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2013年4月 7日 (日)

大師前~北千住

爆弾低気圧による強風の中、東武鉄道大師前駅から、西新井橋で荒川を渡り北千住駅まで、1万5千歩、10kmの散歩です。

①西新井大師・・・・・・・・・一昨日お参りしたので今日はパスと思ったが、前まで来て素通りは後味が悪いので、本日も手だけ合わせた。・・・・・・・・・・せっかくだから、金ぴかの仏壇をチョイト拝見! 御本尊は扉の中でお休みかな?

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②ひらさわ呉服店・・・・・・・・・・西新井駅から尾竹橋に向かう「関原銀座会」という商店街に「ひらさわ呉服店」はある。・・・・・・・・・空襲で火の海となり壊滅した下町で、戦後、復興がすすめられたとき、下町の多くの商店では、バラックの屋根上に手描きの看板が競って揚られた。しかし、看板の裏側はお粗末な造りのままであった。つまりは、店の前面が立派でも、後ろの建物がお粗末で、ライオンの鬣(タテガミ)の面構えに似ているという洒落で、トタン造りの看板を“ライオン看板”と呼んだそうだ。・・・・・・・ここの看板は、戦後、造られ60年以上経過し、今や都内で唯一最大級のものとなった。・・・・・・・・・・北千住、槍かけ団子のかどやにも、建替え前は“ライオン看板”が揚げられていた。・・・・・・・・このような看板を作る職人も少なくなったそうだ。 納得!

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③関原湯・・・・・・・・・・「関原銀座会」の南端に在った銭湯。東日本大震災で煙突が倒壊し、建物も半壊した為廃業となったそうだ。・・・・・・・・壊れた煙突に残る鉄筋が寂しそうだ!

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④旧愛恵学園幼稚園舎・・・・・・・・・・昭和5年(1930)、アメリカ人女性宣教師:ペインによって、現:足立区関原に創設された「愛恵学園」は、約60年にわたり乳幼児を預かるナースリー・スクール(保育園)や、聖路加病院の医師による乳幼児の健康相談会など社会福祉事業を行ってきた。戦時中の閉園はあったが、戦後も活動は再開してたが、平成2年(1990)、その役割を終え「愛恵学園」は閉園した。・・・・・・・・足立区は閉園後の敷地・建物を取得し、地域のコミュニティ施設とした。・・・・・・・・・旧幼稚園舎は木造2階建て、昭和5年の竣工。・・・・・・・・・・子供が遊びまわっている空気を残したままだ!

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⑤西新井橋・・・・・・・現在、橋の下を流れる荒川は、明治44年(1911)に開削工事に着工し、昭和5年(1930)に荒川放水路として完成した。現:西新井橋の前身である木造の西新井橋は大正11年(1922)に完成した。当時、橋の両岸は「東京府南足立郡西新井村」で、つまり西新井村を荒川放水路が分断したのだ。現在は、右岸が足立区千住元町、左岸が足立区関原となっている。・・・・・・・・・現在の橋は、橋長444.6mの鋼製桁橋で、昭和36年(1961)に竣工した。・・・・・・・・・橋の上は、モロ強風で、帽子、メガネ、私自身が飛ばされぬよう注意しながら渡ってきた。

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⑥千住の老舗? ・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・ミルクホール・モカ・・・・・・・・・知る人ぞ知る、昭和36年(1961)開業の元祖喫茶店!

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・・・・・・・・・・・・中村畳店・・・・・・・・・日本人なら畳だよ! 昭和5年(1930)の建築だよ!

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・・・・・・・・・・・・大黒湯・・・・・・・・・・・超豪華な破風作りは、銭湯だ! なぜか、花魁を連想してしまった! 昭和4年(1929)の建物。

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・・・・・・・・・・・・石黒のあめ・・・・・・・・・・昭和8年(1933)創業の手作りのあめ屋さん。

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