千葉の軍事遺跡
稲毛パソコン同好会の帰り、稲毛駅から千葉駅まで、軍事遺跡を見ながら歩いてきた。1万2千歩、8km。・・・・・・・・(補足:今年の1月にも同じようなコースで歩いてきた)
①第3轟住宅・・・・・・・・・・陸軍の施設が建ち並んでいた跡地に建つ、関東財務局が管理する官舎・・・・・・・・・公営の団地では敷地内の窓下などは、自家製野菜の畑であり、物干し場であり、勝手に建てた物置であり、ゴミ捨て場であることが多いが、ここでは綺麗になっていた。 自転車置き場も、整然と置かれ、放置された古い自転車、バイクは見当たらない。 同規模の都営住宅、公団住宅に比べると、さすが税金が投入され、手入れ良く気持ちよく感じる。
②旧鉄道聯隊材料廠煉瓦建築・・・・・・・・・・・・千葉経済大学のキャンパスの一角に残されている、かつての陸軍鉄道第一連隊の赤煉瓦造りの材料廠。 明治41年(1908)の建築で、煉瓦造アーチ構造、妻側は、幅2.7mの下屋を付設し7.3m、長手方向は54.4mと細長い建物だ。用途は機関車の修理工場であったそうだ。・・・・・・・・・・工場へ引き込みのレールも残っている。・・・・・・・・・・建物内は東日本大震災の後遺症か? 立入禁止!・・・・・・・・・・・ぜひ、耐震補修を行い公開して欲しい建物だ。
③『陸軍用地』の境界石・・・・・・・・・稲毛区作草部1丁目の信号脇に残る『陸軍用地』の境界石。・・・・・・・・・戦後60年以上経過したが、車に壊されず、信じられないほどしっかりと残っている。・・・・・・・・・下の写真は、“明るさ”・“コントラスト”を調整して、文字を強調してみた。
④川光倉庫・・・・・・・・・・・作草部の台地の上に「川光倉庫」という会社が在る。ここの米穀倉庫は、風船爆弾の気球を作った格納庫跡を再利用しているものだ。この格納庫跡は昭和4年(1929)に建てられ、厚いコンクリートとスレート屋根でできている。・・・・・・・・・風船爆弾は、気球にガスを充填し品質確認するため、天井の高い施設が必要であった。 そのため、戦時中は女学生を動員して、日劇、国際劇場などの建物の中で気球を作ったそうだ。
⑤千葉県計量検定所・・・・・・・・・・作草部にある計量検定所の敷地は気球連隊跡地だ。そして、敷地内に残る木造倉庫は連隊の施設であったらしい。
⑥鉄道連隊演習線トンネル・・・・・・・・・・・・千葉公園のなかには、陸軍鉄道第一連隊の演習場があって、遺構のいくつかが残されている。今日はその一つ、演習線トンネルを見てきた。・・・・・・・・・・旧陸軍鉄道連隊は明治41年(1908)に、旧千葉町都賀村と津田沼町に設置された。 大正7年(1918)、それぞれ千葉の鉄道第一連隊、津田沼の第二連隊となった。・・・・・・・・・・写真の大きな土管のような遺構は、鉄道連隊がトンネル工事演習に使用したコンクリート製のドームだ。 昭和6年(1931)竣工。 トンネル上部には、レールとハンマーをモチーフした鉄道連隊の連隊章が掲げられている。