浅草・山谷
私が住む台東区は23区で最も面積の小さい区である。しかし、江戸時代の人口は、庶民の町であり最も多かった。 その台東区の南端が我が家のある浅草橋、北の端にかつて「山谷」と呼ばれた清川、日本堤地区がる。 本日の散歩は、我が家から、浅草を抜け、山谷へ行って、ソープランド街の吉原を視察して、再び浅草まで、1万2千歩、9kmです。
①観音さま・・・・・・・・・・・このブログでは、度々、観音さま(浅草寺)は登場するので、今日は手抜きでコメントを簡潔にする。
・・・・・・・・・・・・・まずは、雷門・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・雷門のお隣は、常盤堂雷おこし本舗の本店・・・・・・・・・・・創業は江戸時代末期といわれ古い! 老舗だ! 現在の建物は昭和28年(1953)に建てられた。・・・・・・・・・・常盤堂が再建された時点では雷門はなく、昭和35年(1960)に松下幸之助の寄付で雷門が後で再建された。・・・・・・・・・・いまは、雷門と常盤堂の建物がコラボして、“This is 浅草”を演じている。
・・・・・・・・・・・・・お次は、仲見世・・・・・・・・・たまには裏側を見てね!
・・・・・・・・・・・・・仲見世横のお店では・・・・・・・・刃物屋、和装小物屋、レコード店、天麩羅屋、、、、、営業中だ!
・・・・・・・・・・・・・・プロマイド屋では、藤圭子を偲び店頭に!
・・・・・・・・・・・・・・宝蔵門(仁王門)・・・・・・・・・・・たまには、仁王様の阿吽のお顔を拝見!
・・・・・・・・・・・・・浅草寺本堂・・・・・・・・・こちらも、たまには後ろから見てね!
②浅草花街・・・・・・・・・・浅草寺の北側の浅草花街は、伝統と格式を誇る東京屈指の花柳界のひとつ。 今日も、見番には灯りがともり、芸者が料亭へ向かう。
③山谷地区・・・・・・・・・現在は台東区清川・日本堤の一帯。 かつてのドヤは、ビジネスホテルに変身。 お泊りのお客の一部は外人観光客も。 時代が変わったのか?・・・・・・・・でも、古いホテル(旅館)の前には、夕涼みに表に出て飲んでる人もいる。・・・・・・・・・早々と灯りの消えた商店街は、ホームレスの寝床と化した。・・・・・・・・・山谷ではカメラはヤバイので、人のいないところをパチリ!
・・・・・・・・・・・・山谷の中心部に鎮座する、玉姫稲荷神社・・・・・・・・・天平宝字4年(760)に創建された神社。・・・・・・・・・神社の隣りの公園では、ホームレスの酒盛りが始まっていた。
④日本堤の老舗・・・・・・・・・・“桜鍋”の「中江」と天麩羅の「伊勢屋」
⑤吉原・・・・・・・・・ここも、カメラを出すと生きて帰れないかもしれず、撮影不可。・・・・・・・・大門を入り中心部を歩くと、黒いスーツの客引きがズラリ並んでいる。怖~~い! でも、キラキラ輝くネオンのまぶしいソープランド店がズラリ並んでいるのは壮観だ! 一生に一度は入ってみたいが、勇気がないので止めておく!・・・・・・・綺麗な店は100軒ぐらいあるかな? 今度、数えてみよう!
・・・・・・・・・・・・・ネオンの光が届かなくなったところに、吉原神社がある。
・・・・・・・・・・・・・さらに、吉原神社の近くに、艶めかしい吉原弁財天が祀られている。
⑥浅草・・・・・・・・・・・・・東武鉄道浅草駅。 私は“浅草松屋”の呼名がシックリくるね。 大正10年(1921)建築の「神谷バー」も浅草の顔だ、忘れずに!
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