愛宕山
目黒駅から散歩するつもりで出かけたが、通勤時間帯に山手線がストップ。私の乗った電車も新橋駅で足止め状態。 今日の運勢を見て出かければよかったかな?・・・・・・とりあえず、新橋駅から散歩をすることにした。・・・・・・・・・・・結局、愛宕山のNHK放送博物館に行き、新橋へ戻る。 1万歩、7kmの散歩となった。
①C11 292・・・・・・・・新橋駅SL広場に静態保存されている「C11 292」。ニュース、インタビュー番組などでテレビ出演の回数が日本一の機関車かも?・・・・・・・・・C11は昭和7年(1932)から昭和22年(1947)にかけ、全国で約400両が製造された、小型・軽量のタンク式蒸気機関車。・・・・・・・・SL広場のC11機関車は、昭和20年(1945)、日本車輛で誕生した戦時中生まれの機関車で、山陽本線など中国地方を走りまわり、引退するまでの走行距離は108万kmにいたる。・・・・・・・・・・現在は煙も出さず駅前に静かに鎮座している。機関車の周りでは、サラリーマンがタバコの煙をモクモク。
②旧愛宕高等小学校・・・・・・・・・・・・・最新の地図を見ても、慈恵医科大学付属病院の隣の大きな施設には名前が無い。現在は空き家状態の復興小学校跡である。・・・・・・・・・・昭和3年(1928)に鉄筋コンクリート造3階建ての、愛宕高等小学校として建てられた。戦後は都立港工業高校として、建物も増築し、使用された。・・・・・・・・・小学校部分の校舎は、昭和初期に流行したアールデコ風の装飾も見られる。 戦後の増築部分は、工業高校の性格を反映し、工場風の建物となっている。・・・・・・・・・工業高校も平成16年(2004)に閉校し、その後、公的機関が仮住まい的に利用しているが、本格的に身の処し方をそろそろ決める時期だ!
・・・・・・・・・・・・・旧愛宕高等小学校部分
・・・・・・・・・・・・港工業高校として、戦後の増築部分
③東京慈恵医科大学本館・・・・・・・・・・・昭和8年(1933)に竣工した大学本館。スクラッチタイル貼りのインターナショナル・スタイルの建物。1階内部にはタイル貼りの円柱が柔らかい雰囲気を創っている。・・・・・・・・・・大学では、建て替えを進め近代化を図っているが、この本館はどうなるのか?
④東京慈恵医科大学付属病院・・・・・・・・・・間組の施工で、昭和5年(1930)に竣工した大学付属病院。 白亜の美しいフォルムの建物。・・・・・・・・・・正面の玄関を入ると半円の大きな窓枠に3か所の受付が見える。廊下は左右に分かれそれぞれ奥に階段室がある。玄関わきの守衛室も半円の受付窓口がある。・・・・・・・・・現在は倉庫替わりに使用しているようだ。大学の施設整備の工事が一段落したら、この建物を記念館・博物館として保存して欲しいものだ!
⑤NHK放送博物館・・・・・・・・・・ここまで来たら、愛宕神社に参拝してから、隣りの放送博物館に向かった。・・・・・・・・・放送博物館は、大正14年(1925)に「JOAK」(ジェーイ、オーウ、エーイ、ケーイ)として、本放送を開始した東京中央放送局の跡に建っている。・・・・・・・・昭和31年(1956)に、世界最初の放送専門のミュージアムとして開館した。・・・・・・・・・展示されてる古いラジオ、テレビに懐かしを感じ、放送機材に技術の進歩を感じ、藤島一郎、ドン・ガバチョ、トラヒゲ、ブー・フー・ウーにテレビの思い出をはせ、、、、楽しんで来た。
・・・・・・・・・・・・・昭和12年(1937)の愛宕山:東京中央放送局
●・・・・・・・・・・・・・今日、放送博物館で、私が長い間探していたラジオ番組「尋ね人の時間」の録音が入手できないと判明した。 「尋ね人の時間」は、私が幼児の頃(昭和20年代)、多くの尋ね人の名前・出身地をアナウンサーが速い口調で読み上げる放送で、ラジオから聞こえてくる、私の昼寝の子守歌であった。(もちろん、幼児の私には意味は不明だった) 今でも忘れられない、リズムであり、音である。 この放送を再び聴きたく、数年前から、九段の昭和館、新宿の平和祈念展示資料館、舞鶴の引揚記念館、川口のNHKアーカイブスなどに行っては探していた。 今日、NHKの史料ライブラリーの案内嬢に問い合わせてみたら、「尋ね人の時間」の録音は個人名が入っているため、『仮に、録音が存在していても公開できない』との返事だった。 これで、長い間探し求めたものが、入手できないと判り、納得!!! しかし、残念、無念。
⑥愛宕隧道・・・・・・・・・・・このトンネル東京23区内で最も高い自然の山である「愛宕山」(標高約26m)をぶち抜いた長さ76.6mのトンネル。昭和5年(1930)、飛島組(現:飛島建設)の施工で完成した23区内唯一の「山岳トンネル」だ。・・・・・・・・・平成16年(2004)に耐震補強工事が行われ、今日は道路部分の舗装工事が行われていた。
・・・・・・・・・・・・・・NHK放送博物館に貼られていた、昭和5年の新聞記事・・・・・・・愛宕隧道を掘削する飛島組と、山の上の「JOAK」の建物。