2023年11月23日 (木)

二の酉

今日は二の酉、酉の市の最終日である。 今年も夫婦で浅草の鷲神社、長国寺に参る。 毎年、夫婦で同じように参拝し、同じように熊手やお守りを買い、帰路は同じように浅草寺に寄り、同じように食事し帰る。、、、、コレぞ、歳を取ったが、幸せな証拠だ!、、、、ダラダラ歩いて6千歩

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・・・・・・・・・・ 今年も行列に並んで神社にはいるまで50分! 参拝するのに一苦労、警察官は交通整理に四苦八苦

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・・・・・・・・・・ 境内も、満員御礼の垂れ幕が下がるような混雑

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・・・・・・・・・・ “かっこめ熊手”の御守りを競って買うが、この御利益を一番に享受したのは神社だ!

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・・・・・・・・・・ 境内の熊手屋さん、美人を出して売り上げ倍増か!

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・・・・・・・・・・ 鷲神社の隣りに、境内が続く長国寺、こちらにもご挨拶。

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・・・・・・・・・・ 参拝終えれば、露店が並ぶ裏通りを、肩に担いだ熊手をよけて、飴が付いた棒に注意し、チョイト気になる焼肉の臭い、臭いに引かれるイカ焼きの誘惑、客の少ない切山椒、オット刺青のお兄さんを横目で避けて、隣のミニスカの姉ちゃんをジロジロ眺め、イライラしながらダラダラ歩き、やっとの思いで通り抜け!

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・・・・・・・・・・ 浅草寺にもご挨拶、今年もあと一か月、家内安全、無病息災を願い。 賽銭はワンコイン。、、、、願い事、もう一つありました。 年末ジャンボ10億円当選!

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2023年11月21日 (火)

消えた遊郭跡

今日は京成本線の千住大橋駅から歩きはじめ、日光街道(=国道4号)の西側、かつて千住遊郭のあった千住柳町と、その周辺の千住龍田町、千住元町、千住寿町界隈を気ままに歩いて、帰りは北千住駅まで。 1万2千歩の散歩です。

 

 

● 京成本線の千住大橋駅(せんじゅおおはしえき)で下車する。 千住大橋駅は昭和6年(1931)に開業し、現在は島式ホーム2面4線の高架駅である。、、、、戦後から平成にかけては、駅周辺にこれと言った集客力のある施設もなく、ゴク普通の薄暗い高架下の駅であった。 近年になり、駅前の再開発が行われ商業施設もでき、駅もリニューアルして、明るく綺麗になった! 乗降客も増えてきたそうだ。

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● 「千住遊郭」は大正中頃までは、旧日光街道(JR線と国道4号の中間を平行する街道)の千住宿の中に点在してた。 関東大震災前の大正10年、警視庁により宿場町に散在していた女郎達を、現在の日光街道を跨いでさらに西へ進んだ場所(現:千住柳町)に移転させ、「千住遊郭(柳新地)」とした。 戦後は千住の赤線地帯として売春防止条例が発布されるまで繁栄したそうだ(私は、まだ8歳ぐらいで知る由もない)。  この付近には、「大門通り」、「いろは通り」、「仲通り」などといった、いかにも遊郭・赤線チックな名称の商店街存在する。 しかし、今日歩いて見ると、当時の面影を残すような建物は消え、路地も整理され、商店街は寂れ、“遊郭”・“赤線地帯”は“知る人ぞ知る”世界となった。

・・・・・・・・・・ 千住柳町周辺で懐かしさを感じる建物

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・・・・・・・・・・ チョイト寂れた商店街、、、、“ニコニコ商店街”は名前も消えた!

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● 今日歩いた千住柳町周辺の神社を5社紹介する。

・・・・・・・・・・ まずは、千住大橋駅に近い河原町稲荷神社(千住河原町)、、、、国道4号線に面して鎮座している。 千住青果市場(=足立市場)の守護神として市場の旦那衆の信仰の対象。 神社の創建年代は不詳だが、市場が開かれた天正年間(1573~93)に遡るのではないかと思われる。 昭和20(1945)年4月13日の空襲で社殿と社叢が全焼したが、御神体ならびに神輿庫は類焼を免れた。 昭和41年(1966)に現社殿が造営された。、、、、金銅の金具で一面に装飾された木造漆喰の大型神輿(高さ2.38m、通称:千貫神輿 )は自慢の神輿である。 祭りも半端じゃないらしい!、、、、千住七福神の福禄寿が祀られている。 まもなく、七福神の稼ぎ時がやって来るね!

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・・・・・・・・・・ 続いて、白幡八幡神社は千住宮元町にある国道沿いの小さな神社。 白幡八幡神社は、源義家が奥州征伐に赴く際、渡裸川の渡し場に白幡を立て戦勝祈願をし、その白幡が名称の起源となり祀られることになったそうだ。 七福神は毘沙門天が祀られている。

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・・・・・・・・・・ 次は千住神社、国道から奥に入り、こちらも千住宮元町にある神社だ。 千住神社は、延長4年(926)に創建された千崎稲荷神社と、弘安2年(1279)に創建された氷川神社が明治6年に合祀された西森神社を起源とし、明治7年には(足立区最高・唯一の)郷社に列格した。大正4年(1915)に千住神社と改称した。 千住七福神の恵比寿神を祀る。、、、、社殿は、昭和20年の空襲で焼失したが、氏子の厚い信仰と熱誠により昭和33年(1958)に現在の社殿が完成した。、、、、境内には、昭和20年に造った防空壕が残されている。 私の想像する防空壕と比べると、思った以上に浅く、狭いので、こんな所で爆撃を受けたらイチコロかも? 怖かったと思うね。

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・・・・・・・・・・ 千住元町にあり、倉稲魂命、素盞嗚尊を祀る元宿神社(もとじゅくじんじゃ)にも参る、、、、当社は古くは元宿八幡社と称した。 明治末年、八幡社は千住四丁目の氷川神社に合祀されたが、昭和5年(1930)稲荷社を合祀して独立、村社に列格して再び元宿の鎮守となったという。、、、、昭和6年(1931)地名の“元宿”が元町(翌年には千住元町)と改められたことにより、“元宿”の名を残すために、社号を元宿神社と改称した。 守り通した地名に敬意!、、、、千住七福神は寿老人を祀る。

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・・・・・・・・・・ 帰りがけ、北千住駅の近くに鎮座する千住本氷川神社、、、、千住本氷川神社は、徳治2年(1307)に千葉氏によって、牛田に千葉山西光院と共に、氷川神社として創建された。 千住が宿場町として栄え始めた江戸時代の初期、現在地に地主の土地奉納によって分社が建てられた。 その後、明治43年(1910)荒川放水路建設のため、牛田氷川神社を合祀し、さらに昭和45年(1970)に社殿を新築して現在に至っています。 千住七福神は大黒天。

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・・・・・・・・・・ まだ正月にはチョイト早い! 七福神巡りは散歩の予定にないため、今日は5社(五福神)で、ここまで。 ちなみに、残りの布袋尊は千住大川町の大川町氷川神社に、弁財天は千住仲町の仲町氷川神社に祀られている。 お近くの人は、正月の七福神巡りにぜひ参拝を!!



北千住駅から、東武伊勢崎線で帰る。

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2023年11月19日 (日)

六義園・不忍通り

今日はチョイト遅めに家を出て、9時過ぎに駒込の六義園に行く。 六義園を散策し、その後は不忍通りに沿って歩き、JR御徒町駅まで、1万6千歩の散歩です。



駒込駅は明治43年(1910)11月15日に国有鉄道の駅として開業。 創業123年、駅の老舗だ!、、、、島式ホーム1面2線の地上駅であるが、改札は2か所ある。 西側(池袋方)の改札は、山手線ホームから階段を上った先の橋上駅舎(北口・南口)にある。 東側(田端駅寄り)には、階段を下りた先に改札(東口)がある。 地形が傾斜してるため、西側が掘割、東側が盛土上にホームがある珍しい構造となっている。、、、、山手線の駅の中では地味な存在である。 『山手線の駅名、順に言える?』、『駒込駅の特徴、言える?』、『駒込駅最寄りの名所は?』、『駒込駅は何区に在るか?』 何かとクイズのネタになりそうな駅だ!

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・・・・・・・・・・ 駒込駅前には本郷通りがあり、本郷通りは跨線橋「駒込橋」で山手線を越える。 駒込橋は山手線 池袋~田端間が開通した時にできた橋。 現在の橋は平成3年(1991)に、地下鉄南北線の工事に伴い架け替えられた。、、、、橋の袂の「染井吉野桜記念公園」に先代の欄干の一部が保存されている。

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● 駒込駅から徒歩数分、都立庭園の「六義園(りくぎえん)」に寄る。、、、、六義園は造園当時から小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられていた。 元禄8年(1695)、五代将軍:徳川綱吉より下屋敷として与えられた駒込の地に、柳沢吉保自ら設計、指揮し、平坦な武蔵野の一隅に池を掘り、山を築き、7年の歳月をかけて回遊式築山泉水庭園を造り上げた。 柳沢吉保は文学的素養が深く、中国の古い漢詩集である「毛詩」の「詩の六義」に由来して庭園の名称を「六義園」と名付け、“むくさのその”と呼び、館を「六義館」、“むくさのたち”と称したそうだ。 明治時代に入り、三菱創業者:岩崎弥太郎の所有となった当園は、昭和13年(1938)に東京市に寄付されて一般公開されることになった。、、、、今日は、紅葉を求めての来場者も多く予想され、普段は閉門している駅に近い染井門から入園できた。 開門直後に来たのだが、すでに多くの人が入園し、日本の美を求める外人も多くみられた。、、、、チョイト早すぎたようで、樹々の彩づきは、日光の手前(=今市=今一だ!)

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● 六義園を出たら不忍通り(しのばずとおり)沿いに歩く

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・・・・・・・・・・ 本駒込4丁目に「神明都電車庫跡公園」があり、そこには懐かしき50年程前の、都電6000形一両と、貨物車の乙2号一両が保存されている。、、、、都電6000形は、昭和22年(1947)から28年まで290両が製造された車両で、公園にあるのは63番目で、昭和24年3月に造られ青山車庫に配属されたのを皮切りに、大久保車庫、南千住車庫を経て、昭和42年9月に神明町車庫に配属された。 その後、昭和45年(1970)に荒川車庫へ転属し、昭和53年(1978)4月に廃車になった。、、、、乙2号は、昭和16年(1941)に造られ、荒川車庫で資材運搬などで使われ、昭和46年(1971)3月に廃車となる。、、、、神明町車庫の管轄は、20系統の江戸川橋から須田町までと、40系統の神明町車庫前から銀座7丁目までであった。 銀座~日本橋~須田町~上野公園の区間では、私も40系統の都電に乗っていたと思うね! お世話になりました!

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・・・・・・・・・・ 道灌山下交差点から、一本裏の通りである「よみせ通り」を歩く。 よみせ通りは、かつて、両側500m程に露店(夜店)が軒を並べ、夜の更けるまで賑やかであったことから、「よみせ通り」と呼ばれるようになった。 また、通りの中程には地蔵尊も祀られており、毎月24日に縁日が開催されるそうだ。、、、、道路で、お向かいのおばちゃん同士が世間話を始めるなど、下町の商店街として、いい雰囲気が残っているね!

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・・・・・・・・・・ よみせ通りに直交する「谷中銀座商店街」(台東区谷中)にもチョイトブラブラ、、、、谷中で一番元気な商店街、通りの東端には「ゆうやけ段々」と呼ばれる石段がある。、、、、歩いているのは、観光客ばかり、外人もいる、猫好きもいる。 地元の人はどこにいる???

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・・・・・・・・・・ 再び、不忍通りを歩く

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・・・・・・・・・・ 不忍通りから横道を覗くと、木造3階建ての串揚げ屋「はん亭」(文京区根津2)が見える。 明治時代に建てられた建物は関東大震災や戦災もくぐりぬけ登録有形文化財にも指定された。 もともとは下駄の爪皮屋だったそうで、(爪皮=雨や泥などをよけるために下駄などの爪先につけるおおい)その後運送屋さんの独身寮にもなったそうだ。 今は串揚げ屋!

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・・・・・・・・・・ 池之端二丁目交差点の角に、またまた都電が保存されてる。 ここは、かつて「池之端七軒町」停留所があった処。 20・37・40系統の電車は、須田町(神田)方面から中央通りを走り、上野公園の電停からは上野の山下を専用軌道で走り池之端七軒町で不忍通りに合流していた。 都電が保存されているこの場所はその合流点である。、、、、保存されている電車は7500形の都電。 7500形は都電で初めて冷房装置が搭載された車両である。、、、、(モノクロ写真は案内板にあった、専用軌道から不忍通りに合流する池之端七軒町)

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・・・・・・・・・・ 不忍通りは、不忍池の西側をとおり上野四丁目交差点(「ABAB」の前)で中央通りに合流する。 ハイ、ココまでよ~~!

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御徒町駅(おかちまちえき)は京浜東北線電車および山手線電車の2系統が停車するが、正式な線路名称は東北本線のみである。 大正14年(1925)11月1日、鉄道省東北本線の駅として開業した。 島式ホーム2面4線の高架駅である。 アメ横、上野松坂屋の最寄り駅。

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