玉の井
京成押上線の八広駅から浅草橋まで歩くつもりで、八広駅からスタートしたが、路地裏を歩いていたら、旧玉ノ井の私娼街跡に出てしまった。 ナント、その頃の建物が壊され更地になっている! 他にも消えた建物はないか? 心配になり調査を開始したため、タイムアウトで東向島駅までの散歩となった。1万歩、7km。・・・・・・・・・空から白いものも落ちてきた、寒いはずだ!
①尖塔のある建物・・・・・・・・八広小学校前の陸橋から東向島方向を眺めると、3階部分に擬宝珠(ぎぼし)のある銅版葺きの尖塔が載っている、“アリャ何だ?”以前から気になっている家がある。・・・・・・・・・・向かいの家の人に聞いてみたが、“だいぶ前からあるよ、デモ何だろね?”の答え。
②墨田聖書教会・・・・・・・・・・・・昭和29年(1954)に創設された、プロテスタント(日本オープンバイブル教団)に属する教会。・・・・・・・・・第二次大戦後、間もなく、アメリカのオープンバイブルスタンダード教団より、派遣された宣教師によって昭和25年(1950)に家庭集会がスタートした。翌昭和26年(1951)に米軍のカマボコ兵舎を利用した会堂が、地元のクリスチャンの協力のもと建てられ、現在も、そのまま会堂として使用している。・・・・・・・・・兵舎をリノベーションした珍しい、可愛らしい、小さな教会だ!
③玉の井・・・・・・・・・・「玉の井」が大私娼街となったのは、大正12年(1923)の関東大震災がきっかけだ。当時、浅草に千軒あったと言われている銘酒屋街が壊滅し、亀戸、玉の井などに分散移転した。 震災当時の玉の井は低湿地で、移転した家は空き地に勝手に家を建てるありさまで、結果、迷路のような入り組んだ路地が形成され、現在もそのままだ。戦中は500軒程の店が、いろは通りの南北に在ったようだが、戦災で南側は焼け、戦後は北側を中心に営業していた。昭和33年(1958)の売春防止法施行により、消えた街だ!・・・・・・・・・街が消え、50年以上経ち、当時の建物も自然消滅しているようだ!
・・・・・・・・・・・明かりの灯るいろは通り
・・・・・・・・・・・“玉の井”の目抜き通りに残る店
・・・・・・・・・・・・円柱と丸みある軒先でデザインされた特徴的な私娼街の家
・・・・・・・・・・・・小さなタイルで外壁を飾るのも私娼街の家の特徴だ
・・・・・・・・・・・・角を欠き、玄関にするのも特徴の一つ。ここにも丸みある軒が!
・・・・・・・・・・・・向かいの家も軒に丸みが
・・・・・・・・・・・・嵌め殺しの窓枠にも飾りがつけられ、円柱とコラボする
・・・・・・・・・・・・迷路のような路地裏にもモダンな住宅が建ち私娼街の面影は消えた。不揃いの道幅も徐々に広げられるようだ!
・・・・・・・・・・・・路地裏の駄菓子屋さんもモダンな建物に変身
・・・・・・・・・・・・路地を突っ切った先には、スペイン瓦がアクセントをつけ、遊郭を連想させる銭湯「隅田湯」が・・・・・・・・・なぜか、街の中心部分に銭湯がある私娼街は多い
・・・・・・・・・・・いろは通りの中程から北側に折れると、娼婦達の駆け込み寺であった東清寺がある。玉の井稲荷でもある。・・・・・・・今は近代的な寺になり、チョイト寂しいね!
・・・・・・・・・・・玉ノ井駅(現:東向島駅)といろは通りの中間で開業していた犬猫病院の「城東獣医科」。看板は全て取り去り、空き家のようだ。
●・・・・・・・・・お客として通った街ではないが、当時の面影を残す家の多くは消えた、残る建物も朽ちていく、寂しいね!・・・・・・・・・私娼街であっても、そこには人間の営みがあったはず、文化遺産として、ぜひ残したいね! もう遅いかも?
④隅田川・・・・・・・・・・・・・・・東武電車から
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