2020年1月22日 (水)

緑の街「海軍村」

昨日、TVを見ていると、“自衛隊の中東派遣”と、“駐韓米国大使の髭”のニュースが流れた。 私の頭の中で、2つのニュースが化学反応を起こし“東郷元帥”が思い出され、“日本海軍”を思い、さらになぜか“海軍村”を思い出した。 『数年前に見た古い建物は取り壊されたか?』、気になり今日の散歩では「海軍村」に行ってきた。

東急目黒線の奥沢駅で下車し、「海軍村」の跡を求めて奥沢2丁目を歩き廻り、東急大井町線の緑が丘駅まで、8千歩の散歩。




●ここは世田谷だ! ・・・・・・・奥沢駅(おくさわえき)は東急目黒線で唯一世田谷区の駅である。 両隣の大岡山駅、田園調布駅は、それぞれ、目黒区、大田区にある。、、、、大正12年(1923)3月11日、目黒蒲田電鉄が目黒~丸子(現:沼部)間を開業させた時にできた。 ホームは下り用の単式ホーム1面1線と上り用の島式ホーム1面2線で構成される地上駅。 改札は上下ホームにそれぞれある。 駅の横には留置線があり、電車のお休み処。、、、、駅名の奥沢は元の地名「荏原郡玉川村字奥沢」から頂戴した。 その「奥沢」は、呑川支流の九品仏川の奥深い沢(九品仏浄真寺の北側の湿地帯)に由来するそうだ。、、、、駅を利用する、女学生・OL・パートのおばさん・病院通いのお婆さん、世田谷の駅では誰もが美人に見える、私の住む下町の浅草橋駅とは質が違うのか?
年をとり目もイカレテきたか?

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●大蛇がいた! ・・・・・・・・駅の北側150m程に奥澤神社はある。 奥澤神社の創建年代は不詳ですが、世田谷城吉良氏の家臣、大平氏が奥沢城を築くにあたり、世田谷郷東部の守護として八幡社を勧請したと伝えられている。、、、、社殿は昭和45年(1970)に完成し、尾州檜材を用い、室町期の様式を採用したもので、都内においても他に類を見ない。、、、、江戸中期、疫病が流行した時、名主の夢枕に八幡様が立たれ、藁で造った蛇を祀るとよいというところから「厄除大蛇」が鳥居にかけられるようになり、今も続いている。 今日、もう一匹の大蛇が、社殿の中で、とぐろを巻いてお休み中であった。

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・・・・・・・・・・・・鳥居をくぐって、スグ左にある如意輪観音の道標。 大音寺(奥沢1)近くの呑川脇の何処かにあったものらしい。 観音の下部に、「右品川ミち 左めぐろミち」と標されている。 なぜか裏を見ると出羽三山(出羽山・月山・湯殿山)の名が出てくる?

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・・・・・・・・・・・・そして、神社鳥居前から東に向かい緑が丘駅前に至るバス通りは「奥沢大蛇通り」と言う。 毎年9月の祭礼では、藁で造った長さ約9m、直径26cm、重さ150㎏の大蛇が、町を練り歩く(?)そうだ。 この大蛇通りを!

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●緑豊かな海軍村! ・・・・・・・世田谷区奥沢2丁目、奥沢大蛇通りと、東急大井町線で挟まれた一帯をかつて通称「海軍村」と云った。、、、、数年前、世田谷に「海軍村」があると聞いて、なぜ“海軍”が海のない世田谷に居るのか疑問であった。 大正12年(1923)の関東大震災後の郊外移転ラッシュ、同じ年の目蒲線開通による利便性向上、奥沢は虎ノ門の海軍省と横須賀鎮守府の間、セレブの住む“あこがれの田園調布”の隣町、などなどで、海軍士官がこの地に魅力を感じたらしい。 そこで、当時この地の地主であった原家が独力で区画整理を行い、海軍士官たちに借地として貸し与えた。 高いか安いか判らんが、賃借料は坪単価8銭だったそうだ。 昭和11年頃には30戸以上も集まり、主に主計関係の海軍士官が集住したので俗称「海軍村」と呼ばれたそうだ。(一部、陸軍軍人もいた)、、、、海軍村の建物は、特別な様式、材料、デザインなどで珍しいわけではない。ゴク普通の建物である。 現存する当時の建物は数棟で、殆どは建て替えられた。、、、、現在、奥沢2丁目の街全体を緑豊かな、季節感のある街にすべく、住民が街づくりに取り組んでいるようだ。

・・・・・・・・・・・・昭和初期頃の建築と思われる住宅、、、、現在、どの建物も住まわれており、覗き見はダメ!

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・・・・・・・・・・・・村の中心と思われる位置に建つ「海軍村跡」の碑、、、、電柱の陰で恥ずかし気に建っている
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・・・・・・・・・・・・建て替えられた家もおしゃれだ!

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●“ヶ”を“が”にした駅! ・・・・・・・東急大井町線の「緑が丘駅」は大岡山の東京工業大学のキャンパスに隣接する駅であるが、東工大の表門の駅が大岡山で、裏門の駅が緑が丘と云う感じ。 緑が丘駅は目黒区であるが、駅前の道路を横断すると世田谷区奥沢となる。、、、、昭和4年(1929)12月25日、中丸山駅として開業。 昭和8年(1933)に緑ヶ丘駅に改称。 昭和41年(1966)には“ヶ”を“が”に変えて緑が丘駅となる。、、、、相対式ホーム2面2線の高架駅で、出入口は高架下の1箇所のみ。、、、、一日の平均乗降客数は、10,000人程と少ない。

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2020年1月20日 (月)

足立区の下町

草加あたりで降りるつもりで、押上で久喜行きの準急に乗る。 電車は、乗客全員がチョウド座れる程度で、立っている人は一人・二人ぐらい。 次の曳舟から、私の右隣りに女子高生が大きなカバンを抱きしめて座った。 電車が走り始めると、私の隣りの左手でカバンを抱いて、あいている右手でカバンの中をゴソゴソ。 カバンの中の右手が私の腰のあたりに伸びて来てゴソゴソ、アリャ、女子高生の痴漢か?、被害者は私、70を超えた親爺か?。 大きなカバンの中、隅の方の何かを探しているようだ、痴漢ではなかった、チョッピリ残念! カバンから丸い手鏡を取り出した、再びゴソゴソ。 次に、カバンから手が出た瞬間、ピンクの丸いケースが床に落ち、コロコロ。 女子高生は慌てて立つが大きなカバンが邪魔で動作が鈍い。 電車はゴトゴト、ケースはコロコロ、空いてる電車の中を、ケースがアッチへ、コッチへ、女子高生は追っかける。 ドアの隅でやっと拾い上げた。 席へ戻った女子高生、今度はペンシルのようなものをだし、化粧を始める。 隣に座る親爺はイライラ、何処で降りるか集中して考えられず、頭にきて北千住で降りてしまった。 親爺は、普通電車に乗り換え、今日は“2”0日なので、北千住から“2”駅目の五反野駅で下車した。

東武伊勢崎線の五反野駅から、常磐線の綾瀬駅前をとおり、京成本線の堀切菖蒲園駅まで、今日は1万2千歩の散歩。




●テキトウに東へ! ・・・・・・・・テキトウに五反野駅で降りた! 『さて、東西南北、右左、いずれに行こうか?』 チョイト考え、これまであまり歩いていない、東へ向かうことにした。 “東”と言っても、テキトウで、大雑把に言えば綾瀬方面に向かうことにした。

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●戦後の下町! ・・・・・・・・駅の東側「西綾瀬」(足立区)の町は、戦後の下町という感じ、町は区画整理されておらず、道はクネクネ、トタン張りの建物がポツポツ残る、アパートが立ち並ぶ、ヨタヨタ歩いているのは爺さん婆さん、ママチャリで脇をすり抜けていくのは若いママ、狭い道に車が入ってくるゴミ収集車とデイサービスの送迎車。

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●屋根のカーブがいいね! ・・・・・・・西綾瀬3丁目に新義真言宗の長性寺がある。 真光山荘厳院と号し、寛永元年(1624)に創建した。 本尊は不動明王(立像)。、、、、本堂の素朴な感じがいいね! 境内は約1000坪あるそうだ。、、、、ご近所の方か(?)、境内の石仏に花を供えていた。 

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●長~い水路! ・・・・・・・長性寺の東側、綾瀬川に「五兵衛新橋」が架かっている。 五兵衛橋の名は、江戸時代の初め、武蔵国入間郡金子村(現:埼玉県入間市)からこの地に転入し、この付近を開拓した金子五兵衛に由来する。 付近一帯はその名をとって五兵衛新田村となった。 寛永年間(1624~1644)に綾瀬川が内匠橋から伊藤谷橋あたりまで新川として開削されたため村は東西に分断されたので、代償として長さ12間、幅9尺の土橋が幕府によって設置された。これが初代の五兵衛橋。 その後、橋は何度か架け替えられた。 昭和に入ると綾瀬川の護岸も整備され、高さも高くなってきた。 平成10年(1998)、高くなった護岸をまたぐように、歩道橋のような形状の現在の橋に架け替えられた。

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・・・・・・・・・・・・橋上から南を見ると、小菅の東京拘置所の大きな建物が見える。 また、後ろにはスカイツリーもチョイト見える。

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●綾瀬の一寺一社! ・・・・・・・橋を渡ると、綾瀬の町である。 そこには綾瀬稲荷神社が鎮座する。、、、、綾瀬稲荷神社の創建年代は不詳だが、五兵衛新田の鎮守社であったと言われ、明治7年(1874)に五兵衛神社と、昭和42年(1967)年に綾瀬稲荷神社と改称した。

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・・・・・・・・・・・・綾瀬稲荷神社と隣り合わせに、真言宗豊山派の観音寺がある。 観音寺は稲荷山蓮華院と号す。 観音寺は、賢智上人が開山、当地を開拓した金子五兵衛(法名開田院)が開基となり、17世紀初頭に創建した。 本尊は十一面観世音菩薩で江戸時代初期の作らしい。、、、、慶応4年(1868)、江戸から流山へ退却する新撰組の一隊が金子家とこの寺院に宿泊したそうだ。

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●歩くぞ! ・・・・・・・綾瀬駅に着いたが、帰る時間にはまだ早い。 駅前の「綾瀬川通り」をまっすぐ歩けば、京成本線の堀切菖蒲園駅に行ける。 『よし、堀切菖蒲園まで歩こう!』自分に言い聞かせ歩くことにした。、、、、駅構内を素通りして行く。

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・・・・・・・・・・・・ひたすら歩いて堀切菖蒲園駅に向かう。、、、、ほぼ予定の時間内で到着、息はゼイゼイ、足はパンパン、腹はペコペコ、チョイト電車の中でひと休み。

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2020年1月19日 (日)

池上の山裾を行く

京急蒲田駅から、呑川沿いに歩き、池上本門寺の山裾を廻って西馬込駅まで、1万1千歩の散歩です。




●要塞のような駅! ・・・・・・・京急蒲田駅は京急本線と空港線の分岐駅であり、快速特急など優等列車の停車駅でもある。 私には、乗換でホームに立つことの多い駅であるが、改札の外に出ることは少ない駅である。 今日は、久しぶりに駅から出てみることにした。、、、、明治34年(1901)2月1日、まだJR蒲田駅の無い時、蒲田駅として開業した。 大正14年(1925)京浜蒲田駅に改称し、昭和62年(1987)京急蒲田駅に改称する。、、、、名は変わっても、駅は変わらず、特に空港線が横断する第一京浜(国道15号)の“開かずの踏切”では、慢性的な交通渋滞が発生していた。 そこで、平成12年(2000)に、京急蒲田駅周辺の高架化工事に着手し、平成24年(2012)10月21日の下り線高架化完成により、京急蒲田駅は全面高架化となる。、、、、駅は三層構造で最上層の3階は下りホーム、2階が上りホーム、1階が改札階となっている。しかし改札階は、外部とペデストリアンデッキでつながっており、実質2階にあるようだ。 また、駅の高さは24mで一般のビルの8階程、ホームの長さは389mでJR総武線浅草橋駅ホーム(260m、10両編成の電車が停車する)の約1.5倍ある。 

・・・・・・・・・・・・3階の下りホームで電車から降りる、、、、長~いホームが伸びている

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・・・・・・・・・・・・エスカレーターで2階の上りホームへ

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・・・・・・・・・・・・1階の改札口を出る、、、、広~いコンコース

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・・・・・・・・・・・・駅の出入口はペデストリアンデッキにつながる、、、、駅の壁が要塞のように伸びている

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●この道はいつか来た道! ・・・・・・今日も改札を出て、『さて、何処へ行こうか? どっちに歩くか?』、、、、駅構内の地図を見て、呑川(のみかわ)沿いに上流に向かって歩くことにした。、、、、呑川は世田谷区・目黒区と流れ、大岡山の東工大付近で暗渠から顔を出し、大田区の雪谷・池上・蒲田・仲糀谷と下り、羽田空港で東京湾に注ぐ二級河川。、、、、このルートで池上までは、2年前に散歩をしていた、私としたことが“後で気がつくてんかん病み”であった、ゴメン!
・・・・・・・・・・・・ホーム下を流れる呑川。 上流側に柳橋が架かっている。、、、、我が家の近く、神田川最下流に架かる柳橋の方が風情があるね!(大人げないが、なぜか勝った気分だ) 

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・・・・・・・・・・・・柳橋付近の呑み屋街「柳通り」は、まだ熟睡中。

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・・・・・・・・・・・・呑川を越えるJR東海道線・京浜東北線が見える。、、、、その線路をくぐり抜けるアンダーパスを見て、『あっ! ここ、いつぞや(?)歩いたことがある』 気がついた!

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・・・・・・・・・・・・アンダーパスを抜けた線路脇に、何やら機械設備が入るような小屋を建設中。 私の長年の感で、『あやしい小屋だ!』、、、、当たり、この小屋は生物が居ないと言われていた呑川を浄化するために、高濃度酸素水を川底に供給する施設を収納する建物であった。 設備の稼働は来年(2021)2月頃らしい。 うまく稼働し、呑川の水質改善が実現することを期待!

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・・・・・・・・・・・・大田区西蒲田の付近を流れる呑川には昭和50年代に完成したPCコンクリート桁の橋が架かっている。、、、、馬引橋・山野橋・太平橋・若宮橋・日蓮橋・上堰橋・一本橋など、どの橋も昭和55年~昭和58年頃に完成した橋だ! 景気の良い時に架けたのかな。

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・・・・・・・・・・・・池上通り(都道421号)をとおす堤方橋(つつみかたはし)に出た!、、、、橋上からは正面に池上本門寺のある小高い山が見え、呑川は山裾を左に曲がって遡る。(ここまでは、2年前に歩いたルートと同じ)

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●住宅地を歩く! ・・・・・・・・堤方橋で呑川に別れ、本門寺の山裾を北に廻り込むようにして、大田区中央と大田区池上の町の境になる道を、西馬込駅を目指して歩く。、、、、朽ちかけた土蔵のある家、チョイとモダンな洋館風のアパート、静かな落ち着いた住宅、、、、いずれも、住みやすそうな街を創っている。

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・・・・・・・・・・・・歩く先には貴船坂(きぶねさか)がある、、、、池上1丁目と中央5丁目の境、長さ200m程のやや急な坂。 坂名は、本門寺公園の中にあった東之院の貴船明神にちなむと言われてる。 東之院は本門寺の子院の一つで、貴船明神はその鬼門よけとして置かれていたが、明治初年の神仏分離令により同寺院と分離され、明治45年(1912)になって近くの太田神社(中央六丁目3番)に合祀された。、、、、チョイト、肺活量の少ない私にはキツイ! 池上の町を坂から眺めながら、ゆっくり上る。

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・・・・・・・・・・・・貴船坂を上がると、スグ下り坂となり東京都交通局の車両基地前をとおり馬込駅に出る。

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●国道の地下だ! ・・・・・・・西馬込駅都営地下鉄浅草線の起点駅で、駅の先(南側)には浅草線の車両基地である馬込車両検修場がある。、、、、昭和43年(1968)11月15日、都営1号線(現:浅草線)の駅として開業。 相対式ホーム2面2線の地下駅。 駅は国道1号(第二京浜)の地下にある。 
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