中央区湊
中央区湊地区を散歩してきた。1万歩、7km。
・・・・・・・・・・・・・“湊(みなと)”地区とは、隅田川べりの町で、北側は八丁堀、西側は新富・銀座、南側は築地、東側の隅田川の対岸は佃島である。 地名は、『江戸時代、商船が隅田川から上ってきて、ここに荷を揚げたり、はしけの入ったり出たりする港町であった』、に由来し湊町となったそうだ。
①稲荷橋・・・・・・・・・・・・・・湊地区と八丁堀地区の境には、桜川が流れていたが、昭和40年代には埋め立てられ消えた。 この消えた川は江戸時代の堀川で、長さが約八丁(870m程)あったところから、「八丁掘」と呼ばれた。 時代劇でおなじみの堀だ!・・・・・・・・・ここに、架かっていた橋の一つが「稲荷橋」である。 今は歩道に橋名標が顔を出し、かって存在したことをアピールしている。
②籠平・・・・・・・・・・・・・南高橋の近くにある籠屋さん。 籠を作っている姿は見えないが? ・・・・・・・・・・下見板張りの木造建築で、2階部分は西部劇に出てくる建物だ!
③鐵砲洲稲荷神社・・・・・・・・・・・・・・・承和8年(841=平安時代初期)の創建。この地の住民がうち続く冷害凶作に教えられ、宇迦之御魂の大神を祀って豊年に感謝したことが始まり。大永年間(1521~1528=室町幕府の頃)に遷座して八町堀稲荷と称し、さらに寛永元年(1624=江戸時代初期)鉄砲州の現在地へ遷った。・・・・・・・・・・・・関東大震災で被災し、昭和10年(1935)以降本殿や神楽殿が再興された。 昭和20年(1945)の東京大空襲では被害を免れた。・・・・・・・・・境内に昭和3年(1928)製の富士塚がある。・・・・・・・・・先月開場した歌舞伎座の地下鉄出入口脇に祀られている歌舞伎稲荷神社は、鐵砲洲稲荷神社の分霊だそうだ。歌舞伎座がある東銀座周辺は当社の氏子なのだ!
④福隆商事・・・・・・・・・・・・・鐵砲洲稲荷神社の斜め角に、日本家屋と3階建ての洋館から成る建物。洋館は昭和2年(1927)の建築、外装はタイル貼り。
⑤日本不動産・・・・・・・・・・・・銅板建築の最高峰。 昭和初期頃の建築か?
⑥湊2丁目・3丁目戦前の建物・・・・・・・・・・・・・全て、年代不詳。
・・・・・・・・・・・・池田靴店・・・・・・・・外装は薄いタイル(?)貼り
・・・・・・・・・・・・・早川紙工・・・・・・・・・・看板建築
・・・・・・・・・・・・矢島ステンレス興業・・・・・・・2階右側の壁面を後退させてベランダを設けている。 ベランダ両脇の柱は柱頭飾りを施している。正面から見ると石造のようだが、横から見ると木造だ。・・・・・・・・今では少なくなった凝った建物。
・・・・・・・・・・・・ムサシ湊倉庫
・・・・・・・・・・・・中井鋳物工場
⑦再開発を待つ湊2丁目・・・・・・・・・・・対岸の佃島の高層マンションから、まる見え状態だ!
⑧佃島渡船場跡・・・・・・・・・・・・佃大橋の袂に、昭和39年(1964)、佃大橋の完成により廃止となった「佃島渡船」の渡船場跡がある。・・・・・・・・・・私が中学生の頃、この渡し船に乗りたくて、浅草橋の我が家から自転車で何度か乗りに来たのを記憶している。案内板の写真を懐かしくジーと見てたら、また乗りたくなった。
⑨湊地区から眺めた佃島 ・・・・・・・・・