2023年1月22日 (日)

唐人お吉の町

昨日・今日、一泊二日で妻と伊豆下田に行ってきた。 昨日は爪木崎の水仙を見て、今日は下田の町歩き。



● 私が最初に伊豆に行ったのは、昭和35年(1960)、中学校の課外旅行である。 当時はまだ伊豆急は運行しておらず、建設中であった。 伊東駅から観光バスに揺られ、下田、石廊崎まで回った。 伊豆半島の道路は、現在のように整備されておらず、海岸沿いの曲がりくねった細い凸凹道を揺られて行った。 この時の記憶は、風が吹き付ける寒い石廊崎と、上下左右に揺れるひどいバス旅だったことぐらい。、、、、伊豆急の路線は翌年の昭和36年(1961)12月10日に全線が開業した。 以来、伊豆が好きになり、度々訪れている。 今回見に来た爪木崎に群生する水仙を見るのも二度目である。



● 特急「踊り子号」で東京駅から3時間弱、伊豆急の終着駅「伊豆急下田駅」は、静岡県内の鉄道駅では最も南に位置する。、、、、頭端式ホーム2面3線が、終着駅の雰囲気を演出し、いいね!

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● 下田駅から車で15分、爪木崎(つめきざき)に300万本の水仙が咲き誇る群生地がある。 本当に300万本あるのか、チョイト数えてみたくなるが、無理はせず!、、、、ところどころ、白いスイセンに混じって赤いアロエの花も咲いてる。 どうやら見ごろな時に訪れたようだ、“普段の行い”が良いのかな!

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● スイセンを見ながら岬の先へ行くと、無人の「爪木崎灯台」がある。 昭和12年(1937)に初点灯した高さ17m(海面からは38m)の灯台。、、、、灯台の先は、冷たそうな冬の海。 夕食の膳に出てきた、アワビ、金目鯛は、この海で生活していたのか?可哀そうに!

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●町歩きでは、高校の歴史で学んだ記憶はあるが、年代、登場人物、条約目など記憶が薄れた『黒船来航』時の、ゆかりの寺巡り。

・・・・・・・・・・ 「玉泉寺」(ぎょくせんじ)、、、、下田の町の中心からはチョイト外れた処にある、曹洞宗の寺院:玉泉寺。 山号は瑞龍山。 本尊は釈迦如来。 創建年代は不詳。、、、、幕末期にアメリカの総領事館として使用された寺で、初代総領事はハリス。 境内には「ハリス記念館」がある。、、、、【蛇足】年配の人なら知っている“ハリス・ガム”とは無関係!

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・・・・・・・・・・ 「了仙寺」、、、、寛永12年(1635)下田奉公今村正長によって創建された日蓮宗の寺。 嘉年7年(1854)日米和親条約が締結され、下田が開港、了仙寺はペリーと日本全権の交渉場所となり、日米和親条約下田追加条約が締結された。、、、、私が、昔、来た頃は境内に“秘宝館”のような施設があった。 当時は、大変興味深く学んだ思い出がある。 あれもこれも、日蓮の教えだったのか?

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・・・・・・・・・・ 「長楽寺」、、、、ペリーロードからチョイト脇の見晴らしの良さそうな小高い処にある大浦山長楽寺は、高野山真言宗の寺院。 創建は不詳だが、当初は薬師院長楽寺と号し、室町時代末期の弘治3年(1557)、真言宗の寺院として開山したそうだ。、、、、長楽寺は幕末の外交の舞台でもあり安政元年(1854)には権筒井政憲(旗本:目付、長崎奉行、南町奉行、大目付を歴任)・川路聖謨(旗本:佐渡奉行、普請奉行、公事方勘定奉行を歴任)とプチャーチン(ロシア使節海軍中将)との間で日露和親条約(日露通好条約)が締結され、安政2年(1855)には掛井戸対馬守等と米国使節アダムス中佐との間に日米和親条約批准書の交換が行われている。

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・・・・・・・・・・ 「宝福寺」、、、、宝福寺は浄土真宗本願寺派の寺院で、創建年代は不明である。 元々は真言宗の寺であったが、永禄2年(1559)に浄土真宗の寺となった。 嘉永7年(1854)に下田奉行が設置された際、当寺が一時奉行所庁舎となっている。 文久3年(1863)、土佐藩の元藩主山内容堂が当寺に滞在していた。 勝海舟は門人の坂本龍馬が犯した脱藩の罪の許しを乞うため容堂に面会、会談後に龍馬の罪は許されることになった。 寺には容堂に海舟が謁見したと言われてる部屋が残されている。、、、、総領事ハリスに仕え、のちに非業の死を遂げた本名:斎藤きち(唐人お吉)の墓があり、寺の「唐人お吉記念館」にはお吉所縁の品々を所蔵している。

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● ペリー提督一行が了仙寺で日米和親条約付録下田条約締結のために行進したのがこの道「ペリーロード」。 かつて出船入船三千隻とうたわれた港町下田の花柳界の面影を残しており、平滑川(ひらなめがわ)沿いを石畳の道が続き、伊豆石やなまこ壁の家並み、柳並木が独特の風情を醸し出しています。 了仙寺のほか、日露和親条約締結場所である長楽寺、あじさい祭で有名な下田公園もこの地区に位置しており、特徴的なお店も多く、たくさんの観光客の皆さんが集まる下田の代表的な観光スポット。、、、、このペリーロードは平成6年度「静岡県都市景観賞最優秀賞」を受賞した。、、、、川に柳、情緒あるね! 横丁から芸者が姿を現しそうだ!

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・・・・・・・・・・ 近くには、唐人お吉が晩年に料亭を営んでいた、なまこ壁の建物「安直楼」がある。 現在は中に入ることはできないが、今も残る風情あふれる佇まいは、幕末の下田を感じさせてくれる。

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● 一夜のお宿「ホテル伊豆急」から眺めた白浜海岸、、、、綺麗な砂浜がいいね!

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2023年1月20日 (金)

ちょっぴり旧日光街道

東武伊勢崎線梅島駅から北へ竹ノ塚駅まで、街道の面影が残っていない旧日光街道の“極一部分”を歩いて来た。 1万1千歩



● 前回の散歩の続きで東武伊勢崎線「梅島駅」で下車する、、、、梅島駅は大正13年(1924)10月1日に小菅・五反野両駅と共に、北千住駅と西新井駅の間に同時に追加開業した。 現在のホームは高架島式1面2線構造だが、やや特殊な構造をしており、ホーム中央から北側が下り線、南側が上り線で使用してる。 また、上下それぞれのホームで電車が停まる反対側は目くら壁となっている。 そのため、ホームの総延長は長く2編成分以上ある。

・・・・・・・・・・ 下り電車の先頭車両から降りると、最後尾車両の位置まで歩かないと階段がない、朝から疲れるね!

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・・・・・・・・・・ 階段はホーム中央にあり、階段の先には上りホームが見える。 ホームで待つ人は上下線でそれぞれ反対側を向いている。

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・・・・・・・・・・ 改札を出た駅前の道路は旧日光街道。 今日はこの道を旧街道の面影を探し、北へ向かって歩くことにした。

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● 駅前の電柱、目立つように『旧日光街道』の標示。 江戸時代の大名はこの道を歩き日光へ参拝したのか?

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・・・・・・・・・・ 梅島駅から50m程北に歩くと『梅島天満宮 入口』の立て看板が目に入る。 早速、“旧街道の名残”があった!、、、、と思いきや、「梅島天満宮」は、昭和23年(1948)に筑紫太宰府天満宮の宮司西高辻信氏により分霊遷宮して、梅島町会の鎮守神として梅島公園(梅島小学校地)に創建され、昭和41年当地に移転した。 旧街道とは無関係の、高架橋脇の小さなお社であった。 

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● 梅島三丁目交差点の角で、旧日光街道と交わる道路に「大正新道記念碑」がある。 故事来歴の説明はなく、ネットで調べても正体不明? 文字面からは、大正時代に造られた道を記念したものであろう。 チョイト大げさな記念碑だ!

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● 環七通りを越え足立区島根の町に入ると、旧街道沿いに唐破風の「大和湯」がある。、、、、旧街道沿いの銭湯で、昭和10年から営業してるそうだ。 歴史ある銭湯だが、旧街道の時代までは遡れない。、、、、入浴料金大人500円也

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● 島根4丁目の角、旧日光街道沿に「将軍家御成橋・御成道松並木跡」石標柱がある、、、、日光街道の西を流れる千住堀にかかっていた橋がかつてあった跡。 御成橋を渡ると葵の紋を許された国土安穏寺への松並木御成道となる。(現在、松並木はない)、、、、参道両側の題目塔には、「国土安穏寺」とあり同寺の参道入口を示している。、、、、やっと“旧街道”を忍ばせる遺構があった!

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・・・・・・・・・・ 題目塔に従い参道を入ると、日蓮宗の古刹「天下長久山 国土安穏寺」がある。 創建は、応永17年(1410)、開山は日通聖人、開基は千葉太郎満胤である。、、、、 江戸時代に、将軍秀忠および家光が、当所巡遊の折の御善所となり、八世日芸聖人の大宇都宮釣天井予言の功により、寛永元年(1624)、現寺号を賜り、徳川家祈願所位牌安置所となる。 よって安穏寺は、葵の御紋の使用が許されている。、、、、 現在の諸堂は、鐘楼を除き、昭和以降の造営である。 本堂の左手前には家光お手植えの松がある。

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● 続いて足立区島根4丁目に参道入口がある、昨年も訪れた「島根鷲神社」。 ここに、旧日光街道の名残はあるか?、、、、島根村は徳川将軍家の鷹狩場であったことから歴代将軍の参詣があった。 ここにも、3代将軍家光のお手植えの松があったが、天保年間(1830~1845)に惜しくも枯れてしまったそうだ、残念!、、、、【親切な注】社名の“”は、「おおとり」ではなく「わし」と読む。 台東区千束の“鷲神社”は「おおとりじんじゃ」と読む。

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● 再び旧日光街道に戻り歩くが、昔を語る遺構・遺跡・寺社は見つからない!

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・・・・・・・・・・ 今日の散歩はココまで、高架化工事の進む竹ノ塚駅から帰宅!

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2023年1月18日 (水)

綾瀬の五兵衛

今日の散歩は、北風がチョイト吹く寒い朝、綾瀬駅から北西へ、綾瀬川を越えて五反野駅をとおり梅島駅まで、1万歩の散歩。



● 「綾瀬駅」はJR常磐線と東京メトロ千代田線の駅。、、、、常磐線は昭和18年(1943)に追加開業した駅。 昭和46年(1971)には常磐線の複々線化とともに地下鉄千代田線が乗り入れ、以後は営団(現:東京メトロ)が管理する駅となった。 ホームは基本的に高架島式2面3線構造だが、3・4番線ホームの東寄りには北綾瀬支線が使用する欠き取りホームの0番線がある。 改札口は西出口と東出口の2ヶ所で、いずれも1階にある。、、、、コロナ前までは、JRと東京メトロ合わせて、一日当たり40万人程が乗降する駅。 都内で利用者の多い駅の一つだ! 

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● 綾瀬駅西口から北西に150m程入った裏通りに丁目に、庭の手入れが行き静かな真言宗豊山派の「観音寺」(足立区綾瀬4)がある。 観音寺は稲荷山蓮華院と号す。 観音寺は、賢智上人が開山、当地を開拓した金子五兵衛(法名開田院)が開基となり、17世紀初頭に創建された。 境内には五輪塔形式の金子五兵衛の墓がある。、、、、また、慶応4年(1868)3月には江戸から退却する新撰組の一隊(当時は甲陽鎮撫隊)が近くの金子家とこの観音寺に宿泊した。 新政府軍も伊藤谷橋まで進出し戦闘が始まろうとしたが、新撰組は流山に撤退した。

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● 観音寺の北隣には「綾瀬稲荷神社」が鎮座する。 綾瀬稲荷神社の創建年代は不詳だが、金子五兵衛が開拓した五兵衛新田の鎮守社であったといい、明治7年(1874)に五兵衛神社と改称し、さらに昭和42年(1967)にはこの地の地名が“五兵衛町”から“綾瀬”に改称し、社名も綾瀬稲荷神社と改称した。、、、、昭和57年の建立の拝殿奥にある本殿は、天保14年(1843)築造の総欅造りの建物。

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● 綾瀬稲荷神社の北側に、地元の名家「金子家」がある、、、、幕末の動乱期、金子家に新撰組の1隊の甲陽鎮撫隊が半月余りに渡って滞在していたと言われている。 新選組関連の資料が多く残されているそうだ。、、、、五兵衛新田の開拓者の1人、金子五兵衛の館

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・・・・・・・・・・ オヤ? 近くに「金五建設」なる会社があった!、、、、こちらも、“
兵衛”に関係あるのか???

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綾瀬川に架かる「五兵衛橋」を渡る、、、、橋名は、この辺を開拓した金子五兵衛に由来する。 江戸時代の初期、金子五兵衛は数人と共に武蔵国入間郡金子村(現埼玉県入間市)から転入して開拓をはじめ、一帯はその名をとって五兵衛新田村と呼ばれた。 寛永年間(1624~1644)に綾瀬川が現在の内匠橋から伊藤谷橋あたりまで新川として開削されたため村は東西に分断された。 幕府は、代償として長さ12間、幅9尺の土橋「
五兵衛橋」を設置した。 その後、五兵衛橋は何度か架け替えられ、現在は平成10年(1998)に架けられた人道・自転車道専用の橋となっている。 (昭和61年(1986)、下流側に都道467号を通す「五兵衛新橋」が架かる)

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・・・・・・・・・・ 五兵衛橋から綾瀬川を見ると、水面は周囲の住宅の床面よりかなり高い! 明らかに、“0メートル地帯”である!、、、、堤防が崩壊すると、怖いね!!

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・・・・・・・・・・ 綾瀬川沿いの足立区立弘道小学校の校舎の外壁に、氾濫時の予測最高水位(青い線)4.2mが示されている。 予測どうりだと校舎の1階は完全に水没する! こんなものを見てると一層怖くなる!

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・・・・・・・・・・ しばらく歩いて梅島駅近くの電柱が目に入る、目線の位置には『想定浸水深 最大5.0m 赤いテープの位置』の標示、その赤いテープは電柱の上、首を空に向けるとアッタ! 住宅の2階まで完全に水没、南無阿弥陀仏

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・・・・・・・・・・ 五反野駅(足立区足立3)付近では、『想定浸水深 最大5.5m 』、、、、平屋、2階建てに住む人は、死を覚悟、ア~メン

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● チョイト恐怖に怯えながら「五反野駅」前を通過、、、、歩きながら考える、、、、この駅もイザとなったら、改札は水没、泳いで高架ホーム辿り着けば助かるかも?

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● 東武伊勢崎線の高架沿いに歩いて「梅島駅」に到着。 川が氾濫しないことを願いつつ帰宅する。

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