向島
向島の「すみだ郷土文化資料館」(都営地下鉄本所吾妻橋駅下車)へ行った帰り、京成曳舟駅まで歩いてきた。8千歩、6km。
①すみだ郷土文化資料館・・・・・・・・・・向島にある墨田区の郷土史を伝える施設、平成10年(1998)に開館した。・・・・・・・・今日は12日まで開催している、企画展「描かれた戦争孤児-孤児たちの心と表現」を見てきた。・・・・・・・・・昭和20年(1945)の東京大空襲では、両親を亡くした戦争孤児が多数つくられた。孤児達は、戦後の混乱した時期に、長く苦難の生活を強いられてきた。その記録として、狩野光男・星野光世の二人の戦争孤児が、体験を絵に残す活動を続けている。 展示は、その絵と関連する資料により、当時を紹介している。・・・・・・・・・私は昭和21年(1946)に隣りの台東区浅草橋で生れたので、絵に描かれた戦後の東京をおぼろげに記憶している。 疎開、進駐軍、靴磨き、モク拾い、狩り込み(強制収容)、パンスケ、、、、、、、孤児が置かれた苦難の状況を改めて受けとめてきた。
②三囲(みめぐり)神社・・・・・・・・・・三囲神社は、墨田区向島にある。創建年代は不詳だが、文和年間(1353-1355:室町幕府の頃)近江三井寺の僧源慶が当地に遍歴の際に社を改築した。・・・・・・・・・三井家が江戸に進出して以来、三井家の守護神として崇敬を集め、三井家にまつわる鳥居、像などが境内の各所に在る。三井財閥系企業のサラリーマンは参拝しないと出世できないかも。
・・・・・・・・・・・・狛犬をガードする元池袋三越のライオン、平成21年(2009)に池袋から移設。
・・・・・・・・・・・・三越のマークが入った礎石
・・・・・・・・・・・・本殿裏には、三井家から移築した、鳥居を三基組み合わせた三柱鳥居(みはしらとりい)がある。
・・・・・・・・・・・・境内には、向島の花柳界にふさわしく、江戸時代から現代に至るまでの文人、役者の句碑・歌碑も数多くある。料亭の料理人が建てたか、包丁塚もある。
・・・・・・・・・・・・また、境内には隅田川七福神の大国神、恵比寿神も祀られている。
③向嶋墨堤組合・・・・・・・・・・・・俗に「見番」という。花街は置屋、料理屋、待合の三業種で構成され、“三業地”と呼ばれていた。向島ではその各業種の組合が昭和61年(1986)に合併し、見番(向嶋墨堤組合)として現在に至る。・・・・・・・・・見番の主な業務は料亭への芸妓の手配、料亭の予約手配、置屋など。 また、芸妓の育成、伝統文化継承も見番の重要な活動だ。・・・・・・・・・昭和40年代頃までは、我が家に近い、柳橋にも見番があった。芝浦には見番の建物が現在保存されている。 大塚では見番が現在も存続している。
・・・・・・・・・・・・・・今日は2階から鼓の音が聞こえてきた、はて、何の稽古かな?
④美家古・・・・・・・・・・・料亭「美家古」は、向島界隈でも昔からの伝統に則っている老舗の料亭。 建物は大正末期のもので、戦時中も焼けずに残り、現在は国の登録有形文化財に指定されている。
⑤銅版の戸袋・・・・・・・・・かっては料亭か料理屋と思われる家の戸袋に鯉がはねていました。向島が最盛期の頃のパワーの証。
⑥秋葉神社・・・・・・・・・国道6号線(水戸街道)から、飲み屋の看板が迫る細い参道をチョイト入った処に鎮座する火伏の神様。 正応2年(1289:鎌倉幕府の頃)の創建。・・・・・・・・・大正12年(1923)の震災、昭和20年(1945)の東京大空襲の被害を受け、現在の社殿は昭和41年(1966)に再建された。・・・・・・・・・向島の芸妓も手を合わせたであろう路地裏の神様、小説の舞台になるね!
⑦と~ふぃ~・・・・・・・・・・オー、聞こえる!懐かしの豆腐屋のラッパ。聞こえた方に向かうと、ヤッパリ、リヤカーに積んだ豆腐屋だ!・・・・・・・・・・お買いものは、豆腐1丁と油揚1枚。晩の味噌汁かな?
⑧共立運送店・・・・・・・・・東武曳舟駅前の運送店(現在は営業していないかも?)。「共立運送店」の板看板と店構え、何とも言えない昭和の雰囲気だ!・・・・・・・・・・店の前にダイハツ・ミゼットを置いてみたいね!
⑨スカイツリー・・・・・・・・・・・源森橋と牛嶋神社からパチリ!