2019年12月 8日 (日)

足立の薬師寺

今日は、無数の古墳が点在し悠久の歴史を物語る、かつての武蔵国足立郡竹塚村の古刹「薬師寺」に紅葉狩りに行ってきた。 東武伊勢崎線竹ノ塚駅から、日暮里・舎人ライナー舎人公園駅まで、1万歩の散歩です。




●まだ工事は続く! ・・・・・・竹ノ塚駅は、明治33年(1900)3月21日に、当時の伊興村に開業した。 駅名は伊興村より音の響きが良い東隣:竹塚村の名を拝借。、、、、竹ノ塚駅周辺では連続立体交差事業がすすめられ、竹ノ塚駅も改良工事が行われ高架駅となる予定。 完成までにはまだまだ!

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●立派な松のある寺 ・・・・・・・薬師寺へ行く前にチョイトお立ち寄り、駅から西へ都営伊興三丁目アパートを抜けると、万治2年(1659)創建の日蓮宗寺院:寿福山長勝寺がある。、、、、本堂は瓦葺き総檜造り、境内は樹木が生い茂り、樹齢400年以上の巨松がある。 境内はさほど広くはないが綺麗な寺だ!、、、、境内には下総の国を領した豪族:千葉勝胤の墓もある。

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●本堂が見えない! ・・・・・・・もう一軒、近くの寺にお立ち寄り、伊興5丁目の日蓮宗寺院の真国寺。 真国寺は蓮栄山と号し、創建は建武2年(1335)といわれている。、、、、こちらも境内は広くないが、山門から真っ直ぐ正面にある本堂、その全景が見えないほど、松、楓など樹木に覆われている。 ちなみに、墓地にも回ってみたが、本堂の全景は拝めず、アレレ・コリャダメだ!

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・・・・・・・・・・・・・・2年前の春の真国寺

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●今が見頃、ブラボー! ・・・・・今日の散歩のハイライト、足立区伊興5の小さな寺院、曹洞宗の医王山薬師寺。 薬師寺は、肅州巌和尚が開山となり万治2年(1659)の創建。 元浅草橋場総泉寺(板橋区に移転)の末寺。開山は万治2年(1659)。 本尊の薬師如来は、眼病に効験があるそうだ。 、、、、ここは、地元の人には有名な “もみじ寺” 。 今日も、数名の夫婦が紅葉見物、二人のカップルは紅葉の前で撮影会、数名の独り者は寂しく三脚かついで紅葉撮影。 てなことで、境内はチョイトした賑わい。 住職もお出ましし、いろいろとお話をしてくれました。、、、、境内には95種の紅葉があるそうで、色も赤あり、黄あり、ミックスありとまさに彩とりどり。 住職は20年・30年かけ小さな苗木から育てているそうだ。、、、、門前に“もみじ饅頭”の売店でもあれば文句ないのだが、チョイト残念!

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●中学校に長屋門! ・・・・・・・・薬師寺の西に、足立区立伊興中学校の一画に、生徒が彰風園と名付けた屋敷林がある。、、、、中学校の校地の地主であった横山氏の屋敷林で、明治30年(1897)建造の長屋門がそのまま残されていた。 学校の中の屋敷林、ベンチで語らう二人、青春の思い出が創れそうだね!

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●舎人公園から帰る! ・・・・・・・・・薬師寺の帰りは、舎人公園駅から日暮里・舎人ライナーに乗ることにした。、、、、舎人公園(とねりこうえん)は、足立区の北西に広がる都立の総合公園。 舎人公園は昭和15年(1940)に防空緑地として、内務省の設置した都市計画にて決定した。 戦時においては都市空襲による戦災被害を軽減し、平時においては地域住民の保健・衛生に利用して体位の向上を図るために、都心から20km圏内に総面積20万-50万坪の防災緑地として東京府知事の責任の下、複数の防災緑地が設置され、その一つであった。、、、、戦後は、昭和56年の開園から順次開放された、514,000㎡の緑地公園。 最終的に695,000㎡になるが、葛飾区にある水元公園の3分の2程度の広さである。、、、、テニス、野球などのコート、グランドはもちろんあるが、広い森、大きな池などもあり、釣り、バードウォッチングなどを楽しむ人もいる。 

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・・・・・・・・・・・・・・公園の前に舎人公園駅がある、便利だね。、、、、今日の散歩は、足立区の紅葉巡りとなった!

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2019年12月 6日 (金)

狐狸に化かされ篠崎公園へ

都営地下鉄新宿線の瑞江駅から、柴又街道(都道307号)に沿って歩きはじめたが、数ヵ月前に散歩した時と同じ処に出てきた。 同じ処を再度歩いても面白くないので、途中から篠崎公園に回り、南小岩2丁目よりバスで帰宅。 1万2千歩




●とうとう呆けたか? ・・・・・・瑞江駅から谷河内日枝神社までは、今年の4月に歩いていた。(その時の記事はコチラ!)

・・・・・・・・・・・・・・数ヵ月前に下車したことも忘れ、新宿線瑞江駅で降りてみた。 駅で地図を見て、東西南北どっちに向かう? 近くに柴又街道が通っているので、街道沿いの裏通りを歩いてJR総武線の小岩駅を目指すことにした。

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・・・・・・・・・・・・・・瑞江駅周辺はアパート、マンションが並ぶ新興住宅街。 歩きながら『この辺は、新しい建物ばかりで面白くないな!』と、一人愚痴る。

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・・・・・・・・・・・・・・瑞江1丁目で、首都高速7号小松川線の下を抜け、京葉道路を横断すると、東京都住宅供給公社の春江町住宅が見える。 ここで気がつく、『アッ、数ヵ月前に来た団地だ! とうとう、自分も呆けが始まったな、同じ処に来るなんて!』 『脇道に入り、知らない処を歩くぞ!』と、裏道に入り込んでいく。

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・・・・・・・・・・・・・・『数か月前と同じ処を歩く自分に、チョイトがっかり!』しながら、裏道を曲がりくねり谷河内日枝神社に出てきた。 『どこか見たことある神社だ?』と、手持ちの地図を取り出し確認すると、間違いなくこの神社も来たことがある。、、、、なんだか、狐狸に化かされているようだ!

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●一人撮影会! ・・・・・・・今日は、どうもおかしい? また裏道を歩くと、どこか知っている処に出るような気がする。、、、、今日は、新しい発見を求めて歩くのは諦めた。 近くの篠崎公園に行って気分転換することにした。、、、、篠崎公園の起源は昭和15年(1940)に紀元2600年の事業の一つとして計画された防空大緑地である。 戦時中は高射砲陣地などか置かれた。 当初は面積約154haの大緑地帯であったが、当時は公園ではなく、多くは農地などに転用し利用されていた。 戦後、公園化の計画があがったが、付近の都市化・宅地化の流れが進んでいたこともあって計画面積は86.8haに見直され、都立公園として昭和42年(1967)に開園した。 現在では運動場や多目的広場なども完成しているが、公園自体は複数個所に点在している。、、、、人影の少ない公園で、狐狸に化かされることもなく、のんびり秋の一人撮影会。

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●駅までは遠い! ・・・・・・公園を後にして、柴又街道を歩き南小岩二丁目からバスに乗り帰る。

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2019年12月 5日 (木)

生麦・生米・生卵

秋葉原で京浜東北線鶴見行きの電車に乗ったので、今日は終点:鶴見で降りることにした。 鶴見駅からは、旧東海道を歩いて京急新子安駅まで、1万1千歩の散歩です。



●歴史ある駅! ・・・・・・明治5年、日本初の鉄道として新橋~横浜間が開業した。 この時(1872年10月14日)同時に開業したのが鶴見駅である。 駅の古刹であるが、現在、鶴見駅に停車するのは京浜東北線と鶴見線の電車のみである。、、、、駅構内の跨線橋から眺めると線路は多い。 西側に鶴見線の高架ホームがあり、隣りから地上に移り東に向かい順に、横須賀線(湘南新宿ライン)の線路、そして京浜東北線の島式ホーム、東海道線(上野東京ライン)、東海道貨物線(高島線・南武線)などの線路がある。、、、、出口は総持寺に近い西口と、京急鶴見駅のある東口の2か所。 一日当たりの乗車人員はJR東日本内で57位で81,000人程、ちなみに私の住む浅草橋駅は55,000人程で90位、負けた!

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●旧東海道を歩く! ・・・・・・・京急鶴見駅前から京急新子安まで。旧東海道を歩いてみた。

・・・・・・・・・・・・・・JR鶴見駅前のロータリーを挟み東側に京急鶴見駅がある。 京急鶴見駅東口の前の通りが旧東海道で、駅前商店街「ベルロード」と名付けられている。 ベルロードは、加盟店舗数約80店舗で構成されている、チョイトおしゃれな商店街。、、、、この商店街の正式名称は「鶴見銀座商店街」というそうだ。 時代も変わり、“銀座”から今風の“ベルロード”としたのかも?、、、、ついでに、この商店街の東側に並行して第一京浜国道が通っている。 商店街と国道の間は、かって「鶴見三業地」があったそうだ。 現在は、飲み屋、パチンコ屋などが並ぶ普通の繁華街である。 いずれ再訪する機会があれば、この繁華街を歩いてみたいものだ!(今日は早朝で、店もまだ寝ているいるのでパス!)

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・・・・・・・・・・・・・・商店街の先は、普通の裏道のような雰囲気で第一京浜国道を斜めに横切り、鶴見線の国道駅へ向かう。、、、、歩きながら、チョイト心配になる。 駅からここまで、どこにも『旧東海道』の文字が見えない! 品川宿の旧東海道を歩くと、五月蠅ほど『旧東海道』の文字が目に入り、街道を歩いている実感が沸いてくるのだが、ここ鶴見では全くなし、『もしかして、旧東海道とは別の道を歩いているのか、心配だ!』

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・・・・・・・・・・・・・・昭和5年(1930)に鶴見臨港鉄道の駅として開業した、鶴見線国道駅の裏側(?)を通る。 旧東海道側には駅名の表示はない、第一京浜国道側には駅名が表示されている。 チョイト、高架ホーム下のかつてのアーケードの店舗跡を覗いて行く。 昭和の人間には、嬉し泣きしたくなるほど“昭和”の香りが漂う駅。、、、、現状のまま、世界遺産にしてほしいね!

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・・・・・・・・・・・・・・国道駅を過ぎると、鶴見川に沿って「生麦魚河岸通り」(鶴見区生麦5)となる。(ここでも、『旧東海道』の文字は見えない)、、、、通りには鮮魚を扱う店が、300m程の間に40店舗程軒を連ねている。 そのほとんどが生鮮魚貝類または関連の商品を店頭に並べていた。 客は、寿司屋の大将、料理屋の板前らしきプロの料理人が多いみたいだ、軽自動車を店の前につけ品物を買っていく。、、、、海鮮丼が食べられる店もあるが営業は昼から、残念!

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・・・・・・・・・・・・・・漁師町(生麦4・5丁目)の寺社を紹介(写真順に)、、、、浄土宗寺院の慶岸寺は天正9年(1582)頃創建、、、、真言宗智山派寺院の正泉寺は寛永元年(1624)の創建、、、、水神宮は正泉寺の院内社であったが昭和2年(1927)に分離された、、、、道念稲荷神社は江戸時代末期の創建

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・・・・・・・・・・・・・・旧東海道沿いの住宅の塀に取り付けられた一枚の案内板、ここが生麦事件の現場(鶴見区生麦4-25)である。、、、、生麦事件は、文久2年(1862)9月14日、薩摩藩の島津久光の一行が江戸からの帰路、東海道の生麦村で騎馬の英国人4人と遭遇。 英国人が馬を下りずに行列を乱したのを無礼とし、薩摩藩士が1人を惨殺し、2人に負傷させた。 薩摩藩は賠償請求と藩士の引き渡しを拒んだため、その後薩英戦争に発展した。 戦争に敗北した薩摩藩は近代化の必要性を痛感し、攘夷論から開国論に転じ、これを機に開国、明治維新へと時代の流れができたと言われている。、、、、この重要な事件現場として、立て看板一枚の史跡では、チト寂しいものである。 殺人事件現場なので、住民に配慮したのかも?

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・・・・・・・・・・・・・・事件現場から旧東海道を800m程横浜方に行った、第一京浜と交差する首都高の高架下に生麦事件の碑がある。 斬られた英国人が深傷を負ったまま逃げてきたが、トドメを刺され絶命した地点だとか。

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●バンバン通過する駅! ・・・・・・旧東海道は第一京浜と重なり、新子安駅方面に向かう。 私の散歩もここまで、京急新子安駅から帰ることにする。、、、、京急新子安駅は明治43年(1910)3月27日に、新子安駅として開業するが、昭和18年(1943)に国有鉄道に新子安駅が開業したため、“京浜”を冠して京浜新子安駅に改称、さらに昭和62年(1987)には京急新子安駅に改称した。 駅は相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、ホーム上に橋上駅舎がある。 当駅の乗降客は京急全72駅中61位と少なく、1日平均乗降人員は8,596人。 当然のことで、特急他優等列車は全て通過する、止まるのは普通だけ!

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●最後の最後! ・・・・・・今日の散歩では、とうとう『旧東海道』の文字を見ることはなかった。 この辺りでは、『旧東海道』は客寄せの単語にならないのか、それとも旧街道らしい歴史遺産が少ないことが要因かも?

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