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2013年4月

2013年4月30日 (火)

幕張

京葉線の海浜幕張駅から歩きはじめたが、途中で雲行きが怪しくなり、総武線の幕張本郷駅で散歩は止めた。

①海浜幕張駅・・・・・・・・・・・・昭和61年(1986)、京葉線の旅客営業が西船橋~千葉みなと間で開始される。その時開業した駅の一つが「海浜幕張」。この頃は、駅北側の放送大学などは開校していたが、南側はぺんぺん草状態だった。平成元年(1989)には、現:幕張メッセ、幕張プリンスホテルなどが開業した。 以後は、IT関連企業を中心に、駅周辺にニョキニョキ状態で高層ビルが建ち、“幕張新都心”を形成した。・・・・・・・・・・・この時期に、私は、幕張メッセで行われるIT関連のショーを見学に、近くのコンピュータメーカでは技術研究の打ち合わせのため、よく利用する駅だった。 海風が強く、埃っぽく、駅周辺には何もなく、都心からは不便で、悪いイメージが多い駅だった。 20年経過した今は、ホテル・ショッピングモールも充実し、公園・緑も殖え、楽しそうな駅となった。、、、、、でも、男一人で歩いているとつまらない、何か足りないようだ??? 銀座・浅草・丸の内などは男の一人歩きでも楽しい処だ。

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②UR幕張四丁目団地・・・・・・・・・昭和59年(1984)~昭和60年(1985)に完成した、6棟約220戸から成る団地。・・・・・・・・・外壁が綺麗に輝き、改装したようだ。

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③大須賀山・・・・・・・・・・・幕張町1丁目に旧千葉街道に面して、大須賀山と称するこんもりとした小高い丘がある。ここには、馬加康胤(まくはりやすたね)の首塚がある。・・・・・・・・・・馬加康胤は、千葉康胤(ちばやすたね)とも名のり、室町時代に千葉氏宗家を滅ぼし19代の当主となった武将。現在の幕張町に居を構え、“馬加”(まくわり)と称した。・・・・・・・・・“幕張”は後の当て字のようだ!・・・・・・・・首塚は丘の上に5m角(土俵のような)ぐらいの土で盛られた塚がある。塚の上には五輪塔がある。 チョイト、心霊スポットのようで、夜は怖い! 女性は夜の入山禁止にしたいね。

・・・・・・・・・・・・・・旧千葉街道から階段を上ると

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・・・・・・・・・・・・・・草ボウボウ、墓石ゴロゴロの中をとおり奥へ進む

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・・・・・・・・・・・・・枯葉に覆われた古い階段の上に五輪塔がある。

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・・・・・・・・・・・・・足下は首塚だ! 千葉氏の祟りがないように、手を合わせて下山。

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●・・・・・・・・・・・・・・・・雨が落ちてきそうだ! 散歩は止めた!

2013年4月29日 (月)

東京国立博物館

ゴールデンウィーク中は何処も人出が追いので、比較的空いてると思われる東京国立博物館へ、夫婦で『大神社展』を見てきた。・・・・・・・・博物館の中を、相当歩いたつもりだが、9千歩、6kmだった。

東京国立博物館の創立は、明治5年(1872)に湯島聖堂で開催された文部省博物館としての博覧会(翌年のウィーン万博の予行練習を兼ね)が始まり。明治14年(1881)には、上野公園内旧寛永寺本坊跡地にコンドル設計の博物館が竣工するが、大正12年(1923)の震災で損壊する。その後、昭和13年(1938)に現:本館が完成する。終戦後は、所管が宮内庁より文部省に移り、名称も「帝国博物館」から「国立博物館」となる。・・・・・・・・・・・・“日本”の“お宝”の収蔵庫だ、貧乏人の私は、収蔵品の全てを時価換算するとどのくらいの額になるのか気になってしまう。 少なく見ても1000億円以上あるだろう? ひょっとすると、1兆円? いや、もっとあるかも?

①東京国立博物館本館・・・・・・・・・・・・旧東京帝室博物館本館。 震災後、公募により渡辺仁(銀座和光ビル、早稲田小学校などを設計)の設計で、昭和7年(1932)に着工し、昭和12年(1937)に竣工した。昭和初期に流行した鉄筋コンクリート造に和風の瓦屋根を載せた和洋折衷の建築様式である「帝冠建築」の代表的作品である。・・・・・・・・・本館そのものが重要文化財で、凄い! スゴイ!

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・・・・・・・・・・・“帝国”の力を見せる正面大階段。 2階には貴賓室もある。

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・・・・・・・・・・・・・展示室は天井も高く、余裕たっぷり!

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②東京国立博物館表慶館・・・・・・・・・・・・・・・明治42年(1909)、東宮皇太子嘉仁親王(大正天皇)の成婚を祝う目的で開館した。設計は迎賓館赤坂離宮、旧竹田宮邸(高輪プリンスホテル洋館)を手掛けた片山東熊。 建物は明治時代末期を代表する洋風建築として重要文化財に指定されている。緑のドーム屋根が印象的な、女性的な建築だ。・・・・・・・・・・・・残念だが、ただいま休館中。

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③東京国立博物館東洋館・・・・・・・・・昭和を代表する建築家:谷口吉郎(1904~1979)の設計で、昭和43年(1968)に開館した。中国、朝鮮半島から、東南アジア、エジプトなどの美術品を常設展示している。内部は5層の階段状の展示室からなり、変化のある空間を演出している。

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④東京国立博物館法隆寺宝物殿・・・・・・・・・・・・・明治11年(1878)に法隆寺から皇室に献納された(戦後、国に移管された)「法隆寺献納宝物」300点を収蔵・展示している。宝物は正倉院御物よりも古い時代のものが多く、国宝・重文のオンパレードだ。・・・・・・・・・建物は、東洋館を設計した谷口吉郎の息子で谷口吉生が設計し、平成11年(1999)に竣工した。 親子それぞれの作品が同じ敷地内に在るのは、スゴイ!・・・・・・・・・・垂直・水平の線が強調されたシンプルな建物だが、落ち着いた空間を創っている。

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⑤東京国立博物館平成館・・・・・・・・・・・・・皇太子徳仁親王(浩宮)の成婚を記念して、平成11年(1999)に開館した。設計は安井建築設計事務所。・・・・・・・・・1階の考古展示室と2階の特別展展示室がメインだ。・・・・・・・・・今日は「大神社展」で国宝・重文160点が展示されていた。お目当てを一目見るため、ここだけは人が多かった。・・・・・・・私のお目当ては、石上神宮の国宝「七支刀」。 しっかり見たが、金象嵌銘文が小さな文字で、読むことが難かしく、チョッピリ、残念!

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⑥東京国立博物館便所・・・・・・・・・・正門の脇の木々の中に建つ半地下式の便所。“知る人ぞ知る”、昭和12年(1937)竣工の重文級の便所だ。・・・・・・・・・同じように、歴史ある半地下式便所は、港区の大門脇九段会館脇(現在:使用禁止)に在る。

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●・・・・・・・・・・・東京国立博物館の施設として、道路を挟み東京藝大音楽学部の隣りに黒田記念館 がある。こちらも、只今休館中。

2013年4月27日 (土)

代田橋~東北沢

京王線代田橋駅から、下北沢をとおり駒場の東大先端科学技術開発センターに寄り、小田急線東北沢駅まで、1万5千歩、11Kmの散歩です。

①代田橋駅・・・・・・・・・・・大正2年(1913)、京王電気軌道(笹塚~調布間)の開業と同時に、駅として開業した。歴史ある駅だが、普通しか停車しない駅でチョイト寂しいね。・・・・・・・・・・相対式ホーム2面2線を持つ地上駅で、駅舎と改札は線路下の地下にある。

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②和田掘給水所・・・・・・・・代田橋駅の斜向かいに、東京都水道局の和田掘給水所がある。・・・・・・・・給水所の航空写真では丸い形の1号配水池(昭和9年(1934)完成)と、四角い山の様な2号配水池(大正13年(1924)完成)が見える。・・・・・・・・都内には、駒澤(世田谷区)、野方(中野区)、大谷口(板橋区)に給水所配水塔があるが、ここ和田掘給水所は規模も大きく、境浄水場及び練馬給水所から送られた水を貯める2つの配水池があり、世田谷・渋谷区を中心に配水している。遠くは千代田区にも、一部給水しているらしい。

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・・・・・・・・・・・・1号配水池の中央の塔

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・・・・・・・・・・・・2号配水池頂部の入り口

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③下北沢駅・・・・・・・・・・・・小田急電鉄小田原線・京王電鉄井の頭線の駅で、今年3月22日までは、小田急は地上、京王は高架で立体交差していた。23日からは、小田急の地下化により小田急は地下駅、京王は高架駅となった。・・・・・・・・・小田急の下北沢駅は昭和2年(1927)に開業し、京王の同駅は昭和8年(1933)に開業した。・・・・・・・・・改札は両社共通で、利用しやすい駅だ。

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・・・・・・・・・・・・地下化から1か月が経過し、地上駅は取り壊しが進んでいる。

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・・・・・・・・・・・・レールはすでに無く、今度は緩行線用の地下トンネル工事が始まった。平成29年(2017)度の複々線化工事の完了まであと4年、長い工事だね!

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④小劇場・・・・・・・・・・・“下北沢”は、終戦直後、山手の住宅街という印象があった。私が、小田急で明大生田校舎(工学部)の通っていた大学生の頃(昭和40年代)は下宿の町だった。いつのまにか、今は、劇団・ライブハウス・パブ・古着屋の多い、若者の町となったようだ。・・・・・・・・・小劇場がいくつかが目についた! 本多劇場(昭和57年開場:386席)、「劇」小劇場(平成9年開場:130席)、ザ・スズナリ(昭和56年開場:170席)、シアター711(平成21年開場:90席)

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⑤カトリック世田谷教会・・・・・・・・・・・・カトリック東京教区で戦後最初にできた教会。スズナリ劇場裏手の、チョイト若者から隠れた処に在る。・・・・・・・・戦後、下北沢で集会が始まり、昭和23年(1948)に献堂された。・・・・・・・・・木の香漂う、瀟洒な教会だ!

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⑥駒場リサーチキャンパス・・・・・・・・・・糸川教授がペンシルロケットを開発した、東京大学宇宙航空研究所があったところ。現在は学部はなく、研究施設のみが集まったキャンパス。(教養学部がある駒場キャンパスは前田侯爵邸を挟んで隣り)

・・・・・・・・・・・13号館・・・・・・・正門を入ると真正面に見える建物。設計は内田祥三と清水幸重で、昭和4年(1929)竣工。施工は大倉土木(現:大成建設)で、“地図に残る仕事”だ!・・・・・・・・・・関東大震災後に越中島から移転した東京帝国大学航空研究所の中心施設。スクラッチタイル貼りの鉄筋コンクリート、地上3階地下1階建。最上階には時計台があり、キャンパスのシンボル的建築であったに違いない!

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・・・・・・・・・・・・1号館・・・・・・・旧航空研究所風洞部研究室。こちらも設計は内田祥三と清水幸重で、昭和3年(1928)竣工。・・・・・・・・・建物はかなり劣化し、チョイト、可哀そう!

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・・・・・・・・・・・17号館・・・・・・・・・昭和4年(1929)竣工の旧航空研究所中央工場

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・・・・・・・・・・・15号館・・・・・・・・・こちらも古そう? 情報システム研究センター

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・・・・・・・・・・・・キャンパスの中央に歴史ある建物を配し、周囲には原広司の設計により、平成13年(2001)頃に建てられたモダンな研究棟が並ぶ。

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⑦東北沢駅・・・・・・・・・・こちらも3月23日から地下駅となった。かっての地上駅。

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2013年4月26日 (金)

散歩は休み

ゴールデンウィーク先取りで家族と温泉に行ってきました。 “散歩”は休みです。

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2013年4月23日 (火)

船橋~西船橋

パソコン同好会の帰り、船橋駅から、京成線沿いに歩き、西船橋駅までの短い散歩です。

①京成電鉄海神架道橋・・・・・・・・・・船橋市海神2丁目と3丁目の境に架かる架道橋。・・・・・・・・東京~成田間を結ぶ電気鉄道を敷設する会社として、明治42年(1909)に京成電気軌道株式会社が設立された。京成は大正元年(1912)に押上~市川間を開業し、以降順次、路線を伸ばし開業して行った。大正5年(1916)には中山~船橋間が開業した。・・・・・・・・・・海神架道橋は大正5年の開業時に竣工した架道橋と思われる。開業時は、自動車も無く、周囲に住宅も無かったであろう、架道橋の幅は荷車がすれ違える程度だ。 今では、車1台の幅、狭い! 

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②もう一つ架道橋・・・・・・・・・海神架道橋から市川寄りに150m程行くと、もう一つ架道橋がある。こちらも、同時期の架道橋のようだ。 こちらも狭いが、鉄道遺産としてこのまま残して欲しいね!・・・・・・・・・・・稲毛にも似た架道橋が残っている。

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③海神3号踏切・・・・・・・・・・・・私が個人的に、踏切の写真が好きなので、パチリ!

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④あかもん寺・・・・・・・・・・海神にある龍王山海蔵寺大覚院という真言宗豊山派の寺・・・・・・・・・・天正17年(1589=豊臣秀吉の妾“淀殿”が鶴松を出産した年)に創建された、古刹だ!・・・・・・・・・・赤門があるので、“あかもん寺”と称している。念のため、“東京大学とは無関係!

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⑤海神駅・・・・・・・・・・・・・大正8年(1919)に開業した、海神山と呼ばれる丘陵につくられた小さな駅。この丘陵は、かつて東京の別荘地帯で、現在も名残があり、高級住宅が多い。 ・・・・・・・・・知らなかった! 昭和4年(1929)、この海神駅から東武野田線の船橋駅まで、東武の線路がひかれ接続していたのだ。昭和9年(1934)に廃線となる。 地図を見ると、海神駅から海神小学校前をとおり船橋駅まで一本の道が伸びている(スイッチバックの線形のようだ)、線路敷きの跡が道路に変わったと一目で判る。

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⑥山野浅間神社・・・・・・・・船橋市西船で、千葉街道にから参道が出ている、 嘉永3年(1850)創建の神社。 隣村の山野町にある、富士山浅間神社を祭った神社。社殿は昭和47年(1972)に増改築が行われた。・・・・・・・・・・千葉街道から急な石段を上り、長い参道を歩き、また石段をチョイトのぼり、疲れたころに拝殿に達する、奥深い御利益のありそうな神社だ。

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2013年4月22日 (月)

中野~代田橋

中央線中野駅から、方南町を抜け京王線代田橋駅まで、1万4千歩、10kmの散歩です。

①中野駅南口・・・・・・・・・・・中野駅は、明治22年(1889)、甲武鉄道(新宿~立川)の開通と同時に開業した歴史ある駅。サンプラザ、ブロードウェイのある北口に比べると、南口はチョイト、元気がないようだ。

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・・・・・・・・・・・・・中野駅南口の南西にあたる中野3丁目には「桃園町会」がある。五代将軍綱吉の時に、約30万坪(100ha)に及ぶ野犬を保護するための施設「お囲い御用屋敷」が作られていた。その後、将軍吉宗が跡地に、紅白の桃を植え「桃園(とうえん)」と称したことから、その名が残っているそうだ。ちなみに、「囲町(かこいちょう)町会」も現存する。・・・・・・・・・・マルイ裏の路地に在る桃園会館は大正時代に建てられた町会の施設。

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旧蚕糸試験所正門・守衛所 ・・・・・・・・・・・明治44年(1911)に設置された蚕糸(さんし)試験所が昭和55年(1980)に筑波へ移転し、その跡地に現:「蚕糸の森公園」が作られた。公園入口には煉瓦造りの門柱と大正元年(1912)に建てられた守衛所が残されている。・・・・・・・・試験所は、時代の変化に合わせ、「農業生物資源研究所」となった。 もはや“お蚕さん”研究の時代は終わり、生物ゲノム研究の時代となっている。

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・・・・・・・・・・・・・・公園は緑イッパイ!

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③真盛寺(しんせいじ)・・・・・・・・・天台真盛宗の東京別院で、本山は滋賀県大津の西教寺。寛永8年(1631)に現在の文京区湯島に創建された。その後、谷中清水町、本所小梅寺町に移り、大正11年(1922)に現在地に移転した。江戸日本橋の越後屋(現:三越)の菩提寺だ。・・・・・・・・・本所から移築した本堂は安永5年(1776)の建物。客殿は目白にあった細川邸を移築したものである。・・・・・・・・・・茶室・待合のある境内は広く、小ぶりの池もある、木々は綺麗に手入れされ、訪れる参拝客は少ないようで、静寂と威厳と平穏を感ずる。

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④妙法寺・・・・・・・・・・・元和(1615~1623=徳川秀忠の時代)の頃、真言宗の尼寺であったが、日蓮宗に改宗した。元禄12年(1699)には身延山久遠寺の直末となり、日蓮大聖人の像があらゆる災難除けに霊験あらたかであることから、「堀ノ内やくよけ祖師」と呼ばれている。

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・・・・・・・・・・・・・妙法寺の鉄門・・・・・・・・・・この鉄門は、鹿鳴館、岩崎邸ニコライ堂古河邸などを設計した、英国人ジョサイア・コンドルの設計により明治11年(1878)に完成したものだ。国の重要文化財。・・・・・・・・和洋折衷のデザインで、門柱の左右には漢詩もある。

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⑤神田川・環状七号線地下調節池・・・・・・・・・・・・・環状七号線と神田川の交点に、“知る人ぞ知る”神田川取水施設がある。一見、二見、三見しても、ただ円形の何の変哲もない建物だ。・・・・・・・・・・この建物は平成9年(1997)に完成した、環状七号線の地下約40mに造られた直径12.5m、長さ4.5kmの巨大な池の取水口である。神田川が氾濫することを防ぐため、大雨の時はここから地下調節池に雨水を流し、一時的に貯水する施設。

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・・・・・・・・・・・・・隣に流れる神田川・・・・・・・・・普段は小さな川だが、氾濫すると怖い!

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2013年4月18日 (木)

早稲田~中野

地下鉄早稲田駅から中央線中野駅まで、1万7千歩、12kmの散歩です。

①早稲田教会(スコットホール)・・・・・・・・・・教会は、早稲田奉仕園(キリスト教精神による学生センターの活動)の事業に理解を示した米国J.E.スコット夫人(1851-1936)の寄付により、大正11年(1922)、ヴォーリズ建築事務所(浅草聖ヨハネ教会東洋英和女学院山の上ホテル、などを手がけた)の設計監理で建てられた。・・・・・・・・関東大震災では塔の一部が崩落したが、他には影響なく現在に至っている。 スコットホールは礼拝堂としてだけでなく、結婚式、コンサートなどにも使われている。 若い娘が憧れそうな、ロマンチックな建物だ! 

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②早稲田大学各務記念材料技術研究所・・・・・・・・・・・西早稲田2丁目の住宅街の中央に研究所はある。研究所は昭和13年(1938)、各務幸一郎・良幸父子の寄付により、鋳物研究所として創立した。当初は名前通り鋳造および鋳物材料の研究が主体であったが、その後の技術発展・時代の要請により、昭和63年(1988)「各務記念材料技術研究所」と名を改めた。現在は、電子材料などの研究も行われている。・・・・・・・・・建物は早稲田大の教授:桐山均一の設計により、昭和13年(1938)に竣工した。・・・・・・・・・研究所の横に、昭和17年(1932)、ノコギリ屋根の実験棟が竣工し、昭和48年(1973)まで在った。

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③K邸・・・・・・・・・・材料技術研究所の近くに、一見、戦前の建物らしき住宅が残っている。

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④都営百人町アパート・・・・・・・・・大久保駅の北側一帯が新宿区百人町である。百人町3丁目・4丁目には、かって、4階建て鉄筋コンクリート造の都営住宅が40棟以上、東西に列をつくりに並んでいた。 アパートの周囲は、無秩序に緑化され“都会のジャングル”と化していた。・・・・・・・・・平成10年代(1998~2008)に全て取り壊され、高層アパートに変身した。・・・・・・・・・スッキリ、綺麗になり、“ジャングル”を懐かしむ人も多いかも?

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⑤ユニゾンスクエア・・・・・・・・・・・東中野駅前の、カタカナの名前がつく再開発地区。現在は30階以上のタワーマンション2棟とリニューアルした日本閣が創られている。・・・・・・・・ここは、大正9年(1920)に割烹料亭として創業し、昭和10年(1935)に結婚式場となった「日本閣」の創業地である。 私の記憶では、土地の高低差を生かした日本庭園があり、結婚式場は和風の木造建築だったと思う。誰の結婚式だったかな?

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⑥JR中央線・・・・・・・・・東中野で線路を越えて、中央線の南側に出た

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⑦東京都住宅供給公社 中野駅前住宅・・・・・・・・・・・・昭和26年・27年(1951・1952)に建設され、4階建て7棟、248戸から構成される「中野駅前住宅」。 その名のとおりJR中野駅の目の前に、十分な空間と緑多い敷地にに建つ、超一等地の公営アパートです。・・・・・・・・・公社では建て替えを予定しているらしいが、住民はまだ立ち退いている様子はない。駅北側の再開発は着々と進み、いよいよ南側の再開発に手がつくか?

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2013年4月17日 (水)

浅草

夕暮れ前に浅草へ買い物、ついでに散歩してきた。1万歩、7km。

浅草寺の外人・・・・・・・・・・・本日は平日、しかも水曜日、比較的人出は少ないようだ。日本人が少ないせいか、外人が目立つ! ゴールデンウィーク前の閑散期の東京見物かな?

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②伝法院・・・・・・・・・・・浅草寺の本坊。安永6年(1777)建築の客殿・玄関や明治4年(1871)築の大書院、浅草寺貫首大僧正の居間などがあり、「伝法院」はこれらの総称。・・・・・・・・・・ここの庭園は約3700坪の広さがあり、寛永年間(1624~1644)に小堀遠州により作庭された廻遊式庭園である。普段は非公開であるが、現在開催の「大絵馬寺宝展と庭園拝観」展の期間中は公開されている。チョイト拝観。

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③木馬館の日本人・・・・・・・・・・・昭和6年(1931)、大衆演劇の舞台として「木馬館」がオープンした。・・・・・・・・・・開場前の行列に外人はいないね!

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④歩く人も少ない六区・・・・・・・・映画館は全てなくなり、数ケ所の跡地は再開発中、競馬の開催もなくファンもいない。・・・・・・・・・寂しい六区

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●・・・・・・・・・・・・・・一雨落ちてきそうな一日だった!

2013年4月16日 (火)

市ヶ谷~早稲田

中央線市ヶ谷駅から、東京女子医大・早稲田大をぶらつき、地下鉄早稲田駅まで、1万5千歩、10kmの散歩です。

①JR市ヶ谷駅・・・・・・・・・・・明治28年(1895)、甲武鉄道の駅として、外濠の土手に開業した。

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②市谷亀岡八幡宮・・・・・・・・・・・濠を挟み、市ヶ谷駅の向かいに神社は在る。太田道灌が文明11年(1479)に、江戸城西方の守護神として鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を祀ったのが始まり。“鶴岡”に対し“亀岡”と命名した。シャレか?・・・・・・・・・・・急な階段を上ると、静かな境内が待っている。

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・・・・・・・・・・・神社の奥を行くと、車は絶対に通れない裏道となる。まずは、道の真ん中に大木が4本並ぶ。続いて、直角に折れると階段、これでは自転車もダメだ!

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③東京女子医科大学病院1号館・・・・・・・・・・・・・昭和5年(1930)に建築された鉄筋コンクリート造5階建ての建物。・・・・・・・・・・・・建物は、翼を拡げたような十字プランと、5階部分がセットバックしている、角の多い形状をしている。外壁はスクラッチタイルと、特注のイボが付いたようなタイルの2種が用いられている。・・・・・・・・大学は病院を含め施設整備中のようだ。1号館も建替えの話があるとか? 記念館のように整備して残して欲しいね。

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④早稲田大学2号館(旧図書館、會津八一記念博物館)・・・・・・・・・大正14年(1925)に図書館として竣工した、学内最古の建物。設計は今井兼次。・・・・・・・・・・博物館の内部もチョイト拝見。 1階は大隈重信の遺品、富岡重憲のコレクションが展示されてる。大階段には横山大観・下村観山の大作が飾られスゴイ。2階の展示室は天井が高く、落ち着いた雰囲気で鑑賞できる。

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⑤早稲田大学5号館(坪内博士記念演劇博物館)・・・・・・・・・・昨年は外壁補修工事中だったが、今日は工事も終わり、すっきりした状態をパチリ。・・・・・・・・こちらも今井兼次の設計で、昭和3年(1928)に竣工した、鉄筋コンクリート造3階建ての博物館。

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⑥グリーンハウス・・・・・・・・・・・早大の西門近くの住宅地の奥に建つ集合住宅。L字型に8軒程が連なる建物で昭和4年(1929)の建築。・・・・・・・・下町の“長屋”とは一味違うようだ!

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⑦法輪寺・・・・・・・・・早稲田大学キャンパス横に日蓮宗の萬年山法輪寺がある。江戸時代の創建。・・・・・・・・・・前を歩いていたら、オー、階段がある。見上げると古都の寺院のようなアプローチだ、気持ちが誘われて本堂へ、合掌! 南無妙法蓮華経!

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●・・・・・・・・・・・・・・・・今日は“階段”に縁がある日のようだ。 家の階段から落ちて、怪我しないように注意、注意、注意だ! 

2013年4月14日 (日)

水道橋~市ヶ谷

水道橋駅から、北の丸公園経由、市ヶ谷駅まで、1万1千歩、9kmの散歩です。

①水道橋架道橋・・・・・・・・水道橋駅東口の白山通りに架かる架道橋で、中央線快速が走る南側の架道橋である。昭和8年(1933)に開通した。・・・・・・・・・・ちなみに北側の中央・総武線緩行線が走る架道橋は、明治37年(1904)に竣工した「新水道橋架道橋」である。 古くからある方が“新”水道橋架道橋である?

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②三崎町教会・・・・・・・・・・・白山通りに面して建つ、三崎町教会ビルの中に「日本基督教団 三崎町教会」がある。平成5年(1993)に竣工した、鉄骨鉄筋コンクリート造、地上9階/地下1階のビル。・・・・・・・・・私が中・高校生の頃は、通学経路であった教会前に都電が走り、車窓から大正5年(1916)建築の2代目の旧教会の建物が見えた。 その建物も昭和49年(1974)に3代目の建物に変わり、現在のビルは4代目となる。・・・・・・・・・・今日は日曜礼拝の日、礼拝堂ではパイプオルガンの練習が行われていた。

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③研数学館・・・・・・・・・・・・・こちらも、白山通りに面して建つ、日本で一番古い予備校だったが、少子化により予備校は閉校し、現在は日大に貸し出されている。・・・・・・・・・・本館は昭和4年(1929)に完成した、鉄筋コンクリート造、地下1階/地上4階建て、外装のスクラッチタイルが歴史を語っている。・・・・・・・・・・私が春休み・夏休みに通った予備校で、かなりお世話になった。 第2の母校と云ってもいいかもね!

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④旧澤書店・・・・・・・・・・神保町、靖国通りに面し、昭和3年(1928)に建てられた看板建築の長屋。 2階・3階のアーチ状の連装の窓、最上部の唐破風の曲線が当時のモダンデザインかな? 

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⑤北の丸公園・・・・・・・・・・北の丸公園のメインゲートは田安門だが、今日は清水門をくぐった。清水門は修復工事中で、仮囲いの中で目にすることはできず、残念! 

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・・・・・・・・・・・・吉田茂の像・・・・・・・・・・像は昭和56年(1981)に公園内に建てられた。 昭和の名宰相がなぜここに?

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・・・・・・・・・・・・北白川宮銅像・・・・・・・・・・・国立近代美術館工芸館の脇に、北白川宮能久親王(弘化4年(1847)~明治28年(1895))の像がある。この親王は、幕末に彰義隊が担ぎ出した上野寛永寺の親王で、明治28年(1895)に近衛師団長となった。この像はかつて近衛歩兵第一・第二連隊正門前にあったが、工芸館(旧近衛師団司令部)の右側に移された。

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⑥東京国立近代美術館工芸館・・・・・・・・・・・・・・大日本帝国陸軍の近衛師団司令部であった建物。 明治43年(1910)に衛戍地であった北の丸に司令部として建設された。戦後、改修保存工事が行われ、外観はほぼ原型のまま保存された。国の重要文化財。・・・・・・・・実はこの建物、私が高校生の頃(昭和30年代)は廃墟のように残されていた。私は瓦礫と埃が散乱する建物の中に恐々と探検に入っていったことを記憶している。改修工事が始まる前のことで、まだ文化財にもなっていなかった。 怖かったが、楽しい思い出だ!

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⑦高射砲台座・・・・・・・北の丸公園の千鳥ヶ淵わきの土手に、第二次大戦中に皇居を護るために据えられたB29迎撃用の高射機関砲の台座跡。 台座は7基残っているが、今はちょうど丸いベンチとして、休憩用に使用されている。・・・・・・・・ここに据えた高射砲で、高々度を飛ぶB29を本当に落とせたのだろうか?

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⑧お濠も春・・・・・・・・・・・

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2013年4月13日 (土)

東急世田谷線

下高井戸から三軒茶屋までの東急世田谷線を、夫婦で踏破してきた。1万5千歩、10kmの散歩です。

・・・・・・・・・世田谷線は、三軒茶屋駅と下高井戸駅(営業キロ数:5km、駅数:10駅)を結び、文字通り全線が世田谷区内を走る軌道線である。 車両は路面電車タイプの300系で、2両連結の10編成で運行されている。 各編成ごとに塗装色が異なっており、カラフルで明るくお洒落な車両だ、見ていて楽しい。・・・・・・・・世田谷線は、玉川電気鉄道(玉電)の支線として大正14年(1925)1月に三軒茶屋駅~世田谷駅間が開業した。同年5月には、世田谷駅~下高井戸駅間が開業した。昭和13年(1938)には、玉川電気鉄道は東京横浜電鉄(現・東急)に合併され、玉川線となる。 昭和44年(1969)、玉川線の渋谷駅~二子玉川園駅間が廃止され、世田谷線が単独で残された。・・・・・・・・・都電は下町の路面電車、世田谷線は山手の路面電車だ!

①下高井戸駅・・・・・・・・・・京王電鉄の京王線と、東急の世田谷線が乗り入れ、接続駅となっている。

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②下高井戸駅 ~ 松原駅・・・・・・・・・・・・・・・

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③松原駅 ~ 山下駅・・・・・・・・・・山下駅は小田急線豪徳寺駅への接続駅。

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④山下駅 ~ 宮の坂駅・・・・・・・・・・小田急線の下を抜ける

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⑤豪徳寺・・・・・・・・・・文明12年(1480:室町時代)に創建された曹洞宗の寺院。“招き猫”発祥の地とされている。・・・・・・・・・・線路からチョイトそれて、手を合わせて来た。

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⑥宮の坂駅・・・・・・・・・・ホームの脇に、大正14年(1925)に製造された元世田谷線の車両で、昭和45年(1970)には江ノ電に譲渡され、平成2年(1990)に引退した、江ノ電601号車両が保存されている。

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⑦宮の坂駅 ~ 上町駅・・・・・・・・・・上町駅には車両基地がある。

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⑧上町駅 ~ 世田谷駅・・・・・・・・・・・・

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⑨世田谷駅 ~ 松陰神社前駅・・・・・・・・・・・・

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⑩松陰神社・・・・・・・・・・幕末の思想家:吉田松陰を祭神とする神社で、明治15年(1882)、墓の在る当地に創建された。・・・・・・・・松陰の墓は、安政の大獄で刑死した直後は南千住の回向院に在ったが、数年後、当地に改装された。・・・・・・・・現社殿は昭和5年(1930)の造営。境内には萩の松下村塾を模した建物もある。

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⑪松陰神社前駅 ~ 若林駅・・・・・・・・・・・・

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⑫若林駅 ~ 西太子堂駅・・・・・・・・・・・・

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⑬西太子堂駅 ~ 三軒茶屋駅・・・・・・・・・・・・駅間距離が300m程と短い。まもなく終点、三軒茶屋駅です。

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⑭目青不動尊・・・・・・・・・・・なんと! 昨日、手を合わせた目赤不動尊の導きか、今日は三軒茶屋駅の直前で、教学院の目青不動尊(?)に御対面できた。・・・・・・・・・・目青不動は明治15年(1882)に廃寺となった観行寺の本尊であった。現在は天台宗最勝寺(教学院は通称)に安置されている。江戸五色不動の1つで、秘仏となっており非公開らしい。・・・・・・・・と云うことは、不動堂に居たのは影武者か? 客寄せパンダか?

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⑮三軒茶屋駅・・・・・・・・・・・・ヨーロッパの駅のようだ。 さすが、山手の駅、洗練されている。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本日の散歩の終点です

2013年4月12日 (金)

田端~水道橋

田端駅から、ほぼ直線的に水道橋駅まで、1万6千歩、11Kmの散歩です。

①田端駅・・・・・・・・・・・明治16年(1883)に日本鉄道の上野~熊谷間が開通した。このときは、上野、王子駅が開業し、田端駅はまだ誕生していなかった。 明治29年(1896)4月、田端駅が開業し、同年12月土浦線(現:常磐線)田端~土浦間が開通した。当時まだ「田端大橋」の跨線橋もなく、駅舎は現在の南口の崖下に地上駅として造られていた。田圃の中の駅だったそうだ。・・・・・・・・・常磐線は土浦方面から、現在の常磐貨物線を走り、田端に到着し、スイッチバックして上野に向かっていた。・・・・・・・・・・大正5年(1916)田端操車場完成。大正14年(1925)、田端~巣鴨間が開通し山手線が完成した。・・・・・・・・・昭和初期には旧田端大橋(跨線橋)も完成し、北口も造られた。・・・・・・・・・歴史ある興味の尽きない面白い駅だ!

・・・・・・・・・・・・・・崖上の小さな南口駅舎・・・・・・・・この下に開業時の駅舎があった。

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・・・・・・・・・・・・・ホームから崖上の南口を眺める・・・・・・・・跨線橋の下の柱は、古レールの筋違で補強されている。

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・・・・・・・・・・・・ホーム上屋の構造にも古レールが使用され、駅の歴史を感じる

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・・・・・・・・・・・・平成20年(2008)に大改装した北口。ホーム全体を大屋根が覆い、橋上駅の駅舎も“御立派”。

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東台橋と童橋 ・・・・・・・・田端の切り通し(昭和8年(1933)完成)に架かる2本の橋。駅に近い方は近代的な東台橋。 もう一本は、滝野川第一小学校の通学路として利用されている童橋。

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③動坂(どうざか)遺跡・・・・・・・・・・・・・昭和49年(1974)、都立駒込病院の工事中に貝塚が発見され、その後2回の発掘調査では、縄文時代の遺跡の上に江戸時代の遺構が発見された。縄文遺跡は貝塚で、江戸時代の遺構は吉宗時代の鷹屋敷跡だ。・・・・・・・・・残念ながら、遺構は埋め戻さ、駒込病院の敷地内に記念碑が残されている。病院の帰りにチョイト見てね、面白いものではないから。

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④赤目不動尊・・・・・・・・・・本駒込1丁目の南谷寺に、目赤不動尊がある。江戸時代、五行思想の五色(白・黒・赤・青・黄)にまつわる名称・伝説に関連する不動尊が各地に存在した。・・・・・・・・有名どころは、目黒と目白の不動尊、こちらは地名にもなった。目青不動は世田谷の教学院、目黄不動は台東区の永久寺江戸川区の最勝寺

・・・・・・・・・・・・・お寺の本堂

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・・・・・・・・・・・・不動堂の中に目赤不動尊が安置されている。 “赤目補正”で撮影したためか、目が黒い?

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⑤京華学園・・・・・・・・・目赤不動尊の導きか? “白山上交差点”に出てきたので、私の母校「京華学園」にチョイト立ち寄ってみた。・・・・・・・・・明治30年(1897)創立の老舗の学校。

・・・・・・・・・・・・・私が在学中の昭和37年(1962)の校舎・・・・・・校舎前の大イチョウはシンボルだった

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・・・・・・・・・・・・・・今日の校舎・・・・・・・広かった校庭も、白山通りの拡張で削られた。私が学んだ建物は全て取り壊され、現在の校舎が建っている。

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・・・・・・・・・・・・・大イチョウは校舎の中央(当時の位置)にそのまま残されていた。感激!

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・・・・・・・・・・・・・さらに、イチョウの前には「京華学園碑」が残されていた。この碑も記憶しているね! 50年ぶりの“ご対面”、うれしいね!

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・・・・・・・・・・・・玄関には建学の精神である孟子の「天下ノ英才ヲ得テ之ヲ教育ス」。校訓は「ネバー・ダイ」。・・・・・・・・・・私は“英才”ではなかったので、精神に反したかも?

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・・・・・・・・・・・・母校を拝見したら、通学した「京華通り」を通って、旧指ヶ谷町電停(現:白山下)へ、白山神社の階段は昔のままだ、商店街は寂れた!

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・姉妹校の京華女子中学・高等学校はこちら

⑥八百屋お七の墓・・・・・・・・・・・白山の円乗寺には、16歳(満で14歳)で恋慕し、放火未遂事件を起こした、八百屋の娘お七の墓がある。・・・・・・・・・・・早熟な娘! AKB48は恋愛禁止だよ。

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⑦新町館・・・・・・・・・昭和初期(大正12年という話も?)に住宅兼法律事務所として、現在の白山1丁目に建てられた。今は登録有形文化財の賃貸住宅。これぞヴィンテージ物件だ!・・・・・・・・鉄筋コンクリート造の陸屋根建築としては、当時は斬新であったと思う。

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⑧濱乃家・・・・・・・・・・白山通りは本郷台地と小石台地の谷筋にあたり、白山1丁目のあたりは戦災を免れた白山三業地と呼ばれた花街であった。樋口一葉の「にごりえ」の舞台にもなった場所で、戦前の最盛期には待合が90軒もあったそうだ。御客は現:東京ドームがある場所にあった東京砲兵工廠の工員だ。・・・・・・・・・今は当時の面影を残す建物は少なく、貴重な一軒が「濱乃家」。・・・・・・・・・・・私は、学生の頃、学校の近くに三業地が在ったことは知らなかった。 もし、知っていたら?????

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⑨善光寺坂・・・・・・・・・・文京区小石川2丁目と3丁目の間に在る坂道で、坂の途中に善光寺がある。

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・・・・・・・・・・・・・善光寺・・・・・・・・・・・慶長7年(1602)の創建、信州の善光寺の分院である。

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・・・・・・・・・・・・慈眼院・澤蔵司稲荷 ・・・・・・・・・・・・浄土宗の慈眼院は、元和6年(1620)に沢蔵司稲荷(たくぞうすいなり)の別当となる。

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2013年4月11日 (木)

浅草橋~鶯谷

昨日からマイ・パソコンの障害対応し本日午前中に回復した、午後3時頃から散歩に出られる状態となり、浅草橋の我が家から鶯谷まで歩いてきた。 万歩計を忘れ、歩数は計測不可。

①蔵前別館・・・・・・・・・我が家の近く浅草橋3丁目にある、ビジネスホテルが無い頃の旅館だったと思う。・・・・・・・・・営業を止めてから、時間もだいぶ過ぎたが、建物はしっかりしているようだ。私が生れる前からの建物で、戦前の建築だ?・・・・・・・・・・・昭和40年頃までは、都心のいたるところに、このような規模の旅館があり、“ビジネスマン”というよりも、地方の行商人(富山の薬売り)、仕入れ業者などが定宿にしていた。

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②上野下アパート・・・・・・・・・・・・現存する最後の同潤会アパート「上野下アパート」(昭和4年(1929)竣工)の建て替え工事がいよいよ始まるようだ。・・・・・・・昨年12月に解体されることを知り、最後と思い撮影に来たが、今日まで壊されずに残っていた。 既に内部は廃墟化し、住んでいる人はほとんどいないようだ。来月から取り壊しとなる。 寂しいね、残念!・・・・・・・・・2年後には14階建てのマンションに変わる予定。

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・・・・・・・・・・・・人とは去り、残るはゴミ!

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③講道館柔道発祥の地・・・・・・・・・・・地下鉄稲荷町駅前交番の隣りに、室町時代に開創した浄土宗の永昌寺がある。ここは、講道館柔道の祖である嘉納治五郎が寺内に道場を建てた処である。・・・・・・・・・・道場は関東大震災で焼失した。

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両大師橋・・・・・・・・・・・上野駅の北端に架かる跨線橋。JR山手線、京浜東北線、東北本線、常磐線、引上げ線も含めて、計21本の線路を跨ぐ橋。昭和初めに架けられた旧両大師橋は、昭和45・46年(1970・1971)に現橋に架け替えられた。・・・・・・・・橋は上野公園側に輪王寺両大師堂があることから命名された。・・・・・・・・・・娘を私の自転車の前にのせ、橋の上から東北・信越・上越・常磐の特急列車を見せたのは、もう30年以上前のことだ。早いもので娘は嫁に行き、私は“じじい”になってきた。

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⑤斉藤理容館・・・・・・・・・下谷1丁目の床屋さん。創業明治41年(1908)の床屋の老舗(?)。・・・・・・・・・・看板は古そうだが、建物は戦後だろう?

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⑥ラブホテル街の火事・・・・・・・・・・鶯谷駅に向かっていると、消防車が数台サイレンならし私の横を通過した。『火事と喧嘩は江戸の華』というが、私はこの両方が気にかかる性分だ! サイレンの音を聞くと、夜中でも飛び出し見物に(不謹慎だが)行く性質で、今日も音に誘われ現場の方向へ向かう。

・・・・・・・・・・・・なんと、ラブホテル街のようだ! 只今の時刻、17時まだ明るいので、寝てる客はいないだろうが、ラブホテルなら大変だ! ますます、ワクワク、興味津々、小走りに急行する。

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・・・・・・・・・・やはり、消防車がラブホテル街の入り口に止まっている。 ホテルから逃げ出くる客は?、、、、キョロキョロ見わたすが、出てきたのはフロントのおばちゃんかな? 他には誰も出てこない、チョイト変だぞ。

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・・・・・・・・・・・・消防隊員の後に続き、ホテル街の奥へ向かう。

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・・・・・・・・・・・現場はビジネスホテルであった。 “火事”もボヤ程度のようで、既に鎮火したようだ。 被害者も無く、よかった!よかった!

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・・・・・・・・・・・消防隊の横をすり抜け、ラブホテルに入る客の多いのにはビックリした。 近くで火事だというのに街中は平穏だ。

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●・・・・・・・・・・・・・・今日の散歩は、「上野下アパート」と火事に、時間をとられた!

2013年4月 9日 (火)

大神宮

稲毛からの帰り、京成本線の船橋競馬場前駅で下車し、大神宮下駅を通り総武線船橋駅まで歩いてきた。1万2千歩、9km。

①船橋競馬場前駅・・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)に開業した、島式ホーム2面4線の地上駅。・・・・・・・・・昭和2年の開業時には、当駅から谷津遊園(現:谷津バラ園)まで「谷津支線」があり、分岐駅として開業したそうだ。支線は昭和9年(1934)になくなった。・・・・・・・・・私の幼き頃(昭和30年前後)は、近くの船橋ヘルスセンター、谷津遊園に海水浴に来たことを覚えてる。子供心は、今のデズニーランドのようなものだった。

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②東光寺・・・・・・・・・・・大神宮近くの真言宗の東光寺。寺は天文年間に創建されたそうだ。・・・・・・・・・・本堂までの、石畳と階段を進むアプローチが気にいった! 芝生の映える本堂は鉄筋コンクリート造で近代的。・・・・・・・・境内には仏足石・石仏などが配されている。ありがたや!

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③今井写真館・・・・・・・・・京成線大神宮下駅の近くに、白い洋館風の建物がある。・・・・・・・・老舗の写真館で、昭和62年(1987)に、現在のスタイルに改築したそうだ! 細部まで洋館風に、よくできている。ビックリ!

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④大神宮下駅・・・・・・・・・・「船橋大神宮」の丘の下に位置し、大正10年(1921)に開業した駅。 現在は、2面2線の高架駅となっている。

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⑤意富比神社・・・・・・・・意富比神社は“おおひじんじゃ”と読む。通称の「船橋大神宮」ので親しまれており、船橋一の“大”神宮だ。 神宮なので、天照皇大神を主祭神とし、万幡豊秋津姫命・天手力雄命を配祀しているが、徳川家康、秀忠の親子も合祀している。・・・・・・・・・参拝する人も後を絶たず、御利益もありそうだ!

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・・・・・・・・・・・・ちびっこも参拝、きっと将来大物になるだろう!

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⑥灯明台・・・・・・・・・意富比神社境内の小高い丘の上に灯明台(とうみょうだい)がある。明治13年(1880)に建てられた灯台で、あさり採り・海苔養殖に従事する漁民のにより造られたそうだ。・・・・・・・・・・この灯台は木造3階建てなのだが、木立に覆われ、1階・2階が見えない。光源は石油ランプで11km先まで光が届いたらしい。当時の最先端設備だ。・・・・・・・・・・今では、神社から海までは遠く、ここに灯台が在ることが不思議な感じだ!

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⑦広瀬直船堂・・・・・・・・・・・・船橋には、古い建物が多く残っている。その一軒が本町通りの広瀬直船堂という和菓子屋さん。大正初期の建物。奥には蔵造りの建物もある。

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⑧仲通り商店街・・・・・・・・・・・船橋駅前通りと東通り商店街を結ぶ横丁の商店街、雑踏感濃く、飲食店多く、興味津々の商店街。・・・・・・・・中程には畳屋さんもある。

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・・・・・・・・・・・仲通り商店街を抜けると、京成船橋駅は目の前。

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●・・・・・・・・・・・船橋駅前通りの西側は、こちら。

2013年4月 8日 (月)

北千住~田端

北千住駅から、尾竹橋を渡り田端駅まで、1万6千歩、11Kmの散歩です。

①千住寿町・千住柳町の裏道・・・・・・・・・・・・北千住駅西口から国道4号線(日光街道)を越えると、千住寿町・千住柳町だ。・・・・・・・・・・・・下町の空気漂う裏道、いいね!

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②ニコニコ商店街・・・・・・・・・千住柳町と千住大川町の町境が「ニコニコ商店街」。 大正8年(1919)、旧日光街道沿いに点在した遊郭が、この商店街の裏側(現:千住柳町)に移転した。商店街は繁栄し、まさに“ニコニコ”顔となったであろう。・・・・・・・・戦後も60年以上経て、今や遊郭・赤線は無く、商店街は寂れ営業している店を探すのが大変だ。・・・・・・・・・いつになったら、商店街に“ニコニコ顔”が戻るのか?

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③タカラ湯・・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)創業した銭湯の老舗。昭和13年に現在地に改築した。・・・・・・・・・・私は知らないが、ここの男湯の外にある欄干と錦鯉のいる庭園は、銭湯ファンには“イチオシ”らしい。・・・・・・・・さらに、柴又帝釈天の宮大工が彫った玄関上の七福神の彫刻はこれまたすばらしい。

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④元宿神社・・・・・・・・・・・千住元町の元宿神社(もとじゅくじんじゃ)は、 天正2年(1574)の創建。・・・・・・・・神社には鎌倉街道が通り、古くから集落があった。しかし、日光街道千住宿ができると、人々は千住宿の方へ移り、地名も千住宿に対して元宿と称したそうだ。・・・・・・・・・神社は、それほど大きくなく、“千住七福神”として寿老神に、今後の営業を託していくのか?

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⑤尾竹橋・・・・・・・・・・・隅田川にかかる橋で、足立区千住桜木町と荒川区町屋をつなぐ。・・・・・・・・・かって、この場所には「尾竹の渡し」があった。震災後の昭和9年(1934)には、幅10mの5径間ゲルバー桁橋が架けられた。・・・・・・・・現在の橋は、平成4年(1992)に架橋された。長さ130.3m、幅15m、3径間連続ローゼ桁橋(アーチ型の橋)。・・・・・・・・シンプルでスッキリしたデザインがいいね!

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⑥ぬりえ美術館・・・・・・・・荒川区町屋の美術館。 昭和20年代から昭和30年代にかけて、女の子の宝物であった“きいちのぬりえ・着せ替え”を収集した美術館。土日・祝日のみ開館しているそうだ。・・・・・・・・・・私は、男だから、ぬりえで遊んだ記憶はほとんどない。ただ、駄菓子屋へ行くと売っているし、本屋・文房具屋でも売っていた、縁日でも売っていた、、、、、終戦直後は、いろいろな処で売っていた。見ると、懐かしいね!

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⑦下尾久不動尊・・・・・・・・・東尾久の裏道にある不動堂で、「出世石尊」と呼ばれる石神を祀っている。暦応(1338-42=室町幕府)の頃、しばしば起こる地震に、村人が不思議に思ってこの地を訪れると、地より2尺(約60cm)ばかりの異形な石が生えていたという。村人は石神と崇め、祀るようになった。・・・・・・・・・・堂の中に、二つの石が祀られていた。

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⑧熊野前陸橋下をぬける都電・・・・・・・・・・・・・

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⑨今日は入学式だ・・・・・・・・・・・お父ちゃんはカメラマン!・・・・・・・・・私も60年前は、かわいい一年生だった。今は?

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2013年4月 7日 (日)

大師前~北千住

爆弾低気圧による強風の中、東武鉄道大師前駅から、西新井橋で荒川を渡り北千住駅まで、1万5千歩、10kmの散歩です。

①西新井大師・・・・・・・・・一昨日お参りしたので今日はパスと思ったが、前まで来て素通りは後味が悪いので、本日も手だけ合わせた。・・・・・・・・・・せっかくだから、金ぴかの仏壇をチョイト拝見! 御本尊は扉の中でお休みかな?

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②ひらさわ呉服店・・・・・・・・・・西新井駅から尾竹橋に向かう「関原銀座会」という商店街に「ひらさわ呉服店」はある。・・・・・・・・・空襲で火の海となり壊滅した下町で、戦後、復興がすすめられたとき、下町の多くの商店では、バラックの屋根上に手描きの看板が競って揚られた。しかし、看板の裏側はお粗末な造りのままであった。つまりは、店の前面が立派でも、後ろの建物がお粗末で、ライオンの鬣(タテガミ)の面構えに似ているという洒落で、トタン造りの看板を“ライオン看板”と呼んだそうだ。・・・・・・・ここの看板は、戦後、造られ60年以上経過し、今や都内で唯一最大級のものとなった。・・・・・・・・・・北千住、槍かけ団子のかどやにも、建替え前は“ライオン看板”が揚げられていた。・・・・・・・・このような看板を作る職人も少なくなったそうだ。 納得!

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③関原湯・・・・・・・・・・「関原銀座会」の南端に在った銭湯。東日本大震災で煙突が倒壊し、建物も半壊した為廃業となったそうだ。・・・・・・・・壊れた煙突に残る鉄筋が寂しそうだ!

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④旧愛恵学園幼稚園舎・・・・・・・・・・昭和5年(1930)、アメリカ人女性宣教師:ペインによって、現:足立区関原に創設された「愛恵学園」は、約60年にわたり乳幼児を預かるナースリー・スクール(保育園)や、聖路加病院の医師による乳幼児の健康相談会など社会福祉事業を行ってきた。戦時中の閉園はあったが、戦後も活動は再開してたが、平成2年(1990)、その役割を終え「愛恵学園」は閉園した。・・・・・・・・足立区は閉園後の敷地・建物を取得し、地域のコミュニティ施設とした。・・・・・・・・・旧幼稚園舎は木造2階建て、昭和5年の竣工。・・・・・・・・・・子供が遊びまわっている空気を残したままだ!

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⑤西新井橋・・・・・・・現在、橋の下を流れる荒川は、明治44年(1911)に開削工事に着工し、昭和5年(1930)に荒川放水路として完成した。現:西新井橋の前身である木造の西新井橋は大正11年(1922)に完成した。当時、橋の両岸は「東京府南足立郡西新井村」で、つまり西新井村を荒川放水路が分断したのだ。現在は、右岸が足立区千住元町、左岸が足立区関原となっている。・・・・・・・・・現在の橋は、橋長444.6mの鋼製桁橋で、昭和36年(1961)に竣工した。・・・・・・・・・橋の上は、モロ強風で、帽子、メガネ、私自身が飛ばされぬよう注意しながら渡ってきた。

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⑥千住の老舗? ・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・ミルクホール・モカ・・・・・・・・・知る人ぞ知る、昭和36年(1961)開業の元祖喫茶店!

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・・・・・・・・・・・・中村畳店・・・・・・・・・日本人なら畳だよ! 昭和5年(1930)の建築だよ!

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・・・・・・・・・・・・大黒湯・・・・・・・・・・・超豪華な破風作りは、銭湯だ! なぜか、花魁を連想してしまった! 昭和4年(1929)の建物。

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・・・・・・・・・・・・石黒のあめ・・・・・・・・・・昭和8年(1933)創業の手作りのあめ屋さん。

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2013年4月 5日 (金)

東武大師線

昨日に続き、つくばエクスプレス「六町」駅から東武大師線「大師前」駅まで、1万4千歩、10kmの散歩です。

①六町駅・・・・・・・・・・つくばエクスプレス六町(ろくちょう)駅は、平成17年(2005)に開業した東京都内最北の地下駅。・・・・・・・・戸田建設の施工による、開削工事で造られた三層構造の駅。・・・・・・・・・地上に出ると、周囲にはこれといった建物はなく、新興の宅地という感じだ。空地も多く、新築住宅も多いが、中小の工場も所々に在る。・・・・・・・・私には、チョイト面白味のない処だ!

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②都営住宅・・・・・・・・・・・六町駅から西へ向かうと、中・小規模の都営住宅が、ポツンポツンと続く。 アパート探しに歩いているようだ!

・・・・・・・・・・・・東栗原アパート・・・・・・・・昭和41年(1966)建設、13棟(614戸)の団地

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・・・・・・・・・・・・平野三丁目アパート・・・・・・・・・昭和46年(1971)、382戸の団地。・・・・・・・おかしなことに気付いた、前庭が綺麗な芝となっている棟、前庭に各戸が所有権を主張し花を植えている棟、各戸にパラボラを備えてシイタケ栽培のような棟(他の棟にはパラボラは一つも無かった)、それぞれが個性ある棟だが、悪く言えば“無秩序”だ!

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・・・・・・・・・・・・・島根二丁目アパート・・・・・・・・・昭和46年(1971)~昭和56年(1981)に建設された4棟(78戸)の小粒な団地。

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③東武大師線・・・・・・・・・大師線(だいしせん)は、西新井駅と大師前駅を結ぶ一駅間1.0kmの東武の路線。この路線は、西新井大師(総持寺)への参詣客輸送を目的として開業した。・・・・・・・・・鉄道オタクにはよく知られているように、西新井と上板橋(東上線)を結ぶ計画が戦前存在した、この計画路線が具現化したごく一部が大師線だ。・・・・・・・・今日は、西新井駅あたりから終点(たった、一駅)の大師前まで歩いてもみた。

・・・・・・・・・・・・西新井駅、大師線ホーム(1番線)から2両編成のワンマンカーで発着する

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・・・・・・・・・・・・西新井駅を出ると、本線から左へ離れていく。

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・・・・・・・・・・・本線から“さよなら”すると、金網にへばりついた洗濯物を横目で見ながら、高架となる。

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・・・・・・・・・・・・高架橋が続く、大師前へまっしぐら!

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・・・・・・・・・・・もう終点:大師前駅です。・・・・・・・・・駅ビルの3階に1面1線のホームがある。ホームは初詣などの混雑を裁くためか、かなり広く造られている。普段は無人駅だ。

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④西新井大師・・・・・・・・・真言宗豊山派の寺で、五智山遍照院總持寺(ごちさんへんじょういんそうじじ)が寺名である。通称の「西新井大師」で広く知られている。・・・・・・・・・・・本堂は昭和41年(1966)に焼失し、現本堂は昭和46年(1971)に再建された。・・・・・・・・・・・長寿を願い手を合わせてきた。

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・・・・・・・・・・・全身朱塗りの塔は、一見三重塔に見える三匝堂(さんそうどう)。

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・・・・・・・・・・・塩漬けになった“塩地蔵”

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⑤山門前の店・・・・・・・・・・・・お土産に草だんご、せんべい、ダルマ? 懐かしい構えの店もある。

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⑥足立の彩・・・・・・・・・・・

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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・夕方から、49年ぶりに中・高等学校の同級生と再会。 忘れていた顔もあり、皆、爺になった! でも、よく見ると昔のままだ! 帰りには50年の空白も埋まり、やはり同級生だ!

2013年4月 4日 (木)

北綾瀬支線

常磐線亀有駅から、つくばエクスプレス六町駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。

①北綾瀬支線・・・・・・・・・・亀有駅に行く前に、手前の綾瀬駅で降りて、綾瀬~北綾瀬の一駅間を運行する地下鉄千代田線の北綾瀬支線を往復してみた。・・・・・・・・・昭和44年(1969)地下鉄千代田線北千住~大手町間が開業し、昭和46年(1971)には綾瀬~北千住間が開業した。・・・・・・・「北綾瀬支線」は、開業時に造られた綾瀬駅と車両基地を結ぶ引込線で、昭和54年(1979)に綾瀬~北綾瀬間(一駅間=2.1km)を旅客扱い化したものである。

・・・・・・・・・・・・綾瀬駅1・2番ホームの先に在る0番線から、3両編成の列車で発着です。ローカル線の終着ホームのようだ、感じが出てるね!

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・・・・・・・・・・・・・綾瀬駅を出ると、すぐに本線と引込線(北綾瀬支線)の分岐部

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・・・・・・・・・・・・高架上に見える片側1面のホーム。今年度の事業計画では、北綾瀬駅のホームを10両編成対応に延伸し、代々木上原方面からの直通運転を実施するらしい。

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・・・・・・・・・・・・・北綾瀬駅のラッシュアワー。只今、8:40。

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・・・・・・・・・・・・・高架下の北綾瀬駅改札口。前は環七通り。

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・・・・・・・・・・・・・駅の先は綾瀬車両基地へ続く

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②亀有駅・・・・・・・・・・・駅は明治30年(1897)に日本鉄道の駅として開業。明治39年(1906)からは、日本鉄道が国有化され、国有鉄道の駅となる。・・・・・・・・・北口の前にも、マンガの主人公:両津像が立ち出迎えている。

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③雨に打たれた桜・・・・・・・・・二日間の雨と風に耐え抜いた桜。亀有の親水公園で。

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④綾瀬車両基地・・・・・・・・・・北綾瀬駅の先に広がる、東京メトロ:綾瀬車両基地。敷地は南北750m、東西190m、14万㎡の広さで、東京メトロでは最大級の基地である。・・・・・・・・・・車両の多くは勤務中で、基地は閑散としていた。・・・・・・・・・広い基地であるため、住民が横断する跨線橋歩道橋が2本、地下トンネルが1本ある。

・・・・・・・・・・・・基地の入り口部分に架かる歩道橋。歩道橋の下には4線が敷設され、南側の北綾瀬駅方から引きあげてきた車両が基地へ入っていく。

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・・・・・・・・・・・・基地の中程には、「加平谷中地下トンネル」が平成20年(2008)に完成した。このトンネルは、総工費120億円、工事期間は8年を要した。上下2層のトンネルで、下は車道、上は歩道となっている。・・・・・・・立派なトンネルだ! あまり立派なので、通る人も遠慮しているようだ、昼間なのに誰もいない? 節電でもしたら!

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・・・・・・・・・・・・・トンネルの150m程北側には、基地を一跨ぎする200m程の歩道橋がある。 歩道橋の下は線路が綺麗な模様を描いている。

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⑤六町加平橋・・・・・・・・・・綾瀬車両基地の下をトンネルで走る補助258号線は綾瀬川を「六町加平橋」で渡るように造られているが、現在は川を渡れず橋の手前で迂回することになる。・・・・・・・・この橋、昨年(2012)に完成したのだが、実は未完成なのだ。・・・・・・・・・橋を渡った先の六町側の区画整理ができておらず立ち退きができていないため、取り付け道路が造れないのだ。・・・・・・・・橋は出来たが、端の人が立ち退きできず、箸にも棒にもならない橋だ。

・・・・・・・・・・・・・・橋の歩道は通行可だが、写真左側の金網で囲われた車道は通行不可。

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・・・・・・・・・・・・高速下の綾瀬川を見ながら渡ると!

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・・・・・・・・・・・・対岸(六町側)では、階段で道路に出るのだ。

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・・・・・・・・・・・・道路から振り向けば、納得! 工事は中途半端に中断中、ナンチュウの!

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2013年4月 1日 (月)

外濠

今日は、先週受けたがん検診の結果を訊きに水道橋のクリニックへ行ってきた。結果を訊くまでの間は、最悪の状態を想像し恐怖であったが、結果は“異状なし”。良かった、良かった!

クリニックの予約時間まで、気を紛らわすため、四ツ谷駅から外濠沿いに水道橋まで歩いてきた。

①外濠公園・・・・・・・・・・・四ツ谷から飯田橋にかけ、外濠の土手上と外堀通りに沿い、桜がズラリ! 今日あたりが最後だね! もう、花見客も少なく、楽々と場所取りができる状態だ!

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②市ヶ谷橋・・・・・・・・・市ヶ谷駅ホームを跨いで架かる跨線橋だが、隣に並行して架かる市ヶ谷見附跨線水道橋の方が見栄えが良く、チョイト、影の薄い橋だ。・・・・・・・江戸城外濠の市ヶ谷見附として、寛永年間(1624~1644)に始めて架けられた橋。現在の橋は昭和2年(1927)に架けられた、長さ36.4mのコンクリート橋。

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③最高裁判所長官公邸・・・・・・・・・これまでは門の前に警官が立ち近寄りがたいところだが、今日は警官も居らず、門がチョイト開いていたので隙間からパチリ!・・・・・・・・江戸時代は旗本の屋敷だった場所で、昭和3年(1928)に馬場邸として建てられた。吉田鉄郎(先月「KITTE」に変身した旧東京中央郵便局を設計)の設計による、木造2階建ての建物。・・・・・・・・・現在は最高裁判所が管理している。

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④洋館?・・・・・・・・・・最高裁判所長官公邸前に建つ得体の知れぬ洋館風建築

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⑤東京日仏学院・・・・・・・・・・東京理科大学近くに建つ、フランス語学校を中心に、図書室、映画館、ショップ、レストランを備えた、フランス政府の文化発信拠点。。・・・・・・・・・昭和26年(1951)に坂倉準三(1904~1969)の設計で竣工した。

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・・・・・・・・この建物の階段室は2本の階段が螺旋状に上がっていく構造で大変面白い空間を創っている。写真中央の円柱状の部分が階段室。

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・・・・・・・・・・・・・奥にも階段がある

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⑥東京理科大学近代科学資料館・・・・・・・・・・平成2年(1990)に復元された、東京理科大の復元校舎。元の建物は明治39年(1906)に神楽坂に建設された東京物理学校だ。・・・・・・・・・本日は休館日の為、内部の拝見はダメ! 残念!

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●・・・・・・・・・・・神楽坂では、ツツジが咲き始めていた・・・・・・・・・今日の検査結果で、私も春だ!

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