2023年12月 8日 (金)

SKIPシティ

京浜東北線の蕨駅から、東に向かって埼玉高速鉄道の鳩ケ谷駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 朝7時半過ぎに蕨(わらび)駅で下車する。 私が乗って来た大宮行きの下り電車はチョウド全員が座れる程度の乗車率。 しかし、蕨駅から東京方面に向かう上り電車は立ってる人も多く着席が難しそうだ。 都心のオフィスに9時までに入るには、蕨駅は通勤時間帯の真只中だ! 通勤客の人波は駅前からホームまで延々と続いている(凄い!)

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・・・・・・・・・・ 蕨駅は明治26年(1893)7月16日に日本鉄道の駅として開業し、明治39年(1906)には国有化された。 蕨駅は京浜東北線の電車のみ停車し、線路名称の東北本線の列車は停車しない。 島式ホーム1面2線の地上駅である(駅舎は橋上)、、、、1日平均乗車人員は約52,000人である。 通勤通学客が多い駅だ!

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● 蕨駅で下車したが、行先は定まらず、地図を見て東西南北どちらに歩こうか? 駅前の交差点で迷い、駅に向かう美人が一番多そうな、東に向かって伸びる大通り(塚越本通り)沿いに歩くことにした。、、、、歩きはじめて、美人どころか歩いてる人が少なく、チョイトがっかり!

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● 蕨駅から1㎞程歩いたところに塚越稲荷神社があり、立ち寄ってみた。、、、、神社の創建年代は不詳だが、明応年間(1492~1501)の創建と伝わる。 鎮座する丘は、玄快という廻国の出家僧が伏見稲荷大社に折誓の折り、お告げを受けて法華経一万部を埋納し、経塚としたところで、これが塚越の地名の由来となったそうだ。、、、、印象的な赤い鳥居をくぐり参道の先、階段の上には、伏見稲荷を意識したのか真っ赤な本堂がある。、、、、境内には、延命観音、力石、天満宮、観音堂など、話題となるようないろいろなものがある。

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● 表通りは、マンション、住宅が並ぶだけで面白くない。 蕨市から川口市の裏通りに入り、チョウド通学時間の埼玉県立川口工業高等学校前を歩き、清流とは言い難い黒く汚れた堅川を越え、川口市立上青木中学校前を通り過ぎると、SKIPシティの前に出た!

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● 「SKIP CITY(=SKIPシティ)」とは、川口市にある映像制作を目的とした施設。 NHK川口ラジオ放送所跡地の産官学連携による再開発事業として、2003年2月1日にオープンした。 SKIPは 英語: Saitama Kawaguchi Intelligent Park の頭文字から。、、、、NHK放送所の跡地は広大な土地で、現在は4街区に分かれている。 A街区には、2棟の大きな建物があり、1棟は埼玉県・川口市が主体となり、「埼玉県産業技術総合センター」、「川口市立科学館」などが使用してる。 もう1棟は「NHKアーカイブス」などが使用してる。 B街区は仮囲いに囲われ、現在大林組の施工で、約22,000m2の敷地に4棟のNHKのスタジオを建築中。 C街区はこれも広大な敷地だが、現在は更地。 今後川口市が庁舎の建て替えで使用する予定らしい。 Ⅾ街区は放送衛星システムの地上運用局として使用中。、、、、なにしろ広い! 広大だ! NHKの経営が苦しいとは思えない広さだ!

・・・・・・・・・・ まずは、A街区の埼玉県・川口市が主体の建物

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・・・・・・・・・・ 「NHKアーカイブス」のある建物

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・・・・・・・・・・ B街区はスタジオ建築中、、、、長~い仮囲いの内側は全てB街区

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・・・・・・・・・・ C街区は更地、、、、奥に見えるパラボラはD街区の衛星放送施設

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・・・・・・・・・・ Ⅾ街区のパラボラが並ぶ衛星放送施設

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● SKIPシティの北東500m程の処に、浄土宗の専称寺(せんしょうじ)がある。 専称寺は青木山聖冏院と号す。 専稱寺は、浄土宗中興の祖・酉蓮社了譽聖冏上人(応永27年1420年寂)が開山、江戸期までは近隣に末寺を擁していました。 現在の建物は明治以降の建築らしい。、、、、なんとなく懐かしさを感じる寺

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● 専称寺の先で芝川を越えると鳩ケ谷駅(はとがやえき)がある。 鳩ヶ谷駅は、平成13年(2001)3月28日に開業した埼玉高速鉄道線の駅。 島式ホーム1面2線の地下駅。

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2023年12月 4日 (月)

九品仏

9時過ぎに浅草橋の我が家を出て、都営浅草線の中延で、東急大井町線に乗換え九品仏で下車する。 九品仏駅に至近の浄土宗浄眞寺に参る。 参拝の後は、ブラブラ歩いて自由が丘駅まで、8千歩の散歩です。、、、、このルートで散歩するのは3度目である。

 

● 東急大井町線の5両編成の電車に乗って、九品仏駅(くほんぶつえき)で下車する。 九品仏駅は昭和4年(1929)11月1日の開業。 駅名は九品仏浄眞寺にちなんだもの。 島式ホーム1面2線を有する地上駅。、、、、九品仏駅ホームの両端には踏切があり、4両分の長さしかないホームは延伸できず、停車する電車は二子玉川寄り1両のドアを開けることが出来ず、ドアカットが行われている。 東急では唯一、ドアカットが行われてる駅。、、、、中高年の降車客が多いと思ったら、皆、私と心は同じ浄眞寺に紅葉狩り!2312041006381

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● すでに、過去2回参拝しており、浄眞寺の詳細はコチラを見てね!→→→ 夏の浄眞寺(2015年撮影) 秋の浄眞寺(2018年撮影) 

・・・・・・・・・・ 浄土宗寺院の浄真寺は、九品山唯在念佛院と号す。 九品仏浄真寺は、越後国村上泰叟寺の珂碩上人(元禄7年1694年寂)を請うて延宝6年(1678)当地に創建した。 三仏堂が三宇あり、中央の堂に上品上生・上品中生・上品下生、北の堂に中品上生・中品中生・中品下生、南の堂に下品上生・下品中生・下品下生の計九品の阿弥陀如来像が納められ、九品仏として著名。、、、、浄真寺の地は、もともとは世田谷吉良氏系の奥沢城であった。 小田原征伐後は廃城となった。

・・・・・・・・・・ 参道から仁王門へ、、、、都心の秋(チョイト寒かった)を満喫2312041010090

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・・・・・・・・・・ 新築なった閻魔堂2312041113090

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・・・・・・・・・・ 本堂2312041058110

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・・・・・・・・・・ 三棟並ぶ三仏堂
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● お帰りは自由が丘から電車に乗って・・・・・

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2023年12月 1日 (金)

上野駅の像

上野の病院で定期検診後、駅をブラブラ。 上野駅には“パンダの像”、“翼の像”など、いろいろある。




● 上野駅正面の昭和通りに架かるペデストリアンデッキから駅を眺めると、目の高さが駅の3階と同じ高さ。 建物を見下ろす感じだ! 日本中で知らない人はいないと思う、北の玄関口「上野駅」  見慣れた風景だが、よくよく見れば『こんなに小さかったのか!』、、、、周囲の大きな建物に囲まれ、3階建て(?)駅舎は小さく見える。 バブルの頃に騒いでいた上野駅の建て替え計画もいつの間にか消えたみたいだ、、、、 ペデストリアンデッキ上のオレンジ色のモニュメントの方が上野駅より目立つね!

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● 正面玄関口に設置された案内板には、現駅舎の写真と説明文があった。 説明文は、『上野駅三代目駅舎 関東大震災(1923年・大正12年)にて二代目の駅舎や主要な建物は破壊・焼失してしまいました。同年より仮駅舎にて営業し、その復興に力を注ぎ正面玄関口・広小路口駅舎は1932年(昭和7年)に三代目として完成した駅舎です。 建設当時は、正面口が二階構造になっており、上層は乗車口で自動車から降りて直接駅に入ることができました。下層は降車口で改札をでて大階段で地下へ降り降車口から自動車に乗ることができました。 乗車客と降車客の動線が分離された構造の駅舎でした。』、、、、三代目の駅舎は昭和7年(1932)竣工、鉄道省(酒見佐市)設計、鹿島組(現:鹿島建設)施工

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● ペデストリアンデッキから、さらに上に向かう階段がある。 階段を上ると、駅の上には「パンダ橋」が架かっている。 この橋は駅舎、高架ホームの屋根より高い位置にあり、上野駅を跨ぐように造られている。 橋の下には12本の線路とホームがある。 この橋は駅のある台東区が、国と都の支援で架けたもので、駅東側の住民が災害時に西側の上野公園に避難できるようにする橋だ! 避難橋であるため、橋の幅は約22mと広く、橋上には避難のジャマにならぬよう何もない(屋根もない)、、、、私は台東区浅草橋に住んでおり、避難場所は上野公園となっている。 イザという時、お世話になるかも?

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● パンダ橋には、上野駅「パンダ橋口」がある。 入り口脇には、ガラスケースに入った親子のパンダ像がある。、、、、待ち合わせ場所としてパンダ像を置いたのか? それにしては、通行量の少ない出入口だ! 動物園・美術館・博物館に向かう多くの人は、「公園口」が便利で実際に利用する人も多い。 待ち合わせには公園口の方がbestだ!、、、なぜか、パンダ像の親子が寂しそうだ!

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● ペデストリアンデッキから上野駅の3階に入る。 3階の飲食店街を抜け、正面玄関の吹き抜け上部にある回廊に出る。 下には正面玄関からつながる鉄骨三角屋根の「グランドコンコース」がある。、、、、グランドコンコースは上野駅で一番上野駅らしい処。 かつて、年末になると北へ帰る大勢の人が、ココで改札上に垂れ下がった列車案内板を見て、発着番線を確認しながら改札を通ってホームに向かった。

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● グランドコンコースには、切符売り場の前に朝倉文夫作の「翼の像」がある。 コンコース内の待ち合わせ場所として有名な銅像だ。 

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● グランドコンコース内の券売機上にある、ステンドグラスは平山郁夫原画・制作の「ふる里日本の華」(昭和60年(1985))、、、、東北上越新幹線上野駅開業を記念して制作された。

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● 中央改札の上にある三角形の壁画は、昭和26年(1951)描かれた猪熊弦一郎作の壁画「自由」である。 上野駅を代表する壁画だ!

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● 中央改札から中に入ると、16番線の車止め近くに、またまた朝倉文夫作のブロンズ像「三相」がある。 「三相」とは「知・情・意」の意味だそうだ。、、、、3人の女性が、それぞれ知・情・意を表現しているのか? 私には判らぬが、ただただ、じっくり見るばかり。 良いね!、、、、この像は、昭和33年(1958)10月10日に駅開業75周年記念式に列席した朝倉文夫が、自身の誕生(明治16年)と駅の開設が同じと知り、台東区を通じて上野駅に寄贈したものである。

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● 15番線車止めの前に『ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく』 東京で暮らしていた石川啄木が故郷の岩手県の方言が懐かしくて、岩手の方言を話す声が聞こえないか、と停車場(上野駅)の人混みに出掛けた、という歌。 現在の15番線は高崎線・宇都宮線が発着するホーム。、、、、上野発着の長距離列車も少なくなり「北の玄関口」も変わってきたね!

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● 上野駅「広小路口」の前に、昭和39年(1964)に大ヒットした井沢八郎が歌った歌謡曲「あゝ上野駅」の歌碑がある。 高度成長期の昭和30~40年代、金の卵と呼ばれた若者達が地方から就職列車に乗って上野駅18番線ホームに降り立った。 戦後、日本発展の大原動力となった集団就職。 親もとを離れ、故郷を離れ、不安を抱き、夢に向かって必死に生きてきた若者への応援歌である、、、、♪♪ どこかに故郷の香りをのせて 入る列車のなつかしさ 上野は俺らの心の駅だ くじけちゃならない人生が あの日ここから始まった ♪♪ 、、、、いい歌だ!

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