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2013年3月

2013年3月29日 (金)

四ツ木~亀有

京成押上線四ツ木駅から、常磐線亀有駅まで、1万6千歩、11Kmの散歩です。

四ツ木駅 ・・・・・・・・・・大正元年(1912)に開業した駅。平成11年(1999)の高架化工事以降、高架下は柵で囲われたまま活用する動きがない、どうするのか。 ひょっとすると、地下鉄8・11号線(有楽町線・半蔵門線)の延伸計画構想(有楽町線が豊洲から住吉へ分岐し、住吉~押上~四ツ木間は両線が共用し、四ツ木からは両線が亀有へ向かう)を睨んでいるのか?

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②西光寺・・・・・・葛西郡渋江郷(現:四つ木)の領主だった葛西三郎清重の館に親鸞上人が逗留し、自ら阿弥陀如来の像を画いて与えた。清重は随喜のあまり聖人に帰依し、浄土真宗雨降山西光寺として嘉禄元年(1225)に創建した。その後、寺は衰退し無住状態となった。 寛永年間(1624-43)に天台宗の僧が止宿して、由緒ある寺の法灯が絶えることを惜しみ、浅草伝法院の門末:超越山西光寺として再興した。

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③堀切1丁目・・・・・・・・・・“○○荘”だ!・・・・・・金属加工工場です・・・・・・・・ドブ川は暗渠化して消え、桜が彩を添える裏道

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④極楽寺・・・・・・・・・・・堀切菖蒲園近くに、真言宗豊山派の寺で、医王山薬王院と号し、宝徳元年(1449)に創建された極楽寺がある。ここの門柱は、昭和6年(1931)建立。・・・・・・・・・山郷の寺のような空気が漂い、なんとなく素朴な感じだ!・・・・・・・・・・門の脇には疣取り(いぼとり)地蔵が祀られ、地蔵さんに塩をふりかけ、その塩を疣にすりこむと良く治ると伝えられている。 長年、塩をかけられ融けてしまったのか、地蔵さんの姿が見えない!

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⑤泉荘・・・・・・・・・・昭和の残るアパート「泉荘」、昭和初期の建物か? 屏風状に折れた正面外壁、緑の洋瓦、丸窓、菱形にデザインされた桟のある窓、玄関の円柱、どれもこれも“昭和レトロ”だ!・・・・・・・・・・1階を拝見、玄関右手に管理人室の小窓、左手は2階への階段と下駄箱、正面は真直ぐ伸びる廊下、奥には共同便所。タイムスリップしたようだ!

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⑥天祖神社・・・・・・・・・・京成本線「堀切菖蒲園」駅の南側一帯は「クローバー商店街」と称している。この一角に天祖神社がある。・・・・・・・・・永禄3年(1560)に勧請した、旧堀切村の鎮守さま。現在の社殿は昭和41年(1966)造営。

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⑦堀切文化映画・・・・・・・・・「クローバー商店街」に位置する飲み屋街の中程に、現在は八紘産業という会社が使用している建物がある。・・・・・・・・ここには、「堀切文化映画劇場」があり昭和50年(1975)前後まで営業していたそうだ。堀切には、他に、戦後の最盛期、堀切映画劇場、堀切世界館、堀切日本館、堀切シネマ、堀切名画座と6館もあり、下町の繁華街を形成していた。(もちろん、現在営業中の映画館は1軒も残っていない。)

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・・・・・・・・・・・・外壁に残る「堀切 文映」の文字影。

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⑧九品寺・・・・・・・・堀切菖蒲園駅の北方に位置する、葛飾区内では有数の古刹。建久4年(1192:鎌倉時代)創立し、以来、今日まで法灯を絶やさず伝えている。・・・・・・・・・現在の本堂は昭和35年(1960)の改築。・・・・・・・・桜が綺麗だったので、足が止まった!

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⑨亀有の畑・・・・・・・・・・

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⑩亀有駅前交番の脇に・・・・・・・・・・某マンガの主人公が

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●おまけ・・・・・・・・・・ママの手品、つまらない!

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2013年3月28日 (木)

亀戸~四ツ木

総武線亀戸駅から、京成四ツ木駅まで、1万3千歩、9kmの散歩です。

①亀戸駅・・・・・・・・・・・総武鉄道の駅として、明治37年(1904)3月29日(明日が創業109年)に開業した。一週間後の同年4月5日には東武亀戸線の亀戸駅も開業した。昭和4年(1929)には、総武本線の貨物支線:越中島貨物線(亀戸~小名木川)も開通した。

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②都営亀戸第二アパート・・・・・・・・・・・・亀戸2丁目に建つ都営アパートで、江東区最古の都営高橋アパートに次ぐ古さを誇る。昭和36年(1961)に建てられた、鉄筋コンクリート造、5階建て。1・2階は店舗で、空いている店が多い。3階以上に、2DK(32㎡)の住宅が18戸ある。・・・・・・・・・・・・道路の反対側には、UR都市機構の大きな団地があるので、このアパートの存在価値はあるのかな? そろそろ建て替え時期かも?

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③東覚寺・・・・・・・・・・・・亀戸七福神の一つ弁財天を祀る、真言宗智山派の東覚寺。寺は享禄4年(1531)の創建だが、本堂は2年程前に建替え、木肌も白く輝いている。・・・・・・・・・弁財天は門を入り脇のお堂に祀られているが、扉が閉まり覗けなかった。

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④福神橋からスカイツリーを・・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・福神橋・・・・・・・・・江東区亀戸と墨田区立花を結ぶ橋で、昭和58年に架けられた。 全長21.3m、幅22m。 橋の周辺には、亀戸七福神や吾嬬神社、香取神社などが点在し、このあたりから橋の名前は付けられたようだ。

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⑤吾嬬神社・・・・・・・・・福神橋の際の墨田区立花に在る神社。正治2年(1200=鎌倉時代)に創建したようだ。古い神社で、社殿は古墳の上に建っているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・ここの神社の狛犬は、ナント、拝殿裏の本殿の前に小さな姿でいた!・・・・・・・・・・安永2年(1773)に奉納されたもので、保存状態も良く、子犬のようだ!

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・・・・・・・・・・・・・ここの神社の鳥居(大正4年奉納)で、ナント、懐かしい“モスリン キャリコ”の言葉を発見!・・・・・・・・・“モスリン”とは、薄手の平織り羊毛生地で、暖かいので、戦前は襦袢、半纏、軍服などに用いられた。今はほとんど流通していない生地だ。  “キャリコ”(=キャラコ)とは、薄手で織り目が細かい糊付けした純白の布地で、白足袋やステテコに用いられてきた。・・・・・・・・・・私が学生の頃は、寒くなると、今は亡き祖母が『キャラコのステテコはきな!』と言っていた。 懐かしい響きのある“モスリン キャリコ”だ。

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⑥東武亀戸線を越える・・・・・・・・・小村井駅の踏切だ!

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⑦墨田区八広付近・・・・・・・・・・・・・この辺は中小の工場が多く、機械油の匂いがする。いいね、好きだ!・・・・・・・・・ときおり、皮をなめす臭いもする。これは、いやだな!

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⑧木根川橋・・・・・・・・・・・墨田区八広と葛飾区東四つ木を結び、荒川に架かる橋。昭和44年(1969)に竣工した、長さ466mの鋼トラス橋だ。・・・・・・・・・・綺麗に連なる美しい橋だ!

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・・・・・・・・・・・・上流側には、京成押上線の荒川橋梁

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⑨八広の公園で・・・・・・・・・・・・・

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2013年3月27日 (水)

千駄木

小雨のぱらつく寒い日だ、文京区千駄木の日本医科大学:検診医療センターで、PETによるがん検診を受診してきた。(癌が無ければいいが、後日結果が出るまで、ぐっすり寝て待つことにする。)・・・・・・・・検診センターは、我が家からのアクセスがチョイト不便なため、早めに家を出て雨の中をブラブラしながら行ってきた。

①千駄木駅・・・・・・・・・地下鉄千代田線(北千住~大手町)が開業した昭和44年(1969)、千駄木駅も同時に開業した。千代田線の通る根津~町屋間は、道路が狭く建設時には上下線が並行する形式で駅を設けるスペースが無く、この間は上下2階建ての線路となっている。駅も1面1線の単式ホームが上下2層構造となっている。・・・・・・・・地下鉄は2階建てで造られても、外から見えないから、チョイトつまらないね。

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②千駄木の裏道・・・・・・・・・・・裏道で発見!  まずは、お店の前に消火栓?、置物かな?・・・・・・・・次ぎは、雨に濡れる桜・・・・・・・次は、講談社発祥の地の碑(明治42年(1909):創業者:野間清治がこの地で講談社の前身「大日本雄弁会」の看板を掲げた)

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③須藤公園・・・・・・・・・・・加賀前田藩の支藩であった大聖寺藩の屋敷跡。明治時代には政治家:品川弥二郎(九段に銅像がある)の邸宅となった。 その後、実業家:須藤吉佐衛門が買い取り、昭和8年(1933)に東京都に寄付された。・・・・・・・・・・池には弁財天が祀られ、高台には滝もある、変化に富んだ公園だ。・・・・・・・・・ちなみに、品川弥二郎は私の母校:京華学園の創設者でもある。

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④千駄木の邸宅・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・K邸・・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・島園邸・・・・・・・・・設計は、日本橋に在った旧川崎銀行本店などを手掛けた矢部又吉。昭和7年(1932)の建築、東京帝大医学部教授の住宅。国の登録有形文化財。

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・・・・・・・・・・・・・山脇邸・・・・・・・・・裏千家の茶人:山脇善五郎の築地の家が関東大震災で被災したため、震災直後、ここに茶室を持った住宅を建てた。現在は「茶室睡庵」として利用している。

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⑤旧安田楠雄邸・・・・・・・・・・・・・この邸宅は豊島園を作った藤田好三郎が自邸として、大正8年(1919)に清水組(現:清水建設)の施工で建てたものだ。大正12年(1923)には“手狭”を理由に引っ越してしまい。直後に関東大震災で罹災した、安田善次郎(財閥の創始者)の娘婿善四郎が購入した。安田善四郎は三十六銀行の頭取で、子の楠雄は第三銀行頭取、千葉興業銀行の重役であった。その楠雄の邸宅とした。・・・・・・・・・・今日は、内部をチョイト(検診予約時間のため、20分間)拝見!・・・・・・・・・・時々、ロケなどで利用されているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・応接

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・・・・・・・・・・・・台所・・・・・・・当時は専任のコックもいた、昭和初期のモダンなキッチン

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・・・・・・・・・・・・電話室

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・・・・・・・・・・・・2階の和室としだれ桜

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⑥夏目漱石旧居跡・・・・・・・・・・・夏目漱石が明治36年(1903)英国から帰り、千駄木町57番地(現:文京区向丘2)に居を構えた。ここでは、『吾輩は猫である』、『倫敦塔』、『猫』、『坊ちゃん』、『草枕』などを執筆したそうだ。・・・・・・・現在は日本医科大の同窓会館が建っている。・・・・・・・・・碑の後ろの塀に猫の置物があるよ!

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⑦日本医科大学:検診医療センター・・・・・・・・・・漱石の旧居跡前に建つセンター・・・・・・・・今日の私の目的地だ!・・・・・・・・・建物は、大成建設の設計:施工、平成18年(2006)竣工

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2013年3月26日 (火)

千葉大

稲毛のパソコン同好会の帰り、千葉大の西千葉キャンパスをぶらついて来た。9千歩、6km程の散歩です。

●キャンパスの桜は散り始めたようだ、4月の入学式まではもたないね!

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●今日は大学院の修了式で、修士の学位を985名、専門職学位を42名、博士の学位を222名が取得されたそうだ。おめでとう!

・・・・・・・・・・・・留学生も門の前で記念撮影

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・・・・・・・・・・・・・桜の下で記念撮影

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・・・・・・・・・・・・・思い出話か? これからの夢を語っているのか?

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●西千葉キャンパスには戦前の建物は残っておらず、古そうな薬学部の建物も昭和40年代の建築だ! 薬学部は亥鼻キャンパスへ移転し、名称は西千葉キャンパスから消える運命だ!

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●千葉市中央区猪之鼻町に大正7年(1918)建設された薬学部の旧校舎の屋根飾りだが、薬学部が昭和41年(1966)に西千葉キャンパスに移転したとき、同時に屋根飾りも移転し保存されていた。・・・・・・・今日来てみたら薬学部は全て亥鼻キャンパスへ再移転していた。屋根飾りも移転したようで、姿かたちは消えてしまった。・・・・・・・・・一昨年の4月に撮影した屋根飾り。

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●こちらも、千葉大です・・・・・・・・・・

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2013年3月23日 (土)

浜離宮

今朝のテレビでは、桜は満開で、今日は“天気良し”明日は“天気悪し”、“花見は今日中に”のフレーズが、どの局からも聞こえた。 我が家でもその言葉に踊らされ、90歳に近い母を連れ夫婦と娘の4人で花見となった。 ・・・・・・・・・ ヨチヨチ歩きの人、食べることが好きな人、ウィンドショッピングの好きな人、いろいろで体力づくりの散歩は無理だ! 

●浜離宮でパチリです・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・昼過ぎには、チョイト、薄曇りの天気となった

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・・・・・・・・・・・・都心で、菜の花が満開だ!

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・・・・・・・・・・・・・上野公園、隅田公園、千鳥ヶ淵の混雑を避けてきた人が多いね

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・・・・・・・・・・・・・・彩も鮮やかに!

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・・・・・・・・・・・・・満開の花の下で、結婚式のスチール写真の撮影

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・・・・・・・・・・・・・・撮影の脇で、俺も撮れ!

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・・・・・・・・・・・・・・今日は桜を見なきゃ花見にならないね!

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・・・・・・・・・・・・・・桜もいいが、松もいいね

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2013年3月22日 (金)

本郷1丁目

水道橋の循環器クリニックで定期検診を受け、帰りは外堀通り(お茶の水坂)あたりをぶらついて来た。

①後楽橋・・・・・・・・・・・・・水道橋駅西口前の神田川側にかかる橋が後楽橋。 場外馬券売り場(黄色いビル)に直結する歩道橋があり、ギャンブラーはこちらの橋を渡るほうが多いようだ。・・・・・・・・・・昭和2年(1927)に架設された、関東大震災の復興橋の一つで、長さ21mの鋼製アーチ橋。・・・・・・・・・この橋はリタイヤ―前の10年間程、毎日通勤で渡らしてもらった、ありがたい橋だ!

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②昭和第一高等学校・・・・・・・・・水道橋交差点からお茶の水坂を上がる途中に昭和第一高等学校がある。学校本館は鉄筋コンクリート造4階建ての白亜の校舎で、昭和6年(1931)の建築、設計は木田保造、施工は木田組である。・・・・・・・・木田保造(きだやすぞう:1885~1940)は、千葉県に生まれ、横浜の大工の徒弟として建築界に入ってきた。以後努力し、明治44年(1911)日本橋の白木屋、大正14年(1925)銀座の松屋、昭和8年(1933)には私の母校「京華中・高等学校」の姉妹校「京華女子中・高等学校」も手掛けた。拓銀函館支店、天主公教会など北海道函館に多くの作品を残した建築家だ!

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・・・・・・・・・・・・・駿河台から眺める(昨年撮影)

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元町公園・・・・・・・・・・・関東大震災の復興公園として昭和5年(1930)に開園し、その後改修されているが建設当時のデザインが残されている貴重な公園。・・・・・・・お茶の水坂に面した公園入口の門柱、正面階段上部にはアーチ状の壁泉、あずまや(休憩スペース)の円柱、広場を囲むコンクリート柵に造られた十字の穴、コーナーの鷹らしきモニュメント、水が階段状に落ちるカスケード、どれもこれも昭和初期の香がするね。・・・・・・・・・旧帝国ホテルの正面玄関(犬山の明治村へ移設)の池を思い出した。公園のディテールが、フランク・ロイドライトの設計に似て、思い出させるデザインだ!

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・・・・・・・・・・・・・カスケードに咲いていた

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④旧東京市元町尋常小学校(旧文京区立元町小学校)・・・・・・・・・・・復興公園の隣りに復興小学校が残っている。・・・・・・・・・明治44年(1911)に創立し、震災後の昭和2年(1927)に現在地に移転し、鉄筋コンクリート造の校舎となった。その後、少子化のため平成10年(1998)に閉校となる。・・・・・・・・・玄関から校章・校名が取り外され、現在は本郷小学校、桜蔭中学校・高等学校に続き順天堂大学へ、仮住まいとして貸し出されている。

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⑤テーラーさいとう・・・・・・・・・・・お~~! 懐かしいマークと社名に御対面。・・・・・・・・私の母校「京華中・高等学校」に出入りしていたテーラーだ。 高校生の時は、紺の冬服/グレーの夏服とも、学校指定業者に制服を作ってもらい、仕上がった制服はスーツを入れる箱に納められ届けられた。その箱に印刷されたマークと社名を看板に発見した。約50年ぶりの御対面です。・・・・・・・・・・このテーラーは学生服の仕立て専門で現在も営業している。・・・・・・・・・個人的な話題で、ゴメン!

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⑥旧都教育庁お茶の水庁舎・・・・・・・・・本郷給水所近くの都の施設で、現在は「トウキョウワンダーサイト」として若い芸術家の発表施設だ。・・・・・・・・・・建物は年代不詳だが、私個人の推定では昭和初期だな。・・・・・・・・現在の利用以前には、都の職業訓練所でもあった。・・・・・・・・・本日は、チョイト、建物の中も覗いてきた。若い人の作品が展示されていたが、評価は難しいね!

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・・・・・・・・・・・・ツタが絡まり茂る3年前の夏に撮りました

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2013年3月21日 (木)

新小岩~亀戸

今朝は気温9℃、風速7m/s、北北西の風、7時のニュースでは渡辺蘭ちゃんの髪の毛が乱れ、寒そうだった。 その風の中を、新小岩駅から亀戸駅まで、1万6千歩、11Kmの散歩です。

新小岩駅・・・・・・・・・・・・・大正15年(1926)に設置した新小岩信号所が、昭和3年(1928)年に駅として開業した。・・・・・・・・・・新小岩信号所は駅の北東、新小岩駅と千葉寄りの小岩駅の間に位置している。 信号所は地上面に在るが、ここ新小岩駅から東京寄りは高架となる。 新小岩駅はその高架部分の開始地点に在るため、ホームの高架部分も低い位置で、構内通路は半地下部分に造られている。 構内通路から改札を出るには、階段を数段上ることになる。・・・・・・・・・・この辺はゼロメートル地帯で荒川の氾濫などが心配だが、大雨などによる構内の冠水も心配だね!・・・・・・・・・・JRでは、南北自由通路を平成30年(2018)頃までに整備し、現在の南北の改札を一本化するようだ。自由通路は、震度6強の地震や、豪雨でも路面冠水などの水害が生じないように、災害対応の設計となり安心できそうだ。良かったね!

・・・・・・・・・・・・・南口・・・・・・・・駅前広場もあり、快速の停車駅としては、納得!

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・・・・・・・・・・・・北口・・・・・・・ローカル駅の雰囲気だ、本当に快速の停車駅?

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・・・・・・・・・・・・構内は天井も低く、改札口には階段をのぼる

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②照明寺・・・・・・・・・・・真言宗豊山派の照明寺が建つ地は、もともと東新小岩の正福寺があったところ。正安3年(1301)、正福寺は東新小岩へ移転し、直後にその跡に照明寺が創建されたと伝えられている。・・・・・・・・現本堂は、安政2年(1855)の地震の直に再建された。 その後、明治11年(1878)と大正15年(1926)に修復したそうだ。 手入れがいいのか、綺麗な建物だ!

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③新小岩香取神社・・・・・・・・・・江戸川区中央4丁目の香取神社は、旧西小松川村の鎮守である。昔この辺が芦原で船が自由に往来できた頃、その中に浮かぶ小高い島に、下総の香取大神宮より経津主命の分霊を祀ったのが、香取神社勧請の由緒といわれているが、創建年代は不明の古い神社だ。・・・・・・・・・現本殿は総欅造りで、氏子大工牧野八郎次が十年の歳月を費やし、天保4年(1833)に竣工した建物である。・・・・・・・・・・・この神社は元和5年(1619)の棟札を所蔵する古社で、亀井和泉守源永好以来代々亀井家が宮司をつとめている。境内には宮司の胸像も建てられている。

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・・・・・・・・・・・・・小松菜産土神の碑・・・・・・・・・将軍吉宗が鷹狩でこの地を訪れた時、神社の宮司が餅のすまし汁に青菜を少々入れて差し出したら、吉宗が喜び、地名にちなみ「小松菜」と命名したらしい。・・・・・・・・・“小松菜”といえば鍋料理だが、石碑も鍋をデザインしたら受けたかも?

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小松川大橋 ・・・・・・・・・・・・荒川に架かる、全長495mの京葉道路の橋。橋は上下線別々に造られ、昭和44年(1969)に竣工した。・・・・・・・・・・橋の上はものすごい強風で、黄砂・PM2.5・花粉も皆吹っ飛び、スカイツリーも首都高も良く見えた。川面には波頭も見える。・・・・・・・・・風の強い、寒い日、今日みたいな日は私には要注意日だ! このような日の翌日、顔面神経麻痺を発症した経験が2回ある。この病は口に入れた食べ物がダラダラと流れ落ち、人に見せられない恥ずかしさを感じる病だ。さらに、顔が引きつり、ヤクザのような怖い顔にもなる。 二度と罹りたくない病だ! ちなみに、治療法の一つに温めた“コンニャク”で顔をマッサージするといいらしいよ!(昔の治療法)

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⑤懐かしの練炭・豆炭の看板・・・・・・・・・“練炭”、“豆炭”懐かしいね!・・・・・・・・・昭和30年頃の電器こたつ、石油ストーブの登場までは、我が家でも豆炭の“あんか”、火鉢などを利用し、暖をとっていたことを思い出す。・・・・・・・・「品川燃料(株)」は、前身の電興無煙炭商会から昭和9年(1934)に品川豆炭(株)となり、昭和11年(1936)に品川燃料(株)となり、その後、平成10年(1998)からは現在のシナネン(株)と変遷している。・・・・・・・・競争相手のミツウロコも、昭和8年(1933)に三鱗無煙炭(株)となり、昭和36年(1961)から現在の(株)ミツウロコとなった。・・・・・・・・昭和40年頃までは燃料屋の店先には、縄で束ねた練炭、袋に入れ積まれた豆炭、菰に入れ積まれた炭、横に並べて置かれた七輪、箱に入れて積んだあんか、軒先に束ねて積んだ薪、思い出すね!

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⑥ふれあい橋・・・・・・・・・・・亀戸9丁目で旧中川に架かる人道橋。この辺りからのスカイツリーもいいね!

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⑦春の匂いを満喫・・・・・・・・・・・・・・・・・

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2013年3月19日 (火)

浅草橋~新小岩

浅草橋の我が家から、蔵前橋通りに沿い総武線新小岩駅まで、1万7千歩、12kmの散歩です。

①鶴の湯・・・・・・・・・・・浅草橋に残る創業昭和2年(1927)の老舗の銭湯。建物は創業時のままで東京大空襲では焼けなかった。・・・・・・・・・我が家の家族が利用した銭湯の一軒だ! ご近所には小学校の同級生も多く住んでいたが、60年経った今は人も、家も、人情も変わり、チョイト寂しくなったね!

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②蔵前橋通り・・・・・・・・・・・夜祭で有名な鳥越神社の付近から、“蔵前橋通り”に出て、散歩を開始した。蔵前橋、東京都慰霊堂前を通過して・・・・・・・・・

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③本所警察署石原三丁目交番・・・・・・・・・チョイト、傾いてきたね! 

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④スカイツリーを見上げながら・・・・・・・・・・・・・

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⑤錦糸公園門柱・・・・・・・・・・大正12年(1923)の関東大震災後、各所で復興事業が実施され、その一つとして錦糸町駅北側に、昭和3年(1928)、「錦糸公園」が整備された。 開園当時の遺構として、現在唯一残るのが公園の門柱だ。・・・・・・・・・・・公園内の施設などは、度々建て替えられ当時のものは残っていない。

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⑥阪上製作所・・・・・・・・・錦糸公園の前に、明治30年(1897)年創業のパッキンの製造および販売会社がある。こちらの会社が、昭和19年(1944)に、現在地の錦糸町に本社を移した「阪上製作所」。・・・・・・・・ここの建物は戦前からあり、以前は病院だったそうだ。 玄関部分には病院の雰囲気が残されていた。 築100年は経ているかも?・・・・・・・・・会社の方に聞いてみたが、詳しい話は知らないらしい。 古い建物には間違いない!

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⑦亀戸天神・・・・・・・・・・・

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東武亀戸線を越える・・・・・・・・・・

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⑨平井大橋・・・・・・・・・・・蔵前橋通りが荒川を越える橋。昭和42年(1967)に開通した、橋長484mの鋼ゲルバー箱桁橋。・・・・・・・ここを渡ると、新小岩駅はまもなくだ!

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・・・・・・・・・・・・・・荒川の隣り中川には「かつしかハープ橋」と「上平井水門」が見える

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⑩巽橋・・・・・・・・・新小岩駅北口の、蔵前橋通りと平和橋通りがクロスする処が巽橋(たつみばし)交差点。この交差点は2本の主要道路が交差し、さらに運河「西井堀」を暗渠化した上にできた道路が交差する、6方向の交差点だ。・・・・・・・・蔵前橋通りはこの交差点を陸橋で横断し、暗渠化した道路の一方向は橋の欄干を残し車の通行を遮断している。交通渋滞の対策か?・・・・・・・・・・・それにしても、欄干は鉄筋コンクリートで造られ古そう。昭和の初期か?

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2013年3月17日 (日)

彼岸の入り

今日は彼岸の入り。 “暑さ寒さは彼岸まで”、桜も開花し春だ!  本日は散歩を休み、夫婦で外出。

①ハクモクレン・・・・・・・・・・郊外の下車駅で

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②浅草に寄り道・・・・・・・・・・帰りは買い物だ!

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③白波五人男・・・・・・・・・・仲見世横の通りには「白波五人男」が隠れている。この付近に江戸時代の歌舞伎作家:河竹黙阿弥が住んでいた。

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2013年3月15日 (金)

付録  東横線渋谷駅

今日で最後の東横線渋谷駅、駅は「撮り鉄」で大混雑らしい!

私は、今日この日のために、昨年撮った写真を見て、思い出に耽ることにした。

東横線渋谷駅は昭和3年(1928)に1面のプラットホームで開業し、昭和39年(1964)頃大改良工事が行われ、現在のホーム4面とカマボコ屋根となった。私の記憶に残る東横線渋谷駅はもちろんカマボコ屋根以降だ。

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・・・・・・・・・・戦後の巨大ターミナルは、今後より大きく変わるようだ、今後の変化に期待しよう! “東横線渋谷駅よ、ゴクロウサマ!”

東銀座・築地

地下鉄東銀座駅から、銀座・築地を抜け浅草橋の我が家まで、1万5千歩、10kmの散歩です。

①GINZA KABUKIZA・・・・・・・・・新しい歌舞伎座が入る複合施設が「GINZA KABUKIZA」で、高層ビルの「歌舞伎座タワー」と劇場の「歌舞伎座」で構成される。施設は地上29階/地下4階で、総事業費は約430億円、設計は隈研吾、施工は清水建設、いよいよ来月オープン。・・・・・・・・・・・今日はその地下2階にできた「木挽町広場」をチョイト覗いてみた。地下鉄東銀座駅から地下2階の「木挽町広場」に直結し、ここは駅前広場として待ち合わせ、ひと休みに利用できそうだ。 また、広場の周りには歌舞伎座の切符売場、カフェ、売店などもある。・・・・・・・・・・災害で帰宅困難となるとこの広場に泊まれるそうだ。普段はここで寝るとホームレスとみなされ、強制的に放り出されると思うよ!

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②鳥羽洋行ビル・・・・・・・・・・昭和通りに面し、歌舞伎座タワーの隣りにこのビルはある。昭和7年(1932)に清水組(現:清水建設)によって建てられた。・・・・・・・・・ビルはネットで覆われ、現在は空き家状態だ。解体の危機が近づいたのか?・・・・・・・・・4連のアーチ状の窓はビルに優しさを与え、復興期の景観を創り出したことであろう。

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③竹田ビル・・・・・・・・・・昭和7年(1932)の建築、当初は5階建て、6階部分は以後の増築。昭和通りに面した外壁はスクラッチタイル張りで、1階部分は石張りで安定感を出している。“ルノアール”の看板の両脇には渦巻きの飾りを、2階の窓上には石で水平線のアクセントを付けた、洒落たビルだ。

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・・・・・・・・・・・・・・裏側にも出入口があるが、外観はガラリと変わる。

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・・・・・・・・・・・・・・・内部は事務所ビルとして利用し、中央に共用の水場がある。

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④宮脇ビル・・・・・・・・・・こちらも昭和通りに面するビル。 昭和初期の建築か?・・・・・・・・1階の小料理屋さんに、ビルの老朽化により建て替えする旨の貼紙があった。 残念だが、また一つ昭和の遺産が消える!

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⑤築地電通ビル・・・・・・・・・・ご存じ、丹下健三の設計による地上13階/地下3階のオフィスビル。大林組の施工にて、昭和42年(1967)竣工した。・・・・・・・・・コンクリート製の大きな網をかぶせたような外観は、丹下健三が周辺地域の再開発を想定し、このビルと同じデザインのビルが連なることで、新たな都市空間を創造するはずであった。・・・・・・・・・現在、電通は本社を汐留に移し、このビルは電通テクノが使用している。・・・・・・・・・私が建築学科の学生であった頃の作品で、竣工したころは専門雑誌を賑わしていたことを思い出す。

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⑥築地本願寺・・・・・・・・・関東大震災で焼失した本堂を、東京帝大教授:伊東忠太の設計で昭和9年(1934)に再建した。古代インド様式(天竺様式)の建物だが、内部は日本の寺院建築の造りとなっている。・・・・・・・・・本堂に入ると、高い格天井と太い柱で造られた空間は、震災記念堂(東京都慰霊堂)と似た雰囲気だ!

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・・・・・・・・・・・・・本堂へ・・・・・・・・お賽銭と合掌を忘れずに!

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・・・・・・・・・・・・・本堂後方にはパイプオルガンがある。お経とコラボ演奏?

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・・・・・・・・・・・・・階段部分には動物が!

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・・・・・・・・・・・・1階

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●・・・・・・・・・・・・・・・・この後、茅場町、人形町、横山町を抜け我が家に到着。

2013年3月14日 (木)

南千住~浅草

南千住のJR貨物隅田川駅から、吉原を抜け浅草へ、買い物ついでの散歩、1万歩、7kmです。

①貨物列車・・・・・・・・・都バス南千住車庫前の跨線橋から、貨物列車を楽しむ。

・・・・・・・・・・・・・隅田川駅は、JR貨物とJR東日本の駅で、明治29年(1896)開業以来の貨物専用駅。・・・・・・・・・機関車を見るのも楽しいが、線路を見ながら、線路の先に思いを馳せるのも好きだ!

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・・・・・・・・・・・・私と同じ思いで(?)線路を見る子。隣りの地下鉄日比谷線にも手を振りサービス!

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・・・・・・・・・・・・入換作業中のDE101749

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・・・・・・・・・・・・お隣は常磐線

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②日本堤・・・・・・・・・・・・台東区の北に位置し、かつては「山谷」と呼ばれたドヤ街の一部を含む地域。・・・・・・・・・日本堤(にほんづつみ)の名は、江戸時代初期に造られた、浅草寺北側の待乳山聖天付近から箕輪(現:三ノ輪)の浄閑寺にかけて、水路に沿って築かれていた土手を指す。土手の中程に吉原が移転し、遊びに通う江戸っ子の通勤路となり賑わったが、昭和2年(1927)に土手は取り崩された。 しかし、由緒ある「日本堤」の地名は残った!

・・・・・・・・・・・・昭和41年(1966)の住居表示変更で、「山谷」の地名は、「日本堤」と「清川」に分割され消えたが、ドヤ街の雰囲気は残っている。・・・・・・・さすがに“100円ハウス”はなくなったが、“○○ハウス”、“ベッドハウス”は残っている。

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・・・・・・・・・・・・・・日本堤をぶち抜く商店街。 店の半数はシャッターがおりている、チョイト、元気がないね!

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・・・・・・・・・・・・・・土手通りの裏道

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・・・・・・・・・・・・・土手通りの老舗「中江」と「伊勢屋」。ともに、建物は国の登録有形文化財。・・・・・・・・明治38年(1905)創業の“桜鍋”の「中江」。吉原通いの客を相手に、20軒以上の桜鍋を売る店が軒を連ねていたらしい。今残るはここだけ。現建物は大正12年(1933)竣工。・・・・・・・・明治22年(1989)創業の“天麩羅”の「伊勢屋」 。創業以来変わらぬタレと、ドンブリからはみだす穴子の天ぷら、まさに絶品。現建物は昭和2年(1927)竣工。

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・・・・・・・・・吉原大門(遊郭の入り口)前の交差点に「見返り柳」がある。・・・・・・・・遊郭で遊んだ客が、後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、大門を出て土手にあったこの柳の辺りで遊郭を振り返ったということから「見返り柳」の名がついたといわれている。・・・・・・・・これより横道に入ると、現在はソープランド街となる。・・・・・・・・私はここでカメラをしまう。怖い人が多いので撮影禁止だ! まだ若いので、簀巻きにされて隅田川にドブンは、いやだ。

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          (3年前の夏に撮った見返り柳)

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③吉原ソープランド街・・・・・・・・・・・午後4時、そろそろ客が来るころらしい、店の前には黒いスーツのお兄さんがズラリ。なにやら怖そうだ、、、、速足で通り抜けようと思うが、興味もあるのでジックリ見学もしたい。お兄さんと目を合わさないように、恐る恐る店の中を覗きながら前を通ると、近づいてきて声をかけられる。  ビク、ゾ~~~、ヤバイ!   (写真はありません。期待に背きゴメン!)

④吉原神社・・・・・・・・吉原神社のご祭神は、稲荷神である倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と弁天様である市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)で、開運、商売繁昌、技芸上達などに御利益を期待できる。・・・・・・・・・もともとは遊郭に祀られていた5つの稲荷を明治8年(1875)に合祀したのが始まりで、大正12年(1923)の震災後に現在の場所に移った。・・・・・・・・・遊女が生ある間に幸せを祈り、参拝したであろう神社だ。亡くなった遊女の霊はお寺で弔ったのであろう。

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・・・・・・・・・・・吉原神社の斜め前に奥宮が在る。こちらに、小柄だが、艶っぽい弁天様が祀られている。 ついついパチリ!

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2013年3月13日 (水)

板橋~巣鴨

埼京線板橋駅から山手線巣鴨駅までの散歩です。万歩計の所持を忘れ、歩数計測不可。

板橋駅 ・・・・・・・・・・明治18年(1885)、日本鉄道の駅として開業した老舗の駅だ。開業時より貨物の取り扱いを始め、平成11年(1999)まではJR貨物の貨物駅でもあった。貨物駅であった頃は、板橋駅の池袋寄りにセメント工場があり、そこには引込線が敷かれていた。

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・・・・・・・・・・・・・写真中央上部のマンションが建つ位置にセメント工場が在り、引込線があった。 駅構内は線路敷きが広く残り、雑草に覆われていた。

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・・・・・・・・・・・・・ホームの横には、東鉄工業が平成21年(2009)に導入した、米国:ハラスコトラックテクノロジー社製のレール削正車が留め置かれていた。 レール表面の凹凸を削り落として、乗り心地を向上させるとともにレールの寿命を延伸する機械だ。

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・・・・・・・・・・・・・こちらは、オーストリアの「プラッサー&トイラー」社から輸入したマルチプルタイタンパー。この機械は、線路の高さを調整しながら砂利を付き固める働きをする。・・・・・・・・・この機械は、“我が家にも1台”とはいかないね!

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②中仙道踏切・・・・・・・・・・板橋駅の踏切。都心の駅とは思えない、味のある駅だ!

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③稲荷湯・・・・・・・・・・・・・・滝野川6丁目に在る昭和5年(1930)建築の銭湯。もちろん、木造2階て、寺社を思わせる作りの千鳥破風が特徴的な、裏通りの“これぞ銭湯”だ。

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④滝野川の裏道・・・・・・・・・・・・・・・

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⑤亀の子たわし西尾商店・・・・・・・・・・・・知らぬ人はいない、御存じ「亀の子たわし」の元祖、「西尾商店」の本社屋。 建物は昭和11年(1922)の建築で、関東大震災に耐えた。洋館風建物は、当時は流行の先端で、今はたわしのイメージと合いレトロだ。・・・・・・・・・・・「西尾商店」は明治40年(1907)、当時32歳の初代社長西尾正左衛門が本郷真砂町にて棕櫚(シュロ)製の亀の子束子を発明したことに始まる。 原材料は創業直後から南方繊維のパーム(椰子)を採用しているそうだ。・・・・・・・・玄関前には商品が吊るされ、小売りもしているらしい。

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⑥M邸・・・・・・・・・・亀の子束子の近くに在る元医院。昭和の時代には、あちらこちらに在った診療所の建物だ。 玄関回りに懐かしさを感じるね!

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⑦大正大学4号館・・・・・・・・・・・・明治18年(1885)「天台宗大学」として創立し、大正15年(1926)「大正大学」が設立された。・・・・・・・・・4号館は巣鴨キャンパスに残る、最も古い校舎で、戦前の建物と思われる。

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・・・・・・・・・・・・・昭和43年までは、前身の宗教大学時代の木造校舎(本館=明治41年築)が残っていたが解体された。現在は車寄せの部分が犬山の明治村に保存されている。(この写真は、大正大学の玄関の案内板から)

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・・・・・・・・・・・・・現在、大学ではキャンパスの改革整備を行っており、4号館以外は新しい建物だ。

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⑧秀瀬邸・・・・・・・・・・・西巣鴨の鉄筋コンクリート造2階建て、大正8年(1919)建築の住宅。築後、増築・改築をしたようで、パッと見、古さを感じさせないが、外部の窓廻りに木枠が出ていたりして、よく見ると古いね。・・・・・・・・・表札もなく、外灯もなく、現在は空き家のようだ。

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⑨A邸・・・・・・・・・・こちらも西巣鴨に建つ、元医院。戦前の建物か?

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⑩お岩様の墓・・・・・・・・・妙行寺に、『四谷怪談』のお岩様の墓がある。・・・・・・・・四谷(新宿区左門町)に「お岩稲荷」がある。ここは田宮家の屋敷が在ったところで、稲荷は屋敷社として勧請したものである。明治42年(1909)まで四谷に在り、その後巣鴨に移転した妙行寺に、その田宮家とお岩様の墓がある。

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⑪都電の専用軌道を越える・・・・・・・・・・・

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⑫都営バス巣鴨営業所・・・・・・・・・白山通りに面し、巣鴨駅近くに在る都バスの営業所。かつてここには、都電の巣鴨電車営業所が在った。敷地、営業所建屋など、旧電車営業所時代の面影を残している。・・・・・・・・・・大正2年(1913)に、この地に東京市電巣鴨車庫が設置された。 都電は廃止され、昭和46年(1971)から都営バス巣鴨営業所となる。・・・・・・・・私も中・高校生の頃は、ここの車庫に配車されていた都電を利用し、神保町~指ヶ谷(現:白山)間を通学していた。 その頃は、お世話になりました。

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2013年3月11日 (月)

浅草橋~曳舟

今日は東日本大震災から2年目、昨日は東京大空襲から68年目、散歩はまず東京都慰霊堂に行って手を合わせることからスタートした。浅草橋の我が家から京成曳舟駅まで、1万4千歩、10kmの歩きです。

蔵前橋 ・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)に竣工したアーチ橋。設計は井浦亥三(当時:復興局橋梁課)、施工は石川島造船所。関東大震災後、復興橋として架けられた、当時としては斬新なデザインのシンボル的な橋。・・・・・・・・・総工費は175万1千円だった。参考に、昭和4年の物価は、うな重60銭、とんかつ20銭、、、、、参考にならんか!

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東京都慰霊堂 ・・・・・・・・・・・・今日は、扉が開いた直後に来たので、一番に手を合わせることとなった。静かに、誰もいない処で合掌。 昨日の東京大空襲慰霊祭の献花も、そのまま飾られ、今日訪れる人を待っているようだ。・・・・・・・・・・・東大名誉教授:伊東忠太の設計により、昭和5年(1930)に竣工した。伊東忠太は遊就館築地本願寺湯島聖堂なども設計し、昭和18年(1943)には建築界ではじめて文化勲章を受賞した。

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・・・・・・・・・・・・・慰霊堂に展示されていた、東京大空襲後、東武浅草駅辺りから見た隅田川の写真。 手前の橋から、駒形橋、厩橋、蔵前橋、JR総武線隅田川橋梁。・・・・・・・・・一面の焼け野原、この翌年、浅草橋で生まれた赤子が今の私だ。 よく育ったもんだね!

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③蔵を残す現場・・・・・・・・・・“本所”近くの工事現場では、3階建ての蔵を残して仕事が進んでいた。現場の作業員の話では、オーナーの意向で残しているとか。 うれしいね、古い建物を大切に保存してくれて! ・・・・・・・・さっそく調べてみたら、オーナーは「伊勢半」という会社の社長だった。 ここに、「伊勢半」が明治38年(1905)頃から終戦まで、本社を置いていたらしい。 ところで「伊勢半」という会社は、化粧品会社で男性の私にはなじみがなかったが、あの“キスミー化粧品”といえば知る人は多いはずだ。 懐かしくなってきたついでに、化粧品会社を連想すると、、、、、ハイウッド化商品、八重椿本舗、君が代、柳屋、資生堂、守田宝丹、などなど。

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④本所・横川を抜けて行く・・・・・・・・・・カトリック本所教会妙見山、紅葉橋、日本たばこ、の前を通り、柳島橋へ

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・・・・・・・・・・・・柳島橋は亀戸天神の北側(裏側)で、スカイツリーの足下を流れる北十間川と、ここ柳島から分岐して東陽町の方へ流れる横十間川がT型に交わるところだ。

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⑤都営文化一丁目アパート・・・・・・・・・昭和40年(1965)から昭和58年(1983)頃までに建てられた、37棟、約1800戸を有する団地。・・・・・・・・・デカイね!

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⑥京島・・・・・・・・・・東武亀戸線の踏切を超えると、そこは京島地区です。・・・・・・・訪れるたびに、古い住宅が壊されていく。 スカイツリーと京成押上線の高架化による、地価の高騰か? 凄く早いペースで再開発が進んでいる。 おそらく、このスピードだとあと2年もしたらガラッと変わることだろう。

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・・・・・・・・・・・・・京島で見つけた懐かしい台秤

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⑦京成曳舟駅・・・・・・・・・・大正元年(1912)に開業した、相対式2面2線の地上駅。改札口は、上り下り別で、しかもホームの両端にあるので、全部で4か所だ。・・・・・・・・・現在は京成押上線(押上~八広間)の連続立体交差事業により、高架化の真っ最中。既設の地上線上下を若干北に移動し、南側に高架の上り線と駅舎を建設中だ。 まもなく、上り線が高架となり、下り線の高架橋工事も始まるだろう。・・・・・・・・全てが完成すると、改札は高架下に1か所となり、駅前は整備され広くなる。これで“下町”の駅から、“山ノ手風”の駅に変身する。

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2013年3月 9日 (土)

品川~東銀座

品川駅から旧海岸通りを通り、浜松町で海岸通りに入り新橋へ、そして東銀座まで、1万5千歩、10kmの散歩です。

①品川駅港南口・・・・・・・・・・平成10年(1998)東西の出入り口を結ぶ連絡通路「レインボーロード」が完成した。この頃から品川駅旧東口(現:港南口)は超高層ビル、タワーマンション、東海道新幹線品川駅などが建設され、今では高輪口(旧西口)以上に近代化された景観を創り出している。・・・・・・・・・連絡通路ができる以前は、品川駅といえば高輪口がメインで、旧東口は工場・倉庫に勤める限られた人しか利用しなかった。高輪口に近い山手線のホームからは、“ヤタラ長~い”駅構内の地下通路を利用して旧東口に出たものだ。 地下通路は台風・大雨の時は冠水しドブ川を歩くようだった。 また駅前は、小さな赤ちょうちんの店が数軒ある程度であった。 今や、当時の面影は消えた!

・・・・・・・・・・・・・東西の連絡通路「レインボーロード」

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・・・・・・・・・・・・港南口・・・・・・・・そびえるは、地上20階の「JR品川イーストビル」(平成16年(2004)竣工)。

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②品川駅前で目立つビル・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・NTT ドコモ品川ビル・・・・・・・・・ガンダムのようなビル。地上29階建て、平成15年(2003)竣工。

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・・・・・・・・・・・ソニーシティ・・・・・・・・・巨大なガラスの箱のようなビル。地上20階建て、平成18年(2006)竣工。

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③高浜橋・・・・・・・・・・港区港南1丁目と芝浦4丁目を結び、高浜西運河に架かる橋。昭和31年(1956)竣工だが、橋の老朽化対策・耐震化と橋幅の拡張を兼ね、架け替え工事に着手するようだ。・・・・・・・・・現在の橋幅17.5mを約27mに拡張するため、両詰の民家の立ち退きが始まった。 

・・・・・・・・・・・・・架け替えられる高浜橋・・・・・・・・・クロスするのは新幹線の敷込線

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・・・・・・・・・・・・・・並行する送水管の、さらに右側まで拡張される

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・・・・・・・・・・・・・北詰に残っている木造家屋も立ち退くことになった。・・・・・・・・・先月閉店した酒場「やまや」は、戦前からこの地で営業し80年経つた。 お客との思い出を宝として、惜しまれながら閉店したそうだ!

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④キャピタルマークタワー・・・・・・・・・・・・沖電気工業の本社・工場跡地に建つ、巨大なマンション。平成19年(2007)に竣工した鉄筋コンクリート造47階建てで、高さは167m程ある。・・・・・・・・・平成20年(2008)にグッドデザイン賞を受賞した、免震構造・オール電化の建物。総戸数869戸。ちなみに、賃貸では1LDKで月20万円程らしい。・・・・・・・・私には住めない、家賃は高い(払えない)、高さは高い(高所恐怖症)。

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⑤芝浦の思い出・・・・・・・・・芝浦工業大学(写真中央から左の建物)の前を通過するモノレールだ。 ・・・・・・・・・・昭和40年(1965)、私が芝浦工大を受験する頃は、この地に旧校舎があった。私の試験会場は、ちょうど3階の窓際で、横にモノレールが見えた。・・・・・・・・・当時の合否判定は、英語、数Ⅲ、物理の3科目の得点総合計だ。 英語が大の苦手、数学は大得意の私には、都合のいい試験だった。 数Ⅲ、物理は真面目に解いたが、英語は名前だけ書いて退席時間が来るまでモノレールを見ていた。 何回通過したか覚えていないが、退屈な時間だったね。・・・・・・・・・試験結果は、総合点で見事合格! でも、明大に入学してしまった。 芝浦工大には、ゴメン!

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⑥斬鉄軒・・・・・・・・・・入ったことのないラーメン屋。芝浦2丁目にナント出桁造りの建物があった。・・・・・・・・旧海岸通りに面する出桁造りの建物は、ひょっとすると、ここだけかも?

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・・・・・・・・・・・・数軒奥に入ったところには、木造の長屋もあった!

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⑦旧芝浦見番・・・・・・・・・・昭和11年(1936)に芝浦花柳界の見番として建てられた、木造2階建ての建物。大工棟梁は目黒雅叙園などを手がけた酒井久五郎だ。1階に事務室・応接室などがあり、2階は芸妓の稽古場として、大広間や舞台もあったらしい。戦時中は港湾労働者の宿泊施設として利用され、戦後は「協働会館」と称し引き続き利用された。平成12年(2000)、東京都港湾局が閉鎖し、現在は港区所有の指定有形文化財。・・・・・・・・保存の検討を始めてから、約10年経過したが、いまだ結論は?・・・・・・・ ネットで覆われ、いつまでこの姿で置いておくのか!

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⑧木村屋・・・・・・・・芝浦1丁目交差点の元パン屋です。大正10年(1921)築の洒落た建物。

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⑨重箱掘石積護岸・・・・・・・・・・日の出桟橋の西側で、運河が凸型になったところが重箱掘。 その護岸は、大正2年(1913)に施工された石積みとなっている。・・・・・・・・現在は、後ろに建つ複合ビル「シーバンス」と一体となり、憩いの場となっている。

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・・・・・・・・・・・・シーバンス

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⑩古川水門・・・・・・・・・・古川(渋谷川)の河口部と芝浦運河の接続部に昭和52年(1977)に設置された水門。近くには、東芝ビル、東京ガスビル、浜崎橋JCTもあ。

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中銀カプセルタワービル・・・・・・・・・・・・一部毎にカプセルになっていて、それを自由につけたりはずしたりできる構造になっている面白いビル。 故黒川紀章の設計により、昭和47年(1972)に竣工した。・・・・・・・・・・築後40年近く経ち、老朽化により取り壊しが決まっている。 残念!

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⑫銀座に残る踏切・・・・・・・・・・・銀座郵便局の脇の通り(只今工事中)の片隅に、踏切が残されている。この踏切は汐留駅(貨物駅)と築地市場の間の貨物引込線で、昭和6年(1931)から昭和62年(1987)まで使用された。・・・・・・・・・レールも残しておいて欲しかったね!

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⑬歌舞伎座・・・・・・・・・・・出来てきました、いよいよ来月杮落しだ!

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⑭銀座は春の陽気だ・・・・・・・・・・・・

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2013年3月 7日 (木)

浅草橋~宝町

我が家(浅草橋)から、都営地下鉄の宝町駅まで、1万歩、7kmの散歩です。

①浅草橋駅・・・・・・・・・・両国止まりであった総武線が、御茶ノ水駅まで延伸した昭和7年(1932)に同時開業した。・・・・・・・・我が家の最寄駅で、私は産声をあげた時からのお付き合いだ。私が小学生の頃は電車も7両か8両編成であった。その頃までは、江戸通りに面する東口改札は高架下に在った。その後、総武線の10両編成化と、都営地下鉄の建設に合わせ、線路脇の用地(現:駅舎のある場所)を取得し2階建てビルを造り、JRの改札は2階、都営地下鉄の改札は地下1階とした。 西口は多少の改良工事は行われたが、改札は現在も高架下にある。・・・・・・・・・・・高架下には店舗が入り、高架の両側は道路となっており、ホームは道路上にはみ出したように造られている。それゆえに、エレベータ、エスカレータを造るスペースがなく、総武線(御茶ノ水~千葉間)でバリアフリー化されていない駅として、御茶ノ水と共に残る貴重(?)な二駅となっている。・・・・・・・・・・今や、浅草橋地区ではバリアフリー化のための市民運動が立ち上がり、16000人の署名を集めJR・区などに陳情したり、働きかけを行っている。町会長も参加、区議も参加、我が家の婆さんも署名、、、、、、、、最近、JRは測量を行いバリアフリー化実現のため検討に入ったようだ!・・・・・・・・我が家の90に近い婆さんが電車にのるときは、地上3階部分にあるホームまで階段を上るのに一苦労している。早く楽させてやりたいね! (杖も持たず、元気に歩いているので、長生きしそうだ。残念!)

・・・・・・・・・・・・・かつては高架下の店舗のところに改札があった。

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・・・・・・・・・・・・・今は、跨道橋で道路を跨ぎ、隣のビルが改札だ。

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・・・・・・・・・・・・高架下は店舗で、道路に覆いかぶさる部分にホーム(下り線側)がある。

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・・・・・・・・・・・・反対側(上り線側)も同じ構造だ。ホームにエレベータを造ると道路に出ちゃうね!

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②交番跡?・・・・・・・・・・・・日本橋横山町の一角に、薄汚れて年季の入った木の看板に「久松警察署災害対策資材置場」と標されている交番風の建物がある。・・・・・・・・・・私の見立てでは、元交番のようだ! かなり以前から注意しているが、調べが不足して、今だ確証が得られない!

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③二興商会・・・・・・・・・・・東日本橋に在る、小粒ながら細かな化粧がキラリとひかる、昭和3年(1928)頃竣工したビル。・・・・・・・・・・いつもはシャッターが降りているが、今日は開いている。どうやら隣りのビルの建築用に資材の置き場として利用しているようだ!

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④竜閑川跡に建つ民家・・・・・・・・・・・江戸時代の掘割として、現:大手町で日本橋川から分岐し、千代田区と中央区の区境を流れ、東神田で直角に折れ、人形町、箱崎を抜け隅田川に注ぐ川が竜閑川(りゅうかんがわ)だ。・・・・・・・・竜閑川は、戦後の瓦礫処理のため埋められ昭和25年(1950)には消滅した。その跡地に建てられた民家が久松署の横に、川筋に並び残っている。

・・・・・・・・・・・・・写真中央の建物が右側の道路(川の中央に相当する)の左右に長屋として並んでいた。駐車場として壊した部分を見ると木造モルタル造りが判る。

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・・・・・・・・・・・・川岸側から見ると小さな敷地の建物がズラリ!

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・・・・・・・・・・・・裏側は路地で、中央の雨水用の側溝が川の中心線だ! 小さな飲み屋が並んでいる。・・・・・・・・・戦後、バラックから始まったのか(?)、その頃の匂いが残っているようだ。

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⑤玄冶店 濱田家・・・・・・・・大正元年(1912)、人形町「玄冶店(げんやだな)」跡地に創業した高級料亭。・・・・・・・ 「玄冶店」とは、江戸時代の医者岡本玄冶(1587~1645)が住んだことに由来する地名。・・・・・・・・・・“玄冶店”といえば、春日八郎が唄う ♪♪ 粋な黒塀  見越しの松に 仇な姿の洗い髪 死んだはずだよお富さん 生きていたとは お釈迦様でも 知らぬ仏のお富さん エーサオー 源冶店 ♪♪、、、、、、いいね!

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⑥みどりや靴店・・・・・・・・・・人形町交差点に残る、歴史のありそうな建物。2階の看板の間から見える窓を見よ。 一目瞭然!

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⑦人形町の裏道・・・・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・・こちらは、国の登録有形文化財の料理屋さん。昭和3年(1928)築。

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⑧三田商店・・・・・・・・・・・・日本橋小網町の三田商店は、震災後の昭和5年(1930)に東大建築科を卒業した葛西万司の設計で建てられた。

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⑨繭山龍泉堂・・・・・・・・・・昭和35年(1960)、京橋に建てられた古美術商の建物。明治38年(1905)創業の老舗だが、私には縁遠い店だ!

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⑩東京搬送機・・・・・・・・・・・・こちらは京橋のレトロな建物、昭和初期の建築だ。・・・・・・・よく見ると、表通りから奥の半分は真っ黒に塗られている。スクラッチタイルの良さが判らない人もいるようだ。残念!・・・・・・・・・・1階は喫茶店で、奥の黒い部分は居酒屋だった。

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2013年3月 6日 (水)

矢切~市川

北総線矢切駅から、江戸川土手を歩き総武線市川駅まで、1万4千歩、10kmの散歩です。

①矢切駅・・・・・・・・・北総鉄道北総線の「矢切(やぎり)」駅は、葛飾「柴又」とは江戸川を挟み対岸の千葉県松戸市下矢切にある駅。平成3年(1991)の開業した、2面4線の地下駅。・・・・・・・・ここ矢切駅は水上勉の旧居跡に造られた駅だ。

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②化研病院・・・・・・・・・・正式名称は財団法人化学療法研究会 化学療法研究所附属病院。 病院は昭和14年(1939)、当時国民病といわれた結核の化学療法研究を目的に設立された。昭和41年(1966)には、結核患者減少に伴い一般病棟を建設した。・・・・・・・・・・・現在は、平成19年(2007)に全て新しい建物に建て替えられ古い病棟は何もない状態だ。・・・・・・・・・・私が最初にこの病院を訪れたのは30年くらい前で、当時はサナトリュウムの雰囲気が残る木造の病棟・霊安室などが何棟か建ち並び、本格的な(?)戦前の病院だった。 

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・・・・・・・・・・・恩賜館・・・・・・・化研病院は結核治療の病院として、その社会的重要性から三井財閥の支援を受ける一方、明治天皇ゆかりの「恩賜館」を宮内省より下賜された。この建物(現:病院裏に移設された)は、明治天皇が明治8年(1875)皇太后の御座所として青山御所内に造営し、その後、内大臣官舎の和館として千代田区三番町に移築し、昭和11年(1936)まで使用されていた。昭和13年(1938)、化研病院内に移築した由緒ある建物だ。明治以降に宮内省で造営し現存する建物の中では最古だ。

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③栗山浄水場配水搭・・・・・・・・・・矢切のシンボルとしてドッシリと立つ、栗山浄水場の給水塔。高さ31.9m、内径15mの円筒形高架水槽、ドーム状の屋根で、頭頂部には4本柱の換気口をもつ、昭和12年(1937)の竣工の現役の給水塔。・・・・・・・・・一昨年、外壁を塗り替え青空の下、白く輝いていた。

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・・・・・・・・・・・・浄水場の本館

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④チョイト、田舎の空気が・・・・・・・・・栗山浄水場がある高台から、江戸川土手の方へ下がる細い路に田舎の空気を感じた。 神社は日枝神社、お寺は本久寺。

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⑤柳原水門・柳原排水機場・・・・・・・・・・松戸市東部では都市化が進み、この付近は保水・遊水機能が著しく低下した。そのため、洪水被害・浸水被害を防ぐため、雨水を強制的に江戸川に配水する排水機場、水門などが整備された。

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⑥江戸川土手・・・・・・・・・春の日差しと春霞のもと、土手の散歩。スカイツリーも霞んで見える。  いよいよ春だ!

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⑦国府台天満宮・・・・・・・・・・天満宮は、文明11年(1479)、国府台の鎮守として太田道灌が建立した。ここも、田舎の空気が漂う神社だ。

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⑧里見公園・・・・・・・・・バードウォチング中なので、静かに脇を通り抜け、公園を素通りしてきた! 西洋庭園はバラの植え替え中。

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⑨矢切の春・・・・・・・・・・

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2013年3月 5日 (火)

新馬場~品川

直線距離で1.5km、京浜急行電鉄では二駅間の、新馬場駅から品川駅までを、1万2千歩、9kmで散歩した。

①新馬場駅・・・・・・・・・・・・明治37年(1904)、京浜電気鉄道の南馬場駅、北馬場駅として開業した。 北馬場駅は目黒川の北側(現:北品川)に、南馬場駅は川の南側(現:南品川)に、それぞれの駅が川を挟んで在った。 駅間の距離は200m程しかなく、昭和51年(1976)の高架化工事に合わせ統合し、“新馬場”駅が誕生した。

・・・・・・・・・・・・・・ホームの長さが200m程あり、各停しか止まらない駅にしては長~いホーム!

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・・・・・・・・・・・・・・現在は、旧北馬場駅(北口)と旧南馬場駅(南口)の位置に改札があり、ホームは目黒川の上に在る。 都営新宿線の東大島駅と同じ構造だ!

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・・・・・・・・・・・・・・北口

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・・・・・・・・・・・・・南口

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②子育地蔵・・・・・・・・・北品川の裏道を行くと、チョイト、道にはみ出すように小さなお堂があり、「子育地蔵」が祀られていた。昨日に続き、またまた“子育て地蔵”だ。・・・・・・・・目黒川の氾濫で亡くなった子供を弔うため、北馬場の町会の有志が、大正10年(1921)に建立した地蔵様だ。・・・・・・・・・・堂の中に赤子を抱いた地蔵さんが座ってる。 あまり見かけないポーズだ!

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③トモ薬局・・・・・・・・・・・北品川は、旧東海道から品川神社へ向かう参道に建つ銅版建築。

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④寄木神社・・・・・・・・東品川の寄木(よりき)神社は、信州の寄木神社を勧請して、鎌倉幕府の頃(1288年前後)に創建されたといわれてる古い神社だ。・・・・・・・・・・・ここには、伊豆の長八の鏝絵が残っているそうだ。・・・・・・・・・神社の本殿は、ナント!、大谷石の土蔵造りだ。これまた珍しい!

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北品川橋とその周辺・・・・・・・・・・・古き“品川”の残る一帯。よく、写生する人を目にする処だ!

・・・・・・・・・・・・北品川橋・・・・・・・大正14年(1925)に竣工した、運河に架かる橋。運河は埋められ、今は船溜まり。

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・・・・・・・・・・・・運河沿いの古い民家の家並み・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・利田(かがた)神社は、寛永3年(1626)に、沢庵和尚が弁財天を勧請したのに始まる。

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⑥旧東京水産大学・・・・・・・・・平成15年(2003)に東京商船大学と統合し、現在は東京海洋大学の品川キャンパスとなっている。・・・・・・・・・・東京水産大学は明治21年(1888)の「大日本水産会水産伝習所」設立に始まる。以後、水産講習所として教育を実施してきたが、戦後、昭和24年(1949)に農林省所管東京水産大学となり、昭和25年(1950)文部省所管となる。・・・・・・・・・・東京水産大学は、私が、第3・第4志望校として願書を提出した大学だ。昭和40年当時は、国立二期校に属し試験日が遅く、私大が先行して試験を行っていた。 明治大工学部に入学手続きを終えたころ、水産大の試験となり、既に明治に入学する気になっていた私は試験をパスした。 もし、水産大に入学していたら、私は、だいぶ違う人生となっていたであろう。・・・・・・・入学していたら、船で航海し、船酔いで後悔していたかも? 卒業していたら、水産物を手掛け、巨万の富を稼いでいたかも?

・・・・・・・・・・・・・品川駅前の高層ビルが並ぶ中にキャンパスがある

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・・・・・・・・・・・・キャンパスの保存されている、研究練習船「雲鷹丸(うんようまる)」・・・・・・・・・明治42年(1909)竣工し、昭和4年(1929)に退役した帆船。国の登録文化財。現在は、陸に上がった船だ!

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・・・・・・・・・・・水産資料館・・・・・・・・・船舶の模型、魚介類の標本、漁具などが展示されている。こちらも拝見!

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⑦運河・・・・・・・・・旧東京水産大学周辺の運河、水はきれいで、水辺は整備され、“ベイサイド”として親しみやすくなった。・・・・・・・・釣り堀などを整備すると、もっと喜ばれるかもね!

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2013年3月 4日 (月)

中延~新馬場

都営地下鉄中延駅から、京急新馬場駅まで、1万2千歩、8kmの散歩です。

①中延駅・・・・・・・・・昭和43年(1968)に、第二京浜国道の下を走る都営1号線(現:浅草線)の中延(なかのぶ)駅が開業した。・・・・・・・・・国道わきの小さな出入口をでて、50m程歩くと東急大井町線の中延駅だ。昭和2年(1927)、目黒蒲田電鉄(現:東京急行電鉄)の高架駅として開業した。・・・・・・・・・・大井町線中延駅から西隣りの駅は荏原町(えばらまち)駅で、中延駅の500m程北側に東急池上線の荏原中延(えばらなかのぶ)駅がある。 ややこしい駅名と配置だ。

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・・・・・・・・・・・・朝は東急から都営地下鉄に乗り換える人が多く、人の流れは一方通行の状態だ。

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②子育て地蔵尊・・・・・・・・・・戸越6丁目に小さなお堂が建っている。このお堂の中に、首がチョイト小さいアンバランスなお地蔵様が祀られている。「子育て地蔵」で、「首なし地蔵」とも呼ばれたそうだ。・・・・・・・・・江戸時代末期、近くの人々が願い事のため、お地蔵様の首や胴を畑の畦道に転がし、願い事が叶うと首や胴を元の場所に戻すという慣わしがあった。そのうち首が無くなり、大正時代末期に目黒の植木屋さんが別の首を取り付けたと言われている。・・・・・・・・・江戸時代から苦難に遭った可哀そうな地蔵さんだ!

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③戸越公園駅・・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)に開業した、目黒蒲田電鉄大井町線(現:東急大井町線)の駅。開業時の駅名は蛇窪(へびくぼ)だった。・・・・・・・・私はヘビが嫌いなので、改称して良かったね。 でも、改称しなければ、今年の干支にちなみ正月は切符が売れたかも? 残念でした!

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④戸越公園・・・・・・・・公園の在る一帯は、江戸時代初期に熊本藩主・細川家の下屋敷があったところで、後に細川家の戸越屋敷として屋敷や回遊式庭園などが整備された。その後、松平家や久松家の所有となり、明治23年(1890)に三井家に移った。昭和7年(1932)に三井家から荏原町(現:品川区)に庭園部分が寄付され戸越公園として開園した。・・・・・・・・・正面には薬医門(平成4年(1992)築)がたてられている。・・・・・・・・・・・池では水鳥が朝礼の最中。

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⑤旧三井文庫第二倉庫・・・・・・・・・・・・戸越公園の斜め前の国文学研究資料館跡地に「文庫の森」公園が昨年12月に開園した。・・・・・・・・・この敷地には、大正7年(1918)に三井家編纂室(=三井文庫:三井財閥の修史事業を行う)が日本橋から移転してきて、ここに膨大・貴重な資料が集められ戦前まで整理された。 戦中は、資料の多くを疎開させ戦禍を免れた。 戦後、GHQにより三井本社は解散し、三井文庫も活動の停止し、敷地と建物は文部省に売却した。三井文庫の所蔵史料は文部省史料館に寄託された。・・・・・・・・その三井文庫の倉庫が2棟あったが、現在は1棟が残され、外観をそのままに防災備蓄倉庫として活用されることになった。・・・・・・・・・・倉庫は鉄筋コンクリート3階建てで、大正7年(1918)竣工の第一倉庫(取り壊し)と、大正11年(1922)竣工の第二倉庫(現存)があった。 設計は東大の理学部化学東館を設計した、東京帝国大学営繕課長の山口孝吉(1873~1937)。

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⑥品川区豊町の裏道・・・・・・・・・・・洒落た路地裏。行き止まりのような裏道。夜道が怖そうな裏道、、、、、、いろいろ!

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・・・・・・・・・・・・行き止まりのようだが、街路灯もあるので奥へ行く。

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・・・・・・・・・・・・・街路灯の下に階段が、そして一人がやっと通れる細い路

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・・・・・・・・・・・・・通り抜けて振り返ると、階段が見える

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・・・・・・・・・・・・・出たところは、道幅が3倍に広がった!歩きやすいね!

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⑦百反歩道橋・・・・・・・・・・・・西品川3丁目と大崎1丁目を結び、りんかい線、湘南新宿ラインを跨ぐのは、百反(ひゃくたん)歩道橋だ。 歩道橋に並走して、東海道新幹線、横須賀線が走り、さらに近くを山手線がカーブしていく。まさに“足下と、ぐるり一周”鉄道を見ることができる。鉄道好きにはたまらないね!

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⑧第一三共製薬・・・・・・・・・・東海道新幹線が品川を出て左手(海側)み見える製薬会社の研究所。その一角に昭和初期以降に建てられたと、個人的に推定した3階建ての建物がある。・・・・・・・・・・・今後、建築年代を調べてみるつもりだ!

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⑨本光寺・・・・・・・・・・目黒川沿いを歩いていると、第一京浜国道に面して、境内の広い寺があり三重塔がチラリと見える。・・・・・・・・・経王山本光寺は、真言宗寺院として創建されましたが、永徳2年(1382)に法華宗に改宗したそうだ。本堂は昭和43年(1968)に再建された鉄筋コンクリート造。

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2013年3月 2日 (土)

大森~中延

JR大森駅から、南馬込を抜けて都営地下鉄中延駅まで、1万3千歩、10kmの散歩です。

①大森駅・・・・・・・・・・新橋~横浜間に鉄道が開通した4年後、明治9年(1876)に大森駅は開業した。都内では、新橋、品川の次に開業した老舗の駅だ。 駅の歴史を語る、鐵道院鉄柱が東口広場に保存されている。・・・・・・・・・・・・・今日の散歩は西口(別名:山王口)からスタート。

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②平井医院・・・・・・・・・・大森駅西口近くの医院。・・・・・・・・・・昭和50年代頃の建物か(?) 2階と3階の丸窓がチョイト古さを醸し出し、前を通るたびに気にかかる建物だ。

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③八景坂マンション・・・・・・・・・・民主党本部が入居している三宅坂ビルの壁画を制作した洋画家:寺田竹雄の壁画がここにもある。・・・・・・・・・著名な芸術家の壁画があるとは思えないような、昭和37年(1962)築のごく普通のマンションだ。(失礼!) 壁画も汚れてきたかな。

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④山王3丁目の住宅・・・・・・・・・・・いずれも、懐かしい物語がありそうな住宅だ!

・・・・・・・・・・・・KJ邸・・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・E邸・・・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・・KM邸・・・・・・・・・外壁はスクラッチタイル貼り

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⑤木原山ロッジ・・・・・・・・・・・山王の小高い処に建つ、昭和41年(1966)建築の木造アパート。・・・・・・・・・私的には、大変、気に入っている建物だ。山王の高台の道から入るアプローチは、土の匂いがし、まさに“山荘”へ向かう雰囲気で、奥には一段下がって三角屋根のロッジが出迎えてくれる。

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⑥山王の階段・・・・・・・・・・・・・お好みの階段で、どうぞ、、、、、

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⑦南馬込の7軒長屋・・・・・・・・・・環七通りに面して、床屋、中華屋、美容院などが並ぶ7軒長屋。中の2軒は外壁に手を加え四角い屋根だが、残り5軒は富士山型だ!

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⑧萬福寺・・・・・・・・・南馬込にある、曹洞宗寺院の萬福寺、山門は切妻造り茅葺きの立派なものだ。この寺は鎌倉時代の武将梶原景時が創建したと伝えれているが、定かではない。・・・・・・・・境内には景時の墓がある。

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⑨CAFFE 1953 NIRE(楡)・・・・・・・・・・昭和28年(1953)から馬込で営業し、新橋・新宿などに支店を持つ喫茶店の本店。・・・・・・・内部には藤城清治の影絵が飾られている。

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⑩山王のウメ・・・・・・・・・・・・・・・・

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