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2013年7月25日 (木)

浅草橋~本郷

1週間前、内科の定期検診でかかりつけの医師から、「近頃、気になることある?」と聞かれ、「食事の量は変わっていないが、胃もたれが気になっている。」と答えた。 即刻、「僕の知ってる、ピロリ菌に詳しい女医さんを紹介するから、胃の内視鏡検査を受けてきなさい。」・・・・・・・・これが発端で、今日は、人の胃の中に住み込んでいるピロリ菌の検査を受けに東大赤門前の医院へ行ってきた。

散歩を兼ね浅草橋の我が家から、本郷の東大赤門前まで、1万歩、7kmの歩き。

①上野不忍池のハス・・・・・・・・・・・只今、綺麗に咲いてます。

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②無縁坂・・・・・・・・・・・・不忍池から旧岩崎邸に来ると、その邸宅を囲うように煉瓦塀が続く坂がある。 坂の下は不忍池、坂の上は東京大学の医学部があり。ここが、森鴎外の「雁」の舞台でもある。・・・・・・・・・・・昭和50年(1975)には、さだまさしも「無縁坂」を歌っている。 私の個人的な好みでは、香西かおりの「無言坂」の方が好きだ!

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③講安寺・・・・・・・・・・・無縁坂を上ったところに、浄土宗専修山講安寺がある。・・・・・・・・・・慶長11年(1606)に湯島天神下で創建し、元和2年(1616)に現在地に移転した。漆喰で塗り込められた土蔵造りの本堂は、防火対策として江戸の住人の知恵らしい。・・・・・・・・・・・お寺の位置には以前、「無縁寺」があり、坂の名前の由来と伝えられる。

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④医学部附属病院南研究棟・・・・・・・・・・・・竜岡門から入り、100m程行くと右側に建つ歴史ある、ボロボロの赤い建物が南研究棟である。 大正14年(1925)に旧東京帝国大学医学部附属医院精神科病棟として完成した。内田祥三、岸田日出刀の設計による、表現主義の建築とされている。・・・・・・・・・・・・・建物の老朽化が目立ち、修復も難しそうである。 東大では来年取り壊し、東京大学クリニカルリサーチセンターが新築されるそうだ。

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⑤医学部本館(2号館)・・・・・・・・・赤門の正面に、昭和11年(1936)、内田祥三の設計により完成した、医学部本館。 女性的で優美な建物だ!・・・・・・・・・3階には歴代教授の胸像や肖像画が並び、まさに医学の巨塔である。

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⑥赤門・・・・・・・・・・・「正門」より有名な「赤門」である。旧加賀藩主前田家上屋敷の御守殿門であり、文政10年(1827)に第12代藩主前田斉泰が第11代将軍徳川家斉の溶姫を迎えるにあたり造られた。

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●・・・・・・・・・・・・・・・・赤門の真向えに、私を待っている医院が在る。・・・・・・・・・・ヘリコバクター・ピロリ菌とは、胃の粘膜や細胞の間に居る細菌で、40歳以上では70~80%の人が感染している。感染した人の一部は、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、胃がんになるそうだ。・・・・・・・・・私を診てくれた女医さんは大学の教授で、ピロリ菌の第一人者で、私と合うなりピロリ菌の存在を確証したようだ! 鼻の穴から内視鏡を入れ、食道・胃・十二指腸をモニターを見ながら案内してくれた。 私の胃の表面にはピロリ菌による赤い斑点がギッシリ。 自分でも感染を納得! 1週間の投薬で胃の中を除菌すると、胃はスッキリし、食欲も湧き、バラ色になるそうだ。 さらに、潰瘍・がんも発症していないことが確認でき来てよかった。

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