へ私も歩くことにした。、、、、“鹿骨”は“ししぼね”と読む。 奈良時代(8世紀)、藤原氏によって奈良の春日大社の創建に際し、常陸の鹿島神宮から分霊されたが、その際に多くの神鹿を引き連れておよそ1年かけて奈良まで行ったと言い伝えられており、その途中、鹿が死んだためこの地に葬った。(鹿を葬った「鹿見塚」や「鹿骨鹿島神社」がある) これが「鹿骨」の地名の由来と言われてる。、、、、鹿骨は園芸の町としても有名で、ビニールハウスが点在する。
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・・・・・・・・・・ 花卉農家の多い町として、特産野菜や花卉類の研究栽培を行う「東京都農林総合研究センター 江戸川分場」がある。 構内の見学はできるそうだ。
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● 鹿骨1丁目に、真言宗豊山派寺院の円勝院がある。 金霊山神明寺と号す。 円勝院の創建年代は不詳であるが、享禄3年(1530)に中興、元禄2年(1689)に火災で焼失し別当を勤めていた鹿骨鹿島神社の地から当地へ移転、明治7年に観音寺、乗勝寺、薬王寺の三寺を合併した。、、、、歴史を語るものは少ないようだが、“鹿骨”の場所柄、緑や花については話題も多く、時期によっては古代蓮が見事に咲くそうだ!
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● 春江町に入ると、耐震補強と外部塗装を終えた、東京都住宅供給公社の「春江町住宅」が見える。 昭和47年(1972)から翌年にかけ完成した、地上11階建ての建物3棟からなる住宅は、総戸数398戸の団地。、、、、11階は見晴らしが良く、市川・本八幡・下総中山方面が一望できる無料の展望台(?)
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● 都営新宿線の瑞江駅に近い処にも、“
生産緑地”と呼ばれる農地が点在する。 駅に至近なこの農地、更地にして売ったらいくらになるか? 億万長者になれそうだ!
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● 瑞江駅に到着したが、駅前のバス乗り場には小岩駅行きのバスが停まってる。 帰りは、このバスで小岩駅に行き、総武線で帰ろう!、、、、今日は、行きも帰りもバス利用!
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2025年3月 7日 (金)

高砂から小岩

ここ数日の寒さで、歩くことが無く家でゴロゴロ、足が退化しそうだ。 『今日は晴れる』とお天気お姉さんが言っていた。 とりあえず、散歩することにした。 家を出て地下鉄に乗ったが、散歩の行先決まらず、京成本線の高砂駅で下車。 天気予報は当たった、空は青く澄んでる、しかし風は強い。 気温10℃、風速10m/s、差し引き体感気温0℃、『コリャ寒い!』 寒い寒い北風の中、高砂駅から裏通りを南に向かい、JR総武線の小岩駅まで歩いてきた。 8千歩



● 「京成高砂駅」は京成本線・金町線・成田空港線と、北総鉄道の北総線が乗り入れている。 本線・成田空港線・北総線は、2面4線の地上島式ホームを利用。 金町線は高架ホーム1面1線を専用。、、、、地上ホームでは、多くの電車が行き交う中で、北総線へ乗り入れる電車や、当駅止まりの電車では、乗務員交代が行われ、素人の私が見ていると時間に追われ忙しそうな駅である。 駅員・乗務員の手慣れた行動に感服!
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● 京成高砂駅は、京成本線と金町線および北総線の分かれる一大ジャンクションで、加えて高砂検車区への入出庫線もあるために非常に多くの線路が交錯している。 出入りする電車も多く、駅の東側にある「高砂1号踏切」・「高砂2号踏切」は常に人や車の滞留が発生している状況で、いわゆる“開かずの踏切”である。、、、、“開かずの踏切”解消について、高架化・地下化などの案があるが、駅の東には高砂車両基地が広がっており、この基地の扱いが最大の問題点であるらしい。 隣接する都営高砂団地建替え整備後の跡地に、基地を移転するかも? いずれにしても具体的な計画が定まっておらず、“開かずの踏切”解消は10年以上先になるかも?
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● 京成高砂駅から南(小岩方面)に向かって裏通りを歩く。 特筆する程の施設・工場などは無く、一般の商業地・住宅地である葛飾区細田の町を歩く。 ときおり北風が強く吹き付け、チョイト寒いね! でも花は咲き、春はやって来た!
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・・・・・・・・・・ 細田の町に寺院があった! 寛永5年(1628)に創建された、真宗大谷寺院派の宗念寺である。、、、、墓地には、嘉永年間、江戸品川の台場築造に功績を残した旧細田村の名主杉浦与右衛門の墓があるそうだ。
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● 北風がより強く吹き、寒さは増してきた。 JR総武線の「
小岩駅」に到着。 寒い、早く家でコーヒーを飲みたい!
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2025年2月27日 (木)

岡崎城・熱田神宮

名古屋駅前のホテルで寝覚めた私たち夫婦の今日の予定は、妻の希望で『熱田神宮へ行く』。 夕刻の新幹線まで時間がタップリあるので、午前中から岡崎城へ行き、帰りに熱田神宮へ寄ることにした。、、、、岡崎城は、城好きな人でなければ、わざわざ東京から見に来ることはないと思われる。 夫婦二人旅、自由にのんびり好きな処に行ける、この機会に見ておくことにした。



● 名古屋から名鉄名古屋本線に乗り約45分「東岡崎駅」で下車。、、、、東岡崎駅は市名を冠するJR東海の岡崎駅に比べると岡崎市役所や岡崎城などに近く、駅周辺は中心市街地が広がることから、岡崎市の中心駅としての役割を担っているそうだ。 2030年度の竣工を目指し駅前の再開発が進行中で、明るく近代的な駅舎に生まれ変わるそうだ。、、、、東岡崎駅は大正12年(1923)8月8日、岡崎電気軌道(後の岡崎市内線)是字寺駅所在地に、愛知電気鉄道により開業したのが始まり。 現在の一日当たり平均乗降者数は約6万人で、名鉄の駅の中では、名鉄名古屋駅、金山駅、栄町駅に次いで、4番目に利用者が多いらしい。 、、、、失礼ながら、こんなに近代的な駅とは思っていなかった。 来てビックリ、見てビックリ!
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・・・・・・・・・・ 東岡崎駅の北側を流れる乙川(おとがわ)は川幅も広く、両岸の土手は遊歩道として整備され、そこに架かる橋もなんとなく城下町の風情を感じさせる、住んでみたくなる情景だ!
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● 岡崎城下、乙川岸に鎮座する「菅生神社(すごうじんじゃ)」、、、、菅生神社は岡崎最古の神社、日本武尊命により(西暦110年)創建。祭神は、天照皇大神・豊受姫命・須佐之男命・徳川家康・菅原道真。 松平家・徳川家康ゆかりの神社で家康が25歳の時、厄除開運祈願をし、社殿・寄進田など厚く崇敬した。 その後、江戸幕末まで、岡崎城主代々の祈願所として城主より社殿・鳥居など寄進を受け、岡崎城内鎮守の守護神とされた。
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● 「岡崎城」は、徳川家康が生まれた「神君出生の城」。 龍にまつわる伝説も多く別名 龍ヶ城とも呼ばれ、竹千代(のちの家康)が誕生した折には、城の上に黒雲が渦巻き、黄金の龍が現れたと伝えられている。 昭和34年(1959)に再建された鉄筋コンクリート造3層5階の復興天守は、岡崎市のシンボルとなっている。 いにしえより、東海道を舟運による交通の要衝として栄え、「五万石でも岡崎様は お城下まで舟が着く」と歌われ、岡崎城の発展や城下町の繁栄を築いた。 平成14年(2006)に「日本100名城」に選定された。、、、、享禄4年(1531)に松平清康(家康の祖父)が現在の位置に岡崎城を移築した。 天文11年(1542)12月26日、徳川家康は、ここ岡崎城内で誕生した。 家康は、6歳で織田信秀(信長の父)、8歳で今川義元の人質となり、少年期を他国で過ごし、永禄3年(1560)の桶狭間の合戦で、今川義元が戦死したことを契機に自立した。(家康19歳) 以後、岡崎城を拠点に天下統一という偉業へ突き進む。 元亀元年(1570)家康は本拠を遠江浜松に移し、嫡男信康を岡崎城主とした。 天正7年(1579)に信康が自刃したあとは、重臣の石川数正、ついで本多重次を城代とする。 天正18年(1590)に家康が秀吉によって関東に移されると、秀吉の家臣田中吉政が城主となる。 家康が江戸に幕府を開いてからは、本多氏、水野氏、松平氏など、家格の高い譜代大名が城主となった。 明治維新を迎えると情勢は変わり、新しい時代には不用とされた城郭の大部分は明治6年から7年にかけて取り壊されてしまった。 このあとは、堀と石垣が昔日の面影をわずかに伝えるばかりであったが、岡崎の象徴である天守閣がないままではしのびないと、昭和34年(1959)にほぼ昔どおりの外観の天守閣が復元された。、、、、復元された現在の岡崎城は、鉄筋コンクリート造3層5階、高さ28m、設計は名古屋工業大学工学博士 城戸 久(故人)、施工は清水建設、、、、昨日行った名古屋城ほどのスケールはないが、整備された美しい街中に想像していた以上に立派な城があって感動させられた。 「天守閣」と家康の一生をを語る「家康館」に入館し、チョイト勉強させてもらった。 天守閣からの眺望はgood!
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● 岡崎城を見たあとは、東岡崎駅で教えてくれた八丁味噌の工場見学に行くことにした。 岡崎城から徒歩20分程、愛知環状鉄道の中岡崎駅近くにある「カクキュー 八丁味噌」に行く。、、、、江戸時代初期より、八丁町(旧八丁村)で造り続けるカクキュー(屋号)の八丁味噌。 その工程を会社のガイドさんの説明で見て歩く。 最後に、みそ汁の試飲、味噌田楽の試食、お土産付で、妻は満足顔。 売店で味噌を購入、チョイト重たいな!、、、、 西欧のバシリカ式教会堂のような構造で、黒と白を基調とした木造の建物は本社屋。 昭和2年(1927)に建てられた国の登録有形文化財。
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● 岡崎から名古屋(神宮前)へ戻り、「熱田神宮」へ参る。、、、、熱田神宮は、1900年以上続く古社で「熱田さん」と呼ばれている。 創建は景行天皇43年(113)。 広い静かな参道を拝殿目指して歩くだけで、身が清められるような清浄な空気に満たされている。 拝殿の奥に見える社殿が本殿(撮影不可)で、ここにご祭神である熱田大神が鎮まっている。 熱田大神は、三種の神器の1つ「草薙神剣」を神体とする天照大神とされてる。、、、、約6万坪(約19万㎥)の境内は、樹齢1000年を超えるという楠が生い茂り、心身ともに英気を養うことができる。 広すぎる境内はチョイト端折って歩くことにした。 写真は、東門参道、日本三大燈籠の一つ「佐久間燈籠」、神楽殿本宮拝殿(二枚)の順。
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● 名古屋駅から東京へ、、、、チョイト、年寄りには疲れる旅であった。 無事に帰り、一安心。

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