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2013年2月

2013年2月28日 (木)

柴又帝釈天

今日は久しぶりに天気も良く、暖かな日なので、夫婦と、90歳に近い母の3人で柴又の帝釈天詣でをしてきた。

京成金町線 ・・・・・・・・・・帝釈人車鉄道として、柴又~金町間が開通したのは明治40年(1907)。5年後の大正2年には、高砂~柴又間が電車として開業した。この10年後に、私の母が誕生したので、電車の方が古い!・・・・・・・・・・日中の電車は空いているので、年寄りを連れて歩くには楽だ! でも、口が達者で、話しをするとコンチクショウだ!

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②帝釈天参道・・・・・・・・・・帰りに、どこで、何を買うか、品定めをしながら、寺へ向かう奥様。・・・・・・・・参道のお店も、チョコチョコ手を加えているようで、30年、40年前と比べると、かなり綺麗になったようだ!

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帝釈天・・・・・・・・・日蓮宗の寺で、正式名称は経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)である。・・・・・・・・・・半年ぶりの参拝、“向う一年よろしくお願いします”

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山本亭と寅さん記念館 ・・・・・・・・・母も見学。 寅さんには、バス旅行のたびに車中でビデオを見せられたらしく、懐かしそうに御対面!

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・・・・・・・・・・・・寅さん記念館前に昨年12月オープンした「山田洋次ミュージアム」も拝見!映画『男はつらいよ』シリーズの山田洋二監督が手がけてきた作品が紹介されている。・・・・・・・・・規模は小さく、寅さん記念館の付属施設のようにも見えてしまう。もうチョイト大きくてもいいかな?

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⑤帰りはお買いもの・・・・・・・・・・・母と妻の二人が買い物、持つのは私だ! 母を連れてくると、必ず帰りは手荷物が増えるので、コノヤローだ!

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2013年2月27日 (水)

平井~八広

午後3時過ぎの散歩、総武線の平井駅から、京成押上線の八広駅まで、1万歩、7kmです。

旧中川 ・・・・・・・・・・墨田区と江戸川区の区境を流れる旧中川・・・・・・・・中国からのPM2.5の影響ではないと思うが、景色がぼやけている。・・・・・・・・水門は木下川(きおろしがわ)排水機場

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②平井住宅・・・・・・・・・地図を見ると一目瞭然だが、この住宅団地(財務省所管の合同宿舎)は木下川排水機場の東側の旧中川を埋め立てた上に建っている。7棟の建物は川筋に沿いカーブを描いて並んでいる。昭和58~59年(1983~1984)の建築、RC5階建て、総戸数210戸。

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③東墨田の皮革工場・・・・・・・・・・荒川の右岸、墨田区東墨田三丁目の周辺は、戦前の下町の面影が残る町並みで、ここは皮革工場の街でもある。

・・・・・・・・・・・・大田区の工場地帯とは、チョイト雰囲気が違うぞ! 機械油の匂いはない、防腐剤か(?)、消毒薬か(?)、何か変な臭いだ! チョイト、気味悪い雰囲気だ!

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・・・・・・・・・・・・・トラックから下ろされいたのは、豚の皮だ! 内臓、肉をとられ、毛が付いた皮の部分が、籠に入れられてる! 一籠に100匹分以上ありそう、、、、、

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・・・・・・・・・・・・浅草にあった皮革業者が明治時代に、この辺りに強制移転させられ誕生した街だそうだ。豚皮のなめしでは全国シェアの70%程を生産している。

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・・・・・・・・・・・・・洗ったのか? 蒸したのか? 綺麗に積まれた皮、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・工場の2階では吊るされ、干されている皮、、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・加工工程で出てくる、廃材(大きなバームクーヘンみたいだ)は乾燥し、家畜の餌になるそうだ!

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・・・・・・・・・・・・この辺の工場は、“3K”の職場ということで、外国人労働者が労働力の担いてとなっている。・・・・・・・・・・近くには、「都立皮革技術センター」もあり、技術向上に努めているが、担い手は少ないようだ。

●おまけ・・・・・・・・ど根性ヤツデ・・・・・・・・・・・・・我が家(浅草橋)の近く、銀杏岡八幡神社の塀から出ている、“ど根性ヤツデ”。・・・・・・・・・そのうちTV出演するかも?

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2013年2月25日 (月)

梅屋敷~大森

梅屋敷駅から、京急線とJR線の間を、東へ行ったり、西へ行ったり、南へ戻ったりして、北上しJR大森駅まで、1万3千歩、9kmの散歩です。

①梅屋敷駅・・・・・・・・・・明治34年(1901)に開業・・・・・・・・・昨年10月高架化工事が完了し、駅前の踏切はなくなった。 まだ、仮の地上ホームの一部が残っているが、改札・コンコース部分の工事が施工中であり、近いうちには撤去されるであろう。

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②都営大森西三丁目アパート・・・・・・・・・・・・昭和44年(1969)の建設、総戸数282戸で、間取りは2DK(32㎡)。 “いざなぎ景気”の頃で、都営団地の高層化のはしりだ!

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③池田荘・・・・・・・・・大森の下宿屋さん(?) 間取りは4帖半の和室一間で、家賃3万也。・・・・・・・・戦後の建物だと思うが、趣きある玄関上の看板、大きな1枚ガラスのドア、踏み込みのタイル貼り、気にいった!

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④澤田橋・・・・・・・・・・環状七号線沿いの、浅間神社(大森西)横に澤田橋の親柱が立っている。おそらく、現在歩道となっている部分に、かつて用水路が流れていたと想像できる。 橋は昭和12年(1937)に竣工した。・・・・・・・・このあたりは、「大森村澤田」と呼ばれ、古くから浅草海苔の産地であったらしい。 今は海岸から遠く、磯の香もない処だ。

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⑤M邸・・・・・・・・・・・昭和4年(1929)に建てられた、木造2階建ての住宅。国の登録有形文化財。・・・・・・・・・・・個人住宅なので外からチラリ!

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⑥鈴木質店・・・・・・・・・・・・歴史の在りそうな質屋さん。シッカリした倉は一級品!

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⑦大森北の裏道・・・・・・・・・・長い、長~い裏道が多い町だ。

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⑧G邸・・・・・・・・・スパニッシュ風の建物。年代不詳。現在は住宅のようだが?

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⑨しのはら・・・・・・・・・以前は司法書士事務所だった建物を改築したそば屋さん。建物は昭和初期の建築。外壁はスクラッチタイル貼り、内部には金庫がオブジェとして客室に鎮座しているそうだ。

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⑩大森北の街路灯・・・・・・・・・・・

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⑪あらがや・・・・・・・・・・大森駅前商店街近くにあった、元クリーニング屋。 丸いデザインの屋号「あらがや」、「DRY CLEANING」、青いタイル、、、、、いいね!

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2013年2月24日 (日)

東京マラソン

今日は東京マラソンの日。我が家(浅草橋)を挟み、南の日本橋浜町から、北の浅草雷門まで、準備状況を視察した。1万1千歩、8kmの歩き。  10時半過ぎには、浅草橋付近通過を夫婦で応援した。

①東京マラソン・・・・・・・・・・・・・・・・

●8時・・・・・・・・そろそろボランティアの集合時間のようだ。駅前は静かだが、歩道には人の塊が!

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●8時半・・・・・・・・・・浜町明治座前ではミーティング開始。横では仮設トイレの設置作業中。 婦人警官も配置についたようだ。

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●9時・・・・・・・・・・・そろそろ、準備作業開始。道路標識も一時目隠しを!

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・・・・・・・・・・・・・浅草橋交差点も車が少ない! 京葉道路はガラガラ状態。

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●9時半・・・・・・・・・・・・蔵前交差点でも、警察官が待機中。

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・・・・・・・・・・・・・・給水・給食も準備中。クリスタルカイザーとドール・バナナだ!

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・・・・・・・・・・・・・応援場所も早々確保!

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・・・・・・・・・・・・・駒形橋交差点では、車両通行止めに! TVカメラも道路の中央に移動。

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●10時・・・・・・・・・・雷門前は人、人、人、、、、

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●10時半・・・・・・・・・・・車いすランナーが浅草橋を通過

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・・・・・・・・・・・・・先導する白バイが通過し、先頭集団が続く!

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・・・・・・・・・・・・・後続も通り過ぎる

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●10時45分・・・・・・・・・・・女性ランナーが通過

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・・・・・・・・・・・・ボランティアの人も、審判員も、一生懸命!

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・・・・・・・・・・・・一般市民ランナーも走りすぎる

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・・・・・・・・・・・・応援の人の背を眺めて、我が家へ戻る

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②日本橋教会・・・・・・・・・・・明治座の前に建つ日本基督教団日本橋教会。明治12年(1879)、日本橋区革屋町(現:室町)で創立し、昭和16年(1941)以降は日本基督教団に属している。建物は昭和60年頃に建てられた。・・・・・・・・・・小柄な、清楚な感じの教会、日曜礼拝の前にチョイト内部を拝見した。

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③栄マンション・・・・・・・・・・・こちらも、明治座の近くに、昭和36年(1961)に建てられた、鉄筋コンクリート造5階建て、チョイ古のマンション。・・・・・・・・・当時、“マンション”という言葉があったのか?

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●・・・・・・・・・・・・・・・寒い一日だった。

2013年2月23日 (土)

雑色~梅屋敷

京浜急行雑色駅から、多摩川に出て、糀谷駅前を通り、梅屋敷駅まで、1万4千歩、10kmの散歩です。

①雑色駅・・・・・・・・明治34年(1901)に京浜電気鉄道の駅として開業した。平成22年(2010)に上りホームを高架にし、昨年下りホームを高架にした。現在は、高架下に駅を整備中だ。また、これまでの地上部分の線路敷きについても整備中。・・・・・・・・読みの難しい駅名「雑色(ぞうしき)」の由来だが、“開業当時の地名”と解説されていた。何かしっくりしないね!  辞書では、“律令制における品部(しなべ)・雑戸(ざっこ)の総称”とのこと、つまり昔の下級役人のことらしい。 このあたりに、下級役人の官舎でも在ったのか?

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②六郷神社・・・・・・・・天喜5年(1057)源頼義、義家が奥州平定の後、戦勝のお礼に創建したらしい。・・・・・・・・・・六郷地区の総鎮守で、昭和62年(1987)造営の社殿も立派だ。

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・・・・・・・・・・・・・梶原景時(平安時代~鎌倉時代)寄進といわれている太鼓橋。

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・・・・・・・・・・・・・貞享2年(1685)に奉納された大田区内最古の狛犬。狛豚みたいだ(失礼)・・・・・・・・・去年話題になったスペインのおばあちゃんが修復した、教会のキリスト絵を思い出した。

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③多摩川土手・・・・・・・・・・・チョイ寒の中、散歩の人も、ジョギングの人も、、、、、

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六郷水門・・・・・・・・・昭和6年(1931)に完成した水門。

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⑤近藤医院・・・・・・・・・・大田区西糀谷の医院。昭和40年代の建物か? 押し出し式の連装窓、水平に出た庇、庇を支えるV形の鉄パイプの支柱、2階には産科の病室を連想させる窓、、、、つい最近までどこにでもあった診療所の建物だが、今や懐かしい建物になってきた。・・・・・・・・・ちなみに、こちらの医院をネットで検索すると、土曜日午前と水曜日午後のそれぞれ2時間のみ開院しているそうだが、今日(土曜日)は休診の札が出ていた。

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⑥糀谷駅 ・・・・・・・・・・平成22年(2010)、上り線(蒲田方面行)ホームが高架化し、昨年の10月からは下り線(羽田方面行)も高架化された糀谷(こうじや)駅周辺。・・・・・・・・つい数か月前までは踏切であった場所からレールが消えた! また、“昭和”が消えた!

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⑦西糀谷商店会の老舗?・・・・・・・・・・・旭屋米店、理容ハセ川、うなぎどじょう川松

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⑧蓬莱橋・・・・・・・・・・昭和29年(1954)に竣工した、呑川(どんかわ)に架かるゴク普通の橋。

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⑨梅屋敷公園・・・・・・・・・・・・第一京浜国道と京浜急行線に挟まれた、小さな公園だ。・・・・・・・・・江戸時代に薬屋の山本久三郎が、梅を始めとする多くの木を植え、茶屋を開いたことが起源で、明治天皇も9回行幸した処だそうだ。・・・・・・・・昭和8年(1933)には「明治天皇御聖跡地」として保存指定を受け、昭和13年(1938)敷地と園内の建物一切を東京市へ寄付された。その後、公園として開園されたが、平成19年(2007)頃より公園の半分が更地として京急蒲田駅付近連続立体交差化事業の工事用地となった。只今、京急の工事も終了し、公園の復元工事中だ。・・・・・・・・しかし今後、第一京浜国道の拡幅工事が計画されており、またまた、半分ほど削られる予定らしい。・・・・・・・どうなるのか?

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⑩美味しそうなので・・・・・・・・・・・・

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2013年2月22日 (金)

中野~荻窪

4カ月毎の眼科の定期検診で中野の警察病院へ行くのを兼ね、中野駅から荻窪駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。

中野駅北口再開発 ・・・・・・・・・警察大学校跡地の「中野四丁目地区再開発」や、駅前の整備、中野区役所+サンプラザの取り壊しと一体開発など、賑やかに街造りを実施中。

・・・・・・・・・・・・中野駅北口・・・・・・・・現在は改札口がチョイト東京寄りになったぐらい、駅前にはサンプラザ・区役所の方に向かう中野通りを横断する跨道橋が、昨年5月に造られた。・・・・・・・・・駅の改良はこれで終わらず、現ホームの西の端に西口自由通路(?)が計画され、高架ホームの上に駅舎が造られ、南北の歩行者通路ができるようだ。

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・・・・・・・・・・・・・駅前のサンプラザと中野区役所・・・・・・・・・両方の建物を合わせ2万㎡の面積を有する再開発だ。平成27年(2015)以降に取り壊しかな?

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・・・・・・・・・・・・NTTドコモ中野ビル・・・・・・・・・・中野区役所前に鎮座する、昭和51年(1976)竣工、地上18階、高さ115mの、かつての電電公社の局舎だ。

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・・・・・・・・・・・・中野セントラルパーク・・・・・・・・・昨年竣工した警察大学校跡地の再開発ビル。

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・・・・・・・・・・・・警察大学校跡地に建つ大学3校・・・・・・・・・建築工事はほぼ終わり、今春の開校準備中は、明治大学(写真奥)に帝京平成大学(写真手前)。 来年開校予定で工事中は早稲田大学。

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・・・・・・・・・・・・東京警察病院・・・・・・・私を診てくれる病院。お世話になっています。

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・・・・・・・・・・・・かつての警察大学校・・・・・・・・・再開発地域の中央に「中野四季の森公園」が造られている。そこに、中野警察大学校跡地の写真があった。・・・・・・・・・・・・右下の中野駅の正面の空き地にサンプラザと区役所が建ち、中央チョイ下の小さなビル付近にNTTドコモ、中央の細長い校舎3棟の跡に中野四季の森公園、その前の空き地に中野セントラルパーク、左端中央の細長の校舎6棟の跡には警察病院と早稲田大学、左端中央の森のように見える跡地には明治・帝京平成の大学。・・・・・・・・・なんとも馬鹿でかい跡地だ!

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②高円寺北庚申塔・・・・・・・・・・高円寺庚申通り商店街の中程に祠が在る。庚申信仰する高円寺村の人が正徳6年(1716)に建立したもの。・・・・・・・・・何かを連想させる形だ!

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③小杉湯・・・・・・庚申通りをチョイト入った裏道に銭湯が在る。昭和8年(1933)創業で建物は創業時の建築だ。玄関の貼紙には、『小杉湯の宝物 昭和8年創業の小杉湯、、、、、(略)、、、、、破風屋根の下の欄間の木彫、「屋久杉」の両面彫です。あく洗いにより屋久杉の特徴の黒い板目がはっきりと現われました。今では伐採禁止の屋久杉、それを贅沢にも使ったのです。、、、、、』と書かれていた。内部の天井は秋田杉の格天井だそうだ。

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④高円寺北・阿佐谷北の建物・・・・・・・・・何となく、マンガのデンスケ、サザエさん、フクちゃんを思い出させる建物が多いね。も一つ、轟先生も!

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⑤阿佐ヶ谷神明宮・・・・・・・・・建久元年(1190)頃の創祀と伝えられている。天照大神を主祭神に、月読命、須佐之男命を配祀する神社だ。・・・・・・・・・境内は広く、静かな佇まいと、平成21年(2009)に「平成の大改修」が竣工した神明作りの立派な社は、結婚式に人気があるかも?2013_0222_102705m

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⑥世尊院・・・・・・・・・・・世尊院は、永享元年(1429)頃に、それまで阿佐ヶ谷の地にあった宝仙寺(後に中野坂上に移転)の子寺として創建された。本堂は昭和10年(1935)の建築だが、昭和48年(1973)に傍を走る中杉通り建設のため現在地に移築された。

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2013年2月20日 (水)

蒲田~雑色

JR蒲田駅から、直線距離で1.5km程の京急雑色(ぞうしき)駅まで、1万2千歩、8kmの散歩です。

蒲田駅から、多摩川が川崎に向かってポッコリ膨らんだ形の「西六郷」地区を抜けて、京急の六郷土手駅を通り、第一京浜を雑色駅まで、ぐるりと回る散歩となった。

①蒲田駅・・・・・・・・・・・明治37年(1904)に東海道本線の蒲田駅として開業し、大正3年(1914)には京浜線(現:京浜東北線)が運行した。 大正11年(1922)には池上電気鉄道線(現:東急池上線)の蒲田~池上間が開通。翌年には、目黒蒲田電鉄(現:東急多摩川線)の蒲田~沼部間が開通した。・・・・・・・・・西口の駅ビル(現:グランデュオ蒲田西館)は昭和45年(1970)の竣工。 駅ビル竣工直後の頃、私も仕事でこの近くで寝泊まりしていた。思いである駅だ!

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②富士通ソリューションスクエア・・・・・・・・・平成15年(2003)に約300億円を投資し、建替えられた「富士通ソリューションスクエア」。ソフト開発の拠点だ。・・・・・・・・ここには、思い出が多い。 私がゼネコンに勤務していた昭和45年(1970)に、西側の多摩川べりに「昭和電工中央研究所」があり、そこに寝泊まりし工事を担当していた。当時は「富士通電子計算機専門学校」で、横を通り蒲田駅前へ遊びに行ったもんだ。 次は、昭和50年代頃から、私はゼネコンのコンピュータ部門の勤務となり、ユーザとしてソリューションスクエアの前身「情報処理システムラボラトリ」へ度々の訪問。 最後は平成になり、私自身が富士通関連会社に勤務し、今度はお客をソリューションスクエアに迎える側になった。・・・・・・・30年以上おつきあいした処だ。

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③蒲田電車区・・・・・・・・・・富士通ソリューションスクエアを回りこむように、蒲田駅方向から線路が分岐し、南側にひろがる車両基地だ。・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・右側が本線、左側(踏切)が電車区への引込線

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・・・・・・・・・・・・・電車区・・・・・・・・通勤時間帯でもあり、車両の多くは稼ぎに出ているようだ!・・・・・・・・その昔は、松本清張の『砂の器』にも登場した、かつての国鉄蒲田操車場である。

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④梅は咲いたか 桜はまだかいな 柳なよなよ風次第 山吹ゃ浮気で 色ばっかり しょんがいな ~~~

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⑤安養寺・・・・・・・・・・・真言宗の医王山安養寺は、永禄11年(1568)に没した永伝法印が創建した。境内の薬師堂は行基(667~749)の創建と伝えられ、古川薬師と称している。・・・・・・・・寺の入り口には、延宝2年(1674)に雑色に建てられた古河薬師道の道標が残されている。

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⑥多摩川河川敷・・・・・・・・・・・現在は「多摩川緑地野球場/サッカー場」となっている河川敷に、昭和45年(1970)頃は9ホールのゴルフ場が在った。当時、近くで寝起きしていた私は、早朝ゴルフに挑戦した。 下請けの建築会社から貰った、一斗缶イッパイのロストボールを持って、、、、、二週間後には空き缶となった。多摩川に、ポチャ!、、、、、、才能が無いと自覚し、以後ゴルフクラブは持ったことがない!

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⑦西六郷の裏道・・・・・・・・・・

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⑧六郷川橋梁・・・・・・・・・・・上流側にJR東海道線の六郷川(多摩川)橋梁が、下流側に京急の六郷川橋梁が並行している。・・・・・・・・・JRの方は、明治4年(1871)に日本初の鉄道橋として木造で架けられた。以後3回架け替えられ、現在は4代目で長さ519mのトラス橋。・・・・・・・・・・京急の方は、明治44年(1911)に、仮の複線木橋より本格的な鉄橋に架け替えられた。この鉄橋は、昭和47年(1972)に現鉄橋(8連トラス橋、551m)に架け替えるまで使用された。

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⑨六郷土手駅・・・・・・・・京浜電気鉄道の六郷堤駅として、明治39年(1906)に開業。昭和46年(1971)に六郷川橋梁の架け替え工事に合わせ高架駅となる。・・・・・・・・・その名のごとく、多摩川の土手まで70mぐらいの距離だ!

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⑩旧六郷橋の橋門と親柱・・・・・・・・東海道の多摩川に橋が架けられたのは、明治7年(1874)の木橋の架橋が始まり。 大正14年(1925)には、タイドアーチ式の鉄橋に架け替えられた。 交通量の増加により、昭和60年(1985)に現:六郷橋が架橋された。・・・・・・・・六郷土手駅近くの公園に旧六郷橋の橋門と親柱が残されている。

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⑪雑色獣医科・・・・・・・・・・雑色駅近くの動物病院。一見、銀行風建物。一見、鉄筋コンクリート風建物。 よくよく見ると、木造建築と思えわれる獣医科。・・・・・・・犬、猫の専門らしい。 さらに、よく、よく、看板を見ると、定休日は水曜だけで、それ以外は、日曜・祝日を含め診療日とのこと。・・・・・・・・・人間様の診療所も、こうであってほしいね!

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2013年2月17日 (日)

浅草橋~南千住

雨と強風で、二日間の休み。 今日も“チョイ寒む”だが、我が家(浅草橋)から南千住まで、1万3千歩、10kmを歩いてきた。

①蛇善・・・・・・・・・蔵前交差点近くにある、明治17年(1884)創業の老舗のゲテモノ屋さん。蛇を中心とした精力剤を販売している。まむしの取扱量は東京一ということだ。・・・・・・・・・建物は古く、私が小学校に通う以前から今の建物です。おそらく昭和初期に建てられたのではないかと思う。横道から隣のビルとの間を眺めると、4階の位置に「へびや 蛇善」と右から書かれている。・・・・・・・・・平日、店の前を通ると、ウィンドウに生きた蛇が20~30匹ぐらいうニョロニョロしている。私は蛇が苦手なので、この前を通るのが怖かった。今でもいやだ! 今日は日曜、ウィンドウにもシャッターが下り安心して前を歩ける。

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②梅の湯・・・・・・・・・蔵前4丁目の銭湯。アレ、暖簾が出てない。 「暫くの間、休ませていただきます」の貼紙が。 ひょとすと、廃業かも? 気になるね!・・・・・・・・外観は平入りの瓦葺屋根に二重の破風が付いた正統派の江戸風レトロ銭湯。 梅干し色の入口廻りの雰囲気は、何やら遊郭風でもある。・・・・・・・・・再開するのを待つお客も多いと思うよ!

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③蔵前神社・・・・・・・・・・・元禄6年(1693)、徳川綱吉が山城国の石清水八幡宮を勧請したことをもって創祀としている。以来、石清水八幡宮、蔵前八幡などと呼ばれたが、戦後、蔵前神社となった。・・・・・・・・・・江戸時代は回向院・富岡八幡宮とともに勧進相撲を行い、相撲と縁のある神社だ。玉垣には、戦後、近くに蔵前国技館があった頃活躍した力士(横綱:千代の山、鏡里、東富士、吉葉山 大関:栃錦、三根山、など)の名が並んでいる。懐かしい名だ!

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④旧岡三証券浅草支店・・・・・・・・・駒形橋の近く、食通には「並木藪蕎麦」の隣りに在るビル。昭和10年(1935)建築、鉄筋コンクリート造3階建て。・・・・・・・・・このビルは当初「河合ビル」として建ち、戦後は埼玉銀行が使用し、その後岡三証券が使用し、現在はギャラリーとして使用されている。・・・・・・・・・・今日は、ギャラリーで「松永高寛写真展」を拝見し、ビルの内部もパチリ。金庫室、“御手洗”のプレートが貼られた便所などが残っていた。

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⑤雷門の横をとおり・・・・・・・・・・・・

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⑥待乳山聖天・・・・・・・・・・言問橋の北側にある聖観音宗の寺院で、浅草寺の子院のひとつである。本尊は歓喜天(聖天)・十一面観音で、待乳山聖天(まつちやましょうでん)と称される。この寺には浅草名所七福神のうち毘沙門天が祀られている。・・・・・・・・・・・境内のあちらこちらに“巾着”と“大根”を見ることができる。“大根”は身体を丈夫にし、良縁成就し、夫婦仲良く一家の和合を御加護頂けるそうだ。“巾着”は商売繁盛の御利益を示している。

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・・・・・・・・・・・・・巾着型の水鉢

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・・・・・・・・・・・・・大根が供えられた御本尊

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・・・・・・・・・・・・・巾着と大根がデザインされた階段の手摺

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・・・・・・・・・・・・出世観音の燈籠には「献燈 花柳小菊」と彫られていた。・・・・・・・そうです、神楽坂出の芸者スターで、戦後の映画、TVに数多く出演した名女優。 名を懐かしむ人も少なくなったと思うね!

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⑦今戸神社・・・・・・・・・・・今戸神社は、康平6年(1063)、京都の石清水八幡宮を勧進したことが始まり。関東大震災や東京大空襲で被災し、その都度再建した。現在の社殿は昭和46年(1971)に再建したものだ。・・・・・・・・・・・御祭神に伊弉諾尊・伊弉冉尊の夫婦の神様を祀っている事から、縁結びに御利益を期待した若い娘が連日参拝している。 私も御利益に期待して、ナイショで参拝?

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・・・・・・・・・・・・・おみくじ、お札売り場は若い娘がイッパイ!

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⑧橋場の裏道・・・・・・・・・・・「橋場」は台東区の北端に位置する隅田川沿いの町で、明治通りにより台東区橋場と荒川区南千住に分けられている。・・・・・・・・・・・昭和の頃までは、バラックなどの古い建物も多く、戦後の匂いが最近まで残っていた町だ。

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⑨橋場の倉・・・・・・・・・・・・駐車場の一角に建つ煉瓦造りの倉。 煉瓦につやがあるね。

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⑩清川2丁目の裏通り・・・・・・・・・・旧山谷(さんや)のドヤ街

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・・・・・・・・・・・・・ドヤ街にある寶珠稲荷神社

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●・・・・・・・・・・・・・寒い一日だった!

2013年2月14日 (木)

池上線(千鳥町~蒲田)

池上線を歩いて3日目は、千鳥町駅から蒲田駅まで、1万3千歩、9kmの散歩です。・・・・・・・・・・(1日目はこちら   2日目はこちら

①千鳥町駅・・・・・・・・池上電気鉄道「慶大グラウンド前」駅として、大正15年(1926)に開業。昭和11年(1936)からは「千鳥町」に駅名を改称した。・・・・・・・・・上り/下りの両ホームに、古いものではないがレトロな感じの水飲み場が設置されていた。

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②千鳥町の質屋・・・・・・・・・・・松の木と「質 須賀」の簡潔な看板がポイントの、線路際の質屋さん。3階建ての蔵、おそらく鉄筋コンクリート造だろう。

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③千鳥町~池上間・・・・・・・・・・・池上線は第二京浜国道と跨道橋で交差するため、その前後は盛土区間となっている。

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④池上駅・・・・・・・・・・・「池上本門寺」への参拝客のための鉄道として、大正11年(1922)池上電気鉄道が池上~蒲田駅間を開通させた。 2面2線の相対式ホームで、池上線のほかの駅とも似た配置だが、駅舎は一つで構内踏切が残されている。

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・・・・・・・・・・・・ホーム上屋の骨組みは木製、ベンチも懐かしい木製

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⑤池上本門寺の門前町・・・・・・・・・・・・今日は本門寺に寄らず、山門の手前まで歩いてきた。

・・・・・・・・・・・本門寺参道の一本裏手の通りに、飲み屋さんが並んでいる。・・・・・・・・この池上4丁目付近では、かつて池上特飲街事件があった。特飲街事件とは、昭和25年(1950)、多摩川に近い武蔵新田のカフェー業者が、池上に特飲街(特殊飲食店街=赤線)を新設する計画を立て、新店舗の建築を始めた。その計画を知った地元池上の住民は猛反発し、特飲街の計画を中止に追い込んだ。

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・・・・・・・・・・・萬屋酒店・・・・・・・・・・・本門寺参道沿いに建つ、出桁造りの町や建築。明治8年(1875)に建てられた。国の登録有形文化財。・・・・・・・・・この酒屋さんで買うと、同じ酒でも美味しそうだね!

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・・・・・・・・・・・・正面が池上本門寺

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・・・・・・・・・・・・・蓮月・・・・・・・・蕎麦屋さん、昭和初期の建物。・・・・・・こちらも、文化財級だ! 小石川の進開屋に似ているね!

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⑥鳥海家住宅・・・・・・・・・・・・大田区東矢口の鳥海家住宅は、昭和12年(1937)に建てられた木造2階建て住宅。こちらも、国の登録有形文化。・・・・・・・・現在も、住まいとして使用されており、内部は見られない。

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⑦池上~蓮沼間・・・・・・・・・・・・“線路”好きの鉄道オタクには、嬉しい道路面と同じ高さの線路敷きだ。歩きながらゆっくり電車をパチリ!

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⑧蓮沼駅・・・・・・・・・・大正11年(1922)池上電気鉄道の駅として開業。池上線の中で最も乗降客の少ない駅。・・・・・・隣の蒲田駅から歩いても近いからね!

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⑨元医院・・・・・・・・・・蓮沼駅近くの元医院の建物、戦前の洋館風建築。横には高窓も見える。

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⑩西蒲田の神社・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・熊野神社・・・・・・・・・蓮沼の熊野神社は創建年代不詳。境内は広く、社務所は立派だ。

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・・・・・・・・・・・御園神社・・・・・・・・御園神社は、蒲田駅東口にあった旧八幡神社を明治期に当地へ遷座したらしい。正確な記録も無いようだ!

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⑪蓮沼~蒲田間・・・・・・・・・・・蒲田駅近くは高架となり、高架下はお店がズラリ!

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⑫蒲田駅・・・・・・・・・・・もちろん、東急の蒲田駅。頭端式ホーム5面4線の高架駅。ホームは池上線と東急多摩川線がそれぞれ2線ずつ使用している。・・・・・・・・・・池上線は大正11年(1922)池上電気鉄道線として池上駅まで開通。目蒲線(現:東急多摩川線)は大正12年(1923)目黒蒲田電鉄として沼部駅まで開通。・・・・・・・朝のラッシュ時はJRへの乗り換えで、メチャメチャの混雑状態だ。

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●付録・・・・・・・・・・・・・・・・・・・我が家(浅草橋)の近くに、隈 研吾(くまけいご)の設計による新しいビルが建ち、1階にドコモショップがオープンした。 なんと、あら、珍しや!ちんどん屋だ! しかも、若いちんどん屋。 いいね!

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2013年2月13日 (水)

向島

昨夜の雨で、朝の都心の道路は“おしめり”状態。外は寒そうだし、今日の散歩は諦めた。・・・・・・・・昼になると、窓からの日差しは強く晴れていた。すると、家内の一言、「散歩に行ったら、帰りに浅草に寄ってきて!」。 これで決まった、よし、散歩してくる!・・・・・・・・我が家(浅草橋)を出てから、何処に行こうか? 帰りに浅草に寄ることを考慮し、押上から歩くことととした。 押上から向島、浅草経由で歩き、1万歩、7kmの散歩。・・・・・・・強風注意報が出ている中へ飛び出した、今日は“散歩”でなく、“お使い”だ!

①スカイツリー・・・・・・・・・・強風で、雲はすっ飛び! 電車もすっ飛ぶ、一面の青空!

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②押上の裏道・・・・・・・・・・スカイツリーの足下に“押上”の町が広がっているが、裏通りはスカイツリーに関係なしで静かだ! 寒いから、猫の姿は見えず、炬燵で丸くなっているようだ! 

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・・・・・・・・・・・・・何十年前の街路灯? 電燈はなくなり柱だけが寂しそうだ!

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③飛木稲荷神社 (とびきいなりじんじゃ)・・・・・・・・・・・・・言い伝えにでは、鎌倉幕府の滅亡後、北条氏の一門が逃れてこの地に転住し、稲荷大明神を祀ったことが始まりとか? とにかく、古そうな神社だ。・・・・・・・・・・境内のイチョウの木は樹齢500~600年と言われ、墨田区内最古のイチョウの木と言われている。 東京大空襲では、このイチョウが我が身を焦がし、町の延焼を防いだことに由来し、「身代わりイチョウ」と称している。

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・・・・・・・・・・・・ご近所の家々の軒下には、“講”の札が貼ってある

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④萬屋糸店・・・・・・・・・・水戸街道沿いに残る、出桁造りの商店。 「糸、毛糸、寝具、洋品  萬屋糸店」と書かれた看板、右端の“たばこ”と“〒”、いいね! チョイト昔の雰囲気が漂い、懐かしい。

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⑤向島百花園・・・・・・・・・・チョイト、梅の咲きぐあいを確認に! 開花した枝もあるが、全体的には、まだ早いね!

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⑥白鬚神社・・・・・・・・・・天暦5年(951)、近江国の白鬚大明神をこの地に祀ったのが始まりのようだ。 旧寺島村(現:東向島)の氏神であり、商売繁盛、方災除け、厄除けの神としても、多くの人々の崇敬を受けている。・・・・・・・・・隅田川七福神の寿老神も祀られている。

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⑦浅草・・・・・・・・・・・・これより、買い物の“お使い”

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●・・・・・・・・・・・・・・・寒い散歩だった!

2013年2月11日 (月)

池上線(旗の台~千鳥町)

先日の続きで、池上線の旗の台駅から千鳥町駅まで、1万8千歩、12kmの散歩です。

①旗の台駅・・・・・・・・・・北口と比べ、南口は近代的な駅舎だ。高架上には6両編成の大井町線が走り、高架下の地上ホームは3両編成の池上線が使用している。

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②旗の台伏見稲荷神社・・・・・・・・・・南口駅前に“稲荷通り”と称する商店街があり、その端に、大正15年(1926)に創建された「旗の台伏見稲荷神社」が祀られている。・・・・・・・・太平洋戦争の折、この神社に出征祈願し戦地に赴いた120名は、全員が生還したと言われる。 ありがたい神社だ。

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③旗の台一の橋・・・・・・・・・・・池上線旗の台駅~洗足池駅間は、かつて東京オリンピックのため、環七通りとの交差点を地下化して道路下にもぐらせる工事が行われた。そのため、旗の台~洗足池間は深い切通しを走ることとなった。・・・・・・・・その結果、オリンピック以前は踏切であった、「旗の台一の橋」の地点には跨線橋が造られた。橋の工事はオリンピックに間に合わず、昭和43年(1968)に竣工した。・・・・・・・・・・道路の突き当りに、階段が現われ、線路を跨ぐ形状だ!

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④長原駅・・・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)、池上電気鉄道の長原駅として開業した。昭和47年(1972)に地下駅となる。

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⑤鳳凰閣・・・・・・・・・・・・・東洋文明の啓蒙活動を行っていた清明会が昭和8年(1933)に建てた清明文庫の本館で、戦後は「学研」の所有となり鳳凰閣と称していた。・・・・・・・・正面玄関の上部に4本剱のように立つ柱型、その間を埋める幾何学模様の飾りなど、ネオゴシックスタイルの貴重な建築だ。国の登録有形文化財にも指定されている。・・・・・・・・・東日本大震災の後、耐震性の問題から取り壊しが検討されたが、歴史的に価値ある建物なので大田区が購入したようだ。 これで、壊されず、保存され、よかった、よかった。 でも、金網に囲まれ、内部を拝見できるのは何時になるのか? 

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⑥洗足池・勝海舟の墓・・・・・・・・・かつて池のほとりに勝海舟晩年の邸宅「千束軒」があった。建物は戦災で焼失し、現在は勝夫妻の墓が残っている。・・・・・・・・・墓の隣りには、「西郷隆盛留魂祠(りゅうこんし)」が建つ。これは、西郷が西南役に倒れた後、当時の東京府南葛飾郡の浄光院境内に勝が自費で建てたもの。1913年(大正2)に荒川放水路開鑿に伴い、当地に移建された。

・・・・・・・・・・・・・勝海舟の墓(右が海舟、左が夫人)

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・・・・・・・・・・・・・西郷隆盛留魂祠

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・・・・・・・・・・・・・洗足池

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⑦妙福寺祖師堂(旧七面大明神堂)・・・・・・・・・・・洗足池の東池畔に位置する妙福寺。ここの祖師堂は、天保4年(1833)に建てられた。国の登録有形文化財。

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⑧洗足池駅・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)、池上電気鉄道洗足池駅として開業。

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⑨東雪谷付近の住宅・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・洗足池駅近くでは、池から水を引いて水路で車と人を分離。いいね!

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・・・・・・・・・・・所々に、懐かしさを感じる家も!

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⑩笹丸橋・・・・・・・・・・昭和2年(1927)竣工。平成15年(2003)に補強工事が実施されたが、橋の全体像は竣工当時のままだ!(写真でブルーの部分は水道管らしい)

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⑪石川台駅・・・・・・・・・相対式ホーム2面2線を有し、上下別に駅舎がある地上駅。昭和2年(1927)池上電気鉄道“石川”駅として開業し、翌年、“石川台”駅に改称した。・・・・・・・・・・昭和の雰囲気がかなりプンプン匂う駅だ!

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⑫雪ヶ谷八幡神社・・・・・・・・・石川台駅前の小高いところに鎮座する八幡神社。創建は永禄年中(1557~1569)と云われており古いそうだ。・・・・・・・・・社殿は戦災で焼失し、昭和34年に、鉄筋コンクリート造で再建された。

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⑬南雪谷の急な坂・・・・・・・・・もちろん、車もダメ!

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⑭雪が谷大塚駅・・・・・・・・・・大正12年(1923)、池上電気鉄道の雪ヶ谷駅として開業した。昭和18年(1943)雪ヶ谷大塚駅と改称し、昭和41年には雪が谷大塚駅となった。・・・・・・・・・・駅の蒲田寄りに雪が谷検車区がある。

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⑮御嶽神社・・・・・・・・・・御嶽山駅の北側に北嶺町に鎮座する、天文4年(1535)創建の神社。 天保年間(江戸時代後期)には、木曾御嶽山(おんたけさん)で修業をされた行者が来社して以来信者が激増し、天保2年(1831)に現在の大きな社殿を建立した。・・・・・・・御嶽山、サマサマの神社だな。

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⑯御嶽山駅・・・・・・・・・・・相対式ホーム2面2線で、改札は別々の地上駅。大正12年(1923)、池上電気鉄道御嶽山前(おんたけさんまえ)駅として開業し、昭和4年(1929)に“前”をとり、御嶽山駅とした。・・・・・・・・・・蒲田寄りの線路の真下を東海道新幹線、横須賀線・湘南新宿ラインが走っている。

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⑰久が原駅・・・・・・・・・こちらも、大正12年(1923)、池上電気鉄道の末広駅として開業。その後、東調布駅、久ヶ原駅と改称し、さらに昭和41年(1966)久が原駅に改称した。

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⑱久が原教会・・・・・・・・・・・・チョイト見には、屋根の大きな教会と思った。前まで行くと、会堂は2階の屋根裏のような位置に在ると判り、さっそく中を見せてもらった。・・・・・・・・・やはり、屋根裏の位置にあり、開口部は足下に押し出しの窓がある。珍しい建物だ。・・・・・・・・・・建て替える前までは、建築家:故山口文象の設計による会堂があったが、昭和37年現在の会堂に改築された。

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⑲千鳥町駅・・・・・・・・・・大正15年(1926)池上電気鉄道の慶大グランド前駅として開業し、昭和11年(1936)に千鳥町駅と改称した。

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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日はココまで!

2013年2月10日 (日)

鶯谷~御徒町

夫婦で東大裏の竹久夢二美術館へ行ってきた。鶯谷から東大裏に出て、池之端を通り御徒町まで、1万2千歩、8kmの散歩です。

①元三島神社・・・・・・・・・・・鶯谷駅前のラブホテル街のど真ん中に鎮座する神社・・・・・・・・・伊予国一宮「大山祇神社」(愛媛県大三島)を本社とし、弘安4年(1281)の創建と云われる神社。・・・・・・・・・社殿は、コンクリートの人口地盤の上に建てられ、一階は居酒屋だ。

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②寛永寺根本中堂・・・・・・・・・・鶯谷駅から、寛永寺橋(跨線橋)を渡り藝大裏の寛永寺「根本中堂」にお立ち寄り。・・・・・・・・・・元禄11年(1698)、現在の上野公園大噴水の地に建立された根本中堂は、慶応4年(1868)彰義隊の戦争により焼失した。現:根本中堂は、明治12年(1879)に川越喜多院の本地堂を現在地に移築し再建したものだ。・・・・・・・・・・・・今日は本堂に上がり、本尊に手を合わせてきた。

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③旧吉田屋酒店・・・・・・・・・・・・・・現在は、台東区の下町風俗資料館附属設展示場として公開している。・・・・・・・・・明治43年(1910)に建てられ、昭和61年(1986)まで谷中で営業していた、出桁造りの「吉田屋酒店」を移築したもの。江戸時代からの商家の建築様式を伝える貴重な建物だ。・・・・・・・・・土間の匂い、揚戸の出入り口、格子戸などいいね! 内部には、酒を量り売りしていた頃の棹秤、枡をはじめ、樽、徳利、宣伝用ポスターなどが残されている。帳場に座りたくなるね!

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④カヤバ珈琲・・・・・・・・・・昭和13年(1938)創業で、平成になり一度閉店したが、平成21年(2009)に再び開店した珈琲店。ドアの前に並んでいる人もいるね!

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⑤谷中岡埜栄泉・・・・・・・・創業明治33年(1900)の和菓子の「岡埜栄泉」。

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⑥千代の富士の像・・・・・・・・・・・谷中の曹洞宗玉林寺に、元横綱千代の富士の像がある。・・・・・・・・・なぜ、ここに元横綱の像が? 答えは、“いけみず”という人(檀家の人か?)が寄贈したらしい。 顔はそっくりだ、ビックリだ、シャックリだ!・・・・・・・・・寺は天正19年(1591)の創建だ。

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⑦はん亭・・・・・・・・・・・・文京区根津2丁目の串揚げ屋さん。大正6年(1917)に建てられ、関東大震災にも耐えてきた木造3階建ての建物は、国の登録有形文化財に指定されている。

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⑧M邸・・・・・・・・・・“はん亭”前の住宅。・・・・・・・昭和初期の建築か?

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⑨弥生式土器発掘ゆかりの地・・・・・・・・東大浅野キャンパス(文京区弥生2丁目)の片隅に、弥生式土器発掘ゆかりの地を示す石碑がある。・・・・・・・“弥生町”で発掘した土器なので“弥生式土器”と名がついた。 では、“縄文式土器”は“縄文町”で発掘されたの? (これは愚問)

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⑩弥生美術館/竹久夢二美術館・・・・・・・・・昭和59年(1984)、弁護士・鹿野琢見によって設立された挿絵画家の作品を所蔵・公開する「弥生美術館」。同じ敷地内に竹久夢二の作品だけを独立して建てたのが「竹久夢二美術館」だ。・・・・・・・・・入館券は両館共通で、竹久夢二と高畠華宵の大正ロマン、戦後の挿絵画家:濱野彰親のモノクロ作品と、両方を楽しめた。

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⑪S邸・・・・・・・・・・弥生美術館の近くの住宅。昭和初期の建物か?

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⑫両山堂印刷所・・・・・・・・・・池之端の食品ラベル印刷所「両山堂」、大谷石による3棟(事務所風、工場風、住宅風)の建物は昭和29年(1954)に建てられた。・・・・・・・・・・・昨年2月に見せてもらい、今日訪れたら事務所風の建物が綺麗になっていた。

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●・・・・・・・・・・・・・この後は、不忍池を抜け、上野松坂屋へ買いものに!

2013年2月 8日 (金)

石原・太平

今日は同愛記念病院で定期検診を受け、その後、チョイト風も強く寒い中、墨田区横綱の病院から、蔵前橋通りの北側「墨田区石原」・「墨田区太平」を、ぶらりぶらりとぶらつき、錦糸町まで歩いてきた。・・・・・・・・・・ほぼ同じところを去年7月に歩いているので、詳しくは、こちらを見てね!

 

①駆逐艦「初霜」の錨・・・・・・・・・石原の山田記念病院に飾られてる

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②旧安田蓄財銀行本所支店・・・・・・・・・・・・大正12年(1923)の建築だが、東京大空襲で焼けずに残った

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③法恩寺橋・・・・・・・・・・・・大正13年(1924)竣工の復興橋。橋の西側が“石原”、東側が“太平”地区。

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④報恩寺・・・・・・・・・・・・太田道灌が開基した寺で、境内には大田道灌の供養塔がある。

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⑤紀久屋質店・・・・・・・・・・創業昭和8年(1933)の質屋。 店舗は創業時のままで、東京大空襲の際にも被害を受けなかった奇跡的な建物だ。

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●・・・・・・・・・・・・・今日の体感気温は2℃ぐらいかも、やたら寒かった。 

2013年2月 7日 (木)

新小岩~一之江

総武線新小岩駅から、東西にブレながら環七通りに平行に南下して都営地下鉄一之江駅まで、1万6千歩、12kmの裏通り散歩です。

①新小岩駅南口・・・・・・・・・・大正15年(1926)に新小岩信号所が設置され、昭和3年(1928)に駅として開業した。

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②スバル飲食街・・・・・・・・平和通りを挟み新小岩駅南口の反対側に位置する裏通りに、スバル飲食街の看板がある。 まるで昭和の廃墟だ! “飲食街”の看板はあるが、営業しているような店は無く、カビ臭い、なにやら怪しげな雰囲気を感じる!

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③新小岩3丁目の裏道・・・・・・・・・・・遠い昔は農道・あぜ道、戦前は農業用水路、戦後は町のドブ川? なんであったか知らないが、曲がりくねり、道幅は細く、方向感覚はあやしくなり、何処に出るかワクワクドキドキする裏道だ!

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④小松川境川親水公園・・・・・・・・・・・・江戸川区の親水公園は最高!・・・・・・・・・今日は「本一色1丁目」付近を歩いているが、親水公園にはゴミが無い、水は濁っていない、水面にはビニール袋・空き缶が浮いていない、歩道に犬猫の糞がない、落ち葉もない。 区に“公園ボランティア”と称する人もいるようだ。区民全員で美化に努め、気持ちよく歩ける親水公園に感謝!

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⑤大杉天祖神社・・・・・・・・・・江戸川区大杉に鎮座し、通称大杉神社または神明様と呼ばれ、旧西一之江村の鎮守。 創建年代は不明の古そうな神社だ。・・・・・・・・・神社の境内には幼稚園があり、鳥居の周りは現:大杉公園として整備されている。公園は、かつて神社の田畑であったが、昭和9年(1934)その土地約2反7畝(2673㎡)を公園として提供し、昭和10年(1935)に区内最初の公立公園となった。・・・・・・・・当時は、まだ田畑が広がり、雀が飛び交う時代だったので、公園もなかったのであろう。

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⑥大杉会館・・・・・・・・・・ごく普通の町の公民館。・・・・・・・・・・電話の局番は3桁なので20年以上前の建物だ、シャッターの上には“交番のマーク”が残り、さらに2階の窓上には赤色灯が付いていたのであろう金具が残っている。・・・・・・・・・・国の文化財にはできないが、町の文化財に推薦したいね!

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⑦天祖神社・・・・・・・・・江戸川区一之江の広大で、何もない境内に鎮座する天照大神。小さな社だけ、神主も、巫女もいない、維持費も安そうだ!・・・・・・・・社の後ろは京葉道路で、マンションの立地としては最高! 資産家の天照大神かも?

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⑧一之江村の匂いが残る・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・抹香(香料)屋の景観・・・・・・・・・・タブの木も保存されている

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・・・・・・・・・・・農家の匂いも残る

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・・・・・・・・・・・・梅・夏蜜柑(?)・金冠・桜の蕾

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・・・・・・・・・・・・城のような屋敷

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・・・・・・・・・・・・・こちらにも!

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⑨妙音寺・・・・・・・・・・・一之江の妙音寺は真言宗豊山派で医王山不動院と号す。建久元年(1190)の開山で、江戸川区でも有数の古刹。・・・・・・・・・この寺には“片目の鮒”の伝説が残されている。『むかし、ひとりの目の不自由な娘がいました。その娘は、目を治そうと、妙音寺の薬師如来に21日の願をかけ、食を断ってお祈りしました。すると満願の日に、目が見えるようになりました。娘はお礼にと薬師の池にたくさんの鮒を放ったところ、鮒は全て片目になったといわれています。』・・・・・・・・・静かな落ち着いた雰囲気の寺だ。

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⑩妙覚寺・・・・・・・・・・日蓮宗の金鳥山等覚院と号し、もと中山法華経寺の末であった一之江の寺。弘安7年(1284)の開山。

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⑪長勝寺・・・・・・・・・妙覚寺と隣り合わせの、こちらも中山法華経寺の末であった、日蓮宗利栄山善学院と号する寺。・・・・・・・・・同じようなお寺が隣り合うなら、合併したら?

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⑫水神宮・・・・・・・・・・一之江の水神宮。・・・・・・・・・・都内には“水神宮”は多いようだ。 ここは、鳥居の注連縄が気にいった。 たるみがなく、太く、隙のない注連縄だ!

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⑬都営地下鉄一之江駅・・・・・・・・・・昭和61年(1986)開業

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●・・・・・・・・・・・今日の散歩は寺社巡りみたいだった。 こんなに寺社の多い地域だとは思わなかったので、チョイト驚き!

2013年2月 5日 (火)

池上線(五反田~旗の台)

五反田駅から池上線の線路に沿い、行ったり、来たりしながら旗の台駅まで、1万2千歩、8kmの散歩です。

①池上線五反田駅・・・・・・・・・・・・・山手線の高架ホームよりさらに高い位置にある、1面2線の島式ホームを有する高架駅。 地上8階建ての東急五反田ビル(東急ストア―)の4階に池上線ホームが直結している。・・・・・・・・・・昭和3年(1928)、池上電気鉄道の駅として開業した。

・・・・・・・・・・・・写真:山手線右側の階段を上がると池上線の改札につながる。

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・・・・・・・・・・・・ビル4階の池上線改札。改札の位置までがビルの中で、先のホームは山手線の上だ!

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・・・・・・・・・・・・改札からホームまでの上屋はアーチ状の梁がある鋼製で、3両編成の電車が止まるホーム部分の上屋は木製だ、どちらも昭和レトロの味を残している。

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・・・・・・・・・・・・ホームの先端は目黒川の上だ!

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・・・・・・・・・五反田駅ホーム下の橋脚は、日本海を走る山陰線の旧餘部鉄橋(最近新しい橋梁に変わった)と同じトラス構造で、昭和3年(1928)に架橋。

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・・・・・・・・・・・・駅を出て目黒川を越える池上線

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②山手通りを跨ぐ池上線・・・・・・・・・・只今、山手通りの拡張工事と、池上線の橋梁の付け替え工事を実施中。・・・・・・・・・・工事の関係で、ゴチャゴチャの状態だ!

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③大崎広小路駅・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)、池上電気鉄道の桐ヶ谷駅(廃駅)~大崎広小路間が開業し、池上線の五反田方の終点となった。 当駅から五反田駅までは、目黒川を渡るだけなので、徒歩で連絡する予定で開業した。・・・・・・・・・・山手通りに面した出入り口しかなく、小さな駅だ! こちらも、駅の改良工事を実施中のため、ゴチャゴチャ状態だ。

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・・・・・・・・・・・・大崎広小路駅の先にあるガード

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④谷山橋・・・・・・・・・・・・“たにやまばし”ではなく、“ややまばし”と読む。大崎4丁目の跨線橋だが、“むくり”が大きくまるで太鼓橋のようだ!

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⑤戸越の裏道・・・・・・・・・・・・・・“裏道”の好きな男です。今日もチョイト歩いてみた!

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・・・・・・・・・・・・発見!・・・・・・・・今どき、廃墟・廃屋にならあるが、人が住む住宅の窓として利用されている“木製の両開き窓”。・・・・・・・・4か所の蝶番に錆がなく、手入れされていることが判る。 小さな懐かしさを感じた窓だ!

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⑥切土区間を走る池上線・・・・・・・・・・・・

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⑦戸越銀座駅・・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)開業の地上駅。・・・・・・・・・・・駅前から東西1kmに伸びる戸越銀座商店街は、「○○銀座」の元祖で昭和2年に命名された。・・・・・・・・・・木造の駅舎も当時のままかも?

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⑧平塚たけのこ公園・・・・・・・・・掘割化された池上線線路上に蓋を掛け公園にした。公園には、踏切と線路がデザイン化されている。・・・・・・・・・電車は公園の下を走る

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⑨荏原中延駅・・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)に開業して以来、戸越銀座駅と同じように地上駅であったが、平成元年(1989)に近代的な地下駅となった。

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⑩荏の花温泉・・・・・・・・・旗の台に在った寺社造りの趣のある銭湯。・・・・・・・・・銭湯の主人が亡くなられたため休業していたが、どうやら廃業したようだ。・・・・・・・・・・都内の銭湯の利用者は高齢化したが、銭湯の主人も高齢化し後継ぎが居らず、結局廃業となるようだ。・・・・・・・・・・・・我が家(浅草橋)の近くにも数軒の銭湯があるが、利用するのは、我が家の婆さん(おふくろ)と近所のお年寄りが中心のようだ!

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⑪旗の台駅・・・・・・・・・・現在は、大井町線と池上線が立体交差しており、上部に大井町線ホーム2面4線、下部に池上線のホーム2面2線を有する乗換駅。・・・・・・・・・・昭和2年(1927)7月、目黒蒲田電鉄大井町線東洗足駅が開業し、同年8月に池上電気鉄道旗ヶ岡駅が開業した。両駅は近くではあったが、会社も別で、駅も別であった。昭和26年(1951)、東急の駅となっていた両駅を移動し旗の台駅とした。・・・・・・・・・・池上線のホームは、数段の階段を上るとホームとなる“優しい”駅だ。ここも木造のホーム上屋でうれしいね!

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●・・・・・・・・・・・・・・本日はここまで!

2013年2月 3日 (日)

泉岳寺~五反田

泉岳寺駅から、裏道・抜け道を歩いて、五反田駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。

①泉岳寺・・・・・・・・・慶長17年(1612)に徳川家康が、現在警視庁が在る桜田門に門庵宗関(もんなんそうかん)和尚を招いて創建した曹洞宗の寺。寛永18年(1641)に寺は大火で焼失し、徳川家光は、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の5大名により、現在の高輪の地に再建した。 浅野家とは、このときから付き合いが始まったそうだ。

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・・・・・・・・・・・・元禄14年(1701)、殿中刃傷事件の浅野長矩と妻阿久里の墓、四十七士の墓がある。・・・・・・・・・一基づつ手を合わせると、チョイト時間がかかりそうなので、代表として阿久里の墓に手を合わせてきた。

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②泉岳寺の横路・・・・・・・・・・泉岳寺の山門を左に行くと、高輪の登山道と思われる、黄色の標識には「勾配22%」の超急坂があらわれる。

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・・・・・・・・・・・坂の途中に、鉄筋コンクリート4階建て、昭和33年(1958)竣工のアパート「永楽荘」が建っている。・・・・・・・・・・・間取りは2K(約26㎡)、バス・トイレは別で、名前の“荘”からも、戦後のアパートの鉄筋コンクリート版と想える。道を挟み向かいには慶応大学の寮があった。

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③旧朝吹常吉邸・・・・・・・・・・泉岳寺からの急勾配の坂を上ると、高輪3丁目にでる。この高台に、三井傘下で活躍した実業家・朝吹常吉の邸宅がある。 大正14年(1925)に竣工した、高台に立つスパニッシュ・スタイルの白い洋館で、設計は東洋英和女学院などを手掛けたウィリアム・メレル・ヴォーリズ。・・・・・・・・現在は東芝山口記念会館になっている。・・・・・・・・・・・今日は門も閉じられており、洞坂の下からパチリ

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・・・・・・・・・・・平成23年に撮影した建物

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④洞坂・・・・・・・・・・・旧朝吹常吉邸の脇に洞坂(ほらさか)の下り口がある。・・・・・・・・・・坂名由来は、この辺りの村を「洞村」といったため。洞村の語源に関しては、昔法螺貝が出たとも、窪地のため洞というなど、様々な説があるようだ。

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⑤T邸・・・・・・・・・・・・洞坂を下ったところにある、イギリス風の綺麗な白亜の洋館・・・・・・・・落ち着いた感じの建物だ。 戦前の建物であることは間違いないであろう。

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⑥東禅寺・・・・・・・・・・慶長14年(1609)に赤坂にて創建した。寛永13年(1636)、現在地の高輪3丁目に移転。寺の眼前には、東京湾が広がり海上禅林とも呼ばれた。また幕末以降、寺は西洋人用の宿舎に割り当てられ、安政6年(1859)には日本初のイギリス公使館が置かれた。・・・・・・・・・・高輪に在るとは感じられない、静けさ、緑の多さ、境内の広さ、いいね!

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⑦東禅寺を囲む裏道・・・・・・・・・東禅寺の山門左手に細い道があり入っていくと、東禅寺を洞坂の道とこの道で囲むように一周することになる。この道の終わりは、旧朝吹常吉邸の西側だ。・・・・・・・・・墓地の角にはお地蔵様がお出迎え!・・・・・・・・・先へ進むと、車はダメだ!・・・・・・・・・・・後半は上り坂・・・・・・・・・最後は階段で、上ると高輪警察署は近い!

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⑧旧東京市立高輪台小学校・・・・・・・・・・東禅寺を回り泉岳寺の裏手に戻ってきた、現:港区立高輪台小学校だ。昭和10年(1935)に竣工した、鉄筋コンクリート造3階建ての校舎は、インターナショナル様式で、都選定歴史的建造物に指定されている。・・・・・・・・・・インターナショナル様式とは、昭和初期頃から流行した、無駄な装飾を排し、シンメトリーよりもバランスを、建物の量感よりも空間感覚を重んじる様式。・・・・・・・・・・大きなガラス張りの開口部は明るい内部空間を演出している。

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・・・・・・・・・・・学校の正門を右に行くと、泉岳寺の裏手で“車は通り抜け出来ません”

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⑨承教寺・・・・・・・・・・日蓮宗池上本門寺の末寺で、正安元年(1299)に創建された承教寺(じょうきょうじ)。・・・・・・・・・・山門近くに、奇妙な狛犬が飾られている。不思議な顔つき、体型、ナンジャコリャ? “中国から購入した方が家に置くように成ってから悪い事ばかり起こるように成ったので承教寺に寄贈した”らしい。

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⑩高輪消防署二本榎出張所・・・・・・・・・・・・昭和8年(1933)に竣工した、ドイツ表現主義の建物。・・・・・・・・・外観は戦艦「三笠」の船首部を模したと云われ、向かいにある高輪警察署の以前の建物は船の後部を模していたらしい。消防署と警察署が建物のデザインで対をなしていた。 警察署も古い建物を残しておいて欲しかった!

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⑪高輪教会・・・・・・・・・・・教会は日本キリスト教団に所属するプロテスタントの教会で、明治15年(1882)の創立で、歴史ある教会。・・・・・・・・・現礼拝堂は昭和8年(1933)に建設されたもので、旧帝国ホテルの設計者として有名なフランク・ロイド・ライトの弟子であった岡見健彦の設計による。・・・・・・・・・・ライトが設計した自由学園明日館を連想させるデザインだ!・・・・・・・・・・・今日は、日曜礼拝があり、内部をチョイト拝見!

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⑫高輪の気になる建物・・・・・・・・・・それぞれ、裏通りに建ってます

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⑬高輪から島津山方面に抜ける坂・・・・・・・・島津山とは、東五反田の清泉女子大の在る高台。・・・・・・・・この坂も車はダメ、段部には苔も生えてる、何か歴史を感じる坂だ! 名前が判らず、残念だ!

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⑭島津山を縦断する階段・・・・・・・・・清泉女子大の北側(品川区東五反田3)に位置する、都心の登山道。高輪から降りてきて、今度は登り。一息ついたら、下り。・・・・・・・・・アップ・ダウンの激しい町だ!

・・・・・・・・・・・・まづはアップ

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・・・・・・・・・・・・これよりダウン

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・・・・・・・・・・・・坂を下ったが、道路から玄関までは、またまた階段だ! 住みにくいね!

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●・・・・・・・・・・・・五反田駅前の桜田通り(第二京浜)には相生坂と称す、大きな坂がある。興味ないので省略するよ!

2013年2月 2日 (土)

チョビット新宿

約50年ぶりに中・高等学校の同級生5人と再会した。 皆、オヤジだ! 当然、話題も多く、あっという間に夜も更けた。 帰りは、再会の余韻にしたり、新宿から歩いて“お帰り”。

気になる建物2軒だけパチリ・・・・・・・

①新宿末廣亭・・・・・・・・・・・東京の定席としては唯一木造の建物。昭和21年(1946)の建物。

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②どん底・・・・・・・・・・・昭和26年(1951)創業の大衆居酒屋。戦後の文学界、演劇界、その他いろいろの界の有名人が利用した酒場だ。

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2013年2月 1日 (金)

浅草橋~泉岳寺

我が家(浅草橋)から、江戸通り、中央通り(銀座通り)、第一京浜を歩き都営地下鉄泉岳寺駅まで、1万7千歩、12kmの散歩です。

①浅草見附跡・・・・・・・・・神田川(外堀のひとつ)にかかる浅草橋のたもと(台東区側)に、「浅草見附跡」の碑がある。・・・・・・・・江戸幕府が交通の要所に見附を配した、その一つが“浅草見附”で、木橋の脇に石垣が積まれ見附門があったそうだ。日光街道(現:江戸通り)に、にらみをきかせたようだ!・・・・・・・・ときおり、浅草橋駅周辺で外人観光客が、私に“観音さま”はどこか聞いてくる。浅草寺までは歩いて45分かかるので、電車で行くように説明するが、外国語の苦手な私には苦労する話しだ。

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②イ-グルビル・・・・・・・・・・・浅草橋交差点に建つ、縦長の窓、直線的な外観デザインが特徴的なビル。 「イーグルノート」の商号によるノート類の卸問屋として、店舗兼住宅として鉄筋コンクリート5階建てのビルが、震災後の昭和初期に建てられた。

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③大安楽寺・・・・・・・・・・・牢屋敷跡に建つ、受刑者を弔うために明治15年(1882)に創建された新高野山大安楽寺。・・・・・・・・・・・明治8年(1875)市ヶ谷監獄ができるまで、寺の前の十思小学校・十思公園を含めここに伝馬町牢屋敷があった。・・・・・・・・・牢屋敷には、身分により、旗本が入る揚座敷、御家人・大名の家来・僧侶・医者などの揚屋、一般町人の大牢、無宿人の二間牢、百姓牢、女牢などがあったそうだ。・・・・・・・・私が入るとしたら二間牢かな?

・・・・・・・・・・・・処刑場跡には、絞首刑の台、釜茹での釜、ギロチンの歯など、それらしいものは残っていない。大安楽寺があるのみ!

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・・・・・・・・・・・大安楽寺前の十思(じっし)公園には、投獄され亡くなった吉田松陰終焉地の碑がある。

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④吉岡商店・・・・・・・・・・・日本橋本町にある、昭和初期(?)の建物。

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⑤大勝軒・・・・・・・・・・日本橋本町にある、昭和8年(1933)創業の中華そばの大勝軒。・・・・・・・・渋い建物だ! いつ頃の建築か?

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⑥日本橋・・・・・・・・・・・・・御存じ! 国の重要文化財。 日本の道路の基点で、江戸っ子が自慢できる橋。・・・・・・・・・・・現在は19代目で、明治44年(1911)に竣工した石橋。

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⑦柳屋ビルディング・・・・・・・・・日本橋交差点に昭和38年(1963)に竣工した、当時としては珍しいハイカラなガラス張り外壁のビル。・・・・・・・・・・「柳屋」は、大坂夏の陣があった元和元年(1615)に日本橋で創業した化粧品屋。大正9年(1920)には“柳屋ポマード”(緑の箱に入った懐かしの商品)を発売した。ヘアトニックとともに、現在も販売している。散髪屋に行って、『柳屋のポマードできめて!』と言ったら喜ばれるかも?

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⑧ミキモト・・・・・・・・御木本幸吉が真珠養殖に成功してから今年で120周年、「ミキモト」玄関前のデコレーションです。・・・・・・・・たった一粒の真珠が、世界を変えた! 真珠の歴史は鳥羽の「ミキモト真珠島」へ行くと知識を得られるよ。 私は2度ほど行って知識は得たが、真珠は買えなかった。

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⑨尾張町交差点・・・・・・・・・・銀座四丁目の交差点、現在60歳以上の方で“尾張町交差点”と聞いて、懐かしさを感じる人も多いと思う。 私もその一人、祖父母が存命の昭和40年代までは、「銀座」を服部時計店・三越の「尾張町」、歌舞伎座・演舞場の「木挽町」と旧町名で話していたことを思い出す。

・・・・・・・・・・・交差点の鉄柵・・・・・・・・この鉄柱と柱頭の団子、そして鎖のデザインを見ると、交差点中央で台の上に乗り交通整理するお巡りさん(MPもいたね!)を思い出す。

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・・・・・・・・・・・・時計台の見えない服部時計店(和光)

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・・・・・・・・・・・・ライオンがガードする三越

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⑩新橋の親柱・・・・・・・・・・・銀座8丁目の高速道路下に、かつて“新橋”が架かっていた。・・・・・・・古い新橋は関東大震災で被災し、大正14年(1925)復興橋として架け替えられた。その復興橋も、昭和36年(1961)に埋め立てられ姿を消したが、親柱だけが高速道路の脇に残されている。

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⑪金井医院・・・・・・・・・・閉院したようだが、昭和レトロの渋さが残る、浜松町の診療所。・・・・・・・・・今でも、老先生が出てきて、診察してくれそうな雰囲気だ!・・・・・・・・・・ポストの後ろには3階部分までの煉瓦塀がある。

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⑫金杉橋・・・・・・・・・古川に架かり、両側は芝と浜松町で、頭上は首都高、薄暗い橋となった。・・・・・・・・・江戸時代初期に架橋され、その後何度か架け替えられたが、大正8年(1919)鉄筋コンクリート橋になり、昭和4年(1929)には改造された。長さ18m、幅36m。・・・・・・・・高速の下は船溜まりとなっている。

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⑬札の辻交差点・・・・・・・・・・田町駅近くの札の辻交差点。

・・・・・・・・・・・・・第一京浜と桜田通りが合流する地点にあり、東京タワーも見える

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・・・・・・・・・・・・反対側には、平成18年(2006)に竣工した、地上43階/地下2階建ての住友不動産三田ツインビル西館が見える

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⑭御田八幡神社・・・・・・・・・・三田ツインビル西館の隣りに、和銅2年(709)に創建された歴史ある御田八幡神社が鎮座している。・・・・・・・・建物は戦災で焼失し、昭和29年(1954)に、本殿権現造、幣殿・拝殿・神楽殿・社務所を再建した。・・・・・・・・・今日は、商売繁盛のお願いか? 工事安全のお願いか? 企業の団体が参拝していた。

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⑮高輪大木戸跡・・・・・・・・・・地下鉄泉岳寺駅出入口前に残る大木戸(おおきど=簡易な関所)跡だ。・・・・・・・・・・宝永7年(1710)、江戸府内から東海道への出入口として関所が設けられた。街道の両側に石垣を築き、間に木戸を設けた。

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