2021年10月25日 (月)

奥浅草寺町通り

奥浅草」て知ってる?、、、、私は旧浅草区に生まれ住んで70余年、“奥山”なら知ってるが、“奥浅草”は問われても知らなかった。 どうやらここ数年の間に生まれた言葉のようだ、昔は「観音裏」と呼ばれていた、浅草寺の北側一帯の地域のこと。 “裏”という呼称はあまりよくないので、“奥”に変え「奥浅草」としたらしい。 奥浅草は、東に隅田川、西に国際通り、北に明治通り、南に言問通りで囲まれるほぼ四角い地域。、、、、奥浅草の中央東側に「奥浅草寺町通り」があると聞いた。 今日の散歩はここにしよう! 家を出る前に台東区の「道路通称名一覧」で調べてみた。 『起点:今戸2-39、終点:橋場1-2、路線番号:台第68号線』と書いてある。




● 奥浅草寺町通りの起点である今戸2-39に近い「東浅草」までバスで行く。 浅草に“寺町通り”なんてあったかな、車中でも疑心暗鬼?

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・・・・・・・・・・バスを降りると、スグ「奥浅草寺町通り」の名称が見つかった。 『ナンダ! ここは普段よく歩いている道だ! こんな名前だったかな?』、、、、“寺町通り”と言えば、普通、5、6ヵ所以上の寺院が、道の両脇に並んでいる通りをイメージするが、ここは道路に面する寺院は甘く数えて4ヵ寺のみ。 しかも、寺院らしい構えの寺はない。『だまされた!』

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・・・・・・・・・・・・散歩の後で調べてみたら、道路名は区で数年前に変更したそうだ。 旧名称は「今吉柳通り」、、、、変更理由は『地元町会から、現在の街路樹は「柳」から「ハナミズキ」に植え替えられており、道路通称名と一致していないこと、この沿道には、由緒あるお寺が多く、昔から「寺町」と言われていることなどの理由で変更して欲しいとの強い要望を受け、今回変更するものです(2017/12/13)』 




● せっかく奥浅草寺町通りに来たのだから、付近の寺院を巡ってみるか!、、、、台東区清川の町の寺院巡りをしてみたが、時刻は朝8時前、まだ開門していない寺院もある。 写真の順に、千松山本性寺(法華宗)、当麻山念仏院(浄土宗)、金智山宝蔵院(新義真言宗)、朝日山浄雲寺(浄土真宗本願寺派)、紫雲山通入寺(真宗大谷派)、明星山出山寺(曹洞宗)

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・・・・・・・・・・・・清川の町で「奥浅草ぶらり散策マップ」なるものが、商店の軒下に貼られていた。、、、、せっかくだから、妙亀塚、おばけ地蔵、平賀源内墓所も巡ってみるか!

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● 清川の東隣、隅田川沿いの町が「橋場」である。 橋場1丁目に「妙亀塚」と呼ばれる塚がある。、、、、妙亀塚は、平安時代、人買いにさらわれた吉田少将惟房の子梅若が当地付近で死去、梅若を探して当地付近にきた母が、梅若の死を知り剃髪して妙亀尼と称して庵を結んだと伝えられ、この梅若伝説に因んで妙亀塚と呼ばれている。 梅若に因む梅若塚は、隅田川対岸の木母寺(墨田区)にある。、、、、この妙亀塚のある地は、かつて浅茅ヶ原(あさじがはら)と呼ばれた荒涼とした原野で、近くを奥州街道が通じていたと言う。 今は、下町の中の小公園。

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● 妙亀塚から北へ120m程、「おばけ地蔵」が立っている。、、、、お化け地蔵のある右隣の民家風の松吟寺は、寛永2年に総泉寺の末として創建した。 境内には、もと総泉寺の「お化け地蔵」があり、総泉寺が昭和4年(1929)に板橋区に移転した時に、この寺に遺されたそうだ。「お化け地蔵」の名には、かつて大きな笠をかぶり、その笠が向きをかえたから、あるいは高さ3m余の並はずれて大きいからなど、いくつかの伝承がある。 お化け地蔵の台石によれば、この石仏は享保6年(1721)の建立。関東大震災で二つに折れたが、補修し現在にいたっており頭部も取りかえられている。常夜灯は、寛政2年(1790)に建てられた。 総泉寺は、板橋区へ移転した。「お化け地蔵」近くにある「元総泉寺境内諸仏供養の為」の碑は移転に際し建てられたものと思われる。、、、、おばけ地蔵の前に立つ小さな地蔵が普通のサイズ。 比べるとデカイ!

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● おばけ地蔵からさらに北へ200m、天才科学者「平賀源内の墓」、、、、平賀源内の菩提寺、総泉寺が昭和4年(1929)に板場区に移転した後の昭和5年(1930)に建立されたもの。 おばけ地蔵と同じ、置き去りにされた可哀そうな墓。、、、、平賀源内は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した発明家で、エレキテル(摩擦起電機)の復元製作や、火浣布(石綿の耐火布)の発明で著名です。 安永8年(1779)に殺傷事件を起こし、小伝馬町の牢内で獄死、当地にあった総泉寺に葬られた。 総泉寺が移転した後も墓は当地に保存、昭和6年(1931)には松平頼壽(源内の出生地である旧高松藩当主)により築地塀が整備され、昭和18年に国史跡に指定された。

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● 源内の墓から東へ250m程、ナンダ・カンダ毎年訪れている「橋場不動尊」に寄って行く、、、、天台宗寺院の不動院は、砂尾山橋場寺と号す。 不動院は、天平宝字4年(760)に創建、寂法相宗昇和尚が宝亀4年(774)に当寺住職となり開山。 寛元年間に砂尾長者が開基となり、天台宗に改めた。、、、、明治末年の大火や関東大震災、戦炎などに、不動院を中心とした橋場の一角だけは災禍を免がれたことから、「霊験あらたかな火伏せの橋場不動尊」として、信仰の的となっている。 現在の本堂は、弘化2年(1845)建立、小堂ながら江戸時代の建築様式を保ち、美しく簡素なたたずまいをしめしている。 画になる小堂だ!

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● 来月は酉の市」、鷲神社(千束3)も奥浅草にある。 コロナも終息の気配あり、またまた人出が多くなりそう!、、、、「奥浅草」は見どころが多い! 

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2021年10月23日 (土)

すっかり田舎者

私のカメラが修理から戻ってきた。 早速、今日はカメラを持って、JR四ツ谷駅から、赤坂・虎ノ門をとおり新橋駅まで、1万3千歩の散歩です。




● 久しぶりに「四ツ谷駅」の東側にある麹町口に出た。 この出口は、上智大学の斜め前にあるが、チョイト北側には名門女子校の「雙葉学園」(幼・小・中・高)がある。 東側には、こちらも女学生ばかりの「女子学院」(中・高)と、同じく女学生ばかりの「麹町学園」(中・高)がある。 今日土曜日の早朝、駅から吐き出されるのは女学生ばかり、駅前でマスクに帽子の助平そうなおやじが、カメラを持ってウロチョロすると完全に怪しまれる。 麹町警察署に引っ張られるのも嫌なので、足早に駅前から去る!

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● 上智大学隣にある「聖イグナチオ教会」に寄ってみた。 早朝の聖堂内に人影はない。、、、、聖イグナチオ教会(千代田区麹町6)は、イエズス会が運営するカトリック教会。 昭和24年(1949)に創立。 現聖堂は、旧聖堂の老朽化と狭隘化により改築が計画され、平成11年(1999)完成し、竣工式、献堂式が行なわれた。 建築設計は坂倉建築研究所、施工は清水建設・竹中工務店JVにより、RC造の地下1階 地上4階の建物である。 教会全体は中央の芝生の広場を囲むコの字型の配置で、祈りの空間としては、最大1000人規模のミサができる大聖堂、旧聖堂のステンドガラスを残した中聖堂、日本人が祈れる空間を和のデザインに求めた小聖堂などがある。 作品(建物)は、2001年度のBCS賞(建築業協会賞)を受賞した。 ドーム状の主聖堂内部はシンプルだが天井が大きな花弁を模したデザインで、暗さはなく明るく落ち着いた雰囲気の祈りの場である。

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● 四ツ谷駅からホテルニューオータニに向かって伸びる、外濠の土塁上の道を「ソフィア散歩みち」と呼ぶそうだ、おしゃれな名前で驚いた!  聖イグナチオ教会前から土塁上にあがると、桜や松の大樹が茂り、眼下には四ツ谷駅・迎賓館・上智大学のグランドなどが見える。 若い二人にはおススメの散歩道。

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● 外堀通りの
紀之国坂交差点から赤坂見附の方向に下る「紀之国坂(きのくにざか)」を歩く。 坂の東側は首都高と弁慶濠、西側は赤坂御用地。 長さ40m程の緩やかな坂で、坂の西側に江戸時代を通じて紀州徳川家の広大な屋敷があったことから名付けられた。 “赤坂”の起源とする説もある。、、、、この坂の下に、20数年前、私が痔の手術で入院した病院がある。 ベッドからは緑の奥にニューオータニ、プリンスの各ホテルが見える、最高の病室であった。 今度は、健康な時にのんびりと入院したいね(???)

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● 赤坂見附交差点から南に向かい、山王日枝神社本殿裏に至る稲荷参道を上る。 参道の階段を上ると山王日枝神社の末社「山王稲荷神社」に出る。 稲荷の大神は生成発展・商売繁盛の守り神として全国に祀られ、この地:永田馬場星が岡の地主神として松平主殿頭忠房の邸内に祀られ、特に火伏せの信仰が篤く、萬冶2年(1659)本社山王権現が麹町より移遷されるに至り、境内末社となった。、、、、

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・・・・・・・・・・・・稲荷の前から、「山王日枝神社」拝殿前に出た。、、、、山王日枝神社の創建の年代は不詳。 文明10年(1478)太田道灌が江戸城築城にあたり、川越の無量寿寺(現在の喜多院・中院)の鎮守である川越日枝神社を勧請したのに始まるという。 徳川家康が江戸に移封されたとき、城内の紅葉山に遷座し、江戸城の鎮守とした。 慶長9年(1604)からの徳川秀忠による江戸城改築の際、社地を江戸城外の麹町隼町に遷座し、庶民が参拝できるようになった。 社地は家康により5石、元和3年(1617)に秀忠により100石、そして寛永12年(1635)に徳川家光からの寄付を加えて600石となった。 明暦3年(1657)の大火により社殿を焼失したため、万治2年(1659)将軍家綱が赤坂の松平忠房の邸地を社地にあて、現在地に遷座した。 その後、明治15年(1882)に官幣中社になった。 大正元年(1912)には官幣大社に昇格した。 昭和20年(1945)の東京大空襲で社殿が焼失し、昭和33年(1958)に再建された。、、、、私の参拝中に、七五三参りが5組、お宮参りが2組、結婚式が1組、“おめでた”一杯の華やかな境内であった。 美しい女性を見るのも楽し!、、、、参拝済ませて神門前の男坂(階段)を下る。

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● 東京に生まれ、東京で育ち、大学で建築を学び、ゼネコンに就職し、勤務地は九段と赤坂と飯田橋、この経歴なら絶対的に東京の建築物をより多く知っているはずの私だが、今日歩いてみると“立派な田舎者”となっていた。 定年退職し20余年、東京都心はガラリと変わり、ビル名の判らないガラス張りのモダンな超高層建築ばかりとなった。、、、、そんな街を歩いて、溜池交差点に来ると角に、懐かしの「コマツビル」が残っている! 屋上にブルドーザーのオブジェが乗っていた(平成3年撤去)小松製作所の本社ビル、溜池交差点のシンボル的なビル。 今は周囲の建物に比べ、低い、色あせたビルとなったが、懐かしい!、、、、コマツビルの設計は中山克己建築設計事務所+増沢建築設計事務所、施工は鹿島建設+小松建設、地上10階/地下4階、竣工は昭和41年(1966)3月。

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・・・・・・・・・・・・コマツビルと似たような懐かしい印象がある「日本財団ビル」、、、、港区赤坂一丁目交差点角にあるこのビルは、昭和37年(1962)に吉村順三設計事務所の設計により日本NCRの本社ビルとして建設され、2000年に日本財団に譲渡された。 住宅を得意とした建築家:吉村順三が初めて手掛けたオフィスビルである。、、、、施工は竹中工務店、鉄骨鉄筋コンクリート構造/地下4階/地上8階。 昭和39年(1964)に第5回建築業協会賞(BCS賞)を受賞した建物。

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● 虎ノ門交差点の近くにある「虎ノ門金刀比羅宮」にもお立ち寄り。、、、、金刀比羅宮は、讃岐丸亀藩主の京極高和が自領・讃岐の金刀比羅大神を、万治3年(1660)に三田の江戸藩邸に邸内社として勧請、その後延宝7年(1679)に当地虎ノ門へ遷座した。、、、、社殿は権現造りで、第二次世界大戦により焼失したが、拝殿、幣殿の部分は昭和26年(1951)に再建された。ともに総尾州檜造り、銅板葺きである。日本最初の建築史家:伊東忠太の設計校閲による建物で、我が国古来の建築技法が随所に用いられている。、、、、社殿は26階建ての超高層ビルの敷地内にあり、まさにビルに埋もれた都会の神社。

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● 森ビルと言えば、だれもが知る、日本を代表する都市デベロッパーであり不動産会社。 今は、各地で超高層ビルを中心とした都市開発を推進しているが、昭和40年~50年代頃は“第〇〇森ビル”とナンバーリングしたオフィスビルのオーナーとして名を馳せた。、、、、創業家である森家は昭和30年(1955)に森ビルの前身である森不動産を設立、翌年4月に「西新橋2森ビル」を竣工した。 昭和32年(1957)11月に「西新橋1森ビル」(2が先で、1が後)を完成させ、以後、貸ビル業者として竣工順にナンバリングした“第〇〇森ビル”を順次建設する。、、、、その森ビルの、第1番目に竣工した記念すべき西新橋2森ビルが西新橋1丁目の裏通りに現存している。 森ビルの“記念館”にでもなるか(?)

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● JR新橋駅近く、外堀通りに面して建つ、渋い外観の「堀ビル」(登録有形文化財)、、、、このビルは錠前屋のビルとして昭和7年(1932)に建てられた。 以来90年近く新橋のランドマークとして多くの人に親しまれてきた。 現在は竹中工務店が「レガシー活用事業」の一つとして、一括借り受けてレンタルオフィスとして活用しているそうだ。

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● 南北コンコースが一体化され、ホーム大屋根が設置されたJR「新橋駅」に到着、、、、JR新橋駅から乗車するのは久しぶり(普段は都営地下鉄で浅草橋まで乗り換えなし)、ここでも“田舎者”で、構内をキョロキョロしながら改札を通る。 

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2021年10月18日 (月)

浅草橋~御茶ノ水

今朝5時の気温は12℃、寒い! 秋を飛び越して、冬が近づいてきた! 慌ててジャケットを取り出し、デジカメ持って散歩に出る。

浅草橋の我が家から、総武線の高架橋沿いに歩いて神田明神へ。 時刻は9時、チョイト早いが、98歳の我が母を医者へ連れていくため散歩はココまで。 今日は8千歩のミニ散歩。




● JR総武線浅草橋駅から高架橋沿いに、スタコラ歩くと隣の秋葉原駅までは20分程で着く。 秋葉原から神田明神までは10分程。 ナンダカンダ言っても、我が家から神田明神までは所要30分。、、、、今日は、朝の爽やかな空気の中を、1時間かけてのんびりと参拝した、、、、このルートは、今年の5月3日に歩いているので詳細はこちらで!



・・・・・・・・・・・・朝7時過ぎ、浅草橋駅西口(裏口?)は静かだ! まだご近所の通勤・通学客は家で朝食中?

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・・・・・・・・・・・・浅草橋駅~秋葉原駅間(正しくは、両国駅~御茶ノ水駅間)の高架橋は昭和7年(1932)に開通した。 90年の歴史を有する高架橋である。 東京駅周辺の煉瓦造の高架橋と比べると、鉄筋コンクリート造でデザイン的にもあまり特徴のない、面白みのないシンプルなものだ。、、、、高架橋は浅草橋から秋葉原に向かって徐々に高くなり、秋葉原駅手前では4階分くらいの高さとなっている、、、、昭和40年代頃までは、高架下に定住する家庭もあった。 私の同級生も高架下に住んでいて、家に泊めてもらったこともある。 慣れていないので、電車・汽車が通過すると眠れなかったことを思い出す。 今は、倉庫・事務所・駐車場・飲食店として利用され、住んでる人はいないようだ。 

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・・・・・・・・・・・・首都高1号線が頭上を通る昭和通り(=国道4号)に面し、高架下に出入口がある「秋葉原駅 昭和通り口」、、、、そろそろ8時、通勤・通学客の姿も多くなってきた!

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・・・・・・・・・・・・秋葉原駅昭和通り口の南側に、歩道を広くしたような「秋葉原公園」がある。、、、、秋葉原公園は、明治時代、神田川と秋葉原貨物駅の船溜まりを結ぶ運河の一部であった。 その後、運河は埋め立てられたが、公園の両側には、当寺の護岸の石垣が残されていた。 また、公園の南端には、運河に架かっていた佐久間橋の親柱が残されている。

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・・・・・・・・・・・・秋葉原駅の西側、中央通り付近の高架下は電機屋・パソコン屋などが並んでいる、、、、店が開いている時間帯は、この付近にメイド姿の若い娘を見ることが多い。 一度は入ってみたいね、メイド喫茶に!(70歳過ぎたら恥ずかしくて入れない)

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神田明神に到着!、、、、社務所を覗いてみたが、巫女さんはまだ出社前だ! 楽しみが半減したので、賽銭も半分にした! 

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聖橋からニコライ堂を眺め、御茶ノ水駅に到着!、、、、時刻は8時50分、そろそろ通勤ラッシュかな。 

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