2025年4月24日 (木)

藤まつり

江戸時代から続く都内随一の藤の名所「亀戸天神」の「藤まつり」は、今週が見頃と聞いて今年も夫婦でチョイト見てきた。、、、、、亀戸天神には、現在は50株以上の藤が植えられ、花の紫の姿と甘い香りで多くの人々を惹きつけている。 (去年の「藤まつり」はコチラ!



● JR総武線亀戸駅から、駅前の商店街を歩いて亀戸天神へ向かう。 時刻は午前10時過ぎ、まだ人出は少ないようで歩く人も少ない。
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● 今年も飽きずに来ました! 境内には多くの参拝者の姿が見える。 鳥居をくぐり、太鼓橋を渡り、修理中の社殿前の行列に並び、まずは二礼二拍手一礼。 
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● 祭神に手を合わせた後は、ゆっくり藤の花見。 
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・・・・・・・・・・ 藤に紛れて、珍しい花が咲いていた。 花の名は「なんじゃもんじゃの木」。 正式名は「ヒトソバダゴ」である。 自生している処は、国内数か所らしい。 6月下旬ごろに白く細い筒状の花が木全体に群がって咲くそうだ。 境内で一本だけ咲いていた。
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くず餅で著名な老舗の和菓子店「船橋屋」も、行列ができてた。 『行列待ちはイヤダ! 今日は諦めよう!』
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● 亀戸天神からは、隣駅の錦糸町駅に向かって歩く。

・・・・・・・・・・ 横十間川に面し亀戸二丁目団地を背にして東京都水道局の「
亀戸給水所」がある、その南西角に黒色の石碑「日清紡績創業の地」が建っている。 碑文には以下のとおり記されていた。 『日清紡績株式会社は明治40年1月創立後、東京府南葛飾郡亀戸町の当敷地2万余坪に、最新鋭設備を誇る本社工場を建設した。最盛期には、紡機107,800錘、織機360台を擁した本工場は、昭和16年軍の要請により陸軍被服本廠が使用するに至るまで、45年に亘り主力工場として綿糸布を生産し、広く内外の需要に応えると共に、幾多の人材を輩出した。 この間明治43年、大正6年、昭和13年の三たび横十間川の洪水で浸水し、大正12年には関東大震 災に逢ったが、従業員の献身的努力によりこの職場を守り得た。 昭和20年大戦下の空襲により焼 土と化したが、運動場として整備し主として勤労青少年の体育に寄与してきた。偶々昭和42年東京都浄水場、日本住宅公団用地として提供するに至り、当社の手を離れた。 今般この地に記念碑を建立し会社 創業関係者の遺徳と、生死苦楽を共にした多数従業員各位の功績を偲ぶ ものである。   日清紡績株式会社   昭和46年、、、、、日清紡は現在、綿紡績としては国内最大手の企業だが、紙製品・自動車ブレーキ部品・エレクトロニクスなどの分野に事業を拡大しているそうだ。
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・・・・・・・・・・ 日清紡跡の碑の斜め前に、もう一つ石碑がある、「亀戸銭座跡」である。、、、、、江戸時代の寛文8年(1668)から安永2年(1773)の間、一時休止した時期もありましたが約100年間、ここで寛永通宝という銭貨が作られていた。 その後、明治40年(1907)に日清紡績の本社工場が建設された。、、、、昭和42年(1967)に旧日本住宅公団の亀戸2丁目団地が建設されたが、 その際、寛永通宝が多数発見されたそうだ。 写真は、亀戸銭座跡の石碑と亀戸2丁目団地。
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錦糸町駅に到着、これより昼食・買い物をして帰ることにした。
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2025年4月20日 (日)

平和橋通り

昨日から羽田空港アクセス線の整備工事により、JR山手線、京浜東北線が運休している。 浅草橋の我が家からは、JR総武線で新宿方面には行けるが混みそうだ、隣駅の秋葉原から山手線・京浜東北線に乗換え、東京・上野方面には行けない。 また、都営浅草線を利用して銀座・品川・羽田方面は振替輸送で混みそうだ。・・・・・と言う自己判断で、今日の散歩は京成電鉄の沿線からスタートすることにした。  久しぶりに四ツ木駅で下車し、南東の新小岩方面へ、いつものように裏道を歩くことにした。 ところが、駅前から裏道を南東方向(新小岩方面)に向かっていると思ったら、北東方向に向かって歩いてた。 間違いに気付いたのは、「平和橋通り」(=都道308号)という大通りに出た時である。 『アリャコリャ失敗だ! 新小岩に行くはずが遠ざかってる!』 『ならば裏道散歩は諦めて、この道(平和橋通り)を真直ぐ歩き新小岩に行こう!』 結局、新小岩駅まで平和橋通りを歩いてきた。 9千歩



アニメ「キャプテン翼」でラッピングした派手な四ツ木駅で下車し、散歩をはじめる。 裏道を歩き、目指すは新小岩駅。
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● 駅前の寂れた商店街を歩き、銭湯の煙突を目指し裏道を歩き、タワマンを見上げて路地を歩き、町工場の油の匂いに懐かしみ、錆びた非常階段に恐怖を感じ、出てきたところは、平和橋通りの「東立石水道道路入口」交差点(長ったらしい名前だ!)、、、、、平和橋通りを歩けば、新小岩駅前に出るので、裏道散歩は諦め、このまま道なりに新小岩駅に向かうことにした。
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● 平和橋通りを歩き見つけた、これ何?
・・・・・・・・・・ 東四つ木2丁目にあった道祖神、、、、、平和橋通りを歩き、交差点を渡ろうとすると、地蔵さま(?)か思われる石仏らしきものの後ろ姿が見えた 正面に向かうと、ナント、スカーフをかぶり、シャツを着こみ、顔の一部しか拝めない石仏だ! 地蔵様か?、庚申塔か?、道祖神か?、案内の立札もなく、道端で服を脱がすとセクハラになるのも困るので、とりあえず写真だけ撮ってきた。、、、、帰宅後、Googleマップで調べて判明したのは、道祖神と言うことだ。 (造立年、経緯は不明)  どなたか知らねど、花を添え供養されているようだ!
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・・・・・・・・・・ 道祖神からチョイト南に歩くと、UR都市機構の「アクシス東四つ木」がある。 その角に石で組まれた井戸のようなものがあった。 昔の井戸かな?、、、、よく見て考えてみたら、どうやら幼児が水遊びするジャブジャブ池のように見える。 井戸から水が出て、周囲の円形の石組み部分に溜り、幼児が遊ぶ。 でも、井戸の角に頭をぶっけて怪我するね! 単なるオブジェかも?

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● 都道308号は、足立区足立1丁目と江戸川区臨海町を結ぶ主要地方道である。 その一部、足立1丁目から千葉街道までを「平和橋通り」の愛称で呼ばれている。 その平和橋通りが中川を越える橋を「平和橋」と呼ぶ。、、、、、平和橋が架けられたのは、終戦間もない昭和22年(1947)である。 橋長144.2 m、幅員6 mの仮設木製であった。 2代目の現橋は、昭和35年(1960) 5月に竣工した。 全長134.4 m、幅15.0 mのPC単純桁橋である。、、、、橋名の由来は不明だが、戦後間もなくして架けられた橋であることから、平和を願い名付けられたのかも? 橋の親柱、欄干に鳩がいる。
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● 平和橋を渡ると左側に天祖神社がある。 天祖神社は鎌倉時代 源頼朝の家臣 葛西三郎が創建したと言われてる。 江戸時代には「皇太神宮社」・「葛西神宮社」と称し、明治4年(1871)に「天祖神社」と改称された。 社殿は昭和46年(1971)5月造営。
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● 天祖神社からチョイト南へ歩くと、「上品寺」・「ゑんま大王安置堂」と書かれた二本の大きな石柱がある。 ここは、真義真言宗にして八幡山 来迎院という。 上品寺の創建年代は不詳だが、室町時代以前からの古刹とのこと。、、、、、この閻魔堂に安置する閻魔大王坐像は、高さ206cmあり、かつては江戸16閻魔の一つとして栄え、区内最大のものである。 閻魔大王は、地獄に住み18の将良と8万の獄卒を従え、死して地獄に堕ちくる人間の生前の善意を正し、罪あるものには、苦しみを与える冥王として信仰する人が多い。 当寺の閻魔は、江戸中期にもっとも盛んに信仰され、昭和47年(1972)に閻魔堂は新築された。 見ごたえのある閻魔像だ!
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新小岩駅に到着、JR総武線で帰る
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2025年4月17日 (木)

根津のツツジ

今朝食事中に『散歩してくる』と言うと、妻『どこへ行くの?』 私『判らない、駅へ歩きながら決めるよ!』 ちょうどその時、テレビでツツジが咲く根津神社から生中継。 それを見た妻『根津神社へ行ってきたら』 私『ヨシ 根津神社へ行ってくる』 妻『私も行くよ!』 これにて決定、今日の散歩は夫婦で根津神社へ、Let’s go!



● 浅草橋の我が家からJR総武線で二駅、御茶ノ水で乗り換え、新御茶ノ水から東京メトロ千代田線で二駅、根津で下車する。、、、、、昭和44年(1969)12月20日に開業した根津駅は、単式ホーム1面1線上下2層構造の地下駅。 地下2階のホームから階段を上がると、地下1階のホームで出る。 地下1階の改札を抜けて階段を上ると地上に顔を出す。 電車から降りた客は、何だか高齢者が多い感じだ!(後で知ったが、皆さん、テレビを見て根津神社へ来たみたい!)、、、、、駅前の通りには「つつじまつり」と染め抜いた旗がなびき、『いらっしゃいませ!』
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● 根津神社へ行く途中、チョイト裏通りにある「日本基督教団根津教会」(国の登録有形文化財)へ寄って見た。 、、、、、根津神社の鳥居前の裏通りの一角に、小さな尖塔をいただいた木造の教会建築がある。 下見板をはった薄い水色の外観は、なぜか下町の周囲の景観と調和している。 もともとは、米国福音派系の礼拝堂として、大正8年(1919)に建てられたそうだ。 震災、戦災をくぐり抜け、大正期の日本の洋風建築を今日に伝える貴重な建物として今に至る。 聖堂の扉は閉まっていたので、内部は拝見せず。
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根津神社は日本武尊が1900年近く前に創祀したと伝える古社で、東京の鎮護と万民の安泰を祈る神社として選ばれた「東京十社」の一社に数えられている。、、、、、現在の社殿は宝永3年(1706)、甲府藩主の徳川綱豊(後の第6代将軍徳川家宣)が献納した屋敷地に造営されたものである。 権現造(本殿、幣殿、拝殿を構造的に一体に造る)の傑作とされている。 根津神社の社殿7棟が国の重要文化財に指定されている。 根津神社は、江戸時代には山王神道の権現社であり、「根津権現」とも称された。、、、、、祭神は須佐之男命、大山咋命、誉田別命、、、、朝のテレビ中継と25℃の晴天が影響したのか、物凄い人出だ! 参拝するのに行列に待ち! 
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・・・・・・・・・・ 境内の小高い斜面には、約100種、3,000株のツツジが色鮮やかに咲き、目一杯ツツジを堪能した、最高、beautiful !
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● ツツジに感動した後、道灌山下まで歩き、そこからバスで浅草へ行く。 妻の狙いは昼食だ!、、、、、散歩はここまで。

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