中野~代田橋
中央線中野駅から、方南町を抜け京王線代田橋駅まで、1万4千歩、10kmの散歩です。
①中野駅南口・・・・・・・・・・・中野駅は、明治22年(1889)、甲武鉄道(新宿~立川)の開通と同時に開業した歴史ある駅。サンプラザ、ブロードウェイのある北口に比べると、南口はチョイト、元気がないようだ。
・・・・・・・・・・・・・中野駅南口の南西にあたる中野3丁目には「桃園町会」がある。五代将軍綱吉の時に、約30万坪(100ha)に及ぶ野犬を保護するための施設「お囲い御用屋敷」が作られていた。その後、将軍吉宗が跡地に、紅白の桃を植え「桃園(とうえん)」と称したことから、その名が残っているそうだ。ちなみに、「囲町(かこいちょう)町会」も現存する。・・・・・・・・・・マルイ裏の路地に在る桃園会館は大正時代に建てられた町会の施設。
②旧蚕糸試験所正門・守衛所 ・・・・・・・・・・・明治44年(1911)に設置された蚕糸(さんし)試験所が昭和55年(1980)に筑波へ移転し、その跡地に現:「蚕糸の森公園」が作られた。公園入口には煉瓦造りの門柱と大正元年(1912)に建てられた守衛所が残されている。・・・・・・・・試験所は、時代の変化に合わせ、「農業生物資源研究所」となった。 もはや“お蚕さん”研究の時代は終わり、生物ゲノム研究の時代となっている。
・・・・・・・・・・・・・・公園は緑イッパイ!
③真盛寺(しんせいじ)・・・・・・・・・天台真盛宗の東京別院で、本山は滋賀県大津の西教寺。寛永8年(1631)に現在の文京区湯島に創建された。その後、谷中清水町、本所小梅寺町に移り、大正11年(1922)に現在地に移転した。江戸日本橋の越後屋(現:三越)の菩提寺だ。・・・・・・・・・本所から移築した本堂は安永5年(1776)の建物。客殿は目白にあった細川邸を移築したものである。・・・・・・・・・・茶室・待合のある境内は広く、小ぶりの池もある、木々は綺麗に手入れされ、訪れる参拝客は少ないようで、静寂と威厳と平穏を感ずる。
④妙法寺・・・・・・・・・・・元和(1615~1623=徳川秀忠の時代)の頃、真言宗の尼寺であったが、日蓮宗に改宗した。元禄12年(1699)には身延山久遠寺の直末となり、日蓮大聖人の像があらゆる災難除けに霊験あらたかであることから、「堀ノ内やくよけ祖師」と呼ばれている。
・・・・・・・・・・・・・妙法寺の鉄門・・・・・・・・・・この鉄門は、鹿鳴館、岩崎邸、ニコライ堂、古河邸などを設計した、英国人ジョサイア・コンドルの設計により明治11年(1878)に完成したものだ。国の重要文化財。・・・・・・・・和洋折衷のデザインで、門柱の左右には漢詩もある。
⑤神田川・環状七号線地下調節池・・・・・・・・・・・・・環状七号線と神田川の交点に、“知る人ぞ知る”神田川取水施設がある。一見、二見、三見しても、ただ円形の何の変哲もない建物だ。・・・・・・・・・・この建物は平成9年(1997)に完成した、環状七号線の地下約40mに造られた直径12.5m、長さ4.5kmの巨大な池の取水口である。神田川が氾濫することを防ぐため、大雨の時はここから地下調節池に雨水を流し、一時的に貯水する施設。
・・・・・・・・・・・・・隣に流れる神田川・・・・・・・・・普段は小さな川だが、氾濫すると怖い!
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