浅草橋~南千住
雨と強風で、二日間の休み。 今日も“チョイ寒む”だが、我が家(浅草橋)から南千住まで、1万3千歩、10kmを歩いてきた。
①蛇善・・・・・・・・・蔵前交差点近くにある、明治17年(1884)創業の老舗のゲテモノ屋さん。蛇を中心とした精力剤を販売している。まむしの取扱量は東京一ということだ。・・・・・・・・・建物は古く、私が小学校に通う以前から今の建物です。おそらく昭和初期に建てられたのではないかと思う。横道から隣のビルとの間を眺めると、4階の位置に「へびや 蛇善」と右から書かれている。・・・・・・・・・平日、店の前を通ると、ウィンドウに生きた蛇が20~30匹ぐらいうニョロニョロしている。私は蛇が苦手なので、この前を通るのが怖かった。今でもいやだ! 今日は日曜、ウィンドウにもシャッターが下り安心して前を歩ける。
②梅の湯・・・・・・・・・蔵前4丁目の銭湯。アレ、暖簾が出てない。 「暫くの間、休ませていただきます」の貼紙が。 ひょとすと、廃業かも? 気になるね!・・・・・・・・外観は平入りの瓦葺屋根に二重の破風が付いた正統派の江戸風レトロ銭湯。 梅干し色の入口廻りの雰囲気は、何やら遊郭風でもある。・・・・・・・・・再開するのを待つお客も多いと思うよ!
③蔵前神社・・・・・・・・・・・元禄6年(1693)、徳川綱吉が山城国の石清水八幡宮を勧請したことをもって創祀としている。以来、石清水八幡宮、蔵前八幡などと呼ばれたが、戦後、蔵前神社となった。・・・・・・・・・・江戸時代は回向院・富岡八幡宮とともに勧進相撲を行い、相撲と縁のある神社だ。玉垣には、戦後、近くに蔵前国技館があった頃活躍した力士(横綱:千代の山、鏡里、東富士、吉葉山 大関:栃錦、三根山、など)の名が並んでいる。懐かしい名だ!
④旧岡三証券浅草支店・・・・・・・・・駒形橋の近く、食通には「並木藪蕎麦」の隣りに在るビル。昭和10年(1935)建築、鉄筋コンクリート造3階建て。・・・・・・・・・このビルは当初「河合ビル」として建ち、戦後は埼玉銀行が使用し、その後岡三証券が使用し、現在はギャラリーとして使用されている。・・・・・・・・・・今日は、ギャラリーで「松永高寛写真展」を拝見し、ビルの内部もパチリ。金庫室、“御手洗”のプレートが貼られた便所などが残っていた。
⑤雷門の横をとおり・・・・・・・・・・・・
⑥待乳山聖天・・・・・・・・・・言問橋の北側にある聖観音宗の寺院で、浅草寺の子院のひとつである。本尊は歓喜天(聖天)・十一面観音で、待乳山聖天(まつちやましょうでん)と称される。この寺には浅草名所七福神のうち毘沙門天が祀られている。・・・・・・・・・・・境内のあちらこちらに“巾着”と“大根”を見ることができる。“大根”は身体を丈夫にし、良縁成就し、夫婦仲良く一家の和合を御加護頂けるそうだ。“巾着”は商売繁盛の御利益を示している。
・・・・・・・・・・・・・巾着型の水鉢
・・・・・・・・・・・・・大根が供えられた御本尊
・・・・・・・・・・・・・巾着と大根がデザインされた階段の手摺
・・・・・・・・・・・・出世観音の燈籠には「献燈 花柳小菊」と彫られていた。・・・・・・・そうです、神楽坂出の芸者スターで、戦後の映画、TVに数多く出演した名女優。 名を懐かしむ人も少なくなったと思うね!
⑦今戸神社・・・・・・・・・・・今戸神社は、康平6年(1063)、京都の石清水八幡宮を勧進したことが始まり。関東大震災や東京大空襲で被災し、その都度再建した。現在の社殿は昭和46年(1971)に再建したものだ。・・・・・・・・・・・御祭神に伊弉諾尊・伊弉冉尊の夫婦の神様を祀っている事から、縁結びに御利益を期待した若い娘が連日参拝している。 私も御利益に期待して、ナイショで参拝?
・・・・・・・・・・・・・おみくじ、お札売り場は若い娘がイッパイ!
⑧橋場の裏道・・・・・・・・・・・「橋場」は台東区の北端に位置する隅田川沿いの町で、明治通りにより台東区橋場と荒川区南千住に分けられている。・・・・・・・・・・・昭和の頃までは、バラックなどの古い建物も多く、戦後の匂いが最近まで残っていた町だ。
⑨橋場の倉・・・・・・・・・・・・駐車場の一角に建つ煉瓦造りの倉。 煉瓦につやがあるね。
⑩清川2丁目の裏通り・・・・・・・・・・旧山谷(さんや)のドヤ街
・・・・・・・・・・・・・ドヤ街にある寶珠稲荷神社
●・・・・・・・・・・・・・寒い一日だった!
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