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2013年8月30日 (金)

東京都慰霊堂

午前の一番で、頭部腫瘍除去後の定期検診を受けるべく、我が家のある台東区浅草橋とは、隅田川を挟み、対岸の墨田区横網町の同愛記念病院を“ご訪問”してきた。

“ご訪問”の後は、病院の並びにある東京都慰霊堂に、明後日が90回目の震災記念日となるので、手を合わせに“お立ち寄り”してきた。 我が家からの往復、8千歩、6kmの歩きです。

①東京都慰霊堂・・・・・・・・・・・・・・大正12年(1923)の関東大震災で身元不明の遺骨を納め霊を祀る施設として、昭和5年(1930)に震災記念堂として建てられた。 昭和23年(1948)からは、東京大空襲の遺骨も合祀し、東京都慰霊堂と称することとなった。・・・・・・・・・伊東忠太の設計、戸田組(現:戸田建設)の施工、鉄骨鉄筋コンクリート造3階建て。・・・・・・・・・・・・明後日の式典の準備が始まっていた。 祭壇には供物も供えられ、内部は清掃中。 正面の扉の内側上部に、獏と象のあいの子のような動物がおり、準備状況を確認しているようだ!

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②東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑・・・・・・・・・・・東京大空襲の犠牲者:約8万人の名簿を、内部に納めている祈念碑。 平成13年(2001)に設置された。・・・・・・・・・・今日は、ガンガン照りの下、大きな花壇の手入れで汗だく、御苦労様です。

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③東京都震災復興記念館・・・・・・・・・・・・・・関東大震災の復興事業を記念するために、 震災記念堂の付帯施設として、昭和6年(1931)に防災資料展示館として建設された。 こちらは伊東忠太+佐野利器の設計、戸田組(現:戸田建設)の施工による、鉄骨鉄筋コンクリート造2階建て。 帝冠様式のデザイン、外壁はスクラッチタイル貼りの建物。 正面玄関上部には、獅子のような動物が見下ろしている。

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・・・・・・・・・・・・・・・・1階には、家財道具を持って避難した人でごった返す、元陸軍被服廠跡、上野駅前の写真。 ゴロゴロとあちらこちらに横たわる焼け焦げた死体の写真。 地震と火災で瓦礫と化した東京の町。  見るのも辛い、想像を絶する写真が展示されている。

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・・・・・・・・・・・・・・・2階は、地震の“その時”を描いた、絵画を中心に展示している。 焼け落ちる建物、火の手が舞う町、屍の山、、、、写真に撮れなかった瞬間だ!

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・・・・・・・・・・・・・・・・東日本大震災の津波の被害は凄まじいものであったが、関東大震災の火災の被害も惨いものであった。 年に一度、慰霊に来て、帰りにこちらの展示を見てほしいね! 

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