藤まつり
江戸時代から続く都内随一の藤の名所「亀戸天神」の「藤まつり」は、今週が見頃と聞いて今年も夫婦でチョイト見てきた。、、、、、亀戸天神には、現在は50株以上の藤が植えられ、花の紫の姿と甘い香りで多くの人々を惹きつけている。 (去年の「藤まつり」はコチラ!)
● JR総武線亀戸駅から、駅前の商店街を歩いて亀戸天神へ向かう。 時刻は午前10時過ぎ、まだ人出は少ないようで歩く人も少ない。
● 今年も飽きずに来ました! 境内には多くの参拝者の姿が見える。 鳥居をくぐり、太鼓橋を渡り、修理中の社殿前の行列に並び、まずは二礼二拍手一礼。
● 祭神に手を合わせた後は、ゆっくり藤の花見。
・・・・・・・・・・ 藤に紛れて、珍しい花が咲いていた。 花の名は「なんじゃもんじゃの木」。 正式名は「ヒトソバダゴ」である。 自生している処は、国内数か所らしい。 6月下旬ごろに白く細い筒状の花が木全体に群がって咲くそうだ。 境内で一本だけ咲いていた。
● くず餅で著名な老舗の和菓子店「船橋屋」も、行列ができてた。 『行列待ちはイヤダ! 今日は諦めよう!』
● 亀戸天神からは、隣駅の錦糸町駅に向かって歩く。
・・・・・・・・・・ 横十間川に面し亀戸二丁目団地を背にして東京都水道局の「亀戸給水所」がある、その南西角に黒色の石碑「日清紡績創業の地」が建っている。 碑文には以下のとおり記されていた。 『日清紡績株式会社は明治40年1月創立後、東京府南葛飾郡亀戸町の当敷地2万余坪に、最新鋭設備を誇る本社工場を建設した。最盛期には、紡機107,800錘、織機360台を擁した本工場は、昭和16年軍の要請により陸軍被服本廠が使用するに至るまで、45年に亘り主力工場として綿糸布を生産し、広く内外の需要に応えると共に、幾多の人材を輩出した。 この間明治43年、大正6年、昭和13年の三たび横十間川の洪水で浸水し、大正12年には関東大震 災に逢ったが、従業員の献身的努力によりこの職場を守り得た。 昭和20年大戦下の空襲により焼 土と化したが、運動場として整備し主として勤労青少年の体育に寄与してきた。偶々昭和42年東京都浄水場、日本住宅公団用地として提供するに至り、当社の手を離れた。 今般この地に記念碑を建立し会社 創業関係者の遺徳と、生死苦楽を共にした多数従業員各位の功績を偲ぶ ものである。 日清紡績株式会社 昭和46年、、、、、日清紡は現在、綿紡績としては国内最大手の企業だが、紙製品・自動車ブレーキ部品・エレクトロニクスなどの分野に事業を拡大しているそうだ。
・・・・・・・・・・ 日清紡跡の碑の斜め前に、もう一つ石碑がある、「亀戸銭座跡」である。、、、、、江戸時代の寛文8年(1668)から安永2年(1773)の間、一時休止した時期もありましたが約100年間、ここで寛永通宝という銭貨が作られていた。 その後、明治40年(1907)に日清紡績の本社工場が建設された。、、、、昭和42年(1967)に旧日本住宅公団の亀戸2丁目団地が建設されたが、 その際、寛永通宝が多数発見されたそうだ。 写真は、亀戸銭座跡の石碑と亀戸2丁目団地。
● 錦糸町駅に到着、これより昼食・買い物をして帰ることにした。