代田橋~東北沢
京王線代田橋駅から、下北沢をとおり駒場の東大先端科学技術開発センターに寄り、小田急線東北沢駅まで、1万5千歩、11Kmの散歩です。
①代田橋駅・・・・・・・・・・・大正2年(1913)、京王電気軌道(笹塚~調布間)の開業と同時に、駅として開業した。歴史ある駅だが、普通しか停車しない駅でチョイト寂しいね。・・・・・・・・・・相対式ホーム2面2線を持つ地上駅で、駅舎と改札は線路下の地下にある。
②和田掘給水所・・・・・・・・代田橋駅の斜向かいに、東京都水道局の和田掘給水所がある。・・・・・・・・給水所の航空写真では丸い形の1号配水池(昭和9年(1934)完成)と、四角い山の様な2号配水池(大正13年(1924)完成)が見える。・・・・・・・・都内には、駒澤(世田谷区)、野方(中野区)、大谷口(板橋区)に給水所配水塔があるが、ここ和田掘給水所は規模も大きく、境浄水場及び練馬給水所から送られた水を貯める2つの配水池があり、世田谷・渋谷区を中心に配水している。遠くは千代田区にも、一部給水しているらしい。
・・・・・・・・・・・・1号配水池の中央の塔
・・・・・・・・・・・・2号配水池頂部の入り口
③下北沢駅・・・・・・・・・・・・小田急電鉄小田原線・京王電鉄井の頭線の駅で、今年3月22日までは、小田急は地上、京王は高架で立体交差していた。23日からは、小田急の地下化により小田急は地下駅、京王は高架駅となった。・・・・・・・・・小田急の下北沢駅は昭和2年(1927)に開業し、京王の同駅は昭和8年(1933)に開業した。・・・・・・・・・改札は両社共通で、利用しやすい駅だ。
・・・・・・・・・・・・地下化から1か月が経過し、地上駅は取り壊しが進んでいる。
・・・・・・・・・・・・レールはすでに無く、今度は緩行線用の地下トンネル工事が始まった。平成29年(2017)度の複々線化工事の完了まであと4年、長い工事だね!
④小劇場・・・・・・・・・・・“下北沢”は、終戦直後、山手の住宅街という印象があった。私が、小田急で明大生田校舎(工学部)の通っていた大学生の頃(昭和40年代)は下宿の町だった。いつのまにか、今は、劇団・ライブハウス・パブ・古着屋の多い、若者の町となったようだ。・・・・・・・・・小劇場がいくつかが目についた! 本多劇場(昭和57年開場:386席)、「劇」小劇場(平成9年開場:130席)、ザ・スズナリ(昭和56年開場:170席)、シアター711(平成21年開場:90席)
⑤カトリック世田谷教会・・・・・・・・・・・・カトリック東京教区で戦後最初にできた教会。スズナリ劇場裏手の、チョイト若者から隠れた処に在る。・・・・・・・・戦後、下北沢で集会が始まり、昭和23年(1948)に献堂された。・・・・・・・・・木の香漂う、瀟洒な教会だ!
⑥駒場リサーチキャンパス・・・・・・・・・・糸川教授がペンシルロケットを開発した、東京大学宇宙航空研究所があったところ。現在は学部はなく、研究施設のみが集まったキャンパス。(教養学部がある駒場キャンパスは前田侯爵邸を挟んで隣り)
・・・・・・・・・・・13号館・・・・・・・正門を入ると真正面に見える建物。設計は内田祥三と清水幸重で、昭和4年(1929)竣工。施工は大倉土木(現:大成建設)で、“地図に残る仕事”だ!・・・・・・・・・・関東大震災後に越中島から移転した東京帝国大学航空研究所の中心施設。スクラッチタイル貼りの鉄筋コンクリート、地上3階地下1階建。最上階には時計台があり、キャンパスのシンボル的建築であったに違いない!
・・・・・・・・・・・・1号館・・・・・・・旧航空研究所風洞部研究室。こちらも設計は内田祥三と清水幸重で、昭和3年(1928)竣工。・・・・・・・・・建物はかなり劣化し、チョイト、可哀そう!
・・・・・・・・・・・17号館・・・・・・・・・昭和4年(1929)竣工の旧航空研究所中央工場
・・・・・・・・・・・15号館・・・・・・・・・こちらも古そう? 情報システム研究センター
・・・・・・・・・・・・キャンパスの中央に歴史ある建物を配し、周囲には原広司の設計により、平成13年(2001)頃に建てられたモダンな研究棟が並ぶ。
⑦東北沢駅・・・・・・・・・・こちらも3月23日から地下駅となった。かっての地上駅。