板橋~巣鴨
埼京線板橋駅から山手線巣鴨駅までの散歩です。万歩計の所持を忘れ、歩数計測不可。
①板橋駅 ・・・・・・・・・・明治18年(1885)、日本鉄道の駅として開業した老舗の駅だ。開業時より貨物の取り扱いを始め、平成11年(1999)まではJR貨物の貨物駅でもあった。貨物駅であった頃は、板橋駅の池袋寄りにセメント工場があり、そこには引込線が敷かれていた。
・・・・・・・・・・・・・写真中央上部のマンションが建つ位置にセメント工場が在り、引込線があった。 駅構内は線路敷きが広く残り、雑草に覆われていた。
・・・・・・・・・・・・・ホームの横には、東鉄工業が平成21年(2009)に導入した、米国:ハラスコトラックテクノロジー社製のレール削正車が留め置かれていた。 レール表面の凹凸を削り落として、乗り心地を向上させるとともにレールの寿命を延伸する機械だ。
・・・・・・・・・・・・・こちらは、オーストリアの「プラッサー&トイラー」社から輸入したマルチプルタイタンパー。この機械は、線路の高さを調整しながら砂利を付き固める働きをする。・・・・・・・・・この機械は、“我が家にも1台”とはいかないね!
②中仙道踏切・・・・・・・・・・板橋駅の踏切。都心の駅とは思えない、味のある駅だ!
③稲荷湯・・・・・・・・・・・・・・滝野川6丁目に在る昭和5年(1930)建築の銭湯。もちろん、木造2階て、寺社を思わせる作りの千鳥破風が特徴的な、裏通りの“これぞ銭湯”だ。
④滝野川の裏道・・・・・・・・・・・・・・・
⑤亀の子たわし西尾商店・・・・・・・・・・・・知らぬ人はいない、御存じ「亀の子たわし」の元祖、「西尾商店」の本社屋。 建物は昭和11年(1922)の建築で、関東大震災に耐えた。洋館風建物は、当時は流行の先端で、今はたわしのイメージと合いレトロだ。・・・・・・・・・・・「西尾商店」は明治40年(1907)、当時32歳の初代社長西尾正左衛門が本郷真砂町にて棕櫚(シュロ)製の亀の子束子を発明したことに始まる。 原材料は創業直後から南方繊維のパーム(椰子)を採用しているそうだ。・・・・・・・・玄関前には商品が吊るされ、小売りもしているらしい。
⑥M邸・・・・・・・・・・亀の子束子の近くに在る元医院。昭和の時代には、あちらこちらに在った診療所の建物だ。 玄関回りに懐かしさを感じるね!
⑦大正大学4号館・・・・・・・・・・・・明治18年(1885)「天台宗大学」として創立し、大正15年(1926)「大正大学」が設立された。・・・・・・・・・4号館は巣鴨キャンパスに残る、最も古い校舎で、戦前の建物と思われる。
・・・・・・・・・・・・・昭和43年までは、前身の宗教大学時代の木造校舎(本館=明治41年築)が残っていたが解体された。現在は車寄せの部分が犬山の明治村に保存されている。(この写真は、大正大学の玄関の案内板から)
・・・・・・・・・・・・・現在、大学ではキャンパスの改革整備を行っており、4号館以外は新しい建物だ。
⑧秀瀬邸・・・・・・・・・・・西巣鴨の鉄筋コンクリート造2階建て、大正8年(1919)建築の住宅。築後、増築・改築をしたようで、パッと見、古さを感じさせないが、外部の窓廻りに木枠が出ていたりして、よく見ると古いね。・・・・・・・・・表札もなく、外灯もなく、現在は空き家のようだ。
⑨A邸・・・・・・・・・・こちらも西巣鴨に建つ、元医院。戦前の建物か?
⑩お岩様の墓・・・・・・・・・妙行寺に、『四谷怪談』のお岩様の墓がある。・・・・・・・・四谷(新宿区左門町)に「お岩稲荷」がある。ここは田宮家の屋敷が在ったところで、稲荷は屋敷社として勧請したものである。明治42年(1909)まで四谷に在り、その後巣鴨に移転した妙行寺に、その田宮家とお岩様の墓がある。
⑪都電の専用軌道を越える・・・・・・・・・・・
⑫都営バス巣鴨営業所・・・・・・・・・白山通りに面し、巣鴨駅近くに在る都バスの営業所。かつてここには、都電の巣鴨電車営業所が在った。敷地、営業所建屋など、旧電車営業所時代の面影を残している。・・・・・・・・・・大正2年(1913)に、この地に東京市電巣鴨車庫が設置された。 都電は廃止され、昭和46年(1971)から都営バス巣鴨営業所となる。・・・・・・・・私も中・高校生の頃は、ここの車庫に配車されていた都電を利用し、神保町~指ヶ谷(現:白山)間を通学していた。 その頃は、お世話になりました。
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