谷中七福神
今日も天気良し、夫婦で「谷中七福神」に行ってきた。田端駅から御徒町駅まで、1万4千歩、10kmの歩き。、
「谷中七福神」は、北の田端駅近くの東覚寺から、南の上野不忍池の弁天堂まで、“上野台地”に沿って点在する7寺院の七福神を巡る。 “江戸最古の七福神”の謳い文句を見て、我が家でも行ってみようか!
①東覚寺(福禄寿)・・・・・・・・・延徳3年(1491)に創建された真言宗豊山派の寺院で、慶長年間に現在地(北区田端)へ移転した。・・・・・・・本堂前に行列ができ、私も並んで手を合わせてきたが、“福禄寿”が見えない! “きっと、仏壇の奥に安置され見えないのだ”と思い寺をあとにした。 帰って、調べてみたら寺務所に祀られていたそうだ! 残念、見逃してきた!
②青雲寺(恵比須)・・・・・・・・・JR西日暮里駅の西側に位置する、臨済宗妙心寺派のの寺院。・・・・・・・・・・重層造の本堂は昭和35年(1960)に建てられた。・・・・・・・・恵比須さんは本堂正面に祀られていた。 大きな鯛を小脇にかかえ、見慣れたスタイルの像だ。
③修性院(布袋)・・・・・・・・・・青雲寺の近くに、天正元年(1573)に創建された日蓮宗の修性院がある。・・・・・・・・鉄筋コンクリート造の本堂に、御本尊と並び布袋尊は祀られていた。 参詣客の中には、御本尊に手を合わせず、脇の布袋尊だけに手を合わせる人もいたが、できれば御本尊には手を合わせてほしいね!
・・・・・・・・・・・修性院の塀には布袋さんが描かれている。塀の横を曲がると、富士見坂があり、坂の上には諏方神社がある。
④経王寺・・・・・・・・・谷中は“夕やけだんだん”を上がった角に経王寺がある。明暦元年(1655)創建の日蓮宗の寺院で大黒山と号し、境内の大黒堂には日蓮上人作という大黒天が祀られている。この大黒さまは、“旧谷中七福神”のひとつだが、現在は“谷中七福神”から外されているため訪れる人も少なく、大黒堂の扉は小さく開けられているだけだ。・・・・・・・・・大黒さまが悪さをしたとは思えないし、なぜ、外されたのか?
⑤日暮里駅南口・・・・・・・・・・とんがり帽子の駅舎は日暮里駅南口。日暮里駅のメインの改札は北口で、南口は喫煙コーナーのある愛煙家向けの出入り口だ!・・・・・・・・・とんがり帽子を見ると唄いたくなるのは、美空ひばりが唄う昭和22年(1947)ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌 ♪♪ 緑の丘の 赤い屋根 とんがり帽子の 時計台 鐘が鳴ります キンコンカン メイメイ子山羊も ないてます 、、、 ♪♪
⑥天王寺(毘沙門天)・・・・・・・・・鎌倉時代に創建した、護国山天王寺。創建時は日蓮宗の寺院であったが、後に、天台宗に改宗した。江戸時代には富くじ興行が許可され賑わっていたが、幕末上野戦争では、寺に彰義隊の分営が置かれたことから、本坊と五重塔を残して堂宇を全て焼失した。さらに昭和32年(1957)の放火心中事件で五重塔を焼失した。・・・・・・・・・・毘沙門堂の奥にシルエット姿で祀られている毘沙門天。
⑦長安寺(寿老人)・・・・・・・・・・・臨済宗妙心寺派寺院の長安寺は、江戸時代中期の正徳2年(1712)に長安寺の寺号が認められ、谷中の現在地に創建された。・・・・・・・・・・さほど大きくない寺院だが、屋敷風の建物の梁上に安置されてる寿老人は、下から拝みあげるので貫録十分! 御利益ありそう?
⑧護国院(大黒天)・・・・・・・・・・東京藝大と上野高校に挟まれた寺院が護国院だ。護国院は寛永寺の子院で、寛永元年(1624)に現:国立博物館の近くに開創した。宝永6年(1709)に現在地へ移転した。・・・・・・・・三代将軍家光から贈られたと伝えられる大黒天画像が谷中七福神の一つとなっているが、本堂で手を合わせるのは仏像だ。 アレ、絵じゃないの? どうでもエーか。
⑨不忍池弁天堂(弁才天)・・・・・・・・・弁天堂は東叡山寛永寺の一つで、琵琶湖に見立てた不忍池の中に、竹生島を模した不忍池弁天堂がある。・・・・・・・・ものすごい行列にビックリ。 蛇は弁才天の使いなので、巳年の弁才天詣では、財産を呼び込んでくれるそうだ。・・・・・・・・弁天堂に祀られている弁才天は、賽銭箱から遠く、参詣客も多く、弁才天の顔を見る余裕もなく、お別れ!
●・・・・・・・・・・・・元日の「深川七福神」と今日の「谷中七福神」で、合計十四福神を巡る。今年は御利益を、大いに期待しよう!
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