2021年3月 3日 (水)

葛飾の本家?

緊急事態宣言の解除判断に悩む首相官邸、私も“不要不急の外出”は避け家に籠っているつもりであったが、チョイと気が緩み歩きたくなった。 人混みを避けるように、総武線西船橋駅から山側(北側)を歩き下総中山駅まで、1万1千歩の散歩です。




西船橋駅は、JR東日本(総武線緩行・武蔵野線・京葉線)・東京メトロ(東西線)・東葉高速鉄道の3社5路線が乗り入れる駅である。 一日当たり乗降客数はJRが約27万人、東京メトロが約29万人、京葉高速鉄道が約12万人。 千葉県内の最大の乗降客数を誇るターミナル駅である。 最大のターミナル駅ではあるが、快速電車は停まらない、駅前にはデパートもない、お客はタダタダ乗り換えるだけの駅。、、、、昭和33年(1958)11月10日、国鉄総武本線の駅(旧駅舎)として開業。 昭和44年(1969)には東西線が乗り入れる。 昭和53年(1978)には武蔵野線が開業、平成8年(1996)には京葉高速鉄道が開業し、乗降客は激増した。、、、、開業時の西船橋駅は何もない田んぼの中の駅であった。 何もないその駅周辺にできたのが、ストリップ劇場(今はない)とラブホテル(今だ盛況)。 隣りの船橋のように、ショッピング、飲食、映画などを中心とした繁華街には成長しなかった町! 核となる商業・娯楽施設が無いから、今後も発展しそうにないね!!

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● 西船橋駅の北側に総武線と並行して千葉街道がある。 駅前から千葉街道に出ると、「印内春日神社」(船橋市印内町)の社が森の中の小高い処にある。 春日神社の創建年代等は不詳ながら、享保年間(1716~1736)には既に名前が残されていたらしい。 旧社殿は昭和38年(1963)に火災にて焼失し、昭和43年(1968)に現社殿が再建された。

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● 西船橋駅から北に400m程歩くと京成西船駅がある。 京成本線の「京成西船駅」(けいせいにしふなえき)は、大正5年(1916)12月30日 に葛飾駅として開業した。 昭和62年(1987)に京成西船駅に改称。 大正の開業当時、当駅周辺は東葛飾郡葛飾町(その前は葛飾村)であり、駅名を葛飾駅とした。 葛飾町は昭和12年(1937)の合併で船橋市の一部となり、その後周囲の地名が「葛飾町」から「西船」になったこと、また域外の客が東京都葛飾区(旧・南葛飾郡の一部)内の駅と間違えやすいことも要因となり、西船と改めた。、、、、「葛飾」は、かつて、下総国で船橋、柏から西を指す広域の地名であった、千葉県ができたときに半分近くを茨城、埼玉、東京に割譲した。 東京の葛飾区も、かつての葛飾の一部であった。 ここ西船は「葛飾」の本家である。、、、、駅は、相対式ホーム2面2線の地上駅。 上りホームに改札口がある。 青空駐車場が駅前まで迫り、駅前に車を横付けすることも出来ない。 かろうじて自転車は横付けできる。

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・・・・・・・・・・・・京成西船駅から見る、駅前の駐車場。 駐車場はフェンスで仕切られ、駅から入ることはできない。

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・・・・・・・・・・・・駅名を改称した後も、駅北側の「船橋市立葛飾小学校」や「船橋市立葛飾中学校」に「葛飾」の名が残っている。 JR西船橋駅は、駅開業の為移転した旧葛飾小学校の跡地にできたそうだ。 また、西船橋駅に隣接して、駅の南西部に「葛飾町」の町名が残っている。

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● 京成西船駅の北西300m程に、曹洞宗寺院「宝成寺」がある。 宝成寺は、僧智泉を開山として葛西茂春六郎が創建、領主成瀬之成が中興開基となり僧大譽(承応元年1652年寂)が中興開山、慶安元年(1648)年には徳川家光より寺領30石の御朱印状を拝領した。、、、、成瀬正成は幼少より徳川家康に仕え、家康の子の義直が尾張徳川家を創設した際、お付家老として後見した。 正成は当所、栗原郷に四千石を与えられ、やがて三万石余の犬山城主となった。 正成の跡は、長男正虎が犬山城主を継ぎ次男之成が栗原藩を継いだが、栗原藩は之成の子之虎が早逝して廃絶し、幕府直轄地となった。 当寺は江戸時代の初めに成瀬氏の江戸における菩提所の一つである。、、、、立派な堂と、多くの無縁墓を祀り、歴史を感じさせるお寺。

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・・・・・・・・・・・・墓地には成瀬氏の墓がある。 県内最大級の大きさ(高さ3.6m、幅90cm、厚さ40cm)を誇る、第7代犬山城主:成瀬正寿の墓を中心に、成瀬家の墓が並んでいる。

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● 宝成寺から北西方向に、マンション、社宅が建ち並ぶ住宅地を歩く。、、、、坂が多くアップ・ダウンがキツイ!、、、、住所は船橋市西船から船橋市東中山・市川市若宮・市川市中山と移り変わる。、、、、北風吹き抜く 寒い町 男一匹 どこへ行く! 

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● 出てきた処は、中山法華経寺の仁王門前、日蓮上人像の後ろ姿が見えた!

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・・・・・・・・・・・・ここまで来たら、中山法華経寺に挨拶して帰らねば罰が当たる。 祖師堂だけでも手を合わせて帰ろう! 桜も咲き始めた参道を抜け、祖師堂に参る。

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● 参道を真直ぐ下総中山駅に向かい、JRで帰宅・・・・・今日の散歩は、北風強く、寒かった!

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2021年2月25日 (木)

ラブホテル街の神社

我が居住地の台東区役所へ所用で行かねばならず、今日の散歩は浅草橋の我が家から、上野駅前の区役所に寄って、鶯谷を通り日暮里駅まで歩いてきた。 1万1千歩


● 我が家(浅草橋)から、上野の台東区役所まで、気温3度の早朝の町を歩いて行く・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・JR浅草橋駅の北側で生まれ育って75年、いつの間にか周囲にはマンションが並び、知らない人が増えてきた。

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・・・・・・・・・・・・浅草橋5丁目に「都立忍岡高等学校」がある。 明治36年(1903)に、私立日本女子美術学校として芝公園に開校し、その後、本郷千駄木に移り、東京市立第一女子技芸学校となる。 大正時代には池之端に移転。 昭和15年に、現在地に移転。 戦後は都立忍岡高等学校となる。、、、、南隣りの我が母校である「旧柳北小学校」(平成13年閉校)と共に、かつて平戸藩松浦氏の屋敷跡で、約2,600坪の蓬莱園と称する庭園があった。 庭園は関東大震災で壊滅したそうだ。 当時を偲ぶものは、校庭の大イチョウの木だけ、校舎の西隅に蓬莱園跡の石碑がある。

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・・・・・・・・・・・・蔵前橋通りを横切って、鳥越の町に入り「おかず横丁」を抜ける。 おかず横丁は、鳥越1丁目にある商店街の通称。 長さは200m程で、惣菜店、日用品などの店舗が並んでいる。 周辺は、戦前から家内制手工業が集積する軽工業の町であったため、多くの女性も働いていたことから、必然的に総菜類を提供する店舗が並ぶ商店街となった。 今では、半数近くの店舗はシャッターを下ろしたようだ。、、、、今朝は、可燃ゴミの収集日、店の前にはゴミ袋が並ぶ。

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・・・・・・・・・・・・おかず横丁を抜けると、台東区台東3丁目・4丁目には、「佐竹商店街」が続く。 清洲橋通りと春日通りを結ぶ全長330mの全蓋式アーケードの商店街で日本で二番目に古い商店街といわれている。 明治の初年に秋田藩(藩主:佐竹氏)の屋敷跡に見せ物小屋、寄席、飲食の屋台等が並び、盛り場として賑わい、下町情緒豊かな商店街として発展した。、、、、朝8時、まだ商店街は寝ている。

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・・・・・・・・・・・・東上野4丁目、浅草通りに面して洋風建築の「比留間歯科醫院」がある。 昭和4年(1929)に建てられた木造3階建ての可愛らしい歯科医院。 空襲の戦火に巻き込まれずに残った建物。 よくぞ残った!

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● 昭和通りを挟み上野駅の正面裏に「台東区役所庁舎」がある。 久米設計の設計により、昭和48年(1973)に竣工した建物。 今年で築48年になる。 数年前に大規模な改修工事が行われ、まだしばらく利用するようだ。 建て替えの話はまだ出ていない!、、、、庁舎の建っているこの地は、かつて臨済宗紫野大徳寺末の円満山〝びっくり下谷の広徳寺〟のあったところだ。 関東大震災で寺域を縮小し、戦後に柳生宗矩・三厳(十兵衛)・宗冬3代、立花宗茂の墓とともに、広徳寺は練馬区桜台へ移転した。

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● 区役所庁舎の北側に「旧下谷小学校」の校舎が残っている。、、、、旧下谷小学校校舎は、関東大震災後の昭和3年(1928)に復興小学校の一つとして安藤組(現:安藤ハザマ)の施工で竣工した。 鉄筋コンクリート造3階建て。 この地も広徳寺の跡地である。、、、、下谷小学校は明治19年(1886)創立。 平成2(1990)年4月に清島小学校と合併して上野小学校となり閉校。、、、、ツタに覆われた校舎は区で(倉庫として?)使用しているようだ!

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● 上野から鶯谷へ・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・上野駅には出入口が多いが、一番北側のマイナーな出入口が「入谷口」であろう!、、、、ここから入って山手線のホームまでは、構内をタップリ歩かされて10分ぐらい要するかも? 疲れる駅だ!

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・・・・・・・・・・・・上野駅入谷口の正面に、鉄道オタクにはピンとくる日本最古の鉄道学校「岩倉高等学校」がある。、、、、「岩倉」の校名は、鉄道創設に貢献した岩倉具視に因んだもので、学校の校章は岩倉家の家紋「笹竜胆」と鉄道のレールを組み合わせたデザインである。、、、、平成26年(2014)から、男女共学となり、鉄道の営業・技術を教える運輸科と普通科の2科となった。 女性運転士・車掌の時代に対応したのかも?

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・・・・・・・・・・・・上野郵便局前から、常磐線の線路沿いに狭い道を入っていく、、、、、「新坂跨線橋」という、鶯谷駅南口へ向かう跨線橋の下をくぐり鶯谷駅北口を目指す、、、、、しばらく、ラブホテル街が続き、すれ違う人は皆、下を向いて足早に消える、、、、、鶯谷駅北口前の元三島神社に寄って行くことにした。(ハンチングにマスクした私が、カメラを持ってこんな処を歩いてると、何だか怪しい人物と思われているかも?)

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・・・・・・・・・・・・ラブホテル街のド真ん中にある「元三島神社」、、、、元三島神社の社殿はコンクリート造の人口地盤の上に建てられ、一階は居酒屋だ。、、、、境内の由緒書によると、『当社はご祭神は大山祇命、伊佐那岐命を頂き、和足彦命、身島姫命、上津姫命、下津姫命を配祀申すものである。 例大祭はご祭神勧請の時にちなみ5月14、15日とする。 元三島神社は円融天皇御代日本総鎮守の称号を賜って名高い愛媛大三島の元国幣大社大山祇神社を御本社頂くものである。 当社由来の源は弘安4年の役の勇将河野道有大山祇神社に必勝祈願し出陣したる処神恩加護の下武功赫々として帰陣したところ夢中に神のお告げを得て大山祇大明神を武蔵国豊島郡に勧請の願を発し上野山内に分霊を鎮座申上げた事に始まったと伝えられる。』、、、、境内の河津桜が見事に開花し、参拝客がカメラに収めていた。

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● 元三島神社をあとにして日暮里駅に向かうと、台東区根岸2丁目に民家と間違えるような寺院「根岸薬師寺」がある。、、、、根岸薬師寺の近辺にはかつて御隠殿址があり、輪王寺宮一品法親王が、公務外時の休息の場として利用する、輪王宮の別邸「御隠殿」があったと云われてる。 輪王寺宮一品法親王は、天台座主に就き、東叡山・日光山・比叡山の、各山主を兼帯したので「三山管領主」とも呼ばれ、第3世から幕末の第15世まで、親王あるいは天皇の猶子(養子)を迎え継承されてきた。 つまりは、天台宗のトップの別邸があった処。、、、、今の世なら、上野の歓楽街、鶯谷のラブホテル街にも近く、絶好の場所だ!

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● 薬師寺から日暮里駅まで歩き、電車で帰宅、、、、、家に着いたら、『うがい・手洗い』忘れずに!

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2021年2月22日 (月)

ちかんに注意の町

暖かい日射しに気も緩み、隣りの千葉県に侵入した。 北総線の北国分駅から、曽谷の住宅地を通り、総武線の本八幡駅まで、1万3千歩の散歩です。、、、、丁度、一年前(20/2/19)に北国分駅から本八幡駅まで歩いた。 その時は、庚申塔、馬頭観音などが残る旧道沿いに歩いた。 今日は新興の住宅地の中を歩いてみた。 




● 浅草橋(我が家)から北総線の印旛日本医大行に乗り、高砂を過ぎ江戸川を越えて2駅目「北国分」(所要30分)で下車。 北国分駅は30年前に農地の中に開業し、駅周辺には今だ商店街などはない。

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● 北国分は、右から読んでも左から読んでも同じ千葉県「市川市」の北端に位置する。 約9km離れた南端の「行徳」周辺とは、町の雰囲気、生活スタイル等々、大きく異なり、北国分は農村の匂いが残る新興住宅街。 駅からチョイト歩けば畑が見える。 春の陽気で、こっちでは菜の花に鼻がピクピク、あっちでは堆肥の臭いで鼻がムズムズ!
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・・・・・・・・・・・【ここで問題】千葉県内にある右から読んでも左から読んでも同じ、もう一つの“市”の名は?



● 用水路のような「国分川」を越えると「市川市稲越」の町、裏道を歩くと“ちかんに注意”の立札・看板が目立つ!

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・・・・・・・・・・・・すれ違う女学生も、なぜか私を避け、走り去る

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● 稲越の南側は「市川市曽谷」の町、、、、「曽谷貝塚」で有名な町。 今日は貝塚に寄らず、住宅地を歩く。

・・・・・・・・・・・・住宅の裏を覗くと、お世辞にも“綺麗な町”とは言いにくい! あちらにも、こちらにも、ビニール袋やビニールシート、ポリの手袋も!

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・・・・・・・・・・・・表通りは綺麗だ。 蕾も膨らみ花見が近くなった桜並木

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・・・・・・・・・・・・「まちのペンキ屋さん」、玄関前にズラリと並ぶ人形。 全て人形は、太陽光を受けて、一日中首や手を振っている。 よくぞ集めた!

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・・・・・・・・・・・・住宅の先に、本八幡駅前のタワマンのシルエットが見える!

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● 江戸川から別れ東京湾に注ぐ真間川を、弁天橋(平成7年竣工)で越える。 真間川の水質も良くなった、綺麗だ!、、、、本八幡駅まで、あと2km!

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・・・・・・・・・・・・弁天橋の両側には、昭和15年(1940)創立の昭和学院の幼稚園から小・中・高校、そして短大の校舎が並んでいる。 80年の歴史を持つ、地元市川の総合学院、、、、キャンパスの一画に、何やら民家風の木造家屋がある。 学院の創立者の自宅として千葉市内に建てられ、その後、昭和女子商業学校(現:昭和学院)の創立にともない、現在地に移築された。 現在は「創立記念館」として活用されている。 昭和6年(1931)の建築で、入母屋造、2階建て。 国の登録文化財。

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● 京成八幡駅の踏切りを越え、JR総武線の本八幡駅に到着。、、、、疲れた!

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