浅草橋~鶯谷
昨日からマイ・パソコンの障害対応し本日午前中に回復した、午後3時頃から散歩に出られる状態となり、浅草橋の我が家から鶯谷まで歩いてきた。 万歩計を忘れ、歩数は計測不可。
①蔵前別館・・・・・・・・・我が家の近く浅草橋3丁目にある、ビジネスホテルが無い頃の旅館だったと思う。・・・・・・・・・営業を止めてから、時間もだいぶ過ぎたが、建物はしっかりしているようだ。私が生れる前からの建物で、戦前の建築だ?・・・・・・・・・・・昭和40年頃までは、都心のいたるところに、このような規模の旅館があり、“ビジネスマン”というよりも、地方の行商人(富山の薬売り)、仕入れ業者などが定宿にしていた。
②上野下アパート・・・・・・・・・・・・現存する最後の同潤会アパート「上野下アパート」(昭和4年(1929)竣工)の建て替え工事がいよいよ始まるようだ。・・・・・・・昨年12月に解体されることを知り、最後と思い撮影に来たが、今日まで壊されずに残っていた。 既に内部は廃墟化し、住んでいる人はほとんどいないようだ。来月から取り壊しとなる。 寂しいね、残念!・・・・・・・・・2年後には14階建てのマンションに変わる予定。
・・・・・・・・・・・・人とは去り、残るはゴミ!
③講道館柔道発祥の地・・・・・・・・・・・地下鉄稲荷町駅前交番の隣りに、室町時代に開創した浄土宗の永昌寺がある。ここは、講道館柔道の祖である嘉納治五郎が寺内に道場を建てた処である。・・・・・・・・・・道場は関東大震災で焼失した。
④両大師橋・・・・・・・・・・・上野駅の北端に架かる跨線橋。JR山手線、京浜東北線、東北本線、常磐線、引上げ線も含めて、計21本の線路を跨ぐ橋。昭和初めに架けられた旧両大師橋は、昭和45・46年(1970・1971)に現橋に架け替えられた。・・・・・・・・橋は上野公園側に輪王寺両大師堂があることから命名された。・・・・・・・・・・娘を私の自転車の前にのせ、橋の上から東北・信越・上越・常磐の特急列車を見せたのは、もう30年以上前のことだ。早いもので娘は嫁に行き、私は“じじい”になってきた。
⑤斉藤理容館・・・・・・・・・下谷1丁目の床屋さん。創業明治41年(1908)の床屋の老舗(?)。・・・・・・・・・・看板は古そうだが、建物は戦後だろう?
⑥ラブホテル街の火事・・・・・・・・・・鶯谷駅に向かっていると、消防車が数台サイレンならし私の横を通過した。『火事と喧嘩は江戸の華』というが、私はこの両方が気にかかる性分だ! サイレンの音を聞くと、夜中でも飛び出し見物に(不謹慎だが)行く性質で、今日も音に誘われ現場の方向へ向かう。
・・・・・・・・・・・・なんと、ラブホテル街のようだ! 只今の時刻、17時まだ明るいので、寝てる客はいないだろうが、ラブホテルなら大変だ! ますます、ワクワク、興味津々、小走りに急行する。
・・・・・・・・・・やはり、消防車がラブホテル街の入り口に止まっている。 ホテルから逃げ出くる客は?、、、、キョロキョロ見わたすが、出てきたのはフロントのおばちゃんかな? 他には誰も出てこない、チョイト変だぞ。
・・・・・・・・・・・・消防隊員の後に続き、ホテル街の奥へ向かう。
・・・・・・・・・・・現場はビジネスホテルであった。 “火事”もボヤ程度のようで、既に鎮火したようだ。 被害者も無く、よかった!よかった!
・・・・・・・・・・・消防隊の横をすり抜け、ラブホテルに入る客の多いのにはビックリした。 近くで火事だというのに街中は平穏だ。
●・・・・・・・・・・・・・・今日の散歩は、「上野下アパート」と火事に、時間をとられた!