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2013年8月

2013年8月31日 (土)

浅草サンバカーニバル

今年も8月の最終土曜日がやってきた。 この日は近郷近在の自称カメラマンが、今日の為に買った望遠レンズとカメラを担ぎ、気温は34℃、湿度70%のメチャクチャ暑い浅草に集合している。 恒例のサンバカーニバルだ!

私も家内と見に来る予定でいたが、家内は娘と銀座へ買い物に、結局、私一人で見に来た。 “女房は銀座、亭主は浅草だ!” 

サンバカーニバルは衰退する浅草を救うため、故・伴淳三郎が提唱し、昭和56年(1981)に第1回が行われた、今年は32回目である。 私も毎年楽しみにしている下町の夏の祭りとなった。

今年は26チーム、4700人のダンサー(子供や元気なお婆さんも含め)が参加し、スカイツリーを望む雷門通りを舞台に、軽快なサンバのリズムに合わせ踊りを“御披露”していた。 見物人の中にも、リズムに合わせ腰を振る人もいる。 カメラを持って腰を振り、ブレた写真を撮ったアホな親爺もいた!

・・・・・・・・・・・・・スカイツリーは見えるが、ダンサーは見えず、出遅れたか! 邪魔だな~~どいてくれ!

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・・・・・・・・・・・・・・やっと見えたぞ! よしよし!

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・・・・・・・・・・・・・・女性だけではないぞ! 男性も、もちろん参加、楽しそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・・カメラに向かい、ハイ、ポーズ! ア、この人去年も踊ってた、常連さんだ!

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・・・・・・・・・・・・・・・本場“浅草”仕込みの日本人ダンサーです。

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・・・・・・・・・・・・・・こちらは、本場“リオ”仕込みらしい、笑顔のサービス!

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・・・・・・・・・・・・・・こちらも、本場仕込みのキングとクイーン?

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・・・・・・・・・・・・・・さらに、本場ブラジルの御婦人観光客も、ほろ酔い気分で踊りに参加。 国際親善に一役かったね!

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・・・・・・・・・・・・・・日本のクイーン? 

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・・・・・・・・・・・・・・歌う女王? スゴイ、歌唱力だ、確かにチカラがありそう! なぜか、ペギー葉山と天童よしみを思い出した?

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・・・・・・・・・・・・・・若い人も、もちろん参加! 幼稚園の先生と一緒に。 御姫様気分の娘もいるようだ。

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・・・・・・・・・・・・・・ここらで、バックも見てね!

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・・・・・・・・・・・・・・バックついでに、裏方さんも。 消防庁の方です。 オフィシャル・グッズも売っていた。

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・・・・・・・・・・・・・・本部席? 飲み物・お菓子がテーブルに出て、ダンサーは挨拶していくね! ハゲは偉い人かも?

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・・・・・・・・・・・・・・・楽器を演奏する人もしっかり見てください!

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・・・・・・・・・・・・・東武浅草駅前も見物人で、満員状態! 

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・・・・・・・・・・・・・炎天下の4時間あまりの見物は、熱中症がヤバイ! 発病する前に、そろそろ帰ろう。 未練がましく、もうチョット見てからね!

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・・・・・・・・・・・・・・サンバに堪能したら、サッパリと笑顔で帰ろう!

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●・・・・・・・・・・・・・・今日はサンバ見物で、散歩は休みです。 でも、タップリ、疲れた!!

●・・・・・・・・・・・・・・去年のサンバはこちら!

2013年8月30日 (金)

東京都慰霊堂

午前の一番で、頭部腫瘍除去後の定期検診を受けるべく、我が家のある台東区浅草橋とは、隅田川を挟み、対岸の墨田区横網町の同愛記念病院を“ご訪問”してきた。

“ご訪問”の後は、病院の並びにある東京都慰霊堂に、明後日が90回目の震災記念日となるので、手を合わせに“お立ち寄り”してきた。 我が家からの往復、8千歩、6kmの歩きです。

①東京都慰霊堂・・・・・・・・・・・・・・大正12年(1923)の関東大震災で身元不明の遺骨を納め霊を祀る施設として、昭和5年(1930)に震災記念堂として建てられた。 昭和23年(1948)からは、東京大空襲の遺骨も合祀し、東京都慰霊堂と称することとなった。・・・・・・・・・伊東忠太の設計、戸田組(現:戸田建設)の施工、鉄骨鉄筋コンクリート造3階建て。・・・・・・・・・・・・明後日の式典の準備が始まっていた。 祭壇には供物も供えられ、内部は清掃中。 正面の扉の内側上部に、獏と象のあいの子のような動物がおり、準備状況を確認しているようだ!

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②東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑・・・・・・・・・・・東京大空襲の犠牲者:約8万人の名簿を、内部に納めている祈念碑。 平成13年(2001)に設置された。・・・・・・・・・・今日は、ガンガン照りの下、大きな花壇の手入れで汗だく、御苦労様です。

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③東京都震災復興記念館・・・・・・・・・・・・・・関東大震災の復興事業を記念するために、 震災記念堂の付帯施設として、昭和6年(1931)に防災資料展示館として建設された。 こちらは伊東忠太+佐野利器の設計、戸田組(現:戸田建設)の施工による、鉄骨鉄筋コンクリート造2階建て。 帝冠様式のデザイン、外壁はスクラッチタイル貼りの建物。 正面玄関上部には、獅子のような動物が見下ろしている。

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・・・・・・・・・・・・・・・・1階には、家財道具を持って避難した人でごった返す、元陸軍被服廠跡、上野駅前の写真。 ゴロゴロとあちらこちらに横たわる焼け焦げた死体の写真。 地震と火災で瓦礫と化した東京の町。  見るのも辛い、想像を絶する写真が展示されている。

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・・・・・・・・・・・・・・・2階は、地震の“その時”を描いた、絵画を中心に展示している。 焼け落ちる建物、火の手が舞う町、屍の山、、、、写真に撮れなかった瞬間だ!

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・・・・・・・・・・・・・・・・東日本大震災の津波の被害は凄まじいものであったが、関東大震災の火災の被害も惨いものであった。 年に一度、慰霊に来て、帰りにこちらの展示を見てほしいね! 

2013年8月29日 (木)

四ツ木~平井

京成押上線四ツ木駅がら荒川の土手を歩きJR総武線平井駅まで、1万歩、7kmの夕涼み散歩です。

四ツ木駅・・・・・・・・・・大正元年(1912)に開業。 大正12年(1923)には荒川放水路(現:荒川)の開削に伴い現在地に移転。 平成11年(1999)には京成押上線の荒川橋梁架け替え工事に伴い、高架駅となる。

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・・・・・・・・・・・・・駅の南側は商店街と言いにくいが、駅前に「渋江商店街」と標した街路灯が並ぶ道がある。 半数以上の店はシャッターが下りている。 歩く人も疎らな「渋江商店街」を通り、荒川土手に向かう。

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木根川橋・・・・・・・・・・・・荒川には、京成押上線の上流側に四ツ木橋と新四ツ木橋が架かり、下流側に木根川橋が架かる。・・・・・・・・・・木根川橋は、昭和42年(1967)に着工し、昭和44年(1969)に完成した、長さ466mの美しいいトラス橋。

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・・・・・・・・・・・・・・木根川橋から下流の平井大橋に向かって、右手には荒川、左手には綾瀬川が流れる、川と川を隔てる土手の上を歩くことにした。・・・・・・・・・木根川橋から見た綾瀬川。 写真、右手が今日歩いた荒川側の土手。 左手は首都高中央環状線。

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東四つ木避難橋 ・・・・・・・・・・・・・・綾瀬川 に架かり、東四つ木地区(0m地帯)から荒川左岸堤防(土手)へ避難するための人道橋である。昭和62年(1987)に完成した鋼アーチ橋。・・・・・・・・橋の真正面にスカイツリーが望める嬉しい橋だ。

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・・・・・・・・・・・・・東四つ木避難橋から綾瀬川を眺めると、左側の高速下の地盤面の高さが水面以下である。この辺では土手上が一番安心できる場所なのだ!

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かつしかハープ橋・・・・・・・・・・・・・綾瀬川の左岸を並走してきた首都高は、ハープ橋を過ぎた地点で、下を流れる綾瀬川が中川に合流して、中川と荒川の間を隔てる堤防(土手)上を走ることになる。・・・・・・・・・・世界初のS字曲線の斜張橋で、2本の主塔の高さは65m・29mで、48本のワイヤーにより吊るされている。道路の線形とワイヤーが形づくる姿は美しく、ハープを想像させる。 昭和62年(1987)開通。

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平井大橋 ・・・・・・・・・・・蔵前橋通りが走る、昭和42年(1967)に開通した、橋長484mの鋼ゲルバー箱桁橋。

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平井駅 ・・・・・・・・・・明治32年(1899)、総武鉄道の駅として開業。・・・・・・・・・・駅前には、近くの諏訪神社の祭り提灯が灯されていた。

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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・暗い夜道、親爺の一人歩きは危険なので、早々と帰宅。

2013年8月28日 (水)

中村橋~阿佐ヶ谷

西武池袋線中村橋駅からJR中央線阿佐ヶ谷駅まで、1万4千歩、10kmの散歩です。

①中村橋駅・・・・・・・・・・・大正13年(1924)に開業。現在は高架化され踏切もなくなり、電車を見る楽しみが薄れた駅だ。 道路上の駅名を表示した部分のデザインは旧駅舎の屋根の形を模している。

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・・・・・・・・・・・・・・中村橋駅の街路灯の案内板にあった、平成9年(1997)まで使用されていた旧駅舎の写真。

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②K邸・・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)、練馬区中村に建てられた木造2階建ての個人住宅。 時代を強く感じるデザインでもなく、妻側の階段室と思われる部分の窓廻りに、昭和の匂いが残っている。

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③御嶽神社・・・・・・・・・・明治35年(1902)に没した行者が創建した神社。境内には御嶽山の関わる先達の慰霊碑などが残されている。・・・・・・・・・・猫が多く、チョイト、糞尿に臭いが残る神社。 私は、たまたま裏道を歩き神社前を通っただけ、わざわざ参拝に行く神社でもないようだ! 臭くて、糞害(憤慨)した!

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④M邸・・・・・・・・・・こちらは練馬区中村南の住宅。昭和12(1937)建築の木造2階建て。

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⑤サギノミヤ駅前ストア・・・・・・・・・・鷺ノ宮駅前のストアで、かつては、精肉・鮮魚・乾物・八百屋・化粧品・パンなどの店が10店ほど営業していた。現在は精肉屋さんだけが営業中。数年前、近くにスーパーが開業し、各店舗は廃業して行ったそうだ。・・・・・・・・・・どこにでもある廃業の話だが、駅前の○○ストアが無くなると、急に活気も無くなり、駅前イメージも下がり、最後は再開発を待つ運命か? 各地で、下駄ばきストアが消えていくのは、寂しいね!

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⑥鷺ノ宮駅・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)に開業した、西武新宿線の駅。 駅前広場のない、せせこましい道に面した駅だが、急行も停車する駅だ! 

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⑦鷺宮八幡神社・・・・・・・・・・・・鷺ノ宮駅の南に位置する、康平7年(1064=鎌倉時代)に創建された、由緒ある神社。

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⑧M邸・・・・・・・・・・・中野区白鷺に、昭和10年(1935)に建てられた住宅。 玄関回りは洋館風だが、横に回ると和風の建物だ。

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⑨F邸・・・・・・・・M邸と同じ区画に建つ、こちらも古そうな住宅。

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⑩鷺の宮住宅・・・・・・・・・・・・『へ』の字型の屋根が特徴的なこのテラスハウス(境界壁を共有する複数の戸建て住宅が連続している形式の低層集合住宅)は、東京文化会館などを手掛けた建築家:前川國男(1905~1986)の設計である。・・・・・・・・・このテラスハウスは、昭和33年(1958)に建てられた阿佐ヶ谷住宅と同時期の建築で貴重な存在である。・・・・・・・・・建設時は公団の住宅であったが、現在は一部を企業の寮として、他は民間の業者の賃貸住宅となっている。 そのためか、北側(玄関側)は建築時の姿を残してはいるが、南側には部屋を増築した棟が多く、南面は雑然とした景観となった。 チョイト残念だ!

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⑪阿佐ヶ谷神明宮・・・・・・・・・・・・・建久元年(1190)頃の創建と伝える由緒ある神社だ。阿佐ヶ谷駅から徒歩2分、約3000坪の敷地は巨木が茂り、昭和63年(1988)に再建された社殿が静かに鎮座する姿は、ミニ“お伊勢さん”という感じだ。

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2013年8月27日 (火)

検見川無線送信所

稲毛からの帰り、隣り駅の新検見川まで、ゴクゴク短い散歩。

①京成千葉線・・・・・・・・・・久しぶりの青空の下、疾走する電車はいいね!

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旧日本電信電話公社検見川無線送信所 ・・・・・・・・・・大正15年(1926)、対外国通信を主目的として建てられた施設。・・・・・・・・・・逓信省技師吉田鉄朗の設計による、設計者の感情を作品の形態で表現したドイツ表現派風の建築である。 この建築では、放物線上のアーチ、丸みある隅部、飾り気のない外装など表現主義の特徴が表れている。・・・・・・・・・・貴重な建物だが、熊谷千葉市長が建物を視察してから4年が経過した、保存活動はどうなることやら?

・・・・・・・・・・・・・・夏草に埋もれる、市有地に建つ送信所は、寂しそうだ!

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・・・・・・・・・・・・・・・コンクリートがはがれ鉄筋がむき出した、痛々しい外壁は、重症だ!

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・・・・・・・・・・・・・・・建物の脇の給水塔も、ドイツ表現派の影響が色濃く出ている。

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・・・・・・・・・・・・・私より、一足早くこの建物を見ていた女の子がいた。 廃墟マニアの高校生で、“廃墟”入門として訪れたそうだ。 まだ、“廃墟”の怖さを経験したことがないようで、「女の子が一人で、廃墟は危険だから止めときな!」と大人の注意をしたが、聞いてくれたか?・・・・・・・・・・・おまけで、近代建築の良さを説明してあげたら、興味を示してくれたので、マ~~ア良しとするか! ・・・・・・・・・・・・・背丈まで伸びた草ボウボウの誰もいない建物の前で、女子高校生と親爺の親しげな会話の方が怖いかも?

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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・お話に熱中したので時間が経過し、暑い日差しの熱中症が心配となり、新検見川の駅に出て帰宅する。

2013年8月26日 (月)

新桜台~中村橋

西武有楽町線の新桜台駅から、ほぼ西へ向かい豊島園駅を通り、西武池袋線の中村橋駅まで、1万3千歩、9kmの散歩です。

①青柳邸・・・・・・・・・・・・・新桜台駅近くの個人住宅。 文化庁:国指定文化財等データベースによると、「道路に北面する敷地の中央に建つ。寄棟造、瓦葺の木造平屋建で、北面中央に玄関、玄関東に応接室を設ける。6畳茶の間の回りに8畳座敷や台所を配した簡明な平面と、水平線を強調した軒廻りのライト風意匠に特徴。昭和初期開発の私鉄沿線住宅地遺構の一事例。」と説明されている。 昭和3年(1928)建築、国登録有形文化財。・・・・・・・・前を通っても知る人でないと、おそらく文化財の建物とは気づかないであろう。 玄関脇に文化財であることを表示する、文化庁作成の公式プレートが貼られているのだが!

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②練馬区桜台の建物・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・古そうな建物だが、人が住んでいないのか? 塀越しに、庭木の間から見えるのは、洋風屋根に縦長のアーチ状の窓。

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・・・・・・・・・・・・・・こちらは、昭和のモダンな住宅。

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③信行寺・・・・・・・・・・・・・・練馬区練馬にある浄土真宗本願寺派の寺院。・・・・・・・・・大正9年(1920)池袋にて開かれ、昭和4年(1929)に現在地に移転した。 本堂は昭和30年(1955)に築地の本願寺を模してインド様式にて建てられた。・・・・・・・・・・雰囲気は、なんとなく似てるね! 

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④田島山十一ヶ寺・・・・・・・・・・「田島山十一ヶ寺」(たじまさんじゅういっかじ)とは、大正12年(1923)の関東大震災以前に浅草田島町にあった誓願寺の塔頭寺院が、震災後、現在地へ集団移転したものである。それ故、寺号はすべて誓願寺である。 ちなみに、浅草にあった誓願寺も府中に移転した。・・・・・・・・・一区画の敷地中央に道路があり、左右に11寺院が並んでいる。道路は阿弥陀如来像に突き当り行き止まりとなる。

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・・・・・・・・・・・・・“将来の大僧正”となるかもしれない児が、お母さんと掃除中。 これも修行だよ!

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⑤豊島園駅・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)に武蔵野鉄道(西武鉄道の前身)豊島線として練馬~豊島(現:豊島園)間で、両端の2駅のみで全線単線、路線距離1.0km、で開業した。・・・・・・・・・豊島園駅は頭端式島式ホーム1面2線で、遊園地客でにぎわっていた。・・・・・・・・・豊島園と言えば、私が思い出すのは「ウォーターシュート」だ! このアトラクションは、鉄骨で組んだ15m程(私の幼いころの記憶?)の高さから、20人程度が乗った船が、進水式に船がドックから滑り出るように(勾配は30°くらいあったね)、池に滑降する乗り物。 船の先に係員が立ち、水面にドボンとする時、飛び跳ねるのが呼び物だった。 豊島園に来るとこれに乗るのが楽しみで、その他のアトラクションはまるで記憶に残っていない! 昭和43年(1968)に廃止となったアトラクション、残念だ!

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・・・・・・・・・・・・・豊島線の踏切

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⑥西武池袋線の目白通り交差部・・・・・・・・・・西武池袋線が目白通りと交差している部分は、以前、道路が地上を走る鉄道の上を越えていた。 平成13年(1999)3月4日、一夜にして目白通りを地上に移し、池袋線を高架に切り替える逆立体化工事を行った。 有名な土木工事が行われた高架橋だ!・・・・・・・・・・・・もちろん、切り替えが一夜で実施されただけで、その前後には長い時間をかけ、準備工事などが行われた。 私も、ゼネコンに勤めていた頃は、このような工事をしてみたかったね!

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⑦中村橋駅・・・・・・・・・・・・大正13年(1924)に開業。 平成7年(1997)には高架化された。

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2013年8月24日 (土)

東長崎~新桜台

西武池袋線東長崎駅から新桜台駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。

①東長崎駅・・・・・・・・・・大正4年(1915)開業。今日の散歩はここからスタート。

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②S邸・・・・・・・・・・豊島区南長崎に建つ、押縁下見板張りの和風住宅。玄関横の白く塗られた洋室風部分は後の増築のようだ。 全体に手入れが良く、古さは感じない。

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③西武の特急列車・・・・・・・・・西武の特急は全て「レッドアロー」と称し、池袋線・新宿線を運行している。 私には乗る機会の少ない特急だ! とくに秩父方面に向かうレッドアローには、からこれ20年近く乗車していないね!

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④日大芸術学部・・・・・・・・・・・“江古田”と言えば、「日藝」の呼名で親しまれている、「日大芸術学部」を思い出すくらい、私の頭の中では有名な存在だ。・・・・・・・・・学部の歴史は古く、大正10年(1921)に神田三崎町に美学科として誕生した。 昭和14年(1939)には、板橋区江古田(現:江古田キャンパス)に移転。 戦時中は学科の縮小・学生募集の停止など、教育活動に制約された。 平成16年(2004)から、江古田キャンパス整備事業が始まり、平成22年(2010)に新校舎建設を完了した。 古い建物は一切なく、芸術学部にふさわしい建物となった。・・・・・・・・・今日は大学の一斉休校日で、先生も学生全て休み、もちろん部外者の立ち入りも禁止。 守衛さんが、私に申し訳なさそうに説明し、“またのおこしを!”

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⑤江古田駅・・・・・・・・・・・大正11年(1922)、旧制武蔵高等学校(現:武蔵大学)の設立に合わせて「武蔵高等学校用仮停留所」として開業。翌年、駅名を「江古田」に改称。・・・・・・・・・現在の橋上駅舎は平成22年(2010)から整備された。

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⑥茅原浅間神社・・・・・・・・・・茅原(かやはら)浅間神社は江古田駅の正面に鎮座する、創建年代不詳の神社。 拝殿の後ろには、天保10年(1839)に築かれた高さ8mの富士塚がる。国の重要有形民俗文化財に指定されている。 富士山も世界遺産となり、富士講も盛んになるかも?

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⑦武蔵野稲荷神社・・・・・・・・・・・・茅原浅間神社とは線路を挟み反対側に鎮座する、こちらも創建年代不詳の神社。 文明9年(1477)、江古田・沼袋の戦で太田道灌によって滅ぼされた豊島氏の塚があり、その守りとして稲荷が祀られたといわれている。 このような話は歴史の教科書にもなく、真偽不明だが素直に信じよう!・・・・・・・・・境内の建物は大正7年(1918)に建てられた祭儀殿を除いて、昭和50年(1975)以降に整備されたものだ。 境内は、建物、石神がアチラコチラに配され、チョイト、コテコテの神社だ!

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⑧武蔵大学・・・・・・・・・・根津財閥の創設者:初代根津嘉一郎によって大正11年(1922)に設立された旧制武蔵高等学校を前身とする大学。昭和24年、新制大学として経済学部と、医学部進学課程(1962年廃止)の構成で出発した。 現在は、経済学部、人文学部、社会学部の3学部が設置されている。

・・・・・・・・・・・・大学3号館・・・・・・・・・・キャンパス内で最も古い建物、大正12年(1923)に清水組(現:清水建設)の設計により建てられた。鉄筋コンクリート造、3階建て。

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・・・・・・・・・・・・・大学講堂・・・・・・・・・・・昭和3年(1928)に竣工した講堂は、早稲田大学の建築科を創設した佐藤功一(1878~1941)の設計による建物。鉄筋コンクリート造、2階建て。外装はスクラッチタイル貼り、開口部には半円のアーチを多用したデザインで、ロマネスク様式の雰囲気だ。・・・・・・・・・・佐藤功一の作品には、早稲田大学大隈記念講堂日比谷公会堂などがある。

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・・・・・・・・・・・・キャンパス内には新しい校舎が建ち並び、明るい雰囲気だ!

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⑨新桜台駅・・・・・・・・・・・昭和58年(1983)、西武有楽町線(新桜台~小竹向原間)の終着駅として開業。 平成6年(1994)に新桜台~練馬間が開業し、西武有楽町線の中間駅となる。・・・・・・・お客も少なく、売店はなく、駅の周辺には賑わいもなく、チョイト、静かな駅だ!

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2013年8月23日 (金)

押上~亀戸

我が家の空は、15時からゲリラ豪雨となり、30分後はパラパラ雨。 夕方は気温も下がり、雨もひと休み。 散歩は今だ! 押上から亀戸まで、6千歩、4kmの歩きです。

押上・・・・・・・・・・・・・御存じ! スカイツリーの真下に地下鉄押上駅がある。 地上に出れば、頭上にはスカイツリーだが、私はその脇を通る東武スカイツリーラインとその留置線が好きだ! 今日の散歩は、この留置線近くを写真に撮ることから始めた。

・・・・・・・・・・・・まずは、スカイツリー・・・・・・・・・上空は雲がかかり、展望台はうすがすみ!

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・・・・・・・・・・・・次は、目を地上に移し、留置線のあたりを!

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②展望台から上が消えた!・・・・・・・・・・・・・

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天祖神社 ・・・・・・・・・・・・推古天皇の時代に建てられた歴史ある神社。・・・・・・・・・神社は、かつての亀戸の赤線地帯にあるが、周囲にその面影はうすれ、今は住宅の中に静かに鎮座している。

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④納涼踊り・・・・・・・・・・・亀戸香取神社の境内では、地元の納涼踊り大会。 町内総出で、お楽しみ!・・・・・・・・・・私の若かりし頃、盆踊りといえば、東京音頭、炭坑節、ソーラン節、花笠音頭、、、、、そして、三波春夫の東京五輪音頭(古賀政男:作曲) ♪♪ ハアー あの日ローマで ながめた月が ソレ トトントネ きょうは都の 空照らす ア チョイトネ 四年たったら また会いましょと かたい約束 夢じゃない オリンピックの 顔と顔 ソレトトントトトント 顔と顔 ♪♪・・・・・・・・今度の東京オリンピックで、細川たかしあたりが復活して欲しいね! 

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2013年8月22日 (木)

浅草・山谷

私が住む台東区は23区で最も面積の小さい区である。しかし、江戸時代の人口は、庶民の町であり最も多かった。 その台東区の南端が我が家のある浅草橋、北の端にかつて「山谷」と呼ばれた清川、日本堤地区がる。 本日の散歩は、我が家から、浅草を抜け、山谷へ行って、ソープランド街の吉原を視察して、再び浅草まで、1万2千歩、9kmです。

①観音さま・・・・・・・・・・・このブログでは、度々、観音さま(浅草寺)は登場するので、今日は手抜きでコメントを簡潔にする。

・・・・・・・・・・・・・まずは、雷門・・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・・・雷門のお隣は、常盤堂雷おこし本舗の本店・・・・・・・・・・・創業は江戸時代末期といわれ古い! 老舗だ! 現在の建物は昭和28年(1953)に建てられた。・・・・・・・・・・常盤堂が再建された時点では雷門はなく、昭和35年(1960)に松下幸之助の寄付で雷門が後で再建された。・・・・・・・・・・いまは、雷門と常盤堂の建物がコラボして、“This is 浅草”を演じている。

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・・・・・・・・・・・・・お次は、仲見世・・・・・・・・・たまには裏側を見てね!

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・・・・・・・・・・・・・仲見世横のお店では・・・・・・・・刃物屋、和装小物屋、レコード店、天麩羅屋、、、、、営業中だ!

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・・・・・・・・・・・・・・プロマイド屋では、藤圭子を偲び店頭に! 

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・・・・・・・・・・・・・・宝蔵門(仁王門)・・・・・・・・・・・たまには、仁王様の阿吽のお顔を拝見!

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・・・・・・・・・・・・・浅草寺本堂・・・・・・・・・こちらも、たまには後ろから見てね!

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②浅草花街・・・・・・・・・・浅草寺の北側の浅草花街は、伝統と格式を誇る東京屈指の花柳界のひとつ。 今日も、見番には灯りがともり、芸者が料亭へ向かう。

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③山谷地区・・・・・・・・・現在は台東区清川・日本堤の一帯。 かつてのドヤは、ビジネスホテルに変身。 お泊りのお客の一部は外人観光客も。 時代が変わったのか?・・・・・・・・でも、古いホテル(旅館)の前には、夕涼みに表に出て飲んでる人もいる。・・・・・・・・・早々と灯りの消えた商店街は、ホームレスの寝床と化した。・・・・・・・・・山谷ではカメラはヤバイので、人のいないところをパチリ!

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・・・・・・・・・・・・山谷の中心部に鎮座する、玉姫稲荷神社・・・・・・・・・天平宝字4年(760)に創建された神社。・・・・・・・・・神社の隣りの公園では、ホームレスの酒盛りが始まっていた。

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④日本堤の老舗・・・・・・・・・・“桜鍋”の「中江」と天麩羅の「伊勢屋」

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⑤吉原・・・・・・・・・ここも、カメラを出すと生きて帰れないかもしれず、撮影不可。・・・・・・・・大門を入り中心部を歩くと、黒いスーツの客引きがズラリ並んでいる。怖~~い! でも、キラキラ輝くネオンのまぶしいソープランド店がズラリ並んでいるのは壮観だ! 一生に一度は入ってみたいが、勇気がないので止めておく!・・・・・・・綺麗な店は100軒ぐらいあるかな? 今度、数えてみよう!

・・・・・・・・・・・・・ネオンの光が届かなくなったところに、吉原神社がある。

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・・・・・・・・・・・・・さらに、吉原神社の近くに、艶めかしい吉原弁財天が祀られている。

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⑥浅草・・・・・・・・・・・・・東武鉄道浅草駅 私は“浅草松屋”の呼名がシックリくるね。 大正10年(1921)建築の「神谷バー」も浅草の顔だ、忘れずに!

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2013年8月21日 (水)

西武池袋~東長崎

昨日は、日中が猛暑日、夕方からはゲリラ豪雨の予想であったが、雨はパラパラ程度で散歩に出そびれた。 今日は午前中晴れ、午後以降は雨の予報。 散歩の機会は午前中しかない、“よし、ぶらっと散歩してくる”と言って出てみた。 西武池袋駅前では、気温30℃、湿度90%、たちまち汗がダラダラ、それでも“男は我慢、女は愛嬌”で西武線に沿い歩きはじめた。 椎名町駅を過ぎると、ズボンの中でまとわり付く状態だ。 ハンカチで拭いても、拭いても、汗はダラダラ、頭上の髪の毛はアツアツ。 “男の我慢”も限界、これ以上歩くと、また救急車のお出迎えに遭いそうだ! と、いうことで東長崎駅で散歩は中止とした。

①西武池袋駅・・・・・・・・・・“池袋駅”は、JR東日本、東武鉄道、西武鉄道、東京メトロの総合駅で大きすぎる。 今日はJRの東口であり、西武の地上改札口にあたる、西武百貨店ビルから散歩を始めた。・・・・・・・・西武百貨店は昭和10年(1935)年に池袋東口に出店した「菊屋デパート」を、昭和15年(1940)に武蔵野鉄道(西武鉄道の前身)が買収したことに始まる。昭和24年(1949)に「西武百貨店」に名称変更し、昭和27年(1952)現在の池袋店の元となる建物に改築し、その後、順次増改築を繰り返し、売り場面積8万㎡の大型デパートとなった。

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・・・・・・・・・・・西武池袋駅は、西武百貨店1階に4面4線を有する頭端式ホームである。大正4年(1915)に武蔵野鉄道の駅として開業した。

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・・・・・・・・・・・・・・改札はホーム北側の端部に地上改札口があり、地下改札口もある。ホームの南側には、西武百貨店の建物横に出る利用者の少ない西武南口がある。

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・・・・・・・・・・・・・・参考に、明治期のJR池袋駅(ウィキペディアより)・・・・・・・・想像できない姿だ!

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・・・・・・・・・・・・・・池袋駅を出た西武池袋線は山手線の内側を通り、目白駅側で山手線を越え、椎名町方向へ向かう。・・・・・・・・西武池袋線に並行して山手線上に架かる「花のはし」跨線人道橋は、平成19年(2007)頃、池袋線の跨線橋架け替えに合わせて造られた。山手線は良く見えるが、隣を走る池袋線が見えないのは残念だ!

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②目白単身住宅・・・・・・・・・・・・「花のはし」の東側ににある、昭和34年(1959)に建てられた旧住宅公団の賃貸住宅。契約は3年の有期で、間取りは1K(12㎡)、風呂・トイレ・洗濯機は共同。総戸数206戸。 ナント!家賃は21000円~22400円と格安。・・・・・・・・・今話題の脱法ハウスより安いかも? ある情報では、UR都市機構で全面建て替えが計画されているらしい?

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③目白の住宅・・・・・・・・・・・戦後、多く見かけた造りの住宅だ、昭和の匂いがプンプン。 玄関前の敷石もいいね!

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・・・・・・・・・・・・・・こちらは、出桁造りの商家を住宅に・・・・・

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④目白庭園・・・・・・・・・・・平成2年(1990)に作庭された、豊島区立の新しい日本庭園。園内は約860坪程の広さで、回遊式の日本庭園と赤鳥庵という和風建築が配されている。 区の施設で、かつ、最近造られた庭園としては、長屋門と築地塀で囲まれており珍しい。 何となく、駒込の六義園、小石川の後楽園のような、チョイト、大人向けの落ち着いた雰囲気を求めた施設のようだ! 案内には、小学生以下の単独の入園は不可となっている。

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⑤西武池袋線・・・・・・・・・・・・・当分、高架にはならないようだ。踏切が多いこと!

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椎名町駅 ・・・・・・・・・・大正13年(1924)開業の池袋の隣りの駅。先日は北口をパチリ、今日は南口をパチリ。

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⑦年季の入った建物・・・・・・・・・・東長崎駅前の商店街でパチリ・・・・・・・赤くなったトタン貼りの外壁、薄っすらと“東京パン”と読める2階上のはげた看板、ともに年季の入った建物だ。

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⑧東長崎駅・・・・・・・・・・大正4年(1915)に開業した駅だが、駅名が「東長崎」となったのは、長崎県長崎市の長崎駅と区別するためとのこと。 ホントかいな?

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2013年8月18日 (日)

堀切~京成曳舟

東武スカイツリーラインの堀切駅から京成曳舟駅まで、1万歩、7kmの散歩です。

堀切駅 ・・・・・・・・・・・・・我ながら、本当に好きな駅だと思う。 また来てしまった! このブログに登場した回数も今回で8回目。・・・・・・・・・・堀切駅は、明治35年(1902)の吾妻橋(現:とうきょうスカイツリー)~北千住間開業時にできた駅。当時の堀切駅は今よりやや東の、ちょうど荒川のど真ん中付近にあった。この頃はまだ現在の荒川は流れてなかった。大正13年(1924)荒川放水路(現:荒川)掘削に伴い、伊勢崎線のルート変更が行われ、荒川土手ギリギリに寄り添うように現在地に移転再開した。 おそらく、東京の区部では寂しい駅のベスト3に入ると思うよ。・・・・・・・・・・下町の哀愁を漂わせる駅で、夜の駅前に立つと、勝手な妄想が始まるのだ。、、、、私が石原裕次郎になり、網走での勤めを終え、灯りのともる、寂しい寒い堀切駅に下車すると、浅丘ルリ子が駅前で一人出迎えてくれる。 二人は顔を見合わせ、黙ってコートの襟を立て、宵闇に消えていく。 いいね!

・・・・・・・・・・・・・・西口・・・・・・・・千住方面行の改札口で、三角屋根の駅舎、駅前の電話ボックス、暖かそうな灯りのラーメン屋、、、、、みんな、映画のワンシーンだ!

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・・・・・・・・・・・・・東口・・・・・・・・・・浅草方面行の改札口。 荒川土手から階段を降りると、駅舎が静かに灯りをともしている。・・・・・・・・・・こちらの改札も好きだ。 私と浅丘ルリ子が世間に背を向け、北へ旅立つ駅だ。

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・・・・・・・・・・・・・・堀切を通過する優等列車。 

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・・・・・・・・・・・・・堀切駅の南側を横切る首都高6号向島線。

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②出桁造りの建物・・・・・・・・・・・墨田5丁目の商家と思われる建物。

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③鐘ヶ淵駅・・・・・・・・・・・・先々月の23日、私にとっては死にたくなるような傷みを与えてくれた魔の踏切と、救急車を手配してくれた鐘ヶ淵駅前の交番にお礼参り。・・・・・・・・・・・・今日は電車の撮影はひかえ、交番をパチリ! “私をお助け頂きありがとう御座いました”・・・・・・・・・当日の事故を再現すると!

・・・・・・・・・・・・・・・鐘ヶ淵駅で、還暦過ぎた親爺が電車の撮影に夢中で、駅前の踏切で撮影しよう!

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・・・・・・・・・・・・・・・写真中央が踏切、右手が交番、左手に駅舎がある。踏切前に行くと、結構いいアングルの写真が撮れると思い、踏切を行ったり来たり。

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・・・・・・・・・・・・・・・下の写真を撮影している位置で、上りの電車が右手の駅から来ると判断し、線路の向う側(交番前)へ移動しようと思った。 この時、運命の鐘の音がカンカンとなり、遮断機が下りてきた。 慌てて踏切を横断したが、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・・下の写真のように、電車は通過して行くが、私は交番前の白線のとんがった先の位置で転倒。 この瞬間、手に持っていたカメラをかばい、右手を地べたに付け身体を支えた。 右肩脱臼の強烈な傷みが生じ、バイクの位置まで匍匐前進し、交番に助けを求めたのだ。 日中の出来事で、恥ずかしいところ世間様に見せてしまった。 反省してます! この後は、救急車で白鬚橋病院へ。

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・・・・・・・・・・・・・・脱臼のその後は、1か月間、右手を固定した形で過ごし、7月22日よりリハビリを開始。 現在、右手は前後・左右に動かせるが、上にあげられないので、あと1カ月はリハビリが続くかも?・・・・・・・・・皆さん、暗い夜道と踏切と美女には注意しましょう。大怪我の元だ!

京成曳舟駅 ・・・・・・・・・・・・いよいよ今月24日に上り線が高架に切り替わり、駅舎も上り線は新築の駅舎に変わり、踏切は下り線だけの使用となる。

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2013年8月17日 (土)

浅草橋~銀座

何日かぶりに散歩の行き先を決めず家を出た。(これが、本来の私流の散歩だ!) 浅草橋駅まで歩いても、北へ行くか、南へ行くか、JRに乗るか、地下鉄に乗るか決まらず、とりあえず、前を通り過ぎた美人に運命を託すと、浅草橋交差点の方向に歩きはじめたので、私もそちら方向の散歩と決めた。 結果は、浅草橋を渡り、横山町、人形町、兜町を抜け、日本橋、銀座まで、1万2千歩、9kmの散歩となった。

①浅草橋を通る総武快速線・・・・・・・・・・・・総武快速線は東京駅を出ると新日本橋・馬喰町・錦糸町と停車する。 トンネルを走る総武快速線に乗っていると気がつかないが、神田川に架かる浅草橋の地下を通過しているのだ。 

・・・・・・・・・・・・・写真の対岸の船宿に、浅草橋際の真下に総武線快速が通っている証拠のプレートがある。

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・・・・・・・・・・・・・ 「河川下埋設標」なるプレートで、この下、水面から16.4mの位置に鉄道隧道があることを示している。

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横山町の古い建物・・・・・・・・・・・浅草橋の交差点から南側の繊維問屋街が日本橋横山町である。この町にも古い建物が残されている。

・・・・・・・・・・・・・・今日は盆休みの真っ最中、横山町はガラ~ンとしている。たまには、こういう静かな時があるのも、いいね!

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・・・・・・・・・・・・・・ICHIOKUMARKET PART2・・・・・・・・・・・・建物は白く塗られているが、古そうな建物だ。

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・・・・・・・・・・・・・・海渡ビル・・・・・・・・・・・大正13年(1924)の建物だが、入り口部分を残し改装されているようだ。 入り口周りには動物のレリーフが彫り込まれている。

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・・・・・・・・・・・・・・大原第5ビル・・・・・・・・・・・昭和4年(1929)、清水組(現:清水建設)の設計施工で竣工した。 現在は、ヘアーサロン、飲食店、ブティックなどが入居しているテナントビルだ。

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旧古河銀行元浜町支店・・・・・・・・・・・・・・日本橋富沢町に残る銀行建築。中村與資平の設計により、大正15年(1926)に竣工した旧古河銀行元浜町支店。・・・・・・・・平成10年(1998)から、「ベストブライダル」という会社の結婚式場となった。・・・・・・・・・・今日は盆にクリスマスが来たような、電飾がギラギラの披露宴が行われていた。 “本日はお日柄も良く、二人の門出を祝すような、ガンガン照りの暑い日となり、、、、、”

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④人形町・・・・・・・・・・・甘酒横丁・路地裏の呑み屋・寿司屋は盆休み、灯りがともるのは表通りの店だけだ。

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・・・・・・・・・・・・・・・佐野時計店・・・・・・・・・・・人形町の表通りに店を構える時計屋。戦前の建物と思われる。・・・・・・・・・店の中は時計屋さんというより、古物商のような雰囲気だ。

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⑤喜代川・・・・・・・・・・・小網町の路地裏の老舗のうなぎ屋“喜代川”。明治7年(1874)創業で、建物は昭和2年(1927)の建築。・・・・・・・・・・・連日の猛暑、夏ばて解消にうなぎ、いいね!

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⑥兜町・・・・・・・・・・・昭和63年(1988)竣工の東京証券取引所と昭和3年(1928)竣工の日証館​・・・・・・・・・・・兜町も夏休み状態!

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高島屋日本橋・・・・・・・・・・・私が幼き頃は、デパートは夜7時には閉店しており、毎週休みの日もあった。 夜8時なのに、開いている! チョイト、入ってみるか! オ~、ガラガラだ! コリャ、儲からないぞ! ヨシ、上の階も覗いてみるか! オ、帽子がある! ナント、可愛いい店員さんが! ヨシ、買ってやろう!、、、、ということで、アホな客がお買い求めした。 

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⑧銀座・・・・・・・・・・・・ウインドを覗いては欲しくなり、若い2人を見ては羨ましくなり、美味しそうな店を見ては入りたくなり、灯りのともる銀座を歩いて幸せを感じる、単純な男かも?

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2013年8月16日 (金)

都電荒川線(大塚駅前~早稲田)

向暑の時期は過ぎ、既に残暑となるが、連日の暑さは猛暑・酷暑・極暑・激暑・厳暑・炎暑・大暑のどれだ? ヨイショ、コラショ、ドッコイショと腰を上げ、暑気払いの散歩に出る。

都電荒川線の散歩も残りは、大塚駅前~早稲田間となった。 1万歩、7km。

王子電気軌道は大正14年(1925)に大塚駅前~鬼子母神前を開業し、昭和3年(1928)には鬼子母神前~面影橋の開業と、王子駅前~面影橋の直通運転を開始した。 昭和7年(1932)には早稲田まで開業。 昭和17年(1942)、王子電気軌道の電力事業・交通事業の統制により、軌道事業は東京市電となる。 また、王子電気軌道は会社を清算することになった。・・・・・・・・以上、本日の散歩区間の概要。(私って、親切な人間だね!)

①大塚駅前停留場・・・・・・・・・・・・JR大塚駅の高架下が停留場である。この停留場は明治44年(1911)、王子電気軌道の大塚駅前~飛鳥山間の開業時に設けられた。・・・・・・・・・・・駅前の坂を下り、月末の「大塚 阿波おどり」の提灯を背景に、停留場に入る都電。

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・・・・・・・・・・・・・駅前の飲食街は、暑気払いの店を探して右往左往。

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・・・・・・・・・・・・・天祖神社・・・・・・・・・飲食店街の一角に、昔の巣鴨村(現:豊島区のほぼ半分)の鎮守さまの天祖神社がある。 現在でも縄張りは広く、南大塚・北大塚・巣鴨・西巣鴨・上池袋・東池袋などが氏子である。サンシャインシティも縄張りの中である。 鎌倉時代末の元亨年間(1321~4)の創建。

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②向原停留場・・・・・・・・・・大塚方面から坂を上がってくると向原停留所だ。

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・・・・・・・・・・ホームは、互いに春日通りを挟んだところに向かい合わせに設置されている。

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・・・・・・・・・・・・・・向原停留場から隣りの東池袋四丁目停留所にかけ、専用軌道の両側に一般道の拡幅工事を実施中。 軌道はフェンスに囲まれ、サンシャインシティから見下ろされてる。

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・・・・・・・・・・・・裏通りの靴屋さんでは、親爺さんがシャッターを下ろしていた。

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③東池袋四丁目停留場・・・・・・・・・・・・・頭上は首都高5号線、地下は有楽町線東池袋駅、それぞれと交差する形で荒川線が走り停留場が在る。

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④都電雑司ケ谷停留場・・・・・・・・・・・・・隣りの鬼子母神前停留場にて地下鉄副都心線の雑司が谷駅と接続しており、都電の「雑司ヶ谷」停留場は平成20年(2008)から「都電雑司ヶ谷」と名称を変更した。・・・・・・・・・・近くには雑司ケ谷霊園があり、チョイト夏向けに幽霊が出そうな停留場だ!

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・・・・・・・・・・・・・都電雑司ヶ谷停留場から隣りの鬼子母神前停留場にかけては、道路下に地下鉄副都心線が開通し、道路は整備された。線路の背後にはサンシャインシティを望む、有名な撮影ポイントとなる。

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⑤鬼子母神前停留場・・・・・・・・・・・・・近くに法明寺の鬼子母神がある。・・・・・・・・・チョイト寄ってみたが、境内は施錠されていた。参道もゲートの灯りだけ!

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・・・・・・・・・・・・・大鳥神社・・・・・・・・・・停留場の近く軌道沿いの大鳥神社は、かつて鷺明神と称し正徳2年(1712)に鬼子母神境内に創祀された。

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・・・・・・・・・・・・・・千登世橋 ・・・・・・・・・・・橋上に目白通りを通し、下には明治通りが通る。明治通りの隣りに、千登世橋に連続する千登世小橋の下を都電荒川線が通っている。・・・・・・・・・・ここで、西島三重子の「池上線」、「飛鳥坂」とラブソングの三部作を構成する「千登勢橋」を、、、、、、♪♪ 駅に向かう学生達と 何度もすれ違いながら あなたと歩いた目白の街は 今もあの日のたたずまい 指を絡めいつもと違う あなたのやさしさに気付き もうすぐ二人の別れが来ると 胸が震え悲しかった  電車と車が並んで走る それを見下ろす橋の上 千登勢橋から落とした 白いハンカチが ヒラヒラ風に舞って 飛んで行ったのは あなたがそっとサヨナラを つぶやいた時でしたね  ♪♪・・・・・・・・・彼女の透明な声がせつない情景にピッタシ、癒しの珈琲の香だ!

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⑥学習院下停留場・・・・・・・・・・・・・学習院大学の南東側に位置する停留場。

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⑦面影橋停留場・・・・・・・・・・・・・高戸橋交差点で神田川を渡り、左折して新目白通りに入る。 停留場はすぐだ!

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・・・・・・・・・・・・・・停留場名の面影橋は神田川に架かる小さな橋。

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⑧早稲田停留場・・・・・・・・・・・・・散歩の終点は、電車の終点、早稲田停留場。 早稲田は、もともと東京市電の方が早く、大正7年(1918)に開業していた。 遅れて、昭和7年(1932)に王子電気軌道が早稲田まで開業した。・・・・・・・・現在は新目白通りの中央に2面1線の停留場がある。・・・・・・・・・・お客も少なく、チョイト寂しいね!

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●・・・・・・・・・・・・・・・・・これにて、都電荒川線の踏破は終了。 おやすみなさい!

●●・・・・・・・・・・・・・・・都電荒川線の前段は・・・・・・【三ノ輪橋~熊野前】、【熊野前~王子駅前】、【王子駅前~大塚駅前

2013年8月14日 (水)

都電荒川線(王子駅前~大塚駅前)

王子電気軌道の飛鳥山上(現:飛鳥山)~大塚間の軌道事業は、ほぼ102年前の明治44年(1911)8月20日に開業した。 今日の散歩は、この区間を歩いてみた。 1万歩、7km。

①王子駅前停留場・・・・・・・・・・・・荒川線の停留場は新幹線高架下である。 王子駅の開業は日本鉄道の駅として明治16年(1883)である。その王子駅に王子電気軌道(現:都電荒川線)の停留場が設置されたのは大正4年(1915)。・・・・・・・もちろん開業時には新幹線の高架橋はないので、駅に隣り合うのんびりとした停留場の雰囲気が漂っていたであろう。・・・・・・・・・・停留場を出ると、すぐにJRのガードをくぐり、飛鳥山を回って上る。

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・・・・・・・・・・・・・全線均一の160円の運賃は格安だ! 親子で終点まで往復してもワンコインで足りるので、夏の暑いときは子供と納涼電車もいいね。

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・・・・・・・・・・・・・飛鳥大坂・・・・・・・・・・・王子駅から飛鳥山を左手に見て、グルリと回る大きな坂道が飛鳥大坂(あすかおおさか)である。・・・・・・・坂名を、飛鳥大“阪”と書くと、関西の地名と間違える。・・・・・・・・“飛鳥坂”と書くと、水森かおりが歌う、西島三重子:作曲のチョイト演歌調の ♪♪ 今年もきれいに咲いたよね それきりあなたは 何も言わなくなる 都電が走る この街が ふたりはとても 好きだったのに この坂道を のぼる途中で ふりむく私を 黙ってみつめてた これきりで お別れですか 四年の月日が もうすぐ終わるというのに ああ 舞い上がる花びらのむこうに 夢が 夢が続いている 飛鳥坂 ♪♪

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・・・・・・・・・・・・・清水質店・・・・・・・・・・飛鳥大坂に面して建つ、歴史のありそうな建物。

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・・・・・・・・・・・・飛鳥大坂を上った交差点で、都電は一般道から専用軌道へ入る。

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・・・・・・・・・・・・・・酒類総合研究所・・・・・・・・・・清水質店の裏側に残る、赤煉瓦の3階建て酒造工場は明治35年(1902)に竣工。設計は横浜赤レンガ倉庫、日本勧業銀行本店(現:千葉トヨペット本社)日本橋を手がけた妻木頼黄(つまきよりなか)。・・・・・・・・・明治37年(1904)大蔵省醸造試験所が、この地に設置された。醸造試験所は平成7年(1995)に「国税庁醸造研究所」(現:独立行政法人酒類総合研究所)となり、平成13年(2001)には近代的な研究所を東広島市に建設し、移転した。移転後は一部公園となっているが、赤煉瓦の工場は酒類総合研究所の東京事務所の管理となっている。

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・・・・・・・・・・・・・・創立当初の醸造試験所(酒類総合研究所広報誌「NRIB」より)・・・・・・・周囲は畑で、まさに“滝野川村”か?

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②飛鳥山停留場・・・・・・・・・・・・飛鳥山交差点から専用軌道に入ったところに停留場はある。 当停留場から大塚駅前停留場までは、王子電気軌道が明治44年(1911)に開業した。 昭和17年(1942)には、王子電気軌道を東京市が買収し、市電となる。

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③滝野川一丁目停留場・・・・・・・・・・・寂しい停留場に、塾帰りらしき学生が一人、スマホのゲームに集中していた。 ますます寂しくなるね!

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・・・・・・・・・・・・・踏切の先には上弦の月。

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・・・・・・・・・・・・・畳屋の親爺!・・・・・・・・明日の仕事の準備中、きっと、いい仕事するね!

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④西ヶ原四丁目停留場・・・・・・・・・・・誰も降りず、誰も乗らず、それでも電車は止まる!

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⑤新庚申塚停留場・・・・・・・・・・・・・お隣の庚申塚停留場と同時(明治44年)に開業したが、何故か停留場名に“新”を冠している。・・・・・・・・・・道路幅の広い白山通りを挟みホームが対峙している。

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庚申塚停留場 ・・・・・・・・・・・・・巣鴨庚申塚は江戸時代中山道の立場(休憩所)として栄えた処。・・・・・・・・・・現代版の立場として、停留場のホーム続きで、甘味処と呑み屋がある! 甘味処はすでに閉店、呑み屋は営業中だった。

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・・・・・・・・・・・・・猿田彦大神庚申堂・・・・・・・・・停留場名となった庚申堂。現在は庚申堂に猿田彦大神を合祀している。 猿田彦大神は日本神話に登場する神で、天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされている。

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・・・・・・・・・・・・旧中仙道(現:地蔵通り)の踏切

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巣鴨新田停留場 ・・・・・・・・・・・・池袋・大塚の町が近いのに、停留場は場末か?

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・・・・・・・・・・・・・このあたり、都会の中の郊外といった雰囲気、踏切は絵になるね!

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・・・・・・・・・・・・・・停留場脇の塔のあるところ(現:東京電力大塚支社)には、王子電気軌道の本社が大正12年(1923)に京橋区より移転し、昭和17年(1942)に東京市に合併されるまで置かれた。また変電所もあったそうだ。

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⑧大塚駅前停留場・・・・・・・・・・・・JR高架下に停留場が設けられている。 明治44年(1911)、王子電気軌道大塚駅(現:大塚駅前停留場)として開業し、昭和17年(1942)に市電の停留場となる。・・・・・・・・・・昭和46年(1971)までは、チョイト長い距離だが大塚駅前~錦糸町間の都電(16系統)も走っていた。 

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●・・・・・・・・・・・・・・・都電荒川線の前後は・・・・・・【三ノ輪橋~熊野前】、【熊野前~王子駅前】、【大塚駅前~早稲田

2013年8月13日 (火)

都電荒川線(熊野前~王子駅前)

都電荒川線の熊野前停留場から王子駅前停留場まで、1万歩、7kmの散歩です。

①熊野前停留場・・・・・・・・・王子電気軌道(株)は明治44年(1911)の飛鳥山~大塚間の開業に続き、大正2年(1913)に飛鳥山下~三ノ輪間を開通させた。 熊野前停留場も大正2年に同時開業した。・・・・・・・・・・停留場名:熊野前は、かつて、近くに熊野神社があったことに由来しているらしい。神社は明治初期に廃社され、その後に開業した停留場名が熊野前にどうしおてなったのか?

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②宮ノ前停留場・・・・・・・・・・・・停留場:宮ノ前の“宮”は、尾久八幡神社である。

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・・・・・・・・・・・・・・センターポール化された架線柱。

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・・・・・・・・・・・・尾久八幡神社・・・・・・・・・・・創建年代不詳であるが、 尾久の地が鎌倉時代末期(1312)に、鎌倉鶴岡八幡宮に寄進された頃に遡るようだ!

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③小台停留場・・・・・・・・・・・・・・小台停留場から熊野前停留場のあたりは大雨の度に出水し、東尾久に都の尾久ポンプ場ができるまでは、出水のつど電車は運転中止となったそうだ。 昭和33年(1958)の狩野川台風のときは、線路は浸水し見えず、ひどかったらしい! 今の姿からは想像できないね。

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・・・・・・・・・・・・・・アデ川質店・・・・・・・・・・・小台停留場の北側:裏道にお立ち寄り!・・・・・・・・・・年季の入ったコンクリート造の質蔵がしっかり構える古そうな質屋さんがある。

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・・・・・・・・・・・・・300m続く煉瓦塀 ・・・・・・・・・・・・裏道に入ったついでに、あらかわ遊園の近くに、途中途切れながら300m程続く煉瓦塀が残っている。・・・・・・・・あらかわ遊園は、明治5年に設立された広岡煉瓦工場の跡地で、遊園沿いの住宅は煉瓦塀により囲まれている。

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④荒川遊園地前停留場・・・・・・・・・・・・・その名のとおり、「あらかわ遊園」の最寄の停留場。 遊園は、元は王子電気軌道の経営であったが、戦後は区の施設となり、幼児主体の遊園地となっている。・・・・・・・・・・・・TDLのように大人中心の遊園地ではないので、17時には閉門だ。 夜はホームで待つ人も少ないね。

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・・・・・・・・・・・・・・都電6000系・・・・・・・・・・・遊園正門前に保存されている6000系の車両、愛称は「一球さん」。 昭和24年(1949)製造の車両。

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⑤荒川車庫前停留場・・・・・・・・・・・・・こちらも、その名のごとく都電の車庫前だ。大正2年(1913)王子電気軌道:三ノ輪~飛鳥山下間、開業に伴い船方車庫として開設された。昭和17年(1942)、東京市電気局荒川電車営業所に改組され、現在は、都電荒川線の運行管理・営業を行い、乗務員基地・車庫・保守基地となっている。・・・・・・・・・・還暦過ぎた親爺が、車庫の前でワクワク、ドキドキ、ニコニコするのは私だけか?

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・・・・・・・・・・・・・・疾走する都電

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⑥梶原停留場・・・・・・・・・・・・・JR上中里駅の北方で、明治通りとの交差点に在る停留場。・・・・・・・・・・停留場(早稲田方面行きホーム)のホームに上がる石段に接して古書店がある。まるでキヨスクのようだが、個人経営の店。いわく、「日本で一番駅に近い古書店」。

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・・・・・・・・・・・・・・・三ノ輪橋方向のホームは明治通りを挟み反対側。

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・・・・・・・・・・・・・お客さんが、ケッコウ乗ってるね!

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⑦栄町停留場・・・・・・・・・・・・近くには東京書籍など大きな工場もがあるが、JR王子駅にも近いので、お客は少ないようだ!

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・・・・・・・・・・・・・・・軌道は東北新幹線の高架下を王子駅前へ向かう

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⑧王子駅前停留場・・・・・・・・・・・・高架下の停留場は、相対式ホーム2面2線で、ホームの長さは複数の電車を停められるように長くなっている。 また、折り返し運転ができるように、渡り線を設けられている。

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●●・・・・・・・・・・・・・・・都電荒川線の前後は・・・・・・【三ノ輪橋~熊野前】、【王子駅前~大塚駅前】、【大塚駅前~早稲田

2013年8月11日 (日)

都電荒川線(三ノ輪橋~熊野前)

猛暑・猛暑と二日続き、今日も我が家でごろ寝で過ごす予定でいた。 夕方、ゴロゴロ、ピカピカが始まり、ポツポツと落ちてきた。 短時間の雨で、丁度良いお湿り状態となり、気温も32℃となり熱中症の危険も多少遠退き、散歩をすることにした。

都電荒川線沿いに、三ノ輪橋から熊野前まで停留場を順に歩いて、1万歩、7kmの散歩です。

①三ノ輪橋停留場・・・・・・・・・荒川線の始発停留場。 開業当初の停留場名は「三ノ輪」であったが、戦中および昭和44年以降は「三ノ輪橋」と呼んでいる。 チョイトややこしい!

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・・・・・・・・・・・・・梅澤写真会館・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)に竣工した旧王子電気軌道の本社ビル。王子電気軌道は明治44年(1911)に飛鳥山~大塚間を、大正2年(1913)に飛鳥山下~三ノ輪橋間を開通させた。 現在の荒川線の生みの会社だ!・・・・・・・・建物は、震災後の東京では目立つ、鉄筋コンクリート造3階建てのモダンなビルだった。正面1階を抜けると奥に三ノ輪橋の停留場がある。

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・・・・・・・・・・・・・・・都電に並行する商店街「ジョイフル三ノ輪」。盆の日曜日、店の半分は閉店してた。

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②荒川一中前停留場・・・・・・・・・・・・・・平成12年(2000)に開業した、荒川線の中では最も新しい停留場。

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③荒川区役所前停留場・・・・・・・・・・・電車を待つのは、向かいのホームにおばあさんが一人。 こちらのホームには、電車好きの幼児とお母さんと誰か?・・・・・・・・・車内には何人かの人影が見える!

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④荒川二丁目停留場・・・・・・・・・・・東京都下水道局の三河島水再生センターの前にある寂しい停留場。 女性はチョイト怖いかも?

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・・・・・・・・・・・・・停留所近くに残る、昭和10年(1935)建立の「皇太子殿下御降誕記念」のアールデコ風の国旗掲揚塔。・・・・・・・現在の天皇陛下誕生したのは、昭和8年12月23日である。 地元商工会が記念に建てたようだ、当時は国民の祝賀ムードも最高潮となったのであろう。

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⑤荒川七丁目停留場・・・・・・・・・・・・・時刻表を見ると、23時台まで走っており、飲んで帰る人も安心だ!

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⑥町屋駅前停留場・・・・・・・・・・・京成電鉄、東京メトロの「町屋」駅に乗り換えできる停留場。・・・・・・・・今日、歩いた停留場の中では最も賑わいを感じた停留場。 飲食店は結構お客が入っていたね。

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⑦町屋二丁目停留場・・・・・・・・・・・・町屋駅前停留場からは、道路中央に専用軌道がひかれている。 

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⑧東尾久三丁目停留場・・・・・・・・・・・・荒川線の軌道沿いには花が植えられ、下町の景観を演出している。

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⑨熊野前停留場・・・・・・・・・・尾久橋通りと交差する地点で、尾久橋通りでは日暮里・舎人ライナーと熊野前陸橋が頭上を横切る。 停留場は尾久橋通りの交差点を挟んだ位置に上下離れてある。

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・・・・・・・・・・・・・:日暮里・舎人ライナー熊野前駅・・・・・・・・夜の熱中症も怖いので、今日はココまで!

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おまけ・・・・・・・・・・・・猛暑の中、我が家のベランダで、小さな鉢の中に咲いた!

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●●・・・・・・・・・・・・・・・都電荒川線の続きは・・・・・・【熊野前~王子駅前 】、【王子駅前~大塚駅前 】、【大塚駅前~早稲田

2013年8月 9日 (金)

上野駅

今宵の散歩は、浅草橋の我が家から上野駅を一周、1万歩、7kmです。

上野駅・・・・・・・・・・・明治16年(1883)7月28日、日本鉄道の上野~熊谷間が開業し、上野駅も同時開業した。 先月の28日が丁度160周年記念日であった。

・・・・・・・・・・・・明治18年(1885)に竣工した、煉瓦造りの初代の上野駅。 本日、上野駅に展示されていた写真。 

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・・・・・・・・・・・・・・・こちらは大正時代の上野駅(Wikipediaより)。

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・・・・・・・・・・・・・震災で旧駅舎は焼失し、昭和7年(1932)に現在の駅舎である3代目上野駅が竣工した。 建物は鉄道省の設計、鹿島組(現:鹿島建設)の施工により、震災復興建築として建てられた。 落成式の写真(Wikipediaより)。

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・・・・・・・・・・・・上野駅に展示されていた写真。 昭和7年には、既に現在の山手線は開通し、地下鉄銀座線も開通していた。

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●今日の上野駅・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・まずは、正面から!

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・・・・・・・・・・・・・駅前は、33℃の暑さ。 盆に帰省する処がないのか? 帰りたくないのか? 帰れないのか? どうでもいいが、人が多すぎる!

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・・・・・・・・・・・・・ガード下の「あゝ上野駅」の碑・・・・・・・・・♪♪ どこかに故郷の 香りをのせて 入る列車の なつかしさ 上野は俺らの 心の駅だ ・・・・・・・ ♪♪

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・・・・・・・・・・・・・中央改札のコンコースは、帰省客・旅行客・通勤帰り、そして私のような暇潰しの人で、混雑状態! みどりの窓口は長蛇の列!

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・・・・・・・・・・・・・パンダ橋から見下ろす、古レールを使用したホーム上屋

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・・・・・・・・・・・・・公園口・・・・・・・・・お子様は寝る時間? 駅前の東京文化会館も消灯し、暗いね!

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・・・・・・・・・・・・・・ここまで来たら、チョイト公園にお立ち寄り。 コーヒーショップは営業中。 噴水は若い人のためにサービス中。 博物館は週末の夜間営業中。

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・・・・・・・・・・・・・上野駅の北側に架かる跨線橋:両大師橋・・・・・・・・・・ここから、列車が良く見えるので、20年程前には子供を自転車にのせて見に来たことを思い出すね!

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・・・・・・・・・・・・・・そろそろ帰宅時間です!

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2013年8月 8日 (木)

千川~池袋

地下鉄有楽町線千川駅から池袋駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。

①千川駅・・・・・・・・・・地下3層の構造で、地下1階は改札・切符売り場など、地下2階は島式1面2線の有楽町線ホーム、地下3階は副都心線のホーム。・・・・・・・・・昭和58年(1983)有楽町線成増~池袋間開業時に千川駅も開業した。このとき既に副都心線ホームも建設済みで、平成20年(2008)の副都心線開業までは、ホームは閉鎖されていた。

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②粟島神社・・・・・・・・・・・・・豊島区要町にある小柄な神社。創建年代不詳だが、新田義貞の祈願所として知られていた神社らしい。 ほんとかな?

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③長崎2丁目界隈・・・・・・・・・・・・特別な建物があるわけでもなく、極普通の住宅街だ! 千川の方角から歩いてくると、西武池袋線椎名町駅に近づくにつれ、灯りが増えてきた。

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④椎名町駅・・・・・・・・・・・西武池袋線で、池袋の隣り駅だある。大正13年(1924)開業。平成23年(2011)には橋上駅舎に改良した。・・・・・・・・・・“椎名町”という地名からは、昭和23年(1948)に12名が毒殺された帝銀事件の舞台となった帝国銀行椎名町支店を想いうかべるのは私だけか? どうやら、他の人も私と同じようだ。そのため、イメージの悪い「椎名町」という地名は消え、現在は「長崎」となっている。.

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カトリック豊島教会 ・・・・・・・・・・・・昭和24年(1949)に創立のカトリック豊島教会の聖堂。 現聖堂は建築家:レイモンドの設計で昭和31年(1956)に竣工した。

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立教大学・・・・・・・・・・・・・夏休み中の夜だというのに、授業が行われていた。その教室だけ灯りがともり、英語での会話も聞こえる! チャペルは工事中で内部に入れず、残念!

・・・・・・・・・・・・・本館(モリス館)・・・・・・・・・・・・設計:マーフィ&ダナ建築事務所、施工:清水組(現:清水建設)により、大正7年(1918)に建てられたチューダー様式の美しい建物で、大学のシンボルだ!

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・・・・・・・・・・・・第一食堂・・・・・・・・・・・大正7年(1918)竣工。

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・・・・・・・・・・・・2号館の外灯・・・・・・・・・・・・夏の夜、静かに、おやすみなさい!

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2013年8月 7日 (水)

浅草橋~東京

再び猛暑到来! 午後は35度を超えると聞き、散歩は午前中にした。 我が家(浅草橋)から東京駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。

①福井ビル・・・・・・・・・私の住む浅草橋2丁目に建つの福井ビル。私が生まれる以前から在り、大正から昭和にかけ建てられたと思われる。・・・・・・・・・小柄で目立たないビルだが、地下には店舗(喫茶店)があった、エレベータもある。

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旧柳北小学校 ・・・・・・・・・・浅草橋駅北側に残る震災復興小学校。明治9年(1876)の創立で、現在残る鉄筋コンクリート造3階建ての校舎は大正15年(1926)に完成した。・・・・・・・・・・柳北(りゅうほく)小学校は平成13年(2001)に閉校となり、その後昨年までフランス大使館が借り受けフラン人学校として使用していた。 そして、今年からは「柳北保育園」の看板が掲げられた。 高齢化が進むと10年後ぐらい先には「柳北老人クラブ」に変わっているかも?

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③左衛門橋・・・・・・・・・・・浅草橋駅西口から南へ100m程行くと、神田川下流から柳橋、浅草橋に次ぐ三番目の橋で、震災復興橋の一つ左衛門橋(さえもんばし)がある。 現在の橋は昭和5年(1930)に架けられたが、平成12年(2000)に、親柱、高欄、橋灯などが補修・整備された。復興橋として当時のものは床板下のアーチ桁の部分だ! 橋上を歩いていると見えないので残念!・・・・・・・・・・この橋のセンターラインから上流側は千代田区、下流側の右岸側半分は中央区、左岸側の半分が台東区で、千代田区・中央区・台東区の境界線が橋の上に在る。・・・・・・・・・・我が家からは一番近い橋で、子供の頃は四手網を持って神田川でハゼを獲って遊んだことを思い出す。

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④龍角散ビル・・・・・・・・・・“ゴホン!といえば、龍角散”の本社ビル。 大成建設の設計・施工により平成3年(1991)に竣工した、幻の花崗岩“ベネチアン・ゴールド”の外装がひときわ際立つビルだ。(平成4年グッドデザイン賞受賞建築)・・・・・・・・缶に入った生薬の龍角散はきめの細かい粉末で、付属の小さな匙ですくい口元に運ぶと、鼻息ですっ飛び慌てふためく薬だ。 また、口に含み飲み込むときは、口の中で鼻孔に入り、これまた慌てふためくことになる。 飲み込むと、スッキリ、爽やか、いい薬です。 我が家の常備薬!

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⑤大和橋ガレージ・・・・・・・・・・千代田区神田岩本町3丁目、靖国通りと一ツ橋通りが交わる三叉路が「大和橋交差点」。 かつては、交差点下に神田川支流の旧竜閑川が流れ、交差点には大和橋が架けられていた。・・・・・・・・戦災の瓦礫などが竜閑川に捨てられ、埋め立てられた。 昭和27年(1952)、この橋下にガレージを造るべく、民間企業が都から許可を得て工事に着手した。 約60~70台程が駐車できるスペースがあるらしい。・・・・・・・・・現在は閉鎖しているようだ!

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⑥旧東京市常盤尋常小学校・・・・・・・・・・・日本橋の日銀の近くに建つ、震災復興小学校の一つ、昭和4年(1929)に建て替えられた中央区立常盤小学校(旧東京市常盤尋常小学校)。半円形の窓が特徴で、内なる感情を特異な形状で表現した、表現派の建築だ。

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⑦旧東京国際郵便局・・・・・・・・・・・・昭和39年(1964)に竣工した現存する逓信ビルと、既に取壊された旧東京郵政局ビル、そして昭和43年(1968)に竣工した旧東京国際郵便局は共通のデザインで建てられていた。各階のひさしが床板のように伸び、それを円柱が支えている、特徴的デザインの旧郵政のビルだ。・・・・・・・・・・旧東京国際郵便局、逓信総合博物館は近々取壊され、隣の跡旧東京郵政局ビル跡地と一体で再開発されることになった。

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⑧逓信ビル・・・・・・・・・・・・小坂秀雄(郵政省)の設計により、昭和39年(1964)に完成したビル。日本電信電話株式会社(NTT)本社で、かつ逓信総合博物館(ていぱーく)が入居している。このビルの周りには、NTTコミュニケーションズ大手町ビル、旧東京市外電話局(現:アーバンネット大手町ビル)、旧東京国際郵便局、旧東京郵政局ビル(更地)など、旧郵政省系の建物が多く存在していた。・・・・・・・・逓信総合博物館は、この8月にて閉館することとなった。

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・・・・・・・・・・・・逓信博物館には、20年程前に、私がコレクションしていた大正・昭和初期の絵葉書200枚程を寄贈したことがある。 今日は、全てが見納めのつもりで、ガラガラ状態の館内を、ゆっくり見て回ってきた。

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⑨NTTコミュニケーションズ大手町ビル・・・・・・・・・・・再開発で、逓信ビルなどと共に取り壊される運命のビル。 昭和36年(1961)に竣工した地上7階/地下3階のビル。

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⑩大手町ビル・・・・・・・・・・・逓信ビルの斜め前に、高さはさほどではないが、かなり横に大きなビル(約200m×約40m)がある。 これが昭和33年(1958)に竣工した、高度成長期を代表する大手町ビルだ。・・・・・・・・・・昭和33年は、岩戸景気が始まった年、東京タワーができた年、石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」がヒットした年、「月光仮面」が放送開始された年、石川さゆりが生まれた年。そして、私は12歳で若かった年!

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⑪JPタワー・・・・・・・・・・東京駅前の御存じ、旧中央郵便局。・・・・・・・・・・タワーは地上38階(約200m)の高層棟と、旧中央郵便局を部分保存した低層棟から構成している。 低層棟には、日本郵便初の商業施設は「KITTE(キッテ)」がオープンした。

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東京駅・・・・・・・・・・・こちらも、御存じ、東京駅。 復元工事も完了し、見物客も減少し、ゆっくり見学が可能となった。・・・・・・・・・・辰野金吾の設計により、大正3年(1914)に建設された東京駅丸の内駅舎は、戦災で大破し、応急修理したままで、戦後60年以上経過したが、やっと、旧来のドーム屋根、総3階建てに復元された。

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・・・・・・・・・・・・東京駅開業時のホーム支柱・・・・・・・・・・大正3年(1914)の開業時から残っているホーム支柱が、5・6番線ホームに在る。(写真:緑に塗られた支柱) また、この部分のホーム上屋は木造だ!

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2013年8月 5日 (月)

板橋~千川

還暦はとうに過ぎ、熱中症に要注意のお年頃、無理のない程度の散歩に心掛け、今夏も順調に過ぎている。気を抜かず今日も2時間ほどの散歩にした。 

埼京線板橋駅から地下鉄有楽町線千川駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。

板橋駅 ・・・・・・・・・・・日本鉄道による品川~赤羽間開通の、明治18年(1885)に同時に開業した古い駅である。 ちなみに、隣りの池袋駅の開業は明治36年(1903)である。・・・・・・・・・・・・駅の赤羽寄りに在る仲仙道踏切からパチリ!

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②下板橋駅・・・・・・・・・・・こちらは、JR板橋駅の西側400m程の位置に在る、東武東上線下板橋駅。 大正3年(1914)、東上鉄道 池袋~川越市間の開業時に同時開業した。

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③東上鉄道記念碑・・・・・・・・・・・・下板橋駅の踏切の脇に残る記念碑。東武東上線の前身である東上鉄道は、大正3年(1914)に池袋~川越市間が開通した。 この開通を記念して、大正8年(1919)住民132名の寄付で記念碑が建てられた。・・・・・・・・・今の時代、鉄道が通り記念碑を建てるのは政治家だけだろうな? 当時の住民は“おらが町さに、鉄道が走った!”と、歓喜の涙で迎えたことだろう。

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④大山駅・・・・・・・・・・下板橋駅の隣りが大山駅。昭和6年(1931)開業、相対式2面2線の地上駅。元気な駅前商店街もあり、活気ある駅だ。

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⑤都電7508・・・・・・・・・・板橋区大山西町の公園に、昭和37年(1962)に製造され、昭和61年(1986)に廃車となった都電7508号が保存されている。 “保存”といっても、雨ざらし状態で置かれ、内部は図書館的に本が置かれているだけだ。・・・・・・・・・・昭和の後期には、機関車・ジーゼルカー・都電などが廃車となると、公園に移されることが多かった。しかしその後、受入れ側の手入れが十分でなく、みじめな姿を見ることが多い、ここもその例だ! 都電が可哀そうなので写真は1枚だけにした。

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⑥都営大山西町アパート・・・・・・・・・・都電の横に並び建つ、昭和34年(1959)から昭和36年(1961)にかけ建設された、6棟189戸で構成される都営住宅。 板橋区内の都営住宅ではかなり古い建物だが、改修工事が行われ、骨董的な古さは感じられない!

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⑦大谷口給水所・・・・・・・・・・・板橋区大谷口(おおやぐち)には、大谷口給水塔が建てられていた。給水塔は東京帝大教授:中島鋭治博士により設計された、高さ33m、鉄筋コンクリート造で、昭和6年(1931)に完成した。地域のシンボルとして、北区・板橋区などに水を供給していたが、老朽化により平成17年(2005)に取り壊された。・・・・・・・・・・同博士の設計による給水塔は駒沢給水所給水塔野方給水塔がある。

・・・・・・・・・・・・・・かつての大谷口給水塔

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・・・・・・・・・・・・・給水塔の跡地には、給水塔のデザインを模した大谷口給水所が平成23年(2011)に建てられ、板橋区・豊島区などの12万人に、ポンプ圧送による給水が行われている。 建物は地上5階、地下2階、高さ33mで、地下に給水池が造られている。

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2013年8月 4日 (日)

大岡山~都立大学

東急目黒線大岡山駅から東急東横線都立大学駅まで、1万1千歩、8km、夫婦での散歩です。

①大岡山駅・・・・・・・・・・・・大正12年(1923)、 目黒蒲田電鉄線(元:目蒲線→現:目黒線)の駅として開業。昭和2年(1927)には、目黒蒲田電鉄大井町線も開業した。・・・・・・・・・平成9年(1997)地下化工事が完成し、2面4線の方向別ホームとなる。平成19年(2007)には駅直上に東急病院が移転開業する。・・・・・・・・・東急病院は135床の総合病院で、駅上に開業した。 病院に列車の振動が伝わらないように、レールの下にばねを入れたそうだ。 5階建ての病院は外部をツタで蔽い、省エネ・緑化に貢献している。・・・・・・・・・・・私が高校生の頃は地上ホーム・木造駅舎で、まさに田舎の駅だった。

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②東京工業大学・・・・・・・・・・・東京工業大学は、明治14年(1881)の東京職工学校の開設に始まる。 明治15年(1882)には東京市浅草区蔵前東片町(現:蔵前1丁目の榊神社の場所)の浅草文庫の地で、校舎新築に着手した。 明治23年(1890)に、東京工業学校と改称する。 関東大震災では壊滅的な被害をこうむり、現キャンパスの大岡山への移転を決定する。 昭和4年(1929)には旧制の東京工業大学となり、昭和24年(1949)に新制大学となる。・・・・・・・・・私の大学受験では、第一志望校であったが、大学側が拒否したため“縁”は遠のいた。 その後、我が娘が蔵前の旧東工大跡地に建つ中学に入学し、高校は東工大附属の工業高校に進学し、再び“縁”ができたと思いきや、、、、、大学は娘が拒否し、美系の大学へ行ってしまった。・・・・・・・・・家内は、娘の附属高校の入学式/卒業式で大岡山キャンパスには足を運んでおり、構内を興味深く見ていた。

・・・・・・・・・・・・本館・・・・・・・・・昭和6年(1931)着工、昭和9年(1934)竣工の本館は、鉄骨鉄筋コンクリート造3階建てで、大岡山キャンパスの中心となる堂々とした建物だ。

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・・・・・・・・・・・・・・昭和15年(1940)の本館全景(東工大HPより)・・・・・・・現在は前面に桜の樹が茂って、全景を一目で見ることは難しい。中央の時計塔はシンボル的であり、敷地の高低差も活かされた設計だ!

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・・・・・・・・・・・・・西1号館(旧分析化学教室)・・・・・・・・昭和6年(1931)竣工の鉄筋コンクリート造2階建ての実験施設。 本館から芝生のスロープを下がったところに建つタイル貼りの外壁の建物。 本館から眺めると、木々の間から搭屋と煙突が見られる。

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・・・・・・・・・・・・・創立70周年記念講堂・・・・・・・・・昭和25年(1951)の創立70周年を記念して、昭和33年(1958)に谷口吉郎の設計、清水建設の施工で竣工した講堂。 建物は本館前の斜面に、スロープを活かした設計で建てられた。 設計した谷口吉郎は、昭和4年から昭和34年までの30年間、東工大建築学科で教鞭をとっていた、近代の代表的な建築家。文化勲章受章。

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・・・・・・・・・・・・・東工大の学生は日曜も芝生で読書? やはり、頭がいいのかな?

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・・・・・・・・・・・・・博物館・百年記念館・・・・・・・・・・東工大正門脇に建つ百年記念館は、昭和62年(1987)にオープンした、大学の業績の保存と展示を行う4階建ての施設。設計は当時大学の教授であった篠原一男。

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・・・・・・・・・・・・・附属図書館・・・・・・・・・・・平成23年(2011)に竣工した附属図書館。 鋭い鋭角三角形の建物で、2階・3階が閲覧室となっている。 本館を見渡す丘と図書館前の広場の地下に収蔵庫が在る。

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・・・・・・・・・・・・東工大に咲いていた!

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③カトリック碑文谷教会・・・・・・・・・・・・目黒区碑文谷に、昭和29年(1954)、サレジオ会によって建立されたロマネスク様式の教会。 別名:サレジオ教会と呼ばれている。 内部は壁・天井一面にフレスコ画が描かれている。この絵はイタリア人:フェラーリ修道士が7年にわたり心血を注いだ労作だ!・・・・・・・・・・安土桃山時代の華麗な障壁画を見ているようだ!・・・・・・・・・・有名人の結婚式も多い教会だ! 納得!

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2013年8月 3日 (土)

二造の跡

十条駅前で、どちらの方角に歩こうか? カワイイ娘が私の前を南の方向へ横切り、私も南の方へ向かうことにした。 チョイト歩いたところで、この方向には石神井川沿いに“二造(にぞう)”の施設跡が点在することを思いだした。 昨日散歩した、東京第一陸軍造兵廠工場跡の「北区中央図書館」の続きとして、今日は“二造”巡りに決めた!・・・・・・・・・埼京線十条駅から、隣の板橋駅まで、1万歩、7kmの散歩です。

明治9年(1876)に陸軍砲兵本廠が石神井川沿いの元加賀藩前田家下屋敷跡地に設置される。ここでは火薬が製造されることとなった。 明治12年(1879)には東京砲兵工廠板橋火薬製造所と改称し、大正12年(1923)には陸軍造兵廠火工廠板橋火薬製造所となり、昭和15年(1940)に東京第二陸軍造兵廠(=“二造”)に改称した。 当初は約3万坪の敷地が、昭和20年の終戦時には15万坪に拡張され、従業員も2000名程いたそうだ。・・・・・・・・埼京線の板橋~十条間で、線路の東側に兵器を作る東京第一陸軍造兵廠があり、西側には火薬を作る東京第二陸軍造兵廠があった。・・・・・・・戦後生まれの私には、記憶はなく、思い出もなく、何も知らないので、チョイト悲しいね!

①グッド・デザイン・・・・・・・・・・板橋区加賀の二造の跡地・建物は、戦後、払い下げられ、学校・病院などに生まれ変わってきた。 戦後70年近く経過し、グッド・デザインの建物が並び始めた。

・・・・・・・・・・・・・資生堂美容技術専門学校・・・・・・・・平成18年(2006)竣工した、洗練された機能的な美しさを出している校舎だ! 大林組の設計・施工。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3年前の秋に撮った写真はおまけ!

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・・・・・・・・・・・・・加賀レジデンス・・・・・・・・・・平成20年(2008)竣工、総戸数246戸、14階建ての白亜のマンション。 鹿島建設の設計・施工。

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②石神井川・・・・・・・・・・二造の敷地中央を流れていた石神井川。

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③二造のモニュメント・・・・・・・・・・・石神井川に架かる緑橋の際の緑地に、地べたに寝かされた二造の工場外壁のモニュメントが残されている。 説明板に載っていた写真はおそらく終戦直後のものだ。

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④愛歯技工専門学校・・・・・・・・・・・石神井川沿いのキャンパス内の建物も二造のものだ。

・・・・・・・・・・・・・現在は、サークルの部室・駐輪場など多用途に使用していると思われる建物。 火薬庫として使用していたらしく、万一の爆発事故を想定して壁を頑丈にし、爆風を上に吹き飛ばすため屋根を弱く造ったらしい。 柱の一部は壊れ、中に煉瓦が見える。

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・・・・・・・・・・・・・管理棟か? こちらは、外壁など塗り直し、サッシも替えたようだが、現地でよく見ると1階の窓には馬蹄形の枠があり二造の建物だ。 2階は増築したと思われる。

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⑤愛誠病院・・・・・・・・・・・・・石神井川の北側、東京家政大学との間に、愛誠病院が在る。ここでは、二造の建物の数棟が再利用されている。

・・・・・・・・・・・・・外来棟・・・・・・・・・・こちらは最近の新しい建物。

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・・・・・・・・・・・・・本部事務棟・・・・・・・・・写真の1階部分は二造の建物のようだ。

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・・・・・・・・・・・・・薬局・デイケアの建物・・・・・・・・・・塗り替えられてはいるが、間違いなく二造の建物。

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・・・・・・・・・・・・・精神神経科外来棟・・・・・・・・・・こちらも二造の建物。

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⑥理化学研究所板橋分所・・・・・・・・・・石神井川と愛誠病院の間に、川筋に沿い細長く建物が数棟並んでいる。 その中に煉瓦造りの建物がある。

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⑦加賀公園・・・・・・・・・・・石神井川を挟み、理化学研究所の対岸が加賀公園である。このあたりの一帯は、かつて加賀前田藩下屋敷跡で、約22万坪(兼六園の約7倍)の広さを有していた。 現在の公園は、屋敷内庭園にあった築山の跡で、広大な下屋敷のホンの一角である。

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・・・・・・・・・・・・・・公園の小高い築山の一角に、コンクリートと煉瓦によって造られた、弾丸を試射した時の標的が残っている。 火薬の種類や量を変え、弾丸の速度などを測定したそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・加賀公園築山の中程から、隣りの野口研究所の構内に向かって一本の道路のような部分が残っている。これは火薬製造所内を通る電気軌道(トロッコ)の線路敷き跡で、線路は製造所外の王子・十条などにあった軍の関連施設につながっていた。

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⑧圧磨機圧輪記念碑・・・・・・・・・・・加賀西公園の一角に、円盤状の石を組み合わせたモニュメントがある。 これは、板橋火薬製造所の創設者が幕府の命によりベルギーから輸入したもので、明治9年(1876)から実際に火薬製造(黒色火薬)に使用されていた臼のようなものだ。 硫黄、木炭、硝石を混ぜたものに、水を加えながら、石神井川の水車で得られた動力によって圧輪を回して、磨り潰すことにより黒色火薬が作られる。・・・・・・・・・記念碑中央の花びらのようなものは、東京砲兵工廠のマークである。

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⑨板谷公園・・・・・・・・・・・加賀公園近くに、昭和12年(1937)開園という 「東京市板谷公園」がある。 公園は小樽の板谷商船創業者:板谷宮吉が東京市に用地提供した、板橋区では最も古い公園だ。・・・・・・・・この公園は、二造との関係はない。

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2013年8月 2日 (金)

王子~十条

京浜東北線王子駅から東十条駅をまわり埼京線十条駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。

①王子駅・・・・・・・・・・・明治16年(1883)、日本鉄道(上野~熊谷)の開業と同時に開設された古い駅。 築堤上に島式ホーム1面があり、その東側には東北新幹線の高架橋がある。  改札口は北口・中央口・南口の3か所がある。・・・・・・・・今日は北口から散歩を始めた! 北口改札を出て西側には音無橋の下を流れる旧石神井川があり、川筋の親水公園は通勤・通学路となっている。

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②音無橋・・・・・・・・・・・・昭和5年(1930)竣工の鉄筋コンクリート製三連アーチ橋。橋のデザインは御茶ノ水の聖橋に良く似ている。橋下を流れるのは石神井川であるが、親水公園となり、本来の川は音無橋の手前から飛鳥山公園の下を抜け隅田川に合流さいている。・・・・・・・・・・橋上の照明灯は建設時のデザインを踏襲して、昭和の歴史を感じる。

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③王子神社・・・・・・・・・・・・元亨2年(1322年=鎌倉幕府の時代)に熊野より当社を勧請した。たいへん高い格式を持つ神社で、最盛期には飛鳥山も支配地としていたそうだ。・・・・・・・・・戦災で建物は焼失し、昭和39年(1964)の第一期、昭和57年(1982)の第二期造営を経て、現在の壮大な権現造りの社殿となった。

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④王子工業会館・・・・・・・・・・・王子本町交差点に建ち、昭和8年(1933)の建築、鉄筋コンクリート造2階建て、3階部分は後の増築である。 丸みのある玄関部分は一昔前の病院のようだ!

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⑤三浦医院・・・・・・・・・・・王子本町に建つ、昭和の医院。 玄関の丸い門柱はカワイイね。 四角い門柱は威厳があるね。 医院は廃業したようだ!

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⑥旧東京第一陸軍造兵廠十条工場・・・・・・・・・大正8年(1919)に建てられた旧第一陸軍造兵廠赤煉瓦工場275号棟。 戦後は米陸軍東京兵器補給廠となり、さらに陸上自衛隊武器補給処として使用されてきた。・・・・・・・・平成20年(2008)、北区中央図書館の一部として生まれ変わった。 赤煉瓦の閲覧室は、読書嫌いな人でも、ここで本を読んでみたくなるようだ!  武器製造工場が、知識工場に変わった。

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⑦東十条駅・・・・・・・・・・・昭和6年(1931)に「下十条」駅として開業した。昭和32年(1957)、東十条に改名。・・・・・・・・・改札口は南・北2か所ある。南口は十条跨線橋に面する橋上駅。

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⑧十条跨線橋・・・・・・・・・東十条駅南口の脇に架かる跨線橋で、かつて東北本線の荒川橋梁として架けられていた橋の一部を昭和6年(1931)に現在の跨線橋に転用したものだ。 現在は跨線橋の両側に歩道橋が増設され、車専用橋となっている。 トラスの鉄骨部分に銘板があり、そこには、“COCHRANE社製、1895年(明治28)製造、DUDLEY ENGLAND”と標されている。英国製だ!・・・・・・・・・鉄道黎明期を物語る貴重な鉄道遺産として保存してもらいたいね!

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⑨十条中央商店街・・・・・・・・京浜東北線東十条駅と埼京線十条駅を結ぶ商店街。道幅は狭く、商店街の中程に「篠原演芸場」があり、別名「演芸場通り商店街」と称している。

・・・・・・・・・・・・・東十条側の入り口

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・・・・・・・・・・・・・篠原演芸場・・・・・・・・・・大衆演劇を公演する“常打ち小屋”と呼ばれる劇場は全国に25か所あるそうだ。 浅草の木馬館と競う、その一軒、大衆演劇は元気なようだ!・・・・・・・・・・八月特別公演のチラシを見ると、“一度、観てみたいね!”

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・・・・・・・・・・・・・商店街

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・・・・・・・・・・・・・十条側の入り口は踏切に面し、その隣はホームの端だ。

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⑩十条駅・・・・・・・・・・・・埼京線(昭和40年代は赤羽線であった)内で唯一相対式ホーム2面2線の地上駅。・・・・・・・・・・明治38年(1905)、日本鉄道の十条駅(初代・貨物駅)として開業。東京砲兵工廠が発送・到着する貨物を取り扱っていた。 明治43年(1910)、旅客営業のみの2代目の十条駅が開業。・・・・・・・・駅舎の横には駅開業70周年記念碑(昭和55年建立)の動輪が置かれている。

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