銀座
夫婦で買い物ついでの銀ブラ。8千歩、6km。
①東京スクエアガーデン・・・・・・・・・・・・中央区京橋3(片倉工業本社ビル、蛇の目ミシンビル等の跡地)に、この3月竣工した地上24階建ての主として事務所ビル。・・・・・・・・・・特別、変わったビルでもなく、ゴク普通の高層ビル。チョイト、覗き見しただけ!
②教文館・聖書館ビル・・・・・・・・・・・銀座3丁目交差点に、昭和8年(1933)に竣工した、鉄筋鉄骨コンクリート造9階建てのビル。 設計は聖路加国際病院旧館、オルバン教会などを手掛けたアントニン・レーモンドであるが、内外装の改装を度々行い、竣工時の姿とは変わっているようだ。・・・・・・・・・・銀座通りに面し、一等地に建つビルだ、改装してもしょうがないね!
③和光ビル・・・・・・・・・・“尾張町交差点にそびえ建つは、服部時計店ビル”、、、今風に言えば“銀座4丁目交差点に建つは和光ビル”。 日本でもっとも有名な昭和を代表するビル。・・・・・・・・・・・昭和7年(1932)に渡辺仁(1887~1973:東京国立博物館本館を設計) の設計により竣工した。・・・・・・・・・なんといっても、時計塔と曲面が“This is Ginza”。
④松坂屋銀座店・・・・・・・・・・・関東大震災の翌年、大正13年(1924)にオープンした鉄筋コンクリート造8階建ての銀座松坂屋。・・・・・・・・・銀座のデパートとして、オープン時より土足入場を敢行、女性社員の洋装化など、新風を吹き込み話題を提供してきた。・・・・・・・・・銀座松坂屋はいよいよ取り壊しとなるようだ。跡地は銀座6丁目2街区を一体とした大規模再開発により、地上12階/地下6階の商業とオフィスの複合施設となるそうだ。完成は平成28年(2016)を予定している。・・・・・・・・・・閉店は6月30日、さようなら。
⑤交詢ビルディング・・・・・・・・・・・交詢社は、福沢諭吉が提唱して興した、慶応大学OBを中心とした社交倶楽部。初代の建物は関東大震災で焼失したため、昭和4年(1929)に二代目が建てられた。二代目はゴシック様式の特徴的な建物だったが、老朽化により平成14年(2002)に取り壊された。現:交詢ビルディングは、平成16年(2004)に竣工した。・・・・・・・・・二代目ビルの正面部分がファサード保存されている。・・・・・・・・・壊されたときは、“あの薄汚れたビルがなくなり寂しい”と感じたが、10年経つと、これが銀座の活力だと思うようになった。
⑥旧丸嘉商店(丸嘉ビル)・・・・・・・・・・・交詢ビルディングの向かいに建つ、老舗貴金属店の小柄なビル。 昭和4年(1929)に森山松之助の設計により、竣工した。森山(1869~1949)に活躍した建築家で、台湾の官庁を多く手掛けた。日本では銀座のヨネイビルディング、両国公会堂などが現存する。・・・・・・・・角の丸み、屋根に葺かれたスペイン瓦、3階のレリーフ、チョイトひっこんだエントランスと円柱など、いいセンスだね。 洗練された、お洒落なビルで、銀座の裏通りを飾っている。
⑦旧菅原電気商会(第一菅原ビル)・・・・・・・・・・・・・銀座7丁目に建つ菅原ビルは、昭和9年(1934)に竣工した。1・2階の外壁は改装したようだが、3階~5階までは建設時のスクラッチタイルだ。6階は増設部分。 階段室部分は縦連窓と丸窓によるモダンなデザインとなっている。・・・・・・・・・・・・2階・3階の『椿屋珈琲店』は、大正ロマンが漂う喫茶店。私の立ち寄るカフェの一軒。東郷青児の画もあるよ!
⑧豊岩稲荷神社・・・・・・・・・・・・・銀座7丁目のビルの谷間の路地にある稲荷神社。創建年代は不明だが、明智光秀の家臣が創建したようだ。歌舞伎役者市村羽左衛門からの崇敬が篤かった稲荷で、縁結びにも御利益が期待できるそうだ。・・・・・・・・夫婦で手を合わせて来た。