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2013年7月

2013年7月31日 (水)

田端~王子

JR田端駅から車両センター沿いに王子駅まで、1万歩、7kmの散歩です。

①田端駅 ・・・・・・・・・・・明治29年(1896)に日本鉄道の駅として開業した。田端駅の西側は高台となって、崖下にホームがある配置となっている。 開業時の駅舎は現在の駅より東側にあり、山手線の増設などでは崖側を切り開いてきた。 現在のホーム・駅舎は大正13年(1924)頃、ほぼ現状の位置に移転した。

・・・・・・・・・・・・・自動改札機が2台しかない、崖上の小さな駅舎は南口。

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・・・・・・・・・・・・・崖上からホームを眺めると、ホームの端に南口の跨線橋と、その右の木のかげに小さな駅舎の屋根がチラリと見える。

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・・・・・・・・・・・・・北側にはホームに架かる大屋根が見える。

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・・・・・・・・・・・・・・大屋根の先には北口のある橋上駅舎(駅ビル)がある。

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・・・・・・・・・・・・・・駅ビルの前は、新田端大橋が架かり広々としている。

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②田端運転所・・・・・・・・・・・田端駅北口から北側一帯に広がる、尾久車両センターと田端信号場駅の二つの車両基地で構成される田端運転所がある。 古くは明治19年(1886)、田端機関区として開設した。昭和62年(1987)、国鉄民営化に合わせ田端運転所と改名した。

・・・・・・・・・・・・・田端運転所の中央を走る道路。写真右側は尾久車両センター、左側は田端信号場駅である。 両基地は道路を横切る連絡線で結ばれている。

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・・・・・・・・・・・・・田端信号場駅・・・・・・・・・こちらはJR貨物の駅も兼ねている。

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・・・・・・・・・・・・・・・尾久車両センター・・・・・・・・・・構内には戦前の建物らしき施設も残っている。

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・・・・・・・・・・・・・尾久構内架道橋・・・・・・・・・・・上中里2丁目から尾久駅に向かい、尾久車両センターを横切る地下道が在る。これが、尾久構内架道橋で、尾久構内ガードとも称している。 約150m程で、高輪橋架道橋の200mには及ばないが、長い地下道だ!

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・・・・・・・・・・・・・尾久駅・・・・・・・・・車両センターの東端に、昭和4年(1929)開業の宇都宮線+高崎線尾久駅が在る。

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・・・・・・・・・・・・梶原踏切・・・・・・・・・・車両センターの北端には、宇都宮線+高崎線の梶原踏切が在る。

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③オンボロなアパート・・・・・・・・・・・上中里2丁目に在る5棟の木造アパート。耐用年数はとっくに経過し、東日本大震災では破損し、このたび取り壊すことになった。 住人には今年の1月までに立ち退くように案内されていたが、まだ一部の住人が住んでいるようだ。・・・・・・・・・内部を除くと、男の汗と土埃が匂い、“飯場”の雰囲気が残る、私には懐かしくもあり、寂しい気分となる、職人・土工・警備員が主たる住人のアパートだ! 

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④都電荒川線・・・・・・・・・・・・・今日も撮ってきた!

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⑤東京書籍印刷工場・事務棟・守衛所・・・・・・・・東京書籍(現:リーブルテック)は国定教科書の発行を目的に、明治42年(1909)に設立され、昭和11年(1936)に王子に移転した。工場・事務棟などは移転当時のものだ。カマボコ屋根の工場、スクラッチタイル張りの事務棟と道路に面した塀、どれも当時の先端を行く建築様式だったであろう!

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⑥東京書籍教科書図書館東書文庫・・・・・・・・・東京書籍事務棟の向かいに東書文庫が在る。昭和11年(1936)に、東京書籍創立25周年を記念して建てられた図書館で、貴重な蔵書も多い。アールデコ様式、スクラッチタイル張りなど事務棟とデザインを統一し一体感をましている。

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2013年7月30日 (火)

荻窪

中央線荻窪駅から西荻窪駅まで、線路の北側の上荻・西荻北の住宅街をアッチャコッチャ歩いてきた。 1万2千歩、9km。

①荻窪駅西口・・・・・・・・・・・・明治24年(1891)、甲武鉄道の駅として開業した。当時の出入口は現在の南口のみで、昭和2年(1927)に北口ができ、双方を結ぶ陸橋も造られた。・・・・・・・・・西口には昭和35年(1960)に南北を結ぶ跨線橋ができ、改札は跨線橋上で接続している。 改札の真下は古レールを再利用した骨組みであることから、西口が設置されたのは昭和初期頃と思われる。

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②T邸・・・・・・・・・・・上荻の住宅。 昭和初期頃の建物か?

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③F邸・・・・・・・・・・・・元は医院であったが、現在は住宅となっている。 こちらもけっこう古そうだ。

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④荻窪白山神社・・・・・・・・・・・・文明年間(1469~1486)に創建された、旧下荻窪村の鎮守さま。加賀の霊峰白山を御神体とする白山信仰の神社。 鉄筋コンクリート造の現社殿は昭和43年(1968)に建てられた。

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⑤S邸・・・・・・・・・・・上荻2丁目に、大正13年(1924)に建てられた、切妻屋根に下見板張りの住宅。・・・・・・・・・・・今日は修復工事中であった。

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⑥末光邸・・・・・・・・・・・・上荻2丁目の末光邸は、一日二組だけの予約制ステーキレストラン「ビストロ OJI」として営業していた。 下見板張で、北側にはマンサード風屋根で、南面は屋根の傾斜を反り返らせた造りとなっている。 妻側は出窓とハーフチンバーによりアトリエ風の建物として景観に彩りを添えている。 大正13年(1924)の建築で、国の登録有形文化財。

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⑦荻窪八幡神社・・・・・・・・・・・寛平年間(889-898)に創建された、旧上荻窪村の鎮守さま。・・・・・・・・・・・・本殿は明治28年(1895)、拝殿は昭和11年(1936)に建てられた立派な神社だ。

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⑧消えた庄司歯科医院・・・・・・・・・・・西荻窪駅前の、大正14年(1925)建築の庄司歯科医院が取り壊されなくなっていた。 大正ロマンの渋い建築だったが、残念!・・・・・・・・・写真の空き地に在った。 2枚は平成22年撮影の医院。

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⑨吉野ビル・・・・・・・・・・西荻窪駅近くのチョイト古そうなビル。 昭和40年頃の建築と思われる。 表通り側には薬局が入居しゴク普通のビルのようだが、横の玄関周りは古さを感じさせる。・・・・・・・・・・地下には昭和49年(1974)にオープンしたジャズ・ライブ・ハウスがあり、連日休みなしで演奏している。 2階はダンススタジオ。・・・・・・・・なぜか懐かしい雰囲気が漂うビルだ、気に入った!

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⑩荻窪の夏・・・・・・・・・・・・・

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2013年7月27日 (土)

隅田川花火大会

今日は隅田川花火大会の日、天気予報では午後から雨、台東区には雷注意報も出され、実施するのか気になり朝の散歩は、我が家から両国橋を渡り花火打ち上げ場所の厩橋を渡り浅草寺までとした。ついでに浅草をブラブラ。 夜は夫婦で花火見物? 最悪の思い出となった花火大会である。  1万8千歩、12km。

①花火大会準備状況の確認・・・・・・・・・・関係者でもないのに、余計なおせっかい!

・・・・・・・・・・・・・・両国橋は車道(花火の時も車両通行可)と歩道(花火見学用の場所)を完全分離した。トイレも準備完了!

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・・・・・・・・・・・・・両国橋から、総武線隅田川橋梁越しに、打ち上げ方向を眺める

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・・・・・・・・・・・・・墨田区本所では、清澄通りで、既に場所取り完了! ガードレールに巻かれたブルーシートは場所取りを示している。 日が落ちる頃シートはひろげられ夕涼みがてらの花火見物が始まる。 自転車でガードしているシートもある。

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・・・・・・・・・・・・・第2会場に近い厩橋では、花火の時、車は完全に通行止め、見物人は車道で見物、歩道は緊急用の通路となる。 ケガ人・おもらししそうな人はこの緊急通路(歩道)を通り、救護所・厠へいそぐ! お巡りさんがいるので、ごまかしはダメ!

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・・・・・・・・・・・・厩橋から眺める、第2会場。川の中央に泊まっている台船は打ち上げ用だ。 向かいの橋は駒形橋

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・・・・・・・・・・・・交通規制用の器材も朝から準備中。 ズラリ並んだ仮設トイレ。

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・・・・・・・・・・・・・・大勢の人に壊されないよう玄関前のガード。 中央分離帯では、花を大切にして、雷門前まで柵を設けた。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これで、今日の花火大会の準備は万全?

②浅草・・・・・・・・・・・・・・・・花火の前に浅草をブラブラ!

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③隅田川花火大会・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・PM7:00 我が家の近くでは、既にお巡りさんが交通規制中。

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・・・・・・・・・・・・・浅草橋駅前は浅草方面へ向かう人の流れ。

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・・・・・・・・・・・・・・日本橋方向はガラガラ、スカスカ!

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・・・・・・・・・・・・・屋形船が出はらった船宿。 御帰りまでは、静かだ!

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・・・・・・・・・・・・・・7:00 両国橋から見る、蔵前橋に向かって灯る屋形船。

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・・・・・・・・・・・・両国では、既に飲み始めていた。

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・・・・・・・・・・・・・7:15 遠く桜橋の第一会場では、打ち上げ開始。 いそいで見に行こう!

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・・・・・・・・・・・・・・私は両国駅で引き返し、両国橋に向かう。 このとき、雨粒が。いやな予感!

・・・・・・・・・・・・・・両国橋に7:30到着。 いよいよ第二会場でも、打ち上げるぞ!

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・・・・・・・・・・・・・・打ち上げと同時に、大雨、音だけ聞いて、花火は見えず。  両国橋から撮った写真はこの1枚だけ!

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・・・・・・・・・・・・・・土砂降りで、カメラが濡れる、メガネは雨で先が見えず、橋の上のお巡りさんも、慌てて怪我しないように注意している。 もう誰も、花火を見ようとせず、雨からの避難に懸命だ! 私の身体は、パンツの中までビショビショ状態! もうやけくそだ! 海水浴気分で我が家まで大雨の中を帰ってきた。

・・・・・・・・・・・・・・花火をまともに見ることなく終わった隅田川花火大会。 間違いなく、78万人の記憶に残るね!

2013年7月26日 (金)

三河島~田端

常磐線三河島駅から東尾久の隅田川沿いにある首都大学まで北上し、その後は南下して田端駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。

三河島駅・・・・・・・・・・・明治38年(1905)、日本鉄道の駅として開業。駅出入り口は尾竹橋通りに面した1か所のみ。1日平均乗車人員は1万人程で、常磐線の上野駅~取手駅間の駅の中では最も少ない。・・・・・・・・・・ホームは、幅が狭いのに、15両連結の快速電車などが停車するため、長~~い印象を受ける。 ホーム改札寄りの上屋の一部には、昭和初期頃の古レールが使用され、レトロ感を演出している。・・・・・・・・・ 高架下の改札口も、なんとなく、寂しさを感じるね。

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②宮地陸橋・・・・・・・・・JR三河島駅の北側で、環状5号線(=明治通り)と尾竹橋通りの交差点に、明治通りが尾竹橋通りを跨ぐ宮地陸橋がある。 昭和40年代には、交通量の増加により渋滞の名所となった。 昭和49年(1974)に立体交差化され渋滞も解消された。・・・・・・・・・・陸橋の左右の橋脚に四角の空洞がある。 何故だ?  私の推測では、歩道橋を造る予定で、空洞は陸橋下を抜ける歩道を通すため、あらかじめ造られていたものであろう。

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③京成本線・・・・・・・・・・新三河島~町屋駅間の高架橋。 この間は、ほぼ直線で走り抜けて行く。

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④都電荒川線・・・・・・・・・・町屋~熊野前間。この間は道路中央の専用軌道を走り、線路際には花も植えられ、荒川線の景観を飾っている。 私が学生の頃(昭和30年代)と時代も変わり、車両もカラフルで、見て楽し、乗って楽し、撮って楽し、都電だ!

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⑤石門通り商工会・・・・・・・・・・東尾久6丁目の中央を南北に貫く商店街が「石門(いしもん)通り商工会」。

・・・・・・・・・・・・・南側は商店街とは言えない雰囲気で始まる

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・・・・・・・・・・・・・中央部分は数件の店舗があるが、“商店街”か疑問だ?

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・・・・・・・・・・・・・北側には北豊島学園の高等学校、専門学校がある。

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・・・・・・・・・・・・・学校の敷地の一角に子育地蔵が祀られていた。

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・・・・・・・・・・・・北側の端には、“石門”の名の由来となった思われる石造りの門柱が道路の左右に建っている。・・・・・・・・門柱は昭和63年(1988)に「カネヨ石鹸」から寄贈された。カネヨ石鹸は地元企業で、クレンザー「カネヨン」を思いだし、笠置シヅ子のTVコマーシャルを連想するね。 さらに、「東京ブギウギ」、「買物ブギ」を連想した。、

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⑥首都大学東京・荒川キャンパス・・・・・・・・・・・首都大学は、平成17年(2005)、都立四大学「東京都立大」、「都立科学技術大」、「都立保健科学大」、「都立短期大」が合併し設立された。・・・・・・・・荒川キャンパスには、保健科学大の校舎があったが、現在は首都大学東京として建て替えられた。

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⑦M邸・・・・・・・・・・東尾久に建つ洋館。ツタに絡まれ、木々に囲まれ、細部まで見えないが、間違いなく昭和初期か、それ以前の建物だ!

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2013年7月25日 (木)

浅草橋~本郷

1週間前、内科の定期検診でかかりつけの医師から、「近頃、気になることある?」と聞かれ、「食事の量は変わっていないが、胃もたれが気になっている。」と答えた。 即刻、「僕の知ってる、ピロリ菌に詳しい女医さんを紹介するから、胃の内視鏡検査を受けてきなさい。」・・・・・・・・これが発端で、今日は、人の胃の中に住み込んでいるピロリ菌の検査を受けに東大赤門前の医院へ行ってきた。

散歩を兼ね浅草橋の我が家から、本郷の東大赤門前まで、1万歩、7kmの歩き。

①上野不忍池のハス・・・・・・・・・・・只今、綺麗に咲いてます。

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②無縁坂・・・・・・・・・・・・不忍池から旧岩崎邸に来ると、その邸宅を囲うように煉瓦塀が続く坂がある。 坂の下は不忍池、坂の上は東京大学の医学部があり。ここが、森鴎外の「雁」の舞台でもある。・・・・・・・・・・・昭和50年(1975)には、さだまさしも「無縁坂」を歌っている。 私の個人的な好みでは、香西かおりの「無言坂」の方が好きだ!

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③講安寺・・・・・・・・・・・無縁坂を上ったところに、浄土宗専修山講安寺がある。・・・・・・・・・・慶長11年(1606)に湯島天神下で創建し、元和2年(1616)に現在地に移転した。漆喰で塗り込められた土蔵造りの本堂は、防火対策として江戸の住人の知恵らしい。・・・・・・・・・・・お寺の位置には以前、「無縁寺」があり、坂の名前の由来と伝えられる。

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④医学部附属病院南研究棟・・・・・・・・・・・・竜岡門から入り、100m程行くと右側に建つ歴史ある、ボロボロの赤い建物が南研究棟である。 大正14年(1925)に旧東京帝国大学医学部附属医院精神科病棟として完成した。内田祥三、岸田日出刀の設計による、表現主義の建築とされている。・・・・・・・・・・・・・建物の老朽化が目立ち、修復も難しそうである。 東大では来年取り壊し、東京大学クリニカルリサーチセンターが新築されるそうだ。

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⑤医学部本館(2号館)・・・・・・・・・赤門の正面に、昭和11年(1936)、内田祥三の設計により完成した、医学部本館。 女性的で優美な建物だ!・・・・・・・・・3階には歴代教授の胸像や肖像画が並び、まさに医学の巨塔である。

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⑥赤門・・・・・・・・・・・「正門」より有名な「赤門」である。旧加賀藩主前田家上屋敷の御守殿門であり、文政10年(1827)に第12代藩主前田斉泰が第11代将軍徳川家斉の溶姫を迎えるにあたり造られた。

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●・・・・・・・・・・・・・・・・赤門の真向えに、私を待っている医院が在る。・・・・・・・・・・ヘリコバクター・ピロリ菌とは、胃の粘膜や細胞の間に居る細菌で、40歳以上では70~80%の人が感染している。感染した人の一部は、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、胃がんになるそうだ。・・・・・・・・・私を診てくれた女医さんは大学の教授で、ピロリ菌の第一人者で、私と合うなりピロリ菌の存在を確証したようだ! 鼻の穴から内視鏡を入れ、食道・胃・十二指腸をモニターを見ながら案内してくれた。 私の胃の表面にはピロリ菌による赤い斑点がギッシリ。 自分でも感染を納得! 1週間の投薬で胃の中を除菌すると、胃はスッキリし、食欲も湧き、バラ色になるそうだ。 さらに、潰瘍・がんも発症していないことが確認でき来てよかった。

2013年7月23日 (火)

千葉の軍事遺跡

稲毛パソコン同好会の帰り、稲毛駅から千葉駅まで、軍事遺跡を見ながら歩いてきた。1万2千歩、8km。・・・・・・・・(補足:今年の1月にも同じようなコースで歩いてきた)

①第3轟住宅・・・・・・・・・・陸軍の施設が建ち並んでいた跡地に建つ、関東財務局が管理する官舎・・・・・・・・・公営の団地では敷地内の窓下などは、自家製野菜の畑であり、物干し場であり、勝手に建てた物置であり、ゴミ捨て場であることが多いが、ここでは綺麗になっていた。 自転車置き場も、整然と置かれ、放置された古い自転車、バイクは見当たらない。 同規模の都営住宅、公団住宅に比べると、さすが税金が投入され、手入れ良く気持ちよく感じる。

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②旧鉄道聯隊材料廠煉瓦建築・・・・・・・・・・・・千葉経済大学のキャンパスの一角に残されている、かつての陸軍鉄道第一連隊の赤煉瓦造りの材料廠。 明治41年(1908)の建築で、煉瓦造アーチ構造、妻側は、幅2.7mの下屋を付設し7.3m、長手方向は54.4mと細長い建物だ。用途は機関車の修理工場であったそうだ。・・・・・・・・・・工場へ引き込みのレールも残っている。・・・・・・・・・・建物内は東日本大震災の後遺症か? 立入禁止!・・・・・・・・・・・ぜひ、耐震補修を行い公開して欲しい建物だ。

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③『陸軍用地』の境界石・・・・・・・・・稲毛区作草部1丁目の信号脇に残る『陸軍用地』の境界石。・・・・・・・・・戦後60年以上経過したが、車に壊されず、信じられないほどしっかりと残っている。・・・・・・・・・下の写真は、“明るさ”・“コントラスト”を調整して、文字を強調してみた。

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④川光倉庫・・・・・・・・・・・作草部の台地の上に「川光倉庫」という会社が在る。ここの米穀倉庫は、風船爆弾の気球を作った格納庫跡を再利用しているものだ。この格納庫跡は昭和4年(1929)に建てられ、厚いコンクリートとスレート屋根でできている。・・・・・・・・・風船爆弾は、気球にガスを充填し品質確認するため、天井の高い施設が必要であった。 そのため、戦時中は女学生を動員して、日劇、国際劇場などの建物の中で気球を作ったそうだ。

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⑤千葉県計量検定所・・・・・・・・・・作草部にある計量検定所の敷地は気球連隊跡地だ。そして、敷地内に残る木造倉庫は連隊の施設であったらしい。

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⑥鉄道連隊演習線トンネル・・・・・・・・・・・・千葉公園のなかには、陸軍鉄道第一連隊の演習場があって、遺構のいくつかが残されている。今日はその一つ、演習線トンネルを見てきた。・・・・・・・・・・旧陸軍鉄道連隊は明治41年(1908)に、旧千葉町都賀村と津田沼町に設置された。 大正7年(1918)、それぞれ千葉の鉄道第一連隊、津田沼の第二連隊となった。・・・・・・・・・・写真の大きな土管のような遺構は、鉄道連隊がトンネル工事演習に使用したコンクリート製のドームだ。 昭和6年(1931)竣工。 トンネル上部には、レールとハンマーをモチーフした鉄道連隊の連隊章が掲げられている。

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2013年7月21日 (日)

玉ノ井の夕暮れ

午前中は家族で参議院選挙へ、午後は留守番。 7時55分からの開票速報を見るため、四ツ木駅から東向島駅まで、チョイト、夕涼みの散歩をしてきた。5千歩、4km。

①四ツ木橋・・・・・・・・・四ツ木橋は荒川に架かる橋。 昭和14年(1936)に着工し、戦時中は工事を中断し、昭和27年(1952)に現在の四ツ木橋が完成した。 設計は千住大橋などを手掛けた増田淳が行い、橋長507.4m、桁の形式はカンチレバー+鋼単純ランガー+鋼I桁である。・・・・・・・・・・・荒川に並行して流れる綾瀬川には「四ツ木小橋」が架けられている。・・・・・・・・・・・四ツ木橋の交通渋滞緩和のため、昭和48年(1973)、新たな橋が下流に架橋された。

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・・・・・・・・・・・・・橋から上流を眺める

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・・・・・・・・・・・・四ツ木小橋

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②玉ノ井の裏道・・・・・・・・・・・四ツ木橋を渡ると、現在の東向島6丁目、かつては私娼街の玉ノ井である。 私娼街の雰囲気は迷路のような細い裏道と、面影残す建物が数件残っている程度だ。 夜道は物騒なので、今日は足早で、のんびりとぶらついて来た。

・・・・・・・・・・・・・・玉ノ井の中心の商店街「いろは通り」入口? 出口?

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・・・・・・・・・・・・・・いろは通りから裏道に入る角に残る、街路灯の残骸。

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・・・・・・・・・・・・・・酒喜屋・・・・・・・・・・・昭和初期の建物か?

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・・・・・・・・・・・・・“玉ノ井”の目抜き通りに残る面影残す店。今日は日曜、定休日?

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・・・・・・・・・・・・裏道へ

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●・・・・・・・・・・・・・・このブログをアップしている、只今の時間は22時57分。選挙速報では与党132議席、野党97議席、残り13議席だ。 こらから、最終結果でるまで眠れそうもないな!・・・・・・・・・・・・・とりあえず、ねじれは解消だ!

2013年7月20日 (土)

北千住~三河島

北千住駅からJR三河島駅まで、1万5千歩、11Kmの散歩です。

①金蔵寺・・・・・・・・・・北千住駅西口を出て南側の飲食店街裏に、真言宗豊山派の氷川山地蔵院金蔵寺がある。・・・・・・・・・山門を入るとすぐ左手に、千住宿の遊女供養塔と天保の飢餓者供養塔が並んでいる。・・・・・・・・本堂で手を合わせ、供養塔に手を合わせ、散歩の開始だ!

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②千住1丁目の建物・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・北千住駅仲町出口の前に、道路を挟み、飾りの少ない3階建てのビルが道路沿いに寝そべっている。(なお、このビルの真下に千代田線の北千住駅がある)

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・・・・・・・・・・・・・上の写真、実質は裏側で、ホントの表側はこちら。写真の左側一帯が鉄筋コンクリート造のビルだ。 裏道はサラリーマンの通勤路?!

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・・・・・・・・・・・・・・表と裏を結ぶ、通路もビルの要所々々に配されている。

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・・・・・・・・・・・・市川歯科医院・・・・・・・・・・・東京藝大千住キャンパス裏の歯科医院。1階の表は洋館風の造りで、三角屋根の玄関、下見板の壁、縦長の上げ下げ窓と、窓の前には大きな木、まさに医者の造りだ。建築年代不詳・・・・・・・・・・目立つ看板は出ていない、玄関の引き戸に小さな字で「市川歯科医院」と貼紙がある。 そして、ビックリしたのは、3名の「市川」姓の歯科医師の表札がある。親子・兄弟なのか?

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・・・・・・・・・・・・・東京藝大千住キャンパス・・・・・・・・・・平成18年(2006)、旧千寿小学校を改築し誕生した、東京藝大音楽学部のキャンパス。 音楽環境創造科などが置かれている。・・・・・・・・・・・・“音楽環境創造科”とは? わかりませ~~ん!

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③仲町氷川神社・・・・・・・・・・・千住は神社の多い町で、“氷川神社”は千住だけでも4社もある。仲町氷川神社は、千住仲町の氷川神社。・・・・・・・・延喜年間(901~923)に北千住の隣り牛田の地に祀られていた。元和2年(1616)に現在地に遷座した。

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④千住大橋駅・・・・・・・・・昭和6年(1931)に開業した京成本線の駅。国道4号(日光街道)の面し、薄暗いガードから改札へ向かう。ガード下には10店舗ほどの店があるが、付近はスーパー、商店街などはなく、チョイト寂しい駅だった。・・・・・・・・・ところが、只今駅前再開発が進行中だ。 平成26年(2014)春、駅前にはバスロータリーと大規模商業施設ができ、その隣には高層マンションが建つそうだ。・・・・・・・・戦後の匂いが残っていた千住の奥の住宅街も無くなるね!

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⑤橋戸稲荷神社・・・・・・・・・・・隅田川の船着場であった橋戸町(千住大橋駅のある)の鎮守。反対岸(荒川区)には熊野神社があり、両社は江戸時代の日光街道を紹介する書物に登場している。

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・・・・・・・・・・・・対岸の熊野神社・・・・・・・・・個人住宅のお社か? 中に入れません!

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⑥千住大橋・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)に開通した、隅田川に架かる震災復興橋のひとつ。現在は東側に昭和48年(1973)新橋が増設され、上下線分離して使用されている。

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⑦千住製絨所(せんじゅせいじゅうしょ)跡の煉瓦塀・・・・・・・・軍服用絨(毛織物)の国産化に向け、明治12年(1879)に創業を開始した官営工場の跡に残る煉瓦塀。工場は3万2000坪強の広さを有し、昭和24年(1949)に大和毛織に払い下げられた。その後、敷地の一部は“東京スタジアム”と称し、大毎オリオンズ(現千葉ロッテ)の本拠地として10年程使用されたが、昭和52年(1977)には壊された。・・・・・・・・・製絨所跡地は荒川工高、荒川区のスポーツセンター、南千住警察署、大型スーパーなどに変わったが、煉瓦塀だけは部分的に残されている。 煉瓦塀はかろうじて一部残っている、これ以上壊さないでほしいね!

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・・・・・・・・・・・・・・昭和初期の千住製絨所の正門

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⑧南千住6丁目・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・若宮八幡宮・・・・・・・・・・仁徳天皇を祭神とする神社。 婦人の病に効験があり、祈願して直った時は二股大根を描いた絵馬を奉納するらしい。・・・・・・・・・描いた絵を見たいものだ。興奮するかもね?

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・・・・・・・・・・・・・・スクラッチタイル張りの住宅・・・・・・・・・元は医者かも?

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・・・・・・・・・・・・・・甲州屋・・・・・・・・・・・四代目が営業中、昭和初期に創業した蕎麦屋さん。2階の看板がいいね! 電話番号の市内局番いまだに3桁だ!(東京の市内局番は平成3年に全て4桁となる)

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⑨浄正寺・・・・・・・・・・・・荒川3丁目に浄土宗の清国山快楽院浄正寺がある。文亀3年(1503=室町時代)の創建と伝えられている。・・・・・・・・・・昭和37年(1962)、三河島駅構内で発生した多重衝突事故は、貨物列車が脱線したところに国電が衝突し、さらに電車が衝突した。 結果として死者160人、負傷者296人の大惨事となった。 事故現場に近い浄正寺は、この時、遺体収容所となったそうだ。 事故後、境内には慰霊聖観音像が建立されてる。・・・・・・・・・・当時16歳の私には、大きな事故が起きたという記憶があるだけだが、事故から半世紀が過ぎた、今日も献花されている観音さまに手を合わせてきた。 

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⑩池田園・・・・・・・・・・・三河島駅近くのお茶屋さん。昭和初期の建物か?・・・・・・・・・店の中には、“大正?昭和?”のレジスターが置かれ、壁には茶壺が並び、その横に黒光りする金庫が鎮座している。・・・・・・・・・お店のお婆さんも、レジスターと同年代のようだ!

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2013年7月19日 (金)

西新井~北千住

東武スカイツリーライン西新井駅から梅島、五反野を通り北千住駅まで、1万3千歩、9kmの散歩です。

①西新井駅・・・・・・・・・伊勢崎線(スカイツリーライン)が島式ホーム2面4線を使用し、大師線が1面2線を使用している。 駅舎は橋上で改札を抜けると東西の出口に分かれる。・・・・・・・・・明治32年(1899)に開業した歴史ある駅だ。・・・・・・・・・3日前に西口から入ったので、今日は東口へ出てみた。 駅前には大型スパーがあり、何処でも見られる、郊外型の駅だ!

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②梅島3丁目・・・・・・・・・・西新井駅東口から隣の梅島駅までの一帯は、足立区梅島3丁目となっている。 駅前はマンション、駅間は住宅、高架脇には梅島天満宮が、、、、、驚くべき建造物もない、チョイト期待外れの町だ!

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③梅島駅・・・・・・・・・・・大正13年(1924)に開業した、島式ホーム1面2線の高架駅。・・・・・・・・梅島駅の所在地は足立区梅田で、“島”ではなく“田”である。

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④足立区庁舎・・・・・・・・・・平成8年(1996)に竣工した足立区庁舎。建物は、14階建ての南館、8階建ての中央館、4階建ての北館の3棟で構成している。・・・・・・・・南館14階は展望レストランと案内されており、チョイト覗いてみようと14階まで上がってみた。 残念、営業時間前で閉鎖していた。しからば、14階のトイレを借用。 エレベータホールとトイレからパチリ!

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・・・・・・・・・・・・・14階から、周辺には高い建物が少なく展望はいいね。 だけど、シンボル的なものが見えず、よそ者にはどちらの方角を眺めているのかサッパリ判らん!

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⑤足立中央本町一丁目アパート・・・・・・・・・・・比較的新しい都営住宅で、平成4年(1992)~平成5年(1993)に竣工した。 5棟で総戸数228戸。・・・・・・・・デザインは古い!

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⑥終戦直後の食堂?・・・・・・・・・・・アパート前の2軒長屋。大衆飲食店:日輪とヘアーサロン:はなびし。 左右の落差が激しい!・・・・・・・・・・・“大衆飲食店”とは、いつ頃の呼名か? なんとなく終戦直後の感もあるが、足立区のこのあたりは当時は住宅も少なかったであろう、食堂はまだ必要ない時代だ。 おそらく昭和40年代頃の店で、バブルで住宅も増え、職人などが移り住んだ時代の営業かも?・・・・・・・・・食べに行っても営業していないので、交通費の無駄遣いに注意!

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⑦五反野駅・・・・・・・・・・大正13年(1924)に開業。島式ホーム1面2線の高架駅。・・・・・・・・・・ここの近くに、オームの地下鉄サリン事件(平成7年)で被害を被った友がいて、病院へ見舞ったことを思い出す駅だ。 友は幸い軽かったので、現在はピンピンして活躍中。 事件から、18年が経過した、忘れないように!

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⑧高砂神社・・・・・・・・・・千住新橋の近くに祀られている高砂神社。 創建年代不詳だが、地主の稲荷社として天明年間(1781~1789)に祀られたようだ。 大正2年(1913)の荒川放水路開削に伴い千住飛地へ遷座し、昭和26年(1951)現在地へ遷座した。・・・・・・・・・神社の境内には、チョイト、名をうるにはくどすぎる程、某衆議院議員の名が記念碑・慰霊碑・玉垣などいたるところに彫られている。 

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⑨千住新橋・・・・・・・・・・・・千住新橋は、国道4号(日光街道)を通す荒川にかかる橋。北側は足立区足立、南側は足立区千住を結ぶ。大正時代の荒川放水路開削工事のとき、日光街道に架けられた。 昭和53年(1978)、現在の橋に架け替えられた。

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北千住駅 ・・・・・・・・・・スカイツリーライン(東武伊勢崎線)から押上・半蔵門線に乗り入れる電車は本数がチョイト少なく、ホームで10分待ちは覚悟すること!

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2013年7月18日 (木)

浅草橋~新橋

浅草橋の我が家から、日本橋、銀座を抜け新橋まで、1万1千歩、8kmの夕食後の散歩です。

①浅草橋ビル・・・・・・・・・・浅草橋の橋際に建つレトロチックなビル。昭和3年(1928)建築、鉄筋コンクリート造5階建て、設計は曽禰中條建築事務所。・・・・・・・・・・現在は婦人服の店が使用している。 中央コーナー部の飾り窓には服が飾られ、エレガントなデザインの建物とピッタシだ。

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②神田川・・・・・・・・・・浅草橋から神田川上流を望む・・・・・・・・・・写真右側の屋形船の位置は、私が小学生時代の遊び場で、四手網ではぜを獲っていたところ。 今の時代、そんな遊びをしている子供はいないね!

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③ギャラリー・・・・・・・・・・浅草橋を渡り、浅草橋交差点を過ぎると、住所は中央区日本橋馬喰町となる。 いつのまにか、私が知らない間に、小物・ファション・家具・装飾品などの小洒落たギャラリーやショップがアチラコチラにオープンしていた。・・・・・・・・・かつての問屋・職人の町は、時代が変わり廃業する店も多く、空き家には若者によるショップ、ギャラリーがオープンしている。我が家(浅草橋)の周辺にも、この手の店が増えている。

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④日本橋本町の建物・・・・・・・・・・昭和初期の建物か? 2階部分は建築当時の姿が残っているようだ。

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⑤三井のビル群・・・・・・・・・・日本橋室町、中央通りに面して建ち並ぶ三井系のビル。

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・・・・・・・・・・・・・三井タワー・・・・・・・・・平成17年(2005)に竣工した、地上39階(高さ約200m)の超高層ビル。

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・・・・・・・・・・・・・・三井本館・・・・・・・・・・昭和4年(1929)竣工、地上7階建ての三井本館。重要文化財。・・・・・・・・・・昭和20年(1945)から昭和22年(1947)まで、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ)が建物の一部を接収していた。・・・・・・・・・現在は三井タワーと一帯となり、日本橋のランドマークの一つだ!

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・・・・・・・・・・・・三越本店・・・・・・・・・・百貨店建築の代表格だが、昭和10年(1925)に横河民輔の設計で建てられ、以後増築を繰り返している。・・・・・・・・・本館正面玄関には、三越の守護神として「ライオン像」がお客を迎えている。

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・・・・・・・・・・・・・・室町東三井ビルディング・・・・・・・・・三井本館前に、平成22年(2010)に竣工した、地上22階建ての複合施設。低層部には「COREDO室町」として商業施設がオープンしている。

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日本橋 ・・・・・・・・・明治44年(1911)完成、国の重要文化財。

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高島屋東京店 ・・・・・・・・・・・・昭和8年(1933)竣工、設計は片岡安・高橋貞太郎・前田健二郎、大林組の施工。 創建時の名称は「日本生命館」で、日本生命が建設し高島屋が借り受けていた。

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⑧東京駅八重洲中央口前・・・・・・・・・・・大丸百貨店が入居しているグラントウキョウノースタワーも完成し、中央口2階のペデストリアンデッキ「グランルーフ」も近々竣工する予定である。 八重洲口が一変し完成するまで、もう少しだ!

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⑨銀座・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・銀座のデパートのNo.1 「銀座松屋」

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・・・・・・・・・・・・・・・オ、外人も手相を見てもらうのか?

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・・・・・・・・・・・・・・銀座4丁目は尾張町の交差点

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・・・・・・・・・・・・・・地価の値段、“日本一”の鳩居堂まえ。

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・・・・・・・・・・・・・・・先月末閉店しました。 灯りのない松坂屋。 寂しいね!

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・・・・・・・・・・・・・・・これからどちらへ?

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・・・・・・・・・・・・・銀座の真ん中の金春湯、なかなか入る機会はおとずれない。

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・・・・・・・・・・・・・・急ぎ足でどこ行くの?

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・・・・・・・・・・・・・・銀座の終点、“八丁目”。 思い出した、神戸一郎が歌う、「銀座9丁目水の上」(昭和33年) ♪♪ 夢の光よ シャンデリア 粋なカクテル マンハッタン 欧州通いの夢乗せて 銀座九丁目は水の上 今宵は船で 過ごしましょう ♪♪ 

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⑩新橋駅前ビルの地下・・・・・・・・・・・・仕事帰りの一杯!

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2013年7月17日 (水)

水道橋~浅草橋

2ヶ月毎の循環器の定期検診日。水道橋で診察を受け、帰りは我が家(浅草橋)まで散歩した。1万歩、7km。

①後楽園の高層ビル・・・・・・・・・写真中央の3棟は、左から順に、トヨタ自動車東京本社ビル、後楽森ビル、コートレジデントタワー。・・・・・・・・・トヨタ自動車東京本社ビルは、昭和57年(1982)に竣工した、地上19階(高さ89m)のオフィスビル。・・・・・・・後楽森ビルは、平成12年(2000)に竣工した、地上19階/地下5階の事務所ビル。ただし、地下は東京都下水道局後楽ポンプ所となっている。 このビルの2階に私が診てもらうクリニックがある。・・・・・・・・コートレジデントタワーは、平成19年(2007)に竣工した、21階建て、122戸のマンション。・・・・・・・・・・この3棟の後ろには名勝「後楽園」がある。さらに、私が定年退職を迎えた勤務先もある。 いろいろ思い出、親しみがあり、懐かしさもあるところだ!

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②都立工芸高校・・・・・・・・・水道橋交差点角に建つ都立高校。 明治40年(1907)に中央区築地に開校し、関東大震災で校舎は焼失した。 昭和2年(1927)に現在地に新校舎が建ったが老朽化し、平成9年(1997)現在の校舎に建て替えられた。・・・・・・・・・昭和60年頃までは、お茶の水から水道橋に向かう中央線の車窓には、御茶ノ水坂に建つ「日本学生会館」(跡地は現在順天堂が使用)、「元町公園」、「昭和第一高等学校」、「都立工芸高校」と、歴史ある建物が並んで眺められた。

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③水道橋金刀比羅神社・・・・・・・・・・・工芸高校の裏側に、水道橋の金毘羅さんと呼ばれている、讃岐金刀比羅宮の直轄境外末社がある。 文政2年(1819)に深川に祀られた金刀比羅宮の境外末社と、寛政5年(1793)に高松藩上屋敷(現:飯田橋)の邸内社として勧請された金比羅さまを、昭和39年(1964)に現在の鉄筋コンクリート造の社殿を建て、合祀した。・・・・・・・・神社の鳥居の前に、数年前まで、夫婦で営業していたドイツ家庭料理のレストランがあり、会社の同僚と度々利用した楽しい思い出が残っている。 また神社の隣りは「室生能楽堂」で、こちらは能舞台の幕を納める仕事をした。舞台に初めて上がり木の感触に感動した記憶が残っている。

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④桜蔭学園本館・・・・・・・・・・東京女子高等師範学校(現:お茶の水女子大)の同窓会「桜蔭会」により昭和6年(1931)創立された、私立女子校。 タレント:菊川怜、女優:水森亜土も卒業した偏差値の“超”高い名門校。 ちなみに、平成25年(2013)の東大合格者数は66名だ。・・・・・・・・・建物の本館は、工芸高校裏の忠弥坂を上りきった角に建つ。昭和6年(1931)に大林組の設計・施工で建てられた、スパニッシュ様式の建物。

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⑤東京都水道歴史館・・・・・・・・・東京都水道局が管理する本郷給水所公苑の脇に建つ、水道局が運営するPR施設。・・・・・・・・江戸時代から現在の至る、東京の水道400年の歴史を模型や歴史資料、映像を用いて紹介している。特に、玉川上水に関する歴史資料が充実して、貴重な資料を閲覧できる。・・・・・・・・・のどが渇けば、館内の水は無料で、飲み放題だ!

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⑥JR御茶ノ水駅バリアフリー化工事・・・・・・・・・・・・エスカレーター・エレベーター設置の遅れが指摘されている御茶ノ水駅(総武・中央緩行線で設置されていない駅はお茶の水と浅草橋だけだ!)でバリアフリー化がようやく動き出した。現在のホームの上に2階部分を造り、コンコースで2か所の改札を結ぶ計画だ。 しかし、駅は神田川沿いの斜面にあり狭隘な場所であるため、神田川に杭を打ち作業スペースを確保することから始まっている。 平成30年前後の完成予定、工事費は概算170億円とのこと。・・・・・・・・・・ちなみに、浅草橋のエレベーターの設置が決まった。こちらも嬉しいね!・・・・・・・・・・写真は、神田川に杭を打っているところ。

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2013年7月16日 (火)

北千住~西新井

北千住駅から西新井大橋を渡り東武線西新井駅まで、1万3千歩、9kmの散歩です。

①北千住駅西口・・・・・・・・・・・JR、東京メトロ、東武、つくばエクスプレスの総合駅。・・・・・・・・JRの駅は、明治29年(1896)、日本鉄道の駅として開業し、明治39年(1906)に国有化された。 東武の駅は明治32年(1899)に東口寄りに開業した。 昭和37年(1962)には営団地下鉄日比谷線の駅が開業、昭和44年(1969)には同じく千代田線の駅も開業。 平成17年(2005)には、つくばエクスプレスの駅も開業した。・・・・・・・・・・・西口は旧日光街道の千住宿の側で、商店街、ルミネ、マルイなどがある繁華街だ。

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・・・・・・・・・・・・・・駅に並行して「宿場町通り」が通り、朝はサラリーマンの通勤路。

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②国道4号線・・・・・・・・・東京都中央区の日本橋を起点として青森県青森市に至る、わが国最長の国道。 前身は江戸時代に整備された奥州街道(日光街道)だ。・・・・・・・・さすがに、関東と東北を結ぶ大動脈で、道幅も広く、堂々としている。

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北千住の裏道 ・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・大黒湯・・・・・・・・・・・・昭和4年(1929)の建築、堂々とした破風作りの構えは、これぞ“東京の銭湯”だ。 破風の部分には、名にちなみ立派な大黒さまが彫られている。

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・・・・・・・・・・・・・タカラ湯・・・・・・・・・・こちらも昭和初期の建築で、玄関上の七福神の彫刻がいいね!

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・・・・・・・・・・・・・・タカラ湯の玄関には、もう一つ面白いものがある。『ぬ』の字を書いた四角い板がぶら下がっている。 これは、銭湯の閉店後・準備中にかけるもので、“湯を抜いた”という判じ物だ! 開店のときは、板をひっくり返すと『わ』の字となり、“湯が沸いた”ということだ。  粋だね!

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・・・・・・・・・・・・・・・中村畳店・・・・・・・・・・・玄関前には畳が出され、これから貼り替えだね!

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・・・・・・・・・・・・・・小林板金店・・・・・・・・・・「ブリキヤ」と大きく書かれたガラス戸。玄関前の懐かしのリヤカー風サイドカー。 もう、走ってないと思っていた!

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・・・・・・・・・・・・・・細い裏道・・・・・・・

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④西新井橋・・・・・・・・・・・・荒川に架かる橋長444.6mの西新井橋。昭和36年(1961)に大林組の施工で竣工した単純合成格子桁・ゲルバー箱桁橋。

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⑤関原通り・・・・・・・・・・・西新井橋を渡ると、関原1丁目から西新井駅に向かう、全長1.4km程の商店街が関原通りだ。 商店街は「関原不動商店街」と「関原銀座会」で構成されている。・・・・・・・・・・・今日は踏破してみた。 “商店街”とは名ばかりとは言わないが、寂れて、店も少ない。 特徴もなく、散歩には向かないかも?

・・・・・・・・・・・・関原通りの入り口(足立区関原1丁目)

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・・・・・・・・・・・・・愛恵まちづくり記念館・・・・・・・・・・関原通りから50mほど入ったところに保存されている、愛恵学園の旧幼稚園舎。昭和5年(1930)の建築。

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・・・・・・・・・・・・・関原2丁目付近の商店街・・・・・・・・・商店街沿いに、関原八幡神社と大聖寺。

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・・・・・・・・・・・・・これより商店街は、「関原銀座会」になる。

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・・・・・・・・・・・・・商店街の端には鉛筆の製作所があった。

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・・・・・・・・・・・・・西新井駅前・・・・・・・・・・・・

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2013年7月15日 (月)

浅草橋~飯田橋

浅草橋から飯田橋まで総武線に沿い夕暮れの散歩。1万歩、7km。

①両国~浅草橋・・・・・・・・・・・総武線の両国~お茶の水間の開業は昭和7年(1932)である。それまでは、隅田川岸の両国駅が総武本線の起点であった。・・・・・・・・両国を出た上りの総武線はすぐに隅田川を越えることになる。

・・・・・・・・・・・・・・総武線隅田川橋梁 ・・・・・・・・昭和7年(1932)竣工・・・・・・・・今日の散歩の始まりはここから。

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・・・・・・・・・・・・・・スカイツリーもバッチリ見える!

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・・・・・・・・・・・・・隅田川と浅草橋駅間(柳橋)の高架部分・・・・・・・・・私の小学校の同級生で高架下に住んでいる児がいたが、家に遊びに行くと電車が通るたびに小さな振動とガタガタの音が聞こえた。 ここでよく眠れるなと感心した思い出が残っている。・・・・・・・・・今でも住んでいる人がいるようだ。

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・・・・・・・・・・・・・浅草橋架道橋・・・・・・・・・・浅草橋駅前の江戸通りを跨ぐ架道橋

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②浅草橋駅・・・・・・・・・・昭和7年(1932)開業・・・・・・・・・・我が家の最寄駅。私が生まれた頃の終戦直後には、電車だけでなく蒸気機関車も走っており、朝夕、駅を通過する汽笛の音が我が家でも聞こえていた。・・・・・・・・私にとっては生涯の最寄駅だ!

・・・・・・・・・・・・・・江戸通りに面する東口・・・・・・・・・・今日は浴衣姿の若者が何故か多いね? どこぞで花火大会があるのか? それとも、屋形船で暑気払いか? 

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・・・・・・・・・・・・・・・浅草橋は立ち呑みが、なぜか多い。 女の子一人でもお立ち寄り。

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・・・・・・・・・・・・高架のホーム下は一般道で、交通量も多い。 

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・・・・・・・・・・・・・西口・・・・・・・・・・駅前からはお隣の秋葉原駅が望める近さ! しかし、浅草橋は閑散として静かだ!

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③浅草橋~秋葉原・・・・・・・・・・・・浅草橋寄りは2階建て程の高さだが、秋葉原よりは4階建ての程の高さとなる高架部分。・・・・・・・・・・・・・・一部では、耐震補強工事実施中。

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・・・・・・・・・・・・昭和橋架道橋・・・・・・・・・・昭和通りを跨ぐ鉄道橋。終戦直後までは日本最大のスパン長によるプレートガーダー橋であった。こちらも当然、昭和7年開通だ。・・・・・・・・写真は、緑に塗装した橋底を撮っている。

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④秋葉原駅・・・・・・・・・・・明治23年(1890)に日本鉄道の秋葉原貨物取扱所として開業した。旅客営業は大正14年(1925)に上野~東京間の開通により始まる。

・・・・・・・・・・・・・昭和通り口・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・中央改札口・・・・・・・・・・平成17年(2005)に新設された改札口。

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・・・・・・・・・・・・・駅前ロータリーから眺める高層ビル。 このビルは旧青果市場の跡に建っているのだ。 市場は私の幼少時代の遊び場だった! 当時の面影は残っていない、残念!

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・・・・・・・・・・・・・電気街口・・・・・・・・・昔のアキハバラデパート(現:アトレ)があった改札口。

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⑤秋葉原~御茶ノ水・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・御成街道架道橋・・・・・・・・・・・・・中央通りの上に架かる鉄道橋。昭和7年(1932)竣工。・・・・・・・秋葉原電気街の景観としてお馴染みになった鉄道橋。

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・・・・・・・・・・・・周辺は夜も活気があるね!

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・・・・・・・・・・・・松住町架道橋・・・・・・・・・・・昌平橋交差点の上を斜めに横切るように架けられた鉄道橋。道路に橋脚を造れず、結果として、日本最初のタイドアーチ式鉄道橋となった。

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・・・・・・・・・・・・・・神田川橋梁 ・・・・・・・・・・・・松住町架道橋に続き、神田川の上で大股を広げたような橋脚はお見事! こちらも昭和7年完成。

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御茶ノ水駅 ・・・・・・・・・・・・明治37年(1904)、甲武鉄道の駅とし開業。 その後、駅の位置は多少移動したが、神田川の崖に作られたため改築が難しく、狭いホームは危険な状態である。 現在、バリアフリー化も兼ね、駅の改良工事に着手した!

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⑦御茶ノ水~水道橋・・・・・・・・・・・・神田川に沿って走る。

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・・・・・・・・・・・・・・水道橋駅直前に白山通りに架かる新水道橋架道橋 ・・・・・・・・・明治37年(1904)開通。 甲武鉄道発注のHarkort製プレートガーダーの橋。

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⑧水道橋駅・・・・・・・・・・明治39年(1906)9月、甲武鉄道の駅として開業。翌月(10月)には国有化され国鉄の駅となる。

・・・・・・・・・・・・・白山通りに面した東口・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・ホーム下には甲武鉄道時代の煉瓦造りの橋脚によるガードもある。

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・・・・・・・・・・・・西口・・・・・・・・・・

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⑨水道橋~飯田橋・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・小石川橋通りガード・ ・・・・・・・・千代田区三崎町にある小石川通り架道橋は、明治37年(1904)に甲武鉄道がドイツの橋梁メーカー「HARKORT」社に発注し、輸入した橋梁だ。・・・・・・・・・・この橋には明治の匂いが強烈に残っている。いいね!

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・・・・・・・・・・・・・・石積みで造られた盛土の路盤・・・・・・・・・・・暗い夜道は危険です!

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⑩飯田橋駅・・・・・・・・・・明治28年(1895)、甲武鉄道の飯田町~牛込間開通に駅の歴史は始まる老舗の駅。

・・・・・・・・・・・・・目白通りに面する東口・・・・・・・・ホームは目白通りの上にも伸びている。

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・・・・・・・・・・・・・・西口・・・・・・・・・・40年程前に私が通勤で利用した改札口。

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開店休業

気象庁発表による35℃前後の連日の猛暑と、もの凄い夕立のコラボにより、散歩の機会は奪われ、午前中は我が家でダラダラ・グダグダし、昼食後はスヤスヤ・ウトウトし、お三時の後は再びスヤスヤ・ウトウトし、夕食後はブツブツ・モヤモヤ・イライラして、夜中は眠れず目はギラギラ・パチパチの状態だ!

・・・・・・・・・・・・・・・・・散歩したい気分は“開店”、行動は“休業”だ!

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・酒は禁止され、珈琲呑んで休業中。

2013年7月12日 (金)

牛田~北千住

東武線牛田駅から次の北千住駅まで、直線距離で800m程のところを、荒川土手経由で大回りし、8千歩、6kmの散歩です。

①東武牛田駅・京成関屋駅・・・・・・・・・・・・両駅は足立区千住曙町にあり、細い道路を挟み互いに向き合っている。双方の改札は30m程しか離れていない。 なぜ駅名が違うのか? 答えは、昔、双方の会社が競い合っており、仲が悪かったため。 東武の方は、駅の辺りに、むかし牛田圦(うしだいり)と呼ばれた農業用水路が近くにあり、それに由来し「牛田」と命名した。 京成の方は、この辺りを描いた葛飾北斎の浮世絵「関屋の里」に由来し「関屋」と命名したらしい。・・・・・・・・・・・出来たら、両駅とも統一して「牛田関屋」とでも改名するか、「曙町」と改名してもらいたいね。

・・・・・・・・・・・・・牛田駅・・・・・・・・・昭和7年(1932)の開業。

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・・・・・・・・・・・・・関屋駅・・・・・・・・・昭和6年(1931)の開業で、牛田駅より1年早く開業した。

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・・・・・・・・・・・・・関屋駅から牛田駅を眺める。双方の乗り換え客が道路を行き来する。

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・・・・・・・・・・・・・駅周辺20m圏内には、わずかながらサラリーマン必須の店があるが、駅前の道は“商店街”と呼べないほど寂しい!

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②十一面観音・・・・・・・・・・京成線の盛土脇の小さな祠におわすは十一面観音様。この近くにあった古隅田川から流れてきた観音様で、地元の有志が祀っているそうだ。・・・・・・・・けっこう、通りすがりに手を合わせる人が多いね。

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③牛田駅ホーム下ガード・・・・・・・・・・・牛田駅のホーム下に煉瓦造のガードがある。・・・・・・・・おそらく明治35年(1902)、吾妻橋~北千住間開業時に造られたのであろう。ホームは電車の編成が長くなり、後年、ガードの上に伸ばしたと思われる。 煉瓦部分がペンキで塗られ、チョイト残念!

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・・・・・・・・・・・・・・ガードの前には中華そば・甘味の「日の出屋」の灯りがともり、中ではタクシーの運転手が食事中だ。 映画のワンシーンのような店だ!

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④東武・京成交差点・・・・・・・・・・・地上に東武線、高架で跨ぐは京成線。

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⑤荒川土手・・・・・・・・・・・柳原1丁目付近の荒川土手がら撮影。

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⑥千住柳原2丁目・・・・・・・・・・・・・北千住駅の東側、荒川沿いの下町。商店街は寂れ、路地裏は薄暗く静か、酒場の明かりは静かに灯る。

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⑦美登利湯・梅の湯・・・・・・・・・・・足立区は銭湯の多い区で、ここ千住旭町には道路一本挟み2軒の銭湯があった。

・・・・・・・・・・・・美登利湯・・・・・・・・・・・二重の千鳥破風屋根が東京下町の銭湯を強烈に自己主張している。

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・・・・・・・・・・・梅の湯・・・・・・・・・こちらも立派な唐破風屋根のある銭湯だ。玄関正面には、鯉の滝登りを描いた、立派なタイル絵がある。

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⑧日の出町団地・・・・・・・・・北千住駅の東側に、昭和43年(1968)に建てられた住宅公団の団地。総戸数:764戸。・・・・・・・・・駅が近いせいか、団地内の店舗はシャッターが下りていた。

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・・・・・・・・・・・・床屋の看板「丹頂バーバー」を見て、思い出した! あの有名な「丹頂チック」、「丹頂ポマード」 “丹頂”とは懐かしいね!・・・・・・・・・・・両製品は丹頂株式会社(現:マンダム)が昭和初期に発売し、昭和40年代までは男性の整髪料として大ヒットした。 まだ販売されているそうだ。・・・・・・・・・昭和30年代の私は中・高校生であり、まだ“丹頂”は使えなかった。でも、使うことに憧れていたね!

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⑨東京電機大北千住キャンパス・・・・・・・・・・昨年4月、北千住駅東口にオープンした駅前キャンパス。 5棟の大きな建物で構成され、商業施設と間違えるような感じだ!

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2013年7月10日 (水)

青砥~牛田

4日連続の猛暑日となり、日中の散歩は不可能だ! 今日も夕方からの散歩となった。

京成線青砥駅から東武線牛田駅まで、1万1千歩、8kmの歩きです。

①宮田屋・・・・・・・・・・・青砥駅近く、創業85年の老舗のお米屋さん。 看板には『区内町御用達』と表示されている。 店主の言葉では、戦争直後、米は配給制度で売られていた。よって、米は一定の区域内で購入しなければならず、葛飾の区民は区内の指定された米屋で買わなければならなかった。 すなわち「区内町御用達」という訳だ。・・・・・・・・思い出したね、我が家にも、当時は米穀通帳なるものがあり、これを提示して買ったようだ。・・・・・・・・・店頭には、多くの銘柄の米が並んでいた。.

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②葛飾区文化会館・・・・・・・・・・葛飾区の施設として平成4年(1992)にオープンした。1300席のモーツァルトホールと300席のアイリスホールを中心に、ギャラリー(展示室)・カフェテリアなどの機能を持つ本館と、会議室・レクリエーションルーム・レストランなどを備えた別館がある。・・・・・・・・・・一度ここで、音楽観賞しないとね。

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③葛飾区総合庁舎・・・・・・・・・・・昭和37年(1962)に竣工した本館・議会棟、昭和53年(1978)竣工の新館で構成される葛飾区総合庁舎は、現在、スペース不足、耐震性能不足、災害対策拠点としての機能不足など、“不足”だらけで再整備を検討中であった。・・・・・・・去年(2012)区の方針が確定し、200億円強の予算で移転し建て替えることとなったようだ。(詳細は未確認)・・・・・・・・1階部分は柱だけで、風通しの良いピロティ―形式の建物だが、大地震には耐えることは難しそうだ!

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④白鳥一丁目アパート・・・・・・・・・・昭和60年(1985)建設、全142戸の都営住宅。・・・・・・・・昨日に続き、夕暮れの団地は、意外と綺麗に見えるね!

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⑤お花茶屋駅・・・・・・・・・・・相対式ホーム2面2線を持つ地上駅で、橋上駅舎を有している。 昭和6年(1931)の上野線 日暮里~青砥間の営業と同時に開業した駅だ。・・・・・・・・・・・「お花茶屋」とはなかなか粋な地名だ。近くの“堀切菖蒲園”、“向島百花園”と関連ある地名かと思ったが、間違いであった。“江戸時代、この地で将軍が急病になったときに、茶屋を営んでいたお花という娘が介抱したことが由来”である。 娘のその後が気になるね!

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⑥中華料理みとや・・・・・・・・・・・お花茶屋の裏道、薄暗い四つ角にポツリと灯る“中華料理”の看板。 何となく“野菜炒め定食”が食べたくなった!

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⑦堀切の町・・・・・・・・・・・堀切菖蒲園駅の周辺。 駅からチョイト奥に入ると人影はなし、駅前は疎らな人影!・・・・・・・・・堀切では、まだ、アベノミックスの効果が出ていないのかな?

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⑧堀切橋・京成本線荒川橋梁・・・・・・・・・・・荒川に架かる二つの橋。

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・・・・・・・・・・・・・・堀切橋は大正13年(1923)に木桁橋として架けられたが戦時中破損し、昭和42年(1967)現在の橋に架けかえられた。長さ514,5m。

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・・・・・・・・・・・・・京成本線荒川橋梁は昭和6年(1931)に大林組の施工で完成した。・・・・・・・・・・この荒川橋梁は、桁下が荒川上下流の周辺の堤防に比べて約4m低く、治水上の弱点となっている。架け替えに向け設計中らしい。

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2013年7月 9日 (火)

小岩~青砥

連日の猛暑。まだ熱中症で死にたくないので、日中の散歩は止め。夕方、総武線小岩駅から京成線青砥駅まで、1万1千歩、8kmを歩いた。

小岩駅 ・・・・・・・・・・・明治32年(1899)、総武鉄道の駅として開業。・・・・・・・・・・・私にはかなり思いである駅だ。 幼少の頃はザリガニ、バッタなどを採りに行った駅だ。 中高校生の頃は友達の家の最寄駅で度々下車。 学卒でゼネコンに入社した時、小岩駅高架工事の現場を研修で訪問。 そして、家内の実家がある駅。 駅の方角に足を向けて寝たらバチが当たりそうだ! (写真は北口)

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②中島商店・・・・・・・・・・・・小岩駅前北口通りにある、お線香、お香、蝋燭の専門店。木造2階建ての建物は戦前からのもので、しっかり手入れされ、80年近く経過した建物とは思えない。・・・・・・・・・・・・看板にある屋号より大きく書かれた「好文木(こうぶんぼく)」は明暦3年(1657)創業の大阪:梅栄堂の家伝の香りで、中国の故事より命名された梅の別称。・・・・・・・・・店には現代風にデザインした線香・蝋燭などが揃えられていて、見るだけでも楽しいが、香りも良いので、お立ち寄りにいい処かも。

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③立石大通踏切・・・・・・・・・総武線新小岩駅と常磐線金町駅を結ぶ新金貨物線の踏切。2週間程前に越えた踏切

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④三和橋・・・・・・・・・昭和36年(1961)新中川掘削工事に伴い架橋され、昭和47年(1972)には下流側に人道橋が設置された。 しかし、劣化が進んだため、平成24年(2012)6月、現在の橋に架けかえられた。・・・・・・・・架け替えて、丁度一年経ちました!・・・・・・・・・下を流れる川は、京成高砂付近から浦安の旧江戸川に合流する新中川だ。

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⑤高砂一丁目アパート・・・・・・・・・・・中川沿いに建つ、昭和42年(1967)建設の都営住宅。総戸数136戸。・・・・・・・・・・50年経ったアパートも夕暮れは綺麗に見える!

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⑥青砥橋・・・・・・・・・・・昭和60年(1985)に竣工した、橋上には環七が通っている。橋の下は中川が流れている。

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⑦青砥駅周辺・・・・・・・・賑やかな歓楽街はない、長~~い商店街もない、しかし、スパー、銀行などなどひと通り揃っている。・・・・・・・・私の住む浅草橋より活気あり、お店も多いようだ!

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2013年7月 6日 (土)

国際こども図書館

梅雨明けの今日は気温33度の猛暑日、熱中症になりたくないので、いよいよ日中の散歩はひかえる時期となったね!

夫婦で熱中症対策の身体慣らしを兼ね、午後から上野公園経由で御徒町へ買物に行ってきた。 7千歩、5kmの散歩。

①暑~い上野公園・・・・・・・・・ムシムシ、ジメジメ、アジイーアジイー、ベトベト、ダラダラ、どれもが該当する暑さ。さらに私は、脱臼で首から右手を吊り拘束しているため、わきの下が汗疹でカイカイ、手首もカイカイ。・・・・・・・・・・皆さん、日陰、木陰で休息中。

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②国際こども図書館・・・・・・・・・・・・・ネオ・ルネサンス調の風格あるデザインで明治39年(1906)に建てられた旧帝国図書館。平成12年(2000)、建築家:安藤忠雄が「国際こども図書館」として蘇えらせた。・・・・・・・・・・今日は開催中の「日本の子どもの文学」展示会をチョイト拝見してきた。(展示会場は撮影禁止) 幼児の頃見ていた絵本、小学校の図書館で読んだ本、小遣いで買った本、懐かしい本と御対面し、御幼少の当時を思い出した。

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・・・・・・・・・・・・・外観の全景は、只今工事中で見えないため昨年撮った写真で。

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・・・・・・・・・・・・・今日は入り口部分をパチリ!

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・・・・・・・・・・・・・内部は建築当時の姿で、明治の雰囲気を残している。

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・・・・・・・・・・・・・帝国図書館時代の貴賓室。天井の漆喰模様、シャンデリア、床の寄木模様、木製扉は当時と同じものを復元した。

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・・・・・・・・・・・・・こちらも、内部です。アーチ状の天井・梁型、飾られた柱、明治の香がプンプンするね!

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・・・・・・・・・・・・・中庭側の旧建物の外壁部分。改装後の現在は外側に廊下が増設され、内壁となった。

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・・・・・・・・・・・・只今、中庭を挟み向かい側に、平成27年(2015)の完成予定で、増築棟を建設中。本が増え、書庫が足りなくなってきたそうだ。

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③上野大仏・・・・・・・・・・・寛永8年(1631)越後村上藩主が戦死者慰霊のため漆喰の釈迦如来坐像を建立したことに始まり。 正保4年(1647)に地震で倒壊し、その後、金銅像として再興したが、天保12年(1841)火災により大仏、仏殿が損傷する。 天保14年(1843)には大仏を新鋳再建したが、安政2年(1855)の大地震により、頭部が破損し、再び修復する。 大正12年(1923)、関東大震災により頭部が落下。昭和15年(1940)には、軍需金属資源として顔面部を除く頭部、胴部以下を供出し消滅する。 昭和47年(1972)、寛永寺に保管されていた顔面部をレリーフとして旧跡に安置する。・・・・・・・・・大仏の運命は波乱万丈の物語であった。

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●・・・・・・・・・・・・・・・上野の山を下り、甘味処で“氷あずき”。店の前は同じ思いの人で行列! 運良く待ち時間5分程、ラッキー!

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2013年7月 5日 (金)

浅草寺裏

降るのか?降らないのか?・・・・・・朝方小雨、午後曇り、夕方小雨、天気予報は曇り、結局昨日までの二日間ダラダラ、グウグウ、グズグズの引き籠り生活だった。

今日は“降らない”に賭け、午前中の散歩に出たが、賭けに負けたようだ、見事に降られた。我が家(浅草橋)から浅草寺まで、9千歩、6kmの散歩。

①雷門通り・・・・・・・・・・・・浅草寺参道(仲見世)の入り口に在る雷門が面する大通りが「雷門通り」。西端はかつて国際劇場があった国際通りにぶつかり、東は隅田川に架かる吾妻橋である。・・・・・・・・・三社祭りサンバカーニバルなどで賑わう浅草のメインストリートだ。・・・・・・・・・朝の雷門通りは観光客も少なく静か、今日は雨でより静かだ。

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②六区・・・・・・・・・・・・かつての浅草映画館街「六区」は、ただいま映画館が一軒もなく、在るのはファッションビル「浅草ROX」、マンションになった「電氣館ビル」、「浅草演芸場」の建物と、ストリップの「ロック座」の建物、場外馬券売り場「ウインズ浅草」の建物ぐらい。それぞれのビルの向かい側・隣りは全て大規模な再開発で工事中也。・・・・・・・・・・工事完成後、浅草六区に賑わいが戻るのが楽しみだ!

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③開店前の裏通り・・・・・・・・・・六区と浅草寺を結ぶ通りは、北側から「花やしき通り」、「西参道」、「五重塔通り」があり、仲見世経由では「伝法院通り」、「新仲見世」などがある。・・・・・・・・・・賑わいの多いのは仲見世経由の通りだが、昔の浅草の雰囲気を残すのは北側の3本の通り。いずれの通りも開店前で、通る人も疎らだ!

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④浅草観音温泉・・・・・・・・・・昭和32年(1957)にオープンした、観音さま横の温泉。現在でも、30℃程の温泉が湧き、温泉銭湯として営業している。・・・・・・・・・昭和30年代のオープン時は、平和島、船橋などにヘルスセンターとして、娯楽施設と組み合わせた温泉施設ができた時代だ。ここも、遊園地の花やしきなどが周囲にあり、“娯楽の殿堂”的な賑わいがあった。・・・・・・・・・今は、屋上の錆びた看板が全てを物語っているようだ!

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⑤銭塚不動堂・・・・・・・・・・・広大な浅草寺境内の西隅の、昭和39年(1946)再建の鉄筋コンクリート造の堂内に、地蔵様が祀られている。享保年間(1716~35)摂津国有馬郡の山口某の妻が、庭先で「寛永通宝」がいっぱい入った壺を掘り当てたが、これに頼って働かずにいては家が滅びると思い、土中に埋め戻した。この心掛けによって一家は繁栄したので、その壺の上に地蔵尊をまつったという。銭塚地蔵尊は、その分身を勧請したもので、商売繁昌を祈願する人が多いそうだ。

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⑥浅草寺裏・・・・・・・・・・浅草寺本堂の真裏(北側)には広場があり、さらに北側には浅草寺が運営する「浅草寺病院」がある。・・・・・・・・・・広場には、観光バスの駐車場となることもありが、何十年か前はここに回転式の展望タワーがあった。 知る人はすくないようだ。

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・・・・・・・・・・・・・・・浅草寺病院側の広場の際には、九代目市川団十郎の像、消防殉職者表彰碑などの像・碑・石仏が、ズラリ並んでいる。 数えたことはないが、20以上はあるね!

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⑦浅草寺一山支院/被官稲荷社・・・・・・・・・・・・(こちらを!)

・・・・・・・・・・・・・浅草寺一山支院・・・・・・・・・・浅草寺病院の東隣りに、浅草寺の支院が並んでいる一帯が在る。 岡田信一郎が、昭和7年(1932)に手掛けた支院の集合住宅です。

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・・・・・・・・・・・・・被官(ひかん)稲荷社・・・・・・・・・・・安政元年、新門辰五郎の妻が重病のとき、京都伏見稲荷神社に祈願し、病が治癒した。そして、安政二年、伏見稲荷神社から祭神分身を勧請した。・・・・・・・・・こちらも、浅草寺の裏に在る。

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⑧最後は浅草寺・・・・・・・・・・・・・観音堂(本堂)で雨宿りは、バチが当たると困るので、今日は帰ることにした!

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2013年7月 2日 (火)

篠崎~小岩

都営新宿線篠崎駅から総武線小岩駅まで、1万2千歩、8kmの散歩です。

①篠崎駅・・・・・・・・・・・江戸川区篠崎の町中に建つゴク普通のビル、ここの1階が篠崎駅だ。昭和61年(1986)、都営地下鉄新宿線の船堀~篠崎間の延伸開通に合わせ、ビルも駅ビルとしてオープンした。1階はスーパー、上は区の施設が入居。

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②浅間神社・・・・・・・・・・・天慶元年(938=平安時代)に創建された江戸川区内で最も古い神社。明治7年(1874)には郷社に昇格した、江戸川区民“自慢”の神社。 社殿は特別に古さを感じることはない。・・・・・・・・・・境内は広く、社殿は小高い山の上に在る。また、境内社も多く、霧島神社、須賀神社、香取神社など14社もあり、ついでに幼稚園もある。

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③江戸川土手・・・・・・・・・・・・・・対岸の市川駅の方角を望む

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④篠崎公園・・・・・・・・・・・・篠崎公園の元は、昭和16年(1941)に改正された防空法に基づいている。首都を空襲から守るため、世田谷の砧公園、板橋の城北中央公園、足立の舎人公園などと同じように、各所に作られ防空大緑地の一つだ。戦時中は高射砲陣地などが置かれた。・・・・・・・・・・・戦後、公園として昭和42年(1967)から一部開園し、以後順次整備し広い公園に変わってきている。

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⑤公園のお友達・・・・・・・・・・・・・・

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⑥東小岩・篠崎の農家・・・・・・・・・・昭和30年代の東小岩・篠崎の一帯は、ハス田が広がり、シラサギも舞う田園地帯であった。・・・・・・・・浅草橋に育った私には、小岩駅からチョイト奥に入ったこの辺りは、ザリガニ、イナゴ、チョウチョなどをとりに、家族で遊びに来たところ。 今や住宅地に変身したが、ところどころに農家の面影が残っている。

・・・・・・・・・・・・・自家製野菜を近くで売っている農家。周りにはビニールハウスも!

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・・・・・・・・・・・・・・オー、都会には珍しいイヌマキの垣根だ! その中に母屋の屋根が頭をだす。いいね。・・・・・・・・・・田舎では、イヌマキの垣根に、藁ぶき屋根だった。

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⑦南小岩3丁目の気になる建物・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・クリーニング&パーマ・・・・・・・・・・ツタの緑を添えた全面ガラス張りの近代的な昭和モダンの建築かな? 

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・・・・・・・・・・・・・廃屋か?・・・・・・・・・・・平屋の看板建築か? どんな商売の店だったのか何も判らず。 どう見ても戦前の建物には間違いなさそうだ! 正面の赤い増築部分が邪魔だ!

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⑧昭和通り商店街・・・・・・・・・・JR総武線小岩駅南口から伸びる3本の商店街の一つ。「昭和通り」と称し、懐かしい思い出多い商店街。30年程前までは、この商店街の入り口近くにおもちゃ屋さんがあり、小岩に来るたびに娘に、人形・ママゴトセットなど、買わされた処だ! 今は、惣菜関係の店が減り、チョイト寂れて来たね。

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2013年7月 1日 (月)

市川~篠崎

総武線市川駅から、江戸川にに出て行徳橋を渡り、都営新宿線篠崎駅まで、1万5千歩、11Kmの散歩です。

①市川駅・・・・・・・・・・・・・・明治22年(1889)に設立した総武鉄道が、明治27年(1894)に市川~佐倉間を開業した時に始まる。開業時は起点駅であったが、同年の年末に錦糸町まで延伸し中間駅となった。 明治40年(1907)には、総武鉄道は国有化され国鉄総武本線となる。 昭和47年(1972)には高架化された。・・・・・・・・・・南口駅前には、地上45階と地上37階の超高層ビル「I・LINK-タウン」2棟が建ち、約1000戸の住宅が整備された。・・・・・・・・・・昨年、このビルの45階に在る「アイ・リンクタウン展望施設」に行ったが、シースルーのエレベータに乗客は私一人で、話す相手もなく、高所恐怖症で怖い思いをした。 以来、超高層マンションには一生住むのは止めようと再認識した。

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②宝神社・・・・・・・・・・市川駅の南側に祀られている神社。・・・・・・・・ここの神殿は昭和31年(1956)近くの宝製薬に祀られていた「宝稲荷神社」を神様ごと現在地に移した。その後、昭和52年(1977)には、これまた近くの東京精鍛工所から拝殿を移築したそうだ。・・・・・・・・・なんと、“リサイクル社殿”だ!

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③市川市大洲・大和田・・・・・・・・・・・市川駅から南下し江戸川にぶつかる直前の地域で、住宅と一部工場が中心の町。・・・・・・・・・・戦後、田畑が広がっていた一帯に、徐々に宅地化が進行したと思われる雰囲気の町だ。 大洲の地名は江戸川縁の“洲”であったことに由来している。・・・・・・・・・・・戦後の文化住宅か? 庭・軒には秋の味覚も準備中!

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④江戸川土手・・・・・・・・・・・市川市大和田から土手に上り京葉道路の下を横切り行徳橋までブラブラと。

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・・・・・・・・・・・・・・対岸にはスカイツリーも!

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・・・・・・・・・・・・・・昭和35年(1960)完成の京葉道路の江戸川大橋

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⑤行徳橋・・・・・・・・・・・市川市行徳地区と市川市八幡地区を結ぶ全長約422mの道路橋。昭和31年(1956)、行徳可動堰との一体構造で完成した。 堰の上に上下1車線の道路が作られた。歩道は一人の幅しかなく、すれ違いは大変だ!・・・・・・・・昭和47年(1972)、下流に新行徳橋が完成し交通量は改善したが、橋の老朽化は改善せず、上流に架けかえる計画もあるらしい。・・・・・・・・・堰と一体の行徳橋は、景観としても定着してるので、出来たら行徳橋は人道専用橋にして残し、車は新行徳橋の下流に道路橋を増設してほしいね!(地元でない人の意見だ!)

・・・・・・・・・・・・・Googleマップから勝手に借用した航空写真です

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・・・・・・・・・・・・・狭い、危ない、怖い、行徳橋だ。

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・・・・・・・・・・・・・・堰はいいね! 4基の堰柱があるが、左岸側の2基は補修され白く見える。

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・・・・・・・・・・・・・・遠くスカイツリーが見える行徳橋。

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⑥江戸川水閘門・・・・・・・・・・・行徳橋が架かる江戸川放水路(現:江戸川)と江戸川水閘門のある江戸川本流(現:旧江戸川)が上流で分岐する。・・・・・・・・・昭和18年(1943)に完成した水門は鉄筋コンクリート造。 水門の隣り(右岸寄り)に同時に造られた、船を通すための閘門が在る。

・・・・・・・・・・・・きれいに並ぶ水門部分

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・・・・・・・・・・・・・・閘門部分の上流のゲートと下流のゲート

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・・・・・・・・・・・・・・水門の下流側には国土交通省江戸川河川事務所江戸川河口出張所がある。

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・・・・・・・・・・・・・・・閘門・水門・出張所の揃い踏み

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⑦無量寺・・・・・・・・・・・・江戸川区篠崎に真言宗豊山派の無量寺がある。無量寺の本尊は“量りしれない喜びを与えて下さる無量寿仏(阿弥陀如来)”である。・・・・・・・・・この寺は、昭和58年(1983)に観音堂・本堂を、昭和62年(1987)山門を、平成10年(1998)には客殿・庫裡を完成させた。 建物は新しいが、全体的には古いイメージでまとめている、落ち着いた感じの寺だ。

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