南千住~浅草
南千住のJR貨物隅田川駅から、吉原を抜け浅草へ、買い物ついでの散歩、1万歩、7kmです。
①貨物列車・・・・・・・・・都バス南千住車庫前の跨線橋から、貨物列車を楽しむ。
・・・・・・・・・・・・・隅田川駅は、JR貨物とJR東日本の駅で、明治29年(1896)開業以来の貨物専用駅。・・・・・・・・・機関車を見るのも楽しいが、線路を見ながら、線路の先に思いを馳せるのも好きだ!
・・・・・・・・・・・・私と同じ思いで(?)線路を見る子。隣りの地下鉄日比谷線にも手を振りサービス!
・・・・・・・・・・・・入換作業中のDE101749
・・・・・・・・・・・・お隣は常磐線
②日本堤・・・・・・・・・・・・台東区の北に位置し、かつては「山谷」と呼ばれたドヤ街の一部を含む地域。・・・・・・・・・日本堤(にほんづつみ)の名は、江戸時代初期に造られた、浅草寺北側の待乳山聖天付近から箕輪(現:三ノ輪)の浄閑寺にかけて、水路に沿って築かれていた土手を指す。土手の中程に吉原が移転し、遊びに通う江戸っ子の通勤路となり賑わったが、昭和2年(1927)に土手は取り崩された。 しかし、由緒ある「日本堤」の地名は残った!
・・・・・・・・・・・・昭和41年(1966)の住居表示変更で、「山谷」の地名は、「日本堤」と「清川」に分割され消えたが、ドヤ街の雰囲気は残っている。・・・・・・・さすがに“100円ハウス”はなくなったが、“○○ハウス”、“ベッドハウス”は残っている。
・・・・・・・・・・・・・・日本堤をぶち抜く商店街。 店の半数はシャッターがおりている、チョイト、元気がないね!
・・・・・・・・・・・・・・土手通りの裏道
・・・・・・・・・・・・・土手通りの老舗「中江」と「伊勢屋」。ともに、建物は国の登録有形文化財。・・・・・・・・明治38年(1905)創業の“桜鍋”の「中江」。吉原通いの客を相手に、20軒以上の桜鍋を売る店が軒を連ねていたらしい。今残るはここだけ。現建物は大正12年(1933)竣工。・・・・・・・・明治22年(1989)創業の“天麩羅”の「伊勢屋」 。創業以来変わらぬタレと、ドンブリからはみだす穴子の天ぷら、まさに絶品。現建物は昭和2年(1927)竣工。
・・・・・・・・・吉原大門(遊郭の入り口)前の交差点に「見返り柳」がある。・・・・・・・・遊郭で遊んだ客が、後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、大門を出て土手にあったこの柳の辺りで遊郭を振り返ったということから「見返り柳」の名がついたといわれている。・・・・・・・・これより横道に入ると、現在はソープランド街となる。・・・・・・・・私はここでカメラをしまう。怖い人が多いので撮影禁止だ! まだ若いので、簀巻きにされて隅田川にドブンは、いやだ。
(3年前の夏に撮った見返り柳)
③吉原ソープランド街・・・・・・・・・・・午後4時、そろそろ客が来るころらしい、店の前には黒いスーツのお兄さんがズラリ。なにやら怖そうだ、、、、速足で通り抜けようと思うが、興味もあるのでジックリ見学もしたい。お兄さんと目を合わさないように、恐る恐る店の中を覗きながら前を通ると、近づいてきて声をかけられる。 ビク、ゾ~~~、ヤバイ! (写真はありません。期待に背きゴメン!)
④吉原神社・・・・・・・・吉原神社のご祭神は、稲荷神である倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と弁天様である市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)で、開運、商売繁昌、技芸上達などに御利益を期待できる。・・・・・・・・・もともとは遊郭に祀られていた5つの稲荷を明治8年(1875)に合祀したのが始まりで、大正12年(1923)の震災後に現在の場所に移った。・・・・・・・・・遊女が生ある間に幸せを祈り、参拝したであろう神社だ。亡くなった遊女の霊はお寺で弔ったのであろう。
・・・・・・・・・・・吉原神社の斜め前に奥宮が在る。こちらに、小柄だが、艶っぽい弁天様が祀られている。 ついついパチリ!
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