隅田川の橋
梅雨の合間の晴れ、今日は散歩日和だが、あいにく、病院の診察日と重なった。 昨年9月に発病した小豆大の後頭部表皮の悪性腫瘍、秋には2回の外科手術で除去した。 その後、3か月毎に診察をうけ、今日がその日だ。もちろん、結果は異状なし。
散歩は、浅草橋の我が家から蔵前橋を渡り、病院へ。 診察後は、厩橋、駒形橋をまわり我が家まで、1万歩、7km。
①総武線隅田川橋梁・・・・・・・・・・・・・元土木学会会長:東大教授:田中豊(たなかゆたか:1888~1964)の設計による、昭和7年(1932)竣工の総武線(浅草橋~両国)の鉄道橋。・・・・・・・・・・全長172mの橋は、38m+96m+38mの3径間に分けられ、中央径間は桁+アーチの構造で強度を増している。全体的には細い直線の桁が一本水平に走る、シンプルで、軽やかなデザインとなっている。・・・・・・・・・設計した、田中豊は日本の橋梁設計の大御所でその業績を記念し、優れた特色を有する橋梁が毎年選考され、与えられえる土木学会田中賞の名称となっている。「かつしかハープ橋」、「レインボーブリッジ」などが受賞している。
・・・・・・・・・・・・・・昭和30年代の総武線隅田川橋梁(ウィキペディアから)・・・・・・・・・丸いドーム屋根は旧両国国技館(→旧日大講堂→取り壊し、現存しない)
②蔵前専用橋・・・・・・・・・・総武線隅田川橋梁の上流に、蔵前橋と並行に架かる橋。 NTTの専用橋で、桁の内部には通信線がひかれている。・・・・・・・・全長155.4mの3径間連続鋼箱桁橋で、昭和42年(1967)竣工。・・・・・・・・・・・無骨なこの橋に邪魔され、蔵前橋の全景を下流側から撮るのは難しい! “邪魔だ、退け!”と叫びたいね。・・・・・・・・・・この橋の対岸正面に、私が通う病院が在る。
③蔵前橋・・・・・・・・・・震災復興橋として、総工費175万円(昭和元年の物価 白米(10キロ)3円20銭)をかけ、昭和2年(1927)に竣工した。3径間連続上路式スチールアーチ橋。・・・・・・・・・・・“黄色の橋”というと“ケバ”そうに思うが、私は見慣れているせいか、“これぞ蔵前橋の色”に見える。・・・・・・・・欄干やバルコニーの力士・芸者の透かし彫りもいいね!
・・・・・・・・・・・・・蔵前橋の際には“首尾の松”が残され、歴史を語っている
・・・・・・・・・・・・・・蔵前橋のまたぐらから覗く厩橋
④厩橋・・・・・・・・・・蔵前橋の上流は厩橋(うまやばし)。こちらは、総工費113万円で、昭和4年(1929)に竣工した。橋長151.4m、3径間下路式タイドアーチ橋で、重量感あるデザインだ。 親柱・外灯などに馬をデザインしたレリーフなどが施されている。・・・・・・・・・・橋名は、江戸時代、幕府の厩舎があったことから、この辺りは御厩の渡しと称されていたことに由来する。 中央競馬会とは無関係だ!
・・・・・・・・・・・・・・ガラガラの水上バスが橋の下を通過
・・・・・・・・・・・・・厩橋からのスカイツリー
⑤駒形橋・・・・・・・・・・・「駒形どぜう」、駒形はうなぎの「前川」、とろろ飯の「むぎとろ」と、食べることしか連想できないのが、かわいそうな私だ!・・・・・・・・その駒形橋は、昭和2年(1927)に、総工費171万円で竣工した。橋長149.1m、3径間スチール・アーチ橋で、アーチ部の曲線が優美な流れで女性的でもある。
・・・・・・・・・・・・・橋の墨田区側の際には、昭和初期の駒形橋交番が残っている。
・・・・・・・・・・・・・台東区側の際には、浅草寺本尊聖観音像の「示現の地」とされる場所に駒形堂がある。堂は鉄筋コンクリート造、方三間、宝形造で、平成15年(2003)に建て替えられた。
・・・・・・・・・・・・・駒形堂の隣りは、「むぎとろ」で食事の順番を待つ人