蒲田~雑色
JR蒲田駅から、直線距離で1.5km程の京急雑色(ぞうしき)駅まで、1万2千歩、8kmの散歩です。
蒲田駅から、多摩川が川崎に向かってポッコリ膨らんだ形の「西六郷」地区を抜けて、京急の六郷土手駅を通り、第一京浜を雑色駅まで、ぐるりと回る散歩となった。
①蒲田駅・・・・・・・・・・・明治37年(1904)に東海道本線の蒲田駅として開業し、大正3年(1914)には京浜線(現:京浜東北線)が運行した。 大正11年(1922)には池上電気鉄道線(現:東急池上線)の蒲田~池上間が開通。翌年には、目黒蒲田電鉄(現:東急多摩川線)の蒲田~沼部間が開通した。・・・・・・・・・西口の駅ビル(現:グランデュオ蒲田西館)は昭和45年(1970)の竣工。 駅ビル竣工直後の頃、私も仕事でこの近くで寝泊まりしていた。思いである駅だ!
②富士通ソリューションスクエア・・・・・・・・・平成15年(2003)に約300億円を投資し、建替えられた「富士通ソリューションスクエア」。ソフト開発の拠点だ。・・・・・・・・ここには、思い出が多い。 私がゼネコンに勤務していた昭和45年(1970)に、西側の多摩川べりに「昭和電工中央研究所」があり、そこに寝泊まりし工事を担当していた。当時は「富士通電子計算機専門学校」で、横を通り蒲田駅前へ遊びに行ったもんだ。 次は、昭和50年代頃から、私はゼネコンのコンピュータ部門の勤務となり、ユーザとしてソリューションスクエアの前身「情報処理システムラボラトリ」へ度々の訪問。 最後は平成になり、私自身が富士通関連会社に勤務し、今度はお客をソリューションスクエアに迎える側になった。・・・・・・・30年以上おつきあいした処だ。
③蒲田電車区・・・・・・・・・・富士通ソリューションスクエアを回りこむように、蒲田駅方向から線路が分岐し、南側にひろがる車両基地だ。・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・右側が本線、左側(踏切)が電車区への引込線
・・・・・・・・・・・・・電車区・・・・・・・・通勤時間帯でもあり、車両の多くは稼ぎに出ているようだ!・・・・・・・・その昔は、松本清張の『砂の器』にも登場した、かつての国鉄蒲田操車場である。
④梅は咲いたか 桜はまだかいな 柳なよなよ風次第 山吹ゃ浮気で 色ばっかり しょんがいな ~~~
⑤安養寺・・・・・・・・・・・真言宗の医王山安養寺は、永禄11年(1568)に没した永伝法印が創建した。境内の薬師堂は行基(667~749)の創建と伝えられ、古川薬師と称している。・・・・・・・・寺の入り口には、延宝2年(1674)に雑色に建てられた古河薬師道の道標が残されている。
⑥多摩川河川敷・・・・・・・・・・・現在は「多摩川緑地野球場/サッカー場」となっている河川敷に、昭和45年(1970)頃は9ホールのゴルフ場が在った。当時、近くで寝起きしていた私は、早朝ゴルフに挑戦した。 下請けの建築会社から貰った、一斗缶イッパイのロストボールを持って、、、、、二週間後には空き缶となった。多摩川に、ポチャ!、、、、、、才能が無いと自覚し、以後ゴルフクラブは持ったことがない!
⑦西六郷の裏道・・・・・・・・・・
⑧六郷川橋梁・・・・・・・・・・・上流側にJR東海道線の六郷川(多摩川)橋梁が、下流側に京急の六郷川橋梁が並行している。・・・・・・・・・JRの方は、明治4年(1871)に日本初の鉄道橋として木造で架けられた。以後3回架け替えられ、現在は4代目で長さ519mのトラス橋。・・・・・・・・・・京急の方は、明治44年(1911)に、仮の複線木橋より本格的な鉄橋に架け替えられた。この鉄橋は、昭和47年(1972)に現鉄橋(8連トラス橋、551m)に架け替えるまで使用された。
⑨六郷土手駅・・・・・・・・京浜電気鉄道の六郷堤駅として、明治39年(1906)に開業。昭和46年(1971)に六郷川橋梁の架け替え工事に合わせ高架駅となる。・・・・・・・・・その名のごとく、多摩川の土手まで70mぐらいの距離だ!
⑩旧六郷橋の橋門と親柱・・・・・・・・東海道の多摩川に橋が架けられたのは、明治7年(1874)の木橋の架橋が始まり。 大正14年(1925)には、タイドアーチ式の鉄橋に架け替えられた。 交通量の増加により、昭和60年(1985)に現:六郷橋が架橋された。・・・・・・・・六郷土手駅近くの公園に旧六郷橋の橋門と親柱が残されている。
⑪雑色獣医科・・・・・・・・・・雑色駅近くの動物病院。一見、銀行風建物。一見、鉄筋コンクリート風建物。 よくよく見ると、木造建築と思えわれる獣医科。・・・・・・・犬、猫の専門らしい。 さらに、よく、よく、看板を見ると、定休日は水曜だけで、それ以外は、日曜・祝日を含め診療日とのこと。・・・・・・・・・人間様の診療所も、こうであってほしいね!