隅田川の橋
買い物ついでに、我が家(浅草橋)から浅草近辺の橋を回ってきた。 1万歩、7kmの散歩です。
①吾妻橋・・・・・・・・・・・浅草からスカイツリー見物に行くとき渡る、スッカリ、おなじみとなった橋が吾妻橋。・・・・・・・・・橋長150m、橋幅22m、橋台・橋脚鉄筋コンクリート造の3径間鋼ソリッドリブタイドアーチ橋。・・・・・・・・・吾妻橋は安永3年(1774:江戸時代)に木造で架橋されたのが始まり。 明治20年(1887)には、隅田川最初の鉄橋として架け替えられたが、関東大震災で被災した。現橋は昭和6年(1931)に銭高組の施工により開通した。・・・・・・・・・・・・雷門に近いことから、朱色に塗られ、欄干には雷紋(四角の渦巻き)が飾りつけられている。
②隅田公園入口の碑・・・・・・・・・・浅草から吾妻橋を渡り、橋の左際に「隅田公園入口」の碑がある。大正12年(1923)の関東大震災は隅田川沿いの人々に壊滅的な打撃を与え、生活を破壊した。そのような中で、人々は帝都の復興に立ち上がり、被災後8年目の昭和6年(1931)には隅田公園が開園した。 碑は、当時の吾妻橋親和会(石柱の裏に大日本麦酒㈱吾妻橋工場を筆頭として、40名程の個人名が記されている)の人々44人が、墨堤の桜を復活させるため、400本の桜を植栽した。その記念に翌昭和7年(1932)に建立した石柱。・・・・・・・・先の東日本大震災の復興と比べると、その速さと意気込み驚かされる!
③東武伊勢崎線隅田川鉄橋・・・・・・・・・・・・隅田川に架かる鉄道橋で、東武鉄道伊勢崎線(愛称:東武スカイツリーライン)を通している。中路カンチレバーワーレントラス橋で、橋長166m、昭和2年(1927)竣工、設計は永代橋、清洲橋、総武線隅田川橋梁、新潟の万代橋を手掛けた田中豊(1888~1964)である。・・・・・・・・景観と車窓から見る景色に配慮し、トラス部分を低くしたデザインが特徴的である。浅草を代表する景観の一つでもある。独特の曲線の架線柱もいいね!
④言問橋・・・・・・・・・・東武線の上流に架かる復興橋。3径間ゲルバー鈑桁橋、橋長238.7m、大正14年(1925)に着工し昭和3年(1928)に竣工した。・・・・・・・・・・すぐに「言問団子」を連想する食いしん坊の橋だ。 “言問”の由来は、在原業平が隅田川で詠んだ、『名にし負はば いざ言問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと』 歌に因んでいる。 しかし“言問”と称する地名は、その後も実在していない。 明治4年(1971)に創業した団子屋の主人が、団子の販売に際し、隅田川にちなむ在原業平の歌から「言問団子」と命名し、人気の店となった。この近くに架けた橋なので「言問橋」となった。つまり、団子の名から命名した橋である。
⑤浅草・・・・・・・・・・・・・空は曇り、ひょっとすると雨かも? 早く、買い物を済ませ帰宅しよう!
・・・・・・・・・・・・・いそいでいても、手を合わせてからだ! 今日は賽銭、小銭がなく、100円にした! 失敗した!
・・・・・・・・・・・・・前を行くのは割烹着姿の仲居さん。買いもの済んだようだ! 私も買い物が済み、帰るだけ、急げ!
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