“和樂備”?
このところ、寒さに負けて出不精となっていた、『今日は寒くても歩くぞ!』と気合を入れて散歩することにした。 散歩は、京浜東北線の蕨駅からスタートすることにした。
● 京浜東北線の蕨駅(わらびえき)は、明治26年(1893)7月16日に日本鉄道の駅として開業した。 明治39年(1906)には、鉄道国有法により国有化された。 開業130年以上経た“老舗の駅”だ! 現在の駅は島式ホーム1面2線の地上駅で、橋上駅舎を有する。 改札は橋上の1ヶ所だけだが、出入口は東西にそれぞれ1ヶ所ずつある。、、、、令和5年(2023)度のJR東日本エリア内の1日平均の乗車人員では、私が住む浅草橋駅は90位の48,054人であるが、蕨駅はなんと78位で53,921人、完敗である。(チョイト悔しいね!)、、、、【蛇足】駅名(市名も同じ)の『蕨』を“わらび”と読める人は多いが、漢字を書ける人は少ないと思うね! 私もその一人である。 ついでの話で、蕨市は全国で最も面積の小さな市、全国で最も人口密度の高い市である。
・・・・・・・・・・ さて、相変わらず散歩の行先を具体的に決めていない私は、改札を出て東口に出るか?西口に出るか?悩んでしまう。 駅コンコースから町を眺め、以前東口に出て歩いたことを思いだした。 そして『今日は西口から歩くことにする!』、、、、西口の階段脇には「蕨駅 開設記念碑」がある。
● 蕨駅西口正面の「駅前通り」を歩くが、人通りも少なく、店もオープン前、キョロキョロする楽しみも無い。 チョイト裏道を歩く。
・・・・・・・・・・ 「和樂備神社」の前に出た。 “和樂備”? 何て読むのだ! “わがくび”かな? “我が首”とは? チョイト悩んだが、神社の案内を呼んで納得!、、、、和樂備神社の社名は、全国的な神社合祀令により蕨町内に元々あった八幡社と18の鎮守社を明治44年(1911)に合祀して減らした際に、各集落の合意を得るため町長の草案を基に万葉仮名を用いた「和樂備(わらび)神社」と名付けられたそうだ。 境内に末社や石碑、歌碑、力石などが多くあり、合祀によって集約した名残と思われる。、、、、大正2年(1913)から本殿の覆屋を新築、引き続き社務所を建設。 さらに、昭和25年(1950)からは神楽殿の新築、昭和39年(1964)に幣殿・拝殿の改築、昭和49年(1974)に社務所の改築と続く。 また、平成8年(1996)には不審火により社殿全焼し、翌9年には再建を果す。 よって、和樂備神社の建造物は比較的新しい建物である。 また、境内は広く、大きな池などもある。 おそらく蕨市民にとっては、お宮参り七五三、初詣などで参拝した人も多いことと思われる。
● 和樂備神社に参拝した後は、裏通りを抜けて再び「駅前通り」に出た。 駅前通りと旧中山道が交差する、蕨市中央5丁目の交差点の歩道部分に、「中山道 六十九次 蕨宿」(“蕨”の部分欠落)と標されている。 中山道は日本橋から京三条大橋まで、蕨宿は最初の宿場である「板橋」の次、二番目の宿場であった。 現在は何となく旧街道らしい雰囲気の街並みが残っているが、その当時の建物などは残っていないらしい。
・・・・・・・・・・ “蕨宿”の標示の脇に「蕨町道路元標」が残っている。 この道路元標は、「蕨町」のときに造られたもの。 明治22年(1889)に蕨宿・塚越村が合併し、蕨町として発足した。 その後、一度も市町村合併を経験せず、昭和34年(1959)4月1日市制施行する。
● 国道17号(=中山道)を越えると戸田市となる。 戸田市に入るとJR埼京線の戸田駅がある。、、、、戸田駅は、昭和60年(1985)9月30日に、国鉄の駅として開業する。 昭和62年(1987)JR東日本の駅になる。 島式ホーム1面2線の高架駅。 1日平均乗車人員は約2万人。
・・・・・・・・・・ 埼京線の隣りを、新幹線が疾走する
● 今日の散歩はここまで、戸田駅から帰る。 9千歩の散歩