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2013年6月18日 (火)

豊洲~清澄白河

東京メトロ有楽町線豊洲駅から、木場を抜けて清澄白河駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。

①豊洲駅・・・・・・・・・・・・道路の下は東京メトロ(地下鉄有楽町線)の豊洲駅。 道路の上にはゆりかもめの豊洲駅。

・・・・・・・・・・・・地下鉄豊洲駅・・・・・・・・・・駅周辺には超高層ビルが建ち並び、地下鉄利用者が激増したため、只今駅の改良工事中。 朝の混雑時、駅でカメラを構えると、良からぬ撮影と間違われ駅員にマークされるため、写真はパスした。・・・・・・・昭和63年(1988)の開業時、一日の乗降客は4万人以下だったが、平成23年(2011)度の乗降客は15万人以上となり、東京メトロの駅としては乗降客数ランキングで西日暮里の次で14番目となった。・・・・・・・・・地上に出てみると、高層マンションから通う人、高層オフィスビルに勤める人で、行き交っている。 大手町まで20分の便利な地域だ!

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・・・・・・・・・・・・・ゆりかもめ豊洲駅・・・・・・・・平成18年(2006)開業の駅で、只今はゆりかもめの終着駅となっている。 将来、勝どき方面に延伸する予定があり、軌道の先端が交差点で曲がって首を出している。

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②東京都港湾局晴海線・・・・・・・・・・・・6月7日の散歩では、晴海線の跡を晴海から豊洲まで追いかけたが、今日はその続きで、越中島貨物駅までチョイト追いかけてみた。

・・・・・・・・・・・・・古地図を発見・・・・・・・・・・晴海線が存在したことを示す、貴重な公文書だ!・・・・・・・・・・発見場所は江東区枝川1丁目のバス停の隣り。ナント!「江東区」のお墨付きの地図だが、作成年代は不詳。・・・・・・・・・・地図の左上から右端の中央にかけ、鉄道の表示がある。中央部分は白テープで隠されているが、まぎれもなく晴海線の表示だ。

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・・・・・・・・・・・・・・都有地・・・・・・・・・・・枝川2丁目から塩浜2丁目に向かい、鷗橋(かもめばし)を渡ると、右側の大きなマンション裏に細長い都有地が残されている。 晴海線の線路敷きの跡だ。

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・・・・・・・・・・・・・都有地の先に行くと、「三つ目通り」を横断する。そこには、線路がしっかりと残されている。

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・・・・・・・・・・・・都有地の端部。晴海線はここまで! 私の後ろには、越中島貨物線のコンクリートの車止めが静かに鎮座している。

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③消えた洲崎(すさき)遊郭・・・・・・・・・・・・洲崎は、江東区東陽1丁目の旧町名で、ここは明治時代から昭和33年(1958)の売春防止法成立までは、浅草吉原と並ぶ代表的な遊廓であった。 当時は海を望み、長崎の出島と似た造りで四方を護岸で囲われた世界であった。 関東大震災の直前の大正10年(1921)には、業者は277軒、従業婦は2112人いたそうだ。戦後は「洲崎パラダイス」となり、昭和29年(1954)にはカフェー220軒、従業婦800人の規模となった。・・・・・・・・・・・いずれも、私の知らない未経験の世界の話しだ。知らずに良かったのか? 知っていれば、もっと良かったのか? 知らなかったのは、幸せか?不幸か? 判断するには、一度、経験して見たかった!

・・・・・・・・・・・・洲崎の入り口として架かっていた洲崎橋の名標

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・・・・・・・・・・・・四方を囲った護岸跡。現在は周りを埋め立てられ、道路を接続するため、斜路・階段が造られた。 かつて洲崎は、運河で囲まれ遊女は逃げることができなかった。

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・・・・・・・・・・・・・東日本大震災後に取り壊された当時の建物。(平成23年撮影)

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・・・・・・・・・・・・・昭和の匂いが残るアパート。洲崎には○○荘と名乗るアパートも多い。その中には昭和が残っている。

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④洲崎神社・・・・・・・・・・・・・元禄13年(1700)の創建。洲崎遊郭の西に位置し、文人墨客だけでなく、遊女の参拝もあったであろうと思うよ・・・・・・・・現社殿は昭和43年(1968)に造営した。

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⑤新田橋・・・・・・・・・・・・・木場駅と洲崎神社を結ぶ、赤く塗られた鮮やかな新田橋(にったばし)。両端には階段があり、人だけが通れるつくりとなっている。・・・・・・・明治から昭和初期にかけ、木場5丁目で医院を開業していた医師:新田清三郎さんが、不慮の事故で亡くした夫人の霊を慰めるため、供養で架けた橋。・・・・・・・・現在の橋は平成12年(2000)に架け替えられたものである。旧新田橋は深川富岡八幡近くに保存されている。

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⑥うれしい木陰・・・・・・・・・木場5丁目の交差点、信号待ちの人は木陰で、チョイトひと休み。雨が降れば雨宿りもできそうな大木だ。・・・・・・・・・「アメリカディゴ」という名の木で、真夏に映える真紅の花を咲かせる落葉樹。 江戸時代に渡来したマメ科の木だが、今日まで私は知らなかった。・・・・・・・・真夏のクリスマスツリーという感じだ。気に入った!

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⑦木場公園・・・・・・・・・平成4年(1992)に開園した都立公園。24hrの広さがある公園は防災拠点としての機能を有している。

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・・・・・・・・・・・・・木場公園の地下には、幅107m、長さ607m、深さ21m、2層で8両編成39本の留置能力がある、都営地下鉄大江戸線の車庫が在るのだ。・・・・・・・この車庫は平成11年(1999)の完成で、当時、私が勤務していたゼネコンが施工した。・・・・・・・・完成直後、我が家の娘が小学校の社会科見学で、この車庫を見学し戻ってくると、『パパの会社、ものスゴイもの造っているんだね。』と感心していたね。 直接、私が工事したわけではないが、鼻が高くなった、今は昔の思い出話だ。

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