2025年7月 5日 (土)

謎のアレルギー

昨日(4日)医科大学の附属病院に行ってきた。 まずはその後のどうなったか、『見せてください』と女医さんに言われ、赤いボツボツが密集するチンチン周りを見せることになった。 大事な“一物”は見せることなく、ベルトを緩めパンツ姿で太腿周り、肥満の腹周りの赤いボツボツを見せる。 『少し色も薄くなり、湿疹の範囲も狭まりましたね。 背中、首回りなどは消えてきたようです』 血液検査の結果は、『肝臓など内臓系の数値に異常は見当たりません、ただ、白血球の数値も異常はないのですが、好酸球の数値(通常は0~8.5%)が16%と高くなっています』 先生曰く、アレルギー疾患では好酸球が増加するらしい。 ・・・・と言うことで、私の場合は、『原因は謎だが、何らかのアレルギーである』(病名は中毒疹(ちゅうどくしん)と言うらしい) 2週間後に『また来てね!』、院内薬局でもらった塗り薬・飲み薬を土産に帰宅。
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2025年6月28日 (土)

アリャ・コリャ・困った!

 高湯温泉へ行くときは首回りが痒く“汗疹(あせも)”と思っていたが、帰ってきた翌々日の月曜日、身体全体に赤いポツポツが発生、ヤタラメッタラ痒い、『助けて先生!』と近所の皮膚科クリニックに駆け込む。 4日分の痒み止め、軟膏を処方してもらい、湿疹かアレルギーか原因追及もお願いし帰宅する。 
 その後、薬を飲み・塗りするが一向に治らず、ますます痒い! 四日後の金曜日(昨日)早速、クリニックへ行くと『血液検査の結果、アレルギーは無いようだ、肝臓・腎臓などの身体の機能も悪くない。 原因は掴めない! 私には診られない、紹介状を書くので大学病院へ行け!』と言われた。
 午後、御茶ノ水の医科大学付属病院へ駆け込む。 担当の女医さん(30歳ぐらい?)に『服を脱いで見せてください』と言われる。 小太りの高齢男性が、パンツ一丁になり、全身赤いブツブツだらけの身体を晒す。(恥ずかしいことこの上なし!) さらに、『念のため写真を撮らせてください』と言われ、別な女性カメラマン(20代と思われる?)を呼び、ブツブツ・ブヨブヨの身体を撮影。 こちらも恥ずかしい。 続いて、「皮膚生検」と称する、赤いボツボツの皮膚を切り取り検査する。(結果は後日) さらに採血され、会計を済ますと、病院で調合したと思われる強めの薬を手土産にもらい、もう治ったかと勘違いしてるようなウキウキ顔で病院を後にする。
 一夜明け、昨日もらった病院の薬の効きは、今一つ。 まだまだ赤いボツボツは消えず、痒い痒い痒~~い!
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 ・・・・・と言うことで、散歩はしばらく休みます。

2025年6月21日 (土)

のんびり高湯温泉

東京は梅雨入りしてから連日の猛暑日・真夏日で、年寄りの外出はひかえてきた。 しかし、気持ちは外に向かい、20日からの一泊で、吾妻連峰の高地にある、福島市の高湯温泉に夫婦で行ってきた。



● 夫婦二人旅なので、今回は高湯温泉の宿だけ予約し、観光する目的地を決めずに出発した。、、、、、新幹線車中で、今旅の行動予定を話し合う。 福島駅から高湯温泉行のバスは、朝昼晩にそれぞれ1本、一日に合計3本しか運行されていない。(宿の送迎はあるが、事前連絡はしていなかった) 昼2時頃に福島駅を出るバスで行くことにした。 バスが出るまでの3時間余り『どうする?』 『とりあえず昼食で1時間、残り2時間はどうしましょう?』 妻の祖母が眠る、駅から徒歩20分程の「長楽寺」へ墓参りすることにした。 二日目は、観光タクシーで「浄土平」へ行ってみようと話はまとまる。



● 私達が乗った新幹線は「やまびこ・つばさ129号」、、、、数日前の山形新幹線「E8系」不具合で、「やまびこ」の車両は連結されておらず、「つばさ」の車両のみで運行。 しかも全車自由席の扱い。 ガラガラの貸し切り状態で福島着。 のんびり旅のスタートとなった。
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● 福島市も猛暑、暑い・暑いとボヤキながら駅の東側を県庁の方に向かって歩く。 福島県警察本部の近く、建物の陰に煉瓦造りの建物が見えた。   チョイト気になり撮影する。、、、、、大正5年(1916)3月に日本赤十字社福島支部の倉庫として建てられた建築物である。 妻側に赤十字のマークが標されている。 現在は福島県庁の書庫として活用中。 
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● 旧赤十字病院の倉庫の東側に長楽寺がある。、、、、、「長楽寺(ちょうらくじ)」は、福島市にある曹洞宗の寺院。 山号は萬年山で、本尊は聖観世音菩薩。 室町時代に上杉氏の重臣本庄氏の菩提寺として、越後小泉庄の中心地本庄(現新潟県村上市)に創建された。 慶長5年(1600)、4世中興傑山雲勝の代に越後から現在の福島の地に移転。 中興開基は、初代福島城主(当時は上杉家城代)で本庄氏31代当主の本庄繁長。、、、、、長楽寺は福島城三の丸の郭内の東隅にあった。

・・・・・・・・・・ 山門をぬけて、本堂で合掌。、、、、、 その後、妻の祖母の墓に線香を供える。 
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・・・・・・・・・ 墓地に建てられた「福島城代本庄繁長一族之碑
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・・・・・・・・・・ 福島の目明しとして名を売り、明治時代に入ってからも消防組織の中心となって活躍した、福島一の侠客といわれた浅草屋宇一郎の墓。 隣には、仙台藩烏天狗組の慰霊碑がある。 烏天狗組は正式名称を《衝撃隊》と言い、仙台藩士・細谷十太夫によって結成された義勇軍。
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● 福島駅からバスに揺られて40分、吾妻連峰に抱かれひっそりと佇む高湯温泉に到着。、、、、、高湯温泉は福島駅の西約18kmの、吾妻連峰に連なる標高約750mの高地に位置する。 磐梯吾妻スカイライン入口に温泉街が所在する高湯温泉は、ほぼ全域が磐梯朝日国立公園内にある。 高湯温泉は信夫高湯ともいい、山形の白布高湯(白布温泉)や最上高湯(蔵王温泉)と並んで奥羽三高湯と称される。 9本の源泉があり、「滝の湯」「熱湯」「仙気の湯」など、それぞれに名前が付けられている。源泉によって湯花が多いものや、砂を吐くものなど特徴に違いがある。江戸時代から地形の高低差を利用した自然流下による引き湯が行われており、加温、加水を一切せず、6軒の宿と1軒の公衆浴場に供給されている。 泉質は、全国有数の硫黄成分濃度の高さで知られてる。 天文年間(1532~1555)温泉が発見され、慶長年間(1596~1615)には湯治場として広くしられることになった。、、、、、終点の高湯温泉バス停は共同浴場「あったか湯」の前。 この湯は地元(6軒の宿があるのみ)の人用というよりは、吾妻連峰に訪れる観光客用だと思われる。
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・・・・・・・・・・ チョイト、チェックインには早かったかも、でものんびり湯に浸りたいので宿へ直行。、、、、、『たいせつな人と過ごしたい宿』がキャッチフレーズの「旅館 ひげの家」にお世話になる。、、、、、部屋good!、温泉good!、料理good!、お客は全て夫婦二人連れ2506201413040
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● 二日目は観光タクシーで、磐梯吾妻スカイラインを走りぬけて、福島駅に行くことにした。、、、、かっては社内旅行(バス旅行)で数回来たことがある磐梯吾妻スカイラインだが、東日本大震災、コロナ禍以降の今では観光バスが走ることもなくなったそうだ。 たしかに、行き交う車は乗用車とツーリングのバイク、そして体力勝負の自転車、観光バスを見ることはなかった。 
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・・・・・・・・・・ 磐梯吾妻スカイラインの途中、「つばくろ谷」に架かる「不動沢橋」。、、、、、この橋は2000年に老朽化の為に架替えられた2代目で初代橋は「不動沢橋跡」として残されている。 2代目のこの橋は、橋長170m、幅員6.0m(11.0m)、形式:銅上路式ローゼ桁橋、総工費15億2300万円。 吾妻八景の一つであるつばくろ谷を跨いでおり、谷底から約80mの高さにある橋を遠望する姿は絶景だ!

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・・・・・・・・・・ 磐梯吾妻スカイラインの中間地点「浄土平」でチョイトひと休み。 ここ浄土平は磐梯吾妻地域に属し、磐梯吾妻スカイラインの中間地点の標高1,600mに位置している。 一切経山、吾妻小富士、桶沼に囲まれたこの一帯は、一切経山の火山噴火により生成された火山荒原と、オオシラビソを主とする針葉樹林の原生林となっています。 また、高山植物群落や亜高山帯の針葉樹林湿原なども点在し、ビジターセンター、休憩所、自然探勝路が設置・整備されている。、、、、、浄土平レストハウスから徒歩20分程で、直径約500mの吾妻小富士の火口(お釜)を眺めることができるのだが、私たち夫婦は無理せず、諦めた!
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福島駅に戻り、遅め昼食、妻の楽しみ土産の購入を済ませ、帰京する。
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