茗荷谷~浅草橋
地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅から、浅草橋の我が家まで、1万5千歩、11Kmの散歩です。
①拓殖大学本館・・・・・・・・・・・茗荷谷駅に近い「文京キャンパス」に、昭和7年(1932)に竣工した、設計:加護谷祐太郎、施工:大倉土木(現:大成建設)、鉄筋コンクリート造3階建ての大学本館(現:A棟)がある。・・・・・・・・拓殖大学の前身は、明治33年(1900)に、桂太郎(元総理大臣)により台湾開発のための人材育成を目標に設立された台湾協会学校だ。大正7年(1918)に拓殖大学と改称した。・・・・・・・・平成17年(2005)の改修工事において、竣工時の概要が書かれた板が発見された。それによると、当時の建設費は133,259円で、工事には延べ25,000人を要したそうだ。・・・・・・・・・・現在実施中の「拓殖大学ルネサンス事業」の中心的建物として、綺麗に改修された。
②旧東方文化学院・・・・・・・・・東方文化学院は、明治33年(1900)に清国で起きた義和団事件の賠償金で建てられた、国立の東洋学・アジア学の研究機関です。建物は東大の内田祥三の設計により、昭和初期に流行した鉄筋コンクリート造の建物に和風の瓦屋根を載せた和洋折衷の帝冠様式で、昭和8年(1933)に建てられた。屋根には鴟尾(しび)が飾られ、内部は大理石を貼った重厚な建物だ。・・・・・・・・・・戦後は、外務省の研修所として使用し、平成14年からは拓殖大学が取得し、「拓殖大学国際教育会館」として利用されている。・・・・・・・・・先日の降雪のため、玄関の屋根瓦が落ち補修中であった。
・・・・・・・・・・・以下の3枚は、数年前に内部を見学した時の写真です。
③鼠坂・・・・・・・・・・拓殖大学の在る“小日向”の高台から、鳩山会館前の“音羽”に下る細い坂。都心の裏道の坂としては、やたら長い!・・・・・・・・・・『鼠坂の名の由来について、「御府内備考」には「鼠坂は音羽五丁目より新屋敷へのぼる坂なり、至てほそき坂なれば鼠穴などといふ地名の類にてかくいふなるべし」とある。森鴎外は「小日向から音羽に降りる鼠坂と云う坂がある。鼠でなくては上がり降りが出来ないと云う意味で附けた名ださうだ・・・人力車に乗って降りられないのは勿論、空車にして挽かせて降りることも出来ない。車を降りて徒歩で降りることさへ、雨上がりなんぞにはむづかしい・・・」と小説「鼠坂」でこの坂を描写している。』と案内板に書かれている。
・・・・・・・・・・・・上から見下ろすと
・・・・・・・・・・・・下から見上げると
・・・・・・・・・・・・坂の途中から入る御宅は、、、、、、大きな御影石が、いいアプローチを演出しているね。
④今宮神社・・・・・・・・・目白坂下交差点の裏に、今宮神社がある。元禄10年(1697)に五代将軍徳川綱吉の生母:桂昌院の発願により、護国寺建立に際して京都紫野の今宮神社から分霊を勧請したことを創祀とする。・・・・・・・・音羽の町内鎮守で、扁額は内閣総理大臣:鳩山一郎の筆。 ひょっとすると、宇宙人の鳩山由紀夫と、トキの剥製の鳩山邦夫、両兄弟もこの神社で遊んだかも?
⑤八幡坂・・・・・・・・・今宮神社の横から上がり、鳩山会館の裏手の小日向2丁目に出る坂。
⑥国際仏教学大学院大学・・・・・・・・文京区春日の徳川慶喜屋敷跡建つのは、平成8年(1996)開校した国際仏教学大学院大学だ。この大学は、霊友会の国際仏教学研究所を基礎として設立された。定員は20名で、5年制の博士課程だけで、日本で一番小さい大学らしい。・・・・・・・・・・大正2年(1913)に、慶喜はこの地で没した。・・・・・・・・建物は。槇総合計画事務所の設計、竹中工務店の施工で、平成22年(2010)に竣工した。・・・・・・・・・まだ、新品なので綺麗な建物だ! 学生20名ではもったいないね!
⑦第2後楽園アパート・・・・・・・・・・・地下鉄後楽園駅の南側に寄り添うように建つ、昭和33年(1958)竣工の都営住宅。総戸数24戸。・・・・・・・・・・今でこそ、ありふれた建物に見えるが、戦後10年の当時ではモダンであったに違いない。近代建築のはしりであろう!
・・・・・・・・・・駅の北側には近代的なデザインで、総戸数32戸の第1後楽園アパートが在る。(写真は昨年4月撮影)