大塚~茗荷谷
JR大塚駅から文京区千石をまわり地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅まで、1万2千歩、8kmの散歩です。
①大塚架道橋・・・・・・・・・・都電大塚駅前停留所の東隣りにある山手線の架道橋。大正12年(1923)頃に竣工した。橋脚の煉瓦は、よく見ると3つに分割されている、おそらく、この区間の線路を複々線化するために増設したものであろう。・・・・・・・・・・駅前の交番も近くにあり、壁に落書きをする人も少ないせいか、煉瓦が綺麗な状態で積まれている。
②大塚三業地・・・・・・・・・大塚駅から東に徒歩5分行くと“大塚三業地”(三業=芸妓置屋+待合+料亭=花柳界)がある。 大正8年(1919)に誕生し、昭和初期には600名の芸者がいた。 今や都内の花柳界の多くは消えていったが、ここ大塚は芸妓を仕切る見番も残っており、数件の料亭と数人の芸者となったが健在だ。 メインの通りは「大塚三業通り」として花街であることを誇示している。
・・・・・・・・・・・大塚三業組合・・・・・・・・見番
・・・・・・・・・・・料亭・・・・・・・・検番を中心に点在する。一部は廃業した店も。
・・・・・・・・・・ホテル街(?)・・・・・・・“待合”はなくなり、数軒のホテルが“待合”替わり
・・・・・・・・・・三業地に、なぜか多い性病科の医院もある。近くには銭湯もあるよ。
・・・・・・・・・・・やはり花柳界、日本舞踊の御師匠さんの看板もあった
③外灯・・・・・・・・・角材にブリキの傘をかぶった電球・・・・・・・・懐かしさに引かれパチリ
④天理教本羽分教会教職舎・・・・・・・・・・・・文京区千石に建つ、大正3年(1914)建築の洋館。この建物の由緒は不明。・・・・・・・・・玄関回りの太い柱が印象的な建物だ。
⑤I邸・・・・・・・・・・・こちらは千石の住宅。 昭和5年(1930)建築。・・・・・・・チョット見では、昭和初期の建物と思えないほど手入れも良く、古さを感じない。
⑥伊勢五・・・・・・・・・・・江戸時代から続く米屋さん。建物は、明治初頭の建築で、往時の町家の姿をよく留めていることで、国の登録文化財に指定されている。
⑦進開屋・・・・・・・・・・・千石2丁目に、昭和初期に建てられた、蕎麦屋さん。こちらも国の登録文化財。・・・・・・・・・・美味しそうな、ダシの匂いが、食べたくなったが開店前。 残念!
⑧都バス大塚車庫・・・・・・・・・地下鉄茗荷谷駅の隣りにある、昭和3年(1928)頃に建てられら東京市電の車庫。・・・・・・・・・・都電16系統(大塚駅前~錦糸町駅前)を運行していたが、昭和46年(1971)に廃止となり、以後都バスの車庫となっている。・・・・・・・・・昭和35年(1960)前後、私は通学のため16系統の都電で春日町~厩橋間を利用していた。そんなわけで、なんとなく、親しみのある車庫だ!
●・・・・・・・・・・・・無意識のうちに、玉の井、荒木町、神楽坂、大塚と、散歩のたびに、何やら似たような処を歩き回っていた。 明日はどちらへ行くか、反省!
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