2023年3月22日 (水)

桜は二分咲き

東京に開花宣言が出た15日頃、妻が『今年は何処へ花見に行く?』 私が『小田原城はどうだ!』というと、即決した。 予想では27日頃が満開と思われ、28日に行くように計画したが ・・・・・ しかし最近の天気予報では23日から連日傘マークが出てる。 昨夜(21日)、妻が『28日頃雨だよ、散っちゃうよ! 明日、花見に行こう!』と言い。 これまた、即決! 急遽予定を変更し、昨日の今日で、朝から小田原行きとなった。 行きは小田急ロマンスカーで、帰りは新幹線で、日帰りの花見。、、、、万歩計では1万8千歩の花見




● 9時20分新宿発のロマンスカーで、10時40分小田原着、一人運賃900円:特急料金910円:計1810円也。、、、、小田原駅は大正9年(1920)10月に国府津駅を起点とする熱海線(現:東海道本線)の終着駅として開業した。 その後、小田原急行鉄道(現:小田急電鉄)が昭和2年(1927)に、大雄山鉄道(現:伊豆箱根鉄道)と箱根登山鉄道が昭和10年(1935)に乗り入れてる。 一日約15万人が利用するターミナル駅。、、、、小田急の「小田原駅」は、山側の新幹線ホームと海側のJR在来線ホームに挟まれた島式ホーム2面3線(小田急電鉄、箱根登山鉄道共用)の地上駅。 駅舎は大屋根に覆われた近代的な建物でJRと共用している。、、、、小田原駅に降り立つのは30年ぶりかも? すっかり変わって田舎者だ!

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● ポカポカの春の陽気の下、駅から小田原城址公園に向かう。 来て見てビックリ、小田原城の桜はまだ二分咲きだった! 『満開の桜を通して見上げる天守閣』を期待して来たが、『つぼみの後ろに控える天守』であった。、、、、私は桜にチョピリ残念! 妻は小田原城に感動!、、、、小田原城は、明治3年(1870)に廃城となり、その後城内の多くの建物は解体された。 さらに、大正12年(1923)の関東大震災により、石垣などもほぼ全壊し、江戸時代の姿は失われた。 現在の天守閣は、昭和35年(1960)に総工費8千万円をかけて、江戸時代の姿に復興した。 施工は松井建設。 3重4階の天守櫓に付櫓、渡櫓を付した複合式天守閣で、地上38.7m、鉄筋コンクリート造、延床面積1,822㎡である。、、、、、標高約60mの天守閣最上階からは、相模湾が一望でき、房総半島まで見ることができる。 私は高所恐怖症で落ち着いて、景色を見る余裕なし。(心の中では、早く地上に戻りたい!)

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● 城内の西側に二宮尊徳を祀る神社「報徳二宮神社」がある。 旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社となっている。、、、、二宮尊徳は、報徳思想を信条とする団体「報徳社」を設立して農村の救済・教化運動を行っていたが、尊徳が安政3年(1856)に亡くなった後も報徳社は存続し、関東・東海地方を中心に活動を行っていた。 明治24年(1891)に尊徳に従四位が贈られると、報徳社員の間で尊徳を祀る神社創建の動きが起き、明治27年(1894)、尊徳の生地である小田原の小田原城址内に鎮座した。 明治42年(1909)には現在の本殿・幣殿を新築、拝殿を改築した。、、、、境内のカフェで、二宮金次郎と如何なる関係か知らねども、「きんじろうソフト」を味わう。 甘い、美味しい!

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● 報徳二宮神社から南に歩き、チョッピリ小高い天神山を越え、箱根駅伝でおなじみの国道1号に出る。 東海道線・箱根登山電車のガードの近くに「人車鉄道 軽便鉄道 小田原駅跡」の石碑があった。、、、、明治期、文豪・著名人が熱海(当時は温泉宿が約30軒あった)に行くとき利用したと言われてる人車鉄道・軽便鉄道の駅跡だ! 現在の小田原駅とは、小田原城を挟んで、正反対の側に位置する。 『アレ? 昔の人は、国鉄の小田原駅から、お城を半周して人車鉄道に乗ったのか?』と疑問が湧いた。 石碑の近く、呉服屋さんの店先に「豆相人車鉄道 温泉夢物語」と書いたパネルがあり、店の御主人が、その疑問に応えてくれた。、、、、明治期の東海道線は東京から国府津まで営業しており、その先は御殿場線経由であった。 小田原にはまだ東海道線は敷かれていなかったので、もちろん現在の小田原駅は無かった。 国府津で降りた客は、ここ人車鉄道の小田原駅まで歩いて来たそうだ。 人車鉄道の小田原駅は明治28年(1895)7月に開業した。 明治41年(1908)には、人が押す人車鉄道から、軽便鉄道に変わった。 人車鉄道で熱海まで所要時間4時間が、軽便鉄道になり約3時間となった。 御殿場線経由の東海道線が、現在のルートで小田原まで伸びたのは大正9年(1920)である。、、、、小田原から熱海まで、人車鉄道を押す車夫(?)の苦労は真似できないね!

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・・・・・・・・・・ 写真:手前左右に伸びる道路が国道1号、中央から奥に向かう道路が線路敷き跡、右端の家が小田原駅のあった処、左端(ヤオタメの隣り)が呉服屋さん、石碑は右端歩道橋の上り口にある。

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● 海岸近くに「西海子小路」(さいかちこうじ)と呼ばれる桜名所がある。 道路の両側約400mの区間に約50本のソメイヨシノが咲き誇る桜のトンネルが楽しめる道。 江戸時代は17の武家屋敷が軒を連ねていたそうだ。、、、、悲しいことに、ここの桜はまだ一分咲き!

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・・・・・・・・・・ 西海子小路に面して、「小田原文学館」があり、チョイトお立ち寄り! ここには、北原白秋の資料を展示している「白秋童謡館」、昭和を代表する私小説家・尾崎一雄の書斎(移築)もある。、、、、 まずは「小田原文学館(旧田中光顕別邸)本館」を拝見。 宮内大臣などを務めた政治家田中光顕の別邸であった。 昭和12年(1937)築のRC造3階建の本館部と木造平屋建の管理棟からなる。 本館はスパニッシュ瓦葺、東南隅にはサンルームがあり、3階にはベランダやパーゴラ等もある。 いかにも別荘という感じの建物。 登録有形文化財

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・・・・・・・・・・ 田中光顕の別邸で、「白秋童謡館」として活用。 大正13年(1924)に建てられた、木造2階建の入母屋造・瓦棒銅板葺家屋。 こちらも登録有形文化財。

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・・・・・・・・・・ 西海子小路に面し、もう一軒「旧松本剛吉別邸」にもお立ち寄り。、、、、松本剛吉は、明治の元勲・山縣有朋と親交の深かった明治・大正期に活躍した政治家(貴族院議員等を歴任)。 建物は、大正12年(1923)頃に建てられ、平成28年(2016)に小田原市の歴史的風致形成建造物に指定された。 主屋と別棟の茶室「雨香亭」、待合等の建物と、築山や水景を伴う庭園で構成されており、主屋は西側に張り出した主座敷の八畳と六畳の次の間から成る座敷がある数寄屋風書院造となっている。、、、、今日は、WBCの中継がありこちらに訪れる人もなく、客は我が夫婦二人だけ、こちらの茶室「雨香亭」でお茶ならぬ、抹茶パフェを静かにのんびり庭を見ながら頂いた。 思いで残る訪問で、妻、感動! 『秋になったら、また来よう!』(本当に来る気か?)

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● 春のポカポカ陽気を堪能して「小田原駅」に戻る。 帰りは新幹線を利用。、、、、一人運賃1520円:特急料金2290円:計3810円也。 ナント、新幹線は小田急ロマンスカーの倍以上だ! 『JRのぼったくり!』と、叫びたくなる(でも、小田原~東京間の所用時間35分は嬉しいね!) 

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2023年3月21日 (火)

速いぞ 時速130㎞

彼岸に入り、我が家ではいつもの如く八柱霊園(松戸市)、むさしの霊園(八王子市)へと、連日の墓参りを済ます。 一昨日の墓参りでは、帰路に孫と約束『21日につくばエクスプレスに乗りに行こう!』、、、、今日は、鉄道オタクの孫と時速130㎞のつくばエキスプレスの快速に乗ってきた。 起点の秋葉原駅から終点のつくば駅まで快速で片道45分の旅。 終点のつくば駅では、駅の近くの「つくばエキスポセンター」に寄り、プラネタリュームと内部の見学。 帰りも快速で秋葉原まで戻る。、、、、(万歩計は1万歩だった!)




つくばエクスプレスは、都心と筑波研究学園都市の間を結ぶ鉄道として、秋葉原~つくば間の全線58.3kmが平成17年(2005)8月24日に開業した。 路線は都心部では地下に建設され、江戸川を越えて千葉県、茨木県に入ると高架または掘割を走ることで、踏切は一切なしで、急カーブは少なくほぼ直線に近い。 秋葉原~つくば間の58.3kmを、最高速度130 km/h(通常125 - 129 km/h)と高速で運転し、所要時間45分で結んでいる。(我が孫はこの最高時速で走るつくばエクスプレスを体験したかったのだ!)

・・・・・・・・・・ つくばエクスプレスの「秋葉原駅」は、JR秋葉原駅と昭和通りの間に位置する。(知る人には「ヨドバシAkiba」前の都道の地下と云えば判ると思う) その地下33.6mに1面2線のホームがある。 

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・・・・・・・・・・ 孫も私も(二人の歳の差、約70)、先頭車両で高速運転を体感し、満足!

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・・・・・・・・・・ 終点「つくば駅」に到着、所要45分、やっぱり速いね!、、、、茨城県内初で、現在も唯一の地下駅としてつくば駅は平成17年(2005)8月24日に開業。 1面2線の島式ホームを持つ駅は筑波研究学園都市のセンター地区にある。 2018年度の1日平均乗車人員は18,849人である。

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● せっかく「つくば」まで来たのだから、このままUターンして帰るのはつまらない! 駅に近い「つくばエキスポセンター」を見て帰ろう!、、、、つくばエキスポセンターは、昭和60年(1985)に筑波研究学園都市で開催された国際科学技術博覧会(つくば万博)の閉幕後、最新の科学技術や身近な科学に親しみを持ってもらえるように開設された。 世界最大級の規模を持つプラネタリウムや、屋外に展示されている実物大のH-IIロケット(高さ50m)の模型が特徴である。、、、、プラネタリュームは約20年ぶりに見た私、久しぶりに見る満天の星空は素晴らしい!

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2023年3月15日 (水)

お釜のお寺!

地下鉄丸ノ内線方南町駅から裏道を歩き、京王新線の幡ヶ谷駅まで、1万歩の散歩です。




● 朝8時過ぎ、通勤通学のピーク時間、丸ノ内線分岐線の終着駅「方南町駅」に電車が到着すると、折り返しの池袋行きはスグに満席となる。 座れない乗客は、次の折り返し電車の到着を待ちホームに並ぶ。 こんな光景を見てると、自分のサラリーマン時代が懐かしく思いだす!

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・・・・・・・・・・ 方南町駅の改札・出入口は、ホームの両端に1ヶ所づつある。 東側の出入口は方南通りの商店街の並びにあり、幅も狭く、『こんなとこにあるの!』と言いたくなる。

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・・・・・・・・・・ 駅出入口の脇に、「方南銀座商店街」がある。 方南町駅から南に延びる、地域密着型の商店街。 通勤・通学の人が足早に駅に向かう。

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● 商店街を抜けた所に、「身代地蔵尊」と標した堂がある。 この堂は、安寿と厨子王の守り本尊の身代り地蔵尊を祀る東運寺の門前の地蔵堂。 守り本尊は東運寺の秘仏であり、4月8日の花まつりに御開帳するそうだ。 この地蔵堂はいわば御前立ともいえる普段お参りできる身代地蔵尊。 子育て地蔵尊も一緒に並んでる。

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・・・・・・・・・・ 地蔵堂の隣りの空き地に
、2基の石柱があり、「釜寺近道」、もう1基に「享和元年」と刻まれてる。 ここで、“釜寺”とはナンダ? この付近に“釜寺”と云う寺があったっけ? しばし考えるが判らない!、、、、数分後に判明した! “釜寺”とは地蔵堂の正面に山門がある東運寺の通称であった。 目の前にあって“近道”はないね!

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● 地蔵堂の正面(杉並区方南2)に「東運寺」の山門がある。 この山門は元禄の頃、元田村家の脇門であった。 明治末期、三井総本家がこれを今井町に移し元織田有楽齋如庵の茶室(国宝)の表門としたが、使用する機会は少なく『開けずの門』と言われてた。 昭和28年(1953)三井高公が東運寺に寄進したものである。

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・・・・・・・・・・ 浄土宗寺院の東運寺は、念仏山と号す。 東運寺は、天正元年(1573)備前の僧が、奉じていた安寿と厨子王の守り本尊「身代わり地蔵尊」を安置して当地に念仏堂としてはじまりました。 大正11年(1922)、下谷入谷町にあった東運寺と合併し、念仏山東運寺と改称した。 当寺には、釜ゆでにされそうになった厨子王をお坊さんになって助けたという身代わり地蔵尊が秘仏として祀られている。 また、本堂の屋根上には“釜”が逆さに置かれてる。 これが通称“釜寺”と呼ばれる謂れ。

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● 東運寺の南側を流れる「神田川」を越え、杉並区方南から中野区南台、渋谷区笹塚の町に入る。 この辺りでは、何か面白いものはないかと、裏道を歩いたが、何もない! 面白くないね!

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● 大通りに出た! 笹塚三丁目では「水道道路(都道431号)」、続いて「甲州街道(国道20号)」、どちらも横断すると、京王新線の「笹塚駅」だ! 

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・・・・・・・・・・ 笹塚駅から南に「笹塚観音通り商店街」を歩く。 その名が示すとおり、商店街の中に観音さまが祀られている。、、、、この観音さまは、江戸時代からあり大きなお堂だったそうだが、昭和20年(1945)の米軍の空爆により焼失した。 ところがこれが観音の力の凄いところで、堂は焼け落ちたものの、焼け跡から観音さまが焼けずに発見された。 そこで、当時貧乏な住民には堂の復元はならず、やっとこさ小さな堂を建立して再建した。 その地が、今の観音会館となっているそうだ。、、、、観音さまは、普段、ガラス扉の中に祀られており、毎月18日に御開帳になるそうだ。

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● 商店街を抜け、京王新線の幡ヶ谷駅近くに来ると、玉川上水を暗渠化した「幡ヶ谷緑道」、「西原緑道」がある。、、、、初台付近から代田橋付近まで、途切れ途切れに続く緑道の一部。、、、、これから暖かくなり、樹々が色づけば散歩に良いかも!

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● 「幡ヶ谷駅」は、大正2年(1913)11月11日、京王電気軌道の駅として開業。 昭和53年(1978)京王新線開通に伴い、現在地に移設し、同時に地下駅となる。 駅本体は首都高速4号新宿線と国道20号(甲州街道)の地下にあり、ホームは相対式2面2線構造で地下2階にある。、、、、京王新線は、ここから都営地下鉄新宿線に乗り入れ、馬喰横山まで直行。 馬喰横山駅(東日本橋駅)から浅草線に乗り換え、次の駅が我が家のある浅草橋。 便利で、楽だ! 

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