聖橋
今日の散歩は、浅草橋の我が家から御茶ノ水まで、歩いて往復した。1万歩、7km。
①聖橋・・・・・・・・・・湯島聖堂とニコライ堂、2つの聖堂を結ぶ聖橋(ひじりばし)は、建築家:山田守(1894-1966)の設計で、昭和2年(1927)に竣工した震災復興橋である。・・・・・・・・・鉄筋コンクリート造アーチ橋、長さ72.9m、幅22.0mで、工事費は80万円程であった。(同じ昭和2年に竣工し、同じ神田川に架かる柳橋は12万円程)・・・・・・・・建築家:山田守は旧千住郵便局電話分室、東海大学代々木校舎2号館、永代橋(デザインに関与)などを手掛けた、曲面・曲線を用いた特徴ある作品を残している。 橋の長さは隅田川に架かる橋には及ばないが、神田川に架かるスケールの大きさ、インパクトの強さはスゴイ! まさに復興の記念碑的な橋である。
・・・・・・・・・・・・・総武線神田川橋梁の股下から眺める聖橋。
・・・・・・・・・・・・印象的な姿を描く曲線
・・・・・・・・・・・・・聖橋から眺める両聖堂
②湯島聖堂・・・・・・・・・・・元禄3年(1690)、将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟。明治時代には、昌平坂学問所として私塾が開かれ、以後、聖堂構内には、現在の国立博物館、筑波大(東京教育大学)、お茶の水女子大などが同居した。大正12年(1923)の関東大震災で建物は悉く焼失し、昭和10年(1935)に伊東忠太(築地本願寺などを手がける)の設計により、鉄筋コンクリート造で再建された。・・・・・・・・・・東日本大震災では建物は無傷だったようだが、外周の塀がかなり損傷して昨年まで補修工事が行われていた。
・・・・・・・・・・・・・鮮やかな黒塗りの門をくぐり、孔子を祀った「大成殿」に向かう。
・・・・・・・・・・・・・聖堂からニコライ堂を見る
・・・・・・・・・・・・・聖堂に飾られていた、建設中のニコライ堂から撮影した明治の聖堂、左側の建物は東京師範学校。
・・・・・・・・・・・・構内に建つ、湯島聖堂を管理する公益法人の“斯文会”の「斯文会館」。こちらは、昭和9年(1924)に鉄筋コンクリート造により建てられた。
・・・・・・・・・・・・・補修された塀。
③ニコライ堂・・・・・・・・・・・ニコライ堂(=東京復活大聖堂)は、岩崎邸を手掛けたジョサイア・コンドルの設計で大主教聖ニコライにより明治24年(1891)に竣工した。その後、震災によりドームが崩壊し、昭和4年(1929)に修復された。国内最大級のビザンチン様式の建築で、国の重要文化財。・・・・・・・・・・内部は撮影禁止なので、残念だが写真はなし。 300円でローソクを買い献灯すると、ロシア正教の荘厳な雰囲気を肌で感じることができる。 今日は夕方にでも祈祷があるのか、若者・ロシア美人も見えた!
・・・・・・・・・・・・大聖堂
・・・・・・・・・・・・敷地内に建つ、府主教庁、ニコライ学院の建物。
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