立会川~新馬場
京急線立会川駅から、「立会川」をさかのぼり、京急線新馬場駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。
①立会川駅・・・・・・・・・・・立会川(たちあいがわ)駅は、明治37年(1904)、八幡駅(現:大森海岸)~品川駅間の開業に伴い同時に開業した駅である。平成2年(1990)に高架駅となる。・・・・・・・・・駅名は駅前を流れる「立会川」から命名した。
②立会川・・・・・・・・・・・駅名となるほどの大河と思いきや、どこにでもある家の裏の“ドブ川”程度。・・・・・・・・・・水源は目黒区の碑文谷池らしいが、川筋の大部分は暗渠となっている。品川区を西から東に横断し、東海道本線をくぐり、大井の東芝病院近くで暗渠から顔を出し、第一京浜、京浜急行線の下を流れ、東京湾の勝島運河に流れ込んでいる。・・・・・・・・・今日は、勝島運河から上流の東芝病院側に向かって約1km川筋を歩いてみた。
・・・・・・・・・・・・・立会川が流れ込む勝島運河
・・・・・・・・・・・・・浜川橋・・・・・・・・・最下流の橋で、昭和9年(1934)の竣工。橋上は旧東海道だ。・・・・・・・・「立会川」は、府内から近くの“鈴ヶ森刑場”へ送られる罪人を、家族や友人が最後に見送る(立ち会う)場所であるところから、名付けられたという説があり。 ここ浜川橋は、家族・友人がここで涙を流し見送ったので、別名、泪橋(なみだばし)と云うそうだ。
・・・・・・・・・・・・天祖神社・・・・・・・江戸時代初期の創建といわれる、浜川橋際の鎮守様。・・・・・・・・・・・・社殿は昭和40年(1965)に改築された。綺麗なシルエットを描いている社殿だ。
・・・・・・・・・・・・・弁天橋・・・・・・・・下流側から二番目の橋は、昭和6年(1931)の竣工。川底の水はかなり汚れている、臭いはないようだが、黒い物体がプカプカ浮いている。
・・・・・・・・・・・・・・京急高架下の橋・・・・・・・・・・名前が判らない! 京急線が地上を走っている頃、ここには京急線の橋梁が在ったはずで、橋桁は京急線で使用していたもののようだ?
・・・・・・・・・・・・・立会川橋・・・・・・・・・・第一京浜に架かる、立会川橋は大正13年(1924)に竣工した。・・・・・・・・・・・橋の長さより、幅の方が大きいね!・・・・・・・・川底には亀が数匹いたが、住環境が悪すぎる。万年生き延びるのは難しいかも?
・・・・・・・・・・・・・昭和橋・・・・・・・・下流から5番目の橋。昭和60年(1985)に架けられた。・・・・・・・・ここから、川底を覗くと、水が澄み、藻が見える。何故か、化かされているようだ! 理由は2つ、(その1)平成14年(2002)より、JR総武線の馬喰町駅に漏出している地下水を、立会川上流の月見橋まで導水し放流している。その結果、上流から昭和橋までは水質が浄化された。 (その2)東京湾の海水が、ここ昭和橋のところまで逆流する。その結果、下流から昭和橋までは汚れた海水が漂う状態だ。・・・・・・・現在、昭和橋から下流の水質浄化工事に取組中らしい。
・・・・・・・・・・・・・桜橋・・・・・・・・・川のある町、絵になるかも? 綺麗になった立会川! チョイト、大げさかも。 でも、本当に川底にゴミも無く、水は澄んで、気持ち良い流れだ!
・・・・・・・・・・・・月見橋・・・・・・・・・月見橋の姿は見えず。ここから上流は暗渠となっている。橋にはゴムのカーテンが下げられ、暗渠の中を覗けない。・・・・・・・・JR総武線の湧水はココまで導水し、放流されているのだ。・・・・・・・・・・ついでに、中央正面には東芝病院が見える。
・・・・・・・・・・・・・暗渠の上は遊歩道・・・・・・・・立会川の追跡はここまで!
③大福生寺・・・・・・・・・東大井3の天台宗寺院の大福生寺は、東叡山寶観大僧正の法裔、宇賀神寶海和尚が開基し、明治14年(1881)に日本橋に一寺を建立し、三宝山神護院大福生寺と称した。昭和24年(1949)に現在の地へ移転。・・・・・・・・小高い、静かな地に在り、小規模な寺だが、癒しの空間を創っている。
④八木合名会社仙台味噌醸造所・・・・・・・・・・・江戸時代の伊達藩の江戸下屋敷であった場所(東大井4:仙台坂上)に、伊達藩の味噌蔵を引き継いだ味噌屋が在る。・・・・・・・・・建物は、まさに味噌蔵だ!
⑤南品川の銅板建築・・・・・・・・・ゼームス坂に建つ、銅板建築の店舗兼住宅。・・・・・・・戸袋を兼ねたと思われる看板、いいね!