北千住~三河島
北千住駅からJR三河島駅まで、1万5千歩、11Kmの散歩です。
①金蔵寺・・・・・・・・・・北千住駅西口を出て南側の飲食店街裏に、真言宗豊山派の氷川山地蔵院金蔵寺がある。・・・・・・・・・山門を入るとすぐ左手に、千住宿の遊女供養塔と天保の飢餓者供養塔が並んでいる。・・・・・・・・本堂で手を合わせ、供養塔に手を合わせ、散歩の開始だ!
②千住1丁目の建物・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・北千住駅仲町出口の前に、道路を挟み、飾りの少ない3階建てのビルが道路沿いに寝そべっている。(なお、このビルの真下に千代田線の北千住駅がある)
・・・・・・・・・・・・・上の写真、実質は裏側で、ホントの表側はこちら。写真の左側一帯が鉄筋コンクリート造のビルだ。 裏道はサラリーマンの通勤路?!
・・・・・・・・・・・・・・表と裏を結ぶ、通路もビルの要所々々に配されている。
・・・・・・・・・・・・市川歯科医院・・・・・・・・・・・東京藝大千住キャンパス裏の歯科医院。1階の表は洋館風の造りで、三角屋根の玄関、下見板の壁、縦長の上げ下げ窓と、窓の前には大きな木、まさに医者の造りだ。建築年代不詳・・・・・・・・・・目立つ看板は出ていない、玄関の引き戸に小さな字で「市川歯科医院」と貼紙がある。 そして、ビックリしたのは、3名の「市川」姓の歯科医師の表札がある。親子・兄弟なのか?
・・・・・・・・・・・・・東京藝大千住キャンパス・・・・・・・・・・平成18年(2006)、旧千寿小学校を改築し誕生した、東京藝大音楽学部のキャンパス。 音楽環境創造科などが置かれている。・・・・・・・・・・・・“音楽環境創造科”とは? わかりませ~~ん!
③仲町氷川神社・・・・・・・・・・・千住は神社の多い町で、“氷川神社”は千住だけでも4社もある。仲町氷川神社は、千住仲町の氷川神社。・・・・・・・・延喜年間(901~923)に北千住の隣り牛田の地に祀られていた。元和2年(1616)に現在地に遷座した。
④千住大橋駅・・・・・・・・・昭和6年(1931)に開業した京成本線の駅。国道4号(日光街道)の面し、薄暗いガードから改札へ向かう。ガード下には10店舗ほどの店があるが、付近はスーパー、商店街などはなく、チョイト寂しい駅だった。・・・・・・・・・ところが、只今駅前再開発が進行中だ。 平成26年(2014)春、駅前にはバスロータリーと大規模商業施設ができ、その隣には高層マンションが建つそうだ。・・・・・・・・戦後の匂いが残っていた千住の奥の住宅街も無くなるね!
⑤橋戸稲荷神社・・・・・・・・・・・隅田川の船着場であった橋戸町(千住大橋駅のある)の鎮守。反対岸(荒川区)には熊野神社があり、両社は江戸時代の日光街道を紹介する書物に登場している。
・・・・・・・・・・・・対岸の熊野神社・・・・・・・・・個人住宅のお社か? 中に入れません!
⑥千住大橋・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)に開通した、隅田川に架かる震災復興橋のひとつ。現在は東側に昭和48年(1973)新橋が増設され、上下線分離して使用されている。
⑦千住製絨所(せんじゅせいじゅうしょ)跡の煉瓦塀・・・・・・・・軍服用絨(毛織物)の国産化に向け、明治12年(1879)に創業を開始した官営工場の跡に残る煉瓦塀。工場は3万2000坪強の広さを有し、昭和24年(1949)に大和毛織に払い下げられた。その後、敷地の一部は“東京スタジアム”と称し、大毎オリオンズ(現千葉ロッテ)の本拠地として10年程使用されたが、昭和52年(1977)には壊された。・・・・・・・・・製絨所跡地は荒川工高、荒川区のスポーツセンター、南千住警察署、大型スーパーなどに変わったが、煉瓦塀だけは部分的に残されている。 煉瓦塀はかろうじて一部残っている、これ以上壊さないでほしいね!
・・・・・・・・・・・・・・昭和初期の千住製絨所の正門
⑧南千住6丁目・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・若宮八幡宮・・・・・・・・・・仁徳天皇を祭神とする神社。 婦人の病に効験があり、祈願して直った時は二股大根を描いた絵馬を奉納するらしい。・・・・・・・・・描いた絵を見たいものだ。興奮するかもね?
・・・・・・・・・・・・・・スクラッチタイル張りの住宅・・・・・・・・・元は医者かも?
・・・・・・・・・・・・・・甲州屋・・・・・・・・・・・四代目が営業中、昭和初期に創業した蕎麦屋さん。2階の看板がいいね! 電話番号の市内局番いまだに3桁だ!(東京の市内局番は平成3年に全て4桁となる)
⑨浄正寺・・・・・・・・・・・・荒川3丁目に浄土宗の清国山快楽院浄正寺がある。文亀3年(1503=室町時代)の創建と伝えられている。・・・・・・・・・・昭和37年(1962)、三河島駅構内で発生した多重衝突事故は、貨物列車が脱線したところに国電が衝突し、さらに電車が衝突した。 結果として死者160人、負傷者296人の大惨事となった。 事故現場に近い浄正寺は、この時、遺体収容所となったそうだ。 事故後、境内には慰霊聖観音像が建立されてる。・・・・・・・・・・当時16歳の私には、大きな事故が起きたという記憶があるだけだが、事故から半世紀が過ぎた、今日も献花されている観音さまに手を合わせてきた。
⑩池田園・・・・・・・・・・・三河島駅近くのお茶屋さん。昭和初期の建物か?・・・・・・・・・店の中には、“大正?昭和?”のレジスターが置かれ、壁には茶壺が並び、その横に黒光りする金庫が鎮座している。・・・・・・・・・お店のお婆さんも、レジスターと同年代のようだ!
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